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自尊心の低い子どもが大統領になることを夢見るとき

【国連IPS=カニャ・ダルメイダ】

GCED(世界市民教育)という言葉を聞いたことはあっても、国際開発の世界に入り込まないかぎり、その頭字語が何を意味するのか十分には分からないかもしれない。

世界133か国、8万人以上の子どもたちのニーズに応える支援団体「SOS子ども村」のソフィア・ガルシア‐ガルシア氏は、まさに「世界市民教育」をテーマに15日に国連本部で開催されたセミナーで、非常にうまいまとめをした。

Sofia Garcia- SOS Children’s Villages/ Office of Secretary General’s Envoy on Youth

ガルシア氏は、「SOS子ども村」も参加する「ラテンアメリカ・カリブ海における子どものためのグローバル運動」が行った最近のプロジェクトを振り返って、国連の2015年以後の「持続可能な開発目標」(SDGs)に関してラテンアメリカ10か国で1080人の児童・生徒への意見聴取を行った結果について説明した。

「『SOS子ども村』は親からの保護を受けていない子どもを支援しています。彼らはたいてい、きわめて低い自尊心しか持ち合わせていません。」とガルシア氏は満員の会場に対して語りかけた。

「しかし、私たちが自分たちの活動について説明を始め、『あなたの声を聴きたい。あなたが変わるお手伝いをしたい』と語り始めてものの10分もしないうちに、これまでは口を開くことは許されないとさえ考えていた子供たちが、突然『大統領になりたい』などと言いだすのです。」

この活動は、提案されている17項目のSDGsをイラスト入りで子どもに分かりやすく伝えた『私たちの望む世界』という書籍の刊行につながった。

The World We Want/ the Global Movement for Children in Latin America and the Caribbean

「これは世界市民教育が持つ本当の力です。」とガルシア氏は力説した。

韓国、米国、フランス、ナイジェリア、カタールの国連代表部が後援し、欧州の2600以上のNGO連合体である「コンコルド」のような市民団体や、1300万人の会員を擁する創価学会インタナショナル(SGI)インター・プレス・サービス(IPS)共催したこのパネル討論は、世界市民教育の主な要素について紹介する啓蒙的な場となった。

「生存権や自由への権利の次に来るべきものは、教育を受ける権利です。」「それ(=教育を受ける権利)は全ての自由へのカギを握り、尊厳の基礎となります。つまり、その他すべての権利は、教育を受ける権利の実現いかんにかかっているのです。」と、ナイジェリアのウスマン・サルキ国連代表部次席大使は語った。

しかし、今日の現実は、サルキ次席大使の信念を反映するようなものではない。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が発表した最新の「万人のための教育(EFA:Education for All)」グローバルモニタリング報告書によれば、5800万人の子どもが学校に通っておらず、さらに1億人が初等教育を終えることができていない。

さらに、児童労働者が1億6800万人、大人の失業者が2億人いる。事態の緊急性は明らかだ。

さらに言えば、約7億8100万の人々が、読み書きができない状況にある。基本的な読み書き能力だけでなく、コンピューター・リテラシーが、ますます、「人間らしいまともな生活」と「貧困生活」の境となっている今日の世界において、これは衝撃的な数字だ。

しかし、世界市民教育とは、単に子どもを学校に通わせればいいという数字上の問題ではない。すなわち、世界市民概念とは、ユネスコによれば、「より広い社会と共通の人類に属しているという感覚」に関係したものなのである。

世界市民教育とは、教室での教授法を転換し、文化的理解と市民の意識の紐帯を創り出し、人権や平和、公正を基盤にした21世紀の世界市民性を涵養(かんよう)していくことを目的としたものである。政策提言はグローバルな規模で起こっているが、世界市民教育の実行は元来地域的な性格を持つものであり、各国の教育当局に従ってなされ、各国や各地域の特定のニーズに見合うように調整されるものである。

世界市民教育概念は、不平等に満ちた世界で機会の平等を生み出すためには基本的な読み書き能力の問題だけでは不十分だと認識している。もっとも豊かな国ともっとも貧しい国の格差は、植民地時代には35対1であったが、今日では80対1にまで拡大しており、世界で最も裕福な85人が、世界の半数の人口が所有する富の合計よりも多くの富を所有しているのである。

むしろ、教育の質こそが、富の格差を縮小し、平和や安全、暴力的過激主義の抑制といった困難な課題の解決を導くものであろう。

ナイジェリアのサルキ副次席大使は、先進国からますます多くの人々が「中東の戦域」に向かっている事実を指摘しつつ、「はたして、こういった人々が無教養だと言えるでしょうか? 実際は彼らの多くが教育を受けており、テロ活動の首謀者は教育レベルの高い人々が多いのが現実です。問題は、彼らがどのような教育を受けてきたかということです。つまり、教育を受けても一方で視野が狭くなるということもありえるのです。」と語った。

Global Education First Initiative
Global Education First Initiative

世界市民教育概念の起こりは、国連の潘基文事務総長が「グローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)」を始めた2012年にさかのぼる。韓国が主要な役割を果たしたキャンペーンが行われ、この動きは、6月末に交渉を経て策定される予定のポスト2015年のアジェンダに関する「ゼロドラフト」成果文書に統合された。

既に、世界市民教育を中心とした数多くの国際的動き、草の根の動きに息吹が吹き込まれ、成果を上げてきている。

例えば、世界市民教育は、ユネスコの2014年~17年の教育プログラムの主要な戦略領域の一つになっている。他方で、「SOS子ども村」のような団体が、最も脆弱な集団を巻き込むために独自の形態の教育を行うことで、彼らの活動の全面に、そして中核にこの世界市民教育概念を据えるようになってきている。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

「SOS子ども村」の「ポスト2015年アジェンダ」に関するアドバイザーであるガルシア氏はIPSの取材に対して、「当団体では、離別の危機にある家族、あるいは親からの保護を失った子どもへの緊密な支援を行っています。つまり私たちにとって、非公式教育は正式な教育と同じぐらい重要なのです。」と語った。

「学ぶ場所はいくらでもあります。教室はその一つにすぎません。」と、15日のイベント終了後にIPSの取材に応じたガルシア氏は語った。

この種の思考は、全世界で3億7000万人を数え、その多くが、地域の言語からオーラル・ヒストリーに至る古来の知識継承に取り組んでいる先住民族に対して世界市民教育の恩恵を広げていくのにきわめて重要な役割を持っている。

先住民族が「ポスト2015年アジェンダ」において一定の地位を占めようと努力する中、世界市民教育は、これまでは周縁化されてきた人々をより包摂的で持続可能な枠組みに取り込むのに必要な独創的な戦略を提供することができるかもしれない。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|世界教育フォーラム|世界市民促進のための質の良い教育を

開発・平和のカギを握る世界市民教育

世界の核兵器―量的削減は停滞の一方、近代化は加速

【国連IPS=タリフ・ディーン】

「9か国が保有する世界の核兵器備蓄は、このところわずかしか減っていない。他方で核戦力の近代化は急速に進んでいる。」とストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が15日に発表した最新の年鑑で警告している。

同年鑑によれば、米国とロシアが継続的に核戦力を削減し続けているため、世界の核弾頭の総数自体は減少しているという。

「しかし、10年前より(削減の)ペースは鈍化している。」と同年鑑は指摘している。

同時に両国は、その他の核兵器運搬システムや核弾頭、生産に関しては、「広範かつ高価な」長期的近代化計画を進めているという。

現在、世界の9か国(米国、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)が、約1万5850発の核兵器を保有し、そのうち4300発が作戦配備の状態にある。さらに、おおよそ1800発が、警告即発射態勢に置かれている。

SIPRIのシャノン・カイル上席研究員は、「核軍縮を優先的に進めることへの国際的な関心が改めて高まっているにも関わらず、核保有国で進められている(核戦力の)近代化計画は、どの核保有国も近い将来に核兵器を放棄する意図がないことを示しています。」と語った。

アボリション2000」調整委員会の委員で「核時代平和財団」ニューヨーク支部のアリス・スレイター支部長はIPSの取材に対して、「SIPRI年鑑を読んで残念に思ったのは、9つの核兵器国すべて、とりわけ、米国・ロシア・英国・フランス・中国の5つの主要核兵器国が核戦力近代化を進めていることです。」と語った。

「1970年に発効し95年に無期限延長された核不拡散条約(NPT)で5大国は、『核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、誠実に交渉を行うこと』を約束しています。」とスレイター氏は指摘した。

またスレイター氏は、「にもかかわらず、5年毎のNPT運用検討会議で何度も繰り返されてきた約束違反(例えば米国に関して言えば、新たな爆弾製造工場2か所と、新型核兵器を運搬するミサイル・爆撃機・潜水艦に関して今後30年間で1兆ドルを投入する)によって、世界が化学・生物兵器に関してそうしてきたように、核兵器を違法なものとして禁止し、核兵器を禁止する条約の交渉を始めるよう求める非核兵器国による世界的なキャンペーンが新たに力を得てきています。」と語った。

SIPRIによれば、米国とロシアを別にすれば、他の核保有国は核弾頭数についてはずっと少ないものの、新型の核兵器システムを開発・配備するか、今後そうする意図を明らかにしている。

中国の場合は、核弾頭数自体も微増するかもしれないという。

インドとパキスタンは核兵器生産能力を拡大しており、新たなミサイルシステムを開発している。

SIPRI年鑑は、北朝鮮は軍事的核計画を推進しているが、その技術的進展度合は公的な情報源だけからは判断できないとしている。

この最新のSIPRI年鑑は、昨月までニューヨークで開催され失敗に終わったNPT運用検討会議の後に出された。

SIPRIのタリク・ラウフ氏(軍縮・軍備管理・不拡散プログラムディレクター)は、「参加した161か国が努力の成果をほとんど示せなかったNPT運用検討会議の失敗は残念なことだった。」と語った。

最終文書に関する合意は、英国とカナダの支援を受けた米国によって阻止されたという。「これらの国が掲げた理由は、中東で核・生物・化学兵器と弾道ミサイルを禁止する国際会議に2016年3月に出席するようイスラエルに対して圧力をかけることに断固として反対する、というものだった。」

イスラエルは中東で唯一NPTに参加していない国であり、核兵器を保有していると言われる。

他にNPT運用検討会議で議論された重要な問題としては、核兵器の人道的影響をめぐる問題がある。オスロ(2013年3月)、ナヤリット(14年2月)、ウィーン(14年12月)で開催された「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)の結果を受けて、159の非核保有国がこの動きに賛同している。これらの会議では、いかなる国家、国際援助機関、その他の機関も、核兵器爆発が人間、環境、食料、社会経済に与える影響に対応する能力はないとの結論が出されていた。

これら諸国は、生物・化学兵器と同じように、核兵器に関しても法的拘束力のある禁止を求めている。

5つの公式核兵器国(中国・フランス・ロシア・英国・米国。安保理で拒否権を持つ常任理事国でもある)はそうした要求を拒絶し、核兵器が偶発的あるいは意図的に爆発させられる危険性はないと頑なに主張している。

「こうして、大量破壊兵器がない安全な中東を求める動き、そして、世界的な核兵器廃絶につながるようなステップへの機会は、少なくとも2020年に開催される次のNPT運用検討会議までは失われてしまいました。」とラウフ氏は語った。

「NPTの192の加盟国であっても、インド・イスラエル・パキスタンのようなNPT非加盟国であっても、この状態に甘んじているわけにはいきません。なぜなら核兵器の危険性は地球上の全ての人間に及ぶからです。」と、核の検証、不拡散、軍縮を取扱う国際原子力機関(IAEA)の高官を2002年から12年まで務めたことがあるラウフ氏は語った。

スレイター氏はIPSの取材に対して、「この2年間、ノルウェーやメキシコ、オーストリアにおいて、核戦争の壊滅的な人道的帰結の問題に関して、市民社会と諸政府が協力して一連の会議を成功させてきました。」と語った。

