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カリスマ的指導者で汎アフリカ主義の信奉者ローリングス氏を偲ぶ

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】

「よく響く太い声でクマのような大男(大柄で髭を生やした風貌)。」ガーナのジェリー・ジョン・ローリングス元大統領をそのようなイメージで思い出す人々もいるだろう。地元紙によると、ローリングス元大統領は11月12日、コルレ・ブー教育病院で亡くなった。享年73歳だった。

「巨木が倒れました。ガーナにとって計り知れない損失です。」と、ナナ・アクフォ・アド現大統領は語った。12月7に予定されている大統領選に向けた選挙活動は、ローリングス前大統領を偲んで一時休止となった。

Jerry John Rawlings
Jerry John Rawlings

ローリングス氏は、1947年6月22日にアクラで、スコットランド出身の薬剤師の父ジェームズ・ラムゼイ・ジョンとガーナ人(エウェ人)の母ビクトリア・アグボトゥィのもとに生まれた。首都の名門アチモト学校を卒業後、1967年8月にガーナ空軍(テシエの士官学校)に入隊した。

69年の卒業時には、空軍の最優秀士官候補生に授与される「スピードバード賞」を獲得。77年には幼なじみのナナ・コナドゥ・アゲマンと結婚して、4人の子供を儲けた。

ツイッター上でも多くの哀悼の言葉が寄せられたが、そうした一人でナイジェリアの起業家チェチェフラム・イケブイロ氏は、「ジェリー・ローリングス氏に憧れて育ちました。子どもの頃、彼がいかにして自力で政府から権力を奪取し腐敗を一掃したかについて聞かされていたからです。つまり当時のガーナ国民の生活は耐え難いほど悲惨なものとなっており、軍事独裁政権を倒すしかなかった。そして汚職・腐敗を止めるため、いわゆる『大掃除』作戦を断行したのだ、と。」

ガーナはサブサハラアフリカで欧州の宗主国から独立した初めて黒人国家だが、20年間に亘って政情不安(4回のクーデター)と経済停滞が続いた。ローリングス空軍大尉(当時)がその後長期にわたる政治の表舞台に出てきたのは1979年に軍事クーデターを率いたときで、当初は不正・腐敗に関与していた前政権の元首や高官を裁判にかけて銃殺刑に処すなど、厳しい政策を断行した。

ローリングス氏は当時、「もし権力の座にある人々が、私利私欲のために地位を利用するならば、民衆の抵抗に遭い追放されることになる。私自身も、これから行うことについてガーナの民衆の了承が得られなければ、銃殺隊の前に立つ覚悟はできている。」と宣言して、チームとともに腐敗一掃に着手した。ただし後年、いくつかの処刑については後悔していると回想している。

ローリングス氏は当時、自由アフリカ運動(FAM)など幅広い層の民衆の支持を得ていた。FAMは、独立後も支配的な影響力を及ぼしてきた欧州の旧宗主国政府や西側ビジネスの利権に近い腐敗した政治指導者らから、一致団結してアフリカ大陸を解放することを夢見る若者達の運動である。

1980年までに、既に軍で10年のキャリアを積んでいたローリングス氏は、若い兵士たちや貧困に喘ぐ都市部の労働者層の間で高い人気を誇るカリスマ的なリーダーになっていた。政権を掌握したローリングス氏は、ガーナ独立後の初代大統領クワメ・エンクルマを彷彿とさせる反帝国主義的な外交政策を推進した。

キューバ政府は、エンクルマ時代の友好関係を復活させてローリング政権に対して、とりわけ保健と教育分野の支援を表明した。そして、同国の青年の島にアンゴラ、モザンビーク、ナミビア、エチオピアの人民解放運動の子供たちのために設立した学校と並んで、ガーナの子供たちに向けた学校を開校した。

Map of Ghana

ローリング政権はまた、米国と南アフリカ共和国のアパルトヘイト政権が支援するゲリラ勢力の攻撃に晒されていたアンゴラ政府と友好関係を維持した。また、自身と同じく軍人出身のカリスマ的な指導者で1983年に政権を握ったブルキナファソのトーマス・サンカラ氏とも密接な関係を築いた。

冷戦が終結すると、ローリングス氏は民主化を推進して複数政党制を導入、選挙に勝利して大統領を2期務めた。2000年の大統領選挙では、憲法の三選禁止の規定に従い出馬しなかった。引退後は、アフリカ連合ソマリア特使、オックスフォード大学講師を務めたほか、2019年7月にはトーマス・サンカラ記念委員会の委員長に就任している。

「ローリングス氏は神がガーナに遣わした賜物でした。心から彼の冥福を祈ります。」とかつての盟友コジョ・ボアキェ・ギャン少佐が語ったと報じられた。(原文へ

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【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

核兵器禁止(核禁)条約の批准国が50カ国目に達したという知らせを受けたとき、サーロー節子さんは、「椅子から立ち上がることができず、両手に顔を埋めて喜びの涙にくれました。…私の心の中に生きている、広島長崎で命を失った多くの魂に思いを馳せました。愛する魂に『やっとここまでこぎ着けましたよ』と語りかけました。かけがえのない命で究極の犠牲を払わされた彼らに、最初にこの素晴らしいニュースを報告しました。」と語った。

広島原爆の被爆者であるサーロー節子さんは核兵器の廃絶を訴えて長年にわたって活動してきた。2017年のノーベル平和賞受賞団体である「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のウェブサイトに掲載された声明の中でサーローさんは、「私はこのことに達成感と満足感、そして感謝の思いでいっぱいです。この気持ちは、広島・長崎で原爆を生き延びた人々や南太平洋の島々やカザフスタン、オーストラリア、アルジェリアで行われた核実験で被爆した人々、さらにカナダ、米国、コンゴのウラン鉱山で被爆した人々も同じような気持ちでいると思います。」と語った。

Photo: Setsuko Thurlow, Source: Wikimedia Commons

広島・長崎への原爆投下75年にあたり、「核兵器を憂慮する信仰者のコミュニティー」は、世界189団体の賛同を得て8月6日に発表した共同声明の中で、「核兵器は、たった一発であっても、私たちの信仰の伝統と全く相容れないものであり、私たちが愛するすべてのものに想像を絶する破壊をもたらす脅威である」ことを改めて確認した。

「世界各地の多様な信仰を基盤とする団体(FBO)の連帯として、私たちは声を一つに人類の存続を脅かす核兵器の脅威を拒絶する」と共同声明は宣言している。

それから4カ月も経過しないうちに、教会や仏教団体を含む幅広い非政府組織(NGO)が、核兵器の包括的な禁止を初めて定めた核禁条約を歓迎した。

全ての核兵器を廃棄しその使用を永久に禁止することを目的とした核禁条約は、10月24日に決定的な節目(発効要件となる50カ国目が批准)を迎え、来年1月22日に発効することになった。

「ローマ教皇庁と歴代の教皇は、核兵器に反対する国連と世界の取り組みを積極的に支援してきました。」と『バチカン・ニュース』は報じている。教皇フランシスコは、国連75周年を記念した9月25日のビデオメッセージで、核軍縮や不拡散、核兵器の禁止に関する主要な国際的・法的枠組みへの支持を改めて呼びかけた。

Pope Francis in a meeting with President Christina Fernandez de Kirchner of Argentina in the Casa Rosada./ By Casa Rosada (Argentina Presidency of the Nation), CC BY-SA 2.0

主に英国国教会、正教会、プロテスタント系のキリスト教徒5億5000万人以上が加盟する世界教会協議会(WCC)も、10月26日、核禁条約の批准を歓迎した。

「条約が発効する90日の期間がついに動き出しました。すなわち、国際法における新たな規範的基準が創設されたということであり、締約国は条約を履行し始めなければならないということを意味します。」とWCCの「国際問題に関する教会委員会」担当局長であるピーター・プローブ氏は語った。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)年鑑によると、2020年初めの時点で推定1万3400発の核弾頭が人類の生存を脅かしている。しかし、核兵器を保有・開発し続けている9カ国の政府(ロシア・米国・中国・フランス・英国・パキスタン・インド・イスラエル・北朝鮮)が、核禁条約を厳しく批判している。

