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原爆投下を生き延びて(和田征子日本原水爆被害者団体協議会事務次長)

Filmed by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan

ローマ教皇庁が主催した「核兵器なき世界と統合的な軍縮」への展望を巡る初の国際シンポジウム(11月10日-11日)における被爆者の証言。

【バチカンIDN-INPS=和田征子】

私は生後22か月の時、長崎で被爆した和田征子と申します。爆心地から2.9kmに自宅で被爆しましたが、山に囲まれた長崎の地形のおかげで生き延びることができました。

 7月7日に核兵器を禁止しその全面廃絶に至る法的拘束力を持つ条約が採択されました。広島、長崎の原爆投下後、被爆の報道さえも違法とされたアメリカの占領下の日本で、被爆者は占領軍からも、日本政府からも何の救援もなく放置されました。1954年のビキニ水爆実験をきっかけに起こった原水爆禁止の国民的運動の中で、日本被団協を結成し、被爆者は行動と決意によって61年間、核兵器の廃絶を呼びかけてまいりました。「再び被爆者をつくるな」と訴え続けてきた被爆者にとって、今回の禁止条約採択は大きな喜びです。

名前にかかわらず、死者数としてだけ記録に残る多くの方々、運動に関わってこられた多くの先達、国内外の支援者の方々、条約の採択に貢献しノーベル平和賞を受賞したICANの方々と、共に喜びを分かち合いたいと思います。そして何よりも、バチカン政府が、核兵器禁止・廃絶を目標とする国際会議で議論をリードし、すでに条約に署名し、批准をしてくださったことに、深く感謝いたします。

Vatican Conference Photo Credit: Katsuhiro Asagiri | IDN-INPS
Vatican Conference Photo Credit: Katsuhiro Asagiri | IDN-INPS

「核兵器の使用の被害者の受け入れがたい苦しみ」に心を寄せた条約の前文には、一発の核兵器がもたらした非人道性が明記されています。あの日、理由もわからず瞬時に命を奪われた方々。1945年の12月までの死者数は広島で14万人、長崎で7万人ですが±1万人とされ、その90%は老人、子どもを含む非戦闘員でした。そしてかろうじて生き長らえてきた被爆者の苦しみ、それは深く、今なお続くものです。愛する者の死、生き残ったという罪悪感、世間の偏見、差別、あきらめた多くの夢。それは人種、国籍、年齢、性別を問わず、きのこ雲の下にいた者に、被爆者として死に、また生きることを強いるものでした。

生後22か月で被爆した私に当時の記憶は全くありません。他の先輩の被爆者の方々が、あの日、あの時代に経験された筆舌に尽くしがたい光景をお話しすることはできません。しかし私は母と祖父と共にそこにいました。母が繰り返し語ったことを少しお話します。

8月9日、空襲警報は解除になった昼前、母は昼食の準備をしていました。私は玄関の土間で一人遊んでいたそうです。11時2分。大きな爆発音。爆心地から2.9km離れた家の中は、窓ガラス、障子、格子、土壁などがすべて粉々になり、30センチ以上の泥が積もりました。外はオレンジの煙が漂い、向かい側の家も見えなかったそうです。市内を取り囲んでいた緑の山々は、茶色の山となっていました。

Nagasaki, Japan, before and after the atomic bombing of August 9, 1945./ Public Domain
Nagasaki, Japan, before and after the atomic bombing of August 9, 1945./ Public Domain

母はその山道に爆心地から山越えをして火を逃れ、降りてくる蟻の行列のような人々を見ました。チョコレート色に焼け、着けている衣類もほとんどなく、髪の毛は血で固まり、角のようになっている人たちの列でした。

家の隣の空き地で、ごみ車に集められた遺体の火葬が毎日続きました。母は人形のように焼かれる遺体の数とその臭いにさえも、誰もが無感覚になったと話していました。人間の尊厳とはなんでしょうか。人はそのように扱われるために創られたのではありません。

母は治療の手伝いに行った臨時の救護所で、床一杯に収容されている人たちの、火傷や怪我のひどさに気絶してしまい、その後与えられた仕事は、傷口にわいたうじ虫を箒でかき集めることでした。その無数のうじ虫は親指大になっていました。

アメリカ軍は原爆投下と同時にB29から落下傘につけたラジオセンサーも落としました。原爆の威力、爆圧の強度、熱度などを測定する機器でした。その機器は、アメリカ軍にきのこ雲の下にいた一人一人の生活、その家族のこと、そして生命の尊さは伝えなかったのかと、母は話していました。

母は6年前89歳でなくなりました。心臓病、胃がん、肝臓がんの他、いろいろな病気を抱え28回の入退院を繰り返しました。生前、私が書いたものを読んだ母は甚だ不満の様子でした。体験した地獄の情景がこんな言葉では表現できないからでしょう。他の先輩の被爆者の方も同じように感じられるはずです。私には母の体験を話すとき、十分ではない自分の話にいつもためらいがあるのです。でも私たち少しでも若い被爆者が話さなければならないほど、72年が経ち被爆者は平均年齢が81歳と高齢化しています。

ICAN
ICAN

核兵器は、爆風、熱線、そして放射能の被害を無差別に、広範囲に、長年にわたってもたらす非人道的な兵器です。再び使われれば、同じ苦しみを世界中が負うことになります。被爆者はそのことを経験してきた者です。日本被団協結成の1956年、私たちは「世界への挨拶」で宣言しました。「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」でした。今日まで、決してあきらめることなく歩んできました。今、その宣言が実現する道筋が見えてきました。重い錆びついた扉がやっと少し開いて、一筋の光が入ってきました。

被爆者は被爆の実相を国内外で語ってきました。語ることによってあの時に引き戻される辛い努力を続けてきました。条約の前文に「公共の良心」という言葉が記されています。「公共の良心」は公共の利益、人類の利益、地球の利益の保持のために不可欠なものです。力は正義ではありません。核兵器は正義ではありません。廃絶しなければなりません。それをつくった人類の責任です。核兵器の廃絶のために、祈り、小さな努力を重ねることが、公共の良心であり、正義です。核保有国に、日本を含む同盟国に、禁止条約への署名と批准を訴え続けねばなりません。

昨年4月、私たちは「被爆者が呼びかける核兵器廃絶のための国際署名」を開始しました。これまでに515万以上の署名を国連に提出しました。私たちは世界中に呼びかけて2020年までに数億の署名を、多くの公共の良心を集めようとしています。市民社会の声、一人一人の尊厳を持った人として、平和を実現するものとして、ご出席の皆さまにここバチカンから大きな声を上げていただきたいと切にお願い致します。(映像はこちらへ

Masako Wada delivering her speech at the Vatican Conference on Nov 11, 2017 Photo credit: Katsuhiro Asagiri | IDN-INPS
Masako Wada delivering her speech at the Vatican Conference on Nov 11, 2017 Photo credit: Katsuhiro Asagiri | IDN-INPS

INPS Japan

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【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

大統領選後すぐにバラク・オバマ大統領がドナルド・トランプ氏をホワイトハウスに呼んで何が話されたか、私たちは窺い知ることができない。しかし、知らされたことがひとつだけある。それは、オバマ大統領がトランプ氏に対して、彼が直面する問題の中で北朝鮮問題が最も緊急で最も難しい、と語ったということだ。

これはまさに的を射た指摘だった。しかし端的に言えば、米国は好機を逸してしまった。済んでしまったことはしかたがないが、歴代3人の大統領(クリントン、ブッシュ、オバマ)が躊躇に躊躇を重ね、次々と機会を逃すうちに、北朝鮮は、核兵器を持っていない状態から、少なくとも20発の核弾頭を保有する状態にまでなってきたのである。11月29日未明に実施された大陸間弾道ミサイルの実験は、米国本土を攻撃する能力があったと言われる。現時点では核弾頭は積まれていないが、それも今後2、3年のことであろう。

