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アフリカ、中国への称賛と警戒

【プレトリアIPS=モギヤ・ンドゥル】

中国の目覚しい経済成長への関心が高まり、南アフリカ共和国のステレンボッシュ大学中国学センターのM.ディビーズ所長には講演の依頼が増えている。ディビーズ所長は、世界の製造業を担い貧困を削減した中国から、アフリカ諸国は学ぶべきだと考えている。

同所長は南アの首都プレトリアで開催された、「中国の成長:南アフリカ開発共同体(SADC)の貧困削減への意味合い」というテーマの会議で講演を行なった。中国の経済成長とは対照的に、世界銀行によると、アフリカ大陸に住む8億人の半分が1日1ドル以下で生活している。

会議を主催し、中国とアフリカの貿易を監視しているNGO、南アフリカ地域貧困ネットワーク(SARPN)のN.Ngwira氏は、中国の発展を称賛する一方で「アフリカの資源と市場に関心を持つ中国と協調した関係をもつべき」と考えている。2005年には主にスーダンからの石油の輸出で中国とアフリカの貿易は拡大した。またSARPNによると、中国は1970年代からアフリカに医師と農業技術者を派遣して医療活動と農業指導を行ってきた。

 問題は中国からの繊維製品の輸入の増大で、アフリカの地場の産業が打撃を受けている。さらに2005年1月に繊維製品の輸出割当を課していた多国間繊維取り決めが失効して状況は悪化した。米国市場での中国との競争も厳しく、南アの米国向け繊維製品の輸出は落ち込み、廃業する工場も増え、失業者も問題になっている。中国企業のアフリカでの活動を懸念する市民活動団体もある。「腐敗した政治家の庇護を受け、従業員の福利厚生はなく、アフリカの資源を搾取していなくなる」とモザンビークのNGO地方互助協会のL.I.Duvane代表はいう。

Duvane代表は「アフリカの犠牲で中国の発展があってはならないが、中国とのビジネスに有効な機構を確立できない各国政府も責任がある」とする。プレトリアの中国大使館のZhou Yuxiao参事官は「20年前にはアジア諸国で同様の議論があったが、現在中国はアジアで脅威ではなく恩恵をもたらす国と認識されている」という。アフリカと中国との関係について報告する。(原文へ

INPS Japan

米国への移民、ようやく暗いトンネルから抜け出せるか?

【メキシコシティIPS=ディエゴ・セバージョス】
 
「私たちは喜んでいます。もっとも、権利を持った市民として認められるまで、圧力を弱めることはできませんが」。そう語るのは、サンディエゴの移民団体「国境の天使たち」の代表を務めるエンリケ・モロネスさんだ。

3月27日、米上院司法委員会は、1000万人以上にも及ぶ不法滞在移民を合法化し、年間約40万人の一時滞在労働者(ゲスト・ワーカー)にビザを与えることを認めた法案を可決した。

 これが上院本会議で可決されれば、次は下院へ送られることになる。しかし、下院は、昨年12月、メキシコ国境へのフェンス設置等を定めた厳罰主義的な移民法案を可決しており、調整は難航するものと思われる。

上院司法委での可決直前には、米全土で移民たちが街に繰り出し前例のない規模でデモ活動を行なった。メキシコのビセンテ・フォックス大統領もこうした活動をほめたたえている。また、同じくメキシコのデルベス外相も、上院での可決を歓迎する声明を出した。

フォックス大統領は、3月31日に北米自由貿易協定(NAFTA)関連で米・加・メキシコの首脳が集まる機会に米国のジョージ・W・ブッシュ大統領と面会し、移民改革の重要性を訴える予定だ。

しかし、移民の活動家の中にはフォックス大統領は弱腰だとの声もある。「イモカリー労働者連合」の代表でもあり、2004年に「ロバート・ケネディ人権賞」を受賞したルーカス・ベニテスさんもそうした意見を持つひとりだ。「先週末の大行進は、私たちが眠れる巨人であり、しかし、いまこうして目覚め、これまでの過酷な取扱われように怒っていることを思い起こさせたのだ。」


「国境の天使たち」を初めとした数団体は、4月10日にも次の大きな行動を予定していると発表した。「それがデモになるか、ストになるか、それとも断食になるかはわからない」、そうモラレスさんは語った。

米国の包括的移民政策に対する移民や活動家たちの反応を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 

IPS関連ヘッドラインサマリー:
移民改革をめぐるバトル・ロワイヤル
米国、来年も移民抑制政策か

母親という危険な職業

【ルアンダIPS=カレン・イリー】

穴だらけのだらしないTシャツを着て、大きなおなかを抱えたその女性は、明らかに苦しんでいた。助けを求めることもできず、廊下を行ったり来たりしながら、だらしなく巻かれた腰布を不機嫌そうに結んだりほどいたりしていた。彼女は、下着も身に着けておらず、ぐったりとしてうめき声を上げながら壁に寄りかかっていた。彼女の股の間からは、床に血が滴り落ちていた。

彼女を助けたりやさしく声を掛けてやる者は誰もいなかった。血をふき取ってやる者は誰もいなかった。この光景は、アンゴラで子供を生むことがいかに危険かを物語る。そしてまた、2015年までに妊婦死亡率を4分の3削減するというミレニアム開発目標(MDG)の第5番目をこのアンゴラで達成することがいかに難しいかということをも。

