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セネガル大統領、チャド独裁者の引渡しを迫られる

【米国IPS=ジム・ローブ】

人権擁護団体は11月25日、セネガルのアブドゥライ・ワッド大統領に対し、「アフリカのピノチェト」と呼ばれるチャド前大統領イサン・ハブレを直ちにベルギーへ引き渡すよう要求した。ハブレは1980年代、8年間に亘り政権を維持。その間の残虐行為によりベルギーで裁きを受けることになっている。 

ニューヨークを本拠とする人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)とチャド政治弾圧・犯罪犠牲者の会(Chadian Association of Victims of Political Repression and Crimes)は、セネガル控訴裁判所が今週、同裁判所にはベルギーの引渡し要求を審査する権限はないとの判断を下したことから、この要求を行ったもの(ベルギーは、4年前に起訴手続きを開始)。

 裁判傍聴のためダカールに来ていたHRW国際司法担当ディレクター、リード・ブロディー氏は「全ては、ベルギー司法当局とワッド大統領の決定に委ねられた。15年に亘り正義を要求してきたハブレの犠牲者は、ここで諦めはしない」と語った。 

ブロディー氏によれば、ワッド大統領は2001年以降、少なくとも2度に亘り、1990年の国外追放後セネガルに住んでいるハブレの引渡しを認める方向にあると語ったというが、同大統領は先週、アフリカ諸国リーダーに相談した上で決定すると発言している。 

セネガルでのハブレ裁判を要求し続けてきたアフリカ人権防衛会議(African Assembly for the Defense of Human Rights:本拠ダカール)のAlioune Tine氏、チャド政府弾圧・犯罪犠牲者の会のイスマエル・ハキム会長およびハブレ政権によるある拷問被害者も、ブロディー氏の引渡し要求に参加した。 

Tine氏は「イサン・ハブレをベルギーに送り公正な裁判が行えるかどうかは、ワッド大統領の約束履行、送還命令署名にかかっている」と語っている。 

その人道的犯罪によりチリの元独裁者アウグスト・ピノチェトと比較されるハブレは、1998年11月、スペインの逮捕礼状によりピノチェトが英国で逮捕された時から、チャドおよび国際人権団体の標的となった。 

ピノチェト(現在90歳)は送還を逃れたものの、チリ帰国後、一連の裁判にかけられている。偶然にも今週、海外個人口座に関わる脱税・旅券詐欺および1975年に行われた119人の拉致・殺人で起訴が確定し、ピノチェトはサンチャゴで拘束された(1973年、ピノチェトが指揮する軍事クーデターにより、国民選出によるアジェンデ大統領は殺害された)。 

ハブレ(63)も、1982年にクーデターで政権を奪取し、一党独裁の下Hadjerai、Zaghawaを始めとする少数民族の大規模弾圧および政治粛清を行ってきた。 

ピノチェト同様ハブレも、「リビアの南部進出を阻止するための防波堤になる」と考えた米国から大々的な支援を受けた。フランスもまた、重要な支援国であった。 

レーガン政権時代、米国は、当時国務長官であったアレクサンダー・ヘイグ氏によれば、「カダフィの鼻を明かすため、CIAの隠密軍事要員を派遣してハブレによる政権転覆を助けた」という。米政府はその後も、ハブレに対し年間数千万ドルの資金および軍事訓練・諜報支援を提供し続けた。 

その後ハブレは、イドリス・デビ現大統領により失脚させられた。デビ大統領も人道的犯罪で批判されたが、その規模はハブレの比ではない。 

HRWは、犠牲者の数は明らかでないとしているが、デビ大統領が設立した「司法省真実調査委員会」(Ministry of Justice truth commission)は、1992年発表の報告書で、4万人の政治粛清、20万件の拷問が確認されたと述べている。 

その多くは、秘密警察National Security Service(その数8,000人)によるものという。HRWは、秘密警察の活動を「消えることのない恐怖」と称している。 

ハブレ追放の直前、大統領護衛部隊は、首都ヌジャメの本部に拘留されていた政治犯300人強を殺害したという。 

残虐行為の犠牲者および活動グループは、政府の支援を受けることなく、1990年以降秘密裏に証拠・証言収集を行ってきた。2000年のピノチェト逮捕を期に、ハブレが住んでいたセネガルの法定に裁判開始を要請したが、最高裁は翌年、国内犯罪でないためセネガルでの裁判は不可能との判定を下した。 

犠牲者21人は、その時既に、重大な残虐行為に対しては犯罪が行われた場所に関係なく裁判を行うとする「国際犯罪法」を施行するベルギーで訴訟を起こしていたため、犠牲者グループは、ハブレのベルギー引渡しを要求していくこととした。 

ベルギー議会は、ブッシュ政権の圧力により2003年に同法を廃止したが、ハブレの裁判は、既に調査が開始されていたこと、犠牲者(原告)3人がベルギー国籍を有していることから継続が可能となった。 

調査判事は2002年にチャドに行き、証言聞き取り、刑務所/合同埋葬所の調査およびHRWが発見した秘密警察ファイルのコピーを行った。2002年11月には、裁判に消極的であったチャド政府も正式にハブレの免責要請を却下した。ベルギー法廷は、今年9月19日、遂にハブレの逮捕命令を発した。 

人権擁護団体の他にも、コフィ・アナン国連総長、ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官、アフリカ連合のアルファ・オウマー・コナレ委員長、マンフレッド・ノバク国連拷問特別調査官といった国際機関代表もハブレ引渡しを支持している。 

控訴裁判所決定により、ワッド大統領の出方に関心が高まっている。HRWは、ワッド大統領は、2001年および2003年に「外国における裁判が公平なものであれば、引渡し要求を前向きに検討する」と発言したと述べている。 

HRWはまた、地元人権団体の支援を得て、ハブレ時代に拷問・弾圧に積極的に関った政府要人41人の解任をデビ大統領に要求する運動を行っている。チャド政府は今夏、同グループ宛ての書簡の中で、解任に必要な法の改正、拷問犠牲者への賠償、記念施設の建造を行う旨約束した。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

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|アフリカ|政治|権力の座にしがみつくアフリカ諸国の大統領

鳥インフルエンザの欧州襲来で明らかになった、欧米のダブル・スタンダード

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール

西洋諸国の指導層は、「南」の人々よりも先進国の人々の命の方が重要だと言外に述べているようである。

米国のチャック・シューマー上院議員は、スイスの巨大製薬企業ロシュ社に対して、鳥インフルエンザのウィルス「H5N1」に効く唯一の既存の薬である「タミフルー(Tamiflu)」の特許権を放棄するよう圧力をかけた。この結果、ロシュ社は特許を放棄し、米国の4つのジェネリック薬(他の製薬メーカーが、特許期間が切れた後で製造する、同じ成分・同じ効果の薬のこと:IPSJ)製造企業に権利を譲り渡すことで10月20日までに合意した。