President Barack Obama meets with President-elect Donald Trump at the White House, Nov. 10, 2016./ VOA

 ビル・クリントン大統領は退任直前、北朝鮮との協議がまとまる寸前だと考えていた。マデレーン・オルブライト国務長官(当時)はクリントン訪朝に向けた準備のため平壌に飛び、その間に協議内容が固められるとみられていた。しかし、クリントン大統領は任期の最終盤で、パレスチナに平和をもたらすであろうと思われた重要なアラブ・イスラエル協議に力を入れざるを得なかった。同時に、議会共和党は、北朝鮮との間ですでになされた合意を空文化させる努力に余念がなかった。

現在、いずれも気性の荒いトランプ大統領と金正恩最高指導者との間には激しい衝突がある。彼らがどのような制約のもとに置かれているかについては議論がある。両指導者はいずれも核兵器使用の決定について全権を与えられているとされているが、いずれかが、自国の軍当局が抱く疑念を回避することができるだろうか?

米軍は、もし米国が核兵器を発射したら、北朝鮮は通常兵器を搭載したミサイルで韓国を狙い、ソウルを破壊するであろうことを知っている。北朝鮮軍はどうかと言うと、仮に2、3年後に北朝鮮が長距離ミサイルに核兵器を搭載する技術を得て、それを使用すると決断したならば、米世論の多数は報復攻撃を加えることに賛成するであろうことを知っている。

こうして、両国の軍当局は一時停止の姿勢を取ることになる。結局のところ彼らには、どんな攻撃の場合でも傷つけられることになる家族がいるのである。都市は、人が住めるところではなくなるだろう。

この状況で恐らく彼らは、大統領には責任感がなく、そもそも不安定なことから、事態の圧力の下で判断力を失うであろうと結論づけることになるだろう。仮にミサイルのボタンが押されたとしても、それが軍当局のコンピューターを通過することなく発射されることはない。

もちろん、いかなる核の対立においても、不確定要素はある。冷戦期には、敵の核攻撃があるとの誤った警告が数分間にわたって発されたこともあった。米国では、核ミサイル発射担当の将校が麻薬やアルコール中毒であることもあった。

双方の核の削減が必須だ。しかし、現実的には、米国が大量の核戦力を維持しつづけなければならないと考える限り、これは実現しそうにない。

冷戦期を通じてそうであったように、私たちはある程度の不確実性とともに生きて行かざるをえない。しかし、冷戦時と同じように、相手側との接触を持ち、無視したり孤立させたり、相手が慈悲を乞うまでに絞り上げたりしないようにしなくてはならない。

こうしたことは、クリントン政権時代の「米朝枠組み合意」にはみられなかった。米国は、電力の生成しかできない軽水炉を北朝鮮国内に建設し始めた。しばらくの間、北朝鮮はアジアで米国が援助を行う主要な相手だった。クリントン大統領が平壌に遣わせたオルブライト国務長官は現地で歓待を受けた。北朝鮮は態度を軟化させた。

しかし、次のジョージ・W・ブッシュ大統領は、国務長官であり元統合参謀本部議長のコリン・パウエル氏や、ほとんどの政治学者・国際関係学者等の意見を無視して、全てをひっくりかえした(これはイラク戦争に踏み切るよりも悪い過ちだった)。北朝鮮はこうしてそれ以降、核兵器開発の作業を完遂することを決意したのだった。

クリントン大統領の「米朝枠組み合意」の時代に時計を巻き戻すことはできないが、新たな枠組み合意をゆっくりとではあるが創り出すことはできる。しかしまずは、最終的にソ連を弱体化へと導いたのと同様の手法を用いて北朝鮮との関係を「改善する」ことが必要だ。それには、米国のサッカーチームやニューヨーク市バレエ団の定期訪問や、数学や政治学・人権を教えるハーバード大学のサテライトキャンパスの建設(中国の大学でやってきたこと)といったような、文化・教育・スポーツ面での交流が有効だろう。

こうして、米国は北朝鮮が本当に望む2つのことに合意する必要がある。一つは、1953年の休戦協定で終了したに過ぎない朝鮮戦争を正式に終結させるための和平条約に関する協議を開始すること。もう一つは、朝鮮半島周辺における米軍の演習を制限することである。

ICAN
ICAN

罵り合いはもう必要ない。必要なのは、平和的解決の模索に乗り出すことだ。(原文へ

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「私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。」(サーロー節子、反核活動家)

サーロー節子さんは、1945年の広島原爆を生き延びたカナダ在住の核軍縮活動家で、2017年ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の「顔」として広島での被爆体験を語ってきた人物である。12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式でサーローさんは、ベアトリス・フィン事務局長とともにICANを代表して賞を受け取った。以下はサーローさんのノーベル平和賞受諾演説の抜粋である。

【オスロIDN=サーロー節子】

この賞をベアトリスと共に、ICAN運動にかかわる類い希なるすべての人たちを代表して受け取ることは大変な光栄です。皆さん一人一人が、核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてくれます。私は、広島と長崎の原爆投下から奇跡的に生き延びた被爆者の一人としてお話をします。私たち被爆者は、70年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。

私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロアエッケルセミパラチンスクマラリンガビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

ICAN
ICAN

私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が無謀にも私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。

今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。

米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私はその朝のことを覚えています。8時15分、私は目をくらます青白い閃光を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。

静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。

そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ!あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう?そこに向かって、なるべく早く、這って行きなさい」と言うのです。私がそこから這い出てみると、崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。

幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて開き、腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延していました。

このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。

その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で亡くなっていきました。今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。

広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。

私たち被爆者は、苦しみと生き残るための真の闘いを通じて、灰の中から生き返るために、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。

Photo: Hiroshima Ruins, October 5, 1945. Photo by Shigeo Hayashi.
Photo: Hiroshima Ruins, October 5, 1945. Photo by Shigeo Hayashi.

それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

私は13歳の少女だったときに、くすぶる瓦礫の中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな!(瓦礫を)押し続けろ!動き続けろ!光が見えるだろう?そこに向かって這って行け。」(原文へ

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|エイズ対策|世界基金、貧困国の差別基準変更を迫られる

【トロントIDN=J・C・スレシュ】

「私の健康、私の権利」を合言葉にした今年の世界エイズデーが始まる中、エイズ保健財団(AHF)が「エイズ・結核・マラリア対策基金(=世界基金)」に対して、人口1人あたりの国民総収入(GNI)を資金提供の適格基準とせずに、貧困国への差別をやめるよう求めた。

エイズ保健財団(本部:ロサンゼルス)は、アフリカ、アジア、欧州、ラテンアメリカ・カリブ海地域、米国など世界39カ国で、83万3000人以上のエイズ患者に対して医療ケアを提供している、HIV関連で世界最大の非営利組織である。

Michel Sidibé/ UNAIDS
Michel Sidibé/ UNAIDS

このキャンペーンは、健康への権利に焦点を当て、権利行使に関して世界中の人々が直面している問題を突き止めようとするものだ。国連合同エイズ計画(UNAIDS)のミシェル・シディベ事務局長は、「年齢、性別、居住地、あるいは愛情を向ける対象に関わらず、全ての人々が健康への権利を持つ。抱えている保健上のニーズに関わらず、利用可能で、安価で、差別がなく、良質の保健上の解決策を誰もが必要とします。」と語った。

健康への権利は、1966年の「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」に、すべての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利として、規定されている。ここには、健康悪化の予防および治療を受ける権利、自らの健康に関して決定する権利、尊重と尊厳を持って治療を受ける権利が含まれている。

