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|中国|「緊張関係にある地域における軍備拡張には慎重さが必要」とUAE紙

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が、独自のスピードで軍備の規模や役割の拡大を図っている中国に対して自制を呼びかけた。

ガルフ・ニュース紙は、「中国の軍備拡大を追跡」と題した8月12日付論説の中で、「中国が自らの影響力拡大と国益の保護を図ろうとする中、成長を続ける同国の経済に軍事力が追従しようとするのは避けられないことである」と報じた。

中国は軍事費を大幅に増大させ軍備の質的向上につとめてきている。そして今では同国初となる航空母艦の建設にも着手した。

 「(国産)航空母艦が実戦配備されるにはなお何年もの歳月を要するが、建設に着手したということは、中国がハイテクの民間及び軍事プロジェクトを独自に開始する能力を獲得しつつあることを意味している。」と同紙は報じた。

この点についてガルフ・ニュース紙は「中国は2003年には宇宙への有人飛行に成功し(米ソに続いて世界で3番目)、高速鉄道ネットワークの拡大に着手してきた。」と具体的事例を挙げた。

「しかし中国はあまりにも急速に技術導入と開発を推し進めてきたため、7月23日に浙江省温州市で起きた高速鉄道事故で見られたような様々な事故を引き起こしてきた。中国は自国の軍事力の規模と役割についても急速に増強を図っているが、慎重を期するべきである。」と同紙は注意を促した。

「中国も国際社会も緊張関係が高まっている地域(南シナ海)で軍事衝突事故をおこす余裕はない。」とガルフ・ニュース紙は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|国連-北朝鮮|支援食糧がようやく飢えた国民のもとへ

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール

「北朝鮮ではたとえ10万人が餓死したとしても、国内で働く外国人はそれを目の当たりにすることはないでしょう。」とこの貧困に喘ぐ共産主義国家で3年にわたって人道援助活動に携わったある人物が語った。

「北朝鮮国内で活動する外国の諸機関は、どこに行くにも政府に対して7日前に通知をしなければなりません。それだけあれば、証拠を隠ぺいするには十分な期間があるということです。」とIPSの取材に応じたその人物は匿名を条件に語った。

 慢性的な食糧不足が続いている今日の北朝鮮の現状は、かつて50万人から100万人の死者を出したと報じられた1990年代半ばの飢饉を想起させるものである。

その結果、この秘密主義の北朝鮮で活動を許される数少ない国際援助スタッフに対して従来設けられていた様々な制約・条件が緩和されてきている。

こうした背景から、人道支援に携わる人々は、4か月前に国連世界食糧計画(WFP)と北朝鮮政府の間で合意された、飢餓にあえぐ北朝鮮国内の350万人の人々(その大半が母子並びに高齢者)に対する食糧支援計画について説明するにあたり、あえて「前例のない」或いは「革新的」という言葉を使っているのである。

北朝鮮政府は、4月初頭のWPFとの合意に基づいて、WFP職員が食糧援助の状況をモニタリングするため208郡の内、107郡に立ち入ることを許可している。「現場視察」への事前通知も(1週間前ではなく)24時間前に緩和しており、援助車輛のモニタリングに必要なインターネット接続や、食糧支援に携わる韓国語を話すスタッフへの査証発給についても「国籍を問わない」としている。

「私たちは北朝鮮における過去15年の支援経験の中で、最も厳格な条件を政府に認めさせることができました。農村地帯の地元市場を訪問し現地の食糧事情を把握するのは私たちにとっても新たな経験です。」と、バンコクに拠点を置くWFP東アジア事務所のマーカス・プライヤー報道官は語った。

北朝鮮は1948年の建国以来独裁体制を敷いており国内で活動を許されている国連機関もWFPを入れて僅か4機関に過ぎない。しかしWPFは、今回北朝鮮政府から譲歩を引き出したことで、南浦に陸揚げした援助食糧物資を援助対象者のところまで確実に届けられるようになった。

「WPF職員は、食糧援助物資の配達・運搬過程の全て-港湾、倉庫、トラック、さらに最終目的地の学校、病院、孤児院における健康診断-にアクセスできるようになっています。」とプライヤー報道官は語った。

5月以来のWFPの支援活動は、大半が北朝鮮の険しい山間部に在住している「緊急支援を要する350万人の食糧ニーズ」に対応するための緊急措置の一環である。

国連は今年3月、人口2400万人の北朝鮮で危機に直面している600万人を超える人々の食糧問題に対処するためには約430,000トンの食糧援助が必要と見積もった。

「今回北朝鮮政府がWFPに食糧支援活動のモニタリングを許可したことは歓迎すべきことです。これは国連が従来から主張してきたノーアクセス、ノーフード(モニタリングの受け入れ態勢のない所に食物は与えない)の原則に合致したものです。」と北朝鮮の人権状況調査を担当したビティット・ムンタボーン前特別報告官は語った。

「人道援助は無条件で実施されるべきで、食糧が被災者の元に確実に届くよう透明性を確保することが重要です。北朝鮮は、以前にも定期的に規制を緩和したことがあります。」と6年に亘る国連特別報告官時代に北朝鮮への入国を拒否された経験をもつムンタボーン教授(法学)は語った。

北朝鮮の食糧危機は、今年1月に同国政府がWFPに対して食糧備蓄が枯渇している旨を報告したことにより明らかとなった。今年の食糧不足の主要原因は、韓国による食糧援助削減というよりも天候不順によるものである。

国連諸機関が実施した北朝鮮の食糧事情に関する特別報告によると、昨年の夏に農耕可能な平野の2割を襲った豪雨が原因で、同国で人気があるキムチを作るための野菜を含む季節の農産物が深刻な被害を受けた。

「さらに厳しい冬がそれに続いたため、大麦・小麦畑が凍りつき、冬季に保管していた種イモも被害を受けた。」と同報告書は記している。

この事態に対して、2008年から北朝鮮に対する年間400,000トンの米支援を停止している韓国は、動きを見せなかった。韓国の李明博政権は、北朝鮮が核兵器開発を引き続き継続していく意思を表明している事態を受けて、同国に対する強硬姿勢を崩していない。

