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プーチンの新START “中断 “の決断は危険

【トロントIDN=J.C.スレッシュ】

軍備管理協会(ACA)は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、米ロ間に唯一残る軍備管理・軍縮条約2010年新戦略兵器削減条約(新 START)の履行を停止する決定を下したことを強く批判した。

Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri
Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri

ダリル・G・キンボールACA事務局長は声明の中で、1年前のプーチン大統領による「年次教書演説」での発言について、「ロシアの違法なウクライナ侵攻を正当化しようとするとりとめのない試みだ。」と語った。

「プーチン大統領の発言は、ロシアが新STARTの立ち入り査察の再開に向けた協議に参加せず、条約の二国間協議委員会の会合にも参加せず、条約で求められている戦略核の備蓄に関するデータの共有もしないことを示唆している。」

キンボール事務局長は、「これらの行動は、新STARTの規約に大きく違反するもので許されない。他のロシア高官は以前、ロシアは条約で定められた主要制限値(配備済戦略核弾頭1550個と配備済み戦略運搬車700台)の下で維持すると述べていた。」と指摘した。

「今回の発表は、2026年2月5日に期限切れとなる新STARTの終了を意味するものではないが、新STARTの期限終了後、1972年以来初めて米ロの戦略核兵器を制限する合意がなくなる可能性がはるかに高くなった。」とキンボール事務局長は警告した。

実際、プーチン大統領による新STARTの「中断」は、ロシア自身の安全保障上の利益を損なっている。「条約条項の完全履行がなければ、ロシアは米国の戦略核兵器に関する見識や情報が得られなくなる。」

キンポール事務局長はさらに、「新STARTの中断は、核保有国に対して「早期の核軍拡競争の停止と核軍縮に関する効果的な措置について誠実に交渉を進める」ことを求めている1968年の核不拡散条約(NPT)の締約国としてのロシアの義務を損なうものである……。」と語った。

声明は以下のとおり続く:

President Biden speaks with the media at the conclusion of the U.S-Russia Summit in Geneva, June 2021. Image: U.S. Embassy Bern Switzerland / Flickr, Creative Commons
President Biden speaks with the media at the conclusion of the U.S-Russia Summit in Geneva, June 2021. Image: U.S. Embassy Bern Switzerland / Flickr, Creative Commons

「これに対し、ジョー・バイデン米大統領は、新STARTに代わる新たな核軍縮枠組みをロシアと迅速に交渉する用意があるが、ロシアはまず新STARTの査察を再開するために誠実に努力しなければならないと明言している。これは十分すぎるほど合理的な要求である。」

「もし新STARTが後継の取り決めなしに2026年に失効すれば、米露両国はそれぞれ、配備済みの戦略核弾頭の数を短期間のうちに倍増させるだろう。このような行動は、誰も勝つことのできない軍拡競争を生み出し、誰にとっても核兵器の危険性を増大させることになる。」

「我々は、バイデン政権が2月21日の発表した、米国が『世界や米露関係で起こっている他の出来事とは無関係に、いつでもロシアと戦略的軍備制限について話し合う用意がある。』とした発表を強く支持する。」

「我々はロシアに対し、新STARTの遵守を確認するための現地査察の義務を遵守し、米国とさらなる核軍縮外交を行うよう改めて要請する。」

ICAN
ICAN

「我々はまた、NPTのすべての締約国に対し、ロシアによるウクライナ戦争に対する立場に関わらず、新STARTを遵守し、米露2大核兵器保有国の間で新たな、理想的にはより低い制限値の交渉に合意することで核軍縮の責任を果たすよう、ロシアに働きかけるよう要請する。」(原文へ

INPS Japan

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ブラックリストに載ったシリアが被災を機にカムバックを果たす

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【国連IDN=タリフ・ディーン】

人権侵害、戦争犯罪、化学兵器の使用で告発されたシリアのバシャール・アル・アサド大統領は、国連総会で演説したことも、国連に足を踏み入れたこともない権威主義的な中東の指導者の一人である。

12年にわたる内戦で国民を残虐に弾圧してきたことで、米国や西側諸国からブラックリストに載せられたアサド大統領は、国連を軽視していたか、或いは本国を離れたら政権を追われることを恐れてシリアに留まったのだろう。

A poster of Syria's president at a checkpoint on the outskirts of Damascus, Jan. 14 2012./By Elizabeth Arrott - A View of Syria, Under Government Crackdown. VOA News photo gallery, Public Domain
A poster of Syria’s president at a checkpoint on the outskirts of Damascus, Jan. 14 2012./By Elizabeth Arrott – A View of Syria, Under Government Crackdown. VOA News photo gallery, Public Domain

2月6日の地震では、主に反政府勢力が支配するシリア北西部で、数千人のシリア人が死傷したと伝えられている。

皮肉なことに、この地震はアサド大統領にとって不幸中の幸いだった。彼は、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など、かつてシリアに対して非友好的だった国々から数百万ドルの財政・人道支援を受けているのである。

アラブ諸国では、UAEが約1億ドルを寄付したとされ、また、シリアを22カ国からなるアラブ連盟(現在21カ国)に復帰させようという動きも報じられている。

ロイターの報道によると、サウジアラビアのファイサル・ビン・ファルハン外相は、先日のミュンヘン安全保障会議で、アラブ諸国ではシリアを孤立させても効果がなく、少なくとも難民の帰還を含む人道問題に取り組むために「ある時点で」シリア政府との対話が必要だというコンセンサスが形成されている、と述べたという。

2月17日付のニューヨークタイムズの記事の見出し「シリアの地震は、のけ者国家が再び世界の舞台に這い戻る助けとなった。」は、的を射ていた。

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

2月22日、記者会見したステファンドゥジャリク国連報道官は、「17台のトラックが、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、WFP(世界食糧計画)、WHO(世界保健機関)が提供する援助物資を積んでバブ・アルハワとバブ・アル・サラームの国境検問所を通過した。」と語った。

2月9日以降、合計282台の国連トラックが3つの国境検問所を通過してシリア入りした。

「同僚によると、今回の地震で特に大きな被害を受けたのは保健セクターで、シリア北西部だけで47の保健施設が被害を受けたと報告されている。12の医療施設は業務を停止し、18は部分的にしか機能していない。」とデュジャリック報道官は語った。

国連とパートナー(主に人道支援団体)は、トルコからシリア北西部への国境を越えた支援活動の規模を拡大している。

現在、シリアでは、55名の国際要員と810名の国内要員が活動している。

先週、国際移住機関(IOM)からのシェルターなどを積んだトラック10台が、アルラエ国境検問所を通過してアレッポ北部に入った。

デュジャリック報道官は、「シリア政府が援助物資の輸送にこの国境検問所を利用することに合意して以来、国連輸送チームがここを通過したのは初めてであり、これで国連が全面的に利用している国境検問所は3カ所になった。」と語った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)、国際連合人間居住計画は、建物の構造的被害状況を評価するための支援を行っている。これらの評価は、被災者が安全に自宅に帰宅できるかどうかの判断材料になっている。

デュジャリック報道官は、「より広範な地震対応に資金が不可欠であることに変わりはない。」と語った。2月20日現在、シリア・フラッシュ・アピールは、3億2910万ドルの計画に対して6850万ドルを受け取り、17%の資金を調達している。

米国国務省のファクトシートによると、2月6日にトルコ南東部とシリア北部を襲った地震は、数百万人の人々に壊滅的な打撃を与えたという。

最初の地震から数時間以内に、米国はジョー・バイデン大統領の指示のもと、連邦政府機関やパートナーを迅速に動員し、NATO同盟国のトルコやシリアのパートナー組織と緊密に連携して、緊急救命支援を提供した。

バイデン大統領は、「トルコとシリアで発生した未曾有の大地震に対応するため」、緊急難民移住支援基金(ERMA)に5000万ドルを承認する意向である。

さらに、米国は国務省とUSAIDを通じて5,000万ドルの人道支援を行っている。これにより、トルコとシリアの地震対応を支援するための米国の人道支援総額は、現在までに1億8500万ドルに達している。

米国は、「シリアのすべての被災地に対する人道的アクセスを拡大することにコミットしており、国連がバブ・アル・サラマ国境検問所へのアクセスを再開し、援助がシリア北西部に届くように計らったトルコ政府に感謝している。また、トルコとシリアの被災地に支援が届くよう、より多くの国境検問所を持続的に開放するよう働きかけている国連の取り組みを支持している。」としている。

© UNOCHA/Madevi Sun Suon UN agencies are transporting earthquake relief items from Türkiye to northwestern Syria.
© UNOCHA/Madevi Sun Suon UN agencies are transporting earthquake relief items from Türkiye to northwestern Syria.

