ホーム ブログ ページ 190

アジアのSDGs実現、欧米の活動家に乗っ取られる恐れ

【バンコクIDN=カリンガ・セネビラトネ】

12月初め、国連開発計画(UNDP)、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)、国際連合人口基金(UNFPA)の3つの国連機関が、「ケース・フォー・スペース(#Case4Space: SDGsの中心に若者を)」(C4S)と題したユースフォーラムを、3日間にわたって国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の施設(バンコク)で開催した。これは、アジア太平洋地域において持続可能な開発目標(SDGs)を促進するための意識喚起を図り、その重要性を訴えるために、同地域における60以上のパートナーが主導したキャンペーンとうたわれているものだ。

しかし、フォーラムの中身は、主に欧米の発表者やコンサルタントが多数を占め、プロジェクトは英国の活動家集団「弛みなき発展」が主導するものであった。このため、アジア・太平洋地域から参加した多くの活動家らは、SDGsに関する議題そのものが、まるで欧米の活動家に乗っ取られたかのように感じていた。

C4Sキャンペーンは、アジア太平洋地域の若者たちを、SDGsを履行していくうえでの「重要なステークホールダー」として動員すべく展開されたものだった。また、ソーシャルメディアやデジタルコミュニケーションを通じて新たな空間を創出することで、従来「社会的に排除されてきた」人々をも関与させることも目的としていた。C4Sは、若者を関与させるネットワークと能力を構築するものとされた。

UN ESCAP
UN ESCAP

このように理念は立派に聞こえるが、バンコクでフォーラムが開かれると、アジア・太平洋地域の若者の関与のあり方を巡って多くの疑問の声が上がった。同地域の若者にSDGsへの関与を呼びかけた全体会の発言者の多くは欧米の出身者であり、発言者の中に、デジタル分野・ソーシャルメディア分野で注目に値するアジア出身の専門家は見当たらなかった。しかし実際には、「マレーシアキニ」のスティーブン・ガン氏や、「ラップラーズ」(フィリピン)のマリア・レザ氏など、アジアにはこうした分野で才能を認められた専門家が少なくない。

フォーラムにはアジア・太平洋地域から200人以上の若者が参加したが、ほとんどがいわば活動家の傾向を持った人々であった。4人の欧米人が主催・コーディネートしていた「若者によるニューズルーム」ですら、約15人の若いジャーナリストを集めつつも、主流メディアに属する人は1人もいなかった。彼らの語り口は主に「異議申し立ての声」のそれであり、SDGsの達成に向けてより協力的で平和的な道を生み出すことに貢献しうるコミュニケーションの方法論について検討するものではなかった。

カンボジア農村部出身のある参加者は、匿名を条件にIDNの取材に応じ、「こうした『公に異議申し立てする』タイプの方法論では、私の国ではうまくいきません。私の国では、土地がしばしば開発の名のもとに取り上げられており、これに対して抗議のスローガンを掲げたりデモ活動を行おうものならば、刑務所に叩き込まれるか、警察によって打ち据えられることになります。」と指摘したうえで、「私はむしろ、あまり対立的でない方法で政府下部組織と意思疎通を図る方法を学びたいのです。」と語った。

UNDPのアジア太平洋地域政策・プログラム支援の責任者であるケイトリン・ウィーゼン氏は、開会式の挨拶で「エンパワーされた若者は、私たち皆が目指している進歩の推進力となります。」と指摘したうえで、「現代の若者は、以前の世代よりもはるかに相互に繋がりを保ち、より創造的で、より多くの知識を持ち合わせ、より説得力があることを、私たちは日々の活動を通じて、気づかされています。」と語った。

UNDPは「若者戦略2014年~17年」を策定し、ソーシャルメディアの主導的な役割を定義したうえで、若者がSDGs問題に関心を寄せる戦略的な入口を特定している。フォーラムでは、若者が自己表現できるサーバースペースを縮小させるアジア・太平洋地域の立法の波に関しても、多くの議論があった。

UNDP Youth Strategy 2014-2017 : Empowered Youth, Sustainable Future/ UNDP

「ソーシャルメディア上で仲間と集い情報を共有することは、問題に関する意識を喚起する一方で、変化をもたらす行動へとつながる第一歩になります。」とシンガポールの若い活動家サミラ・ハッサン氏は語った。彼女は、自身の学校の移民の権利を擁護する地域団体で活動している。「若者として、私たちが重要だと考える社会問題に関する対話を始める必要があります。」とハッサン氏は付け加えた。

2日間のワークショップで、周縁化された集団、オンライン上の自由、若い人権活動家の訓練など、多くのセッションがあった。しかし、こうしたものが、アラブ世界の若者を動員し、「アラブの春」の蜂起とそれに伴う社会的・政治的混乱をもたらしたものと同じメニューだとしたらどうだろうか?

英国の駐タイ大使ダニエル・フィーラー氏が司会を務め、4人の欧米人と1人のアフリカ人、カナダ在住の1人のアジア人がパネリストとなった最終日の全体会では、こうしたメニューが盛んに売り込まれた。彼らは「具体的な行動とパートナーシップ」について語ったが、主に語られていたのは、発表者らの団体から資金を獲得するための、プロジェクトの売り込み方、という点であった。

「私たちは若者との研究作業に投資しています……私たちは考えを広める役割を担っています。」と、「弛みなき発展」のペリー・マドックス氏は語った。ハインリッヒ・ボル財団のマンフレッド・ホムンク氏は「私たちは、身分に関係なく、若者が私たちにもたらす考え方を基準に資金を提供しています。」と語った。またフィーラー大使はある時点で、「民主的で言論の自由を認めている国の場合、SDGsを達成しやすい。」と論じたが、中国やシンガポール、台湾、韓国といったような、既に多くの開発目標を達成しているこの地域の国々は、成功に向けてそうした道を採らなかったことを大使は都合よく忘れていたようだ。

こうして、アフリカからの唯一のパネリストで、コモンウェルス事務局青少年課プログラム担当のレイン・ロビンソン氏が、こうしたこと全てにおいて政府が重要な利害関係者になっていると指摘する役を担うことになった。ロビンソン氏は「多くの政府が青年に焦点をあてた政策を実行しようとしています。」と指摘したうえで、「皆さんはSDGsを達成するために政府と協力する必要があります。政府は、若者にとっての空間を広げる決定的な役割を担っているのです。」と語った。

中国からの参加者ウェイペン・ワン氏は会議終了後、IDNの取材に対して、「情報を地元の言語に翻訳することが、SDGsを知らしめるうえできわめて重要」と指摘したうえで、「これまでブログをたくさん書いてきた経験がありますので、ウェチャット(Wechat)を通じてものを書き、情報を共有することができます。」と語った。

フィリピンからの参加者レジネル・バルヌア氏は、「若者だけがこうした問題を語るだけでは不十分です。大学教員もSDGsを促進すべきです。また、C4Sのための特別日を設けるべきです。」と語った。

C4Sは、「弛みなき発展」がUNDPに持ち込み、アジアに導入すべきだとした考え方で、UNDPはこれをユネスコやUNFPAとともに取り上げ、「フォーラムアジア」とともにバンコクでこのユースフォーラムを開催する流れとなった。運営資金のほとんどは欧米諸国から集められた。

SDGs Goal No. 4
SDGs Goal No. 4

UNDPのウィーゼン氏は閉会式の挨拶で、「50のパートナー団体がC4Sをこの地域で広める戦略を練るための会議を今後開催する予定です。私たちは、縮小しつつある(市民社会の)空間を(アジアの)若者のために拡げたい。若者たちのための空間を創出したい。制限的な慣行に反対するためにあなた方とともに立ち上がりたい。」と語った。

閉会の挨拶の後、様々なユース組織と活動しているアセアンからのある参加者はIDNの取材に対して、「このユースフォーラムの内容・構成は、終始欧米主導によるもので、アジア・太平洋地域の自主性は微塵も見受けられません。」と腹立たしげに語った。「このイベントは英国の活動家集団『弛みなき発展』のプロジェクトそのものであり、彼らは自分たちの方針を(アジアからの参加者に)押し付けているに過ぎません。アジアでこんなやり方がまかりとおってはなりません。」と匿名を希望したこの女性はこう語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

ユネスコ協力のイベントで世界市民育成のためのジャーナリストの役割強調

SDGs達成に不可欠な若者のエンパワーメント

次なる最重要開発課題としての森林投資

モロッコに世界最大の太陽光プラント設置

【マラケシュIDN=ファビオラ・オルティス】

サハラ砂漠に降り注ぐ太陽光からの熱を電気に変える野心的なモロッコの計画が国際的に注目を集めているが、このことは、11月7日~18日の日程でマラケシュで開催された国連気候変動枠組み条約第22回締約国会議(COP22)でも注目された。

COP22の会場から北東に200キロメートルの場所に、450ヘクタールのノア太陽光発電プラントがある。2018年に完全稼働すると、100万世帯(モロッコの全人口の約3%に相当)に電力を供給し、年間で地球温室効果ガス76万トンの炭素ガス排出抑制効果を生み出すことができるとしている。

SDGs Goal No. 7
SDGs Goal No. 7

モロッコの首都ラバト全体が収まってしまうこの世界最大の太陽光発電プラントは、欧州の都市バルセロナと同じぐらいのサイズだと言われている。アトラス山脈とベルベル人の村々に囲まれた砂漠のオアシス都市ワルザザートは、従来モロッコの砂漠観光の入口として栄えてきた街だが、このプラント建設により、新たに太陽光エネルギー利用の入口としても知られるようになった。

昨年、世界の指導者が温室効果ガスの排出を抑制し地球の温暖化を避けるための合意に達したCOP21がパリで開催された際、モロッコ国王ムハンマド6世は、「『リオ地球サミット』(国連環境開発会議)で国際社会が気候変動の問題に対処する緊急の必要性に気づいて以来、我が国は、持続可能な開発と環境保護を先取りする政策が国際社会の世界的な取り組みと軌を一にするように決意をもって取り組んできました。」と語っていた。

モロッコには年間で約3000時間の太陽光が降り注ぐ。サハラ砂漠は太陽光を利用するには完璧な場所だ。この北アフリカの国には化石燃料の埋蔵がなく、エネルギー資源はほぼ全面的に外国からの輸入に依存してきた。

ノア太陽光発電プラント事業は、2020年までに電力の42%を再生可能エネルギーから生成するとのモロッコの持続可能な開発戦略目標の一部を成している。モロッコ政府は、この目標について、(パリ協定のルール作りを軌道に乗せることに成功した)COP22に沿うものであり、気候変動対策へのコミットメントを証明する一環と位置付けており、国連もこの目標を称賛している。

モロッコは憲法、立法、規制の各面に関する一連の改革を公にしている。エネルギー源の移行に対しては明らかに高い優先順位があてられている。

モロッコ政府はまた、今後10年以内に再生可能エネルギーの割合を増やすために、風力・太陽光・水力発電に130億ドルを投資する計画を発表した。

COP 22 Logo

現在、90億ドルのノア第一号プラントでは160メガワットの電力を生産している。次の2つの段階の工期が終了し、ソーラータービンがフル稼働すると、ノア太陽発電プラントでは500メガワット以上が生産されることになる。ノア2号とノア3号はそれぞれ、2017年、18年に稼働予定だ。

この巨大施設への資金を調達するために、モロッコは世界銀行から5.19億ドル、ドイツ復興金融公庫(KFW)から6.54億ユーロ、その他にアフリカ開発銀行、欧州委員会、欧州投資銀行からの融資を受けている。

このプロジェクトは、モロッコ太陽エネルギー庁(MASEN)とACWAパワー(サウジアラビアの8つのコングロマリットが所有し同国に本拠を置く、開発・投資・運転に関わる組織)のコンソーシアムによって推進されている。

この企業は現在、中東と北アフリカ、南部アフリカ、東南アジアの11カ国で操業している。MASENはノア太陽光発電プラントで生産した電力を国営水電気公社に売却している。

「モロッコは手持ちの資源から最大のものを引き出しています。太陽光があり、産業力を発展させる能力があります。最終的には、今後25年で、信頼性のある安定した電力を固定価格で継続的に供給していきたい。これは、地域の発展と社会福祉にとって、根幹となる柱となります。」とACWAパワーのパディー・パドマナタンCEOは語った。

この巨大施設では集光型太陽熱発電(CSP)と呼ばれる技術を利用している。設置価格が低く、一般には「太陽光パネル」と呼ばれているものに比べて、レンズと鏡を使うこの方式のコストは高い。他方で、CSP技術では8時間分のエネルギーを蓄積することが可能だ。つまり、夜間や曇天の日に利用するためにエネルギーを溜め込むことができるということになる。

「太陽光からの熱を集め、蒸気タービンを回します。電力を効率的に蓄積できるため、それをすぐに使ってしまわなくてもよいのです。これがCSPの最大の利点であり、幅広い用途が期待できます。」と、ACWAパワーのCEOを2006年から務めるパドマナタン氏は語った。

Map of Morocco
Map of Morocco

パドマナタン氏は、生活水準が比較的低い傾向にある遠隔地に再生可能エネルギーのプラントを設置することは「このような投資の力によって遠隔地を活性化する」方法になる、との見解だ。

「モロッコは、この種のプロジェクトをかくも大規模に展開できるということを示しました。調達プロセスを透明化すれば、これは他の場所でも援用することが可能です。」と、パドマナタン氏はIDNの取材に対して語った。

他の途上国に与える影響についてパドマナタン氏は、「ヨルダン・南アフリカ・ボツワナ・ナミビアといった国々がすでにノア太陽光発電プラントに関心を示しています。また、ペルーやチリからの視察もあります。」と語った。この南米の2か国にはアタカマ砂漠が広がっており、太陽光を発電に利用する巨大な可能性が秘められている。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

|コラム|パリと、民主主義と気候の物語(ロベルト・サビオ国際協力評議会顧問、インデプスニュース編集顧問)

「足るを知る経済」はプミポン国王最大の遺産

気候変動問題の効果的な解決になぜ女性が関係するのか

|オーストラリア|核禁止条約決議への反対が論争を引き起こす

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ】

核が人間や環境に及ぼす壊滅的な帰結を思い知らされることとなった福島第一原発事故から5年目、そしてチェルノブイリ原発事故から30年目の節目となった今年も残り僅かとなるなか、核兵器なき世界を達成しようとの決意は、これまでにも増して強いものとなっている。

「核兵器を禁止し、完全廃絶につながる法的拘束力のある措置(=核兵器禁止条約)を交渉するよう呼びかけた国連決議A/C.1/71/L.41が10月27日、第71回国連総会第1委員会(軍縮・国際安全保障問題)で採択された。多国間核軍縮交渉を前進させることに賛意を示したのは、北朝鮮を含む123カ国。反対は38カ国、棄権は16カ国だった。

一方、かつて核軍縮を主導していたオーストラリアは、アジア太平洋地域における隣国26カ国が、アフリカ、ラテンアメリカ・カリブ海諸国とともに決議に賛成する中、反対票を投じた。

Tim Wright/ ICAN
Tim Wright/ ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)豪州支部長のティム・ライト氏は、「もしオーストラリアが、長く待ち望まれているこの条約に反対するのなら、この地域の他の国々から爪はじきにされるリスクを冒すことになります。オーストラリアが、道徳的に正しく必要なことのために立ち上がるのではなく、少数の核武装国と、核兵器は正当なものであると主張するその他の国々の側につくことを選んだのは、極めて残念です。」と語った。

ライト氏はまた、「核軍縮に関する国連公開作業部会(OEWG)を失敗させようとしたオーストラリアの試みは異例の行動であり、手ひどいしっぺ返しを食うことになりました。この公開作業部会では、核兵器を違法化する条約の交渉を2017年に開始するとのより明確な勧告がなされ、交渉開始に向けたその他の国々の決意をかえって強化するものになったのです。」

この決議は、2013年と14年の間にノルウェー、メキシコ、オーストリアで開催された核兵器の人道的影響に関する3回の政府間会議の帰結である。これらの会議は、非核保有国が軍縮分野でより積極的な役割を果たす道を切り開いた。

ライト氏は、オーストラリア政府に対して米国の核兵器に依存する政策を直ちに止めるよう呼びかけつつ、「拡大核抑止というこの危険な政策は、軍縮にとってマイナスであり、拡散を促進することになります。この大量破壊兵器は正当かつ必要、有益なものであるとのメッセージを他の国々に発することになるのです。こうした政策を正当化できる余地はありません。近隣のどの国も、核兵器による保護を主張していません。」と語った。

核保有国と、安全保障を米国の拡大核抑止に依存しているオーストラリア・日本・韓国のような国々は、決議に反対した。

核兵器の問題に関するこの30年の社会的・法的歴史を反映して、ニュージーランドがこの決議に賛成したことは注目に値する。ライト氏は「かつては核軍縮を支持していたオーストラリアは近年、この問題に関する原則を完全に打ち棄ててしまい、あらゆる機会をとらえて、この最悪の大量破壊兵器を継続的に保有し場合によっては使用することを擁護するようになってしまいました。」と語った。

ニュージーランド、インドネシア、マレーシア、タイは、ニューヨークで2017年3月と6月に予定されている交渉会議において主要な役割を果たすと見られているアジア・太平洋地域の国々である。

核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)ニュージーランド支部のメリヤン・ストリート元会長はIDNの取材に対して、「オーストラリアが決議L41に反対したことに衝撃を受けました。(この投票行動について)合理的な説明があるとすれば、それは明らかにオーストラリアにとって、米国への忠誠が、その他のあらゆる考慮を上回ったということです。オーストラリアは反核兵器運動の最前線に立ったことは一度としてなく、こうした投票になったのも不思議ではありません。保守的な自由党政権ですから、この問題について勇気ある一歩を踏み出そうとは考えないだろう。」と語った。

