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|視点|考えられることを考える(クンダ・ディキシットNepali Times社主)

2025年における2つの絡み合った世界的脅威:気候崩壊と核の大惨事

【カトマンズNepalitimes/INPS Japan=クンダ・ディキシット

国々が膨大な核兵器を蓄積しているにもかかわらず、支持者によれば、第二次世界大戦以降、抑止力が機能してきた理由の一つは、全面的な核戦争が「考えられないこと」とされてきたからだ。

Kunda Dixit
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しかし、ウクライナや中東における戦闘が終わる兆しが見えず、米国とロシアおよび中国が対立する新たな冷戦、そして不安定な性格の米国大統領の再登場により、202025年以降、核紛争が「考えられる現実」となりつつある。

ロシアはウクライナに対して核兵器の使用を繰り返し脅迫しており、11月には新型の極超音速中距離弾道ミサイルをドニプロに向けて発射した。また、核爆発で他の衛星を無力化できる新型プロトタイプ衛星を宇宙に投入した。

ドナルド・トランプ元米国大統領とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、イランの核施設に対する共同攻撃について議論したと報じられている。北朝鮮は核弾頭用の長距離ミサイルをテストし続けており、核武装したインドとパキスタン間の緊張も依然として高まっている。

これらの危険に加えて、異常気象、記録的な高温、極地の氷床やヒマラヤ氷河の急速な融解など、気候崩壊の加速を示す兆候も現れている。

「核兵器の世界を終わらせる可能性は、世界中の人々に暗い影を落としています」とキャメロン・ベガ氏は『原子力科学者会報』に書いている。「気候変動は進行の遅い大惨事ですが、すべてのコミュニティに直接的な脅威を与えています。」

ICAN
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『原子力科学者会報』の終末時計は、今年1月、「世界が大惨事へと向かう不吉な傾向が続いている」ことを理由に、午前0時まで残り100秒から90秒にリセットされた。この終末時計の針は1947年以来25回リセットされており、2025年には1分未満に進む可能性が高いとされている。

Nepali Times.
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気候崩壊と核戦争の両方は人類が引き起こしたものだが、一方が地球を温暖化させる一方で、もう一方の爆発による煙や塵が地球を冷却する。いずれにしても、これらの脅威は密接に結びついている。

戦術的な核兵器の使用でさえ気候に影響を与える可能性がある。また、気候変動による災害、作物の不作、水不足、大量移住、そしてそれに伴う社会的・政治的不安が、核戦争へと発展する戦争の火種となる可能性がある。これに加え、放射性降下物が土地、水、海に与える長期的な影響を考慮する必要がある。

ラトガース大学の研究によると、インドとパキスタン間でたった1週間の核戦争が発生した場合でも、世界的な食糧システムが崩壊し、20億人が飢餓で死亡すると予測されている。風に乗った放射性降下物はヒマラヤ山脈やチベット高原に到達し、アジアの主要な河川を供給する氷河を汚染することになるだろう。

また、米国とロシア間で全面的な核戦争が発生した場合、15年以上続く「核の冬」が引き起こされ、50億人が飢餓で死亡するという研究結果も示されている。

Nepali Times.
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反核活動家たちは、核抑止力に基づく安全保障のパラダイムに挑戦し、代わりに核兵器の禁止を推進している。昨年12月、ニューヨークの国連で開催された第2回核兵器禁止条約締約国会合では、核保有国とその同盟国が採用している抑止論が人類の安全に対する脅威であり、核軍縮の障害であると宣言された。

会議では、核抑止力は証明されていない危険な賭けであり、核兵器を使用するという暗黙の脅威に基づいていることが指摘された。この暗黙の脅威自体が、核による壊滅的破壊の瀬戸際政策を助長しているのだ。

Melissa Parke took up the role as ICAN’s Executive Director in September 2023. Photo credit: ICAN
Melissa Parke took up the role as ICAN’s Executive Director in September 2023. Photo credit: ICAN

「抑止力は容認できません。」と、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のメリッサ・パーク氏は述べた。「それは核戦争を起こす脅威に基づいており、数百万人を即座に殺害し、核の冬と大規模な飢餓を引き起こし、数十億人を死に追いやるものです。」

ICANは、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的影響に対する活動や、「核兵器禁止条約」の推進により、2017年にノーベル平和賞を受賞した。

核不拡散条約(NPT)の草案について最初の議論がジュネーブで行われてから50年が経過した。NPTは1970年に発効し、191か国が加盟している。この条約は、核軍縮と不拡散に関する義務を課しているが、これらの取り組みは、新たな冷戦や世界的な緊張の高まりによって脅かされている。

現在、9つの核保有国が合計14,500発の核弾頭を保有しており、その多くが即時発射可能な状態にある。さらに、ネパールの近隣国である中国、インド、パキスタンの3か国も核兵器を保有しており、これらの国々の関係は良好とは言えない。

世界で核兵器のない地域を宣言している5つの地域のうち、3つはアジアに位置している。それは中央アジア、モンゴル、そして南太平洋である。ネパールのカトマンズには国連アジア太平洋平和軍縮地域センター(UNRCPD)が設置されており、各国が軍縮目標を達成するための支援を行っている。

「核の飢饉」というタイトルの報告書で、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は深刻な警鐘を鳴らしている。世界のどこかで100発の核兵器を使用する限定的な核戦争が発生した場合でも、地球規模の気候と農業生産に混乱をもたらし、20億人が飢餓の危機に陥るとしている。

偶然にも、この20億人という数字は、アジアの山岳地帯における氷河融解によって影響を受けるとされる人々の数と一致している(国際山岳統合開発センター(ICIMOD)の報告による)。

これら二重の世界的脅威を考慮すると、気候変動に対する活動は、核兵器廃絶国際キャンペーンと連携して取り組む必要がある(The Nepali Timesはこの観点から、ICANのメンバーである創価学会インタナショナルとINPS Japanが推進している核廃絶メディアプロジェクトに2024年度から参加しいている)。(原文へ

This Editorial is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan

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国連、シリアの政治的移行と人道支援の適応を支援することを表明

【国連IPS=ナウリーン・ホサイン】

バシャール・アル=アサド政権が崩壊したシリアは、主権を再確認するプロセスに移行した。このプロセスは、アントニオ・グテーレス国連事務総長が記者団に語ったように、シリア国民自身が主導すべきものだ。

12月19日、グテーレス事務総長は安全保障理事会の外で記者団に対し、移行期のシリアを支援する国連のコミットメントを改めて表明した。暫定政府の下での政治的プロセスは、安全保障理事会決議2254に基づく原則に従うべきであり、この決議は停戦、非宗派的な統治の確立、そして18カ月以内の自由で公正な選挙の実施を求めている。

「すべてのコミュニティが新しいシリアに完全に統合されるべきです。」とグテーレス事務総長は語った。

国連のシリア特使であるゲイル・ペダーソン氏は、ダマスカスでシリアの派閥指導者たちと会談を行い、ハヤート・タハリール・アル=シャム(HTS)を含む勢力とも接触した。彼は、一般市民の間で「新しいシリアの始まり」への「多くの希望」が見られると述べた。

「安全保障理事会決議2254に沿った新しいシリアは、新しい社会契約をすべてのシリア人のために確立する新憲法を採用するだろう。」とペダーソン氏は語った。

差し迫った課題の一つとして、シリア国内の行方不明者の多さが挙げられる。シリアの国際赤十字委員会(ICRC)は、35,000件以上の行方不明者の登録件数を報告しているが、この数は実際にはさらに多いとされている。

これを受け、国連総会は2023年6月にシリアの行方不明者問題に取り組む独立機関を設立した。この機関は行方不明者の所在と運命を調査し、家族への支援を提供するために活動している。

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

ステファン・デュジャリック国連事務総長報道官は、この問題が暫定政府との対話の一環であると述べ、「これは感情的な問題であり、人間的な問題であり、すべての関係者の最優先課題であるべきです。」と強調した。