米国財務省は、米国による制裁がシリアにおける人道支援の提供を妨げたり抑制したりしないことを強調するために、現行の制裁を回避してシリアの人々への災害救援支援のための追加的な権限を提供する広範な許可書を発行している。(原文へ

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北朝鮮の核:抑止と認知を超えて

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=チャンイン・ムーン】

ある専門家が評したように、北朝鮮に関する進展は、我々が北朝鮮の視点で物事を見てはじめて分かる。

朝鮮半島情勢は危うさを増している。北朝鮮のリーダー金正恩(キム・ジョンウン)は、9月8日の最高人民会議における演説で核政策について詳しく定める法律の成立を宣言した際、同法を「注目すべき出来事」であり「歴史的大義」であると説明した。(原文へ 

「核兵器は我が国の尊厳と名誉を表しており、我が共和国の絶対的な力、および、朝鮮人民の大いなる誇りの源を意味する」とキムは続け、北の核保有国としての地位は撤回不能だということに疑問の余地はなかった。

「我が国の核兵器の放棄または非核化が先に来るなどということは絶対になく、また、それを目的とした交渉やその過程における取引材料もありえない」と彼は付け加えた。

新たに成立したこの法律は、これまで曖昧にされてきた詳細な事項に触れている。北朝鮮の核兵器の役割、核兵器の構成、指揮統制の構造、使用を決定するプロセス、使用の背景となる原則、使用の条件、核兵器の安全維持、管理および保護の手段、量的/質的な性能向上、そして、拡散抑止方法である。

要するに、これは国内外の聴衆に向けて、北朝鮮が自身を責任ある核保有国として提示する試みなのだ。最も悩ましい部分は、北が報復としての核兵器使用に限定していた過去の抑止戦略を超えて、核兵器の先制使用と戦術核兵器の配備を公式に認める攻撃的なドクトリンを採用したことだ。

韓国政府の反応は、北に対する核抑止力の強化に集中したものとなっている。

「強力な韓米同盟に基づく、拡大抑止の強化に答えを見いだしたい」 と韓国の尹(ユン)大統領は9月18日、「ニューヨークタイムズ」紙に語った。「拡大抑止には、アメリカの領土に配備された核兵器の使用のみならず、北朝鮮の核による挑発を抑止するために採りうるあらゆる包括的な手段も含まれる」

韓国とアメリカは、次官レベルの外交官および防衛官僚の対話チャネルである「拡大抑止戦略協議体」を通じて、ユンの北朝鮮に対する抑止計画を具体化してきた。この2カ国は、北朝鮮による核の脅し、核兵器使用の差し迫った段階、そして実際の核兵器使用の三つの段階における軍事的対応を探るため、拡大抑止の机上訓練を行うと発表した。

しかし、北朝鮮に反応してさらに抑止力を強化するというこの戦略は、平壌がその核戦力またはドクトリンをさらに強固なものにさせる恐れがある。これは、安全保障のジレンマとして知られる悪循環の典型的な事例である。

そのため、ユン政権は、北に対する拡大抑止を強調しながらも、同時に、「北朝鮮が非核化を選択するなら、明るい経済の未来が待っている」ことを約束する「大胆な構想」という形で、北朝鮮に対話を求めるメッセージを送った。

しかし、平壌はユンの計画を「大胆な妄想」だとして退け、韓国との対話を拒否した。

韓国政府は、北朝鮮の非核化を譲れない目標とし、北の核兵器に先制使用の可能性があれば、反撃だけでなく予防的攻撃も行う基本ドクトリンを採用し、いかなる状況下でも北朝鮮と核兵器削減協議を行わないとの原則を強調してきた。それに鑑みれば、対話が外交交渉の扉を開くとは考えにくい。

欧州議会のオランダ選出議員であるミヒール・ホーヘフェーンは、9月19日、延世大学北朝鮮研究所における講演で、韓国政府の立場と対照的な考えを提唱した。ホーヘフェーンは、北朝鮮は既に核施設、材料、弾頭およびミサイルを保有しているだけでなく、 6回の核試験を実施し、その核装置をより小さく、軽量で、多様なものとすることでその核戦力を大いに拡大してきたと述べ、北朝鮮は事実上の核保有国だ、と結論付けた。

このオランダの議員は、これらのことを考慮せずに完全かつ後戻り不能な非核化を外交交渉の直接の目標とすることは非現実的だ、と主張した。さらに、北朝鮮は、アメリカの核の傘の下にいる韓国からのそのような要求を受け入れることは決してないだろう、という。

したがって、現段階での最善策は、北朝鮮との平和的共存の道を探ることだ、とホーヘフェーンは述べた。それには、北朝鮮への制裁に対する柔軟さと、緊張緩和および信頼醸成のための熱心な努力が必要となるであろう。

これは果たして、答えとなりうるだろうか?

もし、ユン政権が絶対的に非核化に固執し、かつ、拡大抑止の強化を支持する方針が、この問題に対する根本的な解決を追求するうえであまり役に立たないなら、ホーヘフェーンが提唱する、北朝鮮を核保有国として認知し、核武装した平壌との平和的共存を追求することは、韓国にとって辛い事実となるだろう。

まさに、韓国の国民感情を踏まえれば、そのような一歩は想像しがたい。

非核化のナラティブ、あるいは、現状維持を受容するというナラティブのいずれも、実行可能な選択肢とは思われない。それが問題だ。

「我々は北朝鮮の核問題を取り上げるのをやめて、朝鮮半島における平和的共存のみについて話すべきだ」と、元・韓国国家情報院長である李鍾贊(イ・ジョンチャン)氏は、韓国のニュース雑誌「時事ジャーナル」の最近のインタビューで述べた。「北朝鮮に関して進展をもたらす唯一の方法は、北朝鮮の視点で物事を見ることだ。もう韓国はアメリカ、中国の両国に対し、自国の考えを述べる時だ」

イ氏の見解は、以下のように要約することができる。第1に、彼は、北朝鮮の核兵器を直ちに排除して初めて平和が訪れると考えるよりも、平和構築を進めながら非核化の呼び水を入れることが可能だと考えている。第2に、彼は戦略的共感、すなわち我々が北朝鮮にこうあってほしいということよりも、北朝鮮の条件に基づいてその意図を理解することを呼び掛けている。第3に、彼は、韓国はアメリカや中国に盲目的に追随するよりも、寛容な解決策を見いだすための創造的な取り組みを採用してほしい、と考えている。

この経験豊富なベテランによる、常識、理性そして経験的伝統の原則に根差した解決策を求める洞察に満ちた主張は、以前にも増して大きく響くものがある。

チャンイン・ムーン(文正仁)は、世宗研究所理事長。戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会メンバーでもある。

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非同盟運動は生まれ変わろうとしているのか?

【国連IDN=タリフ・ディーン

1960年代と70年代、116の加盟国からなる非同盟運動(NAM:61年に旧ユーゴスラヴィアのベオグラードで設立)は、当初ユーゴスラビア、インド、エジプト、ガーナ、インドネシア、ザンビア、アルジェリア、キューバ、スリランカといった国々によって導かれた最大かつ最強の政治連合(現在の加盟国は120か国)であった。

「非同盟」という概念が国連で政治的に支持されるようになったのは、89年頃まで続いた冷戦の最盛期である。

Gamal Abdel Naser, Džavaharlal Nehru i Josip Broz Tito na Brionima/ By Tanja Kragujević - Stevan Kragujević, CC BY-SA 4.0
Gamal Abdel Naser, Džavaharlal Nehru i Josip Broz Tito na Brionima/ By Tanja Kragujević – Stevan Kragujević, CC BY-SA 4.0

78年2月にNAMの議長に就任したスリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領(JRJ)は、冷戦を続ける米ソ両国のどちらとも強く与せず、政治的に独立しているとされるNAMに懐疑的であった。

米国の報道記者とのインタビューで、ジャヤワルダナ大統領は「非同盟」についての政治的な神話を格下げし、世界に「非同盟国」は米国とソ連の2カ国だけであり、「他のすべての国々は、恐らく懸命にも、政治的、経済的に米国かソ連と連携している。」と断言して、物議を醸した。

そして今、米国に次ぐ世界第二の経済大国となった第三の国、中華人民共和国が新たな超大国として台頭してきた。

特にアジアとアフリカのいくつかのNAM加盟諸国は、中国からの経済・軍事援助に大きく依存し、政治的に中国に同調しているため、中国の台頭は非同盟の概念を損なう恐れがある。

この新たな展開は、次のような問いを引き起こす。特に、国連で新たな冷戦が勃発し、拒否権を持つ常任理事国である中国とロシアが対米、英、仏で足並みを揃えている時、NAMはまだ生きているのか、それとも生まれ変わろうと努力しているのか、といった疑問が生じるのだ。

この分裂は、シリア、ミャンマー、アフガニスタン、イエメン、そして最近ではウクライナなどにおける軍事紛争や内戦を巡る行き詰まりをもたらし、国連加盟国を政治的に分裂させることにもなっている。

欧州連合(EU)のピーター・スタノ報道官は2月17日、最大の貿易相手国で1998年にNAMの議長国だった南アフリカ共和国が、非同盟の立場からさらに遠ざかり、急速にロシアとの政治・軍事同盟に傾斜していると指摘されている点を引用した。

しかし、南アフリカ当局者はこれを否定し、非同盟運動の原則に則り、現在も公式に「非同盟」であると主張している、と『ニューヨーク・タイムズ』紙は報じている。

Hewa Matara Gamage Siripala PALIHAKKARA/ APLN

元スリランカ国連大使のH.M.G.S. パリハッカラ氏は、IDNの取材に対して「私の知る限り、どの政府も昔の非同盟諸国の『運動』を復活させようとはしてはいません。しかし、非同盟の 『理念』と、インド太平洋に迫り来る対立/冷戦に対処するための改革については、よく議論されています。」と語った。

また、「非同盟運動(NAM)の『制度』と非同盟の『理念』を混同する傾向もあります。これは非同盟運動というダイナミックな概念に対してあまりにも単純な態度です。NAMという運動や制度は、冷戦の終結とともに内部の惰性で消えていきましたが、非同盟という考え方は生き続け、新興国が人間・領土の安全や経済的繁栄を追求する空間をダイナミックに作り出しました。」と指摘した。

