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娘が日本に運ぶケネディの平和の灯

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【東京IDN=浅霧勝浩】

キャロライン・ケネディ氏が1945年8月6日の米軍による史上初の原爆投下で14万人が犠牲になった広島市を叔父の故エドワード・ケネディ上院議員に同行して訪れたのは、若干20才の時であった。彼女は、駐日大使指名承認のための上院外交委員会公聴会で、広島平和記念資料館に立ち寄った1978年の被爆地訪問で深く心を動かされたと述べた。

ケネディ氏は11月12日の駐日大使就任前に日本国民に送ったビデオ・メッセージの中で、広島訪問で「よりよい平和な世界の実現に貢献したいと切に願うようになりました。」と語った。

50年前の11月にダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の唯一の存命する娘であるキャロライン・ケネディ氏は、駐日大使として東京に着任してからひと月もしないうちに、1945年8月9日に(広島に続いて)米国の原爆投下を受けた長崎市を訪問した。

ケネディ大使は長崎市からの招待でハナミズキの植樹式に出席した。これは日本が友好のシンボルとして米国に3000本の桜を寄贈してから今年が100年目となることを記念して米国が日本に寄贈した3000本のハナミズキ(花言葉「返礼」)の一部で、式典は長崎への原爆投下によって亡くなった7万3000人(当時の人口26万3000人の4分の1以上にあたる)が記念されている平和公園で行われた。平和公園で紹介されている数字によると、原爆投下によって約7万5000人が負傷し、数十万人が放射線被ばくによって様々な健康被害を受けた。

Dogwood/ Public Domain

植樹式でケネディ大使は、「私はここを訪れて非常に心を揺り動かされました。そして、父のケネディ大統領が核軍縮プロセスを開始したことを非常に誇りに思っていたこと、私たち家族も全員同じ責任を共有していることが改めて思い出されます。」と述べ、さらに、「バラク・オバマ大統領もその目的に向かい、一生懸命尽力しています。」と付け加えた。

先の11月27日、ケネディ大使は、在日米国商工会議所と日米協会が東京で開いた歓迎昼食会で行った講演の中で、「父・ケネディ大統領は困難な時期に日米関係の強化に熱心に取り組みました。現職大統領として初の訪日を果たすことが父の望みであったと母から何度も聞かされました。」と語った。

さらにケネディ大使は、「子ども心にも大変印象深かったのは、父の乗組んだPTボート(米国が第二次世界大戦時に配備した哨戒魚雷艇)が日本の駆逐艦によって撃沈されたにもかかわらず、わずか15年後に行われた父の大統領就任式にその艦長を招待したことを父が誇らしく思っており、将来日本を公式訪問するときに、米国の魚雷艇と日本の駆逐艦の当時の乗組員たちが再会できるかもしれないと心を躍らせていたことです。」「この話は、より大きな日米関係を示す素晴らしいエピソードであり、私たちを分裂させる要因ではなく団結させる要因に注目すれば、また過去ではなく未来に目を向ければ、必ずより良い世界を創造できることを改めて思い起こさせてくれます。」と語った。

U.S. National Archives and Records Administration
U.S. National Archives and Records Administration

被爆者と平和活動家らは、原爆が投下された2つの日本の都市を米大統領に訪問してもらいたいと繰り返し訴えてきた。ある平和活動家は「オバマ大統領が私たちの呼びかけに応えてくれるといいのだが。」と語った。

ケネディ大使は、田上富久・長崎市長や市関係者らとともに長崎原爆資料館を訪れ、芳名録に記帳した。また、土山秀夫・長崎大学元学長や、日本赤十字社長崎原爆病院の朝長万佐男院長をはじめとした被爆者にも面会した。その際ケネディ大使は、「核軍縮に向けてさらに努力すべきだと感じた。」と語ったと報じられている。

ケネディ大使の長崎訪問には、原爆で倒壊し第二次大戦後に再建された浦上天主堂も含まれていた。平和公園では、恒久平和への希望を象徴している平和祈念像前で献花し、犠牲者の冥福を祈った。

長崎市によると、ケネディ大使は長崎市を訪問した5人目の駐日米国大使にあたる。前任者のジョン・ルース氏は、米国大使としては初めて、広島・長崎両市で原爆犠牲者慰霊のための式典に出席している。

「長崎アピール」

ケネディ大使を案内した長崎市の田上市長は、今年8月9日の長崎平和宣言でこう述べている。「核兵器保有国には、NPT(核不拡散条約)の中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。2009年4月、米国のオバマ大統領はプラハで『核兵器のない世界』を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、『核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない』と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。長崎市は、オバマ大統領の姿勢を支持します。」

田上市長は「世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上が米国とロシアのものです」と遺憾の意を示したうえで、「オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。『核兵器のない世界』を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。」と語った。

キャロライン・ケネディ氏が駐日大使に着任する1週間ほど前、長崎市では、11月2日から4日にかけて「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開催された。長崎市民は、2000年以来数年ごとに、このような地球市民集会を開催しつづけている。

会議の参加者は、国内外の非政府組織(NGO)関係者や科学者らである。参加者は、被爆者の体験談や、生きているうちに核兵器廃絶を実現してほしいという彼らの心からの叫びに耳を傾けた。また、核兵器なき世界を実現し維持する責任を引き受けようとする若い世代による希望に満ちた声にも耳を傾けた。

長崎市からの招請で第1回集会から参加している著名なゲストのひとりに「核時代平和財団」のデイビッド・クリーガー所長がいる。クリーガー所長は、これまで発表された全ての「長崎アピール」の起草プロセスに関わってきた。

クリーガー所長は、長崎アピール2013の注目点は、以下のような具体的な呼びかけをしていることだとIDNの取材に対して語った。①核兵器の全面禁止・廃絶に向かう外交交渉の開始、②米ロによる単独あるいは二国間での核軍縮措置、③全ての国の安全保障政策における核兵器への依存低減、④核廃絶キャンペーンへの市民の一層の参加奨励、⑤新たな非核兵器地帯の創設、⑥福島第一原発事故の被災者への支援、⑦人類が核兵器と同じく核エネルギーにも依存し続けることはできないという教訓を学ぶ。

北東アジア非核兵器地帯

またクリーガー所長は、今回の長崎アピールでは、世界唯一の戦争被爆国として日本が負うべき義務として次のような具体的な勧告をしている。つまり、「①米国の核の傘から脱却すること、②北東アジア非核兵器地帯創設に向けたリーダーシップをとること、③核兵器廃絶に向けたリーダーシップをとること、④福島の放射能危機を制御するにあたって国際支援を求め歓迎すること」である。

アピールはまた、日本の532自治体の首長が北東アジア非核兵器地帯への支持を表明していることを指摘した。日韓の超党派の国会議員83人からは2010年7月22日の共同声明でも支持を得ている。また今年9月には、モンゴル大統領が、北東アジアの非核兵器地帯を積極的に支援する意向を国連総会で表明している。

またアピールは、日本がリーダーシップを発揮するために、2014年4月に広島で開催される軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI外相会合の場を活用すべきだと述べている。また、2016年に日本で開催される主要国首脳会議に参加する政治指導者と政府関係者が被爆地広島・長崎を訪問するよう働きかけるべきだとも述べている。

地球市民集会ナガサキの参加者らはさらに、「核兵器のない世界の実現のための努力を一層強める」ことを誓い、「ナガサキを最後の被爆地に」と訴えた。クリーガー所長は、これは、人類と未来にとって必要な目標だと指摘するとともに、「これは、核時代に地球上に生きる我々すべてが直面している難題です。長崎はその道を切り開く役割を果たしています。成功するために我々の声と努力が必要なのです」と述べている。

ケネディ大使が言うように「変化には努力が必要」で「忍耐が必要」なものであるから、11月の「長崎アピール2013」が指摘するように、地球上に依然として1万7300発の核弾頭が存在し人類と地球上のほとんどの生命の生存そのものを何度でも破壊しかねないなか、ケネディ大使の平和と軍縮への誓約を実現するには、きわめて多くのことがなされねばならないだろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【ドバイWAM】

ドバイのフセイン・ナセル・ルータハ市長は、「市当局は2020年までにドバイを世界で最も持続可能な都市トップ10へと変貌させるべく、開発目標と戦略ビジョンに沿ったグリーンビル条例や関連法規を遂行していきます。」と語った。

このコメントは市長が2020年に開催予定のドバイ万博に向けた準備計画について語った際のものである。ルータハ市長は、「私たちには、『ドバイ万博を通じて世界中の人の心を繋いで、素晴らしい未来を創る』とした国際社会に対する公約を実行に移す義務があります。今日、万博開催までのドバイの一挙手一投足に世界の目が向けられているのです。」と述べるとともに、「今日のドバイの繁栄と進行中の各種開発プロジェクトを見ても明らかなように、指導者による将来を見据えたビジョンと諸計画が評価され、ドバイは万博をホストする機会を勝ち取りました。市当局は、グリーンイニシアチブを研究・実施する持続可能性特別委員会を組織するなど、世界最高水準の持続可能な都市構築にむけた取り組みを開始しています。」と語った。

モハメド・ヌール・マッシュルーム事業局長は、「全ての新規プロジェクトに対してグリーンビル関連条例を厳格に適用し、市当局が管理する諸施設(街灯・公共の文化施設・駐車場・公園・家屋・商業施設・歩道など)の消費電力を大幅に節減すべく、旧システムから新システムへの入れ替え作業を進めています。」と指摘したうえで、「太陽光発電システムを導入することで、歴史的建造物や市内の主な建物に対する照明サービスを向上できるほか、公園や歩道の夜間使用がより便利になり、道路や交差点の照明環境も改善されます、市当局としては、こうした取り組みを通じて、夜間も安全で安心できる環境を提供したいと考えています。」と語った。

