ホーム ブログ ページ 15

|ルーマニア|文化侵略、莫大な軍事費、そして民主主義の崩壊

「戦争の犠牲になるのは罪のない人々です。罪のない人々が……。この現実を考え、互いに言い合いましょう。戦争は狂気だと。そして、戦争や武器取引で利益を得る者たちは、人類を殺す暴徒なのです。」 — ローマ教皇フランシスコ(2022年)
「あらゆる銃、あらゆる戦艦、あらゆるロケットは……飢えて食べられない者、寒さに震えて衣服のない者からの盗みである……。重爆撃機1機のコストで、30以上の都市に近代的な学校が建設できる……。戦闘機1機のコストで、小麦50万ブッシェルが買える……。これは、真の意味での生き方ではない。戦争の脅威のもとで、人類は鉄の十字架に磔にされているのだ。」 — ドワイト・アイゼンハワー(1953年)

【Agenzia Fides/INPS Japanブカレスト=ヴィクトル・ガエタン】

Location of Romania
Location of Romania

ルーマニアの12月8日大統領選挙をわずか48時間後に控えた時点で、現政権は選挙の中止を発表した。すでに国外在住のルーマニア人約800万人が投票を開始していたにもかかわらずである。|イタリア語スペイン語フランス語ドイツ語中国語アラビア語

現職のクラウス・ヨハニス大統領は、この衝撃的かつ非民主的な決定の理由として「外国からの干渉」を挙げた。しかし、この主張は、米国のアントニー・ブリンケン国務長官が「ルーマニア当局が、最近の大統領選挙に影響を与えようとするロシアの大規模かつ十分に資金提供された工作活動を発見している」と公に発言したことに端を発している。しかし、これまでのところ、ロシアの関与を示す具体的な証拠は何も示されていない。

現在のルーマニアは、一つのケーススタディとなっている。それは、文化侵略によって政治エリートが支配され、外国の利益のために国が利用されるという事例である。ルーマニアは、ロシア・ウクライナ戦争の拡大を狙う勢力の「発射台」とされているのだ。その障害となったのは何か?

それは、平和を政策の中心に据えた正教徒の大統領候補、カリン・ジョルジェスク氏の存在である。しかし残念ながら、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であり、北と東にウクライナと長い国境を持つルーマニアにとって、平和は危険な目標と見なされるようになった。

ルーマニアのキリスト教は、共産主義体制を生き抜く力となったとして、過去3代のローマ教皇からも称賛されてきた。しかし今、信仰を持つ人々が、NATOや欧州委員会による文化的・軍事的な侵略に抗おうとしている。

教皇たちが注目したルーマニア

Pope John Paul II credit: 	Gregorini Demetrio
Pope John Paul II credit: Gregorini Demetrio

ルーマニアは、正教徒が多数を占める国として初めてローマ教皇の訪問を受けた国である。1999年、教皇ヨハネ・パウロ2世が、ブカレストでテオクティスト正教会総主教の招待を受け、3日間滞在した。この訪問は、両宗教指導者がすでに友人であったこともあり、特別な巡礼となった。実際、テオクティスト総主教は、ルーマニアの1989年のクリスマス革命より1年も前にバチカンに招かれていた。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、訪問を前に数ヶ月間ルーマニア語を学び、現地語でメッセージを伝えようとした。この努力は、歴史的に見ても意義のあるものだった。特に1948年に共産主義が支配する以前は、ルーマニア正教会とルーマニア東方カトリック教会は緊密に協力し、第一次世界大戦後の1918年に「大ルーマニア」の成立にも関与した。

2019年には、教皇フランシスコもルーマニアを訪問し、多民族・多宗教の調和が実現されていることに感銘を受けた。この調和は、隣国ウクライナとは対照的だった。教皇は、世界最大の正教会大聖堂でルーマニア正教会総主教ダニエルと共に立ち、「これまでにない共有と使命の道を見出すよう、神の導きを願おう」と語った。

キリスト教徒の勝利

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

ルーマニア国内および海外のカトリック信者(約140万人)の多くは、11月24日に行われた大統領選挙第1ラウンドで、無所属の独立候補であるカリン・ジョルジェスク氏(62歳)が予想外の勝利を収めたことに喜びを感じた。彼は、キリスト教の信仰を国家の再生の中心に据えることを掲げ、そのビジョンは超宗派的なものだった。

12月18日の「少数民族の日」に、彼はSNSでこう発信した。
「私は、すべての民族コミュニティに保証します。この国で二級市民として扱われることは決してありません……私たちはすべての宗教を尊重するように、すべての民族コミュニティを尊重します……皆さんのアイデンティティと言語は常に保証されます。」

ジョルジェスク氏にはカトリック教会との家族的なつながりもある。彼の叔父であるアーティスト、アウレリアン・ブカタルは、ヨハネ・パウロ2世とフランシスコ両教皇がミサを捧げた聖ヨセフ大聖堂の内部を描いた画家である。

愛は、彼の選挙キャンペーンの中心テーマだった。彼のウェブサイトには次の宣言が目立つように掲げられている。

「権力を愛する心よりも、愛する力が勝るとき、私たちは国家として再生できる。」
また、彼はウクライナ戦争の終結に向けた交渉があまりにも不十分であると強く主張している。

Community of Sant'egidio
Community of Sant’egidio

ジョルジェスク氏は、科学者、環境活動家、持続可能な開発の専門家であり、1996年から2013年まで国連の様々な会議でルーマニアを代表してきた。特に、マーシャル諸島での核実験が住民の健康に与えた長期的な影響を調査する特別報告官を務めた。また、2013年から2021年にかけては、ローマ・クラブ(Club of Rome)の執行委員会メンバーとして、聖テジディオ共同体とも協力していた。

彼は、国の資源が外国の利益のために流出していることや、貧困の拡大、「LGBT問題を家族のニーズより優先するウォーク(woke)思想」などを批判し、多くの支持を集めている。

ジョルジェスク氏は「祖国の大地協会(Asociația Pământul Strămosesc)」という非営利団体の代表を務め、小規模農家、農村世帯、伝統工芸、家族、信仰を支援している。資源の乏しい村を支援するプロジェクトの一環として、同協会はルーマニア東方カトリック教会のあるタウニ村(アルバ県ヴァレア・ルンガ地区)で、伝統的な建築材料を用いて飲用水井戸の修復を行った。この教会は村の中心的な存在であり、修復された井戸の再奉献式には、民族衣装を着た子どもたちが参加した。

Romanian presidential candidate Călin Georgescu on Sky News discussing the Constitutional Court’s coup that led to the cancellation of the election. (Sky News/Youtube)

Romanian presidential candidate Călin Georgescu on Sky News discussing the Constitutional Court’s coup that led to the cancellation of the election. (Sky News/Youtube)

政治エリートによるクーデター

冷静で威厳があり、心を開いた姿勢を持つカリン・ジョルジェスク氏は、国際的なネットワークと深い国内基盤を兼ね備えている。これは理想的な大統領の条件ではないか? ルーマニアの有権者はそう考え、11月24日の第1ラウンドで彼に23%の得票を与え、決選投票へと進出させた。対戦相手は、よりリベラルなエレナ・ラスコーニ候補だった。

ところが突然、米国政府が「外国からの干渉」について大声で抗議し始めた。 欧州委員会も不満を示した。そして、12月6日(聖ニコラウスの日)、ルーマニア憲法裁判所(9人の非専門的な裁判官で構成される)は、大統領選挙の無効を決定した。

ジョルジェスク氏とラスコーニ氏の両候補はこの決定を非難した。特にジョルジェスク氏は、支持者に対し「街頭に出ないように」と警告し、それが暴力に発展する可能性を懸念した。一方、欧州の政治家たちは、この民主主義の崩壊を沈黙のまま見過ごした。それだけではなく、ジョルジェスク氏の電気とインターネットは4日間にわたり遮断され、支持者は拘束・尋問され、家宅捜索を受け、銀行口座を凍結された。これは抑圧的な政権が用いる典型的な手法である。

選挙無効の理由として、ヨハニス大統領は「機密解除された文書」に基づき、「ある国家がTikTokを通じて選挙を操作した」と述べた。しかし、これまでのところ、ロシアの干渉を示す証拠は一切示されていない。さらに驚くべきことに、選挙不正の調査を担当する国家機関の内部リークによると、ジョルジェスク氏を宣伝するために何十万ユーロを支払っていた主要団体は……なんと、現職大統領の所属する国家自由党(PNL)であった。この計画は、保守派票をジョルジェスクに誘導し、現職候補の決選投票進出を狙ったものだったとされる。

ロシア vs. NATO・EU?

現在、違法に権力を維持している クラウス・ヨハニス大統領と米国大使 はメディアに登場し、選挙の妨害行為を正当化している。一方、NATO軍事委員会議長のロブ・バウアー提督 は、PNL(国家自由党)のTikTok戦術が明るみに出た後も 「ロシアの干渉」説を推し進めた。

「NATO全体でますます多くのロシアの活動が見られる。領空侵犯、偽情報、サイバー攻撃……我々は一丸となって警戒しなければならない。」

しかし、ロシアによる選挙妨害の証拠が皆無にもかかわらず、西側の指導者たちは介入の実績を誇り始めた。奇妙なことに、元欧州委員会の高官が1月9日にフランスのテレビでこう語った。

「ルーマニアで成功した。我々はドイツでも必要なら同じことをする。」

この発言により、多くの人々が次第に気づき始めたのは、ルーマニアがウクライナと黒海に接する地理的位置と、NATOが同国の政治をコントロールする意図である。

NATOの目的

Flag of NATO
Flag of NATO

不吉なタイトルのYouTube動画 「ルーマニアはどのようにしてロシアとの全面戦争に備えているのか」(12月22日公開)では、「ルーマニアはNATOの秘密兵器になる可能性がある」と説明されている。

チャンネル「The Military Show」(登録者129万人)が制作したこの動画は、信頼性のある情報源と見なされ、ルーマニア国内で広く拡散されている。

この動画では、ルーマニアの大規模な兵器購入計画 に焦点を当てている。新しいミサイルバッテリーや移動式司令センターが導入され、16発のミサイルを同時に発射できる能力 を持つという。さらに、ルーマニア国防省は、2025年春の軍事演習「ダキアの春(Dacian Spring 2025)」 で、初めてフランスの旅団規模の部隊をルーマニアに配備することを発表した。

しかし、ジョルジェスク氏の「最大の政治的罪」とされたのは、この混乱と破壊の渦中にルーマニアを巻き込むことに反対したこと だった。

BBCのインタビューで、ルーマニアはウクライナにさらなる軍事支援を提供すべきかと問われた際、彼はこう答えた。

「ゼロだ。すべてを止める。私はルーマニア国民のことだけを考えるべきだ。我々自身、多くの問題を抱えている。」

これは、カトリックの「補完性の原理(Subsidiarity)」にも通じる考え方であり、地域社会の決定権を尊重する姿勢 を示している。

莫大な軍事支出

一方、ジョルジェスク氏とその支持者は、不当な選挙無効の決定を法廷で争い続けている。 彼の支持は拡大しており、ルーマニア国内のキリスト教会は政治的中立を保っているものの、多くの個々の聖職者が彼の精神と国民への献身を支持 している。

多くのルーマニア人は、ウクライナとの国境を持つNATO加盟国の中で最も軍事的に急速に強化されている国がルーマニアであり、これは「平和と国家主権」を掲げる大統領の誕生を妨げる意図と結びついていると見ている。

この2年間で、ルーマニア政府は莫大な軍事費を費やしてきた。

U.S. Air Force F-35A Lightning II (U.S. Air Force photo by Master Sgt. Donald R. Allen/Released)

米国製の戦車購入:10億ドル

F-35戦闘機32機:72億ドル(ルーマニア史上最大の兵器購入)

2024年の国防予算:前年比45%増の210億ドル

NATO欧州最大の軍事基地建設(黒海近く・ルーマニア-ウクライナ国境付近)

10,000人のNATO兵士とその家族を収容予定

2023年9月:米国からの融資9億2000万ドル(驚異の年利36%!)

この間、ルーマニアはEU内で最も高いインフレ率 を記録し、国家債務は急増。

昨年12月、国際格付け機関フィッチ(Fitch) は、ルーマニアの信用格付けを「安定」から「ネガティブ」に引き下げた。


一方で、国民の20%以上が貧困ライン以下で生活しており、最低賃金はEUで最も低い水準。 これにより、何百万人もの国民が海外に仕事を求めている。

ある経験豊富な外交官は、次のように問いかける。

「軍事戦略家たちは理解しているのか?国家の資源を食い潰し、大衆の不満を増大させることが、壊滅的な結果を招くということを。」

文化侵略が軍事拡張に先行する

「文化侵略(Cultural Invasion)」という概念は、一つの文化が他の文化を弱体化させ、外部の価値観を押し付けるプロセスを表すのに有効な用語だ。ブラジルのカトリック思想家パウロ・フレイレ は教育研究においてこの言葉を使ったが、現在ではグローバリゼーションの負の側面を分析する際にも用いられる。

アルヴァロ・デ・オルレアンス=ブルボン(フランス、イタリア、スペイン、ブルガリア、ルーマニアの王族に連なる科学者)は、ルーマニアの現状を次のように分析する。

「国を深く変えてしまう侵略には2種類ある。」「1つはロシアによるウクライナ侵攻のような軍事侵略。」「しかし、それ以前に進行していたのが『文化侵略』であり、これは国が自発的に望むものではなく、外部の勢力が自らの利益のために影響を及ぼそうとするものだ。」

国民の怒り

世論調査では、ルーマニア国民は大統領選挙の盗難に激怒している。1月12日(日曜日)、ブカレストの街頭には10万人以上の抗議者 が押し寄せた。その群衆の中には、国旗とともに多くの十字架が掲げられていた。

それは、2019年にルーマニア正教会のダニエル総主教が教皇フランシスコと共に誓ったビジョン を象徴していた。

「正教徒とカトリック信者が団結し、キリストの信仰とキリスト教的価値観を守り、
世俗化が進むヨーロッパの中で、次世代にキリストの慈悲深い愛と永遠の命への信仰を伝えること。」(原文へ

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2023年11月、国連本部で開催された核兵器禁止条約(TPNW)第2回締約国会議を取材中に、SGIとカザフスタン国連政府代表部が共催したサイドイベントに参加。同日、寺崎平和運動総局長をインタビューしたこの記事はバチカン通信(Agenzia Fides)から6か国語で配信された。以後、INPS Japanでは同通信社の許可を得てガエタン記者の記事の日本語版の配信を担当している。

*Agenzia Fidesは、ローマ教皇庁外国宣教事業部の国際通信社「フィデス」(1927年創立)

Agenzia Fides/INPS Japan

関連記事:

|核兵器なき世界| 仏教徒とカトリック教徒の自然な同盟(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

|視点|日本とバチカン: 宣教師から巧みな外交へ(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

『被爆者―山下泰昭の証言』:長崎原爆の悲劇を80年後に語る

【メキシコシティーINPS Japan=ギジェルモ・アヤラ・アラニス】

6歳のとき、山下泰昭氏は「地獄」という言葉では表しきれないほどの惨劇を目の当たりにした。彼は50年間、その苦しみを胸に秘めてきたが、ついに自らの体験を語ることで心の安らぎを見出した。

Photo: Atomic Bombing in Nagasaki and the Urakami Cathedral. Credit: Google Arts&Culture
Photo: Atomic Bombing in Nagasaki and the Urakami Cathedral. Credit: Google Arts&Culture

「私たちが語るのをやめてしまえば、歴史は世界のどこであれ繰り返される……私たちが経験したことを、誰にも味わってほしくない。」

約80年前、山下泰昭氏は長崎への原爆投下という、人類が生み出した最も恐ろしい出来事の一つを生き延びた。その悲劇はあまりに凄惨で、残酷で、荒涼たるものであったため、「地獄」という言葉すら適切とは言えない。その壮絶な体験を彼は、『被爆者―山下泰昭の証言』(Hibakusha. Testimony of Yasuaki Yamashita)に記している。

記憶を伝えるための共同作業

Sergio Hernández and Yasuaki Yamashita in a presentation. Authors: Guillermo Ayala and Diana Karimmi Corona.

本書の著者は、メキシコの国立人類学歴史研究所(INAH)の教授・研究者であるセルヒオ・エルナンデス氏。2021年に出版されたこの書籍は、山下氏の証言を記録し、「被爆者(Hibakusha)」としての体験を世界に伝えている。

本書は、エルナンデス氏と山下氏が約10年間にわたりメキシコで築いてきた友情と専門的な協力関係の成果である。二人は、核兵器の恐ろしさを伝えるために活動を続けており、特に若い世代に向けてそのメッセージを発信している。

「この本の目的は、学校教育の一環として、日本の戦時中の状況やアメリカとの戦争、そして原爆の影響を伝えることでした。山下さんの役割は彼の体験を広めることですが、それ以上に重要なのは、平和の文化の促進と核兵器廃絶の意識を高めることです。」

二人はメキシコ各地の小学校・中学校・高校・大学で本書を紹介し、また州議会、書店、書籍フェアなどの場でも核兵器の非人道性と平和の重要性を訴えている。

Sergio Hernández and Yasuaki Yamashita in a presentation. Authors: Guillermo Ayala and Diana Karimmi Corona.

ラテンアメリカで広がる影響

Drawings by Edu Molina Book: Hibakusha. Testimony of Yasuaki Yamashita.
Drawings by Edu Molina Book: Hibakusha. Testimony of Yasuaki Yamashita.

『被爆者―山下泰昭の証言』は、ラテンアメリカとスペインで広く影響力を持つFondo de Cultura Económica(FCE)から出版された。アルゼンチン、チリ、コロンビア、エクアドル、スペイン、グアテマラ、ペルーなどの国々で流通しており、北米ではアメリカ合衆国でも販売されている。

また、本書は「Vientos del Pueblo(民衆の風)」コレクションの一冊である。このシリーズは約100冊**の書籍からなり、低価格(11~20ペソ、約1米ドル未満)**で多くの読者が手に取れるよう工夫されている。

本書の特徴は、流れるような文体と、読者を強く引き込む山下氏の衝撃的な証言である。彼は、原爆が「千の稲妻」に匹敵する閃光を放ち、爆発後、生存者たちは非人道的な健康状態と飢餓の中で生き延びなければならなかったことを詳細に語っている。


 恐怖を伝えるイラストの力

本書には、FCEのイラストレーターエドゥ・モリーナ(Edu Molina)氏による9枚の衝撃的なイラストが収録されている。彼の描く人物の表情には、絶望、苦悩、恐怖、悲しみが色濃く表現されているが、最終的には希望の要素も含まれている。

「この本は非常に生々しい内容だったので、イラストも衝撃的であるべきだと考えました。それと同時に、希望の要素も必要でした……終盤には、第二次世界大戦の残虐行為から何かを学ぶという意識が生まれるように描きました。」
(エドゥ・モリーナ氏 / INPS Japan インタビューより)

Drawings by Edu Molina Book: Hibakusha. Testimony of Yasuaki Yamashita.

また、彼はCOVID-19パンデミックの最中、腕の負傷によりほとんど動かせない状態でこのイラストを描いた。しかし、この困難を乗り越え、新たな描画技法を開発したという。

「片手がほとんど使えない状態でしたが、絵を描くことの利点は、細部にこだわらず、余計な美的要素にとらわれないことです。武道でいう『敵の力を利用する』という発想で描きました。健康なときでは生まれなかった表現が、この本にはあります。」

高まる関心と再版の成功

『被爆者―山下泰昭の証言』は、メキシコで圧倒的な支持を受け、「Vientos del Pueblo」シリーズで唯一、3回の再版を達成し、40,000部を突破した書籍となった。

セルヒオ・エルナンデス氏は、核軍縮の問題について次のように述べている。

「社会がこの問題に対して果たす役割は重要ですが、それと同時に悲しいことでもあります。なぜなら、核兵器の拡張と核の脅威が現実のものとして感じられるようになってしまったからです。」

メキシコという新たな人生の舞台

Location of Mexico
Location of Mexico

山下泰昭氏にとって、メキシコは新たな人生の出発点となった。彼は1968年にメキシコへ移住し、言語や文化を学び、この国に深く魅了されていったという。

しかし、彼が長崎での被爆体験を語り始めるまでには50年の歳月を要した。そのきっかけとなったのは、ケレタロ州の大学で行った講演だった。

「講演を終えた瞬間、同時に自分の痛みが消えていくのを感じました。50年間、この恐ろしい苦しみを心の内に閉じ込めていました。でもその時、私は思ったのです。これが私のセラピーだ。この心の傷を癒すために、語り続けなければならない。」(原文へスペイン語版

INPS Japan

関連記事:

核の忘却:核兵器に対抗する芸術の役割を強調する展覧会

日本被団協が2024年ノーベル平和賞を受賞  被爆者の核廃絶への呼びかけを拡大する

南太平洋諸国で核実験が世代を超えてもたらした影響

竹の力で気候リスクを軽減

ネパールの村々が急成長する竹林を活用し、頻発する洪水から身を守る

【チトワンNepalitimes/INPS Japan=ピンキ・スリス・ラナ】

ネパールの多様な文化では、竹は誕生から死、そしてその間のあらゆる儀式に使われてきた。この万能な植物は、建築材料として、楽器の製作に、物を運ぶために、筆記具として、さらには食材としても利用されている。

そして今、竹林が気候変動により頻発する洪水からチトワン国立公園周辺の村々を守るために活用されている。

特に、冬は乾燥している小さな支流が、モンスーン期になると最も破壊的な影響を及ぼす。そのため、マディ村の農民たちは、洪水を防ぎ、土壌侵食を抑えるために、これらの支流沿いに竹林を植えている。

「雨季が始まると、夜に目を閉じるのが怖くなります」と語るのは、昨年パタレ・コラ川が氾濫した地域に住むシャーンティ・チャパイさん(58歳)。

Google Earth images show the greening the floodplain of the Patare Khola over 15 years. Photos courtesy: ABARI
Google Earth images show the greening the floodplain of the Patare Khola over 15 years. Photos courtesy: ABARI

「最近訪れた際、パタレ・コラはただの小さな小川だった。雨季になると氾濫し、農地や集落を脅かす激しい川になるとは想像しがたいものです。」

この地域では、竹はフェンスや家具など日常的に使われるだけでなく、重要な換金作物でもある。しかし、洪水対策に竹を利用するという考えには、当初農民たちは反対していた。それは、竹は外来種であり、地下水を大量に吸い上げてしまうと考えられていたからだ。

しかし、この15年間、ABARI(Adobe and Bamboo Research Institute)の建築家たちは、Bambusa bluemeana や Bambusa balcooa といったトゲのある竹の品種を用いて、荒廃した土地の再生や洪水対策の研究を進めてきた。その結果、現在ではパタレ・コラの氾濫原に青々と茂る竹林が広がっている。

Thorny bamboo species planted in Madi. Photos: PINKI SRIS RANA
Thorny bamboo species planted in Madi. Photos: PINKI SRIS RANA

昨年のモンスーンによる洪水で流された堆積物が竹の木の根元に溜まっており、竹が河岸を安定させ、洪水の勢いを弱めることで周囲を守っていることが証明された。

マディ村の住民たちは、この方法が洪水対策として有効な生物工学的解決策であることを確信している。竹は成長が早く、侵食された川岸の再生にも適している。ネパールには50種以上の竹があり、その多くは東部の湿潤な平野や丘陵地帯に生育しているが、中には標高4,000メートルに達する地域でも育つ種もある。

「ネパールの文化では竹は葬儀の際に使われるため、否定的なイメージを持たれてきました。」と、竹と版築の建築を手がけるABARIのニプリ・アディカリ氏は語った。「そのため、地元の人々に竹の利点を理解してもらうのには時間がかかりました。」

ネパールのモンスーンは昔から自然災害と結びついていたが、気候変動による異常気象が土砂崩れや洪水をさらに深刻化させている。さらに、不適切な道路建設、敏感な流域での無秩序な採掘、氾濫原への侵入がリスクを増大させている。

Porcupine structured embankments provide protection in flood prone areas.
Porcupine structured embankments provide protection in flood prone areas.

