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|オリンピック|今回もサウジ女性は蚊帳の外?

【シドニーIPS=サンドラ・シアジアン】

今年の7月にロンドンで開幕予定の第30回オリンピック競技会に向けて世界のアスリートが最終調整に入る中、サウジアラビアは、女性のオリンピック参加を禁じている世界唯一の国として孤立を深めている。

以前はカタール、ブルネイも、文化的、宗教的理由から女性のオリンピック参加を禁止していたが、今回は初めて女性選手団を派遣することになっている。

しかし、保守的な聖職者が「女性のスポーツ参加は社会の風紀を乱しかねない」と懸念するサウジアラビアでは、女性や少女がスポーツをする権利を否定する厳格な政治方針に基づいて、これまで一度も女性をオリンピック選手に指名したことがない。


 国際人権保護団体ヒューマンライツウォッチ(HRW)は、2月に発表した報告書の中で、サウジアラビアに対して女性が男性と同様にスポーツをする権利を保護するよう求めるとともに、国際オリンピック委員会(IOC)に対しては、1999年に女性のオリンピック参加を否定したとして(当時タリバン支配下の)アフガニスタンに対して国内オリンピック委員会を資格停止処分にした前例と同じような措置をサウジアラビアに対して行うべきだと強く要求した。

Steps Of The Devil」の著者でHRWのクリストフ・ウィルケ(Christoph Wilcke)中東上級調査員は、「IOCは、今こそ会員に関する規則に従って行動する時です。」と語った。

「サウジアラビアは規則に違反していますが、問題は、罰則の適用が事態を好転させるか、かえって悪化させるかわからない点にあります。」とミュンヘンを拠点にしているウィルケ氏はIPSの取材に応じて語った。

「IOCはこの点についてはまだ結論に達していないが、私は、オリンピック開幕の2か月前という今の時期こそ、IOCが規則を施行するのに理想的なタイミングだと思います。サウジアラビアは明らかに、男性アスリートのみからなる選手団を参加させたいと考えています。しかしこれでは規則違反を犯しても全く罰則なしにまかりとおるということになってしまいます。」

サウジオリンピック委員会のナワフ・ビン・ファイサル王子は昨年11月、ロンドンオリンピックには男性のみからなる選手団が参加すると発表した。その際王子は、女性の競技参加について可能性を否定しなかったが、その場合は外部からの招待を受けた場合に限られると述べている。

またファイサル王子は、「女性競技者は、イスラムの戒律に則った適切な服装を身に付け、男性保護者(父またはその男兄弟、夫など)が見守る環境でスポーツを行わなければならない。またその際も、イスラム法に違反しないよう、体の一部が他人にみられないよう配慮しなければならない。」と付加えた。

信仰・文化上の権利

サウジアラビアを除けば、全てのイスラム教国・アラブ諸国において、女性は政府や国が認可したスポーツ委員会の支援を得てスポーツをする機会が認められている。

しかしサウジアラビアの場合、オリンピック委員会や全国に29ある国家スポーツ連盟のいずれも、女性部門を設けておらず、スポーツを志向する女性アスリートに対していかなる競技会も開催されていない。

ウィルケ氏は、「イスラム教には女性がスポーツをしてはいけないという規定はないのです。反対する人たちの主張の根拠は、女性は家にいて外出すべきでないといった伝統的な、家父長制度的見解によるものにすぎないのです。」と指摘し、「女性がスポーツをする権利を普及させたい女性は、宗教の観点から筋の通った議論ができるのです。」と語った。

サウジアラビアの公立学校では男子生徒にしか体育の授業が行われていない。また国が認可するスポーツジムは男性専用に限定されているため、女性が利用できる施設は通常病院に併設されたヘルスクラブに限定されているのが現状である。

また国内にある153の政府認可のスポーツクラブのうち、女性のチームは皆無である。

シドニーのサウスウェールズ大学で国際関係と中東問題を講義しているアンソニー・ビリングスレー氏は、「たとえサウジアラビアが女性のスポーツ参加を禁止する法律を解除したとしても、国際競技で通用する女性アスリートを育てるには何年もの歳月を要するだろう。」と語った。

「もしあなたがサウジアラビアで競技ランナーになりたかったとしても、実際に練習できるのは病院かなにかの施設に併設された建物の屋内に限られてしまいます。」と、中東での滞在・勤務経験が長いビリングスレー氏は語った。

「女性が外に出て練習したり他者と競ったりする機会は実質的に皆無なのが現状です。そうした環境で、一人で練習するには限界があります。問題は、時間的なものよりも、むしろ国際競技に向けた実質的な練習や、スポーツ技術を学んだり、自らの技術を高められるような機会がないことなのです。」

ABCラジオのジャーナリストでメルボルンにあるRMIT大学で講師をつとめているナスヤ・バーフェン氏は、「女性のスポーツ参加を禁じたサウジアラビアの措置は、男女が一か所に交わるべきではないとするイスラム神学上の視点を厳格に適用したものです。」と語った。

「彼らの観点からすれば、女性が野外に出て走り回り、男たちの視線に晒されることは、神に対する冒涜に等しいものであり、イスラムの教えに反するということになるのです。一方、イランのような国では、女性のスポーツ競技を認めていますが、フットボール競技の観戦や参加は認めていません。スポーツの分野における男女隔離に関しては、イランの方がサウジアラビアよりはましだということです。」とバーフェン氏は語った。

スポーツの優先順位は?

スポーツへの参加に関する女性や少女に対する差別は、サウジアラビアが自国の女性に対して行っている多くの権利侵害の一つに過ぎない。同国では、女性は車の運転を認められておらず、国が定める「男性保護者制度」により、サウジ女性は年齢に関わらず、特定のヘルスケアの受診、就職・進学・結婚等、全ての行動について男性保護者の許可を得なければならない。

「サウジアラビアは、ゆっくりではあるが少しずつ近代化に向けた改革の途上にあります。そうした意味では、女性の権利に関しては、まず車を運転する権利について見直しが行われ、続いてその他の基本的な優先事項が審議されるでしょう。そしてプロスポーツへの女性の参加については、そのあとの展開になるものと思われます。」とバーフェン氏は語った。

またバーフェン氏は、「サウジ女性が男性と比較して概ね平等な扱いを享受している分野が教育です。しかしそれでも、卒業後は伝統的な職種に追いやられる傾向にあります。サウジ社会には、女性医師、看護婦、女性教師に対する差し迫ったニーズが明らかにあるにも関わらず、女性にこうした非伝統的職種を奨励する動きがほとんど皆無なのが現状です。」と語った。

ビリングスレー氏は、「サウジアラビアで女性の地位を変革されるには、世代を超えたとてつもない規模の教育的努力がなされなければならないでしょう。」と語った。

ウィルケ氏は、「最終的には女性に基本的権利とある程度の政治的権限を持たせることについて、サウジ政府が従来の方針を変更するかどうかにかかってきます。」と語った。

またウィルケ氏は、サウジ政府が7月のオリンピック開幕までに政策を変更する可能性がほとんどないことに言及して、「僅か3カ月程度の間にこうした差別の構造を廃止することができないであろうことは理解しています。」と語った。

「しかし、私たちはサウジ政府がこの問題について、早速にも誠実に取り組む姿を見たいのです。そこで私たちは、サウジ政府に対して、公立学校に女子生徒向け体育授業を導入する日時を発表するよう、さらには、国の管理下にあるスポーツクラブに女性部門を設けていく予定計画を策定するよう、提案しているのです。」

「オリンピックレベルの選手を排出するまでには時間を要するとしても、女性がスポーツを行える仕組みについては、比較的簡単な手順で下地を構築していくことが可能なのです。」とウィルケ氏は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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核廃絶のエネルギーを削ぐ「核の恐怖」の脅威(ケビン・クレメンツ、オタゴ大学平和紛争研究センター教授)

