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|アラブ首長国連邦|イスラム教-キリスト教の歴史的関係をテーマとした会議開幕する

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のナヒヤン・ビン・ムバラク高等教育及び科学研究大臣は、ザイード大学においてイスラム教徒とキリスト教徒の関係をテーマとしたシンポジウムを開催した。

「15世紀にまたがる愛(Fifteen centuries of love and affection)」と題したシンポジウムは、ザイード大学、イスラム当局、ターバ財団の共催の下、政府高官、外交官、宗教指導者、学者が参加し、15世紀に及ぶアラブコミュニティーの歴史の中で、キリスト教徒がアラブ-イスラム文明に寄与してきた貢献について議論がなされた。

 ザイード大学長でもあるナヒヤン・ビン・ムバラク大臣は開会式の演説の中で、アラブ地域におけるキリスト教徒とイスラム教徒の歴史的関係について言及した。

「私たちは、キリスト教徒のアラブ人は私たちの気高き兄弟であり、イスラム教徒のアラブ人と肩を並べて国のため国民の福利に寄与してきたということを、言葉と行動をもって断固主張していかなければなりません。両者は誠実な兄弟愛で共に支え合ってきた関係にあり、この点に関して、イスラム教徒とキリスト教徒の違いはないのです。」とナヒヤン大臣は強調した。

またナヒヤン大臣は、「イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、私たちは共にアラブの子供たちであり、伝統、言語、風習、そして人権を尊ぶ国家を共有する兄弟なのです。この生まれながらの権利は、将来に亘っていかなる難題も超えて持ちこたえていくものです。」と語った。そして、「イスラム教の啓示から今日に至る14世紀以上に及ぶ長い歴史の中で、イスラム教とキリスト教の関係は、聖なるコーラン啓示である『宗教に強制はあってはならない』、『主が望めば、人類を1つの国にしただろう』の文脈の中で発展を遂げてきた。」と付加えた。

「イスラム教とキリスト教の関係は、神が遣わした最後の預言者ムハンマドの『イスラムの偉大さと誇りは、正義、平等、宗教の自由を強調する寛容の規範にある』とする教えの枠組みの中で、育まれてきた。」とナヒヤン大臣は言及した。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

ガーナ滞在を振り返って(坂口祐貴)

【IDNオピニオン=坂口祐貴】

「AKWAABA(お帰りなさい)」。これが、ガーナに到着して最初に目にした言葉です。多くの人々は、アフリカというと貧困、紛争、病気といった否定的なイメージを抱きます。しかしこの広大な大陸は、そうした否定的な意味合いだけでは捉えきれない遥かに多くのものを包含しているのです。私は1年間ガーナに留学しましたが、滞在中まさにアフリカの将来に対する多くの希望とポテンシャリティーを見いだしました。

50年前、私が在籍している創価大学の創立者で仏教系NGO創価学会インタナショナル会長の池田大作氏は、「最も苦しんだ人が最も幸せになる…21世紀は『アフリカの世紀』となるだろう。」と言いました。私も全く同意見です。ガーナをより良く理解するには、その政治史と一般市民の生活水準を考察する必要があります。そうした観点から、私が現地滞在中に得た経験や印象のいくつかをご紹介したいと思います。

 ガーナは1957年3月6日、サブサハラ・アフリカで最初の独立国となり、クワメ・エンクルマ氏(1909~72年)が初代大統領に就任しました。エンクルマ氏の統率力は長年に亘る独立闘争を指導する過程で磨かれたものです。彼は、貧しい出自で苦学して進学した自身の経験から、同じく貧しさに喘ぐ民衆の気持ちを理解しその心情に訴える能力を身に着けました。大統領任期中の業績については、一部エリート知識層からの批判がありますが、一貫して民衆のために尽くした行動の人であり、その独自のリーダーシップ故に、今日に至るまで厚い尊敬を集めています。民衆の幸福を目指したエンクルマ氏の闘いは、1966年に起こった軍事クーデターと同氏の国外追放により頓挫せざるを得ませんでしたが、彼の不屈の努力があったからこそ、ガーナはアフリカ大陸で最も古い民主主義国家の一つであるとともに、今日も平和な民主主義を享受していると言えるでしょう。そうした意味から、ガーナは民衆勝利の好例だと思います。 

にもかかわらず、ガーナの人々の置かれている今日の状況は完全とは程遠いものです。電気・水道を持続的に供給するインフラの不足から、停電、断水は毎日起こっています。また、就業率が低いことから深刻な財政難に陥っている人々が多いのも現状です。さらに、女性はいまだに一部に残る部族的慣習から、しばしば権利を侵害され苦しむケースも少なくありません。例えば、ガーナ北部のある村を訪問した際、鍵で口を閉じられた女性に出会いました。その村では伝統的に、夫が彼女の上唇に埋め込んだ鍵の一部(下唇と繋ぐリング)を開けない限り、彼女は自分の口を使うことが許されていないのです。こうした施錠は、男性から魅力的かつ望ましい女性の身体的な特徴としてみなされており、この村の生活様式となっています。また、ガーナ北部のトンゴでは、18人の妻と300人の子供をもつ首長に出会いました。首長の家来に村を案内してもらった際、首長の豪邸から遠く離れた木の陰に30人程の女性が座っているのに気付きました。そして、彼女たちは首長が許可したときのみ、屋敷に入ることができるということを知ったのです。 

しかしながら、こうした慣習はさておき、ガーナには驚くべき共同体意識と人と人との交流を重視する風潮があり、それはガーナ人のコミュニケーションの取り方に顕著に表れています。これこそが、アフリカの持つ大きな強みであり、将来の発展に不可欠なものと確信しています。人々のやり取りは驚くほど親密なもので、ガーナ人は、挨拶時はもとより、その後の会話の最中にも何度となく握手を交わします。こうした親しさは彼らの文化に起因しているものです。私は街を歩いているといつも知らない人々から「Obruni(ガーナでの外国人の愛称)、お元気ですか?」と声をかけられました。ある日、ふと一日に握手した回数と通りで声をかけてくれた人の数を数えてみると、100回以上握手し、約30人が実際に立ち止まって私に話しかけてくれていました。しかし重要なのは数ではなくこうした挨拶の本質にあります。私は通りで出会ったたくさんの人々と対話を通じて多くの重要なことを学びました。私は、お年寄りの方々とガーナの将来について、画家の方と、文化の持つ力や芸術の可能性について、そして子供たちとは彼らの夢について対話しました。私にとってこうした道端で会話している時が、ガーナとその文化を最も理解できる機会でした。

道端で出会った多くの子供たちに将来の夢について聞いたところ、多くの子供たちがサッカー選手になることを夢見ていることが分かりました。しかし、経済的な理由や機会の乏しさから、夢を実現できない子がほとんどです。彼らとの対話をとおして、こうした厳しい現実とともに、彼らの夢を実現させるために自分に何ができるか、考えさせられました。そして「翼サッカーアカデミー(サッカーに特化した学校)」の創設を決意しました。アカデミーには、まだ独自の校舎も競技場もありませんが、50人の学生たちが夢の実現を目指して訓練に励んでいます。 

私は、道端で出会ったこうした全ての「先生」から、対話を通じて多くを学び、自分の使命を見いだすことができました。今では、コミュニティー精神の本当の意味を教えてくれた文化への貢献ができると自負しています。21世紀を「アフリカの世紀」とするために、私は行動を続けていく覚悟です。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|アマゾン|世界の穀倉地帯から雨がなくなるかもしれない

【リオデジャネイロIPS=マリオ・オサヴァ

南米大陸には、世界の食糧及びバイオ燃料需要を満たすために必要な穀物を生産しうる広大な土地が広がっている。しかし、世界で最も有望な穀倉地帯―ブラジル中南部、アルゼンチン北部、パラグアイ―に十分な雨が降らなくなる事態に陥る可能性が浮上してきている。 

「米大陸の北半分にひろがるアマゾンにおける森林の減少によって、サハラ地域や、オーストラリアの三分の一を占める砂漠地帯、その他北緯(南緯)三〇度未満の亜熱帯砂漠地帯のような砂漠化を防いできたシステムは弱まってきている。」と、ブラジル科学技術省国立宇宙研究所(INPE)の科学者アントニオ・ノブレ氏は警告した。

 ノブレ氏はIPSの取材に応じ、「アマゾンの森林破壊防止措置は、ブラジル政府がずっと以前に着手すべき問題であり、2020年までに森林伐採面積を80%削減する(=伐採面積を年間四千平方キロに止める)としている政府の公約は、あたかも『肺がんが末期まで進行して死にかけている人間がようやく禁煙に踏み切ろうとしている』ようなものです。」と語った。またノブレ氏は、「本来なら、この時期私たちは、自然の均衡を取り戻すために、破壊された森林を復活させる取り組みをしていなければならないのです。ユーカリ樹やアフリカ椰子の単一栽培は、問題解決にはなりません。」と付加えた。 

「森林破壊にもはや歯止めがかからなくなり、これまでアマゾン熱帯雨林がつくりだす雨の恩恵を受けてきた大地が砂漠化する『取り返しがつかない分岐点』がいつ訪れるのか、誰にも分からないのです。」と、サン・ジョセ・ドス・カンポス(サンパウロから百キロ)にあるINPEに勤める以前は、農学者としてアマゾン地域に二十二年にわたって生活してきたノブレ氏は語った。 

アマゾン熱帯雨林と、南米大陸の南北に横たわるアンデス山脈が壁となり、今日「空飛ぶ川」として知られるようになった湿潤な気流を運んでいる。この湿潤な気流が、南米最大の輸出量を誇る畜産、穀物、果物、さらには輸出世界一の砂糖、大豆、オレンジジュースを産出する地域に、恵みの雨をもたらしているのである。 

ノブレ氏や世界各国の科学者は、「空飛ぶ川」現象をもとに、地球の自然体系における気候現象や均衡、不均衡について説明する「生物ポンプ」理論(ここでは森林の生物群系が巨大な「送水ポンプ」として極めて重要な役割を果たす)を打ち出した。 

ハドレー循環」として知られる気象現象も「生物ポンプ」理論を構成するプロセスの一部である。赤道地帯では、太陽によって暖められた空気が上昇し、盛んに雲を形成して熱帯雨林を潤す大量の雨を降らす。こうした上昇気流は一定の高度に達すると両極に向かって移動を開始し、北緯(南緯)30度付近で冷却され密度が高くなって下降していく。 

下降した気流は、地表付近を通って再び赤道に戻っていく。従って北緯(南緯)30度付近は常に下降気流(高温で乾燥)が存在し、亜熱帯高圧帯となって雨が少なく乾燥気候となっている。チリのアタカマ砂漠やナミビア、アンゴラのナンビ砂漠、オーストラリア中央部(南半球)、アフリカのサハラ砂漠、中東の一部、米国の南西部(北半球)等、多くの砂漠地帯が存在するのはこの気候帯である。 

「一方、南米大陸南部地域(アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリを含む円錐形の地域)の大半は、アマゾン熱帯雨林が生成する降雨の恩恵を受けて、これまで砂漠化の運命を免れてきた。しかしアマゾンの森林破壊は、この「長距離灌漑システム(=空飛ぶ川)」を傷つけている。ブラジル最南端のリオ・グランデ・ド・スル州で進行している砂漠化は、そうした兆候の示すものである。」とノブレ氏は警告した。 

もう一つの例外地域は、亜熱帯林が広がる中国南部地域である。ここでは北西に位置するヒマラヤ山脈が、ちょうど南米のアンデス山脈と同様、湿潤な気流とモンスーン(季節風)の風向きを変える働きをしている。 

「空飛ぶ風」という表現は、ジェラルド・モス(スイス人でブラジルに帰化)氏がマルギ夫人とともに飛行機を駆使して、アマゾン熱帯雨林から流れる湿潤気流を追跡・調査したプロジェクト(Flying River Project)を通じて一般に知られるようになった。 

雲の中のあらゆる水滴には、独自の「フットプリント(痕跡)またはDNA」があり、分析することでアマゾン熱帯雨林から発生したものか海面から生じたものかを特定することができる。「プロジェクトの狙いは、水源の特定と、広大なアマゾン盆地全域に水分を運ぶ気流の経路の解明です。」とモス氏は語った。 

またモス氏は、「ブラジルは、カーニバルやサッカーの国である前に、年間降水量が一万三千四百立方キロメートルにも及ぶ『水の国』なのです。」「アマゾン中央部にあるブラジリアのような都市では、厳密な数値はまだ証明されていないが、降雨量の約30%はアマゾン熱帯雨林からの『リサイクル(木から発散された水分)』と言えるものなのです。」と語った。 

ノブレ氏によると、森林は上空の気流に水分を補給する「送水ポンプ」の役割を担っており、その能力は海面を上回る。「それは海の場合、蒸発する水面がフラットなのに対し、木には多くの葉が茂っていることから蒸発面積が何倍にも広くなるためです。」とノブレ氏は語った。 