しかし、ここマディでは、村人たちが竹の洪水防止効果を自らの目で確かめている。農民のファデンドラ・バッタライさんはこう語った。「今年のモンスーン期は大雨が降りましたが、洪水による被害はかなり少なかったです。竹が障壁となり、洪水が作物を破壊するのを防いでくれました。」

この実証済みの竹の植林は、ネパール全土で再現・拡大が可能であり、西部のカンチャンプールでは、2018年に破壊的な洪水を引き起こした川の岸沿いに、竹やナピアグラス、象草が植えられている。

適切に配置された密集した竹林は、「ヤマアラシ型」護岸として機能し、洪水の危険が高い地域を守る天然の防壁となる。

2024年9月にネパール中部で発生した洪水では、224人が犠牲となり、特に南ラリトプルやカブレが大きな被害を受けた。カブレのロシ渓谷では、斜面全体が押し流されるほどの壊滅的な被害が出た。しかし、近隣にあった竹林の地域は無傷のままだった。(下の写真参照)

Photo: SAILESH RC
Photo: SAILESH RC

カブレ県のダネスワール・バイキヤ共同森林には、2007年に政府が試験的に植えたモウソウチク(Phyllostachys pubescens)の研究・調査用の竹林が半ヘクタールにわたって広がっている。しかし、17年が経過し、森林環境省の森林研究・研修センターはこのプロジェクトを長らく忘れてしまっていた。

「この区画での具体的な研究は行われていませんが、まさにこの竹林が山の下にある村々を大きな被害から守ったのです。」と共同森林の管理者であるバドリ・アディカリ氏は語った。「竹の広範囲に絡み合う根が土壌をしっかりと保持し、斜面の安定を守っています。」

この竹林は見過ごされていたかもしれないが、他の地域ではさまざまな取り組みが進められている。ルンビニ州の12の全地区では、浸食や洪水を防ぐための竹の植林キャンペーンが始まっている。

また、伝統的に竹は地滑りを抑えると考えられており、山岳地帯の村々ではその効果を実感すると、枯渇した竹林を復活させる姿がよく見られる。地滑り防止以外にも、竹には多くの用途がある。

バドリ・アディカリ氏はこう語った。「竹は夏に成長し、冬には根が広がります。したがって、冬の間に次のモンスーンの洪水に備えることが重要なのです。」(原文へ)

This Editorial is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan/ Nepali Times

関連記事:

雨漏りする屋根: 「アジアの世紀」脅かすヒマラヤ融解

宗教が防災と出会うとき

「足るを知る経済」はプミポン国王最大の遺産

|ベラルーシ|選挙はルカシェンコをできる限り長く権力の座に留めるための単なる道具

CIVICUSは、ベラルーシにおける市民社会に対する弾圧について、人権擁護者であり「ヴィアスナ人権センター」の暫定理事であるナタリア・サツンケヴィッチ氏にインタビューを行った。
Natallia Satsunkevich
Natallia Satsunkevich

ベラルーシ当局は、2025年1月に予定されている大統領選挙で7期目を目指すアレクサンドル・ルカシェンコ大統領への残る反対勢力を抑え込むため、逮捕を強化している。2024年9月末以降、1,200人以上が拘束され、その多くは前回の大統領選挙(2020年)以降、抗議活動を組織するために使用されてきたオンラインチャットへの参加を拘束理由としている。当局はこれらを過激派ネットワークの一部と見なしている。逮捕者の中には、最大15年の懲役刑が科される可能性のある「権力掌握の共謀」の罪で起訴された者もいる。現在、約1,300人の政治犯が過密な刑務所に収容されており、一方で反体制派指導者のスヴャトラーナ・チハノウスカヤ氏は亡命生活を余儀なくされている。

CIVICUS:大統領選挙を控えた政治的雰囲気はどのように変化しましたか?

ナタリア・サツンケヴィッチ:大統領選挙が近づく中、当局は市民社会と政治的反対勢力への弾圧を一層強化しています。この状況は目新しいものではありません。2020年の選挙不正を巡る抗議活動以降、弾圧はエスカレートしていましたが、ここ数カ月でさらに暗い局面を迎えています。

政権が用いる主な手段の一つは、独立系組織やメディアを犯罪化することです。例えば、「ヴィアスナ」は「過激派組織」と宣言されました。これにより、情報を共有したり、インタビューに応じたり、支援を提供したりするだけでも、逮捕や訴追のリスクを伴います。このような弾圧のレベルは、恐怖の雰囲気を生み出し、人々が人権侵害について声を上げたり、活動に参加したりすることをためらわせています。

また、逮捕や家宅捜索、取り調べの増加も見られます。2020年の抗議活動中に逮捕された多くの人々が依然として投獄されており、新たな逮捕がほぼ毎日のように行われています。国内の政治的反対勢力は事実上沈黙させられ、その指導者のほとんどは投獄されるか亡命を余儀なくされています。ルカシェンコの独裁政権がいかなる手段を使ってでも権力を維持しようとしていることは明らかです。

CIVICUS:結果が争われる可能性はありますか?

ナタリア・サツンケヴィッチ:残念ながら、ありません。ベラルーシの選挙はあまりにも大規模に操作されており、ルカシェンコの統治を正当化するための形式的な行事に過ぎません。私たちは、ベラルーシ・ヘルシンキ委員会などの団体と共に、自由で公正な選挙を求めて長年監視やキャンペーンを行ってきましたが、現在のところ、そのような条件は存在していません。

反対勢力は完全に排除されています。その指導者の多くは投獄されているか、国外に逃亡を余儀なくされています。代替候補者が立候補することは認められず、反対派による選挙運動もすべて禁止されています。国営メディアは完全に偏向しており、ルカシェンコが圧倒的な国民的支持を得ているという主張を一方的に押し出し、反対意見を封じ込めています。

透明性や説明責任がない中で、結果はすでに決まっています。この選挙は、ルカシェンコをできる限り長く権力の座に留めるためのもう一つの道具にすぎません。

CIVICUS:選挙後のシナリオはどうなるのでしょうか?

ナタリア・サツンケヴィッチ:選挙後も状況はほとんど変わらない可能性が高いです。政権は独裁的な統治を続けると予想され、即時の変化への希望はほとんどありません。

Beraruss

ベラルーシが民主主義へ向かうためには、まずすべての政治犯を解放することが第一歩となります。現在、反対派の指導者や活動家、ジャーナリストを含む約1,300人が政治的な動機に基づく罪で拘束されています。彼らが政治プロセスに参加できるようにする必要があります。

また、政府は弾圧のキャンペーンを終わらせなければなりません。広範な逮捕、家宅捜索、取り調べ、そして拷問が、あらゆる形態の反対意見を抑圧する恐怖の雰囲気を生み出しています。この問題に対処するためには、警察と司法制度の改革が不可欠です。

さらに、ベラルーシには本当に自由で公正な選挙が必要です。反対派の候補者が公然と選挙運動を行い、人々が報復を恐れずに投票できる環境を作ることが重要です。

最後に、人権侵害に対する説明責任が不可欠です。拷問、不法拘禁、反対意見の封じ込めに関与した者は責任を問われなければなりません。これは信頼を回復し、民主的な未来を築くために極めて重要です。

CIVICUS:国際社会は民主的な移行をどのように支援できるか?

ナタリア・サツンケヴィッチ:国際社会はベラルーシ国民にとって命綱であり、この支援を継続する必要があります。民主主義国家、特に欧州連合(EU)や米国からの財政支援と連帯は、多くの活動家、私自身を含め、安全のためにベラルーシを離れた人々が活動を続けることを可能にしました。

政権の行動に対する公然の非難もまた有効です。すぐに変化をもたらさなくとも、ベラルーシ国民や政府に対し、世界が注視していることを示し、当局に行動には結果が伴うことを思い起こさせます。

さらに、国際的な法的メカニズムを通じて責任を追及することが重要です。ベラルーシ国内で加害者を追及できないため、国外で正義を追求することが必要です。リトアニアやポーランドなどの国々はすでに政権による犯罪を調査し、国際刑事裁判所に案件を提出しています。これらの取り組みは、権力者を責任に問うことへの世界的な決意を示しています。

ベラルーシの危機は国際問題として認識され、国際的な議題に留められるべきです。国連は政権の行動を人道に対する罪と表現しており、これは単なる国内問題ではなく、国際的な危機であり、国際的な注目と行動を必要としていることを明確に示しています。(原文へ)

関連記事

EUベラルーシ国境地帯の移民を取巻く状況が悪化

ロシアによるベラルーシ核配備が第三次世界大戦の警告を引き起こす

|べラルーシ|非暴力抗議運動の方が暴力活動より成功する可能性が高い

ナイジェリアで急増する栄養失調、緊急対応が必要

【アブジャIPS=プロミス・エゼ】

2024年6月、26歳のザイナブ・アブドゥルさんは、2歳の娘の顔色が悪くなり、体重が減少し、下痢を繰り返していることに気づいた。しかし彼女は驚かなかった。なぜなら、ジハード主義と結びついた武装強盗団に故郷のカダダバ(ザムファラ州北西部)から追われ、難民キャンプで生活するようになって以来、家族は十分な食糧を確保できていなかったからだ。

彼女の不安は、国境なき医師団(MSF)が運営する医療センターで現実のものとなった。診断の結果、娘は急性栄養失調に陥っていたのだ。

Map of Nigeria
Map of Nigeria

「即応型栄養治療食(RUTF)を受け取り、それがとても役立ちました。注射や薬、ミルクを与えられて、娘は少しずつ回復しています。以前とは違い、元気を取り戻してきました。」と、アブドゥルさんはIPSの取材に対して語った。

アブドゥルさんの娘は幸運にも回復しつつあるが、同じ状況で命を落とす子どもは少なくない。ナイジェリアでは深刻な栄養失調危機が発生しており、特に北部地域では貧困、食糧不足、医療サービスの不足、そして生活費の高騰が大きな要因となっている。同国は世界で最も高い5歳未満児の発育阻害率(32%)を記録している。

ユニセフ(UNICEF)によると、ナイジェリアでは約200万人の子どもが栄養失調に苦しんでおり、その大半が北部に集中している。毎日約2,400人の5歳未満児が命を落としているという。

暴力の影に潜む危機

専門家によれば、北部の栄養失調の主な原因は治安の悪化にある。北西部では、武装グループが農民を土地から追い出し、市場を閉鎖し、地域社会から金銭を巻き上げている。この暴力により、220万人以上が避難生活を余儀なくされ、多くが過密状態の難民キャンプで限られた資源の中で生きている。

北東部では、長引く紛争が農業や食糧生産を妨げている。土地に戻った家族も、軍が駐留する町から離れた場所で農作業を行うことを恐れ、飢餓に直面している。

食糧不足は極めて深刻で、一部の家族はキャッサバの皮を食べて生き延びるほどだ。

「私たちはひどく苦しんでいます。ほとんど食べるものがなく、武装強盗団に追われて4年以上も農業ができていません。適切な住居もなく、今も空腹のままです。政府の支援を切実に必要としています。」と、ザムファラ州の難民キャンプに住むハンナトゥ・イスマイルさんは訴えた。

ザムファラ州の州都グサウにある診療所のアミヌ・バララベ医師は、「この問題がすぐに解決されなければ、さらに悲惨な状況になる可能性がある」と警鐘を鳴らした。

政府は武装集団の掃討作戦を何度も展開し、人々の農地への帰還を促しているが、バララベ医師は「もっと抜本的な対策が必要だ。」と主張した。彼は、治安の悪化がすでに医療サービスを麻痺させ、地域での栄養失調の診断と治療を困難にしていると嘆いた。「解決策は治安の回復です。現地の人々はほとんど守られておらず、危険に晒されています。彼らは常に恐怖の中で生きています。もし政府が本格的な支援を提供し、平和をもたらすために強力な行動を取れば、状況は改善するでしょう。この不安定な状況と戦うために、政府は迅速かつ断固とした対応を取らなければなりません。自分の町や村で暮らせず、キャンプで寝泊まりしなければならない人々がいるのは、非常に痛ましいことです。」と、バララベ医師は語った。