グテーレス事務総長は、カルラ・キンタナ氏がこの機関の責任者に就任することを発表した。人権専門家であり法学者でもあるキンタナ氏は、2019年から23年までメキシコで行方不明者捜索の全国委員を務め、10万件以上の失踪事案と7万件の身元不明遺体を扱った経験を持っている。キンタナ氏は間もなくジュネーブの事務所に赴任する予定である。

政権交代後の「依然として急速に変化する」状況において、シリアでの人道支援も適応を迫られている。国連とそのパートナーは、比較的安定した地域で病院や道路などの主要施設の再建を開始したが、依然として1,600万人以上が人道支援を必要としている。食料支援を受けた人は11月27日以降130万人以上にのぼるが、シリア通貨の急激な下落が食料の供給に影響を与えているとされている。

「即時の人道支援が必要ですが、シリアが再建され、経済回復が進むこと、そして制裁を終わらせるプロセスが始まることが求められます。」とペダーソン氏は語った。

2024年のシリア人道支援計画は40億7,000万米ドルの資金を求めているが、現時点でその32%しか達成されていない。2025年の計画はまだ発表されていない。

ダマスカスやアレッポといった主要都市で治安が安定しつつある一方で、北東部では敵対行為の報告が続いている。グテーレス事務総長は、ISILが依然として脅威であること、そしてアサド退陣後数週間にわたりイスラエルの空爆が繰り返されていることを指摘した。

これらの攻撃はシリアの主権と領土保全を侵害しており、即時停止が求められると警告した。

「これは決定的な瞬間です。希望と歴史の瞬間であると同時に、大きな不確実性を伴う瞬間でもあります。」「一部の者は状況を自分たちの利益のために利用しようとするでしょう。しかし、これまで多くの苦しみを経験してきたシリア国民と共に立つことが国際社会の義務です。」と、グテーレス事務総長は語った。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN BUREAU Report

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目に見える信仰:活気あふれるベトナムのカトリック教会(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

共産主義国家であるベトナム全土で、地元のカトリック共同体の活力が目に見える形で現れている。

【National Catholic Register/INPS Japanハノイ=ヴィクトル・ガエタン】

ベトナムに到着したその日、午後4時50分。セントジョセフ大聖堂の巨大な灰色のファサードの前を、多くの子供たちを乗せたスクーターが通り過ぎていく。教会にたどり着くために道路を渡るのがやっとだ。

近くの小学校では、元気なスクーターの群れが一斉に押し寄せ、子供たちを迎えに来た親や祖父母で賑わっている。学校の庭には聖母マリアの像も立っている。

群衆に押し流されるのを避けるため、私はマリア像の近くに身を寄せた。すると、灰色の簡素な修道服を着た修道女が微笑みながら近づいてきた。このトラ修道女は、フランスの司祭によって1670年に創設された、ベトナムで盛んに活動する聖十字架愛の修道会の一員だ。国内には約4,500人のメンバーがいて、そのうち160人の修道女が幼稚園に隣接する修道院に住んでいるとのことだった。

トラ修道女は、修道院の教会を内部の入り口から案内してくれると申し出てくれた。扇風機で冷やされた教会堂に入ると、目が暗さに慣れる中、ベンチに散らばって祈りを捧げる8人の非常に年配の女性たちの姿が見えた。

修道院の敷地を出た後、広大な大聖堂の敷地へ向かった。すると、再び修道女が現れ、若い男性たちが祈っている神学校の礼拝堂から美しい歌声が聞こえてくると説明してくれた。テレサ修道女によると、大司教区には約100人の神学生がおり、その年には20人の新司祭が叙階される予定だそうだ。

その後、中庭を横切りながら、セントジョセフ大聖堂の前で自撮りをしている20代の若者たちの群れをかき分けて進んだ。この大聖堂は、複数の戦争を乗り越えてきた建物である。

大聖堂の中では、祈りを捧げ、蝋燭を灯し、聖人像に心を寄せる多くの人々が見られた。

「なんという信仰の深さだろう」と私は感嘆する。「ここ、ベトナム社会主義共和国のハノイで、こんなに活気に満ちたカトリック信仰を目の当たりにしているなんて、本当に現実なのだろうか?」

どうもそのようだ。2020年時点で、ベトナムには約700万人のカトリック教徒が住んでおり(総人口の7.4%)、アジアで5番目にカトリック人口が多い国だ(フィリピン、インド、中国、インドネシアに次ぐ)。教会組織は3つの大司教区、24の司教区、2,228の教区と2,668人の司祭で構成されている。

小規模で活発な教区

ハノイでの幸先の良いスタートを切った後、私は北東へ25マイルの場所にあるベトナムで最小の省、バクニンを訪れた。今年初めに東京で出会ったスペイン出身のイエズス会宣教師に会うためだ。

89歳のホアン・アンドレス神父(後に日本国籍を取り、名前. は安藤勇)は、1958年に日本に赴任し、「ボートピープル」として知られるベトナム難民と深い関係を築いてきた。

1990年以来、少なくとも年に一度、彼は信徒の支援者たちと共にベトナムを訪れ、財政支援を行い、地元のプロジェクトを奨励している。

バクニンの人口の2%未満しかカトリック教徒はいないが、ここでも再び、生き生きとした教会に出会った。活気あふれる施設群には、大聖堂、教区事務所、司教館、慈善団体カリタスと提携した「信徒会館」、そして巡礼者のための広大なスペースが揃っている。

中秋節の行列

隣接する学校はカトリックではないかもしれないが、その近さが教会に恩恵をもたらしている。9月17日の中秋節(Tết Trung Thu)の祝祭は、満月を記念するもので、3歳から14歳までの子どもたちを対象にしたミサで始まる。大聖堂は家族連れでいっぱいで、3人の若い司祭が導く中、皆が熱心に典礼を唱える。

ミサが終わると、年長の子どもたちは衣装を着たり、ネオンカラーのウサギや金魚の車輪飾りを準備したりして大忙しだ。一方、年少の子どもたちは棒に提灯を掲げて行列に加わる。祭服をまとった司祭が先導し、祝祭の行列は「皆さんに平和を願っています」(Chúc anh chị em đi Bình an)と書かれた門をくぐり、教区の中庭へ進む。音楽やダンス、花火が次の1時間にわたり集まりを盛り上げ、やがて子どもたちの頭が大人の肩にもたれかかる頃に幕を閉じる。

安藤神父は、このようなイベントが10年前には想像もできなかったと語った。「特に北部では変化が劇的で、教会にとって非常に良いことでした。」と神父は話してくれた。

信仰の復活


1954年、ベトナムが共産党が支配する北ベトナムと、米国の支援を受ける南ベトナムに分断された際、約80万人のカトリック教徒が北から南へ移動した。

1954年から89年までの間、共産党が神学校を閉鎖し、多くのカトリック教徒が姿を消したため、バクニン教区ではたった一人の司祭と一人の司教だけが活動していたた。しかし、1989年に政府はハノイの神学校を再開し、教会に対する態度を緩和し始めた。

現在、この教区には150人の司祭、300人以上の修道女、40人の修道士がおり、毎年10人が司祭に叙階されている。教区司祭のグエン・タイン神父は「あと100人の司祭が必要です! それほど需要があるのです。」と強調した。

タイン神父によると、教会のあらゆる分野で成長が見られるそうだ。ベトナム司教協議会によると、2023年の統計では165111人の洗礼者、274人の新司祭叙階者が記録され、カトリック教徒の総数は6,856,563人に達した。

サイゴンで見られる教会文化

ハノイから、かつて南ベトナムの首都だったサイゴン(現在のホーチミン市)へ飛んだ。この都市は共産主義の指導者であったホー・チ・ミンにちなんで改名されたが、1975年以前はサイゴンと呼ばれていた。今でも多くの人々がこの街を「サイゴン」と呼んでいる。人口約950万人を擁するベトナム最大の都市である。

カトリック教会は名前の変更にあまり関与しておらず、教区の公式ウェブサイトも「サイゴン大司教区」とされている。また、市内で最も有名な教会は、ベトナム語、英語、フランス語で「サイゴンのノートルダム大聖堂」とその名を掲げている。

