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「イスラエルは、アラブ諸国の騒乱の陰でガザを攻撃している。」とUAE紙

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【アブダビWAM】

「リビアやイエメンなどいくつかのアラブ諸国で起こっている急激な変革に世界の目が奪われている

中、イスラエルは3月22日も引き続きガザ地区に対する攻撃を行った。

「いつものことだが、イスラエルはアラブ世界が他の懸案事項にとらわれているときは、パレスチナ人を何人殺害しようとやり過ごすことができると考えている。残念ながら、こうした考えは中東の現実の一端を捉えたものと言わざるを得ない。」とアラブ首長国連邦の英字日刊紙が報じた。

「イスラエル軍によるガザ地区への航空攻撃は既に2日目に突入しているが、国際社会は誰もこの事件に気付いていないようだ。また、アラブ諸国の衛星チャンネルでさえ、このニュースを取り上げる余裕がないようだ。その背景には恐らく、今はリビアの悲劇的な状況やイエメンバーレーン、その他のアラブ諸国における民衆蜂起に関する報道で手いっぱいな事情があるのだろう。」とガルフニュースは3月23日付の論説の中で報じた。

「しかしだらかといって、悲しむべきことだが、イスラエルがこうした血塗られた攻撃をして罰せられない現状を、こうしたアラブメディアの責任として非難することはできないだろう。イスラエルの攻撃に抵抗する責任は、パレスチナの主要派閥、とりわけ互いに対立しているファタハハマスにあるのだ。」と同紙は付け加えた。

 「エジプトのホスニ・ムバラク政権が先月退陣して以来、パレスチナの2大派閥間の和解を進めようとする動きは棚上げになってしましった。しかし、これはパレスチナにとって望ましくない動きである。」

「パレスチナの人々はこうした分裂に終止符を打つべく、自分たちの指導者に圧力をかけていくべきだ。なぜなら、現在のようなパレスチナ指導部間の対立が続けば、パレスチナ人の安全のみならず、パレスチナ国家の独立という約束さえ危ういものにしていきかねないからである。ましてや、現在イスラエルの占領下にあるエルサレムを新パレスチナ国家の首都とする構想は現実味を失いかねない。」と同紙は分析した。

エルサレムでは、イスラエル政府の政策によって、パレスチナ人住民が追われイスラエル人にとって代わられる事態が進行しており、市内の人口構成が大きく変わりつつある。

「今日の事態を招いた責任はアラブ連盟にもある。たしかに、カダフィ政権の軍事力の前に殺害されているリビアの民衆を守ろうと迅速に行動をおこした点は評価されるべきだ。しかしだからといって、パレスチナ人を見捨てていいということにはならない。また、イスラエル政府も、ガザ地区での殺戮行為がまかりとおらないということを知るべきだ。」と同紙の論説は締めくくった。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|リビア軍事介入|「冒険的な戦争」に反対するドイツ世論

【ベルリンIPS=ジュリオ・ゴドイ】

ドイツ政府は、リビア領空における「飛行禁止区域」設置を承認した3月17日の国連安全保障理事会決議を支持しない決定を行ったが、その背景には海外での軍事介入に不安を抱く幅広い国内世論がある。

ドイツ政府は、リビアへの軍事介入に参加する準備ができていないとして同安保理決議案を棄権した。ギド・ヴェスターヴェレ外相は、「リビア領空に飛行禁止区域を設置することは、同国に地上軍を送り込むに等しい行動である。」と語った。

 ドイツ政府による「棄権」判断は、人道支援団体をはじめとする様々な方面からの批判に晒されることとなったが、少なくとも国内諸政党による幅広いコンセンサスに裏打ちされたものであった。
 
 リビアでは、この2週間にわたって、1969年の革命以来政権の座にあるムアンマール・カダフィ大佐(革命指導者)を支持する政府軍が政権転覆を目指す反乱軍に対して激しい航空攻撃を加えてきた。「飛行禁止空域」の設定は、政府軍によるこの航空攻撃を止めさせることを企図したものである。

週末に執行が予定されている「飛行禁止空域」の設定は、事実上リビア政府軍に対する武力行使を国際社会に承認することを意味し、リビアのインフラ、とりわけ空港、滑走路、及び政府軍と反乱軍が衝突している紛争地帯に対して航空攻撃が実施される見込みである(19日に攻撃が開始された:IPSJ)。今回の航空攻撃の大半は、英国及びフランス空軍が担当することとなっている。

ドイツ政府は、航空攻撃に限定した今回のような軍事介入では内戦を終結させるには不十分であり、必然的に地上軍の投入を余儀なくされることになるだろうと分析している。

ヴェスターヴェレ外相は、リビア政府による反乱軍に対する残虐な弾圧の実態を激しく非難し、カダフィ氏は既に「すべての正当性を失った」と主張した。しかし同外相は、「リビアにドイツ軍が展開することはありません。私はドイツをいかなるアラブの国の戦争にも巻込みたくないのです。」と付け加えた。

アンゲラ・メルケル首相も今回の「棄権」判断を擁護したが、同時に「ドイツ政府は、無制限に国連安保理決議の目指す目標を共有しています。今回の『棄権』判断をもって、ドイツがこの問題について中立的な立場をとっていると誤解すべきではありません。」と主張した。

