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平和の文化構築を呼びかけた反核展示会

【ベルリンIPS=カリーナ・ベックマン】

どちらの世界が安全か?― 重武装した現在の世界か、全ての人々の基本的ニーズが満たされた世界か ―これが、28カ国・地域、220都市以上を回りドイツに到着した核廃絶展のテーマの1つである。

3月の日本の福島原発事故による原発の被害は、核による安全性の限界を世界に知らしめた。この疑問は今、これまでになく、正当なものとなっている。

Daisaku Ikeda/ Photo credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo credit: Seikyo Shimbun

 10月7日、「核兵器廃絶への挑戦」展の開幕式がベルリンで行われた。池田博正創価学会インタナショナル(SGI)副会長は、ドイツの首都を「平和の都市」として称えた。

さらに、1945年、16万人以上を一度に殲滅した広島・長崎に投下された原子爆弾、その唯一の被爆国である日本にとって、ドイツの反核運動は1つの善きモデルとなると述べた。

この展示は18対のパネルから構成されており、核兵器の脅威を写真・文章を通して訴え、平和・軍縮・不拡散を後押しするテーマを様々な角度から盛り込んでいる。

SGIは、一人ひとりの変革と社会貢献を通して平和・文化・教育を推進し、世界に広がる在家仏教運動で、メンバーは1200万人以上を超える。人類にとって大きな脅威の一つである核兵器の廃絶にも取り組んでいる。
 
ベルリンでの展示会開幕式で紹介されたメッセージの中で、池田大作SGI会長は、「私たちの眼前には、貧困や環境問題、また深刻な失業や金融危機など、各国が一致して立ち向かうべき『人類共通の課題』が山積しています。」「そのために必要な人的・経済的資源を犠牲にしてまで核兵器を維持することの愚かさが、今、一層明らかになっております。あくまで必要とされるのは、『安全保障』であって、『核兵器の保有』ではありません。」と述べた。

10月16日まで開催されるこの展示は、開発のためではなく戦争の文化のために資源を費やすことの愚かさを訴えている。現在、世界の国々は年間1兆ドル以上を軍事費や武器貿易に費やしている。これは、地球上の一人当たり173ドルにあたると説明する。

さらに、「世界の軍事費の10%未満にあたる700億-800億ドルがあれば、地球上のすべての人々に必要最低限の必需品を行き渡らせることができます。」と述べている。

核兵器については、未だに2万発以上の核弾頭があり、これは、世界中のあらゆる生物を何度も全滅させることができる数となっている。

池田SGI会長は、「『核兵器のない世界』という偉大なる目標に向かって、心ある政治指導者ならびに市民社会は、今こそ連携を密にし、その総力を結集すべき時を迎えています。」「その里程標ともいうべきものが、核兵器禁止条約(NWC)の実現であります。その早期交渉開始を、ここベルリンの地で、私は改めて強く訴えるものです。」と述べ、NWCへの早期交渉開始を、改めて訴えかけた。
 
池田博正SGI副会長は、100名余りの参加者を前に、核抑止論に挑むことの重要性を強調した。「核兵器は人間の安全保障に貢献しておらず、冷戦終結から20年が経った今日においては、『硬直した思考』です。」「冷戦が20世紀の最後に薄れていく中、地球的な核戦争の脅威も後退したように見えました。しかし世界は、核抑止論の構造や論理を解体する機会を逃したのです」と語った。

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SGI

日本人は一般的に、ヒロシマ・ナガサキのトラウマ的な経験の遺産として、核兵器に対して非常に否定的な態度を持っている。しかし福島の原発事故が起こるまで、核エネルギーの平和的利用については概ね受け入れていた。

寺崎広嗣SGI平和運動局長は、「原子力の安全性に対する疑問と代替エネルギーの確保という問題の狭間で、日本人は原子力発電にどう向き合うのかという問いが、改めて提起されることになりました。」「その目的に鑑みるとき、原子力発電を無条件に否定することは容易ではありません。また原子力発電が、エネルギー供給の点で今日一定の役割を果たしていることも事実であり、その現実から目を背けることも適切ではありません。」と語った。

また寺崎局長は、「原子力発電は、短期的・中期的には、代替エネルギーが開発されるまでの過渡的なエネルギーの一部として位置づける。」「原子力発電は、長期的に目指す再生可能なクリーンエネルギー社会実現過程における『つなぎ』の役割として限定するべきでありましょう。」とも語った。

「原子のつながりを断つ時が来ています。」とは、開発と平和のための組織である国際協力評議会(GCC)と共にベルリン核廃絶展の共催者である核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、ザンテ・ホール氏の言葉である。
 

Xanthe Hall
Xanthe Hall

ホール氏は、「発掘活動やウランの濃縮から使用済み核燃料の除去まで、核の生産の連鎖における全ての部分が、癌、遺伝子欠陥、環境破壊等、人類への脅威をはらんでいます。」と語った。

彼女の観点では、2022年までに全ての原子力発電所を閉鎖することを決めた後、ドイツが行っているように、核エネルギーを禁止するだけでは、十分ではない。その理由は、核生産の連鎖の中で、全ての部分が、放射能を生み、それ故に人類や環境を脅かすからである。

IPPNWは、ウラン発掘、ウラン兵器、核分裂性物質の生産の世界的な禁止、核物質の輸送の停止、包括的核実験禁止条約(CTBT)や核兵器禁止条約(NWC)の発効のために運動を展開している。

ホール氏は、「太陽や風が戦争を引き起こしたことはありません。ですから、核の鎖と核テロの脅威から私達自身を解放しましょう。私達の生きている間にこの目的が達成されることを望むものです。」と語った。

ドイツ連邦議会軍縮・軍備管理・不拡散小委員会議長を務める、ウタ・ツァプフ氏は、「残念ながら、いまだ平和は、人間精神の主体とはなっていません。新北大西洋条約機構(NATO)戦略はその良い例です。」と指摘した上で、「私達は、友達やパートナーに囲まれています。核の抑止論を放棄してはどうでしょうか。展示と共に問題に関わりましょう。平和の文化を構築し、核兵器の非人間的な不正を禁じたいと思う人々と共に、行動を起こしましょう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|カメルーン|娘を「守る」ために胸にアイロンをかける?