アマゾン地域の大木は、一日に最大三百リットルの水蒸気を蒸発させる。ある測定によると、アマゾンの熱帯雨林は毎日二百億トンの水蒸気を生成しており、その規模は、アマゾン川が大西洋に毎日送り出す水の生成量(170億トン)を上回るものである。 

アマゾン沖海面の蒸発水分を含む湿潤な気流(=空飛ぶ川)は、アマゾン熱帯雨林からの水蒸気(50%は雨となってリサイクルされる)で増幅し、各地に雨を降らせながら南へと流れている。そしてこの湿潤な気流が、ハドレー循環の影響を一部相殺する役割を果たしているのである。 

さらに言えば、この湿潤な気流の通り道にそった森林地帯は、さらなる水分補給を行っており、「空飛ぶ川」の到達範囲を広げる役割を果たしている。こうした「支流」の存在がなければ、気流はより早い段階で水分を失ってしまうことになる。すなわち森林が存在しなければ、海から遠く離れた内陸地は、東ヨーロッパで起こっているように、砂漠化する傾向にある。 

「森があるところに雨が降る」というのは先住民の間に伝わる古くからの言い伝えであるが、「現代科学は、自然よりも工学に目を奪われていたために、こうした自明の理を認めるまでにあまりにも多くの年月を必要としたのです。」とノブレ氏は語った。 

雨が生成されるには、水が凝着するための微粒子が必要である。最新の研究によると、アマゾン熱帯雨林は、空気中に有機水蒸気を排出しており、これが水を凝着させ雨を引き起こす「種」の役割を果たしている。 

一方で、火災から生じる煙や乾燥地からの砂埃、そして一般的な大気汚染など、微粒子が過剰に存在するケースでは、全く逆の現象が生じる。その結果、アマゾン地域でも耕作や放牧に山焼きが一般に行われている地域では、旱魃がより起こりやすくなっている。 

森林伐採や山焼き行われると、熱帯雨林植物の根が地中深くに定着できなくなり、周辺地域一帯も降雨量が減少し、不安定で燃えやすい状態となる。それとは対照的に、ブラジルサバンナ地帯であるセラード地域の典型的な植相は、乾燥時期が長く続く気候(10月~4月に大量の雨が降り、残りは非常に乾燥した季節)に適応して地下深い根系を有している。 

森林破壊のペースは全体として減少傾向にあるが、既に失われた地域が周辺の森林破壊を誘発する恐れがあり、再び雪だるま式に増加する可能性がある。アマゾン地域で発生した旱魃のペースは、2005年から2010年の間に増加しており、こうした懸念を加速させるものとなっている。 

「地球上の生物圏と自然界の間には、一種の『サーモスタット(自動温度調節器)』のようなものが存在し、バランスが保たれている。しかし人間は、こうした環境に、独自の代謝作用を持ち込み、数百万年に亘って続いてきた安定を破壊する能力があるのです。」とノブレ氏は語った。 

ノブレ氏は、「今日の地球は、多臓器不全を引き起こし集中治療室に入った重症患者の状態にある。」と確信している。 

しかし一方で、ノブレ氏は、今後の見通しについて一縷の望みを抱き続けている。ノブレ氏はその理由として、森林破壊の問題に対する一般市民の意識が高まってきたこと、そしてサハラ砂漠の一部で森林の再生が開始されたエジプトの事例を引き合いに、砂漠化の進行さえ反転させ得る最新の科学知識の存在を挙げた。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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もう一つのアフリカが出現しつつある(パオラ・ヴァレリ)

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【IDNマドリッド=パオラ・ヴァレリ】

「アフリカ大陸は自給自足が可能であり、一世代の間にそれは実現可能である。」12月2日にタンザニアのアルシャ市で開催された東アフリカ共同体(EAC)非公式会合の会場で、各国首脳の前でこう語ったのは、ハーバード大学ケネディ校のカレスタス・ジュマ教授である。この会合のテーマは「アフリカの食糧安全保障と気候変動」であった。

事実、ジュマ教授がビル&メリンダ・ゲイツ財団の支援で完成させた新報告書「The New Harvest: Agricultural Innovation in Africa」には、数十年に亘って行われてきた原材料を輸出し食料を輸入する政策を、いかにアフリカ大陸のみならず国際社会全般にとっても有益な形で転換をはかることが可能か記されている。現在、アフリカの雇用の7割を農業関連の仕事が占めている。

国際農業開発基金(IFAD)中央・西アフリカ部長のモハメド・ベヴォグィ氏は、「従って、技術と知識に対して投資を行うことが、アフリカ経済を近代化し数百万人に食の安全保障を確保し、さらに気候変動や砂漠化、温室効果問題等に対処する上で最も効果的な方法です。」と語った。

 1億9000万の人口を抱えるブラジルは僅か5年の間に食料の自給自足を成し遂げた。そして、アフリカも、技術と適切なインフラ、そしてノウハウに裏打ちされた農業政策を展開できれば、ブラジルと類似した転換を図ることが可能である。

正しい政策を適用することでどのような成果を得られるかについて考える際、アフリカで展開されたHIV/Aids対策が参考となる。つまりこのプログラムでは、患者に対する治療よりはむしろ感染防止に取り組む市民社会や教育を通じた啓発活動に資金を投入することで大きな成果をあげた。

メディアは、アフリカが抱える現実のほんの一部のみを抽出して定型概念化したイメージを報道する傾向があるため、結果的にアフリカについての誤ったイメージを広めている側面がある。例えば、標準体重に達しない子供のイメージがこれに当たるものである。実際は世界の標準体重に達しない子供の46%は南アジアに集中しているにもかかわらず、多くの人々は、こうした子供のイメージを聞くとアフリカの子供を想像してしまうのである。

従来行われてきた世界各国の対アフリカ政策やアフリカ現地の政策は、いずれもアフリカの対外依存を助長するものだったし、財政援助もアフリカ各国の経済成長を促すというよりはむしろ援助受領国側の腐敗を助長した側面があったことが明らかとなっている。

メディアが伝えるアフリカのイメージとアフリカ大陸に対する諸政策の直接的な関連性を明らかにしようとする試みは、正当性が認められにくい、むしろ大胆なものかもしれない。しかしメディアには、21世紀のアフリカ大陸の現実や、アフリカの人々が自らの未来を切り開こうと努力しているダイナミックは現実をよそに、「無力なアフリカ」のイメージを作り上げてきた責任がある。

アフリカ大陸は、依然として課題が山積しているものの、その優れた潜在能力を示す様々な兆候が顕在化してきている。

例えば過去15年間を振り返ると、栄養不良の問題や教育分野で順調な成果を上げてきている。この期間、アフリカ大陸における栄養不良人口は5%減少し、サブサハラ以南の地域における初等教育就学率は57%から76%に改善した。

