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国家主権の「責任」と核兵器禁止条約

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

(この記事は、2020年12月8日に戸田記念国際平和研究所が主催したウェビナーを元に、「原子力科学者会報」 (2021年1月22日)に初出掲載された論考を改訂および加筆した。)

【Global Outlook=ラメッシュ・タクール】

1984年、ロナルド・レーガン大統領は、核の王様は服を着ていないと述べた。「われわれ2カ国[米国とソ連]が核兵器を保有することの唯一の価値は、それらが決して使われないようにすることだ。だとしたら、核兵器を完全に廃止したほうが良くはないだろうか?」と。まったくその通りである。核兵器禁止条約(TPNW)は、核兵器の倫理性、合法性、正当性における新たな規範となる解決点を提供することで、それを実現しようとしている。(原文へ 

TPNWは、ホンジュラスが50番目の批准国となってから90日後、そして国連総会で採択されてから3年半後の1月22日に発効した。50番目の批准により、核兵器の保有、使用、配備、実験などを全面的に禁止する法的拘束力を有する初めての条約の発効に向けたカウントダウンが始まる直前、AP通信は、米国が条約締約国に宛てて送った書簡のコピーを入手した。米国政府は、核不拡散条約(NPT)が世界的な核不拡散努力の基礎として有効に存続するうえでTPNWは「危険」であると表現し、署名国は「戦略的誤り」を犯していると述べ、批准を取り下げるよう署名国に要求した。

書簡には、NPT締約国がTPNWに加盟する「主権的権利」は尊重すると書かれていた。これに対する的確な返答は、加盟は主権国家の責任でもあるということだ。NPT第6条によれば、核軍縮は、5核兵器国(NWS:つまり中国、フランス、ロシア、英国、米国)だけではなくすべての締約国の責任であり、「各締約国は、核軍備競争の早期の停止および核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、誠実に交渉を行うことを約束する」とあるのだ。国際司法裁判所は1996年7月8日に、裁判官全員一致で出した有名な勧告的意見において、第6条に基づく核軍縮義務の性質を、交渉を追求する約束から、かかる交渉を“誠実に追求し、完結させる”義務へと強化した。

NPTが1970年に発効して以来50年間にわたって運用される中で、NWSは事実上、第6条を再定義に持ち込んだ。NPTのもとで1基の核弾頭も廃棄されず、1回の多国間核軍縮交渉も開催されていない。第6条が実行されないだけでなく、本来NPTを構成する取り引きも骨抜きにされてしまっている。五つの核兵器国は、彼らの核兵器保有と配備はNPTによって認められていると主張していたのが、いつのまにか、核兵器を永遠に保有する権利がNPTによって与えられており、その独占的地位が無期限に正当化されていると主張するようになっている。この「偉そうな核兵器国」症候群を如実に示す事例は、トランプ政権で軍備管理担当のトップの座に就くクリス・フォードが2020年2月11日にロンドンで行ったスピーチである。彼は、軍備管理に取り組む人々を、美徳をちらつかせる現実を知らない人々だと見下した。

このような現状を踏まえるなら、責任ある主権国家としてNPT締約国は何をするべきだろうか? 一つの選択肢は、トム・ドイル、そしてジョリーン・プレトリウスとトム・サウアーも主張するように、NPTから脱退することである。そうすれば、間違いなくNPTは息絶えるだろう。しかし、誠意ある非核兵器国は、NPT第6条の核軍縮のアジェンダを遂行するために、補足的かつ補強的な条約という手段で、最後の戦いに挑むことを選んだ。戸田記念国際平和研究所の政策提言(Policy Brief No.104 The Humanitarian Initiative and the TPNW, Alexander Kmentt)において、アレクサンダー・クメントは、これに関連する二つの問いを投げかけている。核抑止論には、本質的につきまとう避けることのできないリスクが内在しているにも関わらず、なぜそれらを「責任ある政策と見なせるのだろうか? むしろ、核武装国が明らかに悪循環に陥っているとしたら……非核兵器国の“責任”とは何だろうか?」と。

核兵器禁止条約を支持する意見を、NPT締約国による主権国家としての責任の表れと理解するためには、2005年の世界サミット(国連首脳会合)において全会一致で採択された「保護する責任」(R2P=Responsibility to Protect)の原則を踏まえ、国家主権を責任として再概念化することに目を向ければよいだろう。この世界サミットは、世界の首脳が集まる過去最大の会合であった。R2Pが策定され、「人道的介入」に代わる新たな規範として採択された。NATO首脳が1999年のコソボ戦争を正当化するために主張した「人道的介入」は、非西側社会において、例えば非同盟運動によって、広く批判されていた。

もちろんR2Pという概念自体、国連が承認してNATOが主導した2011年のリビア介入以来、大いに論争の的となってきた。しかし、国連コミュニティーにおける論争は、実施の方法とその説明責任に限定されている。この原則そのものは、規範的基盤として国家主権を責任として再概念化することも含め、ほぼ普遍的に受け入れられている。旧来の人道的介入とR2Pの主な違いのいくつかは、NPTとTPNWの違いにも関係している。

第1に、通常、規範や法律は許容的機能(「許可」)と制約的機能(「拘束」)を持っている。人道的介入の場合、主要国は、この規範の権限付与的特性として、人道上の残虐行為を行っているとされる他国の主権領域内に介入する権利を主張した。しかし、誰が介入を決定するか、使用できる軍事力の範囲や種類、介入期間、介入国として行ってもよいことと行うべきではないこと等の、権限に相応する義務または制約は引き受けなかった。それに対しR2Pは、人間の保護を目的とするいかなる国際介入にも安全保障理事会の承認が必要であるとし、すべての国に対してこの新たな規範的枠組みを課している。

NPTについても5核兵器国は同様に、国連安全保障理事会の常任理事国(P5)として、他のすべての非核兵器国に対して核不拡散の義務を守らせる権利を主張してきた。1998年にはNPTに署名していないインドとパキスタンにもこれを強要し、制裁を課した。両国が核実験を行って、核拡散に反対する国際規範に違反したからだという。その一方で核兵器国は、自国の核軍縮を開始して完了するという、第6条に基づく拘束力のある義務を断固として拒否している。TPNWはNPTの先を行っており、すべての締約国に対する法的拘束力のある要件として、武装解除し、あらゆる核兵器関連活動を停止することを課している。

第2に、人道的介入は、介入国とその武力行使の対象となった国の関係を再定義しようとするものだった。そのような一方的な介入を行う権利があると主張しつつ、介入国は、国連が国際社会の代表として彼らの活動を統制する役割を果たすことについては、激しく拒絶した。それとはまったく対照的に、R2Pは、かたや個々の国家と、かたや国際社会の代理であり拠点でもある国連の関係を再定義した。しかし、R2Pは、国家同士の関係には直接手を付けないままだった。そのため、人道的介入は国家主権の侵害であるのに対し、R2Pは、国家主権の原則を侵害することなく主権の機能の執行を一時的に停止するものとなっている。