 国連児童基金は、アンゴラにおいて、出生者1000人当たり17人の女性が妊娠関連の原因で死亡すると推計している。アンゴラの女性が妊娠が原因で死亡する危険性は、7人に1人の割合である。これは、サハラ以南アフリカの16人に1人よりも高い割合であり、ヨーロッパの2000人に1人、米国の3000人に1人(日本の6000人に1人:JICA)に比べるとはるかに高い確率である。

概していえば、これらの数字は、アンゴラ政府と「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)との間の27年にわたる内戦の遺物である。和平が成立して現在4年が経つが、基本的な医療施設はいまだに少ない。深い穴や地雷によって通行不能の道路も多く、わずかに存在するサービスすら、遠隔地に住む多くの人々にとっては利用できるものではない。

妊婦たちは、エイズ・栄養管理・衛生・マラリア予防に関する助言などの基本的な出産前ケアを受けることができないことも多い。マラリアは、妊婦の貧血の原因となる病気であり、妊婦・新生児双方の主な死亡原因となっている。

妊婦たちは、出産するギリギリの時期まで、市場で商売に精を出したり農場で働いたりする。これは時として危険を伴うが、アンゴラでは非常によく見られる慣行となっている。妊婦たちは、具合が悪くなってきたのではないかとの恐れを抱くと医療施設に走ることになるが、そのときには手遅れになっていることが少なくない。

国際的な援助団体、「国境なき医師団」のベルギー支部で副医療コーディネーターを務めるメリーゼ・ドゥコルー氏は、「施設が足りない。でも女性たちが非常に遅い段階になってから助けを求めに来るという問題もあるのです」という。

さらに、多くの出産は、医療スタッフの立会いを受けないまま行なわれる。このために、本来ならば大事に至るはずのない原因で死亡してしまうことも少なくない。「伝統的な医療に対する信仰や、自分ひとりで、あるいは母親・姉妹・いとこなどの家族の助けを借りて家で赤ちゃんを生むことに対する長い信仰があります。こうした信仰に対抗するのはとても難しいのです」「そういう女性が病院にたどり着いたとき、私たちにできることはすでに何も残されていない、というのが往々にしてある厳しい現実です。彼女たちはただ死ぬためだけにここへ来るのです」とドゥコルー氏は語る。

そして、中絶という微妙な問題がある。アンゴラでは、女性の命を救うために必要な場合を除き、中絶は違法である。ドゥコルー氏はいう。「中絶用の施設はありませんが、民間療法を用いて家庭で中絶を試みる女性が後を絶ちません。私たちの病院にひどい状態で女性が担ぎ込まれることも少なくないのです」。

出生率が高く、性行為に及ぶ年齢が早いため、合併症・感染症・出産中の死亡の危険性は格段に高まる。

政府は、母親たちの健康状態に強い懸念を持ち、妊婦の死亡を2008年までに3分の1減らすことを目標としている。これができれば、MDGの第5目標における相当の前進となる(全部で8つのMDGが、6年前ニューヨークで開かれた国連ミレニアムサミットに集った世界の指導者たちによって採択された。これらは、幼児・妊婦死亡率、環境破壊、不公正な国際貿易ルールなど、開発に対する主な障害に対処するために決められたものである)。

しかし、アンゴラは同様に火急の対策を要する問題を山のように抱えている。妊婦の健康対策は、幼児死亡率対策に比べカネを生まない事業だと考えられており、子供を産もうとする女性に対してその基盤を提供する事業がほとんど行なわれないのではないか、との恐れがある。この状況は、この国の女性に対して特に暗い影を投げかける。なにしろこの国では、女性の教育機会は少なく、母親であること以外に生きる可能性は見出しにくいのだ。

アンゴラ女性は、平均して7人の子供をもうける。彼女たちはまた若い段階で赤ちゃんを産み始め、第一子をもうけた女性の70%がまだ10代のうちに子供を産むと見られている。

家族計画に関する情報も不足している。現場の医療関係者は、女性の側は避妊法を試したり間隔をあけて出産したりすることを望んでいるというが、彼女たちの夫やパートナーがそうした行為は男らしさに反するとしてしばしば反対するのだという。

ルクレシア・ペイム助産院では、テレサ・ミグエルさん(仮名)が低レベルの妊婦保健対策の結果に直面していた。彼女の家族は、首都ルアンダから数キロだけ離れた、ビアーナという貧しい郊外地域に住んでいる。しかし、21歳ですでに2人目の子供を身ごもった彼女の若い娘が病院に着いたとき、すでに手遅れであった。娘の女の赤ちゃんは死産だった。

ミグエルさんの頬を涙が伝う。彼女は手で頭を叩き、大声で娘・ルシアのために祈った。ルシアはまだ緊急病棟におり、出血を続けていた。

病院の看護師がミグエルさんに娘の薬を買ってくるよう頼んだが、ミグエルさんも弱りきった状態で、いったい何を買えばいいのか、どこで薬を売っているのかわからなかった。数分後、彼女はパニック状態のまま手ぶらで緊急病棟に戻った。

16歳になるまた別の若い女性が、自分の膨れたおなかを殴っている。彼女はとても不安げに見えた。200クワンザ(約2.2ドル)の紙幣を握り締めた彼女は、「薬や服を買うお金がないのなら、治療は受けられないのです」といった。

