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|軍縮|核保有国のダブル・スタンダード(レイ・アチソン「リーチング・クリティカル・ウィル」代表)

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【IPSコラム=レイ・アチソン】

2月5日、新しい戦略兵器削減条約(START)が発効した。新STARTは、いかなる時点においても核弾頭の配備数を1550発までに制限する米露間の協定である(旧協定では上限が1700~2200発)。しかし、協定では核弾頭保有数までは制限していない。現在、米国が8500発、ロシアが1万1000発保有しているとみられている。

 2010年5月、ロシアと米国を含む、核不拡散条約(NPT)の全加盟国である189ヶ国が核軍縮と不拡散を進める行動計画に合意した。同計画の「行動1」は、「NPTおよび『核兵器のない世界』という目的に完全に合致した政策を追求すること」を加盟国に義務づけている。2005年と2010年には、NPT上の5つの核兵器保有国(中国、フランス、ロシア、英国、米国―これらは国連安全保障理事会の常任理事国でもある)が、核兵器の完全廃棄を達成するという「明確な約束」をおこなった。軍縮義務は、NPT第6条に埋め込まれた、条約の主要部分である。第6条はまた、核軍拡競争の終了に向けて交渉を行うよう核兵器保有国に義務づけることによって、核兵器の近代化や投資を終わらせることを義務づけている。

こうした法的義務があるにもかかわらず、すべての核兵器保有国は、自国の核兵器および関連施設を今後数十年で近代化する計画に着手するか、あるいはそうした計画を持っている。

米国の既存核弾頭の近代化が進行中だが、その目的は、弾頭の耐用年数の延長と、場合によっては新規の能力を追加することにある。核兵器の部品を組み立てるための新規インフラへの投資を増やすことも続けられている。ロシア政府も、核戦力の三本柱である大陸間弾道ミサイル、潜水艦搭載ミサイル、長距離爆撃機を強化する意向を明らかにしている。

2010年、フランス海軍は、M-51とよばれる潜水艦搭載弾道ミサイルを配備した。2010年代末には、新型弾道が装着されるものとみられる。英国はトライデント・システム近代化の計画を延期したが、計画事態を廃棄したわけではない。中国は新型の移動ミサイルと新しいクラスの弾道ミサイル搭載潜水艦を配備している。核弾頭の数も増やしているとされる。

NPT非加盟国に関して言えば、米国の最新の諜報報告書によると、パキスタンが最近の数年間で核戦力を強化して弾頭数を90~110発にまで伸ばし、兵器用核分裂物質の生産能力を強化しようとしている。NGOが2010年に推定したところでは、インドは攻撃的核戦力の三本柱を強化しつづけているだけではなく、弾道ミサイル、弾道ミサイル搭載原子力潜水艦、さらにおそらくは核巡航ミサイルまでも導入する計画を持っている。イスラエルの計画についてはわからないことが多い。

こうした核兵器の強化が国際安全保障と核不拡散体制の安定性にもたらす意味合いには、非常に大きなものがある。2010年のNPT運用検討会議では、核兵器を保有しない大多数の加盟国が、核保有国のダブル・スタンダードを批判した。つまり、核兵器保有国が核不拡散を抑制しようとする一方で、自らの核兵器は強化しようとの姿勢のことである。多くの核兵器保有国の指導者らが「核兵器なき世界」を追求するといまや口にしはじめたものの、これらの国の予算や政策をみれば、その約束が裏切られているのは明らかである。こうした状況が非核兵器保有国の中に苛立ちと冷笑をうみ、NPT体制の信頼性に傷をつけているのである。

ノルウェー大使はこのようの警告している。「核兵器なき世界というものをたんなるビジョンに留めておくことはできない。それは、我々NPT加盟国が達成しなくてはならない目標なのである」。核拡散を防止するために核技術にさらに制限をかけようとする西側諸国は、そうした方向性を押し付けることができなかった。なぜなら、非核兵器保有国の大部分は自国の活動に制約がかけられることを拒み、核兵器保有国は核兵器保有国で自国兵器への投資を続け、完全軍縮へのプロセスとスケジュールに合意することを拒んだからである。

核兵器を近代化する計画は、核軍縮実現に向けた短期的見通しに暗い影を投げかけている。一部の政府と大多数の市民社会は核兵器禁止条約(NWC)の交渉を開始させるべく努力を続けているが、核保有国は多国間軍縮協議に加わる用意が当面なさそうである。しかし、核戦争の危機を取り除こうと思うのならば、永続的な核兵器の脅威を生み出すことをやめるべきである。それが、プロセスの最後ではなく、まず最初に考えられなくてはならないことである。(スペイン語

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

※レイ・アチソン氏は、「リーチング・クリティカル・ウィル」の代表。同プロジェクトは、核軍縮を唱道し核兵器問題の監視を続ける婦人国際平和自由連盟(WILPF)によるもの。アチソン氏は、同プロジェクトによる出版物の編集、および、NGOによる論集『軍備管理を超えて―核軍縮への選択と挑戦』の編集にも携わった。

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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│米国・イラン│非現実的目標で失速する核問題協議

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【ニューヨークIPS=アリ・ガリブ】

1月末にイスタンブールで行われた協議は、イランと米国および西欧諸国との間の緊張を解く突破口になるどころか、その入り口にすら届かなかった。この30年間の米国・イラン関係を見てきた者にとっては、驚くに値しないだろう。

米国は、国連安全保障理事会常任理事国(米国、ロシア、中国、英国、フランス)とドイツからなる「P5+1」の一部として、イランの核開発に関するこの協議に参加していた。米国および西欧では、イランは核兵器開発を目指していると広く考えられているが、イラン側は単なる平和的な医療・エネルギー目的であると主張している。

 協議の後半はエジプトでの危機によって影が薄くなってしまったとはいえ、協議で何の動きも生み出せなかったことで、米国の専門家らは、策略に富み頑固なイランをどう取り扱ってよいかわからなくなってしまった。

対イラン協議に関する米国の見方は、イランの能力から、米国による提案や期待の内容に至るまで、非現実的な想定ばかりであるという点で、多くの専門家は一致している。
 
 ジョージ・ワシントン大学のマーク・リンチ氏は、「交渉の終わりは見えません。私たちの考えるような確固としたものは手に入らないでしょう。現在のオプションの多くが、こうした誤った希望を掲げています。」「問題を解決するはずだとされているオプションのどれ一つとして、実際には機能しないでしょう。単にまた別の戦略的な言葉で置き換えられる程度のことです」と語った。

交渉があまりに進展しないので、このままではイランが本当に核兵器開発に向かうのではないかという危惧も出てきている。もしこれが本当なら、イランの核兵器化阻止のために国際社会ができることはほとんどないだろう。

ワシントンDCに本拠を置く軍備管理協会(ACA)の不拡散専門家グレッグ・ティールマン氏は、ワシントンで開かれた会議において、「もしイランが核兵器を本気で開発し配備しようとするのならば、万難を排してそうするでしょう。」と語った。

米国は、同盟国や国際機関の支援を得て、いわゆる「二重トラック」方式でイランの核開発を阻止しようとしている。この戦略の基本は、核開発放棄に対して利益でもって報いる関与政策と、核開発に対して高い国際的コストを示す懲罰的措置としての制裁の二つである。

しかしティールマン氏は、「これらのオプションでイランを核放棄に導けるかもしれないが、もしイランの指導部が本気になったならば、誘惑を無視し、コストを食い尽くし、制裁は無効になるだろう。」と指摘した。

またティールマン氏は、「右派が提起し政策サークルで盛んに議論されている軍事攻撃というオプションですら、完全にイランの核開発を止めることはできないだろう。」「一部で主張されている空爆ですら、あくまで核開発の速度を緩めることができるだけで、終わらせることはできません。イランを侵略し占領でもしないかぎり、イランによる核兵器取得の企図を完全に終結させることはできないでしょう。」と語った。

さらにティールマン氏は、「イランに『ウラン濃縮停止』を迫るよりも―それは、イランの核開発の進展度に関係なくずっと言われてきた非現実的な目標である―イランの核開発の動きを密に監視することに焦点を移した方がいい。(イランの核開発を監視するのに)必要な透明性の問題に戦略的な焦点を移すべきだ。」と語った。

国家安全保障ネットワーク(NSN)とアメリカの進歩センター(CAP)が共催した同じ会議において、スティムソン・センターのバリー・ブレックマン共同設立者(核軍縮専門特別フェロー)は、「米国の二重トラック政策はバランスが取れていない」と論じた。

「米国は政策のバランスを見直す必要がある。この2年間、強制の側面ではよくやっているが、インセンティブを与える方面ももっと強調されるべきだ。」

ブレックマン氏は、この問題に関してスティムソン・センターから出た報告書の共著者であるが、同報告書は、米国は核問題を超えてイランとの関与政策を強めるべきだと主張している。ブレックマン氏は「これがもっとも緊急の問題」であるという。

またブレックマン氏は、世界中の米国外交官がイランの外交官と『通常の関係』を持つことを認められていないのは『愚か』だと断じ、たとえば麻薬密輸のように、共通の利害のある領域に関して二国間関係を深めることを求めた。そして、「もっと現実的なアプローチ、もっと寛容なアプローチを通じて、外交にチャンスを与えるべきだ。」と語った。

実際、イランは制裁によっていくらかはふらついており、中東での影響力拡大には歯止めがかかっている。

「イランの覇権強化は、2005年、06年頃とは違っている。」とリンチ氏は同じフォーラムで語った。

リンチ氏によれば、イランは最近のアラブ世界での政情不安を利用しようとしているが、それに影響を与えることができずにいるという。「アルジャジーラの視聴者は権威主義体制に対する抗議活動に深いシンパシーを抱いています。アラブの民衆にしてみれば、(2009年のイラン大統領選挙抗議デモ「緑の革命」に際して、イラン政府が国内反体制派を弾圧したことで)イランの中東でのソフトパワーが削がれることになってしまったのです。」

イランの中東での影響力が低下する中、インセンティブを与える方がよりイラン指導層に訴えかけるかもしれない。しかし、リンチ氏は、米国は自らの提案の信頼性をより高めるためにより多くのことをせねばならないという。