成果文書を採択できず決裂に終わった2015NPT運用検討会議でも、107か国が、核軍縮に向けた「法的欠落を埋める」ことを求めたオーストリア主導の「人道の誓約」に署名している。

こうした非核保有国は、核保有国の「安全保障上の」懸念の人質となることを拒否し、核保有国抜きでも核兵器を違法化するために前進すると誓っている。

スレイター氏は、「とりわけ南アフリカ共和国は、現在の核を「持つ国」と「持たざる国」の体制を『核のアパルトヘイト』に例えるなど雄弁な発言が会場の注目を浴びました。」と語った。

広島・長崎への原爆投下から70年、交渉が始まることが期待されると同氏は言う。

「核保有国の参加がなければ効果的でないとの意見もありますが、口では『核軍縮を』唱えながら、他方では米国の『核の傘』の下で軍事同盟に守られているいわゆる『イタチ国家』〈米国の核の『傘』の下にある国々:原文『weasel states』のweaselには『ずるい人』という意味もある:IPSJ〉に対するプレッシャーは大きくなるだろう。」とスレイター氏は語った。

先週、北大西洋条約機構(NATO)の構成国であり、米国の核の庇護の下にあるオランダ議会が、法的欠落を埋めるための「人道の誓約」の賛同を求める決議を採択した。

「米国の核抑止力に依存しているNATOやアジア諸国が、世界各地で核兵器禁止条約を求める活発な草の根キャンペーンからの圧力を感じる中、世界を支配し私たちを人質にとってきた核保有国と同盟国間の結束力は弱まるだろう。」とスレイター氏は語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|国連|「2015年以後の開発アジェンダの中心に世界市民を」の声

【国連IPS=タリフ・ディーン】

デンマーク政府が1995年3月に「世界社会開発サミット」(WSSD)を主催した際、コペンハーゲンで開催されたこの国際会議で出された結論のひとつは、「民衆を開発の中心に据えた新たな社会契約が必要」というものであった。

しかし、この要請に対するその後20年に亘る実行状況は芳しくないものの、国連は現在、「世界市民」という新たな装いの下で、同じ目標を追求しようとしている。

現在国連は、「われら人民は」で始まる国連憲章の精神を確認し、2015年以後の開発アジェンダの総仕上げに取り掛っている。他方で、貧困、飢餓、失業、都市化、教育、核軍縮、ジェンダーエンパワーメント、人口、人権、地球環境など、民衆に関する多くの問題に焦点を当てるように、市民社会からの要求が強まっている。

Global Citizens Festival 2014, Central Park, NYC. Pictured l to r, Global Citizen Project Co-founder Hugh Evans; World Bank President Jim Young Kim, actor Hugh Jackman, UN Secretary-General Ban Ki-moon and the group No Doubt. UN Photo/Eskinder Debebe

ニューヨークのセントラルパークで昨年9月に開催され、著名人が勢ぞろいした「世界市民フェスティバル」で演説した潘基文国連事務総長はこう謳いあげた。「私たちの世界にはもっと太陽光発電や風力発電が必要です。しかし、もっと強力なエネルギー源があると私は思います。それは民衆の力にほかなりません。」

国連韓国政府代表部大使で国連経済社会理事会(ECOSOC)副議長の呉俊(オ・ジュン)氏は、「世界社会開発サミット」20周年に際して、「世界社会開発サミットで出された三大目標のうち、貧困根絶は2000年に採択されたミレニアム開発目標(MDGs)に盛り込まれたものの、他の2つである『生産的雇用の拡大と失業の削減』と『社会的統合』は盛り込まれませんでした。」と語った。

呉大使は先週のECOSOC会合で、「3つの主要目標を同時に追求するという、「世界社会開発サミット」で謳われた統合的アプローチが忘れ去られています。」と指摘したうえで、「国連の新開発アジェンダがどこに由来するのかを再検討してみる必要があります。」と語った。

また呉大使は、「経済成長それ自体は必要なものですが、貧困と不平等を削減するには十分ではありません。」と述べ、強力な社会政策や統合的で持続可能な開発の必要性を強調した。

Ambassador Oh Joon of the Republic of Korea. UN Photo/Mark Garten

さらに呉大使は、「同様に、効果的に対処する必要のある社会・経済・環境分野の間には多くのつながりがあります。」と指摘した。

他方で、来たる9月に世界の指導者が集まる国連総会で2015年以後の開発アジェンダが採択されるのを前にして、世界市民概念の重要性が増している。

IPSの取材に応じた非営利の研究・政策提言団体「第三世界研究所」(ウルグアイ)のロベルト・ビッシオ所長は、2015年以後の状況における世界市民概念の意義について、「市民権(citizenship)という言葉で諸権利(rights)、とりわけ、政府に説明責任を果たさせ税金の使い道を決める権利を意味するとすれば、私たちは世界市民という存在からは依然として程遠いところにいます。」と語った。

実際、7月にアジスアベバで開催される開発金融会議や、2015年以後の開発アジェンダを採択する予定の9月の国連総会に向けた現在の議論の中に、「市民権」という切口はほとんどみられない。

かわりに着目されているのは、「複数の利害関係者主義(Multistakeholderism)」の概念だという。

「株主」(shareholder)に対抗する概念としての「利害関係者」(stakeholder)は、企業の行動によって影響を受ける人々に対して企業にもっと説明責任を持たせようとする中から生まれてきたものだった。

「今日、インターネットにおける、あるいは、国連との『パートナーシップ』における『複数の利害関係者による統治』とは、企業が、必ずしもそのプロセスの中で説明責任を果たすことなくグローバルガバナンスの中で一定の役割を与えられる状況を指しています。」とビッシオ氏は指摘した。

「これは、市民にとっては権利の増進ではなく後退を意味します。」「他方で、もし開発金融会議が、多国籍企業による租税回避に対抗するために国家間で課税協力を行う国連のメカニズムを承認することになれば、市民権概念(とらえどころのない『世界市民』概念を含め)も強化されることになるかもしれません。」と、世界的な市民団体のネットワークである「ソーシャル・ウォッチ」の事務局も務めるビッシオ氏は語った。

チリのエドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ元大統領は、民衆志向の政策の成功を指摘しつつ、「1995年に自分が国を率いていた時には、民主主義や社会的公正を推進する多くの取り組みを支持していました。」と語った。

この25年間でチリは、貧困率を38.6%から7.8%へ、極度の貧困率を13%から2.5%へと減らすことに成功したという。

「『世界社会開発サミット』は、世界の不平等を正す進歩的な社会的公正を作り出す新たな開発モデルの形成につながった、国家元首らによる史上最大の会議でした。このサミットで打ち出された行動計画に現れているように、その際、民衆が開発の中心に据えられたのです。」とルイス-タグレ元大統領は語った。

Heads of State and High-Level dignitaries who attended the World Summit for Social Development, in Copenhagen, Denmark from 6-12 March 1995.   UN Photo/J. Mydtskov
Heads of State and High-Level dignitaries who attended the World Summit for Social Development, in Copenhagen, Denmark from 6-12 March 1995. UN Photo/J. Mydtskov

またルイス-タグレ元大統領は、この計画を実行し達成された成果を強調して、「チリは社会開発への投資を拡大してきたし、現在のミシェル・バチェレ大統領の下で、不平等の問題に対処するために現在もその取り組みを進めています。」と語った。

ラテンアメリカは、貧困を削減してきたとはいえ、他の地域と比較すれば依然として「最も不平等な」地域であり、現在、人口の28%にあたる1億6700万人が貧困下にあり、7100万人が極度の貧困下にあるという。

しかし、ルイス-タグレ元大統領によれば、緊急の課題として、「誤った」開発を避けるために収入分配を改善することにつながる新たな財政的契約と租税改革について検討することが挙げられるという。汚職や組織改革の問題にも取り組まねばならない。

「その意味で、世界社会サミットは1995年当時と同じく今日でも意義を持っています。さらに言えば、貧困と不平等と闘うためには倫理的な基礎と持続的な取組みが必要です。この岐路にあって、この『道徳的運動』に諸政府がさらなる推進力を与える時期に来ていると思います。」とルイス-タグレ元大統領は語った。

国際労働機関(ILO)の元事務局長でチリの元国連大使であるフアン・ソマビア氏は、「まだ妥結していない新たな「ポスト2015年」開発アジェンダのゼロ・ドラフト(原案)は1990年代の精神とダイナミズムを再興したものであり、交渉のよい基礎になりました。」と、経済社会理事会の会合で語った。

「この文書は、民衆を中心とした、貧困根絶のための持続可能な開発概念を基礎として、17の目標と69の指標を掲げたものであり、きわめて野心的なビジョンを掲げていました。」とソマビア氏は語った。

諸問題への取り組みに関しては、国連からの政策的支援が肝要だとソマビア氏は言う。

「国際社会は、(かつて『世界社会開発サミット』で)持続可能な開発の3つの要素について議論しながらこれまで実行に移してきませんでした。従って今後の根本的な課題は、統合的な思考を確保し、開発アジェンダの3つの柱(『貧困の撲滅』、『生産的雇用の拡大と失業の削減』、『社会的統合』)の間にある相互作用を明確に説明する方策を作り出していくことです。」とソマビア氏は語った。

Juan Somavia, Director-General of the International Labour Organization (ILO). UN Photo/Evan Schneider

ソマビア氏はまた、「この困難な任務を実行するには、ニューヨークおよびジュネーブの国連事務局による取り組み、国連の資金、国連の事業計画、さらには、国連が活動する地域での様々なネットワークを必要とします。」と指摘したうえで、「(9月の国連総会で)新開発アジェンダが採択されてからすぐにこのプロセスを始めないかぎり「よいもの」は実行されないだろう。」と警告した。

この取組みには、市場と国家、社会、個人の間のバランスを認識することが必要である。

「最近では、民衆の国連に対する信頼が低下しています。」「国連が新開発アジェンダをどのように提示するかが、この問題に対処するにあたっての重要なポイントとなります。『社会開発サミット』の行動計画が民衆からの信頼の重要性を認識したように、新たな開発アジェンダもまた、現在の(民衆の国連に対する)信頼感の欠如を(国連が)認識し、その問題に対処していかなければなりません。」とソマビア氏は明言した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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世界市民教育の重要性が増している

|国連創立70周年|グラス半分の水(パリサ・コホナ前国連スリランカ政府代表部大使)

世代を超えて受継がれる平和と友情の絆

【伊勢/東京IDN=浅霧勝浩】

第67代全米さくらの女王ノエル・マリー・ベルヘルストさん(24)は、6月4日、首相官邸に安倍晋三首相を表敬した際、これまで日米親善に関わってきた無数の人々に思いを馳せながら、「(三重県)伊勢市への旅を通じて、日本の美しさ、人々の温かい心、そして(日本の議会制民主主義の父と言われた)尾崎行雄の精神を感じました。日本とアメリカは友達です。」と日本語で挨拶をした。

ジョー・ヘック下院議員(ネバダ州選出)のスタッフとして米連邦議会で働いているベルヘルストさんは、安倍首相が4月29日に連邦議会上下両院合同会議に戦後日本の首相として初めて招かれ、民主主義の原則と理想を共有する日米関係を一層深めていきたいと訴えた演説を議場で聞いていた。ベルヘルストさんが「私は総理の演説に感銘を受けた多くの聴衆の一人です。」と伝えると、首相は「まさにおっしゃるとおり、日本とアメリカは友人です。先般の米連邦議会での演説では会場の皆さんから盛大な拍手を頂き、深く感動しました。尾崎行雄がワシントンに寄贈した桜は日米友好の象徴であり、アメリカの人々には、春に桜の美しい花を見るとき、日本との友好の絆を思い出していただければありがたいと思っています。」と応じた。

“Washington C D.C. Tidal Basin cherry trees” by USDA photo by Scott Bauer – United States Department of Agriculture. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons

ポトマック川河畔の桜並木は米国有数の景勝地となっており、1912年に当時東京市長の尾崎行雄がワシントンDCに寄贈した3000本の桜を記念した全米桜祭りが、1935年(昭和10年)以来、戦争の一時期を除いて、3月末から数週間にわたって盛大に催され、首都ワシントンDCの春を告げる風物詩となってきた。さらに今年はウィリアム・ハワード・タフト大統領が、桜の返礼にハナミズキの木を日本に寄贈して100周年にあたることから、今年4月の全米桜祭りでは、米国郵便公社と日本郵便共同による記念切手が発効されるなど、日米友好100年の歴史を改めて振り返る機会となった。

全米さくらの女王のプログラムは、戦後全米桜祭りの復活にも尽力した州協会全米協議会(NCSS)が、日本との平和友好の絆を再び育んでいくことを祈念して1948年にはじめたもので、以来毎年、桜のプリンセスが国内各州と合衆国領から選ばれ、全米桜祭りの期間中に開催されるグランドボール(女王選出大会)において、駐米日本大使が回すルーレットでその年のさくらの女王が選出されている。

そして全米さくらの女王は、毎年5月下旬から6月上旬にかけて日本を訪れ、皇族、首相、衆議院議長(尾崎行雄記念財団会長)、駐日米国大使、都知事などを表敬訪問、また自治体や民間のイベントに出席するなど、日米の友好と親善をさらに深める役割を果たしている。

2015年の全米さくらの女王に選出されたベルヘルストさんはまず、尾崎行雄を顕彰するNPO法人「咢堂香風」の招きで、シャペロン(女王の後見人)のエイミー・アンダさんとともに尾崎行雄ゆかりの地、三重県の伊勢市と、鈴木英敬三重県知事を表敬するため県庁所在地の津市を訪問した。

全米さくらの女王一行が伊勢市の宇治山田駅に到着すると、アメリカ国旗を持ってプラットフォームで待ち構えていた「咢堂香風」のメンバーが温かく一行を歓迎し、昼食後伊勢神宮に参拝した。

Ms. Verhelst offered prayers at Ise Grand Shine along with Ms. Erica Minami, the Flowering Dogwood Queen from Ise City/ Katsuhiro Asagiri of IPS Japan.

全米さくらの女王はここで、アメリカ国民を代表して、日米親善の一層の深化と両国の繁栄を祈った。「深い森に抱かれ、この静寂で清らかな空気に満ちた聖域で祈りを捧げていると、この地が2000年の長きにわたって五穀豊穣と平和の祈りが捧げられてきた地であることが肌で感じられます。今、私の目の前に広がる美しい景色は、不思議と私がアメリカで想像してきた日本のイメージそのものなのです。私の父方の祖母が日本人だと聞いていますが、私が生まれるはるか前に若くして亡くなったそうで、日本の出身地など詳しいことは知りません。それでも、ここに立っていると、その日本人の祖母や私を日米親善の使節としてこの地に導いでくださった日米の多くの方々のスピリットを感じ、感謝の気持ちでいっぱいになります。」とベルヘルストさんは語った。

ベルヘルストさんは参拝の途中で立ち寄った、昨年キャロライン・ケネディー駐日米国大使が植樹したハナミズキの苗木を思い出していた。「あのハナミズキは、尾崎行雄による桜寄贈100周年を記念してバラク・オバマ大統領が新たに日本に寄贈した3000本のハナミズキの一本です。ケネディ大使は、植樹に際して、『日米同盟も(このハナミズキのように)生きたパートナーシップですから、継続的な手入れと世話が必要です。それぞれの世代が平和への努力を続けその誓いを新たにしていく責務があるのです。そしてその責務を果たすのは私たちの番です。』と述べたと聞いています。私たち日米の若い世代が、この平和への責務を引き継ぐ番だと思います。」と語った。

全米さくらの女王一行は、鈴木健一伊勢市長への表敬訪問、皇學館大學での文化交流ののち、尾崎咢堂記念館を訪問し、ハナミズキの記念植樹式に臨んだ。「咢堂香風」のメンバーは、全米さくらの女王の訪問に合わせて、今年4月に実施したさくら絵画コンクールの出品作品を館内の壁一面に展示し、満開の桜を演出していた。「尾崎咢堂記念館では、ここ伊勢でお迎えした歴代の全米さくらの女王に、館内の庭園に桜又はハナミズキの木を植樹いただいています。全米さくらの女王によって植樹された木は、尾崎行雄ゆかりの日米親善のシンボルとして永遠に大切に育てられていくことでしょう。ここでは、ベルヘルストさんはいつお越しいただいても全米さくらの女王です。ベルヘルストさんをはじめ、歴代の全米さくらの女王が、木の成長を見に近い将来ここに戻ってこられることを心から楽しみにしています。」と奥本謙造館長は語った。

記念植樹後、尾崎咢堂記念館の展示を視察したベルヘルストさんは、63年にわたって尾崎行雄を国会に送り続けた伊勢の人々の平和と日米友好に対する長年に亘る想いに触れ、さくらの女王の役割の重責を改めて実感したという。ベルヘルストさんはIDNの取材に対して、「私は伊勢の地を訪れて、100年に及ぶ桜とハナミズキの親善交流の背景にある、日米友好と平和を支えてきた多くの人々の尊い思いに触れ、この地に大きな足跡を残した尾崎行雄についてもっと知りたいと思うようになりました。」と語った。

Tree planting ceremony was held at Ozaki Gakudo Memorial Hall of a dogwood tree which was donated by the U.S. President Barack Obama on the 100th anniversary of the gift of Cherry trees to Washington D.C. by Yukio Ozaki/ Katsuhiro Asagiri of IPS Japan

尾崎行雄と伊勢の人々

尾崎行雄は、日本が明治維新で封建体制に終止符を打ち、近代国家として新たな国の形を模索していた時期に、表舞台に登場した活動家である。尾崎は、国民の声が国の政治を動かす議会制民主主義こそ新生日本の根幹をなすべきと確信し、1880年代には明治政府に対して英国型の立憲君主制度に範を置く憲法の制定と、議会の開設を訴える民衆運動を展開した。

Ozaki Yukio Memorial Foundation
Ozaki Yukio Memorial Foundation

1890年に第1回衆議院総選挙が実施されると三重県宇治山田市(現在の伊勢市)から立候補し、以後国政を舞台に、日本に民主主義の原則と理念を根付かせるための活動を追求していった。そして尾崎が唱えた米英民主主義国との協調外交と軍縮が進められた1920年代の大正デモクラシー期には、日本を代表するリベラルな政治家として国際的にも知られるようになった。1930年代になると、次第に強まる軍部の影響を批判するとともに、婦人参政権運動を支持した。第二次大戦中は、軍部の拡張主義を批判し、米国との戦争に反対したため、しばしば逮捕・投獄され、刺客に命も狙われた。そんな尾崎を当局の圧力を顧みず支援し続け、議会へと送り続けたのが伊勢の人々である。

「地元に2000年の歴史を持つ五穀豊穣と平和を祈念する伊勢神宮があるこの地の人々は、尾崎の唱える民衆のための政治と民主主義国家アメリカとの友好親善に、夢を託したのです。彼らの尾崎に対する支持は、軍国主義が台頭した暗い時代も変わることはありませんでした。」とNPO法人「咢堂香風」の土井孝子理事長は語った。

全米さくらの女王のプログラムディレクターでもあるアンダーさんは、「全米さくらの女王のプログラムは、日米の親善とともに、若い女性の可能性を引出し、夢に向かったチャレンジを応援していくという目的を持っています。米国ではワシントンに桜を寄贈した人物として有名な尾崎ですが、日米関係が最も厳しい時代にあっても、民主主義の理念と日米友好の意志を貫徹し、時代に先行して女性参政権を支持していたことを知り、感銘を受けました。」と語った。

Kokichi Mikimoto/ Mikimoto Pearl Island
Kokichi Mikimoto/ Mikimoto Pearl Island

そうした尾崎を熱心に支援し続けた地元の名士に、世界で初めて真珠の養殖に成功し、全米さくらの女王が戴冠する真珠の王冠を寄贈した御木本真珠の創業者、御木本幸吉氏がいる。全米さくらの女王一行を御木本真珠島に迎えた柴原昇取締役は、海女によるアコヤ貝の採取実演を披露した後、別室で実際に採取した貝から取り出した真珠を全米さくらの女王とシャペロンに贈呈した。柴原氏はIDNの取材に対して、「創業者の御木本幸吉の夢は、自分の作った真珠で世界中の女性を美しく飾ることでした。その夢を実現するには、尾崎行雄が目指した民主主義の理念に基づく平和と信頼関係が諸外国との間になければなりません。御木本幸吉は、日米友好を訴えた尾崎の最大の理解者の一人でした。私たちは二人の意志を引き継ぎ、関係機関・団体のみなさまと連携協力し、これからも民間外交の一端を担っていきます。」と語った。ベルヘルストさんは、そのあと案内された御木本真珠博物館で、御木本幸吉が1939年にニューヨークの万博に出品した真珠製の「自由の鐘」を見学した。この作品は「百万ドルの真珠」としてアメリカの人々から称賛されたが、展示期間中に第二次世界大戦が勃発し、尾崎や御木本の願いもむなしく、2年後には日米両国は戦争へと突入していった。

敗戦後失意のどん底にあった尾崎に温かい手を差し出したのが選挙区の伊勢の人々だった。尾崎は叙勲を固辞し、政界からの引退を決意していたが、選挙区の支援者らが中心となって、立候補の届け出から選挙運動まですべて行い、女性参政権が初めて認められた戦後初の選挙で、尾崎はトップ当選で国会に復帰することとなった。そして、再び民主主義の復活と世界平和の確立のために尽力しようと決意した尾崎に手を差しのべたのが、戦前に親交のあったジョセフ・グルー前駐日大使をはじめとする米国の政府要人たちであった。

Ozaki Yukio Memorial Foundation
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1950年、尾崎行雄はグルー前大使や、同大使前任者のウィリアム・キャッスル両氏らが代表を務める「日本問題審議会」の招待により、三女の相馬雪香を伴って渡米、連邦議会上下両院合同会議でも演説し大歓迎を受けた。米国滞在中、尾崎は東京市長時代に「日米友好の証、ポトマック桜」を寄贈した民主主義者として紹介され、当時依然として険悪だった対日感情を改善し日米相互理解の懸け橋となるべく積極的にテレビ番組への出演や政府要人、米国市民との対話集会に参加し、両国間の友好関係の基礎を作った。

尾崎はその4年後、日本の民主主義の復活と日米友好の発展を祈念しながらこの世を去った。1956年、国会議員と民間有志により設立された尾崎行雄記念財団が全国に寄付を呼びかけ、1960年、議会制民主主義の父として尊敬されている尾崎のビジョンを推進する目的で国会の前に尾崎記念会館(現:憲政記念館)と時計塔が建てられ、衆議院に寄贈された。

その後、尾崎行雄の意志を継いだ相馬雪香は尾崎行雄記念財団の副会長として、尾崎のビジョンに基づく民主主義と平和の啓蒙活動に尽力した。とりわけ、1979年に設立した「難民を助ける会」の活動に関連して1997年には地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)のメンバーとして、ノーベル平和賞を共同受賞している。さらに相馬雪香が晩年最も力を入れたのが尾崎咢堂の精神を今後の日本の政治に生かしていける人材を育てる「咢堂塾」の設立と運営であった。石田尊昭事務局長と1998年に立ち上げた「咢堂塾」は、今年で17年目を迎え、衆議院、参議院議員を始め、県会議員、市議会議員、市長、大学教授など、次代を担うリーダーを輩出している。「全米さくらの女王のプログラムと、『咢堂塾』は、人種、信条、文化の壁を越えて、人間の尊厳を大切にする民主主義の理念と日米友好の遺伝子を引き継いだプログラムだと思います。尾崎行雄記念財団としても、今後の全米さくらの女王との交流事業を通じて、日米の多くの先人に支えられてきた歴史の意義を踏まえながら、世界の平和に寄与する日米のリーダー間の交流も進めて参りたいと考えています。」と石田事務局長は語った。

Ozaki Yukio with his son, Yukiteru and daughter Yukika visiting cherry trees by Tidal Basin, Wshington D.C. in June 1950/ Ozaki Yukio Memorial Foundation
Ozaki Yukio with his son, Yukiteru and daughter Yukika visiting cherry trees by Tidal Basin, Wshington D.C. in June 1950/ Ozaki Yukio Memorial Foundation

ちなみに、ベルヘルストさんが首相官邸を表敬訪問した翌日、安倍首相は、ウクライナと週末に主要国首脳会議(G7サミット)が開催されるドイツに向かう直前、羽田空港において、2016年に日本で開かれる来年のG7サミットを伊勢市に隣接する三重県志摩市で開催すると発表した。その際伊勢神宮についても言及し、「各国の首脳には、日本の豊かな伝統と文化、そして美しい自然を感じで頂きたい。」と語った。「暗い戦争の時代を乗り越えて尾崎行雄を支え続けた伊勢の人々にとって、米国を始め世界の民主主義国の首脳を地元にお迎えできることは、特別の意味合いがあります。」と土井孝子理事長は語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

https://www.youtube.com/watch?v=nDKJ-YIz-9A

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Japan-US Bonds of Peace and Friendship Bequeathed To Future Generations

By Katsuhiro Asagiri | IDN-InDepthNews Special Report

ISE | TOKYO (IDN) – When Noelle Mary Verhelst, the 67th United States Cherry Blossom Queen, paid a courtesy call on Prime Minister Shinzo Abe in Tokyo on June 4, she said in fluent Japanese: “During my trip to Ise City, I was impressed with the beauty of Japan, people’s warmhearted kindness and the legacy of Ozaki Yukio. Japan and the U.S. are good friends.”