さらに昨年には北朝鮮側からの2度にわたる攻撃(天安沈没事件延坪島砲撃事件)により50名の韓国人が死亡する事件が勃発し、両国間の関係は一層悪化した。

李明博政権は、対北朝鮮支援に殆ど条件を付けない「太陽政策」を推進した先の2つの政権とは異なり、対北朝鮮援助を同国の核軍縮と関連付ける方針をとっている。

あるアジアの外交筋によると、北朝鮮にとって最大の同盟国である中国でさえ、金正日総書記が昨年8月に北京を訪問した際に要請した50万トンの穀物支援に積極的に応じていない。

「金総書記はこの1年で3度中国を訪問しているが、中国政府は、韓国が穀物支援を停止した結果生じた北朝鮮の食糧不足分を埋める手助けを行っていない。」とその外交官は語った。

「もし米国と韓国政府が今回のWPFによるモニタリングを伴う食糧支援が機能していると判断すれば、さらに多くの食糧支援が北朝鮮に対して行われることでしょう。」とその外交官は付加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|ソマリア|「私は息子が生きていると思って一日中運んでいたのです」

【モガデイシュIPS=アブドゥルラーマン・ワルサメ】

国連世界食糧計画(UNWFP)による支援食糧の第一便が7月27日にモガディシュに空輸されてきたが、カディジャ・アリさんの2歳の息子ファラちゃんにとっては手遅れの支援となった。

アリさんは、ファラちゃんと8人の子どもたちとソマリア南部シャベリ川下流のWanlaweyn 地区を発ち、16日間にわたる長旅を経てやっとモガディシュにたどり着いたが、ファラちゃんはアリさんの腕の中で既に死亡していた。

「私はこの子が既に亡くなっているのに気付かず、ただ寝ているものだとばかり思い込んでいて、一日中抱いたまま歩き続けてきました。私たちにはこの3日間、水も食糧もなく、この子にもなにも与えてやることができませんでした。」と首都モガディシュの郊外にあるバドバド難民キャンプでIPSの取材に応じたアリさんは泣きながら語った。

アリさんの家族は、既に2年に及ぶソマリア南部を襲った今回の旱魃が始まる前には50頭の牛、20頭の山羊、5頭のラクダを所有していた。牧畜が農村経済の主流を占めるこの地域では多くの家畜を所有することは富の象徴で、アリさん一家は地元でも裕福な家庭であった。
 
「旱魃は最初3期連続で降雨量が不足するところから始まりました。それから全く雨が降らなくなったのです。牧草は枯れ、井戸や川は干上がりました。そして家畜が飢えて次々と死んでいったのです。」と、アリさんはかろうじて生き残った3人の幼い息子の内の一人を抱きながら語った。

バオバオ(ソマリ語で:救済)キャンプは、ソマリア南部における旱魃による難民を収容する最大の施設である。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、現在約5000家族、28,000人が収容されている。

しかしアリさんは一家揃って難民キャンプに辿りついた訳ではない。アリさんの夫は、家族の残りの財産を守るために村に残る選択をした。その後、夫がどうなったかアリさんにはわからない。アリさんは他の数百家族とともに、厳しい旱魃と飢餓から逃れ助けを求めて厳しい旅に出た。

しかしせっかくの援助も、命を救うには遅すぎたケースが少なくない。

難民キャンプに到着した子ども達の中には、栄養失調で衰弱しきっているため医師も手の施しようがないものも少なくない。そうした子供達の中には何日にも亘って水も食糧も一切摂取していないものもいる。

大半の子ども達は、例えば、3歳児でも体格は1歳程度のままであるなど、飢餓による明らかな発育不良の兆候をしめしている。

「彼らは空腹と疲労から弱り果ててここに到着しています。モガディシュでは毎週2~3名の子どもや大人が亡くなっています。しかし難民キャンプは街中に点在しており、難民全体の正確な人数は把握できていません。」とバオバオキャンプで看護婦として従事しているムナ・イゲーさんは、キャンプで栄養失調の子どもの体重を量りながら語った。

7人の子どもの父であるダーヒル・バボウさんは、モガディシュに到着直後、2人の子どもが深刻な栄養失調で倒れるのをただ見ているしかなかった。

「モガディシュの主要医療センターであるバナディール病院の医師と看護婦は最善を尽くしてくれましたが、2番目の子どもにあたる娘は助かりませんでした。」とバボウさんは語った。

バボウさんは家族とともに旱魃をやり過ごそうと努力したが、今回は耐え切れず助けを求めて家を出るしかなかったという。

「私たちは今までしてきたように今回の旱魃も雨の到来を待ってやり過ごそうと努力しました。しかし再び雨が降る前に私たちの家畜が全滅してしまったのです。近隣住民の多くも同様の状況で全ての家畜を失った後、村を去っていきました。だから私たちも諦めて家を去る時が来たと判断したのです。」とガボウさんは栄養失調で亡くなった娘の葬儀の準備をしながら語った。

「私たちは21日間歩きました。道中、見つけられるものを飲み食いし日が落ちれば睡眠をとりました。今回の旱魃は父から聞かされていたものとも、私がこれまで経験したものとも異なる(大変厳しい)ものです。今は試練の最中にあり、私たちは忍耐力をもって自分を強く待たなければなりません。」とガボウさんは語った。

国際連合児童基金(UNICEF)の東南アフリカ地域事務所長のエリハジ・アス・シ氏は、今回の飢餓を「子どもの生存が危ぶまれる危機」と呼んだ。

ソマリアは、人道支援を必要とする被災者が1100万人にものぼるとみられる「アフリカの角」と呼ばれるアフリカ東部諸国で猛威を振るっている深刻な旱魃の影響を最も受けている国である。隣接するケニアエチオピアジブチも過去60年で最悪といわれる危機に直面している。7月20日、国連はソマリア南部のバクールとシャベリ川下流地域の2つの地方で飢饉が起きている、と宣言した。

ユニセフは、ソマリア、ケニア、エチオピアにおいて合計で223万人の子どもが深刻な栄養失調状況に陥っていると見積もっている。国連は、66,000人を超える栄養失調児童を治療する糧食を含む1,300トンの緊急食糧支援をソマリア南部に対して行ったと発表している。

