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A Stimulating Meeting at the Kazakh Mission to the UN

IDN-INPS Editor-in-Chief and Director-General Ramesh Jaura had a stimulating meeting with Ambassador and Permanent Representative of the Republic of Kazakhstan, Dr. Kairat Umarov, on February 8, 2017 at the Central Asian country’s Permanent Mission to the UN in New York.

Before moving to New York, he was in Washington serving as Ambassador to the U.S. since January 2013 – after serving as Kazakhstan’s Deputy Foreign Minister since 2009. Prior to the Deputy Foreign Minister’s post, Dr. Umarov was Ambassador to India and Sri Lanka for five years.

His appointment as PR to the UN coincides with the beginning of Kazakhstan’s two-year (2017-2018) tenure as non-permanent member of the Security Council.

Another highlight of 2017 is President Nursultan Nazarbayev’s announcement “to build a more efficient, sustainable, modern system of governance” (Kazakhstan Moves Toward Democratic Development). The Kazakh Mission hosted on February 17 a special event entitled “Political and Economic Reforms: Steps in Implementing SDG 16”.

Yet another 2017 highlight is Expo 2017 (between June 10 and September 10, 2017) in Astana, which would not only demonstrate the future energy, but also the problematic issues of developing countries. Expo’s theme is “Future Energy”, and aim is to create a global debate between countries, nongovernmental organizations, companies and the general public on the crucial question: “how do we ensure safe and sustainable access to energy for all while reducing CO2 emissions?”

アフリカ連合、米国の移民政策を非難

【ニューヨーク/アジスアベバIDN】

アフリカ連合(AU)は、物議を醸している米国新政権が打ち出した反移民措置について、アフリカの黒人拉致の歴史を想起して、「かつてアフリカ人を奴隷労働力として強制的に連行していながら、米国政府は、今や、自国に入国しようとするイスラム教徒の移民に門戸を閉ざした。」と非難する声明を出した。

「世界は明らかに大変困難な時代に突入しつつあります。」と、アフリカ連合のヌコサザナ・クラリス・ドラミニ=ズマ前委員長は、エチオピアの首都アジスアベバで1月30日~31日に開催したアフリカ連合首脳会議で語った。

「かつて大西洋奴隷貿易においてアフリカの人々が奴隷として送り込まれたまさにその国(=米国)が、我々の一部加盟国からの難民の受入れを禁止する決定をしました。」とズマ前委員長は語った。

1月27日、ドナルド・トランプ大統領は、移民の受入を停止しイスラム教徒が多数を占める7カ国からの入国を禁止したが、そのうち3か国はアフリカ連合の加盟国である。

トランプ大統領は27日に署名した大統領令により、ビザ発給の手続きについて見直しを命じ、アフリカの3か国(リビア、ソマリア、スーダン)及び中東の4か国(シリア、イラク、イエメン、イラン)の人々については、90日間、入国を停止した。

すべての国からの難民の受け入れも27日から120日間停止し、シリア出身の難民については、受け入れを無期限停止とした。

アフリカ連合首脳会議に出席したアントニオ・グテーレス新国連事務総長は、「アフリカ諸国が暴力を逃れてくる難民の受け入れに大変寛容であるのとは対照的に、先進国を含む他の地域では、一部の国が国境を閉じ、壁を築いている。」と批判した。

Map of countries affected by Executive Order 13769, issued by President Donald Trump, that restricts both the travel and immigration of people in said countries./ JayCoop - Own work, CC BY-SA 4.0
Map of countries affected by Executive Order 13769, issued by President Donald Trump, that restricts both the travel and immigration of people in said countries./ JayCoop – Own work, CC BY-SA 4.0

グテーレス事務局長は、アフリカ諸国は世界で最も寛容に難民を受入れている、と称賛した。

Chadian Foreign Minister Moussa Faki Mahamat/ Par Foreign and Commonwealth Office

アフリカ連合首脳会議では、まずズマ委員長の後任となる新委員長の選出が行われ、7度におよぶ投票の結果、最後まで対立候補として残ったケニアのアミーナ・モハメッド外相を含む4人の候補を抑えて、チャドのムーサ・ファキ・マハマト外相(56歳)が新委員長に就任した。

ファキ氏は、同国のイドリス・デビ大統領がアフリカ連合議長職をギニアのアルファ・コンデ大統領に引き継ぐ中、アフリカ連合の執行機関である「委員会」のトップである委員長職に就任した。

チャドの首相経験者でものあるファキ外相は、これまでナイジェリア、マリを含むサヘル地域におけるイスラム教主義者との闘いの最前線で活躍してきた人物であり、アフリカ54カ国が加盟するアフリカ連合の執行機関のトップとして、「開発と安全保障」を最重要課題に取り組んでいくと述べた。

ファキ新委員長は、「私は、銃の音が民謡や工場の喧騒にかき消されるアフリカを夢見ています。」と述べ、向こう4年の任期中に、アフリカ連合の官僚体質を改めていくことを約束した。

モロッコの再加盟を承認

今回のアフリカ連合首脳会議のハイライトは、33年ぶりにモロッコの再加盟が実現し、これでアフリカ大陸全ての54カ国と西サハラがアフリカ連合に加盟したことである。モロッコの加盟を巡っては、土壇場になって一部の反対国から「他の加盟国の領土の一部を占領している国(=モロッコ)の加盟が可能か疑問を呈する」意見書が提出される場面もあったが、主要加盟国(ナイジェリア・南アフリカ共和国・アルジェリア・ケニア・アンゴラ等)を含む39カ国の賛成多数で認められた。

African Union
African Union

モロッコは、実効支配している西サハラについて、「この旧スペイン植民地はモロッコの不可分の一部」として領有権を主張している。一方、西サハラにおける独立国家の建設を目指すポリサリオ戦線は、帰属に関する住民投票の実施を要求している。

アルジェリアと南アフリカ共和国がポリサリオ戦線の主な支援国である。南アのジェイコブ・ズマ大統領は、先月、ポリサリオ戦線の指導者ブラヒム・ガリとの会談後、「西サハラが、今なお植民地化されている現状は理解しがたい。」と指摘したうえで、「南アは、西サハラの人々が自らの土地で自由に暮らし将来を決定できるようになるまで、引き続き西サハラの民衆を支援していきます。」と語った。

モロッコの加盟決議に先立ち、集中的なロビー活動が行われた。それは、モロッコが加盟すれば既にアフリカ連合に加盟しているサハラ・アラブ民主共和国が除名されるのではないかという懸念が西サハラの人々の間で広がっていたからである。昨年、アフリカ連合には加盟国の意思に反して除名する方針について明確な規定がないにも関わらず、28の加盟国がサハラ・アラブ民主共和国の除名を求める嘆願書に署名していた。

しかしアフリカ連合の法律顧問は、「こうした根本的な懸念事項は十分に考慮されなければならない」と指摘しつつも、モロッコの再加盟について許可する判断を下した。

Map of Morocco
Map of Morocco

モロッコは1984年に、アフリカ連合の前身組織である当時のアフリカ統一機構がサハラ・アラブ民主共和国の加盟を認め、事実上西サハラの独立を承認したことに抗議して、脱退した。

今回モロッコの再加盟が支持された背景には、同国の経済的な豊かさがある。アフリカ連合は重要な資金提供者であった リビアの最高指導者ムアンマール・カダフィ大佐が死亡して以来、新たな資金提供者を必要としていた。

欧米諸国で孤立主義的な傾向が増し、アフリカ連合が域外からの経済支援から脱却して独立独歩の体制構築を志向するなか、アフリカ連合は、モロッコの加盟によって、欧米との密接な関係を持つ加盟国を得たことになる。モロッコは米国の緊密な同盟国として、「テロとの戦い」に協力しているほか、欧州連合に協力してアフリカ人移民の欧州渡航を阻止する支援を行っている。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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「中立性」を拒絶して人権の側に立つ博物館

 情報不足で困難に陥る難民支援

Introducing IDN-INPS to UNDPI Chief Cristina Gallach

In a warm-hearted meeting on February 7, 2017 at the United Nations headquarters, Ramesh Jaura, Editor-in-Chief and International Correspondent of IDN-InDepthNews introduced the International Press Syndicate (INPS) Group of which IDN is flagship agency to Ms Cristina Gallach, UN Under-Secretary-General for Communications and Public Information, Department of Public Information (DPI).