メルケル氏とヴェスターヴェレ氏は、キリスト教民主連合(CDU)と自由民主党(FDP)からなる中道右派連立政権を率いている。

リビア危機の現状を分析するために3月19日にパリで召集された緊急首脳会議において、メルケル首相は、アフガニスタンにおける米軍の負担軽減とリビア情勢への対応を促す狙いから、ドイツ空軍が新たに早期警戒管制機(AWACS)をアフガニスタンにおける航空偵察任務に就かせる用意があると語った。

ドイツは2001年から米国が主導するアフガニスタンISAF(国際治安支援部隊)に参加している。

リビアに関する国連安保理決議を支持しないとしたドイツ政府の決定に対しては、ドイツ国内及び国際社会から相次いで非難の声が上がった。ドイツでは人道支援団体や一部の野党指導者が、政府の「棄権」決定を、「恥ずべきこと」と非難している。

前経済協力・開発相のハイデマリー・ヴィーチョレック=ツォイル(野党社会民主党)は、国会審議の中で、「独裁者と対峙する(国連)決議において棄権などという選択肢はありえません。今回の政府の決定は『恥ずべきこと』と言わざるを得ない。」と語った。

被抑圧民族協会(Society for Threatened Peoples)ドイツ支部は、ドイツ政府がカダフィ政権に対する軍事作戦に参加しない決定をした背景には国内の選挙事情があるとみている。

今月はいくつかの地方選挙が控えており、与党キリスト教民主連合(CDU)・自由民主党(FDP)保守連合は苦しい選挙戦を強いられている。

ヴェスターヴェレ、メルケル両党首は、「国内の選挙対策と外交のどちらを優先するか判断しなければなりません。ドイツは、リビアへの軍事介入を支持しなかったことから、カダフィ氏から感謝されるかもしれない。しかしそうなればドイツの国際社会における信用は著しく傷つけられることになります。」と被抑圧民族協会アフリカ専門家のウルリッヒ・デリウス氏は語った。

またデリウス氏は、「ほんの1か月前、ドイツ政府はエジプトとチュニジアの民衆蜂起を独裁者に対する民主的反乱として讃えていました。ところが今は、つまらない党利党略から、カダフィ政権による民衆虐殺の傍観者になろうとしているのです。」と付け加えた。

しかし野党指導者の大半は政府の「棄権」決定を支持している。ドイツ社会民主党(SPD)を率いるフランク・ウォルター・シュタインマイヤー前外相は、ドイツ政府の決定を支持する立場から「はたして空爆のみでリビアの人々を救うことができるかについて疑問を呈したドイツ政府の判断は正しいものだ。」と語った。

ドイツ左翼党も政府の判断を支持している。緑の党のユルゲン・トリッティン党首も、リビア難民に一時的な避難先を提供すべきと提案した他は、政府の決定を支持している。

こうしたドイツ諸政党の間にみられるコンセンサスの背景には、外国への軍事介入に反対するドイツ一般市民の世論がある。ある信頼できる世論調査によると、ドイツ国民の60%強が一貫してドイツ軍のアフガニスタンISAFへの参画に反対してきている。

ドイツのISAF要員は、最も紛争が絶えないアフガニスタン南部・東部からとおく離れた北部地域においても主に開発支援に従事している。それにもかかわらず、2001年以来、ドイツ兵の死亡者は48人という高いレベルにのぼっている。

また、民間人の殺害やタリバンとの戦いと直接関係ない殺人事件等にドイツ兵が関与したスキャンダルが発生しており、ドイツ国民の軍隊派遣に批判的な世論をさらに刺激する結果となっている。

海外への軍隊派遣に反対するドイツ世論は、米国によるイラク軍事干渉にドイツ政府が反対した際にも実証された。

さらにドイツ政府の「棄権」判断はリビア情勢に関する軍事分析結果を踏まえたものでもあった。クリスチャン・シュミット国防次官は、ドイツのメディアによるインタビューの中で、「リビア情勢は極めて複雑であり、私たちの調査では、リビア軍の大半は引き続きムアンマール・カダフィ大佐に忠誠を尽くしていると分析しています。」と語った。

この軍事分析はヴェスターヴェレ外相が「リビアにおける外国軍の干渉は、長期にわたる危険な戦争につながり、欧州各地を標的としたテロ攻撃を誘発する恐れがある。」と警告した内容を裏打ちするものである。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|東日本大震災|国連諸機関、連携して日本救援に動く

【ジュネーブIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

日本が東日本大震災で被災した福島第一原発の原子力大災害を回避しようと懸命に取り組む中、国際連合諸機関が連携して対日支援に乗り出している。国連ニュースセンターによると、3月11日に日本の東北・関東地域を襲った大地震は、東北の太平洋沿岸地域に大津波をもたらし、5000人を上回る死者と9000人近い行方不明者、さらに広大な地域に亘ってインフラに壊滅的な被害をもたらした。菅直人首相は、今回の複合災害(大地震・津波・原子力災害)を「第二次世界大戦以来最悪」と語った。

 国連諸機関は、被災者への支援と被災地域における救難・復興支援を行うため、毛布、緊急通信機器、技術専門家を急遽日本に派遣した。 

国際電気通信連合(ITU)は、被災者の捜索・救援を支援するため、GPS機能を搭載したスラーヤ衛生携帯電話78台をはじめ、イリジウム衛生携帯電話13台、インマルサットBGAN(ブロードバンド・グローバルエリアネットワーク・ターミナル)37台を動員している。 

取材時、国連ニュースによると、ITUはさらに30台のインマルサットBGANを追加投入するところであった。このシステムはソーラーパネルと車電源で充電が可能なバッテリーを装備していることから停電地域においても使用が可能である。 

