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中央アジア最大の提携メディアKazinform本部を訪問

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan.

INPSは、中央アジア最大の国際通信社でパートナーのカズインフォルム(Kazinform)本部(カザフスタンアスタナ市)を訪問し、今後の協力関係について協議した。

INPS Group and its flagship agency IDN-InDepthNews Director-General and Ediror-in-Chief Ramesh Jaura, accompanied by INPS Multimedia Director Katsuhiro Asagiri, visited the headquarters of our partner Kazinform International News Agency in Astana, the capital of Kazakhstan, on October 12, 2018.They were warmly received by Director-General Dr. Askar Umarov, Mr. Uteshev Daniyar, First Deputy Director General, Mr Tokabayev Kanat, Advisor to Kazinform DG, and Ms. Togzhan Yessenbayeva. Following an exchange of information on the two media organizations, the INPS-IDN DG stressed in an interview with Mr Kanat (with Ms Yessenbayev serving as an interpreter) the importance of professional journalism in the face of social media increasingly taking the upper hand.

Here the link to the interview as reported by Kazinform > https://www.inform.kz/en/traditional-media-facing-a-big-challenge-of-staying-relevant-these-days-ramesh-jaura_a3447274 (IDN-INPS 05 November 2018)

翻訳=INPS Japan

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INPSは、カザフスタンが2003年以来3年毎に開催している「世界伝統的宗教指導者会議」を取材した。会議期間中、INPS Japanの浅霧勝浩マルチメディアディレクターがラメシュ・ジャウラ編集長と共に、主催国のイェルラン・アシクバエフ外務副大臣にインタビュー取材した。

アシクバエフ氏は、カザフスタンがユーラシア大陸の真ん中に位置する交易の十字路として多様な文化や宗教を受け入れてきた歴史的背景(人口1800万人、国内に130のエスニックグループ、18の宗派、3715の宗教団体が共存する多文化社会)を指摘したうえで、宗教的寛容が忘れ去られつつあるこの重要な時期に、「信仰と善意をもつあらゆる人々」に対して連帯を呼びかけ、「地球上の平和と調和を実現する」よう求めるこの会議の意義を説明した。事実、同会議が諸宗教・文明間の対話と理解の促進に果たした重要な貢献については、2004年の国連決議A/RES/59/23でも認知されており、国連総会第62回会期は、世界伝統宗教指導者会議の勧告に従って、2010年を「文化の和解のための国際年」とすることを決議している。

Kazakh Deputy Foreign Minister Yerzhan Ashikbayev explains the importance of the two-day Congress of the Leaders of World and Traditional Religions on October 10, 2018 in Astana – not only for Kazakhstan but also for the world at large.

INPS Japan

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「世界伝統的宗教指導者会議」青年平和コンサートを収録

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Filmed by Katsuiro Asagiri, Multimedia Director of INPS

INPS Japanの浅霧勝浩理事長・マルチメディアディレクターは、カザフスタンが2003年以来3年毎に開催している「世界伝統的宗教指導者会議」を取材した。この映像は、会議を締めくくった「青年平和コンサート」を収録したもの。青少年合唱団による歌で始まったコンサートは、セルゲイ・ラフマニノフ、ヌルスルタン・ナザルバエフ、アルチュンベク・コラズバエフなどによる演目が披露された。平和と調和の宮殿「通称:ピラミッド」で開催された平和コンサートには、インド・インドネシア・ジョージア・ハンガリー・イスラエル・イタリア・韓国・中国・ブルガリア・オーストラリア・米国・南アフリカ共和国等から合唱団が参加した。

The landmark Congress of the Leaders of World and Traditional Religions concluded with an appeal “to all people of faith and goodwill” to unite, and called for “ensuring peace and harmony on our planet”. The event was celebrated with a Peace Concert in which 500 choir singers from five continents of the world took part. A children’s choir consisting of little singers kicked off the concert with the songs, among others, by Sergey Rakhmaninov, Nursultan Nazarbayev, and Altynbek Korazbayev. The concert – organized by the Ministry of Culture and Sport of the Republic of Kazakhstan – gathered choir singers from India, Indonesia, Georgia, Hungary, Israel, Italy, Japan, the Republic of Korea, China, Bulgaria, Australia, USA, and South Africa among others.

INPS Japan

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Filmed by Katsuiro Asagiri, Multimedia Director of INPS

INPS Japanの浅霧勝浩理事長・マルチメディアディレクターは、ドイツから合流したラメシュ・ジャウラ編集長と共に、カザフスタンが2003年以来3年毎に開催している「世界伝統的宗教指導者会議」を取材した。6回目となる今回の会議には、政治指導者、国際組織(国連「文明の同盟」(UNAOC)、欧州安全保障協力機構(OSCE)、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)、アラブ連盟等)の他、世界・伝統宗教を代表する82の代表団が46カ国から参加した。映像は日本から招待された創価学会代表による発表を収録したもの。

中央アジアに位置するカザフスタンは、人口1800万人、国内に130のエスニックグループ、18の宗派、3715の宗教団体が共存する多文化社会である。この会議は、諸宗教・文明間のグローバルな対話が開始され、さまざまな国や社会における相互理解と尊重を促進するうえで、大きな役割を果たしてきた。同会議が諸宗教・文明間の対話と理解の促進に果たした重要な貢献については、2004年の国連決議A/RES/59/23でも認知されている。国連総会第62回会期は、世界伝統宗教指導者会議の勧告に従って、2010年を「文化の和解のための国際年」とすることを決めた。

In his remarks at the Plenary session of the two-day Congress of the Leaders of World and Traditional Religions on October 10, 2018 in Astana, the capital of Kazakhstan, Mr Hirotsugu Terasaki, Vice President of Soka Gakkai, explained Soka Gakkai's activities of faith communities in furthering the cause of a nuclear-weapons-free world and thus ensuring human security. Faith communities can provide a spiritual pillar or backbone for a shared sense of a common home and harmonious coexistence embracing all humanity. Faith-Based Organizations (FBOs) can collaborate in generating and expanding such peaceful “public space” by transcending the differences of our respective faith traditions and promoting common universal values, Mr Terasaki added.