世界の192の国・地域に広がる、コミュニティーを基盤とした仏教団体である創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動総局長は声明の中で、「条約の発効によって、核兵器が史上初めて全面的に『禁止されるべき対象』との根本規範が打ち立てられます。このことは、誠に重要な歴史的意義があります。」と述べ、これから発効までに、さらに多くの国が核禁条約に批准し、この規範がさらに強化されることに期待を寄せ、「世界の民衆に条約の意義と精神が広く普及されることを願ってやみません。」と語った。

寺崎氏はさらに、「条約発効後1年以内に開催される第1回締約国会合に、核保有国、日本を含む依存国も参加(注=条約未批准国も参加可能)し、核軍縮義務の履行も含め、核廃絶への具体的なあり方について幅広く検討することを強く祈念するものです。」と期待を寄せた。

同氏はまた、「核禁条約は、現実的な安全保障の観点を考慮せず、核保有国・依存国と非保有国との間の溝を深める」との批判が存在することを指摘したうえで、「しかし、核兵器に私たち市民の生命と財産の保証を託すことはできません。両者の間に溝があるとすれば、それは、核不拡散条約(NPT)で掲げられている『核保有国による核軍縮義務』の履行の停滞に原因があり、その履行のための具体的措置として、核禁条約が誕生したといえます。」と語った。

現在、世界では一層深刻な軍拡競争が始まっており、核兵器の近、小型化が進み、「使える兵器」となろうとしていることからも、核禁条約発効の持つ意味はきわめて大きい。

寺崎氏は、「人類を人質にする核兵器の存在を容認し続けるのか、それとも禁止し廃絶させるのか。この方向性を決めるのは市民社会の圧倒的な『声』です。私たち創価学会、SGIは、『核兵器のない世界』の実現へ向け、世界の民衆の連帯を更に広げるべく、より一層尽力してまいります。」と結論付けた。

SGIの声明は「核兵器なき世界への一歩前進に、これまで尽力されてきたヒバクシャの皆さま、有志国、国連、国際機関、共に汗してきた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)をはじめとするNGOの友人など、全ての関係者に深い敬意を表したいと思います。」と述べている。

1995年にノーベル平和賞を受賞した「科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議」のセルジオ・ドゥアルテ会長と、パウロ・コッタ・ラムジーノ事務局長は声明の中で、核禁条約は「核兵器が使用されれば、人間や環境に受け入れがたい影響が及ぶという常識的な考えに基づいている。」と語った。

Sergio duarte
Sergio duarte

パグウォッシュ会議は、近い将来に核禁条約の加盟国数が、とりわけ既存及び計画されている非核兵器地帯に属する国々を含む形で拡大することに期待を寄せている。パグウォッシュ会議の声明は、「核禁条約はNPTと完全に両立するものであり、加盟国が他国に属する核兵器をホストすることを明確に禁止した唯一の条約である。核兵器国と非核兵器国は、核兵器の完全廃絶を成し遂げて核兵器があらゆる国の安全保障にもたらす脅威をなくすよう、協力していかなければならない。」と述べている。

モンゴルのNGOでICANのパートナー団体である「ブルーバナー(青旗)」は、 核禁条約批准国が50か国に達したことについて、「この最も危険な大量破壊兵器を国際法の下で違法化するうえで、大きな政治的推進力であり重要な一歩となった。」として歓迎した。

ブルーバナーは声明のなかで、「核禁条約の発効により、核兵器と核保有が『絶対悪であるという烙印』が押されることとなり、最終的な完全廃絶という目標を前進させることになるだろう。」と指摘したうえで、国際的な非核地位を認められ「人道の誓約」に加わり核禁条約の交渉に参加して採決に賛成したモンゴルが、「核禁条約に早期に加盟」するよう引き続き努力すると誓った。

さらに声明は、「ブルーバナーが、地域レベルでは、北東アジアにおける信頼を醸成するために地域の他の市民団体と協力し、核兵器が完全に廃絶されるまで、朝鮮半島の非核化と北東アジア非核兵器地帯の創設に向けて引き続き努力していくこと。さらに、全ての国に対して、核禁条約の署名・加盟を訴え、世界平和と持続可能な開発目標(SDGs)の実現に向けて同条約のもつ重要性に関して意識喚起すべく、引き続き他の諸団体と協力していく。」と述べている。

ブルーバナーは、核不拡散と、モンゴルを非核兵器地帯化する同国の取組みを後押しすべく、2005年に創設された。このNGO団体の議長は、モンゴルの元国連大使であるジャルガルサイハン・エンクサイハン博士である。

核政策法律家委員会(LCNP)西部諸州法律協会(WSLF)は米国政府に対して、「核禁条約への反対を取り下げ、核兵器に役割を与えない、より民主的な世界を実現し、国家の安全保障よりもむしろ人間の安全保障に向けたパラダイムシフトをはかるという核禁条約のビジョンを認める」よう強く要請している。両団体は、ICANのパートナー団体でもある国際反核法律家協会(IALANA)に加入している。(原文へ) |ドイツ語

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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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核実験禁止条約の次期監督者選出に寄せて

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ラメシュ・タクール

世界的パンデミックの悪夢と核兵器管理の支柱崩壊のただなかで、反核運動の天空に今なお明るく輝く数少ない星の一つのリーダーが、11月25~27日にウィーンで選出されることになっている(訳者注=パンデミックのため、2021年以降に延期された)。(原文へ 

包括的核実験禁止条約は、変わり種である。化石と化したジュネーブ軍縮会議で交渉が膠着状態になったとき、オーストラリアが救出作業を主導し、1996年、国連総会での採択を実現した。すべての条約でないにせよ、一連の軍備管理協定の中では珍しいことに、この条約は法的には未発効であるものの、実務的には完全に機能している。これまでに184カ国が署名し、168カ国が批准している。附属書2には44カ国がリストアップされており、これらの国の批准が発効の要件となっている。44カ国のうち、中国、エジプト、イラン、イスラエル、米国は、署名したものの批准しておらず、インド、北朝鮮、パキスタンは署名もしていない。

批准を保留している8カ国すべての批准が私の生きている間に実現する見込みは皆無であり、儀式的再確認以上に気にすることは時間と労力の無駄である。この方式は、条約の発効を妨害するために巧妙に仕組まれたものかもしれない。標準的な方式では、発効に必要な批准数とその後の発効までの日数が指定される。そのため、2017年に採択された核兵器禁止条約では、発効に必要な批准数は50カ国のみであった。50カ国目の批准が10月24日に受理され、核兵器保有国は1カ国も署名していないにもかかわらず、条約は2021年1月22日に発効することになっている。

核実験禁止条約は、これとは根本からかけ離れている。当時も我々の一部が問うたことであるが、明白な疑問は、「他の条約が同様の方式を採ったなら、どうなっていただろうか?」である。その明らかな答えは、「どの条約も、世界の核秩序の基盤である核不拡散条約ですら、今日に至っても法的に発効していないだろう」である。

包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)は、核実験禁止条約の実施機関である。条約が発効するまでの間、暫定技術事務局が301の施設の国際監視制度と現地査察により、核実験禁止の遵守状況の検証に責任を負っている。オーストラリアには国際監視制度の一環として22の観測所と一つの研究所があり、施設数は世界で3番目に多い。

暫定事務局を率いる事務局長は、260人の職員と年間約1億3000万米ドルの予算を監督する。事務局長は、条約の検証制度に関連する取り組みを主導し、観測所のデータが、特に核実験(または地震)を検知した場合は、すべての締約国に通知されるようにする。歴代の事務局長は、ドイツのヴォルフガング・ホフマン氏(1997~2005年)、ハンガリーのティボル・トート氏(2005~13年)、ブルキナファソのラッシーナ・ゼルボ氏(2013年~現在)である。

ゼルボ氏の2期目の任期は2021年7月31日に終了する。彼の後任として10月9日の推薦期日までに名前が挙がったのは、オーストラリアのロバート・フロイド氏のみだった。しかし、理事会議長を務めるアルジェリアのファウジア・メバルキ(Faouzia Mebarki)氏の質疑を受けて、ゼルボ氏は6月に、締約国が望むのであればもう1期務めてもよいと述べた(実を言うと、私はフロイド氏ともゼルボ氏とも知り合いである。キャンベラ在住なので、当然ながらフロイド氏との接触がはるかに多い)。

