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ソチミルコの生態系保全に欠かせないメキシコサンショウウオ

近年、メキシコサンショウウオ(日本では1980年代にカップ焼きそばのCMで「ウーパールーパー」の愛称で取り上げられ一世風靡したことがある:INPSJ)は、メキシコシティの住民の間で非常に人気が高まり、地域の象徴となり、メキシコの首都南部の生態系保全に重要な役割を果たしている。

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アラヤ・アラニス】

写真:Guillermo Ayala Alanis.

メキシコ盆地に生息するこの両生類は、体長30センチで、微笑んでいるように見える親しみやすい外見をしている。メキシコシティ南部に位置し、アステカ時代以来の伝統と景観を今も色濃く残すソチミルコ湖水地域の生態系保全にとって、地元住民と自然環境を結びつける重要なリンクとなっている。

近年、メキシコサンショウウオはメキシコシティのシンボルとして、いたるところで目にするようになった。都市アートの一部として壁画に描かれたり、50ペソ紙幣の絵柄として登場したり、大学や研究センターでも生物学的および社会的側面が研究されたりしている。ホセ・アントニオ・オカンポ・セルバンテス博士(メキシコ国立自治大学ソチミルコ校(UAM-X)生物学・養殖研究プロジェクト責任者)は、メキシコサンショウウオは、動植物の生息地であり首都メキシコシティの「肺」の役割を果たしているソチミルコ湖水地域の自然環境を保全するうえで、非常に重要な位置を占める動物となっていると語った。

壁画に描かれたメキシコサンショウウオ。写真:Guillermo Ayala Alanis.
壁画に描かれたメキシコサンショウウオ。写真:Guillermo Ayala Alanis.

「この動物を、ソチミルコの生態系を保全するシンボルとして活用し、人々がメキシコサンショウウオに対して抱く感情を利用して、『私たちがメキシコサンショウウオが好きなら、絶滅の危機から救わないといけないが、そのためにはこの種が依存する生態系全体も保全しなければない。』と訴えるべきです。この小動物は、ちょうど水生系と陸生系動物の中間に位置する種です。」と、セルバンテス博士は語った。

2017年以来、オカンポ博士はメキシコ国立自治大学ソチミルコ校クエマンコ生物・養殖研究センター(CIBAC)の責任者を務めている。このセンターは、多くの運河が点在するソチミルコ自然保護区域の中心に位置し、研究のみならず、大学生たちに対する教育にも力を入れている。また、この地域には、メキシコサンショウウオだけでなく、鳥類、げっ歯類、魚類も生息しているため、メキシコシティにとって生態学的価値の高いこの象徴的な地域の保全と社会への普及を活動の目的に掲げている。

Dr. José Antonio Ocampo Cervantes, Head of the Cuemanco Biological and Aquaculture Research Project, UAM-X. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis.
Dr. José Antonio Ocampo Cervantes, Head of the Cuemanco Biological and Aquaculture Research Project, UAM-X. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis.

オカンポ博士は、INPSニュースの取材に対して、「市民と自然とのつながりについて啓蒙する活動の一環として、CIBACは学校やあらゆる年齢層の社会的弱者を対象としたガイド付き訪問を企画しており、訪問者はメキシコサンショウウオとその生態に驚いています。」と語った。 「幼稚園児から大学院生まで、またホームレスの子供たちなど社会的弱者のグループも訪れています。彼らが最初に口にするのは、こんな場所があるなんて想像もできなかった、首都圏の一部とは思えない、騒音も聞こえないし、鳥のさえずりが聞こえます。」

1998年にメキシコ国立自治大学(UNAM)生物学研究所によって報告された調査によると、ソチミルコ湖には1㎢あたり6000匹のメキシコサンショウウオが生息していたが、2014年の調査では、生息地の汚染により、1㎢あたり35匹しか生息していなかった。 生態系への外来種の侵入や住宅開発などによる運河などの埋め立てを背景とした生息地の縮小により、野生の標本が少なくなっているため、飼育下でオリジナルの標本を保存することが重要となっている。

飼育下では、ピンクや白といった淡い色の品種も繁殖しているが、CIBACでは、元は黒く頭の後ろにエラがあり、常に幼生の形態を残したまま性成熟する(変態しないことから自然界のピーターパンと呼ばれる)この不思議な生物の生態を研究し保存している。

ソチミルコ(ナワトル語で「花の野の土地」)は現在のメキシコシティを構成するメキシコ盆地南部に広がる平地で、運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つソチミルコ湖の名残である。この地域は、トラヒネラと呼ばれる小舟が行き交い、チナンパ(沼の上に浮かぶ農地)が浮かぶ運河網の景観や文化などアステカ以来の伝統を色濃く残す町である。写真: Guillermo Ayala Alanis.
ソチミルコ(ナワトル語で「花の野の土地」)は現在のメキシコシティを構成するメキシコ盆地南部に広がる平地で、運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つソチミルコ湖の名残である。この地域は、トラヒネラと呼ばれる小舟が行き交い、チナンパ(沼の上に浮かぶ農地)が浮かぶ運河網の景観や文化などアステカ以来の伝統を色濃く残す町である。写真: Guillermo Ayala Alanis.
Axolotls at CIBAC, UAM-X. 写真:Guillermo Ayala Alanis
Axolotls at CIBAC, UAM-X. 写真:Guillermo Ayala Alanis

また、メキシコサンショウウオは、四肢だけでなく脊椎や心臓なども再生可能であることから、再生医療の研究で注目されている。部分的に再生できる生物は他にもいるが、年齢を問わず元の器官と同等の器官を再生する点でこの種は異なる特徴を示している。

2018年、『ネイチャー』誌は「メキシコサンショウウオのゲノムと主要組織形成制御因子の進化」という論文を発表し、メキシコサンショウウオには3200万塩基対のDNAがあり、これはヒトゲノムの10倍の長さであり、シダ植物の一種であるツメシプテリス・オブランセオレイトに次いで世界で2番目に長いゲノムであることが判明した。

観光地に描かれたメキシコサンショウウオ。メキシコでは2月1日がこの不思議な生物のナショナルデーに指定している。写真:Guillermo Ayala Alanis
観光地に描かれたメキシコサンショウウオ。メキシコでは2月1日がこの不思議な生物のナショナルデーに指定している。写真:Guillermo Ayala Alanis

CIBACでは、メキシコサンショウウオの研究に加えて、農薬や工業製品を使わないトマトやキュウリなどの植物や野菜の栽培研究も行っている。

さらに、メキシコ盆地固有種の保護と保全の研究も行われている。その中にはオオカバマダラやレプトフォビア・アリパといった鳥や蝶も含まれ、バタフライ・ガーデンで研究、世話、監視が行われている。

メキシコサンショウウオとソチミルコのコミュニティとのつながりは、CIBAC付近の運河をトラヒネラ(ソチミルコを象徴する伝統的な小舟)が行き交う観光エリアでも見ることができる。この地域の住民は、メキシコサンショウウオがソチミルコの生態系に不可欠な生き物であり、国際的に知られた存在であることを理解し、観光振興に絵画やトラヒネラと共にサンショウウオのイメージを取り入れている。

2018年、メキシコ上院は、生態系や国の文化的アイデンティティにおけるこの謎めいた両生類の重要性を強調する目的で、2月1日をメキシコサンショウウオのナショナルデーと宣言した。(原文へ

INPS Japan

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ロシア、中国、北朝鮮の新たな接近は韓国に核武装を強いるのか?

【国連IPS=タリフ・ディーン】

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と北朝鮮の金正恩労働党総書記が先月、2つの核保有国間で冷戦時代の相互防衛の誓約を復活させる協定に署名したとき、その影には第3の核保有国の暗黙の支持もあった: 中国である。

日本と韓国に恐怖心を抱かせたこの新たな核同盟は、ロシアが持つ人工衛星やミサイル技術に関する知識を北朝鮮と共有する可能性を保証するものだ。

この新協定は、ロシア、中国、北朝鮮と、米国、日本、韓国の間の深い分裂をもたらした。

しかし、一つの疑問が残る:これらの新たな展開は、少なくとも近い将来、韓国を核武装させ、世界の9つの核保有国(米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)に加えることになるのだろうか?

ニューヨーク・タイムズ紙は、世宗研究所の朝鮮半島戦略センターの鄭成長(チョン・ソンジャン)所長の言葉を引用し、「韓国は、北朝鮮の核の脅威に対抗するために、米国の核の傘にほぼ全面的に依存している現在の安全保障政策を根本的に見直す時期に来ている。」と報じた。

また、タイムズ紙は、北朝鮮の中央通信の報道を引用し、プーチン大統領と金総書記は、一方の国が戦争状態に陥った場合、他方の国が 「遅滞なく、保有するあらゆる手段で軍事その他の援助を提供する 」ことで合意したと伝えた。

Addressing the UN General Assembly, Ambassador Kim Song of North Korea said nuclear weapons are stockpiled in many countries, including the U.S., yet Pyongyang is the only one facing sanctions: Credit: UN Photo/Evan Schneider

「ワールド・ビヨンド・ウォー」と「宇宙の兵器利用と原子力に反対するグローバルネットワーク」の理事を務めるアリス・スレイター氏は、IPSの取材に対して、「ロシアがこの時期に北朝鮮や中国と同盟を結んでいるという事実は、米外交が失敗した結果であり、米国の軍産議会メディア学術シンクタンク複合体(MICIMATT)が、87カ国にある800の米軍基地を超えて米国の影響力を拡大しようとしている結果です。」と語った。

「米国は今、太平洋地域に最近設立した基地で中国を取り囲み、オーストラリア、英国と新しい軍事同盟であるAUKUSを形成しています。…さらに米国は、リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官が1972年に中国の共産党政権を承認し、(国共内戦に敗れて大陸から逃れた国民党政権が樹立した)台湾の将来問題については中立を保つと約束したにもかかわらず、台湾の武装を支援しています。」と核時代平和財団の国連NGO代表でもあるスレーター氏は語った。

7月12日のAP通信の報道によれば、米国と韓国は初めて共同核抑止ガイドラインに署名した。これは、「北朝鮮の進化する核の脅威に対する対応能力を向上させるための基本的でありながら重要な一歩」である。