しかし、こうした事態は、東南アジアを鳥インフルエンザが襲っていた昨年はじめには現れず、欧州への拡散が深刻に懸念されるようになってから初めて起こったことであった。アジアでは、例えばタイで13名、ベトナムで43名がこの病気のために亡くなっている。

バンコクに拠点を置くNGO「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」のニコラ・ビュラード氏は、こうした欧米の反応は、単なるダブル・スタンダードだというのみならず、実にばかげていると憤る。

途上国においては、いかに健康問題が深刻であろうとも、寛大な措置が取られることはない。エイズでは年間300万人、結核で200万人、マラリアで100万人が亡くなっているが、ほとんどの人々は薬を買うことができない。例えば、世界貿易機関(WTO)に昨年加入したカンボジアは、自国の製薬企業を保護しようとする欧米のプレッシャーにより、エイズ用の安いジェネリック薬を利用する権利を奪われようとしている。

また、欧米諸国はかつて、「強制実施権(compulsory licensing)」と呼ばれる権利を頻繁に発動していた。これは、不測の事態が起こったときに、政府がある医薬品の特許を破棄して、地元企業にジェネリック薬を作らせることができる権利である。しかし、途上国はこうした特権を持ってはいない。

医薬品の製造をめぐる、世界のダブル・スタンダードについて報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

若い命を救うために性教育を

【バンコクIPS=マルワーン・マカンマーカー】

イスラム教が支配的なマレーシアで、性に関する話は気の弱い人にはできない。それも公衆の面前で、毎週テレビでとなるとなおさらだ。

それを敢えて実行しているのが、マレーシア人女性ラフィダ・アブドラとカルチニ・アリフィンである。これは抵抗であると同時に、教育であり、若者の命をHIVから守る計画でもある。5年間に亘り週1回の娯楽報道番組に出演する2人は、若者にとって重要な問題を提起し、意識を高める活動を行う20代の女性チームの一員である。

話題の中心は安全な性行為、致死的性病であるHIV/エイズの予防法である。

 「若者は大人から説教されるより、同年代(Peer)の意見を聞くもの。安全な性行為、HIVについても同じ」と番組進行役のラフィダは言う。彼女が最初にエイズの大流行を学んだのは、クアラルンプールの学校展示だった。それは11歳のときだったが、その後エイズは80年代を通じて東南アジアに蔓延した。タイでは死亡者数が数千人に達し、もはや無菌状態の中学校の展示ホールにとどまる話ではなくなった。

この女性たちの活動は、世界でもっとも猛威をふるう殺人ウイルスとの闘いの焦点を示唆している。それは、エイズウイルスが餌食とする若者である。

UNICEF(国連児童基金)のアジア太平洋事務所長アヌパマ・ラオ・シン氏は「東アジア、太平洋地域ではHIV/エイズの主役は若者になりつつある。子どもが亡くなっているというだけでなく、子どもの生活に無数の影響が出ている」と言う。同氏は「子どもはエイズ被害の矢面に立つにもかかわらず、無視されつづけてきた」と訴え、UNICEFと国連合同エイズ計画(UNAIDS)は「子どもをエイズ対策の中心に据える」新しい世界キャンペーンを立ち上げた。

このような懸念の原因となっているのは、タイの現状である。タイはつい最近まで、広範に及ぶ先駆的な公衆衛生活動でエイズの封じ込めに成功した手本として称えられていた。90年代よりエイズ撲滅に携わってきたジョン・アンファコーン上院議員は「最近、幼い子どもの間にHIV/エイズ感染が増加している。タイは自己満足に陥っていた」と言う。

同議員は、弱い立場の子どもを救うために必要な対策は「倫理教育ではなく、質のよい性教育」であり、さらに予防、治療、支援を提供する政策だと考えている。「子ども達に優先順位を与えることはこれまで一度もなかった」と言う。

UNICEFとUNAIDSが10月25日に発表した『東アジア:子どもとHIV/エイズ』によると、タイで麻薬を注射する若者の多くは、いまだにエイズ感染を防ぐことができず、性交渉で常にコンドームを使用する若者は2割から3割に過ぎない。タイでは毎年2万8,000人が新しくエイズに感染し、その5割から6割を24歳以下の若者と子どもが占める。また、若年感染者の7割が15歳から24歳の少女と女性である。

2004年の成人、子どもを含むエイズウイルス感染者は820万人、そのうちアジア太平洋地域の子どもの感染者は12万700人であった。両機関が危惧するのは、この3分の1に当たる4万6,900人が2004年に新しく感染したことだ。

15歳以下の年間死亡者数も懸念材料である。世界中で同年にエイズで亡くなった子どもは51万人だが、東アジア、太平洋地域では9,100人、南アジアでは3万0,300人だった。『子ども-忘れられたエイズの主役』と題する国連報告書は、「南アジア、東アジア地域の15歳以下の患者数、死亡者数は、サハラ以南のアフリカ地域に次いで多い」と伝えている。

東アジアでは、タイに加えて中国、マレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピン、カンボジア、ラオスで子どもの感染が増えている。UNICEFは、これらの国の子どもはエイズウイルスの感染経路、予防法をほとんど知らず、「中国の地方の学生を調査したところ、半数が運動をすることでHIVを予防できると信じている」と報告する。

危険な性行為は子どものエイズ感染経路であるが、それ以前にも殺人ウイルスは子どもの生活を2つの方法で根本から蝕む。1つはエイズ孤児の問題、もう1つは出産、新生児期の母子感染の問題である。両国連機関はアジア、太平洋地域でエイズにより両親を亡くした孤児は150万人。母子感染により抗エイズ薬が必要な感染児童は3万4,500人と報告している。これ以上死者を増やさないためには、この地域の子どもを蚊帳の外におかず、「必要な情報とスキルを提供」する啓蒙が必要である。

UNICEFのシン氏自身、若者を今回の生存をかけた戦いの中心に据えるには、ラフィダのような若者が築いた活動の他にはないと考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

ベネズエラ、米国の福音派を追放

【カラカスIPS=ウンベルト・マルケス】

ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、ベネズエラ南部のコロンビアとブラジルの国境近くに住む先住民に1946年から布教活動を続けている福音派教会「ニュー・トライブ・ミッション」を追放すると全国放送の演説で宣言した。「帝国主義を広め、戦略的機密を収集し、先住民を搾取するものはベネズエラから退去させる。国際的な反応はどうでもよい」と大統領はいう。