国連中心のグローバルガバナンスを研究する者として、私は、すべての国際機関の最高責任者は任期を2期までとすることを強く提唱している。CTBTOの場合、前任者たちもこれを守り、条約の第2条D-49にも条約発効後の事務局長の任期は2期までと定められている。事務局と機構の制度的一貫性を保つためにも、成功を収めた模範的な最高責任者の尊厳ある選択肢は、職務を立派にやり遂げ、国際社会の感謝を受けたうえで、品位をもって退場することである。条約の任期制限条項は現在の状況には適用されないという詭弁を弄して、現職者が条約に違反するなら、事務局長として核実験禁止条約の規定の遵守を徹底させる道義的および政治的権威は、致命的に損なわれるだろう。

締約国は、あたかも条約がすでに発効しているかのように、実際上のあらゆる点において国際監視制度を運用に取り入れることによって、発効を妨げる法的障害を回避してきた。その一環として、条約に定められた任期制限の適用も含まれなければならない。ゼルボ氏は、機構の運用監視制度をきわめて信頼性の高いレベルまで強化したという点で、非常に優れた業績を挙げている。ふさわしい有望な候補者がいないというのであれば、今回に限り、締約国はゼルボ氏の3期目続投を考えても良いだろう。

フロイド氏は、CTBTOの重要な業務を担う候補としてふさわしく、実に素晴らしい経歴を有している。科学者として教育を受けた彼は、現在、核実験禁止条約を含むさまざまな大量破壊兵器管理条約の実施を担う国家機関である、オーストラリア保障措置・不拡散局の局長を務めている。技術的課題と政治的課題が交わる場において、技術面、運営面、外交面のハイレベルなリーダーシップを発揮してきた実績を有するフロイド氏は、事務局長に選出されれば、核不拡散・軍縮を推進する国際的努力におけるコンセンサス構築を構想している。これまでも現在も、国際組織における主導的地位に就くオーストラリア人が多すぎたということもないはずである。

インド太平洋地域では、1945年より、中国、フランス、インド、北朝鮮、パキスタン、英国、米国により、7回の核実験が実施されている。核実験に関しては、オーストラリアには葛藤の歴史がある。1956年から1963年までの間、英国は、オーストラリア領内で数回の核実験を実施し、それは長期にわたる傷跡を、特に先住民の人々に残した。1966年から1996年までの間、フランスは、フランス領ポリネシアにおいて200回近い大気圏内および地下核実験を行った。これは、太平洋地域全体に核実験への反発を引き起こし、オーストラリアとニュージーランドを核実験完全禁止の国際キャンペーンへと向かわせた。

CTBTOは今後、すぐにも核実験を再開する恐れがある北朝鮮の情勢を密接に監視する必要がある。逆に、北朝鮮が予想に反して非核化した場合、CTBTOはその後の検証メカニズムにおいて重要な役割を果たすことになる。いずれの場合にせよ、インド太平洋地域における経験豊富な人物が指揮を執ることは有益である。

この記事は、2020年11月17日にASPIの「The Strategist」に最初に掲載されたものです。
https://www.aspistrategist.org.au/choosing-the-next-overseer-of-the-nuclear-test-ban-treaty/

ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、核軍縮・不拡散アジア太平洋リーダーシップ・ネットワーク(APLN)理事を務める。元国際連合事務次長補、元APLN共同議長。

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ジョセフ・カミレリ】

数週間前にホンジュラスが50番目の批准国となり(2020年10月24日批准)、核兵器禁止条約がまもなく発効する運びとなったことは、重大な出来事である。条約は、1個の核弾頭も削減しないが、核兵器が倫理的に許されず、国際法に反するという原則を強化するものである。(原文へ 

核兵器保有9カ国あるいは国連安全保障理事会の常任理事国がいずれも条約の署名や批准を行っていないことは、さして驚くべきことではない。これらの国の政府はいずれも、2017年7月の条約採択を喜ばず、いくつかの国、なかでもトランプ政権は激しく反対した。

状況をさらに物語るように、G7参加国とNATO加盟の諸国はいずれも、条約の批准はおろか署名すらしておらず、いずれも近い将来署名する見込みはない。G20については、参加20カ国のうち6カ国のみが採択に賛成票を投じ(アルゼンチン、ブラジル、インドネシア、メキシコ、サウジアラビア、南アフリカ)、そのうち署名と批准を行ったのは南アフリカのみ、そのほかに署名したのはインドネシアのみであった。

このほか2カ国が、国際舞台における特筆すべき対応を見せた。EU加盟27カ国のうち、比較的影響力の小さい5カ国(オーストリア、キプロス、アイルランド、マルタ、スウェーデン)のみが条約の採択に賛成し、3年後にアイルランドとマルタのみが締約国となった。

経済協力開発機構(OECD)の場合、加盟37カ国のうち、採択に賛成したのはわずか7カ国、批准手続きを完了したのはオーストリア、アイルランド、ニュージーランドの3カ国のみである。

このような分析がなぜ重要なのか? なぜなら、経済的、軍事的に力を持つ国家はほぼ例外なく、核兵器の開発、保有、威嚇、使用を違法化する動きへの参加を拒否していることが分かるからである。もっとも、必死の努力にもかかわらず、核兵器保有国が条約を阻止できなかったことは紛れもない事実である。忠実な同盟国や従属国の支援と励ましを受けて、彼らは現在、条約を牙のないトラのままにしておこうともくろんでいる。

このような悪質な戦略は、必ずしも成功するとは限らない。条約がわずか3年で必要な批准を獲得できたのは、心強い話である。いまや目指すべきことは、今後3年間で批准国を倍増させることである。それにより、条約の道義的力を増強し、核依存症を手放すよう、各国政府や一般の人々への圧力も高めていくことができる。

条約への支援を広げることはきわめて重要である。しかし、それだけでは十分ではない。条約に加盟するには程遠いにもかかわらず、各国、とりわけ核抑止が自国の安全保障の鍵になると考えている国は、実質的で検証可能な、期限を区切った核軍縮合意の見込みを高めるかのような振る舞いをすることがある。

例えば、包括的核実験禁止条約の発効は、同条約第14条に指定された44カ国すべての批准を条件としており、36カ国は粛々と批准したものの、主要国、具体的には米国、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル、イラン、エジプトは、まだ批准していない。

その他の重要なステップには、次のようなものがある。

  • 核兵器使用に対する作戦即応性の引き下げや先制不使用方針など、核兵器保有国による核リスク低減策や核の透明性に関する対策
  • 核保有国による核備蓄削減と核兵器近代化計画の中止の合意
  • 中東非核兵器地帯を確立する国連プロセスの再開
  • 北東アジア非核兵器地帯を確立する前段階としての信頼醸成措置

核保有国が核軍縮に向けて動くという責任は、議論の余地がない。それでも、米国の影響力の強い同盟国や友好国が果たしうるきわめて重要な役割がある。ロシアと中国の場合、同盟国や友好国は数が少なく、影響力も概して小さいが、だからといって彼らを看過するべきではない。

これらの中小国は、核兵器不拡散条約の締約国のほぼすべてを占める。その多くは、さまざまな場面で、自らを核軍縮の熱心な提唱者であると表明してきた。現在、米国の同盟国で核兵器禁止条約を批准しているのは、ニュージーランドとフィリピンの2カ国のみである。ロシアが主導する集団安全保障条約機構では、禁止条約を批准した加盟国はカザフスタン1カ国のみである。

これらの国の少なくとも一部から一定の支援を引き出すことは、戦略的に重要であり、政治的に実行可能である。核兵器禁止条約に現在欠けているものは、他の多国間合意、特にオタワ条約(対人地雷禁止条約)、クラスター弾禁止条約、(国際刑事裁判所に関する)ローマ規程に対して欧州諸国が示したような力強い支援である。京都議定書からパリ協定まで、気候変動対策についても同様のことがいえる。

核兵器の話となると、米国の一部同盟国の態度を変えることは難しいだろう。特にフランス、また、それほどでもないが英国もそうである。しかし、NATO内では、カナダ、ノルウェー、オランダ、ギリシャ、イタリア、さらにはドイツやトルコなど、かなり多くの国が時間をかければ説得に応じてくれるかもしれない。アジア太平洋地域でも、日本、韓国、オーストラリアに同様のことがいえるだろう。

