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ブチャの住民の証言(1):「彼らはKAZAM(ロシア軍のトラック)で庭に乗り付け、持ち出せるものは何でも積み込んでいった。(ヴァディム・ヤロシェンコ)

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ヴァディム・ヤロシェンコ氏に直接取材した証言です。

2022年2月25日にロシア軍の部隊がブチャに現れました。ロシア兵は、最初の数日は戦闘に手いっぱいで住民に関心がなかったが、街を完全に占拠し、各地のアパートに住みつくと、この招かれざる客は地元住民に目を向け始めました。

「その時点では私たちは比較的に幸運でした。私たちのアパートは中心部から遠く離れていて、他の地域とは違い、奇跡的に爆撃を受けなかったのです。私たちはこのアパートに監禁され、ロシア軍は私たちに水を汲みに行くことを禁じました。庭には未完成の駐車場だった格納庫があり、そこで全体で炊事をしていました。入居者がジャガイモや缶詰など、持っているものを持ちよって共同の鍋に全部入れていました。

ロシア占領下のブチャで調理する人々(写真:ヴァディム・ヤロシェンコ)

ある晩、ロシアの榴弾砲だか戦車だかがアパートの庭に入ってきて、私達住民を盾にしてウクライナ軍陣地への砲撃を始めたので、このまま家にいては危険だと悟ったんです。3月10日、私たちは自己責任でアパートを脱出することにしました。白いシャツやシーツを破いて車にかけ、ロシア軍に私たちが民間人であることを示しました。

逃亡中の道のりはとても恐ろしかったです。道端の両側には、銃弾で穴が開いたボロボロの車が散乱し、その中には死体もありました。この人たちも私たちと同じように、ただ危険な場所から脱出しようとしているのだと理解しましたが、彼らはロシア軍に撃たれてしまったのです。私たちは子どもたちの目を覆い、凄惨な光景を見せないようにしました。いつ自分たちにも同じことが起こるかもしれないと思いながら、祈るようにずっと車を走らせました。その日は人道回廊が発表され100台以上の車があったのは幸運でした。もしかするとそれで助かったのかもしれません。ロシア軍による検問はありましたが、幸いにも手を出されることはありませんでした。

住民たちが身を寄せ合って温かい料理を作っていた家の隣の格納庫で(写真:ヴァディム・ヤロシェンコ)

(私たちが脱出した後)、アパートには、友人も含めて数家族しか残っていませんでした。当時、街には通信手段がなかったのですが、彼らは後に、ロシア兵が軍用車を家のすぐそばに乗り付け、洗濯機、家電製品、蛇口、コンピュータ、テレビ、衣服など、持ち出せるものは何でも積み込んでいくのを見た、と話してくれました。ロシア兵はアパートからアパートへと侵入していった。まだ人がいるところだけ、そのままにしておいた。武器、食料、金、宝石が目当てです。私たちの団地には9階建てのビルが5棟あります。私たちのアパートには何も残っていなかったかもしれません。

ブチャを占拠した兵士達はのロシアの田舎から招集されて来た貧しい人々で、彼らの基準からすると豊かな私たちの生活(ブチャやイルペンは戦前のキーウの美しく裕福な郊外)に明らかに腹を立てていることが、見てとれました。彼らは、こんなものは見たことがない、私たちの生活水準に衝撃を受けていました。こうした羨望の念が、ロシアのプロパガンダに重なり、私たちはロシアの敵「ウクロプス(ウクライナ人の蔑称)」のレッテルを貼られ、そのためにさらに嫌われました。彼らはブチャでは誰も歓迎されなかったので、怒りと憎しみを、時間内に街を出なかった貧しいウクライナ人住民にぶつけたのです。」

追伸:ヴァディムは後日、以下のメッセージを当通信社に送ってきて、インタビューの本文に載せてほしいと頼まれた。「ソ連生まれの私は、ロシアがウクライナを攻撃するなんて、たとえ恐ろしい夢の中でも信じられませんでした。でも実際にやってしまった。この日、もし私がどこか外国にいて、テレビでホストメリ、ブチャ、イルペンが爆撃されているのを見たら、信じられなかっただろう…でも私はそこにいた、ブチャにいた、すべてを見たのです。第二次世界大戦中の軍隊が、ウクライナのアパートのドアを壊し、洗濯機やトイレを車に積み込んでいく古い映像を見たとき、信じられませんでした……。そして今、平和に暮らしていた人々の切断された死体やレイプされた女性たちを見ると、私の21世紀の人間の脳は、再びこの現実を信じようとしない。 今の私は、私と同じようにウクライナで今起こっていることに恐怖を感じるすべての人々を理解する準備ができています。しかし、それを見ていないからという理由で戦争犯罪を否定する人々を理解することはできません。ましてや、それを肯定する人たちを理解することはできません。」(原文へ

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【ジュネーブIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

アントニオ・グテーレス国連事務総長は2018年5月24日、大量破壊兵器や通常兵器、未来の兵器技術など、軍縮問題全範にわたる一連の実践的措置をまとめた「軍縮アジェンダ」を発表した。

このアジェンダのタイトルにもなっている「私たち共通の未来を守る」ための「行動1」は、「核軍縮のための対話を促進する」ことを目的としている。このアジェンダは、軍縮と不拡散が、国連憲章に謳われているように、人間開発にとって望ましい安全な環境作りに不可欠のツールであることを強調している。

Vienna International Center/ photo by Katsuhiro Asagiri
Vienna International Center/ photo by Katsuhiro Asagiri

軍縮教育は、核軍縮を推進するための重要な手段である。それゆえ、国連軍縮部(UNODA)の重要な優先課題は、そのさまざまな組織の支部を通じて実施されてきた多くの教育活動に協力することである。

この戦略は、軍縮部の任務の持続可能性と影響力を強化する取り組みの一環であり、ますます厳しさを増す軍縮及び国際安全保障環境の中で、信頼でき、幅広く、包摂的な軍縮教育が緊急に必要とされている状況に対応したものだ。

国連軍縮部ウィーン事務所は、このことを念頭に、初の「軍縮教育戦略」を2022年12月5日にウィーンで開かれた「仮発表」イベントで打ち出した。世界全体に向けた発表は2023年前半を予定している。

この戦略には、今後数年間、国連軍縮部が軍縮教育活動で推進する4つの主要分野の概要が示されている。国連軍縮部ウィーン事務所のレベッカ・ジョビン代表は、イベントでこれらの目標を発表し、UNODA独自の専門性や不偏性、さまざまな主体を糾合しつなげる力の点で同軍縮部が持っている軍縮教育分野の比較優位性について強調した。

ジョビン所長は、UNODAが数多くの教育の取り組みを同時並行的に進めると強調した。そうすることで、国連の内外におけるより広範な教育の取り組みと軍縮の側面を統合し、平和や安全保障、開発、人権、ジェンダー平等にとっていかに軍縮が重要であるかについて理解を広げていくことを目指す。

ジョビン所長はさらに、パートナーシップの中心的な役割と、軍縮教育分野を前進させるうえで関連するネットワークを生み出し、接続し、橋を架けることへの軍縮局への取り組みを強調した。

イベントには、オーストリア外務省軍縮・軍備管理・不拡散局長のアレクサンダー・クメント大使、ウィーン軍縮不拡散センター(VCDNP)のエレナ・ソコバ事務局長も加わった。

Staff of the UNODA Vienna Office were joined by Ambassador Mr. Alexander Kmentt for a group photo at a  reception celebrating the 10th anniversary of the Office
Staff of the UNODA Vienna Office were joined by Ambassador Mr. Alexander Kmentt for a group photo at a reception celebrating the 10th anniversary of the Office

クメント大使は、特に現在の激動する国際安全保障環境における軍縮教育の不可欠の役割を強調し、オーストリアが軍縮教育を長らく重視し、将来への大きな投資だと考えてきたと語った。また、この作業を進めるためにオーストリアがUNODAウィーン事務所に財政支援を行うことを発表し、軍縮教育におけるドナーの幅広い支援を呼びかけた。

