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|視点|映画『オッペンハイマー』が見落としたもの(浅霧勝浩INPS Japan理事長)

映画『オッペンハイマー』を観た日本人ジャーナリストが、本編に描かれなかった核兵器が長期にわたって人体に及ぼす人道的な影響について考察した。

【アスタナNepali Times/INPS Japan=浅霧勝浩(Katsuhiro Asagiri)】

 「核実験に反対する国際デー」を記念する中央アジア地域会議の取材で訪れたカザフスタン共和国の首都アスタナで、映画『オッペンハイマー』を観た。この映画はデリケートな内容であるため、被爆国日本ではまだ公開されていない。

Time-lapse detonation of Gadget, Trinity nuclear weapons test, July 16 1945. Public Domain.

日本やカザフスタンのように、原爆投下や核実験による深刻な健康被害がいまだに残っている国々の人々にとって、この映画は、一抹を不安を掻き立てるものになるだろう。なぜなら、この映画の本編では、原爆がもたらす大量死や放射能による病気をわずかに仄めかしているだけで、原爆被害の実相を描くことを避けていたからだ。

クリストファー・ノーラン監督は、史上初の原子爆弾の製造と核爆発の背後にある政治と、物理学者J・ロバート・オッペンハイマーが直面した道徳的ジレンマを赤裸々に描き、ハリウッド映画として素晴らしい作品に仕上げている。ただ、1945年7月のトリニティー核実験以来、核兵器が人類に及ぼした人道的な側面や、映画で登場した核爆弾が実際に使用された広島と長崎の壊滅的な破壊、そして今日まで続く想像を絶する核爆発が人々にもたらした危険性についても描いてほしかった。

この映画は、トリニティー核実験後、ネバダ砂漠のロスアラモスから風下に住んでいた約15,000人のアメリカ人が被った放射性降下物による健康被害や長期にわたった苦しみについてさえ触れていない。米国政府の公式説明では、実験場は人里離れた場所にあったということになっているが、この映画ではこの歴史的事実について掘り下げていない。

Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri

驚くべきことに、モスクワのソ連中央政府も同じような正当化を行い、当時ソ連領であった中央アジアのカザフの大草原にあるセミパラチンスク核実験場(ベルギーまたは日本の四国の大きさ)を「人里離れたところ」として、実に456回にも及ぶ核実験を繰り返した。

興味深いことに、1961年に北極圏で実施されたソ連最大の大気圏水爆実験「ツァーリ・ボンバ」に参画した主任科学者アンドレイ・サハロフも実験後に良心の呵責から、核実験禁止を訴えるようになり、国家から迫害される道を歩んでいる。

今日、カザフスタン北東部のセミパラチンスク核実験場周辺では、今日も核実験による悲劇的な後遺症が続いている。ガンや奇形などの健康問題を抱えた子どもたちが生まれ続け、核兵器の非人道的な結果を痛ましい形で証明している。ここでは1949年から89年まで、150万人以上のカザフ人が核実験によって降り注いだ放射性降下物により被曝した。

Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan
Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan

1991年8月29日、セミパラチンスク核実験場は、まだソ連の一部であったにもかかわらず、カザフスタンによって永久に閉鎖された。その後、カザフスタンは独立し、当時世界第4位だった核兵器を廃絶することで、核兵器保有国から非核兵器保有国へと自主的に転じた世界初の国となった。

2009年、カザフスタンの提唱により、国連総会は8月29日を「核実験に反対する国際デー」とする決議を採択し、この歴史的な閉鎖の意義を強調した。

核実験は、今日に至るまでカザフスタンの人々の生活に深刻な影響を与えている。著名な画家であるカリプベク・クユコフは、母親の胎内で放射線を浴び、両手がない状態で生まれた。クユコフは、セミパラチンスク核実験場の閉鎖に重要な役割を果たした民衆による反核運動(ネバダ・セミパラチンスク運動)に初期から参加し、今日に至るまで彼の作品を通して核実験が人々に及ぼした実相を伝えている。

Karipbek Kuyukov(2nd from left) and Dmitriy Vesselov(2nd from right)/ Photo by Katsuhiro Asagiri
Karipbek Kuyukov(2nd from left) and Dmitriy Vesselov(2nd from right)/ Photo by Katsuhiro Asagiri、Multimedia Director of INPS Japan.

地域会議で被爆証言をしたディミトリー・ヴェセロフは、セミパラチンスク出身の被爆3世だ。彼は鎖骨がないのが特徴の肩鎖関節異骨症を患っており、彼の手はわずかに筋肉と靭帯でのみつながっている状態で、本格的な作業ができない。核実験が世代を超えて人々を苦しめている実相について語った彼の痛切な言葉は、小型戦術核兵器の使用や限定的な核戦争を擁護する人々に対する厳しい警告であり、被爆者の切実な願いを代弁したものだ。

40年に亘ってセミパラチンスク核実験場で爆発した核兵器の威力は、広島・長崎に投下された原爆の2500倍と推定されている。ウクライナ紛争と中米の緊張を背景に、終末時計の不吉な音は真夜中に近づいている。人類は、核兵器の使用と核実験がもたらす重大な結果を記憶しておく必要がある。

地球規模での全面的な核対立がもたらす脅威は、地球上の生命にとって、予測される気候危機の影響よりもはるかに深刻なものであることを再認識する必要がある。

The “Humanitarian Impact of Nuclear Weapons and the Central Asian Nuclear-Weapon-Free Zone” regional conference held in Astana on Aug 29, 2023. Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.
The “Humanitarian Impact of Nuclear Weapons and the Central Asian Nuclear-Weapon-Free Zone” regional conference held in Astana on Aug 29, 2023. Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.

カザフスタン外務省が国際的なパートナーと協力してアスタナで開催した地域会議では、参加者が核兵器の人道的影響ついて掘り下げた議論を行った。この核兵器の人道的影響こそが、先にウィーンで開催された核兵器不拡散条約(NPT)2026年再検討会議準備委員会における核保有国間の軍縮議論や、映画「オッペンハイマー」で顕著に欠けていた側面であった。

Mr. Hirotsugu Terasaki, Director General of Peace and Global Issues of SGI Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.
Mr. Hirotsugu Terasaki, Director General of Peace and Global Issues of SGI Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.

この地域会議の共同主催者である創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広博嗣平和運動総局長は、核兵器禁止条約(TPNW)の第6条と第7条をめぐる国際社会で進行中の議論を強調した。これらの条文は、締約国に対し、核被害者への援助、被害地域の修復、国際協力の促進を求めている。カザフスタンはキリバスとともに、この重要な議論の中心となる作業部会の共同議長に任命された。

核兵器を保有する9カ国がTPNWを無視し続け、核抑止力の必要性を国民に納得させようとしている一方で、次に誰が核兵器を使用しようとも、この非人道的な兵器の被害を受けるのは、私たちのような一般市民であり、その後遺症は世代を超えて残るものであると認識する必要がある。

私たちは、アメリカ、ロシア、カザフスタン、オーストラリア、アルジェリア、南太平洋諸島、中国、北朝鮮、コンゴ民主共和国など、核兵器の使用や実験、製造の犠牲となった「グローバルヒバクシャ」に対する核兵器の影響という人間的側面に注意を払わなければならない。

第2回TPNW締約国会議が11月27日から12月1日にかけてニューヨークの国連本部で開催され、世界は核兵器使用の脅威に直面している。締約国は、NGOや世界のヒバクシャ代表とともに、TPNWを支持し批准することによって、核兵器のない世界の実現を訴える構えだ。(原文へ

浅霧勝浩は、INPSジャパンの日本人ジャーナリストであり、「Towards a World without Nuclear Weapons(核兵器のない世界へ)」と「SDGs for All(すべての人のためのSDGs)」のプロジェクトディレクター。

INPS Japan

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「核実験に反対する国際デー」記念行事を取材

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デカップリングではなくデリスキング: 言葉の巧妙な言い換え以上のものか?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ 