これらの国の1カ国あるいは何カ国かが兄貴分に逆らって条約に署名するようもっていくことを、戦略的優先事項とみなすべきである。それにより、条約が切に必要としている地政学的影響力を獲得して、他の同盟国が後に続くための先例を作り、核兵器保有国が条約への姿勢を再考して実質的な核軍縮アジェンダを支援するよう、圧力をかけることができる。

このようなことは、国民感情(「世論」とは別に)の大きな転換がなければ、ほとんど、あるいはまったく起こらない。確かに、いくつかの組織は広範囲にわたる啓発キャンペーンやアドボカシーキャンペーンを実施している。その中には、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、PragueVision、核軍縮・不拡散議員連盟、バーゼル平和事務所、グローバル・セキュリティ・イニシアティブ、平和首長会議2020ビジョン、アボリション2000がある。これらのうち最も大きな成果を挙げているのが、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)であり、設立後わずか10年で、2017年ノーベル平和賞を受賞した。ICANは、共感を得られそうな国の政府に集中的なロビー活動を行い、政府間プロセスや政府間交渉にまで介入し(成功の度合いはさまざまであるが)、国連においてより強固な足場を築いてきた。

しかし、彼らは、冷戦終結の前触れとなった1970年代後半から1980年代前半の大衆の熱狂と動員を再現することはできなかった。核兵器が実存的脅威をもたらすという命題は、抽象的には広く認められているが、緊急の集団行動を要請するものとしては受け止められていない。ここでの問題は、「あまりにも多くの不吉な暗雲が頭上に漂う状況にうんざりしている一般の人々を、いかに活性化できるか?」である。この点について、特に米国と密接な同盟関係にある欧州およびインド太平洋地域の国々において、我々は持続的な国民的対話を行う必要がある。

そのような対話は、大胆かつ創造的な思考を養うものでなければならない。それは、我々が抱える核の苦境の症状だけでなく、その原因を探るものでなければならない。核の脅威が、他の問題や危機、とりわけ気候変動と密接に絡み合っており、それらの問題はいずれも単独で十分に理解することはできないし、まして対策を講じることもできないということを明確にしなければならない。きわめて重要なこととして、我々は安全保障への分別あるアプローチを妨げる障害を特定し、目的に合わない考え方や制度を疑う姿勢を持たなければならない。そして、これらはすべて、包括的なアウトリーチプログラムの一環として、職業団体、企業、労働組合、コミュニティーや宗教団体、スポーツおよび文化的ネットワークなど、さまざまな組織と連携しながら行う必要がある。

道はまだ始まったばかりである。

ジョセフ・アンソニー・カミレリは、ラ・トローブ大学名誉教授であり、1994年から2012年まで国際関係論の講座を担当した。また、2006年から2012年まで同大学Centre for Dialogueの初代センター長を務めた。オーストラリア社会科学アカデミーのフェローである。執筆または編集に携わった主要な著書は約30冊、執筆した書籍の章および学術誌の論文は100本を超える。テーマは、安全保障、対話と紛争解決、社会における宗教と文化の役割、オーストラリアにおける多文化主義、アジア太平洋地域の政治などの分野に及ぶ。最近の共著には、マイケル・ハメル・グリーンとの “The 2017 Nuclear Ban Treaty: A New Path to Nuclear Disarmament” (2019年)、デボラ・ゲスとの “Towards a Just and Ecologically Sustainable Peace: Navigating the Great Transition” (2020年)がある。

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火災に見舞われるキリマンジャロ山

【バイロイトIDN=アンドレアス・ヘンプ】

先月中旬にも中腹で大規模な火災に見舞われたアフリカ最高峰キリマンジャロ山(標高5895m)が直面している環境危機について解説した記事。この地域では過去150年に亘って大気の乾燥(山頂の氷河は既に90%が喪失)が進行していることに加えて、特に1996、97年に発生した大規模な火災により、かつて森林が保っていた保湿力(霧や土壌に蓄えられた水分)が失われ火事の原因となる大気の乾燥を一層悪化させている。さらにキリマンジャロで暮らす人口は1911年の約10万人から現在は120万人に増加し、この間森林の50%が伐採や開拓により失われた。タンザニア政府はこれ以上の森林破壊を防ぐために、森林地帯を国立公園に編入して規制・管理の強化に乗り出している。(原文へ)FBポスト

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核兵器は国際法の下で非合法となる – 国連にとって画期的な勝利(ソマール・ウィジャヤダサ国際弁護士)

【ニューヨークIDN=ソマール・ウィジャヤダサ】

核兵器禁止(核禁)条約は10月24日に批准した国が発効要件となる50カ国に達したため、90日後の2021年1月22日に発効する。これにより、核兵器(最も危険な大量破壊兵器)は、国際法の下で最終的に非合法となる。

核禁条約の発効は、75年に亘って核兵器の全面廃絶を最優先の軍縮課題としてきた国連にとって画期的な勝利である。核禁条約の発効が、1945年8月の悪名高い原爆使用と、同年の国連創設から75周年目と重なったことは、注目に値すべきことだ。

核禁条約の重要性を十分理解するには、国連が創設以来、核兵器を禁止するという崇高な目標を達成するために取り組んできた歴史的な歩みを振り返る必要がある。

歴史的な失望と業績

国連は、2つの世界大戦で無数の命が失われ、国際社会が米国による広島と長崎への原爆使用がもたらした惨状(広島で129,000人、長崎で226,000人が死亡)を目の当たりにした後、1945年に創立された。

Photo: Clockwise, from top left: U.S. combat operations in Ia Đrăng, ARVN Rangers defending Saigon during the 1968 Tết Offensive, two A-4C Skyhawks after the Gulf of Tonkin incident, ARVN recapture Quảng Trị during the 1972 Easter Offensive, civilians fleeing the 1972 Battle of Quảng Trị, and burial of 300 victims of the 1968 Huế Massacre. Credit: Wikimedia Commons.

国連が「戦争の惨害から将来の世代を救う」という高い目標を掲げ、紛争を平和的に解決するための無数の仕組みを国連憲章に明記しているにもかかわらず、多くの国々が数百に上る戦争を仕掛け、数百万人が死亡、数千万人が家を追われ、無数の人々が怪我をしたり家族を失っている。

2014年、デイビッド・スワンソン氏は、学術誌アメリカン・ジャーナル・オブ・パブリック・ヘルスへの寄稿文の中で、「第二次世界大戦が終結して以来、世界の153箇所で248件の武力紛争が発生してきた。米国は1945年から2001年の間に201の軍事作戦を海外で展開した。またその後もアフガニスタンやイラク等各地で軍事作戦を遂行してきた。」と記した。

皆さんご存知の通り、極東における共産主義封じ込め政策は、ベトナム、北朝鮮、ラオスに荒廃をもたらし、45年に亘った冷戦は東ヨーロッパ諸国の軍事同盟(ワルシャワ条約機構)の終焉とソ連の解体につながった。また、ブッシュドクトリンとレジームチェンジ(体制転換)政策により中東では数百万人の命が失われた。

中東で起こったアラブの春では、数千人が死亡し、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでは体制転換(リビア、イエメンでは内戦)へとつながった。シリア内戦ではこれまでに22万人以上が死亡し、中東地域全体ではこれらの内戦で5000万人以上の人々が家を追われた。

Photo: Rabaa al-Adawiya mosque during the violent dispersal of pro-Morsi sit-ins, 14 August 2013. CC BY-SA 3.0

平和活動家のトム・マイヤー氏は、「米国の軍事介入は中東地域にとって災難以外の何ものでもありません。米軍はイラクを破壊し、リビアを不安定にし、エジプトでは独裁者を育み、シリア内戦を加速させ、イエメンを破壊しました。また、バーレーンでは民主化運動の鎮圧を手助けしたのです。」と語った。