【INPSコラム=ケビン・クレメンツ】 

バラク・オバマ大統領は、2009年、「バラク・オバマ大統領は、2009年、「核兵器のない世界」の実現に邁進するとプラハで述べた。この大胆な声明以来(それゆえに彼はノーベル平和賞をとった)、オバマ大統領は、核廃絶の問題はしばらく脇に置いて、原子力安全や核保安に集中するよう、外交顧問から説得され核兵器関連の研究所からプレッシャーを受けてきた。」の実現に邁進するとプラハで述べた。この大胆な声明以来(それゆえに彼はノーベル平和賞をとった)、オバマ大統領は、核廃絶の問題はしばらく脇に置いて、原子力安全や核保安に集中するよう、外交顧問から説得され核兵器関連の研究所からプレッシャーを受けてきた。

したがって、ワシントンで2010年に開かれた最初の核安全保障サミットでは、原子力安全と核テロの防止問題に焦点が当てられることになった。これらの目標は重要なものではあるが、「平和的な」原子炉の安全の問題や、核兵器の削減あるいは廃絶の問題に実質的に対処するものではない。

 逆に、核保安とは、国際原子力機関(IAEA)が定義したところによると、「核物質とその他の放射性物質、あるいはそれらの関連施設に関して、盗難、サボタージュ、不正アクセス、違法移転などの悪意ある行為を防止、探知し、それに反応すること」だとされている。言葉を変えれば、焦点は核物質が「悪人の手」に渡らないようにすることにある。そこで次に、ある国家が「テロとの戦い」の中でどういう風に位置づけられているかによって、定義がさらに変わってくることになる。この焦点に関して驚くべきことは、テロ集団が、「汚い(放射能を出す)爆弾」を製造したり、あるいはより高度な核兵器を入手することを志向している国家の野望に協力したりするために、高濃縮ウランを手に入れようとしているという明確な証拠がないことだ。

核安全保障サミットは、第1回、第2回(ソウル、2012年3月26~27日)ともに、核テロと核分裂性物質の管理強化の問題、すなわち、原石であれイエローケーキであれ、あるいは六フッ化物、酸化金属、セラミックのペレット、燃料集合体であれ、いかなる種類の核物質の「違法な」(どのように定義されるにせよ)奪取をどう防止、探知し、どう反応するか、という問題に焦点を当てた。

1回目のサミットは、核軍縮や核不拡散、核エネルギーの平和的利用を促進することで、「核兵器なき世界」の実現に寄与するための重要な前提として核保安の問題を位置づけることを目指した。しかし中には、核兵器を大幅に削減し、核取得の瀬戸際にいる国や事実上の核兵器国に対して創造的に対処し、核廃絶に向けた明確なガイドライン/ロードマップを打ち立てる努力から目をそらすものだという懐疑的な意見もあった。

しかし、第1回サミットでは、高濃縮ウラン(HEU)の量を最小化し削減する作業計画が策定され、核テロリズム防止条約(ICSANT)のような国際合意が批准され、核物質防護条約(CPPNM)の修正に成功した。いくらかの成果があり、ソウル・サミットでは、これらの措置の進展具合を確かめ、(福島第一原子力発電所のメルトダウンを受けて)原子力事故の危険性に焦点をあてることを目指した。

いくらか問題であるのは、核物質の盗難とテロ活動との間のつながりである。オサマ・ビン・ラディンが核兵器の取得は「宗教的な義務」であると言い、9・11委員会の報告書でアルカイダが核兵器を取得ないしは製造しようとしたと結論づけられているからといって、アルカイダ、あるいは他のテロ集団にすでにその能力があるとか、依然として関心を持ち続けているということではない。テロリストの手に渡った核兵器が大量の命を奪うために使われるとか、あるいは彼らの明白な政治的利益のために使われるとかいうのは、論理の飛躍である。こうした非常に可能性の低い問題にばかりこだわるのは、核兵器なき世界(原子力と核兵器の両方への依存を減らすこと)に向けた努力のエネルギーを削ぐものだと言えよう。

韓国政府は、ソウル・サミットが「核不拡散・核軍縮というより広い問題への突破口に向けた一つの踏み台」とされることを望んでいた。核保安と原子力安全の関連は話し合われたが、サミットのコミュニケではこの「踏み台」が提示されることはなく、北東アジアや世界のその他の地域における原子力の拡大に真に抑制をかけようとの努力も示されなかった。

実際、多くの識者は、コミュニケは内容に乏しく、各国にはそれを実現する気もないとみている。署名国は、28回にわたって何かをなすように「勧奨」されてはいるが、「義務付け」られては全くないのだ。最終コミュニケには、その中心的な内容として、参加国が核物質の保有量を削減し続けるという合意が入った。しかし、この合意ですら一般論に終始しており、核物質の全廃あるいは削減に関して特定の目標を示していない。2013年末までに、高濃縮ウランの保有を最小化するための目標を自発的に定め、発表するように各国に勧奨してはいる。米国とロシアは高濃縮ウランを低濃縮ウランに転換する作業を進めているが、12万6000発の核兵器を作ることができる500トンのプルトニウムの削減・全廃については、ほとんど前進が見られない。

このコミュニケは、何が含まれているかということよりも、何が省かれているかという点において、注目すべきものだ。たとえば、日本は、核物質を防護し保障措置をかける規制枠組みを持っていないベトナムヨルダンのような国に対して核技術輸出を急速に進めることの問題に言及することなく、核テロの危険性に焦点を当てている。

イランや北朝鮮、ウズベキスタンも同様に兵器級の核物質をかなり備蓄しているが、サミットでの討論には加わっておらず、これらの国の核物質にどう対処するかという問題への言及はない。

驚くべきことに、朝鮮半島で開かれた会議だというのに、北朝鮮の核開発をどう食い止めるかという問題にはまったく触れられていないし、パキスタンの核物質をどう保全するのかについてもまともな議論がなかった。

しかし、より重要なことは、核エネルギーの平和的利用と非平和的利用、あるいは原子力安全と核軍縮との間の明確なつながりを打ち立てる意思が見られなかった、ということであろう。平和運動の視点から言えば、今回のサミットは、「核兵器なき世界」というオバマ大統領の希望の実現に向けた勢いを生み出すことに失敗している。

2014年にオランダで予定されている第3回目のサミットでは、これらのつながりを明確にし、核廃絶という目標をすべての議論の中心に座らせることが重要だ。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

ケビン・クレメンツオタゴ大学(ニュージーランド)平和紛争研究センター教授。

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|リビア|部族対立が南東部砂漠地帯で流血の事態に発展

【クフラIPS=レベッカ・マレー】

リビア南東部のクフラ(エジプト国境近くのサハラ砂漠のオアシス都市)では、長らく緊張関係にあったズワイ族とタブ族が、今年2月の衝突以来辛うじて平静を保っていたが、3月26日以降、事態は100名以上の死者を出す衝突へと発展した。こうした部族衝突は、リビア新政府が新国家を建設していく中で直面している深刻な課題の一つである。

ムアンマール・カダフィ大佐の追放によって政治的空白が生じた中、北部沿岸から1000マイル(約1609キロ)内陸に位置し、エジプト、スーダン、チャド国境と接する主要な密輸拠点であるクフラでは、縄張りと利権を巡る争いが激化している。このことから、6月19日に予定されている総選挙の実施をはじめ、クフラを中心とするリビア東南部地域の今後の安定が懸念されている。

 クフラで衝突が再燃する数日前、ズワイ族とタブ族の成人学生が市街地に位置する職業学校の校庭の木陰に集い、悪化する治安や将来に対する不安について口々に語った。

「クフラでは縁故主義がはびこり、就職は容易ではありません。人が多すぎて、それに対して十分な働き口がないのです。」とズワイ族出身の医学生オマサヤドさん(26歳)は語った。さらに彼女は、「治安面では、カダフィ時代のほうが良かったと思います。」と付加えた。

するとクラスメートでタブ族出身のカディーシャ・ジャッキーさん(25歳)は不意に発言を遮って「確かにカダフィ時代より治安は悪化していると思います。しかしそれでも、今の方が生活は良くなっている。」と語り、「優先順位は、治安、平和、人権であるべきだと思う。」と指摘した。

タブ族出身でコンピューター専攻のカルトロン・トオウシさん(23歳)は、「部族対立は長年に亘る根深い問題です。私は学校では安全が確保されていると感じていますが、街に出るととても不安です。」と語った。

