【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】

2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|
ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。
ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。
その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。
そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。
映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。
事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?

私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。
攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。
私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。
空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。
そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。
米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。
戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。
しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。
当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。

米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。
もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。
それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。
アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。
それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。
まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。

その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。
私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。
一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。
1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。
市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。
その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。
グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。

そして9・11が起きた。
米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。
この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。
ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。
ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。
しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。
金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。
1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。
もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。
2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。

多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。
多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。
そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。
この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。
政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。
米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。
こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。
カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。
経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。

そこに通信技術の革命が重なった。
2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。

私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。
しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。
何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。
膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。
そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。
さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。
人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。
これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。

国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。
もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。
しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。
互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。
トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。
政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。
未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。
オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。
しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。
9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。
今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。
かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。
これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。
さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。

異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。

1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。
むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。
もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。
INPS Japan
関連記事:













