【東京INPS Japan=浅霧勝浩】

中央アジア5カ国が域内での核兵器を禁じる条約に署名してから20年。5カ国の外相はこの節目に合わせ、軍備管理の枠組みの機能不全、核戦力の近代化、そして国際的な不信の深まりが、世界の安全保障をますます緊迫させていると警告した。|英語版|
9月8日に発表された共同声明で、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの外相は、2006年9月8日にセミパラチンスクで署名された中央アジア非核兵器地帯条約(CANWFZ)への支持をあらためて表明した。同条約は2009年に発効し、全域が北半球に位置し、かつ二つの核保有国(中国とロシア)と直接国境を接する、現在も唯一の非核兵器地帯となっている。今年の20周年は、カザフスタンが条約の議長国を務める年に重なった。

外相らは同条約について、かつて核兵器が実験され配備された地域が、世界の核軍縮を主導する存在へと変貌したことを示す象徴だと述べた。
その歴史が、この節目に重みを与えている。セミパラチンスク―現在のセメイ―はソ連の主要な核実験場であり、四国とほぼ同じ広さの敷地で、1949年から1989年にかけて456回の核実験が行われた。放射性降下物の影響を受けた人は150万人以上と推定され、健康被害は三世代に及んでいる。カザフスタンは1991年8月29日に実験場を閉鎖した。
今年は三つの節目が重なる。実験場閉鎖から35年、条約署名から20年、そして包括的核実験禁止条約(CTBT)の署名開放から30年である。非核兵器地帯の構想そのものは、1993年9月の国連総会でウズベキスタンが最初に提唱したもので、締結に至るまでには13年を要した。
またも決裂したNPT再検討会議
この節目は、世界の核秩序にとって困難な時期に訪れた。外相らは核兵器不拡散条約(NPT)を、核拡散を防ぎ最終的に核兵器を廃絶するための取り組みの礎石だとあらためて位置づけた。その一方で、今年4月27日から5月22日までニューヨークで開かれた第11回再検討会議が実質的な成果を得られないまま閉幕したことに、遺憾の意を表明した。2015年、2022年に続き、コンセンサスに達しないまま終わった3回連続の再検討会議となった。
外相らはとくに、NPT第6条に基づく核軍縮の進展が不十分であること、主要な軍備管理の取り決めが停止していること、核戦力の近代化という憂慮すべき傾向が続いていることに懸念を示した。そのうえで核兵器国には特別の責任があるとし、新たな軍拡競争を防ぐため、検証可能な新しい枠組みを早急に構築するよう求めた。
再検討プロセスが行き詰まる一方で、非核兵器地帯は同体制のなかで比較的持続してきた成果として注目を集めた。再検討会議の傍らでカザフスタンが主催した会合では、国連軍縮研究所(UNIDIR)のロビン・ガイス所長が、中央アジア非核兵器地帯は安全保障を開発、環境保護、公衆衛生と結びつけた点に独自の貢献があると評価した。他方で核脅威イニシアティブ(NTI)のマーク・メラメド氏は、非核兵器地帯が上げてきた成果が今後も維持されるとは限らないと警告した。

署名開放から30年、いまだ発効しないCTBT
CTBTは9月24日、署名開放から30年を迎える。だが同条約は、いまだ発効していない。中央アジア5カ国は、一日も早い発効を求めるとともに、核爆発実験に反対する規範を損ないかねないいかなる行動も控えるよう、すべての国に呼びかけた。
この訴えに先立ち、実験場閉鎖の記念日であり国連が「核実験に反対する国際デー」と定める8月29日には、カザフスタンのイェルメク・コシェルバエフ外相と包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)のロバート・フロイド事務局長が共同声明を発表し、核実験を恒久的に終わらせるための国際的な行動をあらためて呼びかけていた。条約は法的には未発効のままだが、その仕組みの多くはすでに機能している。これまでに308施設が認証を受け、国際監視制度(IMS)は9割以上が完成した。
外相らはまた、NPTが認める五つの核兵器国が2014年、同地帯に消極的安全保証を与える議定書に署名したことを歓迎した。四カ国が批准を終えており、外相らは米国が批准手続きを完了させることへの期待を表明した。