ニュー・トライブという組織は、聖書を先住民の言葉に翻訳することを目的としている米国の「サマー言語学研究所(Summer Institute of Linguistics)」と密接な関係を持ち、アジアや中南米で活動している。1970年代から、ニュー・トライブは多国籍企業のための鉱物探鉱、先住民への強制的な改宗と文化の押し付けをするとして、左派の政治団体、環境保護主義者、先住民の組織、研究者、カトリック協会、軍隊から批判を受けていた。

ニュー・トライブ・ミッションによるアマゾンのジャングルでの活動を20年前に報告した、社会学者で環境問題専門家のアレクサンドル・ルザルド氏は、今回の大統領の決断を歓迎している。「決断は1999年の憲法改正時に制定された先住民の民族自決主義、信仰、価値観、慣習の尊重を定めた条項に適っている」とIPSの取材に応じて語った。

ニュー・トライブの活動が最盛期だった20年前には、米国から来るニュー・トライブの宣教師は200人近くいた。宣教師たちはウラニウムが豊富なベネズエラ最南部のアマゾナス州に集まり、先住民の素朴な家屋と対照的な、発電所、滑走路など近代的施設を建築した。そしてその頃にも、ニュー・トライブは、SILに資金援助するジェネラル・ダイナミクス社(防衛産業の一企業)やフォード社などの企業による地質調査と鉱物試掘の隠れ蓑として活動しているという非難が起きていた。

ニュー・トライブはベネズエラ福音派委員会に所属しており、政府の宗教的迫害を訴える可能性がある。また、この2年間にわたってベネズエラと政治外交問題で対決している米国の組織でもある。さらには米国の福音派宣教師が8月にテレビでチャベス大統領の暗殺を呼びかけ、先週は大統領がアルカイダに資金提供していると非難した。

一方、ルザルド氏は、チャベス大統領の方針は正しいとしつつも、このチャベス大統領に対する先住民の抗議行動も展開されていると付け加えた。この先住民たちは、自分たちの土地に大統領がベネズエラとブラジルとの合弁事業で炭鉱の開鉱を許可したことに反対しているのである。

ベネズエラからの福音派の追放について報告する。(原文へ

翻訳=IPS Japan

カトリーナ後のヒスパニック系:雇われたり、追放されたり?

【ニューヨークIPS=キャサリン・スタップ】
 
米国土安全保障省は、ハリケーン「カトリーナ」によって家を追われた移民が政府の支援を受けようとする場合に、国外追放に処されることはないとの確証を与えることを拒否した。一方で同省は、不法滞在者を就労させたメキシコ湾岸地域の雇用主に対する制裁を一時的に停止するとの方針を打ち出している。

巨大な再開発計画がメキシコ湾岸の米南部諸州で動き始めているが、建設会社は、市街の洗浄作業と建築のために大量の労働者を雇っているといわれている。そして彼らの多くは、住民票を持たない日雇い労働者である。

 しかし、不法滞在中の被災者は、そうした恩恵に浴することができない。当局はすでに、テキサス州のエルパソにある避難所に向かっていた3人の移民を逮捕し、湾岸地域からヴァージニア州にバスで避難途中の2人も逮捕された。
 
 ワシントンにあるヒスパニック/ラテン系の権利向上団体、「全米ヒスパニック系人種評議会(National Council of La Raza、以下NCR)」のジャネット・マーグイア会長は、声明の中で、「ホワイトハウスは人々に表に出てくるよう促しているが、国土安全保障省(DHS)は[不法滞在者の]逮捕方針を崩していない。われわれはこの状況を懸念している」と述べた。「このために、カトリーナによってすでに生じている公衆衛生や安全上の大きな危機がさらに悪化することも考えられる」とマーグイア氏は言う。

DHSは、英語とスペイン語の両方で今月初めに発表された声明の中で、不法滞在の移民も含め、ハリケーン「カトリーナ」の全ての被災者に対して、援助を受けるよう促している。メキシコのヴィセンテ・フォックス大統領も、テレビ中継を通じて、「不法滞在者であっても何らの圧力をかけられることもないし、起訴されることもない」との米当局からの約束があったと述べた。

しかしながら、関係者がIPSに語ったところによると、「不法滞在の避難民に対して米市民と同じ処遇をするよう政府に求めたNCRやその他の団体による公開アピール文の発表から1週間以上たっても、DHSは、移民に関する情報を法執行機関が開示することはないとの公的な確約を与えることを拒絶し続けている」という。

逮捕された3人(そのうち誰にも前科はない)は、エルパソの集会場に身を寄せようとしているところであった。彼らは、2人はグァテマラ出身、1人はフィリピン出身。裁判所に出頭することを条件に釈放された。そこで国外追放処分に処されるかどうか裁判官が判断を下すことになる。

18名の下院議員に加え、各関係団体は、政府に対して、被災した不法滞在移民に「一時的な保護地位」を与えるよう求めている。合計数は把握されていないが、約30万人のヒスパニック系がメキシコ湾岸地域に住んでいたと見られている。

NCRのセシリア・ミュノス副会長(政策担当)は、「DHSは、市民情報の保護を一貫して拒んできた。だから、危険は現実のものであり続けると思う」とIPSの取材に応じて語った。「支援を拡大しようとするに際して、本当のジレンマに直面することになる」「民間の支援団体の中には、どうすればよいかわからず混乱が広がっているところもあるし(合法的な移民かどうかを[当局に]報告したり、移民自身にそれを尋ねたりすることに関して)、多くの支援者は2ヶ国語を話すことができない」とミュノス氏は言う。

NCRおよびその他の団体は、9月21日付でDHSのマイケル・チャートフ長官に書簡を送付した。その中で、DHSの現在の措置は、援助が行なわれている最中には法執行を一時停止するという過去の政策からは「著しく離脱している」と指摘されている。過去の事例には、昨年フロリダを襲ったいくつかのハリケーンや、2001年9月11日のニューヨーク、ワシントンDCにおけるテロなどが含まれている。

ミュノス氏はさらに言う。「こういう逮捕には間違いなく萎縮効果がある」「被害を受けた地域で活動しているグループからは、人々がなかなか表に出てこないとの報告を受けている。ある避難所にいたある男性は、もし表に出てきたら[強制送還のため]飛行機に乗せられると聞いた、と言っている」。