この都市のあちこちでカトリックの存在を目にすることができる。「神の慈しみ」のイメージが、例えば屋台の看板やコーヒーショップのメニュー、人気の配車アプリ「Grab」の車のバックミラーからぶら下がっています。

L to R: Donations for flood victims: Typhoon Yagi hit the northern region of Vietnam in September. Trucks and vans enlisted by Caritas Vietnam traveled from diocese to diocese collecting donations that were then delivered to hard hit communities. Priests, nuns and volunteers took a picture on a break from loading the van; dashboard faith: Evidence of popular piety abounds in Vietnam, including a Last Supper diorama for the dashboard and a Divine Mercy medallion hanging from the rearview mirror of a ride-sharing driver’s car.(Photo: Victor Gaetan)
L to R: Donations for flood victims: Typhoon Yagi hit the northern region of Vietnam in September. Trucks and vans enlisted by Caritas Vietnam traveled from diocese to diocese collecting donations that were then delivered to hard hit communities. Priests, nuns and volunteers took a picture on a break from loading the van; dashboard faith: Evidence of popular piety abounds in Vietnam, including a Last Supper diorama for the dashboard and a Divine Mercy medallion hanging from the rearview mirror of a ride-sharing driver’s car.(Photo: Victor Gaetan)

ある運転手の車では、ダッシュボードに貼り付けられた「最後の晩餐」のジオラマを見て感心した。司牧センターに到着すると、運転手は親切に「そこのギフトショップで手に入りますよ。」と教えてくれた。

実際、サイゴンにはワシントンD.C.よりも多くのカトリック書店がある。

修道院では1,100人以上の信徒が聖書研究や聖歌などの授業を受けており、若者の積極的な関与が教会の活力を支えている。

教会の現状を知るには、さまざまな教区でさまざまな時間帯にミサに参加するのが一番だ。一週間で私は12の教会を訪れ、美しさと敬虔さに満ちた魂を満たすような体験をした。

ある平日の午前6時、私は永遠助けの聖母教会(通りの名前から「キードン教会」とも呼ばれる)、レデンプトール会の教会を訪れた。その時、教会堂は人々でいっぱいだったが、それは葬儀が行われていたためのようだった。中央通路を運ばれる光沢のある白い棺には、「最後の晩餐」の精巧なフルカラーの彫刻が施されており、それを見たとき、私は驚いた。

この教会は私の宿泊していたホテルの隣にあったため、頻繁に訪れることができた。一日中、車やスクーターが訪れては、屋外の祠で線香を灯し、短時間祈る姿が見られた。この祠にはネオンで「アヴェ・マリア」と記されていた。

‘Ave Maria’ outdoor shrine marked in neon: A colorful grotto at the Church of the Mother of Perpetual Help, a Redemptorist parish in Saigon, attracts a constant flow of visitors who pull up on scooters or in cars, light a candle or incense, leave flowers, and pray. (Photo: Victor Gaetan)
‘Ave Maria’ outdoor shrine marked in neon: A colorful grotto at the Church of the Mother of Perpetual Help, a Redemptorist parish in Saigon, attracts a constant flow of visitors who pull up on scooters or in cars, light a candle or incense, leave flowers, and pray. (Photo: Victor Gaetan)

やがて、ある司祭が説明してくれた。「ここを訪れる人々の多くは仏教徒です。ドライブスルー式で祈ることができるレイアウトが気に入られているのです。」とのことだった。

水曜日の午後5時30分、修復工事中のノートルダム大聖堂でミサに参加した。一緒に礼拝したのは約60人で、特にその平均年齢が目を引いた。ほとんどが青年たちだった。

その中で、18歳のフーンさん(「ベヌスと呼んで」と彼女は言った)と話をした。彼女は中央ベトナムのダラットで、カトリックの両親と祖父母のもとで育った。現在はサイゴンで大学に通っており、週に3回ミサに参加しているそうだ。

「私はイエス様が大好きです」と彼女は簡潔に説明した。

その週の金曜日、午後5時30分のミサの後、聖ドミニコ教会で行われた聖体礼拝を目撃した。この灰緑色の教会は、多くの屋根を持つ仏教の伽藍のような造りをしており、あらゆる年齢の人々でいっぱいだった。特に多くの小学生が参加していた。

約20人の聖歌隊は弦楽器も含んでおり、素晴らしい歌声を披露していた。私は多くの参加者にこの日が教区の特別な日なのか尋ねたが、どうやら通常の金曜日の慣例のようだった。

Clockwise from upper left: The Church of St. Dominic, built in 2003, features a blend of Western and Asian architecture. Multiple gray-green roofs are modeled after Buddhist pagodas; The Archdiocese of Ho Chi Minh City, popularly known as Saigon, has a beautiful pastoral center with a koi pond on the grounds; the Vietnamese government allows women religious to run kindergartens, like one in Hanoi, across from St. Joseph’s Cathedral, where some 200 children go to school. (Photo: Victor Gaetan)
Clockwise from upper left: The Church of St. Dominic, built in 2003, features a blend of Western and Asian architecture. Multiple gray-green roofs are modeled after Buddhist pagodas; The Archdiocese of Ho Chi Minh City, popularly known as Saigon, has a beautiful pastoral center with a koi pond on the grounds; the Vietnamese government allows women religious to run kindergartens, like one in Hanoi, across from St. Joseph’s Cathedral, where some 200 children go to school. (Photo: Victor Gaetan)

聖体青年運動

サイゴン大司教区の司牧センターはまるで活気あるキャンパスのようで、実際にそうだった。

この敷地の一部には、かつて1975年から86年まで閉鎖されていた聖ヨセフ神学校の寮と教室がある。また、別のエリアには教会の事務所、ゲストハウス、信徒向けの授業が設けられている。その近くには、大きな錦鯉が泳ぐ池や、修復中の白い礼拝堂の前に立つ、教皇聖ヨハネ・パウロ2世と2人の子どもたちの大きな白い像が見られる。

センターの学長であるフランシス・ザビエル・バオ・ロック神父は、「教育は国にとっても教会にとっても重要な優先事項です。この授業は学生との長期的な絆を生み出します。」と語った。この学期では、20歳から29歳を中心とした1,100人以上の信徒が、月曜日から土曜日の夜に聖書研究や外国語、聖歌などの授業に参加している。また、毎朝約175人の修道女が授業を受けている。

私はイエズス会士でベトナム司教協議会の事務局長を務めるジョセフ・ダオ・グエン・ヴー神父に、青年たちの素晴らしい参加についてどう説明するか尋ねた。

「私たちには強力な教区プログラムと、幼稚園から高校まで(K-12)の宗教教育があります。しかし、若い指導者たちに役割を与え、彼らが次の世代を教える手助けをしています。」と神父は説明した。

さらに、「ベトナム聖体青年運動は、青年たちが教会と関わり続けるための成功した方法です。他の国々では、堅信後に若者が教会に関与する機会が少なくなりがちです。」と付け加えた。

ヴー神父はさらに、「米国のベトナム系カトリック共同体の中でも、この運動を見つけることができます。そして、それが私たちの教会に活力を与えています!」と語った。

このシリーズは、ベトナムからの3部作の第1回目となる。(原文へ

INPS Japan

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。2024年4月、研究のためガエタン氏が初来日した際にINPS Japanの浅霧理事長が東京、長崎、京都に同行。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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|韓国|民主主義は守られた

【ロンドンIPS=アンドリュー・ファーミン】

韓国の民主主義は健在である。尹錫悦大統領が戒厳令を敷こうとした際、国民と国会議員が団結してこれを阻止した。そして今、尹大統領はその権力乱用に対して責任を問われるべき立場にある。

プレッシャーを受ける大統領

尹大統領は、2022年3月の大統領選挙で対立候補の李在明氏に0.73ポイントの僅差で勝利し、大統領の座を勝ち取った。これにより韓国の二大政党のうちの一つ、中道右派の「国民の力」党が政治的復活を遂げ、もう一方の政党である「共に民主党」が敗北した。