In the ensuing interview, the DPI Chief answered questions such as: What has happened since the UNDPI / NGO Conference that concluded on June 1, 2016 in Gyeongju, South Korea? What role are youth groups playing in the second year of implementation of Sustainable Development Goals (SDGs) endorsed by the international community in September 2015? Will there be a DPI / NGO conference in 2017 despite a new Secretary-General and management team taking office in January? What does it mean serving as Under-Secretary-General for Communications and Public Information at the United Nations?

To read the Q&A in full: Young People Drivers of UN Sustainable Development Agenda

著名な仏教指導者、核軍縮のために首脳会談の開催を求める

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【ベルリン/東京IDN=ラメシュ・ジャウラ、浅霧勝浩】

日本の仏教哲学者・平和活動家である池田大作氏は、世界の核兵器の90%以上を保有している米国とロシアの首脳会談を早期に開催し、核軍縮に向けた世界的なうねりを生み出すことを提唱した。

仏教団体である創価学会インタナショナル(SGI)の池田会長の提案は、2017年1月26日に発表された第35回平和提言「希望の暁鐘 青年の大連帯」に盛り込まれている。

Mihail Gorbachev/ Katsuhiro Asagiri
Mihail Gorbachev/ Katsuhiro Asagiri

この提言は、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が「まるで世界が戦争の準備を進めているかのようだ」と警告する中で出されたものである。ゴルバチョフ氏は『タイム』誌に寄稿した記事の中で、「今日の世界は問題で溢れかえっている。政策当事者たちは困って、どうしたらいいか分からないようだ。しかし、政治の軍事化と新たな軍拡競争ほど、今日において緊急の問題はないだろう。この破滅的な競争を止め、反転させることが、私たちの最優先課題であるべきだ。現在の状況はあまりにも危険だ。」と述べている。

ゴルバチョフ氏は、国連安保理が「元首級」の会合を開き、「核戦争は許されず、決して遂行されてはならないと謳う決議を採択する」よう求めた。

池田会長の平和提言はまた、米国のドナルド・トランプ大統領が核の危険を減らすのか、それとも自滅的な軍拡競争につながる行動に訴えるのかについて、専門家が読み切れずにいる中で発表されたものでもある。

トランプ大統領が1月20日に第45代米国大統領に就任する5日前、『サンデー・タイムズ』紙は、「トランプ大統領の初外遊として恐らくはアイスランドの首都レイキャビクでロシアのウラジミール・プーチン大統領との首脳会談を計画している、とトランプ大統領の側近が英国当局に対して語った。」と報じた。同紙は、匿名筋の情報として、トランプ大統領が核兵器を制限する協定の策定を始めることを計画し、ロシアも会談開催に合意したと報じている。

Josei Toda/ Seikyo Shimbu
Josei Toda/ Seikyo Shimbun

同紙によれば、トランプ大統領はアイスランドの首都で1986年にロナルド・レーガン大統領(当時)がソ連のゴルバチョフソ連共産党書記長(当時)と行った首脳会談に追随しようとしているという。米ソ両首脳は、冷戦の最中、重要な核軍縮条約を策定すべく会談を行った。しかし、トランプ政権のショーン・スパイサー報道官はこの報道を否定し、ツイッターで「100%事実無根」と述べている。

池田会長は平和提言で、師である創価学会の戸田城聖第2代会長が60年前の1957年に発表した「原水爆禁止宣言」を想起している。戸田会長は、核抑止は幻想に過ぎないことを明らかにしようとし、核兵器の使用は決して正当化されないと力説した。

池田会長は12月23日に国連総会で採択された決議を歓迎している。これは、(軍縮と国際安全保障問題を扱う)国連総会第一委員会が10月27日に採択した決議を受けたものである。同決議は、一部の核保有国からの強い反対を受けながらも、核兵器禁止条約に関する交渉を開始することを決定したものである。

国連総会は、「核兵器を禁止しその完全廃絶につなげるような法的拘束力のある文書」を交渉するすべての加盟国に開かれた会議を2017年3月から開始することを決めた。ニューヨークの国連本部で開催される予定のこの会議は、3月27日~31日と6月15日~7月7日の2つの会期に分かれている。

池田会長は、この交渉に核保有国の参加が厳しい予想ではあるが、唯一の戦争被爆国である日本には、できるだけ多くの国々に参加を働きかける道義的責任がある、と強調している。

UN General Assembly approves historic resolution on December 23, 2016. /ICAN
UN General Assembly approves historic resolution on December 23, 2016. /ICAN

池田会長は、そうした法的文書の制定は、いかなる国にも核戦争による惨劇が絶対に繰り返されないための地球的共同作業である、と指摘したうえで、核兵器禁止条約は、核不拡散条約(NPT)に一致すると強調している。NPTの第6条は、完全な核軍縮に向けて誠実に交渉を行うことを締約国に求めている。

池田会長は、この交渉プロセスにおける市民社会の行動は、核兵器禁止条約を「民衆の主導による国際法」として確立する流れを作り出す力になると見ている。

SGIの35回目の平和提言の重要性は、この提言が『原子科学者紀要』の科学・安全保障理事会が、「世界終末時計」の70年の歴史上初めて、この象徴的な時計の針を、午前0時(=人類の絶滅)に向けて30秒進めた(=あと2分30秒)日と同じ1月26日に発表された点にある。

Image credit: Bulletin of the Atomic Scientists
Image credit: Bulletin of the Atomic Scientists

世界終末時計の針を動かす決定は、『原子科学者紀要』科学・安全保障理事会が、15人のノーベル賞受賞者を含む同誌の支援者会議との協議のうえで行っている。

『原子科学者紀要』は「理事会は、米国の新大統領であるドナルド・トランプ氏というたった1人の言葉を元にこの決定をなしたが、これもまた初めてのことだ。」と述べている。

終末時計に関する科学・安全保障理事会の声明全文は、2016年1月には時計の針は動かされず「午前0時まで3分」に留まったと指摘している。なお、2015年には時計の針が「午前0時まで5分」から「3分」に進められ、1980年代の軍拡競争の時代以来、午前0時に最も近づいていた。

理事会はさらに、「2016年を通じて、核兵器と気候変動という人類の存在を脅かす最も緊急の脅威に効果的に取り組むことに国際社会が失敗する中で、世界の安全保障環境は悪化した。」と述べている。

「この既に危機的な世界情勢は、2016年にナショナリズムが世界的に高揚したことが背景にある。例えば、米国大統領選で勝利を収めることになるドナルド・トランプ氏は選挙期間中、核兵器の使用と拡散について不安感を煽る発言をし、気候変動に関して科学的に圧倒的な一致を見ている事柄についての不信を表明した。…」

「史上初めて、針を1分未満動かすという理事会の決定は、この声明を発表する時点で、トランプ氏が米国大統領に就任してほんの数日であるという、単純な事実を反映している。…」

Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun
Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun

こうした背景により、核兵器を禁止し「核兵器なき世界」を導くための重要なステップとして、核軍縮に向けた世界的な流れを構築するよう繰り返し訴えてきた池田会長の提言に、さらなるスポットライトが当たることになる。

また池田会長は、こうすることで、アントニオ・グテーレス国連新事務総長をはじめとする勢力と、手を携えていくことになる。グテーレス事務総長は、「軍縮は、既存の紛争を終わらせ、新たな紛争の発生を予防するうえで、重要な役割を担いうる。」と論じ、「すべての大量破壊兵器の廃絶と通常兵器の厳格な規制を積極的に追求する」ことを誓っている。

グテーレス事務総長は、1月23日に2017年(全3会期)の第1会期を開始したジュネーブ軍縮会議へのビデオメッセージで、「私は核兵器なき世界の実現に向けて最大限努力します。」と宣言している。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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【クルガム/カシミールIDN=ステラ・ポール

カシミール南部の道を旅していると、「解放」や「反インド」といった標語を頻繁に見かけることになる。それらは、アスファルトの上や家々の壁、木の枝から吊るされた小さな標識、街灯にすら書かれていたりする。