同キャンペーンは、健康への権利は、良質の保健サービスや医薬品へのアクセス以上のものを意味することや、適切な保健や居住、健康的な労働環境、清潔な環境、司法の利用などの幅広い重要な保証に依存していることを人々に訴えている。

もし健康への権利が阻害されることがあったなら、HIVなどの疾病や健康障害を効果的に予防したり、治療とケアを利用したりすることは、しばしば不可能になる。性産業従事者や麻薬使用者、男性間性交渉者、受刑者、移民など、社会の中で最も疎外されている人々は、健康への権利を最も阻害されている人々だ。彼らはまた、HIVに対しても最も脆弱な位置にいる。

持続可能な開発目標(SDGs)のほとんどは、何らかの意味で保健と結びついている。公衆保健上の脅威としてのエイズを2030年までに根絶する目標を含んだSDGsの達成は、すべての人々に健康への権利を確保できるか否かにかかっている。

エイズ保健財団のマイケル・ワインスタイン代表は、11月14日にピータ・サンズ氏が世界基金の事務局長に任命されたことを歓迎する書簡のなかで、「エイズ・結核・マラリア対策基金が、世界銀行が諸国に割り当てた単位人口当たりの収入基準を、資金提供の基準として利用し続けていることを残念に思う。」と述べた。

「今こそ、単にカネの問題ではなく健康に焦点を当てるべき時です。途上国にとって貧困の意味するところを豊かな国々が定義していることは嘆かわしいと言わざるを得ません。いかなる基準をもってしても、1日当たりの所得2.76ドルは、中程度の収入ではありません。」

エイズ保健財団によれば、現在、ジュネーブを本拠とする世界基金の適格基準は、GNIと連動した世界銀行の貸し出し集団基準を基本とし、第二に、疾病による負担の代替指標となるHIV罹患率を基礎としている。

ある国の1人当たりGNIが3955ドルを超える時は、世界銀行はこれを「高中所得国」とみなしている。現在の世界基金の政策では、もし「高中所得国」で極度にエイズが広がっていない場合は、仮に感染拡大の兆しがあっても、資金提供の適格対象とはならない。

エイズ保健財団のグローバル公衆保健大使であり、メキシコの元エイズ対策事業責任者であったホルヘ・サアベドラ博士は、「世界基金は、現在は同基金によって資金提供されている事業を『高中所得国』となった被援助国が継承し維持する経済的能力を考慮に入れる『移行準備評価』ツールを用いている。」と指摘したうえで、「残念なことに、このプロセスは、その枠組みの一環として、新たなエイズ発生の拡大を考慮に入れていません。」と語った。

サアベドラ博士はさらに、「現在のままでは、HIVの新規罹患率が急上昇し、エイズが制御不可能な状態にあったとしても、途上国への資金提供が今すぐ断たれる可能性があります。」と語った。

サアベドラ博士はさらに、「途上国への貸し出し目的で世界銀行が策定した1人当たりGNI基準を世界基金は利用すべきではありません。基金は貸出機関ではなく、エイズや結核、マラリアを根絶する目的を持った金融メカニズムです。現在の基準は世界の健康にとってマイナスに他なりません。命を救う支援を、人々が最も望むところに現在よりも効率よく、細やかに届ける方法があるのです。」と語った。

エイズ保健財団はこの数年間、世界銀行が「中所得国」と分類したような方法で改革を推し進める、広範な政策推進キャンペーンを世界的に行ってきた。10月には、ワシントンDCの世界銀行本部前にて平和的なデモ行進を行ったばかりだ。

デモ参加者らは、2015年に始まり、30カ国・300団体以上の支援を受けてきた「中所得国基準を引き上げよ」という世界的なキャンペーンを基礎にして、世界銀行に対して、「中所得国」に当てはまる基準を1人当たりGNIが3650ドル(1日あたり10ドル)以上に設定して、HIV/AIDS薬やその他の不可欠な医薬品等の海外支援に対する貧困国のアクセスを向上させるよう訴えた。

世界銀行は現在、国際的な貧困線基準の1日あたり1.9ドルをわずかに超える1日あたり少なくとも2.76ドルの収入を、「中所得国」の基準としている。(原文へ

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【ボンIDN=ステラ・ポール

パトリシア・グアリンガ氏は、もう何年も国連気候変動会議に参加している。たいていは、サイドイベントのパネルディスカッションで2、3分の時間をもらって、自身が属しているエクアドルの先住民キチワス族が直面している苦境について話をしている。

先住民の生存を脅かしている苦境とは、急速な水質劣化、大気汚染、土地奪取、部族民の家屋からの強制立退き等、いずれも開発の名の下に横行している生活環境の悪化である。グアリンガ氏の出身地であるサラヤクは、大手の石油探査企業によってしばしば土地劣化が引き起こされているエクアドル東部(アマゾン地域)の小集落である。

Patricia Gualinga at COP23/ Youtube
Patricia Gualinga at COP23/ Youtube

グアリンカ氏は、11月18日未明にボンで終了した国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国会議(COP23)にあわせて開かれたサイドイベントで、「私たちはサラヤクにおける石油採掘に抗議し、探査会社の活動をくいとめるのに成功してきました。」と語った

「私たちが行動をおこしたのは、私たちの家があり、食料と水を手に入れる場所である森林を石油探査会社が破壊していたからです。石油採掘は私たちにとっては発展を意味しません。森林の保護こそが発展なのです。私たちは単に盲目的に抗議しているのではなく、解決策を持っています。『生きる森林』と呼ばれる、先住民の土地で持続可能な開発を達成するロードマップを提案しています。しかし、(COPのような会議で)それについて紹介する機会が必要なのです。」

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

COP23終了にあたって、グアリンガ氏のような先住民の活動家にとっては嬉しいことがあった。締約国が初めて、先住民が国連の気候協議に積極的に参加できるプラットフォームの創設に合意するという、画期的な動きがあったのだ。

このプラットフォームは、パリのCOP21で初めて提案され、自国ではしばしば迫害されている人びとの声を強化し、森林の保護者としての彼らの主導的な役割を認識したものだ。

会議では「アフリカ・デー」として祝われた11月15日に全体会で承認されたこの合意は、「このプラットフォームの全体的な目的は、気候変動への対処・対応に関連する地域社会や先住民の知識や技術、実践、取り組みを強化するものだ。」と述べている。

保全の取り組みにおける先住民の役割

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、「地球上に残された生物多様性の推定8割」を含む地表面の22%を管理する先住民は、世界に推定3億7000万人いるという。彼らはまた、熱帯雨林が吸収する二酸化炭素の2割以上を管理している存在でもある。

IPCCは、世界が地域社会や先住民とともに学び、彼らから学ぶところが多いと認識している。彼らの知識や実践は「気候変動への対応の主要な源泉」になるとされている。必然的に、先住民はしばしば、気候変動の原因である森林破壊に対する強力なバッファー(=森林破壊の程度を緩和する存在)になると見られている。

アマゾン流域の先住民の連合体である「アマゾン先住民組織連合」(COICA)のコーディネーターであるエドウィン・バルケス氏によると、COICA自身による最近の調査も含め、いくつかの調査が、先住民によって管理された森林は、政府やその他機関によって管理された森林よりも破壊の程度が低いという。

Edwin Vasquez/ Stella Paul | IDN-INPS

「私たちはヤグアス国立公園(ペルー北東部アマゾン地域)でケーススタディを行った。地元の先住民社会によって森林の土地が管理されているところでは、森林破壊が85%以上のケースで止められていた。これに比べると、政府が選定したその他機関によって管理されている森林では、大規模な森林破壊が起きていた。」とバルケス氏は報告した。