INPS Japan

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東南アジアでインフラ接続を推進する日中両国(趙洪厦門大学東南アジア研究センター教授)

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【シンガポールIDN-INPS=趙洪】

東南アジア諸国は、依然として地域の市場統合と接続性という大きな難題に直面している。東南アジア諸国連合(ASEAN)は、海外投資を呼び込む機会としてだけではなく、東南アジアのインフラを自らの望む方向に改変するために、鉄道網や道路網、水路の建設を通じて接続性を強化しようとしている。

この機会は、海外インフラ整備の資金調達と高速鉄道建設において、アジアの巨人たる日中両国の競争を激化させている。

日本は東南アジアに1970年代から巨大投資を開始し、1990年代までには同地域を横断するインフラ接続のビジョンを形成した。日本の基本的な考え方は、地域内、地域間の相互接続性を確立し、地域内のさまざまな開発途上国を横断した経済回廊を建設し、ASEANの工業化と地域統合を促進するというものであった。

日本はASEANを「日本が決して失ってはならず、後れを取ってもいけない市場」と捉えている。2015年9月にジャカルタ・バンドン間の高速鉄道プロジェクト受注競争に敗れて以来、日本政府は融資政策を変更し、将来的に「高い質の」インフラ開発に貢献することを約束してきた。

2018年2月、安倍晋三首相とその内閣は、日本の新たな援助政策を策定し、日本の援助を「自由で開放的なインド太平洋戦略」実現のために活用する方針を明らかにした。2016年8月に安倍首相が導入したこの政策は、「質の高い」インフラ開発と海洋法の執行を通じて地域の接続性を強化することを目指すものであった。

Prime Minister Shinzo Abe/ by Prime Minister of Japan Official , CC BY 4.0
Prime Minister Shinzo Abe/ by Prime Minister of Japan Official , CC BY 4.0

中国が東南アジアに投資を開始したのは、日本よりもずっと遅い。同地域でインフラ開発に関わり始めたのは2000年代初頭。雲南省と広西チワン族自治区が東南アジア諸国との地域間交通網に重点を置き始めてからのことだ。

東南アジアでインフラの接続性を強化する中国の取り組みは、習近平国家主席が「一帯一路」構想を提案した2013年以降、加速してきた。中国のこの枠組みの下での東南アジアにおけるインフラ建設の長期的目標は、中国と東南アジアを結ぶ4500~5500キロ規模の鉄道線3本を含むアジア全域を結ぶ鉄道ネットワーク形成など、きわめて野心的なものだった。

ASEAN10カ国に対する中国の投資は、日本や、さらには米国に対してもかなり後れを取っているが、「一帯一路」の履行と、中国・ASEAN間の政策協調が強化されるにつれ、投資は増えてくるであろう。

互いに競争しているようにも見えるが、東南アジアにおける鉄道ネットワーク建設の戦略的計画は、日中で異なっている。日本は主に東西の接続を狙う。ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナムをつなぐ「東西経済回廊」を開発して日本の絡んだ複数の事業を融合させようとしている。その目的は、日系企業にその事業を拡大させ、インフラ接続を通じて東南アジア内外での生産ネットワークを最適化することにある。

中国の長期的目標は、南北を貫通するアジア鉄道ネットワークを構築することにある。クアラルンプール・シンガポール間の高速鉄道とつなぎ、東南アジア、さらにはその遠方への中国のアクセスを強化することをもくろむ。

日本政府は、インフラシステムの輸出を、長らく停滞する日本経済を再活性化するカギを握るとみている。インフラ開発は製造業部門からサービス部門へと拡張し、世界のマーケットへのアクセスを確保する効果的な方法を提供するビジネスだと見られている。安倍政権は、民間投資を通じて日本のインフラ製品の販売力を強化する決意だ。

中国にとっては、東南アジアのインフラ事業は政治的重要性も抱えた(もっぱら、一帯一路と中国が主導するアジアインフラ投資銀行の地政学的な重要性のため)ものでもあるが、より大きくは国内の経済的利益のためである。中国は、近隣諸国の開発戦略を受け入れ、それと連携していくことを通じて、同国西部の開発を加速しようとしている。

日本と中国には、東南アジアで共通の目標と経済的利益がある。両国は協調の重要性を認識し、第三国で共同のインフラ開発にあたるコンセンサスに到達している。安倍首相はこの10月に予定される中国公式訪問で特定の協力プロジェクトに関して合意を目指すものとみられている。

ASEAN諸国にとっては、日中両国は重要な投資源であり、主要な貿易相手国だ。両国はその金融・建設の能力を活かして、東南アジアのインフラプロジェクトに資金調達することを可能としてきた。

地域の接続性強化はASEANコミュニティの長期的目標である。ASEANには、「ASEAN統合作業計画」や、「2025年に向けたASEAN連結性マスタープラン」など、自らの目標がある。日本あるいは中国からの投資はこれらの目標と一致しないとみなされる可能性もある。

たとえば、個々の国に対する中国の投資が増すにつれ、中国と東南アジアを結びつける新たなインフラ接続が、ASEAN自体の接続性にとって脅威となるとの懸念が強まっている。日中の高速鉄道が両立可能なのかという心配もある。異なった技術を利用したシステムを地域のさまざまな国が採用した場合、鉄道ネットワークが問題を起こしかねないのだ。

ASEAN/ Public Domain
ASEAN/ Public Domain

したがって、ASEAN、中国、日本の間の地域的接続に関する協調と対話の効果的なメカニズムが必要となる。この種の多国間協調は日中間の信頼を強化しうるだけではなく、そのインフラ開発目標の効果を高めうる。日中というアジアの巨人が、国益という狭いレンズではなく、広範な地域的視野を持って物事を眺め始めるようになるのは、こうした取り組みを通じてであろう。(原文へ

※著者は厦門大学(中国)東南アジア研究校教授。この文章は2018年9月15日に「東アジアフォーラム」に寄稿され、東南アジア地域外でも有益な記事であることにかんがみて再録されたものである。