不法滞在者は、自分の家に残されたものや自分の持ち物を回収することもできずにいると言われている。というのも、合法的な居住者であると証明できた者のみ、被災地域の所有地への立ち入りが許されているからだ。

テキサス州・ヒューストンの「メキシコ系アメリカ人権利向上協会」でアデランテ・プログラムのリーダーを務めるフアン・エスキヴェルは言う。「私たちは、家を追われた人々の居場所を把握しようと努力してきた」「見つかった人たちもいる。しかし隠れようとしている人たちもいる。人々は、送還されることを恐れており、政府の支援を求めるのではなく、他の地域に住む親戚縁者の下に身を寄せようとして必死だ」「彼らは、例えば、配布されている2000ドル相当のデビットカードのような支援策の多くを利用していない。ほとんどのヒスパニックはこのカードを請求していないだろう」。

ホンジュラス大使館では、ホンジュラスからの4万人にも及ぶ移民がカトリーナのために家を追われたのではないかと推測している。メキシコ当局でもほぼ同じ数のメキシコ人がルイジアナに住んでいたと考えている。そしてそのほとんどが、カトリーナによって最も甚大な被害を受けたニューオーリンズに住んでいた。

一方、報道によれば、滞在許可証を持たないメキシコ・中米の労働者が、被害地域再建のためにルイジアナ南東部にすでに到着している。

米下院は、支援策の一部として620億ドルを拠出することをいち早く決定している。また、ルイジアナ州当局は、復興のための連邦支援として2500億ドルが必要だと主張している。

これは、建設業界にとっては大きな追い風となる。そしてこの業界こそが、ラテン・アメリカからの移民を大量に雇っている主要な雇用主の一つなのである。米国における滞在許可証を持たないラテン系の推定1200万人のうち、少なくとも17%が建設業に従事しており、その多くが米南部にいる。

ジョージ・ブッシュ大統領は、カトリーナ襲来のほぼ直後に、ルイジアナ・ミシシッピーの一部・アラバマ・フロリダにおいて、「相場賃金(prevailing wages)」の支払いを公共事業の請負業者に義務付ける連邦法を一時停止すると発表した(「相場賃金」とは、連邦や州の行なう公共事業に関して、その事業の行なわれる地域における一般的・平均的な賃金を下回らないレベルで設定されたの賃金のこと:IPSJ)。また、DHSは、正式な労働許可証を持たない労働者を雇用した業者に対する制裁を免除することを決めた。

ラテン系の人々が大災害からの復興において大きな役割を果たしたのは今回が初めてではない。9・11テロ後にペンタゴンを再建した労働者の約4割はラテン系であった。また、数百名のラテン系労働者(そのほとんどが労働許可証を持たない)が、ニューヨークのツイン・タワー倒壊後、ロウワー・マンハッタンの瓦礫除去作業を行なったのである。

しかし、ほとんどの労働者が、アスベスト、重金属、ガレキを覆う毒性・可燃性のある副産物から身を守るための防護用装備を与えられていなかった。ニューオーリンズでは、汚染された油や化学物質、その他の汚染物質が洪水と共に流れ込んでおり、市街の洗浄・再建作業に従事する労働者は、同様に毒まみれになる可能性がある。

エスキヴァル氏は、IPSの取材に応じてこう語った。「これまでにも増して私たちが懸念しているのは、街の再建が始まった今、建設業者が、滞在許可証を持っている人も持っていない人も含めて多くのヒスパニック系を雇うだろうということであり、彼らが望ましくない労働条件で働かされるだろうということだ」「私たちは、この状況をしっかりとチェックして、彼らの人権が守られるようにしなくてはならない。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

複数政党制選挙に少なくとも一歩前進

【カイロIPS=アダム・モロー】

複数候補者による初のエジプト大統領選挙から2週間、人々は選挙が長期的な政治情勢に及ぼす影響を理解しようと躍起になっている。

予想通り、現職のムバラク大統領が圧勝を収めた。ムバラク大統領の当選が疑われたことはないと大半の識者が強調する一方で、例外があちこちに見られたものの、与党国民民主党(NDP)有利に不正操作が行われてきたこれまでの選挙に比べ、遥かに公正な形で選挙が実施された事実も指摘されている。

ニューヨークに本部を置く政治コンサルタント会社ユーラシア・グループの中東アナリスト、サイモン・キッチン氏は「とりわけ今後も選挙の透明性拡大に向けた動向が続けば、今回の選挙は前進の一歩」と評価している。

 NDPのムバラク大統領は、得票率88.5%の圧倒的多数で勝利した。

対立候補は計9名で、ムバラク大統領に次ぐ得票率は、注目のアルガド(明日)党のアイマン・ヌール党首が7.3%で、伝統ある政党、新ワフド党のヌーマン・グムア党首は、党の名声にも関わらず、3%弱に終わった。

複数候補による直接選挙は、今年初めの憲法改正によって実現されたものである。これまでの選挙は、議会が選出した単独候補に国民投票で賛否を問う形で行われていた。

評論家は、改正は充分ではないとし、合法政党しか候補者を擁立できず、最低250人の署名を取り付けなくてはならないという厳しい立候補者要件を批判している。

こうした手続きは、少なくとも有力政党2党を締め出すに充分であった。野党のナセリスト党と左派タガンム党が抗議して、候補者擁立を拒否したのである。

また、エジプト最大のイスラム政治組織であるムスリム同胞団は、非合法化されたまま候補者を擁立できず、エジプトのもっとも手強い野党陣営も無力化されてしまった。

投票率は、政府が9月7日の投票日最後まで国民に投票を呼びかけたにもかかわらず、わずか23%にとどまった。これは期待を大きく下回るものであった 
が、それでも、通常15%にも達していなかった過去の国民投票より高い数字であった。

ヌール、グムア両者は、選挙後、不正行為の申し立てを行った。「結果は現実とまったくかけ離れたものである」と、英字週刊誌『カイロ』は、ヌール候補の言として報じた。

だが、明らかな候補者に対する制約や不正行為の申し立てがあったとはいえ、選挙制度は過去に比べれば遥かに公正になった、というのが多くのエジプト人の見方である。エジプト人権機構(EOHR)は、ムバラク大統領が得た単発的な不正による得票は選挙結果に影響を与えるほど多くはなかった、との報告を明らかにしている。

「これまでよりは遥かに公正な選挙が行われたことは断言できる。以前のような組織立った脅迫もなかった。透明性に関して言えば、成績は『優』とは言えないまでも『良』」と、EPHRのハフェズ・アブ・サーダ会長はIPSの取材に応えて語った。