中国にどのように対処するべきか? 西側先進国はここしばらく説得力のある対中戦略を見いだそうと試みている。広島で行われたG7サミットの一つの成果は、そのような共同の対中戦略を、少なくとも机上では策定したことである。最終コミュニケによれば、G7を構成する主要7カ国は、問題は中国から経済的にデカップリングすることではなく、リスクを低減し、依存を軽減することだという点で合意している。この戦略は、キャッチーでアングロサクソン的な「デリスキング」という言葉で呼ばれている。理屈はもう結構だ。実際にこの政策をいかに実現するかは、今後の課題である。G7各国政府の一致した合意にもかかわらず、それぞれの国は、利害関係に応じて「デリスキング」が意味することについて独自の理解をしている。(

グローバル規模の二つの事象、新型コロナパンデミックとウクライナに対するロシアの戦争により、G7の中でも外でも、中国との関係を見直す動きが出ている。パンデミックは、経済的サプライチェーンの脆弱性を浮き彫りにし、特に欧州では、緊急に必要な医療物資が十分に供給されないことが明らかになった。これを受け、当初のショック反応の中で、経済的自給自足の可能性に関する議論が起こった。しかし、この議論はすぐに下火になった。なぜなら、経済学者、特にグローバリゼーションの支持者が、今日のグローバル経済における緊密な相互依存関係を考えれば自給自足は現実的な選択肢でないことを明確にしたからである。

そのような中、ウクライナに対するロシアの戦争は、ロシア産のエネルギーや原材料の供給への依存を突如として浮き彫りにした。全ての先進国は中国との経済関係をいっそう深めており、それは危機が生じた際に大きな問題になる恐れがあるため、サプライチェーンの多様化という考え方が広まっているのだ。中国依存という状況に陥らないために、さらには中国に脅迫されないために、今や国家安全保障と経済的利益のバランスを見いだすことに議論の重点が置かれている。要するに、中国の技術が特にハイテク分野で支配的になったら、そして中国が世界中で多額の投資を続けたら、国家安全保障は脅かされるのか、重要インフラが中国にコントロールされるのかということである。しかし、自国の強靭性を高めるために、世界第2位の経済大国である中国との協力を意図的に制限した場合、経済的ダメージはどれほど深刻になるだろうか?

米国では近年、「デカップリング」が中国との競争における超党派の強硬策となっている。当初この政策は、ドナルド・トランプ前大統領によって導入された。特に基幹技術については、米国は断固としたデカップリング政策を打ち出しており、この世界的政敵から重要先端技術を剥奪するために大幅な輸出規制を導入している。EUも日本も、そこまでの強硬路線は取っていない。EUは、「中国はパートナーであり、競争相手であると同時に、体制的ライバルである」というここ数年広められてきた定式を固く守っていた。欧州全体でこの概念を掲げたうえで、各国は三つの側面のうちどれを優先すべきかについては独自の解釈をすることができた。そのため、G7グループもEU加盟27カ国も、説得力のある共通の対中戦略と言える政策を打ち出せなかった。

どうやら今では、G7の残り6カ国が米国を説得し、強硬な「デカップリング」政策を放棄させることができたようだ。少なくとも書面上では。広島でのG7会合の最終コミュニケには、文字通り、G7は「デカップリングではなく、パートナーシップの多様化と深化、そしてデリスキングに基づく経済的強靭性と経済安全保障へのわれわれのアプローチを調和させるため、具体的な措置」を講じると記されている。目的はリスク低減であり、デカップリングではない。コミュニケにはさらに、いっそう明白な文言がある。「われわれの政策アプローチは、中国に害を及ぼすことを目的としておらず、また、中国の経済的進歩と発展を阻止しようともしていない。中国が成長を遂げつつ国際ルールに従って行動することは、世界的な利益となるだろう。われわれはデカップリングせず、内向きにもならない。同時に、経済的強靭性にはデリスキングと多様化が必要であることをわれわれは認識している。われわれは個別に、そして集団的に、われわれ自身の経済的活力に投資するための措置を講じる。重要なサプライチェーンにおける過度な依存を削減する」。

「デリスキング」という言葉はもともと国際金融の分野で使われていたが、欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長が、北京訪問に先立って2023年3月に行った基調講演で「デリスキング」という言葉を数回にわたって口にしたことから大人気となった。「中国からのデカップリングは、実行可能ではなく、欧州の利益にもならないと考える。われわれの関係は白か黒かではなく、われわれの対応も白か黒ではない。だからこそ、デカップリングではなくデリスキングに焦点を当てる必要がある」。

G7の「デリスキング」アプローチは、中国に対処するための実質的に新しい戦略だろうか? 3月の演説でフォン・デア・ライエンは、重要分野、特にマイクロエレクトロニクス、量子コンピューター、ロボット工学、人工知能、バイオテクノロジーなどのハイテク分野において「新たな防衛手段を開発する」必要があるとはっきり述べた。英国と日本の政府はこの方針を採用し、米国も今や「デリスキング」を口にしている。かくして、米国と欧州の立ち位置は一致しつつある。これが、輸出、輸入、投資政策に具体的な変化をもたらすかどうかは、今後を見守る必要がある。

中国政府は即座に反応した。中国を中傷し、内政に干渉するものだとして、G7各国、とりわけ米国の経済圧力を非難した。北京は、英国のリシ・スナク首相の「中国は、グローバルな安全保障と繁栄の時代における最大の課題だ」という発言に言及し、「英国側は他人の言葉をおうむ返しにしているに過ぎず、それは事実を無視した悪意ある中傷だ」と言い返した。その一方で、中国政府は、なおも経済協力に前向きであるとほのめかしている。G7サミットの直後、中国政府は、中国で半導体を製造する米国企業マイクロン・テクノロジーにサイバーセキュリティ審査を実施した。この措置の目的は「情報インフラ・サプライチェーンの安全を確保する」ことである。言い換えれば報復であり、「目には目を、歯には歯を」ということだ。

G7のデリスキング政策の何が新しいのか? デリスキングから連想されるネガティブなイメージは、デカップリングよりも少ないかもしれない。リスク低減のほうが、強硬なデカップリングよりも少しうまいやり方に聞こえるだろう。「リスク低減を嫌がる人などいるだろうか?」と、中国専門家で元SIPRI所長のベイツ・ギルは述べた。「要は、やらなければならないことに対する、レトリック的にはるかに巧妙な考え方だ」。しかし、安全保障上の課題や中国とG7各国の将来的な経済関係の構造は、このリスク低減戦略があったからといって変化することはほとんどないだろう。相反する立場に変わりはない。

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。

INPS Japan

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インド・カルナタカ州があらたな飢餓対策へ

【マニパル(インド)IDN=マンジュシュリー・ナイク】

インドで穀物不足の兆しが現れる中、インド南部のカルナタカ州政府が、穀物購入資金を貧困層に提供することで選挙公約を果たすあらたなアプローチに踏み出そうとしている。

カルナタカ州政府の最も野心的なプログラムアナバギャ・ヨジャナは、家族の貧困レベルを示すBPL(アントヨダヤ・カードとも呼ばれる)を持っている恵まれない人々に、毎月一人当たり10キログラムの米を支給するものである。

Map of India
Map of India

アナバギャ制度はインド国民会議派の公約であり、2023年5月の州選挙で勝利を収めると、今度はその約束を果たす責務を負うことになった。

アナバギャ制度立ち上げの主目的は、家族を養うのに苦労している貧しい人々に無償で穀物を供与することにある。貧困層の人々だけがこの制度の下でコメを手に入れることができる。

受給できる家族の人数に制限はない。各人は毎月1人あたり5キロのコメを受け取ることになる。国民会議派は(社会階層の最下部に位置する)アントヨダヤの家族にそれぞれコメを無償で5キロ配るとの公約を行った。2013年以来、国家食料安全保障省によって供与されている5キロに上乗せされる。

カルナタカ州の190万人のアントヨダヤ・カード保有者、4420万人に対して5キロのコメを配るには22万9000トンが必要となる。インド食料公社(FCI)はこの分量のコメを州政府に売ることを拒絶した。