INPS Japan

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|日本|拘束を解き放って核廃絶に向かう道とは

【東京IDN=浅霧勝浩】

核兵器なき世界を実現する国際的な取り組みに対する日本国内の深い関心は、9月26日の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に向けた活動に現れている。この国際デーは、国連総会の決議(68/32)に従って2014年に初めて記念式典が開催された。

核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、北朝鮮からの脅威や中国との微妙な関係、米国の核の傘によって課せられた拘束を解くことを可能にするためにこの国際デーを利用しようという日本の市民社会の取り組みが、2つのイベントの形で現れた。

SGI

そのひとつが、創価学会インタナショナル(SGI)と2017年のノーベル平和賞受賞団体である核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が共同制作した「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展である。9月21日に始まり、東京では初開催となる。

核兵器禁止条約(核禁条約)の早期発効の重要性を強調したこの展示は、2012年に広島で始まって以来、20カ国・88都市で開催されてきた。

核禁条約は2017年7月に国連総会で採択され、同年9月に署名開放された。現在までに69カ国が署名、19カ国が批准している。50カ国が批准してから90日経過すると発効する。

日本は条約交渉会議に参加しなかった。条約を署名も批准もしていない。河野太郎外相は9月24日のイベント「核兵器なき世界へ向けて―被爆国の役割を考える」へのメッセージでその理由を説明している。

このイベントは、核兵器廃絶日本NGO連絡会が主催、国連広報センターが共催し、ヒバクシャ国際署名連絡会明治大学法学部が協力した。

河野外相は、核禁条約のアプローチは日本政府のそれとは異なってはいるが、この条約が目指す核兵器廃絶という目標は日本政府も共有している、と説明した。他方で、核禁条約は、安全保障の観点を踏まえることなく作られたため、核保有国と日本のような安全保障上の脅威に直面している国々は参加していない、と説明した。

Mr. Nobuharu Imanishi, Director of Arms Control and Disarmament Division, MOFA delivering the message by Foreign Minister Taro Kono. Credit: Katsuhiro Asagiri
Mr. Nobuharu Imanishi, Director of Arms Control and Disarmament Division, MOFA delivering the message by Foreign Minister Taro Kono. Credit: Katsuhiro Asagiri

さらに河野外相は、日本政府は、民生・軍事両目的においてあらゆる環境ですべての核爆発を禁じる包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を促進することを通じて、核兵器国をしっかりと巻き込んだ、実践的かつ具体的な取り組みを粘り強くすすめていく、と述べた。

また、高濃縮ウランとプルトニウムという核兵器の2つの主要材料の生産を禁止する国際取り決めの提案である核分裂性物質生産禁止条約の早期交渉入りに努力するとも約束した。

河野外相はさらに、一般的にはNPTとして知られる核兵器不拡散条約を引き続き重視していくとも述べた。河野外相は、NPTは国際的な核軍縮・不拡散を実現するための最も重要な基礎であり、多くの成果を残してきているとみている。

河野外相は、安全保障と核軍縮を同時追求することが必要であり、「核兵器なき世界」への軌道は、核兵器国と非核兵器国との協力の下で実践的かつ具体的な取組みを着実に積み上げていきつつ、他方で人道的観点と安全保障の観点のバランスを取っていく点にある、と述べた。したがって、NPTの維持・強化は、日本政府の取り組みの中心に座り続けるであろう。

透明性の向上や核軍縮検証メカニズム、核兵器国と非核兵器国の双方を巻き込んだ議論、NPT加盟国間の積極的な行動や議論が、核兵器なき世界につながる橋を架けることに役立つ可能性がある。

河野外相は、日本は唯一の被爆国として、国境と世代を超えて、被爆の悲惨な実相を正しく伝えていく義務がある、と述べた。

被爆者が高齢化するなか、日本政府は2013年、被爆の実相を次世代に伝えていく取り組みを後押しするために、ユース非核特使の制度を立ち上げた。

非核特使は、「原爆展」や国内外で開催される国際イベントに参加し、核兵器使用の実相を国際社会や将来の世代と共有する役割を担っている。

日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳代表委員は「核兵器廃絶への道筋に光は見えた」と題する基調講演で、世界の人口の6割を占める122カ国により核禁条約は採択された、と指摘した。

日本政府が発表したように、日本は条約を署名も批准もしていない。田中氏は、したがって日本政府を動かし署名・批准させることが私たちにとって最大の課題だ、と述べた。また田中氏は、「核兵器国が核兵器をなくすということにならなければ、核禁条約があっても、核廃絶を実現することにはならない。」と指摘したうえで、「したがって、核兵器国や、北大西洋条約機構(NATO)のような核依存国の発想、つまり、核抑止政策に依存する発想を変えなくてはならない。」と述べた。

日本政府は、国家の安全のために米国の核戦力に依存するという立場を採ってきた。「日本の多くの国民が、自らの安全のためにアメリカの核兵器に頼りたいという意思を本当に思っているのか、改めて問い直していかなければならない。」と田中氏は強調した。

「原爆の被害者から見れば、これからの戦争で武器を使ってやるということは、究極的には核戦争になっていくのではないかと恐れている。したがって、日本国民は、核兵器を使ってはならないと心にとめおかねばならない。我々は核兵器を廃絶しなくてはならないし、核兵器に依存しようという考え方は間違っている。」

田中氏はまた、「外務省は軍縮教育を重視しているとして、海外の若い外交官らを広島・長崎に招待して被爆者と会わせるということをしているが、私からみると本当にささやかな軍縮教育しかやっていない。日本は世界の先頭に立って軍縮教育をやらねばならない。私の考えでは、日本は、核廃絶教育を軍縮教育の柱に置き、それに集中した教育を若い人たちにやっていってほしいと思う。」と述べた。

原爆詩の朗読をライフワークとしている女優の吉永小百合氏は、ピースボート共同代表でICAN国際運営委員の川崎哲氏とのトークで、「核禁条約が採択された今、日本の私たちはこの問題をよく考えて、絶対いに核兵器をやめましょうと言うべきではないかと思っています。」と述べた。

