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|気候変動|オバマ新政権、地球温暖化政策に本格始動

【ワシントンINPS=ジム・ローブ】

クリントン・ブッシュ両政権で成し得なかった問題にいよいよバラク・オバマ新大統領が挑む。温暖化対策防止に向けた京都議定書をめぐって、クリントン前政権では調印にまでは漕ぎつけたものの上院で否決され、一方のブッシュ前大統領は同議定書が米経済を損なうとして支持しない姿勢を固持してきた。

しかし、前政権の路線修正に踏み出すためオバマ新大統領は26日、気候変動政策について2つの具体策を打ち出した。

 まず、連邦環境保護局(EPA)に対し、カリフォルニアと他の13州が採用を求めている新たな自動車排ガス規制の認可に向けて検討を行うよう指示した。元々、この排ガス規制は連邦基準よりも厳しいものであったため、ブッシュ前政権は差し止めを決定。しかし、先週シュワルツェネッガー州知事はオバマ大統領に認可の再検討を求め、同大統領もカリフォルニア州の温暖化政策への積極的姿勢を評価しこれを認めた。 

次に、オバマ大統領は運輸省に対しても既存の燃料基準を2011年度から40%にまで徐々に引き上げるよう規制強化を指示。「全ての自動車がこれに従えば、1日で200万バレル以上の石油を節約できる。これはペルシャ湾から米国への原油の輸入量にほぼ相当する」と語った。 

一方、オバマ大統領から地球温暖化防止問題の米政府特使として任命を受けたトッド・スターン氏は「ようやく米国が気候変動問題への取り組みで国際的な交渉の場に堂々と立てる時が来た。我々は前向きで活発な議論を行う必要がある」と述べた。同氏はクリントン元大統領の下で京都議定書策定に携わった人物である。 

環境保護団体『グリーンピース』の地球温暖化運動に取り組むSteven Beil代表はオバマ新政権の新たな環境・温暖化政策に期待を示した。「アメリカは8年もの間ブッシュ前政権の反対を受け、温暖化対策に踏み切れなかった。しかし今後は、他国から『環境問題に消極的な米国』と批判・非難されることもないだろう」。オバマ米新政権が乗り出したエネルギー・環境政策について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー= IPS Japan 浅霧勝浩

|カリブ海地域|ハイテク・ネットワーク設立で武器密輸を監視

【ポート・オブ・スペインIPS=ピーター・リチャーズ】

 世界では約5億の小型武器が使用されており、それによって年間約50万人が殺害されている。カリブ諸国では、今年に入り既に100人の犠牲者が出ている。 

トリニダードに本部を置くImplementation Agency for Crime and Security(IMPACS:犯罪治安実行機関)のリン・アン・ウィリアムズ事務局長は、ある国で犯罪に使用された武器が別の国で再び使用されることも珍しくないと言う。 

ジャマイカ、トリニダード・トバゴ両政府は、拳銃の密貿易と麻薬売買の関係を把握しており、コロンビア、ハイチ、ホンジュラス、ベネズエラといった国々から高性能小型武器が送りこまれているとしている。

 トリニダード・トバゴの国家安全保障大臣でカリブ共同体(Caricom)国家安全保障・法施行担当大臣協議会の議長を務めるマーチン・ジョセフ氏は、「これらの武器は、密輸品の保護、ユーザー・競争相手に対する脅迫、縄張り確保、ギャング・メンバーのリクルートなどに使用されている。拳銃関連の暴力は、カリブ諸国にとって保健システムの負担になるだけでなく社会的/経済的問題を生じさせている」と語る。 

最近国連が発表した中央アメリカおよびカリブ諸国における小型武器の子ども・青少年に与える影響についての報告書によれば、武器密輸業者は年間数百万ドルの外貨を稼いでいるという。また、ラテンアメリカおよびカリブ諸国の殺人件数は世界全体の42パーセントを占めるという。 

ジャマイカ警察の統計では、2005年1月から2008年5月までに5,068人が殺されており、その78パーセントが拳銃による殺人だ。怪我人は2,000人を超える。トリニダードでは、昨年の死亡者は544人。その54.2パーセント、295人はギャング抗争による射殺という。 

カリブ諸国政府は3年前にIMPACS設立で合意。現在、メンバー国の小型武器密輸およびこれに関連した犯罪の取り締まりを強化するため、地域統合弾道情報ネットワーク(RIBIN)開発を行っている。ウィリアムズ事務局長は、これにより米国、カナダなどの国々との協力拡大も可能になると語っている。 