ミレニアム開発目標(MDG)の観点からみると、アフリカの数カ国が大きな成果を挙げている。例えば、ガーナはMDGの第一目標である「極度の貧困と飢餓の撲滅」を既に達成している。

国連開発計画(UNDP)によると、「ルワンダは開発とMDGs達成に向けた進歩という点でユニークなケースである。1990年代、多くの国がMDGsを実施する軌道にあった一方で、ルワンダは1994年の大虐殺と内戦の傷跡から回復している段階であった。」

またUNDPは、マラウィは予防接収プログラムで大きな成功を収めており、MDGsに関しても保健、教育、女性と開発、環境、良い統治の分野で成果が期待できると報告している。

パラダイムシフト

南アフリカ政府通信情報システム局(GCIS)
のテンバ・ジェームズ・マセコCEOは、今こそアフリカや全ての開発途上国に対する、メディアや意思決定者のものの見方が根本的に転換されるべき時にきていると考えている。

アフリカが依然抱えている課題は明らかであり、取り組んでいかなければならない。マセコ氏は、アフリカが変わっていくための鍵として以下の5つの分野を挙げている。①貧困、婦女子虐待、人権問題に取り組むリーダーシップの必要性、②投資や企業活動を促進する経済政策、③集団移住、頭脳流出とそれに伴う技術・知識の損失の問題に取り組む必要性、④森林破壊から、鉱物資源の乱開発、砂漠化まで多岐にわたる環境問題への取り組みの必要性、⑤腐敗問題への取り組み。

その他にも、ダイナミックなアフリカが今まさに現出しようとしている兆候がある。例えば携帯電話の急速な普及である。2003年から08年までの期間にアフリカにおける携帯電話の契約者は5400万人から3億5000万人へと550%の伸びを示した。多くのアフリカ諸国では依然としてブロードバンドへのアクセスが困難なため携帯機器が中小企業にとっても基本的なツールになったのである。

今日、アフリカ諸国は、携帯電話を使った銀行サービスや電子取引について、世界に先行している。ケニア、タンザニア、南アフリカ、ザンビアにおいては、携帯電話ネットワークのオペレーターが、銀行を仲介しない支払や送信サービスを提供している。そしてSMS(ショートメッセージサービス)を通じた支払いが農村地域で広く普及している。

アフリカは世界で2番目に大きな、そして最も人口が多い大陸である。そしてその人口のほぼ半数が15歳未満のおそらく世界で最も若く出生率が高い大陸でもある。たとえメディアが注目しなかったとしても、(メディアが描いてきた無力なイメージとは異なる)もうひとつのアフリカ、つまり自らの考えを持ち、深刻な未解決の諸問題に積極的に立ち向かっていこうとするダイナミックなアフリカが現出している。そしてこの新たなアフリカが、全世界の将来のためにも、国際社会からの支援を必要としているのである。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

パオラ・ヴァレリ氏は国際人権団体の出版・編集部門に勤務。また、Civilización Global誌の編集委員でもある。2010年IPS年次会合に出席した。

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|輸送と環境|社員と共に社会との共存共栄を目指す(石原正貴)

【東京IDN=浅霧勝浩】

「吾以外皆我師(われいがいみなわがし)」この諺の通り、株式会社日ノ丸急送の石原正貴社長は、社員との日頃からの細やかなコミュニケーションを経営の信条としている。「私は当社で働いてくれている全ての従業員に感謝の気持ちを持っています。私は仕事への関心や責任感のみならず、一緒に働く同僚としてのプライドと喜びを全従業員と共に分かち合っていきたいのです。」と石原社長は語った。

株式会社日ノ丸急送は、香川県高松市に本社を置き、一般貨物運送のほか、梱包・荷役、保管・物流管理、食品流通加工、物流システム開発を手掛けている。また、2006年以来、「安全性優良事業所(Gマーク)」を取得している。

会社の設立は1957年(昭和32年)。現在役職員45名、現業員170名、パート136名が勤務している。

石原社長は今年の年頭所感の中でこうした信条を以下のように述べている。「いかなる企業も、社会との共存共栄なくしては生き残れません。そのためには、従業員に先進的な訓練を提供し常に社員教育を充実させることが肝要です。自らを社会通念や常識という観点から見直さなければならない時にきています。」

Hinomaru Kyuso
Hinomaru Kyuso

 また石原社長は「CSR:企業の社会的責任」として、環境への貢献を重視している。日ノ丸急送には、大型車10両、普通車60両、小型車17両、その他14両、フォークリスト5両がある。

「我が社では全てのトラックにデジタルタコグラフを装着しています。トライブレコーダーを導入した他社の場合と同様に、我が社ではデジタルタコグラフを導入した結果、トラック運転手達がより積極的に、安全運転とともに環境に優しい(省エネ)運転に取り組むようになりました。」と石原社長はIDNの取材に対して語った。

石原社長はさらに、「その結果、(それまでも殆どなかったが)物損事故も燃料消費も減りました。デジタルタコグラフにはGPS(全地球測位システム)が組み込まれており、私たちは稼働中の全ての車両の運行ルートを把握できるほか、各車両の走行中における全ての様子を記録することができます。」と付加えた。

石原社長は、以前はサラリーマンであった。後に先代である父に請われてトラック業界に転身した際、当時のトラック業界全体の社会的地位が、不当に低いと感じたと言う。「私は、流通業界は現代社会の基幹部分を支えている重要な産業であると自負してきました。時代は益々目まぐるしく変化しており、トラック業界全体として、とりわけ個々の運送会社としても、時代の要請に適応すべく新しい取り組みに積極的に挑戦していかなければなりません。」

石原社長は1916年(大正5年)生まれで日ノ丸急送の創業者である父正吾について、懐かしく振り返って語った。正吾は東京の拓殖大学を卒業後、三菱マテリアルに就職したが、太平洋戦争が始まると徴兵され中国大陸に送られた。そして出征中は会社では休職扱いとされた。

1945年(昭和20年)8月に日本が降伏した時点で、陸軍主計少尉であった正吾率いる部隊は中国北部の旧ソ連国境にいた。当時ソ連が既に日ソ中立条約を破棄していたことを知らない一行は、中立国のソ連領は安全と思い国境を越えた。ところが、まもなく全員捕虜となりシベリアの強制収容所に抑留された。

正吾はその後解放され、帰国後三菱マテリアルに復職したが、間もなく辞めてしまう。その理由は、元の職場では正吾が出征中、会社に残った元部下たちが戦後は上司に昇格しており、新たな環境に馴染めなかったからだった。