FCIの拒絶によって、州政府は7月1日のアントヨダヤ・ヨジャナの無償コメ配布計画の開始までに必要量のコメを準備することができなかった。

そのためカルナタカ州政府は、公約していた5キロのコメに替えて、7月1日から一時的に一人当たり毎月170ルピー(2.05米ドル)を支給している。制度開始以来、州政府はこれまでに78万4000人の受給者に4560万ルピーを支給した。

配給金は、世帯主のアアダアル・ナンバー(生体認証ID番号)に関連する銀行口座に振り込まれる。同州には1280万人の配給カード保有者がいるにもかかわらず、現在この制度の対象者は約970万人に過ぎない。

食料・民間供給局の職員(匿名希望)によると、過去3か月間にこの制度を利用しなかったおよそ87万人のカード保有者が受給対象者から外れることになるという。加えて、約210万人のカード保持者は、Aadhaarを銀行口座とリンクさせておらず、銀行口座を持っていない者もいるため、対象外となっている。

この職員によると、銀行口座を持たないか、あるいは、口座があってもそれがアアダアル・ナンバーと紐づいていないカード保有者の場合、その名前が公定価格店の店頭に張り出されることになるという。また州政府は、アアダアル・ナンバーの取得や郵便局での口座開設も支援するという。

主要なコメ産地であるカルナタカ州は40年にわたって食料自給を実現してきたが、だからと言って食料安全保障が確保されているわけではない。食料が多くても、飢餓は続いている。

2019年から21年にかけての全国家族健康調査(NFHS)によると、インドの子どものうちかなりの部分が食料不足に直面しており、その発達と将来の健康が危ぶまれている。インドが持続可能な開発目標の第2目標(飢餓の撲滅)を達成するには、食料不足を解消し、すべての人々が栄養充分な食べ物を安価で入手できるような戦略的な取り組みを進めねばならないと専門家らは指摘している。

カルナタカ北部バガルコットのバサマ・ゴウダーさんは、アナバギャ制度によって家族を飢餓から救うことができた。バサマと夫は2人の子を抱え日雇い仕事に従事しているが、この制度によって夫婦は生活費を浮かすことができた。降雨量が十分でないため、小さな土地を所有しているこの夫婦は十分な収穫を得ることができなかった。その結果、二人は不安定な日雇いの仕事に毎日出かけている。

「アナバギャ制度によって、1日2回の食事をするためのコメが手に入る。」とバサマ・ゴウダーさんはIDNに語った。コメ購入の補助金は有益であり、コメの品質を選ぶことができるようになったと感じている。「以前は配給システムでコメを手に入れるだけだったので、他に選択肢がなかった」。

彼女は、米の代用品として支給されるお金が役に立ち、米の品質も選べるようになったと信じている。「以前は、他に選択肢がなかったため、公共配給システムを通じて配給される米の質に甘んじていました」と彼女は付け加えた。

カルナタカ州のM・T・レジュ食料農業長官は、この制度によって貧困層を飢餓から救うことができたと語った。「食料安全保障の目標は達せられた」。7月の制度創設以来、州政府は補助対象者の8割に対して支援を行い、8月末には100%に達する見込みであるという。

初の食料購入支援金

これは、穀物購入のために現金が支給された初めてのケースではない。しかし、食料購入のための資金移転に関して言えば、南アジアでは初のケースだ。データクリーニングや認証によって透明性を向上させる多くの取り組みがなされている。レジュ長官はさらに、国家食料安全保障法に規定されているように、資金移転が女性の名において行われている点が重要だと述べた。「制度の捕捉率はきわめて高く、官民ともに受け要られている証拠だ」とレジュ長官は語った。

カルナタカ州政府のラクシミ・ヘバルカー長官は、州政府は詐欺口座やその他の違法行為を探知するソフトウェアを稼働する一方、受給者は配給カードの情報をアップロードして支援を得るようになっている、と述べた。

クダラサムガマのギータ・ヒーレムットさんは、以前は義理の両親と共同生活をしていたという。彼女と夫は仕事を求めてウドゥピに移住した。しかし彼女は、義理の家族と共同の配給カードを持っていたためにその情報をアップロードすることができず、無償のコメを手に入れられなかった。そのため彼女は、夫と自らの収入の中から食費を捻出せざるを得ない。

また、カルナタカ州バタカルの別の住民ラクシミ・ナイクさんは、個々人がもらえるコメの量に満足している。彼女は、自身と夫、息子、義理の娘、娘の5人家族で月に50キロのコメを手に入れることができるが、これは生活するのに十分な量だ。「コメは満足のいく品質で、調理には最適。時には、余ったコメを使ってドサやイドリ(インドのよくある朝食メニュー)を作る」とナイクさんは語った。

SDGs Goal No. 2
SDGs Goal No. 2

石工の助手として働くシヴァンナ・コテカルさんは、自分と妻、2人の子供、そして母親全員が給付金を受け取ったと語った。「残りの5キロの米を、食料品店で買うために使っています。この制度は非常に役立っています」と彼は付け加えた。

アナバギャ制度のためのコメ供出を拒絶されたとカルナタカ州政府から非難された「ユニオン・フード」社のサンジーブ・チョプラ氏は、コメであろうと小麦であろうと余剰の穀物はカルナタカ州だけではなくすべての州で共有されるべきものだと声明で反論した。

「およそ3600万トンのコメが(受益者に無償でコメを配給する改正国家食料安全保障法を意味する)マントリ・ガリーブ・カルヤン・アン・ヨジャナ(Mantri Gareeb Kalyan Ann Yojana)によって配給されている。すべての州が、公的配給システムのために、中央が供給する以上の米を要求し始めたら、その総量は7200万トンになるが、穀物の備蓄は5600~5700万トンしかない。」とチョプラ氏は指摘した。(原文へ

INPS Japan

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 トカエフ大統領、国連総会で安保理の緊急改革を訴える

【アスタナINPS Japan/The Astana Times=アッセル・サツバルディナ】

シム・ジョマルト・トカエフ大統領は9月19日、第78回国連総会の一般討論で演説を行い、国際法を強化し、国連安全保障理事会の包括的な改革を緊急に行うことの重要性を強調した。

大統領は演説の中で、国連憲章に謳われている国際法の基本原則が相次いで侵食されていることから、世界の平和と安全に対する脅威が増大していることを強調した。

大統領はまた、世界は紛争や対話の欠如など多面的な課題に直面しており、そのすべてが国連創設の基盤となった原則と価値への新たなコミットメントを必要としていると強調した。そしてなかでも最も破壊的な課題は、核兵器使用の脅威だと指摘した。

UNSC/ UN photo
Photo Credit: UNSC/ UN photo

また、中国、フランス、ロシア、英国、米国の5常任理事国が拒否権を持つ国連安全保障理事会を改革する必要性を指摘した。国連改革を支持する国々は、以前から15カ国からなる国連安保理事会における代表権を改革するよう求めてきた。

「安全保障理事会の包括的な改革なくして、これらの諸課題に取り組むことはできないだろう。これは、人類の大多数の利益を合致させる、現代における緊急の課題です。」とトカエフ大統領は述べ、中堅国やすべての発展途上国の声を国連安保理の場に一層反映させることの重要性を強調した。

大統領はまた、「行き詰まりから脱することができないように見える国連安保理委をより開かれたものに改革し、カザフスタンを含む他の国々が平和と安全の維持においてより大きな役割を果たす機会を与えるべきです。」と語った。

南アフリカ共和国のシリル・ラマポーザ大統領とトルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領も、同様の改革を求めた。

カザフスタンの極めて重要な役割

「一言で言えば、カザフスタンは平和を愛する国であり、自国の国益を追求すると同時に、懸案となっている国際問題の平和的解決策を絶えず模索しています。」とトカエフ大統領は語った。

その顕著なイニシアチブの一つが、アジア地域における平和、安定、協力の促進を目的とした多国間フォーラムであるアジア協力信頼醸成措置会議(CICA)である。1992年に設立され、現在28カ国が加盟している。