リンチ氏は、対イラン制裁と、レバノンやイスラエル・パレスチナ紛争のような問題に関する米国の立場とを結び付けている米国の法律について言及した。こうした法律の存在のために、イランとの協議において制裁を緩和することが難しくなっているのだという。「もし交渉力を上げようとするのならば、約束はきちんと実行するという確実なシグナルを送れるようにしておかねばならない。」とリンチ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩


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|アフリカ民衆蜂起|アフリカの独裁者クラブからメンバーが脱落した(ロセベル・カグミレ)

アフリカの独裁者クラブからメンバーが脱落した(ロセベル・カグミレ)

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【カンパラIPS=ロセベル・カグミレ】

ウガンダの大半の人々は2つのカテゴリーに分類できる-つまり現政権を恐れる人々のグループと現政権後の生活を恐れる人々のグループである。

現政権を恐れるグループの人々の脳裏には、過去に若者がデモを行った際、首都カンパラに現れた重装備の兵士達の記憶が焼き付いており、デモを行っても暴力で鎮圧されるだろうと考えている。一方現政権後の生活を恐れる人々は、誰が現在の指導者に代わって国政を運営できるか、想像さえできない状況である。

完全に国内の民衆の力で達成したチュニジアの革命の余波は、その後アラブ世界全体に波及した。アフリカの人々はチュニジア、エジプト、アルジェリア、イエメン、スーダンで起こった抗議活動の経緯を注意深く見守った。ウガンダでは多くの人々が、全く信じられないという様子で、テレビ(アルジャジーラ等の国際通信社の放送が受信が可能)に映る諸外国のデモの様子に見入った。彼らは意を決したアフリカの人々が銃の助けもなく政権に立ち向かう姿を殆ど目にしたことがないからだ。

 ツィッターやフェイスブックには、ウガンダでも同様の民衆革命が起こりかねないとする警告やそれを期待するメッセージで持ちきりである。私は、ベンアリが政権の座を追われた際に最初のメッセージを掲示した:「アフリカの独裁者クラブからメンバーが1名脱落した、彼らは今までのありかたについてある程度考え直すことだろう。」

しかし、私はもっと具体的に書くべきだったかもしれない:「今のところ、チュニジア革命の余波を感じているのは、スーダンのオマール・バシール、エジプトのホスニ・ムバラク(既に先週辞任)、アルジェリアのアブデラズィズ・ブーテフリカ、そしてリビアの自称王の中の王ムアンマール・カダフィぐらいだろう。」

民衆蜂起の背景にあるもの

北アフリカにおける民主化デモの背景には、主に失業、貧しい生活水準、そして自由の抑圧に対する不満があった。

エジプト人口のほぼ3分の2は、ホスニ・ムバラクが政権を掌握してから生まれた世代である。北アフリカ諸国では共通して、支配者が王侯のような生活をしている一方で、失業率が高い水準のままとどまっている。またこれらの国々では、深刻な不正・腐敗が横行し中流階級は税金を払う意義を見いだせないほどである。また貧困層の生活レベルが非常に厳しい状況におかれている点も共通である。例えばチュニジアの場合、2009年現在で、清潔な水にアクセス可能な人々は農村人口の僅か1%に過ぎず、失業率は14.2%に上っていた。

こうした北アフリカの状況はウガンダにおいても多くの類似点を見いだすことができる。

ウガンダでは青年層が総人口の実に77%を占める。2008年の世界銀行の報告によると、ウガンダは世界で国民の平均年齢が最も若い国であると同時に、青年層の失業率が最も高い国であった。また2008/09年度版「アフリカ開発指標」によるとウガンダ人青年層の実に83%が失業状態であった。

アフリカ開発指標によると、ウガンダは北アフリカ諸国よりもさらに厳しい状況におかれている。地域人口2万人をカバーするソロティ紹介病院を訪問したが、産科の病床は僅か3台しかなく、薬局では頻繁に在庫切れをおこす状態であった。大半のウガンダ人は、なけなしの生活費を健康管理に充てている。

初等教育の義務化により数万人の学生が入学したが、その結果必要な施設の不足が顕在化する一方、多くの教師が何カ月も無給で働かざるを得ない状況が続いている。2009年版の世界銀行報告書によると、現状に不満な教師の平均欠勤率は週1日(出勤ノルマは週5日)にのぼり、義務教育課程に従事する教師の25%が必要なレベルに達していなかった。

マケレレ大学社会調査機関(MISR)が先月発表したレポートによると、ウガンダの学校に通う生徒数は、午前のクラスが平均94人と超過密な状況となっている。しかし政府当局が給食問題について対応できていないことから、午後のクラス、とりわけ食糧事情が不安定な地域のクラスにおいては出席率が低くなっている。

世界エイズ・結核・マラリア対策基金からウガンダ政府に寄付されたエイズ・マラリア対策費の内、160万ドル以上が横領、不正流用されたことから、ウガンダは2005年に同基金からの支援を一時停止されている。

このスキャンダルに関与した大臣がロンドンに向かう飛行機の中で私に次のように語ったことがある。「大統領は基金からのお金がどこに行ったか知っていますよ。」その後の様々な証言から、消えた資金の一部は2005年にウガンダで実施された多党制を問う国民投票に使われたことが明らかとなっている。

ヨウェリ・カグタ・ムセベニ大統領はこの25年間政権を掌握しており、今年2月の大統領選挙で再選を目指す意向である。こうした状況を考えると北アフリカの民衆蜂起はウガンダでも起こりうるだろうか?

こうした社会的背景を比較してみればウガンダの若者の中にも北アフリカの革命がナイル川を遡って南に波及してくると期待する者がいるのも理解できる。それは全く想像できないという訳ではないが、ウガンダ社会の現状をよく観察すると、ウガンダの民衆は、ムセベニ大統領や政権に対して立ち上がりそうにはない。

都市化は市民と政府との関係に大きな影響を及ぼす。アフリカの都市住民は一般的に農村部の住民より政府に大きな期待を持つ傾向にある。ウガンダの都市部住民は政府の実態を理解するようになってきており、一般的にムセベニ大統領に投票しない傾向にある。

また北アフリカ諸国の識字率は70%強と比較的高く、北アフリカ諸国は、いくつかの例外を除けばサブサハラアフリカの国々と比べて都市化が進んでいる。

北アフリカでは食料価格の高騰が民衆蜂起の背景にある大きな要因となったが、ウガンダでは人口の8割が農村部に住んでおり、食糧価格の高騰が国民の生活維持に深刻な打撃を及ぼすには至らなかった。ウガンダは肥沃な土地に恵まれており大半の人々は自身の庭や農地で収穫できるものを食している。ウガンダの農村部で育った私もそうだが、ウガンダ人は一般に政府に対していくつかのイメージを持ってはいても、その中に飢餓、サービスの失敗、政策の欠如といったものは含まれていない。

多くのウガンダ人、とりわけ老年層の人々は、常に恐怖と隣り合わせだったウガンダの血みどろの過去(イディ・アミンの独裁政治)を経験しており、トラウマを引きずっている。彼らはムセベニ大統領のみがウガンダの平和を保障できる存在だと信じているのである。ムセベニ大統領も、この点を意識して、1986年に自身がいかに政権に就き内戦を終結させかについて日々言及している。「我々は解決に向けて立ち向かう。」というムセベニのお決まりの演説は、あたかもウガンダが直面している全ての問題が反政府勢力による「サボタージュ」にあるといっているかのようである。

過去25年に亘ってムセベニ大統領はウガンダ国民が要求できる唯一のベーシックニーズである「平和」を提供してきた。

「チュニジア革命の経験から、革命は一晩で突然起こるものでないことが分かります。革命が勃発するまでには様々な出来事が積み重なり、機が熟していくのです。そして実際に民衆蜂起が発生するには勢いが必要なのです。」と、ブルッキングスドーハセンターのイブラヒム・シャーキー研究員次長は語った。

「今日、チュニジアの人々は、1984年の『パンよこせ蜂起』や隣国アルジェリアで1988年に起こったデモ(同国の一党独裁体制を終わらせ民主改革をもたらした)が今回の民衆蜂起に影響を及ぼしたことを認識している。同じくエジプトの人々も、現在の民主化要求運動に先立つ2008年4月6日の賃上げ要求デモや2007年の食糧要求デモの意義を認識している。」

サブサハラの独裁者達は枕を高くして寝ている

シャーキー氏は、「十分な教育を受けた貧困層の人々は、大半が教育を受けていない不安だらけのウガンダ人と比べて、より暴力的な抗議活動を組織し不安定な状況を引き起こすことが出来る。」と分析している。

ウガンダの十分に教育を受けた若者たちは、能力的にはチュニジア-エジプトで起こったような動きをリードすることが可能であるが、実態は政権側にいる彼らの父親たちと同様に不正にお金を取得することに躍起となっている。彼らは効果的に機能する組織というものを目の当たりにしたことがなく理解していない。また、「奪えるものは手に入れようと躍起になる」習慣が依然としてウガンダでは横行している。そして2月18日の大統領選挙を控えて巨額のお金がウガンダ全土で配られている。

また、ウガンダ政府が援助資金に大きく依存している現実が、民衆の政府に対して疑念を抱かないもう一つの理由である。

ウガンダには、「“Abo balya esente zabazungu gwe abifaakoki?(彼らは白人の金を食い物にしているのだ。どうでもいいではないか?)”」という言葉がある。アフリカの人々は、資金を政府の所有物か、或いは政府に対する西側諸国からの贈り物と未だに見做している傾向がある。アフリカ諸国で政府のアカウンタビリティ(説明責任)に対する要求が高くない背景にはこうした意識が影響している。

また北アフリカの民衆蜂起は、宗教や社会階層の違いを乗り越えて民衆の幅広い支持を集めた。しかしそれとは対照的にウガンダでは、誰もが共通の大義を探すどころか、常に互いの出身地域や部族の違いに注目する傾向にあるなど、国民の間の分裂や亀裂は至る所に見受けられる。

従って、私は今のところ、北アフリカで進行している革命がウガンダのようなサブサハラアフリカ諸国にも意義ある変革をもたらすよう希望する一方で、私の祖国ウガンダが次の民衆革命の舞台となり、ニュースに報じられる可能性については疑わしいと思っている。
 
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│イスラエル‐パレスチナ│リングの中では、攻撃は平和的に

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【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】

試合開始のゴングが鳴り響く。ここは、エルサレム西部にある防弾シェルターを改装したボクシンググラブだ。パレスチナ人のボクサーがコーナーから飛び出して、リング内を駆け回り、イスラエル人の相手とパンチを交わした。

もし彼がノックアウトを取ったら、イスラエル・パレスチナ紛争への新しい形の癒しとなるのだろうか?2人はお互いの不和をリングの中で永遠に解決しようというのであろうか?