一方、ソマリア南部では各地の村からの住民流出が続いている。国連によると、これまでに100,000人近い難民がモガディシュに流入しており、その内40,000人近くが先月到着した人々である。
 
 「UNHCRの統計によるとこの一か月間に旱魃と飢餓により、食糧、水、住居、その他の支援を求めてモガディシュに集まってきた難民の数は40,000人近くに上っています。」とUNHCRのヴィヴィアン・タン広報官は7月28日に発表した声明の中で語った。

国連は、難民の数は増え続けており、7月には一日平均1,000人が新たにモガディシュに到着していたとみている。

地元の非政府組織も大いに必要とされている人道支援を行っているが、難民キャンプの収容者によると、援助物資は限られたものであり、ソマリア政府も緊急支援を増加するよう求めている。

UNWFPは7月27日、モガディシュへの最初の食糧空輸を開始した。この支援はイスラム過激派組織アル・シャバブが、(ソマリア南部の)支配地域における国際援助機関の活動を禁止して以来、最初のものとなった。

UNWPFはモガディシュの難民キャンプに収容されている栄養失調に陥っている子供たちのために14トンの栄養強化食品を空輸した。

UNWPFのデイヴィッド・オア広報官はモガディシュ国際空港で記者団に対して、もっと多くの緊急支援物資がこれから数日にわたって空輸されます、と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

サウジアラビアの対イラン軍備増強を後押しするドイツ

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【ベルリンIPS=ジュリオ・ゴドイ】

ドイツ政府によるサウジアラビアへの最新鋭戦車売却は、国内、周辺国における民衆蜂起を抑圧するためのものではなく、イランとの有事に備えて同国の国防能力を増強することを意図したものである、と外交・軍事専門家は語っている。

サウジアラビアに最新鋭主力戦車(レオパルト2)200輛を売却するとのドイツ政府の決定(取引総額は推定18億ユーロ)に対して、ドイツ国内では、野党、評論家、教会、人権団体等各方面から批判の声が高まっている。

こうした批判にも関わらず、ドイツ政府は、サウジアラビアの政体は専制君主制とはいえ中東地域における「安定の柱」であるとして、今回の決定を擁護した。

またドイツ政府は、米国とイスラエルからの反対がないこともサウジアラビアとの武器取引を正当化する根拠としている。

 野党指導者、評論家、人権団体から表明されている懸念に反して、外交・軍事専門家は、サウジアラビア当局はドイツ製戦車を民主化を要求する国内反対勢力の鎮圧に使用するのではなく、イランとの有事に使用するものを確信している。

この点について、週刊誌Die Zeitの編集者ヨセフ・ヨフェ氏は、「サウジアラビア政府は、2000輌の兵員輸送装甲車等、国内の敵を鎮圧する目的ならば、(戦車より)より適した装備を投入できる。」と語った。
 
 ヨッフェ氏は、ドイツメディア界において、米国と西欧諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)の存在意義を最も熱心に擁護している人物の一人である。またヨッフェ氏は、米国及びイスラエル政府とのつながりをもつ人物である。

またヨッフェ氏は、サウジアラビアにレオパルト2戦車を売却することで、「ドイツは、米国、イスラエルとともに、中東地域、とりわけイランに対して『ここにさらなる(軍事)抑止力があるぞ。このことは軽視されるべきではない。』とのメッセージを送っているのです。」と付け加えた。

ヨッフェ氏は、「2009年には、ドイツ政府はカタールにレオパルト2戦車を36輛売却しています。」と語り、ドイツが最近他のアラブ諸国に類似の軍事装備を売却した点を指摘した。

またドイツ連邦軍も、アラブ首長国連邦(UAE)において、レオパルト2戦車の砂漠における戦闘能力を検証するための軍事訓練を実施した事実を認めている。その検証テストの結果は明らかに満足のいくものだった。

他の西側政府、とりわけ米国、英国、フランスは過去数十年に亘ってサウジアラビアの軍備強化を支援してきた。

元駐ベルリンイスラエル大使で現在イスラエル外交協会会長をつとめるアヴィ・プリモール氏は、「サウジアラビア政府は、国内の民衆蜂起を抑える際には、より適した軍事装備を使用します。」「最近サウジアラビアがバーレーンで勃発したアルハリーファ家支配に対する民衆蜂起の鎮圧に介入した際、サウジアラビア政府はより重装備の米国製のM1A2エイブラムス戦車ではなく、AMX軽戦車を使用しました。レオパルト2戦車のサウジアラビア導入は、明確にイランに対抗するためのものです。」と語り、ヨッフェ氏と同様の見解を示した。

またプリモール氏は、サウジアラビアとイスラエルは公式には今も戦争状態にある点を指摘した上で、「しかしイスラエルとサウジアラビアにはイランという共通の敵がいます。サウジアラビアはイランを同国にとって最大の脅威と見做しているのです。」「イスラエルは、サウジアラビアをイランの脅威に対する砦として、また、今日の不安定なアラブ世界における安定勢力として、緊急にサウジアラビアの軍事力を増強したいという国益上の思惑があります。」と語った。

プリモール氏はその一方で、「サウジアラビアの政権は旧態依然とした」ものであり、人権団体が、同国に対する武器売却を批判するのは「理解できる」と語った。

このような議論にも関わらず、戦車輸出を巡る批判の声は暫く止みそうにない。昨年までドイツ連邦軍の議会監督官をつとめたラインホールト・ロッベ氏は、サウジアラビアは「明らかに西側民主主義国家が考える民主主義と人権の基準を満たしている国ではありません。軍事援助を含むドイツの外交政策は、こうした民主主義・人権基準をガイドラインとして進められるべきです。」と語った。

またカトリック教会も、今回の武器売却を批判した。「ドイツ政府は軍事的な危機を孕んでいる地域や人権を抑圧している政権に対して武器を売却すべきではありません。」と『Justitia et Pax』委員長のステファン・アッカーマン司教は語った。

ヒューマンライツウォッチ(HRW)は、サウジアラビアにおける人権状況を「恐るべき状況にある」と評価しており、今年初頭から中東全域を席巻している民衆蜂起に直面してからの人権状況の改革を表明しなかった数少ない政府の一つである点を強調した。

