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|イスラエル-パレスチナ|和平が遠のく中で平和の灯を守る人々

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【ユトレヒトIPS=フランク・マルダー】

政治家たちが和平プロセスを凍結させてしまった一方で、なお和解は可能だと信じる人々が集う多くのグループが、イスラエル、パレスチナ双方に存在する。彼らは、「どちらかの立場を選んだ瞬間から、あなたも紛争の当事者になってしまうのです。」と述べ、国際社会に対して、対立する双方が作り出すステレオタイプ(固定概念)を信じないよう呼びかけている。

「私たちは少数派ですが、革命はいつも少人数のグループから始まるのです。」と、テルアビブ大学の社会学者シロミット・ベンジャミン氏は語った。彼女はユダヤ人であるが、父がシリア人のため、「ミズラヒ(mizrahi)」と呼ばれるアラブ系ユダヤ人である。「だから私は、アラブ人を敵とは思えないのです。アラブは私の家族の文化の一部なのですから。」とベンジャミン氏は語った。

ベンジャミン氏は、最近アラブ系ユダヤ人の若者たちがアラブ世界で民主化を求める街頭デモに参加している若者たちへの連帯を表明した宣言書「Ruh Jedida: A New Spirit for 2011」の署名者の一人である。イスラエルのアラブ系ユダヤ人たちは、アラブ世界でデモに参加している若者達が訴えようとしている問題への理解を示して、「私たちも、大半の市民の経済的社会的権利を踏みつけ…アラブ系ユダヤ人、アラブ人、そしてアラブ文化に対して人種差別による壁を巡らせる政権のもとで生活しています。」と宣誓書に記した。

 ユダヤ人とアラブ人の争いは、しばしば作り出された固定観念によって悪化してきたが、こうした若きアラブ系ユダヤ人達は争いのどちらの側につくことも望んでいない。そしてそう考えているのは彼らだけではないのである。

「私の知っている大半の人々は本当に平和を望んでいます。しかし大半の人々は相手側を信頼できないのです。」とヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)で人権問題に取り組むラビ(ユダヤ教の宗教指導者)のために活動しているイェヒエル・グレニマン師は、IPSの電話取材に応じて語った。「パレスチナ人達は、自分たちの土地が占領されていることから明らかにユダヤ人を恐れています。しかしユダヤ人の恐れにも根拠があるのです。彼らの多くは、第二次世界大戦中に家族全員を殺されており、ハマスがイスラエルを滅ぼすという話を耳にして恐れを抱くのです。つまりパレスチナ人とユダヤ人は、双方が変わり、お互いに対する信頼を築いていかなければなりません。」

この人権団体には様々な政治的な背景をもつ約120人のラビが加盟しており、今月には権威あるアメリカン・ガンジー平和賞を受賞している。「私たちは日常生活の具体的なレベルでトーラ(ユダヤ教の律法)の教えを実践したいのです。例えば、私たちはパレスチナの人々と共にオリーブの収穫にでかけたり、ユダヤ人入植者を相手とした裁判にパレスチナ人の代弁者として証言したりしています。現在、米国からの団体が到着するのを待っており、彼らに東エルサレムを案内する予定です。」とグレニマン師は語った。

「私たちは共に生き残るか、それとも共に滅びるか2つに1つです。」とパレスチナ紛争に関する実際的な解決に向けた研究を行っているシンクタンク「イスラエル・パレスチナ研究情報センター(IPCRI)」のハンナ・シニオラ共同代表は語った。「例えば、環境問題を例に挙げると、紛争のために私たちは水資源の管理をおろそかにしています。その結果、時折帯水層(地下水を含む地層)が汚染されることがあるのです。もしユダヤ人とパレスチナ人がともに協力し合わなければ、私たちはともに災害に直面することになるのです。」

またシオニラ共同代表は、「もちろん、私たちパレスチナ人は、占領により虐げられており、自身の独立国家を必要としています。しかし独立後の私たちの将来は、ユダヤ人の隣人の将来と引き続き密接に関わっているのです。両民族はこの小さな土地に共に生きていかなければならないのです。ですから、私たちは両者間のより温かい関係を築くために道を切り開く努力をしているのです。」と語った。

「それは大変難しい取り組みです。」と、イスラエル国内において大多数を占めるユダヤ人と少数派のアラブ人の間の団結と連帯を育む活動を行っているアブラハム基金のアモン・ベエリ-スリッツェヌ共同代表は同意した。

さらに同氏は、「私たちはユダヤ人、パレスチナ人双方のコミュニティーと活動に取り組んでいますが、同時に全ての人から信用を得るのは難しいのが現実です。他のアオボカシー団体がしばしばイスラエル政府と対決する中で、私たちがそのような立場をとらないことが影響しているのかもしれません。私たちはユダヤ、パレスチナ双方のコミュニティーとも、そして政府とも協力するように心がけています。例えば、イスラエル教育省でアラブの言葉や文化を教えたり、イスラエル警察がアラブ系市民に対するサービスを向上させるための支援などを行っています。こうした取り組みが大変デリケートなものであることは容易に想像できるでしょう。」と語った。

「ムサラハ:和解のための聖職者の会(Musalaha Reconciliation Ministries)」のサリム・ミナヤー代表は、「国際的にもそうした取り組みは大変デリケートなものです。」「世界中の団体は一方を受け入れ、他方を否定します。私たちもしばしば、パレスチナ人側とユダヤ人側の双方から、相手側を非難して忠誠心を証明するよう求められます。しかし、和解のために従事している私たちはそのような要求に応えることはできないのです。私たちはユダヤ人とパレスチナ人の双方を支持し、擁護する存在でなければならないのです。なぜなら、どちらかの側を選択した時点から、紛争の当事者になってしまうからです。」と語った。

この団体は、パレスチナ人とユダヤ人のキリスト教徒が参画している。「私たちには『汝の敵を愛せよ』と説いたイエス・キリストという共通の信仰があります。しかし私たちは活動に共に取り組む人々の宗旨を問いません。例えば、私たちはパレスチナ人とユダヤ人の青年リーダーを対象とした『デザートエンカウンター』という砂漠をラクダに乗って旅したりハイキングしたりするプログラムを実施しています。両民族の青年リーダーたちは旅を通じてお互いを知り合うのです。」とミナヤー代表は語った。
 
一方で、パレスチナ人が苦しみ、両者の対立が激しくなっている中で互いを知り合うことに何の意味があるのかという声もある。これはまさに、ベツレヘムで会計士としているムサ・スベー氏が時折考えている疑問点である。

スベー氏は、「私は平和活動に従事しているイスラエル人に合う機会がありました。その時間が全く無駄だったわけではないし、僅かながらお互いの認識を改めることもできたと思います。しかし、結局はそのことで和解に達したとはいけません。イスラエル、パレスチナ双方とも国民に選ばれた政府は、明らかに益々右傾化してきており、両民族の大半の人々は行動においても思考においても、平和から依然としてほど遠いところにいるのです。」と語った。

ラビのグレニマン師は、「スベー氏のような人に私が唯一言えることは『私たちは君のような人が必要だ。』ということです。」「私の同胞のユダヤ人達が抱いている恐怖心は本物です。私たちにはこうしたユダヤ人に会って恐怖心を取り除いてくれるパレスチナ人が必要なのです。もし人々が、相手側が危険だから会いたくないというのであれば、そうした恐怖心はやがて現実のものとなってしまうのです。そしてこうした恐怖心こそ、私たちの政府が利用しているものなのです。だからこそ、私たちは人々が互いに信じ合い、相手側の人々も神の姿になぞらえて創造された人間であると捉えられるよう手助けすべきなのです。つまり、恐怖心と同様に信頼の気持ちも、やがて現実のものとなっていくものなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|タジキスタン|新しいテロ世代の波

【ニューヨークIPS=ポーシャ・クロウ】

国際社会の目がバーレーン、シリア、リビア、イスラエルの人権状況など中東情勢に釘付けになる中、国際危機グループ(ICG)が中央アジアの「最貧国」タジキスタンに関する報告書を発表した。

それによれば、タジキスタンは国内外において安全保障上の脅威に直面しているという。東部ラシュト地区では、軍閥や青年ゲリラなどに対する政府の不毛な掃討作戦が続けられていたが、2010年、エモマリ・ラフモン大統領とタジク反対戦線(UTO)のミルゾフヤ・アフマドフとの間で不安定ながらも和平合意がなされた。

その結果、2009年の襲撃以来、政府軍を悩まし続けてきたアフマドフとその支持者らは、恩赦との交換条件で武装解除に応じ、政権支援に回ることになった。

 「2010年のラシュト地区掃討作戦が失敗したことで、タジキスタン国軍及び治安部隊の戦闘力に関する信頼と威信は大きく傷つくこととなった。」と同報告書は記している。また、タジキスタンは、国内のこうした軍閥の脅威に直面する一方で、隣国のアフガニスタンを混乱に陥れているウズベキスタンイスラム運動(IMU)による脅威にも晒されていると報告している。ICGの中央アジアプロジェクトディレクターのポール・クィン=ジャッジ氏は、「IMUはイスラム国家樹立のビジョンを掲げて、タリバンとともにアフガニスタンで戦闘に加わっており、タジキスタン政府としては、IMUが引き続きアフガン情勢にかかりきりとなりタジキスタンの内政に干渉しないことを願っている。」と語った。

またICG報告書は、アフガニスタン紛争が1400キロに及ぶ同国とタジキスタンとの国境地帯に及ぶ中、脆弱なタジキスタンが、中央アジア各地のゲリラ勢力をひきつける可能性があると警告している。東部ラシュト地区での和平合意で現地のゲリラ部隊はわずか30人になったというが、一方でアフガンゲリラのタジキスタンへの浸透は既に何年にもわたって続いており、「タジキスタン政府は、こうしたゲリラ勢力に対処する能力をほとんど有していない。」と同報告書は述べている。

こうした安全保障上の脅威は、タジキスタン国内及びIMU内部で台頭してきている若い世代のゲリラたちである。「こうしたゲリラの多くは、1992年から97年にかけて5万~10万人の命を奪ったとも言われるタジキスタン内戦の記憶を持ち合わせていない20台の若者達である。」と同報告書は記している。

また同報告書は、「こうした新世代の台頭を背景に、タジク人があまりにも悲惨な内戦の記憶から、現政権(反乱を誘発するような腐敗政権ではあるが)に反抗することはありえないとする憶測は成り立たなくなってきている。」と記している。

「タジキスタンの政治腐敗状況は引き続き深刻なレベルです。」とクィン=ジャッジ氏は語った。同国政府は、アフガニスタンから中国、ロシアに麻薬を密輸しておりアフガニスタン国境の不安定化の一因となっているとの疑惑が持たれている。

ICG報告書によれば、タジキスタンは、腐敗した政権と弱い軍隊に加えて、「瀕死」の経済とインフラの老朽化に直面している。こうした深刻な現状に対する不満から、アラブ世界を席巻している民衆蜂起の波がいずれタジキスタンにも及ぶのではないかと予測する専門家もでてきている。

IGCアジアプログラムディレクターのロバート・テンプラ-氏は、「ラフモン大統領は北アフリカでおきた民衆蜂起がタジキスタンでも発生する可能性を否定しました。しかし、タジキスタンの脆弱な政治情勢を考えれば、国内の小さな問題でも政権の存続を脅かす大問題に発展しかねません。タジキスタンも中東・北アフリカを席巻している民主化の波の影響を受けないとはいえないのです。」と語った。

同報告書は、タジキスタン政府に対して、暴力を否定する穏健なイスラム集団を容認し、彼らの政治・社会参加を促すことが必要だと勧告している。また同報告書は、ロシア、中国、米国に対しては、アフガニスタン-タジキスタン国境のリスクを検証し、同国境の安全保障を強化する方策を協議するよう勧告している。また、「今の段階でタジキスタンや中央アジア諸国の開発援助スタッフの専門技術向上に投資しておけば、今後大きな成果を期待できる。」として、従来の開発援助のありかたを見直し、政治経済改革を促す各種条件を設けるよう勧告した。

タジキスタン情勢に関するICGのレポートについて報告する。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan戸田千鶴

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|アフリカ|人材育成に乗り出すインド

【ニューデリーIPS=ランジット・デブラジ】

インドのマンモハン・シン首相が5月24日にエチオピアの首都アジスアベバで発表した構想の中で、インド・アフリカバーチャル大学(IAVU)の計画は際立っていた。第2回アフリカ・インドフォーラムサミットで演説したシン首相は、アフリカの開発のために今後3年間で50億ドルを拠出すると約束した。

IAVU構想は、既に大きな成功を収めた「パンアフリカe-ネットワーク」(衛星回線でつないで通信教育を行ったり、遠隔地からの医療行為を行ったりしている)に続くもので、シン首相は「このイニシャチブは、アフリカにおいてインド系高等教育機関への需要に拍車をかけるだろう。」と語った。

インド政府のウェブサイトによると、アフリカで人材育成と様々な新施設を建設するためにインドはさらに7億ドルを投じる予定だという。

Tata scholars at the University of Witwatersrand, Johannesburg Credit: Tata Holdings Africa
Tata scholars at the University of Witwatersrand, Johannesburg Credit: Tata Holdings Africa

 
シン首相は、「インド政府は、技術経済協力プログラム等のスキームを活用して、奨学金の数とアフリカからの学生、専門家を対象とした留学生受入件数枠を大幅に拡充しています。こうした支援を通じて、インドの教育機関における留学経験を豊かなものにしていただきたいと望んでいます。」と語った。シン首相は、IAVUで学ぶ学生1万人にも奨学金を支給する計画についても発表した。

アフリカ各国で大使を歴任したH.H.S.ヴィスワナタン氏は、こうしたシン首相のアフリカ支援戦略について、「明らかにインドは、中国が断然優位にあるインフラ開発の分野に(アフリカ支援の)重点を置くわけにはいきません。しかしインドは情報技術(IT)大国であることから、この分野を基軸に据えることでアフリカ諸国への影響力を拡大していけると考えているのです。」と語った。

またヴィスワナタン氏は、「一般にはあまり知られていませんが、1970~80年代には多くのインド人教師・医師が政府のプログラムでインドからアフリカに渡りました。今日のアフリカ諸国の指導者世代は、このことをよく認識しており、高く評価しているのです。また、2008年にインドの首都ニューデリーで開催された第一回インド-アフリカサミットの直後からインド政府は人材開発部門に焦点をあててきました。従って、今日このアプローチを強化しているのは必然的な流れなのです。」と語った。

今回のシン首相による発表によると、インド-アフリカ生命地球科学大学並びにアフリカ農業・農村開発研究所の設立が計画されている。また、インド-アフリカ中期気象予想センター構想では、人工衛星技術を農業、漁業部門のほか、災害対策、天然資源管理にも活用していく予定である。

また、近い将来完成するインド-アフリカ食品加工物流施設やインド-アフリカ総合繊維パークは、いずれも、アフリカ製品の域内及び海外における輸出市場を創出する助けとなるだろう。

シン首相の人材育成に主眼を置いた構想は、経済界にも歓迎されている。インド産業連盟アフリカ委員会(CII)のサンジェイ・キルロスカル委員長は、「インドの産業界は、こうした能力開発プログラムを通じて、「即戦力」となる人材をアフリカにおいて求めている。」と語った。

キルロスカル委員長は、「インド企業が提供している各種訓練プログラムは、現地のビジネス展開に即したもので、アフリカの研修生は仕事を通じて学び、やがては事業展開を彼ら自身が動かしていけるように構成されています。」と語った。また、インド企業が奨学制度や企業開発スキームを通じて立ち上げた教育、訓練プログラムは、幅広い社会的ニーズを取り扱う内容となっており、「これこそが南南協力(途上国間協力)の真髄なのです。」と語った。

インドの巨大財閥タタグループのヴィカス・ガドレ新規事業担当副社長も同じような見方を示している。タタ社はアフリカ各国において製鉄、車、情報技術、通信など幅広い分野で事業展開しているほか、いくつかの能力開発プログラムを実施していることで知られている。同副社長はIPSの取材に応じ、「わが社は、アフリカ人の技術、管理スタッフに権限を委譲して社の運営を任せられるような大規模な熟練労働力を育てることが現実的かつ収益を生むものだと理解しています。このようなイニシャチブこそが、アフリカ諸国の指導者が、わが社並びにインド政府に対するクレジットとして高い評価しているものなのです。」と語った。

ヴィシュワナサン氏は、「民間部門の参画は、インド政府がアフリカ諸国と政治的、経済的関係を構築していくうえで一助となるものです。」と語り、アフリカ諸国の大半が多党制民主主義体制に移行している現状を考えれば、民間部門の参画は重要であると指摘している。

インド・アフリカ間の貿易実績は昨年で460億ドル。2015年には700億ドルまで伸びると予測されている。インドの民間企業はアフリカ主要国の情報技術、農業器具、車、農業等の部門に対して、今日までに250億ドルを上回る投資を行っている。

インドにおけるアフリカの人材育成戦略について報告する。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan戸田千鶴

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|アラブ首長国連邦|「9月には新たにグリーンラインが開通」とローカル紙

【アブダビWAM】

「中東及びアラブ首長国連邦(UAE)初の世界最長無人運転鉄道システム『ドバイ・メトロ:レッドライン』(ラシディアからドバイ中心部、ジュメイラ・ビーチエリアを経て、ジュベル・アリ方面へと海岸線に沿って延びる全長52キロ運行区間)が開通してから2年、今年9月には、ドバイ・クリークをU字型に囲むように走る新路線『グリーンライン』が運行を開始する予定である。」とUAE日刊紙が報じた。

ドバイ道路交通局(RTA)は、アル・ジャダフとドバイ・クリークを除く全ての駅が運行開始までに完成予定。」とガルフ・ニュース紙は6月6日付の論説の中で報じた。

「新路線『グリーンライン』(16駅を結ぶ全長23キロ)の完成は、ドバイの都市開発の歴史に新たな章を刻むとともに、全ての人々に包括的かつ近代的な公共輸送システムを提供することとなる。」と同紙は強調した。

「レッドライン」が間もなくドバイ市民に受け入れられ街に溶け込んだ経緯を考えれば、「グリーンライン」も開通すれば同様にドバイの街の一部となっていくだろう。


 
「RTAは、この巨大な地下鉄開発プロジェクトを完成へと導き、街の二酸化炭素排出量の削減に成功したほか、市民に対して環境にやさしい選択肢(車に代わる地下鉄利用)を提供した。この功績は称賛に値するものである。」と同紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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講演動画「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」(石田尊昭:尾崎行雄記念財団事務局長)

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先週土曜日(5月14日)、日本論語研究会のお招きにより、慶應大学で講演「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」を行ないました。
そこでは大変貴重な経験をさせて頂き、また有り難いご縁、出会いも頂きました。
同会の田村重信代表、高橋大輔さんをはじめ、主催者の皆様、そしてご参加頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。
同会のお取り計らいにより、早速、講演動画がアップされました。
当日ご参加頂いた方はもとより、一人でも多くの皆様に、「尾崎行雄と相馬雪香」について知って頂ければ幸いです。

テーマ:「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」(講師:石田尊昭)