他方エジプト国民は、現職以外の候補者に勝ち目はないと、冷めた見方が大勢を占めた。候補者側も国民に自らの考えを訴えるのに3週間しか与えられなかった。

地元の法律事務所のシニアパートナー、アムル・アブデル・モタール氏は投票に行かなかった。「あのような必要条件が課せられれば、唯一当選可能なのはムバラクしかいない。他の候補に当選の可能性はまったくない」と述べた。

多くの人が、複数候補による選挙という概念が浸透するまでに5年ある2011年の次期大統領選を見据えている。

しかし、完全に公正かつ透明な選挙が実現されるまでには、大規模な改革が必要だ。

「NDPは依然として構造的に俄然優位な立場にある」と、キッチン氏は、与党の豊富な選挙資金源、広範に及ぶ党支部網、そして司法制度や報道機関への影響力を列挙して指摘する。「こうした優位が最終的に解消されないかぎり、信頼できる野党候補の擁立は不可能なままに終わるだろう」。

 アブ・サーダEOHR会長も、2011年に完全に公正な選挙を実現するためには、憲法のさらなる修正が必要と、同意見である。「第76条(複数政党制選挙の規則を定める憲法条項)にまだ重大な問題がある」と述べ、真の競争を阻害する現行の規定として、250人の署名要件と、合法政党の党員しか立候補できない規定を例に挙げた。

アブデル・モタール氏は、「2011年はまだまだ先の話。まったく仮想の質問をするというのも難しい」とし、今後5年間、地域や国際的な外圧が現在の改革に向けた政治動向をおそらく左右することになるだろうと語った。(原文へ


 
翻訳=IPS Japan

村民、政府の平和合意を待望

【タンセンIPS=マーティ・ローガン】
 
パルパ西部の村民は、毛沢東派共産ゲリラが9月3日に発した停戦宣言以来、同共産反乱軍と政府軍の銃撃、深夜に一軒、一軒民家のドアを叩いて行われる反乱軍による徴兵、旅行者に対する資金の強要はなくなり、生活は以前より改善されたと言う。

しかし、彼らは、「政府も停戦に合意すれば、なお良くなるだろう」と付け加えるのを忘れない。このネパール西部の丘陵地帯の晩夏は、たとえ北のアンナプルナ山脈が遅いモンスーンの雲で霞んでいても、息を呑む程に美しい。エメラルド・グリーンの水田は、小さな谷に輝き、雲が切れると、灼熱の太陽が現れる。

ブディコット村に続く轍が刻まれたゴツゴツした道に、傘をさしてヤギや牛を追う村人を多く見かける。地元の学校では、校長のJagarnath Sharma氏が、大きく枝を張ったインド・イチジクの木陰に敷かれたゴザに座っている。

 校長は、「この地域は、反乱軍の主要ルートから外れているため、10年に亘る紛争に巻き込まれることはなかった。しかし、数ヶ月前、毛沢東派共産ゲリラに変装した5~6人の政府軍兵士が村に入ってきた時、ちょうど反対側から反乱兵2人が自転車に乗ってやってきた。銃撃戦の結果、反乱兵の1人が死亡し、もう1人は怪我をして逃げていった」と説明した。

また、「停戦宣言の後、この様なことは起こっていない。そうでなければ、大きな戦闘となっていただろう。皆、双方が武器を捨て、平和になることを願っている」と語った。

これまでにも、ホリデー・シーズン前になると停戦を要求する声が上がっていたため、停戦(宣言)は予想されないことではなかった。しかし、関係者は、今回の特徴は、反乱軍がギャネンドゥラ国王の国連総会出席の数日前に発表を行った点にあると指摘している。

2月1日の無血クーデターにより政権を獲得した国王は、世界のリーダーを前に、ネパールのテロ戦争に対する継続的支援を要請すると見られていた。そのため、反乱軍は、政府が信頼できないとして受入を拒否した和平を宣言したのである。

それ以来、首都カトマンズでは連日政治デモが繰り広げられ、機動隊による厳しい鎮圧が行われた。催涙ガスは小学校に流れ込み、女性活動家は逮捕の際に屈辱を、学生リーダーは拷問を受けたという。

9月23日には、禁止区域でデモを行った80人のジャーナリストが逮捕された。また9月22日には、87人の学者、290人の活動家が、数時間後には釈放されたものの、収監されている。
 
 先週同国を訪れた国連専門家は、「ネパール刑務所では、組織的拷問が行われている」との報告を行っている。国連の拷問特別調査官マシュー・ノバック氏は、「警察、軍担当者は、拷問は、特定の場合には認められるもので、実際、組織的に行われていると語った」と語った。

同氏は、記者会見において、「政治犯は、柱に逆さに括り付けられ、竹竿で叩かれる、長時間目隠しされ手錠をかけられるなどされてきた。毛沢東主義者(反乱軍)もお金を強要するため、また協力を拒む者に対し拷問を行ってきた」と語った。

パルパと観光地ポカラの間の鬱蒼たる林をくねくねと走る細い高速道路で、ジープの運転手をしているTシャツ姿の若いドライバーは、毛沢東主義者や警察、兵士が旅客車輌に停止命令を出している」と語った。

また、「一般に、反乱軍は、任務についている時は礼儀正しく、料金は払うし、特別な扱いは要求しない。兵士については、自分は脅かされたことはないが、運転手の中には毛沢東主義者を乗せたといって、殴られた者もいる。停戦宣言後も、反乱兵士は、ジープやバスの運転手に“献金”を要求しているが、自分は払ったことはない」と語っている。

市民団体代表は、一方的な停戦宣言の違反を追跡するため、監視委員会を設立した。既に地元メディアは、9月3日以来の事件を報道。「遠隔地では、反乱軍の行動に何の変化もない」としている。

パルパの村々で活動しているNGOは、女性、Dalitと呼ばれる所謂被差別階層、原住民に対し公正な扱いをする社会を設立するために戦っているのだと主張する反乱軍に監視されている。

市民を中心とする約13,000人が、激しさを増す国内紛争で死亡。インドと中国にはさまれたこの小国の3/4で市民生活は混乱に曝されている。

ブディコットから、林を迂回する細い道を下り小さなとうもろこし畑を越えて20分の所にあるChandraban Ratmata村のある家に数人が集まっていた。あるNGOメンバーは、「以前は、問題が多かったが、今は何処へでも行けるから安心だ。」と語った。

彼女は、今年初め、訓練集会に参加するため東パルパに行った。同じ学校で開かれた別の集会に、約5,000人の毛沢東主義者が集まっており、NGOの集会について、何故それをするのか、何の利益があるのか、誰が資金を提供しているのかとうるさく質問され、やっと会場に行くことを許されたという。

