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|NPT準備会合|長崎市長、核なき世界の実現を訴える

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【ベルリン/ウィーンIDN=ジャムシェド・バルアー】

「皆さん、一人の人間として、核兵器の非人道性について改めて考えてみてください。」長崎市長で平和市長会議副会長の田上富久氏は、2015年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議に向けてウィーンで開かれた第1回準備委員会のNGOセッションで各国代表らを前に、こう呼びかけた。

平和市長会議は、1945年8月の米国による原爆投下で20万人以上の女性・子供・老人が犠牲となった長崎市及び広島市の市長によって1982年に設立された国際機構で、現在では世界5000の都市(域内人口50億人)が加盟している。当時の原爆攻撃を生き延びた被爆者は、今でも放射能による様々な後遺症に苦しんでいる。

また第1回準備委員会(4月30日~5月11日)に先立ち、4月28日、29日の両日には「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」会議が開催され、関連諸団体の代表が2015年NPT運用検討会議に向けた戦略作りや各々が準備している計画等について意見交換を行った。オーストリア外交アカデミーで開催されたこのNGO国際会議は、「核兵器なき世界」という目標を共に支持するオーストリアノルウェー両政府と、東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナル(SGI)が後援した。

Tomihisa Taue/ IAEA ImagebankPhoto Credit: Yamagishi Hisashi / Ciy of MatsumotoIAEA Imagebank - 01890127 | Flickr - Photo Sharing!, CC BY-SA 2.0
Tomihisa Taue/ IAEA ImagebankPhoto Credit: Yamagishi Hisashi / Ciy of MatsumotoIAEA Imagebank – 01890127 | Flickr – Photo Sharing!, CC BY-SA 2.0

 事実、広島市の松井一実市長は、2015年NPT運用検討会議の広島誘致の可能性を、従来から模索してきた(帰国報告)。広島誘致案のメリットは、核兵器保有国の首脳を世界で初めて原爆が投下された都市に招聘して核廃絶へ向けた議論ができる点にある。田上長崎市長は、第一回準備委員会に参加した各国代表らを前に行った演説の中で、この広島市のイニシャチブを支持して、「…核兵器の脅威に完全な終止符を打ち、核兵器なき世界を作り出すために協議する場として、被爆地広島よりも適切な場所があるでしょうか?」と語りかけた。

また田上市長は、5月2日に開かれたNGOセッションで各国代表らを前に、「2010年における実績が示しているように世界全体で1兆6300億ドルもの巨額な資金が安全保障という名目で軍事支出に費やされており、しかもその結果、世界はより危険な場所になってしまっています。これは、極めて馬鹿げたことではないでしょうか。今こそ、私たちはこの危険な状況から自らを解放する強い意志を示す時ではないでしょうか。」と訴えかけた。

田上市長は美辞麗句を並べていたのではない。事実、2010年NPT運用検討会議において全会一致で採択された最終文書には、核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果を引き起こすとして深い懸念が表明されており、全ての加盟国が国際人道法を含む国際法を順守する必要性を再確認している。
 
しかし核兵器を巡る議論は、引き続き、いわゆる国家利益や軍事力の均衡、軍事技術の有効性に関する議論に終始している。田上市長はこの点を批判して、「核保有国の代表が核兵器の真の恐ろしさを認識しているのか疑問に思っています。」と語った。

そのうえで田上市長は、「核兵器使用の壊滅的な人道的結果について、国益の視点ではなく人間の視点に立ち戻らせてくれる被爆者の声に耳を澄ましてほしい。被爆者がどうして核兵器のない世界の実現を必死で訴えているのか理解する必要があります。」と訴えた。

2015年のNPT運用検討会議に向けて開かれた第1回準備委員会に合わせて、日本から数名の被爆者がウィーンを訪れた。また、準備委員会の会場となった国連ウィーン本部(ウィーン国際センター)と市庁舎で原爆展が開催された。

田上長崎市長が、「私たちには、核兵器なき世界を将来の世代に引き継ぐ責任があります。」と熱烈に訴えた背景にはもう一つの切実な理由がある。2010年NPT運用検討会議において、第1委員会(核軍縮)から議長に提出された最初の原案には、核兵器国に対して、核兵器なき世界を実現するために具体的な努力を行うことを義務付け、その上で潘基文国連事務総長に核廃絶のための法的仕組みも含めた行程表(ロードマップ)を作るための国際会議を2014年に開催する権限を委ねるという画期的な方策が含まれていた。

この原案は、潘事務総長が2008年に発表した核兵器禁止条約(NWC)への言及を含む「核不拡散・軍縮に関する5項目の提案」に触発されたもので、審議のテーブルに上程された際には、世界は核廃絶という目標にようやく近づいているように思われた。

しかし、最終文書にはNWCへの言及はあるものの、国連事務総長による2014年の「核兵器廃絶ロードマップ会議」の開催を求めた部分は削除された。結局、最終文書には、核兵器なき世界の実現を望むという明白な意思が全会一致で示されたにも関わらず、それを実現するためのいかなる具体的な時間的枠組みも方策も、記載されなかったのである。

ロードマップ会議

平和市長会議は、直ちに準備作業に着手し、このロードマップ会議を早期に開催するよう求めている。2012年2月、ラテンアメリカとカリブ地域の33カ国の政府代表団は、特定の時間枠の中で核廃絶に向けた措置を段階的に進めていくプログラムを協議するハイレベル国際会議を招集するために、努力していく方針を表明している。

また田上長崎市長は、核兵器国の指導者らに、市民社会及び国際社会の声に耳を傾けるよう呼びかけるとともに、「2015年のNPT運用検討会議が(核廃絶に向けた)ロードマップ会議実現に向けて動き出すきっかけとなり、NWCを妥結するコンセンサスを得る場となるよう、今回の準備委員会で努力してほしい。」と強く訴えた。田上市長はさらに、「2015年のNPT運用検討会議では、『核兵器のない世界』がどのような時間的枠組みの中でいかにして実現されるか明確に示されると確信しています。」と語った。

そのような時間的な枠組みは、実に現実性を帯びたものである。これまでも各国は条約締結を通じて、核兵器の配備、生産、取得、保有、及び管理を禁止する核兵器禁止地帯を創設してきた。政治的な意志さえあれば、こうした核兵器禁止地帯を増やしていくことも、核兵器のない世界実現に向けた具体的な方策なのである。

今年は、そのような核兵器禁止地帯を中東地域に創設することをテーマにした国連会議が開催されることになっている。また北東アジアでも、北朝鮮による核開発問題に直面して、核兵器禁止地帯を創設する重要性に対する認識が国際社会に広がってきている。田上市長は、世界の政治指導者らに対して、「このような核兵器禁止地帯を共に広げていき、核兵器のない世界という目標に近づいていこうではありませんか。」と呼びかけるとともに、彼らがNPT第6条に規定されている軍縮履行義務について、一層努力するよう求めた。

2010年NPT運用検討会議では、日本を含む42カ国が軍縮と核不拡散教育の重要性を強調した。こうした経緯から、日本政府は今年8月に長崎市において国際会議「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」を開催する予定である。同フォーラムには世界各地から多くの市民社会組織、政府代表、専門家が集い、活発な議論が展開される見込みである。(原文へ


翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

米政府、マリ軍事政権に政治から手を引くよう求める

【ダカールIPS=ソウレマネ・ガノ】

ジョニー・カールソン米国務省アフリカ副長官(右上写真)は、「3月22日に政府を打倒したマリ軍兵士達には、政権を掌握する権利も、同国が現在直面している人道危機や安全保障問題に対処できる力もありません。」と語った。

またカールソン副長官は、「マリ共和国で21年間続いた民主政体が、祖国や人民の福祉よりも自らの利益を優先する少数の反乱兵士達により、打倒されてしまいまいました。このクーデターにより、マリの領土的一体性が危機に瀕し、結果的に国土の半分にあたる北部を(トゥアレグ族等による)反乱勢力に奪われてしまいました。さらに経済は後退し、深刻な旱魃に見舞われている北部への政府の対処能力も低下しています。」と語った。

さらに副長官は、「反乱軍を指揮しているアマドゥ・サノゴ大尉と彼が率いる『民主主義制定のための全国員会(NCRDS)』のメンバーは、兵舎に引き上げるとともに、憲法に基づく統治政体を復帰させなければなりません。」と、5月16日に行われたアフリカ全土を網羅した遠隔地間会議(テレ会議)において語った。

 「民主政体への復帰プロセスが早ければ早いほど、マリは地域及び国際社会における同盟諸国の支援を得て、クーデター以降被ったダメージを早期に修復することができるでしょう。」

またカールソン副長官は、条件が整いさえすれば、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)が計画しているロジスティクス面での支援、及び、ECOWAS軍のマリ国内における展開について、米国政府として支持する意向である旨を明言した。

さらに副長官は、「米政府は、ECOWAS事務局(ナイジェリアのアブジャ)の役割を高く評価しており、現議長のアラサン・ワタラ(コートジボワール大統領)氏とダニエル・カブラン・ダンカン(同国外相)氏がこれまでECOWASを統率してきた手腕に大いに信頼を寄せています。」と語った。

一方ワシントンDCではビクトリア・ヌーランド国務省報道官が、「米国政府は、もしECOWASによるマリの民主政体と憲法に基づく法の支配の復活が遅れるようなことになれば、問題は同国一国の問題にとどまらず、地域全体に悪影響が及びかねないと懸念している。」と語った。
 
報道官はさらに、「もし憲法により正当と認められた政府と治安部隊が(対話を通じ、国民の納得も得、さらに軍の協力も確保する形で)再び一つになれなければ、北部(アザワド)を実効支配している(イスラム)過激派やテロリストと戦うなど到底おぼつかないと言わざるを得ません。」と語った。

こうした米高官の一連の発言について、ダカールに本拠を置くムリムム・アフリカコンサルティング(コミュニケーション・政治戦略コンサル企業)のアブドゥ・ロー所長は、「米国がマリの政治状況を打開していくうえで、ECOWASが主要な役割を担うことを期待している様子が窺えます。」と語った。

「要するに、カールソン副長官は、ECOWASに指導的役割を担わせることで、同組織の機能強化を図りたいのです。米政府はこうした態度を示す背景には、ECOWASがその信頼性を高める必要に迫られている事情があるのです。」

ロー所長は、この点について、「ECOWASは、多くの弱小国家を加盟国に抱えている事情に加えて、加盟国各国の軍が近年政治への発言力を強化しており、さらにイスラム原理主義勢力が域内各地に台頭していることから、近年影響力が徐々に弱体化しているのです。」と説明した。

「今日の混乱を招いた原因は、マリの政治指導者に戦略的なビジョンが欠けていたことに他なりません。今日マリでは、軍事政権とATT支持勢力(アマドゥ・トウマニ・トゥーレ前大統領支持派)、政界リーダーたちが三つ巴となって政治主導権を争っていますが、現在マリにとって最も重要な課題は、国土の領土的一体性をいかに確保するかということなのです。」

サノゴ大尉は依然としてマリの暫定政権の任期(憲法の規定により5月22日に期限を迎える)を1年延長するというECOWASの提案に反対し続けており、対案として、全国会議を開催して移行期の政権を率いる新大統領を指名することを提案している。

この提案について、5月16日にアビジャンを訪問したディオンクンダ・トラオレ暫定大統領(前国会議長)は、「それでは問題の解決にはなりません。そもそも全国大会の開催など、4月6日にバマコでECOWASと軍事政権が調印した枠組合意に含まれていなかったのです。」と語った。

トラオレ暫定大統領は、憲法の規定通り、40日期限が切れる際に、ECOWASと軍事政権は再度会合し、次のステップを話し合わなければなりません。」と語った。アビジャンの外交筋によるとECOWASの閣僚級使節団が5月21日か22日にバマコを訪問予定とのことである。

マリのトゥーレ前大統領は、3月22日に起こったクーデターにより政権の座を追われた。当時トゥーレ政権は、トゥアレグ族が1月にマリ北部で開始した反乱鎮圧に苦慮していた。クーデターに参加した兵士たちは、このトゥアレグ族による反乱に終止符が打てない政府の不手際をクーデター決行の動機の一つとしている。しかし皮肉なことに、トゥアレグ反乱勢力は、様々なイスラム過激派組織とともに、クーデターによって生じた中央政府の政治空白の隙を利用して、マリ北部の制圧に成功した。

クーデター後、ECOWASと軍事政権の合意に基づき、トラオレ前国会議長が暫定政権の大統領に任命された。トラオレ氏は暫定政権を率いて、憲法による統治を完全復活させる任務を担っている。

しかし軍事政権はECOWASとの合意に署名したにもかかわらず、暫定政権樹立後も政治の実権を手放そうとせず、ECOWAWの一部の決定に対して強く抵抗している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|UAE|来月、第2回海賊対策国際会議がドバイで開催

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【ドバイWAM】

6月27日、28日両日にドバイで開催予定の第2回海賊対策国際会議(アラブ首長国連邦主催)には世界各地から政府高官、安全対策専門家、国連、国際海事機関、その他の関連諸機関の代表が参加する予定である。

今回の会議では、「海賊行為に対する地域の対応:官民連携と国際的な取り組みを強化する」というテーマの下、海賊による船舶襲撃の被害(船員の人質問題を含む)に対するこれまでのグローバルな取り組みをいかに発展させるか、また、ソマリア沖などで海賊行為が発生する根本原因に対する緩和策をいかに強化するか等が協議される予定だ。

 UAE外務省とドバイ・ポーツ・ワールド共催によるこの会議は、海賊行為が地域の平和、安全、繁栄に及ぼしている脅威により良く対処していくために、官民連携のあり方を強化していくことを企図している。

会議の公式ウェブサイト(www.counterpiracy.ae)がアップデートされたので、招待客及び参加者はここでオンライン登録ができる他、全ての関連情報を入手することができる。

またこのサイトには、講演予定者をはじめ、海賊行為対策分野の学識経験者や専門家がこの会議のために作成した研究報告書や論文が掲載されるので、参加者は事前に会議当日の議論に備えることができる。

今回の会議は昨年UAEのイニシャチブで開催された第1回海賊対策国際会議の成果を踏まえたものである。第1回会議では、世界各国の政府及び産業界双方から、海上・陸上において、海賊対策に具体的に取り組んでいくという前例のないコミットメントを引き出すことに成功した。

