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世界社会フォーラムから遠き道のり

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【リオデジャネイロIPS=マリオ・オサバ】

世界社会フォーラム(WSF)は今、「かつてないほど必要とされている」――。世界の市民社会が集うこのフォーラムの提唱者で共同創設者でもあるオデッド・グラジェウ氏は、そう語る。|英語版|

多様性の祭典ともいえるWSFは、創設時に掲げた「もう一つの世界は可能だ」という理念を、いまだ具体的な形にするには至っていない。

次回のWSFは2月15日から19日まで、ネパールの首都カトマンズで開催される。WSFは2001年、ブラジル南部の都市ポルトアレグレで、ブラジルの市民団体や社会運動が国際的な団体と連携して立ち上げた。

グラジェウ氏が提唱したのは、スイス・アルプスのダボスで毎年開かれる世界経済フォーラムに対抗する場を設けることだった。そのため名称は似ているものの、焦点は異なる。社会問題を中心に据え、当初はダボス会議と同じ1月に開催され、新自由主義やグローバリゼーションに異議を唱えるスローガンが掲げられた。

第1回には117カ国から約2万人が参加。その後、参加者は増え続け、世界各地で開催された複数の大会では10万人を超えた。最初の3回はポルトアレグレで開催され、その後も同市にはたびたび戻っている。

2004年にはインドのムンバイ、2006年にはマリのバマコとベネズエラのカラカスに分かれて開催され、その後、ナイロビ(2007年)、ダカール(2011年)、チュニス(2013年、2015年)、メキシコシティ(2022年)へと開催地を広げた。

ブラジルではポルトアレグレのほか、2009年に東部アマゾンのベレン、2018年に北東部サルバドールでも開催された。さらに、各国・地域・テーマ別のフォーラムへと発展し、経済、環境、気候変動、ジェンダー、人種・民族、性的少数者、障害など、多岐にわたる問題を議論する場となった。

しかし、WSFはこの10年ほど衰退傾向にある。当初の魅力や社会的反響は薄れ、現在の世界的危機に対する影響力もほとんど目立たなくなった。そもそもWSFは、何らかの結論を出すことを目的とした運動ではなく、議論を生み出し、「もう一つの世界は可能だ」と示すことを目指して誕生したからだ。

グラジェウ氏はサンパウロからIPSの電話取材に応じ、こう語った。

「今のところ、私たちは負けています。気候危機は悪化し、不平等と紛争は拡大し、核戦争の危険もあります。民主主義への信頼は低下し、グローバル・ガバナンスも欠如しています。これらは人類という種そのものを脅かす巨大なリスクです」

こうした状況だからこそ、WSFを再活性化する必要性が一層高まっている。主催者たちにとって、課題解決への唯一の道は、市民社会を強化することだからだ。

それでもWSFはすでに、「世界各地の市民社会がつながり、抵抗を組織する場」としての遺産を残しているとグラジェウ氏は指摘する。気候非常事態を国際社会の重要課題として可視化することに貢献し、反人種差別運動を強化し、先住民族がそれまで以上に「政治的主体」として力を持つための連携を育んだという。

ブラジルでは、強さを増した市民社会が、独裁体制につながりかねないクーデターを阻止し、極右のジャイル・ボルソナロ前大統領が権力に返り咲くことを防いだとグラジェウ氏は語る。

現在80歳のグラジェウ氏は、複数の組織で顧問を務めるほか、「企業と社会的責任のためのエトス研究所」の名誉会長を務めている。実業家から社会活動家へと転じ、現在も活動を続けている。

解決策も資源もすでにある

「今日では、人類が抱えている問題が何であり、それをどう解決すればよいかも分かっています。欠けているのは政治的意思です」とグラジェウ氏は主張する。

WSFで長年発言してきた83歳の経済学者ラディスラウ・ダウボール氏は、こう語る。

「私たちの問題は経済ではありません。資源が足りないのでもありません。政治的・社会的な組織の問題なのです。世界のGDPは年間100兆ドルで、4人家族1世帯当たり月額4200ドルに相当します。すべての人が尊厳ある快適な生活を送るには十分な額です。人類の最富裕層1%が保有する資産に、わずか4%の税を課すだけでよいのです」

WSFは、環境運動、フェミニズム、反人種差別、平等を求める運動など、無数の団体や社会運動へと細分化している市民社会を結びつけ、一つの政治的な力を生み出そうとする試みでもある。

1960年代から70年代にかけて社会の多様化が急速に進み、さまざまなアイデンティティーと、それぞれの権利を求める運動が台頭した。WSFのような取り組みは、そうした多様な運動の合流点となることを目指している。多くは進歩的な運動だが、それらが自動的に連携するわけではない。

WSFの直接的な前史の一つとなったのが、1999年に米ワシントン州シアトルで起きた、いわゆる「シアトルの闘い」である。世界貿易機関(WTO)閣僚会議に合わせて反グローバリゼーションの活動家が集まり、「経済のグローバル化ではなく、人々のグローバル化」を求めた。