 講演動画 その1(約30分)
■主催者挨拶・論語唱和・講師紹介⇒講演開始→尾崎行雄の信念と生き方

講演動画 その2(約30分)
■続き→相馬雪香の信念と生き方⇒相馬雪香のリーダーシップ→相馬雪香の心→質疑応答

講演動画 その3(約20分)
■質疑応答の続き→尾崎財団・咢堂塾の紹介⇒終了

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|セルビア|ムラジッチ逮捕で和解とEU加盟への期待が高まる

【ベオグラードIPS=ヴェスナ・パリッチ・ジモニッチ】

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時(1992年~95年)のセルビア人武装勢力司令官ラトコ・ムラジッチがセルビア国内で逮捕された。これを受けてスレブレニツァ女性協会のハジラ・カティッチ代表は、「夫や子供たちはどんなことをしても決して帰ってくるわけではありませんが、彼らの殺害を命じた人物がようやく裁きを受けるというニュースは、私たちにとって重要な知らせです。」と語った。

ムラジッチは、国連が創立したハーグに拠点を置く旧ユーゴスラビア戦争犯罪国際法廷(ICTY)に、大量殺戮と戦争犯罪の罪で起訴されていた。起訴状によると、ムラジッチは、1995年にスレブレニツァで7500人のイスラム教徒の男性や少年が殺害された虐殺事件と、10,000人の犠牲者を出した3年半に及んだサラエボ包囲の責任を問われている。

 
カティッチ代表はIPSの取材に応じ、「ムラジッチの逮捕は、セルビアのボリス・タジッチ大統領(右上の写真の人物)による記者会見のテレビ映像を見て初めて現実のこととして信じることができました。」と語った。ベオグラードで行われたタジッチ大統領の記者会見の模様は、旧ユーゴスラビア地域のほぼ全てのテレビ局で放映された。
 
ムラジッチはセルビア北部のヴォイヴォディナ自治州ラザレヴォ村で逮捕されたが、タジッチ大統領は逮捕時の詳細については明らかにしていない。ただし、タジッチ大統領は記者会見で、旧ユーゴスラビア戦争犯罪国際法廷への被告の引き渡し手続きを進めていることを明らかにした。

タジッチ大統領は、「本日、(ムラジッチの逮捕をもって)私たちは歴史の一章を閉じることができました。これにより、地域の和解に向けて一歩前進することができるでしょう。」「私たちはまた、これをもって欧州連合の期待に全て応えることができました。」と語った。

タジッチ大統領は従来セルビアに重くのしかかっていた2つの問題に言及していた。1つ目は、約150,000人もの犠牲者を出した非セルビア系住民に対して行われた残虐行為が足枷となって遅々として進まない和解プロセスの問題である。終戦から16年に亘ってムラジッチが逮捕を免れ逃亡していたことも和解プロセスの大きな障害となっていた。

そしてもう一つは、セルビアが好戦的なスロボダン・ミロシェヴィッチ政権を2000年に打倒して以来求めてきた、欧州連合加盟問題である。

国際法の教授ヴォイン・ディミトリエヴィッチ氏はIPSの取材に応じて、「ムラジッチの逮捕で、セルビアには2つの展望が開かれたと思います。一つが、地域が前進していくために不可欠な和解プロセスの進展。そしてもう一つが、欧州連合加盟の展望です。だれもがこうした展望が進展することを歓迎しているのです。」と語った。

セルビアの著名な人権活動家であるナターシャ・カンディッチ氏は、「ムラジッチの逮捕は、近年における歴史、政治、司法の観点から最も重要な出来事です。とりわけセルビアの大統領が、ムラジッチの逮捕を発表し、『(逮捕を)誇らしく思う』と語ったことは、実に意義深いことであり、犠牲者の遺族にも正義はなされるというメッセージが届いたと思います。これにより和解への扉が開かれるでしょう。」と語った。

カンディッチ氏は、ムラジッチ逮捕は、ボスニア、クロアチア、セルビアの3者間の関係を変えていくうえで、長期にわたる影響を及ぼしていくと考えている。

ベオグラードの安全保障論の教授ゾーラン・ドラギシック氏は、「ムラジッチ逮捕は予想されていたこと」として、「セルビアによるムラジッチ逮捕の知らせは、まさに計算したかのようなタイミングで発表されました。欧州連合は、ちょうどムラジッチのハーグへの引き渡しなしに連合加盟はあり得ないと通知したところでした。また、旧ユーゴスラビア戦争犯罪国際法廷の主任検察官セルジュ・ブラメーツは、セルビアの同法廷への協力姿勢は消極的との報告したところでした。」と語った。

「しかし、もしムラジッチが法廷で証言する決断をしたら、私たちはボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦に関する異なった説明や見方を耳にすることになるでしょう。」とドラギシック氏は語った。

クロアチアの政治評論家ザルコ・プホフスキ氏は、ムラジッチの逮捕によってセルビアの政治的な立場は今後異なったものとなるだろうと語った。彼はB92のラジオとテレビ放送局の取材に対して、「タジッチ大統領は(ムラジッチ逮捕の記者会見で)、旧ユーゴスラヴィア地域に大きな影響力を発揮しました。セルビアは大きな得点を手にしたのです。クロアチアは2013年に欧州連合に加盟する予定ですが、その後はセルビアがこの地域のリーダーになるでしょう。ムラジッチ逮捕によって、この地域の諸国間に横たわっていた多くの障害が取り除かれたのです。」と語った。

一方、セルビア国粋主義者たちは、ムラジッチをボスニアでセルビア人を守った内戦の英雄と今でも見做しており、ムラジッチ逮捕を歓迎していない。

タジッチ大統領は、こうした国粋主義者たちの抗議行動の可能性に言及して「セルビアの安定を維持するためのあらゆる手段を講じるつもりだ。」と語った。(原文へ)


 翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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│エジプト│愛する権利すらも奪われた女性

【カイロIPS=エマド・ミーケイ】

エジプトの若いキリスト教徒女性アビール・ファクリ(Abeer Fakhry)さんは、ただ暴力的な夫から逃れて、自分を愛してくれる男性と一緒にいたいだけだった。しかし彼女は、いつのまにか、自分の家族から追われ、コプト教会(キリスト教東方諸教会の一つ)から追われ、イスラム原理主義集団から追われ、最後にはエジプト軍に追われる存在になってしまった。

 「私はただ幸せになりたかっただけ。」と彼女の存在が知られるきっかけとなったユーチューブの中でアビールは語っている。彼女の語った内容は、エジプトで家庭内暴力に晒されているキリスト教徒の女性が助けを求めても教会の教えから離婚は許されず、耐え難い婚姻生活を余儀なくされる実態を浮き彫りにした。