9月24日のイベントは、国連広報センター(東京)の根本かおる所長をモデレーターとして「軍縮教育の可能性-核兵器廃絶と市民社会」と題するパネルディスカッションも行われた。

Talk between Akira Kawasaki and Sayuri Yoshinaga photo credit Shunya Mizumoto
Talk between Akira Kawasaki and Sayuri Yoshinaga photo credit Shunya Mizumoto

外務省軍備管理軍縮課の今西靖治課長は、毎年8月にジュネーブの日本代表部で高校生平和大使とジュネーブ駐在の各国外交官との会合を開催している、と述べた(「高校生平和大使」は、広島・長崎の声を世界に伝えるために、1998年以来、日本の約50の平和団体によって選出されている)。

加えて、外務省は、国連の軍縮フェローシッププログラム(日本訪問プログラム)を支援している。1982年以来、各国の957人がこのプログラムを通じて広島・長崎を訪問した。ニューヨークやジュネーブで軍縮問題に取り組んでいる外交官がこのプログラムに参加し、原爆の実相に関する見識を深めてきた。

ミドルベリー国際大学院モントレー校ジェームズ・マーティン不拡散研究所で教育プロジェクトの責任者を務める土岐雅子氏は軍縮教育の重要性を強調した。土岐氏はモントレーで開かれた「クリティカル・イッシュー・フォーラム」における米国のウィリアム・ペリー元国防長官の次の言葉に触れた。「核の脅威を削減するために教育を通し青少年たちが、核兵器が与える実際の脅威を理解しなければ、核廃絶への前進は不可能だ。」

国連の潘基文事務総長(当時)は2013年にモントレーでの講演でこう語ったという。「学生にとって核抑止の論理を勉強し理解する方が、安全保障に資するという『神話』を論破することを学ぶよりもずっと優しいのだ。しかし、教育は、核軍縮が夢物語であるという主張を、間違っていると、論破することに役立つ。」

ナガサキ・ユース代表団の工藤恭綺氏は、2018年4月にジュネーブで開かれた第2回NPT準備委員会会合のサイドイベントで同代表団が流した5分間のビデオを上映した。これは、長崎の普通の若者たちが核兵器に対して持っている考えを紹介したものだ。「核兵器を完全に廃絶するのは難しいと思う」「核兵器は死と隣り合わせ」「核兵器は予測不能」「共存できない」といった声が聞かれた。

平和教育を受けてきた若者が多いはずの長崎ですら、核軍縮問題についてのネガティブな見方があり、現実を変える希望を失っている人もいる、と工藤氏は説明した。(原文へ

Ms. Mitsuki Kudo of the Nagasaki Youth Delegation showed a five-minute introducing voices of ordinary young people in Nagasaki on their perception of nuclear weapons. Credit: Katsuhiro Asagiri
Ms. Mitsuki Kudo of the Nagasaki Youth Delegation showed a five-minute introducing voices of ordinary young people in Nagasaki on their perception of nuclear weapons. Credit: Katsuhiro Asagiri

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【ローマIDN=ロベルト・サビオ

この原稿の執筆にとりかかった段階で既にコフィ・アナン元国連事務総長の死から1カ月が経過していた。既に多くのことが書かれているので、今さらアナン氏の平和と国際協力への取り組みについて想起する必要はないだろう。むしろそれよりも、故人をより重大な文脈、つまり、大国がいかにして、国連事務総長の人格を損ない続け、国連システムの独立性を保とうとした人々にいかにして高い犠牲を払わせようとしたか、という文脈に置いて考察した方が意味があるだろう。

まずは、国連が、米国の強力な後押しを得て誕生した組織であることを忘れてはならない。第二次世界大戦に勝利した米国と連合国(米国の41万6800人の兵士と1700人の民間人の死者に対して、ソ連は2000万人以上の兵士と民間人を失った)は、あらたな世界的紛争の再来を避けることを願った。米国は、廃墟と化した世界の平和を通じて、自身の経済的・軍事的覇権の維持を可能とするような多国間システムの構築をめざした。国連予算の25%を負担することを約束し、その本部を国内に置くことを引き受け、前例のない程度の主権譲渡も認めた。

Official Portrait of President Reagan 1981/ Public Domain
Official Portrait of President Reagan 1981/ Public Domain

こうした国連に対する特別扱いに対して、初めて痛撃を加えたのがロナルド・レーガン米大統領であった。レーガン大統領は、1981年の就任まもなくしてメキシコ・カンクンで開催された南北サミットにおいて、国連は米国の国益を拘束するものだとの見方を示した。米国には他国と同様に1票しかなく、(しばしば途上国による)多数決によって米国の政策とはかけ離れた道をたどらねばならないことは受け容れがたい、と述べたのである。それ以降の米国の政策は、国連の政治的な重みを変えようとするものだった。そのために、米国の政治的な重みを考慮に入れる「マネージャー」として国連事務総長を常に確保しようとしてきた。

本性的にも、そして意識的にも対立を避ける物静かなペルーの外交官ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏クルト・ヴァルトハイム氏(カンクンの南北サミット時の国連事務総長)を引き継いでから、米国は国連から手を引き始めた。しかしこの流れには、保守穏健派のジョージH.W.ブッシュ大統領の登場で歯止めがかかった。ブッシュ大統領は、米国の力を発揮する場所として国連をより前向きに受け止めたのである。

それからベルリンの壁が崩壊し、国連総会が社会主義ブロックによって濫用されることがなくなった。デ・クエヤル氏の後を継いだのはエジプトの外交官ブトロス・ブトロス=ガリ氏だった。米国はガリ氏を支持した。エジプトは伝統的に米国の同盟国と見なされていたからだ。

Boutros Boutros Ghali at Naela Chohan's art exhibition for the 2002 International Women's Day at UNESCO in Paris./ By Naelachohanboutrosghali, Public Domain
Boutros Boutros Ghali at Naela Chohan’s art exhibition for the 2002 International Women’s Day at UNESCO in Paris./ By Naelachohanboutrosghali, Public Domain