これは、主権を責任として再定義することで正当化される。それにより、国家主権の特権を構成する不可分の要素として、その領土管轄権内に住むすべての人々を、生命を脅かす危険から保護する義務が生じる。他のすべての国は、あらゆる脆弱な国家を支援し、彼らが“保護する責任”を遂行する能力と意思を形成できるようにする責務がある。その国が保護する責任を果たすことができない、またはその意思がないことが明らかで、残虐行為が大規模に行われている場合、あるいは国家自身が大規模な残虐行為を犯している場合は、残虐行為を被っている、またはそのリスクが非常に大きい国民を保護する責任は、国際社会へと移行する。その場合、国際社会は、国連安全保障理事会を通して断固とした措置を適時に講じることが求められる。

この点でも、TPNWは非常によく類似している。すべての締約国が核軍縮を推進する法的義務を有し、すべての国家がその道義的責任を有している。NPTの運用開始から50年が経ち、核兵器国が核軍縮の責任を果たしていないことは明らかである。核軍縮は彼らの間でのみ交渉するべき問題であり、他の国々はこれに関して発言も投票もする権利がないという核兵器国の主張は、主要国が一方的介入を行う権利を主張し、国連の調整的役割を認めないことと似ている。また、核戦争が起これば、想像もできないほど大規模な残虐行為となる。そのような壊滅的な出来事の人道的影響に対処する能力は、個々の国にも、集合的な国際体制にもない。

したがって、国連を通して行動する国際社会が、すべての人の生命と生活を守る責任の一環として、核兵器とそれに関連する活動を禁止する新たな条約を採択するのも当然のことといえる。TPNWへとつながった人道的影響をめぐるイニシアティブの表現を借りれば、核兵器が二度と使用されないことが人類の存続そのものの利益であり、使用されないことを保証する唯一のものは誰もそれを保有しないことである。もちろん、核兵器禁止条約は、核兵器を保有する9カ国すべてと、その核の傘に守られた同盟国を含む非締約国に法的義務を負わせることはできない。しかし、この条約は、核兵器に関する人道法、規範、実践、言説を取り巻く状況を再構築するものとなるだろう。

TPNWにはもう一つ、意図されなかった、しかし重要な結果をもたらす可能性がある。常任理事国P5が支配する安全保障理事会は、世界秩序の地政学的な操縦室であるが、国連総会は、すべての加盟国が参加するがゆえに規範的な重心といえる。現実には、規範や標準を決定する責任を総会が担い、執行する役割を安全保障理事会が担うということである。しかし、国際社会が核兵器保有に(禁止の)烙印を押すことに成功した今、5常任理事国は、どうやって核問題に関する執行機関として機能し続けることができるのだろうか?安全保障理事会に代わって合法的かつ正当にこの機能を果たせる機関はほかにないため、国際平和と安全保障に対する核兵器の脅威に関して、何がこの執行とのギャップを埋めることができるのだろうか?

ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、オーストラリア国際問題研究所研究員。R2Pに関わる委員会のメンバーを務め、他の2名と共に委員会の報告書を執筆した。近著に「Reviewing the Responsibility to Protect: Origins, Implementation and Controversies」(ルートレッジ社、2019年)がある。

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【モスクワIDN=ケスター・ケン・クロメガー】

アフリカのメディアを対象にした調査、支援、アドボカシー活動を通じて、伝統的なステレオタイプ(貧困、病気、紛争、脆弱なリーダーシップ、腐敗)の枠に嵌められいるアフリカのイメージ打破を目指す新たなイニシアチブ「Africa No Filter」について、モキ・マクラ事務局長にインタビューした記事。ANFによると、アフリカ大陸で配信されている報道の約3分の1が依然として域外のニュースソース(情報源)によるものである。(原文へFBポスト

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【ウィーンIDN=トーマス・ハイノツィ】

核兵器禁止(核禁)条約は、1月22日の発効をもって、ますます増加する加盟国(現在は51カ国)を拘束する国際法となる。さらには、加盟する意思のない国に対しても効果を及ぼす。

核兵器国自体が、この条約に反対するという行為によって、条約の効果を証明してしまっている。核禁条約に署名・批准しないように他国に圧力をかけるのでなく、条約を単に無視することもできたはずだからだ。

核禁条約は、核不拡散条約(NPT)第6条における核軍縮義務を遵守しようとの意思が核保有国側に欠けていることを白日の下に晒した。NPTが50年前に発効して以来、核兵器国は軍縮を怠ってきただけではなく、軍縮の計画を練り始めることすらしてこなかった。

Ambassador Thomas Hajnoczi/ Photo by Katsuhiro Asagiri

それどころか、これらの国々が行ってきたことは、核戦力近代化のために数兆ドルを投資し、より洗練された次世代型の核兵器を開発し、その使用のハードルを下げることであった。

米国は、長年にわたって、自分たちは核兵器なき世界を目指しており、そのような世界の実現には法的拘束力のある禁止規範が必要だとの見方を国連で示してきた。であるならば、核禁条約の趣旨そのものが問題なのではなく、核兵器国の意向を待たずに多数の国家がこの条約を実現させてしまったことが問題なのだろう。

核兵器国は条約交渉に招かれたが、ボイコットすることを選んだ。核の傘の下にある国々に対して、交渉に加わらないよう圧力をかけることさえした。そうすることによって核兵器国は、「核軍縮を誠実に追求し、核軍縮につながる協議を妥結させること」を義務付けたNPT第6条に違反したということもできよう。

核兵器国は、核兵器がほぼなくなって初めて禁止規範を生み出すことができると主張して、協議に参加しなかった。こうした態度は、他の種類の大量破壊兵器を禁止した歴史とは、きわだった対照を成している。もしこうした考え方が支配的だったとしたら、化学兵器の禁止は成しえなかっただろう。なぜなら、化学兵器の廃棄はいまだに終了していないからだ。

化学兵器の禁止規範が存在しなかったならば、シリアなどによる近年の化学兵器使用は国際法違反とみなされなかったであろう。この事例は、通常兵器に関する他の事例とあいまって、ある種類の兵器の禁止がその廃棄に常に先行しているのはなぜかをよく説明してくれる。

核禁条約に反対する運動は、同条約ができても核弾頭は一発も減らないという主張を中心としている。しかしその批判は核兵器国自身に跳ね返ってくる。なぜなら、どの条約も、どの非核兵器国も、廃棄する核兵器など持たないからだ。核兵器国が核を廃棄しない限り、人類へのリスクは永続する。

核禁条約はその意味において、核兵器保有国がひとたび条約に加わった際にどのように核を廃棄しどう検証するかについての細かい手続きを将来的な規制にゆだねる、焦点を絞った禁止条約だといえる。交渉に与えられた任務に明らかなように、核禁条約は核兵器の完全廃絶へと導くべく作られたものであり、さらなる法的、実践的措置を作り出す不可欠の基盤となるものだ。

核禁条約が強調したことは、核兵器は人間の価値と国際法に根本から反するということだ。広島・長崎への原爆投下以来、過剰な苦しみを引き起こし数多くの民間人を殺戮する核兵器の使用は、国際人道法に違反していると正しくも論じられてきた。核兵器は違法であるという事実が明白にされることが望まれており、それがついに核禁条約で打ち立てられた形だ。

Photo: Hiroshima Ruins, October 5, 1945. Photo by Shigeo Hayashi.
Photo: Hiroshima Ruins, October 5, 1945. Photo by Shigeo Hayashi.

