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2013年の米テレビ報道は世界のほとんどの場所を無視

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

米国の外に住む人々が、米国民がしばしば海外の問題に疎いという疑問について答えを見出そうとするならば、3大テレビネットワーク(ABCCBSNBC)が2013年を通して何を報道していたかを見ることから始めたらいいかもしれない。

権威あるティンドール・レポートが発表した最新の報道年次報告によると、ほとんどの米国民にとって国内/国際ニュースの最も重要な情報源となっている3大ネットワークが2013年の間に取り扱ったイブニングニュースで首位を占めたのが、「シリア問題」「有名人に関する報道」であることが明らかになった。一方、世界の大半の地域で起こった出来事は、ほぼ無視されていた。

海外報道に関してみると、ラテンアメリカ、欧州の大半、サブサハラアフリカ、南アジア(アフガニスタンを除く)、東アジア(中国と米国の地域最重要同盟国日本が対立を深めているにも関わらず)は、ほとんど報道の対象になっていなかった。ティンドール・レポートは、1988年以来、3大ネットワークで平日に放映されるイブニングニュース(夜の30分ニュース番組のうち約22分)の内容を統計にして蓄積している。

同レポートによると、集計対象としている3大ネットワークの国内/国際ニュースの年間合計約15,000分のうち、「シリア紛争と米国の軍事介入の可能性」を論じた報道が519分(全体の3.5%)で、年間で最も報じられたトピックであった。これに、チェチェン生まれの兄弟が昨年4月に3人を殺害したボストンマラソン爆破テロ(432分)、「米連邦予算問題を巡る議論」(405分)、「医療保険制度改革(オバマケア)の欠陥を巡る議論」(338分)が続いた。

また他の国際ニュースとしては、12月のネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の死去」(186分)、7月の「エジプトのムハンマド・モルシ大統領の追放とその直後」新ローマ教皇フランシス(157分:ただし、ベネディクト16世前法王の退位と大司教による新教皇選出に関する報道121分は含まない)、英王室にジョージ王子誕生(131分)が続いた。

一方、米軍が引き続き関与している「アフガニスタン情勢」に関する報道(121分)は、「英国の新王子」に関する報道時間より10分下回った

ティンドールの創設者で発行人のアンドリュー・ティンドール氏はIPSの取材に対して、「『ローマ法王の交代』、『マンデラ大統領の死』、『ジョージ王子の誕生』にこれほど報道時間が割かれているのは、米国のニュース報道においてセレブリティージャーナリズム(celebrity journalism)が台頭しているからです。例えば、義足をつけた南アの陸上選手で恋人を殺害したと疑われている2流の有名人オスカー・ピストリウス氏に関する報道(51分)が、マンデラ氏が死去する以前の11か月におけるサブサハラアフリカ全体の報道時間の合計を上回っているのもその証左に他なりません。」と語った。

ピュー・リサーチ・センター(米世論調査団体)が発表したピープル&ザ・プレスのための最新調査では、2013年には国民全体の約3分の2がテレビを国内/国際ニュースの主要情報源にしていたという。この人数は新聞を主要情報源としている人々の2倍以上であり、近年伸びてきているインターネットを主要情報源としている人々の数と比較しても約33%上回るものである。

3大ネットワークの平日のイブニングニュースの視聴者数は、約2100万人にのぼる。メディアウォッチャーによると、近年、フォックスニュースCNNMSNBCといったケーブルテレビチャンネルの報道が3大ネットワークの報道よりも注目を浴びることがしばしばあるが、視聴者数は3大ネットワークには依然として遥かに及ばないという。

ピュー・リサーチ・センタージャーナリズムプロジェクトの調査分析専門家であるエミリー・グスキン氏は、IPSの取材に対して、「2013年、3大ネットワークの平日のイブニングニュースの視聴者数は、3大ケーブルテレビネットワークがゴールデンタイムに放送した最高視聴率番組の視聴者数の4倍以上にのぼりました。」と語った。

近年の調査結果同様、3大ネットワークは2013年の間も天候、とりわけ異常気象とそれが引き起こす天災関連のトピックに多くの時間を割いている。ただし、これも例年通りの傾向だが、異常気象と気候変動の関連を追及する報道はほとんどなかった。

The 2013 tornado season was in the top six stories. Here, members of the Oklahoma National Guard's 63rd Civil Support Team conduct search and rescue operations in response to the May 20, 2013, EF-5 tornado that ripped through the centre of Moore, Oklahoma. Credit: National Guard/cc by 2.0
The 2013 tornado season was in the top six stories. Here, members of the Oklahoma National Guard’s 63rd Civil Support Team conduct search and rescue operations in response to the May 20, 2013, EF-5 tornado that ripped through the centre of Moore, Oklahoma. Credit: National Guard/cc by 2.0

また同レポートによると、「トルネードの季節」「厳しい冬の天候」「旱魃と西部諸州における森林火災」が、放送時間トップ6のうち3つを占めた。3大ネットワークは、「2012年に発生したハリケーン・サンディの影響」と含むこれら4つのトピックに、合計で年間報道時間全体の約6%にあたる900分近くを割いている。

ティンドール氏は「(米国の)テレビニュースジャーナリズムが抱える重大な欠陥は、異常気象に関する出来事が気候変動という包括的な概念と関連付けて伝えられていない点です。こうしたトピックが気候上の問題ではなくあくまでも気象上の問題として伝えられる限り、問題の性質が地球規模ではなく、国内或いは地域に限定した問題として扱われてしまうからです。」と指摘したうえで、「ただしフィリピンに甚大な被害を及ぼした台風30号(ハイヤン)(83分)は例外で、3大ネットワークが2013年中にアジア地域をカバーした最大のトピックでした。」と語った。

それとは対照的に、米国の多くの外交政策アナリストが2013年における最も憂慮すべき課題と指摘した東シナ海における日中間の緊張の高まり」(米国は日米安保条約に基づき日本の領土を軍事的に保護する義務を負っている)については、年間でわずか8分しか報道されなかった。

なお、他の2つの外交課題「北朝鮮と不安定な金正恩体制」(プロバスケット選手デニス・ロッドマン氏の訪朝を報じた10分を含む87分)、「イランのハッサン・ロウハニ氏の大統領選出と核開発疑惑を巡る交渉」(104分)については比較的多くの報道がなされ、とりわけ「イラン情勢」については、「英国王子の誕生」とほぼ同程度の注目が払われていた。

「リビア」(64分)についても比較的多くの時間が割かれていたが、報道内容を見ると2011年9月に起こった米国大使と3人の大使館員が殺害された事件の責任を巡る国内の議論に終始していた。「ナイジェリアのイスラム系反政府武装組織ボコ・ハラム」や「中央アフリカ共和国における内戦と人道危機」については、全く報道されなかった。

ジョン・ケリー国務長官が「イランとの核交渉」と並んで外交の最優先課題に位置付けた「イスラエルーパレスチナ紛争」に関する放送時間はわずか16分に過ぎなかった。ティンドール氏はこの点について、「パレスチナは、2013年の米国のニュース報道からほぼ姿を消した。」と指摘した。

またティンドール氏は、ラテンアメリカに関する報道がほぼ不在であった理由として、スペイン語によるテレビネットワークが米国で広がってきている背景を指摘するとともに、「ラテンアメリカ関連の報道に関心がある視聴者は、おそらくスペイン語を話せるため、スペイン語テレビネットワークを利用しているのだろう。」と語った。

3大ネットワークが2013年に海外報道或いは米国の外交政策に費やした時間は合計4000分(報道時間全体の27%)で、過去25年の平均値を下回っていた。とりわけ米国の外交政策に関する報道時間は平均値よりさらに50%近く少ない1302分に過ぎなかった。

これについてティンドール氏は、米国の外交政策に関する報道がブッシュ政権(父・子)期に急増した一方で、クリントン及びオバマ政権期に落ち込んだ実例を挙げながら、「概して、外交政策関連の報道は、大統領が好戦的な時期に増える傾向にあります。」と語った。

ただし、米国家安全保障局(NSAの元契約職員エドワード・スノーデン氏が暴露し米国内外に波紋を引き起こした、NSAが米国民のメタデータや諸外国のリーダーの私的な通話やメール内容を傍受・収集していた問題」に関する報道時間は合計210分で、最も報道されたトピック第10位にランクインした。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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どうしても伝えたい10大ニュース

世界市民概念の理解を広めるには

【ニューヨークIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

「世界市民及び持続可能な開発のための教育」(EGCSD)は、専門的流行語になるにはまだ程遠い。実際のところ、専門家の世界の外ではこの概念はまだ広く受け入れられているとは言えない。このテーマに精通している人々ですら、説明はしながらも、そのメッセージを根付かせるのに苦労している。

「今日は技術が進歩し、ガバナンスがますます国民国家の枠組みを超えてなされるようになっているにも関わらず、世界市民の概念は不思議なほど不在である。この用語は歴史的に何を意味し、どのような取り組みが、この概念をまとまりのある民主的で政治的な取り組みへと発展させる可能性があるだろうか?」と最近の論文の中で問うているのは、「世界市民イニシアチブ」(TGCI)の共同創設者であるロン・イスラエル氏である。

Ron Israel
Ron Israel

イスラエル氏によれば、世界市民とは、生まれつつある世界コミュニティーの一員であることを自覚し、その行動によって世界コミュニティーの価値や取り組みを構築することに貢献しようとする人々のことだ。これは一見、分かりやすそうに思える定義だが、具体論となると問題が出てくる。