国際海事局(IMB)によると、2012年の第1四半期における海賊被害は、ソマリア人海賊によるものだけでも43件にもぼっており、140人を超える船員が(その多くが過酷な環境の下で)引き続き海賊によって捕らわれた状態にある。また、IMBの試算では、海賊行為が国際貿易にもたらしている被害は、年間120億ドルにのぼると見られている。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

│金融│デモ参加者がロビンフッド金融課税を要求

Wikimedia Commons
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【国連IPS=ジョアンナ・トレブリン】

5月18日、数多くの人々が金融取引に対する課税(FTT=いわゆる「トービン税」或いは「ロビンフッド税」)を求めて、シカゴでデモを行った。18日、19日にワシントンDCの郊外キャンプ・デービッドで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)にあわせて行われたもので、参加者はG8首脳に対して、米国及び世界の経済を回復する手段として年間数千億ドルもの税収が見込めるFTT税を導入するよう要求した。

さらに運動側はG8サミットに続く5月18日から22日までの期間を「ロビンフッド税グローバル行動週間」と位置づけ、世界各地でFTT導入を求めるロビー活動を展開した。FTTの導入については、食料への権利に関する国連特別報道官のオリヴィエ・ドシュッテル氏(Olivier De Schutter)をはじめとする多くの国連人道専門家が支持を表明している。 

 米国では、労組やシンクタンク、環境・保健・消費者保護などの団体、金融改革ロビー団体などが、「ウォール・ストリート(金融エリート)はメイン・ストリート(世間一般)に利益を還元せよ」というロビー活動を各地で展開している。FTTを求める声は1930年代からあり、当時は著名な経済学者のジョン・メイナード・ケインズ氏もFTTの導入を積極的に訴えた一人であった。

同名のスローガンを掲げた活動団体のウェブサイトには「米国政府は、銀行を救済したことで、膨大な財政赤字への対処と、経済援助や地球温暖化対策へのコミットメントを果たすために、多額の資金を必要としている。」と記されている。

金融取引税(FTT)は、株式や債券、商品、投資信託、デリバティブなどの売買に対して課税し、教育や保健、環境などのグローバルな公共財のために使おうという構想で、課税率が異なるいくつかバリエーションが提案されている。中でも、もっとも有力なものは、株式や債券取引に対して0.1%、デリバティブ取引に対して0.01%の税金をかけるという案である。

FTTによってG20諸国からあがる税金は、もっとも低い税率でも480億ドル、税率を上げれば2500億ドルにも達すると見込まれており、これだけの税収があれば、長引く経済、金融、燃料、気候変動、食料危機に対処するための費用さえ相殺することが可能となる。

FTTはNGOだけが主唱しているのではない。昨年11月にフランスのカンヌで開かれた主要20か国・地域(G20)会合では、ドイツ、フランス、スペイン、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカ、エチオピア、アフリカ連合がFTT支持を表明した。

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、FTT導入には欧州連合(EU)27ヶ国の合意が必要であると1月に表明したが、フランスのニコラ・サルコジ大統領は、「我が国がまず他国によるFTT導入を見極める姿勢を採ったならば、金融取引に対する課税はいつまでたっても実現しないだろう。」と語り、EU及びG20による合意を待つことなくフランス一国だけでも導入する意思を示していた。(もっとも、サルコジ氏はその公約を果たさないまま先週大統領任期を終えた。次期のフランソワ・オランド大統領もFTT支持である)。

また国連の人権専門家も、FTTを、各国政府が国内在住の人々の人権を保護していくための実際的な手段と考えている。

極度の貧困と人権に関する国連特別報告官のマグダレナ・セパルヴェダ氏(Magdalena Sepulveda)は、「各国政府は、富裕層や金融部門が身分相応な税負担を担うよう、富の再分配に果たす税制度の役割を再考する時にきています。」「金融部門が相応な税負担ができない限り、残りの社会全体がその付けを払い続けることになるのですから。」と語った。

またドシュッテル国連報道官は、「食糧価格は過去5年間に2度も危険なほど高騰し、現在その事態がいつ再発してもおかしくない状況にあります。」と警告したうえで、「FTTには、投機に拍車をかけて食糧価格の安定を脅かし世界的な危機を引き起こす元凶となってきた短期資金の流れを抑制する効果が期待できるのです。」と語った。

世界の金融取引課税論議について報告する。(原文へ

INPS Japan

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|パレスチナ|ナクバから64年目の記憶

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【リフタ(エルサレム)IPS=ピエール・クロシェンドラー】

「私の人生の原点はそこにあります。当時私は8歳の少年でしたが、あの家から『アッラーフ・アクバル(Allahu Akbar)』という礼拝を呼びかける父の声が、村全体に響いていたのをよく覚えています。」とヤコブ・オデフさん(72歳)は、高い丘の上に立つ廃屋を指差しながら語った。

64年経った今も、パレスチナ人にとってリフタの村はナクバ(「大災厄」)を想起させる象徴的な場所である。ナクバとは、イスラエル建国に際して採られたパレスチナ人追放政策で、オデフさん一家も含め、数十万人のパレスチナ人がイスラエル軍兵士により住み慣れた家を追われた。

イスラエルの西エルサレムと、イスラエル占領下の東エルサレムの境に点在するリフタの村は長年放置され廃墟となっている。多くのパレスチナ人にとって、リフタは失われた土地とパレスチナ人が置かれている窮乏を象徴する存在である。

 イスラエル独立戦争が勃発する前、この村は、500戸(3000人)が平和に住む裕福で牧歌的な場所であった。オデフさんは子供時代の記憶を懐かしそうに想い起して「噴水と庭園、モスクとオリーブ畑、楽しそうに歌って踊る村の人たち…それが私の世界でした。」と語った。

「どうしたら、1948年2月のあの忌まわしい日を忘れられるでしょう…私たちはその日突然イスラエル兵に包囲されたのです。今でも、その時のシオニストのギャングたちの銃声が聞こえてくるようです。」とオデフさんは語った。

近隣のデイル・ヤシンの村がイスラエル民兵に襲撃され100名以上が殺害されたという話が伝わると、リフタの村にパニックが広がった。「父親は、突然弟と妹を抱え上げると、家族揃って家を後にしました。私たちは急いで谷を渡り山をよじ登って逃れたのです。私たちが持ってこられたのは、心の中の思い出だけでした。」とオデフさんは当時を振り返った。

ナクバから数週間の内に、2000年の歴史を持つリフタの村は一人の住民も残らない廃墟と化した。オデフさんは、「間もなくして私たちは難民となったのです。」と語った。1年以内に、それまでパレスチナ人が人口の大半を占めていた土地は新たにイスラエル領土となり、他国に逃げないで残ったパレスチナ人は、少数派住民として自らの土地に対する権利も否定されることになった。

リフタではパレスチナ人が去った空き家の屋根や床には、事実上二度と人が住めないようにするため、大きな穴が空けられた。今日までオデフさんをはじめ、元リフタの住民で村に戻れたものはいない。しかし元リフタの住民たちは、いつの日か故郷に戻るという夢を決して諦めてはいない。オデフさんは、「私はパレスチナのリフタに再び自由に住める権利を取り返すまでは、1948年に起こったことを忘れも許しもしません。」と語った。