HRWサウジアラビア上席研究員のクリストフ・ウィルケ氏は、「サウジアラビア軍の戦車がバーレーン領に侵入する光景が、バーレーン政府による、平和的な民衆化抗議活動に対する弾圧の狼煙となりました。ドイツ政府がこのタイミングでサウジアラビア政府に戦車を売却すると行為は、ドイツが抑圧的な政権を支持していると、同国の改革支持者に解釈される恐れがあります。」と語った。

しかしドイツ政府は、このような批判に耳を傾ける気配はない。それどころか、ドイツ政府はサウジアラビアと類似した人権実績を持つ他の国々に対しても軍事装備の売り込みを行っている。

アンゲラ・メルケル首相は、7月中旬にアフリカ南西部のアンゴラを訪問した際、ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス大統領に対して哨戒艇その他のドイツ製武器の売却を持ちかけている。

「哨戒艇が実際にアンゴラに売却されるか否かは今の段階では明らかではありませんが、ドイツ国内の評論家たちは、メルケル首相がサウジアラビアへのレオパルト2戦車売却に対して高まった批判を無視したうえに、(アンゴラで)「軍事産業の販売マネージャー」として振る舞ったことに衝撃を受けています。」と野党「緑の党」のクラウディア・ロス党首は語った。

ドイツの日刊紙「Die Sueddeutsche Zeitung」の外交アナリストであるトールステン・デンクラー氏は、「アンゴラは、憲法さえも一党独裁制を追認するような、世界でも有数の腐敗した政権であり、メルケル首相の感覚を疑わざるを得ない。」と語った。

またデンクラー氏は、アムネスティ・インターナショナルがアンゴラにおける人権抑圧を繰り返し非難している点を指摘した。

デンクラー氏は、メルケル首相が訴えている軍事輸出に関する「現実的かつ政治的な理解」というものには、外交政策を実施するにあたって踏まえるべき基本的な倫理的前提条件が蔑になれていると嘆いた。「私はドイツが武器を輸出してはならないと言っているのではありません。もし輸出するとすれば、民主主義と法の統治が保障されている国々に限定すべきだと言っているのです。」とデンクラー氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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福島原発危機にあたって、広島を想起する(ラメシュ・ジャウラ国際協力評議会会長)

【IDNベルリン/広島=ラメシュ・ジャウラ

前代未聞のマグニチュード9.0の地震と津波に続いて起こった福島原発事故の映像は、2008年5月の私の初めての広島訪問と、2010年9月の2回目の訪問の記憶を呼び起こさずにはいられなかった。

広島平和記念公園に穏やかにたたずむ像は、広島・長崎の悲劇を二度と起こしてはならないという人類の強い願いを象徴する多くの千羽鶴によって飾られていた。米国がはじめて核兵器を投下した両市では、約25万人が死亡した。皮肉ではないにしても婉曲的な言い回しで、米国はそれぞれの核兵器を「リトルボーイ」「ファットマン」と名づけた。

原爆の子の像」と銘打たれたその像は、65年前、原爆投下とそれに伴う無辜の若い身体を貫通した放射線の犠牲となった、佐々木禎子をはじめとする多くの子どもたちを記憶に留めるものだ。

 禎子は、1945年8月6日に広島上空で原爆が爆発したとき、2才であった。その3日後、2発目の原爆が長崎で炸裂した。禎子の物語は、有無を言わさず原爆に巻き込まれてしまった老若男女の痛ましい物語のひとつではあるが、深く私の胸に突き刺さった。

私は、原爆を運ぶパラシュートを見つめていて目が溶けてしまった幼い女の子の話や、巨大な黒い水ぶくれを顔に作った男・女・子どもの話、爪からだらりと皮膚をぶらさげたままむなしく助けを求めていた人々の話、家屋が炎に包まれ、家族全員が生きたまま丸焼けにされたという話、人間の目玉や内臓が体から飛び出したという話、そして、なんとか生き残った人間は、死者を羨んだという広島の地獄の惨状を聞いた。

平和のための原子力

平和のための原子力」の理念を体現し、豊かな生活に必要な経済・産業発展を支えるものとして作られた福島の原子炉とは違い、広島に投下された「リトルボーイ」と長崎を壊滅させた「ファットマン」は、はじめから破壊の道具とされ、人間の生命などまったく顧みずにただ目標を殲滅するために作られたものであった。

振り返ってみると、大惨事に見舞われた福島の原子炉から解き放たれた放射能は、その危険性において、禎子を死に追いやったものと大差はない。「平和のための原子力」は、実際には悪意と殲滅のための道具と化してしまうのか。それとも、最高の善意として用いるために十分なことがなされたのか、そうではなかったのか。それは、歴史が証明するだろう。

いずれにせよ、禎子の物語は、広島・長崎で亡くなった何十万もの人々への敬意として、核兵器のない世界に向かって行動し運動を起こしていく緊急の必要性を強く訴えるものである。

まるで奇跡のように、禎子とその母は核のホロコーストを無傷で生き延びた。禎子は、1955年、風邪をひき首に痛みを感じるまでは、小学校を一日も休むことのない、健康で元気な子どもだった。彼女は歌と運動が大好きで、実際、クラスで一番足が速かった。

禎子の風邪は間もなくして治ったが、首は痛いままだった。

その数日後、彼女の顔は膨らんでしまった。様々な検査の後、医者は禎子が白血病であることを父親に告げた。「余命は長くて1年です」との告知だった。

禎子は広島赤十字病院に入院した。平和記念資料館の記録によると、禎子は、入院してから5ヵ月後、同じ病院で白血病が原因で亡くなった5才の女の子の話を聞いたという。自分自身も白血病だと知った禎子は、自分も生き続けることができるのだろうか、と思い悩んだ。

それから数ヶ月が経過した8月のある日、希望を与える出来事があった。名古屋の高校生が広島赤十字病院の患者に千羽の折鶴を送ってくれたのである。禎子の部屋も、色鮮やかな折鶴で彩られた。

もし「千羽の鶴を折ったら、願いがかなう」という話を聞いた禎子は、熱心に鶴を折り始めた。彼女は生きたかったのだ。彼女は一羽一羽の折鶴に「よくなりますように」と願いを込めながら折っていった。

しかし、彼女の病状は回復することなく、1955年10月25日の朝、禎子は息を引き取った。12才だった。

福島原発事故の結果、こうした物語がこれからの数年の内にくり返されることになるのかどうかは、時が経ってみないとわからない。しかし、今必要なことは、座していることではなく、行動と相互連帯への関心を高めるという決意を実践に移すことである。それは核兵器に関してもいえる。

Photo: SGI president Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun
Photo: Dr. Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun.