採択に参加したアジア太平洋地域の34カ国のうち、反対したのは、オーストラリア、日本、ミクロネシア連邦、韓国の4カ国であり、中国、インド、パキスタン、バヌアツの4カ国が棄権した。

「これほど戦略的で、きわめて大きな影響を与えかねない問題に関して、すぐ隣の国々とも歩調を合わせないのは無責任と言わざるを得ません。オーストラリアは、地域安全保障の議論などで、アジア太平洋諸国から離れるのではなく、むしろ関与するように相当の力を入れていくべきです。」とストリート元会長は語った。

オーストラリアは、化学生物兵器地雷クラスター爆弾の全面禁止は支持してきた。オーストラリア外務・貿易省の報道官はIDNの取材に対して、「オーストラリアは、効果的な方法で核兵器の廃絶を追及することにコミットしています。しかし、核攻撃の危険性が存在する限り、米国の拡大核抑止はオーストラリアの安全保障上の利益にかなうものなのです。」と語った。

ローウィ国際政策研究所(本部シドニー)が毎年実施している世論調査の2016年度版によると、米国との同盟に対する支持率は9%低下している。回答者の71%が米国との同盟はオーストラリアの安全保障にとって「かなり」あるいは「まあまあ」重要だと答えたが、これは2007年以降で最低の数値(ただし同年の数値より8ポイント高い)だった。

オーストラリア政府は、世界の軍縮・不拡散体制の要である核不拡散条約(NPT)を強化し、2010年NPT運用検討会議の行動計画のように合意済の公約を履行することに、努力が注がれるべきだと考えている。

Map of Australia
Map of Australia

「核保有国の参加を得ないまま、或いは、国際安全保障環境に対する適切な考慮なしに核兵器禁止条約を追求しても、核兵器廃絶には効果がありません。」と外務・貿易省の報道官は付け加えた。

NPTは核兵器の拡散防止にとって肝要であり、軍縮交渉の基礎であり続けているが、「核兵器禁止条約はNPT第6条履行のための措置です。禁止条約は、核兵器に関する既存の国際法体制の抜け穴を塞ぐことになります。つまり、条約によって、核兵器を使用、実験、製造、備蓄することはどの国にとっても違法行為であることが明白になるのです。」とライト氏は語った。

ライト氏はさらに、「オーストラリアをはじめ核兵器に肯定的な数カ国がNPTへの支持を取り下げてしまったかに見えるのは憂慮すべき事態です。これらの国々は、核軍縮に向けた交渉を誠実に追求することを規定したNPT第6条の義務に従うことを、拒否しているのです。」と語った。

NPTでは、191の全締約国が第6条において、「核軍備競争の早期の停止および核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、ならびに厳格かつ効果的な 国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉をおこなう」ことを約束している。

「1996年に国際司法裁判所が、この交渉を妥結させる義務を締約国は負っているとの勧告的意見を出しました。決議L.41はこの義務に沿い、それに現実的な表現を与えたものです。」と語るのはオーストラリア国立大学クロフォード公共政策校核不拡散・軍縮センターのセンター長のラメシュ・タクール氏である。

NPTに加盟した5つの核兵器国のうち4カ国(フランス、ロシア、英国、米国)は、NPT未締約国であるイスラエルと共に決議に反対した。約260発の核弾頭を保有する中国、100発から120発の核を保有するインド、110発から130発を保有するパキスタンは棄権した。

「核兵器禁止条約という法律それ自体が核軍縮をもたらすわけではありません。しかし、低迷している勢いを取り戻し、禁止から核弾頭の完全廃絶へと核兵器インフラの解体につながるような取り組みを再活性化させる不可欠な要素となり得るのです。」とタクール氏は語った。

タクール氏はさらに、「核兵器の法的禁止は、通常兵器と核兵器との間の規範的境界線をさらに強化し、核兵器不使用の規範を強め、不拡散規範と軍縮規範の双方を再確認するものとなります。従って、核禁止条約はNPTの軍縮目標を補完し、普遍的で非差別的、かつ完全に検証可能な核兵器禁止条約の将来的な制定に向けた努力に推進力を与えることになるのです。」と語った。

Ramesh Takur/ ANU
Ramesh Takur/ ANU

オーストラリアは、1973年にNPTに批准して以来、世界的な核問題に対しておおよそ超党派的なアプローチを維持してきた。労働党の上院議員で影の外相であるペニー・ウォン氏が報道発表で述べたように、「労働党は不拡散と軍縮に向けた効果的で実行可能な行動を支持し、これらの目的に向けた道を積極的に追求しつづける。労働党は、軍縮のペースの遅さに対する国際社会の苛立ちを共有しており、核兵器廃絶の大義にコミットし続けている。」

オーストラリア緑の党もまた、ジュリー・ビショップ外相に対して、同国がなぜ決議に反対したのかを説明するよう求めている。

「オーストラリアは核兵器廃絶のための条約に向けた動きを国連総会で支持すべきです。オーストラリアは、外交政策を情勢の変化に対応したものへと変更し、ドナルド・トランプ氏が来年1月に米国大統領に就任する前に、オーストラリアの国益を独自に追求すべきです。例えば、国連憲章の不可侵条項や、東南アジア友好協力条約を順守することなどが含まれます。」とオーストラリアの元外交官であるアリソン・ブロイノウスキー博士はIDNの取材に対して語った。

2014年に「ニールセン」が幅広い年代層を対象に行った世論調査では、オーストラリア国民の84%が、核兵器の法的禁止を政府に求めているとの結果が出ている。

ICAN豪州支部の渉外コーディネーターであるジェム・ロムルド氏はIDNの取材に対して、「オーストラリアにおける活動を通じて、私たちは核兵器を違法化し、絶対悪とみなし、この大量破壊兵器にどんな形であれオーストラリアが関与することを排除する条約に対して世論の圧倒的な支持があると感じています。『関与』とは例えば、北部準州のパイン・ギャップにある米豪共同運営の軍事スパイ基地を通じて米国による核攻撃を支援する行為を指します。オーストラリアは、主要な通信基地であるこの施設のホスト国となることによって米国の戦闘能力の維持を支援し、核戦争の際に核兵器が標的に到達する手助けをしているのです。」と語った。

核保有国は近年、核戦力を近代化し増強する高価なプログラムを追求している。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の2016年の年次核戦力データによると、世界全体の核兵器の数は減り続けているものの、核保有国のいずれも、予見しうる将来において核戦力の放棄を予定していない。

2016 Estimated Global Nuclear Warhead Inventries/ Arms Control Association

SIPRIによれば、「2016年初頭時点で、9つの核兵器国(米国、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)が合計で約4120発の作戦運用可能な核兵器を保有している。もしすべての核弾頭を数え上げたならば、これらの国々は合計で約1万5395発の核兵器を保有していることになる。2015年初頭には1万5850発だった。」(原文へ

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

核兵器の法的禁止協議に広範な支持

「核兵器なき世界」実現を妨げる非核オーストラリア

核軍縮キャンペーン、ノルウェーのベルゲンに焦点を当てる

急速に減少する最貧困層

【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

ドナルド・トランプ次期大統領は、自身の減税策で米国の富裕層をさらに富ませようとしている。恥ずべき考え方だ。しかし、米国の歴史を振り返れば、過去200年にわたって、実は貧者の方が一般に思われているよりもよくやってきている

以前と比べれば、今日私たちをとりまく環境は大きく改善している。つまり、水道、暖房、電気の普及、天然痘や結核の心配のない生活、適切な栄養、以前よりずっと低い乳幼児・妊産婦の死亡率、2倍になった平均余命、ますます発展する医療の仕組み、身近になった避妊の手段、中等教育を受けられる子供の増加、大学に進学できる機会の向上、バス・電車・自転車の普及、弱くなった人種的偏見、延長された退職時期、購入する商品の質の向上、改善された労働条件、それに投票権。

かつて、こうしたものは富める者だけが享受できる贅沢であった。多くの研究によって、貧しい人の生活が向上するにつれて幸福感は急速に増すが、ある時点(1人あたり年間収入1万5000ドルレベル)を越すと、幸福感が増すペースは鈍ることが明らかになっている。今日、最も貧しい人々のほとんどが、まだまだ先は長いとはいえ、祖先よりも幸せな生活を送るものと期待されている。

欧州やカナダ、日本でも事情は同じだ。近年では、ラテンアメリカの大半の国々においても、(依然として人口の2割が深刻な貧困下にあるが)同じ状況である。(戦争以前のイラクとシリアを含めた)中東、中国、インド、パキスタン、スリランカ、東南アジア、北部アフリカでも、進展がめざましい。アフリカにおいてはそのペースはやや遅れてはいるが、南アフリカ共和国、ナイジェリア、コートジボワール、ガーナ、セネガル、ルワンダ、ガボン、エチオピア、タンザニア、ウガンダ、ケニアでの生活水準はよくなっている。