ワシントンで開催されたNATO首脳会議に合わせて会談したジョー・バイデン米大統領と尹錫悦韓国大統領は、両国の同盟が共同核協議グループを発足させてから1年、「驚異的な進展」を遂げたと評価した。

AP通信によれば、米韓両国は昨年、核作戦に関する意思疎通を強化し、様々な有事において米軍の核兵器と韓国の通常兵器をどのように統合するかを議論するために、この協議機関を発足させたという。

一方、核兵器廃絶のための世界的ネットワークであるアボリション2000は、7月30日にジュネーブで 「3+3モデル非核地帯による北東アジアの非核化」と題するセミナーを開催する。

北東アジアで活動する核保有国や同盟国(中国、日本、北朝鮮、ロシア、韓国、米国)の緊張、未解決の紛争、核兵器政策は、この地域における武力紛争や核戦争のリスクを高めている、とAbolition 2000は指摘している。

「これらの国のいずれか一国による一方的な軍縮は、他の国々が強力な核抑止政策を続ける限り、ほとんどありえない。必要なのは、すべての国の安全を維持する地域的な核軍縮アプローチである。」と述べている。

北東アジア非核兵器地帯のための3+3モデルは、この地帯の領土である3カ国(日本、北朝鮮、韓国)が、中国、ロシア、米国から核兵器による脅威を受けないという信頼できる強制力のある安全保障を得る見返りに、核兵器への依存を相互に放棄するという合意を想定している。

この合意は、朝鮮戦争を正式に終結させるための、より包括的な平和協定の一部を提供するものである。

この提案は、日本、韓国、米国の学者、議員、市民団体の間で真剣に議論されている。7月30日のジュネーブ会議は、NPT準備委員会の代表団を含めて議論を広げることを目的としている。

米国国務省のマシュー・ミラー報道官は7月22日、北朝鮮による核の脅威の高まりについて質問され、次のように答えた。「この状況に対処するためには外交を優先したい旨を何度も表明してきましたが、北朝鮮はそのような意向を全く示していません。」と語った。

ロシアが北朝鮮と中国に接近する結果についての質問に答えて、アントニー・ブリンケン米国務長官は、 「二つのことが見られます。ウクライナ戦争の結果としていくらか加速したかもしれませんが、それが長い間進行中だったことです。しかし、それ以外にも驚くべきことが起きています。」と語った。

「私たちは大西洋と太平洋全域、そして大西洋と太平洋の間でも協力体制を構築しました。ですから、私たちのチームと協力している国々は、ロシアがこれまで作り上げてきたものよりも優れています。…この先には、すでに多くの歪みが生じています。 ロシアと密接に協力し、ウクライナでの戦争の永続化に手を貸すことは、どの国にとっても評判を低下させることになるでしょう。」

「だから、私は中国が現在の立場に非常に不快感を抱いていると思いますが、現時点では、中国が北朝鮮やイランとは異なり、武器ではなく、ロシアの防衛産業基盤へ資材を提供しているという課題があります。」とブリンケン国務長官は語った。

ブリンケン国務長官は、「ロシアが輸入している工作機械の70%と マイクロエレクトロニクスの90%は中国から輸入されている。」と指摘したうえで、「これらがロシアの防衛産業基盤に入り、ミサイルや戦車、その他の兵器になっているのです。」と語った。

「私たちはその点で中国を非難し、中国企業に制裁を課しました。しかし、重要なのは、他の多くの国々も同様に行動したことです。そして、数週間前に欧州でもそのような動きが見られました。中国は二枚舌を使うことはできません。ウクライナでの平和を支持すると言いながら、一方でロシアによる戦争の追求を助長することはできないのです。」

「中国は、欧州の安全保障にとって冷戦後最大の脅威を助長しているときに、欧州との関係改善を望んでいるとは言えないのです。」とブリンケン国務長官は断言した。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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パリから車椅子へ:ギラン・バレー症候群、リハビリ、そして連帯の力

Press Room in Paris with Kevin Lin, my colleague (second from right) and the author (extreme right). Credit: Katsuhiro Asagiri
Press Room in Paris with Kevin Lin, my colleague (second from right) and the author (extreme right). Credit: Katsuhiro Asagiri

【東京INPS Japan=浅霧勝浩

2024年9月、私は中央アジアと欧州を巡る出張の途上にありました。数々の有意義な出会いと意見交換に恵まれ、各地の人々との交流は実り多いものでした。パリで3日間の国際会議を取材を終え、旅の締めくくりに差しかかっていた夜、突如としてすべてが一変しました。

I was put on oxygen, and given a battery of tests at American Hospital in Paris.
I was put on oxygen, and given a battery of tests at American Hospital in Paris.

夜10時頃、ホテルの部屋で、太ももと指先に焼けつくような激しい痛みが走り始めました。数分のうちにその痛みは胸のあたりまで這い上がり、私は汗だくとなり、横になることも眠ることもできなくなりました。同行していた同僚のケビン・リンがすぐに救急病院へ連れて行ってくれました。私の酸素濃度は93%まで低下しており、アメリカン・ホスピタルに3日間緊急入院することになりました。酸素投与と一連の検査が行われましたが、命にかかわる異常は見つからなかったが、できるだけ早く帰国するよう勧められました。

ケビンは終始私のそばにいて、医師との連絡を取り合い、帰国の手続きをサポートしてくれました。私たちは医師の見立てに納得がいかず、帰国を決意。片道航空券を購入し、ケビンはシャルル・ド・ゴール空港まで私を付き添って送り届けてくれました。日本航空の乗務員の皆さんが脚を伸ばせる手配してくださったおかげで、何とか長時間のフライトを乗り越えることができました。

しかし、真の試練はここから始まったのです。

帰国後:制度の限界と向き合う
Japan Airline Airbus A350-900 credit: Wikimedia Commons.
Japan Airline Airbus A350-900 credit: Wikimedia Commons.

帰宅後、症状はさらに悪化し、激しい痛みのために立ち上がることも困難になりました。3日目、ついに救急車を呼ぶことにしました。そこで直面したのは、まさにパンデミック時代の慎重な対応を思い起こさせるような現実でした。海外渡航歴があることを理由に、4つの病院から受け入れを拒否されたのです。幸い、5件目の秀和病院がようやく診察を引き受けてくれました。診察の結果、医師からはギラン・バレー症候群(GBS)の疑いがあると告げられました。これは、免疫システムが自らの神経を攻撃するという、稀ながらも重篤な自己免疫疾患です。私は直ちに、獨協医科大学埼玉医療センターへ緊急搬送されることになりました。

Dokkyo Medical University Saitama Medical Center
Dokkyo Medical University Saitama Medical Center

同大学埼玉医療センターに入院した当初、麻痺は脚だけにとどまらず、顔面にも広がっていました。顔の筋肉がまったく動かせず、笑うことも、眉をひそめることも、自力でまばたきすることすらできませんでした。食事も困難で、麺をすすることはもちろん、口まわりの動きを要するものは口にできず、おかゆや細かく刻んだ食事をなんとか飲み込むのが精一杯でした。医師からは、症状がさらに進行すると、喉にまで麻痺が及び、飲み込むことすらできなくなったり、肺に達して呼吸ができなくなる危険性があると説明されました。幸いにも、麻痺は顔面で止まりました。言語聴覚士(ST)による集中的なリハビリを受け、少しずつ表情筋の機能を取り戻していきました。

激痛と日常の崩壊

治療にもかかわらず、激しい痛みは続きました。特にベットで横になると、両脚の筋が激しくつって激痛が走りました。ベッドの端に座ることでわずかな緩和が得られ、私は3週間以上、昼夜を問わずリクライニング車椅子で過ごしました。この不自然な姿勢は足の腫れを引き起こし、毎日のマッサージが欠かせませんでした。さらに深刻だったのが、パリでの初発症状の晩から始まった重度の便秘です。最大限の薬を投与しても、2週間近く排便がなく、身体的にも精神的にも極限に追い詰められました。

Sitting on the edge of the hospital bed to ease pain.While receiving intravenous painkillers, I sat on the edge of the hospital bed to ease the pain rising from my legs, cooling my hands with a wet towel to cope with the burning sensation in my fingertips. credit:Katsuhiro Asagiri.
Sitting on the edge of the hospital bed to ease pain.While receiving intravenous painkillers, I sat on the edge of the hospital bed to ease the pain rising from my legs, cooling my hands with a wet towel to cope with the burning sensation in my fingertips. credit:Katsuhiro Asagiri.

免疫グロブリン療法とステロイドパルス療法により、状態は安定しましたが、すでに13キロの体重が減り、筋力は著しく低下していました。歩くことも立つこともできず、リハビリに望みを託すしかありませんでした。

静かなるヒーローたち──PTとOTの力
The author practicing walking in the corridor of Amakusa Hospital’s ward, using Nordic walking poles. Credit: Katsuhiro Asagiri
The author practicing walking in the corridor of Amakusa Hospital’s ward, using Nordic walking poles. Credit: Katsuhiro Asagiri

11月8日、私は社会医療法人敬愛会・天草リハビリテーション病院に転院し、本格的な回復への道のりが始まりました。そこで始まったリハビリは、私にとって奇跡のような変化をもたらしてくれたのです。

病院では、担当医をはじめ、理学療法士(PT)作業療法士(OT)で構成されるチームが、私のために全力を尽くしてくれました。毎日3時間にわたる集中的なリハビリの中で、筋力の再構築、筋肉の再訓練、そして基本的な運動機能の回復に取り組みました。

PTの皆さんは、麻痺した下肢に少しずつ刺激を与えながら、最も基本的な動作から一つひとつ丁寧に指導してくださいました。OTは、動作の協調性やバランス感覚を取り戻すための訓練を重ね、日常生活の自立に向けて寄り添ってくれました。

彼らは単なる医療従事者ではありません。私にとっては、まさに「命の綱」と言える存在でした。自分自身が回復を信じられなくなったときでも、彼らは常に私を信じ、励まし続けてくれました。そのおかげで、私は少しずつ立ち上がる力を取り戻し、歩けるようになり、再び日常を取り戻す希望を見出せたのです。