ブラジルの1964~85年の軍事独裁政権やソビエト革命を研究してきた歴史家ダニエル・アラオン・レイス氏(78)は語る。

「これは長期的なプロセスです。多様性は豊かさですが、時にはアイデンティティーをめぐるセクト主義によって分断されることもあります」

レイス氏によれば、現在、資本主義がもたらす弊害に対抗し、あるいはその被害を抑えようとする動きは、二つの逆風に直面している。

一つは労働者階級の衰退である。

「19世紀末以降、都市に集中した労働者階級は人口面でも大きな比重を占め、組織力を持っていました。その闘争を主導し、農民のように時には人口の多数を占める他の民衆層を引きつけることができました。しかし、1970年代以降、緩やかではあるものの明らかに人口的な比重を失ってきました」

もう一つは、1991年のソ連崩壊である。これによって資本主義への歯止めが弱まり、「帝政ロシア的伝統の復活」とともに、抑制のない資本主義が広がったという。権威主義的な社会主義に批判的だった進歩勢力にとっても大きな打撃だった。モスクワは長年、例えば各地の民族解放闘争を支援してきたからだ。

極右が進歩勢力を結びつける可能性

「労働運動のような強力な中核がないなか、無数に分散した潮流を結びつけることは大きな課題です。しかし時には、外部の敵がそうした連携を促すことがあります。ナチズムに対抗して幅広い同盟が形成されたのが、その一例です」

レイス氏はリオデジャネイロでIPSの取材に応じ、こう指摘した。

人種差別、民主主義への脅威、女性蔑視などの反動的な立場を包含する極右の台頭が、「分散した星雲のようになった左派を凝集させる」可能性があるという。レイス氏はフルミネンセ連邦大学教授でもある。

WSFの場合、勢いの衰えが、フォーラムを運営する国際評議会内部の対立をさらに深刻化させている。

IPSの共同創設者で名誉会長、かつてWSF国際評議会の有力メンバーでもあったイタリア系アルゼンチン人のロベルト・サビオ氏は、ローマからこう語った。

「WSFは教会の黙想会のようなものです。参加した人には有益ですが、基本的には内部だけで完結し、社会には広がっていきません。世界が直面する切迫した問題について立場を表明しないため、外部に向けて発信することができないのです」

南南コミュニケーションの専門家である89歳のサビオ氏は、WSFを「多元的で多様な空間」と位置づけ、さまざまな団体や運動が思索し、つながる場であるとともに、「非党派的」で「意思決定を行わない」と定める「原則憲章」をめぐる、一部の活動家や顧問との意見の相違をこのように表現した。

政党ではない

フォーラムのもう一人の共同創設者で、「原則憲章」を強く擁護するシコ・ウィテカー氏は語る。

「私たちはこれからも、人々や組織を結びつけ、代替案や行動のあり方、新たな道を模索するための場であり続けなければなりません。行動するのは参加する団体や運動であって、フォーラムそのものではありません」

この見解の相違はWSF創設時から存在しており、その背景には「階層的で独裁的な政治という古い文化」があると、ウィテカー氏はサンパウロからIPSの電話取材に語った。

92歳のウィテカー氏は、カトマンズは「遠すぎる」ため現地を訪れることができず、オンラインでの参加も「非常に限定的」になることを残念がっている。

カトマンズ大会は対面とオンラインを組み合わせたハイブリッド形式で開催される。しかし、例えばネパールの首都とサンパウロとの時差は9時間あり、遠隔地から議論を追うことは容易ではない。

このため、南北アメリカの参加者にとって特に関心の高い討論は、ネパール時間の夜に開催されると、WSF国際評議会で共同コミュニケーションを担当するネットワーク「Ciranda」の代表、リタ・フレイレ氏は説明する。

ジャーナリストで『Middle East Monitor』編集者でもあるフレイレ氏(66)は、「原則憲章を維持しながら、フォーラムのプロセスの内部で政治的行動を進める」という別の選択肢も代表している。

カトマンズでは、新たな組織として、社会運動による「闘争と抵抗の集会(Assembly of Struggles and Resistance)」が試験的に設けられる。この組織は政治的立場を示し、宣言を採択する。

ただしフレイレ氏は、カトマンズ行きの飛行機に搭乗する数時間前、サンパウロから電話でこう強調した。

「それはあくまでその組織自身の名において行うものであり、フォーラムの名において行うものではありません」

アジアでWSFを開催することは、新たな可能性を切り開く。少なくとも経済面では、アジアはグローバル・サウスで最も活力のある地域だからだ。この点について、フレイレ氏とウィテカー氏は意見を同じくする。

今回の開催は、ネパールと近隣諸国の市民社会組織が結集し、自ら開催地となることを申し出た、その動員力を反映したものでもある。

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食用に栽培された固有品種の減少が深刻な脅威となる

【ローマIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

食料として特定の品種が栽培・飼育される一方で多くの固有品種が急速に減少しつつあり、生物多様性の喪失が人類を含む食物連鎖にも深刻な影響を及ぼしている実態を明らかにした国連食糧農業機関(FAO)の報告を分析した記事。いくつかの国ではこうした実態に危機感を募らせた市民(Citizen Sceientists)らが農家からの直接購入やフードロス対策をはじめ、持続不可能な食料品を避ける等の行動を起している。(原文へ)

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第二次世界大戦時のアフリカ人従軍兵士等が英国政府に公式謝罪と補償を求める