パルパの首都タンセンにある地元赤十字のBaburam Karki氏は、IPSの質問に答え、「人々は皆満足している。安全に場所の移動ができると感じている。停戦前は、生活が悪くなるばかりだった。市民全体の生活に悪影響を及ぼしていた」と語った。

しかし、Yog Prasad Bhattarai氏は、反乱軍の銃撃が一時的に収まっても、明るい未来が来るとは信じていない。乾物屋を営む同氏は、高速道路から数メートル離れた店の丸イスに腰掛け、「停戦発表後も仕事はさっぱりだ。電話も通じない」と語った。(政府軍が、国王の政権奪回を優位に運ぼうと、2月1日に全国の電話線を切ってしまったのだ。)

彼と近所の人々は、地区代表として、地方政府、軍など多くの機関に掛け合いに行ったが、皆口を揃えて4~5日で開通すると答えたものの、何の変化もない」と言う。

地元銀行は、村を去ってしまい、警察も移動してしまった。Bhattarai氏は、「平和が回復されなければ、次は自分が去る番だ」と言う。しかし、28年間店を経営していた彼は、何処へ行けば良いのか。農業をしに畑へ帰るのか。彼は“何処か別の所”というように肩をすくめた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

世界保健機構がインド製のHIV治療薬を承認する

【ジュネーブIPS=グスタボ・カプデビラ】
 
インドのRanbaxy Laboratoriesが製造している7種のノーブランドの抗レトロウイルス薬(ARV)が世界保健機構(WHO)の承認薬として認定された。WHOは声明で、「今回の新たな承認は低所得国において安価で上質なエイズ治療薬を入手可能にしようとする取り組みに拍車をかけるものとなる」と述べた。

同じくインドのAurobindo Pharmaが製造している3種の抗レトロウイルス薬もWHOの承認薬として認定された。Aurobindo Pharma社もRanbaxy社と同様にノーブランドの抗レトロウイルス薬(ARV)を製造している。

 欧米の大手製薬会社は、自社が特許を持つ薬のコピーを低コストで生産したノーブランドのコピー薬(「後発医薬品」または「ジェネリック医薬品」という)は効果が信頼できないとするキャンペーンを行ってきた。これに対し、エイズ撲滅運動に参加している非政府組織(NGO)は大手製薬会社のキャンペーンを糾弾していた。大手製薬会社はこのキャンペーンによって、インドやブラジルなどの発展途上国で製造されたコピー薬は品質が劣っている、あるいはむしろ危険だという悪評を世界中に広めようとしていると、エイズ撲滅の活動家やコピー薬のARVを製造する会社はみている。

世界貿易機関(WTO)設立協定の附属書1Cである知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)では、エイズ蔓延のような公衆衛生の非常事態が生じた場合に発展途上国は製薬会社に特許の強制実施許諾を与えて特許料を支払わないコピー薬の製造を許可してよいとしている。

WHOの女性広報官であるDaniela Bagozzi氏は「Ranbaxy社が製造したコピー薬、その他WHOに承認されたコピー薬は100%安全である」と強調し、それらの薬の使用に対して慎重になるべき根拠はもはやないと語り、WHOは良質なエイズ治療薬を手に入れる権利が富裕国に住んでいる人だけにあると考えていないと強調した。
 
 WHOが1年前に行った事前審査ではRanbaxy社のコピー薬のうちの三種は特許を持つオリジナルの医薬品と同等の効果があることが証明されなかったとされ、この三種のコピー薬はWHOが承認する薬のリストからはずされていた。これを受けてインドの主要な製薬会社であるRanbaxy社は11月に、同社が製造しているARVのコピー薬すべてをWHOの承認薬から外すことにしていた。

ARV薬はエイズの症状の進行を遅らせることで、エイズ患者の寿命を伸ばすことができる。抗レトロウイルス薬(ARV)は、レトロウイルスであるHIVを攻撃することからこの名がつけられている。

WHOによると、昨年Ranbaxy社の薬がWHOの承認薬リストからはずされたのは、同社が生物学的等価試験を依頼した研究所を監査したところ、研究所の検査方法がWHOによって要求される国際基準に適合しないことが明らかになったからである。この生物学的等価試験は、コピー薬と特許を持つオリジナルの薬との生物学的等価性を確認するために行われる。

しかしWHOは19日、「Ranbaxy社は別の研究所にあらためて生物学的等価試験を委託し、その後でWHOはその研究所の徹底した監査を行い、薬の品質、安全性、効果についてもあらゆるチェックを行ったが、研究所も薬もすべて満足のいくものであると分かった」と述べた。

WHOは2001年に、品質・安全性・効果に関する統一基準に適合したエイズ、マラリア、結核の薬が手に入りやすくすることを目的として、薬の事前審査プロジェクトを立ち上げた。コピー薬はこの事前審査で一度承認されても3年後に、必要であればそれよりも早く、再び審査を受けることが定められている。医薬品に関する事前審査に関して、100カ国以上の医薬品監督機関から構成されているInternational Conference of Drug Regulatory Authorities(ICDRA)は、2001年と2004年にこの制度を継続すべきだとWHOに正式に勧告している。

サハラ以南のアフリカ諸国では、平均して人口の7.4%がHIV感染者となっており、エイズは主要な死亡要因となっている。世界全体では3900万人が2004年末時点でHIVに感染しており、51万人の子供を含む310万人が2004年にエイズのため死亡している。

中・低所得国に居住する650万人の人々が抗レトロウイルス薬を必要としているとWHOは見積もっており、インドで製造された10種のARVのコピー薬が承認されたことは、現行のエイズ対策と治療薬の調達計画に大きな恩恵となると考えられる。この承認によって「薬を管理し監視する能力に乏しい国で使用できる良質なARV薬の種類を増やし、エイズに苦しむ国でARV薬が手に入りやすくなる。」とBagozzi氏は語る。

WHOに承認されたRanbaxy社の薬は、Lamivudine、Lamivudine/Stavudine、Zidovudine、Lamivudine/Stavudine/Nevirapineを組み合わせた7種の複合薬である。Aurobindo社が製造する薬は、LamivudineとZidovudineの錠剤である。

Ranbaxy社は「今回の画期的な展開によってARV薬の供給が進み、発展途上国でも安価なARVのコピー薬が手に入れやすくなり、エイズ治療は急速に進展するだろう」とニューデリー近くのグルガオンにある本社でコメントを発表した。Ranbaxy社のCEOであるブライアン・テンペスト氏は、自社の薬がWHOの承認薬として認められ、さらに先立ってUSFDA(米国食品医薬品局)にも承認されたことについて、「エイズ患者は国の助成制度に関わりなく確実に良質なARVのコピー薬を使用できるようになるだろう」と語った。(原文へ
 