資料:天草リハビリテーション病院

2025年2月7日、私は退院しました。そしてその1カ月後には、ニューヨークで開催された国際会議の取材に出かけ、仕事に復帰しました。いまも杖を必要とし、手足の感覚は完全には戻っていませんが、プロジェクトパートナーや同僚たちの支えを得て、生きがいと使命感を持って現場に復帰しています。

GBSから学んだこと:健康、共感、そして責任

私はこれまで、核廃絶持続可能な開発目標(SDGs)をテーマに、ウクライナ、スーダン、イエメンといった地域の人道危機を報道してきました。しかし、自身が病を患ったことで、それらの出来事を単なる「取材対象」としてではなく、「他人事ではない、共に生きる人々の現実」として、改めて捉え直すようになりました。

The author posing in front of UN Headqualters in NY. Credit: Katsuhiro Asagiri
The author posing in front of UN Headqualters in NY. Credit: Katsuhiro Asagiri

私の取材活動を支えてきた理念の一つに、「同苦(どうく)」という仏教の言葉があります。これは「共に苦しむ」「他者の痛みを自分の痛みとして受け止める共感的連帯」を意味します。この考え方は、今の私にとって一層深い意味を持つようになりました。報道の中で紹介される人々の立場になって想像してみると、医療にアクセスできずに病気やケガに直面することが、どれほど恐ろしいことかを身をもって実感しています。

だからこそ、特に米国のような大国による人道支援の削減を目にするたびに、胸が締めつけられるような思いになります。それは単なる予算の数字ではなく、実際の人間の命や暮らしに直結する重大な決断なのです。

私はたまたま、世界でも有数の医療体制が整った国に住んでいたからこそ、生き延びることができました。その幸運に報いるためにも、誰もが公平に医療を受けられる世界の実現を、これからも強く訴えていきたいと思います。

SDGs for All Banner 1
https://sdgs-for-all.net
感謝の言葉

この危機を乗り越えられたのは、以下の方々のおかげです。

  • パリで迅速に対応してくれた救急病棟の医師と看護師の皆さん
  • 常にそばにいてくれたケビン・リン氏
  • 帰国便で配慮してくださった日本航空の客室乗務員の皆さん
  • 入院を断られても搬送を諦めなかった救急隊員の皆さん
  • GBSの兆候を見抜いてくれた秀和病院の医療チームの皆さん
  • 確実な診断と治療を行ってくれた獨協医科大学埼玉医療センターの医療チームの皆さん
  • 睡眠もままならぬ夜を支えてくれた看護師の皆さん
  • 獨協医科大学埼玉医療センターと天草リハビリテーション病院のST、PT、OT、看護師の皆さん

彼らの仕事は決してニュースの見出しになることはありません。しかし、彼らなしでは回復はあり得ませんでした。これは、ギラン・バレー症候群からの生還の物語にとどまりません。リハビリの奇跡、介護者の人間性、そして「誰もが癒される権利」を支える連帯の力を語る記録でもあるのです。(原文へ)|中国語版

INPS Japan

浅霧勝浩:東京を拠点に活動するジャーナリスト。国際通信社INPS Japanの代表として、核兵器廃絶や持続可能な開発目標(SDGs)に関する国際メディアプロジェクトを推進している。2024年には、「外国メディアが見たカザフスタン」コンテストにおいて、アジア太平洋地域の最優秀賞を受賞。彼の研究成果には、2000年7月にニューヨークで発行されている学術誌『Geographical Review』に掲載された「ドミニカ共和国に渡った日本人移民の軌跡」がある。

|米国|国際援助庁(USAID)の閉鎖は世界の貧困国を危険にさらす恐れ

崩壊の危機にあるスリランカの医療制度

なぜアイ・ケアが重要なのか―バングラデシュなど多くの国々のために

|中国|教会と国家: 北京の三つの大聖堂で迎える復活祭

フォトエッセイ:国家の監視を受け入れることと、恐れずに信仰を告白することの間には、超現実的なバランスが存在する。

【National Catholic Register/INPS Japan北京=ヴィクトル・ガエタン】

編集部注:中国本土には推定1000万~1200万人のカトリック信者がおり、20の大司教区と97の教区を含む、バチカン公認の147の教会管区に広がっている。近年、中国共産党によるカトリック礼拝の監視と統制が強まっている。この統制キャンペーンは、米国際宗教自由委員会の2024年次報告書に掲載されたのをはじめ、多くの人権専門家から信教の自由の侵害として批判されている。4月に北京を訪れた際、レジスター寄稿者のヴィクトル・ガエタンは、信者が復活祭を祝う中国の首都にある政府登録のカトリック教会をいくつか訪問することにした。これは彼のレポートである。

日本への調査旅行を計画しているとき、アメリカ人が「別の国への乗り継ぎ」の間、ビザなしで6日間144時間まで中国を訪問できることを知った。いくつかの条件(目的地行きの航空券を持っていること、「入国港」(北京はこの政策が適用される20都市のうちの1つ)から離れないこと、滞在先を報告しなければならないこと)があるが、それは東京に行く途中で中国のカトリック教会を訪問する絶好の機会であることを意味した。

こうして、私は北京の三つの大聖堂で復活祭のミサを捧げることになった。中国の教会について何年も読み書きしてきが、中国のキリスト教徒の兄弟姉妹と共に礼拝する恩寵については何の準備もしていなかった。

私が訪れた教会は、老若男女を問わず、多くの子どもたち(全部で数千人)で満員だった。彼らは献身的に歌い、祈っていた。制服警官に撮影され、教会の敷地に入るには金属探知機を通らなければならない。しかし誰も抵抗しなかったし、監視の目を避けるために立ち去る人も見なかった。これは信仰の肯定ではなかろうか。

国家の監視を受け入れることと、恐れずに信仰を告白することの間には、超現実的なバランスが存在する。「それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」というマタイによる福音書第22章(イエス・キリストの言葉で、宗教的な義務と世俗的な義務を区別することを意味する)を思い出した。信者たちは、国家の存在を素直に受け入れているように見える。彼らがミサへ全身全霊で参加している光景は、特に感動的な礼拝の体験となった。

中国人以外の参加者はほとんどいなかったが、私が参加していてもほとんど注目されることはなかった。救世主大聖堂(北堂)李山大司教の写真を撮ろうとしたら、案内係に制止された。彼は私の携帯電話を預かり、代わりに写真を撮ってくれることになった!案内係の説明によると、外国人は通常、英語やその他の言語で行われる礼拝に参加するとのことだった。


マテオ・リッチ神父(中国名は利瑪竇)は1583年に中国に到着し、中国で布教した最初のイエズス会宣教師の一人となった。リッチ神父の銅像は南教会の敷地の入り口に立っている。リッチ神父は1605年から1610年に亡くなるまで、明朝の万暦帝の宮廷に顧問として仕えた。
マテオ・リッチの肖像 出典: Wikimedia Commons

ミサの後、教会の中庭は社交の場となり、聖人像の前で祈りを捧げたり、修道女が管理する折りたたみ式のテーブルで聖具を購入したり、信者のパフォーマンスで活気づいていた。そのころには、警察はほとんど撤退していた。各教会では1日に数回のミサが行われている。祭壇には5、6人の司祭と2人の助祭がいた。

以下の写真は、ほとんどが迅速かつ控えめに撮られたものだが、中国の健全で信仰深いカトリック共同体が、神の都にしっかりと目を向けていることを示している。復活祭の前夜祭のために、私は聖母無原罪聖堂(南堂)、北堂、聖母カルメル山教会(西堂)として地元で知られる三つの歴史的なカトリック大聖堂を訪れた。その夜、三つの教会で267人の新しい信者が信仰に加わった。

復活祭当日は、信者と交流しやすい南堂を再び訪れた。ある若い案内係が、彼女が空港のエンジニアであると教えてくれた。「私はイエスを愛しているので、できるだけ教会に来るようにしています。カトリックの司祭たちはずっと以前にこの地に聖書をもたらしました。中国本土には、訪れる価値のある美しい教会や巡礼地がたくさんあります。」と彼女は語った。(原文へ

教会の修理のため、教会の修理のため、聖金曜日の十字架の道行きは教会の中庭に移されました。幅広い年齢層の人々が参加した。「十字架の道行き」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ苦難の道を追体験するカトリックの宗教儀式。信者たちは、教会やその敷地内に設置された14の「ステーション」(各ステーションはキリストの受難の特定の場面を表している)を順に訪れ、祈りを捧げる。(写真: 提供写真)
教会の修理のため、教会の修理のため、聖金曜日の十字架の道行きは教会の中庭に移されました。幅広い年齢層の人々が参加した。「十字架の道行き」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ苦難の道を追体験するカトリックの宗教儀式。信者たちは、教会やその敷地内に設置された14の「ステーション」(各ステーションはキリストの受難の特定の場面を表している)を順に訪れ、祈りを捧げる。(写真: 提供写真)
聖金曜日の行列が終わった後も、教会の小冊子を手に十字架の道行きを続けて祈る信者たち。(写真: 提供写真)
南堂で、聖金曜日に信徒たちが交代で十字架を担う感覚を試している。(写真: 提供写真)
文化大革命中の1966年から79年まで閉鎖されていた聖母無原罪聖堂(南堂)の外で、復活祭のろうそく(パスカルのろうそく)に火が灯される。このろうそくは、キリストの復活を象徴し、復活祭前夜の礼拝で新たに火を灯されることが特徴。イエス・キリストが世界の光であることを示すシンボルとして、教会の中で重要な儀式の一部として用いられている。(写真:提供写真)。
復活節のミサは南教会で、キリストの光を暗い身廊(教会の正面玄関から祭壇まで続く主要な通路)に運ぶ行列から始まる。
北堂として知られる救世主大聖堂は、2007年に42歳で任命された北京の大司教ヨゼフ李山が、バチカンと中国政府の承認を得て座す場所である(写真:提供写真)。
警察はミサに参加する信者に金属探知機の通過を義務づけているが、教会への通路はラッパを鳴らす天使によって照らされている(写真:提供写真)。
最近改装された聖堂で、立ち見の聴衆を前に説教する李山大司教(写真:提供写真)
教会の祭壇が見えない側の翼廊部分も人でいっぱい。(写真:提供写真)
プロパガンダ・フィデ修道会が派遣したイタリア人ラザリスト宣教師によって設立された北京の聖母カルメル山教会(西堂)では、警察と金属探知機が多くの信者を出迎えている。この教会は1723年に建てられ、イエズス会以外では中国初の教会建築物である(写真:提供写真)。
カトリックの中でも特に活気のある聖母カルメル山教会前の庭では、ペイントされた卵(賞味期限切れの本物)や永久保存版のお土産の卵、それに西教会のイメージで飾られたロザリオやトートバッグが売られている(写真:提供写真)。
西堂の信徒は生き生きとしている(写真:提供写真)
西堂で復活祭の前夜祭のミサに臨む信徒の上着には、福音のメッセージがまとめられている。
2024年4月30日、復活祭の前夜祭で信者を祝福する熱心な司祭。
「復活祭前夜、西堂で誰かの背中に書かれていたもう一つの関連メッセージ:『私たちの意志は要塞のように団結している。』」
復活祭前夜のミサで、西堂の司祭が教会の後方に到達し熱心に祝福を行っている。(写真:提供写真)
復活祭前夜のミサの後、教会の外で聖人の前で静かに祈る信者たち。
復活祭のミサでは、35人ほどの子どもたちが白いケープ姿で目立つ。彼らは聖体拝領をしているのだろうか?それとも祭壇奉仕者なのか?地元関係者の説明はまちまちだった。
古い石は跪くには痛いが、老いも若きも跪く(写真:提供写真)
2024年4月31日、南堂で復活祭のミサが終わり、行列する李山大主教(写真:提供写真)
2024年3月31日日曜日、復活祭のミサの後、壷から聖水を集める信者たち。