Verhelst, who currently works as a legislative correspondent for Congressman Joe Heck (NV-3), was in the audience when Abe was invited to address a Joint Meeting of the U.S. Congress on April 29 as the first Japanese Prime Minister since WWII and appealed for further deepening of the U.S.-Japan relationship based on shared principles and ideals of democracy. Verhelst said to the Prime Minister: “I was one of audiences who were impressed with your address.”

The Prime Minister responded: “As you rightly said, the U.S. and Japan are good friends. I was deeply touched when I received a great ovation from the audience on that occasion. Cherry trees donated to Washington D.C. by Yukio Ozaki are the symbol of the U.S.-Japan friendship and I hope Cherry Blossom in spring would serve as a reminder of friendship. ”

Rows of cherry trees along Potomac River have been known as one of the foremost aesthetic landscapes in the U.S. National Cherry Blossom Festival. The Festival has been held every year since 1935 – in commemoration of the gift of 3,000 cherry trees donated to the city of Washington D.C. by Yukio Ozaki, mayor of Tokyo in 1912 – on a grand scale for several weeks starting late March, except for a temporary period of WWII. It has become a seasonal tradition that signals the dawn of spring in the U.S. capital.

Ozaki Yukio Memorial Foundation
Ozaki Yukio Memorial Foundation

As this year marks the 100th anniversary of the gift of dogwood trees, donated to Japan by the then President William Howard Taft in reciprocity and appreciation for the cherry trees from Japan, the centennial friendship between the U.S. and Japan was once again the main focus during the festival this year including the joint issuance of commemorative stamps by United States Postal Service and Japan Post Co., Ltd.

The Cherry Blossom Princess program, including the selection of the U.S. Cherry Blossom Queen, was initiated in 1948 by the National Conference of State Societies (NCSS), which helped to re-launch the first post-World War II Cherry Blossom Festival that year with an aim to promote peaceful relations with Japan. Since then, Cherry Blossom Princesses have been selected from each state and the U.S. territories every year. The U.S. Cherry Blossom Queen is chosen by a random spin of a wheel of fortune by the Japan Ambassador in Washington D.C. at the Official Cherry Blossom Grand Ball during a National Cherry Blossom Festival.

The U.S. Cherry Blossom Queen visits Japan from late May to early June every year to further deepen the U.S.-Japan friendship by paying a courtesy call on a member of the Royal family, Prime Minister, the Chairperson of the House of Representatives (also the chairperson of Ozaki Yukio Memorial Foundation), the U.S. Ambassador to Japan, and the governor of Tokyo. She also participates in events organized by local governments and non-governmental organizations.

Accompanied by Amy Anda, NCSS U.S. Cherry Blossom Queen Chaperone, Verhelst, visited Ise, the city historically associated with Yukio Ozaki at the invitation of NPO Gakudo Kofu and then proceeded to Tsu, capital city of Mie Prefecture where they paid a courtesy call on Governor Eikei Suzuki.

As the delegation arrived at Uji Yamada Station, it was warmly greeted by Gakudo Kofu members waving the U.S. flags on the platform. After a lunch in their honour, they were escorted to Ise Grand Shrine.

At the main sanctuary, the 2015 U.S. Cherry Blossom Queen prayed for further deepening of the U.S.-Japan Friendship and prosperity of both nations on behalf of the people of the U.S.

“Praying at the sanctuary filled with tranquil and seraphic air surrounded by deep woods helps me understand that this is a place where prayers for peace and prosperities have been offered for over 2000 years. The beautiful scenery (that) opens out before my eyes right now strangely matches my very image of Japan, which I used to picture in the U.S. I was told that a grandmother on my father’s side was Japanese but I even do not know where in Japan she was from as she passed away young long before I was born. However, standing here, I feel overwhelmed with gratitude as I feel her spirit and those of so many people who led me here as an emissary of the U.S.-Japan friendship,” Verhelst told IDN.

Recalling a dogwood tree she had earlier stopped by on her way to the main sanctuary, which was planted by the U.S. Ambassador Caroline Kennedy, Verhelst said, “It was one of 3,000 dogwood trees gifted by President Barack Obama in commemoration of the 100 anniversary of the gift of cherry trees by Yukio Ozaki. Ambassador Kennedy at the tree-planting ceremony said that the U.S.-Japan Alliance is a living partnership that needs continued stewardship and care and that it falls upon each generation to tend and renew the commitment to peace. She then said that it is our turn. I firmly believe that it is our turn to succeed this responsibility for peace.”

After paying a courtesy call on Kenichi Suzuki, Mayor of Ise, the delegation participated in a cultural program at Kogakukan University. After the cultural program, the group was welcomed at Ozaki Gakudo Memorial Hall, where a tree-planting ceremony for a new dogwood tree was held in Verhelst’s honor. The tree was one of 3,000 given to Japan by President Barack Obama. Entering the memorial hall, the delegation was greeted by hundreds of water paintings of cherry blossom drawn by children of Ise, which filled walls of the building.

Ozaki Gakudo Memorial Hall annually organizes cherry blossom painting competition to honor the U.S.-Japan friendship. “We have invited successive U.S. Cherry Blossom Queens who visited the city of Ise to plant either Cherry trees or Dogwood trees with credit to each queen in our garden. These trees have been and will be cared eternally by people of Ise as the symbol of the U.S.-Japan friendship associated with Yukio Ozaki. Here, you will always be received as a U.S. Cherry Blossom Queen and we look forward to all successive Queens to come back here to see the growth of their trees.” said Kenzo Okumoto, curator of Ozaki Gakudo Memorial Hall.

After the tree-planting ceremony, Verhelst visited the exhibition hall. According to her, here she learned of a strong bond between Ozaki and people of Ise who kept sending Ozaki as their representative with their wishes for the U.S.-Japan friendship and peace to the Japanese parliament for 63 consecutive years and realized a new and important role of the U.S. Cherry Blossom Queen.

“Through my visit to Ise, I feel honored to be exposed to precious feelings of so many people who have supported the U.S.-Japan friendship and peace behind the century long friendship exchange between cherry trees and dogwood trees and this experience has prompted me to get more interested in learning about Yukio Ozaki who made such a significant mark here,” Verhelst told IDN.

Yukio Ozaki and the people of Ise

Yukio Ozaki came to mainstream as an activist when the Japanese society, after putting an end to feudalism through Meiji Restoration in 1868, was groping for a new political form as a modern nation. Convinced that parliamentary democracy should constitute the bedrock of new Japan, Ozaki launched a democratic movement calling on the Meiji government to establish a constitution based on the British model and to open an elected national assembly (Diet) during 1880s.

When the first general election for the lower house of the Diet was held in 1890, Ozaki ran from a constituency of Ujiyamada City (present Ise city) and relentlessly pursued constructive discussions at the Diet to allow democratic principles and ideals to take root in the Japanese society. Ozaki came to be known overseas as well during the Taisho Democracy period in the 1920s when disarmament was pursued and cooperative diplomatic stance was adopted towards democratic nations such as the U.S. and Britain.

During 1930s, as an independent politician, he criticized the growing influence of the Japanese military and advocated the right of women to vote. During the WWII, Ozaki was often arrested and imprisoned. Assassins threatened him for his criticism of military adventurism and war with the U.S. Despite all pressures from authorities not to do so, people in Ise continued to send Ozaki back to the Diet.

“Having grown up with a culture of praying for peace and prosperity at Ise Grand Shrine at the heart of their daily lives, people in Ise placed their hope in Ozaki who pursued the cause of parliamentary democracy and the U.S.-Japan friendship based on democratic principles with relentless courage. And their love and support for Ozaki did not change even during the darkest period of military dictatorship.” said Takako Doi, President of Gakudo Kofu.

Anda, who is also a director of the U.S. Cherry Blossom Princess Program, said in an interview with IDN: “The U.S. Cherry Blossom Princess Program is tasked to empower young women and develop their potential while promoting the U.S.-Japan friendship. In the U.S, Ozaki has been known as the person who donated cherry trees to the city of Washington D.C. but I am pleased that my visit to Ise this time gave me an opportunity to learn more about his life including the fact that he carried through his belief in democratic principles and the friendship with the U.S. even during the darkest days of the U.S.-Japan relations and was ahead of his time in advocating for women’s suffrage in those days.”

Among ardent supporters of Ozaki in Ise was Kokichi Mikimoto, founder of the Mikimoto Pearl Company, credited with creating the first cultured pearl. Mikimoto donated the ceremonial Pearl Crown to be placed upon a newly selected U.S. Cherry Blossom Queen during the National Cherry Blossom Festival, held annually in Washington, D.C. Noboru Shibahara, director of Mikimoto Pearl Island Co., Ltd. welcomed the delegation to the island. After viewing a pearl harvesting demonstration by Ama divers, Shibahara presented the freshly harvested pearls to the Cherry Blossom Queen and her Chaperone.

“Our founder Kokichi Mikimoto’s dream was to adorn the necks of all women around the world with pearls. He duly understood that in order to realize his dream, peace and trusted relations among nations have to exist based on democratic principles as advocated by Yukio Ozaki. Mikomoto was one of Ozaki’s most sympathetic supporters. We at Mikimoto Pearl Company will continue to play a part of popular diplomacy in cooperation with organizations and groups concerned while succeeding the wills of the two gentlemen,” Shibahara told IDN.

The people of Ise lent a helping hand to Ozaki who was in the depth of despair after WWII. Ozaki firmly declined a conferment of the order of merit and he was determined to retire from the political scene. However, ardent supporters in his constituency filed his candidacy and conducted his election campaign thus re-electing Ozaki with largest number of votes at the first national election in 1946 after women suffrage was granted.

It was then that Ozaki once again decided to dedicate the rest of his life for the recovery of democracy in Japan and for world peace. In this, he was supported by his old friends in the U.S. including the former U.S. Ambassador to Japan Joseph C. Grew who held important positions in the U.S. government.

In 1950 Ozaki, accompanied by his daughter Yukika, went to the United States at the invitation of the American Council on Japan, an advisory group of prominent Americans interested in promoting a meaningful U.S. policy toward Japan. It included among its leaders Ambassador Grew and his predecessor Ambassador William R.Castle, Jr. They were instrumental in having Ozaki speak before both Houses of Congress, appear on TV program and meet the American people to help the then hostile feelings of Americans toward Japan and to lay the foundations for amicable relations between the two countries. Ozaki served as a bridge of understanding in those critical days after the war.