人口の大半をアラブ系のズワイ族が占めるクフラ(人口44000人)において、タブ族の人口は約4000人とみられている。半遊牧民でズワイ族よりも肌の色が黒いタブ族は、リビア西部の要衝サブハ(Sabha)をはじめ、隣国のスーダン、チャド、ニジェールとの結びつきが強い。一方、ズワイ族の人口分布は、クフラから北方に向けて石油資源が豊かな砂漠地帯を覆い地中海沿岸のアジュダービヤ(Ajdabiya)までの広大な地域に広がっている。

タブ族は、カダフィ政権の下で長年に亘って差別されてきたが、カダフィ政権がウラン鉱脈をはじめとする地下資源の支配を巡ってチャドアオゾウ地帯に侵攻した80年代の戦争(「トヨタ戦争」ともいわれ、結局敗北したリビアは国際司法裁判所の裁定に従って撤退した:IPSJ)時期に、タブ族に対する弾圧も強化された。

2010年7月に発表された国連人権理事会のレポートによると、クフラのタブ系住民はカダフィ政権によって2007年に「チャド人」と見做され、市民権を剥奪されたうえ、教育機会やヘルスサービスを受ける権利も奪われた。さらに政府当局は、タブ系住民の家屋を破壊したり、容疑者として多くの住民を逮捕した。

こうした背景から、昨年反カダフィ内戦が勃発した際、タブ族はリビア南部一帯をカバーする同族のネットワークを駆使して、カダフィ支援にサブサハラからリビアに入国しようとした傭兵の流れを阻止するなど、反体制側(国民評議会)の勝利に重要な貢献をした。

この功績に対して新暫定政権(国民評議会)は、タブ族の指導者イッサ・アブデルマジド・マンスール氏に、クフラをはじめとするリビア東南部一帯の合法・非合法の利権(越境貿易や移民、武器、麻薬の流れ)を伴う監督権を委ねた。

クフラ地区軍事評議会議長のスリマン・ハメド・ハッサン大佐は、「私たちが最も憂慮しているのは国境越えの密売組織のネットワークです。国境管理を監督しているのはアブデルマジド氏ですが、彼こそがこうした密輸ネットワークと繋がっているのです。我々は彼に密輸の取り締まりを要請しましたが、何も対策を打ちませんでした。彼は密輸から利益を得ているのです。」と語った。

国際危機グループの北アフリカディレクターのビル・ローレンス氏は、「ズワイ族も、タブ族も、それぞれ越境取引で利益を上げているのです。」と語った。

今回の衝突はタブ族のタクシー運転手が殺害され、タブ族が地元の民兵組織リビア防衛隊(Libyan Shield Brigade)の犯行であるとして糾弾したことから、両者の軍事衝突に発展した。リビア防衛隊は、反カダフィ内戦時は、フクラ地区軍事評議会と同盟関係を結び、ベンガジの国民評議会国防省(当時)の指示の下で、クフラ地区の治安を担当した民兵組織である。

「要するに、これは昔から続く両部族(ズワイ族とタブ族)間の対立図式の延長なのです。ただ、紛争の規模が今回大きくなっているのは、昨年の内戦期に大量の武器が行きわたってしまったことによるものです。」とクフラに派遣されてきた軍事顧問のアブドゥル・ラミ・カシュブール大佐は語った。

またカシュブール大佐は、「今回の紛争の原因の一つにアイデンティティの問題があります。新政府は、(カダフィ政権時代に市民権を剥奪され弾圧を受けてきた)多くのタブ族系住民が抱える、アイデンティティの問題を解決すべきです。そしてその上で、政府が国境の管理権を掌握しなければなりません。紛争が国境地帯に集中しているのは、あらゆる勢力が国境地帯の支配権を握ろうとするからなのです。」と付加えた。

ビル・ローセンス氏も大佐の意見に賛意を示し、「ズワイ族とタブ族の抗争の原因は、複合的なもので、国境地帯の密輸ルートの支配権を巡る対立、誰がリビア人なのかというアイデンティティを巡る対立、そして暴力に対する報復という側面があります。」と指摘した。

またローレンス氏は、「リビアにおける全ての対立には42年間に亘ったカダフィ独裁政権の間にも水面下で燻っていた、社会的亀裂が背景にあります。こうした亀裂は独裁政権による圧政のもとで表面化していなかっただけのことなのです。ところがカダフィ追放により重い蓋が取り除かれたことから、あらゆる旧来の亀裂が表面化してきているのです。」と語った。

クフラでは紛争が再発した結果、民主的な統治機構をゼロから再建するという本来のあるべき作業から地元住民の意識が逸らされる事態となっている。昨年の内戦で荒廃したミスラタ市(リビア第3の都市)が早々に自由選挙による市議会選挙を実施ししたのとは対照的に、クフラの市議会議長は任命された人物であり、市議会選挙についても近い将来に実施される予定はない。

IPS記者が取材した生徒たちはいずれも、6月19日に予定されている総選挙についてほとんど知らないと回答した。彼らはいずれも、総選挙への登録に関してや、諸政党、主な争点、候補者など、なにも知らされていないと語った。

建築専攻の大学生ファテ・ハメド・マブルークさん(25歳)は、「総選挙があるということは知っていますが、中身については誰も教えてくれないのでよくわかりません。ここクフラの市議会は何も教えてくれないのです…他都市の同胞たちのように、ここクフラでも自由選挙で代表を選出したいと考えています。」と語った。

クフラ選挙委員会のアル・サヌッシ・サレム・アル・ゴミ氏は、「中央政府は、まだ選挙人登録に関する詳しい情報を伝えてきていません。」と語った。またアル・ゴミ氏は、「現在再燃している武力紛争の影響で総選挙に関する広報がうまく出来ていません。このような情勢から、クフラの市議会選挙は総選挙後が行われ新政権が誕生するまで延期することに「なったのです。」また、「タブ族系住民の中には、もっと多くの家族がリビア市民権を取得するまで、選挙手続きが進まないよう妨害すると脅迫するものもいます。しかしそういう彼らは、必要な証明書を持っていないのです。」と語った。

この問題についてヒューマンライツ・ウォッチのフレッド・アブラハム顧問は、「市民権取得問題と身元証明書の問題は極めて複雑で途方もない作業になるでしょう。リビア南部では、身分証明書はないけれどもリビア市民権を取得するに十分値する人々がいる一方で、書類はあるけども市民権を得るに値しない人々もいるのです。」と語った。

またアブラハム顧問は、「タブ族系住民の間では選挙権を奪われるのではないかという懸念が広がっていることから、来る選挙で、このことは深刻な問題となるでしょう。」と語った。

一方、アブラハム顧問は、タブ系住民が同族の居住地域をベースにした独自の国家建設を志向しているのではないかとする説を否定して、「今の時点では、そうした動きはただの見せかけだと思います。タブ族系住民自体、内部で様々な対立を抱えている現状を考えれば、独立説はあまり説得力のあるオプションではないと思います。」と指摘したうえで、「むしろ深刻なのは、そうした風評が広がるほど、タブ族系住民の間に緊張感が広がっていることです。最近、部族間の不信感と疑念が極度に高まってきており、ついに流血を見るところまで発展しているのですから。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ガボロネ(ボツワナ)IPS=ウィリアム・G・モスリー】

W.G.Moseley
W.G.Moseley

4月6日、トゥアレグ人の反乱勢力が西アフリカの都市ティンブクトゥでマリ共和国からの独立を一方的に宣言し、「アザワド」(Azawad)という新国家を樹立したと発表した。しかし、近隣のアフリカ諸国や国際社会は、この宣言を無視するか、あるいは非難をあびせた。

しかし、植民地期にまでさかのぼるアフリカの多くの国境線が恣意的に引かれていること、もし反乱勢力の主張がたんに無視されたならば、飢餓の蔓延するこの地域において紛争がいつまでも続くであろうことを考え合わせると、国際社会は、アフリカの新国家になるかもしれないアザワドとどのように付き合っていくかをきちんと考えていくべきなのではないだろうか。

言うまでもなく、現在のアフリカの国境線の歴史は問題の多いものであった。欧州の植民地宗主勢力は、アフリカ人の全く出席していないベルリン会議(1884~85)で、アフリカを分割し勝手気ままに境界線を引くことを決めた。

 独立の後も概してそのまま存在し続けたこの国境線は、しばしば部族を分断し、あるいは仲の悪い民族集団をひとつの国に投げ込み、大きすぎたり、小さすぎたり、内陸地に押し込められたりして経済的に生きていくのが困難な国々を作り出した。アフリカ諸国の境界線が引かれたそもそもの問題を考えるならば、現在において、国境線を引きなおす闘争が起きているのも無理のないことである。

国境を勝ち取る決意を固めたトゥアレグ人

表面上は、「アフリカの国境問題」の解決は簡単に見える。機会が訪れたら、民族的により同質的な国家を作るようにすればよいのだ。

しかし問題は、アフリカの多くでは、民族がひとところに固まって住んでいないという点にある。むしろ、アフリカの風景とは、それぞれ別の、しかし同時に共存可能な生存戦略を、さまざまな集団が追求するみごとな豊かさにあるのである。例を挙げれば、農業や遊牧、漁業などだ。

したがって、民族の線に沿って国家を作ろうとすると、たいていは、多数派の民族が他者を圧倒することになる。しかもこれらの国家は、規模が小さく、経済的な多様性にも欠けるため、経済的な能力が低い傾向にある。

アザワド国創立は特段新しいアイデアではないが、国家承認を求める民族領域国家の最新の例ということになる。トゥアレグ人は浅黒の遊牧民であり、歴史的には動物の飼育に依存している。しかし、飼育地域は、アフリカ西部の乾燥地帯であるマリ共和国、ニジェール、ブルキナファソ、アルジェリア、リビアに拡散している。

トゥアレグ人は、より定住的な形態の農業を志向する地域の政府によって周縁化されてきたため、独立国家になることを望んできた。唯一の例外はリビアで、前独裁者のムアンマール・カダフィ大佐は、移民のトゥアレグ人を自身の親衛隊として積極的に登用し訓練を重ねてきた。

問題ある国家誕生

では、樹立を宣言したこのアフリカの新国家はどこへ行くのだろうか?4つの相互に関係ある現象が同時にこのトゥアレグ新国家の誕生を促し、同時にその長期的な見通しを暗くしていると私は考えている。

第一の問題は、マリ共和国トゥアレグ人との関係があまりよくないということだ。マリ共和国では南部の農耕民族が北部のこの遊牧集団を周縁化するという統治の歴史を持ってきた。とくに1960年代初めと90年代初めに大きな蜂起が起こり、その後90年代末に交渉を通じてかなりの和解がみられた。

結果として、マリ共和国政府は北部地域への多額の支援を約束し、キダルという名の新しい州が創設されてトゥアレグ人に大きな代表権が与えられ、トゥアレグ出身の大臣も数名任命された。すべてが完璧ではなかったが、状況は比較的落ちついていた。しかし、カダフィ大佐死亡後、2011年末に重武装のトゥアレグ兵士たちがリビアからマリ共和国に帰還すると状況は一変した。

第二の問題は、アザワド国が、親国家であるマリ共和国がほぼ内破するなかで、住民投票ではなく武力によって誕生したということだ。アザワド解放民族運動(MNLA)として知られるマリ共和国の世俗的なトゥアレグ抵抗集団が、カダフィ大佐の元親衛隊たちによってより強化されることになった。

こうしてMNLAは、マリ共和国北部にある国軍の施設襲撃に成功するようになった。こうした軍事的敗北により、3月22日、選挙をあとわずか数ヶ月に控えて、若くまとまりに欠ける軍事政権によって、民主的に選出された政府(アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ政権)が権力の座から追われることになった。

MNLAは、南部に生じた権力の空白に乗じて、北部のいくつかの主要都市を奪取することに成功し、4月6日の独立宣言を行った。世俗的なMNLAは、マグレブのアルカイダ組織(AQIM)やアンサール・ダイン(Ansar Dine)といった保守的なイスラム系集団との連携の可能性が取りざたされているが、これら組織とは大義名分を異にしていると自らは主張している。

西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)として知られる地域経済ブロックによる経済制裁の成功により、暫定的にマリ共和国南部で権力を掌握していた軍事政権は今や権力の座から滑り落ち、統治は文民の手に再び戻った。

国際的に承認された政府が南部の統治に復帰し、近隣諸国がアザワドの独立を恐れている。したがって、ひとつのありうるシナリオは、マリ共和国国軍が、ECOWAS諸国軍隊からの支援を得て、北部領域の奪取に向かうというものであろう。

ティンブクトゥの兵士らがイスラム国家樹立を宣言

第三の問題は、新生アザワド国内の民衆の多数が新国家樹立を支持しているのかどうかはっきりしていないという点である。マリ共和国の北部地域には、ソンゲイ(Songhay)やフラニ(Fulani)など非トゥアレグ系民族も多く、彼らは特定の民族集団と結びついた新国家に加わることに何の関心もないだろう。

さらに、アザワドの領域については、トゥアレグが明らかな少数派である地域が含まれるなど、依然として論争が続いている。最後に、新国家アザワドの領域内に住んでいるトゥアレグ人の一部の間に、より原理主義的なイスラムに対する恐怖があるかもしれない。あるいは、食料をふんだんに生産し、金や綿を輸出するより裕福な南部地域に接続していない砂漠国家の経済的な将来は暗いと認識しているかもしれない。

第四の問題は、紛争の対象となっている地域は、干ばつの連続と引き続く不安定な情勢のために、飢餓の危機にあるということである。人々は、通常通りの生存戦略を採れなくなっており、こうした状況の中で軍事的に打開しようとしても、人道的な危機をより悪化させるだけであり、根底にある緊張を解きほぐすことにはならない。

武力よりも対話を

よりよいアプローチは、マリ共和国政府と国際社会がMNLAとの対話に進むことである。南部の人々はトゥアレグ人たちの周縁化の歴史を理解する必要があるだろう。

さらにマリ共和国政府は、なんとしても北部を引きとめ続けることが、どの程度重要なことなのか、改めて熟考しなければならない。この事態の真相は、国の南部の人々の多くが、辺鄙で人口の少ない地域を維持するために全面戦争に進むことに価値を見出していないかもしれない、ということなのだ。

アザワドの連合に関して言うと、MNLAは、国の分離は武力によってではなく住民投票によって決められるべきであること(そして彼らはその投票に負ける可能性もあること)を理解しなくてはならない。アザワドが独立国家になるにせよ、今よりは大きな自治権をもつ地域となるにせよ、国際社会がいかなる新生国家を承認することも無下に拒絶するのではなく、MNLAとの対話を始めた方が、これら全ての問題がよく議論される可能性がある。

武力に訴えることは、新国家創設を民主的な手続きで行うことをMNLAが拒否した段階で初めて考えられるべきことである。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

※ウィリアム・G・モスリーは、マカレスター大学(ミネソタ州セントポール)教授(地理・アフリカ研究)。現在は、ガボロネにあるボツワナ大学の客員教員も務める。1987年以来、断続的にマリ共和国において研究を進めている。

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チベット人が焼身自殺しても誰も気にかけない(R.S.カルハ前駐イラクインド特命全権大使)

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R.S. Kalha
R.S. Kalha

【ニューデリーIDN= R.S.カルハ】

27才の若きチベット人ジャンフェル・エシ(Jamphel Yeshi)が、中国の胡錦濤国家主席のインド訪問に抗議して、3月26日に焼身自殺を図ったとき、多くの人々がこの「忘れ去られた人々」に降りかかった悲しい運命について思いを巡らさざるを得なかった。

チベットに生まれインドで育ったエシは、「チベット青年組織」の活動家であった。彼は遺書に「チベットの人々がこの21世紀において自らに火を放つのは、世界にその苦しみを伝えんがためである。」と書き残している。

エシはこの意味では独りではない。中国国内で焼身自殺を遂げたチベット人はすでに30人を超えている。しかし、世界は彼らの悲痛な訴えに耳を傾けているだろうか?