実際米政府は、既にジャマイカに対して「高い犯罪率はビジネスにも影響し、投資にも悪い影響を与える」と警告している。米国国際開発庁のジャマイカ担当カレン・ヒリアード部長は、「ジャマイカの中小企業は、年間収入の平均17パーセントをセキュリティー・コストに費やしており、イラクにおける23パーセントに匹敵する」と語っている。

ジャマイカおよびトリニダード・トバゴにおける小型武器密輸とそれによる殺人事件の増加について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPSJapan 浅霧勝浩

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|米国|「イランによるタリバン支援」説、否定される

|パキスタン|オバマ大統領に対する期待と懐疑

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【カラチIPS=ビーナ・サルワール】

世界数10億の人々がテレビ放送されたバラク・フセイン・オバマ氏の第44代米大統領就任式を見守る中、彼の希望のメッセージはパキスタン国民にも共感を与えた。しかし、一部にはシステムの変革は無理との見方もある。


パキスタン国民の多くはまず、オバマ大統領がアフガニスタン国境に近い北部地域の標的攻撃に無人偵察機あるいは遠隔操縦機を送るという米軍の政策を変更するよう欲している。パキスタン政府も、これは好戦性および暴力の拡大を生むだけだとしている。 

教育開発センターの所長で著名なイスラム教学者であるアッバス・フセイン氏は、米新政権の対話の姿勢を歓迎している。しかし、短期、中期の変化に期待してはならないと言う。

 友人と就任式を見ていたカラチの環境活動家アリフ・ペルヴァイズ氏は、「オバマは将来を見据えたダイナミックな人物で、世界の人々に希望を抱かせる100年に一度の逸材だ」と語る。パキスタンの「クリントン気候変動イニシアチブ」の責任者である同氏は同時に、「余り期待過ぎると失望することになるかも知れない。彼一人では米国の政策は変えられないのだから」と語っている。 

一方、家族訪問のため一時帰国しているペルヴァイズ氏の友人は、「オバマが米国の外交/国内政策に劇的な変化をもたらすことはないだろう。イラク戦争は、既に沈静の方向にあり誰が大統領になっても変化しただろうし、グアンタナモ収容所閉鎖も大したことではない」と言う。 

パキスタンのメディアはオバマ氏とパキスタンとの関係について大きく報道してきた。当時二十歳の学生だったオバマ氏は、1981年に3週間のパキスタン旅行をしており、昨年サンフランシスコの選挙支援組織を訪れた際、この旅行でジョン・マケイン候補やヒラリー・クリントン候補よりも大きな海外経験をしたと語っている。新政権のビル・バートン首席報道官によれば、オバマ氏はロサンゼルスのオキシデンタル・カレッジからコロンビア大学に移るまで、大学時代の友人モハメド・ハサン・チャンデオ氏の所に泊っていたという。オバマ氏自身、回想録の中で数人のパキスタン人学友について明かしている。 

パキスタン国民の中には、このコネクションを強調する者もいるが、ボストン大学のアディル・ナジャム教授は、そうすることは、オバマ氏の若き日の冒険に暗い意味を見出し、策略を巡らすそうと図るオバマ反対派の思う壺にはまることにもなりかねない」と危惧する。 

ある新聞売りは、「米国の政策は、パキスタンと同じく国民ではなく陰の人物によって作られるのだから個人による変革は無理だ」と語った。 

オバマ大統領就任に対するパキスタン国民の声を紹介する。(原文へ) 
 
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

|キューバ-米国|誰の「機会」か?

【ハバナIPS=パトリシア・グロッグ】

バラク・オバマ大統領率いる米新政権に対し、キューバでは両国関係の緊張緩和への期待が高まっている。しかし、一部学者の間では懐疑論も聞かれる。 

ハバナ大学のルイス・レネ・フェルナンデス氏は「日が経つにつれ、対キューバ政策に関するオバマの考えについてだんだん楽観できなくなっている」とIPSの取材に対し述べた。 

「米国の専門家は対キューバ封鎖解除の必要を説いているが、新政権はキューバへの航行の自由化以外に両国関係改善の意向は少ないのではないか。最近のオバマや国務長官に就任するヒラリー・クリントンの発言が今後の政策を示唆するものとすれば、大きな変革が期待できる根拠は見えない」と話す。