昨年10月にアスタナで開催された第6回CICA首脳会議でキックオフされたCICAの本格的な組織化は、「アジア大陸における調停と平和構築」に貢献することにつながるだろう。

トカエフ大統領は、上海協力機構(SCO)の議長国として、「公正な平和と調和のための世界統一イニシアチブ」を提唱した。同大統領は、新しい安全保障パラダイム、公正な経済環境、クリーンな地球という3つの重要分野からなるイニシアチブに参加するよう、世界の指導者らに呼びかけた。そして、「グローバルサウスとグローバルノースの間の開かれた対話こそが、その中心的な柱です。」と語った。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

大統領はまた、ソビエト連邦下で460回近い核実験を経験し、独立後にソ連から継承した当時世界第4位の規模の核兵器を自主的に放棄した国として、カザフスタンの核兵器禁止条約(TPNW)への「継続的なコミットメント」を再確認した。

「核兵器のない世界への道を歩む核保有国間の相互信頼と協力のみが、世界の安定を生み出すことができる。…私たちは、軍縮・不拡散の分野における新たなメカニズムの構築を支持します。2045年までに核兵器を完全に放棄するための戦略的計画は、この世代の指導者たちにとって、世界の安全保障に対する最も重要な貢献となりうるでしょう。」とトカエフ大統領は語った。

しかし、平和の追求は、軍縮や正式な合意にとどまらない。諸宗教間の対話は、「平和の文化」を育む上で極めて重要である。

トカエフ大統領は、最近見られた聖典に対する冒涜行為について懸念を表明した。「イスラム教やその他の宗教に対する冒涜行為は、自由、言論の自由、民主主義の表現として受け入れることはできない。コーランを含むすべての聖典は、破壊行為から法的に保護されるべきです。」と指摘した。

大統領はまた、国連事務総長と国連総会議長に対し、生物学的安全性に関する国際機関の設立プロセスを開始するよう求めた。この構想は、国際社会が新型コロナウィルスのパンデミックで苦しんでいた最中の2020年9月の国連総会演説で初めて提案したものだ。

この特別な多国間機関は、1972年の生物兵器禁止条約に基づき、国連安全保障理事会に対して説明責任を負うものと期待されている。

トカエフ大統領はまた、アルマトイに中央アジアとアフガニスタンを管轄する国連SDGs地域センターを設立するというカザフスタンのイニシアチブを改めて表明した。トカエフ大統領は、中央アジアが「結束し独立した」国際社会の一部として重要性を増していることについて述べ、地域アジェンダにはアフガニスタンも含まれ、同国が安定し繁栄する国家となり、信頼できる貿易パートナーとなるべきだと強調した。

食料安全保障

国際社会はより良い世界規模の食料安全保障システムを必要としている。トカエフ大統領は、昨年、世界人口の10%近くが飢餓に直面したというデータに言及した。

「食料の生産量や輸出入量など、食料安全保障に関する自主的な情報交換を強化しなければなりません。また、食糧危機に対応するための国際社会からの資金について、透明性のある追跡体制を確保しなければなりません。」とトカエフ大統領は語った。

大統領はさらに、カザフスタンが地域の食料供給ハブとして機能する可能性を示唆し、同国はこの目的のために必要な資源、インフラ、ロジスティクスがすべて整っていると語った。カザフスタンは、穀物の中でもとりわけ小麦と大麦の世界最大の生産国のひとつである。

「カザフスタンはすでに、アジアと欧州を結ぶ陸路輸送の80%近くを担っています。カスピ海横断国際輸送ルート、いわゆる中東回廊は、東西間の連携を大幅に強化することが可能となります。このルートは、重要な市場間の貿易のペースを上げ、海上ルートでの輸送に必要な時間をほぼ半分に短縮することができます。」とトカエフ大統領は語った。

Credit: United Nations

気候変動への取り組みには適切な資金が不足している

トカエフ大統領は、カザフスタンで「公正なエネルギー移行パートナーシップ(JETP)」を立ち上げ、開発途上国の気候変動に対処するための公平な資金を確保することを提案した。

JETPは、先進国と開発途上国間の国主導のパートナーシップであり、公平で包括的な方法でクリーンエネルギー経済への移行を加速させることを目的としている。JETPは、途上国が石炭火力発電所を廃止し、再生可能エネルギーを開発し、移行によって影響を受ける労働者や地域社会に新たな経済機会を創出することを支援するよう設計されている。

「石炭から徐々に、持続可能で、社会的責任のある形でシフトしていくことは、世界の気候変動目標にとって大きな恩恵となるでしょう。アルマトイに中央アジア気候変動・グリーンエネルギープロジェクト事務所を開設するカザフスタンのイニシアチブは、この問題をリードすることができます。」とトカエフ大統領は語った。

JETPはグラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)で初めて発表され、南アフリカ共和国はフランス、ドイツ、英国、米国、欧州連合から85億ドルの融資を約束された。

A comparison of the Aral Sea in 1989 (left) and 2014 (right)./ Public Domain
A comparison of the Aral Sea in 1989 (left) and 2014 (right)./ Public Domain

2026年にカザフスタンが国連主催で開催する地域気候サミットでは、これらの課題にスポットが当てられる。

来年、カザフスタンは、1993年に始まった中央アジア諸国の共同イニシアチブである「アラル海を救うための国際基金(IFAS)」の議長国にも就任する。トカエフ大統領は、ニューヨーク訪問の2日前、9月15日に関係国首脳らとドゥシャンベで会談し、IFASにおける地域協力の強化について話し合った。

「私たちは、かつて地球上で4番目に大きな湖であったアラル海周辺の環境がさらに悪化し周辺住民の生活に悪影響を及ぼす事態を防ぐ努力を今後も続けていきます。」とトカエフ大統領は付け加えた。(原文へ

INPS Japan

この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

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|視点|”核兵器禁止条約: 世界を核兵器から解放する道”(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長)

以下は今年の「核実験に反対する国際デー(8月29日)」に合わせて中央アジアのカザフスタン共和国で開催された「核兵器の人道的影響と中央アジア非核兵器地帯」地域会議(同国外務省、赤十字国際委員会、同国NGOの国際安全保障政策センター、核兵器廃絶国際キャンペーンと創価学会インタナショナルが共催)の開会式で共催団体を代表して行ったスピーチ内容である。

【アスタナINPS Japan=寺崎広嗣】

尊敬する皆様、おはようございます。創価学会インターナショナル(SGI)の寺崎広嗣と申します。本日、アスタナにおけるこの重要な会議に参加させて頂き光栄に存じています。カザフスタンのウマロフ第一外務副大臣、ICRCのミロセビック代表をはじめ、各国外交団の皆様、共催団体の皆様に心より感謝申し上げます。

創価学会という日本語は、価値創造の団体という意味です。私達は仏法が説く生命の尊厳観を基調に、啓発活動、草の根活動、国連でのアドボカシー活動を通じて平和の文化を推進していますが、特に、核兵器のない世界を目指す取り組みは、戦後一貫した主要な活動であります。中央アジアにおいては、キリギス、タジキスタン、ウズベキスタン各国とは、これまで文化・教育を通した交流を重ねてまいりました。今日の会議を通して、5ヵ国すべての皆様との対話が一段と広がりいくことを願っています。

Side event “The Catastrophic Consequences of Atom Bomb Testing—A First Person’s Testimony” Credit: INPS Japan

先月ウィーンで行われた第11回NPT再検討会議に向けた第1回準備委員会では、在ウィーン国際機関カザフスタン政府代表部、ならびに国際安全保障政策センターとともに、核実験の人道的影響をテーマにサイドイベントを開催させていただきました。会場には50名を超える方々にお越しいただき、この問題における関心の高さがうかがえました。