最貧国における開発や世界の平和、女性・子どもの人権に関する取り組みで著名なバングラデシュの外交官であるアンワルル・カリム・チョウドリ氏は、世界市民の概念は各個人の「考え方、行動のあり方」であるとの見解だ。

チョウドリ氏は、「実際に、潘基文国連事務総長が2013年9月に開始したグローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)に期待している基本的な変化とは、「発想を変えていく」ということです。つまりこの場合、(教育を通して)若い世代が従来の発想を転換し、『①自分たちがより広い世界の一部であると感じる。②地域の狭い観点からのみ物事を考えるべきではないと考える。③世界全体の一部であると感じることなしに人類の最善の利益になるような広い目的を達成することはできないと理解する…』といった心構えを身につけていくことを期待しているのです。」と語った。

世界銀行国連環境計画(UNEP)と協力してきた「DEVNETインターナショナル」の会長でCEOのアルセニオ・ロドリゲス氏は、世界市民の本質を次のような事実に見出している。「私たちは誕生とともに、共通の故郷(=地球)、エネルギー源としての太陽、すべての生活必需品・住居・食べ物の供給源としての大地、身体・心・精神を維持するための社会的環境、そして、人生の素晴らしい経験を共有する同胞(=人類)を受け継いでいるのです。」

さらにロドリゲス氏は、「従って生命とは、その究極的な本質において、『人間と人間』そして『人間+地球とそれを維持する富』との間の関係のことです。「この関係を全てにとっていかに生産的で実りの多いものにするかということが私たちの課題です。現在、新しい概念やモデルが芽生えつつありますが、いずれも私たちを持続可能性と世界市民へと完全に導くほどには、根付いていません。」と付け加えた。

Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten
Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten

スリランカのパリサ・コホナ国連大使は、歴史的な具体例を挙げながら、世界市民の概念は、19世紀・20世紀だけではなく、かなり長きにわたって議論の対象になってきました。」と語った。

哲学的、宗教的な議論がこれだけありながら、世界市民の概念がこれまで普遍的に受容されることはなかった。歴史的には、人類は多くの帝国が興隆する様を目の当たりにしてきた。そしてこうした帝国内において臣民は、帝国の一部であるという共通の要素に慣れ親しむよう促されてきた。

この点についてコホナ大使は、「おそらく、それは平等な人間としてではなく、同じ支配者に恭順する個人として、(帝国の一部であるという自覚を持つよう)促されたからでしょう。結果として、それは多くの人々が世界市民と考えるようなものではありませんでした。」と語った。

にもかかわらず、結果として、「世界」というものについてのより幅広い認識が(そうした帝国に組み込まれた)多くの人々の心の中に形成されてきた。紀元前330年頃、アレクサンダー大王はバルカン半島南部の小国マケドニア王国を南アジアのインダス川の岸辺にまで拡大し、自らの遺産として、広大な帝国の臣民の脳裏にギリシャ文化と一体化しているという観念を残した。

のちに、ローマを拠点とするより大きな帝国が、その傘下に小アジアや北アフリカ、欧州の広範な地域を支配した。このローマ帝国の出現により、西洋世界にはそれまで存在しなかったタイプの政治的一体性が生まれたのである。ローマ帝国が残した政治的、社会文化的足跡は、今日でも依然として、多くの人々の精神に一つの要素として残っている。

さらにコホナ大使は、(7世紀~13世紀には)バグダッドやダマスカスを首都とするカリフ領(ウマイヤ朝アッバース朝)の拡大によって、より大きな帝国が出現し、そこでは、経済関係や宗教、文化を包含した一つの体制に帰属するという一体感が、この時期のスペインから北アフリカ、中東、そして北部インドにかけてみられた点を指摘した。この場合、宗教(イスラム教)という下支えの枠組みが明確な要素であった。

さらに時代が下り15世紀になると、大航海時代に先鞭をつけたポルトガル海上帝国スペイン帝国が興隆した。「両帝国は地球をまたぎ、市民と臣民の間に一体性の感覚を生み出した。」とコホナ大使は指摘した。宗教、文化、貿易関係がこれらの帝国の本質的な要素であった。

その後、オスマン帝国、オランダ、英国、フランスが、強大な帝国を築いた。とりわけ18世紀以降にオランダ、スペイン、フランスを打破して北米とインドでの植民地獲得競争に勝利した大英帝国では、「太陽は沈むことなく、その遺産ははるか遠くに及ぶ」と言われた。一方、チンギス・ハーンとその後継者たちによって、一時は東欧のポーランドや中東のシリアにまで領土を拡大したモンゴル帝国(13世紀)もきわめて統合された社会で、大都の役人が発行した通行許可証は、帝国最西端の中東でも通用した。

「しかし、これらの帝国によって創り出された一体性は、例えば、地理的な現実や物理的力の限界など様々な理由によって、いずれの場合も、全世界を包含するには至りませんでした。」とコホナ大使は語った。

加えて、一つの帝国はしばしば他の帝国による挑戦に晒され、やがて没落していった。こうした諸帝国は、本当の意味での「世界市民」の感覚を創り出したわけではない。実際には、帝国同士で互いの領土や植民地の覇権を巡って抗争を繰り返しており、帝国によっては領内に様々な種類の臣民がいて「一体性」の観念など全く存在しないケースもあった。

「しかし一方で、これらの世界帝国が人類にもたらした効果も一つあります。つまり、帝国支配のもとで、様々な民族や文化、哲学、宗教的信条、科学的知見、政治的概念、経済システムがまとめあげられ、少なくともある点においては、私たち人間の間に共通の要素があるという感覚だとか、一つの共通の傘の下にそれらをまとめたいという願望が人々の心に生じたことです。」とコホナ大使は指摘した。

20世紀には、人権や民主主義的規範を基礎とした、準地域レベル、地域レベル、国際レベルの様々な組織が登場したが、それは21世紀入っても続いているプロセスであり、世界市民の観念が様々なレベルの人々の心と生活に根付くのは、教育を通じてであると識者らは考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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人権教育を推進するHRE2020

【ベルリン/ジュネーブIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

2011年12月19日に国連総会で採択された「人権教育および研修に関する国連宣言」の第1条には、「すべての人は、人権と基本的自由について知り、情報を求め、手に入れる権利を有し、また人権教育と研修へのアクセスを有するべきである」と記されている。

それから2年、同宣言の中で構想されたような既存の国際基準や公約の履行を支援し強化することによって人権教育を推進すべく、市民社会組織による世界的連合が立ち上げられた。同宣言は、「人種、性別、言語、宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を尊重することを促進し、奨励する」という国連憲章の目的と原則を再確認している。

「人権教育2020」HRE2020)として新たに立ち上げられた世界的連合は、アムネスティ・インターナショナル人権教育アソシエイツ(HREA)創価学会インタナショナル(SGI)、その他9つの市民団体から構成されている。

2020年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」採択10周年を翌年に控え、市民に対する良質の人権教育の提供という点で諸政府や国際機関、市民社会の到達度合いを測る重要な年になるだろう。

Adele Poskitt

HREAの事業担当でHRE2020のコーディネーターでもあるアデル・ポスキット氏は、「国連宣言と世界プログラムによって、人権教育の明確な基準と公約が存在するようになりました。HRE2020は、効果的な履行が行われるようにするために、これらの基準や公約を体系的に監視することを目指しています。」と指摘したうえで、「私たちは諸政府に対してさらに説明責任を求めていきます。なぜなら人権を基軸にした包括的な教育は、個人に知識とスキルを授け、人権を日常生活の中で促進・擁護・適用する力を与えるものだからです。」と語った。

「人権教育および研修に関する国連宣言」採択2周年を記念して立ち上げられたHRE2020は、「同国連宣言」や「人権教育のための世界プログラム」など、国際人権基準における人権教育条項の各国による履行状況を体系的に監視することを目的としている。

「HRE2020のひとつの目的は、市民社会が国際人権の制度、条約、基準、政策を利用して諸政府に責任を果たさせる能力を支援強化することにあります。」とアムネスティ・インターナショナルの国際人権教育主任スネー・アウロラ氏は語った。

Sneh Aurora

藤井氏は、この世界的連合が形成された経緯について、「アムネスティ・インターナショナル、HREA、SGIは、人権教育をすべての人々にとって現実のものとするためには、市民社会の主体がまとまって国際人権諸制度とより効果的に関与していく必要があり、そのためには、市民社会による協調的なプラットフォームが必要だとの認識で一致しました。私たちは、人権教育が世界的に履行されるよう、HRE2020を通じて他の市民社会の主体と協働していけることを楽しみにしています。」と説明した。

SGIのジュネーブ国連連絡所所長である藤井一成氏は、HRE2020という新しい取り組みの開始を歓迎し、「国連と市民社会が協働して、人権教育に関する国際政策に良い影響を及ぼすことができるでしょう。市民社会は、諸政府による政策とその履行における現実との間のギャップをなくす上で、きわめて重要な主体です。」と語った。

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Dr. Daisaku Ikeda, Seikyo Shimbun

実際、池田大作SGI会長は、毎年発表している「平和提言」の2011版の中で、国際規模で人権教育を推進する「人権教育のための国際的なNGO連合の形成」を提案し、「『人権文化』という用語は、一人一人が自発的な意思に基づいて、人権を尊重し生命の尊厳を守り抜いていく生き方を、社会をあげて文化的な気風として根付かせることを目指すものです。」と指摘している。