 予想通り、中国当局は、「ダライ・ラマが裏で糸を引いている」との見方を示している。中国外務省の洪磊(Hong Lei)報道官は、「ダライ・ラマのグループがチベット人独立運動を扇動し、様々な問題を引き起こしている。」と非難した。そしてこれも予想通り、中国政府は、今回の焼身自殺事件へのインド当局の「対応」を「称賛」した。しかしインド当局の役人は別として、こうした中国からの称賛を嬉しく思ったインド人は多くはいないだろう。

こうした一連の事件にもかかわらず、中国当局はチベットで政情不安を引き起こしている実際の原因について、改めて向き合うことを拒否している。チベット人居住地域は、治安当局による厳重な警戒体制下に置かれており、道路沿いには多くの検問所が設けられ、防弾服を着た重武装の軍警察が詰めている。中には、小さな消火器を携行しているものもいる。

また中国政府は、チベット人の宗教生活を直接的に監督支配する僧院統制(monastic management)計画を施行した。チベット僧の懐柔を目的に、約2万1000人の公務員がチベットに派遣されており、多くの僧の身上調書が作成された。恭順の意を示した聖職者には、特別の医療手当、年金、テレビセットなどの便宜が供与されている。また、チベット各地に100万枚の中国国旗と毛沢東の肖像画が配布され、修道院は毛沢東の肖像を掲げる義務を課せられた。こうした高圧的な政策は、チベット人住民一般の間で激しい不満を引き起こしている。

チベット人のために抗議の声をあげる国はない

チベット人は一般に温和な人々である。11世紀にインドから仏教が到来する以前のチベット人は、精霊崇拝を信奉し好戦的で野蛮な人々であったと伝えられている。しかしあらゆる殺生を禁ずる仏教がそうしたチベットのありかたを一変させた。チベット人は熱心な仏教徒として温和な人々になり、兵士は姿を消し、以来如何なる国々に対しても脅威を及ぼすことはなかった。

チベット人の間では、チベットの地はブッダ(仏陀)に守られた特別な土地という信仰がある。チベットには、どこに対しても脅威とならないユニーク且つ温和な文化が存在した。それはかつてタシ(パンチェン)・ラマが語ったと伝えられる次の言葉によく表れている、「私たちはただ読書し祈ることしか知らないのです。」チベット民族の人口分布はしばしば政治的な境界線と一致していないが、チベットを地理的に取り囲んでいる国はインドと中国のみである。

しかし、こうした明白な人権侵害があるにもかかわらず、人権保護活動家を除けば、チベット人のために抗議の声をあげる国はない。ちなみにチュニジアでは、2010年12月17日に露天商モハメド・ブアジジ(Mohamed Bouazizi)が焼身自殺をはかり、それがアラブ世界に大きな変革の波をもたらした「アラブの春」につながった。

しかしエシには気の毒だが、中東で見られたような変化はチベットでは見られない。1950年に中国がチベットを占領し、チベットが国連に窮状を訴えたときでさえ、主要国でチベットの訴えに耳を傾けた国は、当時のジャワハルラール・ネルー政権のインドを含めて皆無に等しかった。僅かにラテンアメリカのエルサルバドルが「チベットに対する侵略を非難し、国連総会がとるべき措置を研究する委員会を設置する」趣旨の決議案を第5回国連総会に提出したが、結局審議延期となりあやふやになってしまった。英国とインドの反対により、国連でさえ何ら有効な対応策をとろうとしなかったのである。

世界の大半の人々は、シリア情勢の成り行きを心配し、タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)敗北後に行われた殺戮に対してと同様、シリアで一般市民が虐殺されている現状に批判的である。しかしこれとは対照的に、不運なチベット人のために涙するものはほとんどいない。国連人権委員会でさえチベット問題になると積極的な行動は見られない。南アフリカ出身のナヴィ・ピレー国連人権高等弁務官も、シリアの人権問題に関しては積極的な発言が顕著だが、チベットの問題には触れていない。

その理由は他でもなく、中国の機嫌を損ねたくない、ということである。今や中国は、安全保障理事会の常任理事国であると同時に、米国に次いで世界第二位の経済大国でもある。また中国市場は世界の国々にとって極めて重要な位置を占めるに至っている。また、中国の軍事力は、毎年高い伸びを示している巨額の国防費に比例して着実に増強し続けている。今年の初め、バラク・オバマ政権は軍事的台頭が著しい中国に対抗するための戦略に主眼を置いた「国防戦略見直し」を発表した。米国政府はこの中で、軍事・経済大国としての躍進著しい中国の台頭を「議論の余地の多い(contentious)問題」と強調している。中国にとって残念なことは、そこでは中国はイランからの「脅威」と同じ分類に扱われていることである。

米国の政策立案者達が、中国が地域勢力として台頭していけば、長期的には、米国の経済・安全保障の権益が「様々な形で」影響を受ける「恐れがある」と考えていることは、疑いの余地がない。「国防戦略見直し」は、中米両国が、東アジアの平和と安定を維持し、「協力的な」関係を構築していくことに共通の利害があることを認める一方で、中国は同地域において米国との摩擦を避けるためにも「その戦略的意図」を明らかにするよう要求している。

「国防戦略見直し」には、中国が今後東アジア政策を推し進めていく中で、米国と協力していくのか、それとも米国の権益に対して敵対的な戦略をとりうるかについては言及されていない。おそらく、中国に求めている「戦略的意図を明らかにする」とはこのことを指しているのだろう。従って、今回の見直しから明らかになった米国の対中戦略は、引き続き中国との協力関係を推進していくものの、同時にその「戦略的意図」について警戒感をもって注視するという両軌政策である。

すなわちオバマ政権の不文律の政策は、不必要に中国を怒らせるようなことはしないということになるだろう。しかし公平を期して言うならば、米上院は「焼身自殺で亡くなったチベット人の死を悼むとともにチベット人を標的とした抑圧的な政策を非難する」超党派議員有志による決議案を可決している。

しかしチベット人にとって希望が失われたわけではない。ツイッターフェイスブックといった新しいメディアの発達によって、チベット人の苦境は世界に知られるところとなった。ジャンフェル・エシの焼身自殺を目撃した世界の数百万人の人々は、彼の凄惨な姿と不運なチベット人達が置かれている境遇に同情の気持ちを禁じ得なかっただろう。今後もこのような焼身自殺があるたびに、中国の対チベット政策に対する反発が国際社会に巻き起こることになるだろう。中国の指導層は、今こそそうした声に耳を傾けるべきときだ。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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逮捕された親チベットの抗議活動家

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【ファルージャIPS=カルロス・ズルツザ

イラクのファルージャの病院では先天性欠損症を伴って出生した赤ん坊の数を記録した統計は存在しない――あまりにも事例が多い上に、両親がこのことを話したがらないのである。「先天性欠損症を伴って生まれた子供の家族は、新生児が死亡すると誰にもこのことを打ち明けることなく埋葬するのです。そうした子供が生まれたことは家族にとってあまりにも恥ずかしく出来事と捉えられているのです。」と病院のスポークスマンであるナディム・アル・ハディディ氏は語った。

「私たちは今年の1月にファルージャで先天性欠損症を伴って生まれた子供の出生例として672件を数えましたが、実際には、もっと多くの出生事例がったと思います。」と、ハディディ氏は、プロジェクターで脳が欠損していたり目がない子ども、或いは腸が体から飛び出た状態で出生した子供の写真を映しだしながら語った。

またハディディ氏は、手足が欠損した状態で出生した幼児の冷凍保存遺体の写真を示しながら、「こうした子供を出生した両親の反応は、通常、恥ずかしさと罪の意識が複雑に交錯したものです。両親は、子どもがこうして生まれたのは自分になにか原因があるのではないかと考えるのです。コミュニティーの長老たちが、これは『神の与えたもうた罰だ』と言ってみても、こうした両親たちには何の慰めにもなっていないのです。」と語った。

 こうした写真はいずれも直視するのが困難なものばかりであった。そして、この悲劇を引き起こした者達も現実から目を背けてしまっているのである。

ハディディ氏は、プロジェクターのスイッチを切りながら、「2004年、米軍は私たちを対象に、燃料気化爆弾、白燐弾、劣化ウラン弾等…あらゆる種類の化学兵器・爆発物をテストしました。」と語った。

