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COP27におけるインド: 中心的役割を果たしたか?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ロバート・ミゾ 

気候変動に関する国際交渉においてインドが重要なアクターであることは、近頃シャルム・エル・シェイクで開催された条約締約国会議(COP)27で如実に示された。2015年のパリ協定で約束したことを達成するため、締約国間の新たな連帯を追求するサミットで、インドは国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国としてきっぱりと主張しつつも、協調的な姿勢を見せた。気候変動はすべての国の協調的努力によってのみ対処できるという普遍的合意はあるものの、平等、正義、公正にかかわる問題は依然として波乱含みである。シャルム・エル・シェイクにおけるインドの大きな貢献は、これらの問題への対処に関係する。(

インドは、同国がグローバルな正義や平等という根本的問題に引き続き取り組んでいくことを十分に明らかにしたうえで、サミットのカバーテキストにおいて「主要排出国」や「上位排出国」といった言葉を使用することには反対した。このような言葉は、世界の平均気温上昇を1.5℃に抑えるために、歴史的に気候変動の原因となってきた富裕国だけでなく、インドと中国を含むすべての上位排出国が厳しい排出量削減を行わなければならないという含みを持つ。COP27でインド代表団を率いたブペンドラ・ヤーダブ環境・森林・気候変動大臣は、これを「共通だが差異のある責任と各国の能力(CBDR-RC)」という原則を損なおうとする試みと見た。インドは、歴史的に気候変動の原因を作った国々とひとくくりにされることなど到底受け入れられず、そのような試みに対しては、条約の衡平原則に基づいて抵抗することを明確に表明してきた。

さらにインドの交渉担当者らは、エネルギー使用量、排出量、所得の明らかな格差が各国間にあり、この世界が依然として不公平である遺憾な事実を強調した。そのためインドは、貧困国が気候変動の影響に対処するとともに、各国の能力に応じた排出量削減の実施に同意できるよう、気候資金の強化を強く求めた。インドは、国のゼロエミッション計画(達成目標は2070年まで)や国が決定する貢献(NDC)に基づく他の排出量削減プログラムとは別に、低排出開発経路に移行するための主な戦略を提示する長期低排出開発戦略(LT LEDS)を、国連気候変動枠組条約に提出した。インドの低炭素開発戦略は「世界の炭素収支の公平かつ公正な割り当てを受ける権利」という観点から考えなければならないと、ヤーダブ大臣は強調した。文書では、インドがその計画を実施するためには2050年までに何十兆ドルもの資金が必要であるという重要な点が指摘されている。また、「先進国による気候資金の提供は非常に重要な役割を果たすものであり、助成金や無利子融資の形で大幅に強化し、UNFCCCの原則に従って、主に公的資金を財源として、規模、範囲、スピードを確保する必要がある」と記載されている。

さらにインドは、気候資金に関するサミットでの議論を他国とともに主導した。これは、先進国が2020年までに年間1,000億米ドルを拠出するというパリ協定での約束が達成されなかったことを踏まえると、サミットの議題のきわめて重要な要素であった。インドは、気候資金の定義に関する多国間の合意を形成しようとするなかで、「融資」は貧困国や途上国にさらなる負債を負わせるため、気候資金と認めるわけにはいかず、「助成金または無利子の」資金提供が望ましいとした。そのためインドは、他の途上国とともに、富裕国が新たな世界規模の気候資金目標、すなわち気候資金に関する新規合同数値目標(NCQG)に同意するべきであり、それは気候変動の激化に対処し適応するためのコストとして何兆米ドル単位であるべきだと主張した。会議の最終文書にNCQGへの言及はなかったものの、シャルム・エル・シェイク実施計画では、「先進国や他の資金源による途上国への資金援助を加速することは、緩和策を強化し、資金調達の不平等を解消するために極めて重要である」と強調されている。

インドは、最も脆弱な国々に対して気候変動により被った損害を補償するための「損失と損害」基金(L&D)の設立を歓迎した。基金は、より貧しい国々、特に小島嶼国のニーズを明確に示し、当然ながらCOP27における歴史的進展として賞賛された。資金の管理、拠出者、拠出比率に関する重要な詳細は、今後「多国籍委員会」によって概略が策定され来年のCOP28で提出され、採択されることになっている。ただし、インドのブペンドラ・ヤーダブ環境大臣は、インドは提言される資金を拠出する責任はなく、むしろ気候変動の影響に対処するために資金提供を受ける権利を主張することを明確にした。そのような基金を設立する合意がなされたことは、気候正義の達成に向けた長い旅路における適切な一歩と見なされる。

セメント、肥料、鉄鋼といった炭素集約型の製品に2026年以降課税する、炭素国境調整メカニズムをEUが提案したのに対し、インドは他のBRICS諸国とともに反対した。インドとBRICS同盟国は、そのような税は市場の歪みをもたらし、当事国間の信頼の欠如を悪化させる恐れがあり、回避しなければならないと主張した。このグループは、先進国と途上国の貿易収支の問題をもたらすとして、差別的かつ不公平な市場の‘‘解決策”に反対している。彼らはむしろ、先進国が資金提供と排出量削減の公約を実行することによって、リーダーシップを示すべきだと主張している。これは、気候緩和の負担を不釣り合いに、また不当に負わされる国がないようにすることで、平衡性の原則を守ろうとする努力である。

化石燃料の使用を削減する努力について、インドは、石炭だけでなく「全ての化石燃料」の使用を段階的に廃止するという提案を繰り返した。このような立場の根拠は、石油や天然ガスのような石炭以外の燃料も温室効果ガスの原因となっており、したがって、2021年のグラスゴーCOPでEUが支持した石炭の段階的廃止案と同等に、段階的に廃止しなければならないというものである。しかし、インドは電力需要を満たすために石炭に大きく依存していることから、これはインドの外交的駆け引きと見なされた。そのため、「全ての化石燃料の段階的廃止」案は米国とサウジアラビアを中心とする石油・ガス産出国の抵抗にあい、文言は「石炭の段階的廃止」となったのである。

インドはCOP27において、積極的かつ影響力のある締約国として、解決策を見いだす責務を果たすとともに、途上国および低開発国の利益を守るために断固とした姿勢を見せた。インドは、気候危機の被害者であって加害者ではない世界の人口の「多く」の利益を代表した。気候変動に関する将来の国際交渉におけるインドの役割と貢献は、この国が大切にする価値観、すなわち、平等、公正、世界的正義に今後も基づくものとなるだろう。

ロバート・ミゾは、デリー大学政治学部助教授(政治学、国際関係論)。気候変動政策研究で博士号を取得した。研究テーマは、気候変動と安全保障、気候変動政治学、国際環境政治学などである。上記テーマについて、国内外の論壇で出版および発表を行っている。

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カリブ海地域の観光業に脅威を与える気候変動

【ポートオブスペイン(トリニダード)IDN=リンダ・ハッチンソン=ジャファール】

太陽の降り注ぐ浜辺や静かな水辺、活気のある文化で知られる人気の観光地・カリブ海地域が、気候変動の破壊的な影響によって厳しい現実に直面している。

カリブ地域の島嶼諸国にとって観光業は経済上の命綱であるが、地球温暖化によって地域の繊細な生態系が崩れ、インフラや地域の生活に影響を与える中で、存続の危機に立たされている。

海面上昇、嵐の激化、サンゴ礁の劣化など、カリブ海観光の未来は危機に瀕しており、この愛された観光地を守るために、緊急の行動と対策が必要だ。

Map of the Caribbean
Map of the Caribbean

「カリブ海ホテル観光協会」のニコラ・マデン=クレイグ協会長は、IDNの取材に対して、「観光業はカリブ地域の主要な経済牽引役であり、この地域は世界からの観光客に依存しています。気候変動による観光業の衰退は経済全体を荒廃させ、農業、製造業、運輸業、クリエイティブ産業などの他の部門に直接の影響を与えます。」と語った。

2019年、世界で最も観光依存度の高い10カ国のうち、8カ国がカリブ海地域にあった。世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)によると、2010年から19年にかけて、地域経済全体の年成長率1.3%に対して観光業の成長率は3%と上回っていたが、世界全体の観光業の伸びである4.2%は下回っていた。

WTTCの現在の成長軌道では、今後10年間で、カリブ海地域の旅行・観光(T&T)GDPは平均で年5.5%伸び、経済全体の成長率2.4%の倍以上になると予測されている。業界の雇用は平均年3.3%増え、2032年までに91万6000人の雇用が創出されると予想されている。

国際労働機関(ILO)の推計によると、観光業は平均して国内総生産(GDP)の33%、輸出額の52%、間接・直接雇用の43%以上に直接寄与している。アンティグア・バーブーダのような観光依存度の高い国では、雇用の最大で9割に達することもある。2021年、観光業はカリブ地域に390億ドル以上をもたらし、「Statista」によるとドミニカ共和国とキューバが最も寄与度が高いという。

マデン=クレイグ協会長は、海水面が上昇し、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の2018年報告で警告的な予想がなされているとおり厳しい脅威が生じている、との見方を示した。IPCC報告は、地球温暖化が1.5度進行すれば、世界のサンゴ礁の7割から9割が消滅することになると予想している。「天然資源や食料供給に大きく依存するカリブ地域の観光業にとっては破滅的事態です。温暖効果ガスを削減する大胆な策がとられなければ、2030年代初頭までに世界のサンゴ礁の99%を熱波が襲って回復不可能になる。」とマデン=グレイグ協会長は警告した。

カリブ観光機関(CTO)のニール・ウォルターズ事務局長代理は、「気候変動が観光産業の質と安定性を脅かすため、観光産業の対応を管理し、気候変動の環境上の影響を緩和していく取り組みが求められています。しかし、観光産業だけで気候変動という難題に対処することはできず、より広範な国際的な持続可能な開発アジェンダの文脈の中で取り組む必要があることは明らかです。」と語った。

COP 26 Logo
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カリブのオランダ語圏、英語圏、フランス語圏、スペイン語圏の国や地域の諸政府や非政府の観光関係団体が加盟しているCTOは、CHTAや「持続可能な観光をめざすカリブ同盟」(CAST)と並んで、「観光業における気候関連アクションを求めるグラスゴー宣言」に署名している。2021年11月の国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)で出されたこの宣言は、観光業における気候関連アクションを促進するためにすべての観光業関係者によってなされた公約である。