HRE2020は世界各地の団体と協力し、現在の加盟団体は以下のとおりである。アラブ人権研究所、欧州民主主義人権教育(DAREネットワーク)、フォーラム・アジア、米国人権教育者の会(HRE USA)、ヒューライツ大阪、インフォーマル・セクター・サービス・センター(INSEC)、アフリカ人権開発研究所(IHRDA)、ピープルズ・ウォッチ、ペルー人権平和研究所(IPEDEHP)、ラウル・ワレンバーグ人権・人道法研究所。

新たな枠組み

HRE2020の関係者によると、同団体は、関係者が人権教育公約の履行状況を監視するために使えるような指標を含めた、簡単で、使いやすい新たな枠組みを検討しているという。

この枠組みは、学校部門や、教員・法執行官・軍人・公務員の研修や、医療関係者やソーシャル・ワーカーのようなその他の専門集団の研修において、人権教育に地位を与えるために必要な様々な指標や関連説明を含んだものになる予定である。また、若者と大人を対象にした不定形型(non-formal)人権教育の取り組みのための指標も含まれる予定である。

この監視枠組みには、「人権教育のための世界プログラム」に沿うように、次のような内容が含まれる。つまり、①立法・政策文書における人権教育、②カリキュラム・学習教材における人権教育、③教育・研修プロセスにおける人権教育、④評価、⑤訓練者の育成、である。

HRE2020は、条約委員会への報告や普遍的・定期的過程)審査(UPR)、および非政府主体からのカウンター・レポート(Shadow Report)の準備に伴う協議過程において、市民団体がこの枠組みを利用することを期待している。この枠組みはまた、諸政府や条約委員会が人権教育・研修を実施する方法を具体的に探るための手掛かりを提供するだろう。

この世界的連合は、とりわけ、1993年にウィーンで開かれた世界人権会議に刺激を受けて作られたものである。同会議は、あらゆる学習機関のカリキュラムに、人権や人道法、民主主義、法の支配を内容として含めるよう、すべての国家と機関に要請した。また、人権への普遍的公約を強化することを視野に入れた共通の理解と意識喚起を達成するために、国際的・地域的人権文書で規定されているように、平和や民主主義、開発、社会的正義を人権教育に含めるべきであるとした。

また、各国首脳が「人権教育のための世界プログラムの履行を通じて、あらゆるレベルにおいて人権教育・学習の促進を支持し、全ての国家に対してこの点におけるイニシアチブの進展を促した「2005年世界サミット成果文書」も、この世界的連合の基盤を提供している。

藤井氏は、「SGIとHREAは、人権教育に関する国連の国際政策決定過程に市民社会の観点と提案を反映させるべく、2003年ごろから長年にわたって緊密に協力してきています。」と語った。とりわけ、「人権教育のための国連10年」(1995~2004)、「人権教育のための世界プログラム」(2005~継続中)、「人権教育および研修に関する国連宣言」の文脈においてこうした協力がなされている。

Kazunari Fujii, SGI

アムネスティ・インターナショナルは、とりわけ2007年に始まり2011年に国連総会での採択に結実した「人権教育および研修に関する国連宣言」の起草過程が以来、ジュネーブの国連人権理事会の場において人権教育に関するこのようなアプローチを活発化させている。

起草過程では、国連人権理事会に市民社会から効果的にアプローチできるように、SGIジュネーブ国連連絡所とアムネスティ・インターナショナル国際事務局が互いに緊密に協議した。(原文へ

SGIの藤井氏は、ジュネーブの欧州国連本部を舞台に、人権教育の文脈でこういった国連政策決定の過程全体に参加してきた主要な市民社会ネットワークのひとつは、ジュネーブの「人権教育学習NGO作業部会」(NGO WG on HREL)であると語った。同NGO作業部会は、国連NGO会議(CONGO)の枠内に設置されたNGOネットワークで2006年の設置以来、SGIはその議長職にある。

翻訳=INPS Japan

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「核兵器なき世界」に向けて正念場の2015年

【ベルリンIDN=ジャムシェッド・バルーア】

広島・長崎への原爆投下から70年を迎える2015年は、「核兵器なき世界」に向けて歩みを進めていく上で正念場の年となるだろう。核兵器の禁止を求める運動は世界的に勢いを増しているが、2014年の状況をよく見てみるならば、核軍拡競争の新たな章を開こうとする動きも軽視できない。

核兵器を廃絶する必要性に対する意識の高まりは、国連加盟国の8割以上にあたる155か国が2014年10月に国連総会に提出された「核兵器の人道上の結末に関する共同声明」に賛同したことに現れている。

「共同声明において力強く表明された『核兵器が再び、いかなる状況下においても使用されないことが、人類生存にとって重大な意味を持つ』との認識が、今や国際社会で大きな潮流を形成しつつあります。」と指摘するのは、核兵器なき世界のあくなき追求者である創価学会インタナショナル(SGI)池田大作会長だ。

12月8日から9日にオーストリアのウィーンで開催された「核兵器の人道的影響に関する国際会議(ウィーン会議)」(非人道性会議)に参加した158か国のうち、44か国の政府代表が、核兵器が存在し続けるかぎり、意図的、計算違い或いは狂気、技術的・人的ミスによる核使用のリスクが現実にありうる、との見解を示した。

次の国々が、ウィーン会議において核兵器禁止条約を支持した。オーストリア、バングラデシュ、ブラジル、ブルンジ、チャド、コロンビア、コンゴ、コスタリカ、キューバ、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、ガーナ、グアテマラ、ギニアビサウ、ローマ教皇庁、インドネシア、ジャマイカ、ヨルダン、ケニア、リビア、マラウィ、マレーシア、マリ、メキシコ、モンゴル、ニカラグア、フィリピン、カタール、セントビンセント及びグレナディーン、サモア、セネガル、南アフリカ、スイス、タイ、東ティモール、トーゴ、トリニダードトバゴ、ウガンダ、ウルグアイ、ベネズエラ、イエメン、ザンビア、ジンバブエ。

Robert Wood, Special Representative to the Conference on Disarmament/ US Dept of State

フランシスコ法王は、このような世界的な状況を受けて、ウィーン会議へのメッセージで核兵器を「完全に禁止」するように呼びかけた。シルバーノ・マリア・トマジ大司教が代読したメッセージの中で法王は、158か国、200以上の市民団体を代表した1000人以上の参加者に対してこう述べた。

「『核兵器なき世界』は、数多くの人々の強い願望であるだけではなく、全ての国家が共有し、世界の指導者らが賛同している目標です。人類の未来と生存は、この理想に向けて前進し、現実とするかどうかにかかっています。」

第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議(ウィーン会議)は、2013年のオスロ(ノルウェー)、2014年初頭のナヤリット(メキシコ)につづく3回目の会議である。前回までとは異なり、フランス、ロシア、中国と並んで「核クラブ」の一員である米国と英国が参加した。さらに、中国の非公式代表も参加した。また、前2回の会議に参加した別の核兵器国であるインドとパキスタンは、今回も参加した。

44か国による核兵器禁止の呼びかけに応えて、オーストリアは「オーストリアの誓約」を発表した。「核兵器の禁止と廃絶に向けた法的ギャップを埋める」ために努力し、「この目標を達成するために全てのステークホールダー(利害関係者)と協力する」ことを誓った。

オーストリアへの称賛

Ambassador Alexander Kmentt/ UN photo
Ambassador Alexander Kmentt/ UN photo

ワシントンのアドボカシー団体「軍備管理協会」(ACA)は、オーストリアの誓約を称賛する証として、同国のアレクサンダー・クメント軍縮・軍備管理・不拡散部長・大使を「2014年軍備管理大賞」に選んだ。ACAは1月8日、クメント大使がオンライン投票で最多得票を獲得したと発表した。

ACAのダリル・キンボール会長は、「クメント大使は、『第3回核兵器の非人道性に関する会議』をこれまでで最も包括的かつ最多の国・団体が参加したものにするうえで、多大なる功績があった」と指摘したうえで、「同会議は、核兵器に関する国際協議のありかたを変革するとともに、核兵器なき世界に向けた動きをつくりだす取り組みに新たな緊急性を付与した。」と語った。

核不拡散条約(NPT)加盟国の大多数は、今年5月のNPT運用検討会議において、ウィーン会議での知見と結論が考慮に入れられ、世界の核兵器国がNPT第6条の義務に関してより迅速な進展を見せるように促されることを期待している」とキンボール氏は付け加えた。

1970年3月に発効したNPTは、核兵器の拡散を禁止することを目指すものである。その190か国の加盟国は2つのカテゴリーに分かれる。一つは、米国、ロシア、中国、フランス、英国からなる核保有国、もう一つは非核保有国である。NPTにおいては、5つの核保有国は一般的かつ完全な軍縮を追求する義務があり、非核保有国は核兵器の開発あるいは取得を放棄することに合意している。

BASIC
BASIC

NPT第6条は核保有国に対して「核軍備競争の早期の停止および核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳格かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉をおこなうことを約束する」ことを義務づけている。

PNND評議員がEU外相に

核兵器なき世界に向けた運動を加速させているもう一つの重要な動きは、イタリアのフェデリカ・モゲリーニ外相キャサリン・アシュトン氏に替わって欧州連合の外務・安全保障政策上級代表に選出されたことである。

Federica Mogherini/ Wikimdia Commons

モゲリーニ氏は「核不拡散・軍縮議員連盟」(PNND)で積極的な役割を担ってきた。「核兵器禁止条約を支持する議員宣言」や「核兵器及び他の大量破壊兵器のない中東を支持する共同議員声明」など、PNNDのメンバーが主導した数多くの取り組みに賛同している。