【カーディフIPS/SNS=エヴァ・フェルナンデス・オルティス】

「神さま、どうか私の胸を無くしてください。」ジョイス・フォーガブはブレスト・アイロニングに苦しめられた数か月の間、この言葉を毎晩唱えて神に祈ったものだった。カメルーンで4人に1人の母親が娘に施術しているこのぞっとするような慣習は、女性としての性的な発達を遅らせることを意図したものである。

ジョイスがブレスト・アイロニングの洗礼を受けたのは8歳の時であった。「母は平らな石を拾ってきて、それが焼けるまで数分間火に炙ったの。彼女はその石がとっても熱いことを知っていたから、自分の手は保護していたわ。そして石を持つとそれを私の胸に押し当てて、しっかりともみほぐしたの。私はあまりの痛さに家を飛び出したの。とてもおぞましい経験だわ。」と今は25歳になったジョイスは当時の経験を振り返った。

Dr. Sinou Tchana, whose mother tried to iron her daughter
Dr. Sinou Tchana, whose mother tried to iron her daughter

 ジョイスの経験はカメルーンでは珍しいことではなく、約4人に1人が幼児期に経験しているとみられている。ブレスト・アイロニングとは胸が膨らみ始めた少女に対して、通常、母親や叔母によって行われる伝統的な慣習で、熱した平らなものを胸に押し当て、成長を抑制、阻害しようとするものである。

ブレスト・アイロニングには器具として大半の場合、木製の乳棒や石が用いられる。その他、ココナッツの殻、研磨石、柄杓、へらが用いられることもある。いずれも炭火で注意深く熱したうえで使用される。

「ブレスト・アイロニングは、カメルーンの有史以来常に存在してきました。」と、産婦人科でカメルーン女医協会の副代表をつとめるシノウ・チャナ医師は語った。1990年代初頭、チャナ医師達はカメルーンの全10州をまわり、女性の性的特質に影響を及ぼす慣習に関する調査を行ったが、ほとんどの地域でブレスト・アイロニングが幅広く実施されている実態にショックを受けた。

「私たちはこの慣習は少女の身体にとって良くないことだと説明したのですが、少女の母親や叔母たちは『胸が大きくなりだすと、こうしてブレスト・アイロニングして発育を抑えるのは当たり前のこと。』と反論してくるのです。彼女たちは自分たちがしていることが危険なことだという認識が全くないのです。」とチャナ医師は説明した。

幅広く行われている習慣

カメルーンの女性協会『レナータ』は、2006年のレポートの中で、ブレスト・アイロニングは沿岸州(53%)と北西州(31%)の2つの地域で最も幅広く行われていると報告している。また同レポートは、ブレスト・アイロニングはイスラム教徒が多い北部(10%)よりもキリスト教徒と精霊信仰者が多い南部(30%~50%)においてより一般的だと報告している。

ブレスト・アイロニングはカメルーンで最も普及しているが、ギニアビサウや、チャド、トーゴ、ベニン、ギニア‐コナクリを含む西・中央アフリカでも見られる慣習である。

チャナ医師は、診療所でブレスト・アイロニングの加害者と犠牲者双方に遭遇するという。しばしば母親は娘に施術した時には実際自分が何をしているのか理解してないことが少なくない。チャナ医師は、ブレスト・アイロニングについて許しを求めるある母親のケースを思い出して次のように語った。

「この母親は、『先生、赦してください。私は自分が火傷してはじめて、娘がどんな痛みに苦しんでいたのか初めて分かったのです。』と訴えていました。彼女は娘の胸に石を押し当てた際に誤って自分の手を火傷し、この診療所に治療にやってきたのです。」

「火から石を取り出すと、まず左右どちらかの胸に押し当てるところから施術が始まります。この患者の娘の場合、この焼けた石で彼女の片胸は完全に破壊されてしまいました。もう一つの胸のダメージはそれほど深刻ではありませんでしたが、結果は同じでした。今、その娘の胸は左右不釣り合いなものとなっています。」とチャナ医師は語った。

ブレスト・アイロニングは女性の胸に2つの全く逆の効果をもたらす。この施術によって胸のサイズを大幅に縮小し平らな胸にする可能性がある一方で、胸の組織を破壊し筋肉や形状がない単なる脂肪の袋にしてしまうという全く逆の効果をもたらす可能性もある。ジョイスの身に起こったのは後者のケースである。

「私の胸はブレスト・アイロニングで壊されてしまいました。この問題は子供を儲ける前から抱えているので出産とは関係ありません。このために私は寝ているときも、授乳するときも常にブラジャーなしではやっていけないのです。」とジョイスは語った。

さらにチャナ医師は、「少女が本当に小さな胸をしている場合、家族が『適切なテクニック』で施術した結果といえます。つまり使われた石は熱すぎず、アイロニングは胸全体に均等になされたということです。一方、『不適切なテクニック』、すなわち熱すぎる石を早急に押し付けた場合、代償として、火傷と大きく膨れ上がった胸が残されることになります。いずれにしても、施術に失敗したからと言って胸の矯正には多額の費用がかかり、犠牲者は大きな重荷を負うことになるのです。」と語った。

また、ブレスト・アイロニングは、少女たちに耐え難い痛みと精神的なトラウマを残すのみならず、様々な健康問題に晒すことになる。多くの医学レポートによると、ブレスト・アイロニングは、腫物、痒み、幼児への授乳不能、感染、胸の奇形または消滅、嚢胞(組織にできた袋、中に液が入っている)、組織破壊、そして乳癌さえも引き起こすリスクがあることを指摘している。

「24歳で乳癌で死亡した女性を診察したことがあります。ブレスト・アイロニングのせいで胸の組織が完全に破壊された結果、乳癌が引き起こされることがあるのです。」とチャナ医師は語った。

ではなぜ?

こうした医療結果が明らかになっているにもかかわらず、カメルーンの少女の4人に1人はなぜ引き続きこのような拷問にも等しい慣習を強いられているのだろうか?57歳のカメルーン女性で8人の子供の母であるゼ・ジーンは、その理由として「少女の胸が大きくなり始めると、男たちが近づき、性交しようとします。そこで母親たちは娘たちが学業を続けられるように、ブレスト・アイロニングをせざるを得ないのです。」と語った。

ゼへの取材は、ヤウンデ中心街から20分の郊外ある彼女の自宅で行われた。椅子に座って取材に応えるゼの隣には娘のクラリスがソファで横になっている。ゼは、全ての娘について、胸が大きくなり始めた頃に、ブレスト・アイロニングを施術したと語った。

ゼはクラリスを指しながら、「彼女場合、9歳の時に胸が大きくなりだしたので、ブレスト・アイロニングで発育を止めなければなりませんでした。私は彼女の胸を破壊するためにしたのではなく、彼女を助けるためにしたのです。」と語った。

カメルーンの女性たちは、ブレスト・アイロニングを正当化するために多くの理由を挙げる。すなわちカメルーンの歴史的文化に根差している他に、少年少女の性的なコンタクトを避けるための手段であることを強調している。彼女たちによると、「女性としての性徴が身体に現れるのを抑制することで、母親たちは、娘が純潔を守り、子供を産める成熟した女性に見えないように保証している」とのことである。

こうした母親達の懸念は全く根拠がないわけではない。少女たちが早期に性交すれば、十代における望まない妊娠や危険な堕胎事例、さらには暴行や性感染症に晒されるリスクを高めることになる。多くのカメルーンの母親たちにとって、娘の発達しつつある胸を焼くリスクは、こうした早期性交に伴うリスクよりもはるかに受け入れられる選択肢なのである。「すなわちブレスト・アイロニングという習慣は、母親の娘に対する愛情と心配から生まれたものなのです。」と母親たちは主張した。しかし実際はそのとおりに機能しているのだろうか?