  実は、この場所はまったく反対の意味を持っている。民族によって分断されたこの街では、ここは奇妙な場所だ。

地下に隠れて、イスラエル人とパレスチナ人が同じ愛を共有する。平和や寛容、共存とはほとんど相容れない、スポーツの中ではもっとも暴力的なものへの愛である。

ユダヤ人、アラブ人、信仰家、世俗派、ロシア移民、外国人労働者、男に女。皆がここ「エルサレム・ボクシングクラブ」で練習を積んでいる。リングではパンチを繰り出し、生活においてはパンチなど使わなくてもいいようにする術を覚える。
 
 クラブの常連2人と会った。右は、ライトヘビー級のイスマイル・ジャアファリ(36)。東エルサレムのパレスチナ占領地である向こう町のジャベル・ムカベルでトラック運転手をしている。

左は、ライト級のアキバ・フィンケルスタイン(17)。ヨルダン川西岸占領地区のイスラエル入植地ベトエルで宗教学校に通っている。伸び盛りの選手だ。最近では、親善試合で欧州のタイトルホルダーを破った。

彼ら2人が練習ラウンドの前に吐かねばならないのは、普通に見られるような、自分の強さを誇示し自己満足をもたらすような言葉ではない。「リングの中では、僕らはみんなボクサー。出自は関係ない」とイスラエルでジュニアのタイトルを持つフィンケルスタインは言う。「ここではみんな平等だ。どんな宗教か、どんな民族かは関係ない。」とジャアファリもいう。

クラブは、ルクセンブルク兄弟によって運営されている。「すべての人間には悪の部分がある。だから敵対や暴力が起こるのです。」と兄のエリ・ルクセンブルクはいう。「情勢について新聞で目にする。頭に血が上る。そこで、ここに練習に来る。この小さな場所の内に、お前のすべての怒りを持ち込んでくるんだ……」。
 
 「でも、フェアプレイは絶対だ!争いを解決するためにみなここに来ているんじゃない。それは神の禁ずるところだ」と弟ガーションの声が響く。「俺らは子どもたちをよーくみてる。もし、ファイトの中に憎しみが垣間見えたら、そいつはリングから放り出す。俺らは単にファイティング・スピリットを養いたいだけだ。ボクサーは兵士であり、紳士でなければならん。お互いを尊重せねばならん」とガーションは釘をさす。

ルクセンブルク兄弟は1960年代初めに旧ソ連でボクシングの名声を得た。二人ともヘビー級だ。エリは2度ソ連のチャンピオンになり、ガーションはウズベキスタンのチャンピオンになった。「子どものとき、俺らはユダヤ人への嫌がらせから自分たちを守るためにボクシングを習わなきゃならなかった。要はサバイバルということです。」とエリは回想する。

1972年、はじめてイスラエルの地に降り立ったガーションは、イスラエルの不倒のチャンピオンに何度もなった。そしてまた、強烈なナショナリストでもあった。「コーチを始める前は、アラブ人はこの国の障害であり、共存できないと思っていた。でも、ボクシングがこれだけお互いを近づけるなんて、信じられないね」。

ジャアファリは、ルクセンブルク兄弟の後押しを得て、クラブで14年も訓練を積んでいる。イスラエルのチャンピオン戦ではレフェリーも務めている。彼にとっては、「スポーツは境界を越えるもの」。「グローブをはめ、政治的状況はリングの外においてくる」。

言うは易く、行うは難し―紛争がもっとも激しかったころ、イスラエルのクラブ員とぶつかってどうにもならなくなるのを避けるため、クラブには出入りしないようにしていたことをジャアファリは思い出す。

ガーションなら、彼に電話をしてクラブに出てこいというだろう。「外の政治的状況がなんだ」「俺らはここにいるんだ」「俺らは友達以上のものだ。ここは家庭のようなもの、俺らは家族のようなものだ」。ジャアファリは興奮しながらそう言う。

エルサレムでは、イスラエル人とパレスチナ人が、別々の、互いに干渉しない生活を送っている。住居や教育が分かたれ、政治的情念も分かたれ、すべてが互いへの無関心につながっている。

練習マッチを行うリングの上には、モハメド・アリのポスターが鎮座している。「版図を変えるために、国の間の戦争は行われる。しかし、貧困との闘いは、変化を生み出すために行われる」とボクシング界のこのレジェンドはかつて言ったことがある。

このイスラエル人とパレスチナ人を結びつけるものは、ボクシングへの情熱だけではなく、彼らの社会的背景だ。彼らの多くが、貧困地区の出身なのである。

若い人たちの新しい日常生活を創り出すようルクセンブルク兄弟から刺激を受けたジャアファリは、自分の住んでいる地区でボクシングクラブをやり始めた。クラブのメンバーがよくやってきて試合を繰り広げている。ジャアファリの育てたボクサーは、パレスチナのチャンピオン戦を多く勝ってきた。

別のパレスチナ人であるギト・ザカルカがウォーミングアップを先導し、リングの中をジョギングして回る。ザカルカを見ているのは、若く未来もあるイスラエルのボクサーたちだ。フィンケルスタインは、クラブの安全な境界線の外では、パレスチナ人と時間を共にすることはないことをよく知っている。

それでもなお、少しずつ、ボクシングは彼を変えてきた。「昔は、アラブ人なんて馬鹿な連中、テロリストだと思っていました。」と彼は困ったような表情で認める。「でも、ここでは、パレスチナ人と接してみて、みんないいやつだし、みんな友達です。ものの見方を手に入れるにはここはすごくいい場所です。アラブ人の悪口を言っているやつがいたら、お前はアラブ人がどんなやつか知らないくせに、といってやりますよ。」

ゴングがまた別の練習ラウンドの終わりを告げた。フィンケルスタインとジャアファリはグローブ越しの友好の握手を交わす。
 
 聖書の時代には、イスラエルのダビデ王はペニシテの巨人ゴリアテと戦った。人々は、血みどろの戦いに駆り出された。

「ダビデとゴリアテは死ぬまで戦った。ここでは、俺らはラウンドを積み重ねて、ポイントを取っていくだけです。」とフィンケルスタインはいう。

ラウンドを積み重ねてポイントを取ることは、イスラエルとパレスチナが63年間の紛争の中でやってきたことだ。彼らはゴングの音で救われるのだろうか?「これは戦争だ。そしてそこには人生がある。収めることはできるはずだ」。ガーション・ルクセンブルクは、自信をもってそう語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan
 

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|エジプト|ホスニ・ムバラクの引き際(アーネスト・コレアIDNグローバルエディター・元米国スリランカ大使)

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【ワシントンIDN=アーネスト・コレア】

26年前、もう一人のアメリカ大統領が、米国の同盟国の独裁者に特使を派遣し、独裁政権の幕引きを警告したことがあった。

ロナルド・レーガン大統領は、親友で相談相手のポール・ラクソルト上院議員をフィリピンに派遣し、フェルディナンド・マルコス大統領とのこの困難な折衝にあたらせた。その結果、マルコスは2年後に自由で公正な選挙を実施することに合意した。

 しかしフィリピン国民はマルコスに2年もの猶予を与えなかった。数か月後、マルコスの退陣を求める民衆の抗議の声がマニラの街を埋め尽くした。民衆のデモ行進は平和的なものだったが決定的なものだった(エドゥサ革命)。民衆がマラカニアン大統領宮殿に迫る中、マルコスは緊急回線でラクソルト上院議員に電話をかけアドバイスを仰いだ。この際、ラクソルト議員は「今が潮時だ。潔く身を引くべきだ。」と伝えたという。エジプトのホスニ・ムバラク大統領にとっても「潮時がきた」というべきだろう。

衝突

「世界はエジプトで前例のない民衆行動を目の当りにしているのです。」と、世界銀行前副総裁でアレキサンドリア図書館館長のイスマイル・セラゲルディン氏は語った。

セラゲルディン氏によると、民主化デモに参加した多くの民衆は青年に率いられたもので、政府に対してより幅広い自由と民主化の実現、生活必需品の価格引き下げ、並びに就労機会の拡大等もっともな要求を掲げている。こうした改革を即時実施するよう要求する群衆に対して、当初警察が暴力的な介入を試みたが、撃退されてしまった。

「次に軍隊がデモの現場に派遣されたが、民衆は軍を歓迎し、当初彼らの存在はデモに対する実力行使というより暴動を抑止する象徴的なものにすぎなかった。事態が悪化したのは、暴漢や(おそらく当局側が派遣した)扇動者が現れ略奪が開始されてからだった。これに対してデモに参加していた青年たちは、グループ分けをし、交通整理、近隣住民の保護、重要公共施設(エジプト考古学博物館やアレキサンドリア図書館等)の警備にあたった。

デモ参加者、とりわけ青年たちが、軍に協力して略奪者から文化遺産を守ろうとしたのは印象的な光景であった。

米国による当初の反応

エジプト情勢に対するオバマ政権の当初の反応は、静観しつつ、「ムバラクが去った場合の」中東予想図、国益への影響等を分析するというものであった。オバマ政権は、政権内部の中東専門家に加えて幅広い学者、政策責任者に意見を求め、それらを検討、凝縮していった。
 