ITUのハマドゥーン・トゥレ事務局長は、「ITUは、(今般の大震災で)想像を絶する人命と財産喪失という途方もない悲劇に見舞われた日本政府と日本国民に、可能な限りあらゆる手段を尽くして支援の手を差し伸べてまいります。」と語った。 

国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は、世界の核エネルギーの安全管理を調整する国連機関として、被災した福島第一原発の危機回避にどのような支援が可能か検討するため3月17日、日本を訪問した。同原発施設では、地震に続く津波により電気系統が故障、燃料棒を冷却するシステムがダウンしたことから、水素爆発が起こり、放射能汚染の悪化が懸念されている。 

グラハム・アンドリューIAEA科学技術担当補佐官は、IAEA本部(ウィーン)の記者会見において、「状況は引き続き極めて深刻で予断を許さないが、昨日からの悪化は見られない。」と語った。 

 アンドリュー氏は、「被災した1号機、2号機、3号機については比較的安定しているようだが、4号機については、使用済み核燃料プールの温度計が14日(同日は84度)から機能不全に陥っており、内部の水量や水温に関する情報が得られない。」と指摘し、「重大な安全上の懸念が残っている。」と語った。 

IAEAはまた、日本の47都市において放射能量の測定をおこなっている。東京における放射線量は3月16日から大きな変化はなく、人体に影響を及ぼすレベルより十分低い数値にとどまっている。しかし福島第一原発から30キロ以内に位置するいくつかの場所では、過去24時間に数値が著しく上昇している(1か所では2倍以上)。 

また天野IAEA事務局長は、日本に発つ前、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会事務局長のティボル・トート氏を訪問し、同組織が集積しているデータへのアクセスについて協議した。CTBTOでは、国際監視システム(IMS)を通じて、放射能を含む煙の飛翔経路をモニタリングしており、福島第一原発から流出している放射能の飛翔経路情報を示すことができる。 

伝えられるところによると、アニカ・サンボーグ広報官は、そのデータについて、CTBTOから既に182の加盟国及び1200の研究機関に提供されたという。同報道官は、国連ニュースセンターに対して、国際監視システムは、放射能と量よりも煙の向き(飛翔経路)を捉える構造となっていることを説明した。 

IAEAは、国連の世界気象機関(WMO)との連携も図っている。WMOは緊急環境対応メカニズムを発動し、風の方向と放射性物質が流れる可能性のある経路のモニタリングを行っている。 

国連ニュースセンターによると、数万人にのぼる生き残った被災者の多くが、既に1週間にわたって電気・水のない厳しい衛生環境の中で寒い夜を過ごしてきた実情に鑑み、国連の世界食糧計画(WFP)は、必要な援助物資が迅速に被災地に届くよう、ロジスティクス、供給連鎖管理の専門家を派遣している。 

ローマに本拠を置くWFPは、既に被災地に向けて6万枚の毛布輸送に着手している。被災地には未だに約23000人が孤立しているとみられている。 

世界食糧計画(WFP)のジョゼット・シーラン事務局長は、過去に世界各国で同様の惨事が起き、緊急対応にかけつけた日本の支援隊の勇敢で献身的な姿勢、そして人命を救い被害を食い止めるために日本政府がとった断固たる処置の数々に言及した上で、「今日、WFPは日本と共にあります。日本は、世界で悲劇が起き助けを必要とした際、最も多くの人道支援を差し伸べてきてくれた国の一つです。」と語った。 

WFPは、世界で惨事が起こった際に緊急支援を行う国連の代表的なロジスティクス専門機関として、数十年に亘って、困難な環境下で食糧や援助物資を被災地に届ける経験を蓄積してきた。そして今日では世界で、人道支援を必要とするコミュニティ全体に支援物資を届けたり、しばしば政情不安な環境や僻地において長距離にわたる人と物を輸送できる専門機関として大きな信頼を寄せられている。 

一方、国連災害評価調整(UNDAC)チームと米国の災害援助対応チームからなる共同分遣隊が3月17日、被災地において現状評価を実施するため、米軍のヘリコブターに搭乗して東京を出発した。 

国連メディアセンターは、「茨城県大洗町では、同分遣隊はまず空中から街の津波被害状況を観察した後、地上移動手段を確保して現地調査を行った。船舶と海岸地域の資産に深刻な被害が観察され、地元住民からは、道路が寸断して物資の運搬が困難になっていることから燃料と食糧が不足しているとの訴えがあった。その後、被災地域における最大の都市でとりわけ津波による深刻な被害を受けた仙台に空路向かったが、途中山岳部の天候悪化により前進ができず、東京に引き上げざるを得なかった。」と報じた。 

翻訳=IPS Japan戸田千鶴/浅霧勝浩 

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震災で試練に直面する日本の原発

【ソウルIDN=R・キム】

チェルノブイリ原子力発電所の惨事から今年で25年。3月11日、日本をマグニチュード8.9の地震が襲った[IPSJ注:のち9.0に訂正された]。この地震によって、日本の科学技術の粋を集めた原子力発電(原発)は大きな試練に直面している。

日本は原爆の恐怖を味わった唯一の国であるが、電力供給のかなり多くの部分を原子力で占めている。54基の原子炉で約30%の電気をまかなっているが、2017年には少なくとも40%、2030年には50%まで伸ばす予定であった。

しかし、11日の東北関東大地震福島第一原発第二原発が受けた被害を極小化すべく、懸命の努力が続けられている。原子炉は地震の揺れによって自動的に停止し、非常用のディーゼル発電機を使った[燃料棒の]余熱の除去が開始されたが、1時間後になぜか発電機が止まってしまった。

