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オーストラリア政府は気候変動への対処を怠りトレス海峡諸島民の権利を侵害、と国連が認定

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=クリステン・ライオンズ】

この記事は、2022年9月26日にThe Conversation で初出掲載され、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づき許可を得て再掲載したものです。

国連の委員会は9月23日(金)、オーストラリアの前連立政権が気候危機に十分に対処しなかったことによりトレス海峡諸島民の権利を侵害したと認定する画期的な決定を下した。

トレス海峡諸島民でつくる「グループ・オブ・エイト」 は、オーストラリア政府が温室効果ガス排出削減や、島々の防潮堤の改良などの措置を怠ったと主張した。国連はこの訴えを支持し、申立人らの損害を賠償すべきだと述べた。(

この決定は、しばしば気候危機の最前線にいる先住民コミュニティーが自分たちの権利を守るための新たな道を開くなど、先住民の権利と気候正義における突破口といえるだろう。

アルバニージー政権は、トレス海峡諸島とともに気候変動に対処する公約を表明してきたが、いまや、この可能性と課題に立ち向かわなければならない。

この決定は、なぜそれほど重要なのか?

トレス海峡の諸島民8名と、その子どもたちのうち6名が、2019年に国連に申し立てをし、気候変動が彼らの生活様式、文化および生計を損なっていると主張した。

これは、海面上昇に晒されている低海抜の島の人々が、政府に対して行動を起こした初めての例であった。

申立人であるトレス海峡諸島民は、ボイグ島、ポルマ島、ワラバー島およびマシグ島の4島の出身で、彼らは気候変動に伴う豪雨や嵐により、彼らの住居や作物が壊滅的な被害に遭ったと訴えた。海面上昇によって家族の墓地も洪水に遭った。

申立人の主張の根拠は、脆弱な地域を保護するための緊急行動を求める最新の 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書によって裏付けられた。

重要なのは、西側の気候科学よりも、先住民の文化や生態系に関する深い知見が国連の決定にとって鍵となったことである。このことは、先住民の法律、文化、知識、慣習がしばしば排除され、過小評価されてきた広義の国際気候政策からの脱却を示す出来事である。

先住民の権利にとって大きな法的突破口

国連自由権規約人権委員会は、オーストラリアが気候変動の影響からトレス海峡諸島民を保護することを怠り、彼らが自己の文化を享有する権利や、私生活、家族および住居に対する恣意的な干渉から自由でいる権利を侵害したと認定した。

これらの権利はそれぞれ、国連世界人権宣言の第27条および第17条を構成している。訴えは、第6条の生命に対する権利を根拠とした主張もしていたが、これは認められなかった。

国連はこの決定において、トレス海峡諸島民が伝統的な土地と密接な繋がりを持ち、文化的慣習を維持するために健全な生態系が中心的な位置を占めていることを考慮した。陸海にわたる健全な国土と文化とのつながり、および、これらを維持する能力は人権であると認められた。

委員会は、オーストラリアが来年までに四つの島に新しい防潮堤を建設するなど対策を講じているとはいえ、起こりうる人命の喪失を防ぐために追加の措置が必要だと述べた

この結果に対して、「グループ・オブ・エイト」の1人でマシグ島の先住民であるイェシー・モスビーは、次のように語った。

我々の先祖たちは、この画期的な事例を通じてトレス海峡諸島民の声が世界に届いたことを知って喜んでいると思う。(中略)今回の勝利で、私たちは自分たちの島のふるさと、文化そして伝統を子どもや未来の世代のために守っていくことができるという希望を持つことができた。

申立人の代理人を務めた、環境法律団体ClientEarthの弁護士ソフィー・マールジャナックは、この結果は数々の先例を作ったと言う。特に、国際的な裁決機関が以下のことを認定したのは初めてである。

  •  国が不十分な気候政策を通じて人権を侵害したこと
  •  国は国際人権法に基づき、温室効果ガス排出の責任を負うこと
  •  人々の文化に対する権利が、気候の影響によりリスクに晒されていること

 この決定の数カ月後には、エジプトで今年のCOP27の開催が控えている。損害賠償が国際的な気候交渉において意味のある形で含まれることを求める国際的な声は重みを増すだろう。

そうした声の中には、健康、幸福、生き方、文化遺跡、聖地など、経済的なもの以外の損害の認定と賠償を求めるものもある。

先住民の権利にかかわる気候訴訟の増加

トレス海峡諸島の申立ては、急速に拡大する気候に関する訴訟の一部である。世界的に2015年から2022年までの間に、気候変動に関連する訴訟が倍増した

各国政府は、法的アクションの主要なターゲットとなっている。今回の決定を受けて、オーストラリアでも他の国でも同様の訴訟が相次ぐこととなりそうだ。国連委員の1人エレン・ティグルージャは、この決定を説明する際に次のように述べた。

自国の法管轄の下で気候変動の悪影響から個人を守ることができていない国は、国際法の下でも人権を侵害している可能性がある。

「グループ・オブ・エイト」の勝利は、先住民の権利にかかわる同様のオーストラリアにおける事例に繋がっている。例えばティウィ諸島の先住民は、自分たちの島の沖合でガス採掘を行うというエネルギー大手サントス社の提案を退けた

また、クイーンズランド州土地・環境裁判所におけるYouth Verdictの勝訴によって、気候変動の影響に関するファースト・ネーションズの証拠が、クライブ・パーマー氏の保有するワラタ炭鉱に対する訴訟で審理されることを確実にした。

オーストラリアの新政権はどのように反応するだろうか?

国連の委員会は、オーストラリア政府はトレス海峡諸島民に対し、既に被った被害について補償するべきだと述べ、島民コミュニティーと有意義な協議を行い、防潮堤の建設などの安全策を講じることを要求した。

では、この国連の決定は、気候危機が悪化する現在、オーストラリアにおける先住民の権利保護の課題を前進させるものとなるだろうか?

オーストラリアのマーク・ドレイファス司法長官は、政府は今回の決定を検討し、しかるべき対応をすると述べた

今回の展開は、気候政策・計画の一環として先住民の権利保護を保障するようアルバニージー政権に責任を負わせるものとなった。

また、各国政府は気候変動に対して行動を起こさなければならないという明確なシグナルを送った。これは、温室効果ガス排出を削減することだけではなく、より脆弱な地域が既に起きている被害に適応できるように支援を行うということも意味している。

クリステン・ライオンズは、クイーンズランド大学の環境開発社会学教授である。

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中国の和平提案はウクライナに平和と正義をもたらすか?

この記事は、Passblue が配信したもので、同紙の許可を得て転載しています。

【ニューヨークIDN =モナ・アリ・カリ】

中国はロシアによるウクライナ侵攻から1年の節目となる2月24日、ウクライナ戦争を終結させるための12項目からなる提案を発表した。米国、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)を含む一部の国々は、中国の和平提案を親ロシア的なものと断じている。米国はさらに、「中国はロシアへの武器供給を真剣に模索している。 」と主張した。中国はこの米国による主張を断固として否定し、「対話の側」、「平和の側」にしっかりと立ち続けている。」と、一貫して主張している。

ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「中国が公正な和平に関心を持っていると信じたい。」と、異なる反応を示した。ゼレンスキー大統領は、ロシアが「ウクライナの占領地から撤退する」ことが和平案に含まれていないとして、受入れに慎重な姿勢を示した。中国は最近、イランとサウジアラビアの関係正常化の仲介に成功しているが、ウクライナ戦争の政治的解決に向けた中国の働きかけを新たな視点で捉えることは可能だろうか。

Image credit: Royal United Services Institute (RUSI)
Image credit: Royal United Services Institute (RUSI)

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が2022年2月24日にウクライナへの侵攻を決めたのは、多くの誤算の結果であったように思われる。つまり、①キーウが数日で陥落する、②ゼレンスキー大統領が逃亡する、③米国と北大西洋条約機構(NATO)の同盟国が団結できない、と考えたのだ。しかし、プーチン大統領の最大の誤算は、中国の習近平国家主席が自分とともに欧米に対抗してくれると期待したことだろう。

ウクライナに進軍する直前、プーチン大統領は習近平国家主席と共同声明を発表し、両国の友情に 「限界はない」と表明している。それにもかかわらず、中国はロシアの侵略を明確に非難したり、石油や天然ガスをボイコットしたりはしていないが、ロシアによるウクライナ侵攻でプーチン大統領を直接支援することはしていない。少なくとも現時点ではー。

それどころか、中国はウクライナ侵攻を総会に付託した国連安保理の「平和のための結束」決議を棄権しただけでなく、昨年の第11回緊急特別総会で採択された6つの決議のうち5つを棄権している。193カ国の国連加盟国の内、圧倒的多数がロシアのウクライナ侵略とウクライナ東部の違法な編入を強く非難している。