Ozaki died on October 6, 1954, while praying for the recovery of Japan’s democracy and the development of the U.S.-Japan friendship. Ozaki Yukio Memorial Foundation, established by Diet members and volunteers from private sector, called for donations across the nation and The Ozaki Memorial Hall (present Memorial Hall of Constitutional Politics) and Clock Tower were built in front of the Diet in 1960 to promote the vision of the man revered as the father of Japanese parliamentary democracy and was donated to the House of Representatives.

After that Yukika Soma who succeeded Ozaki’s wishes as vice president of Ozaki Yukio Memorial Foundation dedicated herself to promote awareness campaign of democracy and peace based on Ozaki’s visions. Soma founded Association for Aid and Relief (AAR Japan) in 1979, which was awarded the Nobel Peace Prize in 1997 as a member organization of the International Campaign to Ban Landmines (ICBL).

In her later career, Soma mostly dedicated herself to the management of “Gakudo Juku”, a private academy established in 1998 together with Takaaki Ishida, Secretary General of Ozaki Yukio Memorial Foundation, to train personnel who can put into practice Ozaki’s spirit in Japanese politics in the future.

The academy has so far produced leaders who lead the next generation such as members of House of Representatives, members of House of Councilors, prefectural assembly members, city council members, mayors, and university professors.

Ishida told IDN: “I think that the U.S. Cherry Blossom Princess program and Gakudo Juku have both succeeded genes of democratic ideals that value human dignity and the U.S.-Japan Friendship transcending racial, religious, and cultural differences between two nations. Through exchange events with the U.S. Cherry Blossom Princess program in the future, Ozaki Yukio Memorial Foundation is interested in exploring the possibility of advancing exchanges between leaders from both nations who can contribute to world peace while taking into account the historical significance nurtured by numerous predecessors in both nations.”

Interestingly enough, on the day subsequent to the U.S. Cherry Blossom Queen’s courtesy visit to the Prime Minister’s office, Abe announced at Haneda international airport before departing for the Ukraine and the G-7 summit in Germany that next G-7 summit in Japan will be hosted at the city of Shima, next to Ise in Mie Prefecture.

Ozaki Yukio with his son, Yukiteru and daughter Yukika visiting cherry trees by Tidal Basin, Wshington D.C. in June 1950/ Ozaki Yukio Memorial Foundation
Ozaki Yukio with his son, Yukiteru and daughter Yukika visiting cherry trees by Tidal Basin, Wshington D.C. in June 1950/ Ozaki Yukio Memorial Foundation

Referring to Ise Grand Shrine near the summit venue, Abe said: “I hope world leaders will feel the rich culture and tradition and beautiful nature there.” “For people of Ise who supported Yukio Ozaki through generations beyond darkest days of WWII, being able to welcome democratic leaders of the world including the U.S. has a special significance.” said Doi. [IDN-InDepthNews – 20 June 2015]

Top photo: Noelle Mary Verhelst, the 67th United States Cherry Blossom Queen and Amy Anda, NCSS U.S. Cherry Blossom Queen Chaperone, received a big welcome from citizens of Ise, a community historically associated with Yukio Ozaki, widely revered as the father of Japan’s Parliamentary Democracy/ Photo by Katsuhiro Asagiri of IPS Japan

Second photo: At the entrance of GHQ in Tokyo, General Douglas MacArthur seeing off Yukio Ozaki who stopped by his office on his way to Washinton DC in May 1950/ Ozaki Yukio Memorial Foundation

Bottom photo: Ozaki Yukio (Center) with his son Yukiteru(Right) and daughter Yukika (Left) visiting cherry trees by Tidal Basin Washington D.C. in June 1950/ Ozaki Yukio Memorial Foundation

2015 IDN-InDepthNews | Analysis That Matters

|国連創立70周年|グラス半分の水(パリサ・コホナ前国連スリランカ政府代表部大使)

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【コロンボIPS=パリサ・コホナ

国際連合が創設されて70周年を迎える今年、この組織がこれまで成功を収めてきたかどうかを問うのは当然のことだろう。長年にわたってメディア、とりわけ欧米先進国のメディアには、国連の失敗をあげつらう傾向がある。

未解決の朝鮮半島問題、コンゴ内戦の泥沼、ベトナム戦争時の無力、冷戦の大部分の時期における国連の無能力、ルワンダ虐殺時の機能不全、イスラエル・パレスチナ紛争を終結に導く能力のなさ等、不快な例の多くがヘッドラインを占めてきた。

Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten
Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten

しかし、ダグ・ハマーショルド事務総長(当時)が簡潔に述べたように、国連は人類を天国へ連れて行くためでなく地獄から救うために創られた機関である。同じように、もし国連が存在しなかったらそれに代わるものが創設されなければならなかったであろうとも言われている。

疑心暗鬼と敵対意識が世界に広がっている現在の実情を考えると、今日、国連を一から創設できるとはとても思えない。失敗を指摘する様々な批判はあるものの、国連はこの70年で多くのことを成し遂げてきた。むしろ、これまで存在した中で、最も成功した真にグローバルな政治組織であるとさえ言えるかもしれない。

壊滅的な第二次世界大戦の灰のなかから立ちあがった国連の主要目標のひとつは、世界大戦の再発を防止することにあった。その意味では国連は成功を収めたと言えるだろう。戦後70年間、大国間の軍事衝突は起きていない。地域規模、二国間、国内における紛争や代理戦争は数多く起き、多数の死者と推定不能な経済的被害を引きおこしたが、第三次世界大戦の勃発は避けられてきた。

一方国連は、会員制の私的なクラブのようなものだと言われてきた。そのメンバーが、クラブが何をすべきか決定するからである。世界全体ではもっと高次元の期待を抱いているかもしれないが、国連自体は、その加盟国と憲章が認める範囲内の活動しかできないのである。最も効果的な成果は、全会一致が達成された際に得られる。

その憲法(国連憲章)が制定された経緯によって、国連の権力は厳格に制限されている(この点については詳しく後述する)。同時に、第二次世界大戦の勝者(=当時の連合国)の権利と特権が露骨に非民主的な形で確保されているため、政治的、経済的、社会的力の中心が戦後かなりシフトした今日の世界においては、このことが国連に幻滅を感じさせる主要因となっている。

その設立の経緯、そして、安全保障理事会の5大国に与えられた拒否権によって、国連の行動の自由は、拒否権を保持する5大国が認める状況のみに限定されている。従って冷戦時代は(米ソが拒否権を連発したために)国連の機能は相当に麻痺し、東西対立の危険な時代に身動きがとれない事態が続いた。

その後冷戦が終結し、国連が多くの場面において有益な前進をもたらすのではないかとの期待が高まった。しかし、まもなく大国間の対立が再燃したため、国際社会は新たな不確実性の時代に入り込んでしまっている。

同様に、南北関係も植民地時代にまで遡る疑念から、常に緊張関係を孕んできた。旧宗主国(=西側先進国)に対する不信感は、開発途上国の人々の先進国に対する態度に影響を与え続け、一方で西側先進国の人々が示す「我々こそが一番よく知っている」という横柄な態度が、関係をさらに複雑にしてきた。G77は、もともとは開発途上国の経済・社会の発展を推進するプラットフォームとなることが意図された連合組織だが、もはや77か国に収まらなくなっており、(安保理5大国の一員である)中国を入れれば、今日134か国にまで拡大されている。そしてその構成メンバー全てが、もはや必ずしも(かつてのような)貧しい途上国ではなくなっている。

また同様に、冷戦期に東側にも西側にもつかない勢力であることをもともと目指していた非同盟運動は、非同盟勢力としての一貫した焦点を持てず、近年様々な方向に引っ張られている傾向があり、その結果、グループから離脱する国もでてきている。さらに近年安保理が、本来なら国連総会の責任範囲に属する問題についてまで、全ての国連加盟国を拘束する決定を下す傾向を強めてきており、これに対する批判も高まってきている。

5大国が支配する安保理は、一定の状況下において国際社会全体に対する立法措置をとる任務を自らに課し、圧倒的多数の国連加盟国がそうした法形成に影響力を行使する機会を奪ってきた。

一方で積極的な面を見れば、世界の人権、社会的・経済的権利の基準が、国連の活動によって相当に改善してきた。国連は、1948年の世界人権宣言以来、市民的・政治的権利、社会的・経済的・文化的権利、女性の権利、子どもの権利、先住民族の権利、障害者の権利、人種差別[の撤廃]などについて基準を設定する数多くの多国間条約を次々に採択してきた。

A view of the meeting as Security Council members vote the draft resolution on Nuclear-Test-Ban Treaty on 23 September 2016. UN Photo/Manuel Elias.
A view of the meeting as Security Council members vote the draft resolution on Nuclear-Test-Ban Treaty on 23 September 2016. UN Photo/Manuel Elias.

これらの世界的に合意された基準を手にした世界は、1945年よりも確実によい場所になっている。確かに、多国間条約の締結や、条約の加盟国になることが、それ自体で個人が置かれている状況を改善するわけではない。しかし、これらの普遍的に受け入れられた基準の存在そのものが、ときとしてさらなる圧力を生み、さらに高い目標に向けて努力するインセンティブを生み出すのである。

国連はまた、国際的な「法の支配」をかつてないほど発展させてきた。事務総長の執務室には550以上の多国間条約が寄託されているが、その大部分は国連の下で交渉されたものである。それらは、環境、海洋、航空、人権、軍縮、テロ、組織犯罪、宇宙空間、海運、交通規則など、人間関係のほぼあらゆる側面を網羅している。

これらの条約に含まれている複雑なルールのネットワークは、かつてなかったほど、個別国家の行動基準を定めてきた。こうして定められた国際的な「法の支配」は国家のレベルにまで徐々に浸透していき、多くの領域において各国内の法の支配の発展に影響を及ぼしてきた。

国連及び国連諸機関は、共通の利益がある様々な課題に関して国際社会を動員することに成功してきた。国境を越えてテロが跋扈し、多くの国にとって脅威になるなかで、国連はこの脅威に対処するために諸国家と資源を動員することに成功している。

専門知識が結集され、資源が動員され、必要とする国家に訓練が提供され、テロの脅威に対する市民の意識が高められた。国連及び諸機関が存在しなければ、これらの前進が達成されたかどうかは疑わしい。もちろん、さらにすべきことはたくさんある。

同様に、大被害を引き起こす可能性があったエイズの拡大や豚インフルエンザ、鳥インフルエンザなどの健康上の脅威、そして最近のエボラ出血熱問題などに対する世界的な対応も、国連やその関連機関を中心に回ってきた。この種の脅威に対して、人々の意識を急速に高め、加盟国を動員して迅速に対応させた国連の能力は印象的なものであった。

国連の天災・人災への対応によって、数多くの命が救われ、被害は緩和された。環境や海洋、持続可能な開発といった領域での国連の継続的な取組みによって、人類にはさらなる利益がもたらされることだろう。

国連は、これまで語られていない暴力や悲劇を産み続ける可能性のあるグローバルな状況を正常化することに成功してきた。カンボジアは、国連が仲介した和平工作やその後の平和維持活動の結果として、数十年に及ぶ紛争を経て、安定し、ますます繁栄する国となってきた。

四半世紀に及ぶ紛争を経験した東ティモールは、国際社会の平和的一員として自らを確立してきた。国連はまた、モザンビークアンゴラをなだめすかしながら、平和の新時代をもたらした。

南アフリカのアパルトヘイトから民主主義と多数決原理への移行は、国連に血のにじむような努力によって促進されたものだ。旧ユーゴスラビアの継承諸国家を、当初の爆発的な暴力の時代を経て平和へと導いた国連の役割にも、やはり小さからぬものがあった。国家継承という複雑な法的問題に対しても、国連の想像力に富んだ対処がなされた。

このことは、国連活動の死活的で拡大する領域へと私たちを導く。すなわち、平和維持活動である。イスラエル国境、及びインド・パキスタン国境における最初の平和維持活動以来、国連の役割は大きく拡大し、その平和維持部隊には複数の次元にわたる任務が与えられてきた。