こうして引き起こされた衝突のなかには1962年のキューバミサイル危機のように世界を核戦争の瀬戸際まで追い込んだものもあった。

ダグ・ハマーショルド国連事務総長(1953~61)は、国連は人類を天国に連れて行くためではなく、地獄から救うために作られた。」と語った。

実際に国連は世界を地獄から救った

国連は、時には悲劇的な後退に見舞われながらも、核兵器を廃絶するという究極の目的を決してあきらめなかった。それは国連が核兵器を地上で最も非人道的で危険な兵器であり、都市全体を壊滅させ、潜在的に数百万人の命を奪い、自然環境を破壊し、長期にわたる壊滅的な影響で未来世代の生命をも脅かす存在と認識してきたからだ。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

国連総会は1946年1月24日に採択した第一号決議で、「全ての核兵器および大量破壊兵器の廃絶」を目標として掲げた。

1945年の時点で、核兵器を所有し実際に使用(広島と長崎に原爆を投下)したのは米国が世界で唯一の国であった。

以来、ロシア(旧ソ連時代の1949年)、英国(1952年)、フランス(1960年)、中国(1964年)、インド(1974年)、パキスタン(1998年)、北朝鮮(2006年)、さらにイスラエル(取得年を非公開)が核兵器を取得している。

今日、世界には地球を何度も破壊できる約13400発の核兵器があり、その92%を米国とロシアの2カ国が保有している。

国連は、長年の間に、核兵器を含む大量破壊兵器の禁止を目指して、核不拡散条約(1968年)、生物兵器禁止条約(1972年)、化学兵器禁止条約(1993年)、包括的核実験禁止条約(1996年)、武器貿易条約(2014年)といった条約やメカニズムを採択してきた。

現在、国連加盟国の60%にあたる115カ国を網羅する非核兵器地帯が、ラテンアメリカ、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアに構築されている。

これら非核兵器地帯の創設は重要な成果であり、2017年に国連が「核兵器の全面廃絶のために核兵器を禁止する」核禁条約を採択する道筋を切り開くことにつながった。

核禁条約は、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的被害を強調しており、締約国による核兵器の開発、実験、使用または使用の威嚇、生産、保有、取得、移転、領域内などへの配置を禁止している。

称賛と欺瞞

9月には、ニューヨークタイムズ紙が、「北大西洋条約機構(NATO)の加盟国のうち20か国の首相、外相、国防相経験者など56人が、(核禁条約に参加していない)自国の現役の政治指導者に公開書簡を送り、核禁条約への参加を呼びかけた。」と報じた。

同紙によると、この公開書簡には、カナダ、日本、イタリア、ポーランドの元首相、アルバニア、ポーランド、スロヴェニアの元大統領、24人の元外務大臣、10数人の元国防大臣、ハヴィエル・ソラナ及びウィリー・クラース元NATO事務総長、そして潘基文前国連事務総長等が署名している。

署名者の中に、米国の「核の傘」に保護を求める核依存国(日本、韓国、オーストラリア)やドイツ、ベルギー、オランダ、イタリア、トルコのように自国領内の6拠点に米国の核兵器(約180発)を共有している国々が含まれているのは特筆すべきことだ。

米国のCBS放送によると、核禁条約の批准が順調に進む中、米国は批准国に送った書簡のなかで、「(NPTで核保有を認められた)5大国は、NATO同盟諸国とともに核禁条約の『潜在的影響』に一致して反対している。」と表明し、批准書を撤回するよう働きかけたという。同書簡には、「核禁条約を批准する貴国の国家主権は尊重するが、それは戦略的な誤りであり、批准を取り下げるべきだ。」と強調されていた。

この行動は、核兵器の廃絶を目指して75年間に亘って取り組んできた国連を侮辱するのみならず、核のホロコーストの脅威から解放されて平和に暮らすことを望む世界の大半の人々の意思を、超大国が甚だしく無礼かつ好戦的に阻害しようとした試みに他ならない。

核兵器保有国は核禁条約に署名しないかもしれないが、この条約が発効すれば、今は違法となっている他の大量破壊兵器(生物・化学兵器)と同様に、核兵器が国際法の下で違法となるため、あらゆる国に核禁条約を順守する道徳的責務が生じるということを強調しておきたい。

かつて、核兵器保有国に中には、「私の核ボタンの方があなたのものより、はるかに大きく強力だ。」という横柄な発言をし、核兵器の使用をちらつかせて他国を威嚇し従わせようとした事例もあるが、核兵器が違法化されれば、このような虚栄心に満ちた時代は過去の歴史になるだろう。

ウラジーミル・プーチン大統領は、「米国が率いる西側のパートナーは、現実的な政策を推進するにあたって、国際法よりも銃のルールに従って行動することを好むようだ。これらの国々は自らの排他性と例外主義を信じるようになり、世界の運命は自分たちが決めることができ、自分たちだけが常に正しいと考えている。」と語った。

米国が最近北朝鮮に対して「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」を要求したように、ほぼ全ての国々が今日、核兵器保有国に対して核兵器を廃絶することで国際法に従うよう懇願している。

ICAN

核禁条約のもとで核兵器の廃絶が不可避となった今日、世界のあらゆる指導者は国連と協力して、全ての人々にとって平和と正義と安全保障と繁栄が保証される世界秩序を構築する必要がある。

かつてハリー・トルーマン大統領は、「偉大な国々の責務は 世界の民衆を支配するのではなく、民衆に尽くすことだ。」と述べている。(原文へ) 

INPS Japan

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【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス

セネガル沖の大西洋上で発生した今年最悪規模の移民船沈没事故(10/29)と国連の対応を報じた記事。西アフリカから欧州へ向かう移民らの多くは、陸路でニジェールやリビアのサハラ砂漠を通り地中海沿岸を目指してきたが、EUの働きかけによりこのルートに対する当局の取り締まりが強化されたことから、(今回の事故のように)スペインのカナリア諸島からの欧州入りを目指し大西洋東部の危険な航路を通るいわゆる「大西洋ルート」の利用(とそれに伴う犠牲者の数)が増加している。フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官 は、人身売買・密航ネットワークの実態について、「子供の目の前で両親が殺害された話など残忍な暴力行為が横行しており、あまりに恐ろしい状況に衝撃を受けています。中でも最も言語道断なのは、こうした暴力の一環として何千人もの女性達がレイプされている現実です。」と語った。(原文へ

INPS Japan

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カザフスタンが成し遂げた「核兵器のない世界」:グローバル安全保障のために果たしたナザルバエフ初代大統領の貢献。(イェルラン・バウダルベック・コジャタエフ在日カザフスタン共和国特命全権大使)

【東京IDN=イェルラン・バウダルベック・コジャタエフ】

40年で456回の核実験

─カザフスタン共和国は、国際社会の中で積極的に核不拡散と軍縮に取り組んできました。

旧ソ連邦下のカザフスタンにあったセミパラチンスク核兵器実験場の名前は聞いたことがあると思います。この地で、ソ連邦初の核兵器実験が実施されたのは1949年8月29日のことでした。地域全体を包んだ眩い光は、ソ連が原子爆弾の開発と実験に成功したことを意味していたのです。

それから89年までの40年もの間、セミパラチンスク実験場は、ソ連の地上・地下の核実験の主要な場所の一つでありました。累計でじつに456回の核実験(340回の地下核実験と116回の大気圏内核実験)が実施されたのです。

国内外の専門家によると、この地域は、甚大な環境被害に苦しみました。その結果すべての住民は、放射線の被による病気の発症や死亡、さらに遺伝的損傷等を被ったのです。旧実験場跡地の最も危険な場所の放射能レベルは、現在でも毎時1万~1万マイクロレントゲンにも達しています。

Chagan nuclear test, 1965. The text above the image says in Russian

─そうした状況をカザフスタンの人々は受け入れていたのでしょうか。反対の声はなかったのですか?