実際、核兵器が人間に及ぼす壊滅的な帰結と、それがもたらす受け入れがたいリスクは、核禁条約の採択につながったプロセスをもたらした主たる動機であった。たとえ限定的な核兵器による交戦でも、「核の冬」のような世界的な影響をもたらすだろう。

誤解や過失、あるいは技術的な障害が原因で核兵器の爆発する寸前までいった事例が数多く報告されている。核兵器が人間にもたらす被害に対して、人道危機の対応能力は存在しないし、そうしたものを生み出すこともできない。その意味で、そうした惨事を引き起こさないための唯一の保証は、核兵器の禁止とその完全廃絶である。

核禁条約は、冷戦期の二極対立の時代からつづく核抑止という概念が、事実によって疑問に付されるようになった時代において、まさにこの概念の合法性を否定した。多極的でデジタル化された世界において核抑止が効果的であり得ようか。 核システムのハッキングが起き、超音速兵器がその速度と非弾道的な飛行経路を活かして報復の心配なく第一撃を与えることができるかもしれない時代なのだ。

加えて、核抑止概念の信頼性を維持するには、核兵器を使用し、したがって、自らの国民を含めた数百万人の人々を殺戮する準備ができていなければならない、ということを意味する。ドナルド・レーガン大統領は、核兵器が決して使われることのないようにする手段としての核抑止について、かつてこう語った。「しかし、核兵器を完全になくしてしまった方がよくないか。」と。

核兵器の禁止とは、核兵器に依存した安全保障政策を各国が構築してはならないということを意味する。これは、核兵器国だけではなくて、他国の核兵器に自らの安全保障を依存する選択をしている国々に関してもいえることだ。核禁条約は、核兵器廃絶への努力を謳いながら、同時に自らの「保護」のために核の存在を継続的に求めている、いわゆる「核の傘」依存国の矛盾を明らかにした。

ほとんどの「核の傘」依存国において核禁条約への参加を世論の多数が主張しているように、このダイナミズムは、核軍縮に関する重大な議論につながり、軍縮に関する立場の変更へと導くかもしれない。核禁条約のもう一つの効果は、核兵器産業に関与する企業からの投資引き上げの流れができつつあることだ。大規模な公的ファンドがこうした路線をとっているだけではなく、銀行の投資ファンドもますますこの範に倣うようになってきている。

核禁条約の発効は、新型コロナウィルス感染症のパンデミック(世界的大流行)と時期を同じくすることになった。コロナ禍は、核兵器によって勝ち取ることが不可能な、世界・国家・個人の各レベルの安全への脅威となっている。気候変動に始まる現代の主要な難題の多くは、核兵器は言うに及ばず、兵器で対応できるようなものではない。逆に、核兵器の維持と近代化計画は、こうした安全への圧倒的脅威に対処するために必要とされている資金を吸い上げている。

Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en
Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en

安全保障に関するこのより広い概念が核禁条約の基礎を築いた。国家安全保障と人道的安全保障が意味するところは同じである。すなわち、ある国に住んでいる人々の安全という意味だ。自国が核兵器を使用したならば、民衆は恐ろしい形で被害に遭い、彼らの生存は危機に晒されることになる。第一に、攻撃された国からの予想される核での反撃によって、第二に、人類全体もそうであるように、核戦争が世界的に人間にもたらす帰結によって、である。これはもはや安全保障ではない。

核兵器が世界的にもたらす影響は、全ての国が利害関係や発言権を持つ問題という性格を核軍縮に持たせてきた。核禁条約は、すべての国家を平等のレベルで扱った点において、この事実を反映した初の核軍縮条約となった。

核禁条約は、別の面においても、「ニュー・ノーマル」となる新たな基準を設定した。市民社会は、核禁条約を成立させる上で決定的な役割を果たした。科学者が発見した知見のもたらしたインパクトが交渉に影響を与えた。NGOや国際赤十字委員会はプロセス全体を通じて大きな貢献を成し、その事実は、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へのノーベル平和賞授与という形で現れた。

ICAN
ICAN

これまでにも、サイバー問題や環境問題など、複数の利害関係者を巻き込むアプローチが確立してきたが、今や対人地雷やクラスター弾問題に関しても当たり前のアプローチになっている。核禁条約によって、このアプローチは核軍縮分野にも到達した。安全保障の問題はもはや、軍や外交官の専権事項ではなくなった。

最後に、核禁条約は正しくも、1945年の原爆投下の被害者であるヒバクシャの容認しがたい苦しみに言及している。条約には、被害者支援と環境回復に関する義務も盛り込まれている。交渉時には、核兵器が現実に人間に及ぼす影響が、条約推進の強い動機となっていた。そうしたことから、核禁条約は、個人の運命の問題を中心に据えることに成功した。将来の軍縮諸条約はこの例に倣わねばなるまい。(文へ) 

※著者のトーマス・ハイノツィ大使(退任)はウィーン大学で1977年に法学博士号を取得し、90年代には既にオーストリア連邦政府欧州国際関係省軍縮・軍備管理・不拡散局長の要職にあった。大使のキャリアは長いが、とりわけ、国連副大使(ニューヨーク駐在)、駐ノルウェー大使、外務省安全保障局長、駐欧州評議会大使(ストラスブルク駐在)、国連欧州本部大使などを歴任。対人地雷禁止条約や核兵器禁止条約など複数の人道的軍縮プロセスに密接に関わる。

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ソーシャルメディアと「#ENDSARS」を駆使し、ナイジェリアの階層主義的長老支配の解体を目指す

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=メディナト・アブドゥラジーズ・マレファキス】

2020年10月3日、ナイジェリア警察の特別強盗対策部隊(SARS)が被害者を攻撃する映像がソーシャルメディアで拡散し始めた。映像には、射殺された若い男性とレクサスのSUVで走り去るSARS隊員たちが映っていた。この事件は、人々の激しい怒りに火をつけた。ハッシュタグ#ENDSARSは最初の週末には約2800万件のツイートを集め、Twitterトレンドで世界1位となった。2020年10月8日から若者たちが街に出て抗議活動を行い、SARSの廃止を平和的に訴えた。(原文へ 

2017年以降毎年、SARSによる特におぞましい襲撃事件が起こるたびに、Twitterのハッシュタグ#ENDSARSのもとで、部隊の廃止を求めるオンライン上の運動が行われてきた。ナイジェリア政府と警察部隊は、これらの声をあるときは無視し、またあるときは部隊の改革を主張したが、SARS隊員による人権侵害事件は続いてきた。

しかし、今回の抗議のうねりは何もかもが違っていた。2017年以降初めて、#ENDSARSはオンライン上の運動から大規模なオフラインの抗議活動へと発展したのである。著名人たちが平和的デモ行進を街で行うよう呼び掛けたのを受け、10月8日ラゴスで始まったデモは、ナイジェリア南部と東部の他の街にも広がった。その中にはナイジェリア連邦の首都アブジャも含まれていた。