現在、国連は16か国において平和維持活動を実施している。民生、警察、軍事部門などさまざまな領域で12万2000人の職員が従事し、122か国が自発的にこれを支えている。

平和維持活動のコストは71億ドルを超え、国連の活動全体の中でもっとも高コストの部門となっている。国連の平和維持活動は、今では、民間人の保護など、その任務を果たすために攻勢的な役割を担うことが許可される場合もある。

平和維持活動に関しては印象的なサクセス・ストーリーがある一方で、批判も少なくない。もし国連平和維持活動の任務が、現場発の質のよい情報と、受入国政府を含めたより構造化された協議の後に構成されているならば、もし任務が明確に定義され、軍事部門によく説明がなされ、適切な装備が与えられ、経験と訓練度に基づいて隊員が選抜されていたならば、もし活動が定期的に再検討され出口戦略がよく描かれていたならば、平和維持活動はもっと成功しているかもしれない。残念なことに、一部のミッションは半永久的に継続される傾向がある。

時代が進むにつれ、現在の政治的・経済的状況を反映するように国連を改革すべきだとの声が強まってきている。もっとも困難な課題は、第二次世界大戦後の世界の権力構造を反映した安保理(常任理事国5か国と非常任理事国10か国で構成)の改革であろう。拒否権を有する5つの常任理事国のうち2つは欧州の国であり、欧州連合(EU)の加盟国でもある。また、選出される非常任理事国についても(地域グループから候補を選ぶため)2か国はEUの加盟国になる可能性が高い。

UN Flag on opening day of the General Debate. UN Photo/Mark Garten
UN Flag on opening day of the General Debate. UN Photo/Mark Garten

現在のところ、安保理15カ国のうち、西欧・その他グループはニュージーランドを含む6か国、アフリカは3つの非常任理事国、ラテンアメリカ・カリブ海地域は2か国、東欧が1カ国、そしてアジアは非常任理事国2か国と常任理事国(中国)である。

安保理の構造におけるこのような不均衡は維持できるものではない。もっとも、70年前の戦争の勝者に特権を与えるような制度が、あらたな戦争によって修正されることがあってはならない。しかし、急激に変化した世界の社会的・経済的現実が、国連に改革を導入する呼び水となるかもしれない。

国連の官僚機構を真に効果的なものにすることがもう一つの課題である。大口拠出国からの批判に常に晒されながらも、国連は70年間なんとか歩みを進めてきた。歴代の事務総長の下で、国連をよりダイナミックで、現代のニーズにより迅速に応えられる組織に改革しようとの試みが断続的になされてきたが、今こそ、この問題に包括的に取り組むときではないだろうか。国連は、任務に対して加盟国が満足いくように効率的に成果を出せなければならない。(原文へ

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世界市民の謎を解く

【ブリュッセルIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

世界の圧倒的多数の人々にとって「世界市民」概念は依然として謎に包まれたままだが、次第に多くの市民社会組織や見識のある政府、そして国際連合が、この謎のベールを取り払うための取組みを協力して進めている。

28か国からなる欧州連合(EU)の政策執行機関である欧州委員会がブリュッセルで主催した「欧州開発デー」(EDD)の期間中、非政府組織のグループが「世界市民は世界を変えることができる」と訴えた。

eudevdays.eu

開発意識向上・教育フォーラム」が始め、EUが財政支援している欧州市民社会の統括組織「CONCORD」内のプロジェクトである「グローバル正義のための市民のエンパワーメント(DEEEP)」は、市民参加のための世界同盟(CIVICUS)グローバル教育ネットワーク(GENE)北南センター欧州地域民主主義協会(ALDA)と協力して、6月4日に世界市民に関する討論会を開催した。

このイベントは、グローバル化しますます相互依存を深める今日の世界では個別的・集合的な行動が地球に影響を及ぼすということを市民が理解するためには、世界市民教育を推進していくことが肝要であり、市民に対して地元の地域と地球にとって好ましい行動をとるよう呼びかけることを目的としている。

世界市民は、市民社会組織や政府、地方自治体、国際機関などによって、教育や政策転換、キャンペーン、世界市民運動など多くの形で推進することができる。そして概念の中核をなすものは、正義、民主主義への参加、多様性、思いやりの心、地球規模の連帯といった普遍的価値である。

Wikimedia Commons
Wikimedia Commons

「『持続可能な開発目標(SDGs)』は、地球規模の開発課題や、平和的で公正、持続可能な世界を共に構築していく取組みの中心に世界市民を置く機会となるだろう。」と討論会の主催者はその趣旨を説明している。

SDGsは、今年期限を迎える「ミレニアム開発目標」(MDGs)の後継枠組みとして、9月にニューヨークで開催予定の国連総会において合意される見通しだ。

DEEEPは、2014年以来、世界市民教育がSDGsの教育関連目標の中心に置かれるべきだと訴えてきた。現在協議されているSDGsの提案は、「目標4.7」の中で世界市民教育に言及している。

世界市民教育を理解し実行することは、「欧州開発の年」の目玉企画である「欧州開発デー」の期間中に開催された別の討論会のテーマでもあった。この会合は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)と協力して開催したものだ。

世界的な専門知識と経験をもつこれらの国連機関は、世界市民の中核を成す、平和で寛容で、包摂的で、安全で持続可能な社会を確立するために必要な知識やスキル、価値観、態度を育成するためのカリキュラムや指導実践の推進に取り組んできた。

Global Education First Initiative
Global Education First Initiative

70年にわたって、全ての市民に良質な教育を提供できるよう各国を支援してきた経験をもつユネスコは、世界市民の育成を教育の目的の一つに掲げた、国連事務総長による「グローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)」の立ち上げ(2012年9月)以来、世界市民教育(GCED)に関する取り組みを先導してきた。

ユネスコはまた、国家レベルの公式・非公式双方の教育システムにおいて世界市民教育をいかにして統合するかについて、教育学的指針を策定してきた。

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA

UNRWAは、EUの支援を受けて65年にわたってパレスチナ難民に基本的な初等教育を提供し続けており、教室に焦点を当てたツールを使って、非暴力、健全なコミュニケーションスキル、平和的紛争解決、人権、寛容、善き市民の推進を目的とした「人権教育プログラム」を約15年間にわたって実施している。

上記の討論会では、世界市民教育の定義だけではなく、その実施に伴う主な困難や機会についても話し合われた。

UNRWA人権教育プログラムのコーディネーター、キャロライン・ポンターフラクト氏は、ユネスコのクリス・キャッスル氏、オズレム・エスキオカク氏と協力して、ユネスコが最近発表した世界市民教育に関する報告書『世界市民教育:学習者を21世紀の難問に備えさせる』と、中東に人権概念を広めるUNRWAの経験を基礎にして、議論の枠組みを作った。

6月5日、UNRWAのピエール・クレヘンビュール事務局長は、UNRWA創設65周年のハイレベル会議における声明の中で、「今日、当該地域には500万人のパレスチナ人登録難民がいます。これは、ノルウェーやシンガポールの全人口に相当します。」と語り、パレスチナ人が今日置かれている状況を強調した。

Pierre Krähenbühl Assumes Post as UNRWA Commissioner-General・UNRWA
Pierre Krähenbühl Assumes Post as UNRWA Commissioner-General・UNRWA

クレヘンビュール事務局長は、世界市民教育について説明する中で、「今日パレスチナ難民は多くの局面において生存上の危機に直面しています。」と指摘したうえで、「パレスチナ占領は50年にも及ぼうとしています。ガザ地区でパレスチナ難民になるということは、生活のあらゆる側面に影響を及ぼす(イスラエル軍による)封鎖の犠牲者になるということであり、教育を受け自立したいと願う一方で食料援助に依存しなくてはならないことを意味します。」と語った。

「UNRWAは、時折、(パレスチナ人を)難民という立場に永続化させる手助けをしているという批判を受けることがあります。現実には、パキスタンのペシャワール難民キャンプに収容されているアフガニスタン人難民の子どもは、これから35年経っても、おそらく難民のままでしょう。しかし、パレスチナ人とアフガニスタン人では、置かれている境遇について一つの大きな違いがあります。アフガニスタン人の家族が故郷に帰ろうとすれば、そこにはアフガニスタンという独立国があるが、パレスチナ難民の場合は、帰るべき独立した祖国がないのです。」

「彼らが孤立し、排除され、追い立てられている状況は、中東地域にとって時限爆弾であり、(国際社会は)パレスチナ人の尊厳と権利が剥奪されている問題に取り組んでいかなければなりません。」とクレヘンビュール事務局長は付け加えた。

クレヘンビュール事務局長が指摘するように、創立65周年を迎えるUNRWAの歩みを振り返ることは、ホストやドナーの支援を得ながら、そして難民たち自身によって数十年の間に勝ち取られてきた成果を見直すことを意味する。

クレヘンビュール事務局長は、UNRWAの最も緊密なパートナーですら、その支援によってUNRWAが中東における人間開発の最も顕著なダイナミズムの一つに貢献してきたという事実を過小評価していると述べ、複雑な状況を理解させ世界市民性を喚起することに貢献した。

UNRWA

「私たちが提供している保健や教育の水準は中東で最高レベルのものです。UNRWAによって50万人の児童を対象に700の学校が運営されており、2万2000人のスタッフが従事しています…。これはサンフランシスコ市で提供されている教育規模に等しいものですが、戦争や占領、封鎖を経験している場所で行われていることなのです。また、UNRWAによって4000人のスタッフが勤務する131の診療所が運営されており、年間300万人の患者を診ています。」と、クレヘンビュール事務局長は語った。

「UNRWAは、あらゆる困難をものともせず、パレスチナ難民の能力と機会の開発に投資してきました。つまり世界の多くの国がパレスチナ人を羨むほどの人的資源を育んでいるのです。もっともパレスチナ人は、自分たちの独立国をもっているということで、他国の人びとを羨んでいるかもしれませんが。」

「欧州開発デー」開催中に具体的に世界市民をテーマとした討論会は2つだけだったが、6月4日と5日の2日間に亘って開催された様々なイベントにおいても、世界市民の精神を促進しようとする内容のものが多くみられた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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「核兵器なき世界」の理想は失われない

【ベルリン/ニューヨークIDN=ジャムシェッド・バルーア】

今年8月に迎える広島・長崎への原爆投下70周年は、核兵器を禁止する法的拘束力のある条約策定に向けた交渉を開始する適切な機会となるだろう。専門家らによれば、これは、4週間にわたって開かれたが成果文書を採択できずに5月22日に終了した国連の会議で出された明確なメッセージである。

2015年核不拡散条約(NPT)運用検討会議では、実質的な成果に関してコンセンサスを得られなかった。これに関して国連の潘基文事務総長は「失望」を表明したが、これは広く共有されている見方だろう。

Austrian Chancellor Sebastian Kurz/  Készítette: Kremlin.ru, CC BY 4.0
Austrian Chancellor Sebastian Kurz/ Készítette: Kremlin.ru, CC BY 4.0

しかし、2015年NPT運用検討会議ではプラスの成果が2つあった。一つは、オーストリアが提起し(会議前の70ヵ国から会議終了までに)107か国が賛同した、核兵器の禁止と廃絶に向けた法的ギャップを埋めることを約束した「人道の誓約(=オーストリアの誓約を改称)」であり、もう一つは、「核兵器なき世界」に向けたステップを促進するために包括的核兵器禁止条約機構準備委員会(CTBTO:本部ウィーン)のもつ重要な役割が認識されたことである。

米国や英国、カナダが主張するように、今回のNPT運用検討会議は中東非核地帯創設に関する国際会議の開催に関して合意が得られなかったことだけが理由で決裂したのではない。また成果文書草案は、軍縮に関しても著しく欠陥のあるものだと見做されていた。

国連事務総長の報道官は5月23日に出した声明で、潘事務総長が「会議の参加国が核軍縮の未来に向けて歩み寄ることができなかったこと、また、中東地域の非核化の実現およびその他の大量破壊兵器について新たな合意に至らなかったことに失望している。」と語った。