この女性やルシア、そして病院の廊下でうめきながら血を滴らせていた冒頭の女性は、まだ幸運な方だと残念ながらいわねばならない。少なくとも、彼女たちは首都に近い場所に住んでおり、出産前・分娩後の基本的ケアをいくらかは受けることができる。しかし、アンゴラの広大な僻地に住んでいる女性たちのほとんどは、自分たちだけでやっていかねばならないのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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移民改革をめぐるバトル・ロワイヤル

【ニューヨークIPS=ウィリアム・フィッシャー】
 
米国の移民政策をめぐり、共和党の内部で二つの立場が激しく争っている。一方は、国境管理を厳しくし不法滞在者を強制退去させることを望む強硬派であり、もう一方は、不法滞在移民の経済的役割を認める産業界寄りの立場である。

下院はすでに、下院司法委員会のセンセンブレナー・ジュニア氏が中心となって、かなり強硬な法律を通過させている。この法律によれば、メキシコ国境沿いにフェンスが設置され、移民法制違反に対する罰則が厳しくなる。違法行為には、不法入国の奨励や、いったん国外退去処分になった後の再入国といった行為も含まれる。また、外国人に国外退去処分を科しうる要件が広まる。さらに、企業の経営者に対して、社会保障番号を使って社員の身元を確実に調べるよう求めている。

 一方、上院では、昨年2つの法律が上程された。ひとつは、ジョン・マケイン議員とエドワード・ケネディ議員が提案した、「働いて留まる」というアプローチにのっとった法律案である。同案は、入国管理をより厳しくすることを求めてはいるものの、同時に、一時滞在労働者(ゲスト・ワーカー)プログラムの創設も定めている。不法滞在者であっても、1000ドルの罰金と同プログラムの参加料を支払えば、6年後には永住権を取得できるというものだ。

もうひとつは、「働いて帰国する」というより厳しいアプローチを代表するもので、ジョン・コーナイン議員とジョン・カイル議員が提案したものである。

しかし、上院での議論の核になりそうなものは、上院司法委員会のアーレン・スペクター委員長が提案した「2006年包括的移民改革法案」である。同法案では、不法滞在者であったとしても、税金を払い、労働者として働き続け、身元がはっきりしているならば、国外退去処分にはしないと定められている。

しかし、下院の通した強硬派の法律と、上院のスペクター法案との間には、内容的にかなりの開きがあり、妥協が用意であるとは思われない。米国の移民改革論議について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 

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米国国境を越えた不法移民をとりまく苛酷な状況

|スリランカ|多民族の融和を目指して

【ジュネーブIPS=ガスタボ・カプデヴィラ】

1988年日本で設立された反差別国際運動 (International Movement Against All Forms of Discrimination and Racism: IMADR)のニマルカ・フェルナンド理事長は「今日の世界では、自分と自分の社会『以外』のものは異質であるとして何らかの形で処分および滅ぼすべきであるという風潮が蔓延している」と述べた。 

さらに彼は「世界の経済・政治の秩序は人々の間で脆弱性と社会的無視を生み出している。今日、我々人間の生活は貧困や(ジョージ・W・ブッシュ米大統領による)石油資源の支配に脅かされている」とIPSの取材に応じて語った。

 IPS:現在、人種差別は世界でどのような役割を果たしていますか。 

ニマルカ・フェルナンド:人種差別は戦争や資源の略奪をもたらし、我々の社会に人種差別や排除を促す政治的イデオロギーです。 

IPS:IMADRといったNGO団体は現在どんな取り組みを行っていますか。 

NF:我々の活動は9.11以降非常に困難になっています。2001年9月11日のニューヨーク、ワシントンでのテロ攻撃の影響を受けて、全ての反体制派の活動はテロや暴徒の仕業であると見なされています。民主的権利のための活動は、テロ撲滅のスローガンのもとに停止を余儀なくされています。 

IPS:スリランカでも人種差別はありますか。 

NF:スリランカでは民族的立場から生まれた人種差別があります。(多数派民族の)シンハラ人過激派は、長年スリランカ北部で自治権や民主的権利を求めて争ってきたタミール人指導者たちに対する憎悪の念を増大させる運動を展開しています。 

IPS:スリランカについて教えてください。 

NF:スリランカは『崩壊した国』の典型例です。つまり、スリランカは植民地時代以後、様々な民族・文化・宗教が複雑な関係を作り出すなか、政治理念と権力分担の安定化に向けた経済政策に失敗した国です。 

IPS:その結果、どうなりましたか。 

NF:我々は20年以上もの間続く戦争へ発展した民族紛争に関わってきました。そしてこの闘いで多くの命が失われました。中でもタミール人の死者の数は最大でした。現在も多くの人々が国内外で行き場を失っています。戦争は1つの社会を破滅へと導くことになるのです。 

IPS:解決策はないのですか。 

NF:(2002年2月22日)シンハラ人とタミール人との停戦合意は実現したものの、戦争の影は日に日に色濃くなっています。(11月19日)マヒンダ・ラージャパクサ新大統領が政権を握ると、同国の北部や東部で再び戦闘が激化し多数の死者を出しました。そして犠牲者のほとんどは、武装していない一般市民でした。 

IPS:紛争に対する各党の対応はどうですか。 

NF:政治的暗殺に関しては政府の調査は行われません。これは政府の支援を受けた東部の民兵組織が暴力や殺人に関わっているためです。従って、LTTE(タミル・イーラム解放の虎)も彼らの暴力に関する報告を受けていないのです。 

IPS:2004年(12月26日)に発生した津波に襲われたアジア南部地域の1つであるスリランカは、17,500~41,000人もの死者を出したとされていますが、現在の状況について教えてください。 