ガリ氏はその後、国連事務総長として驚くほど独自の立場を取るようになる。国連を再起動する広範なキャンペーンが始まった。気候から人口、人権、ジェンダー平等に到る幅広いトピックで世界会議が開催され、コペンハーゲンでは社会開発サミットが開かれた。これらの会議では強力な公約が発せられた。ガリ事務総長は、「平和へのアジェンダ」「開発へのアジェンダ」を発表し、米国が対応できないようなその他多くの取り組みを行った。結果として、1996年に米国が拒否権を発動したことでガリ氏は2期目に就任できなかった(しかし安保理の他の14カ国は賛成票を投じた。ガリは1期しか任務を果たせなかった唯一の国連事務総長となった)。

ビル・クリントン氏が米大統領に就任したとき、彼の方向性はそれほどはっきりしていなかった。彼は明らかに国際派であり、ルワンダ内戦に関して、米外交政策の利益にならない平和維持活動を米国は禁ずると公式に語っていた。彼はまた、貯蓄銀行を投機銀行と隔てていた1933年のグラス=スティーガル法を廃止した大統領でもあった。その結果として投機資本が膨張し、市民の貯蓄が資本を拡大するために利用され、金融資本が経済と政治を凌駕することとなった。

国連大使としてガリ事務総長と闘った実績もあって国務長官に就任したマデレーン・オルブライト氏を擁するクリントン政権は、ガリ氏への拒否権発動によって、ひとつのシグナルを送ることを意図していた。つまり米国は、米政府の声を無視する国連事務総長は追い出す用意がある、というメッセージだ。オルブライト国務長官の提案は受け入れられ、尊敬を集めていたガーナの高官コフィ・アナン氏が、安保理によってガリ氏の後継に指名された。

アナン氏の偉大さが前面に現れたのはこの時である。米国とつながっているとみなされていた男が、国連をより透明で効率的なものにするために、行政改革に取り組むのである。彼は、2001年に国連とともにノーベル平和賞を受賞するが、その理由は「よりよく組織され平和的な世界」の実現に努力したということであった。最高位における彼の名声と権威を確証づけるものだった。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

しかし、2001年、ジョージ・W・ブッシュが米大統領に選出された。彼の目標は、変化する世界において米国の優勢を保つことであり、それはレーガン精神を多分に受け継いだものであった。アナン事務総長をよく知るものであれば誰もが、当時ブッシュ大統領がアナンの抵抗にも関わらず、いかに国連事務総長の無条件の支持を望んでいたかを聞にしただろう。

ブッシュ大統領は、職務開始にあたり米国の警告を無視してかつてクウェートを侵略したイラクのサダム・フセイン大統領の排除を決定した。2003年、イラクが大量破壊兵器を保有しているとの十分な証拠がなかったために国連安保理からの支持が得られず(米政権に対するフランスの拒否感は強いものだった)、ブッシュ大統領は、英国のトニー・ブレア首相の支持を得て「有志連合」なるものを編み出した。米国はこうして、国連からの授権がないままにイラクに侵攻したが、その帰結は、私たちが既に知っているとおりである。

アナン事務総長は侵略を非難し、2004年、これは違法行為であると断じた。これに対する米国の報復は、素早かった。

2005年、ある支援事業が立ち上げられた。国連が、イラクの民間人に食料と医薬品を供給するために、同国の石油を売却するという枠組みだった。メディア王のルパート・マードック氏からの圧力の下、米国の右派はひとつのスキャンダルを捏造した。国連とアナン氏(彼の息子を通じて)をターゲットとし、国連の信頼性を傷をつけようとするものであった。米連邦準備制度理事会のポール・ボルカー元理事長を座長とする調査委員会は、米英の企業やサダム・フセイン本人が違法な取引によって利益を得たと結論づけたが、これは役に立たなかった。そのころまでには、国連のイメージが修復不可能なまでに傷つけられていたからだ。

アナン事務総長は比類なき自尊心をもって2006年に職を辞し、平和と国際協力のための行動を起こした。アラブ連盟と国連が2012年2月にシリア内戦の調停をアナン氏に依頼したのは、彼の人格を象徴する出来事であった。彼がその職を辞したのは5カ月後のことだった。紛争が国際化したが誰も和平に関心を持っていない、というのがその理由だった。

2007年から2016年までは韓国の外交官・潘基文が事務総長職にあった。「もっとも無害な人物を選べ」というのが米代表部に対するブッシュ大統領からの指示だったという。2009年、ブッシュ政権の後を、米国外交の基本方針として国際協調と緊張緩和を信奉するオバマ政権が引き継いだが、潘基文時代の国連はほとんど何の遺産も残すことができなかった。

今日、国連はある種の「スーパー赤十字」状態にある。経済や金融のガバナンスに影響を与えることはしないが、難民や教育、保健、農業、漁業といった分野の政治には関与する、という意味である。グローバル化の二つの巨大なエンジンである貿易と金融は、人類のための討論とコンセンサスの場であることを止めた国連の埒外にある。今では、ダボスの世界経済フォーラムには、国連総会よりも多くの参加者がある。

国連危機の背後には多くの要因があるが、多国間主義から米国が徐々に離脱しつつあることが、最大の問題だ。「アメリカ・ファースト」だけではなく「アメリカ・アローン」(アメリカ単独)の政策をめざすドナルド・トランプ大統領の下で、米国はもはや国連を必要としていない。ロナルド・レーガン氏、ジョージ.W.ブッシュ氏と並んで、ドナルド・トランプ氏は、国連にとって第3の「おくりびと」だ。

現在の事務総長アントニオ・グテーレス(ポルトガル出身)は最高位での政治的キャリアを持ち、同国の首相も務めた人物である。彼は、国連総会によって選出され(これは前例のないことだった)、安保理に押し付けられたのである。国連から米国を脱退させるというトランプ大統領の公約に縛られて、グテーレス事務総長は、これ以上の国連の衰退につながるような立場を回避せざるを得なかった。

多国間主義の危機とナショナリズムへの回帰は国際的な現象だ。米国だけではなく、中国やインド、日本、フィリピン、ミャンマー、タイ、そしてイタリアを含む一部の欧州諸国が、古い罠にふたたびはまりつつある。神の名において、国民の名において、そしていまや「カネ」の名において、ナショナリズムや外国人排斥、ポピュリズムを動員して欧州のプロジェクトから脱退しようというのである。

「流される」ことをよしとする今の時代にあえて抵抗しようとする人々の議論に市民を引き寄せるために、政治的利益にこだわらず、自らの立場に未練を見せることもなく、価値と理想に何よりも重きを置くコフィ・アナン氏のような人物がこの世からいなくなりつつあると言ってしまうのは、果たして妥当だろうか。(原文へ

Surrounded by family, former Secretary-General Kofi Annan’s widow Nane pays final respects to her late husband in Accra, Ghana on 13 September 2018. Credit: UN Photo/Ben Malor.
Surrounded by family, former Secretary-General Kofi Annan’s widow Nane pays final respects to her late husband in Accra, Ghana on 13 September 2018. Credit: UN Photo/Ben Malor.