ソコバ事務局長はつづけて、軍縮・不拡散の目標達成のため、国連の戦略を実行し、UNODAなどの主要なパートナーと協力することを表明した。とりわけ、伝統的な軍縮分野の外にいる主体と積極的に関わり、特定の対象者や文脈に見合った形で資源を動員しアプローチを採ることで、国際の安全の問題に対応するさまざまな主体や方法論、能力を糾合するコミュニティ・アプローチを採ることの重要性を強調した。

この発表イベントはまた、国連軍縮部ウィーン事務所発足10周年を祝うものでもあった。クメント大使は2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議を振り返った。

この時の会議で、オーストリアのミヒャエル・シュピンデルエッガー外相(当時)が国連軍縮部ウィーン事務所の誘致(及びVCDNPの設立)を打ち出した。軍縮・不拡散分野の専門性を高め、その他の軍縮部事務所との連携を密にし、ウィーンにおける能力構築の取り組みを強化することが狙いだった。

2022年にはまた、UNODAとストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が、軍縮・軍備管理・不拡散における責任感のあるAIイノベーションに関する初の世界的なプロジェクトが遂行された。これは韓国政府からの支援によってなされたものであった。

この協力の重要性は、責任感のあるAI利用に関する研究・実践が発展途上であるという点にある。AIを巡るガバナンスに対する望ましいアプローチとして専門家が論じていることは、それを重要なセクターを横断していかにして実践化していくか、多くの異なったアプローチをいかに調整していくか、そして、重要なことには、それを、民生技術の濫用・軍事転用のリスクを含めた、軍縮・平和・安全の問題にどう関連付けて理解するか、といった問題だ。

この空白を埋めるために、軍縮部・SIPRIプロジェクトは、軍縮・軍備管理・不拡散の取り組みに対する「初期の」貢献として責任感のあるイノベーションを促進し、AI分野の若い技術者たちをさらに関与させることを目指している。

2022年、プロジェクトは3つの主要かつ相互に関連した活動を行った。

Young AI practitioners shared their perspectives on the risks presented by AI, and strategies for mitigation.
Young AI practitioners shared their perspectives on the risks presented by AI, and strategies for mitigation.・UNODA

第一に、世界から集まった大学院修了クラスの若い技術者らが1週間のオンラインワークショップに参加した。双方向的かつシナリオを基礎としたセッションを通じて、大学院修了クラスの多様な集団が軍縮を巡る中核的な考え方に触れ、AIが軍縮に対してプラスにあるいはマイナスに作用しかねないケースについて認識を高め、AI開発に巻き込まれ影響を受ける他の利害関係者の役割や諸個人・組織の責任について考察した。

第二に、国連軍縮部とSIPRIは、AI技術者にとって世界最大の組織であり主要なフォーラムである米国電気電子学会(IEEE)が発行する「IEEEスペクトラム」誌に、AIコミュニティの盲点としての平和と安全に関する記事を発表した。この記事の中で著者は、民間に焦点を当てた責任あるAIの既存の取り組みを平和と安全保障、軍縮、軍備管理、不拡散の懸念と結びつけ、可能なアプローチをモデル化するワークショップの成果を基にした取り組みを試みている。

UNODA

第三に、このプロジェクトは、若い技術者に対する教材の策定・トライアルの場としても機能し、その後ファクトシートやスライド、動画付きプレゼンテーションといった複数のフォーマットの教材に発展している。これらは現在、国連軍縮部の教育関連ウェブサイトで利用可能だ。(原文へ

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国連平和維持活動の犠牲者が続出

【国連IDN=タリフ・ディーン

国連の平和維持要員は、国連で最も危険な仕事の1つとされ、進行中の軍事紛争や紛争後の地域で日常的に命を危険に晒してしている。

国連職員組合が20日に発表した数字によると、2022年には少なくとも32人の国連平和維持要員(女性警察官1人を含む軍人28人、警察官4人)が「意図的な攻撃」で死亡している。

その内訳は9年連続で「国連マリ多次元統合安定化ミッション(MINUSMA)」が14人と最も多く、次いで「国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)」で13人、「国連中央アフリカ共和国多次元統合安定化ミッション(MINUSCA)」で4人、「国連レバノン暫定軍(UNIFIL)」で1人が殉職している。

2022年に死亡した平和維持要員の国籍別内訳は、バングラデシュ(3人)、チャド(4人)、エジプト(7人)、ギニア(1人)、インド(2人)、アイルランド(1人)、ヨルダン(1人)、モロッコ(1人)、ネパール(1人)、ナイジェリア(2人)、パキスタン(7人)、ロシア連邦(1人)とセルビア(1人)である。

Image credit: United Nations
Image credit: United Nations

職員組合によれば、過去12年間に手製爆弾、ロケット推進擲弾筒、砲撃、迫撃砲弾、地雷、武装・連続待ち伏せ、車列攻撃、自爆攻撃、標的暗殺などの意図的攻撃で死亡した国連および関連職員は少なくとも494人となる。

UN Soldiers in Eritrea” by Dawit Rezene Licensed under CC BY-SA 1.0 via Wikimedia Commons
UN Soldiers in Eritrea” by Dawit Rezene Licensed under CC BY-SA 1.0 via Wikimedia Commons

その以前の殉職者数は以下の通り:2021年(25人)、2020年(15人)、2019年(28人)、2018年(34人)、2017年(71人)、2016年(32人)、2015年(51人)、2014年(61人)、2013年(58人)、2012年(37人)、2011年(35人)、2010年(15人)

「平和維持要員と、彼らと肩を並べて活動する文民要員は、世界で最も厳しい環境において、国連の活動の最前線にいます。2022年に命を奪われた32人の同僚を偲び、その死を悼みます。」と、国連職員組合会長のアイター・アラウズ氏は語った。

アラウズ氏はまた、「国連職員に対する悪意ある攻撃の一つ一つが、多国間協力体制の柱の一つである平和維持活動に打撃を与えています。国際法の下で戦争犯罪を構成しかねないこうした凶悪行為に対する説明責任を確保するための適切なメカニズムを整備することは、国際社会の連帯責任です。従って、2022年に平和維持要員に対する犯罪の責任を追及する有志国グループが発足したことに勇気づけられました。この問題に対する加盟国の強いコミットメントが、現場での具体的な成果につながることを期待しています。」と語った。

2021年7月1日から2022年6月30日の会計年度に承認された国連平和維持活動予算は63億8000万ドルだった。

この金額は、国連・アフリカ連合ダルフールハイブリッド作戦(UNAMID)の清算予算を含む12の国連平和維持ミッションのうち10のミッションに資金を提供し、アフリカ連合ソマリアミッション(AMISOM)の後方支援を行い、ブリンディジ(イタリア)のグローバルサービスセンターとエンテベ(ウガンダ)の地域サービスセンターを通じてすべての平和活動への支援、技術、後方支援を提供するものである。

残りの2 つの平和維持ミッション、国連休戦監視機構(UNTSO )と国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)は、国連通常予算で賄われている。

国連によると、平和維持要員は、世界で最も脆弱な政治・安全保障状況の中で、何十万人もの弱い立場の人々を守るために働いている。

平和維持ミッションの文民・制服組は、停戦の支援、暴力の防止と対応、人権侵害と虐待の調査、多くの紛争被害国における平和、復興、開発の構築に貢献している。

「彼らの存在によって人々の命が救われ、人生が変わったことは間違いありません。」

5月29日の「国際連合平和維持隊員の日」は、「1948年以来、国連旗の下で活動してきた100万人以上の隊員の奉仕と犠牲を悼む機会である。また、平和のために命を落とした4000人以上の平和維持要員の貢献を讃える機会でもある。」と国連は述べている。