「このような国々は、経済的な利益を『全方位』から得たいがために、ある勢力争いの『間違った側』にいるという認識から生じる不利益や制裁を受けることはできないし、受ける必要もありません。非同盟とは、距離を置いたりおとなしくしていたりする外交ではなく、むしろ積極的に関与する強固な外交を指す言葉です。」

スリランカ外務省の元外務次官であるパリハッカラ氏は、「この考え方の有用性は、『インド太平洋』での紛争につながりかねない、既に進行中の勢力争いと迫り来る対立の文脈において、より鮮明になるだろう。」と述べ、「アジアがこれまでに築いた豊かな繁栄が損なわれ、大陸が感じ始めている安全の欠如が深刻化する可能性があります。」と指摘した。

インド・アジア・ニュース・サービスの国連特派員で、ニューデリーに拠点を置くシンクタンク、政策研究協会の非駐在シニアフェローであるアルル・ルイス氏は、IDNの取材に対し、「インドは負債や低成長といった問題について話しているが、これは開発途上国の相当数の国々に影響を与えている課題です。しかしインドは負債の問題に直面していないし、先月の国連の発表では経済成長は6.7%、IMFでは6.1%と主要経済国の中で高成長を記録しています。」と語った。

「インドはこうして、開発途上国の間で自らの指導的立場を強化するために、これらの問題を強調しているのです。このことは、『グローバルサウスの声』構想において、自国の利益を代弁しているようには見えないので、一定の信頼性を与えることになります。」

ルイス氏はまた、「NAMは、キューバなどの国が主導的な役割を果たし、ロシアに偏った政治的なものになる傾向があります。」と指摘した。

最近では、2019年までベネズエラがNAMの議長国を務め、16年にサミットを主催したが、政府首脳や国家レベルの参加はあまり得られなかった。

ルイス氏は、「冷戦の終焉とともに、一極集中の世界では非同盟は意味を失ってしまいました。現在、議長国アゼルバイジャンの指導の下、非同盟運動は復活を目指す途上にありますが、12月にはウガンダがこれを試みる番であり、それは経済や開発の利益に基づくものになるでしょう。ここでもまた、旧来の極論が通用する可能性は低く、特に先進国自身が経済的なストレスに直面している現在では、非同盟運動の復活や極めて困難だろう。」と語った。

NAM創設国の一つであるインドは、「グローバルサウスの声」モデルを通じて、経済、健康、その他の開発問題に焦点を当てつつ、先進国に構造的問題の解決を期待するのと同様に、グローバルサウスの国々が協力して解決策を見出すことに重点を置いた取り組みを進めています。」とルイス氏は語った。

G77 plus China
G77 plus China

1960年代から70年代にかけては、総会決議で116カ国が一斉に投票することは、ほとんどなかった。

イスラム協力機構(OIC)、77か国グループ(G-77)、中南米・カリブ海諸国、アフリカ連合(AU)、西欧諸国など、様々な地域グループや連合は、ほとんどの場合、投票に先立って非公開で意思決定を行っている。

しかし、国連のほとんどの投票において「群集心理」が働いているとはいえ、予定外の投票が代表団を驚かせることは稀にある。

あるスリランカ大使は、本省から送信された、主に新たに着任した代表団に向けたメッセージについてこう語った。「もし予定外の採決に直面し、外務省からの指示がない場合は、右を見てユーゴスラビアの採決状況を確認し、左を見てインドの採決状況を確認しなさい。もし両大使が席を立つのが見えたら、トイレまでついていけばいい。」(「席を立つ」のは、厄介な記録投票から逃れるための政治的戦術である)

Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012" by Spiff - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia
Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012″ by Spiff – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia

1979年9月、ハバナでの首脳会議でスリランカがNAMの議長国をキューバに引き継いだ際、西側諸国と主要メディアは、ハバナのような親ソ同盟国が「非同盟」国になり得るという事実を決して受け入れなかった。

その結果、キューバがNAMの議長国を務めた1979年から83年まで、ニューヨーク・タイムズ紙は、その編集方針からか、NAMを「いわゆる非同盟運動」と表現し、紙面に掲載されるニュースのすべてにその表現を使った。83年、インドがNAMの議長国を引き継いでから、「いわゆる」のレッテルは外された。

一方、冷戦終結後も、核軍縮、自決権、国家主権の保護、さらには達成困難なパレスチナ国家の実現など、NAMの政治的使命の一部は有効であった。

Photo: UNON – United Nations Office at Nairobi
Photo: UNON – United Nations Office at Nairobi

ブトロス・ブトロス=ガリ前国連事務総長は、1995年にコロンビアで開かれたNAM首脳会議で、「1955年のバンドンにおける非同盟の誕生は、驚くべき、世界を変革する大胆な行動でした。国際政治は根本的に、そして永遠に変容したのです。」と語った。

ガリ事務総長が指摘したように、非同盟は新しい原理、すなわち連帯の原理からその政治的な力を得ていた。

しかし、米国の故リチャード・ホルブルック国連大使(1999-2001)は、その連帯を崩すために、「分割統治」という古い戦術を試みた。

国連でのアフリカグループへのお別れの挨拶の中で、ホルブルック大使は、「私は、アフリカ諸国に対し、非同盟運動との結びつきを再考するよう謹んでお願いしたい。非同盟運動は、現時点では我が国にとってアフリカの友人ではありません。あなた方の目標とNAMの目標は同義ではありません。」と語った。

ホルブルック大使は、NAMに加盟しているためにアフリカの発言力が弱まっているとして、「NAMの立場が実際にアフリカグループのためになったことは一度もない。」と指摘した。さらに、国連で最大の単一政治グループであるNAMは、独立したコーカスとして存在しなくなるか、G-77と合併すべきであると述べた。G-77は134の加盟国で構成される国連最大の経済団体で、ほとんどの途上国がこの2つの団体に加盟している。

ホルブルック大使は、アフリカ諸国は「NAMから距離を置くことを検討すべきです。そうすれば、アフリカの利益を守ることができるし、10カ国以下の急進的な国々に押されて、必要ない立場に置かれることもないだろう。」と語った。

ホルブルック氏が国連大使を辞めた後も、米国国連代表部は、彼の演説を国連総会資料として回覧し、公式に信用を与えることにした。

しかし、NAMは反撃に出た。

偶然にも、当時の議長国がアフリカの加盟国だった。そこで、NAMの議長国である南アフリカ共和国の大使が反論することになった。

ホルブルック大使の提案は、NAM加盟国全体に対する侮辱である。「NAM加盟国でもない国が、この運動のアフリカのメンバーを規定しようとするこの試みは、よく言えば不勉強、悪く言えば見当違い、誤解を招くもので、NAM加盟国全体への侮辱を構成するものである。」

「米国代表部が総会の議題として声明を発表したことは、NAMの正統性に疑問を呈する試みとしか思えない。」と、南アフリカのドゥミサミ・シャドラック・クマロ大使は語った。

クマロ大使は、NAM加盟国への書簡の中で、「南アの国民にとって、NAMは、アパルトヘイトに対する私たちの闘いを支持し、NAM域外の多くの人々が、私たちの過去の人種差別的な政権に満足するか支持する一方で、不動の立場にあったことを常に記憶することになるでしょう」と宣言した。

Singaporean Minister Vivian Balakrishnan/ By Vivian Balakrishnan. - [1]Transferred from en.wikipedia by SreeBot., CC BY 3.0
Singaporean Minister Vivian Balakrishnan/ By Vivian Balakrishnan. – [1]Transferred from en.wikipedia by SreeBot., CC BY 3.0

一方、シンガポールのビビアン・バラクリシュナン外務大臣は昨年11月の講演で、「私たちなし得る一つの方法は、よりオープンで包括的な、多国間の科学技術やサプライチェーンのネットワークを持つことができる世界を構想してみることだ。」と述べて、新しい展望を示した。

バラクリシュナン外務大臣はまた、「冷戦時代、世界の急速な二極化に対抗するために、非同盟運動が生まれたことを思い出してください。おそらく今日、私たちは歴史の中で同じような瞬間、同じような地政学的な力のダイナミズムに遭遇しており、全てのNAM加盟国にとって深く有害な結果をもたらす二極化への深淵を見つめているのです。」と指摘した。

さらに、「しかし、科学技術とサプライチェーンのための非同盟運動とはどのようなものだろうか。まだ議論は始まったばかりですが、それは多極化、オープン、ルールに基づくことが重要です。つまり、オープンサイエンス、知的財産の公正な共有と収穫、そして、単にどちらかの側に立ったということで判断されるのではなく、最も革新的で、信頼でき、信用できる存在であることを競うシステムへの取り組みが必要です。」と語った。

「特にアジアでは、今、欧州で起こっていることを見ると、分断の線がありました。かつては鉄のカーテンと呼ばれるものでした。今日のウクライナにおける戦争も、ある意味、その分断線がどこにあるかということです。私たちはアジアを二分する分断線に興味はありません。私たちが提供するパラダイムは、友好の輪を重ねることなのです。」

「どの国も-アジアには大きな多様性があります。米国と中国に対する経済的・政治的な距離感でアジアのNAM加盟国を並べると、それぞれ微妙に異なった立ち位置になります。」

Map of the current members (dark blue) and observers (light blue) of NAM (Non-Aligned Movement)/ By Ichwan Palongengi, CC BY-SA 3.0
Map of the current members (dark blue) and observers (light blue) of NAM (Non-Aligned Movement)/ By Ichwan Palongengi, CC BY-SA 3.0