INPS Japan

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HIV/AIDS蔓延防止に向けたカンボジア仏教界の試み

【プノンペンAPIC=浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア】

カンボジア仏教界は、ポル・ポト政権下で僧侶の大半を虐殺されるなど壊滅的な打撃を受け、現在も再建途上の段階にある(カンボジアには約3,700の寺院があり、約50,000人の僧侶と9,000人の尼僧が仏教界と伝統的なモラルの再建に従事している)。 

しかし、内戦後の価値観の混乱に伴う諸問題(拝金主義と人身売買の横行、性行動の早期化/カジュアル化とHIV/AIDSの蔓延等)に直面して、伝統的なモラルの体現者としての僧侶の役割が改めて見直されるようになってきている。

 カンボジア政府も、かつて村落共同体の中核として人々の精神生活に大きな影響を及ぼし、青少年のよき指導者であったパゴダ(寺院)の僧侶の役割を再び重視するようになっており(カンボディア政府が仏教界の再建に実質的に着手したのは、1988年に55歳未満のカンボジア人が僧侶になることを禁止した法律を撤廃してからである)、1997年からは、国連児童基金(UNICEF)の支援も得てHIV/AIDSの蔓延防止に向けた仏教界との積極的な提携を模索している。ここでは、ポル・ポト時代の破壊の傷跡が深く残るカンボディア仏教界が、人心の救済を目指して、隣国タイ仏教界の活動を範としつつHIV/AIDS対策に取り組もうとしている現状を報告する。 

性感染症と社会的/宗教的価値観 

 カンボジアは伝統的に仏教国(国民の95%が仏教徒)で、誠実さ、正直さ、謙虚さ、家族の絆が重視されてきた。しかし、1975年~79年に政権を掌握したポル・ポト政権は原始共産主義を政治理念に掲げ、従来の家族の絆に代えてクメール・ルージュの指導者(オンカー)を頂点とする新たな秩序を基本とする社会体制の創造を試みた。 

その際、知識層と共に僧侶も粛清の対象とされたため、その大半が虐殺された。僅か4年間のポル・ポト時代が、数千年に亘って受け継がれてきたカンボジアの人々の価値観を根本的に変革するまでには至らなかったが、従来の社会規範、道徳規範に深刻な傷跡を残したことは否定できない。 

ポル・ポト政権崩壊後のカンボジアの極貧環境に洪水のように押し寄せた物質主義は、伝統的価値観に更に深刻な悪影響を及ぼした。現在のカンボジアでは、拝金主義と性情報の氾濫が若者の価値意識を混乱させている。一方、かつてないモラルの退廃とエイズの蔓延に危機感を募らせているカンボジア人も少なくなく、仏教の教えを根本とした伝統的な価値観への回帰を志向する人々も増えてきている。このように、カンボジア社会における社会的/宗教的価値観の位置付けは様々である。 
    
国連機関の支援を得て隣国タイ仏教界の取り組みに学ぶ 

カンボジア政府は2000年3月、HIV/AIDS対策について、従来の保健衛生セクターに限定せず仏教界を含む様々なセクターと連携したアプローチ(Multi-sectoral Approach)を採用する方針を発表した。これに対して、カンボジア仏教界は、パゴダを拠点とした(カンボジアでは、全ての人々がテレビやラジオにアクセスできるわけではないが、パゴダや僧なら全国のコミュニティーにあり、誰でも簡単にアクセスすることができる)アドボカシー活動や僧侶によるHIV/AIDS予防/感染者のケア等を視野に入れた協力をしていく方針を打ち出し、具体的な協力の可能性を隣国タイ仏教界の経験に学ぶ目的で、2001年4月、国連児童基金(UNICEF)の支援を得て仏教界の代表団をタイに派遣した。 

カンボジアより早い段階でHIV/AIDSが深刻な社会問題に発展したタイでは、仏教界は当初からHIV感染者に対する差別を戒めたり、責任ある行動をとるよう促してきた。1993年頃より僧侶自身が率先してHIV感染者達の中に入り、説法の内容を具体的に実践していくことで人々にエイズ患者達との共存を訴えていく運動が、タイ北部及び東北部を中心に活発になった。 

「宗教の戒律を説くのみでは差別に苦しむHIV感染者たちの救済にはつながらない。単なる言葉ではなく、私達の具体的な行動を通じてメッセージを発していくことが重要である。人々にHIV感染者の差別をやめるよう説くならば、まず私達がHIV感染者の人々と共に行動して仏教の教えを実践すべきである。」(Phra Phongthep, タイの僧侶) 

僧侶達の活動内容はパゴダによって様々だが、エイズ孤児のケア、ホスピス運営、HIV感染者を対象とした瞑想センターの運営、NGOと協力したHIV感染者の収入向上支援、パゴダでのHIV/AIDS教育の実施、エイズ患者の家庭の巡回訪問等、多岐にわたっていた。 

カンボジア仏教界の指導者達はその際のタイ訪問を通じて、いかに無数の僧侶や尼僧達が献身的にエイズ患者と接しているか、そしてその結果、いかに多くのエイズ患者が差別によって傷ついた心を癒され、人間としての尊厳と自尊心を取り戻すことに成功しているかを目の当たりに観察し、大いに勇気付けられた。 