こうした折り、酒場で再会した運輸省に勤める旧友との再会が正吾に新たな転機をもたらすこととなる。その友人は正吾に新たに運送会社を立ち上げることを勧めたのだ。当時、運送会社を始めるには運送免許の取得が必須だったが、友人は免許取得を支援することを約束した。こうして1957年(昭和32年)、正吾は事業用小型3輪自動車4両で有限会社日ノ丸急送をスタートさせ、主に建築資材の輸送を手掛けた。

3人兄弟姉妹の長男として生まれた息子の正貴は、京都の大学を卒業後、父の家業ではなく、関西で信用金庫に就職した。正貴はその理由として、「私は子供の頃から戦後復興期の運送業界を見てきました。今と違って、当時のトラック運転手は荒っぽい人が多く、お酒もよく飲んでいる印象を持っていました。そうしたことから、当時、父の運営する運送会社に就職する気にはなれなかったのです。」と語った。

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しかし約20年前、父正吾が喉頭がんを患いコバルト照射治療を始めたことから、請われて実家に帰ることとなった。その後、幸い正吾はがんから回復したが、結果的に正貴はそのまま家業を手伝うこととなった。

この時期、日本は建築ブームに沸いており、日ノ丸急送では主に建築資材を扱っていた。しかし本州と四国を繋ぐ(日ノ丸急送が本拠をおく香川県は橋の四国側に位置する)瀬戸大橋が完成した頃から、次第に建築ブームは下火となっていった。

「私は当時、建築資材を扱い続けることに危機感を抱きました。しかし当時父は、私が会社の従来の方針を転換することに否定的でした。父は当時、香川県トラック協会の副会長を務めており、実質的な会社の運営にはあまり関わっていませんでした。しかし私は父の存命中は彼の意向を尊重し、建築資材の運搬を継続しました。そして父が他界した後、約10年程前から、会社の方針を転換したのです。」と石原社長は語った。
 
 石原社長はさらに続けて、「主に建築資材の運搬を継続する一方で、新たに食料品を運搬する車両を3台導入しました。しかし当時はまだ、いわば『A地点からB地点』というように単純に物資を輸送していたにすぎませんでした。そうしたある日、私は東京で参加したセミナーで、米国で新たに注目を集めていた3PL(サード・パーティー・ロジスティクス:荷主企業の物流管理の全体もしくは一部を、受託する物流業務形態のひとつ)について知ったのです。」

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Hinomaru Kyuso

「折しも物流業界における価格競争は熾烈になってきており、他社との区別をどうするかが大きな課題となっていました。そうした中で、3PLこそが我が社の将来の行く末を確かなものにすると確信したのです。当初はこの新システムを会社に導入することについて、社員の理解を得るのに苦労しましたが、幸いちょうどタイミングよく、当社に物流管理を委託したいという食料品会社が現れ、導入・実施に踏み切ることができたのです。」
 
 また石原社長は、従来の長距離輸送を廃止し、事業を四国全域に集中した。四国から東京、大阪などへの長距離輸送には、往路はともかく復路に積み荷を見つけることが困難という問題がつきまとっていた。その上、東京や大阪に拠点をもつ運送会社は、地方からの復路に荷台を埋めようとダンピング価格で輸送に応じることが少なくなく、地方の運送業者にとって一層価格競争を厳しいものにしていた。

一方四国(香川、愛媛、高知、徳島)では、日ノ丸急送は、冷蔵設備を備えた物流センターを含む強固な物流ネットワークを有しているため、例えば異なる荷主様の貨物を各々別のトラックではなく、効率よく一台のトラックで配送するなど、競争力ある価格で輸送サービス営業を展開できる。

このように時代の要請に適応して業務改革を進めてきた石原社長だが、父正吾が始めた新聞輸送については、聖教新聞公明新聞四国新聞愛媛新聞を引き続き取り扱っている。事実、日ノ丸急送では新聞運搬業務は食料品輸送業務、3PLによる物流管理業務と並んで同社の主要業務となっている。

本記事は、IDNの特集シリーズ「企業の社会的責任:輸送と環境」の第5弾である

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【IPSコラム=キャサリン・サリヴァン】

被爆者達の体験談を聞いて、マンハッタンのある高校生が「私たちの知っている世界が、いかに一瞬にして文字通り灰塵に帰してしまうという恐ろしい現実を思い知らされました。」と感想を述べた。

今日、核兵器の拡散は、世論の関心が遠のきつつある中で、引き続き進行している。また、1960年代や80年代に世界各地を席巻したような大規模な軍縮運動はもはや存在していない。それに代わって、今日では、核兵器の問題は一種のバックグラウンドノイズ(暗騒音)のような存在となっている。メディアには核問題を取り扱ったニュースがほぼ毎日登場し、かなり率直に報道されている。しかしこうした報道の中には、多くの視聴者・読者、とりわけ核兵器時代がもたらした明確なリスクについての知識をほとんど持ち合わせていない若い世代の人々の理解が及ばない深い意味も含まれている。

「核兵器のない世界」を実現するには、放射能が引き起こす暴力と核兵器がもたらす恒常的な脅威を十分に認識した庶民の存在が不可欠である。

 報告書「軍縮および不拡散教育に関する国連の研究」が指摘している通り、国連加盟諸国は、将来の指導者及び市民に対する教育を、真剣かつ危機感をもって重視する必要がある。また教育者たちは、若い世代が核兵器問題に関心を持つよう、創意工夫すべきである。そのためには、例えば軍縮についての教育に止まらず軍縮のための教育を行うなど、思慮に満ちたアプローチが求められる。

コフィ・アナン前国連事務総長は、こうした教育こそ今後絶対に必要だとして次のように述べている。「軍縮と核不拡散の分野、とりわけ大量破壊兵器について、さらには、小型武器や国際テロリズムの分野において、今日ほど教育の必要性が求められたことはありません。冷戦の終焉以来、安全保障と脅威に関する概念が変化してきており、時代の変化に対応した新たな考え方を習得しなければならないのです。そしてそのような考え方は、現在教育と訓練を受けて育った世代から初めて生まれるのです。」

今でもなお、核兵器に関する基本的な事実関係を理解している学生は大変少なく、例えば世界に存在する23,000発の核兵器は、9カ国が保有しており、地球上の全ての生き物が存続の危機に晒され続けている事実を聞くと、驚きを隠せない反応をする学生がしばしばいるのが現状である。多くの人々が、核兵器は従来の通常兵器とは全く異質の存在であるという事実を認識していない。また、私たちは、核爆発が主に衝撃波、熱、火災、放射能を伴った想像を絶する破壊力を持つものであるという事実を気付かされる機会はほとんどないのが現状である。