「しかし、自尊心のあるアジアの国々は、罠にはめられたり、属国になったり、もっと悪いことに代理戦争の舞台になることを望んでいるとは思えません。したがって、私は、世界の他の国々が何を望んでいるかを主張しようとしているのです。実際にそれを実現できるかどうか?それは時間が解決してくれるでしょう。なぜなら、米国と中国が共存の道を歩むという理想的なシナリオはまだ残っているからです。」とバラクリシュナン外務大臣は明言した。(原文へ

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グラス半分の水(パリサ・コホナ前国連スリランカ政府代表部大使)

経済危機で窮地に陥るスリランカの無償教育

【コロンボIDN=ヘマリ・ウィジェラスネ】

ミレニアム開発目標(MDG)の教育に関する項目を達成し、国家独立後のサクセスストーリーの一つだと考えられているスリランカの無償教育が、この人口2200万人の国を襲った経済危機のために危機に瀕している。

急激に高騰する紙価格のために、教科書やノート(生徒らはこれをメモを取ったり演習をする際に利用する)を入手することが難しくなっており、多くの貧困層には手が出ない。演習ノートの値段は、昨年は80ぺージで50ルピー(0.14米ドル)、400ページで450ルピーだったのが、今年はそれぞれ120ルピー、920ルピーとなっている。

生徒は今月、新学期のために学校に戻ってきているが、保護者たちは教材高騰への対処を迫られている。スリランカの辺鄙な村に住んでいる保護者らは、日々ギリギリの生活を迫られている中で子どもたちの教育にどうお金を配分するかに頭を悩ましている。時には、どの子を学校に通わせどの子を通わせないかという苦しい判断もせざるを得ない。

Map of Sri Lanka
Map of Sri Lanka

スリランカ南部の村に住む「アトゥラ」(本人の希望により仮名)はIDNの取材に対して、自身の2年生から6年生までの孫5人が学校に通うことが難しくなりつつあると語った。バス運転手をしている息子の収入は学費を賄うには十分ではない。

「学校に行く時には子どもたちにきちんとした格好をさせたい。靴が破れたまま学校に行かねばならず、泣いて帰ってくる孫もいる。一体どうしたらいいのか。 これは私の家族のみならず、スリランカのほとんどの子どもが直面している問題だ。」とアトゥラは語った。

2人の子を学校に通わせているある母親は、「学校の教材費が高騰しており、信じられない物価の高騰でただでさえ苦しい家計を直撃しています。」と語った。

「2カ月ぐらい前なら、のりは1本100ルピーぐらいで買えていました。しかし、今では300ルピーも払わなければならない。12色入りの色鉛筆は580ルピーに値上がりしました。」と彼女は言う。さらに、学校のカリキュラムで必要とされるワークブックなどが値上がりしており、あるシンハラ語のワークブックはかつて225ルピー、今は500ルピーになっている。

スリランカでは1945年に無償教育が導入された。5歳以上16歳未満の全ての子どもが無償教育を受ける権利が定められ、1950年代には大学教育にまで拡大した。1950年代半ばには、国語政策の導入によって、教育は特に貧しい農村地帯でも受けられるようになった。以前は、都市部で英語を話す家庭のみが享受できる特権だった。

スリランカの識字率は1951年の13.5%から2022年には92.6%にまで上昇した。MDGが定めた普遍的な初等教育達成の目標をスリランカが実現することを可能にした、持続可能な開発における大きなサクセスストーリーだとみなされている。

スリランカには何世紀も前から素晴らしい教育の伝統があり、欧州による植民地化以前は、寺院を基礎にした「ピリウェナ」教育の伝統が支配的だった。現在、多くの教育関係者が、経済危機の影響で識字率が急速に低下することを懸念している。

厳しい経済状況の中、地元の慈善団体は、世界中のほとんどの低所得国で蔓延している非識字の罠から農村部の家族を救うために活動を続けている。

マララセケラ財団は、スリランカの偉大な仏教学者G.Pマララセケラ博士の名を冠した社会奉仕財団で、現在は彼の孫であるアシャン・マララセケラ氏が理事長を務めている。同財団は長年にわたり、農村部の子どもたちの教育支援に力を注いできた。コロナウイルスが蔓延していた時期には、オンライン教育のためのデータ通信サービスを無償で提供した。現在は、新学期を迎えるにあたり、学校の教科書を届ける活動を実施している。

同財団のマノジ・ディヴィスラガマ事務局長は、「当財団は創設以来、教育を必要とする子どもたちの支援の最前線に立ってきた。マララセケラ財団は、プログラムを実行するための資金集はしません。私たちは、恵まれない人々を支援するという使命を果たすために、自分たちのリソースを使っています。」と語った。

Credit: Lake House, Colombo.
Credit: Lake House, Colombo.

この活動には、クシル・グナセケラ氏が設立し、クリケットの名選手ムッティア・ムラリタラン氏が支援する「善の財団(FG)」などの慈善団体の支援も得ている。「彼らの支援で、私たちは人々の生活を向上させる様々な活動を行うことができた。私たちの教育への取り組みは、現在の経済的混乱やコロナ禍から始まったのではなく、大津波がこの美しい島を襲い、子どもたちの精神面での健康と教育に支障をきたしたときから始まったのだ。」と、ディヴィチュラガマは語った。

このとき、財団は2005年にハンバントタ地区に子どもたちのためのリソースセンターを設立した。「津波災害で両親を失った子どもたちの生活再建に直接介入し、彼らの心の健康のためにカウンセリングを行うことができたのです。」とディヴィチュラガマは付け加えた。

その後、同財団はハンバントタ、スリアヤウェヴァ、カタラガマの3カ所にもセンターを設置した。カタラガマは南部の極めて貧しい農村である。ディヴィスラガマは、「カタラガマの子どもリソースセンターでは、教育を受け、人生を切り開いていくために支援を必要としていた約300人の子どもたちを支援することができた。英語、数学、シンハラ語、音楽を無料で教えています。スリランカ東部のタミル系やイスラム教徒の村々でも子どもを支援しています。」と指摘したうえで、「子どもたちの教育を表面だけで見ているのではなく、根本から面倒を見たいと考え、『善の財団』と組んで、妊婦に栄養食・基本食を提供する事業を立ち上げた。」と説明した。

仏教の慈善団体であるマララセケラ財団は、子どもたちの精神的な成長にも気を配っている。スリランカの南部諸州でダーマ学校(お寺の日曜学校)に通う子どもたちのための事業をいくつか立ち上げた。学生の家族に書籍や保存食を提供している。

同財団は主に村のお寺に無償のインターネット利用施設を造り、子どもたちを集めている。カタラガマでは、財団がカタラガマ・デバレの由緒ある神殿に40台のPCを設置して貧困層の子どもたちを対象にしたオンライン教育センターを立ち上げた。DP教育プラットフォームの支援を得て、600人以上の学生を支援している。

SDGs Goal No.4
SDGs Goal No.4

マララセケラ財団が支援している父親の一人ダヤル・カピラ・ガンヘワはIDNの取材に対して、「私は定職に就いていません。毎日2500ルピー(7米ドル)を稼ぐのがやっとです。毎日働けるわけではなく、だいたい月に10~15日程度。子どもは3人で、うち2人は学校に通っているが、物価高騰で全ての教材を買うことはできない。収入を超えてしまうからだ。」と語った。

もう一人、財団の支援を受けているのは、練習帳を受け取った子どもの母親、ナディーシャだ。「私の夫は電気技師だが、毎日の定収入がないため、夫の収入だけでは日々の生活を賄うことは無理。子どもは2人で、一人は10年生、もう一人は4年生。食費に使ってしまうと、子どもの教育で使う本代は残らない。これでどうやって子どもを学校に通わせたらいいのか。いま私たちが直面している大きな問題です。」とナディーシャは語った。

こうした経験は珍しいものでない。あらゆる社会経済的背景を持つ人々が、家計の生活費と子どもの教育費のバランスを取るのに苦労している。

ディヴィスラガマは、「スリランカの無償教育制度は危機に瀕しています。今の経済危機の中では多くの家庭の子ども達が教育を受けられなくなっています。だから私たちのような財団が支援に乗り出さなければならない状況にあるのです。」と語った。(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ブチャの住民の証言(2)(3):「ポケットから手を出さないと、ここで撃ち殺すぞ。」(ナターリヤ・クリヴォルチコ)「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」(ユーリ・クリヴォルチコ)

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ナターリヤ、ユーリ・クリヴォルチコ夫妻に直接取材した証言です。

私は看護師で、夫はエンジニアです。私たちは二人ともキーウで働いていて、郊外のブチャに住んでいました。朝、出勤して、夕方には帰ってくる。ロシアによる侵攻前のブチャ地区は、ヨーロッパ的でとても美しい街でした。

2月27日、28日、私たちは初めて街でロシア兵を見かけて衝撃を受けました。ロシア兵はとても図々しく、横柄な態度で住民に話していました。私たちのところにやってきて、市長はどこに住んでいるのかと尋ねてきました。もちろん、私たちは「知らない」と答えました。するとロシア兵は、「どうして協力しないのか。私たちはあなた方を救いに来たのだ。市長がどこに住んでいるか知らないはずはない。」と尋問してきました。私たちそれでも「知らない。」と答えました。実はみんな、市長の家が隣の通りにあることは知っていたのですが、ブチャの住民は誰もロシア兵に協力しようとはしなかったのです。