その際、中国は一貫して、「すべての国の主権と領土保全を尊重すべき。」「国際連合憲章の目的と原則を遵守すべき」と述べてきた。

同様に、中国の12項目の提案のうち、最も重要な4項目は、国際法と国連憲章の遵守に言及している。

第一項目は、「すべての国の主権、独立、領土保全」に言及しており、その定義には、国際的に認められた国境にあるウクライナが含まれている。

Russian bombing of Mariupol/ By Mvs.gov.ua, CC BY 4.0
Russian bombing of Mariupol/ By Mvs.gov.ua, CC BY 4.0

第6項目は、国際人道法の厳格な遵守、女性や子どもなど紛争の犠牲者の保護、民間人や民間施設への巻き添え被害の回避、捕虜の基本的権利の尊重などを求めている。紛争当事者はすべて国際人道法を尊重しなければならないが、ウクライナに関する独立国際調査委員会は2022年10月の報告書で、「確認された違反の大部分はロシア軍に責任がある。」と結論付けている。

第7項目は、原子力発電所やその他の平和的原子力施設に対する攻撃の法的禁止を再確認するもので、これには、2022年10月にザポリージャ原子力発電所を攻撃して占拠したロシアに対する暗黙の叱責が含まれていると思われる。

第8項目は、核兵器の使用や使用の威嚇に反対し、核不拡散を防止することを明確に要求しているものである。中国は、ウクライナ紛争に関する限り、プーチン大統領だけが「核兵器の使用を示唆した」ことを認識しているはずである。また、中国は「中国の立場」とする和平提案を発表する2日前に、プーチン大統領が米国との新戦略兵器削減条約(新START)条約への参加を停止すると発表したことにも注目しているはずである。従って第8項目は、中国をロシアの姿勢と対立させることになるかもしれない。

軍事面では、第3項目が「敵対行為の停止」を求め、第4項目が「対話と交渉がウクライナ危機の唯一の実行可能な解決策である」と述べている。欧州委員会はこれらのポイントを「侵略する側と侵略される側の役割を曖昧にしている」と断じているが、中国がロシアに対して、政治的不満や安全保障上の懸念に対して、軍事的解決ではなく、政治的解決を追求するよう警告している可能性がある。

政治面では、第2項目で、すべての当事者に 「冷戦思考を放棄すること」を求めている。中国はロシアに対して、自国の安全保障を「他国の犠牲の上に追求すべきではない」(ウクライナの国家と国民を指していると思われる)と主張し、同時に米国とNATO同盟国に対して、「すべての国の正当な安全保障上の利益と懸念は、真剣に受け止め、適切に対処しなければならない」(ロシアのNATO拡大に対する安全保障上の懸念を指していると思われる)と喚起していると思われる。

NATO Expansion/ NATO
NATO Expansion/ NATO

米国とEUに対する唯一の明確な反論は第10項目で、中国はウクライナ紛争にとどまらず、一方的制裁と「最大限の圧力」戦略に長年反対してきたことを改めて表明している。

残りの項目では、ウクライナの人道的危機の緩和に関する第5項目、世界的な食糧危機を回避するための黒海穀物輸出合意の実施に関する第9項目、世界経済の回復を支える安定したサプライチェーンの維持に関する第10項目、ウクライナの紛争後の復興の促進に関する第12項目など、米国と欧州が共有する人道と経済の懸念に大部分が割かれている。

このように考えると、中国の12項目の和平提案は、必ずしも親プーチン、親ロシアではない。平和と国際法の支配を求める本物の呼びかけと見なすこともできる。しかし、戦争を終わらせる方法と、ウクライナからロシア軍を撤退させる方法についての実践的なステップを欠いている。また、ロシアによる侵略と占領で死傷したウクライナの市民や破壊された民間インフラに対する補償やその他の賠償だけでなく、現在も行われているすべての戦争犯罪に対する説明責任についても沈黙している。このように、中国の和平提案では、ウクライナの平和も正義も達成する見込みはない。(原文へ

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【モンゴルIDN=J・エンクサイハン】

地政学的な緊張や紛争が高まり、核兵器使用のリスクが高まっているにもかかわらず、あるいはそれゆえに、核軍縮の現状を見つめ、それを実質的に推進するために何をなすべきかを考えるべき時が来ている。

核兵器削減をめぐる米ロ交渉は行き詰まっている。核軍備削減に関する以前の合意の一部はどちらか一方によって破棄されたり撤回されたりしている。戦略核ミサイルの数を半減させると謳っている新戦略兵器削減条約(新START)は「停止」され、延長されるか新しい条約に置き換えられない限り、2年以内に失効する。

ウクライナ戦争のために、世界全体の核兵器の9割以上を保有する米ロ両国の関係は明確に敵対的なものになり、近い将来に核兵器削減交渉が再開される可能性は低い。核保有5カ国P5:米、露、 英、仏、中)による核兵器削減に向けた多国間協議が始まる見通しもない。

より広く見れば、核不拡散条約(NPT)の条項を実施するための合意も結ばれていない。2015年と2022年のNPT再検討会議は最終文書の合意を見ないままに閉幕し、過去の会議における実質的な合意も完全履行されていない。

相互の結びつきが強まり、グローバル化した世界では、核不拡散はもはやNPT上の核保有国であるP5だけの問題ではなく、世界全体の問題である。実際、すべての国が平和で安定した世界の共同管理者となりつつある。したがって、平和と安定の受益者であるすべての国が、それぞれの比較優位に基づき、平和と安定に貢献する国になるべき時である。

根本的な発想転換が必要

世界は急速に変化している。しかし、P5は自分たちの狭い利害にとらわれ、こうした変化に対応し、核ドクトリンや核政策に必要な調整を加えることに消極的である。ウィリアム・ペリー元米国防長官が2020年に出版した著書『核のボタン』で認めているように、米国の核兵器政策は時代遅れで危険なものとなりつつある。ウィンカーを付けた馬のように、P5は、安全保障ドクトリンと政策に適切な調整を必要とする、技術開発の途方もない変化を見ようとしないし、対応しようともしていない。P5は、政策における核兵器の役割を制限するどころか、通常紛争や非核兵器国(NNWS)も対象にするなど、使用可能リストを増やすことで、核兵器使用の閾値を下げている。

Dr. J. Enkhsaikhan
Dr. J. Enkhsaikhan

これらすべてが核軍拡競争を引き起こす。最新技術を用いた軍拡競争は、1967年の条約に違反して宇宙空間へ、あるいは、サイバー空間やデジタル領域にまで、予想のつかない壊滅的な帰結を伴って広がっていくかもしれない。したがって、今必要なのは、核抑止政策の根本的な発想転換だ。このままでは、水平的・垂直的核拡散につながり、世界的な生き残りが基本的な問題になっているというのに、核不拡散・軍縮の基礎が掘り崩されることになるだろう。

他国の安全を犠牲にして自国の安全を強化する抑止政策は、必然的に他国の対抗措置を招く。この点において核抑止も例外ではない。この「安全保障のジレンマ」は、世界を核の破局の淵に立たせる悪循環につながる。したがって、核抑止ドクトリンは、非侵略的なドクトリン、すなわち核兵器の威嚇や使用を禁止する共通の安全保障ドクトリンに置き換える必要がある。それは、すべての国家の安全を考慮に入れることで全体的な安全を強化し、紛争解決や交渉、国際法の強化を強調するものだ。

つまりそれは、G20諸国による2023年バリ宣言で表現された核に依存しない安全保障を促進するものだ。この宣言にはP5も署名しており、核兵器の使用あるいはその威嚇は容認できない、としている。

発展を促す

このように悲観的な現状がありながら、他方では前向きで勇気づけられるような呼びかけが非核兵器国からなされている。核兵器を法的に禁止し、核兵器を「絶対悪」とみなし、非正当化し、廃絶するプロセスを開始しようと呼びかけた提案である。「核兵器の人道的影響」に関する3回の国際会議が2013年から14年にかけて開催されたのを受けて、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)などの国際NGOの支援と協力を受けた125カ国が、核兵器の廃絶を視野に入れて核兵器を禁止することを呼びかけたのである。

核兵器国やその同盟国による後ろ向きな態度やボイコットの姿勢にも関わらず、国連総会は核兵器禁止に関する会議のホスト役を初めて務め、2017年には核兵器禁止条約を採択した。核兵器活動に関する包括的な禁止条項を備えたこの条約は2021年に発効した。同条約は、核兵器を禁止するだけではなくて、核軍縮の目標にも寄与することで、NPTを補完する。本稿執筆時点で70カ国が条約に批准し、93カ国が署名している。核軍縮におけるこの好ましい動きに対する非核兵器国による支持を強め、それを普遍化して核軍縮への力とせねばならない。