この選挙戦では、尹大統領が若い男性たちの間で広がっていたフェミニズム運動への反発を利用し、さらにそれを煽る形で支持を集めた。2018年、韓国では著名人のセクハラ疑惑が明るみに出たことを受け、女性たちが声を上げ始め、MeToo運動が広まった。韓国は経済協力開発機構(OECD)における男女平等達成度が最も低い加盟国のひとつであり、女性の政治参加は下から3番目、男女間の賃金格差は最下位である。

女性の権利におけるわずかな前進にも過剰な反発が生じ、男性の権利を守ることを標榜する団体が次々と現れ、そのメンバーたちは、労働市場で差別されていると主張した。尹大統領はこうした層に訴えかけ、女性家族省の廃止を公約に掲げた。出口調査では、若い男性有権者の半数以上が彼を支持していた。

しかし、尹政権下で人権状況は悪化した。ジャーナリストへの嫌がらせや刑事処罰、労働組合事務所への強制捜査や指導者の逮捕、そして抗議活動の禁止といった市民空間の制限が相次いだ。メディアの自由も損なわれ、訴訟や刑事名誉毀損法が萎縮効果をもたらした。

しかし、2024年の国会選挙で与党「国民の力」が大敗を喫したことで、権力のバランスが大きく変化した。共に民主党とその同盟勢力は尹大統領を弾劾するために必要な3分の2の議席を確保するには至らなかったが、結果として、尹大統領は「レームダック」状態の大統領となった。野党が多数を占める議会は、主要な予算案を阻止し、政府高官に対する22件の弾劾動議を提出した。経済問題や汚職疑惑が続く中、尹大統領の人気は急落した。しかし、韓国の指導者にとっては残念ながらこれは目新しいことではない。

ファーストレディの金建希夫人は、贈り物としてディオールのバッグを受け取った疑惑や株価操作に関与した疑惑が浮上した。追い詰められた尹大統領は、驚くべき賭けに出たが、韓国国民に受け入れられるものではなかった。

尹大統領の決断

尹大統領は、12月3日の夜、国営テレビで驚くべき発表を行った。恥ずべきことに、彼は「親北朝鮮反国家勢力」に対抗するためにこの措置が必要だと主張し、彼を糾弾しようとする人々を、国境の向こうの全体主義政権の支持者であると中傷した。尹大統領は、与党「国民の力」の韓東勲代表、「共に民主党」の李在明代表、そして国会の禹元植議長を含む主要な政治家の逮捕を軍に命じた。

戒厳令の宣言により、韓国の大統領には広範な権限が与えられる。軍は令状なしで人々を逮捕し、拘留し、処罰することができ、メディアは厳しく統制され、政治活動はすべて停止され、抗議活動も広範に禁止される。

問題は、尹大統領が明らかに自身の権限を超え、違法行為を行っていたことだった。戒厳令は、侵略や武装反乱など、国家の存亡を脅かす異常な事態にのみ宣言できる。しかし、尹大統領に厳しい目を向ける政治的対立は、この条件には明らかに当てはまらなかった。また、国会は通常通り開かれるはずだったが、尹大統領は軍隊を配備して投票のために集まる議員たちを阻止しようと、国会の閉鎖を試みた。

しかし、尹大統領は、1987年に複数政党制の民主主義が確立される以前の独裁時代に戻ることを拒む多くの人々の決意を軽視していた。韓国国民には、明らかに腐敗した大統領を辞任させたばかりの経験もある。2016から17年にかけての「ろうそく革命」では、大規模な週次抗議活動が朴槿恵大統領への圧力を高め、弾劾と辞任、さらには汚職と権力乱用での収監に至らせた。

国民は国会前に集まり抗議活動を行った。軍が国会の正門を封鎖する中、議員たちはフェンスを乗り越えた。抗議者や国会職員は、重装備の部隊に対して消火器を手に対峙し、議員が投票できるよう国会を囲む人間の鎖を作った。最終的に190人の議員が国会に入り、全会一致で尹大統領の決定を撤回した。

正義を求めて

尹大統領は今、正義の裁きを受けなければならない。抗議者たちは彼に辞任を求め続けており、戒厳令を宣言した決定について刑事捜査も開始された。

最初の弾劾案は、12月7日の投票を阻止するために与党「国民の力」の議員たちが退席するという政治的な駆け引きにより頓挫した。彼らは尹大統領が自発的に辞任することを期待していたようだが、尹大統領は辞任する兆しを一切見せなかった。そして、12月14日に行われた2回目の投票では、12人の与党議員が弾劾案を支持し、弾劾案が可決された。この投票結果に、氷点下の寒さの中、国会の外で集まっていた数万人の抗議者たちから歓喜の声が上がった。

現在、尹大統領は職務停止中であり、韓徳洙首相が暫定大統領を務めている。憲法裁判所は、今後6ヶ月以内に弾劾手続きを行うことになる。世論調査によると、韓国人の大半は弾劾を支持しているものの、尹大統領は依然として自らの行動は必要だったと主張している。

守られた民主主義

韓国の代議制民主主義は、他の国々と同様、欠点がある。有権者は選挙結果に必ずしも満足するとは限らない。大統領が反対勢力の多い国会と協力するのに苦労することもある。しかし、不完全ではあっても、韓国国民は自国の民主主義を大切にしており、権威主義の脅威から民主主義を守る意思を示してきた。そして、もし尹大統領が正義を逃れることがあれば、再び団結して行動を起こすだろう。

幸いにも、尹政権による市民空間への攻撃は、市民社会の動員力や民主主義を守る能力が完全に損なわれる段階には至らなかった。最近の出来事や韓国の不確実な未来を考えると、尹政権によって課された市民空間の制限を速やかに撤回することが一層重要となる。民主主義の後退を防ぎ、それをさらに深めるためには、市民空間を拡大し、市民社会に投資することが不可欠である。(原文へ

アンドリュー・ファーミン氏は、CIVICUSの編集長であり、CIVICUS Lensの共同ディレクターおよびライター、さらに「市民社会の現状報告書(State of Civil Society Report)」の共著者。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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【カラチIPS=ゾフィーン・イブラヒム】

BBC 100 Women  By Victuallers - Own work, CC BY-SA 3.0
BBC 100 Women  By Victuallers – Own work, CC BY-SA 3.0

「このメディアによる評価は、バローチ民族が直面する誘拐、拷問、そして大量虐殺の痛ましい現実を浮き彫りにしています。」と、英国の公共放送BBCが発表した2024年版「世界で最も影響力のある女性100人」のリストに選ばれた31歳の政治活動家、マラン・バローチ氏は、パキスタンのバローチスタン州クエッタからの電話で語った。

BBCはこのリストについて、「今年は特に女性たちにとって困難な年であったことを認識し、変化する世界の中で、たくましく変化を求めて前に進もうと取り組む女性たちを称えるものだ。」と述べている。

2024年、マランはこの他にも名誉を受けている。10月には、米国のニュース雑誌タイム誌の「2024 Time100 Next」リストにも選ばれ、バローチ民族の権利を平和的に訴える若い活動家として認められた。タイム誌からニューヨークでの授賞式に招待されたが、10月7日に空港で搭乗を阻止され、「理由は一切教えてもらえませんでした。」と語った。彼女はパキスタンでは「テロリスト」や「自爆犯」として扱われ、多くの訴訟を起こされていると主張している。「さらに悪いことに、今では私と弟が『第四スケジュール』リストに載せられてしまいました。」と嘆く。

1997年に導入された「第四スケジュール」は、キスタンの反テロ法(Anti-Terrorism Act, ATA)において、過激主義者やテロリストとみなされた個人を監視下に置くためのリストを指す。このリストに掲載されると、渡航禁止、銀行口座の凍結、資金援助の禁止、武器の所持許可取り消し、就職における身辺調査の制限など、厳しい措置が課される。現在、約4,000人のバローチ人がこのリストに載せられている。