モゲリーニ氏は、PNNDの各種イベントで発言する一方、潘基文国連事務総長の核軍縮5項目提案を支持する決議(2009年6月に全会一致で採択)など、イタリア議会における取り組みを主導してきた。また、2008年に初めて国会議員になって以来のPNNDのメンバーであり、2010年以来、PNND評議会の一員である。また、「多国間核軍縮・不拡散を求める欧州リーダーシップネットワーク」「CTBT 賢人グループ」の一員でもある。

PNNDは「ノーベル平和サミット」主催者の一人として役割を果たしてきた、モゲリーニ氏の夫であるマテオ・レベサーニ氏とも協力してきた。とりわけ、同サミットと、核軍縮問題に関するノーベル平和賞受賞者間の協力のために、積極的な核軍縮プログラムを構築してきた。

「核抑止」

こうした動きをみると、2015年が核兵器なき世界に向けた道程の一里塚となるのではないかとの楽観主義に与したくなるが、一方で、ウクライナをめぐる米ロ関係の緊張が、「核抑止」が依然として意義を持つのかについての議論を引き起こしている。核抑止の支持者は、核兵器は、報復と恐らくは相互確証破壊(MAD)があると確実に伝えることで、他国がその核兵器を使って攻撃するのを抑止することを目的とすると主張している。

「ラジオ・スプートニク」は12月17日、ソ連最後の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフ氏が、依然として核兵器が国際安全保障上の重大な要素であると考えていると伝えた。テレビ局「ロシア・トゥディ(RT)」のインタビューで同氏は、あらゆる犠牲を払っても、こうした破壊的な兵器が過激主義者の手に落ちることを防がねばならないと語った。

「核兵器の脅威はもはや抑止にならないと主張する人々に私は同意しません。核兵器と原子力発電が(どんな能力を持っているか)について、我々はより良く知っているのです。」とゴルバチョフ氏が述べたと伝えられている。

ゴルバチョフ氏は、「チェルノブイリ原発事故100回分」の爆発力を持つとされるロシアの大陸間弾道ミサイルR-36M(SS-18サタン)を、核兵器がなぜ依然として国際安全保障の主要要素であるのかを示す例として挙げた。「この種の破壊力を持つ兵器は、あらゆる犠牲を払っても、過激主義者の手に落ちることを防がねばなりません。」とゴルバチョフ氏は強調した。

Russian Nuclear Missile SS-20/ Wikimedia Commons

先月、ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、安全保障上の問題が悪化していることを挙げて、ロシアの核抑止能力を維持する重要性を強調した。

プーチン大統領は、2014年暮れの仕事の一つとして12月26日、ロシアの新たな軍事ドクトリンに署名した。国防の公式見解であるこのドクトリンは、原則として、定期的に見直され公表される。今回の見直しは2010年2月以来である。

ドミトリ・トレーニン氏は、12月31日付の「ナショナル・インタレスト」にこう述べている。「文書が公表されるまでは、暗い見通しがありました。米国と北大西洋条約機構(NATO)同盟国が公式にロシアの仮想敵国と指定されるとの見方もありました。また、軍上層部の発言を根拠に、ロシアが予防的核攻撃の概念を採用するとの予測もあったのです。しかし、このいずれの予測も公表された文書には盛り込まれませんでした。しかしこのドクトリンは、2014年にロシアの外交政策と安全保障・防衛態勢に起きた著しい変化を的確に反映しています。」

トレーニン氏は、本質的に言って、ロシアの最高司令官であるプーチン大統領と、その将軍、提督、安全保障関係者にとって、2014年の戦争は、リスクではなく暗い現実に転化したと論じた。ロシアは、ほぼ間違いなく欧州における最も重要な隣国であるウクライナに軍事力を展開せざるを得なかった。ロシア政府の見方では、ウクライナを巡る紛争は、「グローバル競争の過熱」と「価値の方向性と開発モデルをめぐる対立」の根本的な現実を反映している。

ウィーン会議のある参加者は、「かつて、核兵器が世界戦争を防ぐ最善の策だと考えられていた時代があった。しかし、もはやそうではありません。」と指摘したうえで、「赤十字やフランシスコ法王、そして驚くべきことに、ヘンリー・キッシンジャー氏をはじめとした軍縮の支持者らが、それ(=核抑止論)は誤っている。核抑止は多極化した世界では機能せず、それどころか、小国が地域の敵国を出し抜くために核兵器を取得しようとするなど、核兵器の存在そのものがさらなる核拡散の誘因を創り出していると述べている。」と語った。

米国のジュネーブ軍縮会議特別代表であるロバート・ウッド氏は、12月17日にジュネーブで専門家を前に行った演説の中で、「核兵器のない世界の平和と安全を達成するというのが、将来にわたった米国の政策です。核兵器の最後の15%を如何にして責任をもって廃絶していくのかを考えると、私たちは新たな問題に直面しています。核兵器の数が少なくなり、世界的にゼロに近づいていけばいくほど、厳密により確実にならねばならないし、全ての関係者が義務を果たしているかどうか信頼できるようにしなくてはなりません。」と語った。

またウッド氏は、「米国は、将来的な削減を考えれば、信頼でき、検証の対象になるような責任ある措置に焦点を当てなくてはならないと考えています。私たちは、過去の経験から学び、過去を基にした各ステップとともに前進し続けるでしょう。様々なステップにあらかじめ決まった順番があるわけではないし、複数の道筋での進歩を追求すべきだが、結論まで一足飛びに行くことはできないし、私たちの前に立ちはだかる技術的・政治的軍縮の困難に向けた準備のための多大なる努力をなしで済ませるわけにはいきません。忍耐と粘り強さが、核兵器5大国(米国、ロシア、フランス、英国、中国)の間、及びそれを超える全てのNPT加盟国の間から必要となってくるのです。」と語った。(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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母乳がベストだが、スワジランドでは……

【ムババネIPS=マントー・ファカティ】

生後6週間の自分の息子に微笑みながら母乳を与えるリンディウェ・ドゥラミニさん(38)は、その子の将来について楽観的だ。

HIV陽性のドゥラミニさんは、自分の赤ちゃんをエイズに感染させないと固く心に誓っている。彼女には子どもが3人いるが、最初の2人を身籠った頃はHIV陰性だった。しかし昨年11月の時点では、健康な3人目の子どもを出産できたものの、彼女自身は既にエイズに感染しており、抗レトロウィルス(ARV)療法を受けていた。

現在ドゥラミニさんは、妊婦健診の際に受けたアドバイスに従って、6か月の間、赤ちゃんを母乳のみで育てる育児を実践している。彼女は、母乳が人口調合乳(粉ミルク)よりも栄養価が高く母体由来の抗体を含んでいることを知っている。

「私は失業中だから、母乳で育てるのが一番経済的です。でも、病気のことを考えると当初はこの育児法が正しい方法なのか自信が持てなかった。」とドゥラミニさんはIPSの取材に対して語った。

国連合同エイズ計画(UNAIDSによれば、母親が抗レトロウィルス療法を受けていない場合、HIV母子感染の約半分のケースが、母乳によるものだという。

2013年UNAIDS報告書によると、スワジランドでは2009年から2012年までの間に、幼児のHIV新規罹患率が38%減少しているが、HIV陽性の母親の7割が依然として、母乳期に母子感染を防ぐ抗レトロウィルス療法を受けていない。

スワジランドは世界で最もエイズが蔓延した国で、15歳~49歳の国民の26%がHIVに感染している。

ドゥラミニさんはかつて家政婦の仕事をしていたが、妊娠が分かると辞めざるを得なかった。今では一家の生活は建設作業員の夫の収入にかかっている。粉ミルクは1缶900グラム入り(1か月分)が130エマンゲラニ(約1350円)するため、家計にとっては大きな負担となる。

ドゥラミニさんは上の2人の子どもについては何の不安もなく母乳で育てたが、3人目についてはジレンマに遭遇していた。「私にとって最悪の事態は、わが子にHIVを感染させてしまうことでした。」とドゥラミニさんは語った。

そんな時、救いの手がNGO「母から母へ」で働くある母親から差し伸べられた。ジャブ・ムカリフィさんは、自身もHIV陽性の母親であるが、3歳の娘を母乳のみで育てた経験をもとに、妊娠中の女性の不安を和らげる活動をしている。

「赤ちゃんにエイズをうつしたい母親なんていません。」というムカリフィさんは言う。ドゥラミニさんもそうだが、彼女のアドバイスを受けた女性たちは、同じ境遇で赤ちゃんを無事育て上げた彼女の経験を追体験することで、当初の不安を解消し、母乳のみの育児法を受入れている。

しかし、このアフリカ南部の貧しい国(=スワジランド)では、「エイズ感染者の母乳による育児は危険」との考えが依然として根強い。「人口保健統計」最新版によると、母乳のみで育てられている生後4~5か月の赤ちゃんの割合は、全体のわずか17%に過ぎなかった。

UNAIDS

さらに、混合授乳(母乳と粉ミルク併用による授乳)の平均期間が17カ月であることを考えると、HIVに感染する機会は多い。

スワジランド幼児栄養アクションネットワーク(SINAN代表のぺルシ・チペペラさんは、同国のこうした傾向について、1990年代に母乳による授乳がHIV感染を引き起こすとした発表がなされ、HIV陽性の母親が母乳を幼児に与えないよう求められた過去との関連を指摘した。