ブレスト・アイロニングの犠牲となった少女たちのほとんどは、施術は極めて激しい痛みを伴うもので、しかしそれによって男性からの性的な注目がそがれることはない、と主張している。
 
この点についてジョイスは「結局のところ、ブレスト・アイロニングは避妊のための最良の策とは言えません。なぜなら私のような施術の犠牲者でさえ妊娠できるのですから。私の場合、婚姻前に子供を出産したので、全く避妊に効果がなかったといえます。性に関する認識はむしろ頭の中の問題だと思います。すなわち年齢を重ねれば、自分の行いが引き起こすリスクについて慎重に考えるようになると思うのです。」と語った。

一方、ゼは異なる見方をしているようだ。彼女は、「ブレスト・アイロニングのお蔭で彼女も娘たちも早期に女性らしく見えることを回避でき、身を守ることができたと確信している。「私の娘たちは、ブレスト・アイロニングは伝統の一部だと受け入れてくれました。少女がまだ小さな段階で胸の発達を放置することは彼女の将来にも危険を及ぼすことになるのです。もし彼女が望まぬ妊娠でもしたら、その後の人生が大きく狂わされることになるのです。」と語った。

ゼは娘のクラリスがブレスト・アイロニングを受け入れていると主張しているが、クラリスの反応は異なっていた。将来自分の娘にブレスト・アイロニングを施すかどうか聞かれ、クラリスは、「私は絶対娘にしたくありません。」と回答した。

カメルーンでは性に関する話はタブーであり、多くの少女たちが理由も知らされずブレスト・アイロニングを受けている。「9歳の子はセックスについて知識がありませんから何も説明しませんでした。しかし娘が11歳になり『9歳の時、どうしてあんなことしたの?』と聞き始めたのである程度の理由を説明したのです。」とゼは語った。

一方ジョイスは、焼けた石を胸に押し当てられた瞬間に母に理由の説明を求めた。「母は、私は胸をもつには幼すぎるって言ったわ。そしてこのまま胸が大きくなるままに放置したら男の人たちが言い寄ってくるって。母はまた、胸が大きくなると背が高くならないって言ったわ。」と、ジョイスは当時を思い出しながら語った。

男性は蚊帳の外

29歳のカメルーン人男性のジョセフ・ンゴンディは、26歳の時に初めて、ブレスト・アイロニングというものを知った。彼は新しいガールフレンドと初めてホテルで一夜を過ごすところだった。しかし彼女が上半身を脱ぐと、彼が見たものは、胸ではなく平らな胸部の上にある2つの黒いしみのようなものだった。

「その時、あまりのショックに頭の中で、『この娘に何が起きたのだろう。何かの病気にでも罹っているのではないか。』と自問自答したのです。すると私の怪訝そうな表情に気付いたようで、彼女は胸を隠し恥じ入っているようでした。」

ンゴンディは彼女に事情を尋ねたところ、11歳の時に母からブレスト・アイロニングを施術されたことを打ち明けた。「彼女にとってブレスト・アイロニングの経験を他人に話すのは勇気のいる決断だったと思います。」とンゴンディは語った。

とりわけブレスト・アイロニングが慣習というよりも避妊を目的として施術されている都市部においては、多くの男性がその存在を知らないままでいるのが実態である。ンゴンディの場合も、それまでブレスト・アイロニングについて全く理解していなかった。「私はその娘から話を聞いて初めてブレスト・アイロニングとはどのようなものなのか知ったのです。それまでは、言葉としては聞いたことがありましたが、それがどのようなものなのか誰も説明してくれなかったのです。」とンゴンディは語った。

避妊手段としてブレスト・アイロニングを施術する母親の多くは、親戚にもそのことについて話をしないという。女性協会『レナータ』のジョルゲッテ・タク事務局長はこの点について、「家庭内で性教育に関する会話が全くない家庭も少なくなく、ブレスト・アイロニングについても隠して話題にしない傾向があります。さらに、子どもの監督責任は母親にあるとされており、もし少女が妊娠するようなことになると母親が責められることになるのです。」と説明した。

タク事務局長によると、カメルーン家庭では、十代の未婚の娘が妊娠すると、父親は娘のみならず母親も家から追い出すことができるという。

一方、ブレスト・アイロニングが避妊手段としてよりも伝統的儀式として行われている農村部においては、男性も十分認識している。「なにも隠すものではありません。伝統に則ったもので悪いことではないのですから、家族全員が見守ればいいのです。」とゼは語った。

ブレスト・アイロニングの犠牲となったジョイスは、この点について「農村部では家庭によっては男性が施術をすることもあります。例えば妻が亡くなっている場合、娘にブレスト・アイロニングを施すのは父親の義務だと考えられているのです。」と語った。

「おばあちゃんが私に火傷を負わせようとしているの」

「ママ、ママ…急いできて!おばあちゃんが私に火傷を負わせようとしているの!」これはチャナ医師が1997年に娘のカトからの電話で聞いた娘の必死の訴えである。

「彼女は当時11歳で私の故郷バンガンテ村で休暇を過ごしていました。私の義理の母はベテランの助産婦で、娘カトのブレスト・アイロニングを施術したがったのです。私はその時の娘の声が忘れられません。彼女は恐怖で慄いていました。私は娘に『心配しないで。今そちらにいくから。おばあちゃんには、ブレスト・アイロニングを受けるときにはママに同席してほしいと言いなさい。』と指示したのです。」

すでに金曜日の午後7時で、チャナ医師は車を運転して娘の待つ村に急行した。「義母は娘が私に電話したことを大変憤慨していました。私は『自分は医者だし、あなたよりもこういうことには知識があります』と言って義母に施術をやめるよう迫ったのです。すると義母は『私も助産婦だから十分に知識がある』といって反論してきました。結局、施術はなされませんでした。私はどんなことがあっても決して許可しなかったでしょう。」

起源

ブレスト・アイロニングの地理的な起源については明らかでない。多くのカメルーン人が農村地帯が起源と主張する一方で、2007年版のドイツ技術協力公社(GTZ)による報告書には、「農村部より都市部で多く実践されている」と記されている。

首都のヤウンデ(1888年設立)や経済の中心地で同国最大のドゥアラのような都市がカメルーンに出現したのは100年余り前に過ぎない。この観点からみると農村起源説が有力である。また、農村起源説の背景には、ブレスト・アイロニングが都市部においてより公に非難されている事情が影響しているものと考えられる。

にもかかわらず、都市起源説にもある程度の説得力がある。カメルーンでは都市部における少女の就学率が農村部よりもかなり高いことから、母親たちが望まない妊娠という負担から娘たちを解放するためにブレスト・アイロニングを施術する動機に駆られるのも無理のないことだろう。

チャナ医師は、施術は都市部と農村部双方で行われているが都市部の方がリスクが高いとして、「ブレスト・アイロニングが引き起こす激痛から、多くの少女が家出しています。農村部だと、叔母や、村長や、近隣住民の家に駆けこめるのですが、都市部では多くの危険が外には潜んでいます。」と語った。

皮肉なことに、ブレスト・アイロニングは結果的に望まない妊娠の原因となってしまっている。この点についてチャナ医師は、「家出した少女たちの多くは、何も持たずボーイフレンドの元に駆け込みます。このような状況で、ボーイフレンドから性交を求められたら断るのは難しいものです。」とチャナ医師は語った。

腹部も標的に

残念ながら、カメルーンにおいて「アイロニング」の対象は胸だけではない。出産後のマッサージとして知られる「ベリー(お腹)アイロニング」といわれる危険な慣行も残っている。しかも、女性協会『レナータ』によると、ブレストアイロニングよりも幅広く行われていて、同様に女性に肉体的・精神的傷を残しているとのことである。