池田大作創価学会インタナショナル(SGI)会長は2009年9月の提言「核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を」の中で、「世界を分断し、破壊する象徴が核兵器であるならば、それに打ち勝つものは、希望を歴史創造の力へと鍛え上げる民衆の連帯しかない」と述べている。

核兵器なき世界は、原子力発電をも不必要とするのか、それとも、人類に利益をもたらすように原子力を制御する研究開発(R&D)へと導くのか。

研究開発

2010年9月の私の広島訪問は、日本の若者は「新しい時代を創る」能力と気概を持った人々であると信じさせるに十分であった。SGI会長にちなんで名づけられた広島池田平和記念会館での出会いは、きわめて勇気付けられるものであった。

私の心に残ったのは、久保泰郎創価学会副会長・総広島長との出会いだった。私が会館を訪れたのは暑い午後のことだったが、彼は、人懐っこい笑顔で私を迎え、ともに講演会場に向かう前のひと時を、思い出に残るお土産と、記念会館についての貴重な話、そして茶菓でもてなしてくれた。

会場では100人を超える聴衆が待っていてくれた。中年層もいたが聴衆の大半は若者たちだった。インドに生まれ、ドイツ在住38年のジャーナリストである私は、この講演で、池田SGI会長が長年発表してきた平和提言と、核兵器なき世界に向けたたゆまぬ努力について所見を述べさせて頂いた。彼らは、熱心に耳を傾けてくれた。

核兵器なき世界という目標へ大きく貢献してきた、これまで世界からの識者を招いて開催してきた一連の講演会は、広島池田平和記念会館の平和と軍縮問題に対する強い関心の表れである。

2010年だけでも、創価学会広島青年部のメンバーは、11月12日から14日まで広島平和記念公園で開催された「第11回ノーベル平和賞受賞者世界サミット」と合わせて、「広島学講座」を開催した。

その際招かれた講演者には、南アフリカのフレデリック・W・デクラーク元大統領、「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議」のジャヤンタ・ダナパラ会長、北アイルランドの草の根の運動組織「ピース・ピープル」の共同創設者のマイレッド・コリガン・マグワイア氏がいる。

デクラーク元大統領は、南アフリカのアパルトヘイトの歴史や、同国の核兵器計画を率先して解体した自らの経験、そして世界から核兵器をなくす必要性について話した。彼は、これを実現するには、しばしば暴力につながることもある「脅威への感覚」が、対話による「信頼の感覚」に取って代わられる必要があると語った。アパルトヘイト廃止に重要な役割を果たしたデクラーク氏は、伝説的なネルソン・マンデラ氏とともに1993年にノーベル平和賞を受賞した。

1995年にノーベル平和賞を受賞した「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議」のダナパラ会長は、広島・長崎への原爆投下を人道への罪だと主張した。彼は、市民社会には変革を創り出し政府に影響を与える大きな力がある、と述べ、核兵器廃絶にむけて努力を続ける創価学会に賛辞を送った。

妹の3人の子どもが北アイルランドの宗派抗争のために命を落としたマグワイア氏は、北アイルランドでの紛争を終わらせるために非暴力に訴えた経験をもとに、一対一の対話が持つ大きな力を強調した。彼女は、広島の若者に対して、「唯一の被爆国に生まれた皆さんは、核兵器廃絶を世界に訴える説得力をもっているのです。」と語りかけた。また、戦争放棄をうたった日本国憲法第9条の重要性にも言及した。

Betty Williams/ Wikimedia Commons
Betty Williams/ Wikimedia Commons

マグワイア氏の講演の重要性は、ベティ・ウィリアムズ氏らとともに暴力なき未来というビジョンを推進する「ピース・ピープル」と呼ばれる草の根組織を立ち上げた事実によって、裏うちされている。ウィリアムズ氏もまた、1976年のノーベル平和賞受賞者である。

福島での大惨事に対する反応が示しているように、創価学会の若者たちは、核兵器なき世界、あらゆる形態の暴力なき世界のためにのみ努力しているのではなく、日本の三重の惨事の犠牲者を支援する活動も行っている。彼らは、SGI会長の次の言葉に導かれて、被災者支援活動にも従事している。

「変毒為薬、宿命転換の仏法である。断じて乗り越えられぬ苦難などない。打ち破れぬ闇などない。今こそ無量広大な仏力・法力を現す時である。大変であればあるほど、まず、強盛なる祈りから一歩を踏み出すことだ。」(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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世界政治フォーラムを取材

ムバラク裁判の映像は中東全域に衝撃をもたらした

【アブダビWAM】

「元大統領が一般法廷で裁かれ在任中の業績について一般市民が判定を下すことを許されるというのは中東アラブ諸国では前代未聞のことである。」とアラブ首長首長国連邦(UAE)の日刊紙が報じた。

ガルフ・ニュースは「ムバラク氏の公開審問は開放的な経験である」と題した論説の中で、「30年にわたってエジプトを圧政的に支配してきた人物が法の裁きを受けるために出廷するのを目撃することは開放的な極めて痛快である。」と報じた。

 「世界各地のアラブ人にとって、カイロの法廷に出廷したホスニ・ムバラク前大統領が格子越しに映し出される映像はショッキングであるとともに気分を高揚させる出来事であった。ムバラク前大統領は中東の権力構造の中枢に君臨してきた人物だけに、彼がかつて捏造の嫌疑をかけて政敵を裁いていったと同じ檻に覆われた被告席に出廷を余儀なくさせられる光景はトラウマにも似た複雑な印象を想起させるものであった。」と同紙は報じた。

「ムバラク前大統領と2人の息子は、かつて彼の政敵たちがそうしたように、自らにかけられた嫌疑を全て否定した。しかし少なくとも彼らは法廷に出廷させられ、一般民衆は彼らに対してかけられた嫌疑に関する様々な証拠について裁判での議論を目の当たりにしていくことになるのである。」と同紙は付加えた。