チペペラさんは、「当時、多くの子どもが下痢や栄養失調で命を落としました。」と指摘したうえで、「ただし死因の中には、哺乳瓶を準備する際の衛生管理が不十分で胃腸感染症を引き起こしたと疑われるものもありました。粉ミルクを買う余裕がない家庭が多い中で、病状が悪化し栄養失調を引き起こしたと考えられるのです。」と語った。

その後2005年になると抗レトロウィルス療法が導入され、かすかな希望の光がさしてきた。この療法により母体内のウィルス量を大きく引き下げれるため、母乳のみによる授乳を適切に行えば、母子感染のリスクを回避することが可能になったのである。

母乳は、体温の状態で与えられれば、赤ちゃんの繊細な消化器官の内粘膜を傷つけることはない。一方、熱い食べ物を与えると、内粘膜に非常に小さな傷をつけ、そこからウィルスが侵入するリスクが生じる。

母乳育児の奥深さ

国際連合児童基金(ユニセフ)、SINAN、及びスワジランド保健省は、生後6か月は赤ちゃんを母乳のみで育てる「母乳育児」を推奨している。

しかし多くの母親たちにとって、母乳のみの育児を実践することは難しい。せっかく母親が母乳で育てようとしていても、周りの親族の女性たちが赤ちゃんは母乳だけでは満足しないと補助食やハーブ茶などを与えてしまうことがあるからである。

UNICEFのエイズ専門家フローレンス・ナルインダ‐キタビレ氏は、「こうした慣習は母乳に対する理解が乏しいことに起因しています。」と語った。

ナルインダ‐キタビレ氏は、「母親は、例えば、授乳時は完全に母乳を飲みきるまで、赤ちゃんを乳房から引き離してはならない、等の知識を学ばなければなりません。母乳育児には学ぶべき多くの知恵があります。私たちは、母親のみならず家族も教育する必要があるのです。」と語った。

例えばよくある失敗は、赤ちゃんが乳液(=前乳)を飲み終えたとたんに、後乳を与えないまま乳房から引き離してしまうことである。後乳には赤ちゃんに大事な栄養源である脂肪分が多くふくまれているので、本来授乳は後乳まで飲ませるべきなのである。

スワジランドで母乳による育児をする母親が減少したのは、エイズの流行によるところが大きいですが、他の要因にも目を向けなくてはなりません。」とナルインダ‐キタビレ氏は語った。

その一つ要因は、スワジランドに限定された問題ではないが、「母乳のみによる育児はHIV陽性の母親がすること」という誤解である。ナルインダ‐キタビレ氏は、「母乳は赤ちゃんの健康にとって良いものだから、母親がHIV陽性か否かに関わらず、全ての赤ちゃんが母乳で育てられるべきです。」と力説した。

2010年スワジランド多指標集団調査によると、母乳のみで育児を行っているスワジランドの女性が、実際にそれを実践している期間は僅か3ヶ月に留まっていた。

その理由の一つは、スワジランドでは、母親が出産後12週間で職場復帰しなくてはならないからである。国際労働機関(ILOは、母性保護条約(2000年:スワジランドは未批准)の規定に基づいて、母親には少なくとも14週間の出産休暇を与え、雇用主は授乳期間中の幼児を抱えた母親を支援するよう呼びかけている。

もう一つの要因は、粉ミルクを母乳に代わる優れた代用品と喧伝する補助食メーカーによる激しい販売攻勢の影響である。スワジランド政府は、粉ミルクの販売における虚偽の主張を取り締まるとともに、粉ミルク缶のラベルに「母乳で育てるのがベスト」であると現地のスワジ語で告知することをメーカー側に義務づける公衆衛生法案を検討している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アーメダバード(インド)IPS=カルティケヤ・V・サラバイ】

持続可能な開発のための教育」(ESD)は環境や経済開発、社会的側面に関する関心を統合するものです。初の国連人間環境会議がスウェーデンのストックホルムで1972年に開催されて以来、環境保護と人間開発との間の複雑なつながりについて意識が高まってきました。

私たちのライフスタイルと私たちが発展してきた様が環境に大きな影響を及ぼすということは、長らく知られてきました。レイチェル・カーソン女史が1962年に著した『沈黙の春』は、とりわけそれが出版された米国において人々の目を開かせるものでした。

しかし、開発と環境問題が同時に扱われねばならないという認識が芽生えたのは、恐らく1976年の国連人間居住会議以降のことだと思います。そして、1992年に国連環境開発会議(通称、地球サミット。第二回国連人間環境会議とも言われる:IPSJ)がブラジルのリオデジャネイロで開催される頃までには、環境破壊が地球規模の問題だと認識されるようになりました。

地球サミットでは、それまで別途に協議が続けられていた「気候変動に関する国際連合枠組条約」(気候変動枠組条約)と「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)が採択され署名が開始されました。これらの問題を各国政府が国内問題として解決することはもはやできないことが、次第に明らかになっていったのです。とりわけ気候変動問題に関する認識が高まるにつれて、地球のある部分で起きたことが他の場所に影響を及ぼすことが理解されるようになりました。

ジョージ・W・ブッシュ大統領が地球サミットで「アメリカ的な生活様式は交渉の対象でない」と宣言したにも関わらず、これらの問題は究極的には、人間の生活様式に関わっているということを国際社会が理解するようになりました。それまでの開発のあり方は、CO2を大量に排出し、きわめて浪費的なものだったのです。

世界を(エコロジカル)フットプリント指標で計測する試みは、1990年に、カナダの環境保護家ウィリアム・リース氏とスイス生まれの地域計画専門家マティス・ワケナゲル氏がブリティッシュ・コロンビア大学で始めたものです。これは、人間活動がいかに地球に影響を及ぼしているか(=地球環境を踏みつけにした「フットプリント(足跡)」がどの程度の物か)を知る有効な方法です。1970年代以来、人類のフットプリントの総量は、地球が許容できる能力を上回っています

当時の議論、そしてかなりの部分において今日のグローバル議論は、政策を変更し新技術を導入すれば、この「フットプリント」を持続可能なレベルにまで何とか縮小できるとの前提に立っているように思えます。しかしこの想定は広く疑問視されています。

今最も変化が求められている点は、人間の地球との関与のあり方、つまり私たちの生産・消費・浪費パターンがどのように変容していくかという点です。法律だけで人々の行動に変化をもたらすことはできません。そのためには、各人が責任感をもって行動するようになることが重要です。この責任感こそが、市民概念の中心にあるものです。

従って、世界市民とは、環境と持続可能な開発に関する理解から、ほぼ自然に生まれてくるものであり、このことから、ESDは、世界市民教育(EGC)の基礎になるものです。

また、世界市民とは受動的な存在ではなく、自ら貢献する必要があります。ESDは、ほとんどの正規の教育プログラムと異なり、必要な行動要素を内包しています。ESDはアルファベット3文字に縮められていますが、実際には4つの単語(Education, for, Sustainable, Development)を表しています。省略されている単語は「for」(~のための)であり、他の3つと同様に重要な意味合いを持っています。

つまりESDは「持続可能な開発教育」(Sustainable Development Education)ではない、ということです。もしそうであれば、持続可能な開発(SD)について人々に教えるという意味になってしまいます。「for」という単語が入ることによって、教育プロセスの最後に行動目標が設定されるのです。それは単にSDに関する一般の意識と知識を高めるだけではなく、実際にSDを達成するような行動を促すものなのです。

Education First

潘基文国連事務総長の「グローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)」は、世界が今日の教育に求めるべき3つの主要な概念の一つとして世界市民を挙げています。EGCには、視野を広げ問題を様々な観点から考察するプロセスが含まれます。EGCプログラムでは、複数の利害関係者を含んだ議論が重要な構成要素となっています。私たちはこれを目指そうとしていますが、実際には様々な観点を理解し経験することは、必ずしも容易なことではありません。

アーメダバード(インド)の環境教育センター(CEE)は、CEEオーストラリア支部とともに「持続可能性のための地球市民(GCS)プログラム」を開始しました。これは、様々な国々の学校の子どもたちを、自然を基盤としたテーマを通じて、つなごうというものです。

例えば、「プロジェクト1600」は、インド西部グジャラート州沿岸の8つの学校と、オーストラリア・クイーンズランド州沿岸の8つの学校とつないでいます。海洋環境に関連したプロジェクトを通じて、様々な開発レベルにある大きく異なる社会に住む子どもたちが情報交換をします。この交流によって、子どもたちは従来の常識に囚われずに考え、地球の様々な場所からの非常に異なった観点から物事を理解するよう誘導されるのです。

自分の出身国や環境とは相当に異なったところで学生が時間を過ごすインターンシップも、EGCの効果的なツールです。世界的に接続性が増すなかで、数年前には考えられなかったようなEGCの可能性が開かれてきています。

ユネスコが主導し、地球全体で数多くの組織が協力してきた「持続可能な開発のための教育の10年」の間になされたESDの取り組みは、EGCに向けた基礎を築いてきました。EGCを測るツールは、EGC概念そのものと同じく、未だ発展途上にあります。ブルッキングス研究所は、「学習測定法タスクフォース2.0プログラム」の「グローバル市民作業部会」を通じて、これらのツール開発に着手しています。

開発プロセスに関わると同時に地球に対する責任感を養うという重要な点をESDにおけるこの10年の取り組みが国際社会に教えてきたのと同じく、このプログラムから継続的なフィードバックを得てそれを強化していくことが、EGCに関する特定の理解につながっていくに違いありません。(原文へ