人道危機

長年にわたり、赤十字国際委員会(ICRC)やユニセフ(UNICEF)、国境なき医師団(MSF)などの組織は、栄養失調の悪化に警鐘を鳴らし、より多くの人道支援の必要性を強調してきた。彼らは繰り返し、ナイジェリア当局や国際機関、支援者に対し、この危機の根本原因に直ちに取り組むよう呼びかけている。

2024年、MSFはナイジェリア北部で29万4000人以上の栄養失調の子どもたちに医療を提供した。しかし、難民キャンプの過密状態により、治療スペースが足りず、患者を床に置いたマットレスの上で治療するしかない状況になっている。

2024年半ばまでに、ICRCは支援している医療施設での5歳未満児の重度の栄養失調症例が前年と比べて48%増加したと報告した。

さらに、資金不足により、栄養失調の子どもたちへの支援が難しくなっている。治療用食品(RUTF)の不足が続いており、状況はますます悪化している。世界的に急性栄養失調の症例が増加しているにもかかわらず、国連の人道支援計画には、ナイジェリア北西部の地域が含まれていない。

ナイジェリア・ラゴスの栄養士オルワグベミソラ・オルコグベさんは、栄養失調が子どもの成長、人材育成、経済発展に深刻な影響を与え、社会全体を後退させる負の連鎖を生み出すと懸念を示した。「幼少期の慢性的な栄養失調や発育阻害は、脳の発達を妨げ、学習障害や行動上の問題を引き起こします。その結果、教育の質が低下し、成人後の生産性が下がり、貧困の連鎖が次世代へと受け継がれてしまうのです。」と、オルコグベ氏はIPSの取材に対して語った。

失敗した対策

SDGs Goal No. 2
SDGs Goal No. 2

2020年、ナイジェリア政府は「国家食品・栄養多部門行動計画(National Multisectoral Plan of Action for Food and Nutrition)」を発表した。この2021~25年の取り組みは、食糧安全保障と栄養失調対策を目的とし、農業投資を通じた食糧生産の向上に重点を置いている。しかし、イバダン大学のイドリス・オラボデ・バディル博士は、政府の農業投資が依然として不十分であると指摘した。

ナイジェリアでは農業がGDPの24%を占め、労働人口の30%以上が農業に従事しているにもかかわらず、政府の資金投入は依然として少ない。これは、2003年の「マプト宣言(Maputo Declaration)」でアフリカ連合(AU)が掲げた農業予算の10%目標を大きく下回っている。

バディル博士は、この農業投資の不足が生産性を低下させ、急速に増加する人口の食糧需要に対応できず、食糧安全保障の問題を悪化させていると指摘した。「危機地域の農民が耕作できなくても、近隣地域の農民が食糧生産を支えることは可能です。しかし、そのためには農業技術指導サービスを通じた研修プログラムの提供などの支援が必要です。 残念ながら、多くの州の農業指導機関は十分に機能しておらず、改善が求められます。」とバディル博士は語った。

さらに、「農民には必要な農機具や資金の支援も重要ですが、過去の試みは汚職の影響を受けて頓挫しました。この問題を解決するには、より厳格な説明責任のシステムを構築する必要があります。また、農業を単独で発展させるのではなく、他の産業との連携が不可欠です。道路や橋、貯蔵施設、電力供給などの基本インフラを復旧することで、農業生産性の向上と長期的な課題解決につながるでしょう。」と語った。

政府は紛争地域や経済的に困窮する地域を対象に、無料で穀物を配布する政策を実施しているが、広範な汚職や資源の横流しにより、必要としている人々に支援が行き届いていないのが実情だ。

暗い未来?

セーブ・ザ・チルドレンによると、2025年4月までにナイジェリアで新たに100万人の子どもが急性栄養失調に陥る可能性があるという。

ユニセフ(UNICEF)も、政府に対し栄養プログラムの強化と一次医療の拡充を求めている。特に、2025年にはナイジェリア北西部で新たに20万人の子どもが栄養治療食を必要とすると警鐘を鳴らす。

ザムファラ州の難民キャンプで暮らすアブドゥルさんにとって、政府の支援は不可欠だ。

「私たちは緊急に食糧支援を必要としています。 飢えに苦しむ子どもたちの姿を見ていられません。ほとんどの日は朝に一度だけ食事をし、それ以降は翌日まで何も食べられません。時には夜遅くまで空腹のままです。子どもたちは空腹で泣き続け、ついには疲れ果ててしまいます。でも、私たちには何も与えるものがないのです」と、アブドゥルさんはIPSに語った。(原文へ

This article is brought to you by IPS NORAM in partnership with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan

関連記事:

|視点|少女らにとって教育は進歩への扉を開ける鍵(ネンナ・アグバ:ファッションモデル)

|ナイジェリア|ウォーレ・ショインカ、婦女子の殺害が常態する現状打破を訴える

誰が絶滅の危機に瀕するナイジェリアの沿岸都市を救うのか?

トルコにおけるクルド人武装勢力との紛争終結への努力、シリア情勢が試練に

【London Post】

40年以上続く武装勢力との紛争を終結させるための話し合いが、トルコに平和への期待をもたらしている。しかし、シリアにおけるクルド人勢力の不安定な状況やトルコ政府の意図に対する不確実性により、多くのクルド人は今後の行方について不安を抱いている。

北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるトルコに対して1984年に反乱を起こしたクルド労働者党(PKK)の指導者で、現在服役中のアブドゥッラー・オジャラン氏は、和平プロセスの一環としてPKKに武装解除を呼びかける意向を示しているとされる。

この紛争により、これまでに4万人以上が命を落とし、主にクルド人が住む南東部の発展を阻害し、深刻な政治的分断を引き起こしてきた。

トルコの親クルド派政党である国民民主主義党(DEM)は昨年12月下旬にオジャラン氏と面会し、その後、オジャラン氏の提案を議論するため、エルドアン大統領の公正発展党(AKP)を含む他の政党と協議を行った。両陣営はこれらの会談を「前向き」と評価している。

DEMの関係者2名はロイター通信に対し、同党が1月15日にも北西トルコのイムラリ島にあるオジャラン氏の収監地を再訪し、和平交渉に向けた具体的な計画をまとめることを目指していると述べた。

「このプロセスが形を成し、法的枠組みを確立するための明確なロードマップが、オジャラン氏との2回目の会談で決まると期待しています。」と、DEMのギュリスタン・キリッチ・コジイギット国会議員団副団長はロイターに語った。DEMは国会で第3位の議席数を持つ政党である。

オジャラン氏がどのような取引を求めるかは不明だが、DEMは彼がトルコにおける「民主的変革」の努力に言及したと伝えている。クルド人は長らく、より多くの政治的・文化的権利や経済的支援を求めてきた。また、DEMはオジャラン氏の釈放を要求している。

シリアのバッシャール・アサド政権の崩壊により、和平プロセスの動向は一変している。

シリアのクルド人勢力は苦境に立たされ、トルコ支持の勢力が対峙しており、ダマスカスの新しい支配者はアンカラと友好関係にある。

トルコは、クルド人民防衛隊(YPG)を「テロリスト」でありPKKの一部だとしており、彼らが解散しなければシリア北部に越境軍事作戦を行う可能性を警告している。しかし、YPGはイスラム国との戦いで米国と同盟しているため、事態はさらに複雑化している。

アサド政権の崩壊がPKKの武装解除の可能性にどのような影響を与えるかは依然不透明である。今週のインタビューで、PKKの有力な指導者は、オジャラン氏の努力を支持すると述べたが、武装解除の問題についてはコメントしなかった。

シリアのクルド人勢力の指導者は、さらなる紛争を回避するためのトルコとの合意の一環として、PKKを含む外国人戦闘員がシリアを離れることを提案している。

「銃口を向けながら平和を語る」

コジイギット氏は、このような状況下でトルコが和平プロセスを進めることは、アンカラにとって最大の試練であると述べた。

「(シリアの)コバニでクルド人に銃口を向けながら、トルコで平和について語ることはできません」と彼女は述べた。「クルド問題は複雑な問題です。それはトルコ国内の動向だけでなく、国際的な側面からも取り組むべきです。」

さらに、シリアの将来においてクルド人が発言権を持つことをトルコは認めるべきだと彼女は付け加えた。

トルコ政府は、エルドアン大統領の主要な同盟者による昨年10月の提案を受けて始まったオジャラン氏との会談について、これまでほとんど言及していない。しかし、AKPの主要人物がDEM代表団との会談後、楽観的な見解を示した。

「すべての人々が、このプロセスに貢献するための善意ある努力を見せています」とAKPのアブドゥッラー・ギュレル氏は火曜日に述べ、今年中に問題を解決することを目標としていると付け加えた。「これからのプロセスは、私たちがこれまで予想していなかった全く異なる展開につながるでしょう。」

彼はその「異なる展開」が具体的に何であるかについては明言しなかったが、別のAKP議員は、PKKが武装解除するための環境が2月までに整う可能性があると述べた。また、PKKメンバーへの恩赦の可能性について問われたギュレル氏は、「一般的な恩赦は議題に上がっていない」と答えた。

主要野党である共和人民党(CHP)の指導者オズギュル・オゼル氏は、クルド人が直面する問題に対処するため、全政党が参加する国会委員会を設置するべきだと提案した。

南東部のクルド人たちは、過去の失敗を踏まえ、和平の可能性に対して懐疑的である。その不確実性は世論調査にも反映されている。最近SAMERが南東部やトルコの主要都市で約1,400人を対象に実施した調査では、回答者のうちわずか27%が、オジャランが紛争終結を呼びかけたことが和平プロセスに発展すると思うと答えた。

最後の和平交渉は2015年に崩壊し、その後、暴力の急増と親クルド派政党メンバーへの弾圧を招いた。ギュレル氏は、現在のプロセスが10年前の交渉とは全く異なるものになるとし、状況は変わったと述べた。

エルドアンの姿勢が鍵に

Recep Tayyip Erdoğan. Credit: Wikimedia Commons.
Recep Tayyip Erdoğan. Credit: Wikimedia Commons.

DEMのコジイギット氏によれば、和平プロセスへの信頼を高めるためには、エルドアン大統領からの支持表明が重要だという。

「彼がこのプロセスに関与していることを直接確認すれば、大きな違いが生まれるでしょう。もし彼が公然と支持を表明すれば、社会的な支持は急速に広がるはずです」と彼女は述べた。

しかし、エルドアン大統領はこれまでのところPKKに対する強硬な姿勢を維持しており、今週の閣議後には「暴力を選ぶ者たちは武器とともに葬られる」と述べ、シリアのクルド人勢力に対する軍事行動の警告でよく用いる「ある夜、突然行動するかもしれない」という表現を繰り返した。

エルドアン大統領は「最終的には兄弟愛、団結、調和、そして平和が勝利するだろう」としつつも、「もしこの道が塞がれるなら、ベルベットで包まれた国家の鉄の拳を行使することをためらわない」と警告した。

エルドアン大統領の発言の重要性については、ディヤルバクルを拠点とする世論調査機関SAMERのコーディネーター、ユクセル・ゲンチ氏も強調している。

「エルドアン氏とその周辺の強硬なレトリックが、(クルド人の間で)新たなプロセスへの信頼感の復活を妨げています」とゲンチ氏は述べ、多くのクルド人がシリアのクルド人の将来について懸念していると指摘した。

国内では、トルコ政府はクルド問題に取り組む意思を示し、先月には南東部と他地域との経済格差を縮小するための1,400億ドル規模の開発計画を発表した。

紛争の終結はトルコ全土で歓迎されるだろうが、政府は、PKKとオジャラン氏に対する40年にわたる血の歴史を背景に、多くのトルコ人が抱く敵意を考慮しながらバランスを取る必要がある。

イスタンブールで観光業に従事するメフメト・ナジ・アルマガン氏は、「私は絶対に支持しません。このような取引や交渉には賛成できません。それを殉職した兵士たちやその家族への侮辱だと考えています。」と語った。(原文へ

INPS Japan

関連記事: 