 SARSは、強盗などの凶悪犯罪やサイバー犯罪に対処するため、1992年にナイジェリア警察内に設立された部隊である。しかし、部隊は次第に恐怖の法執行部隊となっていった。アムネスティ・インターナショナルは、2017年1月から2020年5月までの間に、少なくとも82件のSARSによる拷問、虐待、裁判を行わない処刑があったという報告書を発表した。

SARSは15~35歳の若年層をターゲットにし、彼らの服装、運転している車、使っている携帯電話、性的志向、さらには職種に基づいて捜査対象を決めていた。iPhone、高級車、破れたジーンズ、ピアス、ドレッドヘア、あるはタトゥーのある若者は、SARS隊員に制止させられた。若者がその年齢でそのような贅沢品を持っているはずはない、したがってインターネットの詐欺師か武装した強盗のどちらかだと決めつけるのである。正式に逮捕することも具体的な罪名を示すこともなく、SARS隊員たちは無差別に電話を捜査し、“逮捕者”の銀行からのテキストメッセージを調べて口座残高を確認するなどの行為を行っている。彼らは、被害者に銃を突き付けてATMまで連れて行き、持ち金すべてを引き出させてゆすり取ることで知られていた。また、SARS隊員たちは人々を無差別に逮捕、拷問、拘束、殺害し、被害者の自動車、電話、ノートパソコン、カメラを持ち去っていた。

#ENDSARS運動を主導するのは、怒りの矛先を真っ先にSARSに向ける若年層の人々である。しかし、より一般的なレベルでは、警察の残虐行為を終わらせることにとどまらない多くの要求があり、それらを通してナイジェリアの若者たちはこの国の階層主義的な長老支配を解体しようとしている。#ENDSARSの抗議活動におけるこのような最近のうねりは、ナイジェリアにおける若者と年長者の間のアイデンティティー紛争へと変質を遂げた。

若者たちは街頭デモを通して、不満と憤怒をナイジェリア社会の階層主義的な「ステータス・クオ(現状)」にぶつけた。年長者はコミュニティーの問題に関する知恵と知識があるため高く評価されるべきであるという、「権威主義的なにおい」を漂わせる社会の現状である。ナイジェリアの人口約2億人のうち、約1億3500万人は30歳未満である。SARSへの抗議運動が進展するにつれ、多くの若者たちが、ナイジェリアの社会問題の真の元凶は年長者世代である、なぜなら、彼らは臆病にも国家指導者たちに立ち向かうことなく、いつまでも祈って問題を解決しようとしてきたからだと、意見を口にするようになった。一方、年長者と政治エリート層は、若者たちを経験不足でいつも結論を急ぎ、インターネットばかり見て、スマートフォン中毒になっている世代と考えている。だからこそ彼らは、制度的に若年世代が政治参加できないようにしているのである。若者は、未熟であり政治的役職にふさわしくないと見なされている。

その若者たちがいわゆるインターネット中毒を駆使して正義を求めた時、彼らの要求は、高圧的な態度、暴力、侮蔑をもって迎えられた。ナイジェリア政府や政界の役職者に代表される年長者およびエリート層は、長老支配と払われることが当然の敬意という長年の伝統に則ってこの要求に対応したのである。最初は、この抗議運動を若年世代のいつもの騒ぎとして無視した。次に、SARSに代わる新たな警察部隊(特殊武装戦術部隊―SWAT)の設置を発表するなど、いつもの口先だけの改革を示し、いかにも丁寧そうな姿勢を示した。抗議者たちは使い古された策略に引っ掛からなかったため、次に待っていたのは暴力的な弾圧だった。2020年10月20日、抗議のデモが始まって12日目に政府は軍を出動させ、平和的抗議者への発砲を命じ、ラゴスで約12人の抗議者を殺害した(これは公式な数字に過ぎない)。

ナイジェリアにおけるSARSへの抗議活動は、既存の規範に異議を唱え、社会変革を求める手段として、ソーシャルメディアをいかに活用することができるかを示している。デジタル技術を活用することによって運動のリズムが変わり、毎年繰り返されるオンライン上の無駄話だったものが、ナイジェリアの長年の歴史の中で最も効率的かつ心をつかむ、若者主導の運動へと変貌を遂げたのである。運動の分散的な構造には、明確なリーダーシップは見られなかった。レッキにある料金徴収所といった、若者たちが集まる具体的な場所を計画するために、日々Twitterが利用された。ソーシャルメディアは、ラゴスの抗議活動の映像や進捗報告を共有するためにも利用された。その後に、ナイジェリア南部の他の地域にも抗議活動が広まった。ソーシャルメディアは、世界の著名人、政治家、外交官、メディア企業、その他の人々の注目を集めるためにも利用された。それはナイジェリア政府の面目を失わせ、抗議者やその要求に反応して注意を向けざるをえなくさせた。また、一時期、ナイジェリア国内の主流メディアは抗議活動を報道していなかったため、ソーシャルメディアは抗議運動に関する数少ない情報源の一つとなった。

デジタル技術も抗議活動への資金提供に重要な役割を果たした。現地のテクノロジースタートアップは、ほとんどが若者によって所有・経営されており、クラウドファンディングや寄付へのリンクによって運動を支援した。その結果、運動のために38万米ドルを超える資金が集まった。

ENDSARS運動を前にしても、政府の姿勢は変わらなかった。例えばブハリ大統領は、ラゴスでの虐殺を認めることを拒否した。なぜなら、抗議活動は(体制においても、効果においても)年長者とエリートを敬うというナイジェリアの文化を打ち砕いたからである。若者が正義を求め年長者やエリートの行為に疑問を呈することは予期されていなかったため、ENDSARSは年齢に基づくヒエラルキーという伝統的秩序に楯突き、それを容認しない権力に逆らう運動となった。

#ENDSARS運動のこのようなうねりは悲劇的な結末を迎えたが、ナイジェリアの若者たちは、ソーシャルメディアが社会運動を組織するための決定的な力になり得ること、そして年長者がいつも最善の解決をもたらすわけではないことに気付いた。若者たちはいまや、「老人が座ったまま見られるものを、子どもは屋根に上っても見ることができない」ということわざに対する答えを持っている。若者たちは、“ドローン”を使ってそれを見ようと決意したのだ!これは覚醒であり、将来、真の改革を模索するために必ずや生かすことができるだろう。

メディナト・アブドゥラジーズ・マレファキス博士は、ACAPSの情報アナリストである。マレファキス博士は、テロリズムと人道的避難民に関する研究を専攻し、チューリッヒ大学とナイジェリア防衛大学で国際関係学の博士号を取得した。マレファキス博士の研究上の関心は、テロリズム、暴力的過激主義、宗教的原理主義、人道的避難民(難民および国内避難民)、社会的および暴力的紛争、紛争後の再定住、社会復帰、再統合である。

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国連事務総長、バイデン新政権によるパリ気候協定復帰の決断を歓迎

