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│中東│形を変える検閲

【カイロIPS=シンバ・シャニ・カマリア・ルソー

中東・北アフリカ諸国では、民主化蜂起の最中に当局側が情報の封じ込めを図り、多数のジャーナリストが殺害、暴行、逮捕された。

「国境なき記者団」のソアジグ・ドレ氏は、「『アラブの春』の初期の時点で、情報を統制することが各国政府当局の主要な課題となっていました。政府は、携帯やインターネット通信網を遮断したり、内外のジャーナリストを襲わせて、民衆蜂起に対する治安当局による弾圧に関する報道を完全に封じ込めようとしたのです。」と語った。

ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領の失脚・国外逃亡へと発展した2011年1月のチュニジアの民衆蜂起は、その後急速に大きなうねりとなってアラブ世界全体に広がった抗議運動の発火点となった。その後1月25日には、抗議の波はエジプトに飛火し、民衆は30年に亘って政権の座にあったホスニ・ムバラク大統領に退陣要求を突き付けた。

そしてエジプトとチュニジアの成功を受けて、バーレーン、モロッコ、リビア、イエメン、シリアといった中東・北アフリカ諸国の民衆は、独自の抗議運動に立ち上がった。

ジャーナリストたちは、民衆の抗議行動や政府による弾圧の様子を国際社会に報道する上で重要な役割を果たしたが、彼らは同時に情報の封じ込めをはかる政府当局による弾圧に晒されることとなった。

国境なき記者団によれば、中東・北アフリカ各国の政府当局による弾圧により、少なくとも20人のジャーナリストが殺害され、553人が襲撃されたり脅迫されたりしたという。

サミール・カシール財団のアイマン・マナ常任理事はIPSの取材に対して、「民衆蜂起に直面した全ての政府当局は、当初、フェイスブックやツイッターなどを規制して情報封鎖を試みました。しかしのちに、誰が何を書き込んでいるのかを監視するために、むしろこれらを放任し、当局の意のままに従う場合を除いて、海外および独立派のジャーナリストとの接触を制限する方向に方針を転換したのです。」と語った。

こうした規制がとりわけ厳しいのが、シリアとバーレーンである。シリアでは、当局の監視下に入ることに同意しない限り、外国人ジャーナリストの活動が許可されないため、潜入取材しか方法がない。しかしそうした場合、フランス2のジル・ジャキエ氏(1月11日にシリア西部のホムスで取材活動中攻撃を受けて死亡)のケースが物語っているようにシリア政府は身の安全を保障していない。

またマナ氏は、「バーレーンでも、湾岸協力会議(GCC)が体制維持に既得権を持っているため、政府に批判的なメディアは当局の厳しい監視下に置かれており、政府の御用メディアが情報操作を行っています。」と語った。

人権活動家達は長年にわたって、中東・北アフリカ地域は、ジャーナリストの行動を規制する法律や規則が施行され、当局による抑圧的な手段(嫌がらせ、収監、監視、身体の拘束等)が講じられていることから、世界で最もメディア規制が厳しい地域の一つであると指摘してきた。

各国政府は、政府関係者に対する詮索や不正行為を報じようとするジャーナリストの行動を「政府の評判を傷つけようする行為」として逮捕・収監できるよう、新聞・出版法、緊急事態法制、刑法、インターネット関連法、電気通信法制など、あらゆる法律を駆使してきた。

バーレーンでは、2002年に施行された新聞条例を根拠に様々な検閲を行っている。一方シリアの刑法は、国外にニュースを広める行為を犯罪行為として処罰の対象としている。さらにシリア、エジプト両国では、緊急事態法の規定により、政府当局には正当な手続きなしで、ジャーナリストやメディア関係者、政治活動家の取り調べを行ったり身柄を拘束する権限が認められている。

人権団体「個人の権利のためのエジプトイニシアティブ」のオンラインメディア担当のラミー・ラオーフ氏はIPSの取材に対し、「ムバラク時代には、政府当局が編集長に電話で圧力をかけたり、特定の版の印刷を差し止めたり、日刊号の没収、ジャーナリストへの嫌がらせや所持品の没収を行うなど、実に様々な検閲が行われていました。」と語った。

「このような干渉は今も続いていますが、以前との違いは内務省の官僚に代わって軍からの圧力が加えられるようになった点です。例えば、2011年2月22日、軍はエジプト国内の各紙に向けて軍に関する如何なる報道もしないよう求める手紙を送付しています。」

「大半のアラブ諸国における新聞規定は表面的には報道の自由を尊重する体裁をとっています。しかしその実態は、政府当局が干渉する余地を大幅に残しているのです。例えばシリアでは、『(反政府活動家たちが)国家を堕落させている』と題した類の記事が幅広く報じられています。反政府活動家たちを裏切り者で外国の敵と通じている連中だと非難する論調も頻繁に使われています。」とマナ氏は付加えた。

「アラブの春」から1年が経過し、中東では革命後の民主体制構築に向けて歩みを進める国々もあれば、引き続き民主化を求める抗議運動が続いている国々もある。いずれの国においても、ジャーナリストが報道の自由を確保することは引き続き困難な状況にある。

「『アラブの春』を通じて報道規制も緩和され、『恐怖の壁』を打破したジャーナリスト達もかつてより自由に発言できるようになりました。しかし一方で、彼らが意見を述べることは、従来の政権が引き続き支配している国であれ、(革命による旧政権の崩壊後)新たに宗教的原理主義が台頭しつつある国であれ、むしろ一層危険な行為となっているのです。つまり検閲の在り方が変質しており、ジャーナリストたちは、書いたり発言したことの結果が問われるようになってきているのです。」とマナ氏は語った。(原文へ

INPS Japan浅霧勝浩

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核廃絶への世界的支持が頂点に(ジョナサン・フレリックスWCC平和構築、軍縮エグゼクティブ)

【ジュネーブIPS=ジョナサン・フレリックス】

核兵器に関する新しく強力なストーリーが世界中で生まれている。その新しいストーリーは、皆が共有することができるものであるがゆえに、インパクトを持っている。それは、核のフィクションを核の現実に置き換えるものだ。2012年は中東における軍事行動の警告から始まったが、核兵器5大国(米国、ロシア、英国、フランス、中国)における新しいリーダーシップで幕を閉じることになるだろう。この新しいストーリーとはいったい何で、それは何をもたらすのだろうか?

このストーリーの中でもっとも短いバージョンは、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)によって語られているものだ。「核兵器のない世界が想像できますか?」と誰かに聞いてみるといい。「もちろんできます」(I can)という答えが返ってくるに違いない。

もう少し長いバージョンのひとつが、スコットランドで教会関係者が昨年末に開催した国際セミナーで聞かれた以下のようなものだ。彼らの多くは、核軍縮を支持している。

 「私たちは、時代遅れで扱いづらく、ひどくコストがかかり、しかも機能しない核の『傘』の下に生きています。今日、人々はグローバル・コミュニティの一部として暮らしていると考えています。彼らは、命を危険に晒すのではなく、命が守られるような環境で生きていきたいと願っているのです。つまり核兵器は誤りであり、なくさねばなりません。今こそ(核廃絶を目指す)運動に参加すべきときです。一人一人の人間には役割があり、何か出来ることがあるはずです。皆でともに大きな変化を生み出していこうではありませんか。」

こうした新しいストーリーによって、核兵器は攻勢にさらされている。各国指導層の間でも、以前よりも強い政治的、社会的圧力が存在しており、国連では130ヶ国が核兵器禁止条約(NWC)を支持し、5000人の市長と数千人の国会議員、著名人らが核廃絶運動に加わっている。また、核兵器への挑戦は、地理的な面(各地に創設されてきた核兵器禁止地帯の存在)、法的な面(国際人道法)、経済的な面(核兵器の維持を困難にする財政赤字、国家の負債、核兵器関連企業に対する市民による資本の引き上げ〈ダイベストメント〉)と、多方面にわたっている。

今では様々な国の政府高官や将官らが、核戦略の問題点を暴露し始めている。また、気候科学は、「核は環境に悪影響を与える」との判断を下しており、医者や科学者、法律家は、核兵器の正当性を疑っている。また、各種映画やウェブサイト、書籍も(核兵器の問題点に関する)公な議論を生んでいる。そして世界の諸宗教も、道義的、倫理的、精神的観点から核兵器を非難している。さらに、昨年発生した福島原発事故のような大惨事は、いかに平和的な外観を装ってはいても、核エネルギーというものが致命的であり、長期にわたる悪影響を引き起こすということを、人々に改めて思い知らせることとなった。

これまで核兵器を容認してきた世界的な仕組みは崩壊しつつある。人間社会、生態系、そしてこの地球全体に関して、核兵器には全く出番がないと感じる人がますます多くなってきている。

しかしだからといって、現在の核体制に挑戦している人々は、それほど楽観的でいるわけではない。核兵器を保有する僅か5%の政府が、(核廃絶という)公益を拒絶し、軍縮の義務を放棄する一方で、核兵器を持たない世界の95%の政府は、核兵器廃絶という国際社会の大多数の意思を実現できずにいるのだ。

核に関する新しいストーリーと古いストーリーのそれぞれが2012年に導くシナリオは異なったものだ。3つの例を紹介しよう。

第一に北東アジア。ここでは、核抑止の傘は時代遅れで穴だらけになっており、現状維持を図ろうとする不安定な仕組みである核不拡散条約(NPT)が崩壊しつつある。北東アジアにおける「核安全保障サミット」とは、それ自体、語義矛盾であるが、今年の核安全保障サミットは、韓国の首都ソウルで開催される予定だ。

核の新しいストーリーは、韓国出身の潘基文国連事務総長が「抑止という感染的なドクトリン」と啓発的に表現したものから、地域的な教訓を引き出すことができるだろう。核抑止を実践している9ヶ国のうち8ヶ国は核安全保障サミットに招待されているが、9つ目の国は韓国の隣国(=北朝鮮)なのである。感染には治療が必要である。それは例えば、朝鮮半島の非核化などの共通の地域的目標をめぐる開放的な関与といったものだ。スコットランドで開催した先述のキリスト教徒の集まりでは、核廃絶という目標を社会の中でより高い位置におくために、キリスト教徒と仏教徒によってどのような信頼醸成措置が取れるかについて話し合われた。これらの諸教会はこれまで25年にわたって、朝鮮半島を南北に分断している非武装地帯(DMZ)の両側から現状を打破すべく努力を続けている。