NF:民族紛争後のスリランカでは津波による甚大な被害を受けたことで、国内のイスラム教徒とタミール人に対する差別はさらに悪化しています。(仏教徒とキリスト教徒が占める)南部の救援活動や復興の様子は大いに注目されましたが、一方の北部・東部ではほとんど注目されませんでした。 

津波以降、大統領の支援団体は(政府の要請する戸数を超える)500戸を建設していますが、北部・東部地域では未だに多くの被災者が一時避難場所で生活しています。 

IPS:そのような動きは注目されてきたのですか。 

NF:私の立場から言うと、国連でさえスリランカの貧困者の実態を把握していないと言わざるを得ません。我々は津波後の国連による同国の再建状況をいつも耳にしています。またビル・クリントン前米大統領が(国連特別大使として)復興の進捗状況を見るため我々の元を訪れました。 

Action Aidは津波による被災者の人権問題を扱った資料を作成したので、彼らのホームページを参考にしてください。 

IPS:少数民族社会の現状はどうですか。 

NF:スリランカで生活しているイスラム教徒の人々は2重の差別を受けています。1つはスリランカ政府が彼らの問題を扱わないでいること。もう1つは東部を支配するタミール人が直面する紛争問題や(政府とLTTEとの)緊張状態です。 

東部では去年多くのイスラム教徒が死亡したにも関わらず、適切な調査が行われていません。10年前LTTEにより北部を追い出されたイスラム教徒は、今もなおIDP(国内避難民)として将来の不安を抱えながら生活しています。そして、彼らはIDPとなった現在も居住地で全ての社会から酷い扱いや差別を受けています。 

IPS:では、タミール人はどうですか。 

NF:スリランカで生活しているタミール人は使用言語の差別に直面しています。タミール人は公用語の規定により自らの言語を使用する権利はありますが、政府はこの規定を実施していないのです。 

逮捕されたタミール人はシンハラ語で書かれた供述書に署名させられるか、彼らの知らない言語で全ての書類に署名することを強要されます。北部や東部の政府が管轄する地域では警察署内にタミール語を話せる警察官が全くいません。さらに、郵便局でもタミール語で書かれた電報やメッセージを送信する設備が整っていません。 

IPS:そのような風潮が女性に与える影響はどうですか。 

NF:女性は多くの差別に直面しています。タミール人女性は戦争中多くの暴力を受けてきましたが、停戦の調印後その状況はいくらか緩和されました。 

しかし、昨年12月からの北部・東部の軍隊による活動の高まりと共に、女性に対する暴力や嫌がらせの報告が次々と我々の元に届いています。スリランカ政府は、未だにジャフナのDharshiniという少女のレイプ殺人について報告や調査を行っていません。彼女の遺体は北部の海軍基地近くの井戸の中で発見されました。 

IPS:少数民族社会の将来はどうなりますか。 

NF:少数派民族を含む世界中の人々は労働、社会、統治の世界で公正な役割を求めて奮闘しています。我々は譲歩や福祉国家主義といった概念を超え、人権に基づく平等な扱いを実現していかねばなりません。 

例えば、米国人主導の世界経済においてブッシュ米大統領による石油獲得への強い欲望は、正義や公明正大な行為への渇望によって阻止しなければなりません。我々はあらゆる人種差別を非難し、またこの問題と闘っていかなければならないのです。 

IPS:2月にジュネーブで始まり、次回4月にも開催される予定の平和交渉について話してください。 

NF:スリランカは再び武力闘争に戻ることはできないので、我々としてはジュネーブでのLTTEと政府との話し合いに期待しています。スリランカの人々は戦争や津波の被害に苦しんできました。従って、我々は市民社会の活動家としてこの機に反政府LTTEとスリランカ政府との対話内容の公表、問題地域の調査、民族問題に関する解決策の提案などに取り組みます。 

我々は公式の話し合いには直接参加できませんが、市民社会グループの平和論者の一員として、政府とLTTEとの対話を通じて(タミール人社会の平和構築に必要な)信頼関係を築きながら内政面で活動していくつもりです。 

さらに、我々は戦争ではなく政治的解決や話し合いによって(特にシンハラ人の気持ちの中で)この問題を解決するのに必要な政治風土を築くことにも取り組んでいます。 

従って、市民社会活動家として内政面での我々のやるべき仕事は、タミール人との対話を公開する一方で、シンハラ人社会と活動を共にしていくことです。そうすれば、そのうちスリランカで平和が訪れることになるでしょう。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

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|UAE|自国民の雇用優先に着手

【ドバイIPS=ミーナ・ジャナルドハン】

アラブ首長国連邦(UAE)は、国家自立(emiratization)政策第1段として、大手企業に対し、広報担当者(public relations officers:PROs)には海外移住者ではなく自国民を採用するよう義務付けた。同国では、PROは、労働許可書の発行、罰金の支払い、身分証明書の更新といった企業と政府省庁の橋渡しとなる重要な仕事を受け持つ。(石油資源は豊富だが人口の少ない同国では、約400万人の人口の内330万人が非自国民である。)

しかし、企業の多くは、「自国民は海外移住者並みの賃金では満足しない。また、仕事が気に入らなければ辞めてしまうので、訓練の時間とコストが無駄になってしまう」として、同政策を歓迎していない。労働省のビン・ディーマス次官補は、「現在、1,200人強のアラブ首長国市民がPROとして働いているが、一部企業は、懲罰回避のため採用の届出をごまかしている可能性もあり、PRO政策は成功しているとは言い切れない」と語っている。