医師として訓練を受けたマランは、2006年にパキスタン治安部隊によるバローチ民族の無実の人々の誘拐や殺害に抗議し始めた。その3年後、政治活動家だった父親が強制失踪し、2011年に拷問を受けた遺体で発見された。2017年には弟も誘拐されたが、翌年釈放された。しかし、マランはその後も強制失踪者のための正義を訴え続け、脅迫や妨害にも屈しなかった。

2019年には、バローチ人の人権問題に焦点を当てた運動「バローチ・ヤクジェティ委員会(BYC)」を設立した。この運動は、バローチ民族の人権侵害に関する意識を高め、正義を追求することを目的としている。

Location of Balochistan in Pakistan Credit: Wikimedia Commons
Location of Balochistan in Pakistan Credit: Wikimedia Commons

バローチスタンの抵抗運動は1948年に始まり、現在も続いている。パキスタン軍や準軍事組織、情報機関はこれに対し、数万人に及ぶバローチ人男性の誘拐や拷問、殺害を行ってきた。

強制失踪者の家族を代表する非営利団体「バローチ失踪者のための声(VBMP)」によれば、2000年以降で約7,000件の失踪事例が記録されているという。

「私たちは20年以上にわたり、あらゆるプラットフォームで家族のために戦ってきました。裁判所や最高裁判所、政府や司法が設置した委員会にも訴えましたが、いまだに進展はありません」と、VBMPのナスルラ・バローチ会長は嘆いた。

国際法学者委員会(ICJ)の2020年の政策概要でも、強制失踪に関与した者を一人も責任追及していない現状を厳しく批判している。それ以降も状況は悪化しており、マランによれば、ここ3ヶ月だけで300人以上のバローチ人が誘拐され、7件の超法規的殺害が報告されている。

マランは、国際メディアが声を届けてくれることに「希望」を見出している一方で、パキスタン国内メディアの無関心を嘆いている。「国内メディアは私たちを支えてくれませんでした。私たちの正当な訴えは無視されています。」と語った。

一方、パキスタンの著名なジャーナリスト、モハメド・ハニフ氏は、「バローチ問題を報道しないよう、ニュースルームには指示が出されていた。」と述べ、主流メディアの偏見を指摘している。

マランは、2023年に1,600キロメートルを超える長距離を女性たちと共に行進し、失踪者の行方を政府に求めた。彼女の非武装で非暴力の抵抗運動は、伝統的な権力構造をも超え、若い世代に影響を与えている。

「バローチスタンの人々にとって、マランとBYCは希望の灯です。なぜなら、私たちは政治家に対する信頼を完全に失ってしまっているから。」と、1971年以来バローチ民族の権利闘争に関わってきたミール・モハメド・アリ・タルプール氏は指摘した。彼は2015年まで新聞に人権侵害についての記事を書いていたが、「国家からの圧力により、メディアが私の記事を掲載しなくなった。」と語った。

UN Photo
UN Photo

「誘拐し、殺害し、遺体を放置する政策を実行しても、実行者に対する処罰はありません。」「国家は自らの野蛮な植民地的権力を信じているのです。」とハニフ氏は語った。

「強制失踪は、実行者に完全な免責が与えられている限り続くでしょう。情報機関や治安機関に関わる者たちは、法の支配を全く意に介していません。」とユスフ氏は指摘した。そして、若き医師であるマランについて、「誰に対しても憎悪を抱かず、要求を堅持することで、前向きなリーダーシップの資質を示しています。」と評価した。(原文へ

INPS Japan/IPS UN BUREAU

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死の収容所と恐怖:シリアの生存者たちが直面する長い回復の道

【イドリブ(シリア)IPS=ソニア・アル・アリ】

シリアのハマー出身の看護師、アラー・アル=カリールさん(33歳)は、「テロリスト」(元シリア大統領バッシャール・アル=アサドの反対者)を治療したとの容疑で3年以上も裁判なしで拘束され、35人以上の女性と共に過ごした収容生活を振り返った。彼女はアサド政権の崩壊後、12月8日にアヤドナヤ刑務所から解放された。

アサド政権の崩壊と彼のモスクワへの逃亡に伴い、武装反対勢力が各地の刑務所を解放。政権に反対した罪で拘束され、残虐な拷問を受けた多くの収容者が救出された。多くは獄中で命を落とし、集団墓地に埋められた。今もなお、多くの家族が行方不明の愛する人を探し続けている。

長年の拷問

「私は元シリア政権の検問所で逮捕され、ダマスカスの政治保安部に移送されました。手は縛られ、目隠しをされたままでした。刑務所では、35人の女性が共同トイレがある狭い監房に押し込められ、プライバシーはまったくありませんでした」とカリールさんはIPSの取材に語った。「女性たちには拷問の痕跡が明らかに残っていました。狭い監房では、床に横たわり、交代で眠るしかありませんでした。最もつらかったのは、妊婦が子どもを産み、その子どもが牢獄内で成長する様子を見ることでした。」

カリールさんによれば、収容者たちは飢えや寒さに苦しみ、殴打やタバコの火による火傷、爪を剥がされるといった拷問を受けたという。また、女性たちは夜中に看守によって部屋から連れ出され、性的暴力を受けることもあった。

The search for survivors in Sednaya prison. Credit: Abdul Karem al-Mohammad/IPS
The search for survivors in Sednaya prison. Credit: Abdul Karem al-Mohammad/IPS

「拷問や死のほうが、レイプよりもましだと思うことさえありました。尋問中に性行為を拒否したり、罪状を認めない場合、看守や尋問官によって殺され、遺体は塩室に投げ込まれました。」と涙ながらに語った。

看守を見たり、話しかけたり、音を立てたりすることは禁止され、違反すると水を奪われたり、裸で寒さにさらされる罰を受けたという。食事は腐った少量の食べ物が与えられるだけで、感染症や精神疾患を患う人が多かった。

解放されたカリールさんは、今後は安全で安定した平和な生活を望んでいる。

記憶を蝕む10年

シリア南部ダラア出身のアドナン・アル=イブラヒムさん(46歳)は、数日前にダマスカス郊外のアドラ刑務所から解放された。彼は、バッシャール・アル=アサドの軍隊を離脱し、レバノンへの亡命を図った罪で10年以上拘束されていた。

「釈放されて夢を見ているような気分です。彼らは私をテロの罪で告発し、拷問を加えましたが、拘束期間中、一度も裁判にかけられることはありませんでした。経験したことが今でもトラウマになっています」とイブラヒムさんは語る。

「私たちは刑務所で想像を絶する最悪の扱いを受けました。今、私たちが望むのは、不正や恣意的な逮捕、そして続く殺戮から解放され、平穏で人間らしい生活を送る権利です。」

現在、彼の体は衰弱し、栄養失調と劣悪な食事のために体重が著しく減少している。同じ監房にいた多くの仲間も拷問の結果、命に関わる病気を患っていた。尋問中に頭部を殴られたことで記憶を失う者も多く、死者の遺体は長期間放置され、最終的には焼却されることが多かったという。

心理的外傷の重荷

精神衛生の専門家、サマハ・バラカトさん(33歳)は、シリアの拘置所から解放された生存者たちにはトラウマを克服するための支援が必要だと語った。

「拘禁や拷問を受けた経験は、生存者にとって非常に痛ましく、トラウマを引き起こします。身体的な拷問だけでなく、精神的な健康にも深刻な影響を及ぼします。これには精神病、記憶喪失、言語障害などの心理的障害が含まれます。また、医療を受けられなかったため、病気が蔓延したことも大きな問題です。」

バラカトさんは、心理的支援の必要性を指摘し、カウンセリングや薬物治療が必要なケースもあると述べた。

不明な運命

一部の人々にとって、愛する人々の運命が不確かなままであることは、アサド政権によるトラウマが今なお続いていることを意味する。

イドリブ出身のアラー・アル=オマールさん(52歳)は、アサド政権崩壊後、サイダナヤ刑務所とダマスカスのパレスチナ支部に息子を探しに行ったが、失踪した息子を見つけることはできなかった。