エジプトのキリスト教会は、圧倒的多数を占めるイスラム教徒に差別されていると不満を訴えているが、その一方でこの事件は、教会自らが信徒の自由を拒否している実態を明らかにした。アビールは、メディアの取材に対して、アシュート県(エジプト南部)の同村のキリスト教徒男性との結婚生活が、いかに間もなく悪夢と化したかを語っている。
 
アビールによると、夫は、日常的に口汚く彼女を罵り暴力を振るった。彼女は貧血気味になり、3ヶ月ごとに輸血を要する体になってしまった。彼女は離婚を申し出たが、シェヌーダ3世(コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教)率いる保守的なコプト正教会は、彼女の訴えを拒絶した。

「私は改宗すれば婚姻関係を解消できると言われました。それでイスラム教への改宗を考え始めたのです。」とエジプトのキリスト教系テレビ局の番組に出演したアビールは述べている。そんな時、アビールは、アラビア語のカリグラフィー学校に通うバスで車掌をしていたイスラム教徒ヤセンと知り合う。

昨年9月23日、彼女はアル・アズハルモスクで改宗し、ヤセンと結婚した。しかし、そのときから彼女の悲劇は始まった。2人が行き先を変えて転々とする中、アビールの家族が2人を追ってきたのである。

多くのコプト教徒は信者の減少、とりわけ自分たちの子どもの世代が許容できないペースでイスラム教に改宗している現状に不安を抱いている。米国のピューリサーチセンターの調査報告書( The Pew Forum on Religion and Public Life)によると、かつて過半数を誇ったエジプトのキリスト教も今では人口8600万人の僅か4.5%しか占めていない。しかもこの値はカトリックやプロテスタントといった全てのキリスト教諸派を合計した数値なのである。

ホスニ・ムバラク前政権は、コプト教会がイスラム教に改宗した元信者を追って再改宗を迫ることに関して黙殺する態度をとった。コプト教徒は元来リベラルな家庭が少なくなかったが、保守的な教皇シェヌーダ3世の唱える「改宗は背信行為であり死罪に値するほどの重罪」という概念を受け入れる信徒が近年増加しており、人口の大半を占めるイスラム教徒としばしば摩擦を引き起こしている。

アビールの事件が起こる少し前、サルワという3人の子どもを持つ7年前にイスラム教に改宗していた若い元キリスト教徒の母親が、キリスト教徒の家族によって子ども1人とともに殺されるという事件が起こった。さらにこの事件ではイスラム教徒の夫も負傷している。同じような運命を辿ることを恐れたアビールは、カイロの北40キロに位置するベンハ村に身を隠した。

しかし3月、彼女はついに家族によって捕らえられ、各地の教会の間を転々と移された末、カイロ郊外の貧民街インババ地区の教会に連行された。その後アビールはなんとか携帯電話を確保し夫に連絡した。

絶望したヤセンは、ムバラク政権崩壊後に活動を活発化してきているイスラム原理主義のサラフィ(Salafis)主義者の団体に助けを求めた。まもなく数十人のサラフィ主義者達がインババ地区のコプト教会(Mar Mina church)の外に集まり、イスラム教徒とキリスト教徒の衝突が始まった。その結果、8人のイスラム教徒と4人のキリスト教徒が亡くなり、約210人が負傷、2つの教会が焼き打ちされるという、近年で最悪の宗教抗争となった。

多くの人々は、ムバラク政権崩壊がこのような宗派対立を呼び込んだことに恐れをなした。事件の翌日、多くのキリスト教徒達はカイロの街頭に出て、イスラム原理主義からの保護を求めてムバラクの帰還を訴えはじめた。

ムバラク前大統領は、サラフィ主義のようなイスラム原理主義の動きを警察機構を動員して暴力的に抑えつけていた。一方、コプト教会に対しては、教皇シェヌーダ3世がムバラク政権と息子ガマルの大統領後継を支持する見返りに、国内少数派のコプト教信者に対する支配を黙認する立場をとっていた。

一方、教皇シェヌーダ3世は、コプト教徒が1月25日に始まり翌月にムバラク前大統領を追放するに至った民衆蜂起に参加するのを禁じた。

ムバラク時代からの幹部が依然として大勢を占めるエジプトメディアは、インババ事件のスケープゴートとしてアビールを非難した。新聞各紙はアビールを「全ての問題の元凶」と呼び、彼女の資質を疑う論説が数多く報道された。

彼女自身は両集団の衝突の間に教会を抜け出したのだが、こんどはエジプト国軍に捕えられてしまう。国軍の将軍たちは、アビールを宗教闘争を煽ったとして非難している。

アビールは現在、悪名高いカナタ(Qanater)女性刑務所に収監され、人権擁護団体を含むあらゆるサイドから非難を一身に受けている。人権擁護団体は、イスラム教からキリスト教への改宗をした人物の擁護にのりだすことは度々あるが、アビールの擁護については慎重な立場をとっている。

アビールは先週地方テレビ局が行った電話インタビューに応じたが、今後のことに話が及ぶと声を震わせ、「このあと私の運命がどうなるのか、何がおこるのか分かりません。私はただ、皆さんと同じように、普通の生活を送りたかっただけなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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Post ­Osama, Pakistan May Be More Unrelenting on FMCT