第二に中東である。ここもまた核の傘が機能していない地域であり、ここに核兵器禁止地帯を確立できるか否かに、NPTの将来がかかっている。この目標に関する国連会議が、17年の遅延の後に、今年ようやくフィンランドで開催される予定だ。

しかし、核に関する古いストーリーが、その国連会議に暗雲を投げかけている。今再び、「核の二重基準を強行することが中東にとっての問題ではなく解決策だ」という近視眼的な理屈がまかり通っている。これまでもイスラエルの近隣諸国(全てNPT加盟国)は、事実上、NPT未加盟のイスラエルがあたかもNPT上の核保有国であるかのごとく同国の核兵器と共存していくことを期待されてきた。これは安全保障の如何なる常識に照らしてもあり得ない処方箋であり、結局このような無責任なレトリックが、中東やその他の地域で核拡散を引き起こす要因を作り出してしまっているのだ。

他方、核に関する新しいストーリーは、イスラエルも含めた中東のすべての国家の幸福に関わるものだ。核兵器を含む全ての大量破壊兵器のない地域を創設する構想は、初めからシナリオの一要素として存在していた。またこの地域での1990年代の動きは、微妙な安全保障問題の解決に向けて、インセンティブや互恵主義、相互関与を通じて取り組んだ有益な前例を示している。

第三に北大西洋条約機構(NATO)であるが、その核兵器は使えないもので、金の無駄遣いとなっている。NATOの約200発にのぼる戦術核は、冷戦期の老朽化した怪物が依然として貯蔵庫で幅を利かし、それには何の意味もないということの象徴となっている。この死の遺産をなくすることで、核兵器を自国領土に置いている国を14か国から9カ国に減らすことができる。またそうした措置は、NATO・ロシア間の新しい安全保障取り決めに向けた大きな障害を取り除くことにもなる。

2010年、NATOとロシアは、「欧州・大西洋地域において、平和・安全保障・安定の共通空間創出に貢献する」ことに合意した。はたして今年シカゴで開催予定の「NATOサミット2012」で出てくるのは、新しいストーリーだろうか、それとも古いストーリーだろうか。

核の新しいストーリーでは、過去を理解するために核の考古学者が登場し、一方で「人間の安全保障」という枠組みが、未来のビジョンとして提案されている。北東アジア、中東、そしてNATO加盟諸国が位置する場所は、いずれも今後の「鍵を握る」地域である。核廃絶を目指す取り組みは引き続き困難で、さらに多くの人々の参加が求められるが、変化の予兆はすでに現れている。私たちは今後の取り組み次第では、新年を核時代という過去の延長ではなく、より安全な未来の一部として迎えることが可能なのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

ジョナサン・フレリックス氏は、世界教会協議会(WCC)の平和構築、軍縮エグゼクティブ。

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「抑圧は反乱につながるかもしれない」(セルゲイ・ウダチョフ野党運動「左翼戦線」リーダー)

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【プラハIPS=クラウディア・シオバヌ】

Sergey Udalstov addressing a public gathering. Credit: Courtesy of Sergey Udalstov
Sergey Udalstov addressing a public gathering. Credit: Courtesy of Sergey Udalstov

ロシアの野党運動は、12月4日のロシア下院選挙後の抗議活動で脚光を浴びるようになったが、そのリーダーの一人セルゲイ・ウダチョフ氏(35歳)は、「我々の要求はまだ終わっていない」と語った。

小さな社会主義者団体「Vanguard of Red Youth」と左翼の政治連合「左翼戦線」のリーダーをつとめるセルゲイ・ウダチェフ氏は、昨年ロシア当局に何十回も恣意的に逮捕される中で、野党運動関係者の間で頭角を現してきた人物である。昨年ウダチェフ氏は1年の約3分の1を刑務所に収監された。

ロシアでは昨年12月に、4日に実施された下院選挙で与党「統一ロシア(プーチン氏自身が党首をつとめる)」が多数派工作を目論んで不正行為を行ったとする疑惑が高まり、首都モスクワをはじめとするロシア各地の主要都市で数万人規模の抗議デモが発生した。

 しかしモスクワにおける12月24日の8万人規模のデモを最後に、大規模な抗議行動は一旦影を潜めている。その後もモスクワでは引き続き数百人規模の抗議デモが発生しているが、参加者からは、ロシア当局によるウダチョフ氏に対する執拗な嫌がらせを憤る声が聞かれた(アムネスティ―・インターナショナルは12月にウダチェフ氏が「良心の囚人」にあたるとして、即時釈放を訴えた)。

先般釈放されたばかりのウダチェフ氏はIPSの取材に応じ、「当局は何度も私を逮捕してきていますが、法的な本拠があるものなど一つもないのです。逮捕理由はすべてでっちあげられたものです。例えば、ある(下院選挙当日の)逮捕理由は、私が横断すべきでない場所で道路を渡ろうとしたという馬鹿げた嫌疑でした。しかもその時、私は同じ町の違う場所にいたにも関わらずですよ。またある時は、逮捕に抵抗したというありもしない罪を着せられました。」と語った。

インターネットに流れている複数の録画映像には、抵抗することなく警察官に逮捕されるウダチェフ氏の姿が映っている。

「政府当局は、私には民衆を動員する力があると理解しているので、私を危険人物だと判断したのだと思います。私を立て続けに逮捕・収監してきた狙いは、私を政治活動家として孤立させること、とりわけ選挙期間中に動きを封じることにあったのだと思います。」

インタビューの要旨は以下の通り:

Q:「左翼戦線」が目指しているものは何ですか?

A:「左翼戦線」は社会正義の実現と、全ての国民に国家の資源を公正に分配することを目指すイデオロギー運動です。今日ロシアは、大統領(ドミトリー・メドヴェージェフ氏)と首相(ウラジミール・プーチン氏)の取巻きが支配しています。その結果、人口の10%程度にあたるエリート層が国の富の90%を支配し、大多数のロシア人が貧しい生活を送っているのです。これが今日のロシア社会が直面している深刻な問題なのです。

私たちは、天然資源、運輸、産業など国のあらゆる戦略的な分野の管理に、より幅広い層の国民が参画できる仕組みを実現したいと考えています。つまり私たちが求めているのは、ロシア国民が、公平で透明性が確保された国民投票を通じて意思表示ができたり、インターネットを通じて政府当局との意思疎通ができたり、或いは国民として社会改革について発言権をもてるような直接民主主義の実現なのです。

私たちはソ連について特に郷愁の念を抱いているということはありませんし、ましてや社会の停滞をもたらした中央計画経済への復帰を訴えるということもしていません。私たちの主張は、新たな発展の道筋を模索しながら、ソ連時代の良い点については残していこうというものです。つまり、ロシアの社会民主主義的な開発を志向しているのです。

Q:お話を伺っていると、「左翼戦線」が掲げているビジョンは穏健なものに聞こえますが、それではどうしてメディアでは「極端」「過激」というイメージで報道がなされているのでしょうか?

A:今日のロシアではプロパガンダが大衆伝達の主な手段となっています。ロシアでは多くのテレビ局、ラジオ局、オンラインニュースが当局の管理下にあります。政府当局はこうしたマスメディアを通じて、野党運動全体に対する不信感を植え付ける手段として私たち(「左翼戦線」)のイメージを傷つけているのです。政治について知識があまりない市民は、こうしたマスメディア報道に接して真実を見極めることができません。その結果、そうした人々は、私たちが内戦やスターリン時代の復活を望んでいるといったデマを信じてしまうことになるのです。

しかし、私たちがウェブサイトで公表している内容を見れば、だれもが私たちが訴えている真の立場が理解できると思います。つまり、私たちは今まで一貫して平和的な抗議活動を訴えてきたということ。そして私たちが望んでいることは、国民に権限を付与(エンパワー)して国民自らの問題を解決していきたいということに尽きるのです。私たちはメディアによって実像がかなり歪められています。しかし、インターネットが透明性をもたらし、政府当局によるプロパガンダに支配されやすい人の数も減少していくなかで、こうした歪んだイメージも近い将来払拭されると期待しています。

Q:あなたはこれまでの演説で「ウォールストリートを占拠せよ」運動で良く使われる「99対1%」レトリックを使っていますが、同運動とロシアの野党運動には多くの類似点があるのでしょうか?

A:はい、2つの運動には、いくつかの類似点があります。社会的平等を求める闘いは、一国に限定されたものではなく、今やその機運は世界全体を覆っています。帝国主義的なグローバリゼーションを批判する声は、第三世界(発展途上国)のみならず第一世界(西側先進国)においても湧き上がっています。こうした国際情勢の流れは必然的にかつての第二世界(旧共産圏)に暮らす私たちに今後どのような発展を志向したいのか真剣な考察を迫っているのです。

しかしロシアは閉ざされた国ですから、海外の運動と連携するのは困難なのが現状です。よって今日ロシアの野党運動が取り組んでいる具体的な活動は、①実態を反映した政治的な競争を実現すること、②公正な選挙を実施すること、③政権当局と民衆の対話を実現することの3点に集約されます。

Q:今後数か月、ロシアの野党運動はどのような展開をしていくと見ていますか?

A:ロシアの民衆は政府に改革を要求しています。政治家たちは改革を実現できなければ、権力の座から降りなければなりません。もし弾圧が続くならば、最終的には反乱がおこるかもしれません。

今後の流れは、政権当局が野党勢力や市民社会との対話を開始するかどうかにかかっていると思います。今般の抗議活動の規模は近年最大のもので、当局も無視するのが困難になっています。政府は12月下院選挙結果の無効を宣言し、年末までに再選挙を実施すべきです。ロシアには公正な選挙が必要です。もし公正な選挙が実施されれば、新たな議会は、各党の実際の勢力関係がより反映したものとなり、野党各党の議席が拡大したものとなるでしょう。

しかし政権側があくまでもプーチン氏を大統領とすることにこだわり、野党勢力との対話も私たちの要求も拒否し、さらなる不正選挙を強行していくようなことがあれば、民衆の抗議行動も強まり、ついには革命へと発展するかもしれません。もちろんそうした場合でも平和的(ビロード革命のような)なものでなければなりませんが。

Q:3月(次期大統領選挙)以降プーチン氏に大統領として政権を継続させるということで政権側と野党側が妥協する可能性はどうでしょうか?