なかには「インドは出ていけ」、「自由を求める」や、「ブルハン・ジンダバード(ブルハンは生きている)」と書かれたものもある。これは、2016年7月にインド治安部隊によって射殺された分離・独立派イスラム過激組織ヒズブル・ムジャヒディンの若手指導者ブルハン・ワニのことを指している。

しかしそのまま道を進むと、突如として標語の内容が変わる。標識や壁は、「ようこそ」「すべての人々に愛を、誰も憎まず」といったメッセージであふれる。これで、アハマディーヤの住むある村に入ったことがわかる。

人口わずか1万人のアハマディーヤは、人口1200万人以上のカシミールのなかではマイノリティの集団だ。一部のアハマディーヤは同州のなかでバラバラに居住しているが、ほとんどは南カシミールのクルガム、ショッピアン両地区の4つの村、カニポラ、シュラート、ヤリポラ、リーシナガルに住んでいる。

太く、色とりどりの文字で書かれた、平和、宗教間の調和、尊重といったメッセージが、これらの村々の共通の特徴だ。

そして、もし村人と会話することがあったなら、話はたいてい、学問、雇用、地球温暖化といった問題に発展し、この谷のあらゆるところで聞かれる反インド的な言葉に出会うことはないだろう。

分断の時代の統合

The disputed area of Kashmir/ Public Domain

カシミール渓谷の解放運動には約70年の歴史があるが、小康状態を保っていた時期もあった。しかし、7月にブルハン・ワニが殺害されてからは、渓谷全体が激しい暴力の応酬に見舞われている。治安部隊と分離・独立派が互いに攻撃を加えているのである。

情勢不安は、終わりなき封鎖、軍車両に対する待ち伏せ攻撃、分離主義者による投石と放火につながっている。治安部隊はそれに対して、催涙ガスやペレット(小弾丸)の発射、恣意的な家宅捜索と逮捕で応じている。その結果、被害は拡大しており、約100人の民間人が死亡し、600人以上が負傷している。

この混乱の期間を通じて、アハマディーヤの人々は反国家的なデモからは距離を取り、暴力的な抗議活動に参加することを拒んできた。代わりに彼らは、イスラムの真の教えにかなうと考えている「愛と平和」を説くことを実践してきた。

クルガム地区アスノール村のバシャラート・アフメド・ダール村長は「コーランの真の教えは皆を愛することです。これこそがモスクで教えられていることであり、子どもたちが聞いて育ち、実際の生活において実践されていることです。」と語った。

猛威を振るう迫害

アハマディーヤ(アフマディヤ、アムハディ、カディアヤンなどとも呼ばれる)は、インド・パンジャブ州カディアン出身のミルザ・グラーム・アハマド師(1835~1908)が1889年に始めたイスラム改革運動である。

ミルザ・グラーム・アハマド師は自らを「神聖な改革者」であり、イスラム教徒が待ち望んだ救世主であると主張した。この思潮に従う者はアハマディーヤと呼ばれている。

しかし、アハマディーヤ以外のイスラム教徒の多くは、これを反イスラム的であるとみなしている。というのも、彼らによれば、ムハンマドこそが最後の預言者であり、その後に預言者や救済者の出現はありえないからだ。

The White Minaret with the Ahmadiyya Flag in Qadian, India/Ceddyfresse - Own work, Public Domain
The White Minaret with the Ahmadiyya Flag in Qadian, India/Ceddyfresse – Own work, Public Domain

こうして、アハマディーヤは、愛や調和を説いてきたが、他の宗派から常に弾圧を受けてきた。アハマディーヤに対する攻撃は、石を投げつけたり、モスクを荒らす行為から、言葉や物理的な暴力、彼らを「非ムスリム」と呼び、ハジ(メッカへの巡礼)の権利を拒否する行為まで、枚挙にいとまがない。

2012年、そうした攻撃のひとつがカシミールで起こった。カシミールのムフティ・ムハマド・バシール・ウディン師が、アハマディーヤを「非ムスリム」と宣言する特別法を制定するよう要求したのだ。バシール・ウディン師によれば、隣国のパキスタンを含めた世界の複数の国がすでにアハマディーヤを「非ムスリム」と宣言しており、カシミールもこれに続くべきだというのである。

最近では、2015年10月、著名な政治家ミルワイズ・ウマール・ファルークが、アハマディーヤがカシミールに「触手を伸ばす」ことを防ぐべきだと訴えた。

皮肉なことに、カシミールの自決権の強力な主唱者であるファルークは、インド政府がカシミール民衆の声を抑圧しその人権を侵害しているとしばしば非難している。しかし、ことアハマディーヤに関して言えば、彼はその宗派から同じ権利を奪おうとしているのだ。

教育への着目

しかし、こうした敵対が続く中でも、アハマディーヤの人々は、教育と専門能力の向上に着目している。例えば、彼らは南カシミールで5つの学校を運営しており、それぞれが、質の高い教育と学業成績で知られている。アハマディーヤのほとんどの若者たちが単科大学や総合大学に学び、一部はクラスでトップの成績を収めている。

カディアンにある同宗派の本部が提供したデータによると、アハマディーヤの人々の識字率は95%と比較的高く(同州全体の識字率は66%)、医師や大学教授、政府高官に加え、300人の教員がいる。この小さな共同体としては驚くべき数字だ。

アハマディーヤの人々は年に1回、カディアンで大集会を開き、若者たちは学業やその他の成果について表彰され、さらに努力を重ねるよう奨励される。

SDGs Goal No. 4
SDGs Goal No. 4

カシミールで最も多くのアハマディーヤが住む村である、ショピアン地区リーシナガル村のアブドゥル・ラーマン・イトゥ村長は、「私たちは確かに差別に直面しています。常に生命を脅かされているというわけではありませんが、自分たちが憎まれていることはわかっています。」と語った。

「私たちは、彼ら(他の宗派の人々)が、平和のメッセージを伝える私達の書物に唾していることを知っています。しかし、私たちは子どもたちに対して、教育こそが良い生活への真のカギを握ると教えています。良い教育なしでは、子どもたちは指針を失い、多くの若者がそうであるように否定的なプロパガンダに洗脳され破壊的行為に身を投じることになりかねません。私たちは、コミュニティーを挙げて、そのような事態を避けようとしているのです。」

アイデンティティを隠す

イシュファク・アミン(安全確保のために本名は伏して取材に応じた)は、州の警察官である。クルガム地区の彼の住む村から1時間ほど離れたスリナガルに駐在するアミンは、教員としての第2の身分証明書を持っている。

通勤に使うタクシーが自宅に近づくと、公務員としての身分証明書を取り出してシャツの下に隠す。これは、分離・独立派やその支持者に身分が露呈し攻撃されることを防ぐための自衛手段である。アミンによれば、こうした過激派はあらゆる軍・警察関係者に暴行を加えるが、アハマディーヤを特に狙った殺人の恐怖が増しているという。

他にもコミュニティー出身の若者で警察や軍に出仕している者がいるが、全員が非番の際には暴行を受けることを避けるために職業上の身分を隠している。「制服を着ていない時ですら、彼らはカシミールの人々に仇をなす陰謀者と見なされ、攻撃の対象となっています。」とアミンは語った。

恐怖のなかの希望

クルガム地区カニポラ村に住む14歳の高校生アラファトは、いつの日か医者になり家族に恩返しをしたいと願う普通のティーンエイジャーだ。しかし、カシミールを離れてどこか別の場所で勉強しない限りこの夢は実現しない、とも考えている。

「ニューデリーに行ってアリーガル・ムスリム大学で学びたい。憎悪と暴力が蔓延するここカシミールではとても勉強どころではありません。」とアラファトはIDNの取材に対して語った。この取材から1週間もしないうちに、警察官である彼の父親は、自宅近くで分離・独立派とみられる人物から銃撃を受けた。…カシミールを取り巻く不穏な現実を浮き彫りにした事件だった。

アラファトが特別だというわけではない。今日、アハマディーヤの人々が暮らす村々では、男女を問わず、若い人々がカシミールを離れ、デリーか他の州で勉強することを考えている。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

一方高齢者は、若者にカシミールに留まってもらいたいと考えている。クルガム地区シュラート村の住民バルカート・アフメドは、ニューデリーで博士課程を修了して研究に従事している息子には将来的に帰って来てほしいと思っている。