核爆発から生じる強烈な光と熱は太陽内部の3倍にも達し、ファイヤーストームを引き起こす。それは周囲の酸素を奪い尽し、暴風が瓦礫を巻き込みながら勢いを拡大し、恐ろしい地獄絵図を現出する。スタンフォード大学のリン・エデン博士は、今日配備されている戦略核兵器の大半の平均サイズにあたる300キロトン級の核爆弾(広島に投下された核爆弾は15キロトン級であった)は、使用されれば、爆心地から半径64キロ~104キロにわたってファイヤーストームを生じさせ、「その中では事実上いかなる生物も生き残れない。」と述べている。

また教育者たちは、同じく誤解されていることが多い核兵器がもたらす放射能の影響についても正しい知識の普及に努める必要がある。放射性物質は自然界に放出されると数千年に亘って存在し続け、未来の世代に亘って、癌や遺伝子の突然変異を引き起こす。核兵器が使用されてかなりの年月が経過しても、被爆地にとどまり続ける放射能は静かに致命的な影響を周囲に与え続けるのである。核兵器の主な構成材料であるプルトニウムは、半減期までに実に24000年を要するのである。

多くの学生たちは、1945年の広島、長崎の原爆投下で被爆した後、今日も生存しておられる人々がいることを知らない。日本語では原爆攻撃を生き延びた人々のことを被爆者と呼ぶ。こうした被爆者の体験談に耳を傾けることは、若い世代の人々が核問題についてしっかりとした理解を持つうえで重要な一助となるだろう。被爆者から直接の体験談を聞くことで、学生たちは核兵器や放射能がもたらす例外的な危険を理解し始めるとともに、核時代に生きる私たちが日々直面している恐ろしい現実を把握できるようになるだろう。

このような緊急を要する(核時代の現実に関する)教育と理解が求められているのは、若い世代の人々だけではない。残念ながら、核兵器を「現実問題」として核の脅威との共存はやむを得ないと信じている大人たち、しかもその多くが政治的に重要な地位にある人々にこそ、こうした教育と理解が緊急に求められている。

最近は(将来における)核軍縮の重要性が議論され、核兵器の時代を終焉に導きうる国際的な法律や合意が存在するにもかかわらず、そうした議論や合意内容にある美辞麗句と現実の間には未だに途方もないギャップが存在している。例えば、これまでに核軍縮庁を設立した国があるだろうか?自国の核兵器廠の解体を計画する準備が整っている国は存在するだろうか?また、そうした最も崇高な作業に充てられる人員や予算はどうなっているのだろうか?

もし選択肢があるとしたら、私たちは、本当に地球上の万物の生命の灯を消し去れる力(=核兵器)を持った世界に生きたいだろうか?

人類が、広島・長崎で起こった現実に対する認識から遠ざかれば遠ざかるほど、偶発的或いは計画的であれ、再び核兵器を使用しかねないということを理解するのに、あえて大した社会分析を行う必要はない。近年大手メディアからは、「身近な屋内における迅速な避難措置(sheltering in place)で命は救える」といった問題の本質をすり替えた報道を耳にする。しかし核攻撃の危険を回避する唯一の方法は、核兵器の持つ本当の意味合いについて私たちが自らを教育し、核兵器を廃絶する他にないのです。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

* キャサリン・サリヴァン博士は、軍縮教育家・活動家、国連軍縮局のコンサルタント。「被爆者ストーリーズ」代表として被爆者をニューヨークの高校に招聘して体験談を分かち合う活動を行っている。また、長崎の被爆者に関する2つの映画作品「最後の原爆」(2005年)、「最後の望み」(公開予定)がある。



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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

12月22日、ロシアとの新しい戦略兵器削減条約(START)批准採決で、13人の米共和党上院議員が党指導層の方針に反して賛成票を投じたことで、批准に必要な上院の3分の2以上の賛成が得られた。バラク・オバマ大統領にとっては、外交政策と国内政治の両面において重要な勝利となった。

オバマ大統領は臨時の記者会見を開いて超党派による投票結果を歓迎し、「我々の安全保障に関して共和党と民主党が協力しているという強力なシグナルを世界に送ることができる」と述べた。

 「これはこの20年ではもっとも重要な軍備管理上の協定である。米国はより安全になり、ロシアとともに我々の核戦力は削減されることになろう」。

外交政策に関しては、世界の核不拡散体制強化だけではなく、漸進的な世界の非核化推進というオバマ大統領のビジョンも保たれることになった。

短期的に言えば、対露関係の「リセット」というオバマ大統領の唱導してきた政策にも改めて弾みがつくことになる。イラン核開発の抑制とアフガニスタンにおける米国の対テロ戦争の遂行というオバマ政権の2大対外政策に関して、ロシアの協力を得ることが、成功の鍵を握ると考えられている。

ロシア政府筋も同日、ロシア国会も週末には条約案を批准する見込みだと述べた。

政局の面から言えば、これだけ多くの共和党議員がオバマ政権側に付いたということが、共和党内で少なくとも国家安全保障問題で深刻な分裂があることを示している。オバマ政権は、2011年1月からの議会で共和党が多数を占めるようになるにもかかわらず、こうした分裂を効果的に利用することができるであろう。

さらに、11月末の中間選挙で民主党が惨敗して以降、米議会においてオバマ政権はいくつかの得点を挙げてきたが、今回の新STARTの批准はその延長線上に起こったものである。850億ドルの減税・景気刺激予算を通過させたこと、同性愛者であることを公表した者が米軍で軍務につくことを禁止した「聞かざる、言わざる」政策を共和党右派からの激しい反発を押し切って廃止したことが特筆される。

ある米議会スタッフは、オバマ政権がいうところの11月選挙の「大惨敗」を念頭に置きつつ、「今回の投票結果で、中間選挙直後は言うに及ばず、ほんの1週間前に思われていたよりも大統領ははるかに影響力のある政治的プレイヤーであることを見せつけて1年を締めくくる形になった」と語った。

START後継条約の批准までには、3週間にわたってホワイトハウスが中心となった激しいロビー活動が行われた。国防総省、米軍幕僚、安全保障関係の元高官もこれを支援した。共和党の歴代の5つの政権から、ジョージ・ブッシュ元大統領(父)、元国務長官として、ヘンリー・キッシンジャー氏、ジョージ・シュルツ氏、ジェイムズ・ベーカー氏、コリン・パウエル氏、コンドリーザ・ライス氏が新START賛成を表明した。

昨年4月に署名された新条約の主要部分は比較的穏健な内容のものだと考えられている。米露両政府は、それぞれの戦略核弾頭を7年以内に1550~2200発までに削減する。