核禁条約「現象」に加えて、困難かつ複雑ではあるが、他にもなされるべき多国間の措置がある。例えば、第4回国連軍縮特別総会を招集して、P5やその同盟国だけではなく、その他4つの核保有国(インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル)に関しても、国連加盟国として参加を促す必要があろう。

この特別総会では、ジュネーブ軍縮会議などの国際軍縮機構の機能不全の理由について討論し、CTBTを発効させ、国際的な市民団体やその連合体の役割や、地雷やクラスター弾、そしていまや核兵器を禁止する国際規範の採択へと導いた同志国家や市民社会のパートナーシップの役割を認識し、支援する必要がある。

核兵器は世界の存続に関わるものであるため、非核兵器国の関心に応え協議を行うことは、核兵器に関連した多国間交渉フォーラムでは当然のことであろう。貿易や開発に関する国際協議が、最貧国や内陸国、島嶼国などの途上国の利益を考慮に入れるべきであるのと同じことだ。核兵器の先行不使用の問題にもすみやかに対処がなされねばならない。

その他の必要措置

米ロ軍縮協議における現在の困難のために地域的な措置を遅らせたり挫折させたりしてはならない。例えば、地域の非核兵器地帯の創設は包摂的なものとする必要がある。そうでなければ、地理的な位置、あるいは妥当な法的あるいは政治的理由によって非核兵器地帯の一部となることができない個別の国が出てきてしまう。現在の非核兵器地帯の定義では、「関連する地域の国々によって合意された協定を基礎とする」場合に、そうした地帯を設立することになっているからだ。

しかし、こうした現在の定義によっては地帯の一部となることのできない小国や中立国が20以上あり、これらが非核世界の盲点やグレーゾーンとなり、アキレス腱となっている。よく知られているように、システムは強力であると同時に、弱点ともなっているのである。個別国家の権利を認識することで、その地域が定義され強化されるだけではなく、これらの領域を核兵器なき世界の重要な構成要素に転じることができるのである。

したがって、国連総会はあらゆる側面に関して非核兵器地帯に関する2回目の包括的な研究を行い、新たな非核兵器地帯の創設につなげ、P5による安全保証の約束を固め、ウクライナにおけるブダペスト覚書の失敗を繰り返さないようにしなくてはならない。

要するに、停滞した核軍縮プロセスを活性化させる方法はたくさんある。(原文へ

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|アゼルバイジャン|国際バカロレア(IB)認定校の生徒がノウルーズで多文化共生をアピール

ノウルーズの祭りは、昼(光)と夜(闇)が等分になる「春分の日(=春の新年の訪れ)」に生命の再生を祝い豊穣を願う意味合いと、等分の夜に篝火を灯してその聖なる力で前年の穢れや邪気を払って新たな気持ちで新年を迎えるという意味合いがあり、日本の正月とも文化的共通点がある。この春の新年の祭りは、アゼルバイジャンをはじめ、トルコから西南アジア、中央アジア、新疆ウィグルにわたるテュルク語文化圏、インド・パキスタンの一部にまで及ぶ広い地域で祝祭とされている。(INPSJ解説)

【サムゲイトINPS=アイーダ・エイバズリ】

アゼルバイジャンの工業都市スムガイトにある国際バカロレア(IB)認定校では、生徒たちにユニークな教育体験を提供している。

Pupils in traditional costumes, photo by Aida Eyvazlı GÖYTÜRK

世界の様々な文化、歴史、言語に関する教育に力を入れている同校では、アゼルバイジャンの春の新年であるノウルーズ(「新しい日」という意味)を祝うため、多文化理解促進をテーマとした文化イベントを開催した。このイベントには8つの提携校の学生たちが、それぞれの文化をモチーフにした、各々趣向を凝らした展示ブースを設け、当日学校を訪れた教職員やゲストは、生徒達が民族衣装で振舞う多彩な伝統料理や音楽・舞踊を堪能した。

The Japanese booth photo by Aida Eyvazlı GÖYTÜRK
The Japanese booth photo by Aida Eyvazlı GÖYTÜRK

日本の展示ブースに立ち寄ると、生徒たちが春の訪れをテーマにした詩を日本語で朗読しており、このイベントに文化的なアクセントを加えていた。

The Ukrainian booth photo by Aida Eyvazlı GÖYTÜRK
Aida Eyvazlı GÖYTÜRK
Aida Eyvazlı GÖYTÜRK

学校のカリキュラムや文化活動を通じて、生徒たちは世界の多様な文化に対する理解を深め、グローバルな視野が涵養される。国際バカロレア認定校での教育アプローチは、多様性への理解や感謝の気持ちを育む教育機関の一例と言えるだろう。

相互のつながりが強まりつつも分断されつつある今日の世界において、こうした多文化主義を推進する教育姿勢は極めて重要である。同校は、グローバル社会で活躍するために必要なスキルと知識を、次世代を担う若者達に提供し、私たちの世界を構成する豊かな文化のタペストリーを受容する素養を育んでいる。(原文へ

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【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス

「ある人々にとっては、彼女は高名な知識人であり、アフリカのフェミニストの先駆者であり、反植民地主義の政治活動家であった。しかし、彼女の名前も偉業も一般的にはほとんど知られていない。」と、スタンフォード大学アフリカ研究センターの所長で、伝記「Written Out(抹消される)」 の著者であるジョエル・カブリタ氏は語った。

Joel Cabrita, Associate Professor of History
Director of the Center for African Studies, Stanford University
Joel Cabrita, Associate Professor of History
Director of the Center for African Studies, Stanford University

南アフリカ共和国(南ア)出身のアフリカーナ人の母とモザンビーク出身のポルトガル系の父との間に生まれたカブリタは、自身の系譜を活かして、レジーナ・ゲラナ・トワラの生涯を調査した。

本書は、ゲラナ・トゥワラの文学的、政治的貢献を明らかにするとともに、彼女のレガシーを抹消(Write out)しようとした白人学者、アパルトヘイト当局者、政治家たちの存在を明らかにしている。

1908年に南アに生まれたゲラナ・トワラは、1913年に制定された原住民土地法の犠牲者である。この法律により、南アの黒人は土地を奪われ、町や都市への移住を余儀なくされた。このためトゥアラは、30代でナタールの農村からヨハネスブルグに移り、教師として働くようになった。

有名なウィットウォーターズランド大学で学び、1948年に卒業したトゥアラは、黒人女性としては南ア史上2人目、社会科学専攻では初の大学卒業生だった。彼女は同時代の女性に関する研究を行い、女性たちのための(=母親と学校に通う女子生徒らが放課後に来て本を読める)図書館を立ち上げた。

1960年、エスワティニ初の政党であるスワジランド進歩党の創設者の一人となったが、その後、アフリカ民族会議(ANC)をルーツとする非暴力の多民族抵抗運動「不当な法律に対する反抗キャンペーン」に参加し、逮捕された。

1948年に人種差別的なアパルトヘイト政権が誕生すると、トワラは反アパルトヘイトの政治活動に携わるようになった。

1968年に亡くなったトワラは、夫との手紙や長編の原稿、新聞のコラム集などを残し、カブリタはトワラの伝記を書くことになった(現在、オハイオ大学出版局から出版されている)。

トワラの家族と親しいカブリタは、「私は30年以上にわたってトワラの書簡にアクセスすることができました。個人的なものから政治的なものまで、ユニークなアーカイブです。また、トワラと彼女の夫は、ネルソン・マンデラウィニー・マンデラ夫妻の親しい友人だったため、大きな出来事や有名人についての言及があり、この時代の黒人政治の記録であると同時に、親密な家庭生活の記録でもあります。」と語った。

「アフリカの歴史は、いわゆる大物とされる男たちによる規範に支配されていると思います。つまり、誰が歴史に記憶され、誰が忘れ去られるべきかという、公式な記憶のプロセスがあるのです。」

現在、カブリタは、アフリカの物語から取り残された人々の声を特定し、共有する方法に焦点を当てている。彼女は、アフリカの黒人女性作家のデジタルアーカイブを作ることから始めようと考えている。「アフリカの一部の読者にとって、高価な書籍にアクセスするのは難しいので、ウェブサイトを作りたいのです。また作品によっては、ラジオ番組で朗読することで、作者の声を蘇らせることができると考えています。」と、カブリタは語った。(原文へ

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健康な食品の入手困難に悩むラテンアメリカ・カリブ地域

【サンチアゴ(チリ)IDN=ロドリゴ・ペレス】

FAO
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食料価格の高騰が続く中、ラテンアメリカ・カリブ地域では1億3130万人が、世界の他の地域に比べて、健康的な食事を諦めざるを得なくなってきている。『食料安全保障と栄養に関する地域概況:2022年版』によると、2019年に同地域でこのような状況にあった人々の数は1億2300万人だった。

ラテンアメリカ・カリブ地域全体では人口の22.5%が健康的な食生活を送ることができない一方、カリブ地域では52%、中米では27.8%、南米では18.4%であった。