私たちが寒くてポケットに手を入れているのを見て、「ポケットから手を出せ。今すぐだ!私たちが銃を持っていることを忘れているのか!怪我をする可能性があるんだぞ。私や私の仲間が少しでも疑いを持ったら、ここでお前を殺すぞ!」と、ロシア兵の一人が怒鳴ってきました。そして、「私たち(=ウクライナ人)は洗脳されていて、何が起こっているのか理解していない。彼ら(=ロシア兵)はウクライナ人を救出しに来たのだ。」と言い始めたのです。

トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP
トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP

殺戮はまもなく始まりました。通りを歩くと、男性、女性、子供まで、民間人の死体が散乱していて近づけない。街のあちこちにロシア軍の小規模な部隊が展開していて、遺体を墓地まで運ぶのは危険でした。しかたなく殺された隣人を庭に埋めましたが、皆が銃で撃たれていました。ロケット弾が金切り音を上げて頭上に飛来したかと思うと、ロシアの狙撃手が建物の最上階から眼下の住民を狙撃していたのです。

ロシア人にこのすべてを読んでもらい、彼らが私たちにどれだけの苦痛をもたらしたかを理解してもらいたい。これは真実であり、偽造ではないのです。死にゆく人々が路上に横たわっていて、彼らを助けに行くことは不可能でした。もしかしたら、まだ生きている人がいるかもしれなかったのに、ロシアの狙撃兵が近寄らせなかったのです。しかも、狙撃兵は日中だけでなく、夜間も暗視装置を使って住民を狙撃していました。報道された、手を縛られたまま殺された人たちの話も本当です。これは大量殺戮(ジェノサイド)だと思います。ロシア兵たちは、文字通りウクライナという国を破壊していたのです。

ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲
ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲

隣人のインナ・ナウメンコ(50歳)は、トイレや洗濯のために必要な水を確保しようと、隣の消防署に行っていました。そこには大きな桶があり、バケツで水をすくっていました。しかし、彼女は撃ち殺されました。おそらくロシアの狙撃兵の仕業だと思います。夫は彼女を毛布に包んで庭に埋葬しました。

21世紀にこのような惨劇が起こるなんて、私たちはまだ信じられませんでした。誰もが驚き、ショックを受け、私たちが体験したこと、見たことについて、未だに話すことができない人もいます。

ブチャ地区では長い間、通信手段が寸断さえ、親戚にも無事を知らせることができませんでした。連絡が取れても、私たちがまだ生きていることが信じられないような状況でした。

街を離れたかったのですが、ずっと砲撃されていたので、とても恐ろしかったです。ある時、民間人の避難のための「人道回廊」を示され、ブチャの人々も車を走らせました。ところが動き出してほんの数分後、車が向かっている側から恐ろしい爆発音と銃声が聞こえてきました…。ロシア兵にタブーはなかったのです。私たちが奇跡的に破壊を免れていた車で脱出を決意した時、私たちもロシア兵による銃撃を受けました。幸い、銃弾が貫いたのはガスタンクの反対側だったので車ごとの爆発を免れることができました。

私たちのアパートは5階建てで、入り口は4つありますが、2つは初日にロシア兵に燃やされました。その後、ライターが投げ込まれ、屋上が燃やされました。私たちは幸い1階に住んでいたので消失は免れたのですが、軽装甲気動車の30ミリ弾が室内を貫通して台所の壁に穴を開けました。

軽装甲気動車の弾が私たちのアパートを貫通したのです。

ロシア兵は、民間人の住宅を無差別に砲撃していました。兵士らはワルシャワ高速道路を歩いていて、私たちの家はその隣、ノーヴス商店の向かいにありました。私たちはキーウから切り離され、ブチャの街にはパンがありませんでした。市長は有志を募って住民のためにパンを焼くこととし、私と娘のリュドミラは夜、ノーヴス商店に行って働きました。その店にはパン窯があり、ロシア兵が発電機を壊すまでパンを焼き続けました。それからは、どうすることもできませんでした。

リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた
リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた

ユーリ・クリヴォルチコ:「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」

「2月26日から27日にかけて、私の同志であるプロツェンコ・セルゲイが行方不明になりました。彼はまた、赤いリムとミラーの付いたホンダCR-Vという美しい車を所有していました。しばらくして駅で見かけたのですが、ボロボロになっていて、赤いリムで彼の車だと分かったのです。車の惨状から彼を探しても無駄だと思いました。

当時は、ほとんど地下に隠れていました。夕方、18時くらいから門限があって、家にいても見つからないように電気をつけてはいけないのです。ロシア兵はすぐに発砲してきました。

家の近くに十字路があって、暗視装置を装備したロシアの狙撃兵がいました。ある深夜に夜タバコを吸いたくて、玄関のドアを開けると、狙撃兵がタバコの光を見たのか、私の方向へ撃ってきました。ドアが金属製でよかったです。なんとか閉めて弾丸を防ぎました。夜が長かったのを覚えています。恐らくこんなに長い夜は生まれてこのかたなかったし、これからもないだろう。夜中になると、銃声がする。とてもうるさくて、家が揺れ、地下室が揺れ、ろうそくが1本燃えていて、ライトが跳ね返っている。電池があるうちに懐中電灯を点けておけば、真っ暗闇の中で座っている必要はないだろうということで、懐中電灯を点けておきました。この家の住人は全員、私たちと一緒に地下室にいました。

それから、隣の家の地下室に移りました。窓が少なく、鉄のドアもあってよかった。車も移動しました。そこの庭はアパートに囲まれており、外の通りから見えない構造になっていました。夜にはバッテリーを取り出して、何も残さないようにしなければならなかった。ロシア軍の妨害工作や偵察隊が夜な夜な活動していて、近所にトリップワイヤーを仕掛けていたのです。近所の人の車が砲撃で炎上したこともありました。

クリヴォルチコさん一家が住んでいた家。

最初は地下に大勢いたのですが、だんだん危険を冒して、避難経路を通って街を脱出する人が出てきました。結局、私たちも3月17日に脱出することにしました。すでに朝の8時には、バールを持ったロシア兵たちがアパートを略奪するために中庭に入ってきました。庭で火を炊いていた人たちにある車を指さして「お前の車か?」 と聞くと、「違う」と答えていました。するとその車の窓を割って押し入り、バッテリーを奪って出て行きました。

自分たちのブロックより先に進むことはできませんでした。命がけで、膝をついて歩きました。とにかく、奇跡的に無傷でブチャを脱出することができました。娘はキーウにアパートを持っていて、今は皆でそこに住んでいます。この悪夢はすべて過去のものとなり、今では安心してアパートの周辺や道路を歩くことができます。でも、庭で誰かが車のボンネットを叩いたら、反射的にしゃがんで身をかわしてしまいます。(原文へ

INPS Japan

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グローバルな危機、ローカルな解決策

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=ソニア・アワレ】

グラスゴーでの会議(COP26)から 1 年、世界各国政府はエジプトのシャルム・エル・シェイクで再び会議を開き、地球規模の気候破壊を回避するための緊急措置を協議した。

この1年の間に、さまざまなことが起こった。記録的な熱波が北米、欧州、南アジア、中国を襲った。ツンドラ地帯では山火事が発生し、パキスタンでは前例のない洪水が起こり、嵐は海岸線を荒廃させた。科学者が2040年代に起こると言っていた極端な気象現象は、既に起こっている。

シャルム・エル・シェイクで開催された国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)の最中、北インドでは作物の残滓を燃やす煙が立ちこめ、ヒマラヤの氷河に向かって吹き上げられ、氷河の融解を加速している。ネパールでは季節外れのモンスーン後豪雨が発生し、地滑りや土石流で100人もの死者が出ている。

COP27 に向けて、多くの科学的報告がなされ、それぞれが警鐘を鳴らすものとなっている。気候否定論にもかかわらず、私たちが既に気候の緊急事態に陥っていることは間違いない。何をすべきか考え始めるには遅すぎる。2050 年までに世界の平均気温を産業革命前と比較して1.5 度以内に抑えるためには、排出量を削減しなければならないのだ。

Emissions Gap Report 2022/ UNEP
Emissions Gap Report 2022/ UNEP

11月に発表された国連環境計画(UNEP)の「エミッション・ギャップ・レポート2022」は、自らを「地球規模の気候危機に対する不十分な行動の証」と呼び、今後8年間で年間の温室効果ガス(GHG)排出量を45%削減し、その後も急速に減少を続けることが必要となる1.5℃への信頼できる道筋を求めている。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書では、科学者たちはさらに黙示録的な予測をしている。2041年から2100年の間に1.5℃の上昇に抑えたとしても、自然界に存在する陸生種の最大14%が非常に高い絶滅のリスクに直面する可能性がある。3℃の上昇であれば、29%の種がなくなり、現在のペースで温室効果ガスが大気中に送り込まれ続け、世界の平均気温が5℃上昇すれば、全動植物種の半分が絶滅するという。

IPCCは、極端な気象現象の頻度と強度の増加により、生態系、人々、居住地、インフラに広範な影響が及ぶと警告している。心配なのは、これが予測ではなく、すでに起こっているということだ。

IPCCは世界の山岳地帯の章において、氷河の後退が加速し、永久凍土の融解が進み、氷河湖の数と大きさが増加すると述べている。植物や病原菌は高地へ移動する。

ヒマラヤとチベット高原は、北極と南極を除けば最大の凍結水の貯蔵庫であり、アジアの下流では12億人もの人々がそこを源流とする河川に依存している。IPCCは、水循環の乱れは農業に影響を与え、地滑りや洪水の危険を増大させるとしている。