National Catholic Register/INPS Japan

Original Article: https://www.ncregister.com/news/easter-in-china-state-monitoring

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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|アルジェリア|フランスによる核実験: 植民地主義を続ける核兵器

【ティンドゥフ/ロンドンLondon Post=アリ・アウイェシュ・ティンドゥフ、ラザ・サイード】

権力、恐怖、技術的偉業—これらは核兵器を象徴する言葉である。「抑止力と安全のための措置」として提示されることが多いが、その裏には政治的支配と植民地的野心が深層に隠されている。

その最も顕著な例の一つが、かつての宗主国であるフランスがアルジェリアで行った一連の核実験だ。これらの実験は単なる「科学実験」ではなく、植民地の抑圧を継続させ、環境破壊を引き起こし、地元住民に長期的な健康被害をもたらす行為であった。

核実験の歴史:何があったのか?

1960年から66年にかけて、フランスは19世紀に植民地化したアルジェリアのサハラ砂漠で核実験を繰り返した。1962年にアルジェリアが独立を果たしたにもかかわらず、フランスはサハラ砂漠を核実験場として利用し続けた。この時期、大気圏内と地下の両方で合計17回の核実験が行われた。

1960年2月13日、フランスはサハラ砂漠の核実験場で初の原子爆弾による核実験(爆発力は当時世界最大の70キロトンに達し、長崎に投下された原爆の3倍以上の規模だった)を実施し、米ソ英に続いて4番目に「核クラブ」の仲間入りを果たした。

Image Credit:National Museum of Nuclear Science & History
フランスはアルジェリア戦争中の1960年2月13日、サハラ砂漠のアルジェリア中部で同国初の原子爆弾による核実験を行った。コードネームは「青いトビネズミ」であり、フランス国旗の色にちなんで第2回核実験は「白いトビネズミ」、第3回は「赤いトビネズミ」と名付けた。計17回実施されたアルジェリアでの核実験は、ソ連と米国の核実験再開の引き金となったとみられている。フランスは、さらに水爆実験カノープスを含む核実験を1966年から1996年にかけてフランス領ポリネシアの環礁で実施した。Image Credit:National Museum of Nuclear Science & History

植民地主義の関連性

アルジェリアを核実験場として選んだことは偶然ではなく、「支配と搾取」を核心とする植民地主義を反映したものだった。アルジェリアでの核実験は、同国国民の主権と福祉を無視した植民地主義の露骨な例である。

実験中および実験後、放射性降下物によって広大な地域が汚染され、地元のコミュニティはその危険性について知らされることも、保護されることもなかった。その結果、発ガン率の増加、遺伝子の突然変異、その他の深刻な健康問題が世代を超えて報告されている。

フランスは、これらの核実験をアルジェリア独立後も継続することで、フランスが依然として旧植民地に対して重要な権力を持っていることを誇示する狙いがあった。こうした行為は、植民地主義に内在する人種差別と非人間性を浮き彫りにしている。

核実験の結果に対処するための様々な条約や国際的な圧力にもかかわらず、フランスは被害の全貌を認めず、被害を受けた人々に十分な補償と修復を提供することも怠ってきた。このような責任回避の姿勢は、かつて植民地支配した国々が歴史的過ちを認め、是正することにしばしば抵抗する、植民地主義的な態度の延長線上にある。

Dr. Abdel Fattah Belaroussi

フランスの行為は「完全な戦争犯罪」

アルジェリアのアドラール大学の法学教授であるアブデル・ファタ・ベラルーシ博士は、「アルジェリア南西部アドラール県レガーヌ地域で行われた核実験は、国際法の下で「戦争犯罪」とみなすことができる。国際基準によれば、国際人道法で罰せられる人道に対する罪に該当します。」と、ロンドンポストの取材に対して語った。

ベラルーシ博士はさらに、「これらの核実験は人間と自然に害をもたらすもので、1946年12月11日に国連総会が国際法上の犯罪と確認した『ジェノサイド(大量虐殺)』とみなすことができる行為に相当する。」と説明した。

「モルモット」にされた市民たち

核実験場があったレガーヌ地域では、住民の間でガン、早産、奇形、知的障害、流産が報告され、実験場周辺から多くの自然植生や様々な種類の野生生物が広範囲にわたって消失した。

Ahmed Mizab, a security and strategic affairs expert.

安全保障と戦略問題の専門家であるアーメド・ミザブ氏は、レガーヌ核実験場での実験は、標的の絶滅を企図した核爆発の強度を測定するための実験過程であったとコメントした。

これらの実験は人間の生命、野生生物、環境全体に広範かつ取り返しのつかない被害をもたらした。これらは法の下での犯罪であり、国際条約や協定に違反している。フランスは核爆発に使用された地域の浄化を行わなかった。

核犯罪の影響は今も続いており、爆発地域の浄化と補償をフランス政府に求める強力な市民社会の行動が必要である。

被害者らはフランス政府を訴える権利があり、アルジェリア政府はそれを支援すべきである。

これらの実験による環境破壊は甚大である。すでに厳しい環境であるサハラ砂漠は、放射性汚染によりさらに過酷で人を寄せ付けないものとなった。

植民地化された地域の天然資源と環境が、現地の人々のことを考えずに搾取された環境破壊に対する説明責任は果たされていない。

フランスの新聞『ル・パリジャン』は2014年、フランス政府の秘密文書を引用し、同政府が従来伝えていたよりもはるかに広い地域がこれらの核実験によって影響を受けていたことを明らかにした。

Sid Amar Al-Hamel, one of the civil society actors in the Reggan region and a defender of the victims of nuclear explosions.

フランスの説明責任と行動に注目

レガーヌ地域の市民活動家の一人で、核実験の被害者の権利を擁護する活動をしているシド・アマール・アル=ハメル氏は、「フランスがこの地域で犯した罪は、今日でも目に見える深刻な被害を残しています。」と語った。

ハメル氏は、「核放射線の影響が自然に消えるまでの時間を計算すると、この地域はまだ災害の最初の数秒間にすぎません。」と強調した。

胎児の先天性奇形は現在も続いており、この地域に蔓延した病気に対する根本的な治療法がないため、多くの家族が障害児を抱えて生活することに困難を感じている。レガーヌの市民は、フランスが置き去りにした核廃棄物をいまだに発見し、それが引き起こすかもしれない危険に気づいていない。

ハメル氏は、「フランスは核実験場の消毒はおろか、実験対象となった機器を住宅地から撤去することさえしなかった。」と指摘した。

ハメル氏は、「核爆発の悪影響は特定の期間や地理的空間に限定されるものではないことから、金銭的補償の問題は、誰が補償を受ける権利を持つのかという問題に道を開くことになるだろう。」と語った。また、「レガーヌ地域の住民は今日、フランスに対してこの犯罪行為の責任を負うよう要求すると共に、癌や核放射線による様々な病気を治療するための専門医療施設を求めています。」と指摘した。

そしてハメル氏は、「フランスが行動を起こすべき時が来ています。それは、核爆発の存在を認め、その残留廃棄物を処理し、被害者を特定することです。」と語った。

次はどうするのか?

核兵器は単なる戦争の道具ではなく、歴史に根ざした権力の不均衡の象徴でもある。真の廃絶とは、単に核兵器を廃絶するだけでなく、それらの開発と実験の遺産に取り組みことである。

国際社会は核拡散防止においては進展を遂げてきたが、こうした取り組みに関する物語はしばしば植民地時代の歴史や社会から疎外されたコミュニティへの不釣り合いな影響をしばしば見過ごしてきた。

フランスと植民地(1919年から1939年)。Credit: By Rosss – Own work, CC BY-SA 3.0

世界が核軍縮に向かう中で、歴史的な不正義に対処し、植民地主義的搾取の遺産が忘れ去られないようにすることが極めて重要である。真の意味での核廃絶は、単に核兵器を廃絶することにとどまらず、過去の歴史を認識し、これらの大量破壊兵器によって最も悲惨な被害を受けた人々のために、正義と賠償への確固たるコミットメントが必要なのである。

TPNWの規定

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

核兵器禁止条約(TPNW)の第1回締約国会議(1MSP)は、被害者支援と環境修復を優先するよう各国に求めている。

同条約は、各締約国が、国際人道法および人権基準に従って、核兵器の使用または実験によって被害を受けた個人に対して、医療、リハビリテーション、心理的支援を含む年齢および性別に配慮した援助を提供することを義務付けている。

さらに、各締約国に対して、自国の管轄または管理下にある核活動によって汚染された地域の環境修復(これには、汚染の除去や土地の再生が含まれる)に必要な措置を講じるよう義務付けている。そしてこれらの義務は、国際法や二国間協定のもとで、予断なく履行されなければならないとしている。