毎年ナクバの日(5月15日)になると、パレスチナ人達はかつて追われた故郷の家の鍵を高くかざし、故郷への「何者も否定できない帰還権」を認めるよう訴える。
 
 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNWRA)によると、中東全域に登録されている数だけでも400万人を超えるパレスチナ人が、難民として長年に亘って十分な権利を保障されない生活を強いられている。

一方大半のイスラエル人は、パレスチナ難民が要求している「故郷への帰還権」の問題をイスラエルという国家に対する「生存上の脅威」として受け止めている。彼らは、パレスチナ人の主張を認めて数百万人に及ぶパレスチナ難民を受入れれば、ユダヤ人がマイノリティになってしまい、イスラエルという国家が内部から崩壊してしまうと主張している。

こうした声についてオデフさんは、「ムスリムにも、ユダヤ人にも、キリスト教徒にも十分な場所はあるのです。私たちはかつて祖父たちがそうであったように、この地で共存していかなければならないのです。」と語った。

オデフさんの人生はパレスチナ人が歩んできた奪われた歴史を体現したものである。ナクバで家を追われて間もなく、オデフさんの父親は失意のうちに他界した。オデフさんの一家はその後東エルサレムに再定住した。

オデフさんはその後クウェートのフィルムライブラリーで働き、ベイルートの学校で法律を専攻したのち、パレスチナ解放人民戦線に加盟した。そしてオデフさんが27歳の時、第三次中東戦争が勃発し、イスラエルはオデフさんの家族が再定住していた東エルサレム(当時はヨルダン領)も征服した。

東エルサレムに舞い戻ったオデフさんはイスラエルの占領に抵抗する運動に身を投じた。その後、イスラエル当局に捕まり、テロ活動を行ったとして、人生三回分の終身刑を宣告されて収監された。そして1985年、イスラエルとパレスチナ勢力間の捕虜交換で解放された。

オデフさんは、現在は人権活動家としてリフタの記憶を保存する管理人を自認している。

ナクバでは約500のパレスチナの村が破壊された。今日確認できる村の痕跡は、たいていテラス跡や白カビの生えた石、草が生い茂った墓地跡、野生化したイチジクの古木やサボテンが生い茂った石の壁等である。

1959年、リフタ一帯の土地は自然保護区に指定された。そしてイスラエル土地当局の都市計画担当者は、リフタを、当時イスラエルの芸術コミュニティーとして知られていたエイン・フッド(Ein Hod)保護地区に匹敵する高級住宅地に作り替えようとした。

しかしこの動きに対して、リフタの元住民とイスラエル人の人権団体が抗議に立ち上がり、建設計画差し止めを求める訴えを地区裁判所に提出した。その結果、今のところ、建設計画は棚上げとなっている。

オレフさんは、「私たちは、リフタをすべての人に開かれた歴史的な博物館として現状のまま保存するよう求めています。当局はどうしてこの文化遺産を破壊して高級住宅地を開発したがるのでしょう。リフタは歴史の証人として保存されるべきなのです。」と語った。

イスラエル人が一般にパレスチナ人の過去の記憶を国家に対する脅威と捉えているのに対して、パレスチナ人はその喪失を嘆き、美化し、その復興を熱望する傾向にある。

オデフさんは、「パレスチナ人か、キリスト教徒か、ユダヤ人か、イスラム教徒か、そういったことが重要なのではありません。大切なことはこの占領に終止符を打ち、一つの民主的な国家を作り上げることなのです。」と語った。それから小さな声で、「歴史はいつまでも間違った方向に向かい続けるということはないでしょう。」「歴史は時として方向を失って乱れることがありますが、きっとイスラエル人はその過ちを繰り返すことを許さないでしょう。」と呟いた。

オデフさんはそう言い残して、心の故郷(home)から数キロ離れた今の「家」に帰っていった。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|ハーグ国際法廷|ラトコ・ムラジッチ被告の裁判始まる

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【ドーハIPS/Al Jazeera】

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時(1992年~95年)に、数々の戦争犯罪と大量虐殺を指揮したとして告発されているラトコ・ムラジッチ元セルビア人武装勢力司令官(70歳)の裁判が、オランダ・ハーグの国連旧ユーゴスラビア国際法廷で始まった。

5月16日、同法廷の検察官による冒頭陳述が行われたが、ムラジッチ氏が16年に亘る逃亡の末にセルビアで捕えられ、ハーグに護送されてから公判が開始されるまで、約1年が経過していた。

ムラジッチ被告は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時の1995年に同国東部のスレブレニツァで7千人を超えるムスリム男性・少年を1週間に亘って虐殺した事件を指揮したなどとして、戦争犯罪、人道に対する罪など11件で起訴されている。


ダーモット・グルーム検察官は、「我々は被告が起訴された全ての犯罪について、ムラジッチ氏の有罪を明確に立証する証拠を提示していくことになるだろう。」と語った。

またグローム検事は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦が勃発した1992年当時を振り返って、「国際社会は欧州に位置する(ボスニア・ヘルツェゴヴィナの)村々で大量虐殺が進行している事態を信じられない思いで目の当たりにしました。」と指摘するとともに、「ムラジッチ氏と部下の兵士たちは、スレブレニツァで数千人を虐殺する頃までには、殺人の技術を十分に磨く訓練ができていたのです。」と語った。

老いても挑発的な被告

濃い灰色のスーツとネクタイといういでたちで法廷に現れたムラジッチ被告は、入廷の際、両指を立てたり、手を叩く素振りをした。

傍聴人でぎっしり埋まった一般傍聴席では、検察官が冒頭陳述をしている間、ある犠牲者の母親が「ハゲタカめ!」と何度もつぶやいていた。

しばらくすると、ムラジッチ被告と傍聴席のムスリムの女性の眼が会い、(女性が被告に対し、手首を交差して手錠を掛けられたような仕草を見せたところ)被告が彼女に向かって自らの片手を首の上で横一文字に滑らせる(喉を切り裂くような)ジェスチャーをする場面があり、アルフォンス・オリー首席裁判官が、「不適切なやり取りをしないよう」注意するとともに短い休会を宣言する一幕もあった。

「ラトコ・ムラジッチ被告からは、90年代前半の彼のイメージに付きまとう体格のよいがっしりとした、威圧的な印象は得られませんでした。」とハーグからレポートしたアルジャジーラのバーナビー・フィリップス記者は語っている。

フィリップス記者はそれと同時に「しかしながら、高齢にもかかわらず元司令官の挑発的な態度は変わっていません。被告が『NATO法定』と呼ぶこの法廷を見下し、侮辱している様は、法廷を傍聴している人ならだれでも感じたことでしょう。」と語った。

スレブレニッツァ事件の犠牲者の母親達を代弁しているアクセル・ハーゲドルン弁護士は、「多くの遺族がハーグまで足を運びました。彼女たちは、ムラジッチ氏が実際に被告席に立たされるのを目の当たりにしてやっと安堵したのです。」と語った。

またハーゲドルン弁護士は、「ムラジッチ被告は、昨年身柄を拘束された頃と比べるとずいぶん健康そうに見えます。私たちはムラジッチ被告に公判を生き抜いて禁固刑に服してほしいと望んでいますから、これはいいことだと思っています。」「またムラジッチ裁判は、スレブレニッツァ事件の遺族にとって、国連の責任を問うもう一つの裁判を実現するために、有利に働くと考えています。」と語った。