同様に懸念される傾向は、2019から21年の間に、この地域の飢餓人口が1320万人増加し、21年には5650万人に達したことだ。中でも最も増えたのは南米であり、2019年から21年にかけて南米の7.9%、中米の8.4%、カリブ地域の16.4%が飢餓の影響を受けた。

汎アメリカ保健機構(PAHO)のカリッサ・F・エティエンヌ事務局長は、学んだ教訓として「あらゆる形態の栄養不良に対処する努力を倍加する」ことを挙げた。これは、健康的な食品環境を作るための公共政策の推進、「工業的に生産されたトランス脂肪酸の排除、前面警告表示の実施、不健康な食品の広告規制、砂糖入り飲料への課税、学校における健康的な食事と身体活動の支援」の必要性を意味する。

エティエンヌ事務局長また、「食生活の悪化をもたらす要因を理解することは、解決策を見つけ、地域の誰もが健康的な食品を入手できるようにするための鍵となります。」と付け加えた。

FAO

例えば、貧困と不平等のレベルが高い国ほど、健康的な食事へのアクセスが著しく困難になる傾向があり、これは飢餓、少年少女の慢性栄養失調、15歳から49歳の女性の貧血の有病率の高さと直接関係している。

報告書は、健康的な食生活を送ることができないのは、その国の所得水準、ひいては貧困や不平等のレベルに関わっていると述べている。

2020年以来世界的に食料価格が高騰し、さらにはウクライナ戦争の勃発と、通常のレベルを超えた食料価格インフレが地域で発生したことによって、健康な食品を入手できない人が増えてしまったと報告書は指摘している。

国連食糧農業機関(FAO、本部・ローマ)ラテンアメリカ・カリブ地域事務所のマリオ・ルベトキン代表補佐官は、「この問題を単独で解決できる個別の政策は存在しません。飢餓と栄養不良に対応するためには、国と地域の調整メカニズムを強化する必要があります。」と語った。

「健康な食を入手できるようにするには、主に家族農業や小規模生産者を対象とした栄養価の高い食料生産の多様化のためのインセンティブを生む出すこと、市場や取引におけるこれらの食品の価格の透明性を高める措置を取ること、現金給付や学校給食のメニュー改善などの行動が必要です。」

ルベトキン氏はさらに、「貿易と市場政策は、食料安全保障と栄養の改善において基本的な役割を果たすことができる。不確実性を市場の予測可能性と安定性に置き換えることで、地域間の農業・食料貿易の改善につながる。」と語った。

国際農業開発基金(IFAD、本部・ローマ)のロッサーナ・ポラストリ地域代表は、「健康な食が世界の中で最も高くつく地域のことを我々は問題にしています。このような場所では、小農や農村の女性、先住民族やアフリカ系住民など、食料購入に収入のより大きな部分を割いている最も脆弱な立場の人々が影響を受けています。」と指摘したうえで、「この状況を反転させるには、生産を多様化し、健康な食の供給を増やし、市場と質の良い食への小農たちのアクセスを向上させるような革新的な解決策、例えば、食料の供給・需要を調整するデジタル的な解決策などを促進する必要があります。」と語った。

FAO
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また、この報告書では、栄養状況に気を配った社会的保護事業がいかに有効であり、とりわけ危機の時期にあって最も脆弱な立場の人々の食を支えるのにいかに重要であるかについて論じている。

国連世界食糧計画(WFP、本部・ローマ)のローラ・カストロ地域代表は、「ウクライナ紛争やコロナ禍の余波による食糧・燃料価格の危機により、食糧不安は今後も続くだろう。」と語った。

「今行動しなくてはならないが、どうすればいいのでしょうか? 健康な食を安価で入手するために社会的保護が有効であることを今回のコロナ禍が示しています。社会的保護のネットワークを拡張するために諸政府を支援することが重要で、そのことが既に影響を受けている人々がさらに悪影響を被るのを防ぐのに有用であることを改めて示したからです。」

SDGs Goal No. 2
SDGs Goal No. 2

カストロ氏はまた、「食品栄養表示や栄養価の高い食品への補助金、不健康あるいは栄養価がなく健康な食に貢献しない食品への課税などの政策も、うまく設計することができれば、健康な食を安価に入手することにつながり、過剰な体重や肥満に関連した状況や疾病の予防も図れます。」と語った。

国際連合児童基金(ユニセフ)のギャリー・コネリー・ラテンアメリカ・カリブ地域代表は、「子どもが健康に育つためには、栄養価の高い食品を手頃な価格で入手できるようにすること急務です。のみならず、栄養カウンセリングに加えて、適切な栄養を保証する公的政策を特に最も脆弱な人々に焦点をあてて展開する必要があります。」と語った。

ラテンアメリカ・カリブ地域の社会経済的な状況は好ましいものではない。最も悪影響を受けているのは5歳未満の子どもと女性で、男性よりも高い割合で飢餓に苦しんでいる。(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ブチャの住民の証言(4):「息子が助かったのは奇跡でした-服のフードに救われたのです。」(アラ・ネチポレンコ)

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

ロシア占領後のウクライナの町ブチャで、道路の真ん中に市民の死体が散乱しているという陰惨な写真と映像が全世界に衝撃を与えた。これは21世紀としては完全に異様な光景である。そして、多くのロシア人は、「これは演出だ」というロシア当局の説明を容易に、そして喜んで信じた。しかし、ロシアがどう感じようと、この恐るべき映像は分水嶺となったのである。ロシアと世界中のロシア人は、これから違った扱いを受けることになる。ブチャはロシア軍による犯罪の悲劇的な象徴となったのだ。

第一報によれば、イルピン、ホストメリ、マカロフ、ボロディヤンカでも、占領中に同様の残虐行為が行われたとのことだ。そして、状況が何倍も悪いとされるマリウポリについては、まだ触れていない。

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、この街で一体何が起こったのかを、独立した公平な立場で理解しようとするものだ。そして、ブチャの住民が語った内容は戦慄を覚えるものだった。私たちのドキュメンタリープロジェクト「Come and See」の枠組みの中で、ロシアによる軍事侵攻が始まって以来、この町で起こっていることについて集めた住民の証言を公開します。

以下は、ブチャに住むアラ・ネチポレンコさん(49歳)の証言である。3月17日、ロシア兵が14歳の息子ユーリの目の前で夫ルスランを射殺し、さらに10代の息子も殺そうとした。しかしユーリは奇跡的に一命を取り留めた。

ルスラン・ネチポレンコと息子のユーリ 写真:ファミリー・アーカイブス
ルスラン・ネチポレンコと息子のユーリ 写真:ファミリー・アーカイブス

「私は49歳で、長年、保育士として幼い子どもたちを相手に働いてきました。ある時、健康上の理由から、幼稚園の管理職の仕事に移りました。夫のルスラン・ネチポレンコ(47)は、ブチャのエコロジー企業で弁護士として働いていました。私たちの子供はここで生まれました。3人の素晴らしい息子たちです。そして、かつて私の両親は、この街を作るために若い頃ここに来ました。夫の実家が原発事故後、チェルノブイリから避難していたことが出会いのきっかけです。

アラとルスラン・ネチポレンコ、写真:ファミリー・アーカイブス
アラとルスラン・ネチポレンコ、写真:ファミリー・アーカイブス

(ロシアによる軍事侵攻が始まった)昨年の2月24日は二人とも休みで、早起きする予定も全くありませんでした。朝6時頃、何かの音で目が覚めましたが、すぐには何の音か分かりませんでした。ルスランは私よりもぐっすり眠っていて、目を覚ましませんでした。しかし、すぐにその音は次第に大きくなり、やがて爆発音だと分かりました。

スマホの電源を入れ、SNSを開くと、ボロディミル・ゼレンスキー大統領から「戦争が始まった」というビデオメッセージが届いていました。私たちの町はホストメリ空港の近くにあり、いち早くロシア侵攻の話を聞くことができました。

息子のムーが家族会議を開いてくれて、そこですべてを天秤にかけた結果、私たちはここに残ることにしました。私たちは民間企業で働いており、自分たちの家があり、隣には風呂場やストーブ、薪もありました。火鉢もタンドール(壷窯型オーブン)もある。停電になれば、自分たちの食べ物を直火で調理することができますし、どんな状況でも自給自足が可能でした。また、夫と子どもたちはボーイスカウト運動に参加した経験から、屋外でもどう生き延びるかを知っていました。また、停電に備えて発電機も持っていました。停電になっても、携帯電話の充電くらいはできるように、定期的に発電機をつけていました。食料もありました。私たち自身が誰かに脅威を与えるわけでもなく、危険もあまり感じませんでした。そこで私たちは、この紛争は長くは続かず、自宅で生き延びられると判断したのです。