※カルティケヤ・V・サラバイ氏は、アーメダバードに拠点を持つ「環境教育センター」の創設者で代表。同センターはインド全土に40か所の事務所を持つ。

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世界市民教育の重要性が増している

国境を消す教育ネットワーク

内戦状態に陥りつつあるイラク

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【ベイルートIDN=バーンハード・シェル】

イラクの自由作戦』の名のもとに米国を主体とした有志連合軍がイラクに侵攻してから10年が経った昨年、イラク国内では内戦によりこの5年間で最大の死者数を記録した。今年も年頭から、シーア派主導のヌーリ・マリキ政権の治安部隊とアルカイダ系スンニ派武装組織との間の激しい戦闘が続いている。同スンニ派武装組織は、10年前に米軍支配に対する武装抵抗拠点となった西部アンバール県のファルージャとラマディの大半を制圧している。

国連が発表した統計によると、イラクでは昨年、8868人が死亡(うち民間人が7818人)、1万7981人が負傷したという。

「この悲惨な記録(=死傷者数)は、この地獄の悪循環を食い止めるべくイラク政府が暴力の根源に取り組むことが焦眉の急だということを改めて浮き彫りにしています。」とニコライ・ムラデノフ・イラク担当国連特使は語った。

ムラデノフ特使は、「イラクにおける無差別暴力の深刻な現状」を非難するとともに、ヌーリ・マリキ政権に対して、「社会構造を弱体化させる宗派間の緊張を煽るテロ組織の活動を抑えるために必要な措置をとるよう」呼びかけた。

イラクで宗派間の緊張が高まっている背景には、現在の中東情勢とともにこの国の地政学的な位置が関係している。イラクの宗派構成は、シーア派が60~67%、スンニ派が33~40%であるが、国境を接している周辺国を見ると、東のイラン(シーア派89%、スンニ派9%)を除けば、スンニ派が優位を占める国に囲まれている。具体的には、北のトルコはスンニ派が72%(シーア派25%)、南のクウェートはスンニ派が60~70%(シーア派30~40%)、南西のヨルダンは約90%がスンニ派(1980年代末の数字)、北西のシリアはスンニ派が74%(ただしアサド政権はシーア派の一派であるアラウィ派が中心)、南のサウジアラビアはスンニ派イスラム教が国教となっている。

武力使用による暴力やテロのイラク民間人への影響をモニターしている国際連合イラク支援ミッション(UNIRAQ)によると、12月だけでも、少なくとも759人が死亡し1345人が負傷している。とりわけ、首都バグダッドが最も死傷者数が多く809人、これにニネヴァ(331人)、サラハディン(262人)、ディヤラ(260人)が続いている。

またムラデノフ特使は、イスラム過激派の民兵が警察署を襲撃し、武器庫を占拠、さらに100人以上の囚人を解放した西部アンバール州の情勢について懸念を表明した。

RTネットワークが報じているように、イラクにおける民間人死傷者数を調べているのはUNIRAQのみではない。英国に本拠を置く市民団体「イラク・ボディ・カウント」(Iraq Body Count:IBC)は、イラクの非戦闘員・民間人の死者数を、報道から算出してウェブ上で公開しており、その最新報告によると、昨年イラクで暴力事件に巻き込まれて殺害された民間人の数は9500人近くにのぼっているという。

「イラクで活動を活発化させているアルカイダ系(スンニ派)武装集団は、シーア派住民の他にもイラク人の軍人、警察官、政治家、ジャーナリストを殺害することでシーア派主導のマリキ政権への攻撃を続けている。過去6か月を振り返ると、就寝中に家族全員が殺害された例やイラク国内の聖地において一度に5人や12人のイラク人家族を殺害された例など、武装集団によるテロ行為は陰惨を極めている。」とIBC報告書は記している。

大殺戮の年

RTネットワークは、2008年以来最も死傷者が多かった2013年のイラク情勢について「大殺戮の年」と報じた。戦後イラク国内の死傷者数は2006年から2007年にかけて最悪だったが、2007年にジョージ・W・ブッシュ政権が打ち出した「サージ(増派)戦略」(戦後の治安維持のために20,000人規模の米軍がイラクに増派された:IPSJ)が功を奏し、しばらくの間事態が好転した。しかし2011年に米軍がイラクから完全撤退すると、10年近く続いた戦争の戦後処理と国家再建はイラク人自身の手に委ねられた。そしてまもなく、かつて国を分裂の淵に陥れかけた宗派・民族間の深い溝が、米軍という重石を失って再び頭をもたげてきたのである。

テロリストや各宗派の武装集団が、学校やモスク、込み合う市場などで、女性や子ども、身体障害者、そして巡礼者さえも標的とする無差別テロを繰り返している今日のイラクでは、ほぼ毎日国内のどこかで数人のイラク人が命を落としている。そして、葬儀で犠牲者の遺体を収めた棺桶のそばに佇む悲痛な表情の遺族の姿がイラクの日常の風景となってしまっている。

ビル・バン・オーケン氏は、「世界社会主義者ウェブサイト」への寄稿文の中で、「2013年に暴力が激化し死亡者数が急増した背景には、4月に北部キルクーク近郊ハウィジャ(バグダッド北方約240km)のスンニ派住民の抗議者たちの集まる野営地を、(シ―ア派主導の)マリキ政権の命令をうけた軍の治安部隊が襲い、50人を殺害した事件がきっかけとなっている。」と記している。

「ところが治安部隊が12月30日にラマディでスンニ派住民の抗議者たちの集まる野営地を襲撃(少なくとも10名を殺害)したところ、激しい反撃にあい、ラマディやファルージャの大半と周辺の街が反体制派の手に落ちることになった。翌日マリキ首相は、住民の反発を鎮めようと、抗議者たちの要求項目の一つであったアンバール州のスンニ派住民居住区から治安部隊を撤収させ、警察に治安を担当させるとの声明をだした。」

「しかし、重武装の反体制派民兵が1月1日までにラマディとファルージャで警察署を襲撃し、少なくとも100人の囚人を解放、武器庫から武器を強奪したうえ、多くの建物を焼き払った。警察官らは大半の場合、抵抗することなく、持ち場を放棄して逃亡した。」とオーケン氏は記している。

この事態にマリキ首相は前言を撤回し、ラマディ、ファルージャ方面への治安部隊の追加投入を決定。1月2日までに両市を包囲した同治安部隊は、市内の一部に対して砲撃と空爆を加えたと報じられている。

AFP通信がイラク内務省の発表を伝えたところによると、ファルージャの半分がスンニ派武装組織「イラク・レバントのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Levant, ISIL)の手に落ち、残り半分は他の武装勢力に支配されているという。また、ラマディの場合も街の一部がISILや他の武装勢力の手に落ちるなど状況は似通っていると報じている。

またAFPはラマディに派遣した特派員が「ISILを讃える歌を歌う重武装の兵士たちを乗せ、ISILがよく使う黒い旗をたなびかせた数十台のトラックが街の東部地区を走り抜けていくのを見た。」と語る映像を流している。

アルカイダとの関連

バン・オーケン氏によると、アルカイダ系武装組織『イラク・レバントのイスラム国(ISIL)』は、西側諸国が支援しているシリアの『反政府』勢力を構成する主要組織の一つで、シリア北部を掌握後、シリア-イラク国境を度々超えて、イラク各地で車載爆弾テロやイラク軍兵士、警察官、他宗派(スンニ派以外)の住民を標的とした攻撃を繰り返している。この過激派組織は、シリアとイラクに跨るスンニ派イスラム教徒のためのカリフ制国家の樹立を目的としていると明言している。

バン・オーケン氏は、「スンニ派住民による反政府抗議活動の背景には、少数派のスンニ派政治家を排除したりスンニ派住民を圧迫したりするシーア派主導のマリキ政権に対する不満がある。マリキ首相は、アルカイダ系の武装組織ISILに対する対策を口実に、こうしたスンニ派住民による反政府運動を暴力的に弾圧しようとしている。」と記している。

マリキ首相はその一環として、スンニ派政治家や支援者を「テロリスト」呼ばわりしており、治安部隊をラマディに投入する直前、スンニ派国会議員アフメド・アルワニ氏の自宅にも部隊を派遣し、同議員を拉致、家族や警備員を殺害した。この事件を受けて、主にスンニ派の国会議員44人が辞職している。

マリキ首相は、12月に、スンニ派抗議者たちが集まる野営地を解散するよう最後通牒を通告した際、抗議運動の拠点を「アルカイダ指導部の本拠地だ」と説明した。

「この独善的な政府声明は、スンニ派住民の間に政府に対する強い憤りを募らせた原因はマリキ政権自身によって遂行されてきたスンニ派差別政策(行政サービスの欠如、治安当局による無差別の家宅捜査、数千人規模の容疑なしの逮捕・収監、バース党員の公職追放等)にあるという事実を覆い隠そうとするものである。」とバン・オーケン氏は記している。

マリキ政権は、「単にアルカイダ掃討作戦を行っているだけだ」として、米国とイラン双方から軍事援助を受けており、自らが特定の宗派に肩入れする政策を進めることが、スンニ派民衆の間に怒りを生んでいることをごまかそうとしている。米国政府は、短距離空対地ミサイル「ヘルファイアー」をはじめとする先進兵器をイラク軍治安部隊に提供することに合意、ミサイルの一部は1月2日の治安部隊によるファルージャ包囲作戦で使用されたとの報道もある。