 冷却システムの機能不全により、燃料棒からの崩壊熱で冷却水が蒸発している。冷却系内で高まった圧力はバルブを通じて調整することが可能だが、それによって建屋内の汚染レベルはあがってしまう。

では、そもそもなぜ日本は原発に依存しているのか。

ひとつには、天然資源を外国に依存しているということがある。とくに、1973年の石油危機以降、海外依存をやめるべく、原発が強力に推進された。

経済産業省は、原発推進によるCO2削減効果を宣伝し、2100年には一次エネルギー源のうち原発の占める割合を60%にまで拡大しようとしていた(現在は10%)。

他方で、日本の原子力基本法では原子力の軍事使用は禁止されており、1976年には核不拡散条約(NPT)にも加入している。日本は、非核兵器国としては有数の核サイクル施設運用国であり、六ヶ所再処理施設は、国際原子力機構(IAEA)の完全なる検証を受けることになった初めての施設だ。

福島原発の事故と日本の原子力政策を振り返る。

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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|UAE-トルコ|リビアへの合同救援船を派遣

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【メルシンWAM】

リビアに対する、アラブ首長国連邦/トルコ合同人道援助作戦の一環として、トルコの港町メルシンから2隻の貨物船がリビアのベンガジに向けて出港した。

両船舶に搭載された人道援助物資の内訳は、米ドル換算で400万ドル相当(32トンの薬と機材、388トンの食糧、テント2000張り、毛布20,000枚、飲料水72トン、1日当たり1万ローフを製造できる移動式パン工房、及び移動式キッチン)である。

また船舶には、UAEとトルコの赤新月社(RCA)職員(UAEから16人、トルコから13人の計29人)も乗船しており、物資の分配状況の監督並びに基本的な医療支援サービスを行う予定である。彼らの当面の任務は、ベンガジでの作戦に専念するものだが、活動期間中、ベンガジ地域外における人道支援のニーズや実施の可能性についても把握を試みる予定である。

これら2隻の人道援助貨物船舶は、トルコ海軍のフリゲート艦の護衛の下、3月14日に
べンガジに到着予定である。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|軍縮|究極のテロ兵器(デイビッド・クリーガー核時代平和財団所長)

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【IPSコラム=デイビッド・クリーガー】

核兵器は究極のテロ兵器である。それがテロ組織の手にあろうとも、国家の指導者の手にあろうとも。それは、男、女、子どもを無差別に殺す大量殺戮の兵器なのである。多くの人々は核兵器がテロ組織の手に落ちることを恐れているが、誰の手にあっても、核兵器がテロ兵器であることを忘れてはいけない。 

核兵器のテロリスト的性格や、それが文明を破壊する能力を考え合わせると、それを多くの人々が現状を受け入れているのはなぜなのか、という疑問が浮かぶ。あるいは、少なくとも、多くの人々が核の脅威を問題視していないのはなぜなのだろうか?私が長年にわたって考え続けてきた問題である。 

なぜ核兵器が受け入れられるかと言えば、それは核抑止の理論のためである。その支持者らは、核抑止は平和を保ってきたし、これからもそうであろうと考えている。この理論は、人間の行動に関する多くの前提を基礎としている。たとえば、政治的・軍事的指導者の持つ合理性である。しかし、すべての指導者が、いつ何時でも、いかなる状況においても合理的に行動するとは限らないことは明白である。この理論の前提は、(指導者間に)明確な意思疎通があることと、報復として核兵器を使用するとの脅しが相手方の指導者によって信じられることである。しかし、我々の知るかぎり、意思疎通は常に明確とは限らないし、思い違いがある考えを形成してしまうこともある。

 一方、核抑止に関する「狂人の理論」というものがある。つまり、「核兵器保有国の指導者は、本当に相手に信じてもらおうと思ったら、実際に核兵器を使うつもりだと相手方の指導者に信じさせるぐらい十分に狂っているように自分を見せかけねばならない」というものである。このように、狂気、あるいはそのような印象を与えることは、核抑止理論の仕組みの一部に組み込まれたものなのである。システムのレベルにおいて、相互確証破壊(MAD)の互いの脅威があることが、本当に狂気であったと疑う者があるだろうか。 

抑止理論のもうひとつの側面は、報復する対象となる土地が必要であるということだ。すると、非国家のテロ組織に関しては、この理論は有効でないということになる。もし国家が報復する土地がないとすれば、核抑止などあり得ない。テロ組織が核兵器を取得すれば、核報復の脅しによって抑止されることはないのである。こうして、核の脅威には信管がはめ込まれることになり、非国家テロ組織による核能力の取得は絶対に許してはならないものとなる。 

しかし、同時に、国家が核兵器を取得することも絶対に許してはならない。核兵器をこれから開発しようとする国家に関してだけこう言っているのではない。すべての国家、とくに重要なのはすでに核兵器を保有している国家である。既存の核兵器は、事故や計算違いによって、あるいは意図的に使われるかもしれない。そして、核兵器を保有しそれによって安全を保とうとする国家が一部にあるかぎり、核拡散のインセンティブは消えないことになる。 