私たちには3人の息子がいて、末っ子のユーラは14歳です。一番活発で落ち着きがない子ですが、家族会議では、彼に役割を与えることにしました。主人は以前市役所に勤めていたので、そこの知り合いに連絡を取ったのです。その知人から、「人手が足りない。機転が利く人が欲しい」と言われ、ユーラは3月3日からボランティアとして電話応対の仕事を始めました。ブチャ地区では、すでに18時から夜間外出禁止令が出されていました。当日ユーラは当直で、職場から電話をかけてきて、「仕事が終わらないし、食事も提供されるので、ここで一晩過ごします。」と伝えてきました。翌朝走って帰宅すると、朝食だけ食べ、「お母さん、職場に走って帰るよ、みんなが待っている。」と言って再び職場に出かけていきました。

しかし4日に帰宅すると、息子は一転してとても不安そうにしていました。「明日も当番なの」と聞くと、「そうだけど、町中をロシア軍の戦車が走っているから、もう二度と出勤したくない。」と答えました。職場にはCCTVカメラが設置されており、市庁舎や学校、教会の外にもロシアの戦車がいるのが見えたという。ユーラは、とても深刻なことだと理解したのです。持ち前の好奇心を和らげ、本当の危険を察知したのだと思います。一方、ロシア兵は、私たちの街にどんどん定着していきました。

アラ・ネポチレンコと息子たち。上にいるのがユーラ。写真:ファミリー・アーカイブス
アラ・ネポチレンコと息子たち。上にいるのがユーラ。写真:ファミリー・アーカイブス

私たちにとっての悲劇は、3月17日に起こりました。その後、もうこれ以上ブチャにはいられない、危険だと悟ったのです。その2日後の19日、私は子どもたちを連れて街を出ました。両親は家に残り、出て行くことを拒みました。

私の両親もブチャ地区の比較的近くに住んでいました。しかし、電話の調子が非常に悪く、3月8日からは電気もガスも止まってしまいました。主人は定期的に自転車で実家を訪ねていました。私たちの無事を知らせ、食べ物を届けていたのです。両親宅には発電機もなく、連絡はこうして一方通行でした。たまたま、実家の庭にある幼稚園に、ロシア軍が司令部と検問所を設けたため、両親宅にたどり着くために迂回することも、回り込むことも不可能になりました。身分証明書を携帯していれば、ロシア軍は原則的に、私たちの移動を認め、誰が地元の人間かを把握しているようでした。

AP Photo/Vadim Ghirda
AP Photo/Vadim Ghirda

その日、夫は市役所の近くで人道支援物資が配布されることを知りました。私たちは、夫の高血圧の薬が切れていたので、薬と発電機用のガソリンが入手できればと期待しました。ユーラは自ら志願して夫と一緒に行くことにしました。配布場所があまり近くないので、2人は自転車で行くことにしました。夫は、自分と子どもに白い腕章をつけ、自転車とリュックサックにも白い切れをつけて、ロシア兵に民間人だとわかるようにしていました。

タラソフスカヤ通りの人道支援物資配布場所に向かう途中、路地から突然、ロシア兵が出てきて行き先を尋ねながら、自転車から降りるように命じました。彼らは両手を挙げて、「薬をもらいに行っている。」「民間人だから脅威はないし、武器は持っていない。」と答えたそうです。

夫のルスランはユーラを庇いながらやや前に出てロシア兵と話しました。しかし、ユーラが後ろにいることを確かめようと少し振り返った瞬間、ロシア兵が突然彼の夫の左胸を2発撃ち、弾丸は肋骨と肺を貫きました。夫は「ああっ」と言いながら、目を開けたまま歩道に顔を伏せてしまいました。そのロシア兵は続いて息子にも2発銃弾を浴びせました。1発の弾丸は腕を傷つけ、2発目は左手の親指をかすり、ユーラも倒れました。そのロシア兵は息子に近づき、5発目の弾丸を頭部に撃ち込みました。ユーラにとって幸運だったのは、倒れた際に服のフードが引っ張られて頭を隠した形になり、銃弾はフードの布だけを破って頭部に命中しなかったことです。そうでなければ、彼もそこで殺されていただろうと思います。6発目は、そのロシア兵が夫の後頭部に撃ち込みました。

ルスラン・ネチポレンコと息子たち、写真:ファミリーアーカイブ
ルスラン・ネチポレンコと息子たち、写真:ファミリーアーカイブ

ユーラはどうすればいいかわからず、横たわっていました。ロシア兵が立ち去るのを待って、頭を上げて立ち上がり、その場を走り去りました。当時、ユーラは森に逃げ込みましたが家には帰らず、私の勤める幼稚園に駆け込んできました。私の同僚やその子供たちのように、幼稚園には家を爆撃された人たちが隠れ住んでいました。とりあえず応急処置をして、鎮静剤を投与しました。ユーラが落ち着きを取り戻すまで待ち、家に連れて帰りました。

帰宅すると、ユーラは何があったかを話してくれました。私は恐る恐る、「パパは本当に死んでしまったの?怪我をしていて、助けが必要なのでは?」と問いかけました。気丈な息子ですがこの時はさすがに怖がっていて、「ママ、お願いだから行かないで。ロシア兵はとても邪悪で、ママも殺されてしまう。」と懇願し始めました。そこで息子には「行かない」と約束しました。それでも自分に何ができるのか、じっとしていられませんでした。ウクライナ警察に相談したところ、ウクライナ軍がブチャを奪還するまでは何もできないと言われました。

それでも夫の遺体をそのままにはしておけませんでした。近所の人の話では、ロシア軍は前日に新しい兵器を中庭に設置し、前触れもなく撃ってくるから、近づくのは危険とのことでした。しかし夫の遺体は道端ならまだしも、ロシア軍の戦車が行き交う道路に倒れていたので、轢かれないかと心配でなりませんでした。一方、ロシア軍が死体を移動したら、集団墓地に埋葬されかねません。 

そこで私は、ロシア軍になんとか遺体の引き取りを認めてもらおうと考えました。私は夫が射殺される前から、毎日午後2時に両親と電話で連絡をとりあい、全員の無事を知らせることを日課にしていました。悲劇の翌日、約束の時間に父から電話がかかってきて、私はすべてを話しました。すると母が私たちのアパートに来て、途中でタラソフスカヤ通り8Aにあるロシア司令部に行き、遺体の引き取り許可を求めたと伝えてきました。司令部には、19歳くらいのとても若い兵士がいたそうです。許可はおりたのですが、既に夜間外出禁止令が適用されるまで十分な時間がなかったので、遺体の回収は翌日の午前中に行うことにしました。

夫は体重90キロのスポーツマン体型で、私の体力では動かせません。幸い、近所の二人の青年が手伝ってくれることになりました。私たちは一輪車に旗のような白い布をつけた棒をくくりつけ、遠くからでも見えるようにしました。そして母が一人のロシア兵に夫の遺体までの付き添いを頼み込み、夫の遺体にたどり着くと、母が一輪車に合図を送り、私達皆で夫を乗せて連れ帰りました。

こうしてなんとか自宅で夫に別れを告げることができました。息子たちが中庭に穴を掘り、夫の遺体を敷物で包み、穴の底に下ろして土をかぶせました。このような結果になるとは、まったく想像もつきませんでした。

ルスラン・ネチポレンコ、写真:ファミリー・アーカイブ
ルスラン・ネチポレンコ、写真:ファミリー・アーカイブ

ロシア兵はなぜ、あのような行動をとったのか、なぜ発砲したのか、ずっと考えています。何とも言えませんね。しかし夫が殺害された前日、ブチャのロシア軍がさらにキーウに進撃するためにイルピンで突破を試みて、装備に大きな損失を被り、多くのロシア兵が戦死していたことが関係あるかもしれません。彼らは攻撃的で、場所を変え始め、私たちの地域にも現れました。18歳から60歳までの徴兵年齢のウクライナ人男性は、ロシア兵にとって脅威となる可能性があるので、すべて射殺するようにとの命令があったことは、今では明らかになっています。

今のところ、ロシア側はすべてを否定し、民間人を殺したのはウクライナ軍だと主張しています。しかし、これには納得がいきません。そんなことはあり得ません。

私は人前に出るのが苦手で、演説をするのも好きではありませんが、このような行為を放置しておくわけにはいかないと理解しました。もしかしたら、このことが誰かに何かを警告するかもしれないし、まだ虐殺の真相に疑いを抱いている人々の目を開かせるかもしれません。私の状況はどうすることもできませんが、私が証言することで、何らかの助けになることはできると考えています。21世紀にもこのような残虐な事件があるのは、本当に事実です。(原文へ

INPS Japan

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太平洋の首脳らが気候危機への再注目を促す

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=フォルカー・ベーゲ】

2022年9月の第77回国連総会において、太平洋の小さな島国(あるいは「大洋」の国々)の首脳らは、地球規模の気候危機への再注目を促した。これらの国々は気候危機の原因に殆ど関与していないにもかかわらず、その影響を最も受けるという事実に基づく倫理的権威を用いて、太平洋のリーダーたちは、もっと思い切った気候アクションを要求し、新しい提案や取り組みを提唱した。(原文へ 