言語の自由を見出したシリアのクルド人

|トルコ|シリア国境の街でかつての記憶を想起するアフガン難民

シリアを巡るバイデン大統領のジレンマ

インドとパキスタン―国境で分かれ、核の遺産で結ばれる

【クエッタLondon Post=スマイヤ・アリ、サラ・カズミ】

1998年5月11日、インドは一連の5回にわたる核実験を実施し、当時のアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相率いる政府は、インドが正式な核保有国となったことを宣言した。

これに対抗し、パキスタンはその1週間後の5月28日に5回の核実験を成功させた。

こうして南アジアは核保有国が対峙する地域となった。しかし、それから数十年経った今も、核実験の影響を受けた住民の苦しみはほとんど語られることがない。

India conducted five nuclear tests in May 1998 at the Pokhran range in Rajasthan.Image Credit Hindustan Times)

インドにおける被害:

インドは5月11日を「国家技術の日」として祝っている。インド初の核実験は1974年、北部ラジャスタン州のポクランで行われた。ニュースサイト「Scroll」によると、ポクラン周辺の村々では、がんや遺伝性疾患、家畜の皮膚病の発症が一般的に報告されている。

英字メディア「London Post」は、ポクラン村の住民であるヘマンット・ケトライ氏に話を聞いた。彼は、「核実験とがんの因果関係は証明できないが、自分の知人の中で約25人ががんを患っている。」と語った。

また、「The Caravan」の報道によれば、核実験の後、村の住民には白血病や皮膚炎、目の焼けるような痛みなどの健康被害が見られたという。ケトライ氏は、「影響を受けた村には政府の支援がほとんど届かず、訪れるのはジャーナリストだけだ。」と嘆いた。

ニュースサイト「The Citizen」によると、核実験が行われた地域では、病院などの基本的なインフラが整備されておらず、奇形の子牛が生まれたり、牛が原因不明で死ぬことが多発している。しかし、これが放射線の影響であると証明するのは難しいという。

インドの核実験は、ラジャスタン州のチャチャ、ケトライ、ロハルキ、オダニヤの村々で行われた。

ポクラン村の住民であるヘマンット・ケトライ氏は、「この地域では、核実験を誇りに思い、不満を口にしないのが一般的な考え方だ。」と語った。

パキスタンにおける被害:

パキスタンは、ラシュコー(ラスコ)・チャガイの人里離れた山岳地帯で核実験を実施した。この成功は国民に誇りをもたらしたが、同時に核実験地近くの地域社会には大きな傷跡を残した。この問題は今日までほとんど顧みられていない。

Image Credit:The Nation
Image Credit:The Nation

「ラシュコー」という言葉はバローチ語に由来し、「ラス」は「道」、「コー」は「山」を意味する。この地域は「山々の入り口」とも呼ばれ、チャガイ県とカラン県にまたがる。

核実験が行われる前、ラシュコーは豊かな緑と活気ある村々に囲まれ、数十の集落が農業を営みながら暮らしていた。

しかし、核爆発後、静寂は絶望へと変わった。放射線の影響により、がん、腎不全、皮膚病などの健康被害が多発し、500人以上の死亡が報告された。住民の多くは過酷な環境に耐えられず、カランなどの都市部へ移住し、祖先の土地を後にするしかなかった。

環境の悪化はさらに深刻だった。かつて肥沃だった土地と水源は荒廃し、自然の湧き水が枯渇した。ナツメヤシやブドウ、タマネギ、小麦が実っていた農地は不毛の地となり、伝統的な農業を営んでいた人々は生計を立てる術を失い、村を離れざるを得なくなった。

にもかかわらず、政府は被害を受けた地域への支援をほとんど行っていない。病院やがん治療センター、基本的な医療施設すら設置されておらず、多くの住民は貧困に苦しみながら、クエッタなど遠方まで治療を受けに行かなければならない。

安全な飲料水の確保も依然として深刻な問題である。ある軍人が個人的に設置した浄水プラントが一部の村にとって唯一の頼みの綱となっているが、大半の住民はいまだに清潔な水を確保できていない。

放射線の長期的な影響は、子どもたちの先天性障害や発育異常といった形で顕在化しつつある。しかし、これらの影響を調査・軽減するための公式な研究や取り組みは行われていない。

核実験当時に政府が掲げた開発計画は、ほぼすべてが実現されていない。カランやチャガイの地域は依然として極度の貧困にあえぎ、インフラ、教育、産業への投資はほとんど行われていない。電気や学校、道路などの基本的な設備すら整っておらず、地域は孤立したままだ。

ラシュコーの住民は、自分たちの犠牲を認め、支援するよう政府に何度も訴えてきた。彼らは子どもたちの奨学金、現代的な医療施設、経済発展のための施策を求めている。この地域には豊富な鉱物資源が眠っており、適切に活用すれば復興のきっかけになり得るが、政府の取り組みはほとんどない。

核実験はパキスタンにとって名誉をもたらしたが、ラシュコーの人々には健康被害、環境破壊、経済苦難という重い負担をもたらした。住民は、自分たちの犠牲が忘れ去られ、声がかき消されていると感じている。

地元の政治家パルヴェズ・リンド氏はこう語った。「私たちはこの核の偉業を胸に抱えて生きてきたが、政府は私たちに背を向けた。」

20年以上が経った今も、ラシュコーの人々は政府の認識と支援を待ち続けている。果たして、国家はこの地域の人々の犠牲を正当に評価し、彼らにふさわしい支援を行うことができるのか—その答えはまだ見えていない。(原文へ

This article is produced to you by London Post, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan

関連記事:

太平洋における核実験の遺産:マーシャル諸島

カザフスタンの不朽の遺産: 核実験場から軍縮のリーダーへ

核の安全を導く:印パミサイル誤射事件の教訓

バングラデシュは「アラブの春」と同じ運命をたどるのか?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=デバシシュ・ロイ・チョウドリ】

この国が「アラブの春」経験国の多くと同じ運命をたどり、世俗的独裁から別の独裁に切り替わるという現実的な危険がある。

今月、バングラデシュのシェイク・ハシナ・ワゼド首相(現在は失脚)に抗議する学生と兵士らが挨拶を交わすなか、ダッカのシャーバッグ地区で見られた光景は、13年前の2月のある晩にカイロのタハリール広場で起こったことの記憶を呼び覚ました。タハリール広場の暴動は、30年にわたってエジプトを支配したホスニ・ムバラク政権に終止符を打った。同様にシャーバッグの暴動でも、2カ月にわたる膠着状態の末、強大なバングラデシュ軍がハシナ支持から手を引いたことで力の均衡が崩れ、抗議者らに有利に傾いた。()

ハシナに政権の幕を下ろさせ、インドへの逃亡を余儀なくさせた民衆の抗議には、「アラブの春」との明らかな類似点が見られる。しかし、あちらはめでたく終わらなかった話であるだけに、残念な比較である。事実、あの瞬間の舞台となった国々のほとんどは、人権を守る民主主義国家ではなく別のタイプの独裁国家へと移行した。

世俗的独裁者の不名誉な失墜

ハシナは、ホスニと同様、一見すると世俗的な支配者であった。しかし、彼女は、現代的な独裁術を身に着けていた。統治機関を掌握し、反対派を投獄し、選挙を不正操作し、選挙の実施によって民主主義国家の体裁を維持しながらも世界第3位の人口となるイスラム教徒多数派国家を一党独裁国家へと変容させた。15年にわたる強権支配の劇的な終焉は、いまや新生バングラデシュへの希望をかき立てている。ノーベル賞受賞者が暫定政権のトップに就き、「Z世代革命」を率いた学生たちの強い要求により、統治機関における全面的な粛清が行われているところだ。

希望は、ありありと感じられる。しかし、不安もしかりである。なぜなら、ハシナの世俗的独裁によって空白化した政治空間を最終的に誰が埋めるかが、現時点では不明のままだからである。

政権崩壊を引き金として、特にハシナが党首を務めるアワミ連盟の職員や支持者に対する暴力や放火が誘発されている。アワミ連盟は、1971年にパキスタンによる厳しい支配からのバングラデシュ独立を導いたという栄誉ある歴史を持つ同国最古の政党である。ハシナによって長年抑え込まれてきたイスラム教的要素が再び自己主張するようになると同時に、憂慮すべきレベルの暴力が、この国の宗教的少数派、特に1億7,000万人の人口の約8%を占めるヒンドゥー教徒に対して向けられるようにもなっている。イスラム強硬派が強力な政治勢力として再浮上するという懸念が、いまやバングラデシュに大きく迫っている。

イスラム主義のパキスタンからのバングラデシュ独立

バングラデシュはパキスタンの一部だったころ東パキスタンと呼ばれていた。パキスタンのパワーエリートが東パキスタンのベンガル民族主義者と権力を分かち合うことを拒否したことを受け、血の海の中から国が誕生した。バングラデシュとインドにまたがる多宗教集団であり、ベンガル語という共通言語に基づく独自の文化的伝統を持つベンガル人に対し、米国の支援を受けたパキスタン軍司令官らは大虐殺の暴挙に出た。それにより難民がインドに逃亡し、それを受けてパキスタンとインドの間に戦争が起こった。パキスタンが屈辱的敗北を喫したことで、東パキスタンは分離を果たし、ハシナの父でありベンガル人の抵抗運動を率いたシェイク・ムジブル・ラーマンの指揮のもと、バングラデシュを建国したのである。以来、包摂的なベンガル文化に基づくナショナリズムがバングラデシュの政治を支配してきたが、ベンガル人であることよりもイスラム教を国家と国民の最も重要なアイデンティティーと見なす排他的イスラム・ナショナリズムの政治勢力と競い合うことを余儀なくされている。

進歩的世俗主義と宗教原理主義というこれら二つの対立する勢力は、1947年に英国の植民地支配者がインド亜大陸を去り、インドとパキスタンを二つの異なる国に分離して以来、バングラデシュの政治において共存してきた。二つの地域はインドによって真ん中から分割されていたにもかかわらず、英国は現バングラデシュを含むイスラム教徒人口が多い地域のほとんどをパキスタンに渡した。

つまり、東パキスタンのイスラム教徒としてのアイデンティティーが1947年のインドからの分離をもたらし、バングラデシュのベンガル人というアイデンティティーが1971年のパキスタンからの分離をもたらしたのである。以来、この国の政治闘争はこれら二つのアイデンティティーの争いであり続けてきた。

相反する国家イデオロギー: 世俗主義対イスラム主義

ベンガル民族主義の旗手として、ハシナは、2009年に2期目の首相の座に就いて以来、急進的な世俗主義者としての立場を打ち出してきた。彼女の強硬路線は、息子のサジーブ・ワゼド・ジョイと元米軍将校のカール・J・チョバコ(Ciovacco)が2008年11月に共同執筆した「ハーバード・インターナショナル・レビュー」掲載論文にさかのぼることができる。その中で彼らは、バングラデシュのイスラム化のリスクを強調し、急進化を抑える手段としての世俗化を提案している。ハシナは、自身の支配を強固にするために世俗化を戦略的に利用し、イスラム主義組織だけでなく対抗政党をも弾圧し、全ての政治的反対勢力にイスラム主義者のレッテルを貼った。

中東の大部分と同様、西側も(インドのような地域国も含め)ハシナの独裁から目をそらした。なぜなら、それ以外の選択肢はイスラム主義になると恐れたからである。革命が終わり、生活が平常に戻った今も、国家権力を実際に誰がコントロールするかについてはほとんど不透明である。ハシナの失脚によって最も利益を得る勢力が誰かを考えると、多くの不完全さや虚飾にまみれた世俗的国家バングラデシュは衰退の一途をたどる可能性が高い。

運動を率いた学生たちはバングラデシュに対する進歩的ビジョンを掲げており、有名なマイクロファイナンスのパイオニアであるムハマド・ユヌス率いる暫定政権はリベラルなロードマップを提示している。しかし、どちらも、権力を保持する組織的な政治構図を持たない。ユヌスが力を持つのは、学生らの信頼を勝ち得ている間のみであり、バングラデシュは、事態が収拾するまで国内外の緊張をなだめるためにリベラルな顔をする必要がある。学生たちが力を持つのは、街路を占拠している間のみである。その後はどうか? また、彼らは、イスラム強硬派に賛同する者も多く、均質な組織体ではない。ダッカ大学のある学部長は、学生がキャンパス内でコーランを朗誦するのを許可しなかったことを理由に8月下旬に辞職に追い込まれた

バングラデシュを衰弱させる?