By Shastri Ramachandaran*

NEW DELHI ‐ An early resolution of the prolonged deadlock, in which the United Nations Conference on Disarmament is trapped for over two years, appears unlikely given the prevalent mood in Pakistan.
In the aftermath of the United States forces killing Osama bin Laden in Abbottabad, about an hour’s drive from Islamabad, Pakistan is bound to take a harder line in multilateral forums on issues that impact its security and strategic interests. Such a hardening, reinforced by Pakistan’s India‐centric security concerns, would be conspicuously manifest on issues perceived to be driven by “a West‐scripted agenda in UN forums, such as disarmament and non‐proliferation”.
One such issue, which Pakistan has resolutely stonewalled thus far, is the Fissile Material Cut‐off Treaty (FMCT) under tortuous negotiation in the UN Conference on Disarmament (CD), and the conclusion of which, in Islamabad’s view, would put India in a vastly more advantageous position vis‐à‐vis Pakistan.
Boxed into a corner by the international community as a “haven for terrorists” and the fount of both regional and global terrorism, a battered Pakistan, seething at the humiliation of foreign forces transgressing its sovereignty, is in no mood at present to strike compromises when it comes to larger global concerns.
Pakistan seems determined to continue obstructing any movement towards wrapping up the FMCT in its present form, as this does not take into account India’s existing stockpile of fissile material. This was made clear, both on and off the record, by a number of high‐ranking government officials and functionaries in state‐funded institutions, in the course of interactions with this writer during his recent visit to Pakistan.
Even before U.S. forces struck to liquidate bin Laden, Pakistan had been blocking a consensus on FMCT ‐‐ a key item on the agenda of the 65‐nation Conference on Disarmament for over a decade now.
The FMCT acquired a new urgency with the declaration of the Weapons of Mass Destruction Commission, in April 2009, highlighting the need for an early agreement to halt production of fissile material for nuclear weapons.
It gained further impetus with President Barack Obama’s Prague Speech in April 2010, wherein he sought the international community’s support to negotiate and conclude an FMCT. In its Nuclear Posture Review (2010), the U.S. explicitly committed itself to negotiating a verifiable FMCT.
The Session of the UN Disarmament Commission in 2010 made it an issue of greater priority by urging early commencement of negotiations on FMCT in the CD. Thereafter, in May 2010, the NPT review conference exhorted Nuclear Weapon States (NWS) to declare and place their fissile material which are no longer required for military purposes under the International Atomic Energy Agency (IAEA).
*The writer, who recently travelled to Pakistan at the invitation of the Government of Pakistan, is a former Editor of Sunday Mail and has worked with leading newspapers in India and abroad. He was Senior Editor & Writer with China Daily and Global Times in Beijing. For nearly 20 years before that he was a senior editor with The Times of India and The Tribune. Besides commentaries on foreign affairs and politics, he has written books, monographs, reports and papers. He is co‐editor of the book ‘State of Nepal’

|日独交流150周年|ドイツ、日本と映画の連携を強化

【ベルリンIDN=ユッタ・ヴォルフ】

日独交流150周年の今年、11月21日から26日にかけて開かれる映画祭「TOKYO FILMeX」で、ベルリンの姉妹都市である東京が日本ではじめて「タレント・キャンパス」を主催する。

「TOKYO FILMeX」組織委員会が支援して、東京都、東京都歴史文化財団、「タレント・キャンパス東京」の三者が、東アジア・東南アジアから15人の若いディレクターやプロデューサーを招き、ワークショップや講義、著名な専門家や映画制作者らとのパネル討論などに参加してもらう。

2010年には、「ネクスト・マスターズ東京」というパイロットプログラムが成功を収めた。アジアの9つの国・地域から20人の若い映画制作者が集められた。Hou Hsiao-Hsien、アピチャッポン・ウィーラセタクン、黒沢清、Amos Gitai、さらにはイランからAbbas Kiarostami、Amir Naderiなどが参加した。

 Houは台湾のニューウェーブ映画運動をリードする、賞も取ったことのある映画監督である。彼はもっぱら、台湾(あるいは広く中国)の歴史上の動乱を素材とした厳密にミニマリスト的なドラマを制作している。焦点が当てられるのは、個人、あるいは小さな集団のキャラクターである。たとえば、「悲しみの街」(1989年)は、第二次世界大戦後に地元台湾と中国本土からやってきた国民党政府との間の対立に巻き込まれた家族の物語である。長くタブーとされてきたこの話題に挑戦したことは画期的であり、商業的要素がなかったにもかかわらず、大きな成功を収めた。

ウィーラセタクン氏は、タイの独立映画監督、脚本家、プロデューサー。タイ映画界の外に位置しながら、数本の長編映画と多数の短編映画を撮ってきた。夢、自然、セクシュアリティ、西洋によるタイとアジアの見方などが彼のこれまでの映画のテーマである。通常とは異なった映画の見せ方(たとえば字幕を画面の中央に置くとか)、役者でない人間を映画に出す、といった特徴を彼の映画は持っている。映画ファンは愛情を込めて彼のことを「ジョー」と呼ぶ(タイ人のように長い名前を持つ人は、便宜的にこういう短いニックネームを選ぶ)。

黒沢清は日本の映画制作者。ホラー映画への貢献でよく知られている。「CURE」(1997年)ではじめて国際的に名前が知られるようになった。同じ年、黒沢は、2つのホラー映画を交互に撮るという実験をやった。「蛇の道」「蜘蛛の瞳」は同じ背景(子どもを殺された父親の復讐)、同じ主役(哀川翔)をもちながら、最終的にまったく違ったストーリーに展開していく。

アモス・ギタイ(Amos Weinraubが本名)は、イスラエルの映画監督。左傾化する政治を描いたドキュメンタリー制作が彼のキャリアのスタートである。レバノン戦争を批判的に描いた「戦場の日記」は、1983年に軍によって部分的に検閲され、Gitaiはイスラエルを離れてフランスに行くことになった。そこで彼は10年ほどを過ごすことになったが、イツハク・ラビン氏が選挙に勝利しオスロ合意が成立したことで、ふたたびイスラエルへ舞い戻ることになった。

東アジア・東南アジアの若手の映画制作者は、6月1日以降に申し込むことができる。プログラムの詳細、出演者、出席者は秋に発表される。「タレント・キャンパス東京」は、ベルリナーレ・タレント・キャンパスと東京ゲーテ研究所の協賛で行われる。

ドイツ連邦文化メディア委員のベルン・ノイマン氏は、初の「タレント・キャンパス東京」について、「日本の現在の状況、それと今年が日独交流150年であることを考えると、日本およびアジアとの映画を通じた関係を将来的に強化する重要なプロジェクトだといえます。」と語った。

「ベルリナーレ・タレント・キャンパスは、国際的な才能をドイツの映画産業と結んだ文化的交換のための稀有な機会」という。

「キャンパス」はベルリン国際映画祭のビジネス部門による企画である。欧州連合(EU)およびベルリン・ブランデンブルクメディア委員会によるメディア訓練プログラムの協力を受けてドイツ連邦議会が決定し、ドイツ連邦文化メディア委員が資金を拠出している。

9回目のベルリナーレ・タレント・キャンパスでは、ショートフィルムコンペで5人の決勝進出者が選ばれている。

「キャンパス」の報道発表では、170件のショートフィルム出品のうち、15人の監督が招待された。
 
ベルリナーレの後、5つの映画企画が選ばれ、ベルリンの映画制作会社やベルリン・ブランデンブルクメディア委員会の協力を得て、映画制作に進む。2011年末には完成の予定である。