第77回総会のハイレベル・ウィーク(9月20日~23日) の間、12の太平洋島嶼国および地域(PICs)の政府首脳らが総会で演説し、その全員が自国の直面する気候危機を最優先の問題としていた。最初に演説したのはマーシャル諸島のデイビッド・カブア大統領で、今年7月の太平洋諸島フォーラム(PIF)の宣言から「気候変動はブルーパシフィック地域に迫る唯一最大の存続上の脅威であり続けている」という文言を引用しつつ、PICsにとって「最大の課題であり脅威が気候変動である」と主張した。他のPICs首脳らもこの立場を繰り返し、主要先進国、特にアメリカと中国に対し意見の違いを脇に置いて気候危機に対処するため力を合わせるよう要請した。パプア・ニューギニアのジェームス・マラぺ首相は気候危機への対応を「人類の最優先事項とすべき」と述べた。

先週ニューヨークでPICs首脳らにより宣言された三つの主要な取り組みが際立っている。気候変動の人権への影響について国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見を求める取り組み、化石燃料不拡散条約の推進、 そして、PICsの遺産を保全する計画「Rising Nations Initiative」である。

このうち最初の二つの取り組みを主導しているのは、太平洋の小さな島国であるバヌアツ共和国だ。9月23日の国連総会演説において、同国のニケニケ・ヴロバラヴ大統領は、「基本的人権が侵害されており、我々は気候変動を気温やカーボン排出量の尺度ではなく人間の命の数で計り始めている。もう時間切れだ。いま行動が必要だ」と述べ、気候変動問題のICJへの提起の取り組みを紹介した。その計画は「気候変動の悪影響に対して現在および将来の世代が有する権利を守るための、既に存在する義務について国際法に基づくICJの勧告的意見を求める」というものだ。司法ルートを追求するというアイディアは、5年間で二つのカテゴリー5のサイクロン(パムおよびハロルド)がバヌアツを直撃した後、バヌアツの南太平洋大学で環境法を学ぶ学生らが考案した。学生らは外務省に働きかけ、2021年9月、バヌアツ政府はICJの勧告的意見を求める運動を始めると決定した。過去1年間、バヌアツはこうした運動の先頭に立ち、太平洋にとどまらない市民社会、さらには他の国連加盟国からの支持が高まった。2022年3月には、カリブ共同体の政府首脳らがこの案に賛同し、7月にはPIFがこれに続いた。9月までに、80を超える国々が支持を表明した。ICJが勧告的意見を発するには、国連加盟国の過半数(加盟193カ国のうち97カ国以上)の賛成が必要となる。

ヴロバラヴとこの取り組みの支持者たちは、「世界の最高裁判所が法的側面を明確にすることは、さらに大きな気候アクションに拍車をかけ、パリ協定を強化することに繋がると確信している」とする一方、「国連総会を通じてICJに気候変動問題を提起することは、気候アクションを加速させるための銀の弾丸(特効薬)ではなく、人類にとって安全な地球という最終目標に近づくための一つのツールに過ぎない」と認めてもいる。

バヌアツ大統領の見方では、化石燃料不拡散条約がもう一つのツールとなりうる。ヴロバラヴはその演説において、 「気温上昇を1.5℃に抑える目標に合わせて石炭、石油および天然ガスの生産を段階的に減らし、化石燃料に依存している全ての労働者、地域社会及び国家にとって公正な、地球規模の移行を可能にする」ためとして、そのような条約の策定を呼び掛けた。化石燃料不拡散条約を求める取り組みは、国際的な市民社会運動によって担われている。バヌアツが国連総会でおこなった提案は、国際外交のレベルでこの問題をめぐる協議のきっかけとなることが期待されている。そのような条約を求める提案は、既にロンドン、パリ、ロサンゼルスを含む世界の65を超える都市および地方レベルの行政機関の賛同を受けており、最近ではバチカンとWHOも支持を表明した

条約制定運動はまだ早期段階にあるが、バヌアツは、気候変動についてICJの勧告的意見を求める決議を国連総会で可決するにあたり、必要な数の加盟国の賛同の獲得に自信を見せており、予定では10月末に決議案を提起し、年末または2023年初めに採決に臨みたいとしている。

最後に、ツバルおよびマーシャル諸島の首脳ら(カウセア・ナタノ首相およびデイビッド・カブア大統領)が9月21日、国連総会に合わせて「Rising Nations Initiative」を立ち上げた。そのねらいは、気候変動の影響で存在そのものが脅かされている太平洋環礁諸国の主権、遺産および権利の保全のため、地球規模のパートナーシップを創設することである。喫緊の課題の中には、太平洋環礁諸国の文化および遺産のリビング・リポジトリを創設すること、それらがユネスコ世界遺産指定を受けること、および、環礁の各コミュニティの適応とレジリエンスを支援するプロジェクトの構築と資金調達のためのプログラムがある。同時に、ナタノとカブアは、温室ガスの主要な排出国である先進国に対し、もっと思い切った削減策を講じるよう要求した。

PICsの頼れるサポーターがアントニオ・グテーレス国連事務総長だ。国連総会の開会演説で、グテーレスは、グローバル・ノースの先進国が化石燃料企業の超過利潤に課税し、その資金を世界中で生活費(特に食料およびエネルギーにかかる費用)の高騰に苦しむ人々や、 「気候危機によって引き起こされる損失や損害を被っている国々」 に配分することを要求した。この対象にはもちろんPICsが含まれる。国連総会に合わせて9月23日にPIF首脳らと会合を持った際、グテーレスは、 「この危機をもたらすようなことを何もしていない人々が最も大きな代償を払わされている」と述べ、また、「我々はパリ協定の目標から道を外れつつある」との懸念をPICs首脳らと共有しているとして、全面的な支援を約束した。彼は、「化石燃料の段階的な廃止」と「今まさに起き、炎上している損失と損害の問題に対処する資金の増額」を要求した。会合の共同声明は、気候危機への対処に関してPIF首脳らと国連事務総長の見解が一致していることを示している。

世界の政治においてPICsの力は大きくなく、グローバルレベルで政策に影響を及ぼす選択肢は限られている。したがって、これらの国々が国連加盟国としての立場を活用し、気候危機に関連する窮状への注目を集めたことは、いっそう称賛に値する。先週、PICsは再度、国連という舞台を賢く用いた。総会におけるインターベンション(公式会議中の発言)で、今年後半にエジプトで開催されるCOP27に期待する内容を明確にしたのである。彼らは、硬質な議論の場を作り、自分たちは溺れるつもりはない、戦うのだと再度はっきりと示したのだ。(IDN

フォルカー・ベーゲは、戸田記念国際平和研究所の「気候変動と紛争」プログラムを担当する上級研究員である。ベーゲ博士は太平洋地域の平和構築とレジリエンス(回復力)について幅広く研究を行ってきた。彼の研究は、紛争後の平和構築、ハイブリッドな政治秩序と国家形成、非西洋型の紛争転換に向けたアプローチ、オセアニア地域における環境劣化と紛争に焦点を当てている。

INPS Japan

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【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ

「諸国が、国際連合憲章に従い、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならないこと並びに国際の平和及び安全の確立及び維持が世界の人的及び経済的資源の軍備のための転用を最も少なくして促進されなければならないことを想起して…」(NPT前文より)

ロシアによるウクライナ戦争が収束しない中、核不拡散条約(NPT)の締約国は、2026年のニューヨーク会議に向けた11回目の条約再検討サイクルに入ろうとしている。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

今回の紛争に直接または間接的に関与するすべての国が条約の締約国であり、その一部は核兵器国、あるいは自国内に核の配備を認めている国々でもある。核兵器が遅かれ早かれこの戦争で使用されてしまうのではないかという国際社会の恐れが、無謀なレトリックによって再び高まっている。

こうした恐るべき見通しがあるなか、核不拡散・軍縮体制の健全性を保ち、国際の平和と安全を維持するために、NPTの起源や履行、目的に関連したある側面や、条約の再検討プロセスの重要性を想起しておくことが有益であろう。

1946年、核兵器廃絶のための具体的な提案を行うために設立された国連委員会は、米ソ両大国間の角逐と不信のために、その任務を果たすことができなかった。その後、国際社会の大部分は、核廃絶達成に向けた中間的な措置として、核保有国の数を抑えることが共通の関心事であるとの認識を強めていった。