バグダッドの西70キロ、ユーフラテス川沿いに位置するファルージャは、サダム・フセイン政権の支持基盤であるスンニ・トライアングルの一角であり、バース党幹部を多く輩出した都市である。2003年3月に米軍を主体とする有志連合軍によるイラク進攻が開始されると、ファルージャ住民は占領軍に対する抗議行動を展開した。しかし2004年に事態は最悪の局面を迎えることになる。

2004年3月31日、米国の民間警備会社に所属する4名の米国人(実質的に傭兵)の虐殺死体が橋から吊るされている映像が世界に流れた。アルカイダが犯行を認める声明を発したが、米国はOperation Phantom Fury(幽けき者の怒り)を発動してファルージャを包囲攻撃したため、多くの住民がその代償を払わされることとなった。米国防総省によると、ファルージャ攻撃作戦は、ベトナム戦争時のフエにおける戦闘(1968年)以来、最大規模の市街戦であった。

ファルージャに対する掃討作戦が2004年4月に開始されたが、住民にとって最悪の作戦は同年の11月に実施された。米軍とイラク国家警備隊は市街の家屋をランダムに家宅捜索しながら武装勢力の掃討を進める一方、激しい夜間爆撃も加えた(多くが誤った情報に基づきピンポイント爆撃が行われたため多数の民間人が犠牲になった)。米軍当局は、白燐弾の使用について、「あくまでも夜間に標的を照らすためにのみ使用した」と主張したが、まもなく現地で取材したイタリア人記者達が公開したドキュメンタリーが公開され、白燐弾は米軍が対人使用した禁止兵器の一つに過ぎないことが明らかになった。

ファルージャ掃討作戦の犠牲者数は未だに明らかになっていない。事実、犠牲者の多くは未だに出生していないのである。

ファルージャ病院のアブドゥルカディール・アルカウィ医師は、取材に応じる直前に診察した患者について、「女児はダンディー・ウォーカー症候群を患って生まれました。脳が2つに裂けており、長くはもたないと思います。」と語った。またこのインタビュー中に、突然病院全体が再び停電した。

「病院には未だに最も基本的なインフラさえ整っていない状態です。とてもこのような緊急対応を擁する患者に対処できるような体制ではありません。」とアルカウィ医師は語った。

スイスに本拠を構えるInternational Journal of Environmental Research and Public Health(IJERPH)が2010年7月に発表した調査報告によると、「ファルージャにおける癌、白血病、幼児死亡率及び新生児の男女比率に見られた異変が、1945年に広島長崎に原子爆弾が落とされたあとの生存者について報じられた状況をはるかに上回った」という。

研究者たちは、2004年の米軍掃討作戦の前後におけるファルージャ市民の白血病発生率は38倍に急増(広島・長崎の慰霊では17倍)していることを明らかにした。著名な評論家であるノーム・チョムスキー氏はこの調査結果について「ウィキリークスがアフガニスタンについて漏らした極秘情報よりも遥かに厄介な実態である。」と述べている。

ファルージャ病院のシャミーラ・アラーニ主席医師は、世界保健機構(WHO)との密接な協力の下で実施された研究プロジェクトに参加した人物である。ロンドンで行われた臨床研究ではファルージャの患者の毛根から異常な量のウラニウムと水銀が検出された。研究チームは、この数値がファルージャで使用が禁止されている兵器が実際に使用された疑惑と先天性欠陥症が多発していている問題を結びつける証拠になりえると見ている。

白燐弾の他に多くの証言者がファルージャで使用されたと指摘している禁止兵器が、劣化ウラン弾である。軍事技術者によると、この放射能物質は鉄や鉛よりも比重が大きいため合金化して砲弾に用いると砲弾の貫通能力を飛躍的に向上する効果があるという。しかし劣化ウランは自然界に放出されると周りの人体や環境を汚染し続け、45億年もの残存するため、「静かな、ゆるやかな、しかし確実な大量虐殺兵器」と呼ばれている。こうしたことから、いくつかの国際機関は北大西洋条約機構(NATO)に対してリビア内戦時に劣化ウラン弾が使用されたか調査するよう求めている。

今月、イラク保健省はWHOとの協力のもとバグダッド県、アンバール県、ジーカール県、スレイマニア県、ディヤーラー県、バスラ県を対象に初めての先天性欠損症に関する調査を行う予定である。

イランとクウェートに挟まれ、世界有数の原油埋蔵地に位置しているバスラは、イラク国内のいかなる県と比べてもはるかに多くの戦闘(80年代のイランーイラク戦争、91年の湾岸戦争、そして2003年のイラク進攻等)に晒されてきた。

バグダッド大学による調査によると、バスラ県で先天性欠陥を伴う子どもの出生率は、2003年のイラク進攻から2年遡った時点で、既に通常の10倍を超えており、増加傾向は今日も続いている。

小児癌を専門に扱うバスラ子供病院は、ローラ・ブッシュ前大統領夫人の肝煎りで米国の資金を得て2010年に開院した。しかしファルージャの病院と同じく、この最新の設備を備えているはずの病院でも基本的な備品が不足している。

「例えば病院に設置されるはずのエックス線機器は、入港料を巡る行政手続きを巡る問題でバスラ港の倉庫に1年半も留め置かれました。その結果、放射線治療を待っていた子どもたちは空しく亡くなっていったのです。バグダッドでは数多くの子ども達が放射線治療を待っていますが、患者達にとって状況が好転する兆しは見えてきません。」とイラク小児癌協会の会長で自らも患者の息子を持つライス・シャクール・アル・サイヒ氏は語った。

またこうした疾病に苦しむ子供にかかる治療費が、家族を経済的に追いやっている現実である。治療費が負担できる家庭であれば、いくつかの選択肢があるが、治療費はシリアでは7000ドル、ヨルダンで最高12,000ドルかかる。一方最も安価な選択肢はイランにおける治療で、平均5000ドルかかる。

「今日、多くのイラク人家族が子供に放射線治療を受けさせるためにテヘランを訪れています。そして彼らの多くは、ホテル代を支払う余裕がないため、路上で寝泊まりしているのです。」とサイヒ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|パキスタン|自爆テロ犯は天国ではなく地獄に落ちる

【ペシャワールINPS=アシュファク・ユスフザイ

Mourners attend the funeral procession of a suicide bomber in Pakistan. But such killers are denied last rites. Credit: Ashfaq Yusufzai/IPS.

自爆テロ犯はイスラム教の名の下に犯行をおこなっている――しかし聖職者たちは自らや他人の命を奪う行為はイスラムの教えによるもではないとして、自爆テロ犯に対しては最後の儀式(埋葬の儀式)さえ行うことを拒否している。

パキスタンのイスラム法学者達は、「自爆テロ犯の行動は、アラーの神の怒りを買うものであり、彼らは天国にではなくむしろ無限地獄に落ちることになる」との見解を述べている。

「大半の自爆テロ実行犯は、自らの行いがアラーの神の思召しに沿うものという誤った考えに基づいて行動しています。しかし現実にしていることは、罪もないイスラム教徒を殺傷していることに他ならないのです。」とパキスタン連邦直轄部族地域(FATA)ハイベル管区のモスクで礼拝導師をつとめているマウラナ・ムハンマド・レーマン師は語った。

FATAの7管区はアフガニスタンと国境を接しており、タリバンによって訓練と教義を教え込まれた後、パキスタン、アフガニスタン両国の軍事・民間双方に対する自爆攻撃に送り出される若き実行犯達の温床となっている地域である。

預言者ムハンマドは、殺人は許されざる行為であり、一人を殺害することは全人類を抹殺することに等しい。」とレーマン師はIPSの取材に応じて語った。

「パキスタンのタリバン勢力は、貧しいイスラム教徒の10代の若者を神学校へと巧みに引き寄せ、洗脳した上で自爆テロ犯に仕立て上げています。洗脳過程ではよくビデオ映像が使われ、青年たちは、そこでカシミールやイラク、アフガニスタンにおいてイスラム教徒がいかに迫害されているかを教え込まれるのです。」とレーマン師は語った。