1.Ana Lily Amirpour(米国):映画「小さな自殺」。自殺しようとするゴキブリのアニメ映画。アンブロシア・フィルム制作。すでに今年のベルリナーレに参加しており、「ジェネレーション14プラス」部門でショートフィルム「パシュマルー」が上映されている。

2.Madli Laane(エストニア)はヴェールという若いリベリア人に密着した。読み方を勉強するという大きな夢の実現を描く。2009年に「ベルリン・トゥデイ」で賞を取った映画「Wagah」を制作したDETAiLFILMが制作予定。

3.ラファエル・バルル(イスラエル)の「検問所のバットマン」は、エルサレム郊外の検問所に両親とともにひっかかってしまった、いずれも6才のイスラエル人・ユバルとパレスチナ人・マフムードの物語。制作はリヒトブリック・メディア。

4.「人を殺す5つの方法」はクリストファー・ビセット(南アフリカ)の作品。制作はフィルムゲシュタルテン。人びとが日常生活においていかに消費財と付き合っているか、世界的な責任のありようを超現実主義的な手法で描く。

5.最後に、イギリスの監督デイビッド・レイルによるドキュメンタリー映画「白いロブスター」はSLPフィルムプロダクションの制作。コカインにまみれたニカラグアのモスキート海岸が近隣社会に与える災いと恵みについて描く。

5本のショートフィルムは、第10回ベルリナーレ・タレント・キャンパス(2012年2月11日~16日)でプレミア上映される。審査員によって勝者に「ベルリン・トゥデ賞」が送られる。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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ビンラディン暗殺でカットオフ条約に対するパキスタンの態度が一層硬化するかもしれない

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【ニューデリーIDN=シャストリ・ラマチャンダラン】

ジュネーブ軍縮会議における交渉は既に2年以上に亘って行き詰った状態にあるが、今日パキスタンに広がっているムードを勘案すると、事態が早期に打開する見込みはなさそうである。

米軍特殊部隊がパキスタンの首都イスラマバードから車で1時間ほどのアボタバードに潜伏していたオサマ・ビンラディン氏を急襲し殺害した。これをうけてパキスタンは、多国間協議の場では、自国の安全保障や戦略的な利益に影響を及ぼす話題に関して、これまでよりも強硬路線をとることになるだろう。パキスタン政府のそうした頑なな態度は、とりわけ、対インド防衛に安全保障の主眼を置かざるを得ない事情を背景に、「軍縮や核の不拡散といった、国連の形式をとりながら西側諸国にあらかじめ仕込まれたと見做されている諸課題」に対して明確に示されることとなるだろう。

 そのように見做されているイニシアチブの一つが、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約:FMCT)である。パキスタン政府は、この条約が発効すれば、インドの相対的な地位が圧倒的に有利になってしまうと考えていることから、ジュネーブ軍縮会議を舞台とした交渉において、条約の成立を断固阻止する方針を貫いてきた。

国際社会から「テロリストの巣窟」、「地域・グローバルテロリズムの源泉」などと非難されて追い込まれてきた上に、外国の軍隊に領土主権を侵されるという屈辱に怒り心頭のパキスタンにとって、自国の安全保障にかかわる問題で国際社会と妥結する気配は、当面ないといえよう。

カットオフ条約は、現時点での内容ではインドが既に保有している核分裂性物質を制限の対象にしていないことから、パキスタン政府としては、引き続き同条約案の妥結につながるいかなる動きも阻止していく決意をしているようである。この点は、最近パキスタンを訪れた際に筆者と接してくれた多くの政府高官や政府系諸機関の役人が公式非公式を問わず明確に指摘していた点である。

カットオフ条約はジュネーブ軍縮会議(65カ国で構成される常設の多国間交渉機関)において10年以上に亘って制定と採択を目指した交渉が行われてきた重要案件であるが、パキスタン政府は、米軍によるビンラディン氏襲撃・殺害以前から、一貫して同条約の成立阻止に動いてきた。

カットオフ条約締結に向けた早期交渉開始の緊急性については、2009年4月、大量破壊兵器委員会が宣言の中で核兵器用核分裂性物質の生産停止を国際社会が早期に合意する必要性を強調したことから、改めて世論の脚光を浴びた。

さらにこの流れを後押ししたのが、バラク・オバマ大統領が2010年4月に(新START条約を調印した)プラハで行った演説である。オバマ大統領は国際社会に対して、カットオフ条約の交渉・妥結への支持を訴えた。また米国政府は、2010年の「核態勢見直し」で検証可能なカットオフ条約の妥結に向けて交渉していくとのコミットメントを表明している。

国連軍縮委員会は、2010年の会合(毎年、4~5月の時期に約3~4週間の会期でニューヨークにて開催)でこの問題をとりあげ、ジュネーブ軍縮会議におけるカットオフ条約妥結に向けた早期の審議再開を強く促した。また、昨年5月に開催された核不拡散条約(NPT)運用検討会議は、核兵器保有国に対し、軍事に必要とされない核分裂性物質について実態を明らかにし、国際原子力機関(IAEA)による国際的な管理のもとに置くよう勧告した。

このように本来であればジュネーブ軍縮会議におけるカットオフ条約の審議再開と妥結に追い風となった様々な動きがあったにもかかわらず、全く進展が見られなかった。このことに関して、事実、潘基文国連事務総長は、名指しは避けたものの、インドとパキスタン間の核戦略を巡る巧妙な駆け引きにジュネーブ軍縮会議が、事実上人質となっている現状に不満を表明した。ジュネーブ軍縮会議の信用が危機に瀕しているとする事務総長の警告が発せられたのは2011年1月のことであった。

しかしこうした警告にも関わらず、パキスタン政府はジュネーブ軍縮会議の他の加盟国に歩調を合わせる動きを見せていない。ジュネーブのパキスタン政府代表部大使ザミール・アクラム氏は、カットオフ条約にパキスタン政府が反対している理由について、「現行の条約案は差別的な内容で、(結果的に)インドが備蓄核弾頭を増やすことを可能にするものだ。」と述べている。

二国間問題

筆者が4月の第3週にイスラマバードで話をしたパキスタン政府高官達は、カットオフ条約の発効は、インド政府に核分裂性物質を備蓄する自由裁量を許してしまうことになるという見解で一致していた。「既に備蓄されている核分裂性物質も徐々に削減していくべきです。そのための第一歩は、(カットオフ条約で)備蓄された核分裂性物質も対象にすることです。」と本件に精通したある高級外交官はオフレコで語った。