ウォルターズ事務局長代理は、「グラスゴー宣言は、観光産業に関連するステークホルダー間の連携と協力を強調しており、観光業の気候変動対策を管理し、影響の緩和と適応策の促進・教育・意識喚起にむけたパートナーシップを構築するCTO戦略との連携を目指したものです。」と語った。

クレイグ協会長は、「カリブ地域はパリ協定グラスゴー気候合意の策定・批准に重要な役割を果たしてきました。」と指摘した上で、「CHTAとCASTは支持を強化し、地域の20カ国以上が世界的に活動を促進するのを支援してきました。カリブ地域は気候変動に対して最も脆弱な地域の一つであり、世界の模範となって積極的に対策を訴えていかねばなりません。」と語った。

CTOは地域レベルで、気候変動(Climate Variability and Climate Change, CVC)に関する知識や意識を高めたり、その対応策をつくる能力を構築したり、政策決定の参考にしたり、気候変動の影響緩和の実践例を広めたりする様々なプロジェクトや取り組みを行ってきている。

セントルシアにある「フォンドゥー・エコリゾート」のオーナー兼CEOは、「観光業は、省エネルギーや水の節約、廃棄物の削減などの持続可能な取り組みを行うことによって気候変動に対処する上で重要な役割を果たすことができます。」と語った。そうした行動をとることで、経費節減や資源利用の効率化、市場競争力の強化につながるなどのメリットがある。

また、「再生可能エネルギーやエネルギー効率への投資、持続可能な観光の推進、気候変動に対する国民の意識の向上などへの政治的意志は強いといえるでしょう。しかし、この問題に包括的に取り組むには、より多くの資源が必要です。最も効果的な戦略は、環境の持続可能性と経済性のバランスをとり、ビジネスの競争力と収益性を確保することです。」と語った。

気候変動はすでにカリブ海地域の観光に大きな影響を及ぼしており、観光客が体験するために訪れるインフラやアトラクション、そして観光産業を支える天然資源の双方に影響を与えている。気候変動は、海水温の上昇に伴い、ハリケーンなどの気象現象がより頻繁に発生し、深刻な事態を引き起こす原因であるとされている。

Hurricane Maria near peak intensity, moving north towards Puerto Rico, on September 19, 2017./ The Naval Research Laboratory/ NOAA – Public Domain
Hurricane Maria near peak intensity, moving north towards Puerto Rico, on September 19, 2017./ The Naval Research Laboratory/ NOAA – Public Domain

「ネイチャーアイランド」の観光地として宣伝している東カリブ海の小さな島、ドミニカ国は、近年、強力なハリケーンの被害を受けてきた。2017年9月に襲来したハリケーン「マリア」は島の建造物の9割以上を破壊し、経済に深刻な影響を与えた。世界銀行がGDPの224%と推定したドミニカ国の損失には、熱帯雨林や観光業への被害も含まれており、損害全体の19%を占めていた。

ドミニカ国はこれに対処するために、部門横断的な取り組みを行う「ドミニカ気候強靭化庁」(CREAD)を設置して世界初の「ハリケーン耐久国家」作りを進めている。その一つが、零細・中小企業の活性化で、業績評価・改善のための分析ツールの提供、資金調達の促進、能力開発のための支援などを行っている。

2018年、カリブ海地域を干ばつが襲った。ジャマイカ、バルバドス、トリニダード・トバゴといった国々で農業や水供給が影響を受けたが、気候変動による気象パターンの変化が原因だと見られている。2019年、バハマをカテゴリー5のハリケーン「ドリアン」が襲い、広範な被害と人命の損失をもたらした。大西洋で記録されている最も大型のハリケーンの一つだとされている。

カリブ諸国とホテル業界は、気候変動がエネルギーの大量消費地である観光産業に与える影響に対処するための措置を講じている。この地域の主要な観光グループ企業であるサンダルズ・リゾート・インターナショナルは、リゾートでのソーラーパネルや太陽熱温水システムの使用など、持続可能な実践を通じて化石燃料への依存を減らす取り組みを行っている。

同グループ系の慈善団体であるサンダルズ財団は、保全の取り組みで10万人を訓練し、サンゴを3万本植える目標を2009年に立てた。2022年までに11万4000匹のウミガメの安全な孵化を監督し、28.6トンのごみを集め、海洋資源保全のために5万5000人を訓練した。財団のあらたな目標は、さらにウミガメ2万匹を安全に孵化させることと、最大で2000カ所のサンゴ礁復活のためにサンゴを植えることである。

カリブ海地域ではまた、気候変動に対して脆弱な単一の型の観光アトラクションへの依存をやめる方策も取りつつある。

「地域密着型観光の推進、自然・文化資源保護の取り組み、使い捨てプラスチックの禁止、省エネ・水の節約の推進、陸生・水生生物の保護など、地域の観光を多様化することで、観光産業による炭素排出の抑制に寄与し、これが単に気候にやさしいだけではなく、場合によっては利益を生むことも証明してきました。」とウォルターズ事務局長代理は語った。(原文へ

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アゼルバイジャンのシュシャで「カリ・ブルブル」国際音楽祭が開幕

テュルク系民族の人口を持つ国々は国際文化組織を通じて毎年、「テュルク世界の文化的首都」を定め、都市を選ぶ。選ばれた都市は、テュルク文化を祝うために多くのイベントを主催している。今年の文化首都はアゼルバイジャンの古都シュシャ。ここにユーラシア各地のテュルク系共和国から芸術家が集まり平和と文化の祭典が催されている。(INPS Japan)

【バクーAzVision】

ヘイダル・アリエフ財団とアゼルバイジャン文化省が共催する「カリ・ブルブル」国際音楽祭が、アゼルバイジャンの文化首都シュシャで5月9日に開幕した。

フェスティバル初日には、カラバフホテルの屋外で、参加国の工芸品や民族料理の紹介や演奏が行われた。

同国の政府関係者、著名な文化人、芸術家、科学者たちは、そのパフォーマンスとプレゼンテーションに深い感銘を受けた。

発表に続いて、「カリ・ブルブル」国際音楽祭の一環としてシュシャ国立音楽劇団が準備した劇「デリ・ドムルル」の初演が、カラバフ最後のハーンの娘でアゼルバイジャンで最も著名な抒情詩人クルシュドバヌ・ナタバンの家の中庭で行われた。

3日間のフェスティバルでは、「国旗」「英雄」「カラバフのマジリス」「詩」「ダダ・ゴルグド」「ダルヴィーシュ」「モッラー・ナスレッディン」のテーマコーナーで様々な芸術パフォーマンスや演劇が開催される予定だ。

フェスティバルでは、ジディル・ドゥズ平原ウゼイル・ハジベヨフ像前、国民的歌手ブルブルの生家博物館をはじめ、シュシャ市内各所で様々なコンサートプログラム、展示、映画上映が行われる予定だ。

シュシャ市は、テュルク文化国際機関(TURKSOY)により「2023年テュルク世界の文化的首都」に認定されている。今年の「カリ・ブルブル」国際音楽祭では、TURKSOY加盟国、トルコ語圏の国々の舞台芸術家らが一堂に会す。

アゼルバイジャンのほか、カザフスタン、キルギス、ハンガリー、モルドバ共和国ガガウズ自治区、ウズベキスタン、カラカルパクスタン共和国アルタイ共和国ハカス共和国、サハ共和国、タタールスタン共和国トゥバ共和国北キプロス、トルクメニスタンの演奏家・演奏者が、このフェスティバルで演奏している。(原文へ

The “Kharibulbul” International Music Festival. Photo: AZVision.
The “Kharibulbul” International Music Festival. Photo: AZVision.
The “Kharibulbul” International Music Festival6
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The “Kharibulbul” International Music Festival6
The “Kharibulbul” International Music Festival6

INPS Japan/AzVision

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【バンコクIDN=パッタマ・ビライラート】

タイの人口が高齢化し農民が借金に苦しむ中、5月14日の総選挙でこれら集団からの票を勝ち取ろうと、政党のボルテージが上がっている。

下院500議席に対して5200万人以上の有権者がいる。2022年12月以来、選挙戦が激しくなってくる中、タイの諸政党は票を勝ち取るための魅力的な政策を発表している。たとえば、高齢者手当、妊婦・児童福祉、農業部門への支援基金などである。

Map of Thailand
Map of Thailand

来る総選挙には1200万人以上の高齢の有権者がいる。王室の庇護を受けている「タイ高齢者協議会」の会長で、「タイ高齢者全国委員会」の副議長は、「2022年はタイが高齢化社会となった年」つまり、総人口の約2割が60歳以上となったことを確認している。

国民移転勘定(NTA)は、学齢にある子どもと高齢者の面倒を見たのち、90歳まで生きるとすると、770万バーツ(約22万5000米ドル)の貯蓄が必要であるという。これはタイの賃金レベルに比べると相当な額だ。

プオイ・ウンパコーン経済研究所によると、農家世帯の収入は概して低い。加えて、農民の42%は借金の返済があり、次の農期に向けて投資する資金が不足しているため、残余所得が不足している。現在、タイの農家世帯の90%が借金を抱えており、その額は1世帯あたり平均45万バーツ(14,000米ドル)である。

農民の借入先は多岐にわたり、「特別金融機構」(SFI)をはじめ(65%)、村落基金、商業ローン、親戚、投資家、リース会社、貯蓄協同組合などがある。

「農業銀行」と「農業協同組合」は、高齢の借り手がおよそ140万人いると情報公開しているが、そのすべてが農民というわけではない。

4つの主要政党はこうした問題に対処するためのマニフェストを発表している。IDNはそれらを調べてみた。

プラユット・チャンオチャ首相の元秘書官ピラパン・サリラサヴィバガ氏は、タイ団結国家建設党(UTNP)を率いている。同党は高齢者に月1000バーツを与える「福祉プラスカード」を公約としている。また、コメやゴムの価格補助のための基金の創設、生活資金のために予算300億バーツ(8億7200万米ドル)を割り当てた「国民緊急基金」の創設を訴えている。