【ニューヨーク|ロンドンIDN=リサ・ビベス】

英国政府は、第二次世界大戦(1939年~45年)を英国人兵士とともに戦ったアフリカ人兵士で今日存命している人々に対して、謝罪と補償を行うよう迫られている。

大戦期間を通じて50万人以上のアフリカ出身者が英軍に加わって戦ったが、新たに発見された資料から、当時アフリカ人兵士に支払われた給与が白人の兵士と比較して3分の1以下だったことが明らかとなり、政府に対して真相究明と生存者に対する補償を求める声が高まっている。

Propaganda poster promoting the joint war effort of the British Empire and Commonwealth, 1939./ Public Domain
Propaganda poster promoting the joint war effort of the British Empire and Commonwealth, 1939./ Public Domain

英国公文書館で発見されたその資料には、当時の英国政府が、アフリカ人兵士を組織的に差別していた実態が克明に記録されている。例えば、白人兵であれば、アフリカの植民地で黒人兵士と同じ部隊で勤務していた場合でも、黒人兵よりもはるかに多くの給与が支給されていた。

英国議会の3名の議員が、テレサ・メイ首相に対して、こうした差別的な慣行が行われていた事実を認めて真相究明に着手するとともに、元従軍兵士に対して公的な謝罪と補償を行うよう要求している。

当時の英軍におけるアフリカ人兵士に対する差別的な慣行は、カタールの通信社「アルジァジーラ英語版」が製作したドキュメンタリーで浮き彫りにされている。英国政府による公式発表では、当時、軍への参加はあくまでも自発的なものであったとされているが、このドキュメンタリーに登場する元兵士や未亡人らの証言は、そうでなかったことを物語っている。

かつて英軍の通信兵としてエチオピアやソマリランドに送られたケニア人のガーソン・フンディさん(93歳)はガーディアン紙の記者に対して、「英国は私たちを奴隷として扱いました。任地には私たちの意志ではなく、強制されて行ったのです。もし軍を脱走して故郷に戻ったとしても、族長に逮捕されて任地に連れ戻される運命にありました。こうした状況下で、はたして誰に苦情を訴えることができたでしょうか。私たちには全く発言権が認められていませんでした。」と語った。

African Troops in Burma during the Second World War/ Public Domain
African Troops in Burma during the Second World War/ Public Domain

こうした証言内容は、第二次世界大戦を研究している代表的な歴史家たちによる研究内容とも一致している。「(英国は)当時、植民地の族長達に圧力をかけて村から供出する兵士の数を決めさせ、彼らを通じて村の青年たちを強制的に入隊させていました。」「この制度に巻き込まれた人々の経験は、実に悲惨なものでした。」と、ゴールドスミス大学のデイヴィッド・キリングレイ名誉教授(近代史)は語った。

こうして徴兵されたアフリカ人の兵士達には、士官になる道が閉ざされていたうえに、白人の下級兵士を規律に従わせる権限も剥奪されていた。また、当時英軍では既に数十年にわたって兵士に対する体罰が公式に禁止されていたにもかかわらず、アフリカ人の兵士に対しては体罰が横行していた。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

「英軍では私たちは日常的に殴られていました。私たちの体はこうした殴打により膨れ上がっていました。言われたことを全て受け入れるまで、殴られたり平手打ちに晒されるのです。反論は一切許されませんでした。当時、誰に不平をもらすことができたでしょうか。こうした体罰を加えてきたのは、上官自身だったのですから。」と、当時日本軍と戦うために英軍兵としてビルマ戦線に従軍したユーセビオ・ムビウキさん(100歳)は語った。(原文へ)

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*第二次大戦中、英国政府はアフリカ各地の植民地から招集(事実上強制動員)した兵士たちを枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)との戦場(欧州・中東・アジア)に投入した。しかし1945年に戦争が終結すると、除隊後、白人兵に対して提供された戦後補償の対象から外され、彼らの貢献自体が歴史の闇に葬り去られてきた。

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ガーナの首都アクラの中心、米国大使館からわずか数メートルのところに、偉大なるアフリカ系米国人の公民権運動指導者W・E・B・デュボイス氏と妻シャーリーの墓がある。「全国有色人種向上協会」の創設者であるデュボイス氏はアクラに1961年に移住して閑静な住宅街ラボネに居を構え、1963年8月に亡くなるまで暮らした。

デュボイス氏のガーナへの転出は、自らのルーツを辿りアフリカ大陸へ回帰したいとのアフリカン・ディアスポラ(新世界の各地に連行されたアフリカ人奴隷の子孫)の切なる願いの表れだったかもしれない。ガーナは、16世紀から19世紀にかけて大西洋奴隷貿易の中心地であった。

W.E.B. Du Bois/ Public Domain
W.E.B. Du Bois/ Public Domain

ワシントンDCでは2018年9月、ガーナのナナ・アクフォ=アド大統領が2019年を「ガーナ帰還年(Year of Return, Ghana 2019)」にすると宣言した。アフリカ大陸の人々と、各地に離散したアフリカに起源を持つ同胞たちを結びつける試みをさらに加速させるものだ。

立ち上げイベントでアクフォ=アド大統領は、「私たちは、(アフリカン・ディアスポラが)米国人の生活に与えた多大なる成果や貢献について知っています。それから400年というこの象徴的な年に、彼らの存在と犠牲を記念することが重要です。」と語った。

米議会のグウェン・ムーア下院議員(ウィスコンシン州)やシェイラ・ジャクソン・リー下院議員(テキサス州)、アフリカ系アメリカ人の外交官や著名人などがイベントに参加した。