 フェルナンデス氏は、新大統領が、エネルギーや環境の分野での協力、貿易の自由化、テロ支援国家のリストからの除外などの意志を今なお持っているとすれば、前進となるだろうとしながらも、次のように指摘する。 

ヒラリー・クリントン国務長官が1月13日の上院公聴会で、新政権の誕生はキューバにとって政治犯の釈放、経済自由化、国民に対する抑圧的制限の解除など変化の機会となる、と述べたが、これは「政治的近視眼」を露呈するもの。アフガニスタンとイラク侵攻、秘密刑務所、囚人の不法な引渡し、グアンタナモ収容施設などにおける拷問等々、問題の根源は米国自体にある。 

新政権がブッシュ政権の施策によって色あせた米国のイメージを改善したいのであれば、米国にこそ、旅行や送金の制限解除以上の具体的措置を採る「機会」がある。 

対キューバ関係の改善は、ラテンアメリカ、カリブ海地域、アフリカ、アジアなどの第三世界において、さらには先進諸国や米国自身の幅広い社会層において、米政権にとって極めてプラスの影響をもたらすだろう。また、麻薬密売、テロ、再生可能エネルギー、環境などの共通の重要問題に協力する機会を生み出すだろう。貿易・投資は増大し、雇用が創出され、旅行者数も増加することが期待される。 

米新政権により対キューバ封鎖解除の施策が短期間にとられるとの期待は楽観的すぎるが、しかしそうした施策はキューバよりも米国自身に政治的・経済的利益をもたらすとする分析について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

|ロシア|移民労働者への帰国要請強まる

【モスクワIPS=ケスター・ケン・クロメガー】

景気後退の悪化は、ロシア人よりも旧ソビエト連邦諸国からロシアへ来て働いている人々に、より厳しい影響を与えている。ウラジミール・プーチン・ロシア連邦首相は先月、2009年のCIS独立国家共同体(バルト3国ラトビア、リトアニア、エストニア以外の旧ソビエト連邦の国々で形成された緩やかな国家連合体)からの労働者受け入れ割当てを、ロシア人の雇用保護のため半分、もしくはそれ以上減らすよう命じた。 

これは400万人の定員が200万人あるいはそれ以下に減らされ、移民労働者の多くが解雇に追い込まれることを意味する。

ここ数年移民労働者の定員は、ロシアの経済成長にともなう安い労働力の需要により大幅に増加した。しかし、現在ロシア企業は建設業などの肉体労働で何千人もの移民労働者を解雇している。モスクワの国際労働機関(ILO)におけるRegional Migration Programmeの技術顧問二リム・バルア氏はIPSのインタビューに応じ「プーチン首相の政令は390万人という移民労働者定員の削減を直接謳ったものではない。しかし一時は定員を30パーセント増加する準備があった一方、雇用市場の状況に応じて50パーセントまでの定員の増減を許容する内容となった」と述べた。景気後退が続けば、定員を半減することも許される。 

労働移民は、外国人労働力の需要とビザ免除国(グルジアとトルクメニスタンを除いたCIS独立国家共同体の国々)と他の国々に対する割り当てを勘案して受け入れられている。アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギス、ウクライナの経済は石油で潤っているロシアで働く移民労働者からの送金に強く依存している。 

こうした正規の移民の他にロシアには少なくとも500万人の不法労働者がいると言われている。ロシアからの送金が国で待つ家族の主要な資金である一方、移民労働者の多くはロシアでの人権侵害や保証の少なさについて不満をこぼす。ILOの調査により、ロシアで働く移民労働者の社会保障と身辺の安全度が極端に低いことも明らかになった。 

中央アジア旧ソビエト連邦の国家指導者達は、ロシアに対して移民労働者の労働環境を改善し、ロシア領土において彼らの市民権を保護するよう訴えてきたが、今では移民労働者の雇用そのものが脅かされる危機に直面している。バルア氏は「金融危機以来増えている給与未払い問題は労働権の侵害であり、解雇は労働契約と労働法に反している」という。 

ロシア科学アカデミーの社会経済問題研究員であるElena TjurukanovaはIPSのインタビューに応じ、「新しい定数を採択すれば、合法移民と違法移民の割合が入れ替わるだけである。また当然不法労働者は何の権利も保障されない」と述べた。 