しかし、環境保全に大きな役割を果たしているにも関わらず、先住民は一般的に差別されており、彼らの人権はしばしば、物理的暴力や攻撃、彼らに仕掛けられた数多くの訴訟のために、侵害されているという。また先住民は、気候対応の対話に組み込まれていないために、資金を直接利用する手立てもない。

結果として、COICAのようなグループが、先住民が森林を保全するための資金を確保するために別の資金源を探して回ることになる。

「政府は先住民に森林保全を要請しますが、必要な資金は提供しません。そこで、私たちが、財政的な持続可能性の問題に取り組みはじめています。」とバルケス氏は語った。

新たなプラットフォーム

UNFCCCの文書によると、このプラットフォームは「先住民や地元社会の知識体系の統合や、気候変動対策の行動・事業・政策への彼らの関与を促進させることを定めた、決議1/CP.21の第135パラグラフを通じて」実現したものだ。

UNFCCCと共に先住民の問題に関して活動している「先住民コーカス」当初の提案は、次のようなものだった。

1.経験とよい実践例を記録し共有する基盤を提供すること。

2.先住民と地域社会のキャパシティビルディング(能力構築)を支援し、パリ協定の履行を含め、UNFCCCやその他の関連プロセスへの彼らの関与を支援すること。

3.あらゆる気候関連の行動・事業・政策への先住民の関与に加え、多様な知識体系や実践、革新を統合すること。

しかし、COP23では、地域社会と先住民の関与に向けたUNFCCCの伝統的知識のプラットフォームに締約国が合意したのみであった。先住民の権利は、COP23の最終プラットフォーム文書で完全には認識されておらず、地域社会と先住民に履行のしわ寄せが及ぶことになる。

Three functions of the local communities and indigenous peoples platform/ UNFCCC
Three functions of the local communities and indigenous peoples platform/ UNFCCC

専門家らは、この新協定は進歩の兆しであるとしながらも、先住民をUNFCCCの決定と行動に完全に包摂するにはまだ時間がかかるかもしれない、と指摘した。

国際環境法センター(CIEL、ジュネーブ)の人権弁護士セバスチャン・ドゥイク氏は、「残念ながら、最大の先住民を抱える締約国が、十分な発言をしたとは言えません。」「締約国が合意した文書は、その前文において、『先住民の権利に関する国連宣言』を『想起する』と述べているだけです。また、プラットフォームは必ずしも森林や諸権利を十分に保護していません。従って、確かに進歩はあったとは言えますが、その真の実現は、ポーランドで開かれる次回のCOP24を待たなければならないでしょう。」と語った。

比較的小さな国々が交渉を牽引

ドゥイク氏も先住民活動家らも、先住民問題での決定的な進展は可能であるという点で一致する。というのも、先住民の人口を多く抱える島嶼国フィジーの存在があるからだ。ボンのCOP23が始まると、今年の議長国であるフィジーは、先住民とその権利の問題を協議の中心に据えようと熱心に動き回った。

「フィジーが今年の議長国であったことは非常によかった。」「おかげで多くの人々がCOPでこの問題について協議するドアが開かれました。(次回COPが開かれる)ポーランドではさらに進展があるといいのだが。」と、ドゥイク氏は語った。

ドゥイク氏はまた、「先住民が気候対策により組み込まれるようにするには、それぞれの国別約束(Nationally Determined Contribution:自国で決定した2020年以降の温室効果ガス削減目標)においてこのことが直接言及されるようにしなくてはなりません。しかし、いくつかの国の国別約束を分析したが、僅か5、6件の国別約束しか先住民やその権利の問題に触れていなかった。この点で変化が必要です。」と語った。

SDGs Goal No. 13
SDGs Goal No. 13

WWFインターナショナルでグローバル気候政策問題を統括するフェルナンダ・カルバルホ氏は、今回の進展をまとめて、「COP23では、締結国が地域コミュニティー・先住民プラットフォームの目的と機能に合意して、気候関連の議論と行動における彼らの完全参加に向けた重要なステップになった。この決定は、先住民の人々が基本と考える原則、すなわち、完全かつ効果的な参加、平等な地位、先住民代表の自己選出という原則を考慮に入れたものになった。」と語った。

カルバルホ氏は、フィジーのように先住民問題を中心に押し出すことには意義があるとして、「これはCOP議長国のフィジーにとって重要な問題であり、WWFはこうした成果を歓迎し、より多くの国別約束にこれが反映されればよいと考えている。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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【ボンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

11月18日の未明、ドイツのかつての首都で行われた2週間にわたる多層的な集中協議が終了した。交渉参加者たちの任務は、2018年12月にポーランドのカトヴィツェで次回会合(COP24)が開催されるまでに、「我々はどこにいるのか? 我々はどこに行きたいのか? どのようにそこに行くのか?」を検討することであった。

国連気候変動枠組条約(UNFCCC)事務局は、(会議の第23回締約国会議を意味するCOP23として知られる)国連気候変動ボン会議は、「さらなる高みを目指す出発点」になった、と述べた。

Embajadora Patricia Espinosa Cantellano/ De Embamexsep - Trabajo propio, CC BY-SA 3.0
Embajadora Patricia Espinosa Cantellano/ De Embamexsep – Trabajo propio, CC BY-SA 3.0

UNFCCCのパトリシア・エスピノーサ事務局長は、「COP23は、アジアやカリブ海地域、アメリカ大陸において、家々や家族、経済が前例のない自然災害に直面している中で開催されました。これらは、私たちの集合的任務の緊急性を想起させるものです。」と語った。

観測筋によると、COP23で気候変動に関する数多くの公約や取組みとともに、あらゆる立場から表明された強力なメッセージは、政策や計画、投資を横断して取り組みを調整することで、費用対効果と効率を大幅に改善するとともに、国ごとの気候変動対策を一層活発化させる必要性が増しているというものだった。

締約国が197カ国にのぼるUNFCCCにはほぼ普遍的な加入があり、2015年のパリ気候変動協定の基礎となる条約である。その主な目的は、世界の平均気温上昇を、産業革命前と比較して、2度より充分低くおさえ、かつ1.5度に抑える努力を追求することだ。

UNFCCCは、1997年の京都議定書の基礎となる条約である。UNFCCCの下にあるあらゆる協定の究極の目的は、生態系が自然に適応し、持続可能な開発を可能とするような時間的枠組みにおいて、気候系に対して危険な人為的干渉を及ぼすこととならない水準において大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることにある。

COP23に対する事務的支援を行ったドイツのバーバラ・ヘンドリクス環境大臣は「ボンでは、交渉と履行の両面において大きな進展が見られました。この点において、会議は完全に期待に応えるものでした。そして、来年のカトヴィツェ会議(COP24)に向けた重要なステップともなりました。カトヴィツェでは、パリ協定に関するルールブックを採択する計画です。」と語った。

Barbara Hendricks, Federal Minister for the Environment, Nature Conservation, Building, and Nuclear Safety/ U.S. Army Europe Images from Wiesbaden, Germany – 141024-A-PB921-434, CC BY 2.0

COP23は、米トランプ政権がパリ協定からの離脱を発表してから初めての気候変動会議であった、とヘンドリクス氏は語った。「ボンで開催された今回のCOPは、世界は一致団結しており、気候変動対策において妨げられることはないとの強力なシグナルを発した。」と語った。

COP23では、協議と並行して、履行問題でも進展がみられた。各国や産業、市民社会が、数多くのイベントで幅広い気候変動対策を発表した。協議外での進展の一例としては、国別約束(NDC)パートナーシップが挙げられる。これは、途上国が国別約束(Nationally Determined Contribution:自国で決定した2020年以降の温室効果ガス削減目標)を策定する支援を行うものだ。同パートナーシップは、COP23においてその活動を相当に拡大した。