A:もし政権側がプーチン氏の大統領職復帰を主張するとすれば、それは妥協ではなく罠です。

Q:ロシア当局があなたを何度も逮捕しているのは、政権側があなたを恐れているからだと思いますか?反対勢力に対するそのような恐れは、政権が弱体化している兆候でしょうか?

A:ロシアでは、政権にとって好ましくない者、とりわけ政権を批判するような活動家は「過激論者」というレッテルが貼られ、常に弾圧の対象となってきました。政権側はこのような圧力を常に行使してきたのです。過去10年から15年、政権側の体質は基本的に変わっていません。しかし近年は、一般のロシア人が以前より政治動向に注意を払うようになってきたことから、政権側はこうした弾圧を世間の目から隠しづらくなってきており、結果的に当局による抑圧が以前より目につくようになってきたのです。従って、今は、政権側にとって、弾圧という目に見える失敗を犯すことは、以前より政治的なリスクが高くなっているのです。

Q:プーチン体制後のロシアをどのように展望していますか?それはソ連崩壊後に独立した旧連邦諸国との関係にどのような影響をもたらすと思いますか?

A:今後公正な選挙が実施されたと仮定すれば現実的な予想は左翼が政権を担う公正な選挙が保障されたロシアが誕生しているでしょう。政策も左派路線に転換することで、社会の緊張、生態学上の危機、飢餓の問題も緩和されるでしょう。旧ソ連邦構成諸国との関係については、私たちは、経済的、文化的関係を深めて、おそらく欧州連合(EU)をモデルとした連合を構築したいと考えています。ただし、これらの諸国がこうした構想に同意し平和的手段で連合が形成されるのならばという前提があってのことです。

こうした連合は、最終的には共通通貨、共同防衛、さらには域内の行動の自由を保障する枠組みを目指す漸進的な統合形態をとることも考えられます。ロシアと旧ソ連構成諸国との間には、ソ連解体後にすべてが失われたわけではなく、依然として緊密な関係が存続しています。お互いに協力し合うことが各々の国益にもつながりますし、旧ソ連構成諸国における不法移民問題でさえも、この連合構想が実現すれば解消することが可能なのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

│米国│対イラン軍事攻撃への反対論強まる

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

18世紀の英国の評論家サミュエル・ジョンソン氏の有名な警句「絞首刑になるかもしれないということほど…」を言い換えて言えば、「突然戦争になるかもしれないということほど、人を真剣に考えさせるものはない。」ということだろう。

もしその警句が10年前の米国によるイラク進攻の準備段階には当てはまらないとしても、1月上旬以降、急速に高まりを見せているイランと米国及びイスラエル間の緊張関係を巡る米国の外交エリート、とりわけかつてイラク戦争を支持したリベラル・ホークと呼ばれる人々の動きには当てはまるようだ。

 日増しに強まる、イラン核施設を攻撃するとのイスラエルからの脅し。この数年で5人目となる、おそらくはイスラエルの諜報機関モサドによるとみられるイラン人核科学者の殺害。このところ急速に進められているイラン経済の弱体化を意図した西側諸国による経済制裁の強化。ホルムズ海峡を閉鎖するとのイランの脅迫。こうした事態の展開とともに、それまで仮定の領域で語られてきたイランとの戦争の可能性が、意図的なものか、挑発によるものか、偶発的なものになるかは別として、徐々に現実味を帯びて我々の視野に入ってくるようになった。

また米国内では、共和党の大統領候補者たちが、なんとかキリスト教原理主義勢力やユダヤ人有権者・後援者の支持を獲得しようと、イスラエル支持のタカ派的な発言を繰り返しているが、こうした動きは、かつてイラク戦争へと扇動したネオコン系シンクタンクのアメリカンエンタープライズ研究所(AEI)や民主国家防衛基金(FDD)が最近再びイランの「政権交代(regime change)」を訴えるキャンペーンを強化してきている動きと同様に、イランとの戦争の可能性を高めかねないリスク要因となっている。

こうして突然戦争が起こりうるのではないかという懸念が急速に高まる中、米国の著名な外交・国際政治専門誌「フォーリン・アフェアーズ」が、「イランを攻撃するとき―なぜ爆撃が最小悪のオプションなのか(Why a Strike is the Least Bad Option)」と題するマシュー・クローニグ氏による論文を掲載した。彼は、つい最近まで、国防総省(ペンタゴン)で1年間に亘る戦略分析の任務についていた。この論文には、イランの防空施設・核施設に対する限定的な空爆が主張されている。

しかし、これに対して、対イラク開戦をかつて主張したリベラル・ホークを含む外交政策に影響力を持つ多くのタカ派論客の間から、これ以上の米国或いはイスラエルによる事態の先鋭化に反対する「対イラン戦争回避論」が強く出されるようになってきた。

「フォーリン・アフェアーズ」誌の発行元である「外交問題評議会」のレスリー・ゲルブ名誉会長は、デイリー・ビースト誌に寄稿した論文の中で、かつて立場を同じくしていたネオコンやその他のタカ派論客たちがイランとの対決姿勢を強めている動きについて「以前と同じく、無知で杜撰な考え方をする政治家や政治化した外交専門家達が新たな基準の『最後通牒』を突き付けようとしている。そして以前と同じように、彼らが私たちを急速に戦争へと駆り立てている事態を許してしまっている。」と指摘した上で、「我々はひどいことをまたやろうとしている」と警告した。

かつて元CIA分析官で2002年に出版した著作『迫りくる嵐』(The Threatening Storm: the Case for Invading Iraq)がリベラル・ホークに頻繁に言及されたケネス・ポラック氏は、これ以上事態が先鋭化することに反対の立場を表明するとともに、バラク・オバマ政権や欧州連合(EU)が採用している経済制裁強化路線は逆効果であると主張した

ポラック氏は、「こうした(イラン中央銀行を標的とした)経済制裁は、あまりにも影響が大きく、潜在的に裏目に出る可能性がある」と述べ、その理由として苦闘している西側諸国自身の経済に悪影響が及ぶ可能性があることや、もしこの経済制裁がかつてイラクにもたらしたような「人道的危機」(1992年からイラク進攻時まで課された経済制裁)を引き起こした場合、外交的に制裁を維持することが困難な点を挙げた。

さらにポラック氏は、「我々がイランへの圧力を加えれば加えるほど、イラン側の反発を招き、彼らの反撃の仕方によっては、事態は容易に予期できない方向にエスカレートしていくでしょう。もし戦争となれば、イランの方が圧倒的に深刻な被害を被るのは明らかだが、西側諸国も手痛い代償を強いられるだろう。しかもそうした痛みはだれもが想像できないほど将来に禍根を残すかもしれない。」と述べている。

一方、著名なリベラル・ホークで2009年に国務省政策企画本部長に就任するまでプリンストン大学教授をつとめていたアン・マリー・スローター氏は、project-syndicate.orgに寄稿した論文の中で、「西側諸国とイランは危険なチキンレースを行っている。しかも西側諸国が現在推し進めている政策は、イラン政府に二者択一、すなわち公に圧力に屈して引き下がるという彼らにとってあり得ない選択肢か、挑発を一層エスカレートさせるという選択肢のいずれかの選択を迫るものである。」「西側諸国がイランを公に脅迫すればするほど、イラン指導部にとって、近年米国を友好的に見る傾向にあった国内の一部の市民に対して、改めて米国を『大悪魔』として描いて見せることが容易となる。」と述べている。

またスローター氏は、「今こそ、イランが引き下がれる戦略を用意できる冷静な指導者が主導権をとるべき時です。」と述べ、具体的な方策として、2010年にトルコとブラジル政府がP5+1(国連安保理常任理事国+ドイツ)とイランの仲介を試みようとしてその後頓挫したイニシアチブを復活させることを提案した。

『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、ビル・ケラー氏は、クローニグ論文に関して、論文の読者とクローニグ氏のペンタゴンのかつての同僚らは、「この文章に驚愕していることだろう。イランの核の脅威を極端に評価し、他方で事態改善に関する米国の能力を極端にバラ色のものとして描いているからだ」と記した

またケラー氏は、クローニング氏の予想とは反対に、「イラン攻撃を行えば、イラン国民はほぼ間違いなく指導者の下に結束し、イランによる核能力追求は、国際査察の目を遠ざけて地下化し、ますます強化されることになるだろう。ペンタゴンでは、『いま避けようとしていることを引き起こすには、イランに軍事攻撃を仕掛けるのが一番』という警句が交わされているのをしばしば耳にするだろう。」と述べている。

また、昨年12月までの2年間、ペンタゴンで中東政策の責任者を務めていたコリン・カール氏は、「フォーリン・アフェアーズ」誌に「イランを攻撃する時ではない」と題したクローニグ論文への反論を投稿し、その中で「クローニグ氏が論文で述べているクリーンで限定的な戦いなど幻に過ぎない。それどころか、イランとの戦争は汚く、多くの犠牲者と禍根を残す極めて暴力的なものとなるだろう。」と記している。

現在タカ派シンクタンクの「新アメリカ安全保障センター」(CNAS)のシニアフェローをつとめるカール氏は、クローニグ氏への数々の反論の中で、「イランに対する先制攻撃を行えば、それはクローニグ氏の言うような限定攻撃では終わらず地域を巻き込む戦争に発展する可能性が高い。さらに先制攻撃は、イランの人々を現政権の下に団結せしめるのみならず、『アラブの春』で広がった反体制運動が、一気に反米運動に転化する危険性がある。」と警告している。

その後、カール氏による分析内容の多くは、元米空軍大将でジョージ・W・ブッシュ政権の2期目に中央情報局(CIA)長官を務めたマイケル・ヘイデン氏に支持されている。因みにヘイデン将軍はリベラルとはとうてい呼べない人物である。