それは、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が冷戦終結を宣言した89年のことです。その年の2月、地下核実験の失敗で放射能が環境中に放出されたことが明るみになりました。それまでもカザフ国民の不満や不安は高まっていましたが、この事件をきっかけにカザフ最大の都市であるアルマトゥイの作家組合の建物の周辺で抗議集会が開催されました。これこそが国際的反核運動「ネバダ・セミパラチンスク」の発端となったのです。

─その翌年、独立したカザフスタン共和国初の大統領にヌルスルタン・ナザルバエフ氏が選出されます。

90年4月24日に、初代大統領となったヌルスルタン・ナザルバエフが、大統領として最初に行った重要な政治行動が、「核兵器に反対する平和の有権者会議」の開催です。同年5月24日から3日間、カザフだけでなく世界約30カ国の反核運動家や団体の代表が、アルマトゥイの地に集結しました。さらに10月25日には、最重要文書「国家主権宣言」を採択します。この第1条では、カザフにおける核兵器開発と実験の禁止が、高らかに謳われています。

その後もナザルバエフ大統領は、議会の特別会合を招集し、ソ連の同意なしに核実験場の閉鎖を議論することを発表。さらにこの特別会合の閉会の辞で、大統領は自身の責任で実験場の閉鎖を宣言するのです。こうして91年8月29日、彼は法規命令409「セミパラチンスク実験場閉鎖について」に署名しました。

─こうしてみると、核実験場閉鎖までの道のりは順調だったように思えますが。

The 1st president of Kazakhstan, Nursultan Nazarbayev/ By Ricardo Stuckert/PR – Agência Brasil [1], CC BY 3.0 br

そんなに簡単なものではなかったと思います。なにしろソビエト時代にこの深刻な問題について公言するには、周到かつ大胆さが必要でした。それに、旧ソ連の共産党首脳部や軍産複合体の代表の見解と相反する考えを打ち出すには、相当な勇気を持たなくてはならなかったはずです。

なぜなら、政府の決断に対して公然と抗議する人間は、どんな仕打ちを受け抑圧の対象になったか、ソ連に住んでいた誰もが覚えていたからです。それを恐れずに成し遂げることができたリーダーは、ナザルバエフ以前にはいませんでした。

私が日本の大学で講義の機会をいただく際には、常に核軍縮と核不拡散の問題に留意し、核実験について詳しく伝えるとともに、セミパラチンスク実験場を閉鎖したナザルバエフ大統領の歴史的な決断についても紹介しています。日本の学生は、大変に関心を持ってくれます。なんといってもカザフスタンと日本は、ともに自国民が核兵器の破滅的な力を経験しているからでしょう。両国民にとって核兵器問題の解決は、いまだ根元的な重要課題であると思います。

ナザルバエフのリーダーシップ

─その後、91年の12月にソ連邦は崩壊しますが、カザフ共和国はソ連から引き継いだ核兵器も自発的に放棄しました。

2010 Portrait of Senator Sam Nunn/ By Nuclear Threat Initiative – Nuclear Threat Initiative, CC BY-SA 4.0

独立を果たした初日から、ナザルバエフ大統領は、人類が核兵器から自由になるための政策を実行し、核不拡散体制を強化してきました。アメリカの安全保障分野で著名な元上院議員サム・ナン氏は、核拡散防止体制におけるカザフスタンが示したリーダーシップについて、こう力説しています。

「当時のカザフスタンは、140以上、つまりフランスと英国と中国を合わせた数よりも多い核兵器を所有していた。それがどれほど重要なことであるのか、よく記憶している。同時に、ルーガー上院議員と私はカザフスタンを訪れて大統領と会見した。大統領は、核兵器を手放す意思を伝えてくれた。そのことが、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの核兵器放棄の全体的な決断に、どれだけ大きなインパクトを与えるのかについても、私はよく分かっていた」

名前の出た元上院議員のリチャード・ルーガー氏も、旧ソ連諸国の軍縮プロセスに関与した当時をこう回想しています。

「90年代初頭、私はナザルバエフ大統領やウクライナ、ベラルーシの首脳が、自国の兵器解体を米国の支援のもとで実施し、核兵器不拡散条約(NPT)に非核国として加盟することを受け入れてもらうべく私的外交に携わった。(ナザルバエフ)大統領は、直ちに自国におけるそのメリットを理解したのみならず、近隣諸国の、また、すべての国々が享受できるメリットも認識していた」と。

ソ連崩壊後、カザフスタンは世界で四番目に多い数の核兵器を持つ国となる可能性がありました。にもかかわらず、ナザルバエフ大統領は、核兵器を放棄するという前例を見ない英断を行ったのです。それは、紛れもなくカザフスタンの歴史において重要な決断でした。

─核保有国となる誘惑を、ナザルバエフ大統領が断ち切ったわけですね。

ナザルバエフの後を受けて第2代大統領に就任したカシム=ジョマルト・トカエフによると、92年春に、リビアのカダフィ大佐からナザルバエフ大統領に対して、カザフの核兵器を保持したいとの提案があったそうです。トカエフは当時副外務大臣を務めていたので、はっきり覚えているそうですが、在モスクワのリビア大使館からカザフスタン外務省に送られてきた書簡には、ナザルバエフが初のイスラム教徒の原子爆弾所有者になれる千載一遇の機会が到来したと記されており、共にそれを実現する方法について、また財政支援の可能性までも言及されていました。しかしトカエフによると、カダフィの書簡が届く前に核兵器不拡散条約に加盟する「主要な決定」がすでに下されていたこともあり、真剣に取りあうことはなかったそうです。元より、誇大妄想じみたこの提案は、不適切かつ無責任であると、カザフスタンは明確に理解していたと、トカエフは述懐しています。

─今も昔も、核抑止論には根強い支持があります。その中で、ナザルバエフ大統領の決断は、非常に重いものだと感じます。

そうですね。ナザルバエフ自身が、核兵器の放棄は容易ではなかったと述べています。まずは国内において、核兵器保持の推奨者が存在しました。彼らの主張の第一は、敵対する可能性がある国からの侵攻を阻止する効果的な抑止ツールであるという、反論が難しい意見です。次に核兵器の保有は、カザフスタンが地域の超大国となるステータスを得ることにつながる。その上、基礎科学、応用科学分野を引き合いに出し、科学や技術発展を目的とした核施設の重要性も強調されました。しかしナザルバエフ大統領が指摘した通り、核実験の黙示録的な影響に、どこよりも苦しんだ場所は、おそらくカザフスタンなのです。だからこそ、核兵器保有と引き換えに、自国民と国土を破壊し続けるような権利は、道徳的に持ち得なかったのです。

カザフスタンと日本の使命

─カザフスタンと日本は、核不拡散の分野でどのように協力してきたのでしょうか?

両国は、98年の国連総会の席上、共同で決議案を起し、同決議に基づき、翌99年にセミパラチンスク支援東京国際会議が開催されました。また核実験がもたらす結果についての共同研究活動も行ってきました。核実験場があったセメイと、広島、長崎の三都市における医療・公共機関との間では、緊密な相互連携も確立しています。

lag of Kazakhstan and Japan/ Embassy of Kazakhstan in Japan

さらに日本は、セミパラチンスク核実験場が閉鎖された8月29日を記念して、同日を「核実験に反対する国際デー」と宣言する国連総会決議に、先進国で唯一の共同起草国として加わりました。また2015年から2年間にわたった、第9回包括核実験禁止条約(CTBT)発効促進会議においても、カザフスタンと日本は共同議長を務めました。

─被爆国日本と、核実験に苦しんだカザフスタンは、核不拡散へのリーダーシップが最も期待される国ですね。

15年10月27日、ナザルバエフ大統領と安倍晋三首相は、包括的核実験禁止条約に関するカザフスタン・日本首脳共同声明に署名しました。また翌16年4月1日には、アメリカのワシントンにて、二回目のカザフスタン・日本共同声明を発出しました。

安倍首相が、15年にナザルバエフ大学で行った政治講演でも、核不拡散と軍縮の分野においての二国間協力の重要性を強調されています。「いまやカザフスタンと日本は、核軍縮・不拡散という人類史的課題の先頭を、手を携えて歩んでいます。(中略)本日のナザルバエフ大統領との会談では、一緒に頑張ろうという意思を、文字にしてお互いに確かめました。(中略)思えば、必然の成り行きでした。広島と、長崎、それからセミパラチンスク。(中略)思いは同じだからです。核軍縮・不拡散への意思、その不退転の決意です」(首相官邸ホームページより)