Bourgeois Equality/ The University of Chicago Press Books
Bourgeois Equality/ The University of Chicago Press Books


『ブルジョアの平等:いかにして資本や制度ではなく、理念が世界を豊かにしてきたのか』の著者ディアドラ・マクロスキー氏はこれを「大いなる豊かさ(Great Enrichment)」だと呼んでいる。

1日2ドル以下の収入で生活する最貧困層も、他の階層ほどではないが、こうしたことを経験している。最貧困層は、急速に減少しつつある集団だ。1993年からの20年余で、最貧困層の数は10億人以上も減少した。1990年と2010年の間に、5歳の誕生日までに死亡する児童の割合は半減した。なかでも、マンモハン・シン首相胡錦濤国家主席の下で、インドと中国では最貧困層の割合を最も減らした。

『エコノミスト』によれば、最貧困層の人々は、1日あたり平均1.33ドルで生活しているという。極度な貧困をなくすためには、1人あたりわずか0.67ドルが必要だということになる。これにかかるコストは年間わずか780億ドルで、世界全体のGDP合計の0.1%以下だ。

一般的な通念に反して、世界金融危機が8年前に始まって以来、世界はより平等な場所になりつつある。ブラジルやインド、中国の経済成長が、英国で産業革命が始まって以来、最大の不平等の減少をもたらしている。

また、戦争の影響という要素もある。人類の歴史においては、冷戦終結以降、今日ほど戦争の数が少なかった時代はない。いつの時代も、貧しい人々が、戦争によってもっとも脅威に晒される人たちだ。

スティーブン・ピンカー氏が2001年に著した『暴力の人類史』(原題はThe Better Angels of Our Nature)によれば、戦争による世界全体での死亡率は、第二次世界大戦時の10万人あたり300人が、1970・80年代には1ケタになり、今世紀には1人以下になった。

世界の6割の国々が今や民主主義国である(1940年には、両手で数えられるぐらいしかなかった)。民主主義国同士は、ほとんど互いに戦争をすることはない国連の平和維持活動の数は大幅に拡大し、大いに成功を収めている。世界で唯一の超大国である米国は、シリアの場合がそうであったように、バラク・オバマ大統領の下で、戦争に巻き込まれるリスクを警戒するようになっており、手を引く時期を窺っている。

殺人・犯罪率は急速に低下している。貧しい人々は特に犯罪によって傷つけられやすい。欧州における殺人率は中世と比較すると35分の1にまで低下した。殺人率は、19世紀末以来の進歩の傾向を逆転させて、最も低かった1970年代・80年代から再び上昇の兆しがあるが、それでも、21世紀になって75カ国で殺人率が急落している。

暴力的な犯罪はとりわけ先進国において急速に減少している。これは収監率が上がったためではない。警察の戦術が著しく改善されたためだ。DNA型鑑定によって犯罪者を追跡することが容易になった。中絶がより容易になったために、子どもに対処できない麻薬依存者やアルコール中毒者、シングルマザーの子として生まれ、結果的に犯罪に染まりやすくなる人々の数は大幅に減少した。

とりわけ、有鉛ガソリンが175カ国で廃止された点は特筆に値する。鉛にさらされると人間の脳は損傷を受ける。鉛によって障害を抱えた脳の部分は、人間の攻撃的な衝動をつかさどる部分と同じである。かつて車やトラックが世界中に広まった20世紀中盤から末にかけて、犯罪は急増している。

私たちはここからどこに向かっているのだろうか? 間違いなく、それはより豊かな方向だと信じたい。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

|世界平和度指標|5年前より平和でなくなった世界

ベルリンでの世界会議、「心の脱軍事化」を求める

奴隷貿易についての「沈黙を破る」

尾崎咢堂の精神を今日に伝える日本のNGO

【伊勢/東京IDN=ラメシュ・ジャウラ、浅霧勝浩

土井孝子氏は、地元三重県伊勢市を拠点に、持ち前の誠実さと行動力で、国際協力・親善を育む各種教育・交流プログラムを熱心に手掛けてきた人物である。土井氏は日本の伝統文化に深く根ざしながらも、広く国際社会を見据えている。

土井氏が理事長をつとめるNPO法人咢堂香風(2006年設立)は、2010年からは伊勢市からの委託を受け「尾崎咢堂記念館」を運営管理している。伊勢市は、天照大御神を祀る内宮・外宮をはじめ125の宮社からなる伊勢神宮を擁することから「神都」の異名をもつ門前町である。

Kōtai-jingū (Naiku) at Ise city, Mie prefecture, Japan/ N yotarou - Own work, CC BY-SA 4.0
Kōtai-jingū (Naiku) at Ise city, Mie prefecture, Japan/ N yotarou – Own work, CC BY-SA 4.0

5月、記者らは土井理事長の案内で伊勢神宮を参拝する機会を得た。伊勢神宮の広大で静寂な森の中に佇む宮社群は、釘を一本も使わず檜の部材を巧みに組み合わせる伝統技術が用いられた唯一神明造という建築様式である。さらに、内宮、外宮及び五十鈴川に掛かる宇治橋は、自然界の死と再生、万物の無常性を信ずる神道の考え方に則り、また伝統技術を世代を超えて継承する手段として、20年毎に新たに建て替えられている(式年遷宮)。

土井理事長とNPO咢堂香風は、伊勢神宮が体現している価値観に寄与する一方で、世界平和の実現と人権の確立に生涯をかけて取り組んだ故尾崎行雄(雅号〈ペンネーム〉は咢堂)の精神を後世に伝えていく活動に取り組んでいる。尾崎行雄は第1回衆議院議員総選挙で現在の伊勢市より出馬・当選して以来、63年間(1890年~1953年)に亘って衆議院議員として日本の立憲政治の確立と世界平和の実現に尽力したことから、「憲政の神様」「日本の立憲民主主義の父」として今なお尊敬を集めている。

1994年、尾崎咢堂の志と生き方を学ぼうと、「咢風会」・同女性部会「香風」(=NPO咢堂香風の前身)が創立され、講演会の開催や勉強会、討論会を通じた啓発活動、国際親善交流などの草の根の活動が始まった。

「咢堂香風の『咢堂』は尾崎行雄先生の雅号に由来しますが、『香風』の『香』は、会の活動に絶えず助言を授けていただいた尾崎先生の三女・故相馬雪香先生から一文字いただいたものです。」と土井理事長は説明した。

Yukika Sohma/ Ozaki Yukio Memorial Foundation
Yukika Sohma/ Ozaki Yukio Memorial Foundation

咢堂香風では、毎年12月の尾崎咢堂の誕生日に近い休日に「尾崎行雄生誕祭」と銘打って記念式典とともに、研究者や識者による講演会を開催している。

「また、市議会議員など各方面の専門家を招いて、未来を背負う子供たちと将来を語り合う行事も実施しています。尾崎行雄生誕祭は、憲政の神様・尾崎行雄の功績を振り返りその高邁な精神を学ぶ、『咢堂香風』の根幹をなす行事です。」と土井理事長は語った。

「咢風会」「香風」は1994年、地元や日本の未来を担う子供たちに尾崎行雄の心を伝えようと、伊勢市近郊の小・中学生を対象に尾崎咢堂読書感想文コンクールを開始した。

「コンクールは今年度で22回目を迎えます。初年度には応募作品はわずか13点でした。咢堂香風の会員による広報活動と学校の理解を得て、年々応募者数も増え、これまでに合計約6500点を超えるまでになり定着してまいりました。」

受賞者には咢堂生誕祭において表彰式が行われ、市長賞、議長賞、教育委員会賞、他の各賞が授与される伊勢市でも大きな年中行事になっている。

伊勢市は桜の名所が多い地としても知られている。とりわけ宮川堤の桜は、日本の桜100選に選ばれている。尾崎咢堂記念館はこの名所にかかる橋を渡ったところにある。記念館の庭園には、尾崎行雄が100年前にアメリカのワシントンDCに寄贈した桜をルーツとする苗木(=里帰りの桜)が植えられている。

「伊勢の風物詩といえる桜の季節を子どもたちに存分に味わわせてやりたい。また、桜の写生をとおして自然の美しさや偉大さを感じるとともに、尾崎行雄をはじめ桜に関わった人々に思いをはせ郷土を愛する気持ちを育てたい…そんな思いをねらいに、『桜の写生コンクール』を、小学生を対象に実施しています。今年度で6年目ですが、伊勢市内の全小学生の1割ほどの応募をいただき、年を追うごとに大きな反響を得ています。」と土井理事長は語った。

Ozaki Gakudo Memorial Hall
Ozaki Gakudo Memorial Hall

咢堂香風は、21年前に「全米さくらの女王」と親善訪問団が初めて伊勢の尾崎咢堂記念館に来館したのをきっかけに、伊勢市近郊の女性から応募者を募り「花みずきの女王」を選出した。「花みずきの女王」は、米国とのいっそうの交流を深めるために、尾崎咢堂が東京市長時代に寄贈した桜の返礼にアメリカ合衆国大統領によって日本に贈られた花みずきにちなんで設けられた親善使節である。