潘事務総長は同時に、核軍縮に向けた新たな取り組みや核不拡散を強化するための努力など、過去5年間で築き上げてきた機運を維持するようすべての加盟国に求めている。

「中東に関しては、非核地帯創設に向けて必要となる包括的な地域対話を促進、維持するための事務総長自らの努力を惜しみません。」と報道官は語った。

この提案がどれほど有益なものであるかは、まだわからない。ローズ・ゴットモーラー米国務次官(軍備管理・国際安全保障)は、中東非大量破壊兵器地帯創設に関する会議の招集に期限を設けるべきだとのエジプトの要求は「非現実的で、機能しない」と述べている。この会議は、前回の2010年NPT運用検討会議で、2012年までに開催するよう定められていたものだ。

潘事務総長は、核兵器使用の壊滅的な人道的帰結に対する関心が高まることで、核兵器禁止・廃絶に導く効果的な措置に向けた緊急の行動につながればよいと考えている。

事務総長発言は、4月27日から5月22日までニューヨークで開催されたNPT運用検討会議における意見の不一致の中心にある基本的な問題に触れたものだ。1970年に発効し191か国の加盟国をもつNPTは不拡散体制の要だとみられているにも関わらず、今回は合意が得られなかった。

NPTは、核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用という相互に強化しあう3本柱を抱え、核兵器拡散の防止に関する国際協力の基礎をなしている。しかし、英国、フランス、ロシア、中国、米国の5つの公式核保有国は、核軍縮に関して十分に行動していないとして非難に晒されている。

巻き戻し

オープン・デモクラシー」におけるエリザベス・マイナー氏の分析によると、成果文書草案には、核保有国やその同盟国による何らかの意義のある誓約は含まれていなかったという。

「実際、安全保障ドクトリンにおける核兵器の役割の低減といったような多くの領域において、2010年になされた軍縮に関する約束の多くが巻き戻され、草案からは削除されていました。しかも草案には、国連は常に民主的な投票手続きを踏んで運営されてきたにも関わらず、国連での核軍縮に関する作業は全会一致方式でなされねばならないと示唆する内容までありました。」

「全体として、草案はNPT上の5つの核保有国(英国、フランス、ロシア、中国、米国)とその同盟国の意向を強く反映し、核軍縮に関してはほとんど行動がなされない一方で核戦力の近代化が進む現状を是認するものでした。」とマイナー氏は語った。

米科学者連盟(FAS)はこう述べている。「冷戦終結から20年以上経った現在、世界の核弾頭数合計は約1万5700発と、依然として高いレベルを保っている。この中で作戦上の地位に置かれているとみられるのは4100発で、そのうち、米ロ両国の1800発が、わずかな事前通告時間で使用可能な即発射態勢に置かれている」。

ほとんどの核弾頭が、1945年の日本に落とされた原爆よりもあるかに強力である。たった一発の核弾頭でも、大都市の上に落とされたならば、数百万人の命を奪い、数十年に及ぶ影響を残しかねない、と専門家は指摘している。

「冷戦期に比べて、米国・ロシア・フランス・英国の核戦力はかなり削減されてはいるが、すべての核保有国が残りの核戦力を近代化し、核兵器を無限に保有しつづけようとしているかにみえる」とFASは述べている。

憂慮する科学者同盟」のスティーブン・ヤング氏によると、オバマ政権は、核弾頭とそれを運搬するミサイル・爆撃機・潜水艦をふくめた核戦力全体を再構築する計画を持っている。議会予算局の推計によると、2015年からの10年間でこの計画遂行にかかる費用は3480億ドル。議会が任命する国家防衛パネルは、30年間にかかる費用は1兆ドルに及ぶ可能性があると指摘している。

米国がエジプトを非難する一方で、中東諸国は、NPTに加盟していない核保有国イスラエルの利益が、NPT加盟国の利益よりも優先されてきたと憤りを表明した。「イスラエルのネタニヤフ首相が、中東非核化に関するエジプト提案の阻止に成功したことを米国・英国・カナダ政府に感謝していると伝えられ、中東諸国からの批判が高まった」とレベッカ・ジョンソン氏は記している。

反民主的で不透明

リーチング・クリティカル・ウィル」(RCW)によれば、「NPT運用検討会議成果文書の策定プロセスは反民主的で不透明なものだったという。例えば、東南アジア諸国連合(ASEAN)など一部の代表団からは、プロセスから排除されているとの不満の声が漏れていた。南アフリカ共和国などは、たとえ筋が通らない場面でも一部の国が状況をコントロールする『少数の国々による支配』の場にNPTが堕してしまったと批判していた。」

RCWはまた、地域を横断する47か国がオーストリアの発表した声明で述べたところでは、NPT運用検討会議における議論とその中で出てきた文書草案は「核兵器の受け入れがたい人道的帰結に関して行動する緊急性」を示したものであったが、「法的ギャップを埋める点での確実な前進をもたらすには程遠いもの」であった、と指摘している。

世界の国々(そしてNPT加盟国)の過半数にあたる107か国が、オーストリアが主導した「人道の誓約」に賛同することによって、この法的ギャップに着目し、それを埋めることを約束した。これらの国々は、核保有国の安全保障上の懸念と同じく非核保有国の安全保障上の懸念についても考慮に入れるよう要求するなど、新たなグループとしての存在感を示した。

レイ・アチソン氏が代表を務めるRCWは、これらの国家(そしてNPT運用検討会議後に「人道の誓約」に賛同した国家)は、核兵器を禁止する法的拘束力のある条約策定に向けた新たなプロセスへの基礎として、この誓約を利用すべきだ、との考えだ。

核兵器禁止条約(NWC)こそが、核軍縮にコミットする国家が採るべきもっとも実行可能性の高い方策であるという点で、識者らはアチソン氏と認識を共有している。「2015NPT運用検討会議の経緯は、核兵器国やその同盟国に(核軍縮に向けた)リーダーシップや行動をおこすことを期待しても無駄だということを明白に示すものだった。」

オーストリアとともに「人道の誓約」を提起した47か国が注目したように、「この運用検討サイクルを通じて行われてきた様々な意見交換を見てきて明らかになったことは、核軍縮がいったい何を意味するのかということについて、多くの基本的な側面で大きな意見の相違があるということ、すなわち、現実のギャップ、信頼性のギャップ、信用のギャップ、モラルのギャップが存在するということである。」

これらのギャップは、核兵器を絶対悪とみなし、禁止し、廃絶する断固とした行動によって埋めることができる。この点について、コスタリカの政府代表は、「歴史は勇者のみを称賛するものです。」と指摘したうえで、「今こそ、来たるべきもの、すなわち、私たちが望み、私たちに値すると考える世界のために、動くべき時なのです。」と訴えた。

RCWは、「核兵器を拒絶する国々は、核兵器保有国抜きでも前進し、世界を牛耳ろうともくろむ暴力的な少数の国々から世界を取り戻し、人間の安全保障とグローバル正義の新たな現実を作り出すという信念を持たねばなりません。」と訴えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ソウルIDN=シン・ミー】

ニューヨークで9月に開かれる国連ハイレベルサミットに向けて国連が韓国の仁川(インチョン)で開催した会議で、教育への新しいビジョンの必要性に焦点があてられた。国連は、2030年までに、全ての人に対し平等で良質の教育と生涯学習機会を保証することによって世界市民を育成することを目指している。

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が、ユニセフ(国連児童基金)、UNDP(国連開発計画)、UNFPA(国連人口基金)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、UN Women(国連ウィメン)、世界銀行と共同で開催した「第3回世界教育フォーラム」(5月19日~22日)で採択された、ポスト2015の教育目標の方針を定めた「仁川宣言」は、130か国の教育担当の政府高官や、市民団体、青年組織、学識経験者など、世界の教育界から歓迎された。

Irina Bokova/ UNESCO/Michel Ravassard - UNESCO - with a permission for CC-BY-SA 3.0
Irina Bokova/ UNESCO/Michel Ravassard – UNESCO – with a permission for CC-BY-SA 3.0

フォーラムの閉会にあたって登壇したユネスコのイリナ・ボコヴァ事務局長は、「この宣言は大きな一歩です。」と指摘したうえで、「尊厳を持って生き、潜在能力を発揮し、責任ある世界市民として社会に貢献するために必要な知識とスキルを、全ての子どもと青年が得るようにしようとの決意が、この宣言には反映されています。生涯を通じて学習の機会を提供するよう諸政府に求めることで、人々が成長し発達し続けることができるようにしています。また、教育が世界の平和と持続可能な開発の鍵を握るとの認識をこの宣言は示しています。」と語った。

仁川宣言は、1990年にジョムティエン(タイ)で開催された「万人のための教育世界会議」で採択され次いで2000年にダカール(セネガル)で開催された「(第2回)世界教育フォーラム」で再合意された教育分野の国際的開発アジェンダ「『万人のための教育』ダカール行動枠組み(Education for All: EFA)」を基盤としている。EFAの6つの目標と、教育に関するミレニアム開発目標(MDG)は大きな前進をもらしたが、一方で、初等教育の完全普及など、その目標の多くは未だ実現されていない。

現在、5800万人の子どもが初等教育のかやの外におり、そのほとんどが女児である。さらに、2億5000万人の子どもが、その半数が学校で少なくとも4年以上は学習しているにも関わらず、読み書きができずにいる。識者らは、「仁川宣言は、(2030年までに)野心的なEFAやMDGsを完遂させなければならない。」と主張した。

“Anthony Lake 0c175 7741” by Janwikifoto – Janwikifoto. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ

「この世代の子どもたちが、今日の世界を支配している不平等と不正義をいつかなくそうとするならば、全ての子どもたちに公平な学習の機会を与えねばなりません。これが私たちの共通のビジョンとコミットメントであるべきです。」と国際連合児童基金(ユニセフ)アンソニー・レイク事務局長は語った。

仁川宣言は、今年末までに各国政府が採択することになっているロードマップ「教育2030行動枠組み」を通じて実行されることとなっている。説明責任、透明性、参加型ガバナンスの原則を基礎にして、教育の効果的な法的・政策的枠組みに関する指針を示すものである。

ユネスコによれば、「教育2030行動枠組み」の効果的な実施には、地域内での強力な調整と、教育に関する厳格な監視・評価を必要とする。また、とりわけ、包摂的で質の良い教育を提供するには程遠い状況にある国々に対するさらなる資金拠出を必要とする。

さらなる資金

仁川宣言は、国連総会のオープン・ワーキング・グループによる「持続可能な開発(SDG)第4目標」に盛り込まれている内容は、とりわけ、全てのレベルにおいて万人のための良質な教育を達成するのに程遠い国においては、ポイントを絞った大幅な資金の増額なしには実現しないと指摘している。

「従って私たちは、各国の文脈に従って教育に対する公的資金を増額し、少なくとも国内総生産の4~6%、あるいは公的支出総額の15~20%を教育に効率的に振り向けるという国際的・地域的な目標を達成する決意である。」と仁川宣言は述べている。

同宣言は、政府による投資を補完する開発協力の重要性に留意し、先進国や、旧来及び新興のドナー国、中所得国、国際金融機関に対して、教育への投資を増やし、各国のニーズと優先事項に従った目標履行の支援を行うよう求めた。

同宣言はまた、「途上国への政府開発援助(ODA)に国民総生産(GNP)の0.7%を割り当てるとの多数の先進国による約束を含め、ODAに関連した全ての約束を履行することが重要である」と強調している。

こうした約束に従って、第3回世界教育フォーラムは、GNP0.7%を途上国向けODAに割り当てるという目標を未達成の国に対して、より具体的な努力をするように求めた。本フォーラムはまた、最貧国への支援を増やすよう誓約した。

仁川宣言はさらに、教育への権利を支えるために可能な限り多くの資源を振り向けることの重要性を指摘している。さらなる調整と調和を通じて援助の効果を増し、無視されている下位セクターと低所得国への資金供与と援助に優先順位を与えることを推奨している。