最初の2つの国連平和維持活動の創設は、1948年に遡る。国連休戦監視機構(UNTSO)と国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)である。

1970年代に中東の平和維持活動に従事した元国連職員は、IDNの取材に対して、いくつかの手当とともに「地域調整給」を受け取ることができたと語った。

基本給に加え、任地での生活費と米ドルの為替レートに応じて変動する「地域調整給」が支給された。

さらに、平和維持要員は以下のすべて、あるい は一部を受け取っている。

  • 新任地で家賃が報酬全体に占める割合が高い場合の家賃補助
  • 扶養義務のある配偶者や子供が任地にいる場合、扶養手当が支給される。
  • 一定の条件の下で、学校に通う子供がいる場合、教育補助金が支給される。
  • ある任務地から別の任務地へ移動する際の旅費と船賃。
  • 新しい任務地に到着または移転する際の初期臨時経費を援助するための赴任手当。

一部の勤務地では、生活・労働条件に関連したハードシップ手当が支給される。家族の帯同が制限されている場合、単身赴任ハードシップ手当も支給される。

「危険手当」、休養、療養休暇は、特に危険でストレスが多く、困難な状況下にある場所で勤務する場合に支給される。

国連によると、危険手当は、戦争や活発な敵対行為など非常に危険な状況が支配的で、家族や職員の避難が行われた勤務地に留まり出勤するよう要請された職員に与えられる報酬の一形態である。

国際公務員委員会(ICSC)委員長は、安全保障局事務次長の勧告に基づき、勤務地への危険手当の適用を認可する責任を負う。

この認可は通常、一度に3ヶ月までの期間であり、継続的な見直しが行われる。危険手当の適用は、危険な状況が緩和されたと判断された場合に解除される。

一方、1月22日正午の記者会見で、国連のステファンドゥジャリク報道官は、1月23日が国連平和維持の75周年にあたると指摘した。

「平和維持部門の同僚達は、この機会に『平和は私から始まる』をテーマにしたキャンペーンを立ち上げています。」

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

「このキャンペーンは、紛争下のコミュニティが直面する課題への理解を促進し、平和維持活動の価値と影響を実証し、平和のための世界的な運動の結集を呼びかけるものです。」

「1948年以来、125カ国の平和維持要員が世界71カ所の作戦に従事し、過去75年間で4100人以上の平和維持要員が国連の旗の下に命を捧げました。」

「このキャンペーンは、私たちが彼らの犠牲を思い起こし、彼らの犠牲を追悼する機会を提供するものです。」とデュジャリック報道官は語った。

国連職員組合国際公務員の安全と独立に関する常任委員会が作成した2022年の意図的な攻撃に関する詳細なリストは、担当のヴィクラム・スラ氏より入手可能である。(原文へ

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|視点|カザフスタンが今年、アスタナ国際フォーラムを開催する理由(カシム=ジョマルト・トカエフ カザフスタン共和国大統領)

【アスタナINPS Japan/アスタナタイムズ】

二極化が進む世界において、カザフスタンはしばしば東と西、北と南をつなぐ架け橋の役割を担っています。これは、わが国のユニークな歴史と地理が生み出したものです。何世紀もの間、カザフスタンは文化が邂逅する場所であり、人々の間に多様性だけでなく、真の相互尊重の精神が育まれてきました。だからこそ、グローバルな協力という価値観が自然に生まれてくるのです。この精神に基づき、私たちは独自の「マルチ・ベクトル外交」を構築し、長年にわたって成果をあげてきました。

President of Kazakhstan Kassym-Jomart Tokayev./ Astana Times

グローバルな諸課題に直面する中、カザフスタンが、対話、貿易、多国間主義、そして意見交換を支持しグローバルな協力を推進していく立場に変わりはありません。わが国は引き続き国際法を順守し、世界各国との建設的な関わりを追求していきます。このような観点から、私たちは、グローバルなレベルで多国間主義の文化を再構築するためのツールとなる新たな国際会議「アスタナ国際フォーラム」を立ち上げました。最も重要なことは、このフォーラムが、しばしば過小評価されがちな声を増幅させる新たな手段を提供することにあります。

アスタナ国際フォーラムの特徴は、世界の中堅国家(ミドルパワー)が今日の諸問題に対する見解や立場を議論し、その解決策を提示する場を提供する点にあります。

私たちがフォーラムで取り組む最初の課題は、外交政策、安全保障、持続可能性に関わるものです。現在、世界の平和と安定が、世界の主要な大国間の緊張によって脅かされていることは、誰もが知っていることです。一方、核軍縮や難民問題など他の国際問題も、不安定な国際システムや同盟関係にとって重圧となっています。さらに、多くの国々における国家主義(ナショナリズム)やポピュリスト運動の台頭は、引き続き国際関係を複雑にし、グローバルな協調対応を必要とする問題において共通認識を見出すことをますます困難にしており、長期的な問題に対して持続不可能な短期的解決に向かうリスクが高まっています。だからこそ、人類の集団的な未来を守り、正しい方向性を示すために、私たちがフォーラムに集うことが重要なのです。

Photo: Celebrations on the Day of the Capital City of the Republic of Kazakhstan. Credit: expo2017astana.com
Photo: Celebrations on the Day of the Capital City of the Republic of Kazakhstan. Credit: expo2017astana.com

世界的な協調を必要とする2つ目の課題は気候変動です。その影響は、海面上昇、異常気象、生物多様性の損失など、地球 に壊滅的な被害をもたらしています。一方、化石燃料に依存する世界では、温室効果ガスの排出削減や気候変動への対応がますます困難になってきています。一方で、エネルギー安全保障の確保やエネルギー転換において、石油・ガス産業が果たす重要な役割を見過ごすことはできません。エネルギー転換は複雑な問題であり、途上国が取り残されないよう、慎重に取り組まなければなりません。

最後に、新型コロナウィルス感染症のパンデミックにより、世界的に急激な景気後退が起こり、多くの国、企業、個人が苦境に立たされています。さらに、所得格差の拡大や世界の主要国間の貿易摩擦の進行も、世界経済に不安定さをもたらしています。第3の課題は、経済と金融に焦点を当て、これらの経済、環境、安全保障の課題に対して、グローバルに協調して対応する必要性を強調しています。

Map of Kazakhstan
Map of Kazakhstan

これらの課題は、一見困難なように見えますが、これは同時に国際社会が協力して共に前進する機会とも捉えることができます。国際社会が協力することで、アスタナ国際フォーラムでこれらの課題に取り組み、すべての人にとってより安定し、公平で、豊かな世界の実現に貢献することができるのです。

私は、これらの課題に対する実行可能な解決策を見出すために、この夏、官民両部門のグローバルリーダーをアスタナ国際フォーラムにお迎えすることを楽しみにしています。強力かつ包括的な国際協力を通じて、新たな道を見出すために結集しようではありませんか。(原文へ

INPS Japan

この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

JIBEK JOLY NEWS / Жібек жолы жаңалықтары

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この記事は、ロシアの独立系メディア『ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ』が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【Novaya Gazeta Europe=レオニード・ゴズマン

ウラジーミル・プーチン大統領は、米国に勝ち、ロシアがリーダーとなる新たな世界秩序を確立することが自分の使命だと考えているのだろう。しかし、彼は間違っている。彼の使命はロシアを滅ぼすことだったのだ。そして彼はそれをやってのけた。これで、彼は安心して引退できるはずだ。

実際、プーチン大統領はロシアを壊すことしかやっておらず、それ以外のことは何もできていない。落ち込み続ける経済、減り続ける人口、技術開発の遅れの深刻化、徹底的な偽善―これらはすべて彼の統治の結果だ。戦争も、ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンの絵画『戦争の結末』を彷彿とさせるような大量虐殺もそうだ。