Centre for Social and Labour Rights のPyotr Bizyukov氏はロシアの大手新聞『Nezavisimaya Gazeta』と『Novye Izvestia』のインタビューに「ロシア企業は問題が壊滅的ではないにも関わらず、従業員を『念のため』という理由だけで早く解雇しすぎた」と述べた。Bizyukov氏は、経済危機に関わらずロシアはまだ外国からの労働力を必要としており、じきに労働力不足に陥ると指摘する。その仕事の大半は過酷で賃金が低い、ロシア国民が避けたがる仕事である。 

1月初め、ドミトリー・メドヴェージェフ大統領が認可した、ロシア人失業者の支援を拡大する法令には、失業者の再訓練や雇用創出のための公共工事費などが予算に含まれる。政府は18億ドルをロシア人失業者の支援のために確保しており、その準備金の大半は石油による収入でまかなわれている1,370億ドルからくるものである。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 

|米国・アフガニスタン|バグラムはグアンタナモより劣悪か

【ニューヨークIPS=ウィリアム・フィッシャー】

キューバのグアンタナモ収容所を閉鎖する仕事がオバマ次期大統領に任されたのは知られているが、アフガニスタンのカブール近郊のバグラム収容所の問題についてはあまり知られていない。もうひとつのグアンタナモと呼ばれるこの収容所には、現在600~700人が拘束されている。

米軍が2001年のアフガニスタン侵攻でタリバンを転覆させた後、バグラム収容所は拘束者の暫定的審査を行う施設として設立された。収容者は現在、グアンタナモの3倍である。2005年に収容者の待遇が問題になり、米国はこの施設をアフガニスタン政府に委譲しようとしたが、さまざまな事情により現在も米軍が管理している。

最近の赤十字国際委員会(ICRC)の機密報告書によると、収容者の虐待が続いているという。アメリカ自由人権協会(ACLU)のH.シャムシ氏は、「バグラムはグアンタナモと同じように劣悪で、悲劇を繰り返さないために実態調査を行うべき」とIPSの取材に応じて語った。

司法の介入が期待される中、昨年6月に米最高裁は、米軍がテロ容疑者としてグアンタナモに拘束している外国籍の人々に、拘束を不服として裁判所に訴える権利を認めた。この決定がバグラムにも適用されるかどうかが検討され始めている。グアンタナモと同様にバグラムもテロとの戦いのために軍が管理し、米国の司法が及ばない外国に設立されている。

バグラムにはグアンタナモでの判断は適用されないというのが大方の見方だが、バグラムの収容者の弁護士は、法廷で拘束の是非を問う権利とともに人身保護令状請求権を求めている。この訴えを受けた地裁のJ.D.ベイツ判事は、バグラムは戦闘地域であり訴えを棄却すべきという政府の申し立てにまだ判断を示していない。

バグラムの弁護士は、収容所が暫定的施設ではなく、テロとの戦争という永続的な状況における常設刑務所になっているという。拘束の当否を審査する戦闘員審査法廷(CSRT)もない。司法省は拘束者の釈放が、あるいは訴訟を検討するだけでも、安全を脅かすことになると主張している。

裁判所の裁定の進行は定まっておらず、バグラムの問題もグアンタナモと同じように新しい大統領に解決を委ねられることになるだろう。

アフガニスタンの米軍のバグラム収容所の問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

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|米国|テロとの戦い|「アフィア女史を釈放せよ」とUAE紙

|中東|イスラエルから和平を求める声

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【テルアビブIPS=ダーン・ボーウェン】

1月10日土曜日夜、ガザ攻撃の即時停止を求め、2,000人あまりの市民が参加して平和集会がテ

ルアビブの中心地にある国防軍司令部と国防省の前で開かれた。ガザ空爆開始後3週間で3回目の集会である。 

この反戦デモを組織した「ピース・ナウ」のYosef Douek氏は「ガザの子どもたちもスデロットの子どもたちも平和で安全に暮らしたいと願っている。こうした軍事行動を継続しても意味がない」と訴える。

 パレスチナとイスラエルの合同NGOである「オルタナティブ情報センター」が1月10日をイスラエルによるガザ戦争反対の力を結集するグローバルデーにしようと呼びかけたことに応え、イスラエルの平和運動グループ「グシュ・シャローム」も「ピース・ナウ」に加わった。 