国家運営に当たる暫定政府には、反ハシナ運動を扇動した進歩的な「反差別学生運動」のリーダー2人が含まれている。また、学生らは、アワミ連盟と主要野党のバングラデシュ民族主義党(BNP)の二頭支配を終わらせるため、彼ら自身の政党を立ち上げることを検討していると伝えられている。バングラデシュでは伝統的に、二大政党と軍が代わる代わる権力を握っていた。しかし、アワミ連盟は混乱状態に陥っており、新たな政党が仮に結成されるとしても成功を収めるかどうかは分からない。とすると、軍、BNP、そしてBNPとかつて同盟関係にあったイスラム主義組織ジャマーアテ・イスラーミーが、ポスト・ハシナのバングラデシュで受益者となる可能性がある。バングラデシュはある種の独裁を別の独裁と交換しようとしているのだろうかと考えてしまうのも、無理はないだろう。

インドでかすむリベラリズムの道しるべ

バングラデシュ自体がイスラム主義に傾いていることは別として、現在、同国の政治をさらに複雑化しているのは地域を取り巻く環境である。ナレンドラ・モディ首相率いるインドでヒンドゥー至上主義政治が台頭し、この巨大な隣国の世俗的価値観が顕著に衰退していることは、バングラデシュ国内のイスラム主義者の声をいっそう強め、以前であればインドを南アジアのリベラリズムの道しるべとして挙げたであろうバングラデシュのリベラル派を弱体化させるばかりである。

インドのヒンドゥー至上主義指導者らは、インド人イスラム教徒を他者化する悪態として「バングラデシュ」を使っており、インド国内のイスラム嫌悪の政治に隣国を直接関連付けようとしている。そのため、バングラデシュは、インドの多数派優位主義的なアイデンティティー政治の影響から身を守ることがいっそう難しくなっている。ヒンドゥー・ナショナリズムを掲げる与党インド人民党(BJP)の首脳らは、街頭演説の際、しばしばバングラデシュ人の「移民」をインドの資源を食い尽くす「シロアリ」と呼ぶ。それは、インド人イスラム教徒もその中に入るという隠微なほのめかしである。ニューデリーがハシナの独裁政権を無条件に支援してきたことも、インドに対する反発をいっそう高め、イスラム主義者らの意を強くするばかりであった。権力の真空においてイスラム主義者が優位に立ち、その結果、軍が彼らを抑えるために口実を作って首を突っ込み、国際社会が全面的にそれを支持するというシナリオも、エジプトを見れば荒唐無稽ではない。

ここには、バングラデシュにリベラリズムの輝かしい黎明をもたらす吉兆はない。蜂起の成功が真の民主主義への移行につながることは、結局のところ滅多にないのだ。2010年に「アラブの春」が始まり、ある程度の限定的成功を収めたチュニジアを除き、専制主義に対する民衆の抗議を経験した他の国々の中で、その後実際に民主主義が定着した国は皆無である。

内戦に陥った国もあれば、負けず劣らず専制的な体制に置き換わっただけの国もある。エジプトは、ホスニ・ムバラクを退陣させたが、ムスリム同胞団の影響を食い止めるために、結局、民主主義も人権も一顧だにしない軍司令官アブドゥルファッターハ・エルシーシが後任となった。リビアではカダフィ追放が武装集団の増加とイスラム主義政治の復活をもたらし、経済は崩壊し、長期化する内戦によって国は破綻国家となった。

バングラデシュ自身も、民衆蜂起が独裁者追放に成功したものの、永続的民主主義の確立には失敗したという残念な実績がある。学生らによる1990年の民主化を求める抗議運動は、皮肉にもハシナを反体制指導者の一人とし、軍事独裁者に文民政権への権力移譲を余儀なくさせた。6年後、そのBNP政権はハシナによって打倒された

バングラデシュの課題: リベラリズムを支える実質的条件の創出

繰り返される民衆の怒りは、排他的統治体制、エリートによる政治支配、常態化している政治的・経済的な力の剥奪、あからさまな泥棒政治、激しい所得格差に対する潜在的なフラストレーションがずっと存在していることを示している。永続的な変化をもたらすためには、これらのより深刻な不満に取り組む必要があると考えられる。

ハシナ政権は、平均余命就学率など、人間開発指数のほとんどの項目で称賛に値する改善を実現したが、不平等の水準は高いままで、人口の約13%にあたる2200万人がいまなお貧困ラインを下回る生活をしている。定年を超える年齢の人々の3分の2は年金を受給しておらず、失業給付金制度もない。

バングラデシュには100を超えるソーシャルセーフティネット・プログラムがあるが、それでも、特にこの国が直面する脆弱性を考えるなら、それらはまだ不十分である。気候変動の影響を受ける中心地的存在であるこの国は、2021年の気候変動リスク指数で7位にランクしている。今後25年間で、気候変動によりバングラデシュ人の7人に1人が居住地を追われる可能性がある。極端な気象現象、塩分濃度の上昇、海面上昇による陸地の浸食によって、人々はすでに移住を余儀なくされている。現在、国土の一部が壊滅的な洪水に見舞われており、300万人近い人々が孤立状態にある。

より切迫した問題は雇用不安である。「アラブの春」が席巻した全ての国々の中でチュニジアだけが、一定の民主的移行を達成した。その理由は恐らく、エンパワーされた労働者階級がすでに存在し、有力な労働組合連合があり、それが真の変化を強制するだけの構造的な影響力を発揮したからである。バングラデシュでは、労働組合の組織化運動は常に非合法化され、暴力的な弾圧さえ受けている。労働者のうち労働組合に加入しているのはわずか5.1%で、搾取的条件で働くことが多い安価で未組織の労働力を背景に、バングラデシュは輸出競争力を維持している。この問題を無視してきたあげく、バイデン政権は2023年11月、バングラデシュの警察が労働者のリーダーを銃撃し、最低賃金法改正を求める組合員を弾圧したことを非難せざるを得なくなった。

Location of Bangladesh
Location of Bangladesh

このような基本的不平等の状況を変えることが、バングラデシュに民主主義を再構築するカギとなるだろう。要するに、「バングラの春」が変革を実現するためには、バングラデシュには新たな社会契約が必要である。市民的自由が厳しく抑制された年月が終わり、自由の気風が漂うこの国には、新たな可能性があふれている。どこでも民衆蜂起の後には必ず起こることだが、バングラデシュでも構造改革を求める声が上がっている。学生らは、体制の腐敗を正し、ユヌスが「第2の解放」と呼ぶものを遂行することを誓っている。

ベンガル語を公用語と認めることを求め、ついにはパキスタンからのバングラデシュ独立へとつながった1950年代の言語運動から、それ以降の軍事および文民独裁政権に対する多くの反乱まで、学生運動は紛れもなくバングラデシュという国を形成してきた。今回学生たちは、一見無敵と思われた独裁政権に立ち向かっただけでなく、ハシナ失脚後の指導者なき国を安定させる道筋も示した。彼らは、社会秩序を落ち着かせ、治安をもたらし、混乱の中で損害を受けた公共の場を清掃し、修理した。

しかし、広範囲にわたる体系的変化を達成することはまた別の問題である。独裁者の打倒は、それに比べればまだ容易に感じるかもしれない。

デバシシュ・ロイ・チョウドリは、香港に拠点を置くジャーナリスト、研究者、著作家。「To Kill A Democracy: India’s Passage to Despotism」(OUP/Pan Macmillan)の共著者。戸田記念国際平和研究所の「民主主義の危機と課題」研究プログラムの国際ワーキンググループのメンバーである。

INPS Japan

関連記事:

|バングラデシュ|気候変動のリスクからコメ生産を守る

バングラデシュの「安価なワクチンのパイオニア」にアジアのノーベル賞を授与

核兵器よりも平和を選ぶバングラデシュ

誰が絶滅の危機に瀕するナイジェリアの沿岸都市を救うのか?

かつて活気ある経済と文化的重要性で知られたナイジェリアの町、エイトロ(Ayetoro)。現在では、気候変動がもたらす破壊の現実を象徴する悲劇的な場所となっている。市場、サッカー場、コミュニティ図書館、技術ワークショップ、そしてこの町で最初に建てられた教会といった重要なランドマークは、海に沈むか破壊されてしまった。さらに、町の豊かな文化遺産を象徴する王宮も、いまや湿地の水に囲まれてしまっている。

【エイトロ、ナイジェリアIPS=プロミス・エゼ】

2021年、ナイジェリア南西部の大西洋沿岸にある町エイトロに住む53歳のオジャジュニ・オルフンショさんは、迫りくる海によって自宅を失った。

Map of Nigeria
Map of Nigeria

かつてオルフンショさんと5人の子どもたちにとって安らぎの場所だった広々とした10部屋の家は、上昇する海水の容赦ない力によって飲み込まれてしまった。行き場を失ったオルフンショさんは、高台に住む家族に頼み込み、自分たちを受け入れてもらうしかなかった。木材とアルミニウム板で作られた小さな仮設シェルターが、以前の快適な家の代わりとなった。

彼女は今、かつて繁盛していた仕立て屋の仕事場を海に奪われ、衣服の修繕で生計を立てようと苦闘している。


「以前は大きな仕立て屋をしていて、服も販売していました。でも、海がすべてを奪ってしまいました。お店はいつもお客さんでいっぱいだったのに。」と、オルフンショさんは涙を流しながら語った。

エイトロで海面上昇との戦いが始まったのは2000年代初頭だが、その影響は時間とともに悪化している。地元住民によれば、町の約90%が現在では水没しているとのことだ。

Ayetoro resident Akinwuwa Omobolanle gestures towards a swampy expanse, a result of recurrent floods. Credit: Promise Eze/IPS
Ayetoro resident Akinwuwa Omobolanle gestures towards a swampy expanse, a result of recurrent floods. Credit: Promise Eze/IPS
Ojajuni Oluwale lost two houses to the encroaching waters. Credit: Promise Eze/IPS
Ojajuni Oluwale lost two houses to the encroaching waters. Credit: Promise Eze/IPS
Emmanuel Aralu lost his business to the raging waters and now struggles to feed his family. Credit: Promise Eze/IPS
Emmanuel Aralu lost his business to the raging waters and now struggles to feed his family. Credit: Promise Eze/IPS

通り、家屋、学校、さらには墓地までもが上昇する潮に飲み込まれ、何千人もの住民が住処を追われた。

多くの住民が、迫り来る水から逃れるために高台を求め、何度も移住を余儀なくされている。かつてコミュニティの強さを象徴していた建物は、今では空っぽの廃墟として海の犠牲となっている。

「多くの人々が町を離れました。」と、エイトロの広報官であるオモイエレ・トンプソン氏は語り、人口が2006年の約3万人から最近では僅か5,000人にまで減少したと指摘した。


「数百万ドル相当の財産が破壊されました。地域の努力で建てられた産婦人科センターや工場を含む何百もの住宅が、海の浸食により壊滅しました。」と彼は付け加え、「多くの住民が現在では掘っ立て小屋で生活している。」と語った。

エイトロの苦境は特異なものではない。世界中の沿岸地域が同様の課題に直面している。気候変動によって引き起こされる海面上昇は深刻な破壊をもたらしており、将来的に問題がさらに悪化することが予測されている。

SDGs No. 13
SDGs No. 13

アフリカ戦略研究センターのデータによれば、アフリカの海岸線は過去140年間、一貫して海面上昇を経験している。この傾向が続けば、2030年までに海面が0.3メートル上昇すると予測され、大陸の1億1,700万人が脅威にさらされると言われている。

ナイジェリアは、ギニア湾沿岸という広大な海岸線を持つため、気候変動に対して最も脆弱な国の一つである。北部では砂漠化が進む一方、南部の沿岸地域は上昇する海面という新たな脅威に直面している。