タクシン・シナワット元首相が創設し、現在は次女のペートンタン・シナワット氏が率いているタイ貢献党は、収穫量を増やしタイ農業の新規市場を開拓するために精密技術が利用可能であり、16歳以上のタイ国民にデジタル通貨1万バーツ(290米ドル)を与えること、農民の借金支払いを3年間猶予することを打ち出している。

軍事政権に対抗するために創設され、現在ピタ・リムジャラーンラット氏が率いる前進党は、高齢者に対する月3000バーツ(87米ドル)の手当を創設し、農民に土地権利書を発行することによって土地紛争を解決するための100億バーツ(2.9億米ドル)規模の基金を立ち上げることを公約としている。

プラウィット・ウォンスワン副首相が率いる「国民国家の力党(パラン・プラチャーラット党)」もまた、高齢者手当創設を謳っており、60歳以上の人は月3000バーツ(87米ドル)、70歳以上は月4000バーツ(116米ドル)、80歳以上は月5000バーツ(145米ドル)を得られるようにする、としている。

総選挙が近づくにつれて、ほとんどの政党が現金やデジタル広告で有権者の気を引こうとしている。しかし、経済学者らは選挙後に財政が膨張してしまうのではないかと懸念している。

タイ開発研究所(TDRI)上級研究員のノラリット・ビソニャバット博士は、『イスラ・ニュース』の取材に対して、「現在の高齢者1200万人に月3000バーツを支払うとすると、月々の支出は360億バーツ(100万米ドル)にもなります。しかし、今後5~10年で高齢者は2000万人にまで拡大します。これらの制度を補助するために借入ができたとしても、与信枠を増やし続けなければならず、結果的に財政負担になります。」と警告した。

全国経済社会開発庁(NESDB)のダヌチャ・ピチャラヤナン事務局長もまた、諸政党が訴えている債務返済猶予制度に懸念を示している。

ピチャラヤナン事務局長は記者会見で、「債務の支払い猶予によって借金自体がなくなってしまうわけではなく、結局のところ借金は返さなくてはなりません。元本や利子の支払いを猶予すれば、経済の屋台骨である金融機関に継続的に悪影響を与えます。なすべきは、システム全体ではなく個別の債務見直しなのです。」と述べ、「債務返済猶予は実施すべきでない」と主張した。

有機コメ生産集団「カセディップ」の指導者で上院議員でもあるブーンミー・スラコテは、IDNの取材に対して、「政治的なプラットフォームは信頼できません。農民は自立して、自ら生き残るためのグループを形成し、(先代国王が提唱した)『足るを知る経済』哲学を適用すべきです。」と語った。

スラコテ氏はさらに、農民が直面している問題について、「300人以上のメンバーでグループを作ったものの、低金利の資金調達ができないため、銀行や高利貸しから借りている農家もいます。農家は収入が少ないのに、多額の借金を背負っているのです。また、農家が同時に作物を収穫するため、過剰供給が生じて収入を押し下げることになり、結果として多額の借金が生じます。そのため、借金を返すために急いで商品を売る必要に迫られるのです。」と説明した。

Boonmee Surakote, Senator and the leader of the organic rice group. Credit: Pattama Vilailert
Boonmee Surakote, Senator and the leader of the organic rice group. Credit: Pattama Vilailert

上院議員であり農民でもあるスラコテ氏は、農民がコミュニティ企業を設立するための農民ネットワーク政策と、「大規模農地区画」制度を提唱している。「企業が設立されれば、農家は互いに助け合い、他のコミュニティとネットワークを組んで、自分たちで有機製品を生産、販売、さらには輸出までできるようになるだろう。」とスラコテ氏は主張した。

一部の農民は、農業部門の持続可能な発展のニーズを無視する傾向にある諸政党の短期的な解決策には懐疑的だ。

スリサケット県の農民であるニン・ノイ氏は、IDNの取材に対して、「私の知る限りでは、どの政党も持続可能な援助を提供していません。」と語った。そのため、彼女はどの政党に投票すべきか決めかねている。「私たちは自立する必要があります。私は自分の農場を有機農法に変えたいと思っています。それは持続可能で、間違いなく自立への道を開くものですが、有機肥料は少し高価です。」

スラコテ上院議員も、農民が持続可能な生活を送るためには、自立こそが必要であると考えている。彼はIDNの取材に対して、「新政権が発足すれば、農業分野で『足るを知る経済』アプローチの実施を追求し、推進するつもりです」と語った。彼は、農民の生活は選挙の結果ではなく、「足るを知る経済」を実践できるかどうかにかかっていると考えている。(原文へ

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ブッダのルンビニを語り継ぐ

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=サヒナ・シュレスタ】

釈尊(ゴータマ・シッダールタ)が80歳で大往生を迎えようとしたとき、忠実な弟子のアーナンダ(阿難陀)に、自分の人生に関連して4つの偉大な巡礼地があることを助言したという話がある。

釈尊が悟りを開いた地ブッダガヤと、初めて教えを説いたサールナートは早くから特定されていた。しかし、釈尊入滅の地クシナガラと、生まれ育ったカピラバストゥ(迦毘羅城)とルンビニの謎は、19世紀末になるまで解明されなかった。

2600年前のインド亜大陸には近代国家の境界線がなかったにもかかわらず、釈尊が実際にどこで生まれたのか、長年にわたって憶測が飛び交っていた。しかし、紀元前3世紀の発見により、その疑問が晴れた。

それは、アショーカ王がカリンガの戦いの後、ウパグプタとともにルンビニへの巡礼に出発したときのことである。王は、逆さ蓮華の上に馬のフィニアルを乗せた砂岩の柱を立て、紀元前249年に訪れたことを記念して、パーリ語で碑文を刻ませた。

19世紀に発見されたティラウラコット近郊のニガリサーガルにあるコナカムニの碑文とルンビニにある2つのアショーカ碑文から、マウリヤ朝時代には、この柱のある場所が仏陀の出生地と考えられていたことが判明した。

Map of Nepal. Credit: Nepali Times

5世紀の法顕、7世紀の玄奘を筆頭に、多くの中国人の僧侶がこの地を巡礼した。彼らの旅の記録は、後に大英帝国領インドの古美術商らによって、釈尊の生誕地や成長した場所を特定するために利用された。しかし、1896年に再発見され、発掘調査が開始されるまで、巡礼地としての人気は衰えていた。

ルンビニの発掘調査によって、何世紀にもわたって建てられた多くの建造物が発見さた。中でも最も神聖なものの一つが、釈尊の母マヤ・デヴィ王妃が出産前に沐浴したとされるプスカリニ池である。

マヤ・デヴィ王妃は、紀元前623年に輿に乗ってデーバダハ(天臂城)の両親の元に向かう途中で釈尊を産んだとされている。彼女は無憂樹(むうじゅ)の枝につかまりながら、立ったまま出産した。彼女は1週間後に亡くなり、赤ん坊は叔母のプラジャパティに育てられた。

何世紀にもわたる崇拝で浸食された1800年前の石像と、1995年に発見された降誕地の標石は、ルンビニの聖なる庭で釈尊が生まれた場所を正確に示している。

また、紀元前3世紀から紀元後7世紀にかけての僧院跡や、600年以上前に建てられた仏舎利塔も発見されている。

2011年、ダラム大学のロビン・コニンガム氏とネパール政府考古局前局長コシュ・アチャールヤ氏が率いる国際チームは、マヤ・デヴィ寺院の舗装の下に木造建築物の遺構を発見した。

Nepali Times

分析したところ、木の祠のようなもので、紀元前550年頃のものと判明し、歴史家が釈尊の生涯を検証する際に考慮すべき新たな証拠となった。

しかし、釈尊の物語はルンビニに限ったものではない。ネパールが釈尊の生涯をより総合的に記念しようとするならば、ルーパンデビ、ナワルパラシ、カピラヴァストゥにまたがる大ルンビニ地域にも多くの遺跡があり、その中には釈尊の生涯に直接関連するものもあるため、統合的に取り組む必要がある。

釈尊がシッダールタ王子として最初の29年間を過ごし、悟りを開く旅に出たとされるティラウラコット・カピルヴァストゥでは、最近、考古学者が地中レーダーを使って、宮殿のような壁のある施設、都市の街路、レンガ壁の貯水槽、僧院などの歴史的遺構を発見している。

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紀元前249年、アショーカ王は、カーナカムニ仏(過去七仏の内の第五仏)の涅槃塔を崇敬し拡張したことを記念して石柱を建立した。1895年、この石柱の2つの破片が発見された。上部はニグリサガル池に半分沈み、下部は埋没していた。この石柱が立っていた台座が失われているため、元の正確な位置は不明だが、一部の学者は、この石柱がカーナカムニ仏の生誕地に建てられたと信じている。

また、クダンも歴史的に重要な場所である。釈尊がカピルバストゥを出発して6年後に父シュッドーダナ王と再会し、息子が出家したガジュマルの木立、ニグロダラーマがあった場所ではないか、という学者もいる。ゴティハワは、もう一人の初期仏であるクラクチャンダ仏(倶留孫仏)の生誕地とされている。レンガ造りの大きなストゥーパとアショーカ王の石柱の残骸がある。残念ながら柱はほとんどなくなっており、何が書かれていたのか知ることはできない。

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高さ10m、直径23.5mのラマグラマの仏塔(現在は盛り土の下に埋もれている)は世界遺産暫定リストに登録されており、釈尊の遺骨が納められている原初の場所のひとつと考えられている。古代文字によると、釈尊の遺骨を納めた8つの仏塔のうち、聖遺物の再分配を企図したアショーカ王が7つの仏塔を開いたが、ナーガ(蛇の王)がここの仏塔の遺物発掘を防いだとされており、唯一の無傷の仏塔と考えられている。

周辺の3つの地区には、他にも釈尊縁の場所があり、文化的、精神的に重要な場所を網羅したコースを整備し、正しくストーリーを伝えることで、ルンビニが長い間直面してきた問題(下記参照)を解決することが可能だ。