ベリーアイロニングでは、まず、熱湯に浸した伝統的な箒(ほうき)で出産直後の女性のお腹を叩く。続いて、同じく熱湯に浸したタオルで体の各部をマッサージするのである。またいくつかの地域においては、湯気が膣と子宮に届くよう、女性が熱湯を入れたバケツに腰掛けさせられる場合もある。

このような慣行は、火傷、膣への感染、子宮頚部の損傷を引き起こしかねない。しかしカメルーンでは伝統的に出産後に残った血を取り除くことが重要と考えられていることから、多くの女性が無批判に受け入れている傾向にある。

「ブレストアイロニングをされている少女の絶叫は、早朝でも近所の人々を起こすほどですから、外を歩いていても自然と気付くものです。」とレナータのガイドは語った。

首都ヤウンデの住宅街を歩いていると、少女の切羽詰まった叫びが家の中から聞こえてくることは珍しくない。外国人は「何が起こっているのだろう?」「その少女は大丈夫だろうか?」と心配するものだが、対照的にカメルーン人は少女の叫びにはまったく注意を払わず、なにもおこっていないかのように日常の営みを続けている。

性徴の現れ

女性を傷つけてきた伝統的慣習は、人類の歴史を振り返ると、中国の纏足(てんそく)、助骨を締め付けるコルセット女性器切除、中世の貞操帯など、枚挙に暇がない。しかし女性にとって拷問に等しいこうした慣習に共通していることは、女性の貞操を守り、(その時代の概念に基づいて)女性をより美しくする、という男性の要望を満たすことを目的としている点である。
 
しかしブレスト・アイロニングの場合、このカテゴリーに当てはまらない。この慣習は、男性に利するのではなく、むしろ男性の注目から少女を守るため、つまり「少女自身のため」という理屈で、女性によって行われてきた、数少ない虐待の事例である。
 
 カメルーン社会を理解するためには、この社会における胸に対する考え方を理解しておくことが必要である。「胸が大きくなりはじめることは、性交が可能になったこと、すなわち結婚適齢期に達したことを意味するのです。」とレナータの広報担当であるタクは語った。
 
学生時代、ジョイスは胸が育ってきていることを仄めかす「ミスロロ」という名前で揶揄された。「当時、私はとても恥ずかしいと思ったの。『両親が私にブレスト・アイロニングを施術するということは、私は胸を持ってはならな』いということだから、胸が育ってくるということは何か悪いこと、タブーだったのよ。だから、まわりの人に胸を見られないように、胸を手で隠して歩いたものだったわ。当時は、なにか常に囚われている、自由でない感じがしたの。」とジョイスは語った。
 
ゼは、母親からブレスト・アイロニングを施術され、自らも全ての娘に施術した。そしていつの日か、孫にも施術するつもりである。彼女はブレスト・アイロニングを施術することについて、誰にも説明する必要はないと考えている。「バンツー族のほとんどの人々は、特に説明する必要もなく、伝統の一環として行っているだけです。ブレスト・アイロニングは、そのように自然と受入れられるべきものなのです。」とゼは語った。このように、カメルーンの少女たちの大半は、ブレスト・アイロニングの慣習について、ただ受入れ、ジョイスがしたように神に胸が無くなるように祈ることを期待されているのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

│南スーダン│ハンセン病とたたかう人々

【ジュバIPS=ダニエル・バティスト】

一見したところ、ジュバ郊外にあるロクウェ村は南スーダンの普通の村と同じように見える。しかし、地元の診療所を見てみると、ここが普通の場所とは違っていることに気づく。

何十人もの患者が、日光を避けて屋根の下に入ろうとしている。四肢が曲がっている人も少なくない。歩きまわれる人もいるが、歩くのもやっという人もいる。ここロクウェは、ハンセン病患者が身を寄せる場所なのである。

After a lifetime of struggle, Laurence Modi hopes to improve his home and one day start a family. Credit: Simon Murphy
After a lifetime of struggle, Laurence Modi hopes to improve his home and one day start a family. Credit: Simon Murphy

 エルコラン・オンヤラさんが自分の足にあるできものに気づいたのは13歳のときである。そのときはそれが何だかわからず、もっと痛いできものが体中に出てきたときに、初めてそれを母親に見せた。自分自身の病気からいったいそれが何であるかを悟った母親は、動揺を隠せなかった。エルコランさんは、母親と同じように、ハンセン病にかかったのである。

彼はじきに、肌の感覚がなくなり、傷が感染し始めた。病状が悪化するころには、もう母親は亡くなっていた。

エルコランさんの家族は、彼をどう治療していいかわからなった。しかし、ハンセン病の患者が教会の信徒らによって世話を受けているという村のことは聞いたことがあった。エルコランさんの兄が彼をそこに連れて行ったのは1976年のことである。受け入れたのはセントマーチン・デポレス信徒団であった。

他の患者らと同じように、エルコランさんは手足の感覚を失いつつあった。19才のとき、彼を悲劇が襲った。「夕食を作っていて、火にかけたポットを手にしようとしたのです。暑さは感じなかったのに、ひどいやけどをしてしまいました。僕は、指と手の一部分を失ってしまったのです。」

信徒団の運営する診療所は、慢性的な資金不足に悩んでいた。止むことのない内戦によって、医薬品の供給はきわめて不安定。それでも彼らは、何とかして村のハンセン病患者らを救おうとした。

ハンセン病が治ってからも村にとどまる元患者は少なくない。なぜなら、貧困状況の中で障害を抱えたまま外の世界で生きて行くのはきわめて困難だからだ。

内戦は続いていた。しかし、皮肉なことに、ハンセン病への偏見が村を救うことになった。何も奪うべき物がなく、行けば病気をうつされると誤解されたため、村が襲われることはなかったのである。

南スーダンが独立して、人々は国の行く末に希望を持っているが、エルコランさんは懐疑的だ。「これまでここには何の発展もなかった。政府は僕らのことなんか気にかけてはいない。事態が変わればいいが、もうちょっと先を見てみないとね。」

世界のハンセン病患者は減っているが、政府から村への援助はきわめて不十分で、国際的なドナーからの援助に頼っている状態である。スコットランドカトリック国際支援財団(SCIAF)は、「スーダンエイド」の支援を得て、南スーダンの人々に、蚊帳481張り、フライパン400個、敷布団400枚、毛布400枚、水汲みバケツ400個などを提供した。

また、地元での雇用創出や住宅の修理などのプロジェクトも進行中である。

南スーダンのハンセン病患者の集まる村について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

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核実験禁止にまた一歩近づく

【ベルリンIDN=エヴァ・ウェイラー】

いくつかのハードルをまだ乗り越える必要があるものの、世界がまた、すべての核爆発を世界中どこでも、誰によるものであっても禁止する世界的な条約の発効へとまた一歩近づいた。包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会は、9月20日、ギニアが155番目のCTBT批准国になったことを発表した。

西アフリカにあるギニアは貧しい国ではあるが、ボーキサイトの埋蔵量が世界の25%以上を占めるなど、天然資源が豊かである。人口は約1000万人で、ダイヤモンドや金、その他の金属も産出する。