USAIDによると、海面が0.5メートル上昇した場合、世紀末までにナイジェリア沿岸部に住む2,700万人から5,300万人が移住を余儀なくされる可能性がある。海面上昇は、農業や漁業など、エイトロ経済の基盤を成す人間活動に壊滅的な影響を与える恐れがある。

海面上昇は世界的な脅威をもたらしているが、多くの国はこの問題に対処するための積極的な措置を講じている。例えば、オランダでは国土の約3分の1が海面下に位置しており、一部の地域は海から土地を取り戻すことに成功している。しかし、専門家らはIPSの取材に対して、ナイジェリア政府がエイトロの窮状に対してほとんど関心を示していないと指摘している。緊急の対策が取られない限り、この町は近い将来、写真や歴史書の中だけの存在になってしまう可能性があると警告している。

A once-thriving technical school now stands battered and desolate. Credit: Promise Eze/IPS
A once-thriving technical school now stands battered and desolate. Credit: Promise Eze/IPS
The community’s only remaining school, a fragile makeshift structure, has been repeatedly relocated due to relentless sea surges. Credit: Promise Eze/IPS
The community’s only remaining school, a fragile makeshift structure, has been repeatedly relocated due to relentless sea surges. Credit: Promise Eze/IPS

大西洋の消えゆく宝石

1947年にキリスト教の使徒派宣教師によって設立されたエイトロは、かつて自立と進歩の象徴として輝いていた。この町の宗教的価値観に基づいたコミュニティ中心の生活様式は、強い団結感を育み、「幸福の街(Happy City)」という愛称を得ていた。

1960年代から70年代にかけて、エイトロは農業、工業、教育といった分野での発展で知られるようになった。この町にはナイジェリア初の造船所があり、船舶製造や漁業といった産業を発展させた。また、1953年にはナイジェリアで2番目に電力を導入した町となった。これらの進歩により、エイトロは観光客や移住者にとって魅力的な場所となった。

しかし、かつて美しかったビーチや活気あるインフラは、今や遠い記憶となっている。かつて経済の活気と文化的な重要性で知られたエイトロは、現在では気候変動がもたらす破壊の現実を象徴する町となっている。

市場、サッカー場、コミュニティ図書館、技術ワークショップ、そして町で最初に建てられた教会といった主要なランドマークは、海に沈むか破壊されてしまった。さらに、町の豊かな文化遺産を象徴する王宮も、いまや湿地の水に囲まれてしまっている。

崩壊した生活

エイトロの多くの住民にとって、漁業は長い間主要な生計手段だった。しかし、海面上昇により良い漁獲を得ることがますます難しくなっている。水辺までの距離が増えたことで、漁に出るための燃料費が高騰し、すでに限られた財政にさらなる負担をかけている。さらに、農地や水源が塩水によって汚染され、農業はほぼ不可能になっている。

住民の権利を守るために活動しているトンプソン氏は、「事業が失われたため、人々は完全な貧困状態で暮らしています。」と語った。

2024年5月、彼はエイトロ住民のための平和的な抗議デモを企画した。このデモには子どもから高齢者まで数千人が参加し、政府の行動を求めて行進した。彼らのプラカードには「私たちを救って」「今すぐエイトロを救おう」と書かれていたが、その努力にもかかわらず、政府は対応を示していない。

町に残された唯一の病院もひどい状態にあり、設備が不十分である。有資格の医療従事者は地域を離れてしまった。緊急時には、住民が病人をボートで隣接する地域の病院に運ばなければならない。しかし、悲しいことに、多くの患者がその旅の途中で命を落としている。

Battered shanties dot Ayetoro. Credit: Promise Eze/IPS
Battered shanties dot Ayetoro. Credit: Promise Eze/IPS
The ruins of buildings stand as silent witnesses to the relentless sea surge. Credit: Promise Eze/IPS
The ruins of buildings stand as silent witnesses to the relentless sea surge. Credit: Promise Eze/IPS

破られた約束

エイトロの助けを求める声はこれまでに無視されたわけではないが、その対応は不十分か、汚職によって台無しにされることが多くあった。

2000年、エイトロの住民たちは、海の侵食が悪化する中、政府に助けを求める手紙を何度も送った。しかし政府が対応したのは2004年になってからで、ニジェールデルタ開発委員会(NDDC)を通じて「エイトロ沿岸保護プロジェクト」を立ち上げ、町をさらなる洪水から守るための防波堤を建設すると約束した。しかし、このプロジェクトに割り当てられた数百万ドルが流用されたとされ、実際には何も行われなかった。

「新聞で介入について読みましたが、現場には施工業者も機材も一切来ることはありませんでした。」とトンプソン氏は語った。

2009年、このプロジェクトは別の企業「ドレッジング・アトランティック」に再度委託されたが、再び何も実現しなかった。

ナイジェリアは2021年に「気候変動法」を導入し、気候問題に取り組むことを目指した。しかし批評家たちは、この政策も他の紙上の政策と同様に、実行に必要な政治的意志を欠いていると指摘している。

38歳の3児の母、イドウ・オイェネインさんは、これらの失敗したプロジェクトに誰も責任を取らないことに憤りを感じている。彼女は、政治家たちが選挙期間中だけコミュニティを訪れ、空虚な選挙公約をするだけだと語った。

「沿岸の海面上昇は私の家族に計り知れない困難をもたらしました。子どもたちを支えるために生活必需品を販売していたお店は洪水で完全に破壊されました。それは単なるお店ではなく、私たちの主な収入源でした。洪水が事業を台無しにして以来、子どもたちの世話をしたり、学校の費用を賄ったりすることができなくなりました。」とオイェネインさんは語った。

「私たちは、政府や団体からの支援を必要としています。生活を立て直すために、金銭的支援や啓発プログラムがあれば、大きな違いが生まれるでしょう。」

彼女の子どもたちは現在、コミュニティに残された唯一の学校に通っている。その学校は木造の仮設小屋で構成され、不安定な板道でつながれ、湿地の地面に杭で支えられている。この学校は、海の侵食のために何度も移転を余儀なくされた。

住民によると、かつてこのコミュニティには3つの学校があったが2つを失い、残った1校だけで対応しているため、何百人もの子どもたちが学校に通えなくなっている。

「以前、学校は約4年間閉鎖されていました。再開しても、地域の被害のために子どもたちが学校に通うのが不可能でした。これが私たちにとって最大の痛みです。」とトンプソン氏はIPSの取材に対して語った。

企業の責任と公共参加アフリカ(CAPPA)のシニアプログラムマネージャー、ジコラ・イベ氏は、ナイジェリア政府が優先事項を再構築する必要があると考えている。

「ナイジェリアの州当局がコミュニティ福祉と環境正義を遺産の重要な要素として認識しない限り、エイトロのような地域は無視、搾取、気候変動の影響を受け続けるでしょう」とイベ氏は語った。

The monarch’s palace, now surrounded by swampy waters, tells a tale of loss. Credit: Promise Eze/IPS
The monarch’s palace, now surrounded by swampy waters, tells a tale of loss. Credit: Promise Eze/IPS

化石燃料の呪い

エイトロの海面上昇に対する脆弱性は、この地域で行われている石油探査活動によってさらに悪化している。ナイジェリアの石油資源豊かな地域に位置するエイトロは、同国の総石油生産量に貢献している。

かつてエイトロの王妃だったアキンウワ・オモボランレ氏は、地域での石油採掘活動を中止するよう、国内外の石油企業に求めている。

「1990年代にエイトロで天然資源を発見した外国人の到来と海洋での原油採掘が、私たちが直面している問題の主な原因の一つです。彼らが石油を採掘し始めて以来、問題はますます悪化しています。」とオモボランレ氏は語った。

石油会社は破壊への責任を否定しているが、環境専門家たちは正義を求めている。

「海面上昇が地球温暖化によって引き起こされているのは間違いありませんが、エイトロやニジェールデルタの多くの石油資源豊かな地域の窮状は、多国籍の石油・ガス企業による無謀な資源採掘の直接的な結果でもあります。何十年にもわたり、これらの企業はほとんど完全な免責状態で活動し、環境破壊の痕跡を残してきました。」とイベ氏は指摘した。

さらに彼女は、ナイジェリア政府がこれらの企業に責任を負わせ、被害に対する補償を要求することはなく、「歴代の政府は企業利益や収益の確保を優先し、エイトロのようなコミュニティの福祉を軽視する共犯関係を選んできたのです。」と語った。この無関心によって、エイトロの町は、まず地球規模の気候変動の影響に、次に利益を追求する産業の抑制されない貪欲さによって二重に脆弱な立場に置かれている。

グリーンピース・アフリカの気候・エネルギーキャンペーナーであるシンシア・N・モヨ氏は、アフリカが化石燃料から持続可能なエネルギー源へ移行することが不可欠であるとIPSの取材に対して語った。彼女は、化石燃料は環境への脅威であるだけでなく、抑圧、搾取、新植民地主義を助長すると主張した。

「科学は明白です。我々の地域で経験している極端な気象現象は、化石燃料への依存が続いていることの直接的な結果です。これらの現象は、世界中の脆弱なコミュニティに大混乱をもたらしています。アフリカでは、気候変動の影響は壊滅的で、サイクロン、台風、洪水が発生し、毎年数十億ドルの被害が生じています。」とモヨ氏は語った。

モヨ氏は、海洋での石油やガス掘削への投資が増加すれば、海洋生態系を損ない、沿岸地域のコミュニティの生計を破壊する流出事故など、深刻な環境被害を引き起こす危険があると警告した。これは気候危機をさらに悪化させるだけだと彼女は説明した。

「このような活動は、再生可能エネルギーへの移行を目指す意味のある努力や約束を損ないます。石炭や石油のような化石燃料は、人々と地球に害を及ぼす、壊れた不公平で持続不可能なエネルギーシステムの中心にあります。」と彼女は指摘した。

暗い未来?

エイトロの住民たちにとって、時間は残り少なくなっている。政府の支援が不足する中で、彼らは自分たちの悪化する状況に対して地元の解決策を模索してきたが、成功には至っていない。

「洪水を止めるために地元でバリアを作ろうとしました。」と、7人の子どもの父親で、海の侵食で2軒の家を失ったオジャジュニ・オルワレさんは語った。「砂を袋詰めして海岸線に置くことを試みましたが、海が荒れるとすべてが崩れてしまいます。」

「この問題を解決するには莫大な財政投資が必要です。」とオルワレさんは続けました。

COP29 IPS Page
COP29 IPS Page

2024年にアゼルバイジャンのバクーで開催された国連気候変動枠組条約第29回締約国会議(COP29)では、先進国が発展途上国の気候影響に対応するため、年間3000億ドルを割り当てることに合意しました。しかし、発展途上国はこの金額を不十分だと批判し、ナイジェリアはこれを「冗談だ」と形容しました。

温室効果ガス排出の歴史的責任の約80%を占める先進国が約束を守るかどうかについては広く懐疑的な見方がされている。2009年には、気候災害に苦しむ脆弱な国々を支援するため、年間1000億ドルを提供することを約束したが、その実現は遅れた。

経済協力開発機構(OECD)によれば、最終的に先進国はこの金額を超える額を提供したが、約束が果たされるまでには時間がかかった。

2022年、長年の圧力の末、先進国は気候変動の影響で最も脆弱で深刻な被害を受けている国々を支援する「損失と被害基金」の設立に合意した。この基金には7000万ドル以上が拠出され、2025年から資金の配分が開始される予定だ。

ナイジェリアの気候専門家であるトルロペ・テレサ・グベンロ氏は、特にアフリカ諸国を含む発展途上国の気候資金の必要性と、先進国の約束との間にある大きな隔たりを懸念している。彼女は現在、気候資金と責任のあり方がやや不整備で、さまざまな資金源に統一されたアプローチが欠けていると指摘している。

「必要な資金を確保することと、資金が適切に分配され、最も脆弱なグループに届くような責任監視と監査の枠組みを整備することは別の問題です。現段階では、まだ進行中の課題であり、この分野の交渉は今後も続くでしょう。」とグベンロ氏は語った。