アル・カアビ労働大臣は、PROセクターの成功を確かめた上で、間もなく第2段の秘書/事務職の自国民採用に着手すると発表。日刊紙「Al Khaleej」によると、これにより自国民8万7,000人の採用が可能になるという。

ドバイ帰化在住局のBujsaim次長は、「PROが自国民となれば、スタッフと共通の言語/文化を共有でき、日々の仕事が円滑になる。国内労働市場への生産的参入、適性職業の獲得は、国内新卒者の権利である」と語っている。

一方、アラブ人のベテランPROは、「PROの管理業務は簡単ではなく、適性訓練が必要だ」と指摘する。Bujisaim次長も、この指摘について、「雇用者、被雇用者のためにも、政府は、自国民を訓練生として採用し、仕事に適しているかどうか見定めることを認めるべきだった。政府がこの様な政策を実施するに当たっては、セクターの如何に拘らずそうすべきである」と語っている。アラブ首長国連邦の新雇用政策について報告する。

翻訳/サマリー=IPS Japan


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西側諸国の主要な武器売却先、アラブ首長国連邦

【国連IPS=タリフ・ディーン】 

エネルギー資源豊富なペルシャ湾岸の国・アラブ首長国連邦(UAE)は、この5年間にわたり、米国から64億ドル、フランスから20億ドル、計84億ドルの兵器を購入している。そのほとんどは最新型の戦闘機だ。80機の米国製F-16E/F戦闘機の引渡しは、2007年にならないと完了しない。この契約は、中東国家相手の単一の兵器移転契約としては最大のものであり、2000年3月に結ばれた。 

2月中旬、UAE[を構成する一首長国であるドバイ首長国]の保有する企業が米国の6つの港の管理権を取得しようとし、これを阻止する動きが米国内に起こった。しかし、ジョージ・ブッシュ大統領はこの動きに対して拒否権を発動するとの牽制をかけている。こうした大統領の態度は、米・UAEの政治的・軍事的関係の重要性を物語っている。

テロリスト侵入の可能性があることから、アラブ国家所有の企業に対して米国の港の管理権を譲り渡すべきでないとの強迫観念が高まり、この取引への超党派的反対論が強まってきた。にもかかわらず、ブッシュ大統領は、UAEはグローバルなテロとの闘いにおける米国の強力な同盟国であると主張している。ブッシュ氏はまた、テロの恐れがあったとしても、米国の港・海運ターミナルの監督を中東の企業に任せることに何ら問題を感じていない。 

しかし、長い歴史を持つこの二国間関係に関する同じく重要な事実は、UAEが、米国のみならず、西欧におけるその同盟国、とりわけフランスとイギリスにとって、兵器の成長市場であるということだ。 

兵器市場に関する情報提供企業の大手である「フォアキャスト・インターナショナル」(本社:コネチカット)の中東問題専門家トム・バラノースカス氏は「UAEの兵器市場は米国にとって非常に重要なものです」と語る。「最新世代のF-16E/Fの注文80機というだけでも」米国からの巨大な購入契約となる。「おもしろいことに、この契約はまだ完了していないのに、これらの戦闘機の更新がすでに検討されているんです」。 

[しかし、]すでに引き渡された戦闘機の更新と維持、および兵器の新契約は、米・UAEの軍事的関係が継続しなければ無理な話である。 

だが、バラノースカス氏は、UAEの兵器調達の優先順位が変わりつつあると指摘する。「この方針転換により、米国の競争力がそがれ、米国よりも欧州諸国が優位に立つかもしれません」。 

UAEは、フランスのミラージュ戦闘機のほかに、ブリティッシュ・アエロスペースの訓練/陸上攻撃機「ホーク100」を36機、ドイツから戦艦を4隻、オランダからフリゲート艦を2隻購入している。加えて、フランスは、約400台の戦車(約38億ドル相当)をUAEに供給している。 

UAEは、わずか5~6万の兵力しか持たない国としては、世界でも最も装備の整った軍隊を持つ国だと考えられている。米国からの軍事援助も全く受けておらず、すべての兵器購入に対してドル[と交換可能な通貨]で支払っている。2月初めに米国務省が発表した数値によると、2005年の米国からの軍事装備購入は65万ドルを超えるとみられ、これが2006年にはさらに約19億ドルにまで伸びると予想されている。 

フォアキャスト・インターナショナルによれば、2006年度のUAEの軍事予算は約37億ドルになると見積もられている。ちなみに、中東最大の防衛予算を持つサウジアラビアが202億ドル、イスラエルが99億ドル、イランが79億ドル、クウェートが49億ドルとなっている。 

UAEは、世界第3位の油田保有国、世界第5位のガス田保有国であり、人口一人当たりの収入は1万7,000ドルを超える。石油による収入は、GDPの30%、国家歳入の75%を占める。また、世界市場における前例なき石油価格の高騰により(1998年に1バレル当たり約12ドルだったのが、2月中旬には65ドルに)、UAEのような国々の購買力は増している。 