サイドイベントでは、本日もご講演を頂くドミトリー・ベセロフ氏にご自身の核実験被害についてお話頂きました。核兵器が長期にわたり、どれほど甚大な被害をもたらすのか、会場に集った多くの参加者とともに息をのむような思いでお話を伺いました。核兵器の問題を政治的、抽象的な議論で終始していては、その本質が見えなくなります。被爆また核実験被害等の実相を常に忘れることなく、人類の平和にとって、無差別に大量の殺戮・破壊を行う核兵器が本当に必要なものなのか、と問い続けなければなりません。結論は出ているのです。TPNWもNPTも「核兵器のない世界をめざす」という目標は共有されているのです。その意味で、私達は今後とも一貫して市民社会の立場で軍縮教育の取り組みを世界に広げていきたいと考えています。

核兵器を「非人道的兵器」として、その開発、保有、使用あるいは使用の威嚇を含むあらゆる活動を例外なく禁止したのが核兵器禁止条約です。「核兵器禁止条約の条文は、言い換えるならば地球全体を非核兵器地帯とする内容が規定されている」と言えます。その意味では、中央アジア非核地帯条約が批准されている中央アジアは核兵器禁止条約の理念をすでに実行されていると言えます。

本日の会議では、各国の代表の皆様と中央アジア地域の課題や現状について率直に話し合い、核軍縮また核兵器の非人道性について議論を深めていきたい。そして、核兵器禁止条約の持つ重要な価値について共有できることを強く願っております。核兵器の使用リスクが高まる中、世界を核軍縮、核廃絶の方向へ転換させるべく、有意義な議論を重ねて参りたいと存じます。(英文へ

有り難うございました。

Filmed and Edited by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.
Regional Conference: “Humanitarian Impact of Nuclear Weapons and the Central Asian Nuclear-Weapon-Free Zone” held on Aug 29, Astana, Kazakhstan.

INPS Japan

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|視点|国際的軍備管理体制の崩壊(セルジオ・ドゥアルテ科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議議長、元国連軍縮問題上級代表)

【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ】

核兵器が国際的な場面に登場したのは、国際連合憲章の署名から21日後のことである。そのため、国連憲章は核兵器について触れていない。

それにも関わらず、広島・長崎への原爆投下が世界にもたらした衝撃と恐怖ゆえに、国連総会は1946年1月に採択した創設後初の決議で、原子兵器を国家の戦力から廃棄する提案をさせる目的で委員会を立ち上げることになった。その年の後半、同総会は、核兵器や、大量破壊に応用できるその他の兵器を禁止・廃絶する喫緊の必要があることを認めた。

Photo: Sergio Duarte speaks at the August 2017 Pugwash Conference on Science and World Affairs held in Astana, Kazakhstan. Credit: Pugwash.
Photo: Sergio Duarte speaks at the August 2017 Pugwash Conference on Science and World Affairs held in Astana, Kazakhstan. Credit: Pugwash.

これが77年前の出来事である。決議第1号で創設された委員会はすぐに解散となり、関心は廃絶から核分野における「部分的措置」へと移った。この措置によって、さらなる進展への基礎が提供されるはずであった。その数十年の間に、核兵器の拡散を防止することを目的とした多国間協定が採択され、核兵器を制限する措置が合意された。

化学兵器と生物兵器という2種類の大量破壊兵器は、多国間条約によって禁止されている。 しかし、核兵器は依然として人類を悩ませている。実際、核兵器を保有する9カ国は、その速度、射程距離、破壊力を高める新技術を取り入れることで、核兵器の改良に余念がない。「技術的拡散」とでも呼ぶべき状況だ。

一国単独での決定、あるいは二国間協定によって、冷戦最盛期に存在した途方もない量の核兵器を削減することに成功した。しかし、それだけの削減があっても、依然として世界には推定1万3000発以上の核兵器が存在している。現在、米国・ロシア間の核兵器制限協定のほとんどが失効したか、放置されている。唯一残っているのは、2010年に締結された新戦略兵器削減条約(新START)であるが、ロシアが一方的に効力停止にしている。

現在、この二国間にも、またどの核兵器国に関しても、合意された核兵器制限協定というものはない。核兵器とその運搬手段の廃絶は、核兵器保有国にとっては、せいぜい遠い目標にすぎない。

2008年に採択された国連安全保障理事会決議1887は、大量破壊兵器及びその運搬手段の拡散は国際の平和及び安全への脅威であることを再確認した。誰も否定しえない内容ではあるが、核兵器の存在そのものが、世界の安全への重大な脅威であることにほとんどの人が同意するのではないか。

多国間条約によって核兵器が廃棄・解体された例はない。対照的に、南極条約(1961年)、宇宙条約(1967年)、海底条約(1972年)は、核兵器が存在しない場所での核兵器を禁止した。ラテンアメリカとカリブ海諸国は、自国の領土でそのような兵器を禁止する条約を交渉することに成功した。この先駆的な取り組みは、後に113カ国が他の4つの地域(南太平洋、東南アジア、中央アジア、アフリカ大陸)とモンゴルで非核兵器地帯が創設される成果へと繋がった。

Image: Nuclear-Weapon-Free Zones (Blue); Nuclear weapons states (Red); Nuclear sharing (Orange); Neither, but NPT (Lime green). CC BY-SA 3.0
Image: Nuclear-Weapon-Free Zones (Blue); Nuclear weapons states (Red); Nuclear sharing (Orange); Neither, but NPT (Lime green). CC BY-SA 3.0

1960年代、2つの核大国は条約案の主な内容を協議し、18カ国軍縮委員会(ENDC)に提示した。委員会では最終合意に至らなかったが、国連総会がそれを採択し、核不拡散条約(NPT)となった。条約は1970年に発効した。

その後約20年ほどで多くの国々が当初の留保を撤回して、1990年代末までには大多数の国々がNPTに加入した。NPTは「不拡散体制の要」とみなされている。NPTを批准していない国は4カ国しかなく、その内、インド・パキスタン・イスラエルは核兵器国である。

NPTは、非核兵器国による核兵器取得・開発の予防に力を発揮してきた。一部の非核兵器国が条約上の義務に実際に従わなかったり、その疑いを持たれたりしたこともあったが、そうしたケースのほとんどが、国連安保理による制裁を含めた政治的・経済的圧力と外交手段の組み合わせによって解決されてきた。

しかし、NPT締約国の間には依然として深い見解の相違がある。非核保有国の多くは、核保有国がNPT第6条を履行し、核兵器廃絶に向けて断固とした行動をとることに関心がないと見ている。不満は何度も噴出し、核不拡散と軍備管理の枠組みを崩壊させる恐れもある。

10度のNPT再検討会議のうち6回までも、最終文書の採択に合意できなかった。直近の2回、2015年と2022年の会議でもそうであった。この状況は核不拡散体制の権威と信頼性にとってはマイナスであり、次の2026年再検討会議にも暗い影を投げかけている。

この冷徹な現実に、さらに不安をあおるような要素が折り重なる。あらゆる状況での核爆発実験を禁じる包括的核実験禁止条約(CTBT)は、条約14条で言及された44カ国のうち8カ国が未署名あるいは未批准であるために、まだ発効していない。署名・批准に向けた国内手続きを完了させる動きがこの8カ国内部には乏しく、この条約が意図した普遍的な禁止措置の有効性に対する信頼を低下させている。

別の不安要素は、第1回国連軍縮特別総会が権限を委託した多国間機関が依然として役割を果たせていないという点だ。1990年半ば以降、国連や軍縮委員会、国連総会第一委員会の場において、多国間で実質的な合意はなされていない。さらに、1990年代以降、ジュネーブ軍縮会議は作業内容にすら合意できていない。

国際連合憲章に基づき、過去78年にわたって構築されてきた国際安全保障システムは、世界の多くの地域で紛争予防に失敗してきた。侵略と平和の侵害は、特に発展途上地域において死と破壊を引き起こし続け、巨大な人道危機と大規模な人口移動を引き起こし、先進国における排外主義的反応を助長し、不平等を拡大させている。