「仏教の教えとその実践者である僧侶達を有効に活用して、寺院や寺院経営の教育機関、大学などにおいてHIV/AIDS対策を実践しているタイの経験は、カンボジアにおいても大いに生かすことができる。カンボジアでは、仏教界も再建途上にあり僧侶、尼僧の大半が文盲で経験不足という状況にあるが、近い将来彼らに必要な知識と技術を訓練し、タイのように仏教界が率先してHIV/AIDSの予防とケアを実施し、カンボジア社会の進むべき正しい道を示していけるような体制を構築したい。」(H.H.Buo Kry, supreme patriarch of the Dhammayuth sect) 

カンボジア政府としてはタイでの成果を踏まえて、再建途上ではあるものの農村部を中心に今なお民衆心理に大きな影響力をもつカンボジア仏教界の役割に期待しており、僧侶を性行動に関する自己抑制(Abstinence)のモデルとして活用することで、ますます低年齢化が進んでいる青少年の性行動を遅らせたいと考えている。 

「宗教関係者、特に仏教の僧侶による支援は、草の根レベルにおけるHIV/AIDS対策を行う上で、大変効果的である。僧侶達は、忠義、誠実さといったポジティブなイメージを体現する存在であり、彼らがエイズ患者の救済に取り組む姿は、一般のカンボディア人のエイズ患者に対する偏見を払拭するのに大いに役立っている。」(Dr. Tia Phalla, NAA) 

「以前は、HIV/AIDS患者が村ででると、その家族まで偏見の対象となったものだが、僧侶がHIV/AIDS感染の特性や安全に共存できること、そして差別ではなくコミュニティーで支えていくことの重要さを説いてまわった結果、HIV/AIDS感染者に対する村人の姿勢は変わってきている。」(Nhean Sakhen, Social Worker of Banteay Srei) 

従来型の支援に加えて内面の癒しを伴う精神的な支援も必要: 

「カンボジアでは大半の寺院がポル・ポト政権時代に破壊され、経験豊かな僧侶の大半が虐殺されたため、タイのようにパゴダを拠点とした病院やホスピスを組織的に運営できる状態ではない。現段階で最も効果的なアプローチは、僧侶を訓練し、エイズ患者を抱える家庭を巡回して患者の精神的なケアを行う体制を構築していくことである。このような、パゴダではなく家庭を拠点としたHIV/AIDSのケア体制の場合、その中核となるのは患者の家族であり、地域コミュニティーの協力と理解が不可欠である。HIV/AIDS対策において重要なのは患者の身体的な状態に留まらず、自分が家族やコミュニティーに受け入れられているかどうかといった精神面の健康が極めて重要となる。我々は、僧侶による巡回診療/カウンセリングと平行して、エイズ患者をとりまく人々に対する啓蒙活動を通じて、HIV/AIDSの問題を共通の課題として向き合える社会的土壌を育んでいきたい。」(Dr. Mey Nay, UNICEF)  

(財団法人国際協力推進協会カンボジア取材班:浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア) 

CTBTO青年グループと賢人会議(GEM)合同による「2018年青年国際会議」を取材

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan

INPS Japanの浅霧勝浩理事長・マルチメディアディレクターは、包括的核実験禁止条約機関準備委員会(CTBTO)からの招待を受けて、中央アジアのカザフスタン共和国において5日間に亘って開催されたCTBTO青年グループ賢人会議(GEM)合同による「2018年青年国際会議」プログラムを取材した。

On 28 August 2018, members of the Group of Eminent Persons (GEM) and the CTBTO Youth Group (CYG) gathered in Kazakhstan’s capital city of Astana for a five-day conference aimed at reflecting on the role of nuclear disarmament and non-proliferation in building global peace and finding ways to strengthen it in the future, specifically through raising the profile of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty (CTBT). Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director and President of INPS Japan captures the highlights of the conference including a trip to Kurchatova town in East Kazakhstan Region, once the center of operations for the adjoining Semipalatinsk Nuclear Test Site. FBポスト

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Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan

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Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan

Interview with Nobuyasu Abe, former UN Under-Secretary General for Disarmament

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan

Interview with llya Kursenko, a Russian member of the CTBTO Youth Group

グローバルな核実験禁止の発効を呼びかけ

【ベルリン/ウィーン/アスタナIDN=ラメシュ・ジャウラ】

カザフスタンのカイラト・アブドラフマノフ外相と包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会のラッシーナ・ゼルボ事務局長が、すべての包括的核実験禁止条約(CTBT)署名国に対して、22年間も停滞しているCTBTを「発効させて核実験の禁止に法的拘束力を持たせるべく全力を傾けるよう」訴えた。

2019~20年に国連安保理の非常任理理事国を務めるドイツのハイコ・マース外相も、この訴えを支持した。マース外相は、8月29日の「核実験に反対する国際デー」に合わせた声明のなかで、「核兵器の脅威は、とりわけ核実験に関して明確です。核実験は、事実上禁止されているにも関わらず、残念ながら依然として行われています。直近の核実験は、北朝鮮がほんの1年前に行ったものです。」と力説した。

したがって、ドイツの主目標は、核兵器の拡散と闘い、さらなる核開発のための核実験を予防し続けるところにある。

「CTBTを早期に発効させなくてはならないのは明らかです。」とマース外相は語った。CTBTが発効すれば、核実験を普遍的に禁じた国際法が拘束力を持つようになる。「私たちは、欧州諸国などのパートナーと協力して、この目標を達成するために最善の努力を払っています。CTBTの未批准・未署名国は、最終的に批准・署名すべきです。」

Photo: Kairat Abdrakhmanov, Foreign Minister of the Republic of Kazakhstan. Credit: Katsuhiro Asagiri, IDN-INPS Multimedia Director
Photo: Kairat Abdrakhmanov, Foreign Minister of the Republic of Kazakhstan. Credit: Katsuhiro Asagiri, IDN-INPS Multimedia Director