ネパールが何を燃やそうが、燃やさまいが、どれだけ燃やそうが、地球には大きな影響を与えないだろう。しかし、それはネパールの経済的な存続を左右する。連邦選挙後、ネパールの新政府は、石油の輸入を減らし、貿易赤字を減らし、大気汚染を軽減するために、断固とした措置をとることが必要である。

エジプトで開催されるCOP27国連気候サミットの直後、ネパールでは11月20日に連邦選挙と州選挙が行われた。

各政党の選挙マニフェストでは、再び壮大な公約が掲げられていたが、再生可能エネルギーへの転換は主要な優先事項とはなっていなかった。化石燃料の使用削減は、どの政党も選挙のスローガンにはしていない。

それでも、環境保護主義者やエネルギーの専門家は、今回の投票は、再生可能エネルギーへの転換、大気汚染の低減による公衆衛生の保護、固形廃棄物の管理など、本物で現実的な公約を掲げる指導者を選出する機会であるとしていた。

カトマンズにあるAvni Center for Sustainabilityの気候活動家、シルシア・アチャルヤ氏は、「気候危機に対する私たちの姿勢は、国際的な場で高尚な公約を掲げることに限られており、国内では実施面で示すものがあまりありません。気候変動が政治の表舞台に立つためには、ゆっくりと進行する災害の重要性を理解し、内面化している指導者が必要です。しかし、彼らは個人的な利益しか考えていません。解決策を実行する候補者に投票するのは、私たち市民にかかっているのです。」と語った。

確かに、気候危機は世界的なものだが、解決策は地域的なものである。ネパールの大量輸送手段の電気化と、LPGに代わる家庭の電化は、国際的な資金を必要としない手が届く施策である。

確かにネパール議会(NC)は、今後5年間で電気自動車の普及率を50%に引き上げることを約束している。シェール・バハドゥル・デウバ首相は昨年のグラスゴーのCOP26で、2045年までにネパールをカーボンニュートラルにすると約束したが、現在の政策では実現できない。

ネパールの自動車の10%をバッテリー駆動に切り替えるだけで、少なくとも年間210億ルピーの石油輸入を削減できる。ネパールの貿易赤字を減らすためには、ネパールの二酸化炭素排出量を減らすことが必要であり、気候変動への貢献はおまけのようなものであることは明らかだ。

NOC

ネパールでは、高級車が禁止されているにもかかわらず、電気自動車(EV)の販売が大幅に伸びている。この3カ月間だけで、EVの新車販売台数は705台と、前年同期の5倍に増えた。

しかし、そのほとんどは自家用車である。電気バスはディーゼル車の3倍以上する上、自家用電気自動車や二輪車に適用される税制上の優遇措置もない。これは、2025年までに国内の自家用車の4分の1、バスの20%を電気自動車にするという政府の方針とは正反対である。

「電気バスは、空気をきれいにし、二酸化炭素の排出を減らし、余剰電力を利用することができます。」と、Sajha Yatayat社のブシャン・トゥダハール氏は語った。同社は既に40台の電気バスのうち3台を導入している。

しかし、逆風が吹いている。電動バスは当初、非常に高価であるため、融資や税金の払い戻しが必要である。また、充電インフラも重要である。「私たちは、公約を具体的な行動に移す必要があるのです。」と、トゥダハール氏は付け加えた。

ネパールでは2008年から、ガソリンやディーゼルを1リットル販売するごとに1.5ルピーの汚染税を徴収している。その累積額は100億ルピー近くになり、電気自動車やクリーンエネルギーへの補助金として利用することができる。同様に、ティクネにある古い車両で朽ち果てた電気トロリーバス集積場は、Sajhaの新しい電動バスの充電ステーションとして簡単に利用できたかもしれない。

書類上、ネパールには将来を見据えた政策があり、世界でもトップクラスにある。2019年国家気候変動政策、2022年固体廃棄物管理政策、2022年森林規則、2022年土地利用規則のすべてが、気候変動の影響に適応するための国の必要性に対処している。

Photo: AJAY NARSINGH RANA

しかし、世界銀行が最近のネパール向け国土開発報告書で指摘しているように、「この改革アジェンダの実施と投資の優先順位付けは初期段階である。」さらに、気候変動と開発の利益を最大化するためには、公共支出の優先順位付けと効率化を強化することが必要である。』と述べている。

ネパールの平均気温は、中程度の排出経路のもとで、2016年から2045年の間に0.9℃上昇すると予想される。これは、冬はより乾燥し、モンスーンはより湿潤になり、降水量が最大で3倍増加する可能性があることを意味している。実際、これはヒマラヤ全域で既に起こっている。

また、洪水、火災、雪崩、干ばつがより深刻化することも警告している。世界銀行の報告書によると、ネパールで毎年洪水の被害を受ける人の数は、今後8年間で2倍の35万人に達する可能性があると予測している。また、気候の影響により、ネパールの経済は7%縮小すると予想されている。

「私たちの排出量削減目標はすべて、現地での積極的な取り組みにかかっています。本気で取り組めば、今後5年でネットゼロを達成できるのに、なぜ2045年まで待つのか」と環境保護活動家のアチャリヤ氏は問いかけた。「このままでは、2060年まで約束しても、カーボンニュートラルになることはないでしょう。」

COP 27
COP 27

シャルムエルシェイクで開催された今年の気候変動会議は、「インプリメンテーションCOP」と呼ばれている。パリ協定の下での194の締約国の気候に関する誓約を合わせると、2100年までに世界は最大でも約2.4℃の温暖化に向かう可能性があり、1.5℃に抑え、さらなる破滅的な結果を防ぐにはほど遠いことを考えると、今年の議論での優先事項の一つは緩和プログラムを設計することであろう。

国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の後発開発途上国 (LDC)支援グループのアドバイザーであるマンジート・ダカル氏は、この会議でネパールが優先すべきことは、G20諸国による損失損害基金や適応支援へのロビー活動であると語った。

「ウクライナ危機とパンデミックにより国際社会は気候資金の資金調達に消極的になっているため、ますます待っていられない。私たちはすぐにでも気候変動に適応して命を救うだけでなく、ゆっくりと進行する災害にも備えなければならないのです。」と、ダカール氏は、ネパーリ・タイムズ紙に語った。

「目標達成にはほど遠い状況ですが、初めて排出量の削減が確認され、それがどんなに小さくても、こうしたロビー活動や気候会議に価値があるのです」と彼は付け加えた。

ネパールのように気候変動に脆弱な国にとって、国際的な気候変動対策の場でのロビー活動は重要だ。しかし、実行は地元で行わなければならない。代表団が帰国してからが、本当の仕事の始まりなのだ。

この冬、ネパールの悪名高い都市公害を軽減することは、その手始めになるかもしれない。カトマンズ市長が望めば、市民を動員し、啓発キャンペーンや適切なゴミ収集サービスを通じて、少なくともこの冬はゴミの焼却を中止させることができるはずだ。足りないのは政治的な意思だけである。」(原文へ

INPS Japan

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【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

2000年、初めて大統領に選出されたばかりのウラジーミル・プーチンは、核兵器を巡る混乱を解決する上で、独自の貢献をした。彼は演説の中で、核ミサイル備蓄を大幅に削減する用意があると述べたのである。当時のプーチン大統領の呼びかけは、米ロそれぞれが上限2500発という米国側からの提案以上の削減を謳っただけではなく、1500発というロシア政府の従来の目標をもはるかに下回るものであった。(現在、ロシアは約6000発の核弾頭、米国は5400発を保有している。)

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

実際、プーチン大統領の提案の仕方やその条件、言葉遣いなどからして、彼が当時念頭に置いていたのは、1986年にミハイル・ゴルバチョフ書記長ロナルド・レーガン大統領が練った構想に近いものだったのではないかと識者らは見ている。すなわち、ゼロに限りなく近い備蓄量へと核兵器を減らしていく、ということだった。

レイキャビク米ソ首脳会談でのこの大規模かつ未完の計画はレーガン大統領独自の産物であった。彼は、「戦略防衛構想(スターウォーズ計画)」と呼ばれたミサイル防衛構想と、超大国による核兵器廃絶を組み合わせた世界を構想していた。

しかし、レーガン大統領のアドバイザーらは、レーガンがゴルバチョフ書記長と練っていた提案を初めて耳にした瞬間から、この提案には実現可能性がないとしてこれを否定しにかかった。省庁間の検討という迷宮を何とか超えて出てきた創造的な提案に対して、彼らはいつもこのような態度を取ったのである。

米国単独での大きな提案が唯一通ったのは、冷戦崩壊後の状況という強みを生かしたジョージ・ブッシュ大統領が、米軍の爆撃機の警戒態勢を解除し、戦術核を作戦配備から解くとの計画を秘密裏に策定したときだった。当時、米国の官僚も上院も、ブッシュ大統領を出し抜く時間的余裕がなかった。

ジョージ・パーコビッチは『フォーリン・アフェアーズ』誌で、「1961年は、ジョン・F・ケネディ大統領率いる米政府が実行可能な形の核軍縮を追求した最後の時代であった。」と述べている。

ビル・クリントン政権は核ドクトリンの「根本的な再考」を呼びかけたが、大統領自身の無関心と、クリントン大統領が「国防総省の官僚と近視眼的で教条的な上院議員の奇妙な連合に挑戦するのを敬遠した」ために、実行に移されることはなかった。実際にクリントン大統領が推進したのは、北大西洋条約機構(NATO)の領域をロシア国境際まで東に拡大するという挑発的な別の道であった。