リー議員は、ガーナ政府の取り組みを、2017年に米議会で通過した「アフリカ系アメリカ人の400年の歴史を記念するための立法」と結びつけた。同法の条項には、「英植民地であったバージニア州のポイント・コンフォートに1619年にアフリカ人が到着」してから400年を記念する活動を実施し財政的に支援する歴史委員会の設置に関する条項が盛り込まれている。

ガーナの歴代の指導者は、1957年の独立以来、アフリカ出身者をガーナに帰還させる政策を採ってきた。

Kwame Nkrumah during a state visit to the United States/ Public Domain

ガーナのクワメ・エンクルマ大統領(当時)は、独立後初の演説で、アフリカの解放を、世界中のアフリカ人がアフリカに帰還するという考え方の中に位置付けた。

ハーバード大学「ハッチンズアフリカ人・アフリカ系米国人研究センター」のヘンリー・ルイス・ゲーツ・ジュニア所長は、「エンクルマ大統領は、アメリカの黒人はアフリカ人の先駆者と考え、ガーナが従来の植民地制度から独立国へと移行していく中で、アフリカ系アメリカ人の奉仕心と能力を活用しようとしていました。」と語った。ゲーツ氏自身、20歳の時に、エンクルマの精神に燃えて初めてガーナを訪れている。

ガーナ議会は2000年に市民権法を成立させて、二重国籍を可能にした。つまり、外国で市民権を獲得したガーナ起源の人々が、希望するならガーナ国籍を取得できるようにしたのである。

同じ年、ガーナ政府は移民法を制定し、「海外に離散したアフリカ人の子孫」はガーナと「妨害されることなく」行き来できるとする「居住権」を定めた。

ヨゼフ・プロジェクト

独立から50年にあたる2007年、ガーナ政府は、奴隷制廃止200年を記念して、アフリカ出身者のガーナへの帰還を推進する「ヨセフ・プロジェクト」を開始した。

Map of Ghana
Map of Ghana

かつてイスラエル政府がホロコースト後に、欧州などに居住していたユダヤ人に対してアプローチしたのと同じく、ヨセフ・プロジェクトは、エジプトで奴隷として売られた後に家族と再会してエジプトの宰相として国を治めた旧約聖書に登場するヨセフにちなんだものである。

アフリカ系アメリカ人社会はアクフォ=アド大統領の取り組みに興奮を隠せない。SNSには、多くの人々が初めて訪れるアフリカへの期待を投稿している。その一人が、メディア関係者で2019年に祖先の故郷を訪ねる予定にしているアンバー・ウォーカー氏である。

ウォーカー氏は、「アフリカ系アメリカ人であることの矛盾は、市民として考えられていない所に自分たちが存在していることにあります。こうしたアフリカ系アメリカ人が祖先の地に自分たちが帰属意識を持てる場所を取り戻すことを支援するガーナの取り組みは素晴らしいと思います。これは、正しい方向への一歩だと思います。」と指摘したうえで、「西側社会の抑圧者たちが、こうした異例の厚遇(=レッドカーペットを敷いて迎える)をこれまでにアフリカ人に差し伸べたことがないことを踏まえれば、(ガーナの取り組みには)胸がすく思いがします。」と語った。

アクフォ=アド大統領はプロジェクトの発表にさいして、「高度な技術を持った一握りの人々がアフリカに進出して、民衆を略取し奴隷として売り飛ばすことが今後二度とないように、大西洋の両岸でともに協力していかねばなりません。これを私たちの決意としようではありませんか。奴隷制は二度と蘇らせない。二度と蘇らせてはならないのです。」と語った。

Nana Akufo Addo/ Wikimedia Commons
Nana Akufo Addo/ Wikimedia Commons

しかし、ウォーカー氏は、「奴隷貿易で一部のアフリカ人が果たした役割を大統領が控えめに話しているようだ。」と指摘したうえで、「大統領の言い方では、武器を持って進出してきて黒人を連れ去った白人だけが悪いように聞こえてしまいます。しかし、歴史の真実はそれだけではありません。だからそのこと(=黒人も奴隷制に関与したこと)も認識することが大事なんです。」と語った。

ウォーカー氏は、アパルトヘイト後の南アフリカで実現した和解の形が、かつて祖先が奴隷として売られていった数多くのアフリカの人々を満足させる真実追究と和解のプロセスに示唆するところが大きいのではないかと考えている。

国連は2013年、2015年から24年を「アフリカ系の人々のための国際の10年」と定め「アフリカに起源を持つ人々の基本的人権と自由の尊重、保護、達成の促進」をめざすことになった。

この10年の取り組みのテーマは「アフリカに起源を持つ人々:理解、正義、開発」である。

「2019年ガーナ帰還年」は、「パナフェスト」と呼ばれる2年毎の「汎アフリカ歴史劇場フェスティバル」と軌を一にして開かれる。会場となるケープ海岸には、ケープ海岸城と近隣のエルミナ城があり、いずれも奴隷貿易時代を象徴するものとして国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。(原文へ)

Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site
Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site

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ウィリアム・エドワード・バーガート・デュボイス氏(1868年~1963年)は、南北戦争後のフレデリック・ダグラスやブッカー・T・ワシントンと20世紀のマーティン・ルーサー・キング牧師やマルコムXをつなぎ、1950年代から60年代の公民権運動の礎を築いた人物。