 水力発電の潜在力も高い。ボーキサイトとアルミナ(アルミニウムの天然または合成の酸化物)が現在の唯一の主要輸出産品である。また他の産業には、ビールやジュース、ソフトドリンクの加工工場、タバコなどがあり、農業人口が、国の労働力の8割を占める。フランスによる植民時代及び独立初期においては、バナナ、パイナップル、コーヒー、ピーナッツ、ヤシ油が主要輸出産品であった。
 
 CTBTOのティボール・トート事務局長は、「核実験禁止に向けたアフリカの貢献を一層強化し、世界の他の国々にとっても強力な導きの光になる」として、ギニアの批准を歓迎した。

この発言の背景には、アフリカ非核兵器地帯(ANWFZ)が、2009年7月15日、ペリンダバ条約発効によって創設されたことがある。この条約の名は、南アフリカ原子力公社が運営していた核研究センターのあった場所にちなんでいる。ここは、南アフリカ共和国が1970年代に核兵器を開発・製造し、その後貯蔵していた場所である。プレトリアの西33kmのところにある。

ウィーンに本拠を置くCTBTOは、「核実験への扉を閉めろ!」というキャンペーンを始めている。その趣旨は次のようなものである。「今日、1950年代、60年代、70年代、80年代と、つねに核兵器が爆発していた時代があったことは想像もつきません。しかし、これまでに世界で2000発以上の核爆弾が実験で使われ、土地や空気、さまざまな場所の人々を汚染しました。」

「1996年、包括的核実験禁止条約がこの狂気に待ったをかけました。しかし、世界のすべての国々が条約を支持しない限り、さらなる核実験とあらたな核軍拡競争の脅威が世界を覆い続けることになるのです。」

CTBTOによれば、CTBTへの加盟は普遍的なものであり、これまでに182ヶ国が署名、ギニアを含んだ155ヶ国が批准している。アフリカでは、署名していないのがモーリシャスとソマリアの2ヶ国、批准していないのがアンゴラ、チャド、コモロ、コンゴ共和国、エジプト、赤道ギニア、ガンビア、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ、スワジランド、ジンバブエの11ヶ国である。

「このなかで、エジプトによる批准は条約発効の条件になっている。他に、中国、朝鮮民主主義人民共和国、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、パキスタン、米国という8つの核技術保有国の批准が条約発効の必須条件である」とCTBTOは述べている。

「核実験が探知されず行われることのないよう、国際監視制度(IMS)が構築されている。現在、85ヶ国に280施設があり、うち、アフリカには22ヶ国に30施設がある。IMSによって集められたデータは、地震観測、津波警報、原子力事故による放射能拡散レベルの追跡などの災害対策にも応用できる。」1999年には、認証されたIMS観測所は世界のどこにもなかった。

アフリカ非核兵器地帯

ANWFZには、アフリカ大陸の領域と、アフリカ連合(AU)の加盟国である島嶼国家、AUの前身であるアフリカ統一機構(OAU)の決議によってアフリカの一部だとみなされたすべての島が含まれている。「領域」とは、領土、内水、領海、群島水域、それらの上空に、海底とその地下を意味する。

アフリカ非核兵器地帯は、アフリカ大陸の全部と、次の諸島を含んでいる―アガレガ島、バサス・ダ・インディア、カナリー諸島、カポベルデ、カルガドス・カラホス礁、チャゴス諸島(ディエゴ・ガルシア)、コモロ諸島、ヨーロッパ島、フアン・デ・ノヴァ島、マダガスカル、モーリシャス、マヨット島、プリンス・エドワード&マリオン島、サントメプリンシペ、レユニオン島、ロドリゲス島、セイシェル、トロメリン島、ザンジバル、ペンバ諸島。

しかし、このリストには、南部のアンゴラから1900kmのセントヘレナ諸島、その付属であるアセンシオン島とトリスタン・ダ・クーニャ島、カポタウンから南西に2500kmのブーベ島、マダガスカルから南に2350kmのクローゼー諸島、ケルゲレン諸島、アムステルダム島、サンポール島は含まれていない。

アフリカ非核兵器地帯条約は、条約加盟国の領域内において核爆発装置を研究・開発・製造・貯蔵・取得・実験・保有・管理・配備すること、および、アフリカ地域において放射性廃棄物を投棄することを禁じている。

条約はまた、地帯内の核施設に対するいかなる攻撃も禁止し、平和目的だけに使われる核物質・施設・機器の物理的防護の基準を最高レベルにまで高めるよう加盟国に要請している。

非核アフリカの追求は、OAUが、1964年7月にカイロで開かれた初めてのサミットにおいて、アフリカの非核化を図る条約を目指すと公式に表明したことが始まりだった。

CTBTは、2011年8月29日、カザフスタンのセミパラチンスクで核兵器実験場が閉鎖されてから20年目を迎えた。1991年にこの日が選ばれたのは、旧ソ連が1949年に初めて核実験を行ったのがこの日だったからである。

1945年から、CTBTが署名開放される1996年まで、2000回以上の核実験が行われた。実験のほとんどは米国とソ連によって、一部はイギリス、フランス、中国によって行われた。1996年以降は、インド、パキスタン、朝鮮民主主義人民共和国の3ヶ国も核実験を行ってきた。

CTBT発効の重要性は、2010年5月の核不拡散条約(NPT)運用検討会議でも再確認され、その行動計画の中に含まれている。国連の潘基文事務総長は、CTBTによる検証体制について、「この検証体制は、国際協力のための価値ある道具であることを証明してきました。私は、今後もCTBTが、独立的で信頼がありコストを抑えた検証を行い、それによって条約違反を抑止する方法を提供していくと確信しています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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核の安全と核実験禁止に関する国連会議開催

【国連IPS=エリザベス・ウィットマン】

歴史は、核兵器と原子力の破壊的能力の証明にあふれている。しかし、それでもなお、原子力には多くの利点があるとの証拠で科学は満たされている。

原子力の危険を避けつつ、人類がその利益を安全に享受するにはどうすればいいか。国連で9月22日から23日にかけて開かれたハイレベル会合では、指導者らがこのジレンマに直面した。


国連の潘基文事務総長は、9月22日のサミット開会にあたり、「3月の地震と津波によって起こった福島第一原子力発電所の事故と、1986年のチェルノブイリの原発事故が『警鐘を鳴らしている。』」と語った。

「原子力事故には国境はありません。人々を適切に保護するために、強い国際的なコンセンサスと安全基準が必要です。」と潘事務総長は語った。

9月23日、40ヶ国以上の閣僚と高官が、包括的核実験禁止条約の発効について討論した。同条約にはこれまで182ヶ国が署名し、155ヶ国が批准している。米国を含め9ヶ国の批准が、条約発効の要件とされている。

22日の討論は、福島原発事故の影響に焦点を当てた。この事故は、原子力安全を向上するための取り組みを国際社会が緊急に強化しなくてはならないことを示した。

ただ、すべての国家が核活動を追求することをやめる前提で勧告がなされたわけではなかった。

軍縮問題担当の国連上級代表であるセルジオ・ドゥアルテ氏は、原子力の段階的廃止あるいは開発中止を決めた国がある一方で、「原子力の開発、取得の努力を続けている国もある」、と閣僚討議において述べた。したがって、災害とリスクに関する分析がさらに行われる必要がある。