Yosef Douek氏は「私たちの行動の影響力は極めて限られているとは思うが、世論に働きかけるためにできることを行っている。この国ではメディアは政治的コンセンサスを破ることに関心はなく、同時に私たちのメッセージに対する政治的アプローチもまったくないからだ。少なくともこの段階では皆が愛国心から戦争を支持したいと思っている。だがそれもすぐに変わってくると思う。過去における戦争と同様、世論の支持は崩れるだろう」と述べている。 

戦争に反対する詩人やアーティストの作品を集めて先週出版した小冊子を反戦デモで配布した国際的に著名なユダヤ人アーティスト・作家で活動家のRonen Eidelman氏は「過去の戦争との違いは、暴力が過度に用いられている点。世界の大きな怒りをかっている」と話す。 

イスラエルの左派政党メレツの党員Ido Gideon氏は、イスラエル人にはホロコーストに対する思いがあるようにパレスチナ人にはイスラエル建国時における大虐殺ナクバに対する思いがあると指摘し、「イスラエル人とパレスチナ人は罪ではなく苦悩について話し始めるべきときだ」と言う。 

ガザ攻撃に反対するイスラエル国内の声について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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パレスチナ・イスラエルの和平交渉を望む女性たち

共通の未来のために広島の被爆体験を記憶する

【東京IDN=モンズルル・ハク】

人間の「記憶」というものは、とりわけ戦争と破壊を記録するという点においては長続きしないようだ。人間の苦悩や窮状を描いた様々な時代の詳細な記録が無数に残されているが、人類は恐らくそうしたものを、何か曖昧で抽象的なこと、或いは、日常の現実とは全く関係ない、何か遠いかけ離れた出来事であるかのように捉えるのだろう。漠然と認識されたものは確かな証拠とはなり得ず、かけ離れた出来事が、良心を激しく揺さぶることもないことから、私たちは、打ち続いた悲劇的な現実が落ち着きを見せ、たとえ短期間でも比較的平穏な状況への道筋が見出されれば、瞬く間に、戦争や破壊が人類にもたらしたものを忘却の彼方に葬り去ってしまう傾向にある。

人類の「記憶」が持つこうした脆弱な特性は、いわゆる「より大きな集団の利益」のためという大義名分のもとに記憶を消し去ろうとする人々に常に利用され、進歩の歩みを逆行させてしまうのである。こういう訳で、戦争とそれに続く自滅行為が、平和で平穏な生活を求めているはずの人類の永遠の旅の一部となってきたのである。

こうした過ちの大部分について、真の原因は、人類が、戦争が常にもたらす人間の苦しみの深淵を理解する能力に欠けているというところにあるのかもしれない。私たちがその深淵のほどを無視し続けるかぎり、剣を鋤に打ち直す(=戦いをやめて平和な暮らしをする)のは、今後もはかない夢であり続けるだろう。さてここで、「記憶」が今一度、非常に重要な役割を果たしうるのである。つまりそれは、人類が持つ破壊能力が想像の領域を遥かに超える今日のような時代に、戦争がもたらしうる悲劇の深淵を、少なくとも現実的に捉えることを可能にする役割である。1945年8月6日の広島の原爆を生き延びた14人の被爆者は、まさにこうした理解から、その朝原爆によって引き裂かれた無垢な青年時代の記憶を回想し語ることで、私たちの良心に訴えかけているのである。

沈黙は破られた

Soka Gakkai Hiroshima Peace Committee
Soka Gakkai Hiroshima Peace Committee

『男たちの広島―ついに沈黙は破られた』は、(来年8月6日の)広島長崎の被爆70周年を前にして今年4月に出版された時宜を得た書物である。この本のジャンルは、1927年から39年までに生まれた広島原爆の被爆者14人の体験談を収録したオーラル・ヒストリー(口述歴史)である。彼らはいずれも原爆投下直後の惨状を生き延び、心と身体に深い傷を負いながら、長い人生を歩んできた方々である。彼らの歩んだ道は、被爆の後遺症に苦しみ生涯に亘って通院を余儀なくされるなど、決して平坦なものではなかった。身体に負った傷については、多くの場合、長年の治療を通じて癒すことができたものの、彼らの多くが直面した、社会から暗黙の内に向けられた差別的な態度は、恐らく彼らにとって身体の傷以上に痛みを伴うものであり、長きにわたって心の奥深い部分に傷を残しただろう。