 オバマ大統領は2009年6月4日にカイロで行った演説(本文末の映像資料を参照)で「結局、人権を保護する政府が、より安定し、成功し、しっかりとした政府になる、ということです。意見を抑圧しても、それを消してしまうことはできません。米国は、たとえ同意できない意見であっても、世界中で平和的・合法的なすべての意見を述べる権利を尊重します。そして私たちは、選挙によって選出された平和的な政府が、国民全員を尊重する統治を行うならば、そうした政府をすべて歓迎します。」とエジプトの聴衆に語りかけた。

しかしオバマ大統領は、エジプト情勢に対する米国の明確な態度を決定する前に、その判断が米国の貿易、中東情勢そして国内政治に及ぼす影響を慎重に検討しなければならなかった。その結果、一般教書演説ではチュニジア革命に対する支持を表明したものの、その後のエジプト情勢に関する言及は避けた。

しかしまもなく、エジプトに真の安定を回復させるには、ムバラク政権の下では不可能だろうという見方が明らかになった。

幕引きを巡る駆け引き

しかし30年に亘って無制限の権力を保持してきた軍事指導者に「潮時がきた」というメッセージを伝えることは容易なことではない。オバマ大統領は、元ベテラン外交官で事業家のフランク・ウィスナー大使にこの任務を託した。

ウィスナー氏はエジプト、インド、フィリピン、ザンビア等の大使や国防次官を歴任した人物で、ムバラク大統領とも親しい関係にあると言われている。

ウィスナー大使との面談後、ムバラク大統領は声明を発し、きたる9月の大統領選挙に出馬しない意向を国民に伝えた。これはムバラク大統領の譲歩とも言えるが、一方で容易には引退しないという米国政府に対する明確なシグナルでもあった。

ムバラク大統領は今回の状況に直面して自らを「悲劇のヒーロー」と見做しているようである。彼は国民に向かって次のように語りかけた。「本日皆さんにお話し申し上げているこのホスニ・ムバラクは、長年エジプトと国民のために尽くしてきた年月を誇りに思っています。この親愛なる国は私の祖国であり、全てのエジプト人の国です。私はこの国で生き、この国のために戦いその国土と国益を守ってきました。そして私はこの国で死ぬつもりです。私の功罪は他の人々と同じくやがて歴史が判断することでしょう?」

政治的限界

「国家の守護者」を自認するムバラク大統領は引き続き次の大統領選挙まで権力を行使し従来通り選挙過程も支配する意向である。そうなれば現状維持となり具体的には次のような展開となるだろう。

・ムバラク大統領の前任者アンワル・サダト大統領が暗殺された際に宣言された「非常事態宣言」は以来今日まで施行されたままだが、今後も解除されないだろう。

・今回の反政府運動が最も盛り上がった際に見られたように、通信施設や社会的ネットワークを政府の意のままで断絶したり再開したりする等、政府による政治活動への制約は今後も引き続き加えられるだろう。

・選挙法や選挙に関する慣習は従来通りとなり、選挙操作でムバラク大統領の子息を当選させようとする試みを防ぐことは出来ないだろう。

ノーベル平和賞受賞者で前国際原子力機関事務局長(IAEA)のモハメド・エルバラダイ氏は、今回の民主化運動参加者にある程度のリーダシップを提供してきたが、ムバラク大統領の発表を「詐欺行為」であり「ふざけた内容だ」と評した。

ムバラク大統領と約30分に亘って非公式に会談したオバマ大統領は、エジプトにおける変革をこれ以上遅らせてはならないと公に主張する必要性を感じた。オバマ大統領は短いテレビ演説の中で、「エジプトの指導者を決定するのはいかなる国の役目でもない。それはエジプト人のみがなせる事項である。明らかなことは、私は今晩、ムバラク大統領に対して、秩序ある権力移譲こそ重要であり、平和裏にかつ今からすぐにでも取り掛からなければならないという私の真意を伝えるということです。」と語った。

暴漢の登場

まもなく、ムバラク大統領と同僚は権力移譲に関して異なる考えを持っていることが明らかとなった。反政府デモの参加者は挑発もしないのに仕掛けられた攻撃から自衛する以外は、当初から一貫して平和裏の抗議行動を行ってきた。

しかし2月2日(水)の朝になると、暴漢が出現した。彼らの一群はバスに分乗してタハリール広場を囲むエリアに乗り込んできた。そしてもう一群は鞭を振り回しながら馬とラクダに乗って広場に乗り込んできた。そして広場に終結していたデモ参加者に対して、「ムバラク大統領は去らない」と叫び続けながら攻撃を加えた。

ニューヨークタイムスのコラムニストであるニコラス・クリストフ氏は以下のように報道している。「暴漢たちはマチェーテ(大鉈)、折り畳み式の西洋ナイフ、こん棒、石で武装していた。彼らは皆、同じスローガンを唱え、ジャーナリストに対して同様に攻撃的な態度をとった。彼らは明らかに組織化され事前に指令を受けていた…。」

数人の地元並びに外国人のジャーナリストが攻撃の対象となり、暴漢たちは彼らへの脅迫、機材の破壊や、追い払おうと執拗に追いかけるなどの試みがなされた。中には拉致されたものもいた。アメリカ人のジャーナリストでは、ABC放送のクリスチャン・アマンプール、CNNのアンダーソン・クーパーがこのように暴漢の標的となった。

軍は暴漢の攻撃に参加しなかった。しかし彼らを止めもしなかった。暴漢が広場に到着する少し前、軍当局の広報担当官が国営テレビに登場し、民主化運動の支持者に対して次のような質問を投げかけた。「私たちは安全に通りを歩けるか?規則正しく職場に戻れるか?子供たちと通りに出だり学校や大学に通えるか?店や工場やクラブを開店できるか?」

「正常な日常生活を復帰させることができるのは皆さんなのです。」と広報官は付加えた。「あなたたちの要求は受け取りました。私たちは皆さんの要求を知っています。軍は皆さんとともにあります。」そう言って、広報官はデモ参加者が帰宅するよう強く促した。

隙間が埋まりつつあるのか?
 
 
その後起こったことについて、目撃者達は、「それまで軍は、大統領反対派と支持派を分けるように広場の警備を固めていたが、衝突が始まると一切干渉しなかった。兵士の殆どは軍の装甲車や戦車の後ろや中に引き下がった。」と証言している。

はたして軍当局は暴漢が配置されることを事前に知っていて衝突を避けようとデモ参加者の帰宅を促したのだろうか?それとも暴漢による反政府デモ参加者への暴力を止めようとしなかった軍の動きは、軍当局とムバラク政権の間に存在するかもしれないと考えられていた意識のずれが埋まりつつある、或いは既に埋まったということを意味するのだろうか?

民主化を求める勢力を攻撃させ、あえて混乱を作り出し、それを口実に従来の強権支配を正当化させる弾圧計画が進行しているのだろうか?もしそうした計画がムバラク政権の戦略として進められているとするならば、国際社会はムバラクの政権移譲を「今すぐにでも」開始するよう一層の危機感をもって圧力をかけなければならない。

想定されるシナリオ

しかし現実には以下のようなシナリオを想定する必要があるだろう。

ムバラク大統領は30年の長きにわたって「政権に留まり続ける」ことができる能力を示してきた。様々な材料がムバラクの「潮時」であることを示唆してはいるが、多くのエジプト問題専門家は、ムバラクは今一度自身の権力維持を目指し、権力移譲に動くことはないだろうとみている。

一つのシナリオは、ジョークで有名なエジプト人の間で流行っている次の政治ジョークによく描かれている。

このジョークには、米空軍の飛行機がカイロに飛来し、隔離された某所に海兵隊の厳重な警備のもと待機するところから始まる。そしてついに「確かな情報筋」として、ムバラクが数カ月にわたる政権維持の試みの果てに、ついに民衆からも、政治パートナーからも軍からも支持を失ったことを悟り、安全に国外に逃亡する手段として航空機が手配されたのだという風評が流れる。

この話を聞きつけて、民主化運動の指導者たちが、「ムバラクは、欠点はあったものの、(彼のこれまでの功績を考えると)このまま黙って国を後にさせるのは忍びない。せめてムバラクを訪問して、旅の無事ぐらい祈ろうではないか。」ということに決する。

そしてムバラクの大統領宮殿を訪問した民主化運動の指導者たちは、対応に出たムバラクの側近に「大統領にお取次ぎしますので暫くお待ちください。」と、ムバラクの執務室の外で待つよう指示される。執務室に入った側近はムバラクに向かって、「大統領閣下、民主化運動の指導者たちがドアの外に来ておりまして、閣下にお別れを申し上げたいと言っております。いかがいたしましょうか?」するとムバラクは、「おおそうか。それはご苦労なことだ。ところで、彼らはどこに行くのかね?」と尋ねた。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*アーネスト・コレア氏は元スリランカの外交官で、駐カナダ、キューバ、メキシコ、米国大使、またメディアと開発に関するコモンウェルス特別委員会の委員長を歴任した。またジャーナリストとしては、セイロンデイリーニュース、セイロンオブザーバーの編集長、シンガポールのストレイトタイムスのコラムニストと務めた。現在、IDN-InDepth Newsのグローバルエディター、編集委員及び国際協力評議会(GCC)のメディアアスクフォース議長を務めている。


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【パリIDN=ジュリオ・ゴドイ】

julio godoy
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米国のフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、非情で腐敗したニカラグアの独裁者アナスタシオ・ソモサ(大統領在職1937年-47年、51-56年)について、「彼は『Son of a Bitch(ろくでなし)』だが、『我々の』ろくでなしだ。」と言ったという伝説がある。
 
 今日に至るまで歴史家の間では、このルーズベルト大統領の発言について、はたしてソモサについて言及したものか、それとも同じく当時のラテンアメリカ(ドミニカ共和国)における親米独裁者ラファエル・トルヒーリョ(大統領在職1930年-38年、42-52年)に言及したものかで論争が続いている。いずれにしてもソモサもトルヒーリョも実に『Son of a Bitch(ろくでなし)』であったことには変わりがない。
 