韓国が今回「世界教育フォーラム」を主催したのは驚くに当たらない。韓国は、ユネスコのEFA(万人のための教育)運営委員会を構成する20か国のメンバーであり、国連の「グローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)」や「教育のためのグローバルパートナーシップ(GPE)」などのグローバル教育キャンペーンに参加することで、この数年間、世界的に実績を伸ばしてきた。

「第3回世界教育フォーラム」に先立って、韓国のキム・ジェチュン教育副大臣はこのフォーラムの重要性を強調して、「全てが互いに関連している今日の世界では、グローバルな目線で考え行動できる人がより多く成功の機会を手にすることができます。そうした才能を育てていくことが向こう15年間における私たちの目標です。」と語った。

「世界的な視野を持つことが、自分の国を愛すべきではないということを意味するわけではありません。一方、国民を統合する手段として国家主義的な教育にばかり注目するのは、時代遅れです。」とキム副大臣は『コリアン・タイムズ』紙の取材に対して語っている。

仁川宣言には、「私たちのビジョンは、教育を通じて生活を変えることであり、開発の主要な手段としての教育、そして提案されている他の持続可能な開発目標(SDG)の達成における教育の役割を認識するものです。」と記されており、まさにこうした見方を強調している。

ジェンダー平等

仁川宣言にはまた、全ての人々が教育を受ける権利を達成するうえで、ジェンダー平等が重要だとして、「私たちは、ジェンダーに敏感な政策・計画・学習環境や、教師の訓練やカリキュラムにおけるジェンダー問題の主流化、学校でのジェンダーに基づく差別や暴力の根絶という目標にコミットする。」と記されている。

さらに仁川宣言は、「今日、学校に通っていない世界の人々の大部分が紛争地帯に暮らしており、教育機関の危機や教育施設への暴力や攻撃、自然災害、伝染病が、教育や開発を世界的に妨げていることに重大な懸念を抱いている」と指摘したうえで、世界市民育成の必要性を明確に強調している。

Global Education First Initiative
Global Education First Initiative

従って「第3回世界教育フォーラム」に参加した各国政府は、国内避難民や難民を含むこうした文脈の下にある子どもや青年、成人のニーズに応える、より包摂的で応答的、強靭な教育システムを構築していくことを誓約した。

また参加者らは、暴力を受けずに、支援を得ることができ、安全が確保された学習環境で教育が提供される必要性を強調した。また、緊急時の対応から復興・再建段階までの十分な危機対応、国家・地域・グローバルレベルでの対応のさらなる調整、紛争や緊急事態、紛争後、復興初期においても教育が維持されるよう、包括的なリスク削減・軽減をする能力を開発するよう勧告した。

また仁川宣言には、長期にわたる人道上の危機においても、教育への支援を拡大するよう勧告している。宣言には、「私たちは『開発のための教育に関するオスロサミット』(2015年7月)を歓迎し、エチオピアの首都アジスアベバで開催予定の開発金融会議に対して、提案されている持続可能な開発(SDG)第4目標を支持するよう呼びかける。」と記されている。

翻訳=IPS Japan

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【ブエノスアイレスIPS=ファビーナ・フライシネット】

アルゼンチンは肥沃な土地に恵まれているにもかかわらず、経済破綻の影響で数百万世帯が十分な食料を確保できないでいる。こうした中、ウエルタ・ニーニョプロジェクトでは、低所得者が大半を占める地方の小学校を対象に、敷地内に有機農作物の菜園を作り、子どもたちに飢えと闘うための食物栽培の方法を教えながら健康的な食習慣を指導する活動を展開している。

ヘネラル・アルバラード市のマル・デルスール地区にあるラ・ディヴィナ・パストラ校では平日学校で給食をとる105人の児童のうち、8割が貧しい家庭の出身だ。

「児童の1割は出生まもなく、なかには授乳期や母親の胎内にいる時期から、栄養失調の状態を経験してきています。虫歯の原因となり発育にも支障をきたすカルシウム不足の状態にある児童たちもいます。」とリタ・ダレチョン校長はIPSの取材に対して語った。

首都ブエノスアイレスから南西500キロの地にあるこの小学校には、(義務教育10年間の対象者である)6歳から14歳の子どもたちに加えて、2・3歳年上の数人の留年組が通っている。

この学校の児童たちはブエノスアイレス州の農村や中規模都市で暮らしている。しかし子どもたちの大半は農業に親しむ経験を持たず、農業や農機具に関する知識もないまま育った。

「歴史的に農村地帯だった場所に暮らしていながら、子どもたちは土地の活用方法を知らないのです。子どもたちは空腹になれば、手の中にある種が食料の供給源になりうるということを知らないのです。」と、ウエルタ・ニーニョ財団でジェネラル・コーディネーターを務めているバーバーラ・クス氏は語った。

実業家のフェデリコ・ロベルト氏が1999年に創立したこの非営利団体は、地方の学校に通う児童たちの空腹感を軽減する手助けをすることを目指している。

ロベルト氏がこのプロジェクトを着想したきっかけは、若い頃にアルゼンチンの田舎を旅していた時に出会ったある教師の言葉だった。その教師は、「子どもたちは、空腹を紛らわすために口にした蜜柑(みかん)の葉以外は何も食べておらず、勉強ができる状態ではないのです。」と指摘したうえで、「世界の数百万もの人々に膨大な食料を輸出している国にあって、こうした現状は実に『悲しいパラドックス』と言わざるを得ません。」と語ったという。

プロジェクトでは現在、ラ・ディヴィナ・パストラ校のような低所得者層が暮らす地域にある270の小学校の校内に菜園を作っており、約20,000人の子どもたちがこの恩恵を受けている。子どもたちが育てた野菜や果物は、学校給食として子どもたちに提供されている。

「このプロジェクトは、手に届く範囲の自然環境を活かしながら子どもたちと協力して健康によい食物を普及することができるという本当に素晴らしい機会を提供してくれています。」とダレチョン校長は語った。

国民健康栄養調査によると、アルゼンチンでは35%の子どもたちが「基本的ニーズが満たされていない」世帯に暮らしている。そのうち、種々の社会福祉プログラムを通じて食糧支援を得ていたのは僅か53%にすぎない。

A boy leans against bags of onions at a farm in the town of Arraga in the northwest province of Santiago del Estero, one of the poorest parts of the country, where the main economic activity is agriculture. Credit: Fabiana Frayssinet/IPS
A boy leans against bags of onions at a farm in the town of Arraga in the northwest province of Santiago del Estero, one of the poorest parts of the country, where the main economic activity is agriculture. Credit: Fabiana Frayssinet/IPS

アルゼンチンで、貧困ライン以下で生活している子どもたちの割合が最も高い地域は、北東部(77%)と北西部(75.7%)である。

「深刻な栄養失調状態にある子どもたちは、病気に罹りやすく、一生後遺症が残る発育不全に苦しむことになります。」とクス氏は語った。

ウエルタ・ニーニョプロジェクトでは、「ただ人々に食料を施すのではなく、人々に自らの食料の作り方を教えるプロジェクト」というスローガンのもとで、こうした栄養失調の問題に取り組んでいる。

クス氏は、「ウエルタ・ニーニョ財団が各々の学校に関与する期間はおよそ1年程度ですが、プロジェクトが子どもたちにもたらすインパクトは一生にわたるものとなります。」と語った。

プロジェクトはまず、5000㎡程度の土地にフェンスを張り巡らせる作業から始まる。

「私たちはこの際、どうしてフェンスをきちんと維持管理する必要があるのか、犬やその他の動物が菜園に入るとなぜ健康に悪影響が及ぶのかを子どもたちに説明しています。子どもたちは、堆肥は肥料になるが、犬の糞はそうはならないことを学ぶのです。」とクス氏は語った。

次に生徒、両親、教師とともに会合を持ち、菜園予定地の気候や土壌、水利状況等に応じで必要なものを特定します。

続いて、植え付けのための土づくりに移ります。ここでは生徒たちが作物の植え付けと収穫の方法を学ぶとともに、1年に2度の種蒔期のサイクル(秋から夜と春から夏)について学びます。

「私たちは頃合いを見ながら、やるべき作業を少しずつ説明することにしています。なぜなら、トマトが赤く実りレタスがしっかりと育った光景を見るのは素晴らしいことですが、例えば、レタスをどのように収穫すべきでしょうか?葉の部分だけを採るべきでしょうか?それとも根っこから引き抜くべきでしょうか?もう一度同じスペースでレタスを育てるべきでしょうか?それとも次のシーズンを待つべきでしょうか?」とクスさんは語った。

ウエルタ・ニーニョプロジェクトは、教育省の後援と国立農業技術研究所が運営する「貧困人口向け食糧安全保障プログラム(Pro-Huerta)」から技術支援と種子の提供を受けている。

プロジェクトでは、個人、企業、団体からの寄付をもとに、児童向けに改良された農機具や種子、苗木、さらに風車や灌漑システムの建設費用など、各支援対象の学校あたり約4500ドルを支出している。

クス氏によると、プロジェクトを持続可能なものにしていくためには、地元コミュニティーの参加が不可欠だと言う。

「菜園を維持していくには注意が必要です。つまり、害虫駆除や灌漑、雑草の除去、作物の輪作を怠れば、たちまち不毛な土地になってしまいます。厳しい食糧事情に直面している児童たちにとって、こうした失敗は最も避けたい事態です。」とクス氏は語った。

プロジェクトでは、例えば、虫を寄せ付けないように香りのする花を植えるなど、有機肥料や殺虫剤を使用した農業生態学の理論に沿った菜園の運営を心掛けている。

また校内の菜園では、周辺地域で度々散布されている化学農薬は使用しないようにしている。

「児童たちには、菜園で育っているトマトは街のスーパーマーケットで見かけるものほど大きくないかもしれないが、より真っ赤に熟し味わい深いものが収穫できると教えています。」とクス氏は語った

また菜園は、算数(菜園の耕作面積の計算)、自然科学から読み書き(説明書の利用)まで、教育カリキュラムの一部を構成している。

「一種の青空教室といっていいでしょう。本から学ぶよりも、自ら汗をかいた経験から学ぶ方がずっと身に付くものです。」とダレチョン校長は語った。

こうしてラ・ディヴィナ・パストラ校で菜園経営を学んだ児童の中には、家庭やコミュニティーに菜園を作ったり、卒業後農業専門学校に進学するものもいる。

またプロジェクトでは、健康な食習慣についても児童たちに指導を行っているが、これにはそれなりの工夫が必要だという。

「赤大根は、見た目にも体にもいいのですが、子どもたちは一咬みすると吐き出してしまうのです。子どもたちはジャンクフードで育った世代ですから、赤大根と分からないようにタルトやパイの生地に混ぜたりひき肉と調理して味を分からなくさせたりするなど、工夫を凝らしています。」

貧しい人々が多く暮らすブエノスアイレスから遠く離れた僻地や中規模都市にある学校では、中には、このプロジェクトで作られた学校菜園に興味をもった子どもたちが以前より校内に長く留まるようになり、児童が巻き込まれる犯罪率を抑え、退学者の数も減少させる成果をあげているところも出てきている。

国連食糧農業機関(FAO)のウラジミール・ヴェルテ氏はIPSの取材に対して「学校をベースに広がる有機菜園は、子どもたちの食生活や食習慣を改善し、飢えと闘ううえで『極めて重要な』役割を果たしています。またこうした菜園は、学習プロセスを強化し、団結、協力、共同作業といった価値観を涵養する教育ツールとしても機能しています。」と語った。

「子どもたちは、きちんと食事をとる必要があるというだけではなく、健康な食生活や自身の食料の育て方について学ばねばなりません。」

「菜園はコミュニティー全体にとっても、世帯主が家族の食料を育てるために必要な技術を習得できる教育的な訓練スペースになり得ます。菜園からの恩恵は、果物や野菜の収穫を通じて具体的に実感することができます。」

「私たちは単に食料を提供しているのではありません。私たちは、自らの手で触れることができる様々な価値を提供しているのです。児童らの栄養と自立を助けるこの活動が益々広がってほしいと思っています。」とヴェルデ氏は語った。(原文へ

IPS Japan

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