ムバラク裁判は現代アラブの指導者が完全な形で法定の裁きを受けた最初の事例である。ちなみにこれに最も近いケースがサダム・フセインの裁判だが、この場合フセインは2003年に米軍に捕えられ、裁判は米国が実効支配する当時のイラク政権との密接な相談の下に開設されたものであった。チュニジアのザイン・アル=アービディーン・ベンアリ前大統領も今年になって裁判にかけられ有罪を宣告されたが、同紙はサウジアラビアに亡命しているため事実上欠席裁判であった。

ガルフ・ニュースは、8月3日のカイロ法定からの映像は全アラブ世界に強烈なメッセージを発することとなったと強調した。

「そして今回の出来事はアラブ世界をより良きものとした。」と同紙は締めくくった。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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国際原子力機関が核の「ならず者国家」を批判

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国際原子力機関(IAEA)は、7月27日、国連加盟国であるイラン・北朝鮮・シリアの3カ国について、核不拡散条約(NPT)の下での国際的義務に従うことを拒絶し続ける核の「ならず者国家」として名指した。

IAEAの天野之弥事務局長は、3か国を直接名指しして、2009年12月の就任以来、核の検証に関する自身のアプローチは「きわめてわかりやすいもの」であったと語った。

 天野事務局長は、長野県松本市で27日から3日間にわたって開催された「第23回国連軍縮問題会議 in松本」において、「加盟国とIAEAとの間で結ばれた全ての保障措置協定、及び国連安保理決議のようなその他の関連する義務は、完全に履行されねばなりません。」と語った。

現在核兵器保有国には、NPTで公式に認定されている5カ国(米国、英国、ロシア、フランス、中国)と、非公式の核兵器保有3か国(インド、パキスタン、イスラエル)がある。

非公式の核兵器保有3か国は、いずれもNPTの署名を拒否し、IAEAの監視からも逃れている。他方で、公式の核兵器保有5カ国はNPT加盟国である。

北朝鮮は、核兵器を保有していると広く信じられている。イランは核兵器開発計画を積極的に進めていると疑われているが、自身は強く否定している。シリアは、失敗に終わったものの核兵器開発を進めようとしていたことについて非難されている。

イラン・シリア両国はNPTの加盟国である。一方北朝鮮は、2003年1月にNPTを脱退していることから、条約上の義務はないと主張している。

しかし、北朝鮮は、国連加盟国として、IAEAと国連安保理の決議には従う義務がある。

天野事務局長は、「ご承知のように、2009年4月以来、IAEAは北朝鮮においていかなる保障措置も実施できていない」と指摘し、北朝鮮の核計画は「重大な懸念の対象」であると語った。

昨年、北朝鮮が新しいウラン濃縮施設と軽水炉を建設中であると報じられた。

これらの報道が事実ならば「きわめて深刻な事態になる」と天野氏は語った。

天野事務局長は北朝鮮に対し、同国を強く非難し制裁をかけたIAEA総会の決議や国連安保理決議を完全に履行するよう強く求めた。

同じく非難されているイランは、自国の核開発は「平和目的」のみのものであると明確に主張している。

しかし、国連安保理もIAEAもこうした見方を採っていない。
 
天野氏は、「イランは、未申告の核物質や核活動が存在しないとの信憑性のある保証をIAEAが与え、したがってイラン国内のすべての核物質は平和目的であると結論づけるために必要な協力を怠っている」と指摘した上で、イランに対して、「核計画が完全に平和目的のものであるという国際的信頼を勝ち取るために、すべての関連する義務を果たすよう」求めた。

なおシリアについてIAEAは、2007年にデイル・エッゾール(Dair Alzour)で(おそらくイスラエルの空爆によって)破壊された施設は、IAEAに対して申告義務があった原子炉であった可能性が極めて高いとの結論を出している。しかし、実際には申告されなかった。

IAEA理事会は、6月9日、シリアが「保障措置協定上の義務を果たしていない」ことを非難する決議を採択した。

他方でIAEAは、既存の非核兵器地帯の有効性と、中東への非核兵器地帯設置を検討する国際会議を招集する可能性について加盟国と協議している。

しかし、当面は2012年に予定されている『中東非核兵器地帯の設立に関する会議』は、アラブ諸国を席巻している政治的動乱と、それが自国の安全保障に及ぼす悪影響についてイスラエルが懸念しているため、開催が危ぶまれている。

長く待ち望まれたこの会議は、2010年5月に国連本部で開催されたNPT運用検討会議において189の加盟国が承認したものである。

イスラエル政府は、NPT運用検討会議の成果文書を批判する一方で、2012年の会議への参加については、態度を明らかにしていない。


しかし、イスラエルを取り巻く政治環境は、アラブ世界を席巻している民衆蜂起と政治変革の波を受けて、親イスラエル的であったエジプトのホスニ・ムバラク大統領が追放されるなど、ますます敵対的なものとなっている。イスラエルはこうした情勢の変化を受けて、とりわけ自国の安全保障に関する懸念を強めている。

イスラエルは、非公式の場では、核兵器こそが最もよく自国の安全を保証するものであるとの見解を示している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

正義への長く困難な道のり

【ニューヨークIPS=エリザベス・ウィットマン】

フレディ・ペセレッリをはじめとする法医人類学チームの仕事は、人間の骨をその他のもの―靴とか衣服、IDカード―などから分類することだ。彼らが泥にまみれた骨を掘り出すのは、グアテマラのラベルバナ墓地である。ここには、1960年から96年にかけての内戦の間、無数の死体が放り込まれた。

2010年の映画「グラニート:独裁者の捕え方」(監督:パメラ・イエーツ、パコ・デオニス、ピーター・キノイ:下記映像資料参照)は、内戦時の人道に対する罪を裁くために奮闘するグアテマラ法医人類学財団の動きを追っている。特に焦点を当てているのは、1982年3月から83年8月まで軍事独裁者であったリオス・モントをスペインの法廷で人道に対する罪に問うことを目指す被害者らのたたかいだ。

 1996年、内戦終結に伴って設置された「グアテマラ真実委員会」で、1982年をピークとして起こった虐殺と強制失踪の実態が明らかにされた。「正義責任センター」の推計では、犠牲者は20万人とも言われる。