事業局ではこれまでに以下の施設において太陽光発電システムへの転換を完了している。ハムダン・スポーツコンプレックス、アル・ムシュリフ公園、アル・バーシャ第二池公園、アル・サフーク公園、アル・ワルカ第二近隣公園、ポート・サイード・プラザ、アル・ワルカ第3コミュニティ施設、アル・アウィール公園、レバフ CF、ハッタCF、ナズワCF。

ジュマ・カリファ・アル・フカエ営繕局長は、「市が管理する諸施設の照明を新たにLED技術を用いたものに変換する作業を進めており、最終的には55%のエネルギー消費削減を目指しています。ドバイ市はこのイニシアチブによって環境保全、エネルギー消費削減、経費削減を同時に実現しており、世界トップクラスの持続可能な都市作り戦略を前進させています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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ランペドゥーザという名のアフリカ人にとっての夢

【トリポリIPS=カルロス・ズルトゥザ】

ナイジェリア出身のユーセフ(28)さんは、ポケットに折りたたんだ欧州の地図を入れてサハラ砂漠を横断してきた。「この地図でランペドゥーザがどこだか指さしてもらえますか? 私にはわからないのです。」と語った。

ランペドゥーザとは、ここリビアの首都トリポリの北西600キロに位置するイタリア領の島の名前である。ユーセフさんは、このランペドゥーザ島にいつか辿り着くことを目指して、ナイジェリアの首都アブジャから過酷な道のりを経てリビアへとやってきたのだった。

「アブジャからトリポリまで直行便がないから、陸路できたんだ。ぎゅうぎゅう詰めのトラックに揺られて砂漠を縦断する5日間の旅に800ユーロ(約112,800円)掛かった。ドラックでは、運び屋から『誰かが落ちても止まらないからしっかり体を結びつけておけ』と言われたよ。」とユーセフさんはIPSの取材に対して語った。

欧州最短地点であるランペドゥーザ島への道のりには、暴力的な民兵や過酷な収容所、そして超満員のオンボロ船に搭乗しての命がけの航海が待ち受けているが、こうしたリスクを冒しても欧州への移住を試みる必要証明書類を持たないアフリカ人にとって、リビアは長らく中継地点であり続けている。中にはアジアからこの移住ルートを頼ってリビアにやってくる者もいる。

こうしてリビアにたどり着いた移民らは、新天地での良い生活環境を夢見ながら、島へ密航するための費用を捻出するために様々な雑務に従事している。

ユーセフさんはローラーペイントを手に、その日の仕事を求めてガルガレシュ橋(トリポリ市南部)のたもとの道端にいる数十人のサブサハラアフリカ出身労働者に交じって立っている。

この種の仕事で1日に稼ぐことができるのは、せいぜい20ディナール(約1,690円)だが、これだけの賃金にありつけることができないものも少なくない。

トリポリの街を一刻も早く「永遠に」あとにしたいというマリから来たスレイマン(23)さんは、「先週は連続で10時間も働かされた末に、何も払ってくれないので、不平を口にしたところ、頭に銃を突きつけられて追い返されてしまいました。」と語った。

「ここでは民兵間の衝突は日常茶飯事だし、自分は黒人だから時々彼らに絡まれて酷い目にあう、できれば故郷に帰りたいよ。でもお金が溜まり次第、ランペドゥーザ島行きの密航船に乗るのさ。急がないと手遅れになってしまうからね。」

しかしもともと仕事口が限られているなかで、ガルガレシュ橋のたもとに集まる移民の数が増え続けているため、競争がますます激しくなっている。彼らがこうまでして働いても、時には1000ドル(約103,000円)もするランペドゥーザ島への渡航費用を稼ぐには、気の遠くなるような時間がかかる。

さらに、密航船に乗り損ねるリスクも常に付きまとっている。

「密航船は地中海の天候が冬になると不安定になるため、通常11月頃には出港なくなります。でもこれから年末にかけてまだ一縷の望みはあります。」と27歳のクリスチャンさんは語った。

彼によれば、リビアの治安が悪化し続けるなか、多くの移民がやむなく、冬の荒れる海のなかを出港するリスクを冒しているという。

ムアンマール・カダフィ政権期(1969年~2011年)に、リビアは欧州を目指すアフリカ移民にとっての主要な中継地となった。カダフィ大佐が、欧州諸国に対して移民の(リビアからの)流入を止めたければカネを払うよう要求したのは周知のとおりである。

しかし2011年に独裁政権が崩壊してカダフィ大佐が殺されると、人身売買組織への取り締まりも甘くなり、リビア北岸から逃れる移民の数が増えた。「政情不安が続く中、現在のリビア政府には海岸国境地帯に十分な注意を払う余裕はないのさ。今や我々にとっての主な障害は(国境/沿岸警備隊ではなく)冬の高波だ。」とある人身売買組織の関係者が匿名を条件にIPSの取材に応じて語った。

この人物は、ランペドゥーザ島への1回あたりの密航手引きから得られる収入について、成功報酬でトリポリの仲介者から20,000ユーロ(約282万円)支払われると明かした。

しかしリビア当局の監視がなくなったわけではない。

パキスタンが実効支配しているカシミールからはるばるリビアまで来たイムラン(21)さんはランペドゥーザ島行きの密航船に乗込めたものの、結局3時間に亘って波間を漂っているところを沿岸警備隊に拿捕され、3ヶ月の禁固刑に処せられた。「船長が航路を把握しておらず方向を見失ったのです。」とイムランさんは語った。

リビアの収容所での待遇は過酷なものだったが、イムランさんはそれでも自分は比較的幸運な方だったという。「私たちの房にはおよそ50人が収監されていましたが、少なくとも私は看守に殴られることはありませんでした。しかし黒人の囚人の場合、待遇が全く異なるものでした。彼らは連日、最も陰惨な方法で拷問され殴られていました。」

またイムランさんは、「囚人が女性の場合、看守との性交と引き換えに釈放を認められることもありました。」と付け加えた。

イムランさんの証言は国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナル(AI)が6月に公表した報告書の内容と裏付けるものである。同報告書はリビア政府に対して、難民、亡命希望者、移住目的でリビアに辿り着いた子供を含む移民に対する無期限拘留を止めるよう求めている。

アムネスティ・インターナショナルは、リビア国内7カ所の収容所を訪問したあと、女性を含む抑留者らに対して「リビア当局による水道管や電線を使った残忍な殴打が繰り返されていた。」と記録している。

イルマンさんは、次回に密航するときは異なる船を試したいと語っている。

「前回の密航時に支払った額は相場より格安の500ディナール(約42,300円)でしたが、大半がソマリア人が運転する安物の船で、成功率は低いものでした。次回は値段がはりますが、大半が目的地に到達するという、シリア人が運転する船でチャレンジしようと考えています。」と、今ではホテルで清掃人の仕事をしているイムランさんは語った。

職場の同僚エライジャさんは、イムランさんが次回密航を試みる際に同行すべきかどうか検討しているところだ。ただ最後まで引っかかっている点は、海が荒れるこの時期に渡航するリスクだ。

「もし相場の1000ドル(約103,000円)を支払っても、本当に出港する瞬間まで自分の運命を託す密航船を確認することができないのです。そして確認できたときは、後戻りは許されません。」とニジェール北部アーリット出身の青年(28)は語った。

移民や現地の漁師は、粗末で人員超過のオンボロ船に乗込んで地中海の荒波に出ていくことが何を意味するかをよく知っている。

「時折、私の網に死体がかかっていることがあります。」と、地元の小さな漁村で働くアブダラ・ゲルヤニさんは語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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テヘランから東京へ、米国の地政戦略シフトが動き出す

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ

このところ、中東から東シナ海へと、米オバマ政権の外交政策の重心変化を顕著に示すような出来事が立て続けに起こっている。

11月24日、イランと「P5+1」(米国、英国、フランス、ロシア、中国+ドイツ)が、イランの核開発に関する歴史的な暫定合意を結んだ。多くの専門家は、この暫定合意を契機に、長年対立関係にあった米国とイランの和解が進むのではないかと見ている。

一方、イスラエルをはじめとする米国の中東における友好国の一部や米国内の保守強硬派からは、この合意は、仇敵に対して「懐柔策」で臨んだオバマ大統領の「弱腰」を露呈したこれまでで最も憂慮すべき事例だとの厳しい批判が出ている。

また26日には、東シナ海における防空識別圏の設置(沖縄県尖閣諸島及び中国が韓国と管轄権を争っている離於島の上空を含む)を一方的に発表した中国に対して、米国がB-52戦略爆撃機2機を問題の空域に送り出して、日韓両同盟国との連帯を示した。

中国に対して即座に軍事力を誇示し現状変更を断固認めない意志を示した米国のこの措置に対しては、つい2日前にはイランとの暫定合意に対する一斉批判をリードしていた保守系のウォールストリートジャーナル紙をはじめ、各方面から称賛の声が上がった。