「そこでタリバンの教官達は、聖なる戦い(ジハード)は避けられないものであり、自爆攻撃で多くの不信心者や異教徒を殺すことで、青年たちは天国に行くことができると説いています。しかしこれは全く誤った教えなのです。」

さらにレーマン師は、「とりわけ自爆テロ犯が死傷者の数を最大限増やそうと、モスクや葬儀の集会を襲うようになってきている傾向を悲しく思っています。」と語った。

アフガニスタン国境と接するカイバル・パクトゥンクワ州(北西辺境州)のマルダン(Mardan)県で礼拝導師をつとめているアンワルラー師は、「自身や無辜のイスラム教徒を吹き飛ばして殺害している輩は、(タリバンの)教官の約束とは異なり、決して天国に迎えられることはありません。自爆攻撃なるものをイスラム教が許していないことは、議論の余地がありません。聖なる教えに背き自爆テロ犯になることを選択したものが、地獄に行き着くことは火を見るよりも明らかです。」と警告した。

北西辺境州チャルサダ(Charsadda)県の聖職者クァリ・ジャウハール・アリ師は、「自爆テロ犯の遺体は洗浄されることもないし、埋葬時に適切な儀式が執り行われることもありません。彼らは不幸な人々だと言わざるをえません。」と語った。

北西辺境州のバンヌ(Bannu)県の宗教学者マウラナ・ムハンマド・ショアイブ氏は、今年1月にペシャワールで自爆した17歳のテロ襲撃犯アハマッド・アリについて、「彼はまともな葬儀を挙げてもらえず、誰も彼の死を悼みませんでした。残念なことだと思います。」と語った。

自爆攻撃に反対の声を上げる聖職者は、コーランの解釈に関して不都合な発言を封じたいタリバンによって攻撃の対象とされている。

近年、自爆攻撃を公然と批判して、タリバンの命令により暗殺されたイスラム法学者の中には、高名なイスラム法学者のサルフラズ・ナイーミ師や、ムハンマド・ファルーク・カーン博士、マウラナ・ハッサン・ジャン師が含まれている。

ハイベル医科大学法科学研究室のムハンマド・シャフィーク博士は、自爆テロ現場に散乱するバラバラ遺体について、「DNA検査の後、犠牲者の遺体については確認後に埋葬を執り行いますが、自爆テロ犯の遺体については決して埋葬したりせず、法科学サンプルとして使用します。」と語った。

またシャフィーク博士は、「自爆テロ犯はこれまでに罪なき何千人もの人々を孤児にしてきたのです。私自身の経験から言えることは、大半の人々は自爆テロ犯を拒絶し、葬儀にも協力しないということです。」と語った。

2010年4月にカンダハルでNATO軍の車列を襲って自爆したアブドゥル・シャクール氏の父アブドゥル・ジャミール氏は、息子の葬儀を執り行うことも死を悼むこともできない自爆犯の父親の立場について「実に不幸なことです」と語った。

「故国から遠く離れて海外で死亡し、出身地の村で埋葬ができない者に対してでさえ葬儀が執り行われているというのに、(自爆テロ犯の父である)私の場合、息子の葬儀を執り行いたいという願いは皆から拒否されました。」とジャミール氏は語った。

息子のアブドゥル・シャクール氏は、北西辺境州チャルサダ(Charsadda)県スルフ・デリ(Surkh Dheri)の住人であったが2010年1月に忽然と姿を消した。そして3か月後のある日、タリバンの一団が父のジャミール氏を訪れ、子息がカンダハルで殉教し天国に召されたと告げたのである。

「私はタリバンの連中が早朝モスクで祈りを捧げている私のところに突然現れて、息子の悲報を伝えに来たのが今でも信じられません。彼らは私の感情をよそに息子の殉教を繰り返し祝う言葉を繰り返していましたが、今でも息子を死に追いやった彼らを許すことができません。」とジャミール氏は語った。

「死者の遺族に弔意を表すことは、人間として親切心を伝える重要な行為です。しかし息子の死に際して、息子の死を悼む言葉をかけてくれる人は一人もいませんでした。なぜなら、息子の行為は認めていないので、弔意を表す人などいなかったのです。イスラム教の禁止命令に違反して自爆した者を子供に持つ親は、子どもの死に際してアラーの慈悲を求めることもできないため、悲惨な想いをすることになるのです。」とジャミール氏は語った。

イスラム教徒は、葬儀に参列することや、遺体を適切に埋葬できるよう準備工程を手伝うことを、地域社会における重要な義務だと考えている。

北西辺境州の州都ペシャワールのアブドゥル・ガフール氏は、預言者ムハンマドの指示に従って、埋葬前に遺体の体を水で洗い清め白布を着せるのは、イスラム教徒としての必須の義務ですと語った。

また自爆テロ犯に墓がないということも、遺族にとっては深刻な問題である。自爆犯として死ぬことを選択したアハマッド・アリを息子に持つガル・レーマン氏は、死者の魂が最後の審判を迎えられるには人々が3日間喪に服すとともに適切な墓に埋葬されなければならないと信じている。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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【ドバイWAM】

中東・北アフリカ(NENA)地域で最大規模の観光・ホテル業界向け製品の展示イベント『ホテルショー』が5月15日から17日迄、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイ市の国際会議展示センターで開催される。13回目となる今回のホテルショーには13のパビリオンが設けられ45か国以上から420名の製造メーカーとコンサルタントが参加する予定である。

多くの製造メーカーにとって、本国の観光・ホテル市場が軒並み伸び悩みを示す中、成長著しい中東・北アフリカ市場は、絶好のビジネス機会を提供している。今年2月に発行された「STR グローバル・コンストラクション・パイプライン報告書2012」によると、中東地域では今年度末までに498棟を超えるホテル(134,893室)の建設が予定されており、ホテル業界向け製品のメーカーにとって市場として魅力的な先行きを示している。


 
ホテルショーは、観光・ホテル業界関連の全てのセクターに関する新製品やサービスの商談を取りまとめられる強力なプラットフォームとして、中国、イタリア、フランス、ドイツ、英国、ベトナム、米国等世界各国のメーカーから絶大な支持を得ており、今年は、93カ国以上から15,000人の業界関係者がこの3日間のイベントに参加するためドバイを訪れる予定である。

会場に設けられる13の国際パビリオンでは参加国別に専門メーカーの特設展示ブースがオープンする予定である。今年のイベントには、イタリアから56社、ドイツから25社、中国・香港・台湾から40社等、多くの国が過去最大規模の代表団を派遣予定である。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴


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|パプアニューギニア|魔術狩り関連の暴力事件が増加

【クンディアワIPS=キャサリン・ウィルソン】

パプアニューギニアではこの10年、魔術狩り関連の暴力事件や死亡事件が増加傾向にあるが、こうした事件は同時に、開発・経済機会の欠如、不平等、保健サービス予算の不足等、同国の農村社会が直面している根深い問題を浮き彫りにしている。

3月末、シンブ県グマイン(Gumine)に住むセニさん(70)とその息子コニアさん(32)は、彼らにとって各々孫と姪にあたる少女を最寄りの病院に救急で運び込んだが、不幸なことにそのまま急死してしまった。その結果、両名はそのことで、魔術を使ったのではないかと地元の村で糾弾されることになってしまったのである。

 「私たちは土曜日に彼女を病院に運び込んだのです。しかし彼女は日曜日には病院で息を引き取ったため、やむなく遺体を村に連れ帰ったのです。しかし、私たちには彼女の死因が分かりませんでした。」とコニアさんは語った。

しかしセニさんとコニアさんは、村に到着すると、家族や地域の人たちに暴力を振るわれたのである。

コニアさんは、「私たちはその子の葬儀で遺体に近づいた際、村の皆が襲いかかってきたのです。彼らはナタを持っていました。それで私の背中や肩を切りつけたのです。それから私を便所に連れてゆき、縛り上げて便器の中に無理やり私の頭を突っ込みました。」と当時を振り返って語った。