アフメドは、実際に暴力行為に走っている分離主義者の数は、噂に反して実際には少数であり、自身のコミュニティーの多くの高齢者が抱いている見解と同じく、平和はいつの日かカシミールに戻ってくると信じている。

アフメドは、希望に目を輝かせながら、「私の宗派の指導者が説いてきたように、アハマディーヤの人々は、相互の尊重と寛容、真の教育を常々大切にしてきました。」と指摘したうえで、「様々な困難で引き裂かれた故郷に最終的に平和をもたらすものは、銃ではなくそうしたツール(=相互の尊重と寛容、真の教育)に他なりません。若者にはここに留まって、こうした前向きなメッセージを広げ、公正で公平な将来を構築するために貢献してもらう必要があります。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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著名な仏教指導者、核軍縮サミット開催を求める

【ベルリン/東京IDN=ラメシュ・ジャウラ、浅霧勝浩】

日本の仏教哲学者・平和活動家である池田大作氏は、世界の核兵器の90%以上を保有している米国とロシアの首脳会談を早期に開催し、核軍縮に向けた世界的なうねりを生み出すことを提唱した。

仏教団体である創価学会インタナショナル(SGI)の池田会長の提案は、2017年1月26日に発表された第35回平和提言「希望の暁鐘 青年の大連帯」に盛り込まれている。

この提言は、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が「まるで世界が戦争の準備を進めているかのようだ」と警告する中で出されたものである。ゴルバチョフ氏は『タイム』誌に寄稿した記事の中で、「今日の世界は問題で溢れかえっている。

政策当事者たちは困って、どうしたらいいか分からないようだ。しかし、政治の軍事化と新たな軍拡競争ほど、今日において緊急の問題はないだろう。この破滅的な競争を止め、反転させることが、私たちの最優先課題であるべきだ。現在の状況はあまりにも危険だ。」と述べている。

ゴルバチョフ氏は、国連安保理が「元首級」の会合を開き、「核戦争は許されず、決して遂行されてはならないと謳う決議を採択する」よう求めた。

池田会長の平和提言はまた、米国のドナルド・トランプ大統領が核の危険を減らすのか、それとも自滅的な軍拡競争につながる行動に訴えるのかについて、専門家が読み切れずにいる中で発表されたものでもある。

トランプ大統領が1月20日に第45代米国大統領に就任する5日前、『サンデー・タイムズ』紙は、「トランプ大統領の初外遊として恐らくはアイスランドの首都レイキャビクでロシアのウラジミール・プーチン大統領との首脳会談を計画している、とトランプ大統領の側近が英国当局に対して語った。」と報じた。同紙は、匿名筋の情報として、トランプ大統領が核兵器を制限する協定の策定を始めることを計画し、ロシアも会談開催に合意したと報じている。

同紙によれば、トランプ大統領はアイスランドの首都で1986年にロナルド・レーガン大統領(当時)がソ連のゴルバチョフソ連共産党書記長(当時)と行った首脳会談に追随しようとしているという。米ソ両首脳は、冷戦の最中、重要な核軍縮条約を策定すべく会談を行った。しかし、トランプ政権のショーン・スパイサー報道官はこの報道を否定し、ツイッターで「100%事実無根」と述べている。

池田会長は平和提言で、師である創価学会の戸田城聖第2代会長が60年前の1957年に発表した「原水爆禁止宣言」を想起している。戸田会長は、核抑止は幻想に過ぎないことを明らかにしようとし、核兵器の使用は決して正当化されないと力説した。

池田会長は12月23日に国連総会で採択された決議を歓迎している。これは、(軍縮と国際安全保障問題を扱う)国連総会第一委員会が10月27日に採択した決議を受けたものである。同決議は、一部の核保有国からの強い反対を受けながらも、核兵器禁止条約に関する交渉を開始することを決定したものである。

国連総会は、「核兵器を禁止しその完全廃絶につなげるような法的拘束力のある文書」を交渉するすべての加盟国に開かれた会議を2017年3月から開始することを決めた。ニューヨークの国連本部で開催される予定のこの会議は、3月27日~31日と6月15日~7月7日の2つの会期に分かれている。

池田会長は、この交渉に核保有国の参加が厳しい予想ではあるが、唯一の戦争被爆国である日本には、できるだけ多くの国々に参加を働きかける道義的責任がある、と強調している。

池田会長は、そうした法的文書の制定は、いかなる国にも核戦争による惨劇が絶対に繰り返されないための地球的共同作業である、と指摘したうえで、核兵器禁止条約は、核不拡散条約(NPT)に一致すると強調している。NPTの第6条は、完全な核軍縮に向けて誠実に交渉を行うことを締約国に求めている。

池田会長は、この交渉プロセスにおける市民社会の行動は、核兵器禁止条約を「民衆の主導による国際法」として確立する流れを作り出す力になると見ている。

SGIの35回目の平和提言の重要性は、この提言が『原子科学者紀要』の科学・安全保障理事会が、「世界終末時計」の70年の歴史上初めて、この象徴的な時計の針を、午前0時(=人類の絶滅)に向けて30秒進めた(=あと2分30秒)日と同じ1月26日に発表された点にある。

世界終末時計の針を動かす決定は、『原子科学者紀要』科学・安全保障理事会が、15人のノーベル賞受賞者を含む同誌の支援者会議との協議のうえで行っている。

『原子科学者紀要』は「理事会は、米国の新大統領であるドナルド・トランプ氏というたった1人の言葉を元にこの決定をなしたが、これもまた初めてのことだ。」と述べている。

終末時計に関する科学・安全保障理事会の声明全文は、2016年1月には時計の針は動かされず「午前0時まで3分」に留まったと指摘している。なお、2015年には時計の針が「午前0時まで5分」から「3分」に進められ、1980年代の軍拡競争の時代以来、午前0時に最も近づいていた。

理事会はさらに、「2016年を通じて、核兵器と気候変動という人類の存在を脅かす最も緊急の脅威に効果的に取り組むことに国際社会が失敗する中で、世界の安全保障環境は悪化した。」と述べている。

「この既に危機的な世界情勢は、2016年にナショナリズムが世界的に高揚したことが背景にある。例えば、米国大統領選で勝利を収めることになるドナルド・トランプ氏は選挙期間中、核兵器の使用と拡散について不安感を煽る発言をし、気候変動に関して科学的に圧倒的な一致を見ている事柄についての不信を表明した。…」

「史上初めて、針を1分未満動かすという理事会の決定は、この声明を発表する時点で、トランプ氏が米国大統領に就任してほんの数日であるという、単純な事実を反映している。…」

こうした背景により、核兵器を禁止し「核兵器なき世界」を導くための重要なステップとして、核軍縮に向けた世界的な流れを構築するよう繰り返し訴えてきた池田会長の提言に、さらなるスポットライトが当たることになる。

また池田会長は、こうすることで、アントニオ・グテーレス国連新事務総長をはじめとする勢力と、手を携えていくことになる。グテーレス事務総長は、「軍縮は、既存の紛争を終わらせ、新たな紛争の発生を予防するうえで、重要な役割を担いうる。」と論じ、「すべての大量破壊兵器の廃絶と通常兵器の厳格な規制を積極的に追求する」ことを誓っている。

グテーレス事務総長は、1月23日に2017年(全3会期)の第1会期を開始したジュネーブ軍縮会議へのビデオメッセージで、「私は核兵器なき世界の実現に向けて最大限努力します。」と宣言している。(原文へ)

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1発の銃弾も撃つことなく存続するイラン核合意

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【ワシントンDC・IDN=ロドニー・レイノルズ】

昨年の米大統領選挙の真っ最中、共和党のドナルド・トランプ候補はテレビの生放送で、159ページに及ぶイラン核合意を破棄すると脅しをかけた。

トランプ氏はイラン核合意の正式名称である「共同包括的行動計画」(JCPOA)を、「愚か」「面汚しの一方的合意」「これまでの交渉で最悪」などと特徴的な「トランプ語」で非難した。

Donald Trump/ The White House
Donald Trump/ The White House

トランプ氏は1月20日に第45第アメリカ合衆国大統領に就任するが、彼はこれまでの自身の脅し文句やレトリックを押し通すだろうか、それともそれらは全て政治的な大言壮語なのだろうか。