カザフスタンの行動は、国際社会の一員となる上での重要な過程を示しています。核兵器の放棄により、カザフスタンは、侵略者や、「ならず者国家になる可能性のある国」として国際社会からレッテルを貼られることもなくなったのです。ロシアや中国といった、近隣の核保有国とも敵対せず、むしろ圧倒的な平和関係を築くことができましたし、貿易関係も堅固です。いまや、カザフスタンは、近代的国家として認められ、地域と世界の平和と繁栄に対して実体のある貢献ができる国となったのです。

核放棄がもたらした賞賛と国の繁栄

─日本の読者へ向けてのメッセージをお願いします。

最後に強調したいのは、世界から大いに賞賛され、国連の公式文書にもなり、世界のリーダーや専門家の間で反響を呼んだ、マニフェスト「The World. XXI century 21(世界:21世紀)」の重要性についてです。このマニフェストが、16年にワシントンで開催された「核セキュリティ・サミット」の中でナザルバエフ大統領から発表されると、カーネギー国際平和基金本部をはじめ、ナザルバエフ大統領と米国の著名人や政治家との対話の中で大変な話題となりましたし、国際社会から熱烈に支持されました。カザフスタンが中央アジアの国として初めて、国連安全保障理事会の非常任理事国に選出(2017~18年)されたきっかけとしても、このマニフェストは象徴的でした。なにしろ平和と安全保障を維持する主要15カ国の一員として選ばれた事実は、ナザルバエフ大統領が世界の安全保障の強化に向けて尽力し、個人としても大きく貢献したことに対する、国際社会の高い評価を意味するものだからです。

カザフスタンは、戦争のない時代に核兵器がもたらした最悪の結末にどこよりも苦しみましたし、大きな犠牲を払うこととなりました。しかし、この経験があったからこそ、確実に世界をより安全な場所にするための重要な貢献をすることができたのです。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

カザフスタンは、軍縮、平和推進、グローバル安全保障を拡大する努力によって、地域の非核大国としての地位を強固なものにしました。核兵器の放棄が、経済や政治の発展への重要な要因となったばかりではなく、国内の安定にもつながったことは、声を大にして、国際社会に訴えていかねばなりません。

INPS Japan/『月刊「潮」2020年10月号より転載』

イェルラン・バウダルベック・コジャタエフ在日カザフスタン共和国特命全権大使。1967年生まれ。カザフ国立大学卒業後、モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学日本語学科を卒業。92年からカザフスタン共和国外務省アジア・アフリカ課に勤務。93年、国際交流基金日本語国際センター(埼玉県)に、96年には同沖縄国際センターに留学。2004年カザフスタン外務省アジア・アフリカ局長、08年在シンガポール全権大使を経て16年より現職。

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

(この記事は、2020年10月30日に「The Japan Times」紙に最初に掲載されたものです。)

【Global Outlook=ラメシュ・タクール

10月24日、広島と長崎に原爆が投下されてから75年を経て、ホンジュラスが核兵器禁止条約(TPNW)の50番目の批准国となった。条約は(2021年)1月22日に発効する。

サーロー節子は、カナダに住む被爆者である。彼女は、世界中の被爆者の代表として積極的に公の場で活動し、疲れを知らずに核兵器廃絶を訴え続けてきた。2017年のノーベル平和賞授賞式には、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の小さな代表団のひとりとして出席した(上の写真:ICANのベアトリス・フィン事務局長とともに)。2~3年前に私がトロントで行った講演で、彼女が聴衆の前に立ったとき、室内の空気が電気を帯びたようになり、心を揺さぶるずっしりとした歴史の重みが私の肩にのしかかるのを感じた。2017年7月7日、ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の歴史的採択が行われた後、彼女は締めくくりのスピーチをするという大きな栄誉を与えられた。その場で彼女は、「核兵器は、これまでずっと道徳に反するものでした。そして今、法律にも反するものとなりました」と、記憶に残る宣言を行った。その宣言は3年早いものだったが、私たちは、彼女の言葉の重要性を理解した。(原文へ 

10月24日、広島と長崎に原爆が投下されてから75年を経た、国連創設75周年の国連デーに、ホンジュラスが核兵器禁止条約の50番目の批准国となった。条約は、1月22日に発効する。その日から、核兵器は本当に国際法によって違法となる。延期されている発効50周年記念の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議は、この新たな制度的実体のTPNW発効を間近に控え、来年開催される予定である(訳者注=パンデミックのため2021年1月に延期開催の予定だったが、8月に再延期された)。禁止条約は、核兵器保有国の中国、北朝鮮、米国や、核の傘で守られている同盟国の日本、オーストラリアなど、非参加国に対して法的義務を課すことはできない。しかし、核兵器に関する人道法、規範、実践、議論からなる包囲網を再構築するものとなる。

地理的かつ地政学的に見晴らしのきく地点から見ると、禁止条約は、非差別的かつ普遍的であるという点で大きな利点を有している。インド太平洋地域の保有4カ国(中、印、パキスタン、北朝鮮)のうち3カ国は、NPTに参加していない。中国のみがNPTに参加している。インドとパキスタンは署名しておらず、インドは、NPTが保有5カ国(米、中、英、仏、ロ)と残りすべての非保有国との間に核のアパルトヘイトを生み出したとして、激しく批判している。北朝鮮はNPTに参加していたが、2003年に脱退し、以来、核兵器と大陸間到達能力を構築している。これによりNPTは、インド太平洋地域にとって、また、朝鮮半島、インド・パキスタン間、中印間(いずれも核の火種となりうる場所である)にとっての法的ガバナンス構造として、ほとんど無意味になってしまう。

1996年9月に採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)は、一連の軍備管理協定の中では珍しいことに、法的には未発効であるものの実務的には完全に機能している。条約では、決定的な原子力設備および活動を有する44カ国を特定しており、発効にはこれらの国すべての批准が必要である。しかし、これは、神の生きている間とは言わないまでも、私の生きている間には実現しそうにない。条約に協力的でない8カ国のうち、中国と米国は署名したものの批准しておらず、インド、北朝鮮、パキスタンは署名もしていない。このような方法は、CTBTの法的地位を妨害するために意図的に仕組まれたものではないかと疑う者もいる。CTBTの採択以降実施された核実験はすべて、1998年から2017年の間にインド太平洋地域で実施されたものである。

核兵器禁止条約は、これとは対極的な罠にはまっていると言われる。核兵器を保有する9カ国すべてが条約に反対しているが、条約は、これらの国の参加を発効要件とはしていない。そのため、実際面では禁止は実行不可能なものになっている。さらに悪いことに、禁止条約はNPTを損なうもので、核軍縮を推進しようとする努力を妨げるものだと批判する者もいる。いらだちをあらわにする米国は、条約署名国に宛てた尊大な書簡において、「現在も将来も国際社会を分断し、核不拡散・軍縮に関する既存のフォーラムにおける分断をさらに広げるリスクを冒す」条約を採択するという「戦略的な誤り」を犯したと述べた。

NPTは、年月とともに色褪せ、規範としての能力が衰えているように見える。目覚ましい成功を収めはしたが、NPTは、根本的に異なる地政学的秩序において核問題を管理する最上位の国際枠組みとして策定されたものである。それは、平和目的の原子力技術の移転を、いくつかの条件によって監督するものだった。不拡散の目標は、核兵器を持たないすべての国の間に広く行き渡った。つまり、実際面では、条約本来の3本柱のうちいまだ実行されていない唯一の柱は、第6条に定める核軍縮の義務なのである。

それを雄弁に物語るのは、ロナルド・レーガンとミハイル・ゴルバチョフが着手し、その後任者が引き継いだ米国とソ連/ロシアの核弾頭数の大幅削減である。これは、NPTの外で進められた2国間プロセスであったが、現在は頓挫し、進路を反転させつつある。既存の合意は、新たな地政学的対立関係という、あたかもハイウェイでひき殺された動物の様相を呈しつつある。中国は、中距離核戦力全廃条約(INF)を3カ国(米、ロ、中)で締結しようとする努力を全面的に拒絶している。米国は、2015年のイランとの核合意から離脱し、さらには新戦略兵器削減条約(新START)の延長に消極的な姿勢を見せ、核秩序の支柱倒壊という絶望的状況に拍車を掛けている。