潘事務総長が22日に提示した福島原発事故の影響に関する体系的な研究は、少なくとも原子力安全の分野においては、福島事故の問題が依然として国際的な関心の的であることを示した。

同研究は、原子力に関する賛否を検討し、「安全で科学的に健全な原子力技術は……農業と食料生産にとって貴重なツールである」と指摘した。

にもかかわらず、周囲の環境に放射性物質を放出した事故によって、「水や農地が(激しく)汚染され」、「人々の生活に直接の影響があった」と述べている。

また同研究は、「福島事故の主要な教訓は、どんな種類の事故が起こるかという想定があまりに甘かったということである。」と指摘し、「国際社会は、核保安の問題に適切に対処するために、関連の国際法枠組みを普遍的に遵守し履行するよう努力していかねばならない。」と提言している。

CTBTの発効

包括的核実験禁止条約(CTBT)は、そうした国際的な法的枠組みのひとつである。国際監視制度(IMS)の観測技術が、CTBT違反の探知にあたって貴重かつ効果的であることは広く認められている。その探知能力は、原子力事故にあたっても有益であるかもしれない。

1996年、CTBTは署名に開放された。潘基文事務総長は2012年をその発効の目標年と定めたが、まずは、中国、エジプト、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、米国が条約を批准しなくてはならない。

指導者らは、CTBT発効で多くの利益が生まれる、という。

潘事務総長は23日の閣僚会議で、「CTBTは核兵器なき世界に向かっての不可欠の飛び石のひとつだ。」と語り、「遅滞なく」条約を署名・批准するよう各国に求めた。

ドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相は、条約発効によって中東や東アジアのような地域の緊張を緩和するのに効果的なだけではなく、「世界の平和と安全を強化する」のにも有益だと語った。

しかし、条約が発効するまでには、批准という大きな問題が立ちはだかっている。

CTBT機関準備委員会のティボール・トート事務局長は、9ヶ国の批准問題に関して、「それは各国で決めることです。各国は、CTBTに加盟することでセイフティネットが張られることになると考えるのかどうか、自ら判断しなければなりません。」「特に中東と南アジアでは、CTBTがより高度の安全を確保するための資産になると各国が考えるようになることが重要です。」と語った。

またトート事務局長は、「政治的安全保障という利益を超えて、複雑な災害の影響を減ずるという効果もCTBTにはあります。」と語った。

この点についてはドゥアルテ氏も同意見で、「原子力をエネルギーミックスの一部に加えたいと思うかどうかは、主権的な決定に関わる問題です。」とIPSのインタビューに応じて語った。

ドゥアルテ氏は、「国連ができることは、CTBTを促進し、それに加盟することに伴う利益を(諸国に)示していくことです。」と語った。

国連は会議を招集し、知識を集積し、情報を共有することができる。原子力事故の予防・対処のために加盟国を知識でもって武装することもできるし、そうした効果を生むような枠組みや条約づくりを促進することもできる。しかし、究極的には、そうした実践を行ったり条約を批准したりするのは、他でもなく各加盟国である。

「どうしたいか決めるのは、各国次第なのです。」とドゥアルテ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ベルリンIPS=カリーナ・ベックマン】

どちらの世界が安全か?― 重武装した現在の世界か、全ての人々の基本的ニーズが満たされた世界か ―これが、28カ国・地域、220都市以上を回りドイツに到着した核廃絶展のテーマの1つである。

3月の日本の福島原発事故による原発の被害は、核による安全性の限界を世界に知らしめた。この疑問は今、これまでになく、正当なものとなっている。


10月7日、「核兵器廃絶への挑戦」展の開幕式がベルリンで行われた。池田博正創価学会インタナショナル(SGI)副会長は、ドイツの首都を「平和の都市」として称えた。

さらに、1945年、16万人以上を一度に殲滅した広島・長崎に投下された原子爆弾、その唯一の被爆国である日本にとって、ドイツの反核運動は1つの善きモデルとなると述べた。

この展示は18対のパネルから構成されており、核兵器の脅威を写真・文章を通して訴え、平和・軍縮・不拡散を後押しするテーマを様々な角度から盛り込んでいる。

SGIは、一人ひとりの変革と社会貢献を通して平和・文化・教育を推進し、世界に広がる在家仏教運動で、メンバーは1200万人以上を超える。人類にとって大きな脅威の一つである核兵器の廃絶にも取り組んでいる。
 
ベルリンでの展示会開幕式で紹介されたメッセージの中で、池田大作SGI会長は、「私たちの眼前には、貧困や環境問題、また深刻な失業や金融危機など、各国が一致して立ち向かうべき『人類共通の課題』が山積しています。」「そのために必要な人的・経済的資源を犠牲にしてまで核兵器を維持することの愚かさが、今、一層明らかになっております。あくまで必要とされるのは、『安全保障』であって、『核兵器の保有』ではありません。」と述べた。

10月16日まで開催されるこの展示は、開発のためではなく戦争の文化のために資源を費やすことの愚かさを訴えている。現在、世界の国々は年間1兆ドル以上を軍事費や武器貿易に費やしている。これは、地球上の一人当たり173ドルにあたると説明する。

さらに、「世界の軍事費の10%未満にあたる700億-800億ドルがあれば、地球上のすべての人々に必要最低限の必需品を行き渡らせることができます。」と述べている。

核兵器については、未だに2万発以上の核弾頭があり、これは、世界中のあらゆる生物を何度も全滅させることができる数となっている。

池田SGI会長は、「『核兵器のない世界』という偉大なる目標に向かって、心ある政治指導者ならびに市民社会は、今こそ連携を密にし、その総力を結集すべき時を迎えています。」「その里程標ともいうべきものが、核兵器禁止条約(NWC)の実現であります。その早期交渉開始を、ここベルリンの地で、私は改めて強く訴えるものです。」と述べ、NWCへの早期交渉開始を、改めて訴えかけた。
 
池田博正SGI副会長は、100名余りの参加者を前に、核抑止論に挑むことの重要性を強調した。「核兵器は人間の安全保障に貢献しておらず、冷戦終結から20年が経った今日においては、『硬直した思考』です。」「冷戦が20世紀の最後に薄れていく中、地球的な核戦争の脅威も後退したように見えました。しかし世界は、核抑止論の構造や論理を解体する機会を逃したのです」と語った。

日本人は一般的に、ヒロシマ・ナガサキのトラウマ的な経験の遺産として、核兵器に対して非常に否定的な態度を持っている。しかし福島の原発事故が起こるまで、核エネルギーの平和的利用については概ね受け入れていた。

寺崎広嗣SGI平和運動局長は、「原子力の安全性に対する疑問と代替エネルギーの確保という問題の狭間で、日本人は原子力発電にどう向き合うのかという問いが、改めて提起されることになりました。」「その目的に鑑みるとき、原子力発電を無条件に否定することは容易ではありません。また原子力発電が、エネルギー供給の点で今日一定の役割を果たしていることも事実であり、その現実から目を背けることも適切ではありません。」と語った。