安全保障理事会は、国際の平和と安全の維持に第一義的な責任を負っているが、常任理事国の特殊利害が絡む状況においては行動することができず、その結果、常任理事国が同意しないいかなる措置からも、そのような国々を事実上遠ざけてきた。実際、安保理の構成は、今日の世界の地政学的現実と1945年以降の安全保障に関する認識の変化をもはや反映していない。 国連安保理の改革は待ったなしである。

主要な核保有国の間でも、また地域的なライバルの間でも、繰り返される緊張が安定と国際の平和と安全の維持を脅かしている。核保有国は、必要と思われる状況下で核兵器を使用することを想定した軍事ドクトリンを堅持している。 つい最近まで、これらの国は、第二次世界大戦後欧州で戦争が起こらなかったのは核兵器の存在によるものだと主張していた。

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、このような主張はもはや維持できなくなった。片方が核保有国である2つの欧州の国が交戦状態にあり、3つの核保有国に加えて「核同盟」である北大西洋条約機構(NATO)もこれに関与している。核兵器使用の恫喝が交戦当初からなされており、その問題を過小化すべきではない。

もし核紛争が勃発すれば、軍備管理、核不拡散、軍縮に関する国際的な制度全体が存続できなくなり、国際連合憲章が確立した秩序そのものが危うくなる可能性がある。

2010年NPT再検討会議以来の重要な動きは、多くの国々が、あらゆる核兵器使用がもたらす壊滅的な帰結について真剣に考える必要性を多くの国が強調し始めたことだ。2012年と14年の国際会議は、核兵器に伴った人道的な危機とリスクについて討論し、核兵器使用が人間にもたらす影響に効果的に対処できる国や集団は存在しないとの結論が導かれた。

これらの会議ではまた、かつての想定よりもこうしたリスクははるかに大きく広範なものであり、こうしたリスクに対抗することが、核軍縮や不拡散に関連した世界的な取り組みの中心に据えられるべきだとの結論が導かれた。

現在までのところ、こうした取り組みの最も重要な成果は、核兵器禁止条約(TPNW)の交渉と採択である。TPNWは、核軍縮に関する効果的な措置について交渉を進めるよう各締約国に求めるNPT第6条の規定に直接由来するものだ。。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

これこそ、まさに実行されたことである。この条約は、世界規模で核兵器を禁止することを目的とした、法的拘束力のある最初の国際法である。 TPNWは、核兵器の使用や使用の威嚇を禁止するだけでなく、核兵器の開発、生産、移転、保有、備蓄、第三国への配備も禁止している。

TPNWはまた、核兵器の使用や核実験の被害者に対する支援義務や、その結果汚染された地域における環境破壊の修復措置(第6条)、さらにそのための国際協力(第7条)についても定めている。大多数の非核保有国、理想的にはすべての非核保有国が、TPNWを遵守することによって、核兵器拒否を明確に示すことが不可欠である。今のところ、この条約には95カ国が署名し、そのうち68カ国がすでに批准している。

核軍縮に関する国際的な制度や協定の枠組みが危機に瀕していることは、条約がすべての当事者の利益になると認識される限り、条約が効果的で永続的なものであることを明らかにしている。信頼と信用は、国家間あるいは国家グループ間の協定を成功させるために不可欠な要素である。

軍縮枠組みのさらなる崩壊は、すべての国の安全を脅かすものであり、国際社会全体の正当な利益を考慮した協力と交渉によって阻止されなければならない。真の安全保障は、人類文明の破壊という脅威の上に成り立つものではない。(原文へ

INPS Japan

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FAWA(アジア太平洋女性連盟)が東京で創立65周年記念総会を開催

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan.
今年65周年を迎えるFAWA(アジア太平洋女性連盟)の総会が、9月14日から19日の5日間にわたって「Women as the Key Force~For Change in the Asia Pacific Region~」をテーマに東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催された。日本、アメリカ、グアム、フィリピン、シンガポール、韓国、台湾、香港、インドネシア、マレーシア、マーシャルアイランドから代表団が参加した。INPS Japanからは浅霧理事長が尾崎行雄記念財団の石田尊昭事務局長(一冊の会理事長)の招待で参加し、ドキュメンタリーの制作を担当した。

With the theme “Women as the Key Force~For Change in the Asia Pacific Region ~” the 24Th FAWA Convention in Tokyo 2023 was held at National Olympic Memorial Youth Center between Sept 14 – 19, 2023. Delegates from Japan, the U.S., Guam, the Philippines, Singapore, South Korea, Taiwan, Hong Kong, Indonesia, Malaysia, Guam, and the Marshall Islands participated in the conference. Katsuhiro Asagiri, President and multimedia director of INPS Japan filmed the convention at the invitation of the Secretary General of Ozaki Yukio Memorial Foundation, Takaaki Ishida, who is also President of ‘Issatsu no kai‘, a Japanese NGO.

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汚染された海を守る公海条約が現実のものに

【国連IDN=タリフ・ディーン】

「世界の海洋を保護するための記念碑的な勝利」と称された歴史的な新国際条約が、国連総会で世界の政治指導者らよるハイレベル会合が開催中の9月20日に加盟国に署名開放される予定だ。

新条約は、違法かつ過剰な漁獲やプラスチック公害、無差別な海底採掘、海洋生態系の破壊などによって壊されてきた世界の公海のあり方について規制するものだ。

「国家管轄権外区域の海洋生物多様性(BBNJ)に関する条約」を正式名称とする国連公海条約は、約20年の協議の末に合意されたものであり、国連の193の加盟国のうち60カ国が批准した時点で発効する。

批准プロセスとは、各国の法律に応じて、元首あるいは議会による最終承認を得るものである。米国では、大統領が条約に署名はできるが、批准には上院の3分の2以上の賛成を要する。

長くかかった条約協議においては、海洋遺伝資源(MGRs)、海洋保護区を含めた区域型管理ツール(ABMTs)、海洋保護区域(MPAs)、環境影響評価(EIAs)、能力構築及び海洋技術の移転(CB&TT)の5つの要素を含むパッケージが議論された。

今年の条約署名イベントで焦点が当てられた52本の多国間条約の中で、本条約を含む17本が環境関連であった。

多国間主義の勝利

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

2023年6月19日に採択されたこの歴史的な条約は「多国間主義の勝利」であると国連のアントニオ・グテーレス事務総長は評した。

国連の海洋問題海洋法局のウラジミール・ジャレス局長は、条約の重要性をあらためて強調して「海は危機にある」と指摘したうえで、「国連は加盟国がこの条約に普遍的に参加することを望んでおり、条約署名はその第一歩だ。」と語った。

国連条約課のデビッド・ナノプロス課長は9月14日、記者団に対し、「これらの条約への普遍的な参加は、その成功の絶対的な基礎となる。」と語った。

ナノプロス課長は、「オゾン層破壊物質の規制に関するモントリオール議定書は100種類近いオゾン破壊物質を規制しており、オゾン層の修復と地球温暖化の抑制に効果を発揮してきた。」と指摘したうえで、「同条約への普遍的な参加により、オゾン層は完全回復の途上にある。」と語った。

グリーンピースは、9月14日に発表された新たな報告書で、海洋への脅威に関する分析を行った。

『30×30:グローバル公海条約から海洋の保護へ』と題された報告書は、世界の海洋の30%を2030年までに保護する政治的なロードマップを提示した。

グリーンピースのこの報告書は「海洋の健康に対する脅威がきわめて高い程度にある」事実を述べ、国連公海条約を用いた緊急の保護を呼びかけている。

2018年から22年にかけて、公海での漁業活動は8.5%増えて計850万時間近くになり、「30×30」目標で保護しようとしている領域においては22.5%もの増加が見られるという。

こうした最近の動向は、海洋の現実は条約が目指すところと真逆に進んでいる状況を示しているとグリーンピースは指摘している。

SDGsに即した新条約

SDGs Goal No. 14
SDGs Goal No. 14

報告書は、漁業に並んで、海洋の温暖化、酸性化、汚染、それに深海での採掘という最近の脅威が海洋生態系にいかに悪影響を与えているかを分析し、公海条約を利用して「30×30」の目標を達成するための政治的行動を取ることが急務であると訴えている。