次回のTPNW締約国会議は、カザフスタンを議長国に2025年3月3日から7日までニューヨークの国連本部で開催される予定である。(原文へ

INPS Japan/London Times

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シエラレオネの新しい児童婚禁止法が称賛される

【フリータウン/ナイロビIPS=ジョイス・チンビ

シエラレオネの画期的な「児童婚禁止法2024」には、「いかなる者も児童と婚姻契約をしてはならない」と明記しており、児童婚を試みたり同意したりすることはもとより、児童婚を主催、出席、促進することや、それを目的とした児童に対する強制や不当な扱いを禁止している。

この法律は7月初め、シエラレオネのジュリアス・マーダ・ビオ大統領によって署名され、ファティマ・ビオ大統領夫人が主催した式典で披露された。ビオ大統領夫人が率いた「Hands Off Our Girls(私たちの少女らに手を出さないで)」キャンペーンがこの成果に大きく寄与した。

新法の成立により今後18歳未満の少女と結婚した男性は、15年の懲役刑、または約4,000米ドルの罰金、あるいはその両方を科される。

「Girls Not Brides(少女たちは花嫁ではない)」のシニア・リージョナル・エンゲージメントおよびアドボカシーオフィサーであるファトゥ・グエイ・ンディール氏は、IPSの取材に対して、新しい法律の有害な慣行を終わらせる力を強調し、「この新しい法律には、違反者に対する罰則の執行、被害者の保護、影響を受けた少女たちに対する教育や支援サービスへアクセスを確保するための条項も含まれています。」と語った。

「Girls Not Brides」は、児童婚の撲滅と少女たちが潜在能力を発揮できる社会を目指す1,400以上の市民社会組織のグローバルパートナーシップである。ファトゥ氏は、「新法はシエラレオネにおける児童婚や早期強制結婚との闘いに新たな息吹を吹き込みました。これは転機です。私たちは政府に対し、児童婚の犯罪化によって少女たちが保護され、悪影響を受けないようにするために不可欠な、被害を受けた少女たちへの支援サービスや教育へのアクセスを提供し続けることを求めます。」と語った。

この法律は非常に包括的で、児童婚を引き起こす陰謀や児童婚の幇助も禁止している。また児童との同棲、その企て、児童との同棲を引き起こす陰謀や幇助も禁止している。

Fatima Maada Bio, the First Lady of Sierra Leone, championed the legislation with her Hands Off Our Girls campaign. Credit: UN

UNICEFによれば、2020年だけで、18歳未満の少女のうち約80万人が結婚しており、シエラレオネの少女の3分の1を占めている。そのうち半数は15歳になる前に結婚している。15歳までに全児童の約9%、18歳までに約30%が結婚するほど、児童婚は蔓延している。

シエラレオネのNGOである「Women Against Violence and Exploitation in Society Sierra Leone(WAVES-SL)」のディレクターであるハンナ・ヤンバス氏は、子供の結婚を禁止する法律がない状況では、「すべての子供が学校に通う義務教育政策があっても、少女たちを教育システムに留めておくには不十分でした。学校内外を問わず、18歳になる前に結婚すべきと信じる民族やコミュニティが存在します。」と語った。

ヤンバス氏は、「少女たちは12歳で危険な領域に足を踏み入れ、多くの少女たちがその後、児童婚を余儀なくされ、それが生涯続くことになります。」と指摘したうえで、「法律それ自体では十分ではなく、特に2009年に制定された慣習上の結婚・離婚法では、親または保護者の同意があれば児童婚が認められており、結婚の最低年齢が定められていなかったため、新法の全項目について地域社会を啓発するための、草の根レベルの大規模な市民教育が緊急に求められています。」と語った。

ンディール氏は、「この法律を効果的に実施することで、教育、健康、女性の経済的地位向上において、大きな利益と前向きな結果がもたらされます。学校に長く通う少女は児童婚から守られるため、児童婚と教育は強く結びついているのです。さらに、少女は早期結婚や早期妊娠に中断が少なくなり、より良い成果を上げる可能性が高くなります。」と語った。

「児童婚は少女の妊娠につながるため、この法律は妊産婦死亡率や乳幼児死亡率の減少につながります。結婚や妊娠を遅らせることは、しばしば妊産婦や乳児の死亡率の上昇につながるあらゆる合併症を含め、早期出産に伴うリスクを大幅に低下させます。」とンディール氏は語った。

さらに、早期の児童婚を避けれた少女たちは、児童婚に伴う心理的なトラウマやストレスを経験する可能性が低く、精神的な健康状態の改善につながることも示している。

「より多くの少女たちが教育を修了すると、労働力に参加する教育を受けた女性の数が増え、経済成長と発展に貢献します。教育を受けた女性はより良い収入のある仕事に就く可能性が高く、家族の経済状況を向上させ、貧困水準を下げることができます。」とンディール氏は語った。

アフリカでは子どもの人口が急増しているため、児童婚を含むあらゆる有害な慣習をなくすための根本的な対策を必要としている。特に児童婚は、持続可能な開発にとって大きな障害となっている。世界で児童婚の割合が最も高い10カ国のうち6カ国が西アフリカと中央アフリカにあり、地域全体の平均的な有病率は依然として高く、少女の41%近くが18歳に達する前に結婚している。

シエラレオネの新法は、とりわけ「持続可能な開発目標2024年報告書」に照らして時宜を得たものである。この報告書は、SDGsの達成に向けた大きな進展を記録しているが、一方で進展が停滞している分野も示している。例えば、2030年までのジェンダー平等の達成に向けた取り組みは依然として遅れている。

有害な慣行は減少(25年前と比較して18歳未満で結婚する少女の割合は4分の1から5分の1に減少。この期間中に6800万件の児童婚が回避された。)しているものの、人口増加に追いついていないことが報告書で明らかになった。

報告書は、依然として多くの女性が自らの性的および生殖的健康に関する権利を実現できていないことに懸念を示している。女性に対する暴力は依然として根強く、特に障害を持つ女性に対して不均衡に影響を及ぼしている。残り6年しかない中で、現在の進展はSDGsの達成に必要なものには程遠く、大規模な投資と行動の拡大がなければ、報告書はSDGsの達成に疑問を投げかけている。

UN Summit of the Future
UN Summit of the Future

国連の未来サミットは2024年9月に開催される。重要な課題に対する協力を強化し、持続可能な開発目標を含む既存のコミットメントを再確認する、一世一代の機会である。

ヤンバス氏はこれらの課題をよく理解しており、思春期の少女、女性、障害を持つ人々を含む社会的弱者と密接に関わりながら、すべての政府、関係者、そして年長世代に対し、少女たちが自らの選択で生きる機会を与えるよう求めている。

「少女たちに、学校に通い、その後に自らの選択で夫を選ぶ機会を。児童婚は少女たちの心を傷つけ、人生の軌道を最悪のものに変えてしまうのです。すべての子供が保護され、幸せになる権利を持っています。そして、私たちには少女たちの夢を守るための法的な青写真を手に入れたのです。」とヤンバス氏は語った。

「少女たちは、アフリカの国づくりに全面的に参加するために必要なあらゆる手段を利用する権利があります。私たちは、あらゆる有害な慣行に対して立ち上がる必要があります。伝統は確かに存在し、私たちはそれを守りたい。しかし、私たちのコミュニティを発展させ、前進させるものだけを残そうではありませんか。」と、ヤンバス氏は語った。(原文へ

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INPS Japan

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国連の2030年期限までに児童婚がなくなる可能性は低い

|視点|全ての少女に学籍を認めることが児童婚に歯止めをかける一つの方法(アグネス・オジャンボ『人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ』研究員)

|視点|未来の岐路に立つ今、希望の選択を(大串博子未来アクションフェス実行委員会創価学会インタナショナルユース 共同代表)

デジタル封建主義の時代には、批判的なジャーナリストの声が必要

【ウィーン INPS Japan=オーロラ・ワイス】

メディア・リテラシーとは、読書や数学のように習得できるスキルである。それは、今日の複雑で絶えず変化するメディア状況の中で情報を駆使して批判的な質問を投げかけ、操作されることを避け、安全かつ自信を持ってデジタル空間に参加できる能力を意味する。このトピックに関する教育イニシアチブが教育機関でも始まっている。

2024年5月末、「メディア・リテラシーと民主主義」をテーマに欧州安全保障協力機構(OSCE)人的次元の補完会議*が開催され、域内各地から200人以上が参加した。この会議は、マルタ(OSCE議長国)、同メディアの自由代表部(RFoM)、同民主制度人権事務所(ODIHR)が共催した。マルタのイアン・ボーシュ議長はこのテーマの重要性を強調し、「情報が迅速かつしばしばチェックされないまま垂れ流される時代において、メディア・リテラシーは単に有益なだけでなく、不可欠なものです。今年は重要な選挙が相次ぐため、メディア・リテラシーの重要性は特に高まっています。情報を批判的に評価する能力を持つ有権者こそが、民主主義の強靭性(レジリエンス)を高め、選挙プロセスへの信頼と信用を高めることができるからです」と語った。

Teresa Ribeiro (OSCE) Photo: portugal.gov.pt

技術の進歩は、さまざまな情報源や公共の言説を豊かにする洗練されたツールへのアクセスを一変させた。一方で、ソーシャルメディアと人工知能(AI)は膨大な機会を提供する一方で、民主的な公開討論を脅かし、民主的プロセスへの信頼を損なうリスクも孕んでいる。

「メディア・リテラシーとは、フェイクニュースを認識することだけではありません。市民が見識と批判的思考を持ってデジタル状況を把握し、情報に基づいて民主的に参画できるようになることです」と、OSCEのテレサ・リベイロ(メディアの自由代表)は語った。

民主的な選挙プロセスにおけるメディア・リテラシーの重要性は、今回の会議の焦点であった。選挙に特化してメディア・リテラシーを高める戦略は、民主的なガバナンスの基盤を強化し、市民が情報に基づいて投票行動を決断できるようにするのに役立つ。