マスタープランの内容

ルンビニが今日直面している課題は、聖地を訪れる多くの巡礼者や観光客にどう対処するかということだ。パンデミック以前は、ルンビニを訪れる人の数は多かったものの、インドの仏教圏からやってきて、数時間滞在して帰っていくのが常であった。

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インフラは貧弱で、適切な設備を備えたホテルも少なく、ルンビニへのアクセスは困難だった。しかし現在は、東に10kmのところに国際空港ができ、新たな観光客の流入が期待されている。

パンデミック以前は、1年間に170万人の巡礼者が陸路でルンビニを訪れ、そのうち30万人はネパールやインド以外からの巡礼者だった。しかし、彼らがルンビニに滞在した時間は、平均して1時間にも満たなかった。

アショーカ王が降誕祭を行った後、ルンビニは長い年月を経て周辺のジャングルに覆われてしまった。この地が再び脚光を浴びたのは、鉄道の枕木になる広葉樹の木材を探していた英国の探検家たちが、この地でアショーカ王の石柱を発見した1890年代になってからのことだ。

1967年、ビルマ出身の敬虔な仏教徒であるウ・タント国連事務総長が、ルンビニを象に乗って見学し、荒廃した釈尊生誕地の惨状に涙を流したと伝えられてる。

ニューヨークに戻ったウ・タント事務総長は、ルンビニを国際的な平和の拠点にするため、国連委員会を立ち上げた。そして、広島平和記念資料館を設計した日本の著名な建築家、丹下健三氏にマスタープランの策定を依頼した。

東部の僧院区域は上座部仏教、西部の僧院区域は大乗仏教のために確保された。マスタープランは現在も大筋で守られており、完成に近づいているが、建造物はすでに老朽化の兆しを見せている。

ルンビニのビジターセンターでさえも、この遺跡のことを伝える案内板がないなど、残念な状態だ。

ルンビニの門外でロボット博物館「ブッダグラム」を運営する起業家、プルショッタム・アリャール氏は、「ルンビニといえば期待が大きいのですが、インフラが不足しています」と話す。「トイレが少ないとか、チケットを購入するゲートが1つしかないとか、そういう不満を持っているお客さんがいます。」

パンデミック前には年間200万人近い観光客が訪れたにもかかわらず、ニグリハワ、ゴティハワ、クダン、ラマグラムといった仏陀の生涯に縁のある他の聖地を訪れた巡礼者は、その存在を知らなかったり、行くのが難しすぎるという理由で、わずか2%程度にとどまっている。

現在、ルンビニを訪れる外国人の多くは、ボッダガヤ、サルナート、クシナガルを含む仏教の巡礼路の一部として、施設や交通の便が良いインドから訪れている。巡礼者は、カトマンズに飛んでから聖地に向かうよりも、インドを経由してルンビニに向かうことを好む傾向がある。

「地元のガイドを雇えば、本物の情報を得ることができますが、ネパール人観光客はほとんどガイドを雇いません。インド人観光客はインドからガイドを連れてやってきて、ルンビニの物語を自分たちなりに語っていきます。ただ出入りするだけなら、長く滞在する動機は生まれませんね。」と、ルンビニでガイドをしているマヘシュ・パティ・ミシュラ氏は語った。

このギャップを埋めるのが、現在改修中のルンビニ博物館である。「釈尊の生涯と後世の影響を伝える既存の博物館を国際的な水準にアップグレードし、拡張する予定です。」と同博物館のスンミマ・ウダス氏は語った。

聖なる庭の入口に位置するルンビニ博物館は、芸術や 遺産をいかに保存、展示、普及させるかという基準を設定しながら、この聖地を主要な精神的・文化的中心地として再生させることを目的としている。

この博物館は、ネパールや世界中から才能ある人材を集め、慈悲と平和という釈尊のメッセージを教育・普及する最先端のプロジェクトとして、丹下健三氏が設計した円筒形の建物の中に、かつてウ・タント国連事務総長が目指した構想を実現しようとしている。

ウダス氏は、 「博物館にはさまざまな種類がありますが、ここは彫像を展示するたけの博物館ではありません。ストーリーテリングが重要なのです。ルンビニで何が起こったのか、なぜ釈尊の誕生秘話が重要なのか、そしてそこから私たち人間が何を学ぶことができるのか、一度訪れれば、より理解を深められるような(小さな宝石のような)拠点になればいいと思っています。」

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ルンビニの歴史
2645年前
マヤ・デヴィ王妃がデヴダハに向かう途中、ルンビニの木立の中でゴータマ・シッダールタが生まれる。
2575年前
釈尊が80歳で入滅。
紀元前3世紀
アショーカ王がルンビニを訪れ、釈尊降誕の地を記念して石柱を建てる。
4~7世紀
中国の僧、法顕や玄奘が廃墟となったルンビニを訪れる。
1312年
ジュムラ(ネパール西部)のリプ・マッラ王、アショカ王の石柱に自分の名前の落書きを刻む
 1896年
アショーカ王の石柱、タンセン総督カドガ・シャムシェール将軍とドイツの考古学者アントン・フューラーによって再発見される。
1932~39年
ケシャール・シャムシャー将軍による考古学的発掘調査により、古代の僧院や寺院が発見される
1956年
マヘンドラ国王、ルンビニを訪問
1959年
ダグ・ハマーショルド国連事務総長、ネパール訪問中にルンビニを訪れる
1967年
ウ・タント国連事務総長がルンビニを訪問し、国際平和センターとしての発展を誓う
1972年
丹下健三にマスタープランの作成を依頼し、1978年完成
1995年
ネパール考古局、釈尊が生まれた場所にある標石を発掘
1997年
ユネスコ、ルンビニを世界遺産に登録決定
2003年
マヤ・デヴィ寺院、ブッダ・ジャヤンティ(ウェーサーカ祭)で初めて一般公開される

ルンビニー巡礼の歩み

 Gautam Buddha International airport  Credit: Nepali Times

2020年以降、新型コロナのパンデミックで巡礼者や観光客の往来がほとんどなかったルンビニに、ゴータマ・ブッダ国際空港が開港し、新たな希望が生まれる。

新空港を見越して15もの新しいホテルが計画されていたが、ロックダウンの影響で建設を中止せざるを得なかった。ここの古いホテルのいくつかは新しい所有者に売却され、聖地を管理するルンビニ開発トラストは大きな収益を失った。

ルンビニホテル協会のリラ・マニ・シャルマ氏は、「新しい空港ができたことで、交通量が急増することが予想されたため、多くのホテルが新たに建設されていました。彼らは銀行から融資を受け、すでに多くの投資をしていたため、プロジェクトを放棄することができなかったのです。」と語った。現在、空港からルンビニまでの10kmの区間と、空港とバイラワ・ブットワル高速道路を結ぶ道路で工事が進んでいる。

パンデミックはホテル業界だけでなく、ホテルに農産物を供給する農家、ガイド、旅行会社など、ホテル業界に依存する人たちをも直撃した。

マヒラワールのラクシュミ・チョードリ氏は、新空港の落成式と同じブッダ・ジャヤンティの吉日に、新しいホームステイ施設の落成式に臨もうとしている。

「私はしばらくホテル業に携わってきましたが、自分で何かやりたいと考えていました。新しい空港ができれば、きっと多くのゲストが訪れるでしょうし、ホームステイであれば、より本格的な現地体験を提供することができます。」とチョードリ氏は語った。

ルンビニのガイド協会やホテル協会も、慎重な姿勢で楽観視している。「インドからではなく、ネパールに直接来訪する人が増えれば、地元により長く滞在し、周辺地域も日程に組み込むようになるので、地元のビジネスにとって良いことです。」とシャルマ氏は語った。

しかし、業界の専門家によれば、国際空港ができただけでは何も保証されないという。ICIMODの観光専門家のアヌ・ラマ氏は、「ルンビニの自然と文化的、精神的側面を統合し、地域社会を巻き込むアプローチが必要です。そのためには、巡礼者に対して釈尊についてのストーリーを語り継ぎ、効果的に発信する取り組みが欠かせません。」と語った。(原文へ

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これ以上核兵器の犠牲者を増やさない(カリプベク・クユコフ被爆者・画家・反核活動家)

【東京INPS=浅霧勝浩

INPS Japanは、反核国際運動カザフスタン代表団の来日にあわせて東京都内で開催された歓迎交流会(後援:在日カザフスタン大使館)を取材した。昨年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻により、核兵器の使用の危険性が高まる中、今年5月に被爆地広島で開催予定G7サミット(主要7カ国首脳会議)においても戦争の即時終結と核兵器使用回避の問題が大きく取り上げられる予定だ。

クユコフ氏が名誉大使を務めるATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクトの紹介映像/ カザフスタン外務省

当時ソ連の一部を構成していたカザフスタンでは、広島と長崎に原子爆弾が投下された4年後の1949年、東部セミパラチンスクに建設された核実験場(広さは日本の四国に相当)でソ連初の核実験が行われた。その後、1989年までの40年間に、ソ連軍の厳格な秘密管理のもと合計468回の空中・地上・地下核実験が繰り返され、広範囲に拡散した高濃度の放射性廃棄物により、推定150万人~200万人の地域住民に深刻な被害(ガンや死産、先天的異常が多発し、平均寿命が劇的に低下)をもたらした。

こうしたなか、カザフスタンの人々はセミパラチンスク核実験場の閉鎖を求める「ネバダ・セミパラチンスク(セメイ)国際反核運動」という国民的な反核運動を展開し、1991年、ヌルスルタン・ナザルバエフ初代カザフスタン大統領は、当時のソ連指導部の意に反して同核実験場の永久閉鎖に踏み切った。こうしてセミパラチンスク核実験場は市民の運動で閉鎖に追い込まれた世界で初めての核実験場となった。

核実験場の閉鎖を訴える抗議集会(中央は、ネバダ・セミパラチンスク国際反核運動創設者の詩人オルジャス・セレイメノフ氏)