はえ縄漁が公海漁業の4分の3を占めるが、目的としない魚が多く網にかかってしまうため、破壊的な漁獲法だとされている。

現在、公海のうち保護されているのは1%に満たず、「30×30」目標を達成するには、1100万平方キロの海洋を毎年保護する必要がある。

「国家管轄権外区域の海洋生物多様性に関する国連臨時作業部会」の共同議長を務めたパリサ・コホナ博士は、「新条約は国連の持続可能な開発目標(SDGs)に沿ったものであり、海洋保護という目標に資するだけでなく、利益の共有と技術移転をめざすものだ。」と語った。

「海洋保護に向けたNGOの熱意は賞賛すべきだたが、漁業によって生計を保ち収入を得ている数多くの人々との利益のバランスも考えねばならない。」とコホナ博士は指摘した。

同氏によれば、途上国の数多くの人々が生活のために漁業に依存し、他の生計手段を持たない、という。

同時に、海産物はグローバル・サウスの多くの人々の主要なタンパク源でもある。コホナ博士は元スリランカ国連大使でもあり、最近は駐中国大使も務めていた。

同氏は、食料危機の可能性によって脅かされている世界にあっては、漁業に依存している多数の人々のことを忘れてはならないと指摘した。

人類と海洋の関係

「海洋保護と同じぐらいの熱意をもって、条約にある利益共有・技術移転の条項をある程度履行することで、グローバル・サウスのニーズに応えることができるかもしれない。」

このことを念頭に置きつつ、「条約の署名開放を歓迎せねばならない。新条約は人類と海洋とのあらたな側面を画することになろう。生命は海から生まれ、海は生命を支え続けることだろう。」とコホナ博士は語った。

グリーンピースの「海を守れキャンペーン」のクリス・ソーンは「公海条約は自然にとって歴史的な勝利ではあるが、我々が報告書で示したように、海洋生物への脅威は日々悪化している。」と指摘したうえで、「条約は海洋保護のための強力なツールとなるが、各国政府は緊急に条約を批准し、海が回復し繁栄する余地を海に与えるべく、海洋の保護地区を保たねばならない。」と語った。

ソーンはまた、「海における破壊的な行為が海洋の健康の将来を損ねており、したがって地球全体の健康をも損ねている。」と語った。

海の生命にチャンスを与えるためには、2030年までに少なくとも海洋の30%が海洋保護地区の設定によって保護されねばならない。

「そこまで7年しかない。海洋保護に熱心な国家は、来週の国連総会において公海条約に署名し、2025年の国連会議までに批准を済ませるようにしなければならない。」

グリーンピースの報告書はまた、条約を利用して海洋保護地区を確立するための政治的ステップや行動についても紹介している。

また、生態系的な重要性から特に3ヶ所の公海上の海域を挙げて、保護地区とするよう訴えている。すなわち、北西太平洋の天皇海山群、大西洋のサルガッソ海、オーストラリアとニュージーランドの間にある南タスマン海(ロード卿海丘)の3ヶ所である。(原文へ

INPS Japan

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アジア太平洋からインド太平洋へのシフトは誰のためか?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

この記事は、2023年4月25日に「ハンギョレ」に初出掲載され、許可を得て再掲載したものです。

 “アジア太平洋の時代は終わり、インド太平洋の新時代が始まった”

【Global Outlook=文正仁】

韓国や米国のみならず欧州で開かれる国際会議でも、このような発言がよく聞かれるようになった。インド太平洋という地政学的概念が、アジア太平洋という地理的概念に取って代わりつつある。

アジア太平洋秩序は本当に終わりを迎えたのだろうか? 私は同意する気になれない。

地域秩序の劇的な変化は、大国間の大規模な戦争やこれらの国における革命のような内政変化の結果として生じる。最もよく知られた例として、ナポレオン戦争後のウィーン体制、第一次世界大戦後の国際連盟、第二次世界大戦後の米ソの冷戦対立、そしてソ連崩壊がもたらしたポスト冷戦秩序などがある。(

筆者が極めて特異と感じるのは、従来のアジア太平洋秩序がいまだ健在であるにもかかわらず、日本の安倍晋三首相が最初に提唱し、米国のドナルド・トランプ、ジョー・バイデン両大統領が練り上げたインド太平洋戦略と、それがもたらした地域における新秩序が、これほど短期間で支配的パラダイムとして浮上したことである。

1990年代初めに冷戦が終焉を迎えたとき、米国が主導する一極体制のもとで地域再編成が起こった。まず、EUが独立した経済圏の形成に動いた。後れを取ることを恐れた米国は、カナダとメキシコを加えて北米自由貿易協定を締結し、さらに、日本とオーストラリアが音頭を取ったアジア太平洋経済協力(APEC)会議においても積極的な役割を果たした。

それが、アジア太平洋の時代の幕開けである。

ポスト冷戦時代のアジア太平洋秩序は、いくつかの点で前向きなものだった。

アジア、北南米、環太平洋の21カ国からなるAPECは、開かれた地域主義と自由貿易の最たる例となった。先進国と途上国の意見の相違など多くの課題は確かにあったものの、この枠組みからさまざまな2国間自由貿易協定のほか、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定、ASEAN自由貿易地域(AFTA)といった多国間協定が生まれた。

さらに、アジア欧州会合(ASEM)の発足はアジアと欧州の結び付きを生み出し、地域的な自由貿易秩序の基礎としての役割を果たした。毎年開催されるAPECサミットは、政治や安全保障について首脳レベルで協議するフォーラムとなった。また、ASEANは、中国とロシアを含むアジア太平洋地域の安全保障協議を主導し、多国間レベルでの安全保障協力の新たな可能性を切り開いた。

政治体制や価値観が多様に異なるにもかかわらず、地域の交流と協力がより活発になり、ある程度の戦略的コンセンサスの形成をもたらした。1990年代以降にアジア太平洋地域が享受してきた平和と繁栄は、大陸国と海洋国の両方にまたがるこの地域秩序のたまものと言っても過言ではない。

インド太平洋戦略はインド洋と太平洋を「自由で開かれた」(米国の表現)あるいは「平和で繁栄した」(韓国の表現)ものにすることを目指し、協力の原則(韓国の表現)と同様、包摂、信頼、互恵を表現しているものの、その戦略にはアジア太平洋秩序との重大な違いがある。

インド太平洋戦略の構成グループと見なし得る日米韓の3カ国軍事協力、さらには4カ国戦略対話、AUKUS、NATOの勢力拡大を見れば一目瞭然である。

インド太平洋戦略は本質的に、太平洋、インド洋、大西洋を結び付けようという米国の伝統的海洋戦略を具現化した最新の策であり、また、現状を変更して影響力を広げようとする中国の試みを封じ込めるための地政学的な一手でもある。そのため、この戦略は集団的自衛権と排他的同盟に重点を置いている。

そのような戦略を正当化する理由として、「価値観外交」の「我ら対彼ら」というロジックが用いられる。中国、ロシア、北朝鮮のような専制主義国家の枢軸に対抗するために、民主主義国家が集まって連合を組むというわけである。

経済分野では、この戦略はインド太平洋経済枠組み(IPEF)の閉鎖的な地域主義によって特徴付けられる。米国は友好国や同盟国に対し、貿易および技術分野における中国とのデカップリングを強く求めている。リショアリング、ニアショアリング、フレンド・ショアリングといった言葉が示すように、インド太平洋におけるこの戦略の最終目標は、中国の排除である。

国際通貨基金による最近の報告書は、この種の地政学的および地経学的な再編成はグローバル経済に致命的な害を及ぼすだろうと警告している。

インド太平洋戦略は、中国の台頭を実存的脅威と見なす米国と日本の立場から見れば非常に道理にかなったものかもしれないが、彼らの意見や利益は、地域の他の国々のそれとは大きく異なるかもしれない。

そういった国々が二つの秩序のうちどちらかを選ぶことを余儀なくされた結果、深刻な巻き添え被害が生じ得ることを考えると、なおさらである。

さらに、アジア太平洋秩序は今なお非常に有益であり、それを葬り去ることは到底できない。

しかし残念なことに、ほとんどの国はインド太平洋への移行を無批判に受け入れており、学識者や政策決定者の間でこの移行の適切性に関する中身のある議論は全くなされていない。

アジア太平洋秩序とインド太平洋秩序が共存する、さらには共栄する道は本当にないのだろうか? インド太平洋戦略に加わることによる地域のコストと利益を、誰かが算出するべきではないだろうか? 韓国のような半島国家の場合、大陸を捨てて海洋戦略と運命を共にすることが現実に望ましいことだろうか?