さらに悪いことに、NPT第6条を運用可能にすることへの拒絶に加えて、NPT本来の柱がじわじわと侵食されつつある。NPTで認められた核兵器保有5カ国は、NPTによって核兵器の保有と配備を許可されたという主張から、ニック・リッチー(Nick Ritchie)の表現によれば「資格、法的権利、永続的な正当性の表現」へと、さりげなく態度を変えてきた。これを何より如実に示すのは、トランプ政権で軍備管理担当のトップの座に就くクリス・フォード(Chris Ford、訳者注=トランプ政権の国家安全保障、不拡散担当国務次官補)である。彼は、(2020年)2月11日にロンドンで行った演説で、軍備管理に取り組む人々を見下すように切り捨て、彼らは美徳をちらつかせる核の選民主義者だとほのめかした。

NPT参加国社会の多くの国は、核兵器非保有国である。軍備管理の逆行に憤慨し、また、人道的懸念に動かされ、これらの国々は、核の正当性を取り消す主体的権利を取り戻すことを求めた。1月22日からは非人道的であるだけでなく違法となる核兵器保有をめぐり、核兵器配備と核抑止論の正当性の危機が深まるなか、核の傘に守られた国々は国内における困難に直面するだろう。「ジャパン・タイムズ」紙によると、公共放送局であるNHKが2019年12月に行った世論調査では、日本国民の66%がNPTへの署名に賛成しており、反対はわずか17%であった。

禁止条約は、市民社会と国家に対し、核兵器の全面的廃絶に向けた具体的な前進を実現するために、力を結集して新たな規範となる枠組みを支援するよう促すだろう。アントニオ・グテーレス国連事務総長がこの歴史的機会に寄せた声明で述べた通り、廃絶は「今なお国連にとって最重要の軍縮課題」である。2017年、国連総会はようやく、初めて、安全保障理事会の常任理事国5カ国(NPTが認める核保有国でもある)を合わせた地政学的重要性よりも、総会決議のほうが規範として重要性を持つと主張した。ベアトリス・フィンICAN事務局長の言う通りである。「この条約は国連の最も良い面が表れている。市民社会と緊密に協力し、軍縮に民主主義をもたらしたのだから」

ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、核軍縮・不拡散アジア太平洋リーダーシップ・ネットワーク(APLN)理事を務める。元国際連合事務次長補、元APLN共同議長。

INPS Japan

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IDN Sponsors Webinar on Nuclear Weapons Elimination By 2045

‘Target 2045: A New Rallying Call for Nuclear Weapons Elimination’ was the theme of a Webinar co-sponsored by the Basel Peace OfficeIDN-InDepthNews, Parliamentarians for Nuclear Non-proliferation and Disarmament (PNND), UNFOLD ZERO and #wethepeoples2020 on November 2.  It explored the political value of setting 2045, the 100th anniversary of the United Nations, as the target date by which the global elimination of nuclear weapons should be achieved, if not before.

Kazakhstan’s Permanent Representative to the United Nations in New York joined the call of civil society for achieving the global elimination of nuclear weapons at least by 2045. Setting the 2045 goal could provide a global rallying call to build a stronger movement that would leave no room for being dismissed as unrealistically early by those who rely on nuclear deterrence, they agreed. The discussions followed in the aftermath of Heads of State and Government Ministers addressing on October 2 a United Nations High-Level meeting on the elimination of nuclear weapons, along with the UN Secretary-General, the President of the UN General Assembly and two representatives of civil society associat,ed with the PNND.

Alyn Ware, Director of Basel Peace Office, World Future Council Member, and PNND Global Coordinator, chaired the Webinar. Speakers were: Ambassador Magzhan Ilyassov, Permanent Representative of Kazakhstan to the United Nations; Ramesh Jaura, Editor-in-Chief & Director-General, IDN-InDepth News, flagship agency of the non-profit International Press Syndicate group; Saber Chowdhury MP, Honorary President, Inter-Parliamentary Union (IPU), PNND Co-President; and Vanda Proskova, Vice-Chair, PragueVision Institute for Sustainable Security, and Co-chair, Abolition 2000 Youth Network.

As the Kazakh Ambassador pointed out, the 2045 proposal was introduced to the United Nations by Kazakhstan’s First President Nursultan Nazarbayev, first in a speech to the UN General Assembly in October 2015, and again when he hosted a special UN Security Council meeting on weapons of mass destruction in January 2018. President Nazarbayev appealed to the permanent members of the Security Council, in particular, to pledge to achieve the elimination of nuclear weapons by 2045.

“It was the decision of the First President of Kazakhstan to close the world’s second-largest test site and abandon the fourth largest nuclear arsenal, which gave impetus to the global nuclear test ban and the adoption of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty, Ambassador Ilyassov pointed out.

Explaining IDN’s co-sponsorship of the Webinar, Ware emphasized the fact that a nuclear-weapons-free world is the agency’s central theme. The other dominant theme is sustainable development. In fact, the sixteenth of the 17 Sustainable Development Goals (SDGs) focuses on Peace and Justice, added Jaura.

He pointed out that the United Nations Office for Disarmament Affairs (UNODA) has worked out global norms for disarmament. These, according to UNODA, are vital to sustainable development, quality of life, and ultimately the survival of this planet, the crux of the SDGs.

The need for such norms obviously arises directly from the legacy of the last century plagued by wars and preparations for wars. The costs of such conflicts have been extraordinary. These have included not only the loss of untold millions of innocent civilians but also the annihilation of nature.

What is more: Weapons of mass destruction, along with excess stocks and illicit transfers of conventional arms, jeopardize international peace and security and other goals of the Charter of the United Nations, IPU’s Chowdhury and Prague Vision’s Proskova agreed.

Of course, disarmament alone will not produce world peace. Yet the elimination of weapons of mass destruction, illicit arms trafficking, and burgeoning weapons stockpiles would advance both peace and sustainable development goals.

It would accomplish this by reducing the effects of wars, eliminating some key incentives to new conflicts, and liberating resources to improve the lives of all the people and the natural environment in which they live.

Furthermore, disarmament will advance the self-interests, common security and ideals of everybody without discrimination.

Yet despite these benefits, disarmament continues to face difficult political and technical challenges. One such example is that the U.S. is exerting pressure on signatories to withdraw from some of the anti-nuclear treaties.

The U.S. administration has sent a letter to governments that have either signed or ratified the Nuclear Ban Treaty TPNW, telling them: “Although we recognise your sovereign right to ratify or accede to the TPNW, we believe that you have made a strategic error.”

The U.S. letter to TPNW signatories, obtained by The Associated Press, says the five original nuclear powers – the U.S., Russia, China, Britain and France – and America’s NATO allies “stand unified in our opposition to the potential repercussions” of the treaty.

It adds that the Treaty “turns back the clock on verification and disarmament and is dangerous” to the half-century-old Nuclear Nonproliferation Treaty, considered the cornerstone of global nonproliferation efforts.

Nearly two hundred experts in the field of nuclear disarmament and sustainable development participated in this global virtual forum. They commended Kazakhstan’s leadership and contribution to nuclear disarmament, and expressed commitment to work together to achieve our collective aspiration for Global Zero. Ambassador Ilyassov underscored that in order to achieve a nuclear-weapons-free world by 2045, it is necessary to undertake the necessary action..

This view was supported by PNND’s Ware, IDN’s Jaura, IP’U’s Chowdhury and Prague Vision’s Proskova. They called for all the countries, NGOs, civil society and faith organisations, youth, activists, and media to join concerted efforts and flashlight that date of 2045 and make it known around the world. Chowdhury underlined what the parliaments were doing in that respect.

It’s not only the resistance to a nuclear-weapons-free world but also the lack of willingness to draw lessons from the COVID-19 pandemic. A simple lesson is; to take to a new normal — a new normal in which weapons of mass destruction including nuclear weapons have no place whatsoever, maintained Jaura.

Chowdhury emphasized that the activities of parliamentarians in convincing their governments that the TPNW allows for a unique opportunity to invest funds in sustainable development projects for the benefit of their people and contribute to national, regional and international peace and security.

Together with Proskova, he emphasized the role of media and youth to join in creating awareness of the pressing need for global efforts to usher in a nuclear-weapons-free world. [IDN-InDepthNews – 05 November 2020]

Important link > First President Nazarbayev’s vision of a nuclear weapons-free world by 2045 endorsed in a global webinar