今年の4月、オランダ最高裁は、「スレブレニッツァにおける大量虐殺を防げなかったとして国連を起訴することは、オランダの法律では不可能」との裁定を下した。しかし、同事件の遺族の弁護団は、欧州人権裁判所への提訴を計画している。

「遺族が提訴を計画している裁判とムラジッチ裁判は、ともにスレブレニッツァ村の人々の命を国連が守れなかったという意味で相互に密接に関連しています。」とハーゲドルン弁護士は語った。

原告は、せっかく開かれた公判がムラジッチ被告の健康問題で中断するのではないかと危惧している。ムラジッチ被告は、潜伏中に少なくとも脳卒中を一回患っているほか、昨年10月には肺炎で入院している。
 
セルビア勢力の指導者であったスロボダン・ミロシェヴィッチ(元セルビア共和国大統領)の場合、評決が纏まる前の2006年に心臓発作により収監先の独房で死去している。

最大の虐殺者

裁判所の外では、「スレブレニツァの犠牲者のために正義の裁きを!」等のプラカードを掲げた群集が集会を開いていた。

昨年5月にセルビア北部で身柄を拘束されたムラジッチ被告は、スレブレニッツァ事件にほかにも、1万人以上の死者を出したといわれる44カ月に亘ったサラエボ包囲事件の責任を問われている。

ムラジッチ被告は昨年6月に開かれた予審では、自身にかけられた嫌疑を「馬鹿げた不愉快なもの」として罪状認否を拒否した。そして、「私はボスニアのセルビア人指導者として、自分の祖国と人々を守っただけだ」と主張した。その結果、国連旧ユーゴスラビア国際法廷は規則に基づいて、ムラジッチ被告が大量虐殺など11件の起訴事実について無罪を主張したとみなす手続きをおこなった。

ムラジッチ被告は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時の犯罪を裁くために国連が設立した特別法廷で裁かれる最後の主要人物である。

「彼こそ世界に例を見ないバルカン半島最大の大量虐殺者に他なりません。」とムニラ・スバチッチ氏(65歳)はAFPの取材に応じて語った。彼女は、1995年7月にスレブレニツァがボスニアのセルビア人勢力の手によって陥落したとき、22名の親族を殺されている。

これから特別法廷の一般傍聴席でムラジッチ被告の初公判を傍聴するというスバチッチ氏は、「私はムラジッチの眼を見据えて、自分が犯した罪を後悔しているか彼に直接ただすつもりです。」と語った。

16日のムラジッチ裁判の初公判はバルカン半島でも複雑な感情が入り混じった反響を呼び起こした。1992年から95年に亘った軍事包囲で数千人の犠牲者を出したサラエボでは、街の各地に大型スクリーンが設置され、初公判の模様が生放送で中継された。

「私は、今度のムラジッチ公判を通じて、ムラジッチをセルビア人の英雄だと考えてきた人々が認識を改め、彼が単なる卑怯な犯罪者に過ぎなかったということを知る機会となってほしいと願っています。」と、「サラエボ包囲で殺害された犠牲者の遺族の会」のフィクレット・グラボヴィッツァ会長は語った。

またグラボヴィッツァ会長は今日セルビア人が大半を占めるスルプスカ共和国(セルビア人共和国)に言及して、「たとえムラジッチが公判を生きながらえて判決を受けたとしても、スレブレニツァやセルビア人共和国内の数百に及ぶ地で虐殺された被害者にとっては、ほんの僅かな慰めにしかならないだろう。」と付加えた。

ムラジッチ側による法定工作

内戦後、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ボシュニャク人(ムスリム人)とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦と、セルビア人主体のセルビア人共和国という2つの構成体から成る連合国家となった。

先週ムラジッチ被告の弁護団は、「アルフォンス・オリー首席裁判官が別の裁判でムラジッチ被告の元部下たちに有罪判決を下した経験があることから、ムラジッチ被告に対しても偏見を抱いている恐れがある」として、同裁判官の排除を求める申し立てを行った。しかし、テオドール・メロン裁判長は、根拠が不十分だとして弁護団の要請を却下した。

ムラジッチ被告は、2008年に逮捕された後、ムラジッチ被告と類似した罪で起訴され、公判も半ばまで進んでいる元セルビア人勢力指導者のラドバン・カラジッチ氏と同じ刑務所に収監されている。

ムラジッチ被告の弁護団は5月14日夜、検察側の資料開示に関するミスにより、十分に準備をする時間が得られなかったとして、公判の6カ月延期を申し立てた。

これについてグルーム検事は、16日、「妥当な延期要請については反対しない。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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母なる地球は「所有したり、私有化したり、搾取したりしてはならない」(B・K・ゴールドトゥース「先住民族環境ネットワーク」代表)

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【国連IPS=エイリーン・ジェンケル

「数百年にもわたって、先住民族の権利や資源、土地が搾取されてきました。しかし、各国政府が長年の懸案だった過去の搾取を事実と認め、先住民族が献身的な努力を傾けている現在においても、なおそうした搾取は続いている。」と2011年に発表された「マナウス宣言」の中で、先住民の代表たちは述べている。

この宣言は、今年6月に開かれる「持続的開発に関する国連会議」(通称「リオ+20」)の準備の一環として出されたものである。IPSでは、会議を前にして、30年以上にもわたってアメリカ大陸の先住民族の権利のために闘い、「先住民族環境ネットワーク」の代表も務めるトム・B・K・ゴールドトゥース氏へのインタビューを行った。以下、その要旨である。

Q:6月の「リオ+20」会議であなたは先住民族を代表して演説を行うことになっていますが、伝えたいことは何でしょうか。

A:グリーン経済や持続可能性に関するテーマ討論では、カネを中心とした西洋の見方と、生命を中心とし、母なる地球の神聖さとの関係を重視する我々先住民族の考え方との違いがあきらかになりました。

 先住民族の多くが、母なる地球を所有や私有化、搾取のための資源とのみ考え、それによって市場を通じて金銭的見返りを得ようとする現在の経済的グローバル化のモデルを深く憂慮しています。

この開発モデルの下で、先住民族は土地から追い出され、文化や母なる地球との精神的な関係を剥奪され、生命を維持する自然を破壊されてしまいました。

人類と今日の地球が存続していくためには、人類と母なる地球および自然界との関係を再定義した新たな法的枠組みが確立されなければなりません。

そしてそうした枠組みの中で、私たちは、人権を中心としたアプローチや生態系のアプローチ、文化に敏感で知を中心としたアプローチを組み合わせる必要があります。

私たちは、まず人類間の平等を実現してはじめて、自然との間にバランスを確保することができるのです。

リオ+20において各国政府は、自然の商品化と金融化を支持するようなグリーンエコノミー政策を注意深く見極めるとともに、「自然は神聖なもので売り物ではないこと、そして、母なる地球の生態系には独自の環境保全・保護能力が備わっている」という認識に始まる新たな法的枠組みを共同で作り始めなければなりません。