「グラニート」の監督イエーツは、1982年、グアテマラで映画「山が震えるとき」を撮っていた。米国の支援する軍事独裁に対するゲリラを描いたものだ。

ニューヨークで始まった「ヒューマン・ライツ・ウォッチ映画祭」では、「グラニート」「山が震えるとき」のいずれもが上映されている。

他の映画は、たとえば、アンガス・ギブソン、ミグエル・サラザール監督の「ラトマ」(包囲)。1985年にコロンビアのボゴタで起こった事件がテーマだ。ゲリラによって占拠された「正義の宮殿」を軍が包囲し、94人が死亡、12人が行方不明になった。
 
遺族らは依然として責任者追及の手を緩めておらず、2010年6月、包囲作戦の責任者だったアルフォンゾ・ベガ大佐が禁固30年に処された(未収監)。

これらの映画が私たちに提示する問いは、これだけ多くの罪が犯されながら、なぜ裁きが下されていないのか、ということだ。

ギブソン監督は言う。「裁判と有罪判決だけで裁きが下されたとはいえない」。彼女は、チリのアウグスト・ピノチェト元大統領の例を挙げる。ピノチェトはロンドンで捕らえられスペインに送られたが、そこで裁判にかけられることはなかった。しかし、と彼女は言う。「彼の遺産は破壊されたのです」。

映画を通じてラテンアメリカ軍事独裁の責任を追及し続ける人びとについて報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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貧困国が難民受け入れ負担の大半を負っている(アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官)

【ナイロビIDN=ジェローム・ムワンダ】

世界の先進各国は、ことある毎に、途上国からの移民がそうでなくとも堅調でない自国の経済に負担になっていると不平を漏らすが、この度国連は、そうした先進国のステレオタイプを覆す報告書を公表した。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、「世界難民デー」にあたる先月20日、「2010年世界の動向レポート」を発表し、難民受け入れの負担を受けているのは、富裕国ではなく、難民の絶対数からも、また、ホスト国の経済規模から見ても、圧倒的に貧困国(全世界の難民の8割が居住)である実態を明らかにした。

 先進44ヶ国への難民申請数はこの10年間で約4割減少した。2001年には62万件、2010年には35万8800件であった。アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官(右写真の人物)は、「近年、世界的な難民申請の動向は変化してきています。」と語った。

難民申請者の出身国をみると、2010年に最も多かったのはセルビア(コソボを含む)出身者で、しかも昨年の18,800人から28,900人へと急増している。この点についてUNHCRは、「セルビアのパスポート保有者に対してビザなし入国を認めた欧州連合(EU)の2009年12月の決定の影響が大きい。」と解説している。

他に多くの難民を出している国は、アフガニスタン、中国、イラク、ロシア、ソマリア、イラン、パキスタン、ナイジェリア、スリランカである。
 
グテーレス難民高等弁務官は、引き続き途上国が難民申請者の大半を受け入れている現状と、中にはリベリアやチュニジアのように、国内問題を抱えながら受け入れ国になっている国もある点を指摘した。

一方先進国の中でもっとも難民受け入れが多いのが米国で、2010年には中国、メキシコ出身の難民申請者が増加したのを背景に5万5000件を記録した。これに続くのがフランスで、4万7800件、主にセルビア、ロシア、コンゴ民主共和国からの難民を受け入れている。その他にドイツ、スウェーデン、カナダがトップ5に入っている。

UNHCRは、難民申請者を「国際社会に保護を求め、難民としての地位が未だ確定していない個人」と定義している。難民申請者は、1951年の「難民の地位に関する条約(Convention Relating to the Status of Refugees)」の基準を満たせば難民として認定される。

UNHCRの「世界の動向レポート」で挙げられた難民受け入れ国の内訳は欧州連合の27加盟国、アルバニア、オーストラリア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、カナダ、クロアチア、アイスランド、日本、韓国、リヒテンシュタイン、モンテネグロ、ニュージーランド、ノルウェー、セルビア、スイス、トルコ、米国、マケドニアである。

同レポートによると、現時点でもっとも多くの難民を受け入れているのは、パキスタン(190万人)、イラン(107万人)、シリア(100万人)である。一人当たりの国内総生産に占める受入難民数でみると、パキスタンが1ドル当たり710人で、最も経済的に負担を負っていることが分かる。これにコンゴ民主共和国の475人、ケニアの247人が続いている。

「こうした国際保護の実態については憂慮せざるを得ません。難民の殺到を恐れる先進国に広がる感情は大げさに誇張されたものか、移民の流入問題と混同したものなのです。一方で現実はずっと貧しい国々が実質的に負担を負わざるを得ない事態に置かれているのです。」とグテーレス氏は付加えた。

全体的に、最新のレポートはUNHCRが設立された60年前とは大きく変化した移民を取り巻く環境を描いている。UNHCR設立当時の取り扱い件数は、210万人で、第二次世界大戦の結果発生した欧州の難民が対象であった。今日UNHCRが受持つ国地域は120カ国を超え、保護対象者も国外への移転を余儀なくされた人々に止まらず国内難民も含まれる。

現在、世界には4370万人の出身地・居住地を追われている人々がいる。この人口を国に置き換えると、コロンビア或いは韓国の全国民、或いはスカンジナビア諸国とスリランカの全ての国民の合計に相当する。

そのうち、内戦による被害者が2750万人、難民が1540万人(うち、パレスチナ関係が482万人)、難民申請者が83万7500人である。ちなみにこれらの数字には、今年発生したコートジボワールとリビアの国内難民は含まれていない。

また同レポートは、いくつかの主要紛争が長引く傾向にあることから、「難民状態の長期化」が近年深刻になってきている問題を指摘している。因みにこの定義(UNHCRの定義で5年以上を指す)に該当する難民の総数は昨年720万人で、2001年以来最も多い人数を記録した。一方、昨年故郷への帰還を果たした難民の数は僅か197,600で、1990年以来最も少ない人数だった。
 