原爆投下直後の時期は、日本が(敗戦間近の)混乱に陥った時期であった。さらに混沌とした戦後期の日本は米国の占領下にあり、戦勝者(=連合国最高司令部:GHQ)は自らが行った邪悪な行為が露見することに当然ながら反対だったことから、当時は被爆者の悪夢のような記憶を語ることはタブーとされた。さらに被爆者は、被爆時の負った惨たらしい傷や変形した身体で生きていかなければならない現実に複雑な心境を抱えており、徐々にこの悪夢の記憶を心の奥底に封印していった。爆心地近くにいたことで余儀なくされた経験について、多くの人が沈黙を保った。しかし、世界にとって幸運なことに、かなりの数の被爆者がのちに沈黙を破り、それぞれの体験を語り始めたのである。『男たちの広島―ついに沈黙は破られた』に収録された14篇の証言は、それぞれがユニークなものである。被爆者が経験してきた苦しみの深さは、ひとつとして同じものがないからだ。

焼け爛れた女性、息絶えた乳児、孤児

木原正さんは、原爆投下直後に遭遇したある悲劇的な光景が脳裏からずっと離れないでいる。木原さんは被爆時に自身も負傷していたが、仲間とともに広島市内各地で路地や崩れた建物の陰に怪我人がいないか捜索・支援活動を続けていた。そんなある夜のこと、見回りをしていると、水を懇願する声が聞こえた。その声はか細く、必死に訴えていたという。木原さんが近づいてみると、それは、乳児を抱いたひどい火傷を負った女性だった。彼女の体は全身が焼けただれており、乳児は母親の乳房を口に含んでいた。しかしよく見てみると、乳児はすでに死んでいることが分かった。木原さんは、その女性が既に息絶えた我が子になお授乳しているかのように抱き続けていたのは、恐らく現実を受け入れられなかったのだろうと思った。木原さんはその時の心情を、「私には何もしてやれませんでした。私は手を合わせて詫び、その場を去りましたが、いまも心が痛みます。」と証言している。

木原さんは若いころ、被爆者であることを隠していた。しかし、65歳になって考えを変え、若い世代に自分の経験を語る決心をした。木原さんは今、息絶えたわが子を焼け爛れた体に抱き水を懇願したあの母親のような恐ろしい経験について、若い世代の人たちには忘れてほしくないと強く思っている。木原さんは、長年に亘って心を痛めてきたあの無惨な光景について、世界のどんな母親にも同じような経験をしてほしくないという望みを抱きながら、他の人びとに証言することができたことで、安堵の気持ちを持っているに違いない。

この最新の証言集にそれぞれの体験を語っている14人の被爆者はいずれも、被爆当時は元気旺盛な少年期の子どもだった。原爆は彼らの明るい将来の夢を奪っただけではなく、悪夢の中でさえ誰も想像できないような形で、彼らの人生を変えてしまったのである。

Photo: The remains of the Prefectural Industry Promotion Building, after the dropping of the atomic bomb, in Hiroshima, Japan. This site was later preserved as a monument. UN Photo/DB
Photo: The remains of the Prefectural Industry Promotion Building, after the dropping of the atomic bomb, in Hiroshima, Japan. This site was later preserved as a monument. UN Photo/DB

中でも私の心に迫ってきたのは川本省三さんの体験談だ。川本さんは、原爆投下から3日後に両親を探し求めて疎開先から広島市内に戻った時、自身が「原爆孤児」になってしまったことを知った。疎開先の寺では僅かな食事が提供されていたが当時11歳で育ちざかりの川本さんにとって、空腹を満たすには十分でなかった。市内に戻ったものの孤児となり引き取り先がなかった川本さんは、やがて浮浪児となり、ただただ生きていくために、時には露天商から餅を盗み、時には(寝場所と食料を提供する見返りに)浮浪児を組織的に搾取していた暴力団の下で働かざるを得なかった。川本さんは、こうした広島原爆がもたらした2重苦(孤児になったのちに、施設に入れず浮浪児として町中に放置され究極の困難)を強いられた子どもたちについて、これまで多くが語られていないことを残念に思っている。川本さんの証言によると、原爆投下前に疎開した広島の小学生は約8600人。そのうち2700人が孤児となったが、幸運にも孤児院に収容されたのは僅か700人で、残りの約2000人は町に放置され浮浪児となったという。