核兵器をめぐる現状を受け入れてしまう傾向が広がっていることは理解しがたい。ほとんどの人々は核兵器がもたらす甚大な被害について知っているが、おそらく、核兵器が1945年以来使用されていないことに安心しているのであろう。核兵器の存在は見えていないし、それについて考えることもない。核政策に影響を与えることはできないと考え、専門家と政策決定者に委ねてしまっているのかもしれない。それは不幸なことである。なぜなら、核兵器を廃絶する必要性を多くの人々が主張し始めるまでは、核兵器保有国は自らを危険にさらし、世界を危険にさらして核兵器に依存しつづけるであろうからだ。 

米露間の新しい戦略兵器削減条約(START)は、配備された戦略核をそれぞれ1550発まで、配備された運搬手段を700まで制限するという、小幅な前進にとどまっている。新条約の最大の価値は、一方の国による他方の核施設に対する査察を復活させた点にあるのかもしれない。しかし、これらの措置はほんのわずかの前進にすぎない。核時代平和財団では、次のような措置をとっていくべきだと主張している。 

・米露各国が、戦略核、戦術核、備蓄核兵器を合計で1000発まで制限すること。 

・核兵器の先制不使用を約し、いかなる状況の下においても非核兵器国に核兵器を使用しないとの法的拘束力のある約束をすること。 

・すべての核兵器の警戒態勢を解くことで、事故や計算違い、あるいは怒りに任せて核兵器を使ってしまうのを防ぐこと。 

・ミサイル防衛システムに制限を課し、宇宙兵器を禁止すること。 

・核兵器禁止条約の締結を目指した多国間交渉を開始すること(同条約によって、世界中のすべての核兵器は、段階的、検証可能、不可逆的、透明性を確保した形で禁止される)。 

これらの措置は、核兵器を使うと脅すことの非道徳性、違法性、卑怯さが、意志を持った真摯な態度と対峙していることのしるしであろう。無視や無関心、自己満足感が核問題の領域を支配する必要はない。生命の神聖さと将来世代に敬意を払うならば、我々はこうした停滞とともに過ごすよりも、よりよきことをなしうるであろう。我々は文明と人類の生存を危うくする兵器を廃絶することができる。我々は、核兵器に関して唯一の安定的な数字である「ゼロ」へ向けて歩むことができる。これは、我々の時代の大いなる課題であり、関与と粘り強さをもってあたらねばならない課題である。いまこそ、相互確証破壊(MAD)を地球規模の確証安全保障・生存(Planetary Security and Survival=PASS)に替えるべき時なのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

※デイビッド・クリーガー氏は、核時代平和財団会長。核兵器廃絶運動の世界的リーダーのひとり。 

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|リビア|「国際社会は行動を起こすべきだ」とUAE紙

【アブダビWAM】

「リビアでは政府軍と反政府勢力の地中海沿岸諸都市を巡る攻防が膠着局面を見せる中、益々多くの無辜の市民が命を失う危険に晒されている。このような事態は一刻も早く収束させるべきであり、国際社会にはこの事態に対して行動を起こす道義的義務と責任がある。」とUAE紙が報じた。

「アラブ連盟(GCC)は国連安保理に対して、『我々は国際社会、とりわけ国連安保理に対して、リビアの民衆を助ける義務に向き合うよう求める。』と述べ、リビア市民を保護するよう要請した。」と、シェイク・アブダッラー・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン外務大臣は語った。

「リビアに飛行禁止区域を設定するよう求めるGCCの呼びかけは、おそらく地域組織により打ち出された最初の明確な立場表明であり、その背景にはカダフィ支持派と反政府軍の戦闘が長引く中で戦闘に巻き込まれて命を落とす一般市民が多数に上る事情がある。」とガルフニュース紙は3月9日付に論説の中で報じた。

 さらに、反乱軍は政府軍が擁する空軍の攻撃に晒されており圧倒的に不利な戦闘を余儀なくされている。「こうしたリビア政府による残虐な行動に対して国際社会は一刻も早く行動を起こすべきである。」

「民間人を保護し、リビアへの待望の援助物資を届けるようにするには、飛行禁止区域の設定を実現するしかない。」とガルフニュース紙は結論付けた。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|リビア|「カダフィ政権による虐殺行為は深刻な人権侵害である」とGCC事務局長

【アブダビWAM】

湾岸協力会議(GCC)のアブドゥル・ラフマン・ビン・ハマド・アル・アッティヤ事務局長はリビアで進行している市民の殺害について、「人道に対する犯罪であり、深刻な人権及び国際法違反である」と激しく非難した。

アッティヤ事務局長は、3月7日にアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで開会した118回GCC閣僚評議会における演説の中で、「カダフィ政権が自国民に対して行っている虐殺行為、とりわけ傭兵と重火器を使って殺戮を繰り返しているありさまは人道に対する犯罪であり強く糾弾されてしかるべきだ。」と語った。

 またアッティヤ事務局長は、「この極めて重要な局面において、リビア市民の安全確保が最優先されるべき」との見解を示す一方、「リビアの主権、領土、国民の統合は断じて守られるべきであり、GCCは、諸外国によるリビアへのいかなる干渉も拒否する」と語った。

またアッティヤ事務局長は、GCC地域が直面している最大の問題は依然として安全保障の問題であると指摘した上で、「様々な分野において、加盟国間で相互協力の絆を深めていくことがGCCの目指す重要な目標です。GCC加盟国は、域内の関係強化と共通の利益を促進するために、今こそ団結して協力関係を深めていくべきです。」と語った。

アッティヤ事務局長は、「最近のエジプト、チュニジア、リビア情勢は、アラブ政界を大きく転換させる出来事であった。」と指摘した上で、「アラブ諸国に再び安定と静寂を取り戻すには、(各国政府が)国民に開かれた真剣な対話を実践し、若者の懸念と要望を認め、それらに対する効率的な解決策を見出していかなければならない。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