しかし両者とも生粋の反共産主義者であり、それこそが米国の親しい同盟者となりえる唯一の条件でもあった。そして両独裁者は、その後死ぬまで、ルーズベルトが言及した「『我々の』ろくでなし」であり続けたのである。トルヒーリョは1961年、おそらくCIAが操作したと思われるグループにより暗殺された。一方、ニカラグアの支配者としてソモサの跡を継いだ息子は1979年のサンディニスタ革命で政権の座を追われ、1年後亡命先のパラグアイでニカラグアが放った暗殺者に殺害された。

しかし米国はトルヒーリョ、ソモサとの経験から教訓を学ぶことはなかった。その後の米国歴代の大統領が-或いはこの点について欧州各国政府が-エジプトの独裁者ホスニ・ムバラク(大統領在職1981年-)やチュニジアの泥棒政治家ザイン・アル=アービディーン・ベンアリ(大統領在職1987年-2011年)について類似のコメントをしたかどうかは知られていないが、過去30年に亘って彼らが両独裁者を「我々のろくでなし(Our Son of a Bitch)」と見做していたことは明らかだ。

Rafael Trujillo of the Dominican Republic. Official photograph published in several Dominican newspapers. August 1952. Copyright expired (D.R. copyright is life plus 50 years), Public Domain
Rafael Trujillo of the Dominican Republic. Official photograph published in several Dominican newspapers. August 1952. Copyright expired (D.R. copyright is life plus 50 years), Public Domain

ムバラク、ベンアリ両氏は、イスラム原理主義を徹底的に弾圧する一方でイスラエルに対して穏健な姿勢をとったことから、米国やフランス政府は、両者がそれぞれ支配するエジプト、チュニジアを西側同盟国と認め、両政権の腐敗や不手際については黙認する姿勢を続けてきた。例えばフランス歴代政権は1987年以来一貫して、ベンアリ大統領を地中海南岸の安定・平和・経済成長の擁護者として讃えてきた。またフランス政府は、ベンアリ大統領の腐敗や残忍性に関する指摘に対しては、「誇張である」として一蹴するか、単純に無視する姿勢を示してきた。 

1年前に、2人のジャーナリストがベンアリ政権の腐敗の内幕を検証した著書「La Regente de Carthago(カルタゴの統治者)」が出版された際、フランス当局は同書を黙殺した。フランス政府にとって、あえて第三者からベンアリの強盗行為について指摘させるまでもなかった。南フランスからヨット数隻が強奪された事件が発生したが、ベンアリの悪名高い妻レイラ・トラベルジィの2人の姪が直接的に関与していた。しかもそれらのヨットは後にトラベルジィの姪の名義で登録された上でチュニジアの港で発見されたのである。

1月中旬、ベンアリの政権維持が民衆蜂起により危うくなると、フランス政府は独裁者に事態の「正常化」を支援するため警察部隊の派遣を申し出た。結局、フランス政府は、ベンアリが敗北を認め首都チュニスから国外亡命する段階に至って初めて、泥棒と拷問人からなる政権を支援してきたことを悟った。

しかし欧米諸国政府のアラブ独裁者達との関係は、後者の振る舞いを黙認していたことにとどまらない。ベンアリ、ムバラク、その他のアラブ独裁者たちはフランス銀行、スイス銀行及び各国行政機関の支援を得て、個人蓄財に励んできた経緯がある。フランスの不正監視組織「シェルパ」によると、ベンアリの個人蓄財はパリ及びフランス各地に点在する高価な不動産を含めて少なくとも50億ドルにのぼる。シェルパのウィリアム・ボルドン代表はこの点について、「この莫大な財産はベンアリ氏がチュニジアの大統領としての合法的な所得で築き上げたものではあり得ない。」と語った。しかしベンアリの蓄財は、スイス銀行の公式発表にある4兆ドルにものぼるムバラク大統領による「エジプト信託」の規模にはとうてい及ばない。

欧州及び米国の歴代政権は、西側民主主義が掲げる価値観の優越を盛んに説く一方で、独裁者達との関係は地中海南岸地域に限定されたものではなかった。過去10年から20年の間、悪名高い独裁者であるガボンのオマール・ボンゴ、赤道ギニアのテオドロ・オビアン、コンゴ共和国のドニ・サスヌゲソ、そして元共産党の旧敵であるアンゴラのジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントスさえもが(興味深いことにこれらはいずれも石油資源が豊かな国々である)、50年前にトルヒーリョやソモサがそうであったように、フランス、米国、英国、ドイツ政府から無条件の支持を享受してきた。

欧米諸国のイランに対する強硬姿勢は、これらの国々が一方でイスラエルの政策に寛容な姿勢を示し、イランの周辺諸国の独裁・腐敗政権を支援している実情と照らし合わせれば、典型的な2重基準(ダブルスタンダード)と言わざるを得ない。また欧米諸国のこうした偽善行為こそが、中東地域の平和と安定を目指す自らの努力を台無しにしている原因でもある。

腐敗・不正に対する対処についても、欧米諸国は失敗したと言えよう。なぜなら、チュニスで起こった民衆蜂起やフランスの「シェルパ」等の不正監視団体による圧力に晒されて初めて、しかも躊躇しながら、フランスやスイスの司法機関は、独裁者の口座凍結や、時にはそうした財産の祖国への返納に応じる決定を下す始末だからである。

例えばジャック・シラク元フランス大統領が現在が暮らしている住居はというと、レバノンを過去約20年間に亘って支配してきた大富豪ハリーリ一族の所有するパリの豪邸である。シラク氏は全く家賃を払っていない。明らかにハリーリ氏は「純粋に友情から」シラク氏に無料で豪邸での滞在を許可しているのである。

欧米諸国が(彼らの敵や彼らの利益と関係ない人々を殺害したり財産を奪う)泥棒や殺人者との共謀から教訓を学んだかどうかは、今のところ不明である。しかしトルヒーリョやソモサの時代まで遡って欧米諸国がそれら独裁者との共謀から教訓を学んだかどうかを一つの判断基準として今日の状況を推定するならば、その答えは多分に「教訓を学んでいない」という結論に辿り着かざるを得ないだろう。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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パキスタン・ソマリアとロシアの共通点とは?

【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

騒乱に満ちたイラク、予測不可能な北朝鮮、危機に見舞われたパキスタン、「破綻国家」ソマリアと、ロシアに共通する部分とはなんだろうか。

リスク分析を専門とするメイプルクロフト社が出した年次報告書「政治的リスクアトラス(Political Risk Atlas)第3版」によると、かつての超大国ロシアは、これら4カ国とともに、「きわめてリスクの高い」国に分類されている。

  ロシアの経済力は確かに向上している。しかし、「動的な政治的リスク」という面から見ると、ロシアは世界でもっともリスクの高い10ヶ国の中に入ってくる。「動的」という言葉の意味は、政府や地方自治体、政治的動機を持つ集団などの行動により急速に変化するようなリスクを示しており、具体的には、紛争やテロ、法の支配、ビジネス環境などの領域に関連している。

今年の報告書で注目すべきは、新興経済国ロシアが昨年の15位から今年初めてトップ10入りしたことである。一方、パキスタンも昨年の11位から2つランクを上げて9位となった。

「きわめてリスクの高い」国々は、ソマリアを先頭に、コンゴ民主共和国、スーダン、ミャンマー、アフガニスタン、イラク、ジンバブエ、北朝鮮、パキスタン、ロシア、中央アフリカ共和国の計11ヶ国である。

この内のアフリカ3カ国及びパキスタンについての評価をみるとロシアのトップ10入りがいかに深刻な状況であるかを示している。

ソマリアは、北西部の「ソマリランド共和国」と北東部の「プントランド」に分裂しており、まさに「破綻国家」といえる。

コンゴ民主共和国(DRC)はアフリカで3番目に大きな国土と6700万人の人口を擁する国であるが、ロンドンの政治経済誌「エコノミスト」が「アフリカの世界大戦」と呼んだ紛争の舞台となり、約300万人の犠牲者を出し人道危機に苛まれている。

アフリカ北東部に位置するスーダン(アフリカ・アラブ地域で最大、世界で10番目に大きな国土を擁する)は1989年からオマル・ハサン・アル・バシール大統領が支配している。2008年3月8日、国際刑事裁判所(ICC)がバシール氏に対して戦争犯罪・人道に対する罪で逮捕状を発行したことから、同氏は現職の首脳でICCから起訴された最初の人物となった。

さらにICCは2010年7月12日、ジェノサイドの罪でバシール大統領を追訴した。ICC判事達は、ダルフール地域の3つの少数民族に対して、バシール氏が一連の血みどろの大量虐殺を指示したとして告発している。「バシール氏が少数民族であるフール族、マサリト族、ザガワ族の一部殲滅を意図して行動したと信じるに足るもっともな理由がある。」と判事たちは結論付けた。

中央アフリカ共和国(CAR)はアフリカで最も貧しい10カ国に挙げられる世界最貧国の一つであるが、1960年にフランスから独立して以来、政情不安定な状況が続いている。
 
 CARは北をチャド、東をスーダン、南をDCRとコンゴ共和国、そして西をカメルーンと国境を接している。CARはこれまでいくつかのクーデターに見舞われ、1970年代には自ら皇帝を名乗ったジャン=ベデル・ボカサの圧政を経験している。

パキスタンは、アフガニスタンからの国境を越えて同国北西部に侵入を繰り返すタリバンのゲリラ活動に悩まされている。報告書は、「今年のテロリストリスク指標(Terrorist Risk Index)によると、テロ攻撃の回数自体は前年より減っているが、1回あたりの死者数は増えている。」と記している。2009年6月から2010年6月の期間に発生したテロ攻撃における死者数は1回の攻撃あたり1.6名となっている。

またパキスタンは、「政府は国内のウルドゥ語を話す住民と少数民族のパシュトゥーン系住民間で起こっている暴力的な衝突を抑えるのに苦労していることから」政治体制の安定度指標(Regime Stability Index)においては、「きわめてリスクの高い」国に分類されている。両者はカラチにおける政治的主導権を巡って争っており、国内の政治情勢悪化につながっている。