アブドラフマノフ外相とゼルボ事務局長は共同声明のなかで、8月29日の「核実験に反対する国際デー」の歴史的重要性を強調した。国連総会は、カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領のイニシアチブにより、この日を国際デーに指定している。共同声明は、この国際デーについて、「1991年にセミパラチンスク核実験場(ソ連の主要な核実験場)が閉鎖された日であり、カザフスタンにとっては象徴的な日にほかならない。」と述べている。

共同声明は、カザフスタンの首都アスタナで、5日間に亘って開催されたCTBTO青年グループ(Youth for CTBTO)と賢人会議(GEM)による「2018年青年国際会議」(8月28日~9月2日)の場で採択され、すべての加盟国に対して「核爆発実験のモラトリアムを継続」し、「条約に署名・批准をしていない国は、速やかに署名・批准するよう」求めた。

共同声明は特に、条約の発効に批准が必要な残り8か国(付属書2諸国)に対して、「この重要なステップを取ることでリーダーシップを発揮する」よう訴えた。

その8カ国とは、中国・エジプト・インド・イラン・イスラエル・北朝鮮・パキスタン・米国である。インド・北朝鮮・パキスタンは署名もしていない。合計で183カ国が署名しており、そのうち、フランス・ロシア・英国の核保有3カ国を含めた166カ国が批准も済ませている。しかし、核技術を持つ特定44カ国が、CTBT発効のために署名・批准を済ませねばならない。

アスタナ共同声明は、核実験なき世界に向けたカザフスタンとCTBTOのコミットメントを再確認し、CTBT発効実現への決意を新たにしている。

「この22年間、CTBTは希望の光であり続けてきました。」とアブドラフマノフ外相は会議の開会挨拶で述べた。「しかし、グテーレス国連事務総長が最近述べたように、世界平和の実現は依然として不透明な状況です。核なき世界への道のりにおいて、共通の政治的意思を欠いている現状こそが、最大の障害となっています。」と語った。

アブドラフマノフ外相は、核実験に反対する国際デーを記念した国連総会ハイレベル本会議が9月6日にニューヨークで招集されることを強調した。

Photo: Karipbek Kuyukov. Credit:ATOM Project
Photo: Karipbek Kuyukov. Credit:ATOM Project

アブドラフマノフ外相はまた、「世界の安全保障と次世代のための安全な未来は、世界から核兵器が完全になくなって初めて保証されます。」と語った。「核実験の廃止は私たちの使命」(頭文字を取ってATOM)プロジェクトとその名誉大使であり芸術家のカリプベク・クユコフ氏はこの点で多くの努力を払ってきた。

「私たちは、さらなる一歩として、核兵器禁止条約への支持を表明するよう諸国に求めます。」と、アブドラフマノフ外相は述べた。カザフスタンは核兵器禁止条約に3月2日に署名し、現在、批准の準備を進めつつある。

「私たちの将来は若者の手中にあります。皆さんの貴重な貢献と積極的な参加が、核兵器の使用がもたらす危険な帰結に対する関心を高めるうえで重要です。」と外相は付加えた。

8月29日の「実験に反対する国際デー」には、ニューヨークやウィーンの国連に加え、アスタナでも記念イベントが開かれた。このきわめて象徴的な日は、1949年にソ連が初めて核実験を行った日でもあり、セミパラチンスク核実験場が閉鎖された日でもある。その間、同核実験場では456回の核実験が行われ、悲惨な被害をもたらした。世界的には、1945年から96年の間に2050回以上の核実験が行われた。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

1991年8月29日のセミパラチンスク核実験場閉鎖という、カザフスタン大統領による歴史的な決定は、強力な政治的メッセージを送り、1996年のCTBT採択につながる国際的な取り組みに寄与した、と共同声明は述べている。

共同声明はさらに、カザフスタンはCTBTOを長年にわたって強力に支持し、核兵器廃絶実現への決意を示してきた、と述べている。CTBTOは、2008年、その前年にセメイと改称されたセミパラチンスクで、初の大規模な統合野外査察演習を行った。2015年から17年にかけては、日本と共同で「CTBT批准促進会議」(第14条会議)主宰し、条約の早期発効促進に尽力した。

「カザフスタンは、2017~18年の国連安保理非常任理事国として、世界の核不拡散体制を強化し、核兵器が世界の平和と安定にもたらす危険に焦点を当てる国際的努力をたゆみなく支持し続けている。」と声明は述べている。

CTBTOのゼルボ博士は、CTBTは「信頼醸成的な要素であり、いかなる核実験も見逃さず、非核兵器国と核兵器国との最大公約数的存在であり、対話継続と協力拡大の堅固な基盤です。」と語った。

Photo: Dr. Lassina Zerbo, CTBTO Executive Secretary. Credit: Katsuhiro Asagiri, IDN-INPS Multimedia Director.
Photo: Dr. Lassina Zerbo, CTBTO Executive Secretary. Credit: Katsuhiro Asagiri, IDN-INPS Multimedia Director.

多くの韓国政府関係者や市民社会のメンバーと朝鮮半島情勢について議論し、数日前に帰国したばかりのゼルボ博士は、ウィーンで配布された声明の中で、「私が加わった議論を通じて、朝鮮半島の核問題に対する恒久的な解決策を見つけるうえでCTBTとCTBTOが重要な役割を果たしうると確信してきたところです。」と述べている。

ゼルボ博士はまた、「CTBTとその検証体制、CTBTOの専門的知識と能力は、朝鮮半島の非核化プロセスにおいて意義を持つものです。」と述べている。

CTBTOは、ウィーンの本部において、カザフスタン政府代表部との共催、国連広報センターの後援で、ウィーン駐在の外交官や国際機関職員、一般市民のための展示会と記念イベントを開催した。

CTBTOとスペインのNGO「平和と協力」は、その機会に、2018年のグローバル・アート・キャンペーン「より安全な世界へ―CTBTOに参加しよう」を立ち上げた。このキャンペーンは、世界各地の子どもたちを巻き込みながら、核実験を禁止する必要性についての意識を高め、CTBTOの2019年「科学技術会議」において授賞式と展示会を執り行う予定だ。(原文へ) 

INPS Japan

Filmed and edited by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan

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