ベルルスコーニ首相の女性だけでなく

【ローマIPS=サビーナ・ザッカロ】

イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相の性スキャンダルに関連してセックスワーカーの存在が注目されているが、その影で人身売買の被害にあっている何万人という女性がいる。

2月17日、ミラノ地裁はベルルスコーニ首相の未成年売春婦買春疑惑等での公判開始を決定した(初公判は4月6日の予定)。検察当局は、ベルルスコーニ首相が昨年18歳未満のモロッコ国籍の少女カリマ・エル・マフルーグさんにお金を払って性交渉を行った容疑で捜査を進めている。

捜査対象の少女たちは合計14人に及んでおり、その多くが若い移民で、容疑によるとベルルスコーニ首相は彼女たちが暮らしていたミラノ郊外のアパート代を払っていたとされている。

 こうした少女たちは、今回の事件がなければ社会のスポットを浴びない、いわば見えない形の奴隷制-欧州に蔓延る人身売買組織-の氷山の一角にすぎない。「セーブ・ザ・チルドレン」イタリア支部が2010年に出した報告書によると、2000年から2008年の間に保護され支援を受けた売春女性は少なくとも5万人に上るという。その内、4466人はルーマニア、エジプト、バングラデシュ、アフガニスタンから同伴者なしできた未成年者の移民であった。こうした人身売買組織の被害者の大半は必要な証明書類を持たない15歳から18歳の少女たちである。

東北イタリアで人身売買の犠牲者に対する保護活動を行っている「売春婦の人権を求める会」の創立者カルラ・コルソ氏は、「私たちが活動を開始した90年代には、アルバニア、ルーマニア、モルドバなどの東欧からやってくる女性が多かったです。しかし最近では、ナイジェリアやコロンビア、中国などの出身女性も多くなりました。」と語った。

しかし、人身売買の被害にある女性たちと接触を図ることはきわめて困難である。それでもなお、売春組織を告発する女性たちもいる。

コルソ氏は、「警察と協力した女性は社会的保護のプログラムに参加でき、1年間の在留許可がもえられる。それが、新しい人生の出発点となる」と語った。
 
 この問題の研究者であるエミリアーナ・バルドニ氏によると、最近は組織のやり方が巧妙化しているという。以前は物理的暴力やレイプなどで女性を支配することも少なくなかったが、最近では、詐欺や心理的操作など、被害女性にそれと気づかせない手法がとられることが多い。

2008年にベルルスコーニ政権は新法を制定し、路上で営業する売春婦と買春人双方に対して刑務所への収監を含む罰則を強化した。しかし、この法律によって人身売買組織は地下に潜ることになり、被害女性たちは通りから警察の目が届きにくい個人アパートへと移されたのである。コルソ氏は、「路上の売春婦に厳しい法律を課しながら、(アパートで)売春婦が富裕層と交歓するするのは良しとする…。この国は、昼間は品行方正に過ごすことを要求しながら、夜は『プライベート』を口実に何をしてもいいという二重モラルがまかりとおる状況なのです。」と語った。

またコルソ氏は言う。「こうしたパーティーガールズと呼ばれる夜の女たちは街頭の売春婦と同じように被害者なのです。もし成功しようと思うなら、有力者に近づいてベッドをともにするしかないようにもっていく社会の仕組みの被害者です。唯一の違いといえば、彼女らはプラダのバッグを買うために体を売り、街頭の売春婦は生活の糧としてそうするということでしょうか。」(原文へ)

翻訳=IPS Japan

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|沖縄|世界に響く平和への想い

【IDN東京=ラメシュ・ジャウラ】

ここドイツのベルリンに暮らしていると、世界を欧州の視点から捉えがちである。それは第二次世界大戦の教訓についても同じで、無意識に欧州の過去65年の経験のみに焦点を当ててしまいがちなのだ。しかし東アジアを訪れるとこうした視点を調整できるのみならず、歴史に対する新たな洞察を深めることができる。中でも日本は、下からの変革のプロセスを経験してきた顕著な事例である。 

この変革の原動力となったのは、凄惨な沖縄戦広島長崎への原爆投下で被った拭いきれない人々の苦悩を、人種・信条・肌の色、国籍を超えた力強い平和運動へと変革してきた日本の市民社会である。

 こうした変革に取り組んできた主な市民社会組織に、仏教系NGOで、池田大作氏の名前とともに有名となった創価学会がある。池田氏は1947年に入会し、彼の師で、戦時中の政府の方針に反対し迫害・投獄を経験した戸田城聖第2代会長の死から2年経過した1960年5月、創価学会会長に就任した。 

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

池田氏は戦後の混乱期に戸田氏と出会った。当時戸田氏は、創価学会の再建に取り組んでいる最中であった。創価学会は、1930年、戸田氏と同じく教育者である牧口常三郎氏(初代会長)によって創立されたが、戦時中に軍国主義政府の弾圧を受け壊滅状態に追いやられた。戸田氏は一人の人間の無限の可能性に焦点をあてる日蓮仏教の哲学こそが日本に社会変革をもたらす鍵となると強く確信していた。 

池田氏が創価学会の会長に就任して最初に手掛けた取り組みの一つが、世界各地に在住する会員間のより頻繁な交流を促す国際的なネットワークの構築であった。池田氏は、会長就任後最初の4年間で、南北アメリカ、欧州、アジア、中東、オセアニアを歴訪し、今日192カ国・地域に1200万人の会員を有する海外組織の基礎作りに乗り出した。 