リスク諸指標

政治的リスクアトラス2011」は、41のリスク指標によって196ヶ国を評価しているが、「動的な政治リスク」の分野だけではなく、資源確保(Resource Security)、人権、気候変動、インフラ整備の状況、教育、貧困など、「生起しつつあるリスク分野」や、長期的な政治体制の安定に影響する「構造的な政治リスク」についても、さまざまなリスクの側面を明らかにしている。

同年次報告書の著者たちは、「ロシアがリスクプロフィールで順位を上げた背景には、ロシア各地への攻撃を意図する北コーカサス地方でのイスラム分離主義者の活動が活発化している現状がある。ロシアは、2010年の間、3月のモスクワ地下鉄での爆弾テロ(40人死亡)など、いくつもの痛烈なテロ攻撃に晒された。」と記している。

「こうしたテロ事件が、テロリスク指標と紛争・政治的暴力指標におけるロシアのリスクプロフィールを押し上げることとなった。さらにロシアのリスク評価が高まった背景には、ビジネス環境、企業統治、また政府全体に広がる腐敗について『極めて高いリスク』と評価された事情がある。」

リスク分析担当者によると、ロシアで事業展開する企業は、司法の政府からの独立の欠如など非効率的な法制度と向き合うリスクを負わざるを得ない。「これに関する最近の事例としては、石油企業『ユコス』のミハイル・ホドルコフスキー氏が有罪にされた事件が挙げられる。この事件は、政治的な見せしめ裁判だと一般に評されている。ロシアは、法の支配指標において『高いリスク』と評価されており、企業は高まる契約不履行のリスクについて監視するべきである。」

メイプルクロフト社のアソシエイトディレクターであるアンソニー・スキナー氏は、「政治リスクの動的な側面を理解することは、絶え間ない事業展開を確保する上で極めて重要なことである。政権の安定性や政治的暴力といった短期的指標は、経営判断をするうえで重要な判断材料となる。従って動的リスク分析に際しては、ブリックス(BRICs:ブラジル・ロシア・インド・中国)やネクストイレブン(N11)といった市場への投資や事業拡大を志向するビジネスに対する影響を考慮しなければならない。」と説明した。

N11とは、ゴールドマン・サックス証券が、2005年12月の経済予測報告書(2003年のBRICs報告書のフォローアップとして作成)の中で、BRICsに次ぐ急成長が期待されるとした11の新興経済発展国家群で、具体的にはイラン、インドネシア、エジプト、韓国、トルコ、ナイジェリア、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ベトナム、メキシコを指す。

ゴールドマンサックス証券はその際、マクロ経済の安定性、政治的成熟、貿易の開放度合い、投資政策、教育の質を評価基準とした。

世界銀行によると、2011年における主な新興国への直接投資額は17%増加し、その半分をBRICS諸国(2010年に南アフリカ共和国が加盟)からの投資が占める見通しである。「しかし、投資家たちは引き続き、(投資先の国々における)法の支配の欠如、腐敗の蔓延、紛争がビジネスや社会環境の発展を妨げるリスクと向き合っていかなければならない。」とリスク分析担当者は言う。このことは特にBRICsが大幅に投資しているスーダン、イエメン(分類ランク「きわめてリスクの高い」)といった資源豊かな国々にあてはまる。

長期的な観点から見れば、BRICs諸国の「構造的」リスクは、2011年を通じて高まる傾向にある。BRICs諸国の最新版によるリスクランキングは、中国が25位、インドが32位、ロシアが51位、ブラジルが97位となっており、いずれの国も、昨年度版よりリスクが高まっている。

「構造的な政治リスクについては、いくら強調してもしすぎることはない。」とメイプルクロフト社CEO のアリソン・ウォーハースト教授は言う。「企業にとって進出先の教育レベルは、現地採用する職員の資質やスキルの決定要素であり重要な指標である。資源確保に関するリスク状況は進出企業にとって必要な原材料確保の成否を左右する。こうした要素は全て、長期的には進出企業の安定性と収益性に大きな影響を及ぼすことから、テロリズムやクーデターといった脅威と同じくらい重要な指標である。また構造的な政治リスクは動的政治リスクの主な指標ともなっており、モニタリングを必要とする。」

例えば、中国を例に挙げると、いくつかのリスク指標(市民権と政治的権利、司法の独立、民主的統治、労働者の権利、治安当局による人権侵害)で「きわめてリスクの高い」国に分類されている。

民主主義、自由、人権を抑圧する政府や機関をいかなる形でも支援しているとみなされた企業は、信用に対するダメージを被りかねず、結局は最終収益に影響を及ぼすことになる。

ウォーハースト教授は、「中国は経済の近代化に成功し世界経済に強い立場を構築したことから、特定の構造的なリスク指標(資源確保、インフラストラクチャー、経済の多角化)で『中リスク』に分類されている。」と付加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ニューデリーIDN=クリーブ・バネルジー】

デビンデル・ムフタさんは、1962年10月に奇しくもキューバ危機と時期を同じくして中印間で戦争(ヒマラヤ地域の国境紛争が発展)が勃発した時、まだ20代であった。当時の多くのインド人がそうであったように、ムフタフさんや家族、友人も、中国軍の侵攻は、両国間の平和的関係構築に向けて努力しているインドに対する裏切りと映った。 

それまでは、インドのジャワハルラール・ネルー首相と中国の周恩来総理が「Hindi-Chini bhai-bhai(インド人と中国人は兄弟)」というスローガンを度々強調していたことから、中印両国は協力しあって、東西いずれの陣営にも属さない非同盟運動を共に推進していけるという期待がインド国内で高まっていた。

 しかしそうした期待は人民解放軍のインド侵攻で脆くも崩れ去った。米ソ率いる対立する2つのイデオロギー陣営が国際関係を規定する冷戦構造がもたらす影響は、当時生活の全てにまで及んでいた。

いまや70代になったムフタさんが目にしているものは、中国の温家宝総理の南アジア歴訪である。温首相は、昨年12月、パキスタンよりも先にインドを3日間にわたって訪問した。インドのアルナチャル・プラデシュ州について、中国政府が「中国の神聖な領土」と主張している現状は、1960年代の状況を想起させるものである。 

ムフタさんは中印国境戦争(インドは当時軍事的に有事に対する準備が整っておらず敗退)が国境地域のアクサイ・チン地区とアルナチャル・プラデシュの帰属をめぐる論争に端を発したものであったことを思い出した。アクサイ・チン地区(現在中国が実効支配)は、インドがカシミール州の一部、中国が新疆の一部とそれぞれ主張しているが、中国領チベットと新疆を結ぶ重要な交通路を擁している。 

両戦線ではいずれも中国軍がインド軍を圧倒し、西部戦線ではチュシュルのラザン・ラが、東部戦線ではタワンが陥落した。この戦争は、中国軍が1962年11月20日に停戦と紛争地域からの撤退を宣言したことで終結した。 

バランスをとろうとする中国 

防衛分析研究所(ニューデリー)のR.N.ダス研究員は、今回の温総理によるインド、パキスタン歴訪は、インド亜大陸の両国に対してバランスある対応をしようとしている外交努力を示すものと捉えている。ダス研究員は、「中国の外交政策は変化してきているが、パキスタンとの友好関係は恒常的なものとなっています。パキスタン以外でこのような安定した友好関係を有しているのは北朝鮮ぐらいです。」と語った。 

「温総理は、インドとパキスタンへの訪問をほぼ同時に発表した。それはパキスタンの抱える微妙な状況を慮ってのものです。しかし、前回(2005年)の南アジア歴訪とは大きな違いがあります。前回、中国政府はインド訪問をあえて後回しにしました。しかし今回はその逆になっています。」 

温総理のパキスタン訪問のハイライトは(歴代中国総理として初めてとなる)国会での演説であった。因みにインドは、昨年11月に来訪したバラク・オバマ大統領に国会演説の栄誉を授けている 

ダス研究員は、「軍部が相当な政治的影響力を振るうパキスタンで、国会演説への招待は、実質的な意味合いを持つというよりもむしろ象徴的なジェスチャーです。」と語った。温総理は、「順境も逆境も共にのりこえて未来を共有する」と題した演説の中で、中国-パキスタンの2国間関係を評して「永遠の兄弟」という表現を使った。 

温総理は、かつての「Hindi-Chini bhai-bhai(インド人と中国人は兄弟)」というスローガンを髣髴とさせる表現を用いて、「中国-パキスタンの友好関係は、活気に富み、しっかりと深く根を張り、青々と葉を茂られた樹木のようである。」と語った。 

温総理の演説では、パキスタンとの戦略的な関係強化の他に、いくつかの重要な発表がなされた。また温総理は、パキスタンが過去において台湾チベット、新疆問題など重要な局面において、一貫して中国を全面的に支持してきたことに言及した。 

インドの重要な役割 

中国評論家のダス研究員は、この点について、中国が国連議席獲得に向けて努力していた頃にインドが果たした役割について言及した。1950年に朝鮮戦争が勃発した際、インドは国連で北朝鮮非難決議に一票を投じた。しかし中国が参戦すると、国連総会が中国を侵略国として非難しようとする動きに抵抗した。 

さらにダス研究員は以下のように記している。「その後インドは中国の意図と要件を国際社会に伝えるチャンネルとしての役割を果たし、一貫して中華人民共和国こそが中国を代表する正当な国として国連に議席を認められるよう働きかけた。」 

「さらにインドは、1951年に日本に対する平和条約としてサンフランシスコ条約が締結された際、中国が参加しなかったのに呼応して、自らも講和条約の当事者とならなかった。中国政府は、インドのこうした努力を忘れるべきではない。」 

温総理の両国訪問の成果を詳しく観察すると、インド訪問が経済的な観点を重視したものであったのに対し、パキスタン訪問はむしろ政治的・戦略的観点を重視したものであったことが分かる。 

「中国の対パキスタン援助は全ての分野を網羅しているが、とりわけ核開発などの軍の近代化に協力し、最近では洪水被災者への空前の規模の支援を強力に行っている。こうした実績は中国がパキスタンを戦略的パートナーとしていかに重視しているかを物語っています。また中国はパキスタンに対して2億5000万ドル規模の援助を申し出ており、その一環として、パキスタン政府による『災害復興を支援する』という名目のもと、昨年11月には専門家チームをPoK地域(パキスタンによるカシミール州占領地域)に派遣しています。」とダス研究員は指摘した。 