バラノースカス氏は、「UAEの装備リスト、とくに戦闘機を見てみると、兵器供給源としての米国への依存度がきわめて高いことがわかります」と語る。 

しかし、同時に明らかなことは、UAEが「全ての卵をひとつのカゴに入れている」わけではないということだ。その証拠が、フランス・イギリスからの兵器システム購入である。「もし、現在の[米・UAE関係の]もつれが将来的にどんな影響を与えるかを無理に推し量ってみるならば、UAE側に兵器供給先をさらに多様化しようとの欲求が増してくるといえるだろう」。すなわち、米国への過度の依存から脱却するということである。「空中早期警戒機『ホークアイ』の購入契約は、安全通信技術の『リンク16』を完全移転することを米国が拒んだために頓挫したが、これにUAEが不満を抱いていることがすでに見て取れるだろう」とバラノースカス氏は付け加えた。 

またバラノーカス氏はこう説明した。「欧州系企業は、伝統的に、取引相手に何の制約もかけずに兵器を売却する傾向が強い。しかし、ハイテク装備を購入する資力があり高度な装備を持った軍事国家は、完全装備の兵器を供給することを米国が拒否しているために能力の限界まで使用することのできないシステムを買うことになど満足しないだろう。一方で、イスラエルはそうした完全装備型の兵器を通常受け取ることができるのです。ここには二重基準があり、そのことはしかるべく記憶にとどめられています。のちのち[アラブ諸国への兵器受注をめぐって]競争が起こったときに、そのことが思い出されることになるでしょう」。(原文へ

IPS Japan


|チリ|スウェーデンのシンドラー、人道に貢献

【サンチアゴIPS=マリア・セシリア・エスピノザ】

スウェーデン大使ハラルド・エデルスタムの人道救助活動を描いたスウェーデン・デンマーク・メキシコ・チリ合作の映画「黒はこべ」(The Black Pimpernel)の撮影が、チリ国内で1月から開始された。 

1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト率いる反乱軍の猛攻撃に、アジェンデ大統領は官邸で自ら命を絶った。その後、軍部は激しい反対派弾圧を開始。1万2,000人を収容した国立競技場は、大規模な拷問所と化した。騒乱の中、エデルスタムは、国立競技場に収容されたキューバ大使館員、ウルグアイ人等を含む1,300人を救出。犠牲者を自ら車で安全な場所へ移動させ、国際機関に引き渡したのである。 

アムネスティ・インターナショナル・チリのラウレンティ会長は、「クーデター勃発から数ヶ月間の凄まじい暴力を、この映画を通じて多くの人に理解してもらいたい」と語っている。また、犠牲者の会Group of Relatives of the Detained-Disappeared (AFDD)のディアス氏は、「この映画は、残酷な出来事を信じようとしない若い世代の意識喚起に役立つ重要な歴史的記録である」と語っている。

 撮影は、チリ文化芸術省、運輸省、外務省、サンチャゴ市、チリ国立スポーツ協会などの後援を得て、大統領官邸前、国立競技場など事件の現場となった36ヶ所で行われおり、スウェーデンの監督Ulf Hultbergは、国立競技場では「亡くなった人々の魂が我々と共にいるようであった」と語っている。 

エデルスタム大使は1973年、チリ軍事政権により国外退去を命じられた。同氏は、ナチス・ドイツ時代にも、ヒトラーから国外追放を受けている。スウェーデンのシンドラー、エデルスタム大使を主人公とする新作映画「黒はこべ」について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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セネガル大統領、チャド独裁者の引渡しを迫られる

国籍はあっても家がないという不安定な境遇

【国連IPS=サイモン・シュネラー】
 
戦争や人道的災害により故郷を逃れながら自国内に住む1200万人のいわゆる「国内避難民(IDPs)」が、アフリカで法的、人間的悲劇に直面している。

国連緊急援助調整官で国内避難民連絡部担当のデニス・マクナマラ氏は、「国内避難民問題はアフリカで対応が遅れているもっとも重大な問題であり、スーダン、ソマリア、コンゴ民主共和国、ウガンダ、ブルンジなどの国で住居を追われている人々への早急の対策が必要だ」と語った。

  たとえばスーダンでは政府と南部に拠点を置くスーダン解放運動(SLM)との20年にわたる内戦で400万人が故郷を逃れたとされており、世界でもっとも大規模な強制退去問題となっている。

2005年1月に両者が和平協定に調印してから多くの人々が南部の故郷に帰還したが、故郷は「最貧の状態」だとマクナマラ氏はいう。

「10数年前に故郷を武力で追われてハルツームのスラム住民となった200万の人々もこれから南部に帰還することになるだろうが、今度はジュバの新しいスラム住民となるにすぎない。ジュバを訪れたことのある人には分かるだろうが、ジュバのスラムはハルツームよりもさらに劣悪な環境にある」とマクナマラ氏は最近の国連での記者会見で述べた。

難民と定義されるのは故郷を逃れて国境を越えた人々であり、国際的な保護や支援を受ける資格がある。しかし世界の国内避難民2350万人に対する保護の問題はより難しい。

「国内避難民が難民と同じような法的立場を得られる可能性はほとんどなく、それは主に政府が国家主権と内政不干渉という原則が弱まることを恐れるからだ」と国際強制退去監視センターのJens-Hagen Eschenbaecher氏はIPSの取材に応じて語った。

Eschenbaecher氏によると、政府自体が強制退去の最大の責任者となるケースもあった。

1950年から難民は「難民の地位に関する条約」という特別の条約の下に保護されてきた。けれども国内避難民には国際法を反映しながらも法的拘束力を持たない「国内避難の指針」という取り決めしかない。国内避難民の支援を使命とする国連機関もない。国内避難民の支援義務があるわけではない国連難民高等弁務官が国内避難民問題を随時担当している。そのために国内避難民が難民よりも重要でない扱いをされているという非難を生んでいる。