Hanamizuki Queen/ NPO Gakudo Kofu
Hanamizuki Queen/ NPO Gakudo Kofu

1998年以来、これまでに7代の女王が選出され、ワシントンDCを訪れ、市民団体との交流、行政機関への訪問、全米さくら祭りパレードなどに参加している。桜寄贈100年をむかえる節目となった2012年4月の全米さくら祭には、土井理事長を団長に、女王のほか準女王2名、友好大使3名、親善大使1名を選出して訪米し、大きな反響を得た。

「全米さくらの女王」を決めるグランドボール(大舞踏会)では「花みずきの女王」は全米各州代表の「さくらのプリンセス」たちと共に会場でお披露目されている。このパーティーで選出される「全米さくらの女王」は毎年日本を訪問している。さらに1995年からは、咢堂香風が受入団体となり、毎年伊勢にも訪問している。伊勢神宮への正式参拝や三重県知事・伊勢市長への表敬訪問、御木本真珠島、尾崎咢堂記念館訪問などを行い、私たちも歓迎行事を催して国際交流の進展が続いている。

米国の首都ワシントンDCで4月に開催される全米さくら祭りパレードでは、「花みずきの女王」と準女王たちは花車やオープンカーに乗り、「From Ise Japan」というアナウンスとともに沿道の人々から拍手喝采を受けている。

NPO Gakudo Kofu
NPO Gakudo Kofu

土井理事長は、2003年のイラク戦争の最中に、テロの危険を超えて、伊勢からの使節団の団長として2万4千の千羽鶴を携えて全米桜祭りに参加した際のことを想起して、「渡米することとした当時の判断を誇りに思っています。これを契機に咢堂香風の活動がアメリカ側で知られるようになり、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ両大統領をはじめ多くの方々から感謝状を授与されました。」と語った。

土井理事長はまた、「尾崎咢堂が『人生の本舞台は常に将来にあり』という言葉を詠まれたのは74歳のときでした。」と指摘したうえで、「私たち咢堂香風もこの言葉を胸に、尾崎行雄の業績や精神を地域はもとより日本や世界へ、また時代を超え将来にむけて発信していきたい。」と語った。

大島理森衆議院議長兼尾崎行雄記念財団会長は、咢堂精神の普及に長年尽力してきた土井理事長の功績を讃え、10月28日に憲政記念館で開催された同財団創立60周年記念式典において特別感謝状を授与した。(原文へ

翻訳=INPS Japan

https://www.youtube.com/watch?v=nDKJ-YIz-9A

関連記事:

|日本|「神都」の伝統を守る若き市長

世代を超えて受継がれる平和と友情の絆

日米友好の証「ポトマック桜」―100年の時を経て(石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)

戦争の悪化を防ぐジュネーブ条約

【ジュネーブIDN=ジャムシェッド・バルーア】

戦時下にある国に住んでいる人、または近隣諸国が戦闘状態にある国に住んでいる人々の圧倒的多数が、「戦争にも制限をかける差し迫った必要性があると考えている」との新たな調査結果が出た。そうした国々の回答者の約半数が、ジュネーブ諸条約が紛争の悪化を防ぐと考えていた。

しかし、国連安全保障理事会の5常任理事国(P5)の国民は、民間人に被害と苦しみが生じることについて、紛争地や近隣諸国に住む人々よりも、「戦争の避けられない部分として仕方がない」と考える傾向にあるようだ。

ICRC
ICRC

戦争の証言People on War)』と題されたこの調査は、国際赤十字委員会(ICRC)が12月5日に発表した。世界中の人々が戦争に関連した様々な問題をどう捉えているのかを検討したものだ。

1万7000人以上を対象にしたこの調査は、2016年6月から9月にかけて16カ国で実施された。調査当時に武力紛争状態にあったのは、イラク、アフガニスタン、南スーダンなど10カ国。さらに、国連安全保障理事会の常任理事国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)が調査対象に加わり、ICRCに代わってそれぞれの対象国において、WIN/ギャラップ・インターナショナルとそのパートナー団体が、調査を実施した。この種の調査としてはこれまでで最大規模のものであった。

回答者の8割が、敵を攻撃する際に戦闘員はできる限り民間人を避けるべきだと答えている。また、同じく8割の人が、敵を弱体化させるために病院や救急車、医療関係者を攻撃するのは誤りだと考えていた。

しかし、回答者の実に36%が、重要な軍事情報を引き出すために敵の戦闘員に拷問を加えても構わないと考えていた。半数よりわずかに少ない人たち(48%)がこうしたことは誤りだと答えた(1999年には66%)。「わからない」と答えたのは16%だった。

「このような困難な時代にあって、大多数の人々が国際人道法を守ることが重要だ、と考えていることを知って心を動かされました。しかし、私たちは日々現場で、国際人道法の違反を目の当たりにしています。調査と現実は真逆の結果でした。」とICRCのペーター・マウラー総裁は語った。

 「拷問はいかなる理由があっても禁じられています。今回の調査では、この重要な点について、今一度世の中に喚起していかなくてはならないということが、明らかになりました。私たちは、自分たちの責任のもとで敵対する相手を罰してしまいがちです。しかし、戦時下にあったとしても、人道的な処遇を受ける権利を誰もが有しています。拷問は敵対心をあおるだけです。拷問を受ける側の影響は計り知れず、何世代にもわたり社会に禍根を残します」とマウラー総裁は付け加えた。

この調査は、戦時下にある国に住んでいる人、または近隣諸国が戦闘状態にある国に住んでいる人は、国際人道法を重要と考える傾向が強いことを明らかにした。しかし、常任理事国における調査結果では、多くの人が、一般市民の犠牲や苦しみは戦争の一部であって、ある程度は仕方がない、と考えている実態を明らかにした。

戦時下にある国に住む人の78%の人々が、「敵対する戦闘員に対して人口過密地で攻撃を行うことは、一般市民の犠牲者が増えるため間違っている。」と回答した。一方、常任理事国において同じように答えたのはわずか50%だった。

常任理事国に住む26%の人々が、「敵を弱体化するために、食料や水、医薬品といった必需品を民間人の居住地帯から奪うことは『戦争の一部』にすぎない。」と考えていた。」一方、戦時下にある国々では、14%がこの見方であった。

Peter Maurer/ ICRC

マウラー総裁は、「世界中の紛争の最前線から届く目を覆いたくなるような場面を目の当たりして、紛争下の人々が強いられている苦痛に無関心でいるのではなく、是非彼らの苦しみを想像して心を寄せてください。」と訴えるとともに、「一方で、ジュネーブ諸条約を軸とした国際人道法が求めている紛争下の市民の保護については、多くの人が非常に重要であると認識していることが分かり、心強くも思っています。」と語った。

4つのジュネーブ条約と追加議定書は、一般市民や負傷者、投降した戦闘員など、戦闘に参加していない人々への影響を最小限に抑えることを目的に作成された。

「国際人道法の意義や有効性が、歴史上かつてないほど問われている時なのかもしれません」「戦争とはいえやりたい放題は許されない、と人々が信じているのも明らかです。一般市民や病院、人道支援従事者への攻撃は許されない行為だと信じている一般大衆と、実際にこのような行為を行っている各国や罰則規定のない政策の間に乖離(かいり)があることも、今回の調査で判明しました。」とマウラー総裁は付け加えた。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

国連人権トップ「テロとの闘いは、拷問・スパイ活動・死刑を正当化しない」

|核軍縮|教会指導者らが広島・長崎の声を世界に

国連、都市に対する核攻撃を禁止するよう迫られる

「性の健康」に関するサービスの普及を図るネパールの若者たち

【カトマンズIDN=ステラ・ポール

パビトラ・バッタライさん(21歳)は、柔らかな声の持ち主で、微笑みをたたえた若くてシャイな女性だ。しかし、彼女に「性の健康」に関するサービスについて尋ねたならば、シャイな表情はたちまち消え、彼女の国(ネパール)の若者たちがそうしたサービスを利用する権利を持っていることを熱く語り出す。

「私たちの国の未来は、若者たちの肩にかかっています。だから、HIVに感染した若者で溢れる国にしてしまうリスクは負えません。つまり、『リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(=性と生殖に関する健康・権利)』を完全に利用できるようにしなくてはなりません。」こう語る時のバッタライさんは、実年齢よりもずっと成熟してみえる。

しかし、リプロダクティブ・ヘルス/ライツについて数多くの若者(そのほとんどが高校生)の相談を受け、意識を高める活動をしているバッタライさんを特徴づけるのは、その話しぶりだけではない。「バクタプール、キルティプール、ラリトプールの20校を超える学校をすでに訪問してきました。」とバッタライさんは語った。