彼はロシアを破壊した、そうだ。私たちが生まれ育った国は、もう存在しないのだ。
The Apotheosis of War/ By Vasily Vereshchagin - Own work, User:Anagoria, Public Domain
The Apotheosis of War/ By Vasily Vereshchagin – Own work, User:Anagoria, Public Domain

国は領土ではなく、それ以上のものだ。土地はどこへも行かないし、人びとも基本的にはそこに留まるだろう。今日でもロシアからの脱出者は多数派ではない。 国とは、文化であり、生活様式であり、アイデンティティであり、世界における在り方である。国とは、現在と過去をつなぐもの、つまり連続性であり、未来とは、現在のものとかつてのものの両方を指すのだ。

我が国ロシアは、過去に一度、ボルシェビキによって破壊され、消滅しかけたことがある。彼らが十月革命を起こした後には、ある種の無分別なことがまかり通る国になってしまった。しかし、それは、イワン雷帝の治世の時のようなロシア史の最も病的な時期を除けば、ロシアという国家や文化、歴史にはもう何の関係もない。それは、ロシアの歴史と文化の両方を否定し、かつての国を象徴する人々を殺害し追放した。1917年以前に亡くなった人々の記憶を忘却へと追いやり歪曲させたのだ。その後、何十年にもわたって長く苦しい復活劇が繰り広げられたが、完全に復活することはなかった。

今日、それとよく似たことが起きている。つい最近までは、「ロシア」という言葉には、良いイメージも悪いイメージも含まれていた。独裁者ヨシフ・スターリンや強制収容所を思わせる一方で、ロシアの文化、宇宙への飛躍、勝利も連想させた。しかし、それもすべて過去のことだ。かつて「ドイツ」や「ドイツ人」という言葉が、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテや偉大なドイツの科学者ではなく、ナチス親衛隊や狂気のアドルフ・ヒトラー総統、アウシュヴィッツやトレブリンカの焼却場を連想させたように、今日では「ロシア」という形容詞にふさわしいのは、死、破壊、侵略、嘘だけだ。しかも、それは長期にわたっている。

国がなくなってしまった。それだけではない。80年代後半から築いてきたものすべてが破壊されてしまった。ロシア文化はなくなってしまった。そう、ミラノスカラ座のシーズンはモデスト・ムソルグスキーで幕を開け、アントン・チェーホフは世界中のあらゆる劇場で上演されている。かつて、彼らの名の背後には偉大なロシア文化と呼ばれたものが想起されていたかもしれない。しかし今では、詩人のアレクサンドル・プーシキンや作曲家のピョートル・チャイコフスキーは、何かしらの文化的な土壌とは無関係に、彼らの名だけで存在しているかのようだ。それらは存在するが、その背後には何もない。

ロシア軍ももはや存在しない。あるのは、ウクライナに死をもたらす危険な武装集団だ。軍隊は自国を守るのであって、指導者の漠然とした幻想を叶えることのほかに何の目的もないので、隣国で悪事を働くものではない。現代的な軍隊というのは統一されているものであり、私兵で構成されているものではない。現代的な軍隊には規律があり、行き過ぎた行為もあるが、強姦や略奪をした兵士は罰せられる。ほしいままに街を略奪させ、犯罪者の部隊に衛兵の称号を与えて鼓舞するなどしない。

217th Guards Parachute Landing Regiment 98th Airborne Division (during the first open rehearsal in Alabino)/ The Apotheosis of War/ By Vasily Vereshchagin - Own work, User:Anagoria, Public Domain
217th Guards Parachute Landing Regiment 98th Airborne Division (during the first open rehearsal in Alabino)/ The Apotheosis of War/ By Vasily Vereshchagin – Own work, User:Anagoria, Public Domain

ロシアという言葉は、ピョートル大帝から巨大な軍事力を想像させてきた。今プーチンは、巨大な力など何もないことを全世界に見せつけた。これはロシアの安全保障の観点からしても、すでに危険な状態なことだ。スターリンの冬戦争(フィンランドへの攻撃)の失敗が、ヒトラーのソ連侵攻を促した。NATOの脅威というのはもちろんロシア当局が考え出したことだが、中国やタリバンといった方面からの脅威も非常に現実的だ。近隣諸国が決定的な行動をとり可能性が高くなっている。しかしロシアは、かつては(世界にとっても)軍事的に強い国だったのだが、今はどれだけ奇跡の兵器を描いて見せそうとも、軍事パレードをしようとも、どんな侵略者でも侵入できる領土があるだけだ。

実はロシアには大統領もいない。彼は選挙で選ばれたことに正統性がないと言っているのではない。大統領、王、スルタンというのは、秩序(必ずしも憲法で定められたものではないにせよなんらかの秩序)を維持し、諸外国や自国の人々とコミュニケーションをとる人物のことだ。ロシアの秩序は、憲法と同様、とっくになくなっている。火事が起き、下水管が破裂して汚物が噴出し、公約は何一つ果たされていない。

さらにプーチンはコミュニケーションを拒否している。例えば、G20では、世界に自身の正当性を説明する絶好の機会であったにもかかわらず、参加しなかった。記者会見や憲法で定められた連邦議会での教書演説も取りやめ、新年を迎えるレセプションも中止するなど、彼は自国民とも交流したがらない。つまり、自分に「忠実な人たち」にさえ声をかけようとしないのだ。

クレムリンから、あるいは未知の場所にある地下壕から、誰かが命令しているのだが、大統領はいない。
Leonid Gozman, the co-leader of the Russian Right Cause party in 2008-2011./By Pete Souza of the Official White House Photostream, Public Domain
Leonid Gozman, the co-leader of the Russian Right Cause party in 2008-2011./By Pete Souza of the Official White House Photostream, Public Domain

こうしたことは、ロシア国民だけに起きたわけではない。 プーチンとヒトラー、または、今日のロシアとナチス・ドイツを比べることはあまりにも明白すぎて表層的だし、多くの人がうんざりしていることは私も理解している。けれど冗談ではないのだ。見てみてほしい、行為もレトリックも驚くほど似通っているのだ。 ロシアは今、1944年のドイツ第三帝国に最もよく似ている。その時点では、ヒトラー総統の軍事的敗北はまだ先のことだが、世界が何百年にもわたって知っていたドイツとドイツ文化はすでに消失していたのだ。

そしてこれは奇妙かもしれないが楽観的なアナロジーでもある。ドイツは復活したのだ、何の保証もないが、ロシアにもできるかもしれない。 2022年10月、ロシア国内で開催されたバルダイ会議で、プーチンは「我われにとって、ロシアなき世界などなんのためになるのか。」と発言した。そうして、「ロシアなき」世界が、2022年にウラジーミル・プーチンの尽力のおかげで出現したわけである。(原文へ

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レオニード・ゴズマン。ロシアのリベラル派政治家。レニングラードで生まれ。元モスクワ大学教授。2008年から2011年6月まで政党「ジャスト・コーズ」の共同代表を務めた。2014年9月、声明文に署名し、「ウクライナ領土からロシア軍を撤退させ、ウクライナ南東部の分離主義者へのプロパガンダ、財政、軍事支援を停止すること。」を訴えた。2021年から22年の露・ウクライナ危機の際にも22年1月に反戦の署名をしている。

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小さな団子「モモ」の冒険:ネパールの神話やキャラクターが、国際的な児童書の題材となる

The Nepali Times

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。主人公の「モモ」はネパールをはじめチベット圏で一般に食べられている小籠包に似た肉まんをモチーフにしたキャラクター。

【カトマンズNepali Times=サヒナ・シュレスタ】

ネパールの高地ヒマラヤで、小さな団子の子どもモモは、目を覚ますと雄大な山々を目にする。ある峰に登るために冒険をしていたモモは、家族からハガキで、ワクワクするような冒険を約束する異国への旅への招待状を受け取る。