あるいは、彼がしばしばツイッターでつぶやいているように、「言葉だけで行動が伴わない」ことになるのだろうか。

イラン核合意から1年となる今年1月16日、主な交渉当事者のひとりで、間もなく退任するジョン・ケリー米国務長官は、イラン核合意に完全なる信頼を寄せる点で揺るぎない態度を見せた。

「イラン核合意は、1発の銃弾も撃つことなく、1人の兵士も戦場に送ることなく、深刻な核の脅威の問題を解決したのです。しかも、この核合意は、国連安保理において全会一致で承認され、世界100カ国以上の支持を得ています。」とケリー長官は語った。

「イラン政府との間には、なお重大な意見の隔たりがあり、同国によるテロ支援や、人権の軽視、中東地域を不安定化させる活動を食い止めていかなくてはなりません。しかし、米国や、中東におけるパートナーや同盟国、そして国際社会全体は、イラン核合意によって、より安全になったのです。」とケリー長官は力説した。

米国では誤解があるが、イラン核合意はイラン・米国の二国間合意ではない。それどころか、国連安保理の常任理事国である世界の5大国(米国・英国・フランス・ロシア・中国)とドイツ(P+1)、さらには、欧州連合が当事者として関与している。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)軍縮・軍備管理・不拡散プログラムの責任者タリク・ラウフ氏はIDNの取材に対して、「あらゆる合理的、技術的根拠から見ても、イラン核合意は順調に履行されています。」と語った。

イランは、合意に基づいて核措置の一部を履行し、現在も継続している。このことは国際原子力機関(IAEA)も、四半期報告で定期的に確認している。

IAEA
IAEA

ラウフ氏は、「イラン核合意に代わる合理的な案などあり得ません。まともな精神の持ち主ならば『よりよい合意』などないことがわかるはずです。」と語った。

2002年から2012年まで核査察や不拡散、軍縮問題を取り扱うIAEAの主席職員だったラウフ氏は、「イスラエルの軍・諜報部門やサウジアラビアのトゥルキ・ファイサル王子(サウジ諜報部門の元トップ)などがイラン核合意の継続をいまや支持しています。それは、この合意がイランの核計画を制約するうえで効果的であり、明らかに機能していると彼らがみなしているからです。」と語った。

ケリー長官は、国務省が1月16日に発表した声明で、イラン核合意は「イランによる核兵器取得を阻止し、重大な国際的難題に対処する継続的で、原則的で、多国間の外交の力を示した歴史的了解」であると述べた。

「このきわめて高度に技術的な協定を履行するには、P5+1、欧州連合、イランというすべての当事者による相当な努力が必要とされます。」とケリー長官は指摘した。

IAEAが、集中的なアクセスと監視に関する規定を通じて合意の検証を続ける中、合意が機能しており、すべての当事者が約束を果たしているのは疑いない、とケリー長官は断言した。

ケリー長官はまた、合意履行における詳細についてもいくらか触れた。

イランは濃縮ウランの98%をすでに移出し、遠心分離器の3分の2を解体し、プルトニウム炉にコンクリートを注入し、これまでで最も厳密な核査察体制を履行している。

1月16日、IAEAは、イラン核合意における別の約束を果たすために、合意された1年の期限が来るのを前に、イランがフォルドウ燃料濃縮工場の機器を撤去したことを確認した。

「米国と我々のパートナーは、核関連制裁の解除という約束を完全に履行してきています。イランが合意に従うかぎり、我々も約束を守り続けます。」とケリー長官は明言した。

Tariq Rauf
Tariq Rauf

しかし、SIPRIのラウフ氏はIDNの取材に対して、「米国とイランの両国において、イラン核合意に強硬に反対する勢力は依然として強力です。」と語った。

「ドナルド・J・トランプ氏が当選し、米議会内のイデオロギー的な共和党勢力と、イランの強硬な保守的宗教勢力と革命軍勢力は黙っておらず、イラン核合意に関して障害を生み出すかもしれない。」とラウフ氏は語った。

「イランのハサン・ロウハニ政権が名実ともにイラン核合意を良心的かつ誠実に履行するようにさらなる努力をすることで、米共和党内における親イスラエル勢力をいたずらに挑発しないようにすることが絶対必要だ」とラウフ氏は指摘した。

 共和党勢力は、人権や地域安全保障、石油輸出などの問題で一歩踏み出し、イラン核合意の崩壊につながるような反応をイランから引き出そうとする可能性が高い。

「ロウハニ政権が挑発に乗って報復することなく自制し、イラン核合意を完全に履行することで、米国内の共和党強硬派からの否定的な行動や挑発を国際社会が非難するように仕向けてくれるといいのだが。」とラウフ氏は語った。(原文へ

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|御木本真珠島|世界初の真珠養殖に成功した島

【東京/志摩INPS Japan=浅霧勝浩】

「『世界中の女性を真珠で美しく飾りたい。』これは1954年に96歳で他界した御木本幸吉が終生望んだ夢でした。」と、株式会社御木本真珠島の柴原昇取締役は、同社が経営する「ミキモト真珠島」の島名の由来でもある創業者の銅像の前で、私たちに説明してくれた。

柴原氏はさらに、「御木本幸吉は、その夢を実現するには、尾崎行雄が目指した民主主義の理念に基づく平和と信頼関係が諸外国との間になければならないことを理解していました。」と語った。

Ozaki Yukio Memorial Foundation
Ozaki Yukio Memorial Foundation

三重県旧宇治山田市(現伊勢市)選出で、雅号「咢堂(がくどう)」でも知られる尾崎行雄は、衆議院議員を63年務め(1890年~1953年)、「憲政の神様」「日本の立憲民主主義の父」として今なお尊敬を集めている。一方、御木本幸吉は、尾崎行雄の最大の理解者の一人であり、両者は奇しくも同じ1858年に生まれ、1953年に他界している。

「私は、いえ私たち社員は、二人の意志を引き継ぎ、関係機関・団体のみなさまと連携協力し、これからも民間外交の一端を担っていきます。」と柴原氏は語った。

尾崎行雄とも縁が深い日米親善の伝統的行事であるワシントン「桜まつり」では、1957年以来、新たに選出される「全米さくらの女王」の頭上に、ミキモトが寄贈した「真珠の王冠」が載せられている。ミキモトはまた、「全米さくらの女王」一行が親善使節団として来日(内閣総理大臣や国会議長等を表敬訪問)する際には、三重県鳥羽市(名古屋から南西150キロ)にあるミキモト真珠島でも一行を歓迎し、女王に真珠を贈呈している。

全米さくらの女王一行の三重県訪問については、2010年以来伊勢市の委託で「尾崎咢堂記念館」を運営管理しているNPO法人咢堂香風(2006年設立)が、受入・日程調整等全般を担当している。

記者らも、G7伊勢志摩サミット取材のため三重県を訪問した際に、咢堂香風の土井孝子理事長の案内でミキモト真珠島を訪問した。ここは御木本幸吉が1893年に世界で初めて真珠の養殖に成功したゆかりの島であり、現在はパールブリッジで本土とつながっている。伊勢湾の美しい景観に囲まれた緑豊かな島内には、株式会社御木本真珠島が運営する、真珠博物館(養殖過程等の展示・真珠宝飾品・美術工芸品の展示)、御木本幸吉記念館、パールプラザ(真珠製品などミキモトブランド商品・オリジナル商品等の販売、レストラン)、海女スタンド(海女によるアコヤ貝の採取実演を見学)などの建物があり、ゆったりと真珠の魅力に浸ることができる。

ミキモト真珠島はまた、G7伊勢志摩サミットにおける配偶者プログラムの訪問地に選ばれ、5月26日午後には、カナダのドルトー夫人、ドイツのザウアー夫君、トゥスク欧州理事会議長夫人、安倍昭恵総理夫人が同島を訪問した。

Mikimoto Pearl Island
Mikimoto Pearl Island

その2日後、記者らは柴原氏の案内で、海底に潜ってアコヤ貝を採取する海女の実演を見学した。ミキモト真珠島では、真珠養殖を支えた海女の活躍を記念するために、年間を通じて海女の実演を行っている。昔ながらの白い磯着の海女がみられるのは今ではここミキモト真珠島だけになったと言われている。