新たな恐怖

14人の被爆者全員を結びつけるものは、共通の苦しみだけではない。自らが体験してきた恐怖を他人に語らずに長い間沈黙を保つという、自らに孤立を課していた点でも共通している。そのような彼らが、沈黙を破り自らの経験を語っていこうと決心した背景には、2011年3月の福島第一原発事故以後に噴出した新たな恐怖に対する危機感がある。それ以降、彼らは、放射性降下物が引き起こす被害について自らの経験を語り伝えていくことを厳粛な責任だと考えているのである。

Fact-finding team from the International Atomic Energy Agency visits Fukushima Dai-ichi nuclear power plant in May 2011. Credit: IAEA Imagebank/ CC by 2.0
Fact-finding team from the International Atomic Energy Agency visits Fukushima Dai-ichi nuclear power plant in May 2011. Credit: IAEA Imagebank/ CC by 2.0

下井勝幸さんは、テレビ番組で福島第一原子力発電所の建屋で働く作業員の姿を見たのを契機に、原爆投下後数日の間に彼の弟の身に起こったことを思い出し、「放射線被爆後に目撃した生と死のストーリーを語らねばならないと思い立った。」と述べている。弟の明夫さんは当時まだ13歳で、原爆投下時には同級生の中村君と路面電車に乗っていた。下井さんは、次に起こったことをこう証言している。「20日ほどたったころでしょうか。弟は髪の毛が抜け、全身に赤い斑点が出はじめました。……弟の肩や腕は、割り箸のように細くなっていきました。……弟はまだ13歳なのに老人のような顔になって死にました。あのとき一緒にいた同級生の中村君も、同じ日に死んだと後から聞きました。」

それから65年以上が経ち、テレビのニュースで福島第一原子力発電所の建屋で作業している人の姿を見て、その作業員の腕にかつて弟を苦痛に満ちた死へと追いやったのと同じ赤い湿疹が出ているように思えた。下井さんはこのことに戦慄を覚え、今こそ沈黙を破って声をあげていかないといけない、と思ったという。

被爆者の証言を記録することは、創価学会広島平和委員会が実施した時宜を得たイニシアチブである。同委員会は、核時代に終止符を打つには、さらに大きく核廃絶を支持する国際世論を高めなくてはならないと考えた。『男たちのヒロシマ―ついに沈黙は破られた』は、長年にわたって記録されてきた広島発の被爆証言集の9冊目であり、「2011・3・11福島原発事故」以降、初めての被爆証言集である。

創価学会広島平和委員会は、被爆者の声を日本国内のみならず世界各国の人々にも広く伝えていくために、最新刊には証言の英訳も付けて発行することを決めた。世界があの最悪の人災からあと1年で70周年を迎えようとする中、この証言集の発行は、単に過去の恐怖を思い起こさせるだけではなく、人類共通の破壊につながるような死の競争を永遠に止めさせるために私たちがとるべき道筋をも示してくれている。(原文へ

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※モンズルル・ハクは、バングラデシュのジャーナリストで、日本などのテーマに関するベンガル語の著作が3冊ある。ダッカの国連広報センターとロンドンのBBCワールドサービスで勤務したのち、1994年に日本に移住。バングラデシュの主要全国紙2紙(『プロトム・アロ』と『デイリー・スター』)の東京支局長で、バングラデシュのその他の重要発行物に定期的に寄稿している。日本や東アジアの問題について英語およびベンガル語で手広く執筆。東京外大、横浜国立大学、恵泉女学園大学で客員教授を務め、日本政治、日本のメディア、途上国、国際問題などを教える。NHKラジオにも勤務。2000年より外国人特派員協会のメンバーで、理事を2期務めたのち、同協会会長も歴任した。

翻訳=INPS Japan

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│インドネシア│国民に敬愛されたワヒド元大統領の死を悼む

【ジャカルタIPS=ヘラ・ディアニ】

インドネシアのアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領が入院したというニュースは、当初それほどの関心を呼ばなかった。彼はこれまで、糖尿病や肝臓の病気などで入退院を繰り返していたからだ。それに、世間を賑わわせていたのは、スシロ・バンバン・ユドヨノ現大統領の銀行疑獄の話題であった。

しかし、12月30日、ワヒド氏は、歯の治療手術の後、突然の死を迎える。享年69才であった。

ワヒド氏の訃報が伝わるとインドネシア全土がショックと悲しみに包まれた。自宅のある南ジャカルタには自然に多くの人々が同氏の死を悼んで集まった。そしてインドネシア全土でイスラム教徒のみならず様々な宗派の市民が同氏の冥福を祈る集会を催した。