ジュネーブ軍縮会議加盟国の圧倒的多数は、パキスタンがカットオフ条約の交渉を拒否する背景には、インドの戦略的優位に対抗せざるを得ない同国の事情、つまり問題の本質はインド、パキスタンの2国間関係であり、これに不拡散、軍縮というより大きな問題が従属させられるべきではないと見ているといわれている。

しかしパキスタン政府の姿勢は、全ての国は国益に基づいてこのような問題に関する判断をするというものである。「もしパキスタンの国益が侵害されるとしたら、(そうした国際合意に)一国或いは複数の国が加盟していようが、そうした国がどこに位置していようがどうでもいいことです。重要なのは(合意の基準となる)原理原則であり、それは差別的なものであってはならないのです。」と、イスマバード戦略研究所(ISS)の軍縮専門家は語った。

パキスタン政府が訴える原理原則は、通称「シャノンマンデート(1995年に合意済の交渉マンデート)」に見出すことができるかも知れない。当時ジュネーブ軍縮会議の特別報告者であったカナダのジェラルド・シャノン大使が提出した同報告書には、各国代表団が現在及び将来における核分裂性物質の備蓄及び管理に関して問題提起することを認める特別委員会を設置するよう提言している。

パキスタン政府は、既に備蓄された核分裂性物資の問題を取り扱う上で有効と判断し「シャノンマンデート」を支持した。まさにこのことから、カットオフ条約の交渉は1995年時点から全く前進が見られていない。そして今後も、パキスタン政府が他のジュネーブ軍縮会議加盟国に同調するか、カットオフ条約の審議そのものを同会議から外すかしない限り、進展の見込みはほとんどない。

「実際の状況は描かれているようなパキスタン対その他の加盟国というものではありません。パキスタンの立場を支持している国々は他にもあるのです。」と、4月21日に筆者と会見したムハンマド・ハルーン・シャウカット外務次官補は語った。

シャウカット氏は、パキスタンは南アジアの安定に利害関係があり、ジュネーブ軍縮会議は根本的な危機に直面していると説明した。「恐らくインドも同様の懸念を有しているでしょう。ジュネーブ軍縮会議では、パキスタンは南アジアの安定を支持し、パキスタンの安定と安全保障に関して会議のコンセンサスを尊重する立場です。」とシャウカット氏は語った。

シャウカット氏は、パキスタンの基本方針にまで議論が及ぶのを避け、「一般的な回答としてはコメントしましたが、これ以上は聞かないでください。」と語った。

「国によって異なる基準を適用するという二重基準は許されないことです。」とパキスタンのリアズ・フセイン・コカール前外務次官は断言した。駐中国大使と駐インド高等弁務官を歴任したコカール氏は、「既に備蓄された核分裂性物質もカットオフ条約の対象に入れなければ、パキスタンは(インドに対して)不利な立場に追い込まれることとなる。」とする従来の立場を堅持すべきと考えている。

無分別な判断

コカール氏は、国連事務総長がカットオフ条約の交渉をジュネーブ軍縮会議から外すとすれば、それは無分別な判断だと感じていた。パキスタンの外交官達は「カットオフ」は将来における核分裂性物質の生産のみを停止することを意味したものであり、承認できないと指摘している。「ジュネーブ軍縮会議におけるカットオフ条約妥結に向けた努力は既に備蓄されている核分裂性物質を考慮するものではありません。その結果、カットオフ条約が成立すればパキスタンをはるかに上回る兵器級ウラニウムを備蓄しているインドに対してパキスタンは不利な立場に追い込まれることとなるのです。」と、イスマバード戦略研究所(ISS)のアシュラフ・ジェハンギール・カジ事務総長は語った。

駐中国、駐米国大使及び駐インド高等弁務官を歴任したカジ氏は、イラクそして後にはスーダンに対する国連事務総長特使も務めた。

カジ氏は、米国がインドと民生用の原子力協力協定を締結したことを指摘し、「これによりインドは米国から平和目的の燃料の供給を受けることができるようになった。その結果、インドは既に備蓄した核分裂性物質を、兵器生産を目的に転用するオプションを手に入れたのです。」と語った。

カジ氏は、「もしジュネーブ軍縮会議が現在の膠着状態に終止符を打ちたいなら、既に備蓄されている核分裂性物質も制限の対象とするしか前進する道はありません。」と筆者に語った。またカジ氏は、「インドが米国との原子力協力協定を締結している状況では、核分裂性物質をより多く備蓄しているインドがパキスタンよりも優位に立つことになります。」と語り、現行のカットオフ条約案は既に備蓄されている核分裂性物質を対象にしていない点を強調した。

政府官僚、外交官、戦略問題専門家を問わず、パキスタン側関係者の見解で一致している点は、パキスタンがインドにより好意的な米国によって追い詰められているという点である。「核分裂性物質の独占を望む米国政府は、自国の政策に同調する国にのみそうした物質の備蓄を許しているのです。従って、パキスタンに対する圧力がかけられるという結果になるのです。」と、ISSの研究フェローであるマリク・カシム・ムスタファ・コカール氏は語った。

軍備制限、軍縮、不拡散を専門とするコカール氏は、国連事務総長がカットオフ条約の審議をジュネーブ軍縮会議から外そうとしていると確信している。「その理由は、ジュネーブ軍縮会議では決議が全会一致を原則としているため、カットオフ条約の審議自体を同会議から外してしまえば、多数決による決議で条約を成立させられる可能性があるからです。」とコカール氏は語った。

コカール氏は、パキスタン政府は、カットオフ条約の審議がジュネーブ軍縮条約から外されるようなことになれば同国は軍縮問題に関して国際社会と協力していくことが困難となる旨を既に表明していると語った。またコカール氏は、「こうしたパキスタンの立場は、中国その他の国々に支持されています。」と付け加えた。

コカール氏は、カットオフ条約は新たな生産分を対象としているため、「ジュネーブ軍縮会議は、核分裂性物質の新たな生産分を制限しようとしているのです。パキスタン政府の立場は、既に備蓄された核分裂性物質も制限の対象に加え、その比率に応じて我が国にも備蓄を認めるべきというものです。」と語った。

「インド、パキスタン間の抑止力の均衡を図るためには、私たちはインドの核兵器並びに核分裂性物質の備蓄量を考慮する必要があります。パキスタンの安全保障に直接的に影響を及ぼす現在の不均衡をそのまま凍結することに、同意することはできません。」と、コカールは断言した。このコカール氏の発言は、今回取材に応じた全ての関係者が認めた、パキスタンとしてこれ以上譲れない核心部分である。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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