御木本幸吉記念館は、幸吉の郷土との深い関わりと、波瀾に富んだ生涯と業績をテーマに、生家「阿波幸」の復元、鳥羽に残る幸吉の足跡、当時(明治時代)の鳥羽の様子が一目でわかるジオラマなど、数多くの写真や実物、説明パネルを時代順に展示している。ここに展示されている幸吉愛用の日常品やコレクションなど、遺品の数々は、幸吉独特の人生哲学や暮らしぶりを伝えている。

御木本幸吉は1958年に鳥羽市で代々うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれた。郷里の志摩地域で採れる真珠の美しさと価値を理解していた幸吉は、当初しばらくあこや貝の増殖に取り組んだ後、前人未到の真珠の養殖実験に取り掛かった。そして1893年には、ついに真珠の養殖に成功(5粒の半円真珠の誕生)、1908年には真円真珠養殖法の特許を取得している。

柴原氏は、ミキモトが1926年のフィラデルフィア万博に出品した「法隆寺五重塔」の縮尺模型(12,760個の真珠を使用)等、真珠博物館に展示されているいくつかの精巧な作品を見せてくれた。

「パールクラウン1世」は、1987年の『養殖真珠誕生85周年』を記念して制作された作品で、デザインは、1911年の英国王ジョージ5世とメアリー王妃の戴冠式のために作成された「メアリー王妃の王冠」をモデルにしており、18金地金700グラムに872個のミキモト養殖真珠と188個のダイヤモンドが鏤められている。

「パールクラウン2世」は、中世ビザンチン様式の王冠をモデルに制作された作品で、王冠のトップに16ミリの真珠をあしらい、18金地金950グラムに796個のミキモト養殖真珠と17個のダイヤモンドが鏤められている。また王冠上部のベルベット地の表面にピンクの真珠をあしらっている他、真珠の一部は固定されずペンダント状に付けられているため、動くと漣のように揺れる構造となっている。

そして「真珠の地球儀」。幸吉は、事務所の部屋に大きな地球儀を置いて、客が来るとそれをくるくる回して『わしは毎日世界を飛び回っているのだ』と言ったといわれている。つまり、「地球儀」は、広い視野で世界を見据えて真珠の事業を進めてきた幸吉の精神を象徴するものだった。

Kokichi Mikimoto/ Mikimoto Pearl Island

アメリカ独立の象徴でもある「自由の鐘」(真珠12,250個、ダイヤモンド366個を使用)も、真珠博物館に展示されている代表的な作品である。有名な鐘の「ひび割れ部分」も、実物と同じような青真珠で表現されている。「ミキモトがこの作品を、1939年(昭和14年)にニューヨーク万国博覧会に出品した際には、『百万ドルの鐘』として大評判になりました。」と柴原氏は語った。

柴原氏は、「この『地球儀』は、人類の地球環境への関心を高めるために、1990年(平成2年)に制作された、ミキモトの職人芸の粋を凝らした作品例です。このユニークなデザインと宝飾を施した地球儀は、それまでに作られたどの地球儀にも似ていません。」と、解説してくれた。

この「地球儀」は、一見すると不安定に感じるが、回転する姿は角度によって様々な表情を見せる。地球本体を支える軸はブロンズ製黒紫仕上げの円柱で、地軸に合わせた傾斜角が付けられている。円柱には黄道十二宮の各星座が真珠と金の高肉象嵌技法(地板面より金線を高く出す技法)で表されており、これにより、真珠の球形と相まって立体的な効果を出している。また、台座はブロンズ鋳造による直径70cmの12角形で、それぞれの面には日本の季節を代表する草花を銅版に彫金し、美しい金銷技法で仕上げた花卉文薄肉彫が取りつけられている。

また御木本幸吉記念館では、米国の著名な発明家で事業家のトーマス・エジソンが御木本幸吉に宛てた手紙を見かけた。これはエジソンと幸吉が、ニュージャージー州ウエスト・オレンジにあるエジソンの研究所を一緒に訪れたあとに書かれたものだ。

The Pearl Globe/ Mikimoto Pearl Island
The Pearl Globe/ Mikimoto Pearl Island
Thomas Edison/ Public Domain

エジソンは、「親愛なる幸吉」としたためたこの手紙の中で、「真珠の養殖という、生物学的に不可能とされていたことを可能にしたあなたの業績は、世界の不思議の一つですね。」と述べている。これに対して幸吉は、「あなたが世界の発明家たちの仰ぐ月ならば、私は小さな星の一つに過ぎません。」と返答している。

真珠は、数千に及ぶカルシウムの結晶と真珠層タンパク(コンキオリン)が交互に重なった層状をなしており、その価値は、大きさ、形、色、光沢、キズによって決められる。中でも最も重要な要素は真珠層の厚さである。またネックレスやマルチパールブローチでは、全体の調和・バランスも重要な要素となる。

パールプラザには、1階にミキモト製の豊富な真珠製品・オリジナル製品を取り揃えた「パールショップ」、2階には鳥羽湾の絶景を眺めながら食事が楽しめる「レストラン」がある。

SDGs Goal No. 14
SDGs Goal No. 14

「世界中の女性を真珠で美しく飾りたい。」という御木本幸吉の夢は実現された。ミキモトの店舗は、日本国内はもとより、パリ、ニューヨーク、シカゴ、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコ、上海、シンガポール、ムンバイ他にも出店をはたし、世界の一流宝石店として高い評価を得ている。柴原取締役は、新たな顧客と市場を求めて世界に熱い視線を注いでいる。

またミキモトでは、企業の社会的責任(環境CSR)を念頭に、自然環境の保全と永続的な養殖事業のために、排出物ゼロ(=真珠の養殖過程での排出物を全て活用すること)を目指した、ゼロ・エミッション型の真珠養殖を推進している。具体的には、真珠を採収した後の貝肉や貝殻からコラーゲンや真珠層タンパク(コンキオリン)、パールミネラルなどの有用成分を抽出して化粧品や健康食品の原料として利用している。さらに、貝殻を装飾品や土壌改良剤として、また貝肉残渣物や養殖中の貝殻の付着生物を堆肥(コンポスト)として活用している。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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|インド|ダリットの声なき声を主流メディアに持ち込む闘い

【チェンナイIDN=ジェヤ・ラニ】

どこであれ読者がこの記事を読んでいる間に、インドのどこかで、誰かが殺され、あるいは強姦され、辱められ、権利を侵害されている。しかもそれは、その人物が「ダリット」と呼ばれる下層カーストの出身というだけの理由でそのような目に遭っているのである。

全国犯罪記録局の「代わり映えのしない」統計によると、インドでは2時間ごとに1人のダリットが暴行を受けている。また少なくとも、24時間ごとに、3人のダリット女性が強姦され、2人のダリットが殺害され、2軒のダリットの家屋が放火されている。

インド各地で横行しているダリットに対する蛮行を取り扱った報道に関しては、速報で伝えられることもなければ、高い視聴率を獲得することもない。しかし、しばしば「世界最大の民主主義国」と称されるこの国(=インド)において、なぜこうした問題が取り上げられることがないのだろうか?

暴力がポルノビデオよりもセンセーションを引き起こすこの時代にあっては、ダリットに対する暴力を伝える唯一の有益な手段は、コマーシャリズムの活用だろう。インドの60万の村落が、支配的なカーストの住むウール(oors)とダリットの住むチェリ(cheris)に隔離されているかぎり、そして、支配的なカーストだけがものを書き、カープ・パンチャーヤト(全員男性からなる無選挙の村の長老会)を通じてダリットに対して慣習法を強制しているかぎり、本来ならば、ダリットに対する暴力に関連したニュースには事欠くことがないだろう。

Illustrated Proverb: Blind men and the Elephant/ Pawyi Lee – Phra That Phanom chedi, Amphoe That Phanom, Nakhon Phanom Province, northeastern Thailand., Public Domain

インドの主流メディアが現実に目覚め、今日のインドにおけるカースト支配がいかに醜悪なものかを真に理解することを願う。インド各地でカーストに起因するどのような蛮行が実際に起きているのか、私たちはその全貌を知る由もない。今日のインド社会が、カーストに起因する蛮行の実態に対して無知なさまは、まさにあたかも、「群盲象をなでる(盲人らが象を撫でて感想を言い合っている様子=真実の全貌や多様性が理解されない様子を比喩したもの)」がごとしである。

数千にのぼる紙媒体のメディアと数百のテレビメディアは、今後も読者や視聴者に常に新しいものを提供し続けていくだろう。しかし、ダリットに対する蛮行の実態を、メディアはいかにして認識するのだろうか? メディア各社は、1日に、1週間に、ひと月に、或いは1年間に、ダリットに対する暴力にどれだけのスペースを割くのだろうか?