国防総省のせいばかりではない。官僚機構の内部から上院、大学、専門シンクタンク、兵器メーカー、大手ニュースメディアに至る民間専門家のネットワークが、どんな反論にもほとんど動じない強硬な世論を生み出してきた。

General Eugene E. Habiger, Public Domain
General Eugene E. Habiger, Public Domain

元米戦略軍最高司令官を務めた退役軍人のユージン・ハビガー将軍が述べたように、「私たちは、核戦力に責任を持つ上級の軍人が核戦力の削減を政治家たちよりも強く求めるような状況に立ち至ってしまっている。」

ハビガー将軍の前任者であるジョージ・リー・バトラー将軍はさらに進んで、核兵器の完全廃絶を訴え、あらゆる著名な反核活動家のイメージと信頼を失墜させようとする核保有国のロビー団体が用いる野蛮な戦術を指摘するに至っている。

西側世界全体の世論は、こと核兵器に関していえば、物事を偶然に委ねるような状況にある。どこからか何かがやってきて、核兵器の危険から世界を守ってくれるという考えがある。しかし、現実は真逆だ。プーチン大統領はロシアの核兵器を弄んでいる。未承認あるいは誤認による核発射があり得るし、発射寸前までいったケースも多く報告されており、反論の余地はない。

今後数年で中国・台湾情勢は大きな軍事的危機に発展しかねない状況にある。米国は中国との対立に追いやられ、2つの核大国がお互いにミサイルを打ち合う状況も考えられる。

核拡散の可能性はますます高まっており、カシミールや中東は依然として核の危険地帯だ。また韓国の大統領は既に戦術核製造の可能性に言及している(ジミー・カーター大統領の時代に米国の戦術核は韓国から撤去された)。北朝鮮に関していえば、体制による攻勢は続き、さらに進化したミサイルの実験が繰り返されている。

米国が過剰な核の優勢を保つなかで、世界の人々は、敵対的な雰囲気が忍び寄りつつあることを感じている。これまで何度も厳粛に公約してきたことが果たされないために、他の国々も、わずかなチャンスさえあれば、米国の外交政策目標に抵抗しようとしているのだ。

カナダ、フランス、ドイツ、スウェーデンといった米国の友好国でさえ、時折このような反米的な怒りにとらわれることがある。もし米国による指導が傲慢で不必要に好戦的だとみられることがあれば、米国の長期的な利益にとってよい予兆とはならないだろう。

2000年、プーチン大統領はこの機会を正しく捉えた。しかし悲劇は、米国がこれに反応しなかったことだ。レイキャビクでは、超大国の核兵器をなくす合意が本当にまとまりかけたのに、それが実現しなかったのは、ソ連側の躊躇(とレーガン大統領のアドバイザーたちの圧力)のためだった。もしプーチン大統領が核兵器使用の可能性について話すのをやめ、2000年当時の演説の言葉に戻したなら、ロシアがまだ現実と向き合っている歓迎すべき兆候となるだろう。一方、ジョー・バイデン大統領が、核軍縮協議を再開するようロシア政府に呼びかけることを含んだ演説をぶち上げることでウクライナでの軍事的な攻勢に水を差すことがあれば、それは「オリーブの枝(=和平の申し出)」以上のものとなるだろう。

ICAN
ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)によると、2021年に世界は毎分15万6841ドルを核兵器に消費したという。わずか1年で、核保有9か国(中国・米国・ロシア・英国・北朝鮮・インド・パキスタン・イスラエル・フランス)が総計約1万3000発(うち9割を米ロが保有)の核兵器の改修・維持のために合計824億ドルを消費した。

全体としてみれば、世界にお金が足りていないわけではない。問題はその使い道である。見方を変えれば、気候変動対策、アフリカ開発援助、マラリア撲滅、がんや糖尿病、認知症の医学研究、貧困撲滅など、必要なところには簡単に資金を捻出することができるだろう。なぜ、危険すぎて使えない兵器に投資する必要があるのだろうか。

抑止力という漠然とした軍事哲学を除けば、核兵器保有に関する合理的な議論は存在しない。率直に言えば、抑止が機能するかどうかはわからない。かつては核兵器削減を主張していたプーチン大統領が思い起こさせてくれたように、もしNATOがウクライナで何らかの過ちを犯せばロシアは核使用に訴える可能性がある。さらに、これまで常にそうであったように、私たちは過失や事故に身を委ねているが、事態が長引けば、過失や事故が起きる可能性も高くなる。

プーチン大統領の脳裏のどこか、深いところで、彼はこのことを知っている。バイデン大統領も同様で、もし自身の軍事・国家安全保障官僚が核兵器を使うよう助言し決定を迫るようなことがあれば、カトリック教徒としての自身の信念の教えが試される事態を避けられないことを知っているのだ。

では、何が事態をそこまで押しやってしまうのだろうか。

ジョージ・W・ブッシュ大統領とドナルド・トランプ大統領は、米国を重要な核軍備管理協定から撤退させるというひどい仕事をした。プーチン大統領は、バイデン大統領が選出された際、オバマ=メドベージェフ期の大掛かりな軍備削減合意を更新するように、自身の配下にも、今や前向きな思考を持っている米国側にも促した。この合意によって、長距離大陸間弾道弾は米ロそれぞれで1550にまで削減された。

おそらく、混乱に満ちたウクライナ戦争はあと数か月、あるいは数年はつづくことだろう。しかし、2つの核超大国をして、核兵器を今こそ廃絶するために大胆な道を踏み出させることを妨げるものは何もない。そうすることができなければ、私たちが思考停止してきたために、考えられないような事態が起きるかもしれない。(原文へ

INPS Japan

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「アフリカの角」地域で未曽有の干ばつ

【ニューヨークIDN=J・ナストラニス】

国連は、アフリカの角地域(アフリカ大陸東端の半島周辺)が未曽有の干ばつに襲われており、壊滅的な被害が起きるだろうと警告している。同地域は5期連続して干ばつに見舞われており、2023年3~5月の雨季に6期目を迎える可能性もある。

アフリカの角地域全体では、2022年後半に起きた史上最長かつ最も厳しい干ばつにより、少なくとも3640万人が影響を受けるとみられる(エチオピア2410万人、ソマリア780万人、ケニア450万人など)。

国連人口基金によると、この地域には生殖可能年齢(15~49歳)にあたる女性900万人超も含まれている。彼女たちは、健康上の危険に直面しているほか、干ばつによってジェンダーに基づく暴力が激しさを増す可能性もある。

Horn of Africa/ wikimedia Commons
Horn of Africa/ wikimedia Commons

エチオピアの約1190万人が干ばつによって深刻な食料不足に見舞われ、ケニアでは約435万人が厳しい食料不足に直面している。2022年10月から12月(この時期は雨期にあたり通常は年間降水量の最大70%を占める:INPSJ)にかけて雨量が少なく、今後後数カ月に亘って食料不足が深刻化することが予想される。

ICPAC[世界気象機関が認証する、東部アフリカ11カ国に気象関連サービスを行う組織]と国連食糧農業機関(FAO)が共同で運営する地域組織である「食料安全保障・栄養問題作業部会」(FSNWG)によれば、2023年2月までの干ばつによって、アフリカの角地域で2300万~2600万人が深刻な食料不足に直面すると見られている。

国際連合児童基金(ユニセフ)は、2023年と「今後数年間」に、アフリカの角地域を襲うかもしれない事態に備えてしっかりとした対応をするよう、国際社会に呼びかけている。

エチオピア、エリトリア、ソマリア、ジブチ、ケニアの一部あるいは全体、スーダン、南スーダン、ウガンダから構成される「アフリカの角地域」は、未曽有の干ばつに見舞われており、壊滅的な被害が発生するものとみられている。来る2023年3月~5月の雨季には、(水不足により)通産6期目の干ばつが起きる可能性もある。

ユニセフ東部・南部アフリカ地域副代表のリーケ・ファン・ドゥ・ヴィール氏は、12月22日、「アフリカの角の子どもたちがこれ以上壊滅的で取り返しのつかない被害を受けないようにするためには、リソースを世界的に至急動員する必要があります。子どもたちの命と尊厳、そして未来を守るために、私たちは今行動しなければならないのです。」と語った。

Horn of Africa Banner
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UNICEF
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2022年、ユニセフとそのパートナーは、約200万人の子どもと女性に対し命を守るために不可欠な保健ケアサービスを提供、生後6カ月から15歳までの約200万人の子どもに麻疹(はしか)のワクチン接種を実施、270万以上の人々に飲用・調理用・個人衛生用の安全な水を提供した。

ユニセフは、子どもやその家族を救うために2023年に7億5900億米ドル規模の緊急支援が必要だとして要請を続けているが、とりわけ教育や水、衛生といった分野における迅速かつ柔軟な資金提供が必要とされている。2022年には重大な資金不足に陥っていた。

子どもたちとその家族の命を守る支援を提供するための、ユニセフによる7億5900万米ドルの2023年向け緊急資金要請では、とりわけ今年の対応で著しく資金が不足した教育、水と衛生および子どもの保護の分野における、適時かつ柔軟な資金支援を求めている。

さらに、子どもとその家族の再起と気候変動への適応を後押しする長期的投資を支援するため、6億9000万ドルを必要としている。

ユニセフによると、エチオピアやケニア、ソマリアで厳しい干ばつによる影響を受けている子どもたちの数はこの5カ月で2倍になっているという。

気候変動や紛争、世界的なインフレと穀物不足によりこの地域が大打撃を受け、深刻な飢えや渇き、感染症の脅威に晒されている子どもの数が、昨年7月時点の1000万人から約2020万人へと増えている。