他方、スーザン・ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官は、アフガニスタンのカブールに赴いてハミド・カルザイ大統領と会談し、国民大会議(ロヤ・ジルガ)で承認されたばかりの「2国間安全保障協定」にカルザイ大統領が年末までに署名しなければ、米国はアフガニスタンを見捨てる(完全撤退する)ことになりうると直接警告した。この協定が合意されれば、2014年末の国際治安支援部隊(ISAF撤退期限後も、最大10,000人の米兵がアフガニスタンに残留し、アフガン国軍に対する訓練・助言とアルカイダ及び関連組織に対する作戦に従事することになっている。

これらの出来事を総合すると、米国が戦略的な機軸を、10年以上紛争が続く大中東圏(=ブッシュ政権が作り出した政治用語でアフガニスタンも含まれる:IPSJ)から、非常に複雑な関係にある中国への関与を念頭に、アジア太平洋地域へと移そうとしていることが見て取れる。

米国は世界唯一の軍事超大国であることから、このような機軸の移転は、従来米軍のプレゼンスと支援に依存してきた国々に、新たに変化する環境の中で自国の権益を守るための姿勢転換を迫るなど、必然的に関係地域に大きな影響を及ぼすことになる。

そのような影響が最も顕在化してきているのが中東地域である。この地域では1979年に勃発したイラン革命により、米国のかつての戦略的パートナーであったパフラヴィー朝イランが崩壊した。その結果誕生したイラン・イスラム共和国は、一転して米国にとっての不倶戴天の敵となり、対照的に(同じくイランと敵対してきた)イスラエルとサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国との同盟関係が一層強化された。

それから34年間、米国はイスラエルとスンニ派が多数を占める湾岸諸国に対して、時折これらの国々の政策(イスラエルによるパレスチナ占領地へのユダヤ人居住区設立や、サウジアラビアによるイスラム教原理主義「ワハービズム」の推進)が米国の利害に悪影響を及ぼすことがあったにもかかわらず、事実上無条件の支援を提供し続けてきた。こうして中東における力の均衡は、イランを敵視する超大国米国の支援を得たイスラエルと湾岸諸国に有利に傾いた状態が維持されてきた。

しかし、イラン・「P5+1」間の合意は暫定的なものとはいえ、今後地中海東部から南アジア亜大陸に至る地域における重要課題について、米国とイラン間の協力関係が進展していった場合、中東の地域バランスが大きく変わってしまうだろう。

メディアが暫定合意に対する恐怖と警戒を盛んに報じる一方で、政府は数日の沈黙を経て表面的には歓迎の意思を示したサウジアラビアだが、とりわけ同国にとって西側諸国とイラン間の暫定合意は不吉な前兆とみられている。

バーモント大学のサウジ専門家グレゴリー・ゴース教授は、11月26日版ニューヨーカー誌への寄稿文の中で、「サウジアラビアは単にイランの核開発問題を憂慮しているのではない。中東における地政学的な動向が、自国に不利に働いており、域内における自国の地位や国内の治安に悪影響を及ぼしているのではないかという、より強い恐怖感を抱いているのだ。」と記している。

またゴース教授は、「サウジアラビアは、イランはイラクとレバノンで優位を確立しているうえに、シリアでも同盟関係にあるバシャール・アサド政権が持ちこたえており、さらに(今回の暫定合意で)米国との新たな関係を構築しつつある…つまりこのライバル国は、障害に阻まれることなく、中東覇権への道を進んでいる、とみている。」と記している。

イスラエルに関しては、中東における同国の軍事的優位性は(とりわけ暫定合意が事実上イランの核開発を不可能にする包括的合意へと発展した場合)当面確保される見通しである。

しかし年来のイランの核開発を巡る緊張が取り除かれ、国際社会の注目が再びイスラエルによるパレスチナ占領問題に向けられるようになれば、米国とイラン間の関係改善は、イスラエルに悪影響を及ぼす可能性がある。

しかも、比較的教育水準が高い8000万の人口と豊富な石油・天然ガスの埋蔵量を擁するイランは、「中東のどの国よりも遥かに大きな潜在力を持っている。」とハーバード大学のスティーブン・ウォルト教授は自身の「外交政策」ブログに記している。

またウォルト教授は、「イスラエルとサウジアラビアは、強大になったイランが、そのうち大国がこれまで振る舞ってきたように中東における影響力を行使すると恐れているのではないか。」と指摘したうえで、「イスラエルとサウジ両国の観点からすれば、両国の戦略目標は、イランをできるだけ長期にわたって孤立させて友好国の出現を防止するとともに、国力を人為的に弱体化させる、封じ込め政策を維持し続けるということになるだろう。」と記している。

しかし、イランとの関係が改善し新たな地域安全保障の枠組みにイランを組み込むことができれば、米国の中東及び世界戦略における外交目標にとっては、大きな前進となる。

地域全体でみれば、米国‐イラン間のそのような関係改善は、米国が中東で再びイスラム国(=イラン)を相手に戦争をするという可能性を払拭するのみならず、域内の同盟国との綿密な相談に基づいて両国が協力した場合、長引くシリア内戦をはじめ中東地域全体の不安定化をもたらしているスンニ派、シーア派間の紛争を鎮静化させることが可能になるだろう。

この1年、とりわけイランの支援を得ているシリアのアサド大統領の政権維持能力が以前の予想を上回り強固であることが明らかになって以来、オバマ政権は中東地域の安定を確保するにはむしろイランの協力が必要だという結論に達したようだ(中東における同盟国トルコも同様の結論に達したようで、この数週間に急遽イランとの和解に向けた歩みを進めている)。

ウォルト教授は、「確かに、スンニ派とシーア派間の抗争が今後さらに拡大し深刻化すれば、中東への関与から徐々に後退し、かつて1945年から1990年まで採用していた『オフショア・バランシング』政策(米国以外の他の地域で地域覇権国となりうる国家が勃興してきた場合、周辺地域の国々と連携してバランスを取ったり、また自らの軍事力や経済力といった多様なアプローチによって封じ込めたり牽制したりする戦略:IPSJ)を復活させようとしているオバマ政権の戦略は、大きな危機に直面することになるだろう。シリア内戦は、イランが国際的に孤立し経済が弱体化していても、なおこうしたオバマ戦略を頓挫させるだけの影響力を保持していることを明らかにした。」と述べている。

中東地域における『オフショア・バランシング』戦略の一部としてイランとの協力関係を構築していくことは、オバマ政権がグローバルなレベルで推進しようとしているアジア・太平洋地域への「ピボット(軸足)」政策にとっても決定的に重大な意味を持つ。そしてその緊急性は、先般中国が新たに防空識別圏を設定して近隣諸国、とりわけ米国が安全保障条約を結んでいる最重要同盟国日本との間にさらなる緊張関係を作り出したことで立証された。

「ピボット(軸足)」(あるいは「リバランス(再均衡)」)政策はヒラリー・クリントン前国務長官が2年前に公表していたが、その後もアフガニスタンへの軍事関与、シリア内戦への軍事干渉を求める動き、そしてなによりもイランに対する戦争の威嚇などが続いたため、今後も米外交の重心は大中東圏に深く関与したままになるのではないかとの懐疑的な見方が、とりわけアジアの専門家の中に根強く存在していた。

しかし、米国によるシリア攻撃を土壇場で回避したシリアに化学兵器放棄を迫る9月の米ロ合意、11月24日のイラン・「P5+1」暫定合意、ライス大統領特別補佐官のカルザイ大統領への要求などを合わせてみると、オバマ政権は、大中東圏への軍事的肩入れと資金支援を今後は最低限に留め、新たに外交政策の重心を他地域(=アジア・太平洋地域)に移す決意をしていることがわかる。

その意味で、11月26日の尖閣諸島上空へのB-52戦略爆撃機派遣には、そのような思惑が透けてみえる。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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イランとの暫定合意に不満のサウジ、核オプション検討の可能性も

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【国連IPS=タリフ・ディーン】

11月24日のイラン・『P5+1』暫定合意にサウジアラビアが激しい反発を見せたことで、サウジが中東に軍事力を展開しようとしているのではないかとの観測が出ている。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』が同日付の記事の中で指摘したように、国際社会がいかなる形であれイランの原子力開発を認めるようなことがあれば、サウジ政府は「購入手段によって自国の核兵器能力を追求する」という結論に傾くかもしれない。

その場合有力な調達先は、核計画の一部をサウジが財政支援したパキスタンとみられている。

しかしこれは、米国とサウジ間の長期にわたる政治的・軍事的関係が悪化しつづければ、という限定つきでの最悪のシナリオだと考えられている。

サウジアラビアが核取得の野望を持っているのではないかという疑惑が最初に浮上したのは、2011年に元駐米サウジ大使のトゥルキ・ファイサル王子が、イスラエルやイランからの核の脅威によってサウジもやむなく両国に倣らざるを得ない(=核武装する)かもしれない、と警告した際のことだった。

Prince Turki al-Faisal, a former Saudi ambassador to the United States, warned in 2011 that nuclear threats from Israel and Iran may force Saudi Arabia to follow suit. Credit: cc by 2.0
Prince Turki al-Faisal, a former Saudi ambassador to the United States, warned in 2011 that nuclear threats from Israel and Iran may force Saudi Arabia to follow suit. Credit: cc by 2.0

サウジの首都リヤドで開催された「安全保障フォーラム」で発言したファイサル王子は、「核兵器の保有も含めすべてのオプションを検討するのが、サウジアラビアの国家と民衆に対する責任です。」と述べたとされる。

これが本気の発言か空疎な脅しかどうかは、イランに核兵器能力を放棄させるために行われている協議の行く末が、暫定合意が期限を迎える半年後にどうなっているかにかかっている部分もある。