「投票箱の前に立って一票を投じるときほど、あらゆる事実を知ることの重要さを実感する瞬間はありません」とODIHRのマッテオ・メカッチ事務局長は強調した。

メディアの独立性を守りたいなら、ジャーナリストに適切な権利を与えて自身を守れるようにしなければならない。

フェイクニュース、偽情報、プロパガンダが氾濫する中、世間は通常、中立的で客観的かつ批判的なジャーナリズムについて議論している。誰もが「赤裸々な真実」を見たいと思っている。しかし、それが何なのか、そしてジャーナリストが国民に本物のニュースを伝えることができる雰囲気や環境をどのように作ればいいのか、公共放送オーストリア放送協会(ORF)のクラウス・ウンターベルガー博士(公共価値部門ディレクター)が説明してくれた。公共価値コンピテンス・センターの任務は、質の高いメディア討論を積極的に推進し、ORFの公共サービスとしての使命を追及するとともに、メディア・リテラシーや社会・民主主義の発展に資するメディアの役割に貢献することである。

Dr. Klaus Unterberger Photo: ORF/archive

ウンターベルガー博士の最も重要な発言の一つは、「メディアの独立性を守りたいなら、ジャーナリストに適切な権利を与えて自身を守れるようにすることです。」というものであった。

博士によれば、メディア組織が中立かつ客観的なジャーナリズムを維持するにはいくつかの重要な柱があるという。第一に、外部からの運営の監督と情報公開、効果的な規制、義務的な品質保証を通じた検証可能性。第二に、政府や政党、そして何よりもオーナーの利益からの独立性を可能にする持続可能な資金調達。

「第三に、必要に応じて自らの上司からも独立性を守ることができるジャーナリストの権利と義務。最後に重要なのは、『中庭報道』や誤った均衡主義、キャリア主義を超えた批判的なジャーナリズムを追求する勇気、大胆さ、無条件の意志です。」とウンターベルガー博士は語った。

特に技術の進歩がメディア空間の信頼性について大きな問題を引き起こしている。ウンターベルガー博士は、「誤報やフェイクニュース、プロパガンダは、綿密な検証、ダブルチェック/トリプルチェック、ファクトチェック、そしておそらくは適切なAI技術を活用することで見分けることが可能ですが、その際、何よりも疑い、検証し、疑問を呈する批判的ジャーナリズムの原則を通じて行うべきです」と語った。

現在、言論の自由を政治的影響や民間・公共メディアへの干渉からどう守るかについて多くの議論がなされている。私たちはウンターベルガー博士に、「今日のジャーナリズムは、特に新技術の出現によって、過小評価され、低賃金であり、これが質の低下につながっている」という見方について、見解を尋ねた。

「その通りです。欧州全域で、右翼ナショナリストやポピュリストの政府や政党が、特に公共メディアの独立性を危険に晒しています。最新の例では、スロバキアで議会が公共放送局を解散しました。同時に、少数の企業が所有する世界的に有効な技術によって『デジタル封建主義』が出現しており、そのAIは公共の立場からはまったく検証できないものです。この2つの動きは、質の高いジャーナリズムだけでなく、民主主義社会の公共コミュニケーション空間も脅かしています。デジタル市場が少数の寡頭的企業によって支配されており、質の高いジャーナリズムのためのビジネスモデルがまだ存在しないため、その存続が危ぶまれています。また、公共部門で実施されたコスト削減プログラムも、ジャーナリズムの品質に対する重大な脅威をもたらしています」とウンターベルガー博士は指摘した。

女性ジャーナリストへの性別特有の攻撃は増加傾向にある

2023年11月から24年6月までの期間に関する報告の中で、リベイロ氏(メディアの自由代表)は、OSCEの参加国において、「安全保障」対「報道の自由」という誤った二分法が蔓延しつつあり、それに伴う諸問題(①独立したジャーナリズムに対する政治的敵意の急増、②ジャーナリストに対する暴力やオンライン攻撃の増加、③ジャーナリストの監視に利用される技術の利用がテクノロジーの利用が急速に増加している問題等)を取り上げた。

「メディアの持続可能性やジャーナリストに対するオンライン暴力といった懸念は、偽情報や技術の進歩、巨大IT企業による利益追求型ビジネスモデルによって悪化しています。今日の技術は前例のない形で権力を集中させており、ソーシャルメディアのような大規模な言語モデルは、民主的な自由と開放性を悪用するのを容易にしています」とリベイロ代表はデジタル情報環境の混乱を強調した。

パンデミックの最中、多くのジャーナリストが慎重に指示されたプロ・コロナ報道で上司からの圧力に苦しんだ後、現在では、ウクライナ戦争における資金の流れやマネーロンダリング、兵士の行動、武器の密売などを調査することに敢えて挑んだジャーナリストが一部解雇された。こうした欧州のジャーナリストの中には、職を失っただけでなく、国を追放された者もおり、このことは、あらゆるレベルで組織化され、周到に計画された攻撃を受けたことを示している。私たちは、欧州連合(EU)におけるメディアの自由と民主主義を検証するOSCEのサイドイベントで、彼らの衝撃的な体験を聞く機会を得た。他方、ロシアは孤立し、完全なメッセージ統制と偽情報体制を支配している。

特に懸念されるのは、女性ジャーナリストを標的としたオンライン暴力や偽情報の急増であり、これは多様性と民主主義に深刻な影響を及ぼしている。OSCEの調査によると、女性ジャーナリストの約3分の2が仕事中にオンラインで性別に基づく暴力を経験しており、オンラインとオフラインの両方で女性ジャーナリストの安全に対処するための協力が急務である。オンライン上の脅威と性別関連の偽情報が女性ジャーナリストに対するオフラインでの攻撃につながる明確な因果関係を示すOSCEの研究も出ている。

特異な現象として、第三者が攻撃を命じ、刑事訴追を含む免責特権を持つ大使館職員を通じて女性ジャーナリストを標的とする傾向がある。オーストリア外務省と内務省は、こうした自国内で活動する外国諜報員に最高位の外交特権を付与している個人を特別監督する必要がある。こうした外交官の活動は、憲法に違反するだけでなく、外交関係に関するウィーン条約にも違反している。

外的要因に加え、ジャーナリストはメディア内部においても、公共の利益になる情報を提供することとは全く異なる目的を持つ潜入者によって脅かされている。私自身、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)のプロデューサーという立場を悪用し、ジャーナリストに偽情報を与えて信用を失墜させようとする人物に攻撃された経験がある。また、自らをバルカン地域のボスニア人政治専門家と称し、ソーシャルメディアを通じてジャーナリストの信用失墜を意図して妨害活動をしているジャミン・ムジャノヴィッチ氏による攻撃についても言及する価値がある。

オンラインおよびオフラインでの性別に基づく暴力や性別に関連する虚偽情報は、ジャーナリストの福祉と職務遂行能力を危険にさらす。これらの行為は、女性ジャーナリストを自己検閲に走らせたり、キャリアを断念させたりする原因となり、標的とされた人々だけでなく、メディアの自由と多様性全体にも悪影響を及ぼす。このことは、2023年12月に北マケドニアの首都スコピエで開催された第30回OSCE閣僚理事会で採択された「女性ジャーナリストの安全に関する共同声明」でも合意されている。

Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.
Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.

批判的な声を封殺する慣行は続いており、「好ましくない」とされ非合法化される報道機関が増え、「外国の諜報員」に指定されるジャーナリストが後を絶たない。独立したジャーナリストが単に仕事をしているだけで攻撃され、投獄され、国際情報源がブロックされ、亡命中のジャーナリストが嫌がらせを受けることは、独立したニュースと情報を配信する勇敢な試みに対する個人的なリスクが伴う情報環境の暗い現状を示している。

最近、メディア・リテラシーについて語られるようになったのは良いことだが、ジャーナリストの安全について語るのをやめてはならない。私たちは、職務遂行中に殺害されたメディア関係者の数が過去最多であることを明らかにしているのはそのためだ。

ジャーナリストの生命と自由に対する攻撃は2023年もほぼ記録的な水準で推移し、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)は世界中で99人のジャーナリストの死亡を記録し、2015年以来の最高総数となった。CPJはまた、12月1日に発表した年次監獄センサスの中で、320人のジャーナリストが職務のために投獄されたことを記録しており、これは史上最も多かった昨年の360人に迫る勢いである。

イスラエル・ガザ戦争は、2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃を受けてイスラエルがハマスに宣戦布告して以来、ガザのジャーナリストにかつてない犠牲者を出している。2024年7月1日現在、CPJの予備調査によると、戦争が始まって以来、38,000人以上の死者の中に少なくとも108人のジャーナリストとメディア関係者が含まれている。32人のジャーナリストが負傷、2人のジャーナリストが行方不明、51人が逮捕されたと報告されている。

ロシア・ウクライナ戦争では18人、2014~15年のドンバス戦争では7人、22年のロシアによるウクライナ全面侵攻では10人のジャーナリストやメディア関係者が殺害された。

リベイロ代表は2024年6月13日の報告書で、ギリシャのジャーナリスト、ジョルゴス・カライバズ氏、スロバキアのヤーン・クシアク氏、モンテネグロで20年前に殺害されたドゥシュコ・ヨバノビッチ氏の暗殺について、不処罰の悪循環を断ち切り、完全な説明責任を確保する努力を再開する必要性を強調した。

「セルビアでのジャーナリスト、スラフコ・クルヴィヤの殺害事件での不幸な無罪判決が引き起こした後退についても深く懸念しています。法治社会の真の試金石は、特に自由な報道の価値を守るために危険を冒す人々にどのように正義をもたらすかです。マルタでのジャーナリスト、ダフネ・カルアナ・ガリジア、オランダでのピーター・R・デ・フリースの暗殺事件の司法プロセスも注視し続けます。昨日、オランダの裁判所が調査報道記者デ・フリースの殺害について複数の容疑者を有罪としたことを聞いて安心しました」とリベイロ代表は、2024年6月の報告書で強調した。(原文へ

*OSCE(欧州安全保障協力機構)の人的次元の補完会議は、OSCEの枠組みの中で行われる重要な会議で、人権、民主主義、法の支配といった「人的次元」に関する問題を議論する場である。これらの会議は、OSCE参加国、OSCE機関、国際組織、市民社会、メディア、およびその他の関係者が一堂に会し、これらのテーマに関する進展や課題、政策の実施状況を検討し、改善のための具体的な行動を話し合うためのフォーラムを提供している。