【ニューヨークIDN=J.ナストラニス】

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、ジョー・バイデン大統領が「気候変動に関するパリ協定に再加入し、気候危機に立ち向かうために野心的な行動をとる、各国、地方自治体、経済界、民衆の間に広がる連合に加盟するための手続きを始めたこと」を温かく歓迎した。バイデン大統領は、カマラ・ハリス副大統領と共に1月20日の就任式に臨んだ後、米国を代表してパリ協定への復帰を指示する大統領令に署名した。

グテーレス事務総長は声明の中で、「去年の気候野心サミットには世界の二酸化炭素の半分を生み出す国々が参加して2050年カーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ)の実現を目指すことを宣言したが、今日のバイデン大統領の決断により、世界の3分の2をカバーできる。しかし依然として道のりは遠い。気候危機は引き続き悪化しており、(産業革命前からの)気温上昇を摂氏1.5度以下に抑え、最も弱い立場にいる人々を守れるような気候変動により適応できる社会を構築するには、残された時間はなくなってきている。」と語った。

グテーレス事務総長はまた、米新政権が、2030年までの新たなCO2削減目標の再提出や緑の基金拠出を通じて、カーボンニュートラルの実現に向けた国際的な取り組みを加速させるのを楽しみにしている、と語った。

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

事務総長はまた、「気候危機を乗り越え、コロナ禍からより健全に回復するために、バイデン政権やその他首脳達と密接に取り組んでいく。」と語った。

バイデン大統領は、就任式の演説の中で、新型コロナウィルス感染症で命を落とした40万人の国民と遺族のために黙とうを捧げるよう呼びかけ、さらに、「(連帯すれば)私たちは、不正を正し、国民に良い仕事を提供できます。子どもたちを安全な学校で教えることができます。恐ろしい新型コロナウィルスを克服し、中産階級を立て直し、医療保険を全ての人に保証できるのです。」と語った。

バイデン大統領は、「今日はアメリカの日です。民主主義の日です。歴史と希望の日、再生と決意の日です。私たちは、民主主義は尊く脆いものだと改めて学びました。」と語った。

そして、「米国の物語を紡いできたのは一部の人間ではなく、より完璧な団結を追求する『われわれ人民』全員です。」と指摘したうえで、「もっと先に進まなければならない。」と語った。

バイデン大統領は、「私たちは速さと切迫感をもって前進します。この国には修復し回復すべきもの多くあります。パンデミックや社会不安、人種問題の不安、失業、脆弱な経済に見舞われた困難な時に、構築し、そして獲得すべきものが多くあるのです。」と語った。

2週間前に暴徒が襲撃した議事堂の西側バルコニー立ったバイデン大統領は、政治的過激主義や国内テロ、白人至上主義を非難した。「私たちは米国の魂を回復し将来を守るために、これらの課題に正面から立ち向かわなければならないし、打倒します。」と語った。

バイデン大統領は、「怒り、憤慨、憎悪、過激主義、無法状態、暴力、疫病、失業そして失望という私たちが直面している共通の敵と戦う大義に参加してください。団結によって私たちは、素晴らしいことや重要なことを成し遂げられるのです。」と述べ、全てのアメリカ国民に団結を呼びかけた。

Photo: President Joe Biden. Credit: The White House.

さらに、「アメリカ人はお互いを敵対する相手ではなく、隣人として見ることができます。お互いを尊重し、敬意をこめて接し、協力し合い、叫ぶのをやめて、ヒートアップした温度を下げることができます。それができなければこの国に平和と進歩はありません。」と指摘した。

大統領はまた、「アメリカ人は、『(保守対リベラルという)この品のない戦い』を終わらせなくてはなりません。」と指摘したうえで、「それは魂を開き、模範となることによる力で実現できます。」と語った。

「連帯して前進すれば決して失敗しないと保証します。アメリカでは、国民がまとまって行動したのに失敗したことなど、一度も、まったくないのですから。今この時、この場所から、みんなして新しく再出発しましょう。再び互いの話に耳を傾け、お互いを尊重するようにしましょう。政治というのは、何もかも破壊してしまう業火でなくても良いのです。」と新大統領は語った。

また、「意見の相違が全面戦争の原因になる必要はありません。私たちは、事実そのものが歪曲され、時には捏造される文化を拒絶しなければなりません。」と指摘したうえで、「同胞のアメリカ人の皆さん。私たちはこのような状態は変え、より良く行動しなくてはなりませんし、アメリカはもっとまともなはずだと、私は信じています。」と語った。

バイデン大統領は、全てのアメリカ人の大統領になると語った。そして、自分を支持した人と同じくらい支持しなかった人のためにも懸命に戦うと公約した。「これから前に進む中で、私の言い分に耳を傾け、私と私の心を見極めてください。それでも賛成できないなら、それは仕方がありません。それが民主主義であり、アメリカとはそういうものなのです。」

また、「われわれ米国民が愛するのは何だろうか。」と問いかけた大統領は、「分かっているはずです。つまり、機会、安全、自由、尊厳、敬意、名誉、そしてそう、真実です。…心を固く閉ざすのではなく魂を開けば、これらを実現できるのです。」と指摘した。

「ともに、アメリカの物語を書きましょう。恐怖ではなく希望の物語を。分断ではなく結束、暗闇ではなく光の物語を。品性と尊厳、愛と癒やし、偉大で善良な物語を。」とバイデン大統領は語った。

正副大統領と3人の元大統領(ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ)は就任式のあと議事堂の会場を離れ、アーリントン国立墓地に移動した。葬送ラッパに続いて、バイデン大統領とハリス副大統領が無名戦士の墓に献花式した。就任式には、3人の元大統領が出席したが、ジミー・カーター元大統領は出席できなかったが、バイデン大統領は96歳のカーター氏と電話で話をしたと語った。ドナルド・トランプ前大統領は就任式に出席しなかったが、マイク・ペンス前副大統領は出席した。(原文へ

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マクロン大統領、和解は進めるが公式謝罪はなし

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス

戦争中に行われた残忍な犯罪行為に対しては、たとえ犯行から何年経過していても、謝罪を求める声は絶えない。

まさにアルジェリアがフランスに対して、植民地支配の歴史と独立戦争(1954年~62年)時にフランスが犯した人道に対する罪に対して、改めて謝罪を要求する動きが広がっているケースがこれにあたる。きっかけは、フランス政府が歴史学者バンジャマン・ストラ氏に依頼していた待望の報告書(「フランスとアルジェリアの記憶と和解に関する報告書」)が発表されたことだ。

アルジェリア生まれで北アフリカ専門家のストラ氏は、アルジェリアの歴史に関する世界的権威の一人とみられている。

Map of France

少なくとも40万人のアルジェリア人と35,000人のフランス人が亡くなったアルジェリア独立戦争をフランス国民の記憶から消し去る試みは1962年に戦争が終結する前から始まっていた。例えば、当時フランス当局は拷問を常用していたが、フランス国民の士気を削がないよう当局が危険と判断した新聞や書籍、映画を押収し、厳しい検閲で国民の目から真実を隠蔽した。

フランスがアルジェリア独立戦争を「戦争」だと公式に認めたのは実に1999年になってからであり、フランスの教科書に紛争に関する言及が記載されるようになったのはそれ以降のことである。