この暫定合意は、イランと、国連安全保障理事会の五大国(米国、英国、フランス、ロシア、中国)にドイツを加えた「P5+1」との間で10月と11月に計3回の協議を経て、結ばれたものである。

エルサレムに拠点を置く『パレスチナ・イスラエル・ジャーナル』の共同編集人で中東の核開発情勢に詳しいヒレル・シェンカー氏は、「サウジアラビアの批判は、ジュネーブ合意(=暫定合意)を非とする立場が前提となっています」と指摘したうえで、「しかし、この暫定合意を基礎として、イランによる核の軍事利用を防止するための合意に進むことができれば、サウジ政府も核武装による対抗手段をとる必要性を感じなくなるでしょう。」と語った。

さらにシェンカー氏は「イランとの最終合意において、(レバノンのシーア派武装集団)ヒズボライスラム聖戦機構に対するイランの支援の問題を取り扱うべきだとイスラエルが主張するのと同様に、(スンニ派が支配する)サウジアラビアや湾岸諸国は、イランによるシーア派中東支配の野望に対して安全を保障するよう米国に求めるでしょう。」と語った。

今回の暫定合意によって他の中東諸国が核兵器開発・取得に走ることがあるかどうかという問題に関して、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI核軍備管理・軍縮・不拡散プロジェクトのシャノン・N・カイル上席研究員は「それは長期的な合意の内容次第だろう」と語った。

この長期的合意は、暫定合意の期限が終了する半年後に結ばれることになると目されている。

カイル氏は、制裁解除と引き換えに機微の核燃料サイクル活動を制限ないし減少させる意思をイランがどの程度持っているか、あるいは、イランの核インフラをほぼ解体する合意なしに制裁を解除する用意が米国と欧州連合(EUのパートナー国にあるかどうかは、今のところ不明であるという。

さらにカイル氏は、「イランの核計画に対する技術的制約を相当程度に大きくし、(とりわけイランが付属議定書に署名することによって)国際原子力機関(IAEAによる検証体制を強化してイランにおける未申告の核活動が存在しないとの確証を提供するような合意が結ばれると想定すれば、イランによる核兵器製造が困難になるため、米国やイスラエル、アラブ諸国の不安は軽減されることになるだろう。」と指摘したうえで、「そうすることで、中東における核拡散のインセンティブと圧力を弱めることに資するのです。」と語った。

サウジアラビアに加えて中東で核の野望を持っていると観測されているのが、現在政治的に混乱しているエジプトである。

シェンカー氏は、「中東の覇権を巡ってイランをライバル視しているエジプトも、(サウジアラビア同様)イランと西側諸国の間の歩み寄りを歓迎していないかもしれないが、現在は国内問題で手一杯な状況にある」と指摘したうえで、「もし(6か月後の)最終合意を合理的なものと判断すれば、エジプトが核兵器を保有する決断を下す可能性はないだろう。」と予測した。

しかし、今年7月に追放されたムハンマド・モルシ前大統領も、それを引き継いだ現在の暫定政権も、イランの原子力計画に対抗してか、休止状態にあった原発建設計画を復活させることへの関心を示している。

さらに、中身のある最終合意がイランと結ばれたならば、エジプトは、中東非核地帯を追求する決意と、イスラエルの核計画を協議のテーブルに乗せようとの希望を強めるだろう、とシェンカー氏は語った。

またシェンカー氏は、「イランが過去の核活動に関してあまり前向きでなく、時には積極的に嘘をつこうとしてきたことを考えると、11月24日のイラン・『P5+1』暫定合意に対する悲観論がイスラエルやサウジアラビア、米国議会の一部から出ていることは理解できます。しかし今回の暫定合意が、イラン核計画の範囲に関する国際社会の懸念に応えていくための重要な第一歩であることを考えると、こうした懐疑的な勢力も暫定合意を歓迎すべきなのです。」と語った。

ジュネーブ合意は、暫定期間中にイランが核施設を利用して核兵器製造に向けた進展を図ることを実質的に不可能にするような技術的制約(5%を超える濃縮の停止、手持ちの20%を超える濃縮ウランの解体、アラク重水炉の建設停止)や検証上の要請(濃縮設備へのIAEA査察官のアクセス拡大)を課している。

「従ってこの合意によって、仮にイランが将来において核兵器開発を決断することがあったとしても、核開発に要する時間は引き延ばされることになるのです。これは重要な成果であり、無視したり軽視したりすべきものではないのです。」とカイル氏は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|パキスタン|ポリオ根絶への歩みを止めてはならない

【アブダビWAM】


「パキスタン北西部のアフガニスタン国境部族地域を拠点とする『パキスタンのタリバン運動』が、オサマ・ビンラディン暗殺の報復と予防接種活動に対する疑念から、ポリオ根絶運動に従事する関係者の殺害を相次いで行っており、予防接種活動が事実上停滞している。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙「ガルフ・ニュース」が報じた。

パキスタンは、ナイジェリア、アフガニスタンと並んでポリオが依然として根絶されていない3か国の一つで、世界保健機構(WHO)の最新データによると、発症件数は58件から72件へと急増している(ナイジェリアは50件、アフガニスタンは9件)。

タリバンは、ビンラディンの居場所を特定する手段として偽の予防接種運動が利用されたとみており、米国が無人攻撃機による攻撃を止めない限り、予防接種を妨害し続けると宣言している。


「パキスタンでは、予防接種プログラム従事者が相次いで殺害され、何千人もの子供たちがポリオワクチンの接種を受けられない現状に、無力感と今後に対する悲観論が広がっている。」と同紙は報じた。

またガルフ・ニュース紙は、「タリバンは、次世代を担う子供たちの健康を奪うことで、理解者や支援者を獲得することはできない。ポリオ予防接種が子供たちの健康とよりよい未来を保障するという基本的な事実をイデオロギーで捻じ曲げるような行為をやめ、人道的な顔を見せるべきだ。」と付け加えた。


「どんなことがあっても、ポリオ根絶への歩みを止めてはならない。ポリオを根絶した世界の実現こそが、それを目指して弛まぬ努力を重ねている全ての人々にとっての最後の勝利となるだろう。」と、ガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ライプール(インド)IPS=ケヤ・アチャルヤ

インド中部チャッティースガル州の森林深くに住むゴンド族(インドで「アーディバシー」と呼ばれる先住民族の中でデカン高原中部から北部に居住:INPSJ)は、政府だけではなく主流メディアからも忘れ去られた存在だ。彼らはインド社会の最貧困層を成し、さまざまな社会指標において最低レベルにある。政治的発言権はほとんどなく、部族内の非識字率も極めて高い。

またインド憲法には、アーディバシーのために積極的差別是正措置を取ることが定められているにもかかわらず、インド政府は部族語で授業をする教育施設を認めていない。そのため、アーディバシーの意見や問題が、主流のメディアに反映される例は限られており、部族民コミュニティと非部族民コミュニティとの間の対話が成立しなくなっている。

こうしたなか、近年インドで急速に普及してきている携帯電話に着目した、電話回線を使用したニュース投稿・配信プラットフォーム「CGNETスワラ」が、アーディバシーの間で大きな話題を呼んでいる。

このサービスを利用している部族民のナレシュ・ブンカール氏(38)に、どんなものなのか尋ねたところ、携帯に残すボイスメッセージが、無料でインターネットを通じて幅広く人々に伝達される点を指摘して「(話したことが)コンピューターにタイプされるんだよ(Computer mein chhappa jata hai)」とヒンディー語で誇らしげに語ってくれた。

「インドでは、社会・言語的な区分に応じて州の境界線が引かれていますが、アーディバシーは忘れられた存在です。」と元英国放送協会(BBC)のジャーナリストで「CGNETスワラ」の創設者であるシュブランシュ・チョーダリー氏は、IPSの取材に対して語った。

Shubhranshu Choudhary

アーディバシー出身のチョウダリー氏は、「ゴンド族には彼らが話す部族語の新聞がありません。しかし、私が最近故郷に帰ってきて新たに気づいたのは、多くの人が携帯電話なら持っているということでした。」と語った。

そこでチョウダリー氏は2010年、携帯電話を利用した「CGNETスワラ(=「インターネットを通じたチャッティースガルの声」の意)」という部族民誰もが参加できる仕組みを開発し、インド共産党毛沢東派(マオイスト)が跋扈するこの地域で運用を開始した。マオイスト(ナクサライトとしても知られる)はこの30年間、アーディバシーが暮らす森林地帯を本拠として彼らの困窮と不満を吸収しながら反政府武装闘争を展開してきており、部族住民がしばしばマオイストと州政府治安組織(州政府が支援した民兵や警察大隊)間の銃撃戦に巻き込まれて犠牲となっている。

チャッティースガル州出身のチョウダリー氏は、この地域の政治情勢が今日のように不安定になった原因は、「政府が長年に亘ってアーディバシーのニーズを無視してきたため。」と指摘したうえで、「『CGNETスワラ』は、主流メディアから無視されてきた部族民ら自身が、自分たちに関わる地場のニュースを提供する一種の『市民ジャーナリズム』の性格を帯びていいます。従ってこの仕組みは、『貧者のグーグル』になる可能性があります。」と語った。

具体的な仕組みはこうだ。まず、情報を発信したい人は、まず「91-80-500-68000」に電話をかける。すると回線はインドのIT先進地であるバンガロールに設置されたサーバーに無料でつながる。発信者はいったん電話を切って待つ。するとまもなく電話がかかってきて、「ピー音」の後に2分以内のメッセージを残すように指示される。