同年独立したカザフスタン共和国は、核兵器なき世界の実現を国是に掲げ、独立時世界第4位の核戦力(1,410基以上の戦略核兵器と戦術核兵器)の完全廃棄を決定(1994年までにロシアへの移送を完了)、核不拡散条約に加盟して核兵器国から非核兵器国に転換するとともに、2002年5月には包括的核実験禁止条約に批准した。さらに2006年には同じく旧ソ連構成国の中央アジア5か国(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)からなる非核地帯の創設に中心的な役割を果たした。また、2021年1月に発効した核兵器禁止条約にも批准し、2024年には同条約の第3回締約国会議を主催することになっている。

東京での歓迎交流会には、「ネバダ・セミパラチンスク(セメイ)国際反核運動」の創設者であるオルジャス・スレイメノフ総裁(高齢のため代理としてヴァレリー・ジャンダウレトフ副総裁が出席)、同運動に初期から参加しカザフ政府が立ち上げた反核キャンペーン「ATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクト」の名誉大使を務める、腕のない芸術家カリプベク・クユコフ氏、セミパラチンスク核実験の被害と広島・長崎の原爆について記した小説「悲劇と宿命」の著者サウレ・ドスジャン氏、その日本語翻訳を担当した増島繁延氏、カラガンダ州副知事のエルボル・アリクロフ氏、「世界の記憶」ユネスコプログラム全国カザフ委員会議長ムナルバエバ・ウムトハン氏等が出席した。

この歓迎交流会で登壇したクユコフ氏は、自身の経験に基づき反核画家として彼の作品に込めた思いや、カザフスタンと同様に核兵器の惨禍を経験した日本人との連帯について語った。

反核国際運動カザフスタン代表団歓迎交流会 撮影・編集:浅霧勝浩INPS Japan
以下は、カリプベク・クユコフ氏の講演

本日は、私が口や足の指を使って描いた絵画作品の展示と実演の機会を頂き有難うございます。

私はセミパラチンスク核実験場から100キロ離れた場所で生まれました。

カリプベク・クユコフ氏の作品 出典:カリプベク・クユコフ
カリプベク・クユコフ氏の作品 資料:カリプベク・クユコフ

この実験場では1949年から89年まで実に468回の核実験が行われた地であります。

私の両親は核実験で被爆しました。その結果、私は両手のない状態で生まれました。

国連の資料によれば、カザフスタンでは核実験で150万人以上が被爆しました。

1989年、カザフスタンの詩人オルジャス・スレイメノフ氏がネバダ・セミパラチンスク国際反核運動を立ち上げました。その第一の目的はセミパラチンスク核実験場の閉鎖でした。

その初期の段階から私は一員としてその活動に参加してきました。

私は自分の作品を通して核実験の恐ろしさを伝えています。

筆を口にあるいは足の指を使って、核実験で亡くなった方々に思いを馳せながら、自分に課した使命を果たせるよう、祈りながら絵を描いています。

核兵器のない世界を実現するために、世界各地を旅しました。

国連で演説するクユコフ氏 出典:カリプベク・クユコフ
国連で演説するクユコフ氏 資料:カリプベク・クユコフ

ある時は国連で、ある時はネバダ、ニューヨークの演壇に立ちまして、数多くの国際会議やフォーラムで演説しました。

1990年の東京、広島、長崎での会議は、忘れることができません。今また、こうして皆様の前に立っています

ここにおられる皆さんと同様に、核兵器の廃絶は、私のライフワークになりました。

私は、カザフスタンがいち早く核兵器の放棄を決めたこと、核実験をやめ閉鎖したことを誇りに思っています。

またこれは、依然として核兵器に依存する他の国々への良い先例となったと思っています

日本とカザフスタンは、戦時の核使用と平和時の核実験の違いはあれど、核兵器による被害の歴史を持ち犠牲者がいます。

将来の子孫たちが同じ過ちを繰り返さないためにも、この悲劇を風化させてはなりません。

私は、核兵器の犠牲となった人々のために、そして絵の作者として自身の絵の助けを得ながら、祈ります

核兵器の犠牲者がこれ以上増えないことを。

私が「最後の犠牲者でありますよう」祈っています。

今回日本に来たのは初めてではありませんが、日本が変わって発展している様子が分かります。

2014年にウィーンで開催したカリプベク・クユコフ氏の展示会で、節子サーロー氏と面談。出典:ICAN
2014年にウィーンで開催したカリプベク・クユコフ氏の展示会で、サーロー節子氏と面談。資料:ICAN

カザフスタンも日本と共に発展し、お互いに理解を深めることができると期待しています。

お集りの皆さんとご家族のご健勝をお祈りいたします。

INPS Japan

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世界伝統宗教指導者会議は希望の光

G7を前に強まる北東アジアの対立関係

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ヒュー・アイマル】

2023年5月に広島で開催されるG7サミットの準備が進むなか、世界秩序の当面の見通しは今まで以上に暗澹たるものとなっている。北東アジアは特に緊張が高まっている地域である。中国、日本、韓国、北朝鮮の間には、地域秩序、世界秩序、領土問題をめぐる意見の不一致がある。軍事費は急速に増大しており、北朝鮮は核保有国としての地位を固めつつある。米中対立の激化は、地域に色濃く影響を及ぼしている。(

来るG7サミットは、9月にニューデリーで開催されるG20サミットとともに、流れを変える機会となるはずだ。主要国は、分断から協力へと方向転換し、グローバルガバナンスの新しい枠組みについて合意し、軍縮、紛争予防、気候変動緩和、持続可能な開発のためにともに取り組む必要がある。

4月18日に日本で発表した声明において、G7の外相たちは、グローバル課題に対処するために中国に働きかけることを支持した。彼らは、核兵器のない世界に向けた道筋に世界を導くことを目的とする岸田首相の「ヒロシマ・アクション・プラン」に支持を表明した。また、2050年までに温室効果ガスの排出を正味ゼロにし、2030年までに生物多様性喪失を反転させることを呼びかけた。

しかし、現実的には、世界全体、とりわけ北東アジアは反対の方向に進んでいる。

東アジアの領土問題は、引き続き深刻な政治的緊張を生み出し、軍事衝突のリスクをもたらしている。4月28日にスプラトリー諸島付近で中国海警局とフィリピン沿岸警備隊の船が衝突寸前となった事案を受け、米国務省のマシュー・ミラー報道官は中国に対し、「挑発的かつ危険な行為をやめる」よう求めたうえで、中国がフィリピン軍を攻撃すれば米国が対応すると述べた。

台湾沖では、中国は4月10日までの3日間にわたり軍事演習を行い、戦闘機が精密攻撃のシミュレーションや台湾封鎖演習を実施した。

2022年11月のG20サミットで習近平主席とバイデン大統領は会談を行い、通信経路を常にオープンにし、グローバルな課題に関する協力を強化し、人的交流を拡大することで合意した。この後にアンソニー・ブリンケン国務長官が北京を訪問することになっていたが、米国領空を飛行する中国の気球を米国が撃墜した後、訪中は取りやめとなった。

米中関係がこれほど急速に対立関係へと発展したのは、驚くべきことだ。トランプ大統領が就任する前、米国の大統領たちは中国の台頭を歓迎し、ジョージ・W・ブッシュの言葉を借りれば「平和的で繁栄した中国が国際制度を支える」ことを期待した。オバマ大統領は、「中国の平和的台頭が世界にとって良いことであり、米国にとって良いことであると断固信じる」と述べた。それ以降、習近平主席は権力を握り、よりナショナリスト的なアジェンダを掲げるようになり、トランプ大統領は中国を「戦略的競争相手」と呼んで制裁を導入し、バイデン大統領はそれを解除していない。

中国は今や世界第2位の軍事大国であり、2022年の軍事費は前年比4.2%増の2,920億ドルとなった。日本も自衛隊の防衛費を大幅に増やし、前年比5.9%増の460億ドルとしたが、それでもこれはGDP比1.1%に過ぎない。韓国の軍事費は、2022年に前年比4.6%増の483億ドルに増加した。北朝鮮は国家歳出の約16%を軍事費に充て、精力的な核開発計画とミサイル発射実験の維持を可能にしており、近隣諸国に不安を与えている。

世界全体の軍事費は、2022年に実質ベースで3.7%増加し、史上最高額の2兆2,400億ドルに達した。最大の軍事費増加をもたらしたのはウクライナ紛争であり、米国の軍事費は実質ベースで0.7%増加したが、それは主にウクライナ支援のためである。ロシアも、軍事費を推定9.2%増の864億ドルに増やした。米国の軍事費は圧倒的世界1位の8,770億ドルで、世界全体の39%を占める。これは中国の3倍である。

宇宙開発競争の激化も、地上での地政学的紛争を助長している。

中国は、相対的なパワーの優位性を米国と争うなかで、宇宙、AI、量子コンピューター技術を極めて重要な三つの基盤的技術と位置付け、急速な進展を計画している。2023年3月に開催された全国人民代表大会(NPC)と中国人民政治協商会議(CPPCC)の両会議の後、中国は、世界の主要国となるためにこれらの技術を優先事項と位置付けた。

韓国の尹大統領と日本の岸田首相が4月16日に会談し、日韓関係の改善で一致したことにより、民主主義国同盟の構築を目指すバイデン大統領の努力は大きく進展した。その一方で、韓国国民の75%が核保有に賛成していると報告されているにもかかわらず、尹大統領がホワイトハウスを訪問した際、韓国は核兵器保有を目指さないという宣言が発表された。その見返りとして、米国は韓国への拡大抑止を強化するとともに、合同軍事演習を強化することを約束した。

同時に、岸田首相は「二つの海の交わり」という安倍晋三元首相の夢を追求し、3月20日にニューデリーを訪問して、インド太平洋地域における日本とインドの戦略的協力の強化を図った。インドがG20の議長国、日本がG7の議長国を務めていることから、岸田はこれを、両国が力を合わせて世界秩序を形成する機会としても捉えている。インドは、近頃浮上している世界秩序のあり方に関する論争や、グローバルサウスにおける影響力をめぐる中国、ロシア、米国の競争で、重要な役割を果たしている。

中国の視点から見ると、こういった封じ込めの努力は中国国民の「意志を強固にするのみ」である。中国は、引き続き平和的に台頭し、屈辱の世紀に失った歴史的領土と見なす土地を回復し、貿易戦争、技術戦争、デカップリングを回避しようとしている。

