ニュースブチャの住民の証言(2)(3):「ポケットから手を出さないと、ここで撃ち殺すぞ。」(ナターリヤ・クリヴォルチコ)「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」(ユーリ・クリヴォルチコ)

ブチャの住民の証言(2)(3):「ポケットから手を出さないと、ここで撃ち殺すぞ。」(ナターリヤ・クリヴォルチコ)「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」(ユーリ・クリヴォルチコ)

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ナターリヤ、ユーリ・クリヴォルチコ夫妻に直接取材した証言です。

私は看護師で、夫はエンジニアです。私たちは二人ともキーウで働いていて、郊外のブチャに住んでいました。朝、出勤して、夕方には帰ってくる。ロシアによる侵攻前のブチャ地区は、ヨーロッパ的でとても美しい街でした。

2月27日、28日、私たちは初めて街でロシア兵を見かけて衝撃を受けました。ロシア兵はとても図々しく、横柄な態度で住民に話していました。私たちのところにやってきて、市長はどこに住んでいるのかと尋ねてきました。もちろん、私たちは「知らない」と答えました。するとロシア兵は、「どうして協力しないのか。私たちはあなた方を救いに来たのだ。市長がどこに住んでいるか知らないはずはない。」と尋問してきました。私たちそれでも「知らない。」と答えました。実はみんな、市長の家が隣の通りにあることは知っていたのですが、ブチャの住民は誰もロシア兵に協力しようとはしなかったのです。

私たちが寒くてポケットに手を入れているのを見て、「ポケットから手を出せ。今すぐだ!私たちが銃を持っていることを忘れているのか!怪我をする可能性があるんだぞ。私や私の仲間が少しでも疑いを持ったら、ここでお前を殺すぞ!」と、ロシア兵の一人が怒鳴ってきました。そして、「私たち(=ウクライナ人)は洗脳されていて、何が起こっているのか理解していない。彼ら(=ロシア兵)はウクライナ人を救出しに来たのだ。」と言い始めたのです。

トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP
トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP

殺戮はまもなく始まりました。通りを歩くと、男性、女性、子供まで、民間人の死体が散乱していて近づけない。街のあちこちにロシア軍の小規模な部隊が展開していて、遺体を墓地まで運ぶのは危険でした。しかたなく殺された隣人を庭に埋めましたが、皆が銃で撃たれていました。ロケット弾が金切り音を上げて頭上に飛来したかと思うと、ロシアの狙撃手が建物の最上階から眼下の住民を狙撃していたのです。

ロシア人にこのすべてを読んでもらい、彼らが私たちにどれだけの苦痛をもたらしたかを理解してもらいたい。これは真実であり、偽造ではないのです。死にゆく人々が路上に横たわっていて、彼らを助けに行くことは不可能でした。もしかしたら、まだ生きている人がいるかもしれなかったのに、ロシアの狙撃兵が近寄らせなかったのです。しかも、狙撃兵は日中だけでなく、夜間も暗視装置を使って住民を狙撃していました。報道された、手を縛られたまま殺された人たちの話も本当です。これは大量殺戮(ジェノサイド)だと思います。ロシア兵たちは、文字通りウクライナという国を破壊していたのです。

ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲
ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲

隣人のインナ・ナウメンコ(50歳)は、トイレや洗濯のために必要な水を確保しようと、隣の消防署に行っていました。そこには大きな桶があり、バケツで水をすくっていました。しかし、彼女は撃ち殺されました。おそらくロシアの狙撃兵の仕業だと思います。夫は彼女を毛布に包んで庭に埋葬しました。

21世紀にこのような惨劇が起こるなんて、私たちはまだ信じられませんでした。誰もが驚き、ショックを受け、私たちが体験したこと、見たことについて、未だに話すことができない人もいます。

ブチャ地区では長い間、通信手段が寸断さえ、親戚にも無事を知らせることができませんでした。連絡が取れても、私たちがまだ生きていることが信じられないような状況でした。