そして録音されたメッセージは、すべてチョウダリー氏を通じてインド各地に点在する約50人のボランティア編集者の元に送られ、情報の正確性についてクロスチェックがかけられる。そしてこうしたプロのジャーナリストの編集が加えられたテキストが「CGNETスワラ」のウェブサイトにニュースとして掲載されると同時に、(読み書きできない部族民のための)音声ポータルにもアップされ、携帯ユーザーがいつでも音声ニュースと無料で入手できる仕組みとなっている。

このシステムのお蔭で、今やアーディバシー一人一人が、携帯電話さえあれば自分たちの関心事や苦情をいつでも発信し、それらをニュースとして共有できるようになった。その結果、これまで政府や主流メディアに無視され続けてきたアーディバシーの声が、部族社会を超えて伝えられるようになり、時にはインド内外の指揮者や人権擁護団体等の関心を引き付けた結果、問題点の解決に向けて行政を動かす事例もでてきている。

ブンカール氏は、ある森林管理官が森林権利法(2006年)に基づく土地譲渡証書を発行するとして、部族民33家族から99,000ルピー(約1000ドル)の賄賂を受け取っていた事実を地元で初めて告発した人物だが、彼がその際使用した伝達手段が「CGNETスワラ」だった。ブンカール氏のメッセージは、まず地元を拠点にする編集ボランティアが事実関係をチェックしたうえで森林保護局に転送された。そして森林保護局が調査の結果告発内容を事実と認め、当該職員の停職を決定したのである。2か月後にブンカール氏は、この監視員が賄賂を返却し謝罪したとのニュースを『CGNETスワラ』送り出すことになった。

SWARA SYSTEM

「CGNETスワラ」の影響力を示す事例をもう一つ紹介しよう。ある教師が、部族民の子どもたちの学費や、政府補助金で購入された教室の家具や穀物などを着服していたが、それを知った住民が「CGNETスワラ」にメッセージを残したのをきっかけに、当局が調査に乗り出し、その教師は停職処分になった。

こうした成功事例が話題を呼び、『CGNETスワラ』は今やチャッティースガル州全域をカバーし、さらに近隣のマディヤ・プラデシュ州ジャールカンド州でも人気を博するようになっている。さらにチョウダリー氏が「メディアの暗帯(ダークゾーン)」と呼ぶ、グジャラート州ラージャスタン州オリッサ州ジャールカンド州アンドラプラデシュ州においても、これらの州境を跨って暮らすアーディバシーの間に口コミで広がりをみせている。現在、『CGNETスワラ』のサーバーに電話してメッセージを残したりニュースを聞いたりしているユーザーは、1日当たり400人程度である。

ところで、「CGNETスワラ」のサーバーを構築した人物が、マサチューセッツ工科大学卒でバンガロールのマイクロソフト研究所で勤務するビル・サイス氏である。

サイス氏は、シンプルなパソコンにモデムと「アスタリスク」という無料ソフトウェア―を使って、不在中にかかってきた電話番号に自動で電話をかけ、続いて先方のメッセージを録音する特殊な回線を10本構築した。

IPSの取材に応じたサイス氏は、「私のようなパソコンおたくが言うのもなんですが、『CGNETスワラ』の秘訣はテクノロジーではありません。それは、チョウダリー氏が構築した独自のメディアネットワークシステムなのです。つまり、同胞の部族民たちが置かれている悲惨な現状をなんとか変えたいというチョウダリー氏の熱い思いが、この技術を活用して声なき住民に声を与えた『CGNETスワラ』が生まれたのです。」と語った。

一方チャッティースガル州政府は、『CGNETスワラ』が州政府の統治を補完する可能性を認めたがらないでいるようだ。

チャッティースガル州の行政長官であるスニル・クマール氏は、「個人的には、(CGnetスワラが)住民の様々な意見や改善すべき問題に関する情報を草の根レベルで入手できる効果的な仕組みだと思っており、時折活用しています。」とIPSの取材に語ったが、同時にサービスの使用はあくまでも州の行政とは関係ない非公式な性格のものだと念を押した。

また皮肉なことに、インド政府の無策で社会から残された人々のために闘うことを標榜してきたマオイストらは、こともあろうに、チョウダリー氏に『CGNETスワラ』を閉鎖するよう圧力をかけている。

現在インドの首都デリーとマディヤ・プラデシュ州の州都ボパールを往復する生活をしているチョウダリー氏は「マオイストたちは、(困窮につけこんで自分たちの戦士として徴用してきた)部族民ら一人一人に力を与える「セルフエンパワーメント」の概念を持ち込んだ『CGNETスワラ』という仕組みに脅威を感じているのです。」と語った。

さらに『CGNETスワラ』は、無料の周波数帯を利用したラジオシステムに進化を遂げようとしている。チョウドリー氏によれば、利用者は少額の聴取料を支払うことになるだろうという。現在のところは「国連民主主義基金」と「ナイトフェローシップ」の支援で運営されているが、先々は財政的に独立する予定だ。

また、各種薬草を駆使する伝統治療者が登場する「スワスティヤ・スワラ」という健康相談ネットワークの構築がまもなく完成し、サービスが開始される予定である。

「私たちはこの仕組みを通して、部族民の声なき声(スワラ)をウェブサイトや携帯電話をベースにしたボイスポータルの空間に広げているのです。この仕組みの下では、(主流メディアでは定番の)ニュースルームは必要ありませんし、(誰もが市民記者としてニュースを発信できるため)地理的な制約も全く関係ないのです。」とチョウダリー氏は語った。

未だに政府や主流メディアに無視されインドの発展から取り残されている1千万人以上にのぼるアーディバシーにとって、これは実に良い知らせといえるだろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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すべてが不明瞭な原子力計画

|視点|「我々はスローモーションの核戦争を経験しつつある」(ロバート・ジェイコブズ広島市立大学准教授)

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【ベルリンIDN=ジュリオ・ゴドイ】

ロバート・ジェイコブズ氏(53)は、核攻撃により人類は絶滅の淵にあるとする誇大妄想が支配的だった冷戦の最中に生まれた。彼は小学生だった8才当時の自身を振り返って、「当時学校で、核攻撃をどう生き延びるかについて学びました。生き残るために大事なことは、核攻撃の最初の兆候を見逃さないように気を張っていることだと教わったのです。」と語った。

友人の間で「ボー」という愛称で呼ばれていたジェイコブズ少年は、45年後、放射能が家族と地域社会に及ぼす社会的・文化的帰結に関する世界的に著名な研究者の一人となった。歴史学の博士号を持つ(専門分野:核兵器の文化と戦争史、米国の冷戦史と文化、科学技術の文化史)「ボー」博士には、核問題に関する3冊の著作があり、同テーマで数多くの論文を書いている。彼はまた、広島市立大学の大学院国際学研究科および広島平和研究所の准教授および研究員でもある。

1960年代初め、ジェイコブズ少年が学校で習ったのは何だったのか。「(核攻撃に関して)最初に目に入るものは、核爆発の閃光(せんこう)だと言うのです。教師たちは、常にこの閃光に備えてシェルターに逃げろ、と言いました。その日私は、シカゴ郊外にあった自宅に帰って、家の前の階段に座り、1時間もの間、閃光を探して空を見上げていたのを覚えています。」

この恐ろしい経験がジェイコブズ氏の人生を運命づけた。つまりこの経験が、核時代が人類に及ぼす影響の分析へと彼の研究と職業人生を向かわせることになったからだ。

「私たちは、スローモーションの核戦争を生きている。」とジェイコブズ氏は言う。これは今後何千年にもわたって地球の生態系の一部であり続ける、世界中に貯蔵された膨大な核・放射性物質の量を念頭に置いてのことだ。

ジェイコブズ氏は、広島市立大学准教授として、第二次世界大戦(1939~45)の最終段階に(長崎とともに)核攻撃で壊滅した広島で、ほとんどの時間を過ごしている。彼は、こうした悲劇に対する日本社会の社会的・心理的反応をよく観察できる立場にある。さらに、福島第一原発事故(2011年3月)は、こうした大惨事に対する社会的、心理的、官僚的反応を再び分析する悩ましい機会を彼に与えることになった。

IDNインデプスニューズ」のジュリオ・ゴドイ副編集長が、ジェイコブズ准教授にメールで取材した。

―なぜ核問題で学究生活に入ろうと考えたのですか?

ロバート・ジェイコブズ(以下、RJ):核問題を研究しようという選択をすることになったのは、核戦争をとても怖いと思った幼少期の経験に基づいています。8才の時、小学校で核攻撃をどう生き延びるかを習いました。具体的な形は覚えていません。昔からあった『ダック・アンド・カバー』(Duck and Cover、IPSJ注:身をすくめて体を覆うこと)ではなかったと思いますが、似たようなものでした。生き残るために大事なことは、核攻撃の最初の兆候を見逃さないように気を張っていることだと教えられました。最初に目に入るものは、核爆発の閃光(せんこう)だと言うのです。教師たちは、常にこの閃光に備えてシェルターに逃げろ、と言いました。その日私は、シカゴ郊外にあった自宅に帰って、家の前の階段に座り、1時間もの間、閃光を探して空を見上げていたのを覚えています。」

「いつ閃光が現れるかと気を張って空を凝視しているあいだ、通りの向かいにある学校や私の家、近所の家全てが溶けていく姿を想像しました。町全体が溶けて白い光に包まれていく光景を想像し、私は心底恐ろしくなりました。これが当時子どもながら、自分自身の死を意識し、いつか死ぬと思った日だったのですが、まさに核兵器に関連していたのです。私がこの恐怖に対処する方法は、図書館で核兵器に関する本を探して読むことでした。それほど恐怖が強かったものですから、それに対処する方法は、私に恐怖を及ぼすものに関するあらゆることを勉強することでした。私はいまだにこれを続けているのです。」

福島第一原発事故

―広島平和研究所の所員であるあなたは、現代における核の最も厳しい惨事を身近で見てこられた方だと思います。福島第一原発事故は、およそ核にまつわるいくつかの危険を典型的に表しています。つまり、技術をコントロールする難しさ、官・民問わず官僚組織の持つ無謀さ、放射能には国境がないという現実などです。この惨事をどう見ていらっしゃいますか?