父のセニさんも、この時の襲撃で何度も執拗に殴られ、うつ伏せに地面に倒れた。すると、襲撃者たちはなおも倒れたセニさんの脇や首を蹴り上げ、ついには意識を失ってしまった。「もしその時、上向きに倒れていたら、死んでいたでしょう。」とセニさんは語った。

次の朝、コニアさんの姉妹エヴァさんが近くに住む友人に連絡し、警察に通報がなされたことで、2人はようやく解放された。(IPSはその後エヴァさんに連絡を取ろうとしているが携帯電話がつながらない。2人を救おうとしたことでエヴァさん自身が危険にさらされているのではないかと心配している。)

パプアニューギニアでは、農村人口の85%においてアミニズム的な精霊信仰が依然として保持され、日常生活に大きな影響を及ぼしている。精霊信仰は、代々年長者から若い世代へと祖先の歴史が口伝で継承される中で伝えられてきた。

東部のゴロカ(Goroka)に拠点を置く「メラネシアン研究所」のジャック・ウラメ氏は、「大半のメラネシア人は『サングマ(Sanguma)』として知られている魔術や妖術の存在を信じています。誰かが亡くなったり病気に罹ると、たとえ医学的に原因を証明する書類があったとしても、人々は魔術のせいだと考えるのです。つまり魔術は、身の回りでおきる悪い現象を説明するための手段となっているのです。」と語った。

オックスファム・インターナショナルによる調査報告によると、セニさん、コニアさんの居住地であるグマイン県は、シンブ(Simbu)州の中でも魔術狩りに関連した事件がもっとも多い地域であるという。魔術狩りが起きる場合、家族や地域の中で弱い立場にある者、たとえば女性や寡婦、老人など、あるいは、日ごろ羨みの対象になっている者が狙われやすいという。

警察によれば、魔術狩りと称して迫害された犠牲者達は、石を投げられる、食事を与えられない、銃で撃たれる、電気ショックを与えられる、頭を切り落とされる、無理やり石油を飲まされる、生き埋めにされるなどの行為に晒されていることが確認されている。

「高地女性人権擁護ネットワーク」のモニカ・パウルスさん(右上の写真の女性)は、この10年間、シンブ県でこうした被害にあった人々を救済する活動を続けてきた。一時避難所の提供、心理面のケア、警察への通報などが彼女の仕事である。「近年、魔術狩り関連の暴力事件は流行といえるほど広がってきています。」とパウルスさんは語った。

クンディアワ(Kundiawa)警察署の広報担当官は、「今年に入って20件ほどの魔術狩り関連事件を把握していますが、それらのほとんどは警察に通報されていません。」と語った。

パウルスさんは、一部マスメディアによって、魔術狩り関連の事件が増えてきていることとエイズ感染の広がりに相関関係があるのではないかとの指摘がなされている点について、「魔術は、あらゆる病気や死亡の原因として非難されており、エイズ感染はその一例にすぎません。」と語った。

ウラメ氏もこの点については同様の見解で、「エイズ感染がまだ新しい未知の病気であった1980年代とは異なり、今では魔術とエイズ感染の関係を直接的に結び付ける証拠はほとんどありません。むしろ、魔術狩りの名目で行われている犯罪の主な動機は、嫉妬、妬み、復讐といった感情であり、近年こうした犯罪が増加している背景には、不平等、開発・経済機会の欠如、不満をため込んだ若者の存在、保健サービス予算の不足等の社会的要因があります。」と語った。

さらにウラメ氏は、「つまり人々は昔のやり方、つまり伝統的な信条に回帰しているのだと思います。物事が期待通り進まない場合、人々は打開策を見出すものです。つまりこの点において、魔術狩りを名目としたこうした事件の多発は、開発問題だと言えるでしょう。」と語った。

こうした農村部の実態とは対照的に、パプアニューギニア国内でも教育、保健サービス、雇用、治安の面で開発が進んでいる地域では、魔術狩りに関連した暴力事件や殺人事件は極めて稀である。

魔術狩り関連の事件が近年増加したことで、家族間の仲たがい、コミュニティー内の争い、立ち退き問題など、様々な社会的弊害が顕在化してきており、シンブ州では全人口の10%~15%の住民が影響を受けている。パウルスさんは、この事態に対処するためには、警察が対処能力を向上させるとともに、コミュニティリーダーがきちんと責任を持つ体制が構築されなければならない、と述べている。

アムネスティ・インターナショナルは、「魔術狩り関連の殺人事件は、目撃者が関係者による報復(拷問や殺人)を恐れて証言をしたがらないため、裁判にまで至らない場合が多い。警察当局に対する不信が、こうした殺人事件に対する警察の捜査能力を著しく阻害している。」と報告している。

パウルスさんは、「地方議員や牧師、地域のリーダーが、地域で起きていることに責任を持たねばならないのです。(事件を立証するには)証言者が必要ですが、地域のリーダーにきちんと責任をとらせるようにしない限り、誰も証言者になろうなんて思いませんよ。」と語った。

クンディアワ警察署の広報担当官は、「全ての魔術狩り関連の殺人は、殺人事件として取り扱っています。」と語った。しかしコミュニティー全体がこうした犯罪に加担していることも少なくないため、事件に関する事実確認や、証言、犯人の特定をするうえで、村人の協力を得るのは極めて困難なのが現状である。魔術狩り関連の事件で、実際に裁判までたどり着く事例は現時点で1%にすぎない。また、警察当局も、こうした事件に効果的に取り組むには人員や予算が不足しているとの指摘もある。

ウラメさんは、「(魔術狩り関連の問題関する)教育と意識の向上を図っていくことが、人々の行動を変容していくうえで重要です。」と指摘したうえで、「私たちが実施した調査結果によると、魔術狩りに関する問題に関する人々の認識はかなり限られたもので、一般にこうした問題があるという認識すら持ち合わせていません。人々は、自らの世界観と信条体系にとらわれているのです。」と語った。

またメラネシアン研究所は、黒魔術行為を罰する目的で1971年に制定された魔術法令(the Sorcery Act)について、「同法は抜け道だらけのざる法であり、そもそもある人物が精神的な力で特定の人物を病気にしたり死亡させたりする能力があると法的に証明することはできない」として、法律の廃棄を要求する運動を支持している。

この点についてウラメ氏は、「私たちは魔術法令を廃止し、魔術狩りの名を借りた全ての迫害や殺人行為を犯罪とみなすべきだと訴えたのです。」と説明した。

また、魔術法令を再審査してきた「憲法見直し・法律改革委員会」も、同法は全般的に廃止すべきと勧告している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|UAE|外務大臣、イラン大使を召喚しアフマディネジャド大統領のアブムサ島訪問に抗議

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【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のアンワル・ムハンマド・ガルガーシュ外務大臣は、モハメッド・アリ・ファイヤーズ駐UAEイラン大使を召喚し、先般マフムード・アフマディネジャド大統領が占領中のUAE領土であるアブムサ島を訪問したことについて正式に抗議する書簡を手渡した。

ガルガーシュ外相は、「(4月11日の)大統領の訪問はUAEの主権を侵害するのみならず、当該領土問題を2国間の交渉を通じて解決を図るとして両国間の合意を反故にするものであると非難した。

 またガルガーシュ外相は、「イラン大統領の訪問によって、歴史や法的な事実が変わるものではありません。これによって、UAEのアブムサ島、大トンブ島、小トンブ島の3島に対する領有権が影響をうけることは全くないのです。」と付加えた。

同抗議状には、「今回のイラン大統領による訪問は、2国間協議を通じて平和的に解決を図るとした両国間の合意に至った外交努力を損なうものである。」と記されている。また同書簡には、「UAEはイランとの合意を遵守し、湾岸地域の安全保障と安定に寄与する環境作りに努めてきた。」と記されている。

UAEのこの外交姿勢は、平和的な解決こそが最も望ましいとする信念に基づくものである。

ガルガーシュ外相は、駐UAEイラン大使に対して、改めてUAEによるアブムサ島、大トンブ島、小トンブ島の3島に対する領有権を主張するとともに、イランがこれらの島々の占領を止め、領土問題を2国間交渉か国際司法裁判所の裁定に委ねるべきとするUAEの正当な主張に注意を払うよう要請した。」。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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