しかし、デカップリングは起こりつつある。なぜなら、主要各国がパンデミックや地政学による供給ショックから国内経済を保護しようとしているからだ。中国は、「双循環」モデルを追求している。インドは、「メイク・イン・インディア」プログラムを実施している。米国は、国内産業を保護し、中国へのアウトソーシングを禁止しようとしている。これが、これまで東アジアの平和を促進する最大の要因だった東アジアにおける貿易パターンにどのような影響を及ぼすかは明確ではない。

中国がソフトパワーの重要性を認識していることを示すものとして、習近平主席は、ウクライナに提案した12項目の和平案やイエメンにおける停戦の提案など、和平仲介の分野に参入することによって、一帯一路の外交政策を推進している。

これは、米国とその同盟国が中国と協力してウクライナにおける平和的解決を模索し、台湾に関する和解に向けて動くことに同意するとしたら、より広範な協力の前触れとなり得る(政策提言No.153および No.126を参照) 。中国と平和的に折り合うことができ、なおかつ、世界の公平性を促進し、気候変動と生物多様性喪失を緩和し、国連憲章と国際法の原則を堅持する世界秩序の新たなルールやグローバルガバナンスの新たな体制について合意をまとめるため、G7とG20は力を合わせて努力する必要がある。

 サミットがこれらの期待に応えられるかどうかは、結果を待たねばならない。

ヒュー・マイアルは、英国・ケント大学国際関係学部の名誉教授であり、同国最大の平和・紛争研究者の学会である紛争研究学会の議長を務めている。ケント大学紛争分析研究センター所長、同大学政治国際関係学部長、王立国際問題研究所の研究員(欧州プログラム)を歴任した。マイアル教授は戸田記念国際平和研究所の上級研究員である。

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ロシアの報道の自由度は「冷戦後最悪」

【ブラチスラヴァIPS=エド・ホルト】

ロシアで米国人ジャーナリストが逮捕されたことは、同国にいる外国人記者に冷ややかな警告を与えただけでなく、国内のあらゆる反対意見を最終的に封じ込めたいというロシア政府の願望の表れであると、報道の自由を監視する団体「国際新聞編集者協会(IPI)」が警告した。

ウォール・ストリート・ジャーナルの記者エバン・ゲルシュコビッチ氏が3月末に拘束されたことは、プーチン政権が情報統制に対する既に厳格な支配を強め、批判者に対する弾圧を拡大している可能性を示しているという。

「この動きは極めて深刻です。冷戦後初めて米国人ジャーナリストが拘束されただけでなく、非常に重大な容疑がかけられました。これはさらなる言論統制に向けた大きな一歩です。(独立した声を取り締まることは)ここしばらくのプーチン政権の方針であり、ますます多くの人を標的にしているようです。」と、「国際新聞編集者協会」のアドボカシー・オフィサーであるカロル・ルシュカ氏はIPSの取材に対して語った。

米国籍のゲルシュコビッチ氏は、取材に赴いていたエカテリンブルクでスパイ容疑で逮捕された。現在、モスクワのレフォトヴォ刑務所に拘留中で、スパイ容疑で最長20年の懲役刑に処される可能性がある。彼の最近の報道の中には、ロシア軍がウクライナ戦争で直面している問題や、欧米の制裁がロシア経済にどのようなダメージを与えているかについての記事があった。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙はゲルシュコビッチ記者に対するスパイ容疑を否定しており、この逮捕は欧米の指導者や権利運動家から非難を浴びている。また、この逮捕をプーチン政権の政治的策略であり、ゲルシュコビッチ記者は将来、米国との捕虜交換に利用するために拘束されたのだとする見方もある。

「国際新聞編集者協会」は、たとえそうだとしても、今回の逮捕は、プーチン政権の方針に従わないジャーナリストに対する非常に明確なメッセージでもあるとしている。

Logo of Committee to Protect Journalists
Logo of Committee to Protect Journalists

ジャーナリスト保護委員会(CPJ)の欧州・中央アジアプログラムコーディネーターであるグルノザ・サイード氏は、IPSの取材に対して、「逮捕が政治的なものであることは明らかです。エヴァンの容疑について聞いたとき、まず脳裏に浮かんだのは『米国は今、どのような高名なロシア人を収監しているのだろうか』ということでした。」と指摘した上で、「外国人特派員は、ロシアの実像を世界中の読者に伝える貴重な存在です。今回の逮捕は、すべての外国人記者に、ロシアでは歓迎されておらず、いつでも罪に問われる可能性があるというメッセージを送っています。今後、記者達を取り巻く状況は予測不可能であり、安全でないことは明らかです。」と語った。

ロシアの独立系メディアは、ウクライナへの侵攻が本格化する以前から弾圧に直面していたが、以降その傾向が強まっている。

プーチン政権は、戦争に批判的な情報へのアクセスを阻止するため、批判的な新聞社のウェブサイトやソーシャルメディアプラットフォームをブロックする動きを見せているほか、「軍の信用を失墜させる」行為を犯罪とする新たな法律を根拠に軍事検閲を導入している。

このため、従業員が刑務所に収監されるリスクを回避するため、先手を打って閉鎖するメディアもあれば、スタッフの数を大幅に削減したり、ニュースルームを国外に移転したりして、事実上の亡命状態に追い込まれたメディアもある。

これまで海外メディアは、この弾圧の影響を比較的受けずに済んでいた。ウクライナ侵攻が始まった当初、多くの外国人特派員は安全上の懸念から国外に引き上げた。しかし、ゲルシュコビッチ氏のようにロシアに戻って報道を続けた外国人記者も少なくなく、彼らは最近までロシア人記者よりも比較的自由度の高い報道ができていた。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

「だからこそ、ゲルシュコビッチ氏の逮捕は、プーチン政権下での独立ジャーナリズムの将来にとって非常に心配なことなのです。このような重大な容疑で外国人ジャーナリストを逮捕することは、プーチンの情報戦における新たに重要な局面を示すものです。その目的は、ロシアに残って、ウクライナ戦争に関連する現地取材や調査を敢行する全ての西側ジャーナリストを威嚇することにあります。」と国境なき記者団の東欧・中央アジアデスク長、ジャンヌ・カベリエ氏は語った。

「これは、彼らがロシア人の同僚よりも相対的に保護されていないことを示すシグナルです。いつものように、(これは)恐怖を広め、彼らを黙らせるためのものです。」昨年3月以来、すでに数十の外国メディアと数百の地元独立ジャーナリストがロシアを去っています。これにより状況は一層悪化し、ロシアから信頼できる情報源がさらに得難くなっています。」

また、今回の逮捕は、プーチン政権がロシア国内の情報をほぼ完全に統制下に置くという目標に向かって進んでいることを示すものだと考える人もいる。

「かつてソ連に存在したような検閲にはまだ程遠いですが、プーチンと側近らは長い間、ソ連の検閲制度が自分たちの模範であると言ってきました。これがロシアでのやり方であり、政府が望んでいるやり方なのです。嘆かわしいことだが、これが現実です。」とIPIのルシュカ氏は語った。

「最終的には、ロシアから発信されるすべての情報が厳しく管理された冷戦時代のようになる可能性があります。」とCPJのサイード氏は付け加えた。

一方、今回の逮捕は、より広範な人々へのシグナルでもあるとの見方もある。

 Alexei Navalny at one of the rallies in Moscow./By Dmitry Aleshkovskiy, CC BY-SA 2.0
 Alexei Navalny at one of the rallies in Moscow./By Dmitry Aleshkovskiy, CC BY-SA 2.0

近年、プーチン政権は、政治のみならず他の社会分野でも、反対勢力を封じ込める動きを見せている。野党指導者アレクセイ・ナワルヌイのような声高な批判者が刑務所に収監される一方で、国内外の権利団体を含む多くの市民社会組織が当局によって閉鎖された。

このような弾圧はウクライナ侵攻から強まり、IPSの取材に応じたロシア人は、特にウクライナ侵攻への批判を犯罪とする法律が導入されて以来、多くの人が公の場で発言することに警戒心を強めている、と語った。

「まったくばかげた事態です。戦争のために物資不足や供給の問題が発生しており、私たちはそれをいつも職場で見ています。私たちは物資不足の問題を職場で話せますが、その原因となっている『戦争』という言葉は使えません。その言葉を口にすれば、何年も刑務所に入ることになるからです。」とモスクワの公共部門で働くイワン・ペトロフ(仮称)はIPSの取材に対して語った。

ペトロフは、「戦争に反対している多くの人々を知っていますが、誰もがわずかでも反対を表明することを恐れています。」と付け加えた。

「戦争が悪いことだとわかっていても、それを口にすることができないのです。検閲が非常に厳しく、経済への悪影響に触れただけで、反逆罪で投獄されることもあります。」とペトロフはIPSの取材に対して語った。

Logo of Human Rights Watch
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このような背景から、ゲルシュコビッチ氏の逮捕は、戦争や政府を支持しない一般のロシア人の恐怖心を強め、彼らが発言するのを止める可能性が高いと、権利運動家たちは語った。

「あらゆる報道の自由を抑圧することと、すべての独立した声を抑圧することを切り離して考えることは困難です。(ロシア当局が)このような著名な記者を明らかに偽りの理由で逮捕するとき、その真の目的が何であろうと、彼らは間違いなく、それがより広い幅広い国民に送る冷徹なメッセージを十分に認識しています。」と、ヒューマンライツウォッチの欧州・中央アジア部門副所長のレイチェル・デンバーは、IPSの取材に対して語った。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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絡み合う危機の時代?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=トビアス・イデ 

過去3年間のニュースを追っていると、世界は永久に危機的状況が続くのではないかという印象を受けるかもしれない。気候変動は間違いなく現代の最も大きな課題であり、トップニュースはしばしば新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に関するもので占められ、ロシアによるウクライナ侵攻があり、直近では、エネルギー・食料価格の急激な高騰である。2021年アメリカ合衆国連邦議会議事堂襲撃事件、レバノンとスリランカのほぼ完全な経済破綻、アマゾンの熱帯雨林の大規模破壊など、他にも多くの出来事を加えることができるだろう。(