こうしてアンバール州でスンニ派反政府勢力と政府治安部隊の間の戦闘が続く中、イラク各地で新たな暴力行為が噴出している。1月2日夜には、バクダッド北東45キロの街バラドルズの商業地区で、爆発物を満載したピックアップトラックに乗った男が自爆した。シーア派とスンニ派双方の住民を標的としたこのようなテロ攻撃が毎日のように発生している。

バン・オーケン氏は「イラクの人々は10年以上に亘った米国主導の略奪的な戦争に苦しみ、その代償を払わされてきた。また8年に及んだ米軍による占領下では、数十万人のイラク人が命を奪われた一方、(宗教間の)派閥主義を、国民を分断し征服する手法として利用する政治制度が国民に押し付けられた。マリキ政権はこうした政治制度の所産にほかならない。」と指摘したうえで、「米国が軍事援助を通じてイラクのマリキ政権へのテコ入れをしているにも関わらず、米国の同盟国であるサウジアラビアと湾岸諸国の君主らがシリアとイラク双方のスンニ派イスラム原理主義戦士への支援を行っているため、今やシリアの宗派間内戦が国境を越えてイラク全土に飛び火してきている。」と記している。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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【ワシントンIPS=ミリアム・ペンバートン】

何カ月も噂されていたことだが、ついに12月に入ってロシアの通貨ルーブルが急落(2週間で23%下落)し、同国の経済苦境が世界の紙面を賑わせている。原油価格の下落を背景に、ルーブルは史上最安値を記録し、ロシアは1998年以来最も深刻な経済危機に直面している。

今般の危機を招いた最大の要因と言われているのが、ロシア政府が経済を多様化できなかったことである。少なくとも、全ての経済活動を石油・ガス部門に収斂させていく戦略(GDPの75%を両部門に依存)を採った弊害が今日明らかになってきている。

ロシアはかつて冷戦期に、多様化戦略を試みたことがあった。それは石油・ガス部門に依存した「解決策」が最も望ましいと考えられるようになる以前の、まさにソ連時代が終焉を迎えようとしていた時期のことである。当時、クレムリンの指導者らは、国家経済を破綻に追い込んだ巨大な国営軍需産業の一部を、それまでソ連国民には程遠い存在だった消費財を生産する拠点に急遽転換させようとしていた。

一例を挙げれば、戦車工場の工場長らがある日、生産ラインを作り変えて新たに靴を生産するよう政府より指令を受けた。しかし、その実施日程は、「即日取り掛かれ」というもので、うまくいかなかった。

経済学者らは、産業構造の多様化を図る適切なタイミングは、経済ショックに見舞われてからではなく、その前に実行すべきという点で一致している。新たな産業構造への移行は、慌てて実現できるものではない。しかし当時は、冷戦が無血で終焉を迎えるとは誰も予測していなかったことから、事前に産業構造を転換しようという計画は立てられなかったのである。

しかし、現在の米国には少なくともそれを行う選択肢がある。現在米国は、2011年に成立した財政管理法により、国防費削減の第一段階にある。米国は同法により、2012年度以降2021年度までの10年間の枠組みで軍事予算を削減することが義務付けられているのだ。

ただし、議会が国防費削減計画の規模を縮小したり計画そのものを廃棄したりするようなことがないと仮定しても、国防費の削減幅は史上最小規模のものに止まるとみられている。米国防総省の予算は2001年の9・11同時多発テロ事件後に2倍近くに膨れ上がっており、今回予定されている削減分は、あくまでこの倍増した部分を刈り取るにすぎない。つまり今後軍事予算の削減を着実に行ったとしても、米国の軍事費は、かつて軍拡を競ったソ連という実際に敵国が存在していた冷戦期の予算よりも、なお上回るのである。

しかし現在米国には、かつてのソ連のような敵は存在しない。それでは中国はどうかと言えば、 米国の軍事費は中国の6倍にものぼり、実質的に競合相手とはいえない。

A Topline of U.S. Defense Budget History
A Topline of U.S. Defense Budget History

それでも、国防予算の削減は、米国各地の軍関連産業に依存した地域コミュニティーに影響を及ぼしている。そして削減計画が終了する2021年までには、より多くの地域コミュニティーが影響を受けることになるだろう。従って、こうしたコミュニティーは、今のうちに、国防総省との契約に過度に依存している地元の産業構造を転換する取り組みを開始すべきである。

実は、国防総省の予算には、そのための予算が確保されている。国防総省経済調整局は、地元産業を多様化する必要性を認識しているコミュニティーに、計画のための補助金と技術支援を提供するために存在している。

もし米国が、ロシアの現在の経済状況とそれへの対応策を理解しようとするならば、ひとつだけ明らかなことがある。つまり米国は、ロシアが、かつては巨大な軍需産業、そして現在は石油・ガス産業に支配されている経済構造を転換できなかったという経験を、自国の将来への警告として学び、行動をおこす契機とすべきだということである。

多様化された産業構造を持つ経済はより強靭である。しかしこうした産業構造を構築するには、時間も計画も必要だ。既存の経済基盤が崩壊するまで産業を多様化するタイミングを待っているようでは、時期が遅くなればなるほど、新たな産業構造へスムースに移行できる可能性が急速に遠のくこととなる。戦車を作る産業構造をわずか1日で靴を作る産業構造へと転換することなど、できないのだ。(原文へ

※ミリアム・ペンバートンは、ワシントンDCに本拠を置くシンクタンク「政策研究所」の特別研究員。同研究所の平和経済移行プロジェクトを指揮。

翻訳=IPS Japan

|視点|ムスリム同胞団を「テロ集団」とみなすことの深い意味合い

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【ワシントンIPS=エミール・ナクレー】

12月25日、ムスリム同胞団(1928年創設)が85年の歴史の中で初めて、エジプト政府(軍部を背景にしたアドリー・マンスール暫定政権)によってテロ集団指定を受けた。おそらくは軍部からの承認によってなされた今回の暫定決定は、北部ダカリヤ県のマンスーラとカイロにおける2度の爆弾テロ事件を受けてなされた。

エジプト政府はムスリム同胞団がこれらのテロ事件に関与したとの証拠を示していない。それどころか、アンサール・ベイト・マクディス(聖モスクの擁護者)という名前の過激派集団が、犯行声明を出しているのである。ムスリム同胞団自体は、すべての暴力的行為、とりわけ治安当局に対するそれを非難している。

今回のムスリム同胞団に対する政府の措置は、エジプト及び最終的には米国にとって短期長期にわたって深い意味合いを持つことになるだろう。テロ団体指定は、短期的には、ムスリム同胞団の撲滅を公言してきた軍部及び現暫定政権内部の強硬派にとっての勝利を意味している。しかし1940年代以来、歴代エジプト政権がムスリム同胞団を潰そうと試みてことごとく失敗してきている事実を振り返れば、この勝利は多くの犠牲を強いる割に合わないものといわざるをえない。

ムスリム同胞団は、強硬派の主張とは異なり、単なる政治的組織ではない。その奉仕活動は、社会、宗教、教育、医療、文化など幅広い分野に及び、今日エジプトのイスラム運動の中で最も顕著で信憑性のある組織である。また、アラブ及びスンニ派イスラム世界において、最大かつ最も規律がある社会運動・宗教運動組織である。

ムスリム同胞団は、無数の非政府組織を通じた奉仕活動を通じて、エジプト社会、とりわけ、下位中流階級及び貧困層の間に浸透してきた。こうした組織では、食料、医療、保育、教育サービスが、無料あるいは廉価で提供されている。さらにムスリム同胞団が運営する病院では、数多くの中流階級や専門職の人びとも、医療サービスの恩恵を受けている。

大半のエジプト人にとって、診療費が高価な私立病院や医療サービスの質が低い公立病院と比べると、ムスリム同胞団系の病院が唯一の魅力的な選択肢となっているのが現状である。

テロ団体指定という政府の近視眼的な決定により、ムスリム同胞団が提供してきたこれらの機能は全て停止に追い込まれ、数百万人に及ぶエジプト国民が、突如として、保健、教育、福祉サービスから切り離されることになる。そうなれば、追い詰められた民衆が街頭に繰り出し、あらたな騒乱と社会不安が引き起こされることになるだろう。

強権姿勢を強める軍部は、現暫定政権に対する抗議活動を一向に止めないムスリム同胞団に対する締め付けに躍起になっている。さらに先月には、2011年にホスニ・ムバラク元大統領に反対する大衆蜂起で中心的な役割を果たした活動家3人(アハメド・マーヘル氏、アハメド・ドゥマ氏、モハメド・アデル氏)が、今年11月に無許可で抗議デモを組織したとして禁錮3年の判決を言い渡され投獄された。このことは、世俗系かイスラム主義組織かに関わりなく、あらゆる反対の声を許さない軍部の冷酷な側面を改めて示している。

軍部はムスリム同胞団関係者や支持者を多数逮捕し締め付けを強めているが、抗議運動は収まりそうにない。このままムスリム同胞団の幹部が次々と逮捕・投獄され、指導部と一般メンバーの間の連絡が寸断されれば、より若い世代の、そして恐らくより過激なメンバーが街に繰り出してくることになるだろう。そうなればエジプトは、一層不安定で混乱した事態に陥ることになるだろう。

あらゆる政治勢力が話し合いで事態の収拾を図れる可能性は急速に遠のきつつある。もし軍部がムスリム同胞団抜きでエジプトに安定した政治体制をもたらせると考えているとしたら愚かなことだ。なぜなら、政治におけるイスラム主義運動は、1928年のムスリム同胞団創設以来、エジプト政治文化の一部を構成しているからである。