フランス24によると、エマニュエル・マクロン大統領は、アルジェリアにおけるフランスによる侵害行為の規模について、前任者らよりは一歩踏み込んで認める発言をしている。例えば、2017年の大統領選期間中には、フランスによるアルジェリア植民地化の歴史を「人道に対する罪」と呼んだことがある。

またマクロン大統領は、その一年後には、132年に及んだフランス支配に終止符を打った8年に亘った解放戦争の期間中に、フランスが拷問を容易にする制度を推進した事実を公式に認めた。

アルジェリアの植民地支配は善意によるものだったとして当時を反省することを拒否する国民が多いフランスにおいて、このマクロン発言は当時驚きをもって迎えられた。

マクロン大統領は両国間の和解を進めるための象徴的なイベント開催を申し出たが、アルジェリア政府が求めている公式謝罪については「悔い改めも謝罪もしない」と述べ、アルジェリア人の失望と怒りを買った。

「独立戦争、植民地支配の歴史、アルジェリアにおけるフランスの存在が、フランス社会に及ぼしたトラウマの根深さについては、あたかも家族間の苦い秘密のように、未だに十分な把握ができていない。あらゆることが、アルジェリアに由来しています。また、アルジェリア人と北アフリカのアラブ人がフランス国内の移民人口の多数を占めていることから、植民地時代を巡る歴史問題はなおさら不快で切迫した問題になりがちだ。」とストラ氏は語った。

Collage made by me using screenshots from two Public Domain videos.

マクロン大統領の事務所は、ストラ氏の報告書が勧告した通り、真実和解委員会を設立するとともに、2021年と2022年にフランス政府主催でアルジェリア独立戦争時にフランスと戦ったアルジェリア人に対して敬意を表する3つの式典を開催すると発表した。今年はアルジェリアがフランスから独立して60周年目の年である。(原文へ

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今、癒しを得るためには?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ポーラ・グリーン】

バイデン大統領は「わが国の魂を癒そう」とたびたび訴える。リンカーンは、「国の傷を癒す」ことについて書いた。現在あらわになった壊れた国の姿は、これらの言葉に新たな意味をもたらす機会を示しているだろうか? われわれは、流血を止め、症状を診断し、根本原因を治療することができるだろうか?(原文へ 

癒えるとは、元の健康状態に戻るということであり、修復し、再構築し、復旧することである。しかし、米国は大量虐殺と奴隷制という原罪を負っているため、われわれがやるべきことは、再構築というより構築であり、より健全で公平な国家を共同で創造することである。

ジェームズ・ボールドウィン(訳者注=20世紀後半に活躍した米国の黒人小説家)の言葉にヒントがある。「直面したことのすべてを変えることはできない。しかし、直面しなければ何も変えることはできない」

社会の治癒は、認識と説明責任から始まる。それが、なされた被害に対処するための最初のステップである。わが国の開拓者たちによる植民地の歴史は、アメリカ先住民をほぼ全滅させ、捕らえたアフリカ人を奴隷化することから始まった。その後の数世紀には、無節操な産業化と過剰な資本主義により、放棄された農場、工場、スラム街、困窮する住民が生まれた。これがわれわれの唯一のストーリーというわけではないが、癒しを得るために、われわれが向き合わなければならない現実である。

われわれは、このような系譜の陰の中で生きている。分断と怒りが渦巻く状況は、何ら驚くべきことではない。構造的暴力や個人的暴力による影響を見て見ぬふりをしてきた結果が、現在の狂信的行為へとつながっていることは明白である。権力、特権、将来の見通しにおける大きな格差が、われわれを分断している。黒人であれ白人であれ、都市の住民であれ地方の住民であれ、米国社会の構成員は疲弊し、失望している。破れた夢、荒れ果てた風景、そして暴力は、われわれの不健康さの症状である。

根本原因に対処するためには、富と貧困に関する現在の経済的前提を考え直す必要がある。インフラを強化し、文化間の関係を構築するために、フランクリン・ルーズベルトによる市民保全部隊の21世紀版を実施してはどうだろうか? 福祉によって傷付けられる自尊心やルサンチマンの代わりに、安全と安心を確保する何らかの保証されたベーシックインカムを導入し、すべての人の不可欠なニーズを満たしてはどうだろうか?

今こそ、先見の明のある政府が介入すべき時である。社会経済的関係に関する包括的かつ革新的な国家タスクフォースが、癒しに向けて、構造と関係性の両面から措置を講じることを想像して欲しい。経済的変化と社会的変化は一体であり、どちらか一方だけでは不十分である。われわれには、お互いに抱く非人間的な認識を和らげるだけのスキルがある。人生に前向きになれる雇用を創出する富があり、それによって不平等を減らし、尊厳を高めることができる。

メディア、教育機関、政府、民間部門が力を合わせて取り組むことで、現在の分断をもたらしている危険な断絶から、われわれを連れ戻すことができるだろう。マスメディアは、米国の人々をより深く、複雑に描くことができるのではないか。共感と包摂を構築するために、全国規模の啓蒙活動やメディアの取り組みから小規模で親密な対話まで、慎重に設計された戦略によって、米国人はお互いへの非難とステレオタイプ化から脱却し、共通の切望を見いだすことができるだろう。全国のコミュニティーリーダーや宗教的指導者の関与を得て、それぞれの影響力が及ぶ範囲の中で敵意を和らげてもらえばよい。

関連し合う個人と集団の歴史がわれわれの言動を決定し、認知、行為、投票意向を形成する。われわれの信念は、何もないところから生まれるわけではない。しかし、われわれにはある程度の柔軟性があり、人生を歩むとともに態度や言動を変えていくことができる。他者に及ぼした歴史的損害を真摯に認めることが、溝を埋めるために寄与する。

過去を認めるに当たり、政府の代表者や個人は、謝罪をし、心からの反省を示すことができる。第二次世界大戦後のドイツは、重大な加害行為に対するハイレベルでの謝罪と補償が必要であることを認識していた。ドイツ政府は、意味のある償いが伴わない反省は浅薄であることを認め、将来の損害についても監視と保護を約束し、広範囲に及ぶ補償を提供した。

米国は、現在の損害と歴史的損害の両方に対する正式な補償について国家的議論を始めるため、能力のある決意の固い指導者を必要としている。奴隷制による計り知れない損害と蔓延する不平等の過酷な被害によって、社会にあらゆる人種的、政治的分断があふれ、経済的、政治的正義の実現が待たれている。包摂的な人権の概念を持つことが、対立意識のある人種、階級、そして地域のルサンチマンを克服するために役立つだろう。

恐怖は、社会不安の背後で、音もなく燃える炎である。家族関係の変化、地位の喪失、経済状況の悪化に対する恐怖は、しばしば、家庭内や街中での破壊的な言動をもたらす。これまでの歴史では、女性のエンパワーメントや公民権といった進歩に対しては、たとえそれが穏当なものであっても、ヘイトクライムや暴力の増加という反応が見られた。あるグループにとって利益になることは、別のグループにとっては損失である、と間違って理解されている。