Photos: MOMO AND UNCLE YETI
上記の写真をクリックして、絵本を閲覧できます。
Photos: MOMO AND UNCLE YETI

こうしてモモは、ニューヨークのさまざまな食べ物を食べに行ったイエティおじさんを探す旅が始まった。

ワシントンDC在住のネパール系アメリカ人作家シバニ・カルキさんは、モモのビッグアップルへの旅を新しい絵本『モモとイエティおじさん:ニューヨークの冒険』で表現している。彼女の詩的な文章に、アーティストオレグ・ゴンチャロフ氏の壮大なイラストが添えられ、子どもから大人まで楽しめる一冊に仕上がっている。

「この本は、ネパールから米国に渡った私自身の旅と、旅行、おいしい食べ物、文化、家族など、人生で好きなもののいくつかを表現しています。」と、11歳のときに渡米したカルキさんは語った。

新しい国というのは、新しい人々、新しい経験、そして2つの文化の間で暮らすことを意味します。それはまた、彼女自身のネパールらしさとつながり、共有する機会でもあった。そして、カルキさんがそれを実現する方法のひとつが、食を通じたものだ。

移民なら誰もが知っているように、食べ物は人を故郷に近づけてくれる。食べ物によって、人は新しい友人を作り、恋人を作り、新しい国を理解し、故郷の思い出に浸ることができる。

「ここニューヨークでは、モモ・パーティーは、ネパールよりも頻繁に開催しています。食べ物以上に、ネパール人はモモに思い入れがあります。モモ・パーティーは、友人や家族と一緒に集い、語らい、絆を深める機会なのです。」とカルキさんは語った。

Photos: MOMO AND UNCLE YETI
Photos: MOMO AND UNCLE YETI

神話が好きなカルキさんは、イエティを登場人物の一人として登場させなければならないと思っていた。しかし、カルキさんの描くイエティおじさんは、決して怖い存在ではない。陽気で、飽くなき探究心を持ち、新しい街で迷子になりながら、新しいおいしい食べ物を探すのが大好きなのだ。

Photos: MOMO AND UNCLE YETI
Photos: MOMO AND UNCLE YETI

多くのネパールの子どもたちと同じように、カルキさんも家庭で本の文化に育たず、読書の習慣が身についたのはアメリカに渡ってからである。書店の児童書コーナーで、色とりどりの絵本に目を通すのが日課だった。

しかし、そこに欠けていたのは、自分のような人間が共感できるような人生経験や文化を持った登場人物が描かれていないことだった。

カルキさんはコロンビア大学在学中の2016年、「モモとイエティおじさん」の物語を書き始めた。しかし、彼女がようやく腰を据えてそれを本にまとめる機会を得たのは、新型コロナウィルス感染症のパンデミックが発生してからだった。

韻を踏むのは家族に任せるとして、イラストを描いてくれる画家を探すのに苦労したそうだ。イラストレーターとのいくつかのコラボは、作風が彼女の求めているものではなかったため、失敗に終わった。そんなとき、ファーマーズマーケットで出会ったデザイナーのラリー・イッサさんが、イラストレーターのオレグ・ゴンキャロフ氏に声をかけてくれた。

しかし、そこにはある問題があった。ゴンチャロフ氏は英語が話せず、ロシア占領下のクリミア半島に住んでいた。そこで、2人の会話はすべてGoogle翻訳を使って行われた。二人のコミュニケーションで苦労したことは、この本を読んでもわからない。

『イエティとモモ』の物語は、私にとってまったく新しい経験でした。私は12年以上、本の挿絵を描いていますが、おとぎ話のキャラクターが街の名所を旅するようなプロジェクトはまだ手がけていませんでした。そこで、モモやイエティおじさん以外にも、素敵な生きものを加えようというアイデアが生まれました。そして、ドラゴンや妖精などが本のページに登場することになったのです。このアイデアをシバニさんが支持してくれたことが、とても嬉しかった。」とゴンチャロフ氏は語った。

カトマンズやニューヨークの空港やランドマークをリアルに描き、動物と人間を同化させるなど、ゴンチャロフ氏の華麗なイメージは、カルキさんの言葉に新たな一面を加えている。

「姪のカイアとヤラとの経験から、子どもは本の中の小さな登場人物に惹かれることがあると知っています。大きな主人公よりも、小さなてんとう虫のほうに目がいくのです。児童書ですから、すべてが理にかなっている必要はありません。擬人化したのは、動物と人間の一体感を表現するためでもあります。」

仲の良い家族の出身なので、本の中には親戚の名前が散りばめられている。プラミラ・スーン・パシャルは母親、シャム・チア・パシャルは父親の名前から取ったものです。兄、義姉、夫、姪の名前も登場する。

カルキさんは現在、世界銀行でジェンダーの専門家として働いているが、この本には彼女が情熱を注いでいる他の側面も盛り込まれている。モモがイエティおじさんを探しに行くタイムズスクエアでは、通常の広告の中に、ジェンダー平等、包摂性、ポジティブといった社会的メッセージがちりばめられている。

Photos: MOMO AND UNCLE YETI
Photos: MOMO AND UNCLE YETI

ピンク色の頬に好奇心旺盛な大きな瞳を持つカルキさんの「モモ」は、新しい場所を発見すること、新しい食べ物を食べること、パズルを解くことが好きで、性別に関係なく楽しむことができる。「冒険というと、男の子というイメージがあります。でも私は、子どもたちがページの中に自分自身を見て、キャラクターとつながってほしいと思っています。だから、モモは彼でも彼女でもなく、ただのモモなんです。」と語った。

Photos: MOMO AND UNCLE YETI
Photos: MOMO AND UNCLE YETI

ニューヨーカーは無愛想だと言われますが、この街の多様性にはコミュニティーの感覚も備わっている。それは、モモがイエティおじさんを探して街を駆け回る姿からも伝わってくる。

冒険心や食欲、旅行意欲、家族への感謝、異文化への寛容さなどを織り込みながら、ヒマラヤとニューヨークの高層ビル群が、世界中のネパール人だけではなく、ネパールになじみのある人たちにも親しみやすい作品に仕上げている。

この本はAmazonやmomoandyeti.comで購入することができる。近日中にネパールで発売予定。(原文へ

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核戦争から世界を救った男

この記事は、Ground Zero Centerが配信したもので、同団体の許可を得て転載しています。

【ポールスボ/ワシントンIDN=グレン・ミルナー、レオナルド・アイガー】

核兵争の可能性がキューバミサイル危機のときと同じくらい高い今、私たちは1962年のまさにその危機の最中に、米軍の水上艦に対する核攻撃を阻止したソ連の潜水艦将校、ヴァシーリー・アルヒーポフの物語を思い出すことが重要である。

その時、ソ連の潜水艦がたった1発の核兵器でも使用していたならば、地球規模の核の応酬が引き起こされていただろう。

This U-2 reconnaissance photo showed concrete evidence of missile assembly in Cuba. Shown here are missile transporters and missile-ready tents where fueling and maintenance took place.・By CIA - ImageTransferred from en.wikipedia, Public Domain
This U-2 reconnaissance photo showed concrete evidence of missile assembly in Cuba. Shown here are missile transporters and missile-ready tents where fueling and maintenance took place.・By CIA – ImageTransferred from en.wikipedia, Public Domain

1962年秋、ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は、キューバに中距離弾道核ミサイルの配備を秘密裏に開始した。1962年10月22日、ジョン・F・ケネディ大統領は、キューバに向かう敵性軍事貨物を海上で「検疫」するよう米海軍に命じた。同日、中央情報局(CIA)のジョン・マコーン長官は、4隻のソ連潜水艦が1週間以内にキューバに到達する位置にあるとケネディ大統領に報告した。

ソ連軍のフォックストロット級潜水艦4隻は、通常魚雷と15キロトンの核弾頭を搭載した「特殊魚雷」1本を装備していた。核魚雷の発射には、モスクワとの通信が不可能な状況下では、艦長と政治委員2名の同意が必要であるとされていた。しかし、B-59潜水艦では、アルヒーポフが小艦隊の司令官兼副艦長であったため、核魚雷発射を許可するためには、同乗士官3人(艦長、政治将校、副艦長)全員の合意が必要であった。