翻訳=IPS Japan

|ケニア|取り残された大地と虐殺事件の余波

【ナイロビIPS=ダレン・テイラー】

彼は自分を、世間知らず(特に「女性と神のなせる業」について無知な)老人だという。しかし、このしわくちゃのボラナ族長老フカ・カンチョロは、ケニア北部マルサビット(Marsabit)地域では有力者である。何故かといえば、彼は、日照りと飢饉が続く過酷な砂漠地帯にある唯一の水源を中心とする直径60kmに及ぶ地域を支配しているからである。

老人は、昔を懐かしむように、「何年も前に、この両手でこれ(=水源)を掘ったんだ」と語る。この井戸は、サク山(緑の山の意:IPSJ)にあり、最近まで、同地域に住むレンディレ、ボラナ、ガブラ、トゥルカナ族といった様々な部族の集会地となっていた。

Huka Kanchoro, at his waterhole in Marsabit district. Credit: Darren Taylor
Huka Kanchoro, at his waterhole in Marsabit district. Credit: Darren Taylor

しかし、状況は変わった。

カンチョロ老人は、「皆に水を分けてやれるのは嬉しい。しかし、今ここにいるのはボラナ族だけになってしまった。他の者、特に我々の兄弟であるガブラ族はいなくなってしまった。トゥルビ村虐殺事件のせいで、ここに住む者は皆怯えている」と言う。

7月12日、約100人のガブラ族(殆どが女性と子供であった)が、マルサビットのトゥルビ居住区でボラナ族により殺害されるという事件が起こった。同事件は、ケニアが英国から独立した1963年以来最悪の部族間抗争といわれている。しかし、カンチョロ老人は、過去にも数百人の人々があたかもヤギを屠殺するかのごとく惨たらしく殺された事件を数多く憶えている。

トゥルビ事件の生存者は、「カラシニコフ銃、手榴弾、斧、槍などで武装したボラナ族の数百人の男たちが、ガブラ族の村人をできるだけ多く虐殺する意図を持って村に侵入し、手当たり次第に村人を殺害していった」と語っている。

トゥルビ村の生存者であるジロ.マモは、「村を襲ったボラナ族の男たちは互いに『ガブラの犬畜生を殺せ』と口々に叫んでいるのを聞いた」と証言している。もう一人の生存者フセイン・オダアは、どもりながら「ボラナ族は、我々の牧草地と僅かな水場を奪おうと襲撃したのだ。この土地が彼らの土地よりも肥沃だから、我々を追い出そうとしたのだ」と説明した。

皮肉なことに、ガブラ族とボラナ族は、当地の乏しい資源を巡る他部族との闘争で、昔からしばしば同盟関係を結んできた仲である。また両部族は、同じ文化(エチオピア国境に住むオロモ族の文化)を共有し、同じ言語を話している。

モハメッド・アブディは、マルサビットの近くの萎びた野原で草を食む自慢の牛の群れの中に立ち、「ボラナ族とガブラ族の唯一の違いといえば、ボラナ族が家畜を好むのに対し、ガブラ族がラクダを好むといった点くらいである」と言う。しかし、トゥルビ村の虐殺事件は、このような両部族の長年にわたる信頼関係に深刻な亀裂を生んだ。

今日、サク山の井戸(カンチョロ老人のボラナ族の村)では、村人は明らかに(ガブラ族の報復を恐れて)怯えて暮らしている。女性達は小グループを作り、見知らぬ者が近づくと、警戒の目を走らせる。皆、小声で話し合い村人の表情から笑顔は消えうせている。

村人のアダン・フリは、「ここはボラナ族の村ですから、ガブラ族がこころ標的にして復讐するのではないか心配です。我々ここの村人は、ガブラ族の人々に対しては、トゥルビ村でおこったことについて心から同情しています。その虐殺事件が本当にボラナ族の者たちによってなされたものであるとしたら本当に恥ずべきことだと思います。しかし我々は、ボラナ族全員が、あの様な恐ろしいことをしたのではないということをガブラ族の人々には知って欲しいのです」と語った。

このようなサク山住人の心配には根拠がある。トゥルビ村の虐殺に関するニュースが広まるにつれ、激怒したガブラ族の一部暴徒達が、カソリック神父が運転する車からボラナ族10人を引きずり降し、斧でめった切りにするという事件が実際に起こっているからである。

トゥルビ村虐殺事件の真相については、同村を含む地区選出の国会議員であるボヤナ・ゴダナ氏の様に、事件はエチオピアから侵入したオロモ解放戦線(Oromo Liberation Front:OLF)の仕業という者もいる。

ゴダナ氏は、その点に関して「トゥルビ村の襲撃には高度な武器が使用され、あたかも軍事作戦かのような緻密な計画に基づき組織的に実行されたふしがある。とても放牧に勤しむ少数の(一般のボラナ族の)者達にできる仕業とは思えない。しかもOLFが、ガブラ族が彼らの戦いに参加する意思がないと怒っていたのは、周知のことだ」と語った。

OLFは1993年、エチオピア南部に住むオロモ族の自治独立を目指し、エチオピア政府に対するゲリラ戦を開始した。ガブラ、ボラナ族の一部も、ケニア北部国境を越え、同戦いに参加している。

ケニアの部族を研究している民俗学者P.ゴールドスミス氏は、ゴダナ氏の主張を裏付ける確たる証拠はないが、あながち否定もできないとしている。同氏は、「事件に先立ち、ケニア国内のガブラ族は、エチオピア政府を支持しているとの批判があった。これが、OLF親派のボラナ族によるガブラ居住区襲撃を引き起こし、ガブラ族はそれに同様の報復で応じた。そしてそれがトゥルビ村の虐殺へと繋がっていった」と語っている。
 
 ケニア北部のOLF支援者と名乗るディマ・グヨは、「OLFに加入しているボラナ族は少なくない。ここはケニア領だが彼らは自分たちをケニア人と思っていない。なぜならボラナ族は血縁的にオモロ族と関係があるため、ここの人々は、ナイロビで何が起こっているかより、(オモロ族の自治・独立を目指す)OLFにより関心がある」と語った。

しかしケニア政府スポークスマンのアルフレッド・ムトゥア氏は、この考えを否定している。「これはケニア国内の問題であり、責任の所在を他所(=隣国エチオピア国内)に求めるべきではない」と語っている。