ユニセフ東部・南部アフリカ地域事務所のヴィール副代表は、「体系立った迅速な取り組みにより、懸念されていた最悪の影響はある程度緩和されたものの、アフリカの角地域の子どもたちは、2世代以上が経験したことのないほど深刻な干ばつに直面し続けています。飢えや感染症で死の淵に追い詰められている、または、食料や水、家畜用の牧草地を求めて住処を離れざるをえないような、子どもたちや家族が驚くほど多くいます。彼らの命を守り、レジリエンスを高めるために、人道支援を継続しなければなりません。」と語った。

エチオピア・ケニア・ソマリアでは、200万人近くの子どもたちが、飢えの最も重い分類である重度急性栄養不良の緊急処置を必要としていると推定されている。

現在、アフリカの角地域では次のような状況が生まれている。

UNICEF

・200万人以上が、干ばつが原因で国内避難民となっている。

・2400万人に迫る人々が深刻な水不足に直面し、水を安定して得られない人口が2倍以上に高まっている。

SDGs Goal No. 13
SDGs Goal No. 13

・およそ270万人の子どもが干ばつのために登校できず、さらに推定で400万人の子どもが退学を余儀なくされる恐れがある。

・増大するストレスで家族が追い詰められる中、子どもたちは児童労働、児童婚、女性器切除(FGM)などのリスクに直面している。

・食料不足や住居の移動のために、性暴力や性の搾取などジェンダーを基盤とした暴力も拡がっている。

ドナーやパートナーのあたたかな支援により、ユニセフはアフリカの角地域全域の子どもとその家族へ命を守るサービスを提供し続けるとともに、さらなる状況悪化への備えを整え、レジリエンスを高め、主要サービスを強化している。(原文へ

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北朝鮮の核兵器使用の可能性:「自動的かつ直ちに」

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】

ウクライナの戦争とメディアの並々ならぬ注目の陰で、北朝鮮の核の野望をめぐる争いは、現在のところ後景へと退いている。平壌の政権は核開発計画を長年継続して進めてきた。今年前半の多くのミサイル実験の後、国営ニュース機関である朝鮮中央通信(KCNA)の英文記事によれば、最高人民会議は9月8日、「朝鮮民主主主義人民共和国核戦力政策」に関する法律を可決したという。この法律について特に注目すべきは、紛争が発生した場合、北朝鮮が攻撃を受けたと感じれば、金正恩(キム・ジョンウン)最高指導者は「敵対勢力を無力化するため、自動的かつ直ちに」核攻撃を命令することができるという点だ。独裁者が事実上無制限の力を与えられることは、予期せぬことではない。その点は、これまでの関係するあらゆる国内外の政策分野でも同様である。新法では、核兵器が抑止力であることを強調している。しかし、懸念されるのは、北朝鮮の社会または体制の存続を確保するために、核管理システムが危険に晒されれば核による先制攻撃が発動されうる、という率直な宣言があったことだ。「自動的かつ直ちに」というフレーズは、ほとんど「先制攻撃」以外の何物にも解釈しようがない。(原文へ 

北朝鮮はこの法律を成立させることで何を達成したいのか? 撤回不能な形で核保有国であると宣言しているのか、それともまだ交渉の余地はあるのか? 『ニューヨーク・タイムズ』紙は平壌の政府筋の話として、キム・ジョンウンによると「非核化の余地、交渉の余地、取引のチップは絶対にない」旨を報じている。この法律は、8月末までに2万8千人の米兵が派遣された米韓による大規模な軍事演習への応答なのだろうか? 北朝鮮政府は、米国がオーストラリア、日本、韓国との間で、中国に対するアジアでの軍事同盟の形成を試みていることが、北朝鮮の安全保障をも脅かしうると懸念しているのか? 平壌は8月、この軍事協力を「アジアのNATO」の「創設への危険な前奏曲」と称した。北朝鮮はこの法律を成立させることで、国際的な孤立を克服したいと考えているのか? この国は、現在でもおおむね孤立しており、その核計画を理由として科された国連の厳しい経済制裁に苦しんでいる。

それとも、この法律は韓国へのシグナルを送ることを意図したものなのだろうか? 北朝鮮の政策の不透明さを考えれば、真のねらいは推測することしかできない。3月に尹錫悦(ユン・ソンニョル)が韓国の大統領に就任したとき、多くの識者は彼が北の隣人に対して対立的な政策を追求すると予測した。それが選挙運動の間の、彼のタカ派的メッセージだったからである。韓国の政策は、強力な軍事力によって北の抑止を目指す対立路線と、平和的共存、非核化および経済的なインセンティブに依拠するいわゆる「太陽政策」との間で、繰り返し揺れ動いてきた。興味深いことに、ユン・ソンニョルは就任演説において北に対しこう呼びかけた。「北朝鮮が完全な非核化へのプロセスに真の意味で乗り出すなら、我々は国際社会と協調し、北朝鮮の経済を大幅に強化し、その国民生活の質を向上させるための大胆な計画を提示する用意がある」

平壌の反応は速やかなものだった。最高指導者の妹である金与正(キム・ヨジョン)は、無礼にも韓国の提案を退け、ユン大統領に「黙っていろ」と断じた。彼女は以前も、南からのアプローチに対して同様に思い切った反応を見せており、例えば2020年6月には南北国境の通信センターを爆破した。2000年代末におけるアメリカ、中国、ロシア、日本、北朝鮮、韓国の6カ国協議が頓挫し、2011年にキム・ジョンウンが権力の座について以降、北朝鮮が核計画の完全な放棄に関して真剣な交渉に応じたことは一度もない。それはトランプ大統領がキムとの首脳会談の後、見誤ったことだ。同国情勢を長年追ってきた識者たちは、それ以外のことを予想してはいなかった。アルバート・アインシュタインのものとされる名言を使いたくもなる。「狂気とは、同じことを繰り返しながら、違う結果を期待することだ!」北朝鮮が、核兵器を持たずに国際社会に復帰することはいまだ可能なのか? 何年も行き詰まっている状況に対する選択肢は何なのか? 核不拡散条約(NPT)の外での他の国々の核計画における経験を見るに、北朝鮮の反応は幸先が悪いようだ。

ウクライナモデル:ソ連の終焉という根本的な政治的混乱の後、ウクライナは、ロシア、イギリス、アメリカが合意(ブダペスト覚書)によってウクライナの安全保障を約束したことを受け、1994年に核兵器を放棄した。ロシアの侵攻は、そのような保障がどれだけの価値があったかを示している。ウクライナと同様に、南アフリカはアパルトヘイトが終わる直前、1991年に核計画を放棄し、NPTに加盟し、6個の核兵器を破壊した。たしかに、北朝鮮はウクライナに与えられたような安全保障に依存することはないだろう。北朝鮮について、ウクライナや南アフリカにおけるような反応に賭けることは、体制転換を期待するということだ。核計画の封じ込めが可能だと思えるのは、北朝鮮における根本的な社会変革の可能性について非常に楽観的な場合に限られる。

イスラエルモデル:イスラエルは約90個の核弾頭を有しているが、イスラエル政府は今のところ「肯定も否定もしない」という方針を採用しており、核兵器についてコメントしていない。北朝鮮政府のアプローチはこれとは全く異なり、自国の核兵器の必要性と有効性を繰り返し強調している。

リビアモデル:カダフィ政権は2003年に核計画を廃止し、核兵器の開発を放棄した。リビアに約束された国際関係の平常化は実現しなかった。2011年の国際軍事介入およびカダフィ政権の転覆以来、リビアでは混乱が続いている。リビアは、北朝鮮では抑止の例と解釈されている。

イランモデル:イランとの2015年の条約は、核計画封じ込めの可能性にとって卓越した事例である。しかし、よく知られているように、アメリカはこの国際的に拘束力を有する条約を遵守せず、2018年に離脱してしまった。今日まで、この条約を復活させようという試みは成功していない。イラン合意の問題も、北朝鮮ではネガティブな経験と認識されている。

インドモデル:インドはNPT加盟国ではなく、同条約を不公平だとして批判している。しかし、事実上、インドは核保有国として認識されており、インドに対し約150個の核弾頭を放棄することを迫る国際的な取り組みはない。これがまさに、北朝鮮政府が念頭に置いているモデルだ。北朝鮮は事実上の核保有国として認められることを望んでいる。それが、新たな核戦力法で「朝鮮民主主主義人民共和国核戦力政策」と強調している理由である。しかし、インドとは異なり、北朝鮮は国際的に尊重されている民主主義国家ではない。

それどころか、北朝鮮は孤立し、追い詰められていると感じている。そのために、新法に記載されているように、その核兵器を「国家の主権、領土の一体性および基本的な利益を守り、朝鮮半島および北東アジアにおける戦争を防止し、世界の戦略的安定性を確保するための強力な手段」だと考えているのだ。北朝鮮は、自国とその核計画を安定化要素として説明している。キム・ジョンウン体制は核兵器を自身の生命保険のように考えているのだ。

国際社会は、これ以上の拡大を防止するか、少なくとも遅らせるために、痛みを伴う妥協をしなければならないかもしれない。イランとの間で長年にわたり交渉された2015年の条約は、大きな欠点もあったが、それでもイランの核の野望を遅らせるチャンスをもたらした。しかし、北朝鮮に核兵器を諦めさせる可能性は、同国の体制に失うものが多いため、極めて小さいといえる。(IDN

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。

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