アブドルファッターフ・アッ=シーシー陸軍大将(国防大臣、兼エジプト国軍総司令官、現第一副首相、エジプト軍最高評議会議長)は、反ムスリム同胞団のヒステリーの波に乗って大統領の地位まで突き進もうとするかもしれない。しかしエジプト現代史が示しているように、強権で独裁を進めようとする試みは極めて危険な冒険である。シーシー氏も、大統領としてムスリム同胞団を弾圧しその指導者や幹部を投獄・処刑しても結局撲滅できなかった前任の軍事独裁者らの経験から教訓を学ぶべきである。おそらくエジプト暫定政権は、今回の軍部の決定が引き起こすであろう暴力の連鎖に直面して、最終的にはムスリム同胞団をテロ団体指定した判断の再考を迫られることになるだろう。

また、今回の動きは、米国にも好ましくない影響を及ぼしかねない。つまり、軍部を支持する強硬派は、ムスリム同胞団に対して米国は甘いと不満を持つことになるだろうし、一方でムスリム同胞団支持者らは、米国が軍政を支持しているとして反発を強めることになるだろう。

米国務省は、エジプト軍部・暫定政府によるムスリム同胞団のテロ団体指定に関して、「包摂的な政治プロセス」を支持し「政治的な領域を超えた対話と政治参加」を求める内容の声明を出している。しかし、この微温的な態度はエジプト軍部とムスリム同胞団のいずれも満足させることはない。

米国政府は、エジプト軍部に対して、ムスリム同胞団と関係者を排除してもエジプトに政治的安定をもたらすことはできないという立場をエジプト軍部に対して明確に表明すべきである。

事実米国は、ムスリム同胞団が過激主義を排し選挙政治への参加を目指すようになった90年代以来、ムバラク政権からの度重なる反対があったにもかかわらず、同胞団との関与政策を進めてきた。米国は、今回の軍部の誤った判断とは別に、今後もこの方針を貫くべきである。(原文へ

エミール・ナクレーは、CIA政治的イスラム戦略分析プログラムの元ディレクター。著書に『必要な関与米・イスラム教徒世界関係の作り直し』。

翻訳=IPS Japan

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捏造されたイラン核危機

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【ワシントンIPS=ピーター・ジェンキンス】

ガレス・ポーター(歴史家・IPS記者)の新著の副題「イラン核騒動の語られざる物語(The Untold Story of the Iran Nuclear Scare)」は、よく選ばれた言葉だ。『捏造された危機』の大部分は実際、今まで語られてきていない。それを紐解いていけば、著者が言うところの「もうひとつの物語」が見えてくるだろう。

しかし、「もうひとつの」という言葉に惑わされてはいけない。これは、存在しない陰謀を創り出した変人の作品ではないのだ。読者はむしろ、ポーター氏の細かい情報源や調査の深さを見て、彼の動機となっているものが、真実へのあくなき追究と、人を騙すことへの反発であることに気付くであろう。

ポーター氏は、この10年間のほとんどをイラン核問題の調査に費やしてきた。彼の調査結果は、この問題に関するこれまでの調査とは異なり、ますます増える文献に素晴らしい新たな1ページを加えるものであり、米国およびイスラエルの政策への辛辣な「有罪判決」とでも言うべきものだ。

Gareth Porter
Gareth Porter

ひとつの中心的なテーマは、「隠された動機がこれらの政策の方向性を決めてきた」というものだ。ポーター氏の説明では、米国側では、冷戦の終焉によって、イラン(およびその他の新興国)による大量破壊兵器およびミサイルの脅威を誇張して予算獲得を容易にしようという連邦官僚制の利益が登場してきたという。

ジョージ・W・ブッシュ政権下では、一部の政府高官が、核の恐怖を利用して、イラン政府を「非正統化」し暴力的な体制転覆の口実を作ろうとした。

イスラエル側では、1992年以降のすべての政権(リクード労働党も)が、イランの脅威を大げさに語りイランの指導者を悪く描くことに利益を見出してきた。

あるイスラエルの文書には「イランとイスラム教シーア派原理主義は世界平和への最大の脅威だ」と記されている。こうした記述の目的は、米国に対して「戦略的同盟国」としてのイスラエルの価値を印象づけることであり、イスラエルの核兵器に対する世界の不安から目を逸らさせるとともに、パレスチナを占領しつづけることへの口実を創出することであった。

ポーター氏は、「米国およびイスラエルの政策は、政治的・官僚的な利害によって形成されたものであり、イラン指導層の動機や意図に関する利用可能な指標を合理的かつ客観的に評価した結果ではありません。」と主張している。

「隠された動機」というテーマを補完するもうひとつの中心的なテーマは、諜報部門の情報と評価がこの物語の問題の多い部分を演じてきたということだ。

ポーター氏によれば、1990年代初頭に諜報を誤って解釈したことで、米国の分析当局は大規模で秘密裏の核兵器計画の存在を信じ込むようになってしまった。他方で、1990年代末から2003年までの間には、この兵器計画は兵器関連の研究以上のものではなかったというのがポーター氏の見方だ。

「誤った解釈」ということであれば、許されもするだろう。より重大なことは、ポーター氏の調査によって、米国の分析当局が2000年代前半、1990年代の評価を疑問に付すような証拠を無視、或いは、過小評価してきた事実が明らかにされたことだ。

イランは核濃縮工場の生産物を「兵器化」する意図を持っていないとの情報を人的接触によってもたらした中央情報局(CIA)の契約職員は、情報源との接触を控えるよう命令された。イラン指導層が核兵器製造を決定したとの証拠は存在しないと指摘したCIA内部の勢力は、評価にこのことを反映させることができなかったのである。

分析官たちは、宗教上の理由から[イランが]核兵器を違法化したとの情報に耳を貸さなかった。しかし、この時までには、イランが同様の宗教上の理由から化学兵器を禁止したことは明らかになっていたのだ。「隣国が必要な推測を引き出すことができるように」と、[原子力計画は]平和的なものであるとするか、あるいは少なくとも、燃料サイクルの獲得以上に進む意図はないとのイランによる保証は、顧みられなかった。

さらにより深刻な問題は、イスラエルが諜報を偽造し捏造したのではないか、という疑惑である。

2008年初頭以降の対イラク批判は、もっぱらパソコン上の情報を基になされてきた。情報は2004年に米国にもたらされ、2005年には国際原子力機関(IAEA)に渡された。それから2年半、IAEAは情報の真偽を疑いそれを利用することはなかった。イランに対してこれに関する回答を求め始めたのはようやく2008年に入ってからである。ポーター氏は、イスラエルが重要な情報を捏造したと納得できるような数多くの根拠を示しながら、IAEAが当初情報を疑ってかかったのは正当なことだったと示唆している。

ポーター氏はまた、イラン問題に注目を集めつづけた2つの文書をイスラエルが偽造したとの証拠を示している。イランは2003年に核兵器開発計画を放棄したとする2007年末の米国家諜報評価(NIE)の判断、および、それ以前のIAEAの調査から生まれてきていたすべての懸念をイランは解消したとする2008年初めのIAEA報告があったにも関わらず、偽造がなされたのであった。

イスラエルは2008年、IAEAの諜報部門に対して、イランがその数年前にパルチン軍事基地で核爆発実験を行ったと示唆する情報を渡した。翌2009年には、イランが2003年以降に兵器関連の研究を再開したとの「証拠」を提供した。

もしポーター氏が正しいならば、そしてイランを批判するためのこれら3つの根拠すべてが捏造されていたとするならば、非常に重大なことだ。米欧の同盟国は、この情報は信頼に足るとの前提で、イランの抗議を退けていたのである。実際、欧米諸国は、イランの反応をIAEAに対する非協力宣言と解釈し、それを根拠にイランに対する最大限の制裁への国際的な支援を呼びかけたのである。これらの制裁によってイラン国民は被害を受け、欧州やアジアの経済はダメージを受けた。

「協力の拒絶」という解釈によって、2007年のNIE以前に国連がイランに対して行っていた要求を維持しつづけることが正当化された。2007年までならイランの核計画が平和への脅威と見なすことが合理的だったかもしれないが、それ以降、さらにはIAEAが2008年以前の懸念は解消されたと報告した時点で、不適切なものになっていた。

イスラエル諜報部門の情報が真のものであると信じつづけようとする読者も間違いなくいることだろう。それが正しい態度であるかどうかは、これからわかることだ。

しかし、『捏造された危機』からのひとつの推定は否定しようがないように思われる。それは、イランのこれまでのイスラム指導者が、核兵器の保有あるいは使用を是とする決定を下したとの確定的な証拠はないということだ。従って「イラン核脅威」に関するあらゆる議論は、時期尚早なものである。結果として、米国やその同盟国が脅威解消のために課してきた厳しい制裁には合理性がなく、根拠に欠けるということになるのだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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※ピーター・ジェンキンス氏は、ケンブリッジ、ハーバードの両大学で学んだ後、33年にわたって英国の外交官として、ウィーン(2度)、ワシントン、パリ、ブラジリア、ジュネーブに駐在。最後の任務(2001~06)は、英国のIAEA大使、国連大使(ウィーン駐在)。2006年以降は、「再生可能エネルギー・省エネパートナーシップ」代表を務めるかたわら、国際応用システム分析研究所(IIASA)代表の顧問を務め、企業部門に対して紛争解決と国境を超えた諸問題の解決をアドバイスする研究機関