「安保理と支援国が自国民を守れない政府に昨年の国連サミットで採択された国家の国民保護の責任を果たすよう求めて行動を起こすことが必要である」とEschenbaecher氏はいう。

「同時に現場における国際社会の強い存在感が求められる。それには国連の機関、NGO、そして特に十分な兵力と権能を備えた平和維持軍などの活動が含まれる」

マクナマラ氏は国連が国内避難民に対して「十分に手を尽くしていない」ことを認めた。

「人道的な活動は比較的に簡単だ」とマクナマラ氏はいう。年間40億ドルが人道支援活動に必要であるが、さらにその10倍の金額が強制退去させられた人々が戻らなければならない破壊された地域の再建のために必要になる。

「国連開発プログラム(UNDP)、世界銀行、支援国からのさらなる援助が、貧しく悲惨な国内避難民の生活を立て直すための、いまだ不十分な、具体的で目に見える長期的な基本的サービスに対する現実的な投資を行うために必要なのだ」とマクナマラ氏はいい、畜産や所得創出プロジェクトなどの開発プロジェクトを行うよう求めている。

国内避難民を抱えた国でこの問題のために活動するNGOは少ないが、主に避難所、トイレ、洗濯場、食料、基本的な医療サービス、教育などの差し迫ったサービスを提供している。多くの地域で国内避難民の人道的支援、保護、安全は十分ではない。

リリーフ・インターナショナルの上級プログラム担当官、Silja Paasilinna氏は「人々は毎日生きているだけで精一杯の状況だ。(スーダンの)ダルフールではすべてが足りない」とIPSの取材に応じて語った。

国連によるとダルフール地方の国内避難民は160万人、隣国のチャドに逃れた難民は20万人を超えている。政府主導のキャンペーンにより主に紛争地域の非アラブのアフリカ人が強制退去となり、20万から40万の人々が死亡したとされている。
 
マクナマラ氏は国内避難民にとって安全が一番の問題だとし、7800人の平和維持軍は貴重ではあるが「この問題の重大性に対して十分ではない」と指摘した。

「国内避難民に何とか食料を配ってはいるが、適切な保護はまったくできない。全体的な保護が必要とされているにもかかわらず現場に保護のための十分な人員がいないので、危険をともなう第一線に人道支援を行う人々を置かざるをえない」

Paasilinna氏は「安全が脅かされそうなときにはスタッフを引き上げなければならない。たとえば医療と栄養を提供する活動が行われていて二つの国内避難民収容所のあるTawillaは12月からほとんど立ち入り禁止地域になっている」という。

「双方の側から車を乗っ取られたり、拘禁されたり、嫌がらせを受けたりしてきた。後で謝罪されるケースが多いが、スタッフは生きた心地がしない」

昨年9月にはダルフール地方の西にあるSeleiaという町で国内避難民収容所が襲撃を受け、29名が死亡し、収容所にいたほとんどの人々、4000人から5000人が周辺に逃げ出した。

昨年12月にマクナマラ氏はインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に寄稿し、「大量の国内避難民は恐ろしい犯罪に巻き込まれやすく、大虐殺、拷問、性的暴行、隷属化などの被害者となることが多い。子供も拉致、軍隊への強制的な入隊、性的暴行、死の恐怖に脅かされている」と訴えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

ネオコンがアルカイダ掃討へのイランの協力を妨害するまで

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【ワシントンIPS=ガレス・ポーター】

2001年末から2002年初頭にかけて、米国とイランは、アフガニスタンのアルカイダとそれを支援するタリバンとの戦争に緊密な協力体制にあった…ドナルド・ラムズフェルド国防長官が協力阻止に介入するまでは…と当時関係していた政府高官が明らかにした。

9・11同時多発テロ後、アフガニスタン戦争の準備に当たっていた米政府担当高官らは、タリバン追放とアフガニスタンの安定政権の樹立に、イランの協力を必要としていた。イランは、米国が消極的であった時期に、「北部同盟」による抗争を組織し、武器と資金を供与していた。

「イランはアフガニスタンの重要な影響勢力と親密に接触し、米国との協調において自らの影響力を建設的に活用しようと準備していた」と、当時国家安全保障会議(NSC)の中東問題担当上級幹部であったフリント・レヴェレット氏は、IPSの取材に応えて当時を振り返った。

 2001年10月、アフガニスタンでの軍事行動を前に、米国務省とNSC高官は、国連アフガニスタン支援ミッションを率いるラクダール・ブラヒミ国連事務総長特別代表の主催で、パリとジュネーブにおいてイラン外交官と秘密裏に会合を持った。「議題は、いかに効果的にタリバンを掃討し、アフガン政権を樹立するかだった」とレヴェレット氏は述べている。

11月中旬にタリバンをカブールから一掃できたのは、主にイランが支援していた北部同盟軍の功績である。2週間後、アフガン各派は国連主催のボン会議で後継政権に合意した。

その会議で、北部同盟は暫定政権の60%のポストを要求、これが他の各派の合意を阻んだ。ジェームズ・ドビンズ米特使によれば、北部同盟代表の説得に「決定的な役割」を果たしたのがイランであり、ボン合意に「テロとの戦争」の文言を盛り込むことを主張したのもイランであるという。