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核軍縮の行き先はなお不透明(セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮問題担当上級代表、パグウォッシュ会議議長)

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【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ】

人類は時代の夜明けから、戦争による悲哀や惨めさ、破壊の程を知っていたが、歴史上もっとも破滅的な軍事紛争は最近の現象だ。

1914年7月から18年11月まで続いた第一次世界大戦では、民間人や戦闘員を含めて約4000万人の命が奪われた。1939年から45年までの第二次世界大戦では7000~8500万人が亡くなった。こうした戦死者の推計には、捕虜としての死、病死、餓死など戦争関連の原因で亡くなったと考えられる人々も含まれている。

核兵器が初めて使用されたのは1945年のことである。今日の基準で言えば広島・長崎型原爆は「低出力」ということになるが、一瞬にして広島・長崎合計で12万人が殺害され、さらに多くの死者がその後に続いた。

しかし、歴史は重要な教訓を私たちに与えてくれる。18世紀の啓蒙哲学者らは、諸国間の理解を通じて戦争を避けるべきことを教えてくれている。1899年と1907年のハーグ平和会議と1949年のジュネーブ諸条約は、戦闘行為と武力紛争における人道支援活動についていち早く規定した多国間条約の事例だ。

第一次世界大戦終結後、平和の維持と軍備制限の達成を使命とした国際連盟が1920年1月に設立された。第二次世界大戦の戦勝国が1945年10月に設立した国際連合にこれは引き継がれたが、勝者の特権的な地位を維持するものでもあり、「戦争の惨禍」の予防と世界平和・安全の維持のために同時にこれらの国々が持っている責任を確認するためのものでもあった。

国連が設立された当初の数年間は、核兵器開発の企図が議論の中心を占めていた。国連総会で1946年1月24日に全会一致で採択された最初の決議は、「原子力の発見によって提起された問題に対処するための」委員会を設置するものだった。

この委員会は特に、「平和目的のために、全ての国々の間で(原子力に関する)基礎的な科学情報が交換できるよう支援」し、「各国の軍備から、原子爆弾と大量破壊に適用しうるその他全ての主要兵器を廃絶する」ための、特定の提案を行うことが任務とされた。1957年、「全世界における原子力の平和利用、健康と繁栄に貢献することを加速かつ拡大する」ことを目的として国際原子力機関(IAEA)が設置された。

その後、米ソ両大国間の根深い対立により、核兵器の削減は進展を遂げられなかったが、大量破壊兵器の残りの2つのカテゴリーにあたる、生物兵器と化学兵器については1972年と1997年にそれぞれ違法化された。

冷戦期の数十年、米ソ両大国間では不信と敵意の雰囲気が満ち満ちていたが、国際社会は人が住んでいない領域への核兵器の拡散予防を目的としたいくつかの多国間取極めの交渉・採択に成功した。例えば、南極、宇宙、月やその他の天体、海底といった領域がそれに該当する。また、ラテンアメリカ・カリブ海地域は1967年、人が住んでいる地域としては初めて核兵器禁止ゾーンとなり、のちにそれが他の大陸でも模倣されて現在では核兵器禁止ゾーンは114カ国を包摂するに至っている。

軍備管理分野における主要な多国間協定である核不拡散条約(NPT)は、1970年に発効した。NPTは、軍縮に向けて努力することを誓約した5つの核兵器保有国の存在を認めている。NPTは、4カ国を除く全ての国々に受け入れられた。非核兵器国のすべてが、IAEAによる検証手続きに従った法的拘束力ある公約を通じて、核兵器保有という軍事オプションを放棄したのである。

包括的核実験禁止条約(CTBT)は1996年に締結され未発効であるが、あらゆる環境下における核爆発を禁じており、核不拡散体制を強化し新型の核兵器開発を抑制する、(事実上核実験はできないという)タブーを作り上げている。ほとんどの核保有国が、核戦力の規模と核兵器の使用条件に関して、自発的な公約をしている。現在世界に存在する核兵器の合計は、約1万5000発にまで減少してきたと言われる。

これらの、あるいはその他の望ましい動きによって、核軍縮に向けた進展がさらに促進されると期待する向きもあるかもしれない。しかし、現状は不確実な未来を指し示している。

20世紀末以来、国際的な緊張は高まり、米ロ両大国間の緊張を緩和しその核戦力を制限する合意は危機に立たされている。1972年の対弾道迎撃ミサイル(ABM)制限条約は効力をすでに失い、欧州の安全保障のカギを握ると考えられてきた1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約はいまや、風前の灯だ。同じように、2011年の新START(新戦略兵器削減条約)も失効期限の2021年から延長されないかもしれない。

1970年にNPTが発効してから50年経つが、核兵器国はNPT第6条に明記された「核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、誠実に交渉を行う」との約束を、納得のいく形で果たしていない。まさにNPTそのものの信頼性が危機に直面しているのである。

この数十年間で採択されてきたどの取り決めも、それら取り決めの前文に明記された理想に反して、法的拘束力があり、時限を区切った核兵器廃絶の不可逆的な義務について定めていない。

しかし、核兵器の存在によって全ての国の安全保障に及んでいる脅威を削減するために、既存の多国間機関による行動が緊急に必要とされている。ジュネーブ軍縮会議は1996年以来、停滞したままだ。実際、核軍縮の効果的な措置は、同会議の実質的な論議のテーマとなったことはない。