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地球のための報道

「変革は今始まる」: 英国選挙でスターマー労働党が勝利 ウクライナ支援継続を誓う

【ロンドンINPS Japan/London Post】

英国の総選挙で労働党が地滑り的勝利を収め、14年にわたる保守党支配に終止符を打った。この歴史的勝利は英国政治の転換を告げるもので、サー・キア・スターマー氏が新首相に就任することが決まった。しかし、国内経済問題や生活費危機への新たなアプローチを公約に掲げたにもかかわらず、スターマー政権は、ロシアとの紛争が続くウクライナに対する前政権の強力な軍事・外交支援路線を維持する意向を示している。

労働党は欧州連合(EU)に対してより融和的な姿勢をほのめかす一方、北大西洋条約機構(NATO)やその他の同盟国に対しては、英国がロシアを欧州にとって重大な脅威と見なし続けることを確約している。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領はこの継続を歓迎し、退任する保守党に感謝の意を表し、次期労働党政権の「選挙での圧勝」を祝福した。

「ウクライナと英国は、これまでも、そしてこれからも、強い絆で結ばれた信頼できる同盟国であり続けるだろう。我々は、生命、自由、ルールに基づく国際秩序という共通の価値観を守り、前進させ続けるだろう。」

61歳の元弁護士で、4年前に労働党の党首に就任したスターマー氏は、バッキンガム宮殿を訪れてチャールズ国王に謁見し、正式に首相としての任期を開始する予定だ。

責任への委任

夜明けに支持者を前に演説したスターマー党首は、このような職務権限に伴う責任を強調した。退任する保守党のリシ・スナク首相は、NATOとウクライナの強固な支持者であり、戦車やストームシャドウ・ミサイルの供与、ウクライナ人パイロットへのF-16訓練など、在任中の「揺るぎない支援」と「共通の成果」に感謝の意を表した。

新外務大臣に就任するデイヴィッド・ラミー氏は、労働党が政権に復帰すれば「進歩的リアリズム」の外交政策がもたらされるだろうと語った。労働党は欧州諸国とのつながりを取り戻し、気候変動に対処し、グローバルサウスとの関わりを深めることを目指している。

国防に関しては、スターマー氏と労働党は、大西洋横断安全保障におけるNATOの役割へのコミットメントを「揺るぎないもの」としている。また、軍事的、財政的、外交的、政治的支援を含むウクライナへの「揺るぎない」支援と、ウクライナのNATO加盟への道を約束した。

London Post

外交政策におけるコンセンサス

チャタムハウスのU.K.イン・ザ・ワールド・プログラムのディレクター、オリビア・オサリバン氏は、外交政策、特にウクライナに関する労働党と保守党の意外なコンセンサスについて、「労働党の外交政策の立場は、保守党とそれほど異なるものではありません。」と指摘し、ウクライナを支援するという共通のコミットメントを強調した。

エストニアのカラ・カッラス首相は、欧州連合(EU)の外交トップに就任する見込みだが、スターマー氏の勝利を祝福し、共通の安全保障に対する英国のコミットメントを称賛した。「私たちの素晴らしい協力関係は、今後もますます発展していくことでしょう。」と付け加えた。

スターマー新首相は、ゼレンスキー大統領と早い段階で会談する意向を示しており、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を「ウクライナにおける侵略者」と評している。彼は、ウクライナ支援における統一戦線の重要性を強調した。この姿勢は、7月9日〜11日にワシントンで開催されるNATO75周年記念首脳会議と、7月18日にブレナム宮殿で開催される欧州政治共同体首脳会議で試されることになる。

国内の課題

英国の有権者は、新型コロナウィルス感染症のパンデミックとロシアのウクライナ侵攻に続く経済的苦境と停滞からの救済を求めて労働党を支持した。労働党が勝利したことで、下院の過半数獲得に必要な326議席を超え、保守党がさらに多くの議席を失う中、200議席以上を獲得した。

スナク氏は譲位演説で労働党の勝利を認め、スターマー氏に祝辞を述べた。右派ポピュリストの改革党党首ナイジェル・ファラージ氏も初めて議席を獲得し、最近の欧州議会選挙における右派の躍進を反映している。

スターマー新政権は、国内の経済問題に対処する一方で、英国の強い国際姿勢(特にウクライナ支援)を維持するという二重の課題に直面している。今後数週間の新政権の行動は、そのリーダーシップを確固たるものにし、国内と世界の両方の課題に対処する上で極めて重要である。(原文へ

INPS Japan/London Post

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気候の崩壊がネパール西部の苦境を拡大

猛暑と干ばつに苦しむネパール西部は深刻な水不足に陥っている

【カイラリNepali Times=ウンナティ・チャウダリー】

ネパール西部の山岳地帯で灌漑が困難なために食料不足が常態化しており、農民らはより耕作が容易な平野部(タライ平原)に移住してきた。

しかし、モンスーンの遅れに伴う今年の灼熱の熱波は、国連の持続可能な開発目標(SDG)の達成に向けたネパールの成果を損なう恐れのある水危機につながった。気候危機は同時に水危機であり、食糧生産、栄養、安全な飲料水の確保に悪影響を及ぼしている。

しかしすべてを気候変動のせいにするわけにはいかない。例えば、以前は稲作の最後の手段として使用されていた井戸は、水位の低下により干上がってしまっている。

高速道路が通過するアッタリヤ市には、かつて深井戸が5つあり、毎日400万リットルの水を市内の5500世帯に供給していた。しかしこの3年間で、そのうち4つが枯渇した。自治体はさらに深さ80メートルの井戸を4つ掘ったが、それでも1年のうち6カ月しか水が得られない状況だった。

インドとの国境に近い人口30万人のダンガディ市では、家庭用井戸が涸れた後、自治体が3つの深井戸を掘ったが、この夏には、その深井戸さえも枯渇してしまった。この状況は近隣の他の町村でも同様である。

Towns in Tarai are parched for drinking water, there is no water for irrigation. They have to dig deeper for water and even then, new borewells have dried up. Photos: UNNATI CHAUDHARI

専門家らは、タライ地方の水位低下の原因は、ネパールと隣国インドの両方で地下水が過剰に取水されているためと指摘している。インドでは農家が灌漑用ポンプの電力に補助金を受け取っているほか、この地域の産業や農場も、独自の井戸を掘削してかつては豊富だった地下水を利用している。

「冬が終わると、水は枯渇し始めます。そして6月にモンスーンが来るまで、水はまったくありません。」と近くの町クリシュナプルに住むプラム・チャウダリー氏は語った。

実際、水不足にあえぐ町や都市は、貴重な水を求めてますます深く掘削し、地下水の供給量を減らしている。ミランプル町では深さ90メートルの井戸を掘ったが、10日で枯渇してしまった。

ネパールでも隣国インドでも、地下水の過剰採取がタライ平原の水位低下を引き起こしている。

ネパール西部の慢性的な冬の干ばつ、熱波、不規則なモンスーンにつながる気候破壊の影響は、人口増加と家庭・農業利用の増加による地下水の乱開発によって一層深刻な状況に陥っている。

Over-extraction of ground water both in Nepal and neighbouring India is causing water lavels to fall in the Tarai.

「10年前は20メートルも掘れば一年中水が湧きましたが、今では80メートル掘っても水が出ません。灌漑のための水はおろか、飲み水さえもないのです。」とカイラリ村の農民、カリデヴィ・チャウダリーさんは語った。

水の専門家でトリブバン大学中央環境科学部のスディープ・タクリ教授によると、タライ平原一帯で地下水位が低下した主な原因は、過剰な取水、チュレ川の集水域での掘削、砂の採掘、そして気候変動であることが調査で明らかになっているという。

「私たちは水循環を乱し、気候危機は長引く干ばつと不安定なモンスーンによって問題をより深刻にしています。つまり、自然による地下水の再充填が十分にできなくなっていることを意味します。」

タライ地方の集落が増え、水需要が増えるにつれて、井戸とボーリング井戸の間の距離も縮まっている。実際、カイラリ地区とカンチャンプル地区には140の井戸が掘られており、そのうち水がでたのは91のみであった。

また、地下水資源・灌漑開発課の事務所によると、この2地区では1,001本の深井戸からもポンプで水が取水されている。

タライ地方の地下水は、地方議員らによって交渉材料として利用され、選挙民をなだめるために無計画な井戸の掘削がなされている。

ネパールの州および地方政府は、地下水の最大利用という連邦政府の方針に従い、100のボーリング井戸を掘削する予算で、地下水掘削の補助金に多額の投資を行ってきた。

Tarai’s groundwater is being used as a bargaining chip by elected officials, who have drilled arbitrarily to appease voters.

カンチャンプル地区(カトマンズの西640キロ)のマハカリ灌漑プロジェクトの責任者であるタラ・ダッタ・ジョシ氏は、これらのプロジェクトを通じて抽出された地下水を今後20年間利用することが目的だったが、90のボーリング井戸うち6つは既に枯渇してしまったと語った。

チューブ井戸では地下40メートルまで水を汲み上げることが可能だが、タライ西部の大半の集落ではもはやこの深さで水は見つからない。一方、ボーリング井戸では110メートルまで掘削され、被圧地下水は地下110~400メートルの間で抽出される。

専門家によれば、タライの地下水は、有権者をなだめるために恣意的に掘削する政治家らに、交渉の切り札として利用されているという。ある地域にどれだけのボーリング孔を掘ることができるのか、どれだけの水を採水できるのか、政策だけでなく調査も不足している。

カイラリ村のサンカル・ダッタ・アワスティー氏によると、連邦政府の分権化により、地元の政治家たちは、誰が自分の選挙区により多くの水を供給できるかを競うようになったという。実際、この自治体では、州政府と連邦政府が実施する大規模なプロジェクトに加え、2017年の自治体設立以来、1,200の小規模な地下水プロジェクトが実施されている。

「政治家らは、この無秩序な採掘が将来この地域にどのような悪影響を与えるかよりも、いかにして自身の選挙区内の地下水プロジェクトを繰り返し確保するかに余念がありません。」とアワスティー氏は語った。

カイラリ村で掘削された井戸の1つは、4年前にラメシュ・チャウダリー氏が灌漑用に掘削させたが、運河が完成するまでの2年間で枯渇してしまった。近くのランプール村でも、灌漑用に掘られた深さ200メートルの井戸が涸れた。

One tubewell used to be enough to sustain a village some decades ago, while today even three tubewells in one household in not enough to fulfil basic water needs.