若者のために活動する若者たち

ある10月末の朝、IDNは公立高校に出掛けるバッタライさんと2人の若者に同行取材した。リプロダクティブ・ヘルス/ライツについて活動する世界的組織である「マリー・ストープス・インターナショナル」(MSI)で訓練を受け同組織の支援を得ている彼らは、「ロケット・アンド・スペース」と呼ばれる10人から成るグループのメンバーである。このグループは、地域のすべての若者に対してリプロダクティブ・ヘルス/ライツに関する教育を行い、利用する手立てを提供することを目的としている。

Marie Stopes International

彼らは、カトマンズの賑やかな市場であるパタリ・サダクでタクシーを拾おうとしていたが、まもなく街中でタクシー運転手のストライキが起きており、唯一の乗物と言えば、座席のない新聞運搬車だけであることに気付いた。しかし彼らはこれで意気阻喪することなく、その運搬車の床に座り、バウダ地区の公立高校に向けて1時間の道を揺られていった。

バッタライさんは、「校長から11年生と12年生の生徒に『性の健康』と『衛生』について話すように依頼されました。おそらく自分たちよりも私たちの方がうまく教えられると思ったのでしょう。」と、誇らしげな声で語った。

「タブーなし」の教育

1時間後、3人の若者は新聞運搬車から降りて、公立高校の建物に入っていった。3階建ての建物の薄暗い2部屋で座って待っていたのは約100人の男子及び女子生徒であった。チームのうち男性のスラジさんは男子生徒に話をし、女性のバッタライさんともう1人のディーパリ・プラダンさんは、女子生徒たちが待つ教室に向かった。

プラダンさんはまず、「学校当局からは、女子に対して生理に関する衛生の問題を話すよう特に要望を受けています」と説明したうえで、初潮後の身体の変化に関する質問を皮切りに、女子生徒らに月経の流れについて話をした。

生徒たちはたいてい、お互いの顔を眺めて緊張した笑顔を見せる。若い活動家たちは生徒に向かって「ごらん、私はあなたたちと何も変わらない。お姉さんのようなものだよ。」と語りかける。するとある女子生徒がゆっくりと立ち上がって、「胸が張ってきます」と答えた。バッタライさんは、この学生に拍手するよう皆に促した。こうして、当初張りつめていた教室の雰囲気は和んだものになっていた。

次の45分間、バッタライさんとプラダンさんは、予想される体の変化、激しい痛み、月経のサイクル、そして、それをどうやって数えるか、そのサイクルの間に清潔を保つことの重要性など、月経のあらゆる側面に触れる。「彼女たちの家族や先生たちは、こうしたことを進んで話したがりません。女の子たちも恥ずかしがって質問しない。でも、私たちが話をすれば、彼女たちは聞いてくれます。彼女たちは、私たちを友達として受け入れてくれるのです。」とプラダンさんは語った。

そのころ男子生徒の部屋では、「ロケット・アンド・スペース」の若いメンバーであるスラジ・カドカさんが、青年期、異性に身体的に惹かれること、自慰行為、コンドーム、安全なセックスの重要性について話をしていた。

障害者のために闘う

ダン・バハドゥールさん(19歳)は、身体的な問題を抱えている。今年5月以来、彼は、同じ街に住む障害を持った同年代の若者たちにリプロダクティブ・ヘルス/ライツについて教えている。

バハドゥールさんによれば、現在ネパールには300万人の障害者がおり、その半分が若者だという。「ほんの少し前まで、障害者は社会から疎外されていました。みんな障害者を見下し、他人に悪運をもたらす存在だと考えられていたのです。」と、バハドゥールさんは指摘した。しかし今日、教育機関や公務員に障害者枠が設けられるなど、障害者に配慮する仕組みが整いつつある。

SDGs Goal No. 3
SDGs Goal No. 3

それでもなお、「性の健康」に関して言えば、障害者、とりわけ若い障害者は忘れ去られた存在だ。バハドゥールさんは、この状況を変えようとしているが、今のところ、それは未だ遠い目標である。「リプロダクティブ・ヘルス/ライツのことを話していると、笑われます。変なことを言っているという目で見て、『障害者が性のことで健常者と同じニーズを持っているの?』なんて聞いてくる人もいます。」

しかし、彼の支援者は少なくない。その多くが障害者自身だ。障害を抱えるスポーツ選手を支援しその権利向上を図る団体「全国車いすバスケット協会」の選手らも支援者だ。バハドゥールさんは数人の選手らと会い、避妊や中絶、性の健康・衛生に関する相談など、リプロダクティブ・ヘルス/ライツについての意識を高めてきた。

MSI青年プロジェクトのマネージャーであるニリマ・ラウトさんは、「国連の持続可能な開発目標(SDGs)の主要なスローガンは『誰一人取り残さない』です。障害を抱えた若者を支援することで、私たちはSDGs達成に向けて努力を続けていまする。」

保守的な社会で「性」の問題を取り上げること

しかし、婚前の性交渉がタブーである保守的なネパール社会において、課題は山積している。20才の大学生、ヴィヌカ・バスネットさんは、彼女が「性の健康」に関する活動をしていると両親が聞いた時、ショックを受けていたと語る。「両親は戸惑い、みんなが私を指さして『あいつは性の話をしている』と噂するのではないかと恐れていました。両親の理解を得るまでには時間がかかりました。」と彼女は振り返る。

スラジ・カドカさんは、「学校のカリキュラムに性教育が入っていないことから、学生たちは自分たちの授業を大事なものだとは考えていません。「生徒たちは笑って、無関係な質問をしてきます。」と語った。しかし彼には解決策がある。「彼らが笑うにまかせています。しかし、関係ある質問をするように促すのです。」

ダン・バハドゥールさんのような他の活動家らも、地元の言葉で「性の健康」について語ることは時としてきわめて難しいと感じている。たとえば「夢精」。ネパール語にはこれに該当する言葉がない。脊椎損傷の障害を抱えた若者は、腰から下が麻痺しているためにそれを感じることができない。このことは、障害者自身だけではなく、障害者を世話する人びとにとっても、清潔さを保つうえで重要なことだ。しかし、私がこれを説明しようとしても、言葉が出てこないのです。」

若者にやさしいツール

しかし、若者のリプロダクティブ・ヘルス/ライツ教育家たちの取り組みがうまくいくかどうかは、同世代の青少年らとのコミュニケーションいかんにかかっており、彼らはこのコミュニケーションの壁を乗り越えるために革新的な方法を生み出してきた。

ヴィヌカ・バスネットさんは、男女の解剖図や生殖器をカラーで示した写真や、ポスター、「コンドームなしにセックスするな」とか「私はロックスター」などのスローガンが原色で書きこまれたTシャツやブレスレットなどのツールを見せてくれた。

彼らは、どんな会合にもこうしたツールを持参することにしている。ポスターや写真は若者を教育するのに使われ、シャツやブレスレットは、前向きで真剣な反応を示してくれた聴衆に配ることにしている。

満たされないニーズを満たす

ネパールは2002年、ミレニアム開発目標(MDGs)の第5目標を達成するために、中絶を合法化した。2000年から2015年のMDGsの時期に、ネパールの妊産婦死亡率は出生1万人あたり581人から281人まで下がった。

しかし最新の統計でも、ネパールは避妊のニーズが満たされない率がアジア地域のなかでも依然として高い国(27.5%)である。満たされていないニーズの指標に関して言えば、南アジアと東南アジアにおいて、出生可能な年齢にあって既婚あるいは内縁の状態にある女性のうち、それぞれ少なくとも14%と12%が、妊娠を遅らせるか避けることを望みながらも、そうすることができずにいる。また、人口の約半分が、自分の国では中絶が合法であることを知らない。

ここがまさに、保健問題の若いボランティアたちが大きな貢献をなし得る領域だ。移住労働者やスラムの住民、それに、夫が移住労働者として海外に出稼ぎに出ている女性など、社会の中でもっとも脆弱で支援を必要とする人々に対して、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを提供しているのである。

Marie Stopes International
Marie Stopes International

郊外のスラムに住むカヴィタ・チュラガニさん(23歳)は、夫が中東で運転手として働いている若い母親である。チュラガニさんは、避妊のために膣内挿入のインプラントを使用している。彼女はこれを、マリー・ストープス・クリニックが運営している診療所で無料で受け取っている。「若い活動家らが私をここに連れてきてくれたおかげで、この避妊具を入手できますが、そうでなければ入手はとても困難です。今では私が、近所の女性たちにここに来るように促しています。」とシュラガニさんは語った。

ラウトさんによると、この青年プロジェクトが始まって以来、リプロダクティブ・ヘルス/ライツに対する需要が100%以上増加したという。「手を差し伸べなければならない人はまだまだ多くいます。しかし、需要が増えているということは、私たちにとって大きな希望です。」とラウトさんは語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

|ネパール|人命を奪うのは地震ではなく建物…それとも不公正か?