RJただただ恐ろしく、現在進行形の事態だと捉えています。この悲劇には終わりが見えません。放射能汚染水の太平洋への流出についても今後数十年に亘って続いていくでしょう。私はこの災害をもたらした多くの怠慢があったと思います。原子炉の設計と立地は悪いものでした。原発施設の維持は数十年に亘って杜撰なものでした。適切な緊急事態対応策が練られたことも実施されたこともありません。このことは、多くの意味において、原子力だけではなく、とりわけ民間が運営する営利目的の原子力発電の問題を示しています。福島第一原発事故の場合、コストを抑えて利益をひねり出すというプロセスが、災害を助長し悪化させてしまいました。周知のとおり、東京電力は利益を優先するあまり、原子力発電所の管理を怠ったのです。

加えて私が言いたいのは、原発建設の決定は一国的なものであっても、問題が起こればそれは常に世界的なものになるということです。原発事故によって生態系に入り込んだ放射性核種の時間を考えてみれば、生態系に数千年も留まることになるのです(メルトダウンせずに稼働した使用済み燃料棒の放射性核種もまた同様)。これらの放射性核種は、数千年にわたって生態系を巡っていきます。これらの毒物は幾世代にもわたって危険なものでありつづけ、地球中に拡散していくでしょう。福島では原発によって生み出された電気のもたらす利益が世代を超えることはありませんが、災害による健康被害と汚染は幾世代にも及びます。

「冷温停止」という惨事

―政府による災害対応、たとえば、避難命令を原発事故現場の12平方キロにしか出さなかったことをどう考えますか?

RJ政府の災害対応は2次災害を引き起こしたと言えるでしょう。実際、あらゆる決定は、2つのこと、すなわちカネと世論受けを念頭になされたのです。避難命令を12平方キロにしか出さなかったのは、コストへの懸念のためであり、市民の健康を考えてのことではありませんでした。政府が避難を命令すれば、財政的責任が生じます。これが12平方キロに制限した理由でした。20平方キロ圏内では避難「勧告」にとどめました。

どうしてこのような違いが生まれたか? 「命令」か「勧告」か? 避難が勧告された12~20平方キロ圏内では、避難のために政府が財政的責任を負うことがありません。もし避難すればそれは住民の自己判断であり、自分で金銭的負担を負わねばなりません。彼らはひどい苦境に陥りました。高い放射能レベルゆえに避難しなくてはならないが、支援は受けられないのです。彼らの家屋はいまや無価値になり、売却できません。自力でやっていくしかないのです。彼らは放射線に晒された上に貧困に追いやられたのです。政府の決定を導いていたもう一つのものは、世論受けでした。

災害初日からメルトダウンが起こり、3日目には3つのメルトダウンが起こっていたことを政府は知っていましたが、3か月間もこれを否定し続けました。この理由は人びとの認識をコントロールするためでした。世界のメディアが福島第一原発事故に注目する間、新聞の1面から「メルトダウン」という言葉を消すように努めたのです。

政府が3か月後にようやくメルトダウンを認めた時、世界の新聞がそれを掲載したのは10面か12面でした。政府にとっては成功です。2011年末、政府は、福島第一原発は「冷温停止」状態にあると宣言しました。全く狂っていると言わざるを得ません。冷温停止という言葉は、事故を起こしておらず正常に稼働している原子炉に関して使うものです。燃料が溶け、それが原子炉建屋下部のどこかわからない場所に落ち、冷却するために何年も水をかけ続けなければならないようなものは、冷温停止とは言いません。つまり、この表現は、「問題は終わった、すべてはコントロールされている」と人びとに言うためだけのものだったのです。これは、明確に意識した嘘に他なりません。コストや世論受けが政府の対応を導いたものであって、市民の安全の問題ではありませんでした。」

命の損失

―この悲劇は食料供給にどのような影響を及ぼすでしょうか

RJ政府は、「法的に許容可能な」食料汚染レベルを設定しました。例えば、コメについては、法的に許容できるレベルのセシウムがあります。このレベル以上に汚染されたコメがあると、それは食料供給ルートからはずされるわけではなくて、レベル以下に下がるまで他の汚染されていないコメと混ぜられるのです。これは、食料供給ルートから汚染食品をはずすのではなく、むしろ流し込んでいくプロセスです。

理由はコストです。数千人の人びとがこの災害のために生計を失いました。多くの農家や漁師らが、何の落ち度もないのに、作物汚染のために生産物の価値を失ってしまったのです。

これらの人々に対して何ができるでしょうか? ひとつの解決法は、失われた生産価値に対して補償をなすことでしょうが、それには膨大なカネがかかります。もうひとつの可能性は、彼らの生産を存立可能なものにすることでしょう。このためには、彼らに仕事を続けてもらい、農作物や魚を市場に出し続け、彼らの生産を支えなくてはなりません。

この場合、放射線被ばくのために人びとの健康を守るコストが上昇することは避けられませんが、このコストは将来的に生ずるものであり、10~20年は隠れたままです。したがって、汚染食品を市場に流すことで短期的なコストは抑えられますが、その帰結は将来の政治家に押し付けられることになるのです。しかし、これまでのところもっとも問題が大きいのは、多くの子どもたちを汚染地帯に住まわせ続けるという事実でしょう。全ての子どもを汚染地帯から直ちに避難させるべきですが、残念なことに、それにはカネがかかります。

伝統と放射能

―福島第一原発事故現場周辺の汚染地域に暮らしていた人々は、肉親の墓にお参りできないことで余計に苦痛を感じていると思います。この日本の伝統について、そして放射能がそれをいかに阻害しているかについて教えていただけませんか?

RJこれに関してはいくつかのことを考えなくてはなりません。第一は、「お盆」という先祖の精霊を迎え追善の供養をする非常に古くからある伝統的な慣習についてです。人々はこの休日の間、自らの出身地に帰省し、先祖の墓に参って、墓を掃除し飾るのです。彼らは数日の間、存命の家族の下に戻るように、先祖の霊に呼びかけるのです。こうして人びとは、過去とのつながりやお互いのつながりを築くためにこの時を過ごします。そして「お盆」の最後には、先祖の霊が墓に連れ戻されるのです。

汚染地帯に家がある人びとはこの儀式をもはや行うことができません。伝統的な方法で先祖の霊を敬うことができず、墓参りすることもできません。これは負の心理的影響をもたらします。先祖を敬うことができない、生きる者のところへ呼び戻すことができない、墓を放置したまま永久に過ごさねばならないという感情は、家族や個人に悪影響を及ぼします。

多くの人々にとって、これは数百年にわたって世代を継いで守られてきた慣習であり、この継承を止めてしまったのが彼らだということになります。先祖たちは、自分たちが決して敬われていないのではなく、子孫たちには選択肢がなかっただけだということをどうやって知るのでしょうか? 私は世界各地で放射能汚染された数多くのコミュニティーと関わってきた経験から、多くの人々は、被災して数年後には自らの過失が招いたわけではない理不尽な状況から精神的に立ち直れるものだということを知っています。しかし、何十年も墓参ができないという現実に直面して、福島の被災者の人々は、祖先を敬うことができないのは自分たちの責任だという罪悪感を抱く傾向にあります。さらに、津波が起きた時、家族の遺体の発見地が原発に近く「放射性廃棄物」だとみなされたために、遺体を取り戻して適切な葬式を出してやることすらできなかった人々もいるのです。

「第二級の市民」

―この大惨事がもたらした人道的帰結には他にどんなものがあるでしょうか?