先住民コミュニティーの土地所有を全面的に認めることこそが、世界の豊かな生物及び文化の多様性を保護していくうえで最も効果的な方策なのです。

Q:今日の先住民族の生活にとって最大の脅威は何でしょうか。そしてそれにどう対処できるのでしょうか。

A:世界各地の先住民は、持続可能な生態系、生物多様性が辛うじて残っている最後のホットスポットに生活し、危機に瀕した環境の保全に貢献しています。

しかし破壊的な鉱物採取産業が先住民族の伝統的な土地に侵入してきています。現実に気候変動をもたらしている常軌を逸した石油採掘やエネルギー開発は、南から北まで世界各地の先住民族の生活に直接的な影響を及ぼしています。

先住民は、持続可能な開発に大きく貢献することができます。しかし、そのためには持続可能な開発を可能にするための全体的な枠組みが推進されるべきだと考えています。

人権を侵害する開発は、本質的に維持できないという理解を踏まえて、リオ+20では、持続可能な開発の在り方として人権に主眼を置いたアプローチが採択されなければなりません。

そのためには、とりわけ、先住民と持続可能な開発に関するあらゆるレベルの政策・プログラムの根拠となる「先住民族の権利に関する国連宣言」を、持続的開発のための主要枠組みとして機能させなくてはならないと思っています。

Q:最近、NGOの中には、1992年のリオでの合意がひっくり返されて、ビジョンを追求するためにリーダーシップをとる国がなくなってしまったという批判があります。新しい取り組みを導き出す希望が依然としてあるでしょうか。

A:気候の混乱、不安定化する金融、生態系の破壊のために、世界には1992年の合意をひっくり返すという選択肢はありません。

世界の指導者らは、1992年のリオ地球環境サミットに先住民族が積極的に参加したこと、先住民族が同時並行的に作り出したプロセスの中で「カリオカ先住民族宣言」が出てきたことを忘れてはなりません。

アジェンダ21は、先住民が持続可能な開発において果たす重要な役割を認めた「カリオカ先住民族宣言」の条文を受入れ、先住民族を(アジェンダ21を推進する)主たるグループとして認定しています。リオ+20では、1992年のリオ地球環境サミットが先住民に対して行った公約が再確認されなければなりません。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|麗水世界博覧会|今年の万博は、危機に瀕した海の救済がテーマ

【国連IPS=タリフ・ディーン】

5月12日、韓国は今年最大の画期的なイベント「世界博覧会2012」を主催する。きらびやかな建築群が会場を埋め尽くす今回の万博は、1851年に蒸気機関を展示した近代最初の国際博覧会(英国ロンドンで開催された『万国産業製作品大博覧会』)に始まる161年に及ぶ万博の伝統を受け継いだものである。

ロンドン万博後の歴史を紐解くと、例えば1876年にアメリカ独立100周年を記念して開かれたフィラデルフィア万博では電話の発明が披露され、1885年のアントワープ万博(ベルギー)では、自動車が展示会の目玉となった。

アジア有数の経済大国韓国が主催する「2012麗水(ヨス)世界博覧会」のテーマは、「生きている海、息づく海岸」で、人類のふるさとである海で人間と地球の新たな共存を模索し目の前の環境問題を人類が力を合わせて克服しようという理念が掲げられている。

国連によると、世界の主な海洋生態系の約6割が、乱開発による被害を受けている。

中国で2010年に開催された前回の上海国際博覧会では、「より良い都市、より良い生活」がテーマに掲げられた。また2015年にイタリアで開催が予定されているミラノ国際博覧会のテーマは、「同市の文化遺産」になる予定である。

産業団地と海洋公園を擁する韓国南部有数の港湾都市麗水市で開催される「世界博覧会2012」では、21世紀における海洋科学技術の成果が紹介される予定である。

また、今回の万博は「グリーン博覧会」を称されているように、テーマ面で6月中旬に開催予定の国連持続可能な開発会議(リオ+20)との調和が図られている。

国連は韓国館に次ぐ最大規模の展示館「国際機関館」を建設し「2012麗水世界博覧会」では重要な役割を果たす予定である。

国連は、「地球表面の70%以上が海に覆われていることから、人類の命は海と密接に繋がっている」と指摘した上で、「海は地球上の淡水の40%以上と私たちが呼吸する酸素の75%を生成する、文字通り地球の心臓と肺の役割を担っているのです。」と述べている。

また国連は、「2012麗水世界博覧会」を通じて、海面上昇と地球環境の悪化により消滅の危機に直面している海、沿岸、島嶼地域の保存と持続可能な使用に対する意識を高めたいとしている。
 
主催者によると、「2012麗水世界博覧会」は長い万博の歴史の中で初めて環境指針が導入された博覧会で、カーボンニュートラルをはじめ、太陽光・海洋温度差エネルギーを使用した環境にやさしい建造物や交通システムなど、先端グリーン融合技術を駆使した施設整備と運営が行われる予定である。

韓国政府は、5月12日から8月12日まで開催する「2012麗水世界博覧会」の施設整備に19億ドルを超える投資を行ったほか、開催に合わせて、首都ソウルと麗水を結ぶ高速鉄道や道路の新規建設、観光インフラ整備に110億ドル近くの予算を投じている。

「2012麗水世界博覧会」には、3カ月の開催期間中に韓国内外から約1100万人の来場が見込まれている。

「2012麗水世界博覧会」担当国連事務局長サミュエル・クー大使は、IPSの取材に応じ、「これまでオリンピック、ワールドカップ、G20サミットをホストしてきた韓国にとって、世界博覧会の開催は、経済、技術、文化大国としての国のイメージを国際社会に示す絶好の機会です。」と語った。

またクー大使は、「今回の世界博覧会は、韓国の観光振興、雇用促進とともに、海洋資源に恵まれながらも従来比較的開発が遅れていた韓国南部沿岸の中心都市麗水市の発展に弾みをつけることになるでしょう。」と指摘した。

今回の万博は、政府のみならず、韓国大宇造船海洋を含む韓国の大手企業が共同参画し、韓国の伝統と最新技術が融合した一大イベントとなっている。

さらにクー大使は、「そしてなによりも、今回の万博を通じて、韓国の人々が海洋の保全と開発に対する共通の責任感を一層深め、国際社会との協力を一層推進していく機会になるでしょう。」と語った。

「2012麗水世界博覧会」には、105の国々と24の国連機関、並びに韓国の巨大複合企業が参画し、それぞれが最新技術を駆使した展示館を建設している。また、3カ月の会期中、韓国全ての道(地方行政区分)及び主要都市も博覧会会場に出展する予定である。さらに、米国、中国、日本、ドイツ、フランス、スペインを含む少なくとも50カ国が独自の展示館を開設する予定である。

さらに途上国50カ国が、太平洋ゾーン、大西洋ゾーン、インド洋ゾーンからなる共同展示館を設立し、参加する予定である。

各展示館の特徴をみると、フランス館が「海水からの脱塩」、ドイツ館が「海洋・沿岸科学技術の成果」、ロシア館が「海と人-過去から未来へ」、米国館が「多様性と驚異、そして解決策」等…「2012麗水世界博覧会」のメインテーマに合わせて、独自の趣向を凝らしたテーマを打ち出している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝

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|アジア|拡大核抑止の危険性

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

今年4月には北朝鮮による長距離ロケット発射実験が失敗して間もなく、インドとパキスタンが相次いで核搭載可能な弾道ミサイルの発射実験を行った。そうした中、シドニーに本拠を置くローウィ国際政策研究所が、核軍縮を妨げているのはアジアの戦略的な不信にあるという報告書を発表した。

ローウィ研究所国際安全保障プログラムのディレクターであり、『疑念を抱く(Disarming Dout):東アジアにおける拡大抑止の将来』と題した報告書の主編者でもあるローリー・メドカルフ氏は、「アジア地域の核軍縮はこの戦略的な不信のために停滞している。」と論じている。

 とりわけ、北朝鮮が挑発的な核・ミサイル開発を続け、日本と韓国が防衛手段を取らざるを得なくなっている。米国の核兵器によって守られている両国は、この米国による「拡大核抑止」の傘を弱めたくない。一方中国は、核兵器の拡大あるいは近代化に制限をかけたくない。さらに、中国・インド・パキスタンの不信と軍備競争のトライアングルは、アジアの核軍備管理と軍縮のまた大きな障害となっている。

メドカルフ氏は、通常兵器のコスト急増によって今後の米政権が米国の戦略的な「軸」において核兵器の役割を再びアジアで拡大するようなことがあれば、状況はさらに悪化すると考えている。

アジアは、急速な経済成長と戦略的な不安定さのために、徐々に軍備を増してきた。国際戦略問題研究所(ロンドン)は、2012年3月、アジア諸国の軍事支出が今年はじめて欧州のそれを上回るだろうとの見通しを示した。中国、日本、インド、韓国、オーストラリアでアジア全体の防衛支出の80%以上を占め、パキスタン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナムは、空軍力・海軍力を増強してきた。

混ぜ物の袋

ロウィ研究所の報告書は、アジアの核の危機を解きほぐすための政策勧告を各国に行っている。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)豪州支部管理委員会のメンバーであるスー・ウェアハム博士は、「勧告は混ぜ物の入った袋のようなものです。核兵器を使えばどんな場合でも破滅的な結果が待っていることは認識されているが、核兵器を廃絶するという論理的な目標は明示されていません。」と語った。

またウェアハム博士は、「拡大抑止は自存の危機があるときにのみ使われるべきであるという勧告は、抑止は攻撃を避けるための正当かつ効果的な方法であるという神話が根強いことを示しています。もし大量破壊兵器を抑止として利用することが正当であるならば、なぜ米国やその傘の下にある国、さらには中国にとってそれが正当なものであるのに、北朝鮮にはそれが認められないのかを説明する必要があるでしょう。核兵器を持ってよい国と持ってはいけない国があるという書かれざるルール、そして長続きはしないルールには、疑問が呈されていないようです。」と語った。

さらにウェアハム博士は、「勧告はまた、アジアにおける米国の役割は必要かつ安定をもたらすものであって、中国もそれを受け入れるべきであるものとして描かれています。しかし、オーストラリア人の立場から言えば、オーストラリアが米国の軍事政策を強く支持することでアジアに送られる負のシグナルに関して、私の国ですら懸念が広がっていることを認識しておく必要があります。」と付加えた。

米国のバラク・オバマ大統領は、戦術核と核弾頭の備蓄も含め、米ロ間でのさらなる二国間削減を呼びかけ、中国に対しては、米国との核問題対話を開始するようあらためて求めている。

二つの課題

グリフィス大学アジア研究所のアンドリュー・オニール教授は、アジアにおいて軍縮を進める上での課題は二つあるという。オニール教授は、その第一点として、「欧州との大きな違いであるが、アジアには正式な軍備管理の枠組みが何もなく、核弾頭やミサイル備蓄はいうに及ばず、一般的に言って軍事力削減のための重要な交渉が行われた歴史がないのです。」と説明した。

さらにオニール教授は、第二点として、「この地域には5つの核兵器国があり(米、中、印、パキスタン、北朝鮮)、冷戦後に3国も増えました。アジアの全ての核兵器国が、未解決の政治的問題/紛争が解決されるまでは、軍備/核兵器削減を開始しないとの姿勢をすでに明らかにしています。とりわけ中国は、米ロが中国と同レベル(核弾頭150~200発)までそれぞれの備蓄を減らしてこないかぎり、自国の削減には応じないと明言しています。」と語った。

軍縮に向けた真の進展を困難にしているのは、地域各国間の根本的な安全保障のジレンマである。『オーストラリア国際関係学雑誌』の編集長でもあるオニール教授は、「米国が、中国との関連で徐々に見え始めている通常軍備上の脆弱性と、日本と韓国で北朝鮮の軍備強化に対して増している不安をカバーするために、核の優越性を求めようとする結果、拡大抑止の重要性はおそらく増してくることになるでしょう。」と述べている。

ロウィ研究所の報告は、信用と信頼を構築するプロセスと地域に安全性をもたらす機構を作り出すことは、歴史、領域権問題、ナショナリズム、資源上の制約、変化する戦略バランスなど多くの理由によって、なかなか難しいであろうと見ている。

冷戦の歴史を理解する

シドニー大学のレオニッド・A・ペトロフ講師(韓国研究)は、「朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の問題にうまく対処するには、冷戦の歴史とそれが地域に与えた結果を想起し理解する必要があります。対話あるいは協力をしようとするなら、朝鮮間紛争の現実を考慮に入れねばならなりません。朝鮮戦争はまだ終わっておらず、分断された朝鮮の片方に地域の大国が肩入れし、他方にいやがらせをしようとすれば、朝鮮の分断は続くことになるでしょう。」と語った。

ペトロフ博士は、北東アジアの紛争を終わらせる第一ステップに関して、「大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が互いを国家承認することが必要です。外国軍や紛争関係にある同盟に立場を与えない(中立で非核という)特別の地位を朝鮮半島に与えるべきなのです。唯一これのみが、朝鮮における覇権をめぐる100年にも及ぶ外国間の角逐に終止符を打ち、朝鮮両国の和解を可能とするでしょう。そうでなければ、中国、ロシア、米国、日本が、地域における互いの意図に関して疑念を持ち続け、それぞれの国家安全保障に対して統一朝鮮が与える脅威が相当なものになりそうだと恐れを持つことになるでしょう。」と語った。

ペトロフ博士は、分断された朝鮮のそれぞれとの外交的関係を強化し経済協力を拡大することで、米国や(豪州などの)その同盟国は、核問題の平和的解決に重要な貢献をなし、地域の永続的な平和と繁栄のための基礎を築くことができるであろうと考えている。

他方、米国でのある研究は、インドとパキスタンが核交戦に及ぶことになると、世界で最大10億人が餓死することになるであろうと警告している。また同研究は、「限定的」な戦争でも、重大な気候上の変動を引き起こす可能性があると指摘している。米国のトウモロコシ生産が10年にわたって10%、大豆生産が7%減る可能性がある。また中国のコメ生産は、最初の4年間で21%減ると見られている。