排除され、侮辱され、軽蔑されたと感じている人々は、寄り集まって不満を募らせ、不正だと思われる事柄を正すためには報復しかないと思うかもしれない。しかし、報復はむしろ対立を激化させ、破壊の応酬の繰り返しをもたらす。窓を叩き割り、議事堂を襲撃し、街を焼き払い、自分にはもはや失うものはないと思い込む。現在の状況をもたらした深層構造に取り組まない限り、このような事態が止むことはない。

満たすことができない物質的、精神的ニーズは、しばしば暴力を引き起こす。すべての人の経済的な安心感を高め、潜在能力を発揮させることによって、方向性を誤った憤怒と非難を激しくぶつけたいという衝動を抑えることができるだろう。わが国において変革を持続させるためには、社会の構成員全員の安心、福祉、承認といったニーズを満たす必要がある。わが国が、経済的、政治的、社会的平等という理想に沿って行動するとき、平和と正義の循環が訪れるだろう。

ポーラ・グリーンは、米国に在住。Karuna Center for Peacebuilding(カルナ平和構築センター)の創設者であり、School for International Training(スクール・フォー・インターナショナル・トレーニング大学院)の名誉教授である。現在、保守派と革新派の対話を促す米国のプロジェクトHands Across the Hills(ハンズ・アクロス・ザ・ヒルズ)を率いている。また、世界各地で、紛争下にあるコミュニティーへの取り組みを行ってきた。https://www.paulagreen.net/

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世界的仏教ネットワークが核兵器禁止条約の発効を歓迎

Minoru Harada, President of Soka Gakkai/ Seikyo Shimbun

【東京IDN=原田稔】

1月22日の核兵器禁止条約発効に際して発表された原田稔創価学会会長の談話。インデプスニュースと創価学会インタナショナル(SGI)の共同メディアプロジェクトは、核兵器が実際に及ぼす脅威と核なき世界を目指す世界各地の活動を継続的に取材・配信して、「世界市民」に真実を提供し続けるイニシアチブである。 (原文へ

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【ポート・オブ・スペイン(トリニダード・トバゴ)IDN=P・I・ゴメス】

世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長がいうところの、世界が瀕している「悲惨な道徳的失敗の危機」は、「株主利益を優先して人間を後回しにする」無慈悲な原則に、その思想的な根拠を容易に見て取ることができる。

極端な不平等が広がる21世紀の世界だが、それほど「悲惨」な響きを持つ必要はない。事務局長が警告した危機の起源は、動植物や人の命を改善/救済するために、よく研究された製品を提供すると考えられている多国籍巨大製薬企業が、歴史的に行ってきた支配的な慣行にあるのだ。

Photo: WHO Director-General Tedros Adhanom Ghebreyesus briefs virtually on the COVID-19 pandemic in Geneva. UN Photo/Eskinder Debebe

WHOの執行理事会におけるテドロス事務局長のこの厳しい非難は、新型コロナウィルス感染症のパンデミック(世界的大流行)に対するワクチンの供給・投与が、またしても、大規模かつ構造的に不平等な形で実施される暗い見通しであることを示している。

『ユーロニュース』はテドロス事務局長の発言を伝えた1月18日の記事の中で、不平等の規模に関して、「49の高所得国ではこれまでに少なくともワクチン3900万回分を接種したが、最貧国のうちの一つ(=アフリカのギニア)ではたった25回分しか接種していない。」と紹介した。

こうした事実を認めるならば、「世界は悲惨な道徳的失敗の危機に瀕している。この失敗の代価は、最も貧しい国に住んでいる人々の生命と生計に表れるだろう。」というテドロス事務局長の厳しい言葉の意味が理解できるだろう。

後天性免疫不全症候群(エイズ)や2009年型インフルエンザ(H1N1)のパンデミックが発生した際に見られた嘆かわしい失敗の歴史を振り返れば、一部の国々と製薬企業が、必要な医薬品に関して多くの貧困国にとって入手不可能な価格に釣り上げる「二者間合意」をいかに優先してきたかがわかるであろう。

小規模国・貧困国によるワクチンの入手を困難にすることは、単なる「道義的失敗」にとどまらず、貧富の間の構造的な不平等というパターンがもたらす悲劇的な結果でもある。その根底には、富や技術、世界の公共財が公平に配分されていない現実がある。

1970年代から80年代に起こった歴史的な経験を知っている者なら、このことは驚くに値しないだろう。当時、多国籍企業は、医薬品や農薬の販売で莫大な利益を挙げる一方で、アフリカやラテンアメリカの農民や農業労働者、農村家庭は毒性の強い副作用に見舞われた。

当時、雑草防除のための化学製品や、高い幼児死亡率を招いたベビーフードに関するスキャンダルが相次いだ。使用法についての適切な説明もなく、適正な水や衛生設備のない状況で強引に販売促進がなされた結果だった。ベビー用品を売って利益を上げることが、公衆衛生教育や食品の安全よりも優先されたのである。

国連事務総長の呼びかけとカリブ共同体サミットの呼びかけ

Photo: Secretary-General António Guterres during the virtual town hall with women’s civil society organizations. Credit: screengrab, UN Web TV

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、新型コロナウィルス感染症のパンデミックによる死者が200万人に達したことついて「痛ましい転換点」であり、「グローバルな協調的取り組みの欠如を示すものだ。」と指摘したうえで、「世界ははるかに大きな連帯感をもって行動しなければなりません。」と語った。

実際、こうした呼びかけはきわめて望ましいことであり、奨励されるべきことだが、公共財とみなされるべきものへのアクセスとその分配における構造的な不平等の問題に正面から取り組み、9700万人の感染と200万人以上の死というグローバルな危機を乗り越えるには、きわめて不十分なものだ。

1月12日に開催されたカリブ共同体緊急首脳会議は、多角的な視座に立って、新型コロナウィルス感染症のパンデミックと闘うためにワクチンへの平等なアクセスと分配の問題に取り組むグローバル・サミットを招集するよう提案している。

これは推奨すべきイニシアチブであり、広範な支持が得られることを願う。たとえば、昨年の予定から延期され、2021年6月21日に開催予定のコモンウェルス首脳会議では、新型コロナ対策を議題に上げ、ポストコロナの復興戦略における平等なワクチン提供に関して活発な議論を行い、断固たる措置を生み出すことも十分可能だろう。

同様に、G77プラス中国が、カリブ共同体提案にメリットを見出して、構成メンバーの134の途上国の支持を掘り起こそうとするという展開を期待できるかもしれない。そうなれば、有益な議題として、「グローバル公共財」という概念の下でワクチンの取り扱いがどうあるべきかを深堀する議論がなされる可能性もある。

この概念を人類全体の利益のために実際に具体性をもって適用する必要があるとすれば、それはまさに今だ。国境を越えて膨大な数の人命が失われているという事態に世界が直面しているにも関わらず、高齢者や貧困国の人々など、ワクチンを「最も必要とする人々」が厳しい差別的取り扱いを受けている。他方で、自国の市民にワクチン提供を保証するだけの経済的余裕のある先進国は、ワクチンを支配的に利用している現実がある。