RJそれを計る手段はほとんどありません。多くの夫婦が、避難すべきか、地元の食材を食べるべきかどうかをめぐって争い、離婚しました。子どもたちの多くは放射能汚染のために外で遊んだり時間を過ごしたりすることができません。多くの人が被ばく量を計る線量計を持っており(しかしそれは、子どもたちに放射能の所在を教えてくれるわけではなく、のちの診断目的のために線量を記録してくれるだけです)、「汚染されている」という感覚とともに成長することになります。避難した家族の子どもたちは、いじめや差別を経験しています。多くの人びとは自分が実際に被ばくしたかどうかわかっていませんが、故郷に戻ることができるかどうかという問題や、放射性物質の危険性や原子力発電一般について、何度も嘘をつかれたことは知っています。

これまで世界各地で放射能に曝された人びとに関する研究を行ってきて分かったことは、被ばくした人びとが、しばしば「第二級の市民」として扱われてきた現実です。彼らは避けられ、嘘をつかれ、医療調査の対象にはなるがその情報を知らされることはほとんどありません。彼らは残りの生涯にわたって「汚染された人間」とみなされるのです。こうして、同じ社会の他の人びとなら得ることのできる尊厳を否定されているのです。

「軍事植民地主義」

―さて、核兵器の問題です。核を保有する西側諸国は、長年にわたって、ロンドンやパリの近くではなく、オセアニアや北アフリカの砂漠など、辺鄙な場所で核実験を行ってきました。これは甚だしい人権侵害ですが、核実験が引き起こした損害に対して、こうした国々は責任をとってきていません……。

RJ核実験は軍事植民地主義に関係あると私は見ています。核大国は軍事帝国のはるか端の方で核実験を行う傾向にあり、自分たちを守る政治的な力や主体的権利のない人びとを汚染しています。一般的に言ってもそうですが、植民地主義者らは搾取の結果にほとんど向き合うことがありません。つまりこうした核実験は、植民地主義者による被植民者に対する残虐な取り扱いの延長線上にあるものです。

植民地主義の歴史を見てみるならば、英国は奴隷貿易に由来する莫大な富を完全に手中にしましたし、フランスは、植民地のハイチを失った際、独立を認める代わりにフランスの「損失」を補うためとして、巨額の賠償金をハイチに強制しました。核大国の場合、こうした支配は維持され、かつ見返りのあるものだったとみることができます。国連安全保障理事会を考えてみましょう。その5つの常任理事国は、最初の5つの核兵器国でもあるのです。これらの5大国は、核兵器を保有することで、「(核兵器を)持たない」国に対する恒久的な拒否権を獲得することになりました。そしてこうした核兵器国が行ってきた核実験により被ばくした人びとは、人命の損失や土地・食料源の汚染に対して医療保障や賠償をほとんど受けていません。こうした現実は、実に犯罪的と言わざるを得ません。

核の無知―核の宿命論

―あなたは、筆舌に尽くしがたい核兵器の影響を直接に被った2つの都市のうちの一つである広島に住み、働いていらっしゃいます。そのような恐怖が依然として私たちの命を脅かしているにも関わらず、米国からパキスタンに至る核保有国は、地球を何度も破壊することのできる約3万発の核弾頭をため込んでいます。しかし、誰もこれに関して憤慨していないように見えます。この無関心は、無知によるものなのか、それとも宿命論なのでしょうか?

RJ両方でしょう。ほとんどの人が核兵器なんて考えてみたこともありません。福島事故以前には原発なんて考えてみたことがなかった人がほとんどでしょう。ほとんどの人にとって、核兵器は抽象的なものです。実際に見たことはありませんし、どのように機能するのかも理解していません。詩人のジョン・キャナデイ氏が言ったように、ほとんどの人が核兵器を経験するのは物語を通じてであり、その物語と言えば、核爆発による帰結が(エイリアンを殺すとか小惑星を破壊する以外には)めったに出てこないハリウッドの映画なのです。

しかしまた、核兵器に関して何かできると多くの人は考えていません。核兵器国においては、核兵器は巨大な軍事機構の最も奥深く、堅固に守られた部分を構成しており、国内政治において公論の俎上(そじょう)に乗りません。核兵器国のほとんどの国民は、自分たちが国に収めた税金のどの程度が核兵器開発に使われているか、全く知らないのです。

ところが私は、この核備蓄こそが脆弱な部分ではないかと思うのです。富める帝国が衰退するにつれ、核兵器に毎年費やされている巨額の資金は疑問に付されることになるでしょう。核武装国のほとんどの人びとは、核兵器が自分たちを保護するか、ビッグプレイヤーのひとつとして国際社会における自国の地位を高めてくれるものだと考えていますから、核兵器は望ましいものかどうかという観点で疑問が出されることはめったにないのです。

―あなたがかつてそうであったように、イスラエルやイラン、北朝鮮、インド、パキスタンの子どもが、核による殺戮の可能性に恐れおののく姿を想像できますか。

RJ:はい。今日の世界においてもそうした経験が起こることは想像できます。例えば、いずれも核兵器国であるインド・パキスタン間の軍事的対立が見えやすいカシミール地方がそうでしょう。しかし、私の経験とは違ったものだとも思います。現代においては、子どもたちは、家庭や地域社会で幅広く耳にした情報の断片を繋ぎ合わせて想像の対象とするでしょう。しかし私が小さかった頃は、学校での公的教育の一環としてそれが示されましたから、自分自身で想像する必要がなかったのです。当時の私は、核戦争を想像するように訓練されていたのです。(原文へ

※ジュリオ・ゴドイは、調査ジャーナリストでIDNの副編集長。共著の『殺人の実行―戦争というビジネス』『水を売り歩く者たち―水の民営化』に関して、ヘルマン・ハメット人権賞、米職業ジャーナリスト協会による「オンライン調査報道シグマ・デルタ・キー賞」、オンラインニュース協会および南カリフォルニア大学アネンバーグ・コミュニケーション学部による「起業的ジャーナリズムのためのオンラインジャーナリズム賞」等によって、国際的な評価を得ている。

翻訳=IPS Japan

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|アルゼンチン|これまでで最大の人権裁判が開廷

【ブエノスアイレスIPS=マルセラ・バレンテ

アルゼンチンの軍事独裁政権時代(1976年~83年)に行われた人権犯罪を審理するこれまでで最大規模の裁判が10月28日にブエノスアイレスで始まった。68人の被告は、海軍工兵学校(エスマ)における約800人の犠牲者に対する犯罪に関与した嫌疑がかけられている。

また今回の公判では、当時政治犯を上空から生きたまま海に突き落として捨てたとされる、いわゆる「死のフライト」に関与した6人のパイロットの罪についても、初めて審理される予定である。

軍事独裁政権時代、最大の秘密刑務所となっていたエスマには、約5000人の政治犯が収容されたとされているが、68人の被告は、その内数百人の誘拐、拷問、強制失踪に関与した罪で起訴されることになる。

 被告の大半は海軍関係者(56人)が占めているが、その他、沿岸警備隊関係者(5人)、陸軍軍人・警察官・刑務官のOB、民間人2人(弁護士のゴンザーロ・トレス・デ・トロサとフアン・アレマン元財務大臣)も含まれている。この内、5人は逃亡中で、政府当局は指名手配犯として逮捕につながる情報を提供した者に10万ペソ(約2万ドル)の懸賞金を支払うとしている。

アルゼンチンでは、最高裁が2005年に恩赦法と人権侵害者の訴追免責を憲法違反と判断して以来、軍事独裁政権時代の人権侵害を巡る裁判が復活したが、今回の裁判はこれまでで最大規模のものである。
 
法廷では、被告と(被告の)弁護団、被害者の家族、事件の生存者と弁護士が一堂に着席したが、今回は一般市民がこの公判の行方を見守れるように、事件の舞台となったエスマ(2004年に人権団体の手に渡り、「人権博物館」に改装された)に巨大スクリーンが設置された。

「被害者や被告の数と、目撃者の規模を考えれば、今回の裁判はこれまでで最大の規模になるでしょう。」と公判に参加している人権擁護団体「法と社会研究センター」(CELS)の訴訟担当カロリーナ・ヴァルスキー氏は語った。

ヴァルスキー氏は、当時エスマで行われた大量殺戮の全容は依然として深い闇の中だが、これまで開かれたエスマ関連の公判を通じて、断片的ではあるがその真相が明らかになりつつある、と語った。

「エスマ事件」が動き出したのは、元沿岸警備隊員のエクトール・フェブレスが公判にかけられた2007年のことである。しかしフェブレス被告は、判決が下る4日前に収監先で自殺した。

その後2011年、再びエスマ関連の公判が開かれ、18人の被告のうち16人に有罪判決が下された。

従って今回の公判は、「エスマ事件」の「第三弾」或いは事件の全体像が明らかにされる「エスマ事件の総決算」となるのではないかとみられている。

元海軍大佐のアルフレッド・アスティス被告とホルヘ・アコスタ被告は、既に他のエスマ関連の公判で有罪判決を受けている。さらにアコスタ被告は、今年に入ってからの別の公判で、収監した政治犯に生まれた或いは両親とともに拉致してきた子どもらを親から取り上げる犯行に関与したとして、有罪が確定している。その後、両親らは殺害されるか「失踪」させられ、子供たちは主に軍人や警察官の家庭で育てられた。

事件の生存者や遺族40人のグループを代弁するロドルフォ・ヤンツォン弁護士はIPSの取材に対して、「私たちはこれまで『エスマ事件』を複数の公判に分けて審理することに反対してきました。なぜなら、(公判毎に)証人に何度も同じ証言を繰り返させる事態を避ける方が賢明ですし、被告にも時宜を得た方法で公判と判決を受ける権利があるからです。」と語った。

原告側からのこうした要求に加えて、審理の迅速化を求める上級裁判所からの勧告もあり、今回の公判を担当する裁判所は、同一被告に対する証言については、他の公判で行った証言の映像記録を法廷で使用することに同意した。

これまでの「エスマ事件」公判で、最も頻繁に証言を行ったのがフロリダ州マイアミ在住の物理学者マリオ・ヴィラーニ氏(73歳)である。ヴィラーニ氏は1977年に拉致され、3年と8ヶ月に亘って5箇所の秘密刑務所・拷問センターに収監された。彼にとってエスマは最後に収監された施設だった。