こうした流れを背景に、1975年1月26日、51カ国・地域から創価学会会員の代表がグアム島に集い、創価学会インタナショナル(SGI)が発足、池田氏がSGI会長に就任した。グアム島は、第二次世界大戦で有数の血なまぐさい戦場となった地であるが、この新たな平和運動を立ち上げる会合の地として、あえて象徴的に選ばれたのである。 

以来、SGIは90カ国・地域に現地法人・関連組織を持つ世界的なネットワークへと発展していった。各地のSGIは、それぞれの社会において、日蓮仏教の実践と哲学の研鑽に加えて、平和・文化・教育の分野で多彩な運動を繰り広げている。またSGIは、平和の文化の構築、核兵器廃絶、持続可能な開発、人権等をテーマとした大規模な展示会を世界各地で開催してきている。 

創価学会青年部は、日本内外における平和活動の推進に重要な役割を果たしている。こうした青年達が連携を図るための重要なプラットフォームに、広島、長崎、沖縄で毎年開催される青年平和連絡協議会(広島・長崎・沖縄3県サミット)がある。青年達はここで平和を推進していくための適切な方法や手段について協議している。具体的には、平和教育に関する展示や、講演会、世論調査に加えて、反戦出版物の発行や、被爆者や戦争経験者の証言を映像に記録する活動等が取り上げられてきた。 

創価学会青年平和会議(YPC)と同女性平和文化会議(YWPCC)は、若者たちに素晴らしい活躍の場を提供している。私が訪れた広島、東京、沖縄で両組織のメンバーに出会えば、誰もがこうした青年男女が言行共に平和運動に情熱と不屈の精神で取り組んでいる姿に感銘を受けるだろう。 

こうした青年たちの平和運動は、太平洋戦争時におけるかつての日本の敵国との間に橋を架けるべく、確固たる信念で取り組む池田SGI会長の行動によって、さらに強固なものとなっている。1968年9月8日、池田氏は、そうした思いから創価学会学生部約20,000人を前にした演説の中で、日中国交正常化を呼びかけ、その実現に向けた具体的な提言を行った。 

この背景には、池田氏の長兄である喜一氏が戦争に召集され、その後、続いて他の3人の兄も召集されたという、自身の体験があった。喜一氏は戦死。亡くなる前に長兄が語った、中国人民に対する日本軍の扱いが酷すぎるとの言葉は、絶えず池田氏の胸に残っていた。 

 Portrait of Chinese Premier Zhou Enlai (1898-1976)/ By unknown author, Public Domain
Portrait of Chinese Premier Zhou Enlai (1898-1976)/ By unknown author, Public Domain

当時、日本国内では依然として多くの人々が中華人民共和国を敵国と認識しており、同国は国際社会においても孤立を深めている時期であった。こうした中、池田氏の提言は批判に晒されたが、一方で、中国の周恩来国務総理(首相)を含む、両国の関係修復に関心を持っていた日中両国の人々からの注目を浴びた。 

また池田氏は、1970年代になると各国政治指導者との対話を開始した。当時は米ソ超大国間の緊張が高まり、人類絶滅をもたらす核戦争の脅威が迫っていた時期である。池田氏は、こうした閉塞状況を打開し、戦争勃発を回避するための対話のチャンネルを開くべく、1974年から75年にかけて中国、ソ連、米国を順次訪問し、周恩来中国首相、アレクセイ・コスイギンソ連首相ヘンリー・キッシンジャー米国務長官と会談した。 

仏教指導者によるこのような活動はユニークなものであるが、ドイツの有名な社会民主党党首ヴィリー・ブラント氏が、西ドイツの外相、首相として推進した和解政策を髣髴とさせるものである。ブラント氏の和解政策は、かつての侵略国でホロコーストの加害国であるドイツと被害国の間の二国間関係に雪解けをもたらしたのみならず、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに続いた2つのドイツ国家の平和的統一へと続く道筋を切り開いた。 

池田氏の平和哲学における顕著な特徴は、対話を通じて共生の道を切り開くというものである。池田氏は、世界中の文化、政治、教育、芸術等、各界の有識者と会い意見交換を行ってきた。対談集が発刊されている有識者の中には、英国の歴史家アーノルド・トインビー博士ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領、神学者のハーベイ・J・コックス教授、未来学者のヘーゼル・ヘンダーソン博士、ブラジルの人権擁護者アウストレジェジロ・デ・アタイデ氏、中国文学の巨人金庸氏、インドネシアのイスラム教指導者アブドゥルラフマン・ワヒド氏がいる。 

1983年、池田氏は平和提言の執筆を開始し、以来今日に至るまで、SGI発足の記念日に当たる1月26日に毎年発表している。これらの提言は、人類が直面している諸課題についての見解を示すものであり、同時に仏教哲学に根差した解決策や対応策を提案するものである。こうした提言の中には、国際連合の機能強化のための具体的な行動指針も述べられており、その中で池田氏は、世界平和構築に欠かせない存在として、国連が市民社会をより積極的に関与させる能力を強化するよう提案している。また平和提言はしばしば、国際問題における膠着状態を打開するため、対話が果たしている決定的な重要性を例示している。 

ウェブサイト上にある池田氏の経歴によると、彼の平和への取り組みの原点は、戦時中の自身の経験に加えて、師である創価学会第2代会長戸田城聖氏が、亡くなる1年前の1957年に発表した「原水爆禁止宣言」である。 