フォーリン・ポリシー誌のブログによると、1999年から2005年まで国防総省の国家安全保障局(NSA)局長をつとめたヘイデン氏は、先週ワシントンDCに本拠を置くシンクタンクCenter for the National Interest(旧称ニクソンセンター)で開催された会合で、少数の参加者を前に「ブッシュ政権当時、大統領の安全保障アドバイザーたちは、イランへの核施設に対する軍事攻撃は、それがイスラエルによるものであろうと米国によるものであろうと、望ましい結果が期待できるものではないとの結論に達していた。」ことを明かした。

同ブログによるとその際、ヘイデン氏は、「イスラエルは(イランへの攻撃を)行わないだろう。…それは彼らの能力を超えるもので、実行は不可能である。彼らの軍事能力では(イランの核開発プログラムという)問題を悪化させるだけだ。一方、米国には(イランに対する)軍事行動を開始する能力はあるが、期待できる効果は短期的な問題の是正に過ぎない。結局は誰も、何かを占領するといった話をしているわけではないのだ。…」と語ったという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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今こそ「平和への権利」の好機(アンワルル・チョウドリ国連総会議長上級特別顧問)

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【ニューヨークIDN=アンワルル・チョウドリ】

A.K Chowdhury
A.K Chowdhury

13年前の1998年、世界人権宣言50周年にあたって、ある市民団体のグループが「平和への権利」の確立を目指す世界的な運動を開始しました。彼らは、「恐るべき戦争、野蛮な行為、人道や人権への罪を経験した20世紀を経て、今こそ『平和への権利』が広く確立される好機にあると確信している。」と宣言しました。

彼らは「生存権は戦時には適用されない-この矛盾、そして人権の普遍への冒涜は、平和への権利を認識することによって終わらせなければならない。」と強調したうえで、「戦争を礼賛する熱狂を克服し、平和の文化を構築するために、各々の国と社会における暴力や非寛容、不公正を防止するよう」全ての人々に呼びかけたのです。

しかしいずれの目標もまだ達成されていません。「平和への権利」は完全かつ公的、直接的な形では認知されていませんし、「平和の文化」を推進するために必要な努力も、現在の国連の仕組みの中では依然として軽視されたままになっているのが現状です。

 国際社会は長年にわたって、平和と人権の普遍性を打ち立てるために努力してきました。国連は、その憲章において、平和はその存在のための中心的なものであると認識し、平和こそが、すべての人びとが人権を全面的に享受する前提条件でもあり結果でもあると確認しています。

「平和への権利」の集合的な次元が、「戦争の惨害から将来の世代を守っていく責任が人民にはある」という形で、国連憲章の前文で成文化されています。

人民が持つ「平和への集合的な権利」は、人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(1981年)の第23条1項においても宣言されています。また、1984年には、国連総会が、「この地球の人民は、平和への神聖なる権利を有する」として、「人民の平和への権利を守りその履行を推進していくことは、各国の基本的な義務を構成している。」と宣言しています。

また平和に関しては、1999年のハーグ世界市民平和会議(HAP)」が言及に値するものです。この会議では、4つの主要なアピール(①軍縮と人間の安全保障、②武力紛争の防止、解決、平和転換、③国際人道法・人権法と制度、④戦争の根本原因と平和の文化)から成る、「21世紀の平和と正義のための課題(=ハーグ・アジェンダ)」と題する野心的な政治文書が採択されました。

それ以来、市民社会は、平和、正義、開発、軍縮、人権尊重が、「平和の文化」を構築し現在の「暴力的文化」に立ち向かうために欠かせない要素であることを前提とするようになったのです。

この文脈でのパイオニア的なものとしては、1969年に第21回国際赤十字会議で採択された「人類には永続する平和を享受する権利がある」としたイスタンブール宣言と、1976年に国連人権委員会で採択された「すべての人間が平和と国際の安全という状況の下で生きる権利がある」とした決議が挙げられます。

ルアルカ宣言

私は、市民団体がもっとも前向きに「平和への権利」を主張してきたことを誇りに思っています。スペイン国際人権法協会(SSIHRL)がこのキャンペーンを先導してきました。SSIHRLは、2006年10月に「平和への権利に関するルアルカ宣言」という画期的な文書を採択しています。これは、このテーマについて、最も包括的にかつ説得力をもって表現した文章であり、「平和への権利」が、国連総会で「近い将来」検討されることを求めています。それから今日まで、既に5年の月日が経過してしまっています。

ルアルカ宣言の非常に価値のあるところは、普遍性、相互依存、人権の不可分性、国際的な社会正義を実現する必要性といった、「平和への権利」を構成する要素について、効果的な方法で提示した点にあります。また、きわめて大胆かつ正しくも、「平和への権利」の効果は、男女の平等が実現されない限り達成されないと述べています。

あらゆる人民や国家が世界的に相互依存しているがゆえにおこる人権への脅威に対して、世界規模で協力して対応するには、平和や開発といったような「人間の能力を伸ばす」人権を承認することが必要です。実に、極度の貧困や飢え、病気が世界で蔓延している今日の現状は、基本的人権の明白なる侵害というだけではなく、多くの人びとにとっての真の脅威でもあるのです。

ルアルカ宣言の内容は、ビルバオ宣言においてさらに練り上げられ、さらに国際起草委員会(世界5つの地域からの10人の専門家で構成)での審議を経て、2010年6月2日に採択された「平和への権利に関するバルセロナ宣言」に引き継がれました。こうして、2006年にルアルカで始められた民間での成文化の試みが、国際的に認知されることになったのです。私は、この国際起草委員会の委員長を務めたことを光栄に思っています。そしてバルセロナ宣言は、スペインのサンチアゴ・デ・コムポステラで開かれた国際会議において承認されたのです。

2007年以来、人権理事会は、国際関係における連帯という基本的な価値を再確認しています。国連が2000年に採択したミレニアム宣言では、「世界的な課題には、平等と社会正義の基本原則に従って、コストと負担を平等に分配する形で対処されねばならないこと、もっとも被害を受けている者、あるいはもっとも利益の少ない者は、もっとも利益を得ている者からの支援が必要であること」を確認しています。

国際社会では、連帯という基本的価値にきわめて近い「第三世代の人権」概念をますます認知するようになってきています。第一世代とは政治的、市民的権利であり、第二世代とは、経済的、社会的、文化的権利を指します。約1800の市民団体がジュネーブに集い、「平和への権利」が、人権理事会によって、また、最終的には国連総会によって認知されるように求めていく連合を形成したのです。

平和への権利

「平和への権利」は曖昧な概念に過ぎないのではないかとの批判に応えて、カナダで平和活動を続けるダグラス・ローチ氏は、「(平和への権利は)国際レベルにおけるパラダイム・シフトの産物です。問題が単純に国ごとに解決できないようなグローバル化した世界に対処するには、国家と個人との関係だけを問題にする権利概念では不十分なのです。運輸や情報、金融、組織の巡りを世界的に円滑にしている構造そのものが同時に、武器商人や軍閥、狂信的宗教家、抑えの利かない政治的指導者、人身取引者、テロリストにも力を与えているのです。つまり、これまでの二世代の人権概念では対処できないような技術的限界があり、『平和への権利』は、近年の相互につながった世界の危険性に対処するための試みなのです。平和への権利は曖昧であり何も新しいものをもたらさないと非難するのは本質を欠く議論なのです。『平和への権利』は革新的なものであり、近年の相互につながった世界的課題全体に対処するためのものです。」と強調しています。

国際法や国際政治は、人権と平和との間の否定し得ない相関関係についてよく認識していますが、国連総会は、依然として、「平和への権利」を独自の権利として認めていません。にもかかわらず、私と考えを同じくする多くの人びとが、「平和への権利」に連帯の権利としての地位が与えられねばならないと考えています。

国際社会のつながりと存在そのものを守るだけではなく、集合的な目標を達成するために、国際的な連帯は、国際協力、利害の一致、共同行動を必要とします。このグローバルな目的を達成するためのすべての手段は、「平和への権利」によって共有されねばなりません。なぜなら、国際の平和と安全を維持するための協力は、この権利の履行にあたって必要とされているものだからです。「平和への権利」がひとたび新たな人権として確立されれば、「平和の文化」に対して堅固な基盤を提供することになるでしょう。また、「平和への権利」を承認することは、暴力との闘いや、武力・強制・ジェンダー差別を基礎にした態度との闘いに推進力を与えることになるでしょう。

平和の文化

私の友人であり先見の明をもって国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)を率いてきたフェデリコ・マヨール氏(IPS理事長)は、「平和は、力によっては維持できない。それは、理解によってのみ達成される。」というアルベルト・アインシュタイン博士の言葉を想起しつつ、「もし、平和がすべての人びとにとっての権利であるのならば、平和の文化はすべての人びとの責任であることを今日理解しなくてはならない。」と述べています。これはなんと深く、適切な言葉なのでしょうか。

平和の推進は、「戦争がない状態」という受動的な意味合いのみで捉えるのではなく、「公正、ジェンダー、人種の平等や社会正義を実現するための条件が作り出されている」という能動的な意味合いからも理解される必要があります。人間から経済的、社会的、文化的権利を奪えば、社会的不正義や周縁化、際限なき搾取を招くことになります。つまり、社会経済的な不平等と暴力との間には相関関係があるのです。

したがって、社会の内外におけるあらゆる形態の暴力を減らすためには、発展への権利(Right to Development)を実現することが肝要となります。冷戦の終焉以来消えてしまっていた「平和への権利」の問題を国際的な課題として改めて取り戻さなければなりません。国連は、連帯や人権、国際協力、軍縮、平和を一体のものとして認め、真の意味で再度取り組むべきです。

21世紀の2度目の10年期に入る今、新しくよりよい未来を作り出すために過去からの教訓を本当に活かさねばなりません。私たちは、これまでに得た教訓として、過去の歴史を繰り返さないためにも、非暴力や寛容、民主主義といった価値をすべての老若男女に説いていかなければなりません。この点について、前国連事務総長でノーベル賞受賞者のコフィ・アナン氏は、次のように述べています。「長年にわたる経験から我々は以下の点を理解するに至りました。まず一つは、対立する集団を引き離すために国連平和維持軍を送り込むだけでは不十分だということ。2つ目は、社会が紛争によって荒廃した後で平和構築を試みても、それだけでは十分ではないということ。そして3つめは、予防外交を行うだけでも十分ではないということです。これらすべてが重要な任務ではありますが、私たちが望むのは一時的でない、永続的な成果なのです。つまり簡単に言えば、『平和の文化』こそが必要とされているものなのです。」