分断する核秩序のなかの地域モデル
共同宣言は条約の枠を超えて軍縮教育を重視し、NPT発効の日にあたる3月5日の「軍縮・不拡散啓発国際デー」―キルギスの発意による―の継続的な実施を支持するとともに、若い世代が加わることの重要性を強調した。
非核兵器地帯は、核兵器を保有する国が負う軍縮義務の代わりにはならない。しかしセミパラチンスク条約が示しているのは、非核保有国が世界の核秩序の単なる傍観者ではないということである。集団で行動することによって、法的拘束力をもつ地域規範をつくり、核兵器国に安全保証を求める圧力をかけることができる。

中央アジアはまた、非核兵器地帯が地理的な禁止区域にとどまらないことも示してきた。5カ国はアフリカ原子力委員会、および1967年のトラテロルコ条約を運営するラテンアメリカ・カリブ核兵器禁止機構との間で覚書に署名した。2024年8月には、カザフスタンがアスタナで既存のすべての非核兵器地帯の代表による第2回会合を主催している。同時に、限界も明らかである。30年にわたる働きかけにもかかわらず、外相らが今回もあらためて設置を求めた中東での非核兵器地帯は、いまだ実現していない。
外交と人間の経験との結びつきも、同じく重要である。実験場の閉鎖を後押しした「ネバダ・セミパラチンスク」運動は、市民の声が核政策を動かしうることを示した。以来カザフスタンにとって、市民社会との協力は軍縮外交の付随物ではなく、その土台の一部であり続けてきた。
9月8日には、もう一つの起点がある。1957年のこの日、横浜の競技場に集った5万人の青年を前に、創価学の戸田城聖第二代会長は「原水爆禁止宣言」を発表し、核兵器を民衆の生存の権利を脅かす絶対悪と断じて、その廃絶を次代に託した。在家仏教団体である創価学会インタナショナル(SGI)の平和運動は、この宣言を原点としている。
その姿勢は近年、カザフスタンとの協働として具体的な形をとってきた。2022年にウィーンで開かれた核兵器禁止条約(TPNW)第1回締約国会議では、カザフスタンとキリバスが核時代平和財団、SGIとともに、被害者支援と環境修復をテーマとする関連行事を開いた。翌年ウィーンでは、在ウィーン国際機関カザフスタン政府代表部、SGI、国際安全保障政策センター(CISP)が、セミパラチンスク核実験の影響を扱う行事を共催した。2023年8月29日にアスタナで開かれた地域会議は、カザフスタン外務省とCISPが、SGI、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、赤十字国際委員会(ICRC)とともに開いたもので、世代を超えて続く健康被害を証言する核実験被害の第三世代も参加した。CISPとSGIが制作したセミパラチンスクの被害者を描くドキュメンタリーは、ニューヨークの国連本部でTPNW第2回締約国会議に合わせて上映され、非核兵器地帯の代表がアスタナに集まった際にも上映された。
日本の読者にとって、この結びつきは直接的である。広島と長崎は戦争における核兵器の使用を経験し、セミパラチンスクは核実験がもたらす帰結を経験した。2025年12月に来日したカシムジョマルト・トカエフ大統領は、東京の国連大学で核のリスクが再び高まっていると警告し、広島、長崎、セミパラチンスクの名を挙げて、核の危険を減らす具体的な行動を訴えた。

条約の署名から20年。その意義は、中央アジアが何を拒んだかだけではなく、何を築き続けてきたかにあるのかもしれない。核兵器の位置をより小さく、その正当性をより乏しいものにし、そして最終的には不要なものにしていこうとする、地域の安全保障の枠組みである。
Note: This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

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