「水はどの農家の畑にも届かず、1000万ルピーの無駄遣いです。」とチャウダリー氏は語った。

水専門家のタルカ・ラジ・ジョシ氏は、数十年前は1つのチューブ井戸で村を維持できたが、現在では1つの家庭に3つのチューブ井戸があっても基本的な水需要を満たせていないと指摘した。

「地方、州、連邦政府の水分配計画は、タライ地方の地下水位に大きな影響を与えるでしょう。この危機が将来に何を意味するのかについて誰も考えていません。」とジョシ氏は語った。

子どもたちは汚染された水を飲まざるを得ないため、水不足はSDGsの目標である乳幼児と子どもの死亡率削減におけるネパールの成果を損なう恐れがある。また、灌漑用水の不足により食糧生産が減少するため、栄養状態にも悪影響が出る。これらすべてが、国外移住の傾向に拍車をかけている。

解決策は、チュレの樹木再生による地下水の再充填を可能にし、無秩序な都市化を規制するゾーニング、深い地下水抽出に対する課税、カルナリ川とマハカリ川からの水を導入して供給を補強し、地下水への依存を減らすことである。

水不足がスルケット村の人口流出の原因となっている

レクチャ村の住民は水への絶望を示すために、草の籠に入れた水差しを持って自治体の事務所まで行進した。

6月のモンスーン雨の開始が遅れたため、レクチャ村は深刻な水不足に陥った。住民たちはいつものように、地域の水道のそばにある藁籠に水差しを入れて一日を始めた。しかし、住民たちは井戸に水を汲みに行くのではなく、代わりに市役所にデモ行進に出かけた。

村の給水闘争委員会は、区議会議員のタペンドラ・チェトリ氏に率いられ、彼は水を求めて自治体の外で座り込みをせざるを得なかった。

かつてレクチャ村は、肥沃な土壌と豊富な水のために入植者にとって理想的な場所だった。レクチャ村には11の井戸があり、何十年もの間、家族を養うのに十分な水を供給していたが、今ではすべて枯渇してしまった。

「村人たちは今、井戸の底に残ったわずかな水を布で濾過して集めています。この村は渇きで死にそうです。」とチェトリさんは語った。

極度の水不足により住民は村を離れはじめている。レクチャ村には5年前まで115世帯が暮らしていたが、その後35世帯が別の場所に移住した。カギサラ・シャヒさんは、水差しを持って農村自治体本部まで歩いて行った村人の一人だ。他の隣人たちと同じように、彼女もレクチャ村で生きていくのが難しくなってきている。

「私たちの訴えは聞き入れられなかったので、水差しを持ってここまで歩いてきて、指導者に私たちの苦境を訴えました。他のことは何とかやりくりしていますが、とりわけ暑くなってきた今、水がなければ生活を維持するのは不可能です。」とシャヒさんは語った。

村の井戸に水があった頃でさえ、各家庭が水を汲むには何時間も行列に並んだものだ。村の井戸が枯渇した今、他の水源までの道のりはさらに長くなり、この重労働は女性たちにのしかかっている。

「家事をこなしながら、農作物や家畜の世話をし、さらに遠くまで水を汲みに行くには、一日に十分な時間がありません。」と、シャヒさんは語った。

4年前、農村自治体はカルナリ川から村に水を引く計画を立て、1720万ルピーの予算を計上した。しかし、道路へのアクセスが困難だったため、このプロジェクトは頓挫した。

チャウクネ農村自治体のカドカBK議長は、レクチャ村に飲料水を供給するには、自治体のリソースだけでは不十分だと言う。「この村は遠隔地にあるため、連邦政府と州政府の支援が必要なのです。」

一方、村人たちは青い雪解け水を湛えたカルナリ川を見下ろしながら、彼らの畑は干上がり、子供たちは渇きに苦しんでいる。(原文へ

INPS Japan/ Nepali Times

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|上海協力機構首脳会議|専門家らが議長国終えたカザフスタンの成果を振り返る

【アスタナINPS Japan/The Atana Times=アセル・サトゥバルディナ】

上海協力機構(SCO)の第24回首脳会議(7月3日・4日)がアスタナで開催される中、専門家たちは現在の地政学的動向におけるこのイベントの重要性と、SCOの議長職を終えたカザフスタンの役割について考察している。

カザフスタンは昨年7月にインドからSCO議長職を引き継いだ。それ以来、同国は、現在10カ国が加盟するSCOの安全保障、安定、発展に取り組むため、さまざまな領域で150を超えるイベントを開催してきた。

2日間にわたった首脳会議では、アスタナ宣言、カザフスタンが提案した「公正な平和、調和、発展のための世界団結構想」、2025年までのSCO開発戦略、2025-27年のテロリズム、分離主義、過激主義に対抗するための協力プログラム、麻薬対策戦略、エネルギー協力開発戦略など、いくつかの重要文書が採択された。

各国首脳を歓迎したカシムジョマルト・トカエフ大統領は、「SCOはすべての加盟国の声を考慮するユニークなプラットフォームである。」と指摘したうえで、「条約基盤は、反麻薬戦略、経済協力戦略実施計画、環境保護協定、エネルギー協力開発戦略を含む60の新たな文書で充実したものとなりました。 SCOのパートナー国際機関の範囲も拡大され、 投資に関する特別作業部会の活動も再開されました。また、 各国通貨による決済への移行プロセスは、前向きな勢いを増しています。」と語った。

カザフスタン戦略研究所のアジア研究部門のバウルジャン・アウケン主任専門家では、「カザフスタンはSCOのすべての分野で利益を得ています。」と語った。

「政治的には、上海協力機構への加盟はカザフスタンに国際政治における発言権を与えています。 地政学的な混乱が続いている現在、多国間フォーマットで外交関係を構築することは、カザフスタンにとって外国投資を確保・誘致する上で特に重要です。」とアウケン主任専門家はアスタナ・タイムズ紙の取材に対して語った。

「また経済的には、貿易関係の強化に寄与しています。政府のデータによると、カザフスタンのSCO加盟国との貿易額は過去5年間で56.5%増加し、660億ドルに達しました。2024年1月から4月の間に、域内の貿易量は191億ドルに達しました。」

「SCOへの加盟のおかげで、カザフスタンの企業は商品を輸出する機会を得ています。 例えば、中国を例にとると、技術の時代において、カザフスタンの市民は中国のオンラインプラットフォームに商品を出品することができます。昨年、大統領の訪問中に、中国の主要なeコマースプラットフォームに我が国のパビリオンが開設されましたが、これはその典型的な事例です。」とアウケン氏は語った。

安全保障の強化は、SCO設立当初からの目的の一つであり、これはテロリズム、過激主義、分離主義という、三つの悪とされる問題に対処することを含む。アスタナ首脳会議で採択された主要な文書の一つは、2025年から27年にかけての「テロリズム、分離主義、過激主義に対抗するための協力プログラム」である。

「今日の首脳会議では、麻薬対策、とりわけ麻薬密売に対抗する戦略が採択されましたが、これは我が国にとっても関連性のある問題です。麻薬の国民への蔓延を防ぐことは特に重要です。」と、アウケン氏は付け加えた。

「SCOは東西の架け橋として重要な役割を担っており、カザフスタンの議長国就任は、地政学及び地経学的な課題に対処する好機を提供している。」とインドの英字ビジネス専門日刊紙『エコノミック・タイムズ』の外交エディター、ディパンジャン・ロイ・チャウドリー氏は語った。

SCOは、東西の架け橋として重要な役割を果たしており、カザフスタンの議長職は地政学的および地経学的な課題に対処する機会を提供すると、インドの英字ビジネス紙The Economic Timesの外交編集者であるディパンジャン・ロイ・チャウドリー氏は語った。

「カザフスタンが前回SCOの議長国を務めたのは2017年でした。以来、コロナ禍や世界各地の戦争など、多くの地経学的、地政学的な課題が山積しています。成長する多国間組織として、SCOはこれらの課題に対処する必要があります。トカエフ大統領は、SCOを東西の架け橋として活用するための良い方策を持っており、その成功を期待しています。」と、この記事にコメントを寄せた。

チャウドリー氏はまた、「ベラルーシがSCOに加盟したことで、欧州連合と直接国境を接することになった。」と指摘したうえで、「これは接続性の健全な兆候でもあります。しかし、接続性は一つの回廊に限定されるべきではありません。接続性には複数の回廊があり、カザフスタンは東西回廊と南北回廊の両方に関心を持っています。南北回廊は、カザフスタンと中央アジアがインド洋やインドとつながるのに役立ちます。インドはSCOに加盟する大国のひとつで、人口も市場規模も大きい。 それはSCOに多様性をもたらし、組織の精神に良い影響を与えるでしょう。」と語った。

チャウドリー氏は、インドとユーラシア諸国との間の「自然なパートナーシップ」を強調し、SCOは両地域を結ぶことで多様性と経済成長を促進していると語った。

セルビア在住の研究者・アナリストであるニコラ・ミコヴィッチ氏は、SCO首脳会議は、中堅国であるカザフスタンにとって中央アジアでの地位を強化し、SCO加盟各国との二国間関係を発展させるための機会と見ている。

「カザフスタンは非常に建設的な立場をとっており、SCOがとるべき重要なステップを提示しています。 対立的な政策を追求しているように見える大国とは異なり、カザフスタンは実際に平和的アジェンダと紛争の外交的解決を促進しています。 自国の地政学的利益を考慮し、このアプローチが大国に採用されるかどうかは、これからわかるだろう。」とミコヴィッチ氏はアスタナ・タイムズ紙の取材に対して語った。

ミコヴィッチ氏は、SCOの有効性を高めるために、域内でより多くの経済プロジェクトが必要であると強調した。 また、「加盟国間の地政学的な相違が障害になっている」と指摘したうえで、「カザフスタンは、これらすべての国々の間でバランスを取ろうとしている。」と語った。(原文へ

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この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

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