核不拡散条約への支持は、そうした条約が核軍縮という共通の目標に向かって前進するものになるだろうとの期待とともに高まった。

こうして、無投票で1965年に採択された総会決議2028(XX)は、18カ国軍縮委員会(ENDC)に対して、そうした条約の協議を行い基本原則を定義するよう要求した。そうした原則の最初の3つのものは、以下のようになっていた。1)その条約にあっては、核兵器国・非核兵器国のいずれも、いかなる形においても核兵器の拡散を認めてはならない。2)核兵器国と非核兵器国との間で相互の義務を容認できる形でバランスよく定めねばならない。3)条約は核軍縮に向かう一歩とされねばならない。

1965年から68年の間に、ENDCは提出された条約草案をバラバラに協議し、のちには、米ソ代表の共同議長という形で審議を行った。68年5月、最終文言に対する全会一致の合意がみられない中で、共同議長は草案への修正を提案し、彼らの責任において草案を国連総会へ送った。

さらなる審議と修正ののち、国連総会は1968年6月12日、賛成95・反対4・棄権21でついに条約案を決議2373の形で採択し、条約を諸国の署名に開放した。それから数十年、NPTは核軍備管理の分野において最も締約国の多い条約となった。今日、非締約国はわずか4つしかない。しかし、条約成立52年を経てもなお、大きな意見の対立がみられる。これまでに開催された10回の再検討会議のうち6回は、最終文書に関するコンセンサスが得られないまま終了している。

NPTは明確に、他国が追随することを防ぐという核保有国の強い関心を反映している。その主要な条項では、1967年1月1日以前に核兵器を爆発させていない国が、いかなる手段によってもそのような装置や武器を取得することを禁止するように設計されており、その義務を検証するシステムを確立している。

条約のどこにも、核軍縮に対する明確なコミットメントを記した条項はない。第6条の下では、すべての締約国が「核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する」とされているのみである。

しかしそのような協議はまだ始まっていない。米国とロシアの2大核保有国は、数十年にわたり、核弾頭や発射台の数を大幅に削減した2国間条約(=新戦略兵器削減条約)をはじめ、核戦力の制限や削減に関する多くの協定を締結してきた。

この条約は2026年までは有効だが、その他の過去の条約はすべて失効するか、破棄されるかしてきた。フランスと英国は自らの核戦力の規模に自主的な制限を課している。これらの協定や決定はNPT自体との有機的な連関がなく、核兵器の廃絶を想定しているものでもない。

NPTの非核加盟国は、いずれも核兵器を保有していない。この規範を回避しようとしたとされるいくつかの試みは、外交的または軍事的圧力によって阻止された。一部の国は「潜在的核保有」の状態にあり、核能力を急速に構築することが可能だと見られているが、これは間違いなく大きな国際的危機を引き起こし、これらの国々にとっては好ましくない帰結を生み、核不拡散体制への信頼性が失われるか、場合によっては崩壊させる可能性もある。

NPT member states/LLPI
NPT member states/LLPI

1995年、NPT再検討・延長会議は条約の無期限延長を決定した。この決定は、2つの互いに交わらない国々の集団の間の分断を固着化させることになった。すなわち、NPTによって「核兵器国」と認められた国々と、国際社会のその他の国々との間の分断である。

これら5カ国は同時に国連安全保障理事会の常任理事国でもあり、その決定にあたって拒否権を発動することができる。核兵器を取得しているがNPTに加入していない4カ国は「事実上」の核保有国だとみなされている。NPT第9条3項に定められた時間的な制約によってはこの状況を変化させることはできない。いくつかの締約国の利益の間には対立があり、条約改正もままならないであろう。

NPT成立からの30年間で条約がほぼ普遍的なものになったことで「水平」拡散のリスク、つまり保有国数が増加するリスクは大幅に減少した。国際社会の大部分が核兵器を保有しない法的義務を受諾した理由としては、NPTに加盟することで得られる利点の他に、別の理由も指摘できる。

つまり多くの国は、核爆発装置とその運搬手段を維持するために必要な経済的・財政的・産業的・技術的資源がなく、安全保障上の理由を欠いているのである。核保有を検討するかもしれない中規模国家の場合は、自国の防衛と安全保障のニーズは他の手段で満たす方が良いと考えているようだ。

現在の世界情勢において、NPTの非核保有国が核武装することは、望ましくない危険な地域競争を引き起こすことは間違いない。しかし、一部の国では、独立した核戦力を求める動機と圧力が、世論の一部に依然としてみられる。

NPT第3条は、非核兵器国が受諾した義務によって、条約遵守を検証するための効果的なシステムに関する法的基礎が提供されている。第6条は、核軍縮に向けた可能な行動について言及するのみであり、特定の措置やスケジュールについても、ましてやその結果を達成すべき期限についても定めていない。核軍縮に関する明確な義務が存在しないことで、その方向に向けた多国間のコンセンサスを作り出すことがより難しくなっている。

核兵器国とその同盟国が強く主張した1995年の条約無期限延長に沿って、合意された原則や目標に基づいた条約再検討プロセスが強化され、進展がもたらされるのではないかと期待が高まった。これに沿って、2000年の再検討会議では「核不拡散・軍縮に向けた13の実践的な措置」などの重要な合意がなされた。

しかし、この期待は長続きしなかった。2005年の次の再検討サイクルでは、主要国間の関係が急激に悪化し、過去の公約が放棄されたり否定されたりする中で、さらなる建設的な決定を求める意欲は失われた。締約国は、わずか5年前に達成された理解を認識することにさえ合意することができなかった。

この時の会議は、会期のかなり遅い段階まで意味のある話し合いをすることができず、実質的な成果文書を生み出すことができなかった。その5年後の2010年の会議では、2回連続で失敗してはならないという決意に満ちた努力があり、ほとんどの関連事項について真摯な話しあいがなされた。幅広い関心を反映して、提案された行動のリストは長いものになったが、それをフォローする行動がなかった。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

最も重要な成果は、最終文書が核爆発の「壊滅的な帰結」について認識したことであろう。これが2017年の核兵器禁止(核禁)条約の交渉・採択の基礎となった。核兵器国とその同盟国からの激しい反対にも関わらず、核禁条約は2021年に発効した。その意義と波及力は疑うべくもなく、加盟国の増加は、国際社会が核兵器を拒絶している事実を表している。

1995年以前に開催された、いくつかの再検討会議が失敗したのは、フォローアップ措置に合意できなかったことが大きな原因であるが、この年以降、再検討会議の帰趨は、条約の欠陥(特に核不拡散と軍縮の約束の間の内蔵の不均衡)よりも核保有国間の関係に大きく左右されていたようである。

50年以上に及ぶNPTの歴史の中で、締約国はこの制度に一貫した忠誠を誓い、その枠組みの下で協力し続ける意思を示してきたと認識するのが公正であろう。この関連で、2015年と2022年の会議の際に議長が提示していた最終文書案の文言に対しては、過去の合意に比べれば後退していると認識されつつも、圧倒的大多数の国々が支持を与えていたという事実を想起することができよう。核兵器国がいずれの場合にあっても反対を唱えて、全会一致での文書採択には至らなかった。明らかに、これらの反対論は、条約の再検討そのものに対してというよりも、それぞれの国の地政学的な現実と関連した特定の利益に関係したものであった。

ウクライナでの戦争は2026年再検討会議の準備に明らかにマイナスの影響を及ぼすだろう。現時点では、あと数か月で戦争が終わるとは考えにくい。NPTの行く末を政治的現実全体から切り離すことなど土台不可能だが、条約再検討プロセスと条約の権威そのものを戦争の犠牲とすることはあってはならないだろう。現在の核不拡散・軍縮体制の欠陥に対処しそれを改善するための熱心な取り組みが、次の再検討サイクルには含まれてくることだろう。

Sergio duarte
Sergio duarte

遅かれ早かれ、いや、願わくはできるだけ早く、この無意味で破滅的な紛争が終わりを迎えてほしい。もし我々が幸運ならば、この戦争の帰結は、交戦当事国のみならず人類文明の大半を巻き込む相互確証破壊(=核戦争)で終わるのではなく、合理的かつ包摂的、公正で生産的な国際社会を再編成し、多国間協定への信頼を回復するための新たな機会を提供するものとなるだろう。

新しく、より公正で包摂的な安全保障のパラダイムを構築するためには、すべての当事者が自己中心的な態度を抑え、効果的で永続的な国際安全保障の仕組みは核兵器の存在とは相容れないことを明確に認識することが必要だ。すべての国家が安心感を得るまでは、どの国家も安心とは言えないだろう。(原文へ

※著者のセルジオ・ドゥアルテは、元国連軍縮問題上級代表で、現在は「科学と世界情勢に関するパグウォッシュ会議」議長。

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|タイ|「希望の種」が地域の食料不足解消をめざす

【カエン・マクルード(タイ)IDN=パッタマ・ビライラート】

種なくしては世界の人びとを食べさせるのに十分な食料安全保障は望めないという信念の下、タイの「希望の種子」(SOH)プロジェクトが、地域に自活的な農法を身につけさせ、収奪的な農業ビジネスから身を守ることを目指している。