WHOが統制するワクチンに関する知識の入手や生産・分配をある程度平等に行うために、COVAXファシリティーがすべての国に対して人口の20%相当分を上限にワクチン提供を保証するものとされている。しかし、これでもなお各国は、多国籍企業を通じて、あるいは、ロシアやインドなどのワクチン生産国との二国間協定を通じて、ワクチン獲得競争を展開している。

大きな政策的、組織的問題を解決するには、多国間の議論と、「グローバルな連帯」の実践が必要なのは明らかだ。グテーレス事務総長が触れているのはまさにこのことである。それらがなければ、政府や企業、社会の関係を特徴づけている構造的な不平等は存続していくことになる。これにより「人間よりも利益を優先する」風潮が再びの支配的にとなり、新型コロナによる人命の喪失は続くだろう。

Photo credit: Physicians Committee for Responsible Medicine

一部の人口が免疫を獲得するのは望ましいことではあるが、「すべての人間が安全になるまで、誰も安全ではない。」ことを肝に銘じておくべきであろう。(原文へ

パトリック・I・ゴメスは、2020年2月29日までの5年間、アフリカ・カリブ海・太平洋諸国(ACP)グループの事務局長を務めた。79カ国からなるACPは、2020年4月5日に「アフリカ・カリブ海・太平洋諸国機関」(OACPS)に名称を変更した。ゴメス博士は、ガイアナ共和国の大使として、ブリュッセルのEUに駐在した経験も持つ。

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攻撃を受ける「法の支配」

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】

ワシントンの連邦議事堂襲撃は、制御不能な大統領がもたらした結果というだけではない。武力行使の合法的な国家独占は、米国では十分に認められてこなかった。

「このようなことは予測できなかったと言えたらいいが」と、議事堂襲撃事件の後、バイデン次期大統領は言った。「本当はそうではない。予測はできた」。さらにオバマ元大統領が、事件をまったくの驚きのように扱うのは自己欺瞞だと言い加えた。1月6日の議事堂襲撃をめぐるワシントンでの劇的な展開は、必ずしもその日でないにしても、予測されていたことである。元大統領も新大統領も、それぞれの判断に基づき、暴徒による反乱と議会の一時占拠や議員たちの逃亡は、トランプが繰り返し暴力を煽り、それを重要視しなかった過去4年間の状況が頂点に達したものだと述べた。ドナルド・トランプは、暴力的な民兵たちを「特別な人々」と呼んだ。さらに「われわれは君たちを愛している」と言い、みずから暴力を煽りさえした。(原文へ 

民主政府の長によるこのような前代未聞の無責任な言動は、襲撃事件の一つの原因に過ぎない。トランプの言動は許し難い。とはいえ、説明可能ではある。自分の過ちをいつも人のせいにする自己愛の強い大統領は、選挙での敗北を認めることができなかった。しかし、大統領としてみっともない彼の言動と少なくとも同じぐらい重要な要因は、武力行使の合法的な国家独占が米国では十分に認められてこなかったという事実である。

法と秩序の執行、そして4世紀近く前の欧州における三十年戦争終結以来の武力行使の合法的な国家独占は、文明の重要な功績である。簡単に言えば、国家当局、法執行機関、特に警察、軍、司法制度が国民を守るということである。誰人も、法の力に依らずに制裁を下し、自己正義を行うべきではない。武力行使の合法的な国家独占が認められて、暴力の私物化が廃止されたのである。この概念が純粋な形で完全に実施されたことはないが、原則的には、国際法によって認められ、受け入れられている。国内レベルでは、警察や必要であれば司法機関が依拠し、執行することができる明確な規則や法律がある。

理屈ではそういう話になる。しかし、この何世紀も昔からの原則を、世界で最も力を持つ人物である米国大統領が無視したら、何が起こるだろうか? ドナルド・トランプは、狂信的な支持者たちに議事堂を襲撃するよう呼びかけることによって民主主義制度に損害を及ぼしただけではない。彼はその言動、絶え間ない嘘、扇動、暴力の呼びかけによって、法の支配と武力行使の国家独占を転覆させた。国民の安全に責任を負う行政府の長が、法と秩序をもたらすのではなく、支持者に暴力をけしかけたのである。

治安部隊、つまり議会警察は、十分な準備ができておらず、人員も不十分だった。そのため州兵が要請されたが、配備はあまりにも遅く、あまりにも及び腰だった。しかし、この騒動と暴力は思いがけず起こったわけではない。トランプの言動は、暴君や独裁者の例から知られるとおり、議事堂を襲撃した暴徒に、民主主義的選挙を覆し、物理的にも精神的基盤においても議会の両院に損害を及ぼす正当性を与えた。幸いなことに、トランプ支持者の暴動は速やかに鎮圧され、かくして不成功に終わった。というのも、議会(行政ではなく)の回復力が示されたからである。民主主義は、困難に耐えた。

しかし、この騒動とカオスに責任があるのは、トランプだけではない。米国では、武力行使の国家独占に対する認識に、非常に根本的な問題がある。有名な修正第2条は、米国民が武器を保有する権利を認めている。同条は文字通り、「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない」と述べている。米国の多くの人が、憲法のこの条項を、法執行機関を待つことなく自ら制裁を下すことへの勧誘と解釈している。

米国では、ピストルやリボルバーから自動小銃、その他の戦争用武器まで、推定4億個の銃器を一般の個人が保有している。つまり、子どもを含む住民1人あたり1個以上の銃があるということである。多くの州で、銃を公然と携帯することが認められている。イデオロギー的に頑固で誤った考えを抱き、また、トランプ陣営を強く支持した全米ライフル協会に限らず、銃の所有者たちは、再三再四、銃の携帯は米国民の憲法上の権利だと主張している。

国家は、国民の保護を保証できると信頼されていない。人々は、自身の防衛を自ら組織することを望み、自身の安全に責任があると感じている。そうする中で、彼らは修正第2条により正当化されていると感じている。広く行き渡った国家不信がある。政府は常に良いことよりも害を多くなしているという保守派のドグマは、広く受け入れられている。また、近頃は警察の違法行為に対する厳しい批判や、警察予算の削減を求める声さえあり、偏った警察の行為や言動に対する不信感と不満を表している。いわゆる「ディープステート」が陰謀論者によって邪悪と呼ばれているだけではない。米国では一般的に、国家の制度と規制に対する反感がある。

大量に出回っている武器を減らそうとする試みは、ほとんどが政治家襲撃事件や学校での大量殺害事件を受けたものであるが、これまでのところそのすべてが失敗している。下院と上院は、これらのイニシアチブを過半数で否決しており、特に共和党は修正第2条の改正を阻止している。彼らは、欧州諸国の大部分や他の多くの国々で疑う余地のない原則となっている、武力の合法的な国家独占の原則を、事実上拒絶しているのである。

2021年1月6日が暗黒の日として米国史に刻まれるのは当然のことと考えられる。ジョー・バイデン次期大統領は、広く強調されているように、分断した国家を結束させるというきわめて困難な仕事に直面する。しかしそれは、必要なアジェンダのほんの一部に過ぎない。武力行使の国家独占の原則が認められない限り、大衆迎合主義者や扇動政治家は、権力を握るため、暴力を行使するよう信奉者たちを煽る誘惑に駆られるだろう。

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。

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