また寺崎局長は、「原子力発電は、短期的・中期的には、代替エネルギーが開発されるまでの過渡的なエネルギーの一部として位置づける。」「原子力発電は、長期的に目指す再生可能なクリーンエネルギー社会実現過程における『つなぎ』の役割として限定するべきでありましょう。」とも語った。

「原子のつながりを断つ時が来ています。」とは、開発と平和のための組織である国際協力評議会(GCC)と共にベルリン核廃絶展の共催者である核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、ザンテ・ホール氏の言葉である。
 
ホール氏は、「発掘活動やウランの濃縮から使用済み核燃料の除去まで、核の生産の連鎖における全ての部分が、癌、遺伝子欠陥、環境破壊等、人類への脅威をはらんでいます。」と語った。

彼女の観点では、2022年までに全ての原子力発電所を閉鎖することを決めた後、ドイツが行っているように、核エネルギーを禁止するだけでは、十分ではない。その理由は、核生産の連鎖の中で、全ての部分が、放射能を生み、それ故に人類や環境を脅かすからである。

IPPNWは、ウラン発掘、ウラン兵器、核分裂性物質の生産の世界的な禁止、核物質の輸送の停止、包括的核実験禁止条約(CTBT)や核兵器禁止条約(NWC)の発効のために運動を展開している。

ホール氏は、「太陽や風が戦争を引き起こしたことはありません。ですから、核の鎖と核テロの脅威から私達自身を解放しましょう。私達の生きている間にこの目的が達成されることを望むものです。」と語った。

ドイツ連邦議会軍縮・軍備管理・不拡散小委員会議長を務める、ウタ・ツァプフ氏は、「残念ながら、いまだ平和は、人間精神の主体とはなっていません。新北大西洋条約機構(NATO)戦略はその良い例です。」と指摘した上で、「私達は、友達やパートナーに囲まれています。核の抑止論を放棄してはどうでしょうか。展示と共に問題に関わりましょう。平和の文化を構築し、核兵器の非人間的な不正を禁じたいと思う人々と共に、行動を起こしましょう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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「テロとの戦い」に懐疑的なアジア

【シンガポールIDN=カリンガ・セネヴィラトネ】

ワールド・トレード・センターや国防総省(ペンタゴン)が攻撃され、米国が「テロとの戦い」を始めてから10年、数多くの社説や論評が書かれてきた。大半の米国メディアは、とくにオサマ・ビンラディンが殺害されて以降、「テロとの戦い」に勝利しつつあるとのペンタゴンのメッセージを代弁しているが、アジアの新聞はこうした議論に乗っていないようである。

バングラデシュの『デイリー・スター』紙は、「米国は、対アフガニスタン戦争、続いてイラク戦争における一連の行動を通じて、露骨な単独行動主義の時代が到来したことを世界に印象付けた。こうした事態の中、国連は、世界唯一の超大国である米国の政治目標を単に是認する機関として利用された。そしてこの傾向は、残念ながら今回のリビア内戦への多国籍軍介入に際しても見られた。成功という言葉で、米国本土に大きな攻撃がないことを意味しているとするならば、たしかにそれは成功と言えるだろう。しかし、米国が明らかに安全になったからと言って、それは世界の安全を意味するわけではない。この10年間、テロを抑えるのではなく、むしろ、かつてなかったところにイスラム過激主義の勃興を招いてしまった。」と報じている。

War on Terror Photo:IDN

 同紙はまた、「従来より小規模な宗教グループが『反米』感情からアルカイダとの提携関係を深めつつある。こうした過激派は少数であるが、イスラム世界の大半はこの点について沈黙を守っている。」

タイの『バンコク・ポスト』紙は、もし世界がより安全な場所になったかどうかを「テロとの戦い」の成功の基準に据えるならば、米国の政策は逆効果だと論じている。通信と諜報が発達して、いくつかの攻撃計画を事前に阻止したかもしれないが、米国はアフガニスタンでの戦争を勝ち抜くことができなかった。

事実同紙は、ブッシュ大統領が2001年段階でビンラディン容疑者の第三国への身柄引き渡しを提案したタリバン政権との交渉を拒否した(その結果、ビンラディン容疑者は国外に逃れてしまった)点を挙げ、オバマ政権も(再びタリバンとの交渉を拒否することで)同じ過ちを犯そうとしているように思えるとして、「アフガニスタンにおける戦争を終わらせる唯一の方法は、タリバンとの交渉以外にないようだ。」と報じた。

また、「イラクやアフガニスタンで戦争が行われる中での民衆蜂起、市民の権利の停止、数万人にのぼる夥しい市民の死は、「常の戦争はあくまで最後の手段であり、その他の政策を追求するための手段として使われるべきではない」いう教訓を明らかにした。」と論じている。

ネパーリ・タイムス』紙のコラムニストであるアヌラク・アチャルヤは、「米国がより安全になったとは言えない。なぜなら、米国はテロリズムの背景にある原因を理解しようとしてこなかったからだ。」と論じた。米国はテロとの戦いを世界規模で先導したことで、経済破綻と今日の政治的麻痺状態を招くこととなった。

「米国が世界のどこにでも軍を配置し、その行動が招く結果を気にしなくて良かった時代は昔のことである。もし米国が相手を服従させる手段として暴力を長らく独占してきたとしたら、それに終止符を打ったのが非国家勢力の興隆ということになるだろう。もし大国がグローバリゼーションを悪用して遠く離れた地の人々の生活を侵害するようなことをしてきたとすれば、それに反発する勢力は、世界中で反撃する同様の能力を開発してきたといえよう。たとえ米国製巡航ミサイルがきちんと制御されたものであったとしても、外交方針そのものが誤ったものだったとしたら、意味がないのである。」とアチャルヤ氏は述べている。

強硬な態度よりも妥協を

リナ・ヒメゼズ-デイビッドは、『フィリピン・デイリー・インクワイアラー』紙で、9・11の結果として、代理戦争がフィリピンのような国に輸出されてしまったと嘆いている。「このような状況下では、平和を口にしたり、他の状況を構想することが難しくなってしまう。しかし、まさに9・11を心に刻むことによって、今とは違った生のあり方、つまり、紛争よりも協力、スタンドプレーより相互理解、強硬な態度よりも妥協を作り出す必要性に私たちは思いを致すようになるのだ。」

中国社会科学院アメリカ研究所の劉偉東研究員は、『チャイナデイリー』紙に寄稿した論文の中で、「2001年10月7日に(アフガニスタンに対する戦争と共に)はじまったテロとの戦いは、第一次世界大戦(191年7月28日~18年11月11日)と第二次世界大戦(1939年9月1日~45年9月2日)の合計よりも長く続いている。」と述べている。

「米国はテロリストに対して優位に立ったように見えるかもしれないが、実際は膠着状態にあるのが現状である。なぜなら新たなテロ指導者が次から次へと現れており、彼らは最新のコミュニケーション手段を駆使して、欧米諸国に『トロイの木馬』を醸成すべく『電脳戦争』を仕掛けている。」劉氏は、ビンラディン容疑者は10年前にメディアに対して、9・11同時多発テロが米国の経済成長を破壊することを望むと語った点を指摘した。