│バングラデシュ│子ども時代を奪う「幼年婚」と闘う少女たち

世界市民教育は平和な社会づくりを目指す若者の取組みを支える

第22回FAWA(アジア太平洋女性連盟)シンガポール大会

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan.

今年58周年を迎えるFAWA(アジア太平洋女性連盟)の総会が、2016年9月28日から10月1日の4日間にわたって「Our Heritage- Peace, Our Challenge – Sustainable Development」をテーマにシンガポールで開催された。日本、アメリカ、グアム、フィリピン、シンガポール、韓国、台湾、香港、インドネシア、マレーシア、マーシャルアイランド等、の地域から代表団が参加した。INPS Japanからは浅霧理事長が尾崎行雄記念財団の石田尊昭事務局長(一冊の会理事長)の招待で参加し、ドキュメンタリーの制作を担当した。FBポスト

The Federation of Asia Pacific Women’s Association (FAWA) cerebrated its 58th Anniversary when it held the 22nd Convention in Singapore, from September 28- October 1, 2016 with the theme: “The Future of Humanity – Leaving a Legacy”. 

Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS-IDN accompanied the Japanese delegation to cover this four day event at the invitation of the Secretary General of Ozaki Yukio Memorial Foundation, Takaaki Ishida, who is also President of ‘Issatsu no kai‘, a Japanese NGO. (INPS-IDN December 2016)

国連事務総長、軍縮の「慢性的停滞」を激しく批判

【ニューヨークIDN=ロドニー・レイノルズ】

「核兵器なき世界」の実現に向けて長年たゆみない取り組みを続けてきた国連の潘基文事務総長が、多国間軍縮の将来をめぐって国連の193加盟国の間に「深い亀裂」が生じていることに強い失望感を表明した。

「核兵器国とその多くの同盟国は、核戦力を削減する措置を実際に取ってきていると主張しています。一方非核兵器国は、軍縮交渉の不在、依然として数千発の核兵器が存在すること、1兆ドルをはるかに超すコストをかけて今後数十年で既存の核戦力を近代化する計画が存在する点を指摘しています。」と潘事務総長は、11月22日にニューヨーク大学プロフェッショナル学部で行った基調講演で語った。

「国連の軍縮制度は慢性的な停滞に陥っています。」と潘事務総長は嘆いた。

UN Office Geneva
UN Office Geneva

12月31日に退任する潘事務総長にとって今回の講演は、会場を埋めた主に学者や平和活動家、反核団体の関係者に対する退任演説となるものだったが、ジュネーブ軍縮会議(CD)に対して改めて批判的な立場を表明した。ジュネーブ軍縮会議は、潘事務総長の任期10年間を含むほぼ20年にわたって停滞している。

潘事務総長は2007年1月に事務総長に就任して以来、ジュネーブを訪問しジュネーブ軍縮会議で演説する機会が何度もあったという(2009年10月24日の国連デーには、5項目の核軍縮提案を行っている)。

この国連の軍縮機関は「慢性的な停滞の中にあります。」と潘事務総長は嘆いた。

「驚くなかれ、ジュネーブ軍縮会議はもう20年以上作業計画を採択することすらできていません。信じられますか? 言うまでもなく、作業に進展は見られません。」

潘事務総長は、ジュネーブ軍縮会議はアジェンダを採択することすらできていないと激しく批判した。

「20年間このような状態が続き、私はジュネーブ軍縮会議に対して一貫して警告してきました。こんなことを続けるなら、ジュネーブ軍縮会議の議論をどこか別の場所に移す必要が出てくるでしょう。しかし、彼らは聞く耳を持っておりませんでした。全会一致ルールのために、わずか1国が193の加盟国を阻止することが可能なのです。これは、まったく受け入れがたい状況です。」と潘事務総長は警告した。

「(軍縮協議を妨げている)この種の現状維持、不作為を許している状況は依然として続いており、極めてゆゆしき事態です。」と潘事務総長は不満を打ち明けた。

だが潘事務総長は、「軍縮は危機に瀕している」と警告しつつも、米国の次期大統領ドナルド・トランプ氏による核兵器にきわめて肯定的なレトリックに対しては、外交上の配慮として直接的に反応することを避けた。トランプ氏は、韓国や日本のような国々は、米国に依存するよりも自ら防衛するために核武装すべきだと示唆したことがある。

プリンストン大学科学・グローバル安全保障プログラムのM・V・ラマラ博士は、軍縮の現状について「軍縮に関してすぐに進展がみられそうな状況ではありません。軍縮を語るにはあまり良い時期ではありません。」と、IDNの取材に対して語った。

「米国は、核兵器の使用を検討すると示唆しているドナルド・トランプ氏を次期大統領に選出したばかりです。トランプ氏は、米ロ関係は悪化しており、両国間の軍備管理の将来の見通しは暗いと述べています。」と、ラマラ氏は指摘した。

核兵器を保有するほとんどの国々、とりわけ米国は、核戦力の近代化あるいは拡張の過程にある。

「潘基文事務総長が間もなく退任するなか、今後の国連の役割も見通せません。そうした中、もし楽観的な見方を取りえるとすれば、核兵器を禁止する条約の交渉開始に国連の過半数の加盟国が賛成票を投じたことでしょう。」とラマラ氏は語った。

「トランプ氏の発言内容から、次期大統領の軍縮に関する行動を予測することは、信憑性という点では、かつてルーン文字や鶏の内臓を用いて未来を予測した古代の呪術的な方法とさほど変わらないといえるでしょう。」と語るのは、「アクロニム軍縮外交研究所」のレベッカ・ジョンソン博士である。

「彼は異色の事業家ですが、外交官ではありません。当選によって今や強化されたかに見える彼の信条体系は、短期的に勝ちを得られるものであれば、そのためにどんなものが犠牲になり、長期的な帰結がどんなものになったとしても、重要なのは成功するかどうか、というものなのです。」

ジョンソン博士は、トランプ氏はナルシスト的な例外主義の持ち主であるという。

Donald Trump/ The White House
Donald Trump/ The White House

トランプ氏は、実業家として、環境や租税などに関する規制や立法に従わされることを明確に嫌っていたことから、暴力から弱者を守り大量破壊と人道的な大惨事を防ぐために軍事的な行動の自由を抑制することを主目的とする国連や軍縮条約といったような集合的な安全保障取り決めを拒否したとしても驚くにはあたらない。

トランプ氏は「目的が手段を正当化する」式の現実主義者ではあるが、必ずしも、核兵器の有用性を根っから信じているというわけでもない。楽観的に予測すれば、(ロシアのウラジミール・)プーチン大統領と新たな核軍備管理協定を結ぶことに前向きな姿勢を見せるかもしれない。

その目的は、軍縮ではなく、余剰備蓄とダブついた核兵器のコストを削減して、21世紀型の兵器開発のために資源を振り向けることであろう。

他方、悲観的に予測すれば、「トランプ氏は、核兵器は『使用可能』なものだと見ているように思えます。核のタブーを強化する旧来的な抑止の観点だけではなく、もし彼が米国の戦力の採算を取ろうと決意したなら、恐ろしい過ちを犯し、自らがコントロール不能な危険を解き放ってしまうかもしれません。」とジョンソン博士は語った。

「いずれにせよ、トランプ氏は、非核兵器国が長らく論じてきた、核兵器に安全性などないということを証明しています。」

ジョンソン博士は、「トランプ氏は、今日の核体制を変え、核兵器の使用・配備・生産・輸送・拡散・資金提供を禁止する必要性がいかに正当なものであるかを、いわば自らの行動と発言を通じて世界に知らしめているような存在です。」と語った。

しかし、「トランプ大統領誕生」の可能性が、国連での(核兵器禁止に向けた)交渉に120カ国以上の政府を賛成させた主要因ではなかった。

(10月27日、国連総会の軍縮・国際安全保障委員会[第一委員会]は、多国間の核軍縮交渉を前進させる画期的な決議を採択した。決議は「核兵器を禁止する法的拘束力のある文書を交渉し、その完全廃絶を導くような」国連の会議を2017年に招集することを定めている。)

Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.
Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.

ジョンソン博士は、「(11月上旬の)トランプ氏の大統領選挙勝利が、核廃絶が人道上絶対に必要であることを国際社会に再確認させることとなりましたが、10月の国連総会で世界の3分の2以上の国々が核兵器禁止条約交渉に賛成票を投じた背景には、ロシアの(ウラジミール)・プーチン大統領や北朝鮮の金正恩最高指導者、インドの(ナレンドラ・)モディ首相、英国の(テリーザ・)メイ首相の存在がありました。また、2009年に格調高いプラハ演説を行ったにも関わらずオバマ大統領に軍縮面で前進をもたらすことを許さなかった「核クラブ」と米国の守旧派の既得権を念頭に置いていたためでもありました。」と語った。

「したがって、トランプ大統領が誕生するかどうかに関係なく、世界の民衆の大多数が責任を取ろうとすれば軍縮は実現します。ただ、そうなったら、トランプ氏はそれを自分の功績にすることでしょうね!」とジョンソン博士は語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

希望と絶望の間で揺れる非核スローガン

米選挙戦で致命的な問題になる核戦争

The Beauties of Mikimoto Pearl Island

Visit to Mikimoto Pearl Island located off the coast of Toba City in Mie Prefecture, some 150 kilometres west of Nagoya. Manager Noburu Shibahara briefed us on the life and works of its founder Kokichi Mikimoto and activities of the company.