街を離れたかったのですが、ずっと砲撃されていたので、とても恐ろしかったです。ある時、民間人の避難のための「人道回廊」を示され、ブチャの人々も車を走らせました。ところが動き出してほんの数分後、車が向かっている側から恐ろしい爆発音と銃声が聞こえてきました…。ロシア兵にタブーはなかったのです。私たちが奇跡的に破壊を免れていた車で脱出を決意した時、私たちもロシア兵による銃撃を受けました。幸い、銃弾が貫いたのはガスタンクの反対側だったので車ごとの爆発を免れることができました。

私たちのアパートは5階建てで、入り口は4つありますが、2つは初日にロシア兵に燃やされました。その後、ライターが投げ込まれ、屋上が燃やされました。私たちは幸い1階に住んでいたので消失は免れたのですが、軽装甲気動車の30ミリ弾が室内を貫通して台所の壁に穴を開けました。

軽装甲気動車の弾が私たちのアパートを貫通したのです。

ロシア兵は、民間人の住宅を無差別に砲撃していました。兵士らはワルシャワ高速道路を歩いていて、私たちの家はその隣、ノーヴス商店の向かいにありました。私たちはキーウから切り離され、ブチャの街にはパンがありませんでした。市長は有志を募って住民のためにパンを焼くこととし、私と娘のリュドミラは夜、ノーヴス商店に行って働きました。その店にはパン窯があり、ロシア兵が発電機を壊すまでパンを焼き続けました。それからは、どうすることもできませんでした。

リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた
リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた

ユーリ・クリヴォルチコ:「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」

「2月26日から27日にかけて、私の同志であるプロツェンコ・セルゲイが行方不明になりました。彼はまた、赤いリムとミラーの付いたホンダCR-Vという美しい車を所有していました。しばらくして駅で見かけたのですが、ボロボロになっていて、赤いリムで彼の車だと分かったのです。車の惨状から彼を探しても無駄だと思いました。

当時は、ほとんど地下に隠れていました。夕方、18時くらいから門限があって、家にいても見つからないように電気をつけてはいけないのです。ロシア兵はすぐに発砲してきました。

家の近くに十字路があって、暗視装置を装備したロシアの狙撃兵がいました。ある深夜に夜タバコを吸いたくて、玄関のドアを開けると、狙撃兵がタバコの光を見たのか、私の方向へ撃ってきました。ドアが金属製でよかったです。なんとか閉めて弾丸を防ぎました。夜が長かったのを覚えています。恐らくこんなに長い夜は生まれてこのかたなかったし、これからもないだろう。夜中になると、銃声がする。とてもうるさくて、家が揺れ、地下室が揺れ、ろうそくが1本燃えていて、ライトが跳ね返っている。電池があるうちに懐中電灯を点けておけば、真っ暗闇の中で座っている必要はないだろうということで、懐中電灯を点けておきました。この家の住人は全員、私たちと一緒に地下室にいました。

それから、隣の家の地下室に移りました。窓が少なく、鉄のドアもあってよかった。車も移動しました。そこの庭はアパートに囲まれており、外の通りから見えない構造になっていました。夜にはバッテリーを取り出して、何も残さないようにしなければならなかった。ロシア軍の妨害工作や偵察隊が夜な夜な活動していて、近所にトリップワイヤーを仕掛けていたのです。近所の人の車が砲撃で炎上したこともありました。

クリヴォルチコさん一家が住んでいた家。

最初は地下に大勢いたのですが、だんだん危険を冒して、避難経路を通って街を脱出する人が出てきました。結局、私たちも3月17日に脱出することにしました。すでに朝の8時には、バールを持ったロシア兵たちがアパートを略奪するために中庭に入ってきました。庭で火を炊いていた人たちにある車を指さして「お前の車か?」 と聞くと、「違う」と答えていました。するとその車の窓を割って押し入り、バッテリーを奪って出て行きました。

自分たちのブロックより先に進むことはできませんでした。命がけで、膝をついて歩きました。とにかく、奇跡的に無傷でブチャを脱出することができました。娘はキーウにアパートを持っていて、今は皆でそこに住んでいます。この悪夢はすべて過去のものとなり、今では安心してアパートの周辺や道路を歩くことができます。でも、庭で誰かが車のボンネットを叩いたら、反射的にしゃがんで身をかわしてしまいます。(原文へ

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