戸田氏は核兵器を悪そのものとして厳しく批判するとともに、核兵器の使用は、イデオロギー、国籍或いは民族的アイデンティティーの観点からではなく、「人間性」と奪うことのできない「人類の生存権」という普遍的な次元から糾弾されなければならないと主張した。 

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創価学会沖縄研修道場/ Photo by Katsuhiro Asagiri

創価学会沖縄研修道場と世界平和の碑は、創価大学民音音楽博物館財団法人民主音楽協会とともに、人間の日々の生活に強い影響を与え、地に足の着いた教えである仏教の卓越した精神性を具体化した施設である。 
 
 桃原正義氏は、「今日の創価学会沖縄研修道場は、1977年、米国空軍のメースB核ミサイル基地跡地に建てられたのです」と目を輝かせて語ってくれた。(メースBは核弾頭搭載が可能な戦術ミサイルで1960年代、沖縄のいくつかの基地に配備されていた) 

(敷地内に取り壊されずに残っていた)ミサイル発射台は、1984年に「世界平和の碑」へと生まれ変わった。巨大なコンクリート構造物(100メートル×9メートル)は厚さ1.5メートルの外壁に覆われており、かつては中国を標的にした核ミサイルの発射台として使われていた。「池田SGI会長の提案で、ミサイル発射台には手を加えず、戦争の恐ろしさを永遠に語り継ぐ記念碑としてそのまま残すことにしたのです」と桃原氏は付け加えた。創価学会沖縄研修道場には、設立以来、中国人を含む外国人が訪れている。 

また沖縄には、1945年の沖縄戦に准看護婦として動員された194名の女学生と17名の教師達を祈念して建てられた「ひめゆり平和祈念資料館」と「ひめゆりの塔」がある。 

私はガイドから、2つの女学校(沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校)の生徒たちが共に動員され「ひめゆり学徒隊(戦後の呼称)」として戦場に送り出されたというありのままの事実だけでは語りつくせない、胸が張り裂けそうな悲惨な話を耳にした。彼女たちの中で、「鉄の暴風」として知られる修羅場から生還したのは僅かに5名のみだった。 

「ひめゆり平和祈念資料館」には戦前・戦中における女学生たちの等身大の視点が紹介されている。館内には沖縄戦で犠牲となった多くの女学生たちの写真や所持品の他に、彼女たちが体験した恐ろしい戦場の様子の再現や戦争の悲惨さを訴える生存者の証言が展示されている。 

沖縄戦において連合軍は、圧倒的な数の船舶や装甲車両を投入し、莫大な砲弾で熾烈な攻撃を加えたことから、その様子は「鉄の暴風」と例えられている。こうした中、10万人以上の民間人が殺害、負傷、あるいは自殺したと報じられている。また戦争中、多くの民間人が米軍の捕虜になったり降伏することがないよう、日本軍により自殺を命令されたという。 

2010年9月に沖縄を訪れた際、沖縄戦の目撃者にこの点を確認したところ、当時民間人は軍から自身や家族の自決用に手榴弾を渡されたとの証言を得た。また、軍当局のプロパガンダ(宣伝)により多くの民間人が崖から身を投げた。このような事例は「集団自決」と呼ばれた。こうして沖縄戦の結果、島民人口の実に4分の1近くが命を失った。 

沖縄戦の犠牲者の名前を刻んだ非宗教的な戦争記念碑「平和の礎」を訪問したが、ここでさらに洞察を深めることができた。「平和の礎」は沖縄戦最後の戦いが行われた摩文仁の地に、沖縄戦と終戦50周年を記念して1995年に建てられた沖縄戦跡国定公園の中でも重要な記念碑の一つである。 

たしかに戦場で亡くなった人々の名前を刻んで慰霊するという点では、平和の礎もワシントンDCのベトナム戦争戦没者慰霊碑(戦没兵士の名前が刻まれている)と似ている。しかしガイドから、平和の礎では、沖縄戦で亡くなった全ての人々の名前を、国籍や軍人、民間人の区別なく碑に刻んでいくというユニークな取り組みを行っていることを知った。2010年6月23日現在、慰霊碑は太平洋岸の近くに花崗岩で屏風の形状に建立された記念碑に、240,931人の名前が刻まれている。 

私は池田大作氏が数十年に及ぶ自らの軌跡を小説に描いた大著『新・人間革命』の中に、沖縄の辿った苦難の道を記しているのを知った。 

池田氏は記している。「沖縄は、あの大戦では、日本本土の『捨て石』とされ、日本で唯一、地上戦が行われ、住民の約四分の一が死んだ悲劇の島である」「さらに、戦後も、アメリカの施政権下に置かれ、基地の島となってきた。これもまた、かたちを変えた、本土の『捨て石』であったといってよい。村によっては、基地の占める面積は、九割近いところもあった。しかも、アメリカの極東戦略のうえで、『太平洋の要石』とされ、中距離弾道ミサイルのメースB基地も四カ所に設けられ、また、原子力潜水艦の補給基地としても、重要視されていた」 

「基地周辺の住民は、米軍のジェット機や輸送機の墜落、演習による自然破壊等々に苦しめられ続けてきたのである」 

池田会長の大著『人間革命』は次の言葉で始まる。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。…愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。」この物語の主題は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」というものであり、かつての悲惨な戦場を真に幸福な社会に転ずる著者の決意が込められている。(原文へ)取材記事の映像
  
翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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