To adorn the necks of all women in the world with pearls: this was the “humble ambition” of Kokichi Mikimoto, who died in September 1954 at the age of 96, says Noboru Shibahara, Manager of the Mikimoto Pearl Island, as we stand in front of a bronze statue of the man after whom Japan’s famous island is named.

Mikimoto was fully aware that “in order to realize his ambition, peace and trusted relations among nations have to exist based on democratic principles as advocated by Yukio Ozaki”, adds Shibahara.

An Island Where World’s First Cultured Pearls Were Created

By Ramesh Jaura and Katsuhiro Asagiri

TOKYO (IDN) – To adorn the necks of all women in the world with pearls: this was the “humble ambition” of Kokichi Mikimoto, who died in September 1954 at the age of 96, says Noboru Shibahara, Manager of the Mikimoto Pearl Island, as we stand in front of a bronze statue of the man after whom Japan’s famous island is named. JAPANESE

Photo: The Pearl Globe, which had its pride of place in Kokichi Mikimoto's office. When guests would come to see him, he would often spin the globe and say, "I go around the world everyday!'' Credit: Mikimoto Company.
Photo: The Pearl Globe, which had its pride of place in Kokichi Mikimoto’s office. When guests would come to see him, he would often spin the globe and say, “I go around the world everyday!” Credit: Mikimoto Company.

Mikimoto was fully aware that “in order to realize his ambition, peace and trusted relations among nations have to exist based on democratic principles as advocated by Yukio Ozaki”, adds Shibahara.

Also remembered with his pseudonym ‘Gakudo’, Ozaki served in the House of Representatives of the Japanese Diet for 63 years (1890–1953), and is still revered as the “God of constitutional politics” and the “Father of the Japanese Constitutional Democracy”.

Mikomoto was one of the ardent supporters of Yukio Ozaki. Both Mikimoto and Ozaki were born in 1858 and died in 1954.

Kokichi Mikimoto/ Mikimoto Pearl Island
Kokichi Mikimoto/ Mikimoto Pearl Island

“We at Mikimoto Pearl Company will continue to play a part of popular diplomacy in cooperation with organizations and groups concerned while succeeding the wills of the two gentlemen,” assures Shibahara.

Mikimoto Pearl Company donated the ceremonial Mikimoto Crown placed since 1957 on the head of a newly selected U.S. Cherry Blossom Queen during a National Cherry Blossom Festival. Mikimoto has also been welcoming the Cherry Blossom delegations at the island, and presenting pearls to the Cherry Blossom Queen.

The Gakudo Kofu, a not-for-profit organisation (NPO) launched in 2006 and tasked since 2010 with administration of the historic Ozaki Gakudo Memorial House supported by the Ise City, coordinates all such activities.

In fact, Gakudo Kofu’s President Takako Doi arranged – and accompanied us on – our visit to the Mikimoto Pearl Island, located off the coast of Toba City in Mie Prefecture, some 150 kilometres west of Nagoya.

The island – connected to the mainland by a bridge – belongs to Mikimoto Pearl Island Co., Ltd., which runs it as a tourist attraction, exhibits pearls and pearl craft goods, and holds shows featuring women divers’ performance.

It was an important item on Partners’ Programme during the May 2016 Ise-Shima Summit of the Group of 7 (G7) heads of state and government comprising the United States, Canada, Britain, France, Germany, Italy and Japan.

A few days later, Shibahara treated us to the fascinating performance of women divers famed for their underwater feats and for their diving prowess. The few true remaining ‘Ama divers’, as they are traditionally known, provide year-round demonstrations of their skills. The island is said to be the only place where they continue to wear the original white that covers the body from the feet to the head.

The Women Diver or Ama San Pearl Diver Stand is one of the island’s four main pavilions, which include the Pearl Plaza, Pearl Museum, and the Kokichi Mikimoto Memorial Hall – all set amongst lush greenery and the beauty of Toba Bay.

The Memorial Hall depicts Kokichi Mikimoto’s life full of hardships and achievements, and underlines his close relationship with his hometown through exhibits, such as the replica of the house where he was born, displays showing his “footprints” which remain in Toba, and a panoramic model showing a complete view of Toba during the Meiji Period, which extended from October 23,1868 through July 30, 1912.

Born as the son of a noodle restaurant owner in Toba City in 1858, he recognized the beauty and value of the pearls from his local Shima region at an early age and after first trying to increase the number of pearl oysters, turned his hand to creating cultivated pearls. In 1893 he finally succeeded in determining the best method to cultivate pearls, the patent of which was awarded in 1908.

Shibahara shows us some of the intricate artworks on display in the Pearl Museum that include the five-storied Mikimoto Pagoda, a scale model of the ancient Pagoda of the Horyuji Temple of Nara, using 12,760 pearls, which was made for display at the 1926 Philadelphia Exposition.

Another eminent artwork is the Pearl Crown made in 1978 to commemorate the 85th Anniversary of the discovery of the method of producing cultured pearls.. The design is similar to the State crown of Queen Mary, which was made for the consort of George V at his coronation in 1911. The Crown is made of 18-carat gold studded with 872 lustrous Mikimoto Cultured Pearls.

Pearl Crown II with its delicately dangling pearls of grandeur is designed similar to the medieval crowns. A sixteen millimetre silver coloured pearl adorns the peak of the crown. Some select dainty pink coloured pearls resting lightly on the red velvet potion of the crown, give a sense of cheerfulness. This crown is comprised of 796 meticulously chosen Mikimoto pearls and 17 lustrous diamonds.

A reproduction of the Liberty Bell, made with 12,250 pearls and 366 diamonds is yet another fascinating artwork on display. The famous bell’s crack has been reproduced using blue pearls. The bell caused a sensation when displayed at the 1939 World Exposition in New York, where it was titled “The Million Dollar Bell”, Shibahara tells us.

Then there is the Pearl Globe, which as we are told, had its pride of place in Kokichi Mikimoto’s office, and when guests would come to see him, he would often spin the globe and say, “I go around the world everyday!” Thus, the globe symbolizes his philosophy; his global view of the pearl industry.

Shibahara tells us that the Pearl Globe was created to enhance human awareness of the concern about environment. It is an example of Mikimoto’s finest workmanship. “This globe with its unique design and ornamentation makes it like no other globe ever made before.”

At first glance, the globe appears unstable, but when viewed from different angles, it reveals different aspects. The arm connecting the Pearl Globe to the base is made of bronze and inclines at the same angle as the earth’s axis. It displays the twelve zodiac constellations inlaid with pearls and pure gold through a technique called the high relief inlay. This effectively gives them a three dimensional appearance.

The base is made of bronze. Each side of the twelve-sided base displays a different Japanese flower embossed in copper and set into the base, signifying the twelve months of the year.

At the Mikimoto Pearl Hall, we also come across a 1927 letter from famous American inventor and businessman Thomas Edison, to Kokichi Mikimoto, written after they visited together Edison’s West Orange, New Jersey home.

Addressing him as “Dear Kokichi”, Edison remarked: “It is one of the wonders of the world that you were able to culture pearls; it is something that is supposed to be biologically impossible.” Mikimoto responded: “If you were the moon of the world of inventors, I would simply be one of the many tiny stars.”

Pearls are composed of many thousands of layers of crystalized calcium carbonate and a hard protein called conchiolin. Size, shape, colour, lustre and degree of imperfection determine the value of each individual pearl. Most important however, is nacre thickness. For items such as necklaces and multi pearl brooches, consistency for matching purposes is also very important.

The Pearl Plaza offers a rich selection of pearls, pearl jewellery and accessories and pearl products in the Pearl Shop, while the second floor restaurant provides a fine view of Toba bay.

Kokichi Mikimoto’s ambition to adorn the necks of women around the world with pearls has meanwhile become a reality. Mikimoto stores stud not only Tokyo and other cities in Japan, but also Paris, New York City, Chicago, Boston, Los Angeles, San Francisco, Shanghai, Singapore and Mumbai. And the historic company’s manager Shibahara is on his toes exploring new buyers and markets around the world.

Mikimoto is fully aware of its environmental responsibility and the Mikimoto pearl culturing operations have achieved zero-emission status, with all akoya oyster waste and residue from the culturing process recycled or reused. [IDN-InDepthNews – 02 December 2016]

Top photo : The Pearl Globe, which had its pride of place in Kokichi Mikimoto’s office. When guests would come to see him, he would often spin the globe and say, “I go around the world everyday!” Credit: Mikimoto Company.

Second Photo: Kokichi Mikimoto. Credit: Mikimoto Pearl Island.