「私は息子に会いたくて刑務所を訪れましたが、彼の痕跡は一切見つかりませんでした。おそらく、拷問の末に命を落としたのでしょう。」

オマールさんの息子は2015年、アレッポの大学で学んでいた際にアサド政権の治安部隊によって逮捕され、デモへの参加や武器の所持、反対勢力への加入といった容疑をかけられていたという。その逮捕以来、息子の消息は何も聞けず、今もなお不明のままである。

人権侵害

人権活動家でアレッポ出身のサリム・アル=ナジャールさん(41歳)は、拘置所から解放された人々の苦しみについて語った。シリアにおける刑務所や拘置施設の拡大の歴史は、1980年代に反体制派に過剰な力を行使したハーフィズ・アル=アサドの時代に遡ると指摘した。彼はシリアを「大きな虐殺場」に変えたと表現した。

「この政権の刑務所では、命は彫刻家の手の中の石と同じ扱いを受け、殺されて捨てられるだけです。人はただの数字にすぎず、その歴史や感情、夢さえも無視されるのです。」

ナジャールさんによれば、ダマスカス北部のサイダナヤ刑務所は、特に2011年のシリア革命以降、拷問や大量処刑の場として悪評を博してきた。

少数の収容者が家族のつてや賄賂で解放された一方、多くは傷や病気で命を落とした。解放されても顔つきが変わり、家族が最初に気づけないほどの変化を遂げていた者も多いという。

シリア人権ネットワーク(SNHR)は、12月11日の声明で、アサド政権が少なくとも20万2000人のシリア市民を殺害し、その中には拷問で命を落とした1万50000人が含まれ、さらに9万6000人が行方不明、約1300万人の強制移住を引き起こしたと非難した。また、化学兵器の使用を含むその他の凶悪な人権侵害についても触れた。

「シリアの拘置所や拷問室は、シリア人が数十年にわたり経験してきた苦悩、抑圧、苦しみの象徴です。拘置所の生存者たちは、傷を癒し、日常生活に戻り、社会に再び統合されるために努力を続けていますが、拷問によって命を落とした人々も少なくありません。」(原文へ

INPS Japan/IPS UN BUREAU

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【アスタナThe Astana Times=サニヤ・サケノヴァ】

Kazakhstan celebrates peoples unity day. Cedit Silkway TV
Kazakhstan celebrates peoples unity day. Cedit Silkway TV

カザフスタンは独立以来、多方向的(マルチ・ベクトル)で実利的かつバランスの取れた外交政策を追求してきたと、同国のロマン・ヴァシレンコ外務副大臣が語った。彼は、12月13日から15日にアラブ首長国連邦のアブダビで開催された第17回世界政策会議(WPC)(フランス国際関係研究所(IFRI)主催)で、このように発言した。

フランスの著名な学者であり、IFRIの創設者かつ長年の会長であるティエリー・ド・モンブリアル氏は、カザフスタンの外交方針をマルチ・ベクトル外交の模範として評価した。同氏によれば、カザフスタンは外交政策のアプローチを洗練させただけでなく、中堅国家として地球規模の課題に積極的に取り組むようになっている。

Traditional Kazakh yurt – kiyiz ui. Photo credit: 365info.kz
Traditional Kazakh yurt – kiyiz ui. Photo credit: 365info.kz

その後のディスカッションで、ヴァシレンコ外務副大臣は、カザフスタンのバランスの取れた実利的な外交政策を説明するにあたり、同国の伝統的な円形の家屋「ユルト」を比喩として用いた。「伝統的なカザフの家には角がありません」と彼は述べ、「そのため、ボクシングリングのように一方の側につく、あるいは角を選ぶ必要性は私たちの国民性に反します。」と語った。

「私たち全員がとるべき唯一の立場は、競争ではなく協力、孤立ではなく関与、無法ではなく法の支配、相互利益とウィンウィンの結果の概念であり、相互排除やゼロサムゲームではありません。それが私たちが過去30年間にわたって追求してきたアプローチです。」と語った。

Photo: Kazakh President Kassym-Jomart Tokayev at the General Debate of the 77th session of the UN General Assembly stressing the need to abide by the UN Charter. Source: The Astana Times.
Photo: Kazakh President Kassym-Jomart Tokayev at the General Debate of the 77th session of the UN General Assembly stressing the need to abide by the UN Charter. Source: The Astana Times.

国際的な安全保障危機の中での中堅国家の役割について言及しながら、ヴァシレンコ外務副大臣は、カザフスタンが安全保障と開発の課題に取り組む唯一の国際機関である国連を強化することへのコミットメントを再確認した。また、カシムジョマルト・トカエフ大統領が国連安全保障理事会の改革を提唱し、それを現在の世界的な現実を反映し、より代表性のあるものにする必要性を強調した。

「私たちが中堅国家としてできること——そして私たちはこの立場を非常に真剣に受け止めています——は、志を同じくする国々と協力し、そのような国々のネットワークで集団的な解決策を模索し、世界の超大国に人類全体の利益を優先し、気候変動、不平等、貧困などの重要な地球規模の問題に緊急に取り組むよう説得することです」とヴァシレンコ外務副大臣は語った。

ウクライナ紛争に対するカザフスタンの立場についてのモデレーターの質問に応え、ヴァシレンコ外務副大臣は「トカエフ大統領は一貫して、この問題の解決は外交によってのみ達成できると強調しています。私たちは紛争の迅速な終結と交渉の場での解決を提唱しています。カザフスタンはこの方向での努力を全面的に支援する用意があります。」と語った。

Photo credit: Kazakh Foreign Ministry.
Photo credit: Kazakh Foreign Ministry.

カザフスタンの中立的立場とすべての当事者との建設的な関係を強調し、ヴァシレンコ外務副大臣は、「私たちは、必要に応じて中立的なホスト国としての役割を果たす準備ができており、ロシア、ウクライナ、西側諸国との良好で前向きな関係を維持しています。」と付け加えました。(原文へ

INPS Japan/The Astana Times

この記事は、The Astana Timesの許可を得て掲載しています。

Link to the original article on the Astana Times:https://astanatimes.com/2024/12/kazakhstan-reiterates-commitment-to-multilateral-cooperation-at-world-policy-conference/

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アフガン女性たち、自由を得るまでタリバンの圧政に抵抗すると誓う

この記事の著者はアフガニスタン在住の女性ジャーナリストで、タリバンが政権を掌握する前にフィンランドの支援を受けて訓練を受けた。安全上の理由から、彼女の身元は明かされていない。

【カブールIPS=在住女性記者】

タリバンがアフガニスタンを再び掌握してから3年、女性たちは依然として抑圧的な法律と組織的な疎外に直面している。

タリバンは厳しい規則を課している。女性は全身を覆う服装を義務付けられ、公の場で声を上げることや、互いにコーランを朗読することさえ禁じられている。また、女性が家の外で働いたり教育を受けたりすることも長い間禁止されている。

にもかかわらず、アフガン女性たちは抵抗を続ける決意をしている。「私たちは自由を得るまで抗議と闘争を続けます。」と、アフガン女性運動の一員であるファルザナさんは毅然と語った。

過去20年間でアフガニスタンの女性たちは高等教育や専門技術を習得したが、現在ではタリバンからの脅威が一層深刻化している。タリバンの支配下で突然、女性たちは疎外された。「最初の2年間、私たちは権利を求めて街頭に出ました。」とファルザナさんは語った。「残念ながら、タリバンは抗議する女性たちを逮捕し、投獄し、処罰しましたが、これらの女性を守る者は誰もいませんでした。」

女性たちはこの状況に耐えきれず、権利を求めて街頭に立ったが、最近ではタリバンの「勧善懲悪省」が導入した新たな厳しい法律により、女性たちの声も禁止され、街頭での抗議活動は見られなくなりました。沈黙はアフガン女性たちにも広がっているようです。