 東ジャワのスラバヤでは人々が自然と街に繰り出し、キャンドルを灯して行進したり花を手向けたりした。地元紙は、「ワヒド氏はイスラム教徒だが、全ての宗派に恩恵をもたらした人物であった。」とのダルマートマージャ枢機卿のコメントを掲載した。ワヒド氏は、インドネシアの宗教的寛容と政治改革の象徴的存在であった。

ワヒド氏は宗教一家の生まれであった。祖父のハシム・アスヤリ氏はインドネシア最大のイスラム教組織「ナフダトゥル・ウラマー」を創設した(ワヒド氏自身ものちに同団体の総裁になった)。父のワヒド・ハシム氏は、インドネシアの初代宗教大臣であった。

ワヒド氏自身は、カイロやバクダッドの大学へ留学した後帰国して、ジャーナリスト・評論家・学者としての道を歩み始めた。政教分離が彼の持論であった。

1998年、スハルト独裁政権が倒れると、国民覚醒党を結成した。翌99年の総選挙ではメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ氏が率いるインドネシア民主党が勝利を収めるが、保守的なイスラム教徒たちは女性が大統領になることを嫌って「中央枢軸」を結成し、ワヒド氏が大統領に就任することになった(在任期間:99年10月~01年7月)。しかし、彼は、メガワティ氏を副大統領に選んだ。

ワヒド氏は、スハルト独裁体制を支えた2つの省庁を解散させ、軍の影響力を削ぎ、中国系住民を差別する仕組みを破棄したりと、自由と寛容の体制作りに向けて努力した。

しかし、それだけに敵も多く、2001年7月には議会から弾劾されて、メガワティ氏に大統領職を譲ることとなった。

現在、法務長官が共産主義と宗教をテーマにした書物の発禁処分を出すなど、非寛容な動きが相次いでいる。このようなときにこそ、インドネシアはワヒド氏の死を悼む必要がありそうだ。

インドネシアのワヒド元大統領の死について伝える。(原文へ


翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

|欧州|十字砲火にさらされて凍える国々

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【ブダペストIPS=ゾルタン・ドゥジジン】

天然ガスの供給が停止した中欧およびバルカン諸国では、工場は製造を中断し、学校は休校になり、給水管は凍り、経済はマヒ状態だ。西側が招いた金融危機との苦闘の後には、東側からの経済的な打撃が待っていた。 

ガスの供給停止は、ウクライナとロシアが2009年のガスの価格とウクライナの料金支払い遅延に対する罰金問題について合意に至らなかったことが原因である。欧州向けのロシア産ガスの80%がウクライナを経由しており、ボスニア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリア、クロアチア、マケドニア、セルビア、ギリシャが窮地に陥っている。 

ハンガリーのジュルチャーニ首相はウクライナとロシアの戦闘の流れ弾に当たるようなもので承服しがたいとしながら、ガスの使用に制限を設けた。ハンガリーでは暖房の90%はガスを利用しており、暖を取るには経済活動を休止しなければならない。閉鎖した工場もあり、農家は家畜の凍死を心配し、中小企業は製品の質と量への影響を懸念している。

中欧諸国の経済の鍵となる自動車メーカーまでが生産中止に追い込まれつつあり、そうなると国の経済自体に甚大な被害が及ぶ。チェコとハンガリーには小規模のガス備蓄があるが、備蓄のない国は対処に苦しみ、スロバキアは非常事態を宣言し、ガスによる発電がほとんどのため、10日以内に供給が再開しなければ全土で停電という事態もありうるという。

一方で美談もあり、モルドバのヴォローニン大統領は、独立を図っているドニエステル地域の社会施設や病院が危機に瀕したために、少ないエネルギーを分け与えた。電力の供給停止により寒さと闘っているセルビア北部のノビサドに対し、ハンガリーはガスの貸し出しに応じた。またドイツやオーストリアも貸し出しを行っている。

ウクライナとロシアがガスの供給を回復しても、バルカンおよび中欧諸国のガス供給システムが完全に復旧するには数日かかる。影響を受けた国々はロシアのガスプロム社かウクライナに補償を要求するかもしれない。ハンガリーのエネルギー企業Emfesz Kftはすでにウクライナのガス公社を訴えると発表している。ロシアとウクライナはEUの監視団の受け入れには合意したが、早期の解決は難しそうだ。

ロシアとウクライナのガスをめぐる争いの影響を受ける中欧・バルカン諸国について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

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