1962年10月27日、米国海軍の空母ランドルフおよび駆逐艦11隻からなる艦隊が、キューバ付近でソ連の潜水艦B-59を発見した。公海であるにも関わらず、米艦隊は信号弾(潜水艦を浮上させて識別するための演習用爆雷)の投下を開始した。

この時、ソ連の乗組員は数日前からモスクワと連絡が取れなくなっていたところに、米軍の爆雷から逃れるため深度を下げて航行した結果、米国の民間ラジオ放送さえ傍受できなくなり情報が完全に遮断された状態に陥った。さらに潜水艦のバッテリーが極度に低下し、エアコンが故障したため、艦内は猛暑と高濃度の二酸化炭素が発生していた。

この極限状態の中で、潜水艦の艦長であるヴァレンティン・サヴィツキーは、戦争はすでに始まっているかもしれないと判断した。サヴィツキー艦長は、自艦の周囲で米軍の爆雷が爆発すると、核魚雷の武装を命じ、発射まであと数分というところまで来た。

ソ連情報部の報告によると、B-59内で口論となり、アルヒーポフが一人で発射を阻止した。結局、アルヒーポフはサヴィツキー艦長を説得し、米海軍の艦隊の中で浮上し、モスクワからの命令を待つことになった。

当時、米側はソ連潜水艦が核武装していることを誰も知らなかった。潜水艦内の状況が物理的に厳しく不安定で、米軍からの攻撃を恐れた指揮官が核魚雷の武装・発射を検討する可能性があることも誰も知らなかった。

Chief of Staff of the 69th Submarine Brigade Captain Second Class Vasily Arkhipov.
Chief of Staff of the 69th Submarine Brigade Captain Second Class Vasily Arkhipov.

1962年11月2日、ケネディ大統領は、キューバにあったソ連の核ミサイル基地の撤去について演説を行った。その後、数カ月でソ連の核兵器はキューバからすべて撤去された。

奇しくもキューバ危機は、ソ連と米国の合理的なリーダーシップの勝利であったと多くの歴史家は見ている。しかし、ソ連と米国のリーダーシップによって、世界は滅亡の危機に瀕し、たった一人のソ連海軍将校によって阻止されたのである。

最終的にケネディとフルシチョフは、ソ連がキューバからミサイルを撤退させる代わりに、トルコから米国の核武装ミサイルを撤退させることに合意し、膠着状態を解消するために誠実に交渉した。しかし、アルヒーポフが米軍艦への核魚雷発射を防がなければ、両首脳が危機を平和的に解決するチャンスはなかっただろう。

今日、米国では、何百人もの個人が、政府の検証された権威者の命令で核兵器を発射するという重大な責任を担っている。オハイオ級弾道ミサイル潜水艦「トライデント」(最大10隻が常時巡回中)の場合、ロシア有事の際に1隻以上の潜水艦が通信を受信できない可能性が、わずかながらでもあるのだ。

そのような状況下で、20基のトライデントII D-5弾道ミサイルを発射するかどうか、不安な士官たちは悩むだろう。それぞれのミサイルには平均4-5個の核弾頭が搭載されており、その破壊力は広島原爆1200個分以上に相当する。

もしそのような事態に陥った場合、核戦争がまだ始まっていなければ、文明を終わらせる火種になるであろう発射の手続きを取る前に、アルキポフ氏の勇気ある行動に思いを馳せてほしいと願うばかりである。

現在のウクライナの危機―ロシアの継続的な核の暴言、北大西洋条約機構(NATO)のロシア包囲網と圧力、米国と同盟国がウクライナに提供する武器のますます危険なエスカレーション、戦術的誤算の高い可能性―を考慮すると、事故または故意による核使用の可能性は否定できないし、否定してはならない。

A Trident missile-armed Vanguard-class ballistic missile submarine leaving its base at HMNB Clyde./ Wikimedia Commons.
A Trident missile-armed Vanguard-class ballistic missile submarine leaving its base at HMNB Clyde./ Wikimedia Commons.

人類を滅亡から救うためには、冷静な判断が必要であり、そのためにアルヒーポフの行動の重要性はかつてないほど高まっている。

もしアルヒーポフが存命ならば今年の1月30日に97歳の誕生日を迎えていただろう。アルヒーポフは、1980年代半ばに副提督を退官し、1998年8月19日に死去した。

私たちは世界市民として、核保有国に対して人類滅亡の瀬戸際から引き下がるよう要求し、核兵器が記憶の彼方に消える日を目指して共に行動していけますように。未来の世代にこの世界を引き継げるよう、人的・経済的資本を投入してお互いに協力し合っていけますように。(原文へ

INPS Japan

*この記事は、キューバ危機のさなか、ソ連潜水艦B59に同乗し、核ミサイルの引き金を引くかどうかの究極の判断を迫られた3人の責任者の内、唯一反対したヴァシーリイ・アルヒーポフに関するものだが、アルヒーポフはその1年前に原子炉で火災を起こしたソ連海軍最初の潜水艦発射弾道ミサイルを装備した原子力潜水艦K-19にも副艦長として乗船していた。その時の経験が、キューバ危機に際して核ミサイルの発射に断固反対したアルヒーポフの判断に影響したと考えられている。ちなみに、この原子力潜水艦事故については、ノンフィクション作品『K-19:未亡人製造艦』(ハリソン・フォード、リーアム・ニーソン主演)が製作されている。https://www.youtube.com/watch?v=lZIFPBPxHzY

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ゴルバチョフは世界を変えた

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ラメッシュ・タクール】

多くの人は、家族の衣食住を確保し、教育を与え、子どもが社会階層のはしごを一段上がることを助け、人生のたそがれには快適な退職生活を送りたいという控えめな願望を持っている。しかし中には、もう少し上を望み、人類の活動の中で自分の選んだ分野に足跡を残したいと考える人もいる。さらにその中でも、「世界を変えた」と言える人はほんの一握りしかいない。

ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ(1931-2022)は、そのように称賛される一握りの一人だった。彼は、1989年から1990年にかけて、旧ワルシャワ条約機構加盟国が独立を回復し、ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一されたとき、一発の銃弾も伴わず冷戦を終わらせた人物として、海外では尊敬の念を集めた。ソビエト軍はアフガニスタンから撤退した。彼は軍拡競争を軍縮へと導き、何万もの核兵器を解体した。ヘンリー・キッシンジャーはBBCに対し、このように語った:「東欧の人々、ドイツの人々、そして結局ロシアの人々も、彼の先見の明に、自由の概念とともに前に進む勇気に、たいそう感謝しなければならない。彼は、人類に偉大な貢献を成した」。(原文へ 

しかし、ゴルバチョフは、本国ではグラスノスチおよびペレストロイカの政策のために非難された。それらは、全体主義的な抑圧のくびきから人々を解放し(彼の祖父は二人とも、スターリンの粛清のもとで投獄された)、構造的な経済改革を始めるために構想されたが、硬直化したソ連を破壊し、二つの大陸にまたがるその帝国を解体し、ロシア人の国を縮小させ、ロシア人たちをみじめにし、自信を失わせた。ロシアの情報機関の退役大佐であるイゴール・ガーキンは、ゴルバチョフを「永遠の恥辱」がふさわしい「裏切り者」と称した。

それでも、全てを勘案してみると、また、世界各国のリーダーによる、数多くの非常に好意的な追悼において認められているとおり、ゴルバチョフはソ連の最後のリーダーであった7年間足らずの短い任期(1985年~1991年)において、20世紀後半の最も影響力のある政治家だった。 我々の時代のもっとも残念な「たられば」の一つは、西側が、新しいヨーロッパの秩序、核秩序および世界の秩序を創造するための全面的なパートナーシップを求めた彼の申し出を受けなかったことだ。