また、フィド・エッバOLF代表も、トゥルビ村虐殺にOLFが関与したとする説を否定している。同氏は、IPSのインタービューに応じ、「OLFはトゥルビ村虐殺事件には一切関係ない。我々の戦いは、残忍なゼナウィ政権(エチオピアのマンレス・ゼナウィ首相:IPSJ)と彼の秘密警察に対するもので、ガブラ族であろうとなかろうと、ケニア国内の如何なる部族も攻撃対象にしていない」と語った。

同氏はまた、OLFがケニア国内で兵士を募っている事実はないとして、「OLFの戦いは、エチオピア国内の戦いである。ケニア国内のオモロ族は我々の兄弟ではあるが、我々はケニアの統治権を尊重し、ケニアを我々の戦いに引きずり込む考えはない」と語った。

これらとは別に、トゥルビ村虐殺事件の真の原因は、ケニア北部の開発の遅れにあるとの見方もある。独立後、ケニア政府は、植民地支配の影響から脱する努力を行ってきたが、北部は完全に無視してきた。

マルサビットの病院は、数十万の患者に医師一人という状態である。電話も電気も殆どなく、道路はそれらしきものがあるところでもひどい状態である。その結果、住民は、他の地方と隔絶されている感じている。地元住民は、この北部地域を訪れる者に対し、「ケニアはどうですか?」とよく質問するが、これ自体、(ケニア政府が重視してきた)中央・南部地域と(取り残された北部の間)の溝を表す際立った表れである。

マルサビットのペンテコスタ派牧師アビヅバ・アレロ氏は、「我々は、自国にいながら亡命者のように感じている」と語った。

グヨ氏(前述のケニア北部のOLF支援者)も、「政府は、この地域の生産性はゼロと考えている。従って、『国に貢献していない者達に、どうして政府が面倒をみないといけないのか』というのがケニア政府の言い分だ」と語った。

この北部地域の開発が無視されてきたように、民族間の緊張もケニア政府に無視されてきた。トゥルビ村虐殺事件を受けて、政府軍も遅ればせながら、装甲車や重装備の兵士によるパトロールを行っているが、(これは一時的なもので)彼らは常駐しはしない。

ケニア政府は、紛争地域に治安部隊を常駐させる代わりに、「ホーム・ガード」と呼ばれる地元民を警戒に当たらせているが、彼らには、原始的ともいえる武器しか与えられていないのが現状である。

ホーム・ガードのバラロ・ボイは、「我々には単発式のライフルしか支給されていない。これでカラシニコフ(AK-47s)を持った襲撃者とどの様に戦えというのか」と語った。

トゥルビ村虐殺事件の3週間前、ケニア北部地域の牧師及び議員が、ケニア政府に対し、民族間の緊張が高まっていると警告していた。しかし、その際もケニア政府は彼らの警告を無視した。

アレロ牧師は、「この無関心は、政府役人の同地域に対する無関心を表すもの。彼らは、キクユ族といった他部族出身者で、我々の生活習慣を理解できないのだ」と語っている。

2002年末に、モイ長期政権を倒し大統領に就任したM.キバキ氏は、今年初め、北部ケニアを訪問し、政策変更を約束した。ムバキ政権の道路・公共事業・住宅担当R. オディンガ大臣も、北部住人が最も必要としている国内他地域との連結を可能とするケニア中央のイシオロからエチオピア国境のモヤレまで500kmの道路をタール舗装する旨明らかにした。

しかし、キバキ大統領、オディンガ大臣の公約を信じる者は殆どいないのが現状である。ライサミス交易所のある村人は、「どうやって信じろというのだ。オディンガ大臣は飛行機に乗ってやって来た。たとえ短い距離でも、車で来たなら、我々の苦労がわかった筈だ。彼は話をしに来ただけで、帰った後何も起こってはいない、何もだ!」と語った。

砂地に積み重ねた木材を売っている別の商人は、「いいや、変わった物もあるよ。道路だよ。道路の状態は以前よりさらに悪くなった」と語った。(原文へ
 
翻訳=IPS Japan

インドに暮らすチベット難民の若者:チベット固有の純粋な文化は脅かされているのか

【ダラムサラIPS=ソニー・インバラジ】

チベットの仏画の絵筆を捨て、エレキギターを手に取って弟たちとロックバンドを組んだチベット難民のJamyang(27)。「チベットの若者に、『チベットを忘れないで』と、ランゼン(Rangzen:自決、独立、自由などとさまざまに訳されているチベットの新語で、チベットの反中国の抗議運動のスローガン)を訴えていきたい」と語る。

 1950年、中国は軍事力によってチベットを侵略、120万人以上の命が奪われた。国際人権監視機関によれば、中国支配への抵抗を抑圧しようと、中国は引き続き多数のチベット人に対し監禁、逮捕、投獄、拷問を行っている。こうした状況から逃れてきた難民10万人以上を受け入れているのが、インド北部の町ダラムサラ(ダライ・ラマが1960年チベット亡命政府を設立:IPSJ)である。

世界中の若者にアピールするロックという共通の言葉を使って、Jamyangのバンドの音楽は、正義、表現の自由、世界平和などチベット難民の多くの思いと呼応する。「僕たちはインドで自由だけれど、新聞やテレビを通じてチベットの現状も知っている」とインドで生まれ育ったJamyangは言う。「まずインドのラブソングを演奏して観客を引き付けてからチベットのランゼンのナンバーを歌う。そうすればみんながハッピー」と語る。

しかし彼とその弟は、インドの菓子、インド映画の俳優や歌、ヒップホップのバギージーンズ、茶髪などインドの生活に慣れ親しんだ新しい世代の難民だ。インドや西洋の慣習、価値観、美学がチベット難民の生活のあらゆる側面に深く浸透しており、チベット文化が「消滅」するのではないかと危惧する向きもある。

しかしTibetan Centre for Human Rightsの研究者T. Norgayは「ヒップホップカルチャーだから、と決めつけてはいけない。こうした若者の多くはまじめだ。新世代の中にはインドでの生活を最大限に活用しようと思っている者もいるが、彼らもチベットを忘れたわけではなく、自由になればすぐにでもチベットで暮らしたいとも思っている」と、インド生まれのチベット難民を否認しないよう警告する。

ロックやヒップホップあるいはインド映画のチベット人の若者への影響を回避することは無理かもしれないが、しかしチベット文化の保護に努める上で期待を寄せることのできるのは、中国占領下の暮らしを実体験として知っている新たに亡命して来た難民たちだ。チベット難民とチベット文化の問題を報告する。

翻訳=IPS Japan