中国日報は、今回のパキスタンに対する中国の人道支援は、規模において援助史上のいくつかの記録を塗り替えるものであったと報じた。しかし、ニューヨークタイムズを含む西側主要各紙は、この中国の主張を文字通り受け入れてはいない。 

温総理は声明の中で、中国は向こう3年の間にパキスタンに対して500の政府奨学金を提供し、中国のブリッジサマーキャンプに100名のパキスタン人の高校生を招待すると発表した。 

温総理はまた、パキスタンとの通貨スワップを検討するとも述べた。今回の訪問中、両国政府は新たに35の条約に署名し、今後5年間で中国の対パキスタン投資総額は300億ドルにのぼる見通しである。 

ダス研究員は、中国のパキスタンとの全天候型友好関係の背景にはインドとの敵対関係が重要な要素の一つとして存在していると観ている。中国は今日のような国際的な地域を確立する以前からパキスタンとは極めて密接な関係を構築してきた。 

一方で、中印関係も長年に亘って、より幅広い相互関与に基づく成熟したものへと発展してきた。この点についてダス研究員は、「中国は今、自らを責任あるグローバル大国として、南アジアだけではなく、世界全体を見据えようとしているのです。」と語った。 

「中国にとって、従来のパキスタン支援の動機は明らかであり、新疆ウイグル地域のパキスタン国境付近で分離独立運動を展開しているイスラム教徒を抑え込むにはパキスタンの支援が不可欠です。しかし今日の中国は、情勢の変化に対応して、パキスタンとの距離感についても、インドに不安を生じさせない方法で慎重に測ろうとしています。」とダス研究員は語った。 

またダス研究員は、たしかにインドは中国がカシミールのパキスタン占領地域で進行中のインフラ事業に関与していることと、パキスタンの核兵器開発プログラムを支援していることに懸念を表明しているが、一方で中国-インドの2国間関係も、中国-パキスタン間の全天候型友好関係に干渉されることなく、独自の勢いをもって進展してきていると語った。中国は、一方で自らあらゆる分野で協力関係を深めつつある米国とインドが戦略的な関係を構築していることについて、不安を抱くべきではない。 

「注目すべきポイントは、『カシミール問題に関する中国政府の立場は明らかだ。』と報じられたパキスタン外相発言をよそに、温総理はカシミール問題に関して沈黙を守ったと思われる点です。」とダス研究員は結論付けた。 

この点についてある主要英文日刊紙が論説の中で、「パキスタンのユーセフ・ラザ・ギラニ首相はカシミール問題でインドとの交渉を有利に進めようと中国の役割に期待を寄せた向きがあるが、中国政府がこの問題に関して従来通りの中立な立場を繰り返したのは明らかである。」と報じた。 

翻訳=IPS Japan戸田千鶴 

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|軍縮|核軍縮には未来がある(セルジオ・ドゥアルテ国連軍縮担当上級代表)

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【ベルリンIDN=ジャムシェッド・バルア】

国連は、核軍縮が現実に起こっていることに疑問を抱き、それが最終的には「核兵器なき世界」につながるかどうかを危ぶむ意見が強くなってきていることについて、その否定に躍起になっている。国連軍縮担当上級代表のセルジオ・ドゥアルテ氏によれば、世界の国々と人々は、核兵器にこだわることで、国際的な相互依存を作り上げるなかで勝ち取ってきたものを危険にさらすことはないだろう、という。

ブラジルの外交官であるドゥアルテ氏は、「この時代遅れで、コストがかかり、本質的に危険な兵器、その保有は許されず、非人道的だと広く考えられている兵器にこだわることで作られる、幻想の国家安全保障上の利益」に各国が引き寄せられることはないだろう、と考えている。「これには、将来への希望を幾分かは感じます。核の脅威を防止するという点についていえば、この兵器を廃絶する以外の方法はありません」。

11月4日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた国際セミナーでの一こまである。従って、核軍縮には確かに未来がある。「それは正しいことだ。そして、実際に行いうる」とドゥアルテ氏は語った。

 実際、核兵器国では軍縮機関の設置が目立つようになってきているし、軍縮の公約を履行するための国内法・規則も制定されている。軍縮措置のための予算もつけられるようになってきている。

また、軍縮の責任を果たすよう任務を与えられた研究所や企業、組織も現れ、多くの核兵器が物理的に廃棄され、すべての核兵器国の核戦力の規模と構成、核分裂性物質、運搬手段に関する実質的な新情報が提供され、具体的な軍縮措置に関する詳細な情報も出されている。

国連事務次長でもあるドゥアルテ氏は、核兵器国の一部が自国の核戦力に関する情報を近年さらに公開していることを評価している。そうした情報は、軍縮の公約を履行する上でアカウンタビリティと透明性を強化するより広い文脈の中で、重要な意味を持っているからだ。

ドゥアルテ氏は、国連の潘基文事務総長が2008年10月に発表した5点の核軍縮提案の中で、核兵器国に対して国連事務局にそうした情報を提示するよう求めていたことに注意を向ける。

行動21


この考え方は、2010年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で採択された勧告の中の行動提起第21項に盛り込まれている。すなわち、国連事務総長に「市民が利用しうる(核戦力の)目録」を作るよう求めたものである。第21項は、核兵器国がこの目的のための「標準的な報告様式」を作り、適切な報告間隔について合意を形成するよう要求している。

核兵器国はこの運用検討会議の初のフォローアップ会合として、2011年4月にパリに集まる予定である。国連軍縮局は、核戦力の情報公開のためにウェブサイトに目録を掲載することになろう。

だとすると、結局のところ、核軍縮はどの方向に向かっているのだろうか?漸進的な軍縮政策で核兵器が「より少なく」なれば、世界は満足することになるのだろうか。「おそらく、そんなことはない。核兵器国以外は、核不拡散の部分的措置を取るだけで満足することはないだろう」とドゥアルテ氏は語った。

核軍縮が実行されないまま世界が直面している危険と、終わりなき核拡散という状況を目の当たりにして、核軍縮への最後の頑強な抵抗も、いよいよ弱まることになるのだろうか?「おそらくそうでしょう。少なくとも、この状況は、オバマ大統領が2009年4月にプラハで述べたとおりに、『核兵器なき世界』での平和と安全を達成する可能性へと道を開くことでしょう」とドゥアルテ氏は語った。

批判

ドゥアルテ氏はまた、この重要なスピーチにおいて、漸進的なアプローチへの批判も紹介した。すなわち、そうしたアプローチは、徐々に条件が展開されていくゲームのようなものであり、軍縮は結局のところ、遠いビジョン、あるいは究極の目標、比喩的に言えば「霧に覆われた山頂」にとどまるというのだ。
 
 本当の軍縮を回避するための詐術として条件や前提条件が持ち出されることは、なにも珍しいことではない。アルバ・ミュルダールが1976年に著した『軍縮のゲーム』〔邦題は『正気への道―軍備競争逆転の戦略』〕には、そのようなゲームがいかに冷戦中に行われたかについて記述してある。

「……両者は、軍縮合意に向けての提案を出すことであろう。それも、しばしばあらゆる側面に関してのものである。しかし、それらの提案には、相手方が飲めないような条件が巧妙に仕掛けられている。こうして軍縮は、過去も今も、ずっと掘り崩されてきたのだ」。

ドゥアルテ氏は言う。「今日、核軍縮に向けた包括的なアプローチを持った提案は多くありません。少なくとも、1978年の初の国連軍縮特別総会で国連の『究極の目標』として定立された『効果的な国際規制の下での一般的かつ完全なる軍縮』という線に沿った提案ではなくなってきているのです」。

代わりに、軍縮に向けて前提条件を相手に課すことが横行している。このゲームには新規プレーヤーが参入し、新しいルールができているかのようにも見えるが、実際には古いゲームそのままなのである。

前提条件

世界平和がまず達成されるまでは軍縮を先送りにしようという提案は、この類のものである。すべての大量破壊兵器(WMD)拡散の脅威がまず除去され、すべての地域紛争がまず解決され、WMDによるテロの危険性がまずなくされ、すべての危険なWMD関連物質がまず完全に管理され、確実なる保全措置の下に置かれ、そしてもちろん、戦争への解決策がまず出されなくてはならない、という前提条件の出し方もまたしかりである。

「こうした前提条件の結果―そしてその真の目的―は、軍縮を永久に先延ばしすることにある。」とドゥアルテ氏は語った。

軍縮を実施するには、人間の良心の根本的な変革が必要であり、非暴力の原理による完全に新しい社会の夜明けを待つべきであり、すべての国家の軍備、もっといえば国民国家そのものが廃絶されるべきである、という論じ方についてもまた同じことが言える。

しかし、ドゥアルテ氏によると、これまでのアプローチとは違って、この手の前提条件を課そうとする人々には、核兵器を永遠に保持しようという動機には欠けるのだと言う。「彼らは、漸進的でステップ・バイ・ステップの協議や、現在の国際安全保障システムの手直しによって、核兵器なき世界を作ることは十分可能だという議論に疑問を持ち始めています」。

「しかし、彼らのラディカルな処方は、ユートピア主義、あるいは、空想的な理想主義によっているのではありません。むしろ、これまでの軍縮のゲームにおける『いつものやり方』に対して、苛立ちを覚えているのです。このゲームにおいては、言葉ばかりが先行して、具体的な行動が伴っていません」。

しかし、これだけで国連における軍縮問題が尽くされているわけではない。

歴史的にみれば、国連軍縮委員会、国連総会第一委員会、ジュネーブ軍縮会議といった国連の軍縮機構は、多国間規範の醸成と維持のためのメカニズムであった。その目標とするところは、この60年にわたってきわめて明確であった。すなわち、すべての大量破壊兵器(核兵器、生物兵器、化学兵器)の廃絶と、通常兵器の制限あるいは規制である。しかし、それは実際に達成されたというよりも、最終的な目標に関する単なる合意といったようなものだ。