国際再生可能エネルギー機構がCOP23期間中に発表した報告書は、現在多くの国々が、国別の気候変動対策計画やNDCにおけるものよりも高い再生可能エネルギー目標を掲げており、一部の国では、少なくともグリーンエネルギーの点では、高い目標がすでに固定化されている、としている。

未来の地球」と「地球リーグ」によって会議のために作成された特別科学報告書によれば、世界全体での再生可能エネルギーの拡大は、5年半ごとに倍になっているという。これは、このペースを維持していけば、今世紀半ばまでに、エネルギー部門における脱CO2化を実現できることを意味する。

COP23のフランク・バイニマラマ議長(フィジー首相)は、「決定的な気候対策に関して多国間のコンセンサスを図るというCOP23の困難なミッションを考えれば、今回の会議が成功を収めたことを喜ばしく思います。私たちは、『パリ協定のルール作りの進展』と『パリ協定の各国目標引き上げのための対話(2018年の促進的対話【タラノア対話】)への準備』という与えられた使命を成し遂げました。」と語った。

10 Must Knows on Climate Change Press Event/ UNFCCC
10 Must Knows on Climate Change Press Event/ UNFCCC

太平洋地域において伝統的に使われている対話スタイル「タラノア」(フィジー語で透明性・包摂性・調和を意味する)を名称に付けた「2018年の促進的対話」は、来年12月のカトヴィツェ会議(COP24)において、2020年以前の目標と、2015年パリ協定の長期目標の達成に向けて世界を正しい方向に向かわせるために必要な国別約束の強化・改善を目指す、というものだ。

バイニマラマ議長は「私たちの周りにある前向きな機運」について触れ、「フィジーは、気候行動を加速するために、中央政府を、地方の州や都市、市民社会、民間部門、世界中の一般大衆と結びつける「大連立」の概念を国際社会が取り入れてきたことを有難く思っている。」と語った。

バイニマラマ議長はさらに、「私たちは、『海の道』、農業に関する歴史的合意、『ジェンダー行動計画』、『先住民族のプラットフォーム』など、画期的な成果をもってボンを離れることになります。また、気候対応に必要な資金を確保し、気候変動に対して脆弱な世界各地の多くの人々が安価で保険に加入できるグローバル・パートナーシップも立ち上げられました。」と語った。

「来たる年に、さらに前へ、もっと早く、ともに前進することによって、気候変動に対するさらに前向きな行動に私たちの身を捧げようではありませんか。」とバイニマラマ議長は語った。

エスピノーサ事務局長は、タラノア対話の採択に関して、「今回の会議は、さらに高次のステージへと私たちを導く出発点となりました。また、パリ協定ガイドラインの履行を前進させて、2018年までに、より安全で、豊かで、より良い世界を皆のために実現する継続的な国際協力と各国の取り組みを真に支援することが可能になるだろう。」と語った。

エスピノーサ事務局長はさらに、「しかし、COP23はそれ以上のことを成し遂げました。つまり、パリ協定への支持は強力であり、国際社会が乗り出したこの旅路は、世界中の社会のあらゆる部門に支持された、誰も止められない運動であることが、明確に示されたのです。」と語った。

しかし、「アクションエイド・インターナショナル」は失望感を露わにした。同団体で気候変動問題を統括するハルジート・シン氏は、「米国がパリ協定離脱を宣言したとき、私たちは各国にもっと強いリーダーシップを期待しました。未だに記憶に新しい今年起こった洪水や火災、ハリケーンを考えると、各国の代表はきっちりと仕事を成し遂げるべく、この会議に参加するものとばかり思っていました。」と語った。

Harjeet Singh/ ActionAid International
Harjeet Singh/ ActionAid International

「しかし、ひとたび協議が始まると、欧州連合(EU)やカナダ、オーストラリアは米国側について安全地帯に身を隠し、真の変化を生み出そうとはしなかった。彼らは気候対策にブレーキをかけ続け、気候変動の影響に対処しようともがく国々への財政的措置に抵抗したのです。」とシン氏は指摘した。

シン氏はまた、「COP23では、2020年以前の行動の領域、農業、先住民族、ジェンダーの部門において幾つかの手続き的な成果がありました。そして、小島嶼国であるフィジーが議長を務めた協議において、気候変動の影響を受ける国々が直面する難題に注目が集まりました。しかし、脆弱な社会にいくらスポットライトが当てられても、彼らが必要とする支援に結びついていません。国際社会には、気候変動の影響に直面している人々に希望を与える用意は、まだできていないようです。」と語った。

バイニマラマCOP23議長とエスピノーサUNFCCC事務局長は、各種の交渉や「世界的な気候行動のためのマラケシュ・パートナーシップ」、数多くのハイレベル、その他のイベントの結果として2017年国連気候変動ボン会議でなされたいくつかの注目点を挙げた。

・長期的な資金調達:途上国が気候変動対策を取る支援のために、公的資金・民間資金を合わせて、先進国から途上国に2020年までに年間1000億ドルの資金を動員するという公約について、ある程度の進展が認められたものの、先進国は、公約の完全履行に向けて一層努力するよう強く促された。

適応基金が2017年の目標を超える:今年の資金調達の目標は8000万ドルだったが、ドイツ・イタリアを含めた資金提供の表明はこれを1300万ドル上回り、合計で9330万ドルになった。

農業分野において歴史的合意:農業分野について、今後は科学技術面に加えて、その実施について併せて扱うことが合意され、農業と気候変動に関する実質的な取組を検討していくための基礎ができた。これによって、エネルギー部門に次いで2番目に温室効果ガスの排出量が多い農業部門の問題に諸国が対処する際に、より早く、より調整された形で行うことが可能になるかもしれない。

・ノルウェー政府や多国籍企業のユニリーバ、その他のパートナーが、より効率的な農業、小規模農家、持続可能な森林管理を支援するための4億ドルの基金を表明した。

・ジェンダー行動計画:気候変動と闘う上での女性の決定的な役割がこの計画によって正式に支援される。女性が気候変動の影響に特に脆弱であり、行動と解決策に関して意思決定から排除されるべきではないことを考えると、この計画は重要なものだ。計画は、国際・国内の両面におけるあらゆる気候変動プロジェクトと決定に女性を巻き込むことを目標としている。

・地方共同体・先住民族プラットフォーム:気候変動対策における先住民族の完全かつ平等な役割を支持しつつ、これらの決定における先住民族の権利を尊重する諸政府の責任を認識することを目的とした、政治的かつ実践的な成果である。

・「海の道パートナーシップ」の立ち上げ:国連の気候変動プロセスや、各国の気候行動計画におけるより明確な目的や目標を通じて、健全な海洋と気候変動対策をリンクする行動や資金調達を2020年までに強化することを目的とする。

SDGs Goal No. 13
SDGs Goal No. 13

・太平洋島嶼ジャーナリストネットワークの立ち上げ:フィジー・サモア・ソロモン諸島・パプアニューギニア・トンガ・バヌアツ出身の受賞歴のある10のメディアが、ドイツ政府からの資金提供と、ドイチェ・ヴェレ・アカデミーと国連気候変動からの支援を受けて出席した会議で、太平洋全域での気候関連の報道を強化する目的であらたな組織を立ち上げることを発表した。

気候変動リスク保険推進国際イニシアチブ(InsuResilience Initiative)は、あらたなグローバル・パートナーシップの立ち上げと、2020年までに安価な気候変動リスク保険に加入できる貧しく気候変動の影響に最も脆弱な人々を、(現在の1億人から)4億人に広げるためにドイツ政府が1億2500万ドルを追加拠出することを発表した。