「オバマ大統領は今年、米国政府は過去10年の『テロとの戦い』に1兆ドルを費やしたと語った。一方、ブラウン大学が発表した研究報告書によると実際の戦費は3.7兆~4.4兆ドルにのぼると見られている。」

敗者と勝利者

シンガポール国立大学リー・クァンユー公共政策大学院のキショール・マブバニ院長は、シンガポールの『ザ・ストレーツ・タイムス』紙に寄稿した論文の中で、9・11同時多発事件から10年後の影響について、3つの短い表現(①米国は無駄な10年を送った、②中国は実のある10年を送った。③世界は人類を一つにする貴重な機会を逃した。)に集約できると記している。

「過去十年は中国にとって最高の十年だっただろう。中国はこの10年間、毎年ほぼ10%の経済成長を果たし、諸外国との貿易関係を飛躍的に伸ばした。そして2008年には外貨準備高が世界一となった。」「中国は、果たして米国の破滅的な外交政策から恩恵を受けただろうか?その答えは単純にイエスだ。米国が戦争に忙殺され国防費を膨張させていった一方で、中国は自由貿易協定の締結に忙殺された10年だった。その結果、中国は世界中の国々との善隣関係を築くことに成功したのである。そして2006年、中国が中国-アフリカサミットを招集した際、事実上全てのアフリカ諸国の指導者が出席したのである。」とマブバニ院長は指摘した。

ある米国人から中国の従弟への便り

シャンハイ・デイリー』紙は、「ある米国人から、中国に住む彼の従弟への手紙」という形式で掲載したやや皮肉を込めた記事の中で、米国がこの10年間にいかにしてそれまで大切にしてきた価値観を失ったかを指摘している。

「今日米国に生きるということは、新しい規範を受入れるということだと、残念ながら言わねばなりません。まず何よりも、自由の権利が急速に後退しまいました。この国で苦役する不法移民を大量に強制送還することが新しい規範になってしまいました。その結果、夫や妻や子供が取り残され生活が壊されることなど当局は気にも留めません。ビザを取得している移民でさえ、不公平な扱いに直面しています。有罪となれば、それが些細な罪であったとしても、強制送還の対象とされてしまうのです。」と手紙は綴っている。

さらにこの手紙では、ある典型的な強制送還の事例が紹介されている。つまり、道で立ち小便をした建設労働者が、猥褻物陳列の罪でカンボジアに送還されてしまったというケースである。しかしこの移民は、小さいときに出てきた故郷のことをまったく知らない。それどころか、妻と子どもを米国に残したまま追放されてしまったのである。

「権利の後退は移民に限ったことではなく、全ての市民に及んでいる。」と手紙は指摘している。「権利の後退はゆっくりではあるが、核心部分において確実に起こっている。それが最も明確に表れているのが全米各地の空港である。そこでは何気ない会話であっても、批判じみた言動が、国外退去処分を受ける理由となりかねないのです。このような新しい米国では、だれもが自身の言動を控え、近所の人々の言動をチェックするようになってしまいました。もし米国がかつて自由と民主主義のためにあったというのであれば、今日の米国はいったい何のためにあるのか、私にはわからないのです。」と手紙の主は、中国の従弟に記している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【アブダビWAM】

「中東全域を席巻した『アラブの春』運動は民主主義と人権の尊重を求める一般の男女によって支えられてきたものだが、こうした努力が、タワックル・カルマン女史のノーベル平和賞受賞によって力強い支持を得ることとなった。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

人権活動家でジャーナリストのカルマン女史は、アラブ世界で初のノーベル平和賞女性受賞者となった。

 「ノーベル賞委員会は、3名の女性を今年のノーベル平和賞受賞者と選定した。1人目は初のアフリカ大陸での民主的選挙で大統領になったエレン・ジョンソン・サーリーフ(Ellen Johnson Sirleaf)女史で、14年に渡る市民戦争で荒廃した国土を再建してきた業績が評価された。2人目は平和活動家のリーマ・ゴボォエ(Leymah Gbowee)女史で、2003年の内戦を終焉させ民族的・宗教的な差別を超えて女性を組織し平和的選挙を保障する運動へと動かす源流となった点が評価された。サーリーフ女史は2期目の大統領選挙を4日後に控えており、今回のノーベル平和賞受賞は歓迎すべき追い風となった。」とガルフ・ニュースは論説の中で報じた。

同紙は、「3人の母親でもあるカルマン女史の、人権の復活及び抗議する自由を含む表現の自由を追求する活動は、次の4つの重要な要素(すなわち、①アラブの春への貢献、②イエメンにとどまらずアラブ世界全体における女性の役割と地位向上に向けた取り組み、③シリア及び他のアラブ世界各地で民主主義を求めて戦っている民衆に対する道義的貢献、④自らの未来は自ら切り開ける時代が到来したと自覚したアラブの若い世代にとっての指針となる存在となったこと。)を全て満たすものであった。」と報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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タイ米の高騰で世界市場はどうなる

【バンコクIPS=マルワーン・マカン-マルカール】

タイの新政権が米の価格支持政策を打ち出し、農民はこれを大いに歓迎しているが、米価格上昇により世界市場での競争力が失われるのではないかとの懸念が出てきている。

タイは毎年1000万トン近くの米を輸出しており、世界の米輸出の3割程度を占める。アフリカではナイジェリアコートジボワール、南アフリカが主要な輸入国であり、アジアではフィリピン(世界最大の米輸入国)やインドネシアなど。先進国では欧米諸国もタイ米の安定した輸出先市場となっている。

8月に誕生したインラック・シナワトラ政権は、7月の総選挙において、貧しい農民から米を買い上げることを公約としていた。そして、現在の市場価格の5割増で米を買い上げる政策が発表されたのである。玄米なら1トン当たり1万5000バーツ(517ドル)、ジャスミン米なら1トン当たり2万バーツ(689ドル)で買い取る。この10年に国際市場で取引されたタイ米の平均値は1トン当たり400ドルであることから、これらの価格はよりかなり高騰したものとなる。

 タイ農業省によると、これまでに農民400万人がこの制度に登録を済ませたという。肥料や農薬、石油価格の上昇に苦しむ農民のこの政策への支持は高い。

これまで、タイ米は国際市場で400ドル/トンほどで取り引きされており、かなりの値上げとなる。タイ米輸出業者協会(TREA)によると、このままでは国際価格は800ドルにも達する可能性があるという。9月半ばの段階ですでに2009年1月以来の最高値となる629ドルであった。

TREAは、これによってタイ米の国際競争力が失われることを危惧している。元タイ米輸出業者協会のヴィチャイ・スリプラサート会長は、先週の記者会見に際して、「政府は一夜にして米価を5%引き上げました。これにより国際市場におけるタイ米の競争力は失われるでしょう。」「政府が数十億バーツを継ぎこんでコメ市場に介入しようとするのは極めておかしない状況です。」と語った。

近隣のベトナムは年間670万トンを輸出している。他方、インドは、4年間にわたる非バスマティ米の禁輸措置を解き、国際市場に復帰する予定だ。すでにインドの業者は200万トンの輸出許可を得ている。

タイの米価格政策と国際市場への影響について考察する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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