9つの国が2万530発の核弾頭を保有し、そのうち95%は米ロが保有している。「米ロの核兵器だけが全世界への脅威となっているのではありません。はるかに規模が小さい(米露以外の)核戦力でも、人類全体とまでは言わないにしても、文明の存続に関わる脅威となっているのです。」と、核戦争防止国際医師の会(IPPNW)とその米国支部「社会的責任を求める医師の会」が作成した報告書『10億人を危機に晒す核の飢餓ー限定核戦争が農業・食料供給・人類の栄養に与えるグローバルな影響』の著者であるイラ・ヘルファンド博士がAFP通信の取材に対して述べている。

この研究は、すべての核兵器国が核兵器への依存を低下させ、全ての核兵器を完全に禁止する「核兵器禁止条約(NWC)」の交渉へと可能なかぎり早く移る火急の必要があることを訴えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|国際報道の自由デー|政府に狙われるジャーナリストとネチズン

【国連/メキシコシティーIPS=J.トレブリン、E.ゴドイ】

2年前、アシュカン・デランヴァール氏はイラン当局に逮捕され、劣悪な環境に2週間収監された後、10か月の禁固刑を言い渡された。

彼の罪は何だったのだろうか?学生ブロガーでコンピューター技術者のデランヴァール氏は、当局のインターネット監視フィルターを潜り抜けるソフトウェアを「人々に提供しその使い方を指導した罪」で有罪判決を受けたのである。

デランヴァール氏は最終的にイラン国外に逃亡することに成功し、現在ドイツに亡命申請を出している。デランヴァール氏は、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが把握している、イランのサイバー犯罪法(2009年施行)の下で裁かれ、有罪判決を受けた最初の人物である。

 「ブロガーは、他者に知らせることを自分の義務だと考えます。しかしイラン当局は、日常生活や政治動向の分析に加えて、当局が検閲で阻止したニュースまで伝えようとする彼らの存在を、脅威と捉えているのです。」とデランヴァール氏はアムネスティーに対して語った。

国際報道自由デー」にあたる5月3日、人権擁護活動家らは、「ジャーナリストやサイバー活動家は、報道の自由を憲法で保障していない国や(保障していても)政府があえて無視する国々において、近年ますます迫害に晒されるようになっている。」と述べている。

2011年はこれまでで最悪の年

アムネスティ・インターナショナルによると、今やオンラインで当局を非難することは極めて危険な行為となっており、多くの国において2011年はオンライン活動家にとって最悪の年となった。

ソーシャルメディアは、「アラブの春」の際にみられたように、今や当局に対する抗議運動を組織できる有効なツールとしての確固たる地位を獲得した。これに伴い、ツイッターやフェイスブックといったソーシャルネットワークを駆使する市民「ネチズン」も、ジャーナリストと同様の危険に晒されるようになっている。

「2012年の初頭以来、5日に1名のペースでジャーナリストが殺害されています。またその他にも、世界各地で121人のネチズン並びに161人のジャーナリストが、彼らの権利と義務を遂行したことが原因で投獄されています。」と、国境なき記者団のデルフィン・ハルガンドワシントン所長は、5月3日に開催された「国際報道自由デー」記念レセプションで語った。

一方ニューヨークに本拠を構える「ジャーナリスト保護委員会」は、さらに大きな数値を挙げている。同団体によると、2011年に収監さえたジャーナリストの総数はその前年実績を2割を上回る179人で、1990年以来最悪の数字となった。

強まる当局によるインターネット規制

中国から、シリア、キューバ、アゼルバイジャンに至る多くの国々では、政府当局が検索エンジンを検閲し、法外なインターネット接続料金を課し、フェイスブックやツイッターのパスワードを入手するために活動家を拷問し、オンラインにおける言論を制限・管理する法律を議会で通過させている。

こうした当局による締め付けは「アラブの春」の際、エジプトで典型的に見られた。当時、ホスニ・ムバラク政権は、インターネットのみならず携帯通信網も封鎖したのである。

ウィドニー・ブラウン国際法・政策上級部長は、プレスリリースの中で、「デジタル空間が一般に普及したことにより、活動家らは、互いに支え合いながら、世界の人権、自由と正義のために闘えるようになりました。」「政府当局がオンラインジャーナリストや活動家への攻撃を加えているのは、こうした勇気ある個人がインターネットを駆使していかに効果的に当局に挑戦を仕掛けてこられるかを理解しているからなのです。」と語った。

しかしジャーナリスト、ブロガー、活動家らは当局のインターネット規制の網を潜り抜け、世界の何百万人もの人々に自らの主張を訴える新たな方法を見つけ出している。

いくつかの国々では、活動家らは自らのアイデンティティを保護するため、投獄されたり殺害された仲間のツィッターやフェイスブックアカウントを使用して活動を続けている。

世界的な傾向

独裁傾向が強い旧ソ連構成諸国では、今年になって既に、独裁権力の強化、反体制派の弾圧、言論の封殺、デモの鎮圧が発生している。

2011年末の大統領選挙が大きな批判をあつめたベラルーシでは、数名の著名な反体制派活動家とNGO団体の指導者が逮捕・拘禁されている。

ハンガリーは2011年に厳格なメディア規制法を国会で成立させたことから、欧州加盟諸国より厳しい非難に晒されている。

ラテンアメリカでは、ホンジュラスとメキシコがジャーナリストにとって最も危険な国である。

2012年上旬、ホンジュラスの人権活動家でジャーナリストのディナ・メッサー氏は、彼女に対する性的暴行を示唆する脅迫を繰り返し受けている。4月6日、メッサー氏は子どもと近所を散歩していたところ、2人の男が自分の写真をとっていることに気付いた。

4月28日、ジャーナリストのレッジーナ・マルチネス氏の遺体がメキシコ、ベラクルス市の自宅で発見された。レッジーナは、政治雑誌「プロセッソ」の記者で、それまで30年以上に亘って、メキシコの治安問題、麻薬取引、不正・腐敗に関する報道を続けてきた。地元当局は、この殺人事件を捜査すると明言した。

「メキシコでは、ニューメディアの使用が益々浸透してきましたが、一方で昨年の状況を見る限り、ジャーナリストらは、数年前には想像もできなかったような攻撃に晒されるようになっています。」と、ニューヨークを拠点にしているNGO「フリーダムハウス」のカリン・ドイチュ・カーレカー(報道の自由担当)ディレクターは語った。

人権保護団体によると、メキシコでは2000年以来、少なくとも65人のジャーナリストが殺害されており、行方不明者も少なくとも10人に及んでいる。

「国際報道の自由デー」の前夜、2人の報道写真家のバラバラ遺体がメキシコ東部のベラクルス州で発見された。

「メキシコでは近年報道の自由は後退を余儀なくされてきており、深く憂慮しています。なかでも深刻なのは、殺人事件が起きても捜査されないことが少なくないため、罪を犯しても罰せられないという事態がまかり通っていることです。」とドイチュ・カーレカー氏は語った。

メキシコ上院は、脅迫されているジャーナリストと人権活動家を保護する新たな法律を承認した。しかし、状況は引き続き深刻なままである。

「ジャーナリストを脅迫したり殺害しても罰せられないままになっている事例があまりにも多すぎます。国連は、各地で頻発するジャーナリストに対する襲撃事件について、全ての加盟国に対して、法的枠組みを強化するとともに、そうした事件を捜査するよう、一層働きかけを強める所存です。」と5月3日に国連本部で開催された「国際報道の自由デー」記念レセプションに出席した潘基文事務総長は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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