このように悪いニュースが重なっても驚くには当たらないという人もいるかもしれない。結局のところ、「苦難は売れる」のである。メディア従事者らは長年、災害や戦争、悲劇的な出来事は、ポジティブな出来事よりもニュースとして価値があると考えてきた。同様に、国際社会も、短い期間に複数の「危機」的な出来事が偶然重なるということを経験してきた。例えば1979年には、イラン・イスラム革命があり、経済摩擦に際して石油価格の高騰があり、ソビエトのアフガニスタン侵攻があり、ラテンアメリカ全体に及ぶ政情不安(翌年の債務危機に続く)があり、スリーマイル島原発事故があった。

しかし、今日私たちが経験しているのは、様々な危機がただ偶然同じような時に生じているというのではない。むしろ、それらの危機は深く相互に関係し、お互いを悪化させている場合が多い。従って、これらは絡み合う危機となりつつあり、私たちはこれからの数十年間、そうした危機をより多く経験する可能性が高い。

「アフリカの角」における現在の食料状況は、そのような絡み合う危機の影響の典型的な(そして恐ろしい)事例である。世界保健機関によれば、同地域は「過去70年間で最悪の飢餓のひとつ」に直面している。3,700万人を超える人々(そのうち700万人超が5歳未満の子どもである)が、酷い栄養失調に陥っている。エチオピア、南スーダン、ソマリアのような国々での長年にわたる政情不安と貧困が、食料不足の要な理由である。しかし、ウクライナの戦争が状況を悪化させた。戦争のために世界の食料価格が高騰したことに加え、国際援助の一部の支援先が東アフリカから東ヨーロッパへと変更されたからである。この影響が、COVID-19パンデミック(およびそれによって引き起こされたサプライチェーンの混乱)の負の遺産や、同地域における気候変動被害に加わったのである。エチオピア、ケニアおよびソマリアは、(40年間で初めて)4年連続で雨季がなく、一方、過去3年間で南スーダンの領土の40%が洪水に見舞われた。このような状況が、地域の農業経済をさらに悪化させている。

上に挙げた危機の多くは、その影響が重なるだけではなく、お互いをさらに悪くする可能性もある。例えば、気候変動と生態系破壊は、ヒトと野生生物の生息域を近づけ、そのことで、動物からヒトへのウイルス感染のリスクを高める(COVID-19がそうだったように)。経済不況、災害対応における失策、パンデミックに関連する制限は、政治への不満を高めており、ポピュリストや過激主義の指導者の台頭を許しかねない。そのような政治家(アメリカのトランプや、ブラジルのボルソナロを思い浮かべてほしい)は、気候変動やCOVID-19などの問題の防止や対処の業績に乏しい。気候変動は、武力衝突(持続可能な開発が困難になる)や生態系破壊(気候変動がさらに加速する)のリスクを高める。そして、アメリカと中国(およびロシア)の間で激化している地政学的な競争が、上述した問題のいくつかに対して、地球規模で一致した強力な措置を講じる可能性を狭めている。これら一連の問題はしばらく続きそうだ。

世界的な温暖化、生物多様性の喪失、社会経済的な格差の拡大、国際的緊張、内戦および持続不可能な都市化といった懸念される傾向は、21世紀の間、あるいはそのあとも続くだろう。結果として、様々な危機の原因と影響がより絡み合うようになり、人類は危機の時代を生き続けることになるのだろうか? これは非常に現実的な、また、現在の展開から判断して、もっとも現実的なオプションである。

そのうえで、慎重な楽観主義のための理由が少なくとも2つある。第1に、本稿で言及している危機の多くに共通の原因があり、また似たような脆弱性に対して影響を及ぼしている。マルクス主義や批判理論の支持者を超えて、新自由主義的な市場重視と(お金の関わらない)社会経済的なコストの無視に非常に問題があるという認識は広まっている。さらに、すでに周縁化されているグループが、ほとんど全ての危機に対してもっとも脆弱である。例えば、教育レベルが低く貧しい人々は、食料不足に陥るリスクが最も高く、気候変動にうまく適応する可能性が最も低く、また、(食料を購入できない、または、傷害保険や健康保険を確保できない等の理由で)健康リスクがより大きい。従って、環境に関する無知、貧困、社会的不平等、ジェンダー差別を減らすための措置は、複数の危機に同時に対処するものとなる。

第2に、研究者らは、大きな問題同士の間の相互依存性を利用し、統合された形で対処するための複数の戦略を指摘している。例えば、環境平和構築の提唱者らは、紛争当事者たちが共通に直面している環境問題は、彼らがポジティブ・サムの協力を始め、環境悪化と平和に対する脅威に同時に対処するための入り口となる、と主張する。

究極的にいえば、人類には、複数の危機が絡み合う原因と影響に対して行動を起こすのか、それとも危機の時代を生きるのかを選択することができる。過去数十年間で、より多くの人々が安全な水へのアクセスを得、初等教育を修了するようになったこと、あるいは、オゾン層を破壊する物質の使用を段階的に中止したことなど、大いに改善できたこともいくつかある。今後数年間のうちに、そのような「成功」がもっと多く、そして緊急に必要とされている。

トビアス・イデは、マードック大学(パース)で政治・政策学講師、ブラウンシュヴァイク工科大学で国際関係学特任准教授を務めている。環境、気候変動、平和、紛争、安全保障が交わる分野の幅広いテーマについて、Global Environmental Change、 International Affairs、 Journal of Peace Research、 Nature Climate Change、 World Developmentなどの学術誌に論文を発表している。また、Environmental Peacebuilding Associationの理事も務めている。

INPS Japan

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【東京IDN=池田大作】

国連総会での決議を基盤に 停戦合意を導く努力が急務

米ソ両国の医師が共有していた信念

世界中に深刻な打撃を広げ、核兵器の使用の恐れまでもが懸念されるウクライナ危機が、1年以上にわたって続いています。

その解決が強く求められる中、広島市でG7サミット(主要7カ国首脳会議)が5月19日から21日まで開催されます。

広島での開催に際して思い起こされるのは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同創設者であるバーナード・ラウン博士が述べていた信念です。

冷戦終結に向けて世界が急速に動いていた1989年3月、広島訪問のために来日した博士とお会いした時、アメリカで心臓専門医の仕事を続ける一方で平和運動に尽力する思いについて、こう語っていました。

「何とか人々を『不幸な死』から救い出したい。その思いが、やがて、人類全体の『死』をもたらす核兵器廃絶の信念へと昇華されていったのです」と。

その信念こそ、心臓病研究の盟友だったソ連のエフゲニー・チャゾフ博士と冷戦の壁を超えて共有され、IPPNW創設の原動力となったものだったのです。

President Reagan greets Soviet General Secretary Gorbachev at Hofdi House during the Reykjavik Summit, Iceland. Credit: Ronald Reagan Presidential Library
President Reagan greets Soviet General Secretary Gorbachev at Hofdi House during the Reykjavik Summit, Iceland. Credit: Ronald Reagan Presidential Library

運動の起点となる対話を二人が交わしたのは、1980年12月――。レーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がジュネーブで合意した「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との共同声明に、5年も先立つものでした。

米ソの共同声明が世界の耳目を集めた翌年(1986年6月)、ラウン博士とチャゾフ博士は広島を訪れ、病院で被爆者を見舞った次の日に、「『共に生きよう 共に死ぬまい』―いま核戦争防止に何をなすべきか―」と題するシンポジウムで講演を行いました。

この「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉には、人々の生命を守ることに献身してきた医師としての実感が、凝縮していたように思えてなりません。そしてそれは、“地球上の誰の身にも、核兵器による悲劇を起こさせてはならない”との広島と長崎の被爆者の思いと、響き合うものに他なりませんでした。

翻って近年、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が長引く中、ともすれば各国の対応が“内向き”になりそうな時に、保健衛生に関する国際協力の紐帯となってきたのが、「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉にも通じる連帯の精神ではなかったでしょうか。

その精神を足場にしながら、今回の広島サミットを通して、多くの市民に甚大な被害が及んできたウクライナ危機を早急に打開する道を開くとともに、「核兵器の威嚇と使用の防止」に向けた明確な合意を打ち出すことを、強く訴えたい。

民間施設に対する攻撃の即時停止を

A shopping center in the city of Kremenchuk in the Poltava region of Ukraine after a Russian rocket strike on June 27, 2022 at 15:50. Credit: Dsns.gov.ua, CC BY 4.0
A shopping center in the city of Kremenchuk in the Poltava region of Ukraine after a Russian rocket strike on June 27, 2022 at 15:50. Credit: Dsns.gov.ua, CC BY 4.0

世界を震撼させながらも13日間で終結をみた1962年のキューバ危機とは異なり、現在のウクライナ危機はエスカレートの一途をたどっており、ロシアによるベラルーシへの核配備計画をはじめ、原発施設周辺への攻撃や電力切断という事態まで起きています。

国際原子力機関のグロッシ事務局長が「(電源喪失のたびに)サイコロを振るようなもので、この状況が何度も続くことを許せば、いつか私たちの命運は尽きかねない」と警鐘を鳴らしたように、このままでは取り返しのつかない事態が引き起こされかねません。

危機発生から1年を迎えた2月、国連総会で緊急特別会合が開かれ、ウクライナの平和の早期実現を求めるとともに、戦争の悪影響が食料やエネルギーなどの地球的な課題に及んでいることに深い懸念を示した決議が採択されました。

具体的な項目の一つとして、「重要インフラに対する攻撃や、住宅、学校、病院を含む民間施設への意図的な攻撃の即時停止」が盛り込まれましたが、何よりもまず、この項目を実現させることが、市民への被害拡大を防ぐために不可欠です。その上で、「戦闘の全面停止」に向けた協議の場を設けるべきであり、関係国の協力を得ながら一連の交渉を進める際には、人々の生命と未来を守り育む病院や学校で働く医師や教育者などの市民社会の代表を、オブザーバーとして加えることを提唱したい。

かつてラウン博士はIPPNWの活動に寄せる形で医師の特性に触れ、「同じ人間を一つの型にはめ込んでしまう危険な傾向に抵抗するだけの訓練とバックグラウンド」を備えており、「一見、解決できそうにない問題に対して、現実的な解決法を考案するよう訓練されている」と述べていました。また、医師ならではの表現として〝希望への処方箋〟との言葉を通し、国の違いを超えて平和の道を開く重要性を訴えていたことが忘れられません。

現在の危機を打開するには、冷戦終結への流れを後押しする一翼を担った医師たちが備えていたような特性の発揮が、求められると思えてならないのです。

3月に行われたロシアと中国の首脳会談の共同声明でも、「緊張や戦闘の長期化につながる一切の行動をやめ、危機が悪化し、さらには制御不能になることを回避する」との呼びかけがなされていました。

この認識は国連の決議とも重なる面があり、広島サミットでは、民間施設への攻撃の即時停止とともに、〝希望への処方箋〟として、停戦に向けた交渉の具体的な設置案を提示することを求めたいのです。

被爆の実相と核時代の教訓を見つめ直し G7の主導で「核の先制不使用」の確立を

核関連の枠組みが失われる危険

An unarmed Minuteman III intercontinental ballistic missile launches during an operational test on February 20, 2016, Vandenberg Air Force Base, Calif. Credit: Air Force Nuclear Weapons Center Public Affairs.
An unarmed Minuteman III intercontinental ballistic missile launches during an operational test on February 20, 2016, Vandenberg Air Force Base, Calif. Credit: Air Force Nuclear Weapons Center Public Affairs.