フィジーリスク移転クリアリングハウスの立ち上げ:気候変動に対して脆弱な国々が安価な保険と気候リスクを回避する解決策を見つける支援を行う人工知能を利用した新たなオンラインプラットフォーム。

・ドイツ、イギリス両政府とその他のパートナーが、アマゾンの気候変動と森林破壊に対処する事業を拡大するために1億5300万ドルの拠出を発表。

欧州投資銀行が、フィジーの首都スバ周辺に住む30万人近い人びとのために水供給と排水処理を強化すべくフィジー水道局に対してあらたに行う4億500万ドルの投資プログラムのうち、7500万ドル分の拠出を発表。

・「米国の誓い」が官民のリーダーらを糾合して、米国は排出削減を主導しつづけ、パリ協定の下での同国の気候目標を実施するように取り組む。

・「グリーン気候基金」(GCF)と欧州復興開発銀行が、より強靭な農業のためにモロッコに対して行う2億4300万ドルのサイス水保全プロジェクトに対して、GCFが3700万ドル以上を無償提供すると発表。

・「石炭を過去のものに」同盟が、25カ国と諸州、諸地域を束ね、急速な脱石炭化を加速し、移行を可能にするために、影響を受ける労働者や地域を支援する。

・国連開発計画やドイツ、スペイン、EUが、4200万ユーロ規模のNDC支援プログラムを立ち上げ、パリ協定の履行に向けて各国を支援する。

・既存のNDCパートナーシップが、各国の気候変動対策、或いは太平洋地域におけるNDCの履行を支援するあらたな地域ハブの創設を発表。

・13カ国と国際エネルギー機関が「IEAクリーンエネルギー移行プログラム」に3000万ユーロを拠出し、世界各地でクリーンエネルギーへの移行を支援する。

小島嶼開発途上国(SIDS)新保健イニシアチブの立ち上げ:世界保健機構が、国連気候変動事務局やCOP23議長国のフィジーと協力して、SIDSの人びとを気候変動のもたらす健康上の影響から守る特別のイニシアチブを発表。その目標は、2030年までに、これらの国々における気候と健康への財政的支援を3倍にすることである。

Photo Credit: UNFCCC Bonn.
Photo Credit: UNFCCC Bonn.

ボン・フィジー公約の発表。300人以上の地方・地域指導者が採択したパリ協定履行に向けた行動に関する公約である。アフリカや島嶼部、脱工業化都市、気候報告基準に焦点をあてた20の取り組みがこれを下支えする。

・COP23の間に、シリアがパリ協定の批准を発表し、批准国は170となった。6カ国(ベルギー・フィンランド・ドイツ・スロバキア・スペイン・スウェーデン)がドーハ改定を批准し、批准国は合計で90となった。8カ国(コモロ・フィンランド・ドイツ・ラオス人民民主主義共和国・ルクセンブルク・モルジブ・スロバキア・イギリス)がモントリオール議定書キガリ改定を批准し、批准国は合計で19となった。(原文へ

ドイツ語 |

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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青少年の健康問題:データ、証拠の必要性強調

【ニューデリーIDN=ステラ・ポール

移民であるマナサさん(13歳)はこの3年間、インド南部グントゥール県にある近くの農園で、1日9時間も唐辛子を収穫してきた。

しかし、地元の医療活動家が2015年夏に彼女の村で戸別調査を行ったところ、児童たちが学校に通っていないことがわかった。この知見は州当局と共有され、当局は村長に対して、農園で児童を雇用する者を取り締まるように命じた。

マナサさんは他の20人の児童とともに救出され、学校に戻された。彼女は今5年生で、いつの日か教師になることを夢見ている。

インド、そして世界各地で、諸政府や市民社会組織が集めた信頼できるデータや証拠が、マナサさんのような数多くの少年少女の命と健康を改善してきた。

このことは、10月下旬(27~29日)にニューデリーで開催された第11回「青少年の健康に関する世界会議」で数多くの専門家が強調したことであった。会議では、より多くのデータやより良い地図、証拠が、世界中の少年少女たちが直面している犯罪や健康上の問題により良く対処するために肝要であるという点で一致が見られた。

マムタ母と子の健康研究所(MAMTA-HIMC)の所長であり、会議の主催者の一人であるスニル・メフラ博士は、会期中にIDNの取材に対して、世界は青少年の健康問題への取り組みであまりに遅れていると語った。しかし、第1回会議が開催されてからおよそ10年、「証拠をベースとしたアプローチ」のおかげで、多くの進展があった。

証拠をベースとしたアプローチ

世界全体では12億人の青少年がおり、インドだけでもその21%にあたる2億5300万人が住んでいる。世界の青少年の5人に1人がインド人であるから、この国の人口は無視しうるものではなく、2014年には「ラシュトリヤ・キショア・スワスタヤ・カリャクラム」(RKSK)という特定のプログラムを立ち上げた世界で初の国となった。これは、青少年の健康や栄養状況を改善し、暴力から守ることを目的としたものだ。

これまでのところ、このプログラムによって青少年のために7000カ所の診療所が開設され、約3万人の青少年が地域の他の青少年の相談に乗り教育を行うために訓練されている。

メフラ博士によると、707地区中230地区で運営されるRKSKの実行にあたって、データが重要であるという。「青少年たちが18歳より前に結婚することがなければ、この国の経済状況や、貧困問題への対処、栄養問題、貧血症、繰り返される妊娠への対処に関して、大きな効果をもたらすだろうということが、より多くの証拠でもって言えるようになっている。これは、低所得・中所得の国々も含め、十分なデータを集めることができていることから、可能になっている。」とメフラ博士は語った。

しかし、データや証拠を集めるにはお金がかかる。メフラ博士はこんな例を挙げる。インドの青少年の地位と進歩に関する彼が最近行った調査でデータを作成するために、[1人あたり]25~30ルピー(約5ドル)かかった。「これに2億5300万かけた数字が、我々が求めているものになります。」とメフラ博士は語った。非営利部門にそんなお金は出せるはずもなく、従って、データ収集に関して、より規模の大きい政府やNGO、民間部門のバートナーシップが必要となってくる。

部門を横断した協力

同時に、青少年の問題は多面的(例:教育・経済・健康・安全など)であるから、部門を横断したアプローチが、研究とデータ収集のためには必要となる。

メフラ博士は、「最善の方法は、包括的な『青少年対策予算』を策定し、政府内のあらゆる部局が青少年に関するデータと証拠を収集できるよう充分な資金を分配することです。また、この任務のために雇用される労働力のスキルは、厳密にモニタリングされ改善されねばなりません。」と語った。

Manasa, an adolescent rescued from child labor in India’s Guntur. Her rescue was made possible by a survey conducted by the district administration on school dropouts. Credit: Stella Paul - IDN | INPS
Manasa, an adolescent rescued from child labor in India’s Guntur. Her rescue was made possible by a survey conducted by the district administration on school dropouts. Credit: Stella Paul – IDN | INPS

メフラ博士はまた、自身が今回の会議に提示した数字を引いて、メフラ博士は、交通事故で毎年2万2000人の青少年が亡くなっています。」と語った。これを予防するためには、交通法や交通政策、交通安全、リスク軽減プログラムを所管する諸機関の間での切れ目ない協力が必要となる。

しかし、健康当局によれば、35億インドルピーという青少年向けの現在の予算は、比較的適切な規模であるという。同局のスシュマ・ドゥレジャ副管理監は、「現在支出している資金は、RKSKを実施し、持続可能な開発目標(SDGs)を達成するためには十分な額です。」と指摘したうえで、「現在の労働力には適切なスキルがあり、青少年問題への感覚も優れています。」と主張した。