新世界秩序(new world order)という言葉は、ゴルバチョフが1988年12月7日の国連総会における演説で最初に用いた。アメリカ大統領ジョージ・ブッシュより1年以上前のことである。それは、あらゆる人々にとって、かつてはポスト冷戦時代のよりよい世界への希望と願望を込めた楽観的な概念であったが、今では、技術、経営や金融を牛耳るグローバルエリートのルールを大衆に押し付け、中流階級を縮小させ、主権を空洞化させようとする信用されない試みとして、不遇の評価を受けている。ゴルバチョフの演説の衝撃は、ウォルター・アイザックソンによる、1988年12月19日付の『TIME』誌における長大な分析記事によく捉えられている。アイザックソンが「説得力があると同時に大胆」と評したゴルバチョフの先見の明とは、法の支配に基づく国家同士の国際的なコミュニティー、NATOやワルシャワ条約機構のような安全保障同盟の陳腐化、ロシア人と西欧人が共通の故郷とするヨーロッパを基盤とする汎ヨーロッパ的な安全保障の枠組み、そして、「剣を鋤の刃に」と言われるとおり軍備から国内需要へと、資源および優先順位をシフトすることだった。

ゴルバチョフは、1986年10月11日および12日にレイキャビクで行われた2度目の歴史的会談で、アメリカ大統領ロナルド・レーガンに会った。1984年1月の一般教書演説において、レーガンは直接ロシア国民に語りかけた :「われわれ二つの国が核兵器を保有していることの唯一の価値とは、それらが決して使われないようにすることです。しかしそれならば、核兵器を全部なくしてしまうほうが良いのではないでしょうか?」

レーガンは、1985年11月のゴルバチョフに宛てた手書きの書簡において、核兵器の最終的な撤廃に向けての決意を新たにしている。ゴルバチョフは、翌年1月、1999年末までに「核兵器を完全撤廃するための前例のない計画」という言葉でこれに応答し、その計画に次いで、「核兵器は二度と復活させてはならないという・・・全世界の合意」が得られるかもしれない、と述べている。

両首脳は、レイキャビクでの画期的な核兵器管理アジェンダについて、側近、官僚や軍幹部からの強い抵抗に遭った。それでも、彼らは事実上の「グローバル・ゼロ」プログラムに合意した。核廃絶の原則に対する共通の思いが見いだされたことは、歴史の転換点となった。しかし、レーガンは、あらゆる核兵器の廃絶に繋がる削減を進めるために極めて重要だと考えていた戦略防衛構想(「スターウォーズ計画」)に関して譲歩することはなかった。会談そのものの具体的な成果がなかったにもかかわらず、レイキャビク会談は、1987年の中距離核戦略全廃条約(INF)(ドナルド・トランプ大統領が2019年に破棄)、そして1991年の戦略核兵器削減条約(START I)へと「道筋」をつけたのである。

数年間の交渉を経て、1987年12月にレーガンとゴルバチョフが署名したINF条約は、射程が500~5,500㎞の核弾頭および通常弾頭を搭載した地上発射型の巡航ミサイルおよび弾道ミサイルの開発、実験および保有を禁止した。調印式において、レーガンとゴルバチョフは、共同声明で「核戦争は勝者のない戦争であり、決して戦ってはならない」と述べた。彼らは、INF条約は「アメリカとソ連のあらゆる種類の核軍備を完全撤廃するという目的においても、その検証の仕組みの革新的な性格と範囲においても、歴史的だ」とした。1991年半ばの実施期限までに、 アメリカとソ連合わせて2,692基のミサイルが破棄された。INF条約は、冷戦の分断の前線としてのヨーロッパの安全保障に大きく貢献しただけでなく、30年間にわたってより広く国際的な安全保障を下支えした。最初の核軍縮条約として、世界の二大核保有国による、核不拡散条約(NPT)第6条に基づく軍縮の義務の履行に対する目に見える貢献だった。

ソ連の崩壊と、それに伴なうベラルーシ、カザフスタンおよびウクライナの非核化があったにも関わらず、START Iの履行は2001年12月までに完了し、上限6,000個の核弾頭を搭載した運搬手段は1,600基にまで減少し、既存の戦略核兵器は80%削減された。START Iは2009年12月に満了し、2010年には10年間の新START条約に取って代わられ、さらに現在5年間延長されている。

農民の息子でノーベル平和賞を受賞した男は、クレムリンにいる西側の「便利な愚か者」だったのか、公的な世界から国という強制装置を外すために自分が始めたプロセスのコントロールを失った未熟な夢想家だったのか、あるいは、ただソビエト国家の病理の積み重ねによって避けられなかった出来事によって足をすくわれ、破壊された運命の囚人だったのか? 今となっては、ソ連がそれ自体の矛盾と弱点によって自滅するもととなった多くの問題、すなわち危機を阻止し、回避し、または是正することなど誰もできなかったという命題に、異論をはさむことは難しい。結局、彼の国と国民は、ソ連解体という混乱の時をゴルバチョフと共についていく用意ができていなかったのだ。その結果、彼が試みた自由への道のりは、ネルソン・マンデラのそれよりもはるかに孤独なものとなり、目的地にたどり着くことはできなかった。

終わりに、このことは興味をそそる知的な謎につながる。ロシアの精神的な再覚醒は、ロシア国民がゴルバチョフの本質的なヒューマニズムを認めるための前提条件なのか、それともその逆なのか?

ラメッシュ・タクールは、国連事務次長補を務め、現在は、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、同大学の核不拡散・軍縮センター長を務める。近著に「The Nuclear Ban Treaty :A Transformational Reframing of the Global Nuclear Order」 (ルートレッジ社、2022年)がある。

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世界政治フォーラムを取材

UNAOC、スウェーデンでのコーラン焼却に関するプレス声明を発表

この記事は、アメリカン・テレビジョン・ネットワーク(ATN)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【ニューヨークATN】

Mr. Miguel Ángel Moratinos/ UNAOC
Mr. Miguel Ángel Moratinos/ UNAOC

スウェーデンにおけるコーランの焼却を受け、国連文明の同盟(UNAOC)上級代表は以下の報道声明を発表した。

国連文明同盟(UNAOC)のミゲル・モラティノス上級代表は、極右政党「ハードライン(デンマーク語でStram Kurs)」の指導者が1月21日にスウェーデンで行ったイスラム教の聖典コーランを焼却するという卑劣な行為を明確に非難した。

モラティノス上級代表は、基本的人権として表現の自由を守ることの重要性を強調する一方で、コーランを焼却する行為はイスラム教徒に対する憎悪の表現に相当することを強調した。そうした行為は、イスラム教の信奉者を軽視し、侮辱するものであり、表現の自由と混同されるべきではない。

モラティノス上級代表は、市民的及び政治的権利に関する国際規約第19条に基づき、表現の自由の行使が義務と責任を伴うことを再確認した2021年1月26日の国連総会決議A/Res/75/258(OP 6)を想起した。

また、イスラム恐怖症、反ユダヤ主義、キリスト教恐怖症、他の宗教または信念を持つ人に対する偏見に動機づけられた事例を含め、世界の様々な地域で多くの宗教その他の共同体の構成員に向けられた差別、不寛容、暴力の事例が、行為者を問わず全体的に増加していることに深い憂慮を表明した。

さらに、人権と万人の尊厳に根ざした公正で包摂的かつ平和な社会を構築し促進するためには、相互尊重が不可欠であることを強調した。

この文脈で、モラティノス上級代表は、宗教的多元主義の強化、文化間・宗教間対話、相互尊重と理解の促進を含む包括的な枠組みと一連の勧告を提供する国連文明の同盟が主導する「宗教的施設を保護するための国連行動計画」を想起した。(原文へ

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ヘイトクライムの背後にあるのは信仰ではなく信仰者の操作

核のない世界への道は険しいが、あきらめるという選択肢はない。(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)