こうした目的をもって、国連は、1999年、「平和の文化に関する宣言と行動計画」の採択という画期的な決定を下しました。私は、規範を設定すべく作られたこの文書の採択に向けたコンセンサス作りのため9ヶ月に亘って交渉を率いる経験をさせて頂いたことを光栄に思っています。

平和は人間開発の前提条件です。そして、平和は、精神の平和がなければ達成されません。平和は、内なる平和と外部での平和がそろって初めて意味を持つものなのです。

私たちは、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という含蓄のある言葉がユネスコ憲章に盛り込まれていることを忘れてはなりません。平和の文化が繁栄することで、力から理性へ、紛争と暴力から対話と平和へと移行する前提条件となるような、ものの考え方が生まれるのです。

平和の文化を構築するのに今ほど適切な時はありません。これよりも重い社会的責任はなく、この地球において持続可能な基礎の上に平和を確保することほど重要な任務も他にはありません。多くの課題を抱えた今日の世界では、様々な事象が複雑に関係し合い、相互依存の度合いが深まっています。私たちは、こうした厳しい現実に直面して、互いに助け合っていく必要に迫られているのです。平和と和解に向けた世界的な努力は、信頼と対話、協力を基礎とした集合的なアプローチによってのみ成功することができるのです。そのために、社会の前向きな関与と参加を促しながら、私たちすべての間に「平和の文化」を作り出すような大連合を構築する必要があります。

今日、国際社会、とりわけ国連が「平和への権利」を承認する意義は極めて大きいと思います。なぜなら、私たち一人一人の心の中に、大いに必要とされている「平和の文化」を創造するインスピレーションを大いに刺激することになるからです。

今日の世界では、よりいっそう、「平和の文化」を、あらたな人間性の本質であり、内においてはひとつのものでありながら外部では多様性を有する新しい形のグローバル文明とみるべきです。

平和の種は私たちすべての中にあります。それを育て、世話し、促進して、花を咲かせねばなりません。平和は外部から押し付ければよいというものではなく、内から実現されるべきものなのです。

「平和の文化」を形作る主な基となるのは教育です。平和教育は、「平和の文化」を創り出す本質的な要素として、世界のあらゆるところ、あらゆる国や社会で、受け入れられる必要があります。今日の若者たちには、これまでと根本的に違った教育-すなわち、「戦争を賛美しない教育、平和や非暴力、国際協力のための教育」-を受ける権利があります。若者たちには、彼ら自身だけではなく、彼らの属する世界のためにも、平和を創り出し育てるためのスキルと知識が必要です。

すべての教育機関が、学生が責任を持ち生産的な世界市民になる準備をする機会を提供する必要があり、「平和の文化」を形作る教えを導入する必要があります。

世界が貧困や飢え、差別、排除、不寛容、憎しみから解き放たれたとき、そして、女性も男性もその最大限の潜在能力を発揮し、安全で満たされた生活を送れるとき、非暴力が真の意味で繁栄することを私たちは忘れてはなりません。

ここで私は、「平和の文化」に向けたダイナミックな前進の多くが、その着想と希望を、世界の人口の半分を構成する女性のヴィジョンと行動から得ていることを強く強調しておきたい。男女間の平等と、すべての意思決定における女性の平等な参加こそが、持続可能な平和の重要な前提条件なのです。

よく言われてきたことですが、「何世代にもわたって、女性は、家庭内において、そして社会において、平和教育家としての役割を果たしてきました。また女性たちが、壁ではなく橋を架けることに力を尽くしてきたことが証明されています。」つまり、女性が周縁化され、彼女らの平等が人間の活動のあらゆる領域において保証されないとき、「平和への権利」は価値あるものとはならないし、「平和の文化」が可能なものとはならないのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan 

※アンワルル・チョウドリ大使は、元国連事務次長(後発開発途上国・内陸開発途上国・小島嶼開発途上国担当高等代表)。現在は、国連総会議長の上級特別顧問、IPS Japan顧問。この文章は、チョウドリ大使が2011年9月25日に「ニューヨーク倫理文化協会」の総会において行った講演録を基にしたものである。

欧州を新たな核軍拡に引き込むNATO

【ベルリンIDN=ジュリオ・ゴドイ】

2009年末から2010年半ばにかけて、ギド・ヴェスターヴェレ外相が代表するドイツ政府は、核爆弾「B61」をドイツ領から撤去するよう主張していた。この大量破壊兵器が実際にどれだけ配備されているかは軍の極秘事項であるが、約20発がドイツ領内に配備されていると考えられている。

核軍縮を求めるドイツの訴えは、北大西洋条約機構(NATO)が150~200発の核兵器を配備しているとされるベルギー、イタリア、オランダ、トルコにとっても関連のあるものであった。

 前任者のフランク-ヴァルター・シュタインマイアー氏と同じく、ヴェスターヴェレ外相は、自ら反核活動家と同じような議論を展開し、そうした兵器は多くの面で時代遅れだと主張した。なぜなら、これらの核兵器は、それ自体使用価値がなくなったと考えられる他の兵器とともに、既に存在しないソ連圏という敵に対して使うことが想定されているからである。
 
このドイツの運動は控えめなものに見えるが、世界中に広がる核兵器は「冷戦の最も危険な遺産」だとした2009年4月のバラク・オバマ大統領の歴史的なプラハ演説に敏感に反応したものだった。

しかしそれからほどなくして、欧州の非核化を目指すドイツの動きは、オバマ大統領のプラハ演説と同じように、実現の見込みの薄い言葉以上のものではなくなってしまった。すでに2010年4月、NATOは、欧州核兵器のいわゆる近代化計画を承認し、2020年までに完了するものとした。同計画は、2012年5月のNATOシカゴ・サミットでも、いわゆる「抑止・防衛態勢見直し」(DDPR)の中で再確認された。
 
そうすることでNATOは、現在の核戦力に対する批判、つまりそれがいわゆる「無能兵器」(dumb weapons)で構成されているという批判が正確であることを結局のところ認めてしまったのである。なぜなら、この核兵器は目標地帯に対して軍用機から投下され、レーダーによって誘導される仕組みだが、このレーダーはそもそも「耐用年数5年」を想定して1960年代に作られたものであることが、米上院の公聴会によって明らかになっているからである。

上院公聴会で証言を求められた米国のある軍需産業関係者は、このレーダーについて、「現在では評判の悪い真空管」を使用したものであり、「絶対に取り換える必要がある。それに、中性子発生器もバッテリーの部品も急速に陳腐化するので、やはり取り換える必要がある。」と述べたという。

こうした「無能核兵器」を航空機から投下することは、それが想定どおり爆発した場合、広大な地域が地表から消し去られてしまうことを意味する。

古い核爆弾「B61」はいくつもの危険を抱えている。2005年に行われた米空軍のある調査では、欧州の核兵器維持に係る手続きはリスクを抱えており、雷の落下によって核爆発を起こす危険性があるという。また2008年に行われた別の米空軍調査では、欧州における「ほとんどの」核兵器配備地は、米国の安全指針を満たしておらず、これを標準並みに引き上げるためには「相当の追加資源を必要とする」と結論づけている。

この古めかしい兵器の近代化は、二段階で行われる予定である。第一段階で、欧州に現在展開しているB61核爆弾が2016年から米本土に返され、精密誘導核兵器(いわゆる「B61耐用年数延長計画=B61-LEP)に転換され、2019~20年ごろ、能力を強化した「B61-12」として欧州に戻される予定である。さらに、新型ステルス戦闘爆撃機( F35統合打撃戦闘機)が、欧州への2020年代初頭の配備を目指して製造中である。

しかし、この近代化計画は、NATOによる現在の核戦力評価と矛盾しており、同盟のその他の目標遂行の妨げになっている。

愚かな行為

第一に、今年5月の「抑止・防衛態勢見直し」でNATOは、「同盟の核戦力態勢は、現在、効果的な抑止・防衛態勢の基準に適合している」ことを確認している。NATO核戦力に対する数多くの批判があるように、もしこれがそれほどに効率的なものであるならば、なぜその能力を強化する必要があるのだろうか?しかし、これはより愚かな行為である。なぜなら、米国科学者連盟核情報プロジェクトのハンス・クリステンセン氏がベルリンで開催されたドイツ議会軍縮外交委員会の公聴会で11月7日に述べたように、B61-LEPは「非常に高価で、現在、100億米ドル(約8300億円)以上かかると考えられている」からである。

クリステンセン氏はさらに、この高コストは「爆弾の安全性、保安性を強化するために必要なことだと言われている。しかし、欧州の(核)兵器は安全かつ確実な状態にあるとつねに言われてきただけに、どうしてこのようなことが必要なのかは謎だ」と述べている。

しかし、矛盾は、評価の単なる性格や、核兵器の技術的陳腐性をさらに超えたところに広がっている。この近代化計画は、ロシアに対する挑発を意味するのだ。というも、新型「B61」に関するNATO自身の表現を信じるとすれば、これは、レーザーで誘導されて精密性を相当に強化し、誤差30メートル以内で標的を正確に爆撃することができるからだ。

あるいは、クリステンセン氏が言うように、「尾部に誘導機能を付加することで、現在のバージョンに比べて『B61-12』の正確性は強化され、現在欧州に配備されている『B61』よりも標的破壊能力は大幅に向上することになる。」米議会が1992年に、核兵器の使用可能性をより高めることになるという懸念から、同じような誘導爆弾の提案を拒絶したことは特筆しておいてよいだろう。

こうした精密誘導能力を得たB61核爆弾は、より柔軟な戦力となり、戦術兵器としても戦略兵器としても配備可能なものとなる。そして、現在のように前近代的な状況の下だけに置かれることもなくなるのである。ドイツの核兵器問題専門家オトフリード・ナサウアー氏(「ベルリン大西洋安全保障情報センター」(BITS)代表であり、B61-LEPに関する報告の共著者でもある)は、「こうした変化は、ソ連の指導層が1970年代末から80年代初頭にかけてのパーシングII(2段式固体燃料準中距離弾道ミサイル)をめぐる議論の中で持った不安を呼び起こす可能性がある」と警告している。
 