インドは現在、「デジタル・インディア」を実行中だ。これは、同国の人口全体をインターネットに接続させようとするキャンペーンである。ドゥレジャによると、RKSKのような事業は、より多くの青少年とつながるためにより多くのデジタルツールを用い、必要な情報を届け、関連する問題において少年らを教育することによって、このキャンペーンからの利益を得ることができる、という。

現在、この事業では「サティヤ」(Sathiya)と呼ばれるモバイル・アプリやソーシャル・メディア、デジタル・データベースが利用されている。「デジタル・インディアのキャンペーンは、これまでになかった場所からデータを集めることができることから、我々の作業を加速することになろう。」とドゥレジャ副管理監は指摘した。

しかし、ドゥレジャ副管理監は、インドの青年人口の規模そのものが大きな課題だと認めた。規模の大きさによって問題の複雑さは増し、それが、望ましいレベルよりも行動が遅い原因の一つになっている、と彼女は指摘した。

「不登校の場合を考えてみましょう。少女たちが学校からいなくなる。気づいたころには、彼女たちはすでに結婚させられているのです。こんなケースは何百万件とあり、都市から地方まで、主流の社会から周縁化された社会まで拡がっている。こうしてた全ての要素が問題を複雑にしています。」と、ドゥレジャ副管理監は語った。

今こそ行動を

メフラ博士にはある解決策がある。データが揃うまで待つ必要はない。データが入ってくる間に先に行動を始めてしまうのだ。「これが、ミレニアム開発目標(MDG)時代に私たちが取っていたアプローチであり、私たちは最初の数年を行動することなく失ってしまった。(SDGs時代の)今回は、データと行動を同時並行で進める必要があります。」とメフラ博士はIDNの取材に対して語った。

ボツワナの少年活動家ゴゴントルジャン・ファラディは、メフラ博士の意見を大いに歓迎した。「4つのことが必要だ。それは、1に行動、2に行動、3に行動、4に行動だ」と語りかけたこの若い活動家は、会場からの拍手喝采を受けた。

「私たちには政治的意志と意図、政策、そしてデータと革新が必要です。しかし私たちが最も必要としているのは、青少年に関する緊急の行動です。」(原文へ

INPS Japan

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咢堂香風の「尾崎行雄生誕祭」(石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)

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【IDN東京=石田尊昭

咢堂・尾崎行雄を25回連続当選に導き、60年以上も国会に送り続けた伊勢の有権者。

その伊勢には、咢堂精神の普及に努めるNPO法人「咢堂香風(がくどうこうふう)」があります。

尾崎行雄生誕祭」や、小中学生を対象とした「尾崎咢堂読書感想文コンクール」「さくらの写生コンクール」といった青少年育成事業、また、「花みずきの女王」選出や「全米さくらの女王」の伊勢招聘ならびに「全米さくら祭り」への参加といった国際交流事業を積極的に行っています。

Mr. Takaaki Ishida
Mr. Takaaki Ishida

尾崎行雄生誕祭は毎年11月に尾崎咢堂記念館(伊勢市)で開催されます。そこでは、読書感想文コンクールの授賞式が行われ、優秀者に市長賞、議長賞、教育委員会賞などが授与されます。そして授賞式後には、地元の地方議会議員の皆さんと、受賞した子供たちが輪になって「地域の未来について語り合う」という企画(子供たちにとっては大変貴重な体験です!)が行われます。

今年の生誕祭は、去る11月25日に開催されました。昨年同様、授賞式に先立ち「今こそ咢堂精神を!―尾崎行雄の生き方に学ぶ」という演題で私は講演をさせて頂きました。

民主政治は有権者中心の政治であるからこそ、その有権者の在り方を厳しく問い続けた尾崎。民主主義は制度を整えることよりも、その精神を身に付けることが重要だと説き続けた尾崎。投票率よりも「投票の質」を高めることの大切さ。一人一人が一票の価値を知り、その力を信じ、国や社会の在るべき姿を自らの頭で考え、良心に従って投票することの大切さについてお話ししました。

すでに尾崎の本を読み込んで勉強している小中学生、また議員や大人の方々には「当たり前」すぎて退屈かなと思ったのですが、皆さん最初から最後まで真剣に聴いてくださいました。

この生誕祭や読書感想文コンクール、またその他の国際交流事業も、始めた当初は今とは比べものにならないくらい規模の小さいものでした。それを、「民主主義と平和に対する咢堂の思い―咢堂精神を伊勢から世界に広げ、未来に繋ぎたい!」という一心で、ここまで大きくしたのは、「咢堂香風」の現理事長・土井孝子さんです。土井さんの情熱と行動力は、尾崎三女の相馬雪香さんを想い起こさせます。(ちなみに咢堂香風の「香」は相馬雪香から一字とったものです)

去る10月21日に開催した当財団主催「尾崎行雄・桜とハナミズキの集い」では土井理事長に特別講演をして頂きました。また、同日配布した当財団の機関誌『世界と議会』最新刊(秋冬号)には、土井さんの特別インタビュー「NPO法人咢堂香風の取り組み―咢堂精神の普及と世界平和に向けて」が掲載されています。こちらもぜひ多くの皆様にお読み頂きたいと思います。(同誌ご希望の方は尾崎財団事務局までご連絡ください)
来年は、「尾崎行雄生誕160周年」という節目の年です。

Ozaki Yukio Memorial Foundation 60th Anniversary Event/ K.Asagiri | IDN-INPS
Ozaki Yukio Memorial Foundation 60th Anniversary Event/ K.Asagiri | IDN-INPS

伊勢の咢堂香風の皆様をはじめ、多くの関係者・同志の皆様と一緒に、「咢堂・尾崎行雄」を大いに盛り上げていきたいと思います!

INPS Japan

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世代を超えて受継がれる平和と友情の絆

憲政の父・尾崎行雄に学ぶ「一票の価値」

|北極圏会議|伝統的知識と教育が最大テーマに

【レイキャビクIDN=ロワナ・ヴィール】

ポリネシア航海協会のナイノア・トムソン氏は、伝統的知識・科学・気候変動に関するグローバルな観点についての北極圏のセミナーで「島の人々は、気候変動とは何の関係もないのに、最大の被害者になっている。」と語った。トムソン氏はハワイ出身だが、彼とともに発言者として登壇したのは、タイ、チャド、フィジー、ケニア、そして、ノルウェーのラップランド出身の人々であった。

南太平洋の島民らの窮状は、5年連続でレイキャビクで開催されている今年の「北極圏会議」の主要テーマの一つであった。10月中旬(13日~15日)に開催された今年の会議は特に取り扱う範囲が広く、105もの分科会(セミナー)やスピーチ、パネル討論が開かれた。

The Arctic/ Public Domain

近年では、海洋汚染や、マイクロプラスチックが海洋に及ぼす影響が大きなテーマとなっている。この問題に対処するために、オランダの海洋学者エリック・ファンセビール氏が、プラスチックの行方を追跡できる双方向型の地図を開発した。

欧州の北西部から海に流出したすべてのプラスチックの7割以上が北極圏に流れ着くと報告したファンセビール氏らは、今年初めにスバルヴァル諸島ヤンマイエン島への遠征隊を組織した。そこで彼らが見たものは、元々は2000年にノバスコティア沖で海中に投入された破れた漁業用の網や、英国で1958年に生産されたシリアルの入れ物だった小さな船形のプラスチックだった。

北極動植物保全プログラム」のトム・バリー氏は、2017年5月に出版された「北極海における海洋生物多様性の概況」報告書を紹介し、その主要な知見と、監視に向けたアドバイスについて語った。「主要なツールは、北極における海洋生物多様性の現状と傾向に関する再現可能な報告とコミュニケーションを促進するために、海洋計画が定めた枠組みです。」とバリー氏は語った。