ダリットに対する犯罪は、毎年10~20%の割合で増えている。公正な社会なら、ダリットに対する暴力を取り扱うメディアのスペースも、これと比例して伸びていなくてはならないはずだ。しかし、実際はどうか? 私たちはそうはなっていないことを知っている。では、なぜそうなのかを考えてみよう。

厳格なカースト秩序がある社会のように、メディアやジャーナリストもまた、カースト秩序の上で活動しているのだ。つまり、民主主義の4本目の柱が、本来は正義の灯を高く掲げるべきにもかかわらず、カースト秩序の圧力に負けて崩れてしまっている。

主流メディアは、貧困層のため、抑圧された者のためには存在していない。権力や官僚制、支配への忠誠から業界を作り上げてきた。紙媒体やテレビを含む主流メディアのオーナーの95%以上が、支配的なカーストの出身だ。最上位の地位にある者の約7、8割は支配的なカーストの男性によって占められている。ダリットは、この国のメディアの決定権に関して言えば、その1%も占めていない。

英語メディアは、時々ではあるが、カーストの蛮行に関する報道も行ってきた。しかし、ダリットに対する暴力にほんのわずかでも関連するような報道は、地元言語のメディアでは完全に排除されている。ダリットのジャーナリストは、最終的には、家族や社会など様々な要因からこうした地元言語のメディアに行きつくことになる。

The Three Wise Monkeys carved on a stable housing sacred horses at Tōshōgū shrine, Nikkō, Japan
The Three Wise Monkeys carved on a stable housing sacred horses at Tōshōgū shrine, Nikkō, Japan

ほとんどのダリット出身のジャーナリストは、第一世代の輩出者だ。彼らは「望ましい肌色(=支配カーストに多い、色素が比較的薄い皮膚の色)」を持たず、英語もうまく使えない。地元メディアは彼らを採用しても、その扱いの実態はひどいものである。これは私自身の経験からも言えることだが、彼らは昇進や昇給に関しても、他の(支配)カースト出身のジャーナリストらとは同等とみなされず、差別的な扱いを受けている。

私が働いたメディアグループでは、10年勤務したのちでもわずか1万8000ルピーしか支払われなかった。私はデイリー番組の放送作家を務め、昼夜を分かたず働き、仕事で尊敬を集めてもきた。しかし、昇給の時期になると、わずか100ルピーの昇給さえなかった。ある後輩は、仕事量も少ないのに、他のカースト出身だということでより高い昇給を得ていた。彼女の給与は4万ルピーだった。これが、ダリットが主流メディアで直面する現実である。ダリット出身のジャーナリストには、メディアが提供する限られた空間に合わせて身を縮めて働き続けるか、仕事を完全に辞めてしまうかの選択肢しかないのである。

私がジャーナリズム専攻の大学生だった頃、マンジョライ茶農園におけるダリット労働者の抗議運動と、17人の死につながった、警察当局による暴力について、記事を書いたことがある。

これが大学発行の雑誌に掲載されたために、私は停学処分を食らいかけた。これが私にとって初めての記事であり、この経験から、カーストに関連した残虐行為についてもっと書きたいという情熱にかき立てられるようになった。しかし、仕事の口を求めて主流メディアに移ると、私は大きなショックを受けた。意気阻喪させることが2つあった。一つは、地元出身のジャーナリストは、社会・政治ネタを扱う記者としては「好ましからざる人物」とみられていた現実である。そしてもう一つは、大量殺人でもないかぎり、ダリットに対する暴力に関して、主流メディアの目は決して向けられない、という現実であった。取材についてアイディアを出しても採用されることはなく、私はまるで「反抗者」とでも見られているかのようだった。

仕事を始めて間もなく、ものの数か月もしないうちに、私は女性雑誌の記者職に回された。私は、パンチャーヤトの女性代表についての連載を提案した。女性雑誌にはそぐわないとして何度も提案は却下されたが、私は諦めなかった。ようやく提案が受け入れられたとき、私は、面談が可能そうな5人のリーダーのリストを作成し、第一弾として、メナカという名の女性代表とのインタビューを設定した。彼女は当時、カンチプラム地区のオーラパッカム・パンチャーヤトの代表だった。当時私は、彼女がダリット出身者だとは想像もしていなかった。

私は、彼女が女性として直面する困難について語ってもらおうと考えていた。しかし、メナカが語ってくれたのは、ダリットとして直面していた困難についてであった。彼女は、支配的なカーストの人々が、パンチャーヤトの代表として彼女が座るはずの椅子に絶対に座らせてくれないと語っていた。殺人の強迫も受けたという。支配カーストの人々は、彼女を辞めさせたがっていた。そこで彼女は警察に告発したが、警察は動かなかった。

私は彼女の取材に1日を過ごし、翌日に出社して記事をまとめた。しかしこの原稿もボツにされた。記事は明らかに、その女性雑誌には不向きだった。編集長は代わりに「料理のレシピを書け」と要求してきた。

その夕方のことは、今でもはっきり覚えている。強い心理的なプレッシャーの中、私は、もしレシピだけを書けと言われるような職場を辞めたらどうなるか、と考えながら道を歩いていた。その時、夕刊の広告欄が目にとまった。そこには、あるパンチャーヤトの代表が殺害されたと書かれていた。その新聞を買いながら私の手は震えた。最悪の恐れが実際のものになったのだ。メナカは、パンチャーヤト事務所の代表席に座ったために殺害されたのだった。

International newspaper by Stefano Corso, Wikimedia Commmons

私は、この新聞を編集者に突き付けて、抗議した。しかし彼女は表情一つ変えず、早くレシピの記事を済ませろ、と命じてきた。

私はその夜、上司の許可をとらずにオーラパッカムに向かい、メナカの葬式に参列した。チェンナイに戻ってくると、同じグループによって発行されている調査報道を主とする雑誌の編集者を訪ねた。彼は、メナカのインタビューを掲載することに同意してくれた。結局この記事が、メナカが殺害される前の最後のインタビューとなった。皮肉にも、その記事は、彼女が殺害されたことで、ニュースとしての価値が認められたのだ。

私は、もはやこのメディアグループで働くことができないと感じた。さんざん考えたあげく、主流メディアの実態が理解できた。経済的な自立を確保し、反カーストのジャーナリズムを前進させる必要性を痛感した。しかしそれは主流メディアでは不可能だった。そして私は、オルタナティブ・メディアに活動の場を見出した。

カースト撲滅を唯一の目的に掲げる雑誌『ダリット・ムラス』が私の活動拠点になった。主流メディアでは扱えなかったカースト問題について書いた。しかし、私はこれを別のペンネームで出版した。15年に及ぶ『ダリット・ムラス』誌上での私の記事は、「ジャアティヤトラバリン・クラル」(Jaathiyatravalin Kural、「カーストなき女性の声」の意)という名前で書かれ、一定の評価も得ている。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

これはあくまで私の個人的な経験であり、すべてのダリットのジャーナリストが、必ずしも私のように幸運でなかったことはわかっている。編集会議で提案を拒否され続けても、私はあえて、カーストに起因する蛮行の実態について提案し続けた。このことで他人の目を気にするのはやめた。声なき人々の声になることがジャーナリストとしての私の使命だと自分に言い聞かせた。しかし、ダリット出身のジャーナリストがダリット問題について書いたり発言したりすると、同僚たちは、それは「カーストへの親愛」だとか「カーストの誇り」だとか言う。しかし、ダリットが自分のカーストにどうして誇りを感じたりできるものだろうか?