 こうして欧州は、非常に評判の悪い1979年12月の「二重決定」の繰り返しへと向かっている。このときNATOは、欧州全体にパーシングIIと同型の中距離移動型ミサイルを572基配備し、東欧におけるソ連の移動型ミサイル「SS-20」配備に対抗するために地上発射型巡航ミサイル「BGM-109トマホーク・グリフォン」を配備するという決定を下したのであった。その結果、もっとも恐れられていた核軍拡競争が欧州の中心部で起こり、ふたたび相互確証破壊(MAD)の世界が現れ、欧州大陸の人びとの命が脅かされる事態となった。

公的には、欧州のNATO核兵器は中東、とりわけイランを標的としていることになっている。したがってNATOの公式見解によると、ロシアはB61の近代化改修を恐れる必要はない。しかし、こうした見方は、良くてもナイーブであり、悪ければ冷笑的なものでしかない。というのは、NATOの全加盟国が、ロシアがこうした近代化計画にどう反応するか十分理解しているからである。
 
ソ連は戦術核戦力の規模を明らかにしたことがないが、専門家らは、ロシアは西欧を主に標的にした核兵器を500~700発今でも保有しているとみている。この恐るべき核兵器は、NATOのそれと同じく旧式化している。核兵器の陳腐化、そして、おそらくは敵になるであろう国々の手に近代的な核戦力が渡ることは、ロシア政府がどのように反応するかを予想するのに十分であろう。つまり、ロシアもまた自らの核戦力を近代化するということである。

「核共有政策」

他方、B61-LEPに対する反対論は欧州では皆無である。ドイツでは、核軍縮を目指すという外務省のあらゆる言葉に反して、現在も有効な2009年の政府公式政策において、自国領域に配備されたB61の使用計画に関して欧州の非核保有国も参画することができるという、NATOのいわゆる「核共有政策」を明確に支持している。

ドイツのアンゲラ・メルケル首相が2009年3月に述べたように、ドイツ政府は、「思慮深く、目的とその達成のための手段とを取り違えることを避けなくてはならない。ドイツ政府は、この高度に重要な領域においてNATO内での影響力を保つために、核共有政策を支持する。」という立場をとっている。

「核共有政策」の影響を受けた欧州の他のNATO加盟国にも同じような見方が広がっている。与党キリスト教民主同盟(CDU)の軍事専門家ロデリッヒ・キーゼヴェッテル氏は、「欧州の小国は、自国領内への核兵器配備を、自らの立場が理解されたことの表れと考えている。トルコ政府は、もしドイツがB61を拒絶することがあればそれをトルコ領内で引き受けるとの意思を明らかにしている。」と語った。

ベルギーやオランダのような他の国は、新型B61核兵器に適合するように航空機の軍事能力を強化する旨を発表している。そのために、軍用機 F-16やB-16を新型のF-35統合打撃戦闘機と交代させることになるだろう。ドイツ政府は、軍事アナリストのヨヘン・ビットネル氏が週刊誌『ツァイト』で述べたように、「核兵器が軍用機が腐食するよりも早く消えてしまう」ことを期待して、同じように旧式の航空機「トルネード」を交代させることを依然として拒否している。

核兵器を運搬するために、ドイツと同じようにイタリアも「トルネード」を使用し、トルコはF-16を使用している。つまり、欧州で核兵器を使用可能な5か国は、3つの異なる型の航空機を核兵器の運搬に使用していることになる。クリステンセン氏は、「NATOが現在直面している安全保障上の問題に対処することを考えると、B61-12の能力を6か国の空軍の5つの異なる型の航空機に付与することは(米軍はまた別の航空機を利用している)行き過ぎであり、事態を複雑にし、費用も掛かりすぎる。さらに問題視すべきは、今日の核態勢が、規模を縮小・合理化し、現在の軍事的・財政的現実に適合させるのではなく、時代遅れになった軍事態勢から引きずってきたものをつなぎ合わせたものだという点である。」と指摘している。
 
これらすべての技術的、軍事的、政治的障害にも関わらず、ドイツ政府の軍事専門家キーゼヴェッテル氏は、NATOがB61-LEP計画を再考するのは、ロシアがその大規模な戦術核戦力の内容と場所を公開する姿勢を示したときのみであろう、と論じている。またキーゼヴェッテル氏は、「政治的兵器は技術的に機能しなくてはならない」と指摘し、そうした対話が行われる場合でも、欧州核兵器の近代化は進めなくてはならない、と語った。つまりこの発言は、現在の核戦力が陳腐化していることを暗に認めた形となっている。
 
キーゼヴェッテル氏のスタンスは、NATOのロシアに対する公的な態度とも響きあっている。2012年5月のDDRPで、NATOは、二極間の軍備管理政策においては、「今後のいかなる措置も、ロシアの巨大な短距離核兵器備蓄との不均衡を考慮に入れたものでなければ」ならず、「ロシアとの相互的なステップという文脈の下で」考えられなくてはならない、としている。クリステンセン氏は、「これは言葉を変えれば、ロシアの非戦略核態勢が欧州におけるNATOの核態勢によってではなく、NATOより劣勢にある自国の通常戦力を補う意味合いを持って決まっていることを考え合わせると、NATOの核戦力削減の条件としてロシアの核戦力との相互性と均衡を持ち出すことで、実際上、軍備管理の動きをクレムリンの強硬派の動向に委ねてしまうことを意味する。」と指摘している。

この文脈の下では、欧州が近い将来に「核のグローバル・ゼロ」、すなわち、すべての戦術核兵器の警戒態勢解除と廃絶を達成する見込みは極めて不透明であり、反核活動家や専門家は大きな試練に直面している。オトフリード・ナサウアー氏が言うように、「ドイツは、NATOの核共有政策に参画することで共同決定者たりうるように努力する、と繰り返し述べてきた。」しかしこうした姿勢こそが、きわめて危険で陳腐化し、逆効果となっている欧州のまがいものの核戦力「B61」の存在理由を部分的に証明するものであるかに思える。(原文へ

翻訳=IPS Japan
 
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│中欧│教育でのロマ隔離に批判高まる

【ブラティスラバIPS=パボル・ストラカンスキー】

スロバキア共和国の裁判所は、ロマの子どもたちを他の子どもから隔離して教育することは違法であるとの判決を下したが、隔離政策を採用している学校は、なおも自らの判断の擁護に躍起となっている。

サリスケ・ミカラニ(Sarisske Michalany)小学校のマリア・クヴァンチゲロヴァ校長は、「ロマの子供達は独自の教室を編成することで教師の目が行き届どいているのであり、彼らは隔離政策から恩恵を受けているのです。」と語った。

しかし隔離政策を批判する人々は、「ロマの子供達を含む様々な背景を持った子供達を同じ教室で教えている学校では成果がでており、隔離政策がロマの教育や社会包括の問題解決には全く役に立っていない。」と主張している。

 サリスケ・ミカラニ小学校に対して訴訟を提起した「市民・人権NGO助言グループ」のステファン・イワンコ氏は、「学校における隔離教育という、広範に見られる違法行為を止めるという意味で、今回の判決は重要な先例になるでしょう。包括的な教育こそ各学校が採用すべき唯一のアプローチです。混成学級において、様々な背景を持つ子供達が、知識の習得にとどまらず、多様性に富んだ社会の中で生きていく上で重要な素養である他者との付き合い方、寛容の精神、責任感などを学んでいけるのです。」と語った。

この学校に通っている児童430人のうち、半分以上がロマであり、22クラスのうち12クラスがロマ専用となっている。

しかし、学校側は、隔離教育は効果を挙げていると反論している。教員の一人で20年間ロマの子供達を教えてきたマルギータ・ドルコワ氏は、「(隔離教育で)ひとりひとりの子どもに注意を払うことができるし、彼らの能力に応じて授業のスピードを調節することもできます。結果的に出席率は上がり、学校からいなくなる子も少なくなりました。ロマの子供達は隔離教育のもとでより多く学べているのです。」「ロマの子どもたちの多くはスロバキア語が話せませんし、基本的な衛生観念もありません。また親たちもほとんど子どもに注意を払わないのです。混成学級にすると、ロマの子どもたちは失敗を怒られてばかりになってしまいます。」と地元メディアに語っている。

ロマの子供の大半は、教育レベルが低く、貧困と失業が蔓延する社会的に阻害されたコミュニティー出身である。スロバキア共和国では、多数のロマが、犯罪率が高い貧民街やスラム同然の居住地で生活している。

クヴァンチゲロヴァ校長は、「ロマとロマ以外の両親の双方が混合学級に反対しており、むりやり一緒にすれば、ロマ以外の子供達への教育に悪影響が及ぶ恐れがあります。」と語った。

また同学校の職員たちも一部のロマの子供達の学校での素行問題を挙げ、「(混成学級になった場合)彼らに対処するには、教師たちは子供たちに教えるというよりも、その他の子供達を守る『ボディガード』のような存在になってしまいかねない。」と主張した。

サリスケ・ミカラニ小学校は、今回の判決を不服として、控訴する予定である。

しかし、他の学校では、こうした考え方には否定的である。むしろ、ロマの子供達を包摂した教育の方が、彼らの可能性を引き出し社会への統合を促進する上で成果があがっていると主張している。

スロオバキア東部のメジェフで混成学級を運営している小学校のヘルトルーダ・シュルゲノヴァ副校長は、ロマの子供達の中にも学校でトップクラスに入っているものがおり、彼らの優秀さは証明されていると語る。

「貧困と不衛生、空腹しか知らない子ども達がシラミが巣食う頭に汚い身なりで学校に来たときは当初少しショックを受けるようですが、まもなく学校の環境に適応し喜んで通学してくるようになります。彼らも人生には違った生き方があるのだということを理解するのです。」とシュルゲノヴァ副校長は付加えた。

スロバキア政府も野党政治家も、サリスケ・ミカラニ小学校の隔離教育方針を批判しているが、同時に、迫害されてきた背景をもつロマの子供達の教育問題に関して、解決策は容易には見つからないという点は認めている。

ある政治家グループは、「各学校は非ロマの子供達の教育を犠牲にしない範囲で、混成学級の規模を縮小することで、教師がロマの子供達に十分な注意を払えるよう」提案している。