また、米露による相互査察の再開も盛り込まれた。ブッシュ(父)政権が1991年に結んだ第一次STARTが2009年12月に失効したため、相互査察もそこで取りやめになっていた。

条約の内容はこのように穏健なものであるが、共和党のジョン・カイル上院院内幹事(アリゾナ州選出)などの右派が批准に反対した。条約上の文言によって米国のミサイル防衛システムの開発が妨げられる可能性があること、ロシアの数千発に及ぶ戦術核が条約でカバーされていないことが反対の論拠だった。また検証に関する条項が不適切だという意見もある。

しかし、より強力な反対は、むしろ政局がらみのものであった。「民主党が次の会期では多数でなくなってしまうにもかかわらず、レームダック・セッション(中間選挙後から2011年1月の新会期までの残りの会期)の間に軍備管理条約を通すべきではない。」という主張である。

上院が5日間の審議を締めくくって条約案を賛成67・反対28で承認したことを受けて、リンジー・グラハム上院議員(サウスカロライナ州選出)は「なぜ批准まであと5週間待てなかったのか」と不満を口にした。

次の会期で共和党議員が6人増えるという状況の下では、オバマ政権が条約批准を勝ち取るのはより困難で、政治的にコストの高くつくものになるものであろうことは、条約賛成派にとって自明であった。

そこでオバマ政権は、中間選挙を前にして、カイル議員らと協議してその他の分野で譲歩を行った。核兵器近代化5カ年計画のために850億ドルの支出を約束したのがその代表である。

オバマ政権は、カイル議員が、共和党のミッチ・マコネル上院院内総務(ケンタッキー州選出)の支持を受けて、条約批准の採決を翌年まで遅らせるかもしれないと示唆したことに衝撃を受けた。

この時点において、ホワイトハウスのロビー活動に加速がつき、平和、軍縮、宗教などの関連集団は支持者を動員して浮動的な上院議員に地元から圧力をかけさせた。

この時点では、共和党からはリチャード・ルーガー上院議員(外交委員会筆頭理事、インディアナ州選出)ただひとりが条約を強く支持していたにすぎなかったが、少なくとも6~7人の共和党議員が、適切な状況が生まれれば賛成票を投じる方向に傾いていた。

その後、ホワイトハウスは、存命のすべての元国務長官、ほとんどの元国防長官と、ジョージ・ブッシュ(子)氏を除く全ての存命の元大統領を担ぎ出した。また、条約否決でイラン問題に関してロシアからの協力が得られなくなる結果になることを恐れる主要なNATO同盟国と、主要なユダヤ系団体からの、条約賛成への強力な支持も取り付けた。これに対して、極右のヘリテージ財団、ジョン・ボルトン元国連大使(アメリカン・エンタープライズ研究所)、『ウィークリー・スタンダード』誌のウィリアム・クリストル氏などの著名なネオコン、サラ・ペイリン氏やミット・ロムニー氏などの2012年大統領選の候補者などが、批准反対の論陣を張った。

世論調査では条約賛成が圧倒的であったが、マコネル議員やカイル議員は右派についた。しかし、今となってみれば、これは重大な計算違いであった。21日になって、共和党のナンバー3であるラマー・アレクサンダー議員(テネシー州選出)が賛成に回ったのである。

アダム・ソーヤー氏は、この件についてウェブサイト「アメリカン・プロスペクト」でこう書いている。「共和党は自らを非難するしかない。なぜなら、上院共和党は批准を党派対立の問題にしてしまったからだ。もともとは共和党の大統領らが結び、民主党の大統領が更新したロシアとの協定は、いまや、オバマ政権にとっての大勝利となった」。

条約を支持する主要NGOのひとつ「プラウシェアーズ財団」のジョー・シリンシオーネ代表はいう。「結局のところ、共和党議員の4分の1以上が、軍指導部とほとんどの元国防長官、国務長官の意見を受け入れて、ジョン・カイル議員やジョン・ボルトンの勧告を無視したということだ」。「もっと兵器を、もっと戦争を、という彼らの極端な見解は、何がベストかを知っている人々によって拒絶された。核政策や軍事行動、軍事予算に関する今後の議論を考えると、これは希望のある兆候だと言える」。

こういう見立てもある一方で、オバマ政権が新START後の軍縮問題で最重要課題と位置づける包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准については、共和党右派がかつてよりも勢力を伸ばした次期の上院では困難だろうという見方がもっぱらだ。

結果として、オバマ政権は、戦術核兵器削減などのより穏健な合意をロシアと結ぶことを追求し、米国が長期的な目標として非核化の約束を果たしていると国際社会に印象付けようとするのではないか。

他方で、22日の採決はロシアとの関係改善につながるであろう。ロシア政府は、条約案の否決ないしは採決遅延を行わないよう警告する発言を今週に行っていた。

ジョージタウン大学「生起する脅威プロジェクト」のディラン・マイルズ-プリマコフ氏(ロシア専門家)は、「おそらく、条約が米露の核戦力に与える影響と同じく重要なのは、これが両国関係全体の改善に資するという点であろう。」「もし条約が通っていなかったら、アフガニスタンへの兵員・軍事物資輸送のためのロシア領土・空域の米国による利用は危機に瀕していたかもしれないし、国連安保理でイランに対する新制裁決議を採択する際にロシアが拒否権を行使することになったかもしれない」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│カンボジア│欧印貿易交渉で抗レトロウィルス薬入手困難に?

【プノンペンIPS=フォン・ペン】

この7年間毎日、1日2回、メン・トールさん(39)は薬を飲み続けてきた。彼は、1990年にHIVテストで陽性と判定された。それ以来、木の根っこなどを原料にした伝統的な薬を使ってきたが、症状は一向に改善しなかった。 

しかし、2003年になって抗レトロウィルス薬を使い始めてから体調が安定し、定職にも就けるようになった。

 しかし、EUとインドとの間の貿易交渉が、トールさんたちの将来に暗雲を投げかけている。現在両者の間で進んでいる交渉で、欧州企業の知的財産権を守るために、インド企業がジェネリック薬を製造することが大幅に制限されようとしているのである。 

しかし、国内のエイズ患者のうち90%がインド製のジェネリック薬に依存しているカンボジアのような国においては、これは深刻な事態を引き起こすことになる。 

カンボジアのエイズ罹患率(成人)は1998年には2%だったが、今年は0.7%まで低下している。この間、抗レトロウィルス薬の使用が爆発的に増えたのは、偶然ではない。2001年には国内でわずか71人しか使用していなかったが、今年は4万人も使用している。これは国内のエイズ患者の86%を占める。 