ヴィラーニ氏は、収監中、拷問され、様々な労働を強制された。彼は、軍事独裁政権崩壊後の80年代、「失踪者に関する国家委員会」(1983年~84年)や関連裁判で積極的に証言を行ったが、当時は恩赦法と軍事政権関係者の訴追免責の壁に阻まれる結果となった。ヴィラーニ氏は、それでも諦めず、同じ犯罪について、アルゼンチンのみならず、フランス、イタリア、スペイン、ドイツ、イスラエルで開かれた裁判で証言し続けた。

今回の「メガ裁判」開始について、米国から電子メールで取材に応じたヴィラーニ氏は、「正義に向けた今一歩の前進です。」とコメントしたうえで、「これらの人権犯罪を裁く公判を実現するための一助になれたことを誇りに思っています。しかし、世界に自らの支配を維持するために拷問を必要とする政治体制がある限り、私たちの闘いは終わることはありません。」と語った。

ヴィラーニ氏をはじめとする事件を生き延びた人々が行ってきた証言は、軍事独裁政権崩壊後30年に亘って、人権犯罪に対する法の正義を求める民衆の声を後押しし、当時の責任者を法定に引き出し、(政権崩壊後)身分を変えて潜伏してきたかつての拷問者を特定するうえで、重要や役割を果たした。

ヴィラーニ氏は、フェルナンド・レアティ氏との共著「失踪:囚われの記憶」の中で、「もし誰かが寝ている私を起こすと、私は無意識に身を守ろうと両手を上げて顔を覆う仕草をするだろう。」と記し、未だに悪夢に苛まれていると告白している。他の政治犯と同じく、ヴィラーニさんは、自身が拷問に苦しんだのみならず、恐ろしい犯罪を目の当たりにした。中でも彼の脳裏を離れないのが、ある共産党員のユダヤ人教師が殺害された記憶である。この教師の名前は、未だにわからないという。

ヴィラーニ氏は、秘密刑務所で『トルコ人ジュリアン』と名乗っていた連邦警察官エクトール・シモンを裁く公判で証言に立ち、「被告は彼(ユダヤ人教師)に服を脱がさせると、下半身がぶら下がるような状態で彼の上半身を机に縛り付けました。そして、肛門に電極となっている棒を差し込むと、スイッチを入れて電気ショックを与えたのです。」と語った。すでにいくつかの罪状で有罪が確定しているシモンは、極端なユダヤ人嫌いで知られた人物だった。ヴィラーニ氏は、そのユダヤ人教師が死亡した際、シモンが「あのユダヤ人野郎は死んだよ。いいことだ。そうでなければ釈放せざるを得なかったからな。」を言っていたのを覚えている。

政府の公式発表によると、軍事独裁政権時代に14,000人が強制的に失踪させられたとされているが、人権擁護団体は犠牲者の数を30,000人とみている。今回の裁判は少なくとも2年以上審理が続くと見られているが、公判期間を通じて、一週間に3回の公聴会が開かれ、さらに7日に一度のペースで、事件の生存者や犠牲者の親族による証言を収録したDVDが公開されることとなっている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|パプアニューギニア|民衆不在の土地取引で国土の3分の1が外国企業の手に

【トロントIDN=J・C・スレシュ】

「ああ 立ち上がれ この土地に生きる全ての息子 私たちの喜びを歌うよ 神を賛美し歓喜し パプアニューギニア」これは、パプアニューギニア(PNGが1975年にオーストラリアから独立した際に制定した国歌の第1節である。しかし、この歌が体現する精神の多くが、少しずつ失われている。

PNGは、マレーシア、中国、オーストラリア、米国など多数の外国企業による近年最も大規模かつ急速な土地収奪の犠牲になっている。オークランド・インスティチュート、グローバリゼーションに関する太平洋ネットワーク(PANG)、ビスマルク・ラムグループが共同発表した調査報告書・映像作品「On our Land(私たちの土地で)」によると、こうした外国企業は、PNGの国土の実に3分の1近くを占有して、熱帯雨林(世界3番目の規模)を破壊し、現地住民から土地と歴史的・文化的伝統遺産を収奪しているという。


同報告書によると、「近年の土地取引における不正・管理不行き届きの衝撃的な実態が政府調査報告書で明らかにされているにも関わらず、ピーター・オニール首相は有効な対策を打ち出せず、事実上政府黙認の下で」、深刻な土地収奪が進行している。

報告書の執筆者であるオークランド・インスティチュートの政策責任.者フレデリック・ムソー氏は、「アフリカで長年大規模な土地買収の実態を目の当たりにし、あらゆる騙しと共謀のシナリオを耳にしてきたと思っていましたが、PNGの実態を知って認識を改めざるを得ませんでした。ここでは政府調査委員会の報告があるにもかかわらず、政府は問題が指摘された70の土地契約を見直したり地権を住民に返還するようなアクションを全くとっていません。ここでは依然として契約書の署名偽装からコミュニティーに対する抑圧や露骨な嫌がらせなど、あらゆる違法行為が横行しています。」と語った。

悲惨な現状を伝えたこの報告書の意義は、そもそもPNGでは土地に関する氏族の慣習的所有権が独立後に制定された憲法により保証され、国土の大半が民衆に属していた事実を考えると、より際立ってくる。最近まで、PNG国土の97%は地域の氏族・部族の保有であった。事実、PNGは世界でもっとも平等な土地分配を実現した社会として知られていたのである。

またPNGの熱帯雨林は世界第3位の広さを誇り、豊かな生態系に恵まれ多様な部族が生活している。しかし今日のPNGは、急速かつ大規模な土地収奪の舞台となっている。

報告書は国土の12%にあたる550万ヘクタールが外国企業にリースされていると指摘。数多くの外国企業が「特別農業・ビジネスリース」(SABLという公的枠組みの下で、土地のリースを受けている。

SABLは、元来この慣習的に利用されてきた土地を農業利用のためにリースすることを可能とした法的枠組みであった。しかしPANG報告書は、「リースを受けた企業は、実際には地域で木材の伐採を行って海外に売却しており、この枠組みは、外国企業にPNGにおける新たな木材伐採地の確保を比較的容易にする手段となってきた。」と記している。

公的機関の機能不全が浮き彫りに

2011年、PNG政府が立ち上げた「SABLに関する調査委員会」は、地元の人々に対する事前の十分な説明や承諾なしに土地リースが進められている実態を明らかにした。公的部局(土地省・農業省・森林省)はプロセスにまともに関与せず、本来住民の権利を守るために定められている諸規定は顧みられず、詐欺や汚職が横行していた。多くの取り決めにおいて、地権者の住民らは(リースされる土地の使用目的であるはずの)農業関連プロジェクトの性格や規模について、まともに知らされていなかった。

2013年9月18日、オニール首相は議会で調査委員会の報告について、「報告書は、行政の驚くべき腐敗と管理不行き届きの実態を露呈した。」と語った。

報告書は「PNGにおける木材産業の状況調査を目的に過去数次に亘って実施された政府委員会による報告は、いずれも森林伐採の大半が憲法を含む国内諸法に違反して行われており、公的部局の腐敗が深刻で関係諸法の施行能力が欠如しているために、違法伐採された木材が輸出され、不正浄化手続きを経て、改めて合法的な海外市場に流されている実態を指摘した。」と記している。

また報告書は、「PNGで深刻な違法伐採が横行し中国市場でそうした違法木材が幅広く流通している現実を考慮すれば、改正レイシー法欧州連合木材規制法(EUTRで違法伐採木材の取引を禁止している欧米諸国が、中国が輸出する木材やPNG原産の木材を受入れるべきかどうかは甚だ疑わしい。」と記している。

報告書は、PNG産木材の最大の輸入国は中国で2010年にはPNG産木材の97%を輸入、さらに翌年には輸入量を26%増やしている。その後中国は世界最大の違法伐採木材の取扱国となり、家具に加工して主に米国と欧州連合に輸出している。国際刑事警察機構(インターポール)は2012年の報告書で、PNGは世界で有数の違法伐採木材ロンダリングの拠点であるとしている。

環境問題研究家のポール・ホーケン氏がナレーションを務めキックスターターキャンペーンの支援を得て制作された映画「On our Land(私たちの土地で)」と添付報告書は、パプアニューギニア国民が1975年の独立後に獲得した土地への権利を覆した「土地収奪」を可能せしめた政策の実態を暴露したものである。

またこの作品は、土地と資源が失われた結果引き起こされた人的損失と環境コストを描いている。そして「土地収奪」という複雑に捻じ曲がった世界の実態を暴露するとともに、PNGのように世界で最も平等な土地分配を実現したような国の政府が、自国の国民と憲法を裏切った経緯と理由を解明している。

PNGでは「開発のために土地使用に関する制限を緩和する」とした政府戦略のもとで、これまでに外国企業に対して850万ヘクタールの土地がリースされ森林伐採に供されたほか、550万ヘクタールの土地がパームオイルプランテーション用地へと変貌した。

報告書を作成したPANGのセラ・オーポン氏は、「太平洋地域の民衆にとって土地は、単なる商品以上の存在、つまり、福祉や生活、アイデンティティ、社会的なセーフティネットの源なのです。私たちは人口の大半を占める一般民衆に必要不可欠なサービス(基本的な保健医療、初等教育、食料や安全な水等)が提供されるよう政府への働きかけを続けていますが、民衆の基本的ニーズを満たす大前提として彼ら自身の土地へのアクセスが確保されていなければなりません。従って、外国企業による土地収奪の横行を許しているPNG政府の共謀は甚だしい不公正であり、早急な対応が必要なのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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