バリー氏は、海氷の消失は動植物の生命に影響を及ぼすという。なぜなら、海氷が消失する際に、さまざまな地域に難題をもたらすからだ。

昨年のように、イヌイット社会がこの3日間の会議の焦点となった。しかし、今回の会議で強調されたのは、(昨年の主要テーマであった)再生可能エネルギーよりも、むしろ伝統的な知識についてであった。

カナダのメモリアル大学は「スマートアイス」と呼ばれるプロジェクトを続けてきた。これは、科学を地元の伝統的諸問題とつなげるものだ。プロジェクトは、地域の人々の声を聴き、彼らと協力し、人々をつなげ、問題を把握し、伝統的知識を大学の知見と統合する。主にイヌイットの人々から成るカナダ北方地域の社会は、狩りや木材収集、その他のニーズのために、海氷にかなりの程度依存している。

ノルウェーの「トナカイ飼育国際センター」のアンデルス・オスカル氏は、同国では北極評議会の北極監視・査定プログラムがトナカイ飼育者と協力し、気候変動への対処法を検討している、と報告した。

オスカル氏は、「北極評議会は伝統的知識の包摂においてパイオニア的役割を果たしています。」と指摘したうえで、「しかし、伝統的知識の受入れについては、経営サイドが『経営には客観的な知識が必要』だとしてそれほど積極的でないのに対して、研究サイドではより積極的に受入れています。…一部のトナカイ飼育者が博士号を持っているように、2種類(科学と伝統)の知識をブレンドするような、先住民族の機関、境界線を越える機関がもっと必要です。」と語った。

「伝統的な知識」は気候変動に関するパリ協定に盛り込まれ、伝統的な民族のプラットフォームが知識の交流のために作られてきている、と会議で報告された。「伝統的な民族と地域社会のパビリオンがボンのCOP23(2017年の国連気候変動会議)に設置され、7つの地域が参加することになる」と語るのは、「気候変動に関する国際先住民族フォーラム」のヒンドウ・イブラヒム共同代表である。

Image credit: COP23

個人による行動が今年は重要な役割を果たした。カナダのコンサル企業「オーラノス」のマルコ・ブラウン氏は、気候変動とエネルギーに関する全体会で、「スイッチが切られて」から約30年のタイムラグがあると指摘した。つまり、気候変動を抑えようと思うなら、今行動する必要があるのだ。

昨年のマラケシュでの2016年国連気候変動会議(COP22)で、アイスランドのオラフール・ラグナー・グリムソン元大統領の働きかけによって提案から数週間で策定されたロードマップの任務が、会議の全体会に提出された。グリムソン元大統領は、北極圏会議でもこの考え方を主導した。

これは、「実行する人々」に焦点を当てた20の建設的な声明からなる。第一の声明がそれをよく表している。「私たちは今こそその時だと考える。行動をとるべき時だ。パリ協定で提示された変化をもたらすためにやらなければならないことをやる時だ。『何』を議論するのはやめて、『どうやって』を考え始めよう。」

会議はまた、北極圏における持続可能な開発目標(SDGs)に関する初めての議論の場となった。この議論は月に一度開かれ、2018年9月の北極評議会会合に報告が出されることになっている。グリーンランドの狩猟社会のニーズに関する問題から、持続可能な鉱業のような問題に関連して「レトリックを超える」必要性に至るまで、さまざまな問題が取り扱われた。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

アイスランド外務省国連局のマリア・ムジョル・ジョンスドティール局長は、聴衆に向かって、「あらゆることが主要な課題に帰着します。つまりは、気候変動の問題です。アイスランドは、より緑の大地となることを目指しています。魚は温かい水の方へと移動します。これらの問題には統合的な性格があります。」しかし、「ジェンダー平等と女性のエンパワメントについて規定したSDGs第5目標は、その他の目標達成のための主要な推進力となります。」と語りかけた。

トレント大学(カナダ)のヒーザー・ニコル氏によると、教育もまた重要な問題だ。ニコル氏は、SDGsの目標を小規模な北部の共同体にもより適用可能なものにすべきだ、と語った。「教育機会のあまりない北部の小規模地域社会の教育をどうやって支えたらいいのか。」とニコル氏は問いかけた。さらに、SDGs第1617目標に関連して、「技術は教育と社会インフラにどう影響を及ぼすのか。」と続けた。

教育問題はその他のセミナーでも話題になった。北極圏の若者と持続可能な将来に関する集会で、アラスカ・アンカレジ大学のダイアン・ハーシュバーグ氏は、教育機会はアラスカの小規模地域では限定されていると指摘した。ハーシュバーグ氏は「自分の地元から出ることを決断したら、自分の地元全体よりもたくさんの学生がいるクラスに入ることになるかもしれない」と指摘した。また、もしその新しい学校が自分の元々の言葉で教えていないならば、「時として、第2言語を学ばねばならないかもしれない」と語った。これはストレスと不満につながる。同じような懸念がグリーンランドで持ち上がっている。

北極圏大学(UArctic)は、北部地方の教育・研究を取り扱う大学、研究機関、諸機関から構成されている。その「地政学と安全保障に関するテーマ別ネットワーク」は、毎年、北極圏会議でセミナーを開催している。今年のあるセミナーでは、平時に軍隊によって引き起こされる環境破壊に焦点をあて、別のセミナーでは、あらたな安全保障上の脅威としての気候変動を検討した。

ラップランド大学のラッシ・ハイネノン氏は、これらセッションの主催者の一人だ。彼は、少なくとも1.41億トンのCO2に相当するものが、2003年3月から2007年にかけてのイラク戦争で排出されたと説明する。ハイネノン氏は、「軍隊は、ある種の保護された汚染者です。」と指摘したうえで、「数週間前にロシアとベラルーシが行った軍事演習の間に使われたすべての資源を考えてみるといい。」と語った。これはZAPAD2017演習を指している。

冷戦期、ロシア国土の一部は古い弾薬や石油製品、その他の軍事廃棄物の廃棄場になった。ロシア大統領国家経済行政アカデミーのアナトリー・シェフチュク教授は、2012年から継続されているフランツヨーゼフ諸島の廃棄場の浄化作業について説明し、コラ湾の浄化も間もなく始まるという。

第2のセミナーは新たな脅威としての気候変動を検討するものだった。このセミナーでは、ビクトリア大学(カナダ)のウィルフリッド・グリーブズ氏が、都市化と気候変動の関係を検討し、巨大インフラのある都市は気候変動に対して脆弱だが、都市への気候変動の影響は過小評価されていると指摘した。「都市の温暖化は非都市化区域の10倍にもなります。」とグリーブズ氏は指摘した。(原文へ

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和田征子氏の被爆証言を収録(Vaticn Conference on Nuclear Disarmament)

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Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan.

INPSは、ローマ教皇庁人間開発のための部署が11月10・11両日に主催した国際シンポジウム「核兵器なき世界と統合的な軍縮に向けての展望」を取材した。INPS Japanからは浅霧勝浩マルチメディアディレクターは、日本から被爆者を代表して全体会議で証言した和田征子氏の英語による発表を映像で収録し、日本語字幕を加えた。

Ms. Masako Wada, Assistant Secretary General of ‘Nihon Hidankyo’ (The Japan Confederation of A- and H-Bomb Sufferers Organization), gave a personal testimony as a Hibakusha (survivor of atomic bombing in Hiroshima and Nagasaki in 1945) during the International Conference titled “Prospects for a World free from Nuclear Weapons and for Integral Disarmament” in Vatican City on November 10-11, 2017.SHOW LESS

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