「HIV/AIDSとともに生きるカンボジア市民ネットワーク」のヘン・フィン氏によれば、2000年ごろには抗レトロウィルス薬での治療を受けるには年間1万ドルが必要であったが、現在はわずか80ドルで事足りるという。 

オックスファム・インターナショナルとヘルス・アクション・インターナショナルが10月に発表した報告書では、EUが欧州市民のために医薬品の価格を下げようと努力する一方で、途上国のエイズ患者の薬代を高くするような交渉を行っていることを「ダブルスタンダード」だと非難している。 

欧州委員会は、「貧困国の市民も低価格の医薬品を手にできるようにするのがEUの方針」だと弁解しているが、「健康に対する権利に関する国連特別報告官」のアナンド・グローバー氏は、欧印協定のリークされた草案によれば、インドでのジェネリック薬生産は「相当に制限される」ことは間違いないだろう、としている。 

途上国のエイズ患者を危機に陥れる欧印貿易協定について報告する。 

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩 

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President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Public Domain

【国連IPS=カンヤ・ダルメイダ】

1980年代末に冷戦の恐怖が去ろうとするなか、米国のロナルド・レーガン大統領とソ連(当時)のミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長が、「核兵器の完全廃絶」を議論するためにアイスランドの首都レイキャビクで会談を行った。

それから20年後、世界の指導者らは、依然として大量の核兵器を維持し続けている。

国連の「軍縮・平和・安全保障に関するNGO委員会」が作成した2010年の統計によると、現在9ヶ国(安保理五大国+インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル)が核兵器を所有(あるいは、それを開発・配備する手段を保有)している。その内、米国とロシアが全体の95%を占めている。

 長年にわたって、特に米国の外交政策論議においては、軍縮の問題は「抑止論」によって支配されてきた。「国家に対する潜在的な敵は核戦争の脅威によって抑止しうる」という考え方である。

「NGO軍縮委員会」が今週開催したパネル・ディスカッションでは、法律の専門家であるジョン・バローズ氏とワード・ウィルソン氏が抑止論の誤りを暴き、軍縮に関する対話をより建設的な方向に向けていくための議論を行った。

不拡散研究センター(CNS)の研究員であるウィルソン氏は、「国際社会は、我々の世界に関する理解として、コペルニクス的転回にも似た軍縮に対するアプローチの大胆な変化、つまり、パラダイム・シフトを起こす必要がある。」と語った。

「長年にわたって、米国をはじめとした多くの国が、核抑止論を『危険でおそらくは非道徳的なものではあるが、確実に必要なものである』という考え方をとってきた。」とウィルソン氏は言う。

しかし、ウィルソン氏の研究によれば、核兵器の使用も、あるいは使用の威嚇も、戦争を抑止したり、相手方に降伏を促したり、勝利を確実にしたりする効果はないという事例が歴史には多く見られるという。

おそらく、核兵器の持つ力を示すものとして最も多く引用されるのが、ハリー・トルーマン大統領が1945年8月6日に広島に原子爆弾を投下する命令を下した後に日本が降伏した、という事例であろう。

米国は、広島の悲劇は核兵器の「サクセス・ストーリー」であると宣伝し、その後の核兵器開発を推進し正当化するための例えとして用いてきた。

しかし、ウィルソン氏は、多くの人々が注目してこなかった事実に目を向けさせることによって、こうした考え方を解体することを試みた。たとえば、広島は、45年8月までに容赦なく爆撃されてきた日本の68都市のひとつに過ぎない、という事実である。

原爆投下による広島での死者数は、それまでの日本本土空爆における死者数の中でいうと、9位か10位にしか入らない。だとすると、なぜ、日本はリトル・ボーイの直後に降伏したのだろうか?
 
 ウィルソン氏によれば、その答えは、単なる神話の創造によるものだという。多くの歴史家や法律専門家、学者らが実際には、8月9日の長崎への原爆「ファット・マン」投下前のソ連軍の侵攻が日本の降伏に関しては重要であったという見解で一致している。

こうした神話解体には、法律の面から見て多くの意味合いがある。とりわけ、核兵器の使用が国際人道法に明確に違反している、ということである。

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核政策に関する法律家委員会(LCNP)のジョン・バローズ代表は最近、「米国の核兵器への依存を終わらせ、グローバルな核廃絶を達成する―法が要請する賢明な政策」という共同声明の作成に加わった。抑止であれ、何の目的であれ、核兵器の保有が違法であることを詳細に論じたものである。

この声明は、「この環境においては、数千発を超える米国の核兵器は米国の安全保障上の利益にかなわない。核兵器はそれ自体、米国の直面する安全保障状況の脅威になっている。」と述べている。

さらに同声明は、ハーグ陸戦法規ジュネーブ条約国際刑事裁判所(ICC)に関するローマ規程国際司法裁判所(ICJ)の1996年の勧告的意見など、戦争と武力紛争に関する国際法の中に核兵器の問題を位置づけている。

バローズ氏はIPSの取材に応じて「核兵器の使用が武力紛争に関する国際法によって違法だとされている事実は、米国が核兵器を使用すると脅すことは違法であるということを示しています。つまり、抑止の政策もまた違法だということです。特定の状況において核兵器を使用する気がないのなら、なぜ核兵器を保有する必要があるでしょうか?」「私たちには、人類の絶滅を脅しの種にする憂慮すべき状態が当然のことになってしまっています。私たちは、このような世界に住みたいのではありません」と語った。しかし、米国は平然として自国の核兵器を強化する一方で、世界的な非難をイランや北朝鮮、シリアといった国々に向けようとしている。

さらにバローズ氏は、「国連安保理が、核兵器を保有した五大国(米国、ロシア、中国、フランス、英国)によって牛耳られているという状況の下では、『脅威』を与える手段として核兵器に国家が依存するという状態を打ち破るために、国際社会が1996年のICJ勧告的意見の先へと踏み出ていく明確な方法があるわけではありません。」と語った。

「しかしメキシコは現在、ICCのローマ規程を改定して、核兵器の使用、あるいはその威嚇を違法化しようと提案しています。」「ICCの加盟国が近い将来この改定を採択することはありえることです。ローマ規程にすでにある禁止武器リスト(毒ガス、人体内において展開する弾丸)に核兵器を付け加えることで、核兵器を使用しないという国際規範を定着させていくことができるでしょう。」とバローズ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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海部俊樹元首相(INPS Japan会長)による講演会を収録

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Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.

東京のホテルオークラで海部俊樹元首相(INPS Japan会長)による講演会(政策研究会主催:政経セミナー)が開催され、INPS Japanからは浅霧理事長が参加し、撮影・編集を担当した。

翻訳=INPS Japan

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