米国はイランが拒絶できない核協定を持ちかけるべき

【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

イラン政府の方針は、評論家がしきりに指摘するように固定されたものではない。12月初旬には、イランの検察総長が「道徳警察を解散させる」と発言したと報じられた。明らかに、2カ月にわたるデモは、主に女性が主導し、カタールで競技中のイランサッカーワールドカップチームが公然と支援したことで、イラン政府の一部の勢力が長期的な政策に対して根本的再考を加えたのだろう。

突き詰めていうなら、世界の爪弾き者にとどまりつづけるのか、それとも、隣人に並び立つべく、豊かで、健全で、抑圧のない社会の実現という任務に取りくんでいこうとするのか、自らに問うたということだ。とはいえ、最近逮捕されたデモ参加者が処刑されたように、依然として強硬派が優勢であることに変わりはない。

U.S. President Barack Obama / Official White House Photo by Pete Souza
U.S. President Barack Obama / Official White House Photo by Pete Souza

国内の社会的不満への対処と、米国への対処は別物である。これもまた、大きな再考が必要である。バラク・オバマ大統領と交渉した、ある程度の相互信頼に基づく核取引の条件に戻る覚悟があるのか、それともドナルド・トランプ大統領がそれを破棄したので、将来の米国大統領は信用できないと思い込んでいるのだろうか。

現在の米国の敵の中で、長期にわたって一貫してナンバーワンであり続けているのはイランである。イランは、1979年のイスラム革命で世俗的な国王を倒し、過激で時には戦争も辞さないイスラム神政を導入して以来、米国にとっての不倶戴天の敵となった。(しかし、欧州にとっては、どの国も米国政府と仲間割れをおこしてはいないものの、イランを米国人ほど脅威とはみなしていない。)

フォーリン・アフェアーズ誌の2019年11月号で、ダニエル・ベンジャミンとスティーブン・サイモンの2人の教授は、「『冷戦後期からの数十年、米国が最も恐れていた外国勢力はどこだったか』という問いに100年後の歴史家が取り組んでいたとしよう。ロシアは、当初は宿敵として、次に友人として、最後に挑戦する厄介者とみなすだろう。中国は大国のライバルと見るだろう。北朝鮮は脇役に過ぎない。そしてイラン一国だけが、執拗なまでの敵として描かれることになるだろう…。」と述べている。

初期のころと同じように、イランの体制は米国にとって根本的に頭痛の種であり続けている。イランがそう望めば、即時に核兵器を作りうるだけのレベルのウラン濃縮も再開している(もちろん、運搬手段は別の問題)。イランはまた、シリアのバシャール・アルアサド大統領を支持し、レバノンにおける代理勢力ヒズボラを通じてイスラエルを挑発し、イラクの反体制シーア派に支援を与えている。イエメンではフーシ派の反乱に小規模な支援を与えてきた。

世界の石油輸出の5分の1は、イランが長い海岸線を持つペルシャ湾を経由している。米国に輸出される石油は皆無だが、中断されれば石油価格に影響を与える。皮肉なことに、その多くはイランの支援国である中国へと送られている。しかし、米国政府内にパニックを引き起こしているにも関わらず、ホルムズ海峡は閉鎖することができない。そのぐらい海峡は広いのである。

Map of Strait of Hormuz with maritime political boundaries /Public Domain
Map of Strait of Hormuz with maritime political boundaries /Public Domain

彼我のパワーバランスを考えると、米国がイランにそこまでこだわるのは愚かなことだ。イラン経済は米国経済の2%程度しかない米国と中東の同盟国であるイスラエル、サウジアラビア、アラブ首長国連邦は、合わせてイランの50倍以上の経済規模を有している。イランはミサイルを保有しているが飛翔距離はそれほどでもない。イランは、レーダーをかいくぐって飛ぶドローンでサウジアラビアの石油貯蔵施設を攻撃したとされるが、その技術レベルは比較的初歩のものにとどまっている。

バラク・オバマ大統領は、この力の差を利用し、ロシアと欧州連合からの支援を得て、イランの核研究能力を制約し核兵器開発能力を除去する協定を締結した(しかし、おそらくイランはそもそも核兵器開発の意図などなかった。少なくとも、CIAは長らくそのような見解であった。)

イラン核合意として知られる2015年のこの協定は、中東でのイランによる挑発的な介入を抑えるためにイランと話し合いを持つための入り口になるはずであった。しかし、オバマ大統領もこの機会を逃した。オバマ政権の初期にイランはオバマ大統領にオリーブの枝を差し出した(=平和へのジェスチャー)のに、オバマ大統領はそれを折ってしまった。イラン核開発を抑える交渉をようやく始めようとしたが、遅すぎた。オバマ政権が達成したものなら何でも壊してやろうという動機に突き動かされていたトランプ大統領は、協定の実施が具体化する前に、そこから「電源」を取り去って(=同意から脱退して)しまった。

米国やその同盟国から40年にわたって疎外され懲罰を受けたのちにイランがそれに対抗しようとしたからと言って、なぜそれが驚きに値しようか。特に、米国などの介入はまさにイランの裏庭に損害を与えかねないのである。イスラエルをイランが常に敵視しているのは、イスラエルがイランの体制打倒に動いているのではないかと恐れているためだ。2003年の米国による対イラク戦争がなければ、イラクにおいてイランのプレゼンスは存在しなかったであろう。かつてサダム・フセイン大統領は、イラン・イラク戦争に際しては、米英によって支援されていたのである。

サウジアラビアは、一部には政治的、一部には宗教的な理由で、イランの体制を打倒したいという衝動を持っている。イランがフーシ派を通じてサウジアラビアの弱体化を図っているのはそのためだ。しかし、女性も子どもも病院も保護しないサウジアラビアの戦術を支援することで得する者は誰だろうか? イランの対シリア関係は、中東の多数派スンニ派からの脅威を受けている2つのシーア派国家による便宜上の結婚のようなものだ。米国の本質的な利益を侵すものではない。

Photo: A protester holds a portrait of Mahsa Amini during a demonstration in support of the young Iranian woman, who died after being arrested in Tehran by the Islamic Republic's morality police, on September 20, 2022. three days in a coma. Credit: Ozan KOSE / AFP via Getty Images. Source: WBUR.
Photo: A protester holds a portrait of Mahsa Amini during a demonstration in support of the young Iranian woman, who died after being arrested in Tehran by the Islamic Republic’s morality police, on September 20, 2022. three days in a coma. Credit: Ozan KOSE / AFP via Getty Images. Source: WBUR.

イランと米国の関係はこれほどまで悪化したことはない。EUは中間的な立場に立とうとしているが、米国の経済制裁によって及び腰になっている。それでも、もし米国がイランの経済・政治の不安定化を図ろうとするならば、それは自らに銃口を向けるようなものだ。中東はさらに不安定化し、ふたたび大規模な難民危機が訪れることになるだろう。

イランは好戦的であっても、常に対峙していても仕方がない。オバマ大統領は、EUやロシアの支持を得て、その道を提示した。米国がその方向に戻れば、中東はより平和になるであろう。

今年、テヘランの街をヒジャブをつけずに歩くイラン人女性を見ることができるかもしれない。言うまでもなく、このような前進は外交政策とはほとんど関係がない。しかし、政権の有力者が、選択すれば柔軟に対応できることを示すものである。米国は今を逃さず、イラン政府が無視できないような核協定案を持ちかけるべきだ。両者はすでに非常に接近している。その差を縮めることは、それほど難しいことではないはずだ。(原文へ

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※著者のジョナサン・パワーは、かつては『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』、現在は『ニューヨーク・タイムズ』に17年間にわたって外交時評を寄せてきた。『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『ボストン・グローブ』『ロサンゼルス・タイムズ』にも論評を寄せ、これらの新聞の論評欄に最も多く登場した欧州人である。

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