またあるグループは、「各学校に隔離教育をやめさせ包括的な教育を実施させていくために必要な支援を国が積極的に行うべきだ。」と述べている。

また今回の判決は、国際人権団体が中欧全域において、ロマの子供達に対する差別に反対するキャンペーンを何年も実施した後に下されたものである。

アムネスティ・インターナショナル」をはじめとする人権団体がスロバキア共和国とチェコ共和国で調べたところによると、両国では、ロマの隔離教育がかなり広範にわたって行われているという。

また、彼らがあやまって精神障害・身体障害学級に割り当てられるケースも多発しているという。「開放社会財団」の調査では、ロマの子どもが特別学校に送られる確率は非ロマの子どもよりも27~28倍も高いという。

2007年、欧州人権裁判所が、ロマの子どもを特別学校に送るチェコ共和国政府の行為は人種差別にあたるという判決を下し、事態改善が期待された。しかし、英国の慈善団体「イクォリティ(平等)」の調査によると、その後もあまり状況に変化はないという。

「イクォリティ」は、2011年3月から9月の間、チェコ共和国やスロバキア共和国から家族とともに英国に移住してきたロマに対する調査を行った。それによると、インタビューに応じたロマの子供の85%が、本国では隔離教育を採用する学校や特殊学校、或いは大半がロマの子供達が占める幼稚園に通っていた。

そして彼らの大半が、教師たちによる差別的な扱いをうけていたのをはじめ、非ロマの子供達による人種差別に基づく虐めや暴言を経験していた。

一方、インタビューに応じたロマの両親たち全員が、英国式の学校制度に差別や人種偏見がない点を高く評価しており、子ども達もこうした一般の学校で学ばせた方が、将来成功するチャンスがより開けてくると回答している。

また同調査によると、ロマの子どもの学校での成績は、算数、国語が平均、科学が平均或いは平均を多少下回る程度であり、むしろ彼らを包摂する教育を進めた方が、学校内外での衝突が少なくなるという。

「イクォリティ」のアラン・アンステッド代表は、「隔離教育は正当化できるものでは決してなく、ロマの生徒たちのためだとする主張にはなんら根拠がありません。(隔離教育は)社会的排除を進めるだけです。」と批判している。

「この(サリスケ・ミカラニ小)学校は、混成学級を設けるべきです。もし混成学級におけるロマの子供達への教育に懸念があるのならば、教師たちは両親と協力して問題解決を模索すべきです。国、両親、地域コミュニティーが知恵を出し合い、経験を共有し、この問題に協力して取り組むことができるはずです。」とアンスデット代表は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|北極圏|北極の氷が解け、熱い資源争いへ

【アックスブリッジ(カナダ)IPS=スティーブン・リーヒ

21世紀は「北極への殺到」の世紀になるかもしれない。ただしそれは、領有権の主張という形をとるのではなく、中国、ブラジル、インド等の北極に面していない国々が経済的・政治的影響力を行使しようという形で現れる。

中国はすでにノルウェー国内の北極圏に研究地点を構えており、8000トンの砕氷船も建造中である。

「カナダには、北極圏に影響力を持つ地域大国として、資源に富みながらも脆弱な生態系をもつこの地域を、『ワイルドウェスト(先住民の意向が無視される西部開拓時代の辺境地帯)』と化さないように保護していけるチャンスが巡ってきています。」と元ユーコン準州首相のトニー・ペニケット氏は語った。

 2013年、カナダは「北極評議会」の議長国に就任する。北極評議会は、北極圏に係る共通の課題(持続可能な開発、環境保護等)に関し、先住民社会等の関与を得つつ、北極圏諸国間の協力・調和・交流を促進すること目的に1996年に設立された協議機関である。現在同評議会は、主に①加盟国の拡大問題、②北極海を航行する船舶の増加問題、③資源掘削の問題、④地球温暖化で既に大きな悪影響を被っている脆弱な環境の保護問題、に直面している。

「北極評議会」が特徴的なのは、8つの加盟国(カナダ、ロシア、米国、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、アイスランド、デンマーク)に加えて、6つの先住民族集団がメンバーとして参加していることである(ただし、投票権は主権国家にしかない)。

また現在、英国、フランス、ドイツ、スペイン、ポーランド、オランダの6ヶ国にオブザーバー参加を認められている。

北極圏を巡る論争は稀で評議会は、協議のための重要なプラットフォームとしての役割を果たしている。2010年、ロシアとノルウェーはバレンツ海の200カイリ排他的経済水域の境界画定条約に調印した。ロモノソフ海嶺の一部領有権主張を巡るロシア、デンマーク、カナダ間の論争については、現在、海洋法に関する国際連合条約に則って解決に向けた協議が進められている。

「しかし最近では、北極圏に面していない国々、すなわちEU、他の欧州諸国、日本、韓国などがオブザーバー参加を求めるなど、加盟申請問題に苦慮しています。はたして『北極評議会』は、従来通りの影響力を維持していくためには、他の国々により大きな役割を認めるべきでしょうか?それとも従来のメンバーに枠を限定すべきでしょうか?ちなみにロシアやカナダは加盟国の拡大について強硬に反対の姿勢をとっています。また先住民族集団も、自らの影響力や声が薄れるのを懸念して拡大に反対の立場を表明しています。」とペニケット氏はIPSの取材に応じて語った。

一方、ブリティッシュ・コロンビア大学のマイケル・バイヤーズ教授(国際法)は、「加盟国の拡大は評議会の機能を大幅に強化することになります。つまり、より大きな影響力をもつ国を参画させることで、北極圏に対する一般市民の関心を集めることがより可能となるのです。正当な権益を有する国々を排除してしまうことは、新たな軋轢を生むことになります。」と語った。

昨年夏、ロシア船籍の「ウラジミール・チーホノフ号」がスーパータンカーとして初めて欧州とアジアを結ぶ5500キロの「北東航路」を航行した。これはロシアでは「北方航路」と呼ばれるもので、航行が可能な期間は夏の2か月のみだが、パナマ運河経由の航路と比較すると数千キロ短縮できる。

温暖化の影響で氷が少なくなってきているとはいえ、依然として北極は危険な場所である。先月には、ロシアの海上石油採掘装置が嵐により水没し、53人の従業員が亡くなった。幸いなことに、採掘装置自体は港に曳航され、石油漏れはなかった。

「『北極評議会』は、新たに北極地域における遭難者の捜索・救助協力に関する合意を先導しましたが、未だに原油流出事故への対応に関する合意はなく、石油・ガス掘削に伴う環境安全基準さえも存在しません。」と北極と水問題に取り組んでいる非政府組織「ウォルター&ダンカン・ゴードン財団」の研究員サラ・フレンチ氏は語った。

「原油流出に関する予備的な討論はありましたが、北極圏における掘削作業に関する安全基準については全く議論されたことはありません。」とフレンチ氏はIPSの取材に応じて語った。

イヌイット極域評議会がこの問題を取り上げたことがありますが、彼らは、環境保護に関して共通の決まりを設けたいと強く願っているのです。」とフレンチ氏は語った。

カナダは(来年)議長国として、先住民の声を強めるなど、北極圏の問題についてリーダーシップを発揮するできる立場になります、とフレンチ氏は言う。

「カナダは本来であればこの分野でリーダーシップが発揮できるのですが…しかし、スティーヴン・ハーパー政権の下では無理でしょう。」とバイヤーズ教授は語った。

「気候変動とその結果に関する問題は、北極圏では最優先すべき問題です。」とバイヤーズ教授は言う。

現在のハーパー政権の下、カナダは、地球温暖化問題に関しては、京都議定書からの離脱を宣言するなど、「ならず者国家」であった。カナダは同議定書で当初合意したとおり二酸化炭素排出を6%削減するどころか、排出量を24%も増加させている。IPSが先月報じたとおり、ハーパー政権は先月正式に京都議定書からの離脱を宣言した。

「カナダは(京都議定書からの脱退によって)気候変動問題に関して逆行的な立場をとっていると見られています。このことからカナダは北極評議会の議長国になっても、はたしてリーダーシップを発揮できるかどうか危ぶまれているのです。」とバイヤーズ教授は語った。

バイヤーズ教授は、「議長国就任はたしかにカナダにとって良い機会だと思うが、現政権はこの機会を無駄にしてしまわないかだろうかと、心配している。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

|軍縮|核廃絶への長くゆっくりとした歩み

【ベルリンIDN=ジャムシェド・バルアー】

「私たちは核兵器のない世界を望む」―世界の民衆の8割以上が、ある新しい報告書の執筆者に示した圧倒的な希望がこれである。しかし、事態をよく見てみれば、核兵器を削減し拡散を止めるという意味では、ほんのわずかのことがゆっくりと起こっているに過ぎない。これは、核科学者達にとっても深刻に憂慮すべき事態なのである。

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、1月16日に発表した報告書で、ラテンアメリカ・カリブ海地域とアフリカのすべての国々、アジア・太平洋、中東のほとんどの国々が、核兵器を禁止する条約を支持していると明らかにしている。しかし、欧州や北米、とりわけ北大西洋条約機構(NATO)の核同盟諸国では、核兵器禁止への支持は弱い。

ICAN
ICAN

 『原子科学者紀要』(Bulletin of the Atomic Scientists)の「世界終末時計」が、世界での核危機の高まりと核廃絶への進展の欠如のために、午前零時に向けて1分進められてから1週間後、『核兵器禁止条約へ向けて』と題されたICANの報告書が発表された。世界終末時計の針が最後に動かされたのは、2010年1月で、このときは、終末まで5分から6分へと1分戻されていた。

この時計は、核兵器や気候変動、それに生命科学における新技術によって引き起こされる大惨事に対して世界が抱える脆弱性の指標として、世界的によく知られている。
 
『原子科学者紀要』の科学・安全保障委員会は、核兵器や核エネルギー、気候変動、バイオセキュリティに関する専門家からの意見も聞きながら、最近の出来事の意味合いや、人類の将来に関する傾向をみて、時計を1分進めることを決めたのであった。

同誌は、1月10日の公式声明でこう述べている。「現在、終末まで5分である。2年前には、私たちが直面している真に世界的な危機に、世界の指導者らが対応しているかに見えた。しかし、多くの場合において、この傾向は続かなかったか、あるいは反転させられた。このため、『原子科学者紀要』は、時計を午前零時まで1分近づけることにした。これで2007年の状態に戻ることになった。」