エイトロが完全な破壊を防ぐための支援を待つ間、住民たちはその苦しみが心に与える影響が耐え難いものだと訴えている。「この精神的な苦痛は耐えられません」と、海の侵食で床屋を失ったエマニュエル・アラルさんは語った。「店が一晩で完全に消えました。何一つ持ち出すことはできませんでした。今では生計を立て、妻と子どもたちを養い、学費を払い、生活費の高騰に対処するのに苦労しています。」

さらに彼はこう続けました。「自分が引き起こしたわけではないことで苦しんでいます。石油採掘は私たちの沖合資源を吸い上げていますが、その利益はアブジャラゴスのような都市に行き、私たちには破壊の責任が押し付けられるのです。心身ともに疲れ果てています。」(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

関連記事:

国連機関、ナイジェリアで最も汚染された地域の浄化計画を酷評

世界で最も体に悪い場所

│環境│構造的問題を提起している原油流出

ルーマニアでの「盗みを止めろ」:不穏な事例

バイデン政権の国務長官アントニー・ブリンケン氏のキャリアにおけるもう一つの暗い瞬間。

【The American Spectator/INPS JapanワシントンDC=ヴィクトル・ガエタン】

Romanian presidential candidate Călin Georgescu on Sky News discussing the Constitutional Court’s coup that led to the cancellation of the election. (Sky News/Youtube)
Romanian presidential candidate Călin Georgescu on Sky News discussing the Constitutional Court’s coup that led to the cancellation of the election. (Sky News/Youtube)

12月初め、バイデン政権がルーマニアで政治的危機を引き起こした。アントニー・ブリンケン国務長官が、ルーマニアの大統領選挙第1回投票で、トランプ的な候補として知られるカリン・ジョルジェスク氏が予想外の勝利を収めた理由を、「大規模かつ資金豊富なロシアの干渉」によるものだと主張したのだ。(関連記事:「ルーマニア版の「トランプ」?:絶え間ない戦争とウォーク政治に対する拒絶」

驚くべきことに、ルーマニア政府はこの主張に従い、12月8日に予定されていた決選投票を即座に中止した。これは、選挙の第1回投票が問題なく行われたとするサイバーセキュリティ監督当局の保証にもかかわらず、世界中の投票所で進行中の投票を停止するという措置だった。

この前例のない明らかに非民主的な行動は、不人気な現職大統領クラウス・ヨハニス氏によって支持された。ヨハニス氏は、「国家的な勢力」によるTikTokを通じた操作があったとする「機密解除された」文書を根拠にこの決定を支持した。(ヨハニス氏は2014年から大統領を務めており、ルーマニア憲法によれば、2期の任期を超えて続投するには、戦争または災害の場合に限り法律による延長が認められている。)

ロシアの干渉の証拠が何も示されない中、ヨハニス大統領はブリュッセルで記者たちにこう警告した。「これらの攻撃に『東から愛を込めて』なんて署名があると思わないでほしい。いや、これらは非常に証明するのが難しい。」

ロシア、ロシア!

12月20日までに、ロシアの干渉の証拠が全く示されない中、選挙不正の可能性を調査する責任を負う財政管理庁の職員たちが、見つけた証拠をリークし始めました。それによれば、ジョルジェスク氏の選挙キャンペーンを宣伝するために約100人のTikTokインフルエンサーに数十万ユーロを支払っていた主要な資金提供者は、なんと現職大統領の政党である国民自由党(PNL)だった。ルーマニア版の「スヌープ」がインフルエンサーのスクリプトを作成したソーシャルマーケティング会社も明らかにしたが、これ自体は選挙活動やチャンネル運営において特に珍しいことではない。

この計画は、ジョルジェスク氏の保守的な支持層を引き寄せ、より資金力のある保守候補ジョージ・シミオン氏(主権主義者)から票を奪うことで、PNL候補が第2回投票に進む道を開くことを目的としていたとされている。シミオン氏は、ルーマニア統一同盟(AUR)の代表で、自らが「クーデター」と呼ぶものに反対しており、この戦術について英語で説明している。

実際、11月の時点で、通常はメイクアップや自動車を宣伝するインフルエンサーたちが、より多くの政治的メッセージを発信していることが注目されていた。ジョルジェスク氏を支持するために使われたとされるハッシュタグは、#echilibrusiverticalitate(「均衡と直立」を意味する)で、決して扇動的なフレーズではなかった。

それでも、米国のキャスリーン・カヴァレック駐ルーマニア大使は、PNLによるTikTok戦術のニュースが広まった後も、ロシアによる干渉説を主張し続けた。

テレビ記者に「このルーマニアの複雑な状況についてどう思いますか?」と尋ねられたカヴァレック大使は、不明瞭な回答をした(以下は逐語的な記録に基づく。)
「ええと、まあ、私たちは、ええ、もちろん、ええ、他のみんなと同じように、ええ、ロシアが選挙に悪影響を及ぼし、結果に影響を与える努力に関する情報を懸念しています。そしてもちろん、ええ、誰もルーマニアの選挙に干渉すべきではありません。ルーマニアの民主主義は守られるべきです。私たちは、何が起きたのかを究明するためのすべての努力を支持してきました。」

翌日、ブカレストのテレビスタジオで、北大西洋条約機構(NATO)軍事委員会の退任議長であるオランダのロブ・バウアー提督は、視聴者に向けて次のように語った。「同盟全体で見られるのは、ますます増加するロシアの行動です。空域侵犯、偽情報、サイバー攻撃といったものです…。私たちは協力して非常に警戒を強めなければなりません。」

さらにバウアー提督は、NATOが「社会全体のアプローチ」を防衛に利用すべきだというオーウェル的な理論を展開しました。つまり、家族や一般市民を動員して敵に立ち向かい、「安全保障が軍や警察だけのものだという考え方を改め、社会全体がより強靭になるべきだ。」というのだ。提督は、元NATO事務次長で大統領候補だったミルチャ・ジョアナ氏からアスペン・インスティテュート・ルーマニア賞を受け取るためにブカレストを訪れていた。ジョアナ氏は選挙でわずか6%の票しか獲得していなかったが、ルーマニアの政治エリートとNATOの公式機関は非常に親密な関係にある。

新政府と新たな選挙?

正当性が疑問視されているヨハニス大統領は、12月23日に新政府を発足させた。しかし、その内訳は、これまで政権を握っていた同じ政党で構成され、大臣も2名を除いてほぼ同じメンバーであり、2023年以来の首相であるマルセル・チョラク氏が引き続き務めている。なお、大統領選挙ではチョラク氏は3位に終わっている。

Location of Romania

再編された旧体制は全速力で動き出している。ルーマニアのメディアによれば、政府は新たな選挙を2025年3月23日(第1回投票)、4月6日(決選投票)に設定する予定だ。しかし、その理由は何だろうか?ブカレスト市長で独立系の政治家であるニクショル・ダン氏は公然と疑問を呈した。「なぜ11月24日の選挙を中止したのかを明らかにする必要があります。その説明は非常に不十分です。」

大統領選挙の中止は国民に不人気だ。最近の全国調査では、67%がこの不可解な決定に反対していると回答した。また、同じ調査では、もし決選投票が行われていたら63%がジョルジェスク氏に投票しただろうと答えている。

ジョルジェスク氏とその弁護士団は、12月30日に控訴裁判所に法的異議申し立てを行った。その日の寒さの中、数千人の支持者が集まり、政治エリートに対する国民の怒りの高まりを示した。ジョルジェスク氏は、群衆に向かってこう述べた。「私たちが政治的ではなく専門的な裁判所の決定を得られることを願っています。裁判所が政治の圧力に屈することなく、ルーマニアの民主主義と自由を守ると信じています。」

しかし、翌日に出された判決では、中止の決定が維持された。判決は候補者の訴えの内容そのものには触れておらず、5日以内のさらなる上訴を許可した。この判決を受け、さらに多くの群衆が集まった。

NATOの目標

多くの人々が注目しているのは、ウクライナと接する北部および黒海沿岸というルーマニアの地理的な位置と、NATOが同国を最大限に利用するためにルーマニアの政治をコントロールしようとしている可能性だ。

2023年12月22日に投稿されたYouTube動画「ルーマニアがロシアとの全面戦争に向けてどのように準備しているか」というタイトルが不穏な印象を与えている。この動画では、「ルーマニアはウクライナのためのNATOの秘密兵器になるかもしれない」と説明されている。この動画は、登録者数129万人を誇る「The Military Show」が制作したもので、信頼できる情報源とされ、ルーマニア国内で広く視聴されている。

動画では、ルーマニアが主要な武器購入を進め、同国を航空兵力の大国へと変える計画の一環として紹介されています。新しいミサイルバッテリーや移動式司令センターの導入により、一度に16発のミサイルを発射できるようになる。また、欧州最大規模となる新たな空軍基地の建設も進行中で、この基地ではウクライナ国境近くに1万人以上のNATO兵士とその家族を収容する予定だ。

これらの推測を裏付ける具体的な証拠もある。ルーマニア国防省は、2025年に行われる軍事演習「ダチアの春(Dacian Spring 2025)」で、初めてフランスの旅団規模の部隊を受け入れることを確認した。また、昨年10月には、ベルギー、フランス、ルクセンブルク、北マケドニア、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、米国から約1,500人の兵士が参加する「ダチアの秋(Dacian Fall2024)」が2週間にわたり実施された。

ジョルジェスク氏の選挙キャンペーンの中心的な主張は、「平和構築の緊急性」である。

彼の予想外の人気は、ルーマニア国民が地域紛争を支持していないことを示している。

億万長者でテニス界の伝説的存在であるイオン・ツィリャック氏は次のように述べています。「私は戦争を望まない。NATOも必要ない。軍事基地もいらない。海外からの何も必要ない。ただ、健康な国民が必要だ。」ツィリャック氏は、同国で最も影響力のある実業家の一人であり、ジョルジェスク氏を支持している。

選挙に戻ると、ルーマニア国民は35年前、共産主義からの自由を勝ち取るためにストリートレベルの暴力に直面し、1,000人以上の命を失った。その記憶は今でも生々しく残っている。そのため、民主的権利を覆すような偽旗作戦を軽く受け入れることはない。

12月6日に選挙を無効とした憲法裁判所の元裁判長であるオーガスティン・ゼグレアン氏は、この件について興味深い見解を述べています。「裁判官たちは恐れていました。国が危機に直面しているという噂があり、その決定を下したのです。それ以来、彼らは証拠を探し続けていますが、何も見つかりません。私たちの制度では、物事はあるべき方法で行われません。まず決定を下し、それから証拠を探すのです。しかし、証拠は見つかりませんでした。証拠は存在しません。」

証拠がない? 勇敢な一般市民は、バイデン陣営によって仕組まれたクーデターを受け入れることはないだろう。(原文へ

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタン氏は、「ナショナル・カトリック・レジスター」のシニア国際特派員であり、「フォーリン・アフェアーズ」誌の寄稿者でもあります。また、著書に『神の外交官たち:フランシスコ教皇、バチカン外交、そしてアメリカのアルマゲドン』(ロウアン&リトルフィールド、2021年)があります。本記事はガエタン氏の許可を得て日本語翻訳版を配信した。

この記事のタイトルにある「Steal」は、米国の政治的なスローガン「Stop the Steal(盗みを止めろ)」から取られており、特定の選挙結果が不正操作や干渉によって「盗まれた」という主張を表している。この表現は、特に2020年の米国大統領選挙後に、ドナルド・トランプ元大統領やその支持者たちが選挙不正を主張した際に広く使われたフレーズだ。この記事の文脈では、ルーマニアの大統領選挙が「干渉」や「操作」によって正当性を損なわれた、もしくは候補者カリン・ジョルジェスク氏が民主的なプロセスを通じて得るはずだった勝利が不当に「奪われた(stolen)」と主張している。

INPS Japan

関連記事:

バイデン政権の最後のあがきがルーマニアの民主主義を覆した

プーチンは、1930年代のヒトラーではなく1999年のNATOの戦略に従っているのかもしれない

|視点|暴走するウクライナを巡るグレートゲーム(敵対関係・戦略的抗争)(ジェフリー・サックス経済学者、国連ミレニアムプロジェクトディレクター)