5つの基準

ドゥアルテ氏は、「この複雑で現在進行形の多国間プロセスは、軍縮合意において適用されるべき具体的な基準に関するコンセンサスを世界で作り上げてきた。」という。いずれの政府や市民もそうした合意を検証し、それが実質的なものといえるかどうか判定するにあたって利用すべき基準である。


「こうした基準は、軍縮が起きる条件、あるいは前提条件として出されているものではありません。それは、私たちが自信を持って軍縮は実際に起きているとみなすことを可能にするような基準なのです」。

「これら5つの基準は、これまでの数多の国連総会決議やNPT運用検討会議の議事録、さらには、運用検討会議での最終文書にも容易に見出しうるものです。」とドゥアルテ氏は説明した。

これらの基準のうち第一のものは「検証措置」である。国内のものであるか国外のものであるかを問わず、他国がその義務を完全に遵守していることを別の国が確認できるようにするためのすべての方策がここには含まれる。

核軍縮のプロセスにおいては、一方的宣言にはかなりの限界がある。米国とロシアが1991年にそれぞれに短距離の戦術核を大量に撤去したという動きにもそれは表れている。「そうした宣言は、核廃絶を達成する方法としては不十分だ。」とドゥアルテ氏は語った。

しかし、検証措置は、国家が隠蔽工作を行っていないと証明する唯一の基準ではない。透明性の向上もまた、同じ目的に資する。検証も透明性の向上も、信頼醸成措置なのである。実際、核兵器の数、核分裂性物質の量、核兵器の運搬手段に関する包括的で検証されたデータなしに、どうやって世界が核廃絶を目指すのか想像することは困難だろう。透明性の向上によって世界は軍縮の実行されるさまを眼にし、その進み具合を計ることができるのである。

第三の基準は、不可逆性である。これもまた、将来の軍縮合意において鍵を握ると世界が認めた信頼醸成措置のひとつである。軍縮合意をひっくり返そうとする突然の動きを封じるには必要不可欠だとみなされている措置である。

ドゥアルテ氏は言う。「不可逆性は、軍縮の公約を放棄させない政治的、技術的障壁を打ち立てることの必要性を裏書きしています。この障壁は、他の基準である『検証措置』と『透明性向上』によって補強されます。ここでの目標は、事態の逆流を防ぐというだけではなく、そのような行為をやめさせたり集合的な国際的反応を準備したりするために、可逆的な行為を速やかに察知することにあります。理想的には、不可逆性という目標は、逆行を難しくするだけではなく、完全に不可能にすることなのです」。

「検証、透明性向上、不可逆性の3つはそれぞれに重要だが、それ単独では、『核兵器なき世界』を導くのには不十分です。」とドゥアルテ氏は語った。

第四の基準―普遍性ということに関係あるのだが―は、核軍縮は一部の国によってのみ行われるものではない、ということである。それは、すべての国家が厳格に果たさねばならない責任である。それは、NPT第6条によって明確な核軍縮義務を負っているNPT加盟国に関して、特に言えることである。

しかし、それはまた、国連安保理決議1887のテーマでもある。この決議は、2009年9月24日にハイレベル会合によって採択され、すべての国家(NPT加盟国だけではない)に対して、核兵器削減と核軍縮に関連した効果的な措置に関して、さらには、厳格で効果的な国際的規制の下における一般的かつ完全な軍縮に関する条約について、交渉を誠実に追求することを求めている。

核軍縮は、それが正当な目標であると見なされているがゆえに、現在世界で広く支持されている。それは、開かれた民主的なプロセスをつうじて合意されたという点においても、二重基準を認めない実質的な公正さの点においても、正当なものである。
 
 最後の基準、すなわち「法的拘束力」は、上記すべての基準に関連している。「高い山頂に関する祝辞を述べ、報道発表を出し、演説をしただけでは、核兵器ゼロを達成することは出来ない。」とドゥアルテ氏は言う。核兵器は地球上もっとも危険な兵器であるから、世界が可能なかぎり厳格な基準を打ち立てて「核兵器なき世界」を維持しようとするであろうことは、まったく驚きに値しない。

条約上の義務は、具体的な措置を決め、その措置を恒久的で持続可能なものにしていくにあたって不可欠のものである。核兵器禁止条約、あるいは、同じような目標を持った相互に強化しあう道具立ての枠組みを追求することが重要なのは、そのためである。

ドゥアルテ氏は、「この意味において、条約の批准プロセスは、厄介なものでも面倒なものでもありません。公約が国内法と国内での強力な支持によって支えられているようにするには、必要不可欠のものです。核軍縮は、立法府の頭越しに成し遂げることはできません。立法府と組み、より広く市民全体と手を組んで、はじめてできることなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

民衆蜂起がアルジェリアに拡大

【カイロIPS=エマド・ミケイ】

アルジェリアの経済政策は僅か3か月前には国際通貨基金(IMF)や欧米金融機関から称賛されたばかりだが、この経済政策の失敗と、住宅不足や食料価格高騰などをきっかけとした民衆蜂起が1月5日に勃発し、その後4日間で、少なくとも3人が死亡、数百名が負傷している。

そのチュニジアでは、欧米の支援を得てそれまで専制的な支配体制を敷いてきたザイン・アル=アービディーン・ベンアリ大統領の経済政策に対する民衆の不満が爆発、少なくとも78人が死亡している(同大統領は1月14日に国外に脱出して政権が崩壊した:IPSJ)。

アラブ両国における民衆の抗議運動について、当初欧米メディアは無視したが、事態が拡大すると、米国政府も注目するようになった。

 著名なネオコンでジョージ・W・ブッシュ前大統領の中東顧問を務めたエリオット・アブラム氏は、外交問題評議会(CFR)内の自身のブログの中で、「チュニジアは『重要な国ではない』が、今回の蜂起が中東諸国にもたらしかねない危険な影響にについて警戒しなければならない。」と述べている。

チュニジア政変の影響は、隣国のアルジェリアにまもなく現れた。アルジェリアは、ロシア、米国、カナダ、イラン、ノルウェイに次ぐ天然ガス産出量世界第6位の国で、欧州全体のガス需要の20%を供給している。

アルジェリアの民衆蜂起では数千人の若者が警察に投石し、タイヤを燃やし、郵便局、銀行を襲撃した。彼らは、生活水準の向上とアルジェリアの豊かな石油収入の分け前を要求した。

両国における民衆蜂起の模様は、アラブ地域において幅広く報道されており、欧米諸国の政府・メディアが作り上げた「穏健派」イメージに反して自国民に対して残虐な独裁制をしいてきた政権に対する民衆の不満の高まりと受け止められている。

コラムニストのファハミ・ホウェイディ氏は、チュニジア蜂起がアルジェリアに飛び火する数日前、いくつかのアラブ紙において「チュニジアの蜂起は、全てのアラブ支配者に対する警告である。飢餓と貧困に喘ぐ民衆の革命をこれ以上無視することはできないだろう。…チュニジアで起こったことの教訓は、専制政治は政権の延命を図ることはできても、永遠に体制を維持することはできないということだ。チュニジア蜂起を誘発させた類似の状況は全てのアラブ諸国が抱える共通の問題である。」と記した。

現在アラブ社会においては、アルジェリアとチュニジアの「蜂起」に関する記事が、著名なポータルサイト「Masrawy」、オンライン紙「AlMesryoon」(エジプト)、アルジャジーラ、Alarabiya.net.等、多くの独立系アラブニュースのヘッドラインに掲載されている。こうした中、Yahooのアラブ版でさえ、まもなく両蜂起に関する報道を開始した。
 
 他のアラブ諸国と同様、アルジェリアのアブデラズィズ・ブーテフリカ政権は、莫大な石油収入にも関わらず、腐敗しており無能だと考えられている。石油輸出国機構(OPEC)によれば、石油、天然ガス価格上昇などもあってアルジェリアの2010年における石油収入は増加したが、特権層を除いて一般市民にその利益が還元されていない。

同様に、チュニジアのベンアリ大統領は、同国地中海沿岸の観光開発に尽力する一方で、国民の大半が直面していた貧困・失業問題に対して有効な対策を打たなかった。

両国に共通する特徴として、一部資産家層の豪華な生活、縁故主義、住宅取得を巡る政府の便宜を狙った贈賄の横行等が挙げられるが、こうした問題は民衆の不満の原因として長年に亘って燻り続けてきた。

人口3600万人のアルジェリア国民の多くは日々の生活に困窮しており、特に住宅難の問題は深刻な状況に陥っている。一方で、同国の国営エネルギー企業「Sonatrach」は、昨年大きなスキャンダルに見舞われた。一部の幹部およびその家族が、違法な契約により個人的な利益を得た疑いが出たのである。

今月初めに起こったアルジェリア民衆蜂起の直接のきっかけは、小麦粉や油、牛乳、砂糖などの食料価格が蜂起直前の4日間で30%も上昇したことにあった。

こうした中、多くのアルジェリア国民は、隣国チュニジアの民衆が従来の従順なイメージをかなぐり捨てて抗議活動を行っている姿をテレビで見て触発され、自らも通りに出て積年の不満を政府官庁や郵便局、銀行等を襲撃することで発散させたのである。

これを受けて、ムスタファ・ベンバダ貿易相は、1月8日、急速に高騰する食料価格を引き下げざるを得なくなった。国営アルジェリア通信は、同貿易相が、食糧費の価格を14%引き下げる措置を発表したと報じた。

アルジェリア発のいくつかのブログによると、抗議参加者は依然として、政権側により政治腐敗の問題、ますます拡大し続けている貧富の格差、そして欧米諸国を後ろ楯に職権を乱用してきた独裁的な政府与党に対して大いに不満を持っている。そうした中、抗議活動は引き続きアルジェリア国内の数都市に飛び火している。

「アラブ世界全体において、私たちは狼の餌食になるべく取り残されている状況だ。」とボサードと名乗るブロガーは記した。

「アルジェリアは弱肉強食のジャングルと化している。貧富の格差は刻一刻と広がり続けているのだ。」とラベイと名乗るブロガーは記した。

またサワンというブロガーは、「変革を求めて抗議に立ち上がった若者よ、祖国は君たちを見守っている。」と記した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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