釈放後の女性囚人たちへのインタビューによれば、彼女たちは裸で鞭打たれ、強姦され、家族が謎の死を遂げることもあったという。「私たちは秘密裏に抗議グループで活動しています。」とファルザナさんは説明した。「私たちは自由に街を歩くことが許されていません。ここしばらくは自宅から個別にメディアを通じて抗議を続けています。タリバンは私たちの声を封じることはできません。私たちは自由を得るまで抗議と闘争を続けます。」

別の女性抗議者であるマラライさんは、「タリバンは仮面をつけたスパイをさまざまな名目で私たちの家に送り込みます。彼らは通常の政府業務の一環だと称しますが、カメラやビデオを持ち込み、私たちを特定し逮捕するのです。」と語った。

公開の場では沈黙を強いられているが、アフガン女性たちは秘密裏に抵抗を続けている。

マラライさんはさらに、「タリバンは高い建物の上にカメラを設置しました。一見すると監視カメラのようですが、その実態は女性たちを監視するためのものです。最近、何人もの女性が突然逮捕され投獄されています。」と語った。

Though silenced in public, Afghan women continue their resistance in secret. Credit: Learning Together

「タリバンは私たちを恐れています。私たちが人々や女性、少数民族への抑圧を暴露するからです。」とマラライさんは語り、「タリバンは女性に対し圧力と厳しい規則を課しています。女性はマハラム(男性の家族)なしでは外出できません。私たちが数人で一緒に街にいると尋問されます。彼らは私たちの携帯電話をチェックし、罰を与えます。」と付け加えた。

「タリバンは私たちを完全に締め付けています。国連や他国が見ている中で、彼らは私たちの人権、少数民族の権利、そして私たちの家族の権利を平然と侵害しています。」  「私たち女性は、世界的に知られたテロリスト集団の圧力や抑圧に屈せず、パン・仕事・自由のスローガンを実行し続けます。」

別の女性抗議者であるサベラさんは、タリバンが用いる恐怖政治の戦術について、「タリバンの諜報員は女性たちを逮捕しています。電話やデモで撮影した写真を通じて女性抗議者を特定し、家々を捜索して逮捕します。また、彼らは人々の身分証明書やパスポートを強制的に集め、女性抗議者を特定しています。」

「私たちは権利を求めて抗議しましたが、多くの独身女性や既婚女性が現在タリバンに拘束され、厳しい処罰を受けていますが、彼女たちの状況を追う者はいません。」「現在、多くの課題のため、私たちは顔を隠して秘密の場所で抗議活動を行い、その後すぐに別の国へ逃れなければなりません。」

タリバンは都市から離れた遠隔地ではさらに多くの残虐行為と抑圧を行っています。人々の年収の2倍の税を強制的に課し、指示に従わない場合は家に押し入り、娘たちを連れ去ります。妻や娘を強姦し、彼らを住居地から強制移動させることさえあります。

「私たちはこの抑圧にこれ以上耐えることができません。戦い続けます。」とサベラさんは語った。

インタビューを受けた人々は、アフガニスタンの女性たちがタリバンの暴政と厳しい法律に勇敢に立ち向かっているものの、支援が全くないと述べている。「貧困と失業にもかかわらず、私たちは自費でこの闘いを続けています。」とサベラさんは語った。

女性たちは国連や人権団体に対し、タリバン政権を支持せず、認めないよう訴えている。「この暗闇の底から私たちの声が世界に届かないことに非常に失望しています。」とサベラさんは語った。

欧州連合(EU)は、タリバンが可決した法律が女性の言論の自由を制限し、事実上、女性の生活を家庭内に閉じ込めることに衝撃を受けている。「タリバンがアフガニスタン市民に対する義務と、同国の国際的義務を完全に遵守することが、認定の条件となるだろう。」と欧州理事会のプレスリリースは述べている。

EUは引き続き、アフガニスタンの女性や少女、そしてタリバンによって脅威にさらされているすべての人々を支援する。一方、タリバンは国連が支援する国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の活動とも協力することを拒否している。(原文へ

INPS Japan/IPS UN BUREAU

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アサド政権の崩壊が示す中国の中東外交の限界

【ロンドンLodon Post=ローリー・チェン、ジェームズ・ポムフレット、アントニ・スロドコフスキー】

ちょうど1年前、中国はバッシャール・アル・アサド元大統領とその妻を同国への6日間の訪問で温かく迎え入れた。2011年に内戦が始まって以来、国際的に孤立していたアサドにとって、中国訪問は数少ない休息の機会となった。アサド夫妻がアジア大会に出席した際、習近平国家主席は「外部からの干渉に反対するシリア」を支持し、同国の再建を支援すると誓い、妻のアスマは中国メディアで称賛された。

しかし、わずか1年前に習主席が明確に支持した独裁者の突然の失脚は、中国の中東外交への打撃となり、この地域での戦略の限界を露呈したと専門家は指摘する。

反政府勢力の連合軍は日曜日、電撃的な攻勢でシリアの首都ダマスカスを掌握し、アサド政権を打倒、アサド家による50年にわたる支配を終結させた。

「中国がこの地域で政治的結果を形成する能力について、過大評価されている部分が多い」と、アトランティック・カウンシルのシニアフェローであるジョナサン・フルトン氏は語った。

アサド政権の崩壊は、アサドを支持していた主要な後援国であるイランやロシアのアラブ世界での影響力を低下させたと見られるが、それは中国の世界的野心にも打撃を与えたとフルトン氏は述べた。「中国が国際的に行ってきた多くの活動は、これらの国々との連携に依存している。中東における最大のパートナーを支えられなかったことは、同地域以外で何かを成し遂げる能力に関して多くを物語っている。」と指摘した。

焦点となる地域問題への対応

Map of Middle East
Map of Middle East

2023年、中国が長年のライバルであるサウジアラビアとイランの間で合意を仲介した際、中国メディアは長らくアメリカが支配していた中東での影響力の高まりを称賛した。

中国のトップ外交官である王毅氏は、同国が国際的な「ホットスポット問題」において建設的な役割を果たすと述べた。

中国は今年初めにもファタハハマス、その他のパレスチナ派閥の間で停戦を仲介し、ガザでの停戦を繰り返し呼びかけている。しかし、中東の指導者たちを北京に招き、中東特使である翟隽(チャイ・ジュン)氏が数回にわたる「シャトル外交」を行ったものの、パレスチナ人による統一政府は形成されず、ガザでの紛争も続いている。

「アサドの突然の失脚は、中国政府が望むシナリオではない」と、上海外国語大学の中東問題学者である范紅達(ファン・ホンダ)氏は語った。「中国は、安定し独立した中東を望んでおり、混乱や親米的な傾向は中国の利益に合致しない」と述べた。

中国外務省はアサド政権の崩壊に対し控えめな反応を示し、中国人の安全に焦点を当て、シリアの安定回復に向けた「政治的解決」を早急に求めた。外務省報道官の毛寧(マオ・ニン)氏は月曜日、新政府との関与の可能性を示唆しながら「中国とシリアの友好関係はすべてのシリア国民に向けたものだ」と述べた。

中国の専門家や外交官は、シリアの新政府を承認する前に慎重に様子を見るだろうと述べている。中国はその専門知識や財政力を活用して再建を支援する可能性があるが、近年、国外での財務リスクを最小限に抑えようとしているため、その取り組みは限定的なものになるとみられている。

2022年にシリアは中国の主要な一帯一路構想に加わったが、制裁の影響もあり、中国企業による大規模な投資はこれまで行われていない。

「中国はこの地域で西側を経済的パートナーや外交、軍事力として根本的に置き換えることはできない」と、中東と中国の関係に詳しいフローニンゲン大学の助教授、ビル・フィゲロア氏は語った。

「2024年の中国は、2013年から14年の一帯一路構想が始まった頃の中国ほどの財力を持っていない」とフィゲロア氏は述べ、「中国が全体としてリスクを減らし、安全な投資に方向転換する再評価が明らかに進んでいる」と付け加えた。(原文へ