進展の見通しが短期的にあったところで安心できるわけではない。あらたな問題が発生しているからだ。核兵器国は現在、核戦力の「近代化」に勤しみ、サイバー攻撃から超音波運搬手段、低出力の「使いやすい」核兵器から人工知能(AI)にいたる様々な技術を戦争に適用すべく努力している。軍事的な優勢を求める競争は、世界を絶滅の崖っぷちに追いやっている。

排他的な地位を強迫観念的に追い求める核保有国は、2017年に122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約の交渉と参加に激しく反発してきた。核保有国やその同盟国の政府とメディアは通常、同条約を無視するか、貶めている。彼らによれば、核兵器禁止条約はNPTが確立してきた体制にとってマイナスだというのである。

ニューヨークの国連本部で4月29日から5月10日まで開催される2020年NPT運用検討会議第3回準備委員会会合の帰趨にとって、これはよくない傾向だ。2015年の前回会議では、核兵器国と非核兵器国との間の長年にわたる意見に不一致のために、合意に達することができなかった。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

2回連続で会議が失敗に終わるのではないかとの懸念が、核不拡散体制の要とみられてきたこの重要な条約の加盟国の間で広がっている。2020年NPT運用検討会議の成功は、すべての国にとっての永続的な平和と安全を確実にする国際的な核の秩序に関する意見の一致を促進する能力にかかっている。

核軍縮の効果的な措置に関する建設的な討論と合意の必要条件はよく知られている。すなわち、確立された規範と国際法の原則を遵守し、諸国家間で一般的に認められた行動規範を尊重し、過去に受け入れた約束に誠実に従うことである。

核兵器国は、核軍縮を進展させる第一義的な責任を負っている。これが諸国全体の利益にかなうことだ。例外主義は、相互依存を深めている今日の世界には見合わず、安全を強化することはないだろう。(原文へ) |スペイン語|

※セルジオ・ドゥアルテ氏は、1995年にノーベル平和賞を受賞した「科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議」の議長であり、重要ポストを歴任したブラジルの元大使である。2005年には第7回核不拡散条約(NPT)運用検討会議の議長、2007~12年には国連軍縮担当上級代表(国連軍縮局長、UNODA)を務めた。

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沈みゆく船から

【バルセロナIDN=フェデリコ・マヨール・サラゴサ】

「地球」という人類を乗せた船が沈もうとしている中で、問題の本質から人々の目を逸らせようとしている諸勢力の現実を指摘するとともに、歴史の教訓から今日の危機的な状況を主体的に把握し、持続可能な開発(SDGs)のような人類救済の処方箋に目を向け、共通の未来のために行動していくことの大切さを訴えた、フェデリコ・マヨール元ユネスコ事務局長の視点。(原文へ)

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エリトリアからリビアを通過して欧州に旅する危険

【ニューヨーク/ニアメIDN-INPS=フランク・クオヌ/ルイス・ドナヴァン】

ニジェールの難民収容所にひとり、後悔にうなだれながら座り込んでいる若い男性がいる。「私は必ずしもこんなに遠くまで来たかったわけではありません。ハルツームに留まっていてもよかったかもしれない。」と顔に苦悶の表情を浮かべながら語った。

どうしてこんな未知の土地まで逃避行を重ねてしまったのだろう、とこの男性は自分に問いかけていた。彼は砂漠を横切る危険な旅を生き延びたが、そのために酷い代償を払わされることになった。彼は、慕っていた兄と母国のエリトリアを脱出したあと、一旦は、スーダンの首都ハルツームに短期間落ち着いたが、さらに欧州を目指して旅を続けることとなり、先発した兄は砂漠で命を落としてしまったのだ。

 「私もハルツームを離れることにしたのです。」とテクレさん(仮名:36歳)は、先の見通しが全く立たず絶望していた当時の心情を吐露した。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

「ハルツーム警察の私たち移民に対する扱いは酷いものでした。私たちには何の権利も認められないのです。」と、テクレさんは当時の辛い状況を語った。そこでテクレさんは、ハルツームにそのまま留まるのではなく、チャンスにあふれるヨーロッパに辿りつく運命にあるのだと考えるようになり、旅を続けることにした。

「私はもう子供ではありませんでしたから、旅の目的はお金ではありませんでした。ただただ平和な人生が送れるところに行きたかったのです。」とテクレさんは語った。彼は、サハラ砂漠を横断して欧州に逃れようとして途中リビアで囚われの身となった多数の難民や移民のうちの一人である。

国際移住機関(IOM)の推計によると、現在リビア国内で足止めを食らっている移民の数は、70万人から100万人とみられている。そのうち、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、これまでに55,000人以上を登録している。

UNHCRやIOMのような人道支援団体が全ての難民収容施設へのアクセスを確保できているわけではないことから、収容所のなかには、密入国業者や民兵組織が運営するものもあり、国際的な保護を必要としている難民の実数は、国連の推計よりもずっと多い可能性がある。

「ハルツームからリビアに旅をするには密入国業者を頼るしか選択肢がありませんでした。」とテクレさんは思い出していた。移民たちはリビアに到着すると、一棟当たり1300人から1400人収容できる大きな倉庫に収容された。砂漠を超える困難な旅を通じて移民たちは絆を形成する。「旅の途中で出会った人々は…家族になるのです。もし私が脱落しそうになれば、誰かが助けてくれる。移民の間には、友達以上の、いわば家族のような絆が生まれるのです。」とテクレさんは語った。