2001年と2010年の統計を比較すると、いずれもアフガン難民が全体の3分の1を占めている他、イラク、ソマリア、コンゴ民主共和国、スーダンからの難民がいずれもトップ10入りしている。この状況についてグテーレス氏は、「将来に希望を見出せない難民があまりにも多すぎます。国際社会は不安定な状況にある難民を無期限に放置することで、彼らを見捨ててしまっているのです。途上国が、難民の受け入れに関して今日のような過重な負担を支え続けることは困難であり、先進各国には難民の再定住受入枠を大幅に見直し、今日の不均衡を是正する取り組みが求められています。それと並行して、難民が帰還できるよう、長引く紛争に終止符を打つべく和平の取り組みを強化する必要があります。」と付け加えた。

各国から「無国籍者」として報告される人々の数は、2004年以降増加し続けている。しかしUNHCRは、各国が採用する定義や調査手法等の違いにより、正確な実情を把握するのが困難と指摘している。例えば、昨年の「無国籍者」の総数は350万人で、この数値は2009年の総数の半数と激減しているが、これは主にいくつかのデータ提出国が調査手法を変更した結果であることが判明している。ちなみに、「無国籍者」に関する非公式な総数は1200万人近くと見積もられている。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

|北朝鮮-中国|人妻として売られる脱北者達

【ソウルINPS=アン・ミヨン】

脱北して中国側の国境の街に逃れる北朝鮮人の数は増加しており、女性の数が男性を上回っている。「過去数年間で中国に脱北した北朝鮮人の数は約200,000人に及ぶがその7割を女性が占めている。」と自らも亡命経験があり現在は脱北した同胞の人権擁護にあたっているキム(Kim Tae Jin)氏は語った。

北朝鮮の男性の場合、現地に不案内なことから警察当局に密告され北朝鮮に送還されるリスクが高いため脱北を躊躇するものが少なくない。キム氏は、「さらに、少ない仕事を中国人と競っても北朝鮮の男性にほとんど勝ち目がないのです。」と語った。

対照的に北朝鮮の女性たちは、若い者であれば、国境地帯の中国側農村で農夫の嫁として売られたり、より年配の者は、レストランやカラオケルームなどで働いている。「私たちは、脱北した北朝鮮女性の約80%が中国人男性に売られているとみています。彼女たちは、中国に越境後は、北朝鮮への強制送還を恐れるあまり、どんなにひどい扱いをうけても声を潜め、命令に従う傾向にあるのです。」とキム氏は語った。

 そうして花嫁として売られた女性の中にはなんとかその境遇から逃れて韓国までたどり着いた者もいる。「中国人の夫は、いつも私を買うためにいくら払ったかしつこく言ってきました。当時私は彼の所有物であるかのような錯覚を覚えたものです。」とある脱北者の女性は語った。

報告によると15歳前後の北朝鮮人の少女達が花嫁として売られている価格は、体調にもよるが、1人当たり3000元から10,000元(463ドル~1500ドル)である。

「中朝国境地帯の中国側の村々を訪れた時、中国人農夫に嫁がされた十代の北朝鮮人の少女たちの集団をしばしば見かけました。彼女たちは和気あいあいと肩を寄せ合って生活していました。彼女たちにしてみれば、他に選択肢がないのです。つまり、北朝鮮の国境警備兵に捕まって本国に強制送還されるのが、彼女たちにとってはなによりも恐ろしいのです。」とキム氏は語った。

しかし中国でのあまりにも過酷な現実に直面して、あえて帰国を考えた女性たちもいた。「私は中国に脱北したものの、中国では辱めを受け、恐怖と屈辱に満ちた体験をしました。そうした生活の中で、北朝鮮の故郷を懐かしくさえ思ったものです。祖国での生活は飢えとの闘いでしたが、少なくとも市民という立場がありました。でも中国では、私は自分の存在を消して愚かな女を演じなければなりませんでした。」とヨウ(Yoh Su-Wa)氏は語った。ヨウ氏は中国に4年滞在したのち韓国への亡命をはたした。
 
北朝鮮での女性の立場は厳しいものである。北朝鮮政府は、230万人の国民に食糧を確保するよりも核兵器開発やミサイル実験を優先しており国は困窮を極めている。それにもかかわらず、北朝鮮の女性は、あらゆる障害に立ち向かう強い意志を持った勇敢な人物であることが期待されている、と脱北者達は語った。

「大黒柱の父親に甲斐甲斐しく尽くす母親や妻といった伝統的な家庭のイメージに反して、北朝鮮の家庭では母親が主導権を持っていることが多い。」と脱北者達は付け加えた。
 
1990年代の飢饉で北朝鮮の食糧配給制度は崩壊したため、女性たちは飢えから家族を守るため街頭にでざるを得なかった。北朝鮮各地に闇市がたち、市民はあるものすべてを持ち出して売り買いをした。家庭への配給が減り続ける中、生き延びるためには、闇市で持てるものを売るか、物々交換で食糧を手に入れるしかなかった。

北朝鮮では、国営工場が相次いで閉鎖し殆ど稼働していない中で、大半の男性たちは収入の術を失っている。そしてそうした男たちに代わって通常女性が一家の主な稼ぎ手となっている。

「おそらく父は、一生懸命働いても働かなくても均等に配給がなされる共産主義の制度に慣れてしまっていたのだと思います。闇市で行商するのは恥ずかしいと考えていたようです。」と2000年代初頭に韓国へ亡命したリー(Lee Sung-Min)氏は語った。

韓国への亡命を果たした女性の多くは、ビル清掃やウエイトレス、家政婦等の仕事を見つけている。「男性よりも女性の方が韓国での新たな環境により早く適応している傾向にあります。」とキム氏は語った。

一方、韓国に亡命した男性たちは女性たちよりも就職に苦労している。キム氏によると、たとえ就職できても、すぐに辞めるものが多いという。「北朝鮮出身の男性たちは、努力や結果次第で異なった扱いをする韓国の労働文化に馴染めないのです。」とキム氏は語った。

ソウルで脱北者への支援に取り組んでいるオンヌリキリスト教会のリー(Lee Hoon)牧師は、「北朝鮮から長く過酷な旅路を経てソウルにたどり着いた脱北者は、いわばその過程で片腕を失ったようなものなのです。そのような状態で建築現場で働いても韓国人男性には到底かなわず、辞めざるを得ないということになるのです。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan戸田千鶴

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