米政府官僚は、アフガンの安定化のみならず、アルカイダの掃討においてもイランと協力の機会があったことを認識していた。2004年10月22日付けのワシントンポスト紙が報じているように、国務省の政策立案担当スタッフが2001年11月末に、アルカイダとの戦いにイランとの協力を図るためより正式な取り決めを提案すべきであるとの提言を論文に記している。

そうした協力とは、すでに国境を越えてパキスタンやイランに移動し始めていたアルカイダの戦闘員や指導者を捕らえるための国境付近の掃討作戦の調整ばかりでなく、イラン政府との秘密情報の交換を含むものだった。ワシントンポスト紙の情報源によれば、CIAも、ホワイトハウスのW・ダウニング・テロ対策担当責任者も協力の提案に同意したという。
 
 しかし、アルカイダに対するこうしたイランとの協力は、ホワイトハウスと国防総省の反イラン派の優先事項ではなかった。調査報道で著名なボブ・ウッドワードが著書『攻撃計画(Plan of Attack)』に、アフガニスタンを巡る問題を扱うイラン政策に関する省庁間委員会の議長を務めていたスティーブ・ハドレイ国家安全保障担当補佐官が、ホワイトハウスが1月のブッシュ大統領の一般教書演説でイランを「悪の枢軸」に加える意向であることを知った経緯を詳述している。

ハドレイは当初その案に難色を示したが、イランを含める必要があるとブッシュ大統領から直接聞かされた。12月末には、ハドレイは、アルカイダ情報とイランが捕らえたアルカイダ・メンバーの本国送還を求めてイランに圧力をかけるものの、諜報はイランと共有しないことを、国務省、CIA、ホワイトハウス・テロ担当室の提言に反して決定した。

イランがアフガニスタンにおける米国の目的に反対し、テロとの戦いへの協力を拒否しているとして、米政権強硬派が対イラン政策をブッシュ大統領と世論に提示したのは、その決定の直後である。これは、直接関与してきた高官らが実際目にした状況とは正反対のイランの姿であった。

2002年1月11日付けのニューヨークタイムズ紙は、イランがタリバン後のアフガニスタンにおいて米国との戦いにアルカイダ戦士を利用しようと、逃亡するアルカイダ戦士に隠れ場所を提供している、とのペンタゴンと諜報機関職員の発言を報じた。同じ日、ブッシュ大統領は、「イランは対テロ戦争において貢献者でなければならない」と断じた。

「我が国は、テロとの戦いにおいて、『我々の敵か味方か』のドクトリンを掲げる」とブッシュ大統領は述べた。

当時情報に通じていた高官は、「アルカイダの安全な隠れ場所」容疑は諜報機関による正当な分析に基づくものではなかったと認めている。

「その容疑を裏付ける情報は承知していなかった」と、アフガニスタンに関する協力について当時まだイラン高官との接触の中心にあったドビンズ米特使も想起する。「そのような情報があったのであれば、必ず目にしていたはずだ。彼らがアルカイダに隠れ場所を提供していたなどという話は一切聞いていない」

イランはすでに、米国側の要請に応えてアフガニスタン国境の兵力を増強していた。2004年にワシントンポスト紙が報じたように、イランのジャヴァド・ザリフ副外相は、調査報告書を、アフガニスタンを逃亡しすでに拘束されたアルカイダのメンバーと思われる290人の写真を添えて、2月初頭にコフィ・アナン国連事務総長に提出した。

ニュース報道によれば、その後、何百人ものアルカイダおよびタリバン拘留者が、サウジアラビア、アフガニスタン、その他アラブおよび欧州諸国に送還された。

強硬派は、イランはアルカイダのトップ指導者を引き渡さなかったと非難するだろう。だが、米国こそ、アルカイダの問題を話し合うべき高官、すなわちイランの諜報機関と安全保障担当省庁との情報交換をその当時拒否したのである。

また、同じ政府高官が、「イランは、タリバンとの戦争においてアフガニスタンの同盟者に武器を供与してアフガニスタン西部の国境地域において影響力を行使しようとし、これは暫定政権ならびに米政府のアフガニスタンにおける長期的利益を損なうものとなりうる」とタイムズ紙に語っている。

しかし2002年3月、イランの高官は、アフガニスタンの安全保障上のニーズに関する国連会議中ジュネーブでドビンズ特使と面談。ドビンズ特使は、イランの代表団は、タリバンとの長期にわたる戦闘中北部同盟への軍事援助の責任者であった軍司令官を同行していたと当時を振り返る。

司令官は、新生アフガニスタン軍の2万もの新兵のために訓練、制服、装備、兵舎の提供を申し出た。それも、これらのすべては、イランの管轄下での別個のプログラムの一部としてではなく、米国の指導下で行なわれるというものだった、とドビンズ特使は当時の事情を説明する。

「後にイランは、米国への意思表示としてこれを行なったと認めた」とドビンズ特使は語っている。

ワシントンに戻った特使は、アフガニスタンにおける新たなレベルでの協力の機会と捉えたことを政権中枢のメンバーに伝えた。当時のコリン・パウエル国務長官コンドリーザ・ライス大統領補佐官、そしてドナルド・ラムズフェルド国防長官に直接説明したという。特使は「私の知るかぎり、返答は一切なかった」と語っている。

(* ガレス・ポーターは歴史学者で、国家安全保障政策のアナリスト。最新の著書『Perils of Dominance: Imbalance of Power and the Road to War in Vietnam(優勢の危険:力の不均衡とベトナム戦争への道)』が2005年6月に刊行されている。)(原文へ

翻訳=IPS Japan