同誌支援者委員会の委員であり、国連軍縮担当事務次官や駐米スリランカ大使などを歴任したジャヤンタ・ダナパラ氏は、この世界終末時計の発表に関して、「国際協力の新しい精神の登場と米ロ間の緊張緩和にも関わらず、科学・安全保障委員会は、核兵器なき世界への道のりは不透明で、リーダーシップが失われていると判断した。」と語った。
 
さらにダナパラ氏は、「2010年12月に米国とロシア新しい戦略兵器削減条約(START)を批准したことが、両国関係の悪化を反転させた。」と指摘した上で、「しかし、米国や中国、イラン、インド、パキスタン、エジプト、イスラエル、北朝鮮が包括的核実験禁止条約を批准せず、核物質の生産禁止条約についても進展がなかったことから、継続的に行われている核兵器開発のリスクから世界は解き放たれていない。」と語った。

世界には依然として1万9000発の核兵器がある。ダナパラ氏によると、人類を何度でも絶滅させることのできる量である。

ICANオーストラリアの核廃絶国際キャンペーンディレクターであり、報告書の執筆者でもあるティム・ライト氏は、「世界の大部分の国は、生物兵器や化学兵器が禁止されたのと同じように、核兵器も禁止されるべきだと考えています。」と語った。

カタツムリのペースから脱却する

「もし私たちがさらなる核兵器の拡散と使用を避けようとするのなら、核軍縮は今のようなカタツムリのペースではだめです。この動きを加速していく必要がありますが、そのための最善の方法は、核備蓄を削減していくスケジュールと基準を設けた、包括的な核軍縮条約によるものです。これが、国際社会の次の大きな交渉目標にされなければなりません。」とティム氏は語った。

核兵器をなくす緊急の必要性については、約100万人のメンバーとボランティアを擁する「国際赤十字・赤新月運動」が2011年11月に採択した歴史的な決議でも強調されている。

決議は、核兵器が人類に与える危機を強調し、「法的拘束力のある国際協定を通じて核兵器の使用を禁止し完全に廃絶する交渉を誠実に追求し、緊急性と決意を持って妥結する」よう政府に求めている。

ICANの報告書は、潘基文国連事務総長核兵器禁止条約を彼の核軍縮行動計画の中心的要素に据えた2008年以来、こうした条約への支持が相当に高まっている、としている。

「問題を抱えた核不拡散条約の2010年の運用検討会議では、核兵器国の一部からの強い反対を押し切って、合意された最終文書の中で核兵器禁止条約が2度も言及された」と報告書は指摘している。

ICANジュネーブ事務所の主任であるアリエル・デニス氏は、諸政府には、核兵器を禁止するという明確な付託を民衆から与えられていると考えている。「世論調査を見ると、世界各地で、さらには大量の核兵器を抱える国ですら、この非道徳的で非人道的、違法な兵器の廃絶を市民の大多数が支持しているのです。民衆は、指導者が核の影を振り払う時が来ていると信じているのです。」とデニス氏は語った。

しかし、『原子科学者紀要』科学・安全保障委員会の委員、ロバート・ソコロウ氏は、「核兵器なき世界への障害は依然として存在しています。具体的には、ミサイル防衛の有効性と目的に関する米国とロシアの間の意見の相違や、9つの核兵器国が核削減を継続するにあたって透明性や計画、協力が不十分であることなどが挙げられます。」と語った。

さらにソコロウ氏は、「こうして生まれた不信の結果、すべての核兵器国が、核兵器近代化によって彼らの掛け金(=これまでの核兵器への投資)を守ろうとしているのです。こうした国々は、たんに爆弾の部品と運搬システムの更新によって弾頭の安全性を確実なものにしているだけだと主張するが、軍備削減が計画的に進んでいけば、他の国の目には、これは実質的な軍備増強だと映ることになるでしょう。」と語った。

この難局を脱するには、世論を動員する必要がある。「核兵器国からの挑戦を受け止めるにせよ、人為的な地球温暖化の効果を軽減するにせよ、不安定な世界において破滅的な核紛争を予防するにせよ、民衆の力こそが不可欠です。」と『原子科学者紀要』のケネット・ベネディクト事務局長は語った。

「私たちが、他の科学者や専門家に対して、共に一般市民と関わっていくよう求めているのはこのためなのです。私たちは民衆とともに行動することによって、政策決定者と産業界のリーダーに最も重要な問いを突きつけることができますし、なによりも、答えと行動を要求することができるのです。」とベネディクト氏は付加えた。

同誌は、より安全な世界に向けた主要な勧告の一部は未だに実行されておらず、緊急の対処が必要とされていると指摘している。具体的には、米国や中国による包括的核実験禁止条約の批准や、核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約の進展などである。

民生用の核エネルギー燃料サイクルを多国間管理する緊急の必要性がある。また、原子力安全、核保安、核不拡散(プルトニウムを分離する再処理をしないなど)について厳格な基準を作る必要もある。

同誌はまた、核物質、技術開発、それらの移転を監視する国際原子力機構(IAEA)の能力強化も謳っている。

同誌は1945年に、マンハッタン・プロジェクトで最初の原爆開発に従事したシカゴ大学の科学者らによって創始された。黙示録的なイメージ(午前零時)、核爆発という現代的な特質(ゼロへのカウントダウン)を使いながら、人類と地球への脅威を伝えるために、1947年に世界終末時計が考え出された。

世界終末時計の針を動かす決定は、18人のノーベル賞受賞者を含めた支援者委員会との協議を経て、理事会によって下されている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|パレスチナ|今度は8日間にわたる殺戮が行われた

【ガザシティIPS=モハメッド・オメール】

イスラエル空軍のF16戦闘機が放ったミサイルがジャバリア難民キャンプ(ガザ地区で最も人口密度が高い地域)の自宅を直撃した時、フォアド・ヒジャージさん(46際)は、妻と8人の子供達とともに7時のニュースを見ていた。

この攻撃で、フォアドさんと2人の息子(ムハンマドちゃん3歳、シュハイブちやん2歳)が死亡し、妻のアムナさんと2人の息子、4人の娘が病院に収容された。また近隣の18人が負傷した。

 さらにこの空爆後も、救助活動に従事していた消防隊員2名と、救助隊員1名が、頭上に崩れ落ちた壁で負傷した。近隣住民は、IPSの取材に対して、フォアド・ヒジャージさんは、いかなる軍事組織にも属していなかったと語った。

ヒジャージさんらの遺体は親戚の手でジャバリア墓地に葬られた。パレスチナでは、最後の別れをするために、遺体は一旦自宅に運ばれるのが慣習である。しかし、ヒジャージさん一家の場合、遺体を運び込める自宅は爆撃により失われていた。

「フォアドは、自宅で妻と子供達とともに団欒の一時を過ごしていたごく普通の人間でした。それなのにこんな目に遭うなんて、彼らがいったい何をしたというのでしょうか。」と、ヒジャージさんの従兄弟は語った。

イスラエル政府は、11月14日に実行したハマス幹部の暗殺以来、ガザ地区の1450地点に攻撃を加えたと発表した。

8日間にわたった今回のイスラエル軍の攻撃で、子ども42人(最年少年齢11ヶ月)、女性11人、高齢者18人(最高年齢82歳)を含む、162人のパレスチナ人が殺害された。なお、重軽傷者は今までのところ1222人(その内、半数以上が女性と子ども)が報告されている。一方、同期間にガザ地区から発射されたロケットミサイルで死亡したイスラエル人は5人であった。

またイスラエル空軍による空爆が行われ、民間人の住宅、アパート、治安施設の大半、内務省、首相公邸、警察署、難民キャンプを繋ぐ橋や道、海軍施設、メディアセンターなどが標的となった。

イスラエル軍当局は、ガザ地区北部全域(ベイト・ラヒヤベイト・ハノウンアル・アタトラと周辺地域)のパレスチナ住民に対して、自宅から退避するよう勧告するビラを上空から投下した。

ガザ地区北部の自宅から退避したパレスチナ人婦女子らは、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する各地の学校(救護センター)に避難してきている。各センターでは、避難民が床で寝起きしている状態である。

サダ・アサフさん(41歳)は、病気の夫、2人の子ども、さらに夫の8人の連れ子と家を後にした。「激しい砲撃が数日続いたあと、このビラが空から降ってきたのです。」とアサフさんは語った。現在アサフさん一家は、救護所となった私立男子高校に身を寄せている。アサフさんは、現在の停戦状態が持続することを願いながら、小さなラジオから流れるニュースに聞き入っていた。(2008年のイスラエル軍侵攻で壊滅的な被害をうけた)ガザ地区北部のアル・アタトラでは、アサフさん一家を含む全住民が村を後にした。

国連によると、数千人によるガザ地区北部住民がUNRWAが運営する学校施設/救護センターに避難した。

マイスさんは自宅で、ガザ地区北部から退避するよう警告するイスラエル軍当局による電話連絡(録音音声)を受けたという。マイスさんは、「私はどこにいても安全だとは思えません。ここに来たのは国連旗の下なら隠れられるのではないかと思ったからです。」と語った。

夫のサラハ・アサフさんは、「2008年に同じことが起こった時にもここに逃れてきました。」と語った。

マイスさんは、2008年当時、イスラエル軍当局が(今回と同様に)近隣住民に対して自宅を退避するよう勧告しておきながら、しばらくして住民の避難先であるこの救援センターを戦車で砲撃し、少なくとも40人のパレスチナ人を殺害したのを覚えている。この国連庇護下の学校施設を標的にしたイスラエル軍による殺戮事件は、ガザ侵攻中止を求める国際的な非難が高まる契機となった。

各地の避難所に身を寄せているパレスチナ住民らは、新たに合意された今日の停戦が継続されることを切望している。11月20日深夜すぎ、ガザ地区上空には8日ぶりに静寂が戻った。一方、ガザ各地の街角からは銃声が鳴り響いたが、それは停戦合意の知らせとパレスチナ人の抵抗の勝利を祝うガザの住民によるものであった。

サダ・アサフさんは、再び自宅に家族を連れ帰ろうと、先日この救援センターに家族を乗せてきた荷車を探していた。(原文へ

翻訳IPS Japan