韓国は長年にわたり、アジア太平洋秩序による恩恵を最も受けてきた国である。今こそ、活発な議論と討論を通して韓国自身の答えを見いだすべきである。

文正仁(ムン・ジョンイン)は、韓国・延世大学名誉教授。これまで文在寅大統領の統一・外交・国家安全保障問題特別顧問を務めた(2017~2021年)。 核不拡散・軍縮のためのアジア太平洋リーダーシップネットワーク(APLN)副会長、英文季刊誌「グローバル・アジア」編集長も務める。戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会メンバーでもある。

INPS Japan

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核戦力を強化し、西側に抵抗する北朝鮮

不可能を可能に:ハンセン病制圧への生涯をかけた闘い

【ナイロビIPS=ジョイス・チンビ】

1974年、笹川陽平氏は、父親が資金援助していたハンセン病療養所に同行した際、病棟でじっと無表情でいる患者達を目の当たりにした。室内はハンセン病の臭いが充満していた―傷口から出る膿の匂いだった。

父は患者の横に座り、彼らの手と顔に触れ、「希望を持つように。」と励ましていた。当時すでにハンセン病は治療可能な病気であり、彼らが生きる希望はあったのだ。笹川氏はその時、ふと療養所の外で生活しているハンセン病患者たちを待ち受ける人生—差別と疎外にまみれた困難な人生—に思いをめぐらした。彼は静かに頭を垂れ、ハンセン病撲滅に生涯をささげることを決意した。

Yohei Sasakawa chronicles his campaign to rid the world of leprosy in his biography Making the Impossible Possible. Credit: Hurst Publishers
Yohei Sasakawa chronicles his campaign to rid the world of leprosy in his biography Making the Impossible Possible. Credit: Hurst Publishers

笹川氏の新著『不可能を可能にする(Making the Impossible Possible)』は、古来から多くの神話と誤解にまみれたこの病気との直接的な闘いを記録したものだ。2001年から務めるWHOハンセン病制圧大使として、ハンセン病が拡がっている70近い国を200回以上にわたって訪問している。

「訪問地のほとんどは、人々がきわめて厳しい状況下で生きる辺鄙な土地ばかりです。問題が起きているところはまさにその解決策が見つかる場所でもあるというのが私の信念です。」と笹川氏は語った。

「私はまた、知行合一(知ることと行うことは分離不可能)という新儒学の教えを信奉しています。私は行動する人間でありたいと思っています。私の息が続く限り現場で関わり続けるという熱情をもって国際人道支援活動に関与してきました。その意味で、私の仕事は私の個人的な満足のためにあると認めるのにやぶさかではありません。」

笹川氏がハンセン病制圧に取り組んだ足跡を振り返る中、笹川ハンセン病イニシアチブとノルウェーのベルゲン大学は、6月21・22日両日、「らい菌発見150周年記念ハンセン病ベルゲン国際会議」を共催した。

この会議は、ノルウェーの医師ゲルハール・アルマウェル・ハンセン博士によってハンセン病の原因菌である「らい菌」が1873年2月28日に発見されたことにちなんで開催される。この歴史的な記念日を記念して、150年経った今も、ハンセン病は決して過去の病気ではないことを強調しようとするものである。

ハンセン病は今なお顧みられない熱帯病として世界120カ国以上に存在し、毎年少なくとも20万人の新規患者が報告されている。しかし、この半世紀にわたる進歩によって、世界はハンセン病撲滅の目標へと近づいている。

ベルゲン会議は、らい菌が初めて観察された地で、多くの人々の知識と経験、英知から学び、この旅の中で最も困難な「ハンセン病撲滅」という最後の行程(ラストワンマイル)を完走する機運を高める機会である。

Geographical distribution of new cases of Hansen’s disease reported to WHO in 2016. Courtesy of WHO
Geographical distribution of new cases of Hansen’s disease reported to WHO in 2016. Courtesy of WHO

笹川氏の新著は、これまでに特定された課題や成果、ベストプラクティス、得られた経験や知己など、この旧来からの病気を撲滅する数十年に及ぶマラソンの最後の1マイルを走りきるために必要な洞察の宝庫が記されている。

この著は、「ハンセン病とそれが生んだ差別のない世界」を目指す笹川氏の最も詳細な記録である。

SDGs Goal NO.10
SDGs Goal NO.10

本書は、ハンセン病患者・回復者の声を直接聞くために世界各地の遠隔地を訪れ、政策立案者、政府の指導者、元首らと会談し、病患の人権を守るための措置などハンセン病に対する闘いへの新たな取り組みを提唱した記録である。 

「私が記憶する限り、これまで出席してきたあらゆる会合や会議、記者会見では3つのメッセージを繰り返し述べてきました。その第一は、ハンセン病は治療可能だということです。第二は、世界中で無料で治療が受けられるということ。第三は、ハンセン病に罹患した人びとへの差別は絶対にあってはならないということです。」と笹川氏は強調した。

「これらのメッセージを理解することは容易です。しかし、『差別は絶対にあってはならない』という3つ目のメッセージだけは、実践するのが容易ではありません。人間の生涯にわたって沁みついてしまった差別感情を払しょくするのは難しいからだ。」

「同様に、これらのメッセージは今回の2日間にわたる会議でも繰り返されるだろう。今日、ハンセン病は多剤併用療法(MDT)を通じて治療可能ですが、治療が遅れると障害が進行し、生涯にわたって困難を抱えることとなります。」

治療の遅れやその結果として生じる障害は、ハンセン病をめぐる偏見につながり、患者や家族が依然として差別に直面し続けている。差別のため病院で診察を受けることを躊躇する人々も多く、新規患者発見の障害にもなっている

世界保健機関(WHO)を中心に、多くの国や国際機関が2030年までにハンセン病ゼロ(疾病ゼロ、障害ゼロ、差別ゼロ)を目指している。

この目標の達成には関係者の緊密な協力が必要だ。この目的のため、今回の2日間の会議は世界各地から関係者を集め、医療・社会・歴史の3つの側面から議論を行った。

WHOのテドロス・アダノム・ゲブレイエスス事務局長、フォルカー・テュルク国連人権高等弁務官、ノルウェーのイングヴィル・ヒャールコール保健・ケアサービス担当相がメッセージを寄せた。

The Bergen International Conference on Hansen’s Disease: 150 Years Since the Discovery of the Leprosy Bacillus. Photo: Sasakawa Health Foundation.
The Bergen International Conference on Hansen’s Disease: 150 Years Since the Discovery of the Leprosy Bacillus. Photo: Sasakawa Health Foundation.

また、ポール・ファイン・ロンドン大学衛生熱帯医学大学院教授や、「ハンセン病回復者とその家族に対する差別撤廃に関する国連特別報告者」のアリス・クルス博士も基調講演を行った。

会議は、笹川ハンセン病イニシアチブが2021年に立ち上げたキャンペーン「ハンセン病/らい病を忘れるな」の一環である。2022年にインドのハイデラバードで開催した「ハンセン病に関する市民組織グローバルフォーラム」や、2023年の「ハンセン病に関するバチカン国際シンポジウム」、「ハンセン病患者に対するスティグマと差別を終わらせる2023年グローバル・アピール」に引き続いて開催されたもので、らい菌発見150年を記念している。(原文

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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