INPS Japan/London Post

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ノーベル平和賞フォーラムが核のリスクと解決策を議論

【国連/オスロIPS=ナウリーン・ホサイン

核兵器がもたらす存続の危機は、過去約80年の間に戦争で使用されていないものの、依然として極めて深刻な問題であり続けている。一部の国が新たな核兵器の取得や既存の核弾頭の近代化を追求する中、核不拡散や使用を禁止する条約の弱体化により、新たな核軍拡競争のリスクが高まると、核政治や核軍縮の分野で世界的に声を上げる専門家たちは警告している。|アラビア語ノルウェー語

今年、ノルウェーのオスロで開催されたノーベル平和賞フォーラムでは、世界の核政策における第一人者や3人のノーベル賞受賞者を含む専門家たちが集まり、核兵器の増加リスクとその緩和に必要な対策について議論した。このフォーラム「NUKES: How to Counter the Threat(核兵器:脅威にどう対処するか)」は、12月11日にオスロ大学のアウラホールにおいて、ノーベル研究所が主催し、オスロ市、国際フォーラム for Understanding、創価学会インタナショナル(SGI)の協力を得て開催された。

ノーベル研究所は、核兵器の禁止を訴える活動に貢献した個人や団体に、これまでに13回ノーベル平和賞を授与している。

その最新の受賞者が、日本の草の根組織「日本被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)である。同団体は12月10日にノーベル平和賞を受賞した。受賞式では代表委員の一人田中熙巳氏は、原爆被害者の証言に耳を傾け、核兵器の非人道性を感性で受け止めるよう世界に呼びかけた。

The Nobel Prize

フォーラムは、1945年8月の広島と長崎への原爆投下を生き延びた被爆者2人の証言から始まった。

広島で8歳だった小倉桂子さんは、原爆投下後の惨状の中で、人々が放射線被害によって苦しんでいると知らないまま次々と亡くなる姿を目の当たりにした、自身のトラウマについて語った。小倉さんや他の被爆者たちは、後年、自らの体験や核兵器の直接的な代償について公に語るようになった。

「私が死ぬ前に地球から核兵器がなくなるのを見たい。」と小倉さんは語り、「核兵器の数を減らすという考え方自体が無意味です。核兵器が一つでもあれば、それはこの世界の破滅を意味します。」と訴えた。

長崎で2歳だった朝長万左男さんさんは、当時の記憶は母親の話に基づいていると語った。朝長さんは父親の足跡をたどり、医師となり、長崎大学で被爆者医療を担当し、核兵器の放射線被害に関する医学研究を行った。その研究で、被爆者の体内にある幹細胞が放射線の影響で遺伝的異常を抱えていることを突き止めた。これにより、白血病や癌にかかりやすくなることが分かった。また、幹細胞は世代を超えて生存し、累積する遺伝的エラーが生涯のうちにランダムに発生し得ると指摘した。被爆者は、おそらく前がん細胞を体内に抱えている可能性があると朝長さんは仮説を立てた。

IAEA
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過去10年の間に、核保有国による核弾頭の削減努力が見られた。しかし近年では、態度が逆方向に転じ始めている。国際原子力機関(IAEA)のラファエル・マリアーノ・グロッシ事務局長は、かつて尊重されていた軍事核ドクトリンが、いまや疑問視され、あるいは踏み越えられていると述べた。「核兵器使用の議論が通常化している。」とグロッシ氏は警告し、これらのドクトリンが再検討され、核兵器の保有や使用を容認する方向に向かっていると指摘した。

こうした時代において、グロッシ事務局長は、世界の指導者たちには核軍縮に向けた重要な一歩を踏み出す「不可逆的な責任」があると強調した。「私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、この決定をトップレベルで行う必要性を、改めて思い出すべき時期に来ているのです。」とグロッシ事務局長は語った。「特に現在のように分断された世界において、核兵器問題に取り組むための世界の指導者たちの決意が重要であることを、私たちは望んでいます。」

しかし、核軍縮の議論において、各国は核兵器に対する考え方で分裂しているようだ。また、専門家たちは、主要な関係者による核兵器についてのより「気軽な」議論が、核条約を軽視していることを示しているとも警告している。核不拡散条約(NPT)には191の加盟国があるが、批評家たちは、特に主要な関係国の間で、条約が本来意図されているほど厳格には履行されていないと指摘している。

インド・ニューデリーにある空軍研究センターのマンプリート・セティ氏は、核活動のリスクに関するパネルディスカッションの中で、核保有国が核戦争のリスクに対して異なる認識を持っていることについて考察した。

「1962年のキューバ危機の時のような共通のリスク意識は、現在存在していません。」とセティ氏は語った。「各国がリスクをそれぞれ異なる形で捉えています。」さらにセティ氏は、核兵器や核拡散に関する議論の中で使用される言葉からも明らかなように、各国が「核の枠組み」―すなわち核配備の限界―を押し広げている、と指摘した。

核戦争の脅威は、技術の進歩や、人工知能(AI)などの新興技術の影響を考慮するとさらに高まる。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の大量破壊兵器プログラムのディレクターであるウィルフレッド・ワン氏は、AIや自動化といった破壊的技術が「核兵器の脆弱性をさらに高める」だろうと指摘した。また、AIに関する未知の要素が核兵器に「不安定性や予測不可能性のオーラ」をもたらすとも述べてた。ワン氏は「リスクを完全に排除する唯一の方法は…核兵器を廃絶することだ。」と語った。

では、現代において核兵器のリスクを軽減するための措置は何か。一つの可能な方法として、核保有国と非核保有国の間での対話が挙げられる。非核保有国は、核保有国に対して活動の停止と削減への取り組みを求めることができる。カーネギー国際平和財団のシニアフェローであるトン・ジャオ氏は、多くの国が核兵器禁止条約(TPNW)の締約国でもあるグローバルサウスが、こうした要求を行う立場にあると語った。

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の事務局長であるメリッサ・パーク氏は、核保有国を含むすべての国が核兵器禁止条約(TPNW)に署名することが前進の一歩になると語った。国連は最近、現代における核戦争の影響を研究する新たな調査を承認した。この調査は、より包括的で、21世紀における核戦争の理解を更新するものとなるだろう。

Melissa Parke took up the role as ICAN’s Executive Director in September 2023. Photo credit: ICAN
Melissa Parke took up the role as ICAN’s Executive Director in September 2023. Photo credit: ICAN

「新しい国連の調査では、2022年の『ネイチャー・フード・ジャーナル』で発表された最新の科学的証拠などが取り上げられます。それによると、限定的な核戦争であっても、何百万人もの人々が即座に死亡するだけでなく、地球規模の気候変動を引き起こし、大量の煤が成層圏に到達して地球を循環し、日光を遮断し、農業の崩壊を招き、核の冬によって20億人以上が飢餓で死亡する可能性があるとされています。」とパーク氏は語った。

「私は、この新しい調査が、被爆者の方々が私たちに伝え続け、警告してきたことを確認するだろうと期待しています。それは、核のリスクが現実であり、差し迫ったものであり、非常に深刻であるということです。これに立ち向かうことは、もはや選択ではなく必要性の問題です。そして必要な行動は、核兵器を使用しないことだけではなく、全面的な核軍縮です。なぜなら、それが核兵器という存在自体の脅威を排除する唯一の方法だからです。」とパーク氏は語った。「核保有国に対して核不拡散と軍縮に向けた行動を促すには、一致団結した集団的な努力が必要です。その努力は、個人レベルから始めることができます。」

小倉氏は、世界の指導者から次世代の若者まで、核兵器を禁止することは世界全体の責任であると語った。その実現には、被爆者や核の降下物や核実験の生存者たちの経験を共有し、決して忘れないことが重要だ。彼女は希望を込めてこう語った。「私たちは一滴の水ではない。水はいずれ大きな海となり、すべての大陸をつなげていきましょう。私たちなら核廃絶がいつか達成できると信じています。」(原文へ

This article is brought to you by IPS NORAM, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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