多くの移民にとって旅は致命的なものだった

AP通信は2018年6月、IOMの統計を引用して、2014年以来、推計約30000人が砂漠で行方不明になっていると報じた。UNHCRは、(アフリカ大陸から欧州に渡る途上の)地中海で遭難して命を失う移民1人に対して、少なくとも2人以上の移民が砂漠で落命している可能性があると推計している。

砂漠で落命した移民の大半は、砂漠の焼け付くような太陽光による脱水で倒れたと考えられている。遺体の中には、強力な砂塵や砂嵐に覆われて、痕跡が分からなくなってしまうものもある。

テクレさんの兄もそうした犠牲者の一人だった。彼はリビアを目指してスーダンを一足先に出発していた。テクレさんは兄が辿ったサハラ砂漠越えのルートを追って移動したが、のちに兄はサハラ砂漠で2週間を費やした末に、一緒に旅をしていた4人の仲間とともに水不足で死亡していたことを知った。「私はこの兄と一緒に育ちました。大好きな兄でした。」と、テクレさんは語った。

身内を失い一人旅となったテクレさんだが、途中旅で出会った女性たちのたくましさが印象に残っている。「彼女たちは、大変な中でも私たちの面倒をみてくれました。」とテクレさんは語った。

しかし女性達は、夜になると酒や麻薬を煽った状態で迫ってくる密入国業者を前に無防備な状態に置かれていた。「彼らは夜な夜な女性たちを引きずり出していきました。その光景は見るに堪えませんでした。自分の家族に同じことが起こっていると思うと、いたたまれませんでした。彼女達に対する仕打ちはますます悪化し、(彼女たちの)悲鳴が聞こえてきました。」

Photo: IOM transit centres in Niger. Credit: IOM | Amanda Nero 2016
Photo: IOM transit centres in Niger. Credit: IOM | Amanda Nero 2016

テクレさんは、彼女たちに対する酷い仕打ちに抗議したことで密入国業者に激しく殴打されたが、自分の命が惜しいとは思わなかった、と語った。「私たちの文化では、決して人を見捨てたりしない。できるだけのことをして助けようとするものなのです。彼らが女性たちにした(強姦を含む)酷い仕打ちを思い出すと心が痛みます。…今でもその時の光景を口にはできません…とても心が痛くなるのです。」

テクレさんと他の移民の一行は、5か月にわたってリビア国内の密輸業者が運営する収容所を転々としたのち、やっと正規の収容所に辿りついた。ここでUNHCR職員の訪問を受けることができ、今年の初めに国連が手配した人道救援のための航空機でリビアを出国することができた。

テクレさんは現在、ニジェールの首都ニアメに、UNHCRが2017年11月以降に救援した1675名の難民・亡命希望者の一人として暮らしている。テクレさんは、この施設で住居、法的保護、食糧、医療支援、精神カウンセリングを受けながら、定住先が決まるのを待っている。

「私も年を取り、もう一度同じ経験をやりとおすことはできないと思います。そのようなスタミナは残っていません。」「私の姉は私よりも先にエリトリアを離れてリビアを目指しました。弟は私より後に出国しましたがサハラ砂漠で落命しました。私にはもう一人、弟がいますが、今なおエリトリアで兵役に就いています。」

Map of North Africa/ Google Earth
Map of North Africa/ Google Earth

「この弟はもう成人ですから、たとえ私が砂漠を超えて欧州を目指す旅はやめるようアドバイスしても、耳を貸してくれないでしょう。誰もが自身の人生をいちかばちか運命に委ねるものですから、いつか彼が砂漠を横切る旅に運命を託するような決断をするのではないかと、心配でなりません。」とテクレ氏は語った。(原文へ)

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|国連|インドによる軍縮専門家育成プログラムを評価

【ニューデリーIDN=デビンダー・クマール】

インドは、各国の若手外交官を対象にした軍縮・国際安全保障プログラムを立ち上げた初の国連加盟国となった。あるインド外務省高官は、この取り組みについて、「核問題と軍縮に対するインドのコミットメントを示すもの」とコメントした。

このプログラムには、広範な地域からの若手外交官の参加を重視している点など、1978年の国連軍縮特別総会によって実施が決定された「国連軍縮フェローシップ」と類似点がある。

国連軍縮フェローシップでは、開始以来、国連の大多数の加盟国から1000人以上の外交官がプログラムに参加してきた。インドは、外交官をもっとも熱心に送り出してきた国のひとつだ。参加者らのその後のキャリアは、この訓練プログラムの価値と、参加を許された個人の力量の高さを如実に示すものとなっている。

Secretary General Ban Ki-moon with 2015 United Nations Disarmament Fellows/ UNODA
Secretary General Ban Ki-moon with 2015 United Nations Disarmament Fellows/ UNODA

インド外務省は、今回初めての実施となる軍縮・国際安全保障プログラムに、27人の外交官(全員が35歳以下)を招き、外交研究所を担当機関として2月1日まで3週間にわたるプログラムを実施した。ベトナム・中国・バングラデシュ・スリランカ・ミャンマー・モンゴル・エジプト・エチオピアが参加者を派遣した。