ダリットに関するニュースを、制作の現場により多く持ち込む戦略を立てねばならない。報道機関は、他の権利と並ぶ要求の一つとして、ダリットの実態を公正に取り上げなければならない。ダリットのジャーナリストに対する人権侵害を監視し、そうしたことが起こった場合に行動を起こすようにしなくてはならない。メディア業界は、ダリットのジャーナリストにもっと門戸を開く、独立した存在になってほしい。職場は、ダリット出身者にとっても尊厳と尊重を享受できる場となるべきだ。(原文へ

※ジェヤ・ラニは、タミル・ナドゥ出身で15年以上の経験を持つジャーナリスト。現在、チェンナイの主要なタミル語日刊紙『ライフスタイル』の編集者。

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ】

ビンカ・バルンガさんは、オーストラリア西部の遠隔地ダービーで、先住民族モワンジャムのウォーララ族の一員として生まれた。彼女は幼少期から、病気に苦しみ自殺する同胞を目の当たりにしてきたことから、いつの日か医者になって、この苦しみの連鎖を断ち切りたいと決意した。バルンガさんは、西オーストラリア大学医学部を今年卒業したトレス海峡諸島民(ATSI)出身の医学生6人のうちの一人だ。

オーストラリアには先住民の医者が300人弱しかいないが、状況は少しずつ改善しつつある。バルンガさんは、州都パースから北に約2400キロのキンバリー地区にある彼女の出身地で初めての常駐医師になりたいと考えている。この町は、2つの極端な季節を持ち三方を干潟に囲まれた、資源豊かな北部地域への入口に位置している。

熱帯性で非伝染性の疾病、腎臓病、皮膚や耳の感染症がここではよく見られる。「また、ここには外来の病気に苦しめられてきた長い歴史もあります。ダービーにはかつてハンセン病療養所があったため、ハンセン病に罹患した多くの先住民が暮らしていました。」とバルンガさんは語った。彼女は、アルコールと高糖度の食事が同胞である先住民に大きな悪影響を及ぼしているとみている。

ダービー・アボリジニ医療サービス(DABS)は一般医によるアポなし診療を提供しているほか、全長670キロに及ぶギブリバー・ロード沿いの遠隔地における出張サービスも行っている。小さな村々の診療所を訪問する看護師がおり、医師もできるだけ頻繁に巡回診療を行っている。

「この地域の先住民はもっぱら移動生活を送っており、集団の遠さが24時間体制の医療を困難にしています。医療が利用できる場合でも、あえて利用しないケースが少なくありません。というのも、彼らはたとえ同じ診療所に通っても、全然知らない医者に診てもらうことになるからです。信頼を築くのは難しく、これは人々の健康維持にとってきわめてよくない状況です。」とバルンガさんは語った。彼女は、非先住民族である母親を18歳の時に脳腫瘍で亡くし、医学部5年生の時に、アルコール過剰摂取で悪化した病気を長年患っていた父を亡くしている。

バルンガさんは、ダービー地域診療学校での10カ月の研修期間中、子どもたちが彼女を憧れの目で見つめ、老人たちが彼女を誇らしげに思っていることに気付いた。先住民の多くの患者たちが、バルンガさんをはじめとする先住民の医師たちを、実際には親戚でないにも関わらず、叔母や叔父として、あるいは姪や甥として接してきたのである。

「みんなが無意識のうちに拡大家族の一員になったのだと思います。先住民の患者の入院や病気、癒しの経験に同じ先住民の医師たちが及ぼす好影響は計り知れません。わずかな社会的、精神的支援があれば、不思議と機能するものです。従って、先住民の医者を増やせば、先住民やオーストラリアの医療に良好な影響を及ぼすことになると思います。」と27歳のバルンガさんは語った。彼女は、様々な困難があるものの、先住民族と非先住民族の間の医療格差は彼女が生きている間に縮小されるだろうと期待している。

「私たちは前向きな面に目を向けなくてはなりません。こうした前向きな変化に私達は貢献できるし、私としても何とか貢献していきたいと考えています。一番うれしかったのは、キンバリーのフィッツロイ・クロッシングの女性たちがアルコール摂取を制限し、胎児性アルコール症候群を抱える子どもや家族の診断や健康管理、セラピーに大きな前進が見られたことです。」とバルンガさんはIDNの取材に対して語った。

先住民はオーストラリアの全人口2400万人のうち、わずか3%しか占めていない。しかし彼らの健康状況は圧倒的に悪く、自殺率、ドラッグ・アルコール消費率、収監率、ホームレスの割合、貧困率等どれをとっても、人口全体の平均よりもかなり劣悪な状況にある。

首相による2016年の「格差縮小レポート」によれば、児童死亡率の格差を2018年までに半減させる目標は達成の過程にあり、先住民の子どもが予防接種を受ける確率は高くなっているという。もっとも、先住民全体の死亡率は1998年よりも16%減少しているものの、2031年までに平均余命の格差を縮小する目標の進捗は遅れている。先住民は、オーストラリアの非先住民よりも寿命が平均して10年短いのである。

Department of the Prime Minister and Cabinet

トレス海峡諸島民の保健に関する研究を行っている国家機関「ロウィトジャ研究所」(メルボルン)のロミリー・モカック所長は、「先住民族の健康状況が好ましくないのは、植民地化という長年の負の遺産に原因があります。」と語った。

植民地化に由来する諸政策は、(白人)植民者を優遇し、『ファースト・ピープル』(先住民族)の非人間化を推し進めるという、本質的に人種差別主義に基づくものでした。先住民は、文化や言語を奪われ、長く住み慣れた土地を追われ、子供たちは家族から強制的に引き離されました。こうした植民政策が先住民に残した爪痕は、今日でも世代を超えたトラウマとして語り継がれています。」とモカック所長は語った。

英国が1700年代にオーストラリアに上陸した際、そこは「無主の地」であるとの宣言がなされ、この大陸に7万年近く住んできた先住民の存在は無視された。1900年から1970年の間に、アボリジニの血を「洗浄」し、彼らに「より良い生活」を与えるとの名目のもと、政府はトレス海峡諸島民の子どもたち数万人を親元から引き離した。その多くは施設に送られ、そこで虐待を受けたり放置されたりした。

「こうした先住民の家族や文化に対する妨害と破壊は、常に存在しています。また、公然と、さらには体系的あるいは制度化された形の人種差別が蔓延している事態にも私たちは対処しなくてはなりません。多くの研究によれば、これは(先住民の)健康と厚生に悪影響を及ぼしています。」と、オーストラリア西部ヤウル民族の一員で、ドジュグン出身のモカック氏は語った。

Detail of the Great Australian Clock, Queen Victoria Building, Sydney/The original uploader was Bjenks at English Wikipedia – Transferred from en.wikipedia to Commons.

モカック氏は、「第二に、これはサービスの提供、あるいは国家の資源配分や政策決定の平等の問題で、本質的に見れば権力がいかに行使されるかという問題です。権力の回廊において、私達先住民は見えない存在です。先住民はたいていネガティブなものとして描かれ、彼らとの実際の接触あるいは緊密な接触がないほとんどの人々は、先住民をきわめて狭いレンズを通じて眺めているのです。」と指摘したうえで、「先住民政策は、草の根の先住民社会を政策決定のトップに置いた『逆ピラミッド型』でなくてはなりません。」と語った。

以前より多くの先住民族の子どもが高等学校までの教育課程を終了し、とりわけ医学の分野で大学を卒業するようになっており、改善はみられている。

Map of Australia
Map of Australia

カタリーナ・ケラーさんは、彼女の家族の中で初めて看護の学位を取得した。オーストラリア南部の西端にある荒涼としたナラボー平原の入口にあるセドゥナで育ったケラーさんは、新鮮な海の幸を楽しみ、先住民族のコカタ社会で伝統的に使われてきた、低木から作る薬に魅せられてきた。しかし一方で、合併症のために若い人々が亡くなっていく現実も苦い思いで目の当たりにしていた。

ケラーさんは、部族の人々が寿命を延ばし、より健康的な生活を送れるような仕事をしようと決意した。「私にとって、同じような文化的背景を持つ先住民の患者さんたちとつながりを持つのは容易なことでした。彼らは気兼ねなく自分たちの問題を話し、私も彼らのニーズによりよく応えることができます。もし先住民族と非先住民族の間の健康格差を縮めようとするならば、先住民族の歴史と文化に理解のある医療関係者を大幅に増やす必要があるでしょう。」とケラーさんはIDNの取材に対して語った。(原文へ

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