ウクライナ危機の早期終結と並んで、広島サミットでの合意を強く望むのが、「核兵器の先制不使用」の誓約に関する協議をG7が主導して進めることです。

核兵器の威嚇と核使用の恐れが一向に消えることのない危機が、これほどまでに長期化したことがあったでしょうか。

ここ数年、中距離核戦力全廃条約の失効や、各国間の信頼醸成を目的とした領空開放(オープンスカイズ)条約からのアメリカとロシアの脱退が続き、ウクライナ危機による緊張も高まる中、新戦略兵器削減条約(新START)についても2月にロシアが履行を一時停止し、アメリカも戦略核兵器に関する情報提供を停止しました。

新STARTまで破棄されることになれば、弾道弾迎撃ミサイル制限条約と戦略攻撃兵器制限暫定協定を締結した1972年以来、紆余曲折を経ながらも、核兵器に関する透明性と予測可能性の確保を目指して両国の間で築かれてきた枠組みが、すべて失われることになりかねません。

広島と長崎の被爆者をはじめ、市民社会が核兵器の非人道性を訴え続け、非保有国の外交努力や核保有国の自制が重ねられる中、「核兵器の不使用」の歴史は77年以上にわたってかろうじて守られてきました。

“他国の核兵器は危険だが、自国の核兵器は安全の礎である”との思考に基づく核抑止政策は、実のところ、国際世論や核使用へのタブー意識による歯止めが働かなければ、いつ崩落するかわからない断崖に立ち続けるような本質的な危うさが伴うものなのです。

私はこの問題意識に基づき、ウクライナ危機が起こる前月(2022年1月)に発表した提言で、G7が日本で開催される際に「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を広島で行い、「全面的な不使用」の確立を促す環境整備を進めることを提唱したのでした。

核兵器不拡散条約(NPT)の義務を踏まえた米ロ間の核軍縮条約として、唯一残っている新STARTをも失い、際限のない核軍拡競争や核兵器の威嚇を常態化させてしまうのか。

それとも、77年以上に及ぶ「核兵器の不使用」の歴史の重みを結晶化させる形で、核保有国の間で「核兵器の先制不使用」の誓約を確立し、NPT体制を立て直すための支柱にしていくのか――。

私はウクライナ危機を巡る提案や提言を2度にわたって行う中で、昨年1月にNPTの核兵器国である5カ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)の首脳が、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との原則を確認した共同声明を、核使用のリスクを低減させるための足場にすべきであると訴えてきました。

これに加えて、その後に合意された共通認識として何よりも注目するのは、昨年11月のインドネシアでのG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)で、首脳宣言に記された「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との一節です。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

G20には、核兵器国の5カ国や、核兵器を保有するインドのほか、核兵器に安全保障を依存する国々(ドイツ、イタリア、カナダ、日本、オーストラリア、韓国)が含まれています。こうした国々が、2021年に発効した核兵器禁止条約の根幹に脈打つ、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との認識を明記するまでに至ったのです。

G20の首脳宣言では、この認識と併せて、「今日の時代は戦争の時代であってはならない」と強調していましたが、G7サミットでもこの二つのメッセージを広島から力強く発信すべきではないでしょうか。その上で、G7の首脳が被爆の実相と核時代の教訓を見つめ直す機会を通じて、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との認識を政策転換につなげるために、「核兵器の先制不使用」の誓約について真摯に討議するよう呼びかけたい。

SGI結成の年に広島で行った講演

思い返せば、G7の淵源となった、6カ国での第1回先進国首脳会議が行われたのは、冷戦の真っただ中の1975年でした。

その年は、私どもがSGIを結成した年でもあり、創価学会の戸田城聖第2代会長が遺訓として訴えた「原水爆禁止宣言」を胸に、私が核兵器国である5カ国をすべて訪れて、各国の要人や識者との間で世界平和を巡る対話を重ねた年でもありました。

Atomic Bomb Dome and modern buildings. Credit: Hirotsugu Mori - Own work, CC BY-SA 3.0
Atomic Bomb Dome and modern buildings. Credit:Hirotsugu Mori – Own work, CC BY-SA 3.0

そして5カ国の訪問を終えた後、私が同年の11月9日に講演を行い、核兵器の全廃を実現させるための優先課題として、非保有国に対して核兵器を使用しないという消極的安全保障とともに、先制不使用の宣言の必要性を訴えたのが、広島の地だったのです。

その数日後にフランスでの開催を控えていた先進国首脳会議を念頭に置きながら、私は講演において、核廃絶に向けた第一段階となる国際平和会議を広島で行うことを呼びかける中で、次のように訴えました。

「私が、このように提案するのは、各国の利害、自国の安全のみが優先した首脳会議から、全人類の運命を担う核絶滅への首脳会議にしなければ、無意味に等しいと信ずるからであります」と。

その信念は現在も変わるものではなく、今回の広島サミットに託す思いもそこに尽きます。

キューバ危機をはじめ、核戦争を招きかねない事態に何度も直面する中、核兵器国の間でも認識されてきた〝核使用へのタブー意識〟が弱体化し、核軍縮や核管理の枠組みも次々と失われている今、「核兵器の先制不使用」の確立は、これまでの時代にも増して急務となっていると、改めて強く訴えたいのです。

人類を覆う脅威と不安の解消へ 「共通の安全保障」を築く挑戦

国連の報告書が示す世界の現状

そもそも今日、多くの人々が切実に求める安全保障とは一体何でしょうか。

ウクライナ危機が発生する半月ほど前に国連開発計画が発表した報告書では、「世界のほとんどの人々が自分が安全ではないと感じている」との深刻な調査結果が示されていました。背景には、〝人々が自由と尊厳の中で貧困や絶望のない生活を送る権利〟を意味する「人間の安全保障」の喪失感があり、パンデミックの数年前から、その割合は〝7人中で6人〟にまで達していたというのです。

この状況は、ウクライナ危機の影響でますます悪化している感は否めません。

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

報告書に寄せた国連のグテーレス事務総長の言葉には、「人類は自ら、世界をますます不安で不安定な場所にしている」との警鐘がありましたが、その最たるものこそ、核兵器の脅威が世界の構造に抜きがたく組み込まれていることではないでしょうか。

例えば、温暖化防止については〝厳しい現実〟がありながらも、人類全体に関わる重要課題として国連気候変動枠組条約の締約国会議を重ねて、対策を強化するためのグローバルな連帯が形づくられてきました。

一方、核問題に関しては、核軍縮を求める声があがっても、核保有国や核依存国からは、安全保障を巡る“厳しい現実〟があるために機が熟していないと主張されることが、しばしばだったと言えましょう。

しかし、昨年のNPT再検討会議で最終文書案に一時は盛り込まれた「核兵器の先制不使用」について合意できれば、各国が安全保障を巡る〝厳しい現実〟から同時に脱するための土台にすることができるはずです。IPPNWのラウン博士らが重視していた「共に生きよう 共に死ぬまい」との精神にも通じる、気候変動やパンデミックの問題に取り組む各国の連帯を支えてきたような「共通の安全保障」への転換が、まさに求められているのです。

闇が深ければ深いほど暁は近い

SGI joined with other NGOs to hold a side event at UN Headquarters during the NPT Review Conference to emphasize the urgency of the pledge of no first use of nuclear weapons. / Source: INPS Japan

その〝希望への処方箋〟となるのが、先制不使用の誓約です。「核兵器のない世界」を実現するための両輪ともいうべきNPTと核兵器禁止条約をつなぎ、力強く回転させる“車軸”となりうるものだからです。

世界のヒバクシャをはじめ、IPPNWを母体にして発足したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと連帯しながら、核兵器禁止条約の締結と普遍化のために行動してきたSGIとしても、喫緊の課題として「核兵器の先制不使用」の確立を後押しし、市民社会の側から時代変革の波を起こしていきたい。

かつてラウン博士が、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳が冷戦終結を宣言した年であり、東西の壁を越えて3000人の医師が集い、IPPNWの世界大会が「ノーモア・ヒロシマ この決意永遠に」をテーマに広島で行われた年でもあった1989年を振り返り、こう述べていたことを思い起こします。「一見非力に見える民衆の力が歴史のコースを変えた記念すべき年であった」と。

“闇が深ければ深いほど暁は近い”との言葉がありますが、冷戦の終結は、不屈の精神に立った人間の連帯がどれほどの力を生み出すかを示したものだったと言えましょう。

「新冷戦」という言葉さえ叫ばれる現在、広島でのG7サミットで〝希望への処方箋〟を生み出す建設的な議論が行われることを切に願うとともに、今再び、民衆の力で「歴史のコース」を変え、「核兵器のない世界」、そして「戦争のない世界」への道を切り開くことを、私は強く呼びかけたいのです。(英文へ

アラビア語)(ロシア語)(ドイツ語)(スペイン語

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