国連の中満泉事務次長(軍縮問題上級代表)とインドのビジェイ・ケスハフ・ゴケール外務次官は1月14日、第一回プログラムの開会イベントに出席した。

中満事務次長によると、若手専門家や学生を軍縮問題に関与させることの価値は、単に将来の可能性に投資することにとどまらないという。アントニオ・グテーレス国連事務総長が2018年5月に発表した「軍縮アジェンダ」は、世界に変革をもたらす最も重要な力として若者をエンパワーする必要性を説いている。

若者は、地雷やクラスター弾、最近では核兵器の禁止運動の先頭に立ってきた。中満事務次長は、「このプログラムの参加者年齢は、最も適切に設定されていると思います。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年にノーベル平和賞を授与されたとき、すべてのスタッフが35才以下でした。」と指摘したうえで、「若者が導く対話は、サイバーツールやドローン、人工知能(AI)のような新技術の脅威を理解しようとする中で、創造性の源となるでしょう。」と語った。

Photo: Killer robot. Credit: ploughshares.ca
Photo: Killer robot. Credit: ploughshares.ca

中満事務次長はまた、「軍縮を追求し、『持続可能な開発に向けた2030アジェンダ』や人道支援活動、武力紛争の予防と解決、環境保護といった他の重要問題とも軍縮の関連を持たせようとしている中で、若者たちの創造性はカギを握ることになるだろう。」と付け加えた。

さらに、若者が中心となった政治的連合は、政府間の軍縮プロセスではあまり役割を与えられていない女性の声を大きく取り上げてきた。「すべての軍縮・国際安全保障のプロセスで女性の完全かつ平等な参加を確実にすることによってのみ、地球が直面している難題に効果的に対応する幅広いアイディアと才能を応用することができるだろう。」と中満事務次長は語った。

インドは、この新たな軍縮・国際安全保障プログラムへの参加候補国として、まずはジュネーブ軍縮会議(65カ国で構成)の加盟国が適切だと考えている。初回プログラムの参加国は、この65ヶ国の中から地理的バランスを考慮して最終的に30カ国が選ばれ、若手外交官の参加が要請された。主な選定基準は、軍縮問題で以前からの活動実績があるということだった。

プログラムでは、グローバル安全保障環境、大量破壊兵器、特定通常兵器、宇宙安全保障、海洋協力、サイバー空間の安全保障、輸出管理、新技術といった、軍縮と国際安全保障に関連する幅広い問題を扱う。

Izumi Nakamitsu/ UNODA
Izumi Nakamitsu/ UNODA

このプログラムでは、さまざまな現代の軍縮・不拡散・軍備管理・国際安全保障問題に関する専門知識や視点を参加者に授けることを目的としている。

国連軍縮研究所(UNIDIR)、国際原子力機関(IAEA)、化学兵器禁止条約機関(OPCW)、通常兵器及び関連汎用品・技術の輸出管理に関するワッセナー協定の高官らが、プログラムに協力している。

ウィーンを本拠としたワッセナー協定は1995年に結ばれ、通常兵器及び汎用品・技術の移転に関する透明性と責任を高めることによって、不安定要素となる武器の蓄積を防ぎ、地域や世界の安全保障・安定に寄与することを目的としたものである。また、テロリストによるこれらの物品入手の予防も目的としている。

インド外務省によれば、プログラムには、ウッタル・プラデシュ州のナローラ原子力発電所やトゥグラカーバードの内地コンテナ置き場、インド宇宙研究機関(ISRO)の現地訪問も含まれている。

外務省は、この独自プログラムの背景について、インドが国連安保理決議1540に関する会議を開催したことを挙げている。同決議は加盟国に対して、核兵器とその運搬手段の拡散防止のために国内で規制をするよう義務付けている。

「私たちは、安保理決議1540や化学兵器禁止条約のような、輸出管理や核問題のさまざまな側面に関して、多くのワークショップを開いてきました。しかし、インドがすべての関連問題を包含するようなプログラムを実施するのは初めてのことです。」とこの高官は語った。

SDGs Goal No.4
SDGs Goal No.4

中満事務次官は、プログラムの開会にあたって、「核軍縮・国際安全保障問題で各国の外交官に訓練を提供するというインドの取り組みは、軍縮アジェンダの主要な側面の1つである、『軍縮教育への投資』に沿うものです。」と語った。軍縮教育は、「平和及び非暴力的文化の推進」を謳った持続可能な開発目標(SDGs)の第4目標の実現に寄与するものと解釈されている。

軍縮アジェンダの第4の柱はパートナーシップだ。軍縮分野で意味ある進展を達成するには、地域機関や科学者、エンジニア、民間部門、市民社会と組んで、国連システムを横断する効果的な連携がなされねばならない。

「軍縮・国際安全保障プログラムを立ち上げたインドを称賛したいのは、この最後の点に関してです。こうしたアクションは、世界的に核軍縮を推進してきたインドの歴史的役割に沿うものです。」と中満事務次長は語った。

中満事務次長はまた、「戦略的安全保障関係が悪化し、分断が深まっているこの時代にあって、インドを含む全ての核兵器保有国には、率先して対話を再開し、リスクを減らす相互的なステップを追求し、核兵器の完全廃絶へとつながる共通のビジョンと道筋に国際社会を連れ戻す特別な責任があります。」と語った。(原文へ)

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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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