タイ北部の低地ウタイターニー県カエン・マクルード村の住民のほとんどがポー・カレン民族であり、彼らの文化や伝統は種子と密接に結びついている。

Map of Thailand
Map of Thailand

この地域の習俗に詳しいワノブ・コルスクさんは、「私たちの食料は種に由来しており、地域の様々な儀式で、客人や村の長老たちに種が提供されます。例えば、炊いた米に豆やゴマと混ぜた伝統料理『ミーシ』が、結婚式などの儀式に出席する客人らに振舞われます。また、重要な儀式として、種をお供え物として僧に捧げるのです。」と語った。

地元の僧に種を捧げるという行為はタイの仏教文化に根差したものであり、僧侶はお経を唱え祈りを捧げたのちに、供物の種を村人たちに配布している。「そうすることで、村人たちは様々な種を手にして、土地に蒔くことができるのです。」と、コルスクさんは語った。

種と地域社会のつながりを維持するために、コルクスさんは現代の農業技術が種子の絶滅につながることを深く憂慮している。

遺伝子組み換え作物(GMO)のような不自然な品種を開発し、世界の食糧を掌握しようとする巨大企業があるため、村人が種をまく場合、企業から買わなければならず、純粋な品種を育てる機会がなくなっていることは知っています。たしかにこうした企業が提供する品種は、成長が早く、繁殖力が強く、見た目も良い果物が収穫できます。そのため、農家は常に購入者の立場に立たされることになるのです。」とコルスクさんは指摘した。

「その結果、自然界の植生が急速に失われています。私も以前は企業から種を購入し、タピオカのみを植えていたのですが、2016年になって土地が干上がってしまい、作物が植えられなくなったのです。どうしたら家族を食べさせることができるか途方にくれました。」とコルスクさんはIDNの取材に対して語った。

Bhumibol on agricultural practice in Chitralada Royal Villa/ By The National Archives of Thailand - The National Archives of Thailand, Public Domain
Bhumibol on agricultural practice in Chitralada Royal Villa/ By The National Archives of Thailand – The National Archives of Thailand, Public Domain

そんな時、あるテレビ番組で自活的で持続可能な農業について知った。前国王のプーミポン・アドゥンヤデート(ラーマ9世)が始めた取り組みであった。「当時の私は、自分の農業のやり方を持続可能なものにしようと必死でした。偶然、私の住む地域にあるロイヤル・イニシアチブ・ディスカバリー財団のスタッフに、自分の考えと窮状について話す機会があり、彼は私の状況を理解し、私の思っていることを実現する手立てを与えてくれたのです。」

自活的な農業について教育する「プンプン・センター」は、この地球上で1日あたり少なくとも20種の作物が失われていると推定している。かつて世界には約2万種近い米があったが、現在では200種にも満たない。同センターによると、種子の消滅は、人間にとっても動物にとっても食料の安全保障を失うことになるという。

IDNは「知識管理財団」(KMF)のハタイラート・プアングチョエイ代表に取材をし、自活的で持続可能な農業の理論をどう実践していったらよいかについて聞いた。

「国王が提示した原則を取り込んで農村の発展を加速・拡大させていくことが私たちの使命です。」とプアングチョエイ代表は語った。同財団はタイ全土の地域社会や自治体、学術組織と協力してプロジェクトを実践している。

「かつてカエン・マクルード村はファイ・カーエン野生保護区の緩衝地帯としても機能していたため、村人達は保護区を侵食していたのです。この村にスタッフを常駐させ、代替の仕事を作っていますが、それは、この土地に灌漑システムがうまく機能するようになってからでしょう。」

KMFは、コルスクさんが持続可能で自立した農業を実現するために、手を貸すことを惜しまなかった。他の村人たちとともに、アグリネイチャー・ファウンデーションが運営するコースに参加させたのだ。「交通費、宿泊費、食費は財団が負担しました。そしてコース終了後、コルスクさんはすぐに持続可能な農業を始め、最初にやったことは、財団のネットワークの支援で自分の土地に水路を作ることでした。」とプアングチョエイ代表は語った。

彼女は、「KMFが支援してきた持続可能な開発手法は、コロナ禍のような苦難の時代にも役立っています。このコンセプトのもとで栽培された農作物は、地元の人々の80%を養うことができたのです。」と語った。

「ロックダウンが発表されていた時期、私の畑には十分な数のザボンがありました。それで、村の内外の人に、私の畑に来て果物を好きに持って行ってくれていいと言いました。コロナ患者を世話する看護師たちへの感謝を込めて、果物を配ったこともありました。」と、コルスクさんはIDNの取材に対して語った。

プアングチョエイ代表はさらに、財団には、村が自活していくために3点のプログラムを実施していると説明した。つまり第一に、自らの家族をその作物によって食べさせること、第二に、地元の住民らがお互いに助け合うこと、第三に地元のネットワークが外部組織と協力して収入を増やしていくことである。

カエン・マクルード村は現在、「ロイ・プン・ルクサ地域公社」という種子を生産する企業を2019年に設立するなどプロジェクトの第三段階に入っている。「コミュニティのメンバーが種子保存に熱心であることに気づいたので、2017年にチェンマイで種子保存コースを受講してもらいました。それから村人らは自ら種を生産し、新たな植生について学び、カエン・マクルード村で100種類以上の種子を発見しました。」とプアングチョエイ代表は語った。

カエン・マクルード村が食料不足解消のためにいかに種を発見していったかについて、「ロイ・プン・ルクサ地域公社」(RPRCE)のディレク・スリスワン会長がIDNの取材に答えた。

「私はカエン・マクルード村のカレン族の学校の校長をしていましたが、村人が野菜や果物の種を買ってきて植えているのを見て、長期的には業者に頼らざるを得なくなると考え、学校の土地で土着の野菜を栽培することを教え始めました。『足るを知る経済』のアプローチと持続可能な農業の知識を教え込みました。」とスリスワン会長は語った。

のちに村人たちは村の公社に加わって、他県の村へとネットワークを拡大し種の確保や作物生産の知識を蓄えていった。

Image: (left) Direk Srisuwan, the chairman of the Roy Pun Ruksa Community Enterprise (RPRCE) and (right) Wannob Korsuk, Community Wisdom leader
Image: (left) Direk Srisuwan, the chairman of the Roy Pun Ruksa Community Enterprise (RPRCE) and (right) Wannob Korsuk, Community Wisdom leader

RPRCEを設立してから、「私たちは、ハーブもしくは野菜のような新たな作物を調べるための経済的な支援をしてくれる『生物多様性基盤経済開発局』とつながりを持ちました。私たちの目的は、地域とネットワーク内での食料不足を解消することだけではなく、農民やその他の地域、外部機関の間で地元の種の保存に関する知識を拡散し経験の交流を図ることでした。」とスリスワン会長は説明した。

「希望の種」は1月21・22両日に自分たちの活動を説明するイベントを開催した。スリスワン会長によると200人以上が参加したという。

カエン・マクルード村から35キロ離れたナコーン・サワン県からの参加者、ユラさんはIDNの取材に対して、「初めて来たのですが、『アグリネイチャー』の活動にとても感動しました。人々が協力し合って働いていること、土地や種子を保存する方法がとても多様であることを知りました。こういうやり方はこれまでに見たことがなく素晴らしいと思います。このコミュニティは小さいですが、『希望の種』はとてもうまく運営されていて、連帯感があります。」と語った。

「多様な種を見たいと思ってここに来たのですが、期待以上でした。またここに来て、次はオーガナイザーとして参加したいと思います。このイベントで学んだことを私やその近隣の地域の人々に紹介します。ナコーン・サワン県でも協力して物事を進めてはいますが、これほど固い連帯はありません。」とユラさんは語った。

もう一人の参加者、マミューさんは、「まさか『希望の種』にこれほど多くの参加者が集まるとは思っていませんでした。カエン・マクルート村のコミュニティの団結力が、このイベントの推進に役立っているのだと思います。新しい世代には、私たちの文化を守り、伝え、身近な価値観を知ってほしい。これらは、彼らが自立するために必要な要素なのです。」

SDGs Goal No. 12
SDGs Goal No. 12

プアングチョエイ代表は、彼女らの活動は「社会的実験」であると考えており、世界の潮流の変化や、気候変動による天候の変化が伝統的な栽培に影響を与えつつある中で、伝統的な農法が変化する可能性を自覚している。

「しかし、種を変異させることなく、遺伝子組み換え作物に頼らずに生産性を上げる方法を模索しなければなりません。」と、彼女は決然とした表情で指摘した。「成功が他者にとっての学びの源泉となるようなものとして、この場所を使っていきたい。だから私たちはこれを『社会的実験』と呼んでいるのです。」(原文へ

INPS Japan

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