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|UAE|ボランティア「大使ら」がシリア難民とイド・アル=フィトルを祝う

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のザイード・ギビング・イニシアチブが派遣したボランティア「大使ら」が、ヨルダンの難民キャンプに身を寄せているシリア難民たちとともに、イド・アル=フィトル(ラマダンの終了を祝うイスラム教の祝日)を祝った。

ボランティア「大使ら」は、内戦悪化で家を後にした子供たちのためにイド・アル=フィトルならではのイベントを催し、子どもたちの笑顔を誘った。

このイニシャチブは、2009年にシェイカ・ファティマ(アラブ女性連合会と家族開発財団)会長の後援を得て開始された「百万人ボランティアキャンペーン(One Million Volunteers Campaign)」の監修のもとに実施されたものである。

また一連の祝祭行事は、アラブ女性連合会、在ヨルダンUAE大使館、UAE赤新月社、並びにヨルダン側関係団体の共催で開催された。

ボランティア「大使ら」は、各地の難民キャンプを訪れ、祝いの言葉とともに子供たちに贈り物をプレゼントして廻った。

アラブ女性連合会のノーラ・アル・スワイディ事務総長は、「私たちの大使であるボランティアらはイド・アル=フィトルを祝う数多くの行事を実施することで、人道に基づく慈善活動の良いモデルとなっている。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|アジア|「日中両国は、危険なナショナリズムを鎮めるべき」とUAE紙

【アブダビWAM】

「ナショナリズムと経済的利益は、とりわけ、先の大戦の記憶が生々しい東アジアでは危険な取り合わせである。」「政府による軍事的な威嚇が紛争に発展する可能性もある。」と、アラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

「日中政府は、国内の政治状況に関わらず、国民感情を鎮静化させ、両国間の領土問題を国際的な仲裁に付託し、恒久的な解決をめざさなければならない。東アジアという世界有数の緊張地帯において、その他の方法を模索することは、余りにも大きなリスクを伴うことになる。」と、ガルフ・ニュース紙は「東シナ海の無人諸島の支配を巡る日中間の対立」と題した論説の中で報じた。

 尖閣諸島の領有権を巡る日中間の対立は、ついに両国からの抗議者が、それぞれ尖閣諸島に上陸するという事態に発展した。最近の事例では、日本からの抗議者が島に上陸し、日章旗を振りかざした。これに対して、中国国内のいくつかの都市で抗議デモが発生した他、中国政府は、この行動を非難する声明を発した。この事態に対して、日本政府は、多くの外交的・経済的損害をもたらしかねない中国との衝突を避けるため、問題の鎮静化に努めている。

ガルフ・ニュース紙は、「領有権の主張は戦争と歴史によって捻じ曲げられたものであり、日中両国の他にも台湾も領有権を主張している。またそれぞれの主張は、危険なナショナリズムと結びついて、事態をますます不安定なものとしている。」と報じた。

一方同紙は、「係争中の諸島の周辺海域には、紛争当事国の経済発展及びエネルギー安全保障にとって極めて重要な原油と天然ガスが眠っている。」と解説した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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インド・パキスタンの核軍拡競争を止めるには

【トロントIDN=J・C・スレシュ】

南アジアで長く対立関係にあるインドとパキスタンは、世界で最も活発な核軍拡競争を繰り広げている。インドは100発程度の核兵器を生産したと推定され、パキスタンは、それを上回ることはないが、ほぼ同量の核を保有しているとみられている。

しかし、核専門家のハンス・M・クリステンセン氏とロバート・S・ノリス氏によると、パキスタンは、他のどの国よりも速いペースで兵器級核分裂性物質の備蓄を進めており、2020年代には、その備蓄量が核兵器200発分にも到達するおそれがある。

 しかも、インドとパキスタンは、軍事・核兵器に関して漸進的な信頼醸成措置を採るための協議を長年続けてきたにも関わらず、地域の軍拡競争は止まらず、二国関係もしばしば軍事衝突を含む緊張関係に陥ってきたという事実がある。

インドとパキスタンは、核に関して事故が起きた場合に互いに通報することに合意している。両国は互いの核施設を攻撃しないことを約束し、年に1回、関連施設のリストを非公開で交換している。しかし、こうした限定的な保証措置も、両国間の軍拡競争を止めるには至っていない。

インドは今年初め、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の域にほぼ到達する射程を持つミサイル「アグニ5」の発射実験を大々的に宣伝して行った。
 
またインド軍は、核弾道ミサイル搭載の潜水艦を完成させるまであと1年ほどだとみられている。潜水艦「アリハント」号が就航すると、インドは核の三本柱[IPSJ注:大陸間弾道ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル、長距離爆撃機のこと]を手中に収め、陸海空いずれからも核兵器を発射する能力を手に入れることになる。

一方パキスタン軍も、核弾頭を搭載可能な短距離ミサイルを多数開発しているが、専門家らは、こうした兵器はインドの通常兵器による攻撃に対抗することを目的としていると見ている。もしインドがパキスタンに越境攻撃を仕掛ければ、この核兵器が使われることになるかもしれない。

より野心的なアプローチが必要な時

こうした背景のもと、「新しく、より野心的なアプローチが必要な時」だと考え始めている米政府関係者や専門家らがいる、と「グローバル・セキュリティ・ニュースサービス」のレイチェル・オズワルド記者は報告している。

ヘンリー・L・スチムソン・センター」が7月31日に開催したフォーラムの出席者らは、二国間協議を再活性化し、数年に及ぶ和平プロセスを優先事項とすべきとのシグナルを送るためにインドとパキスタン両国が採れる象徴的な措置について、いくつか提案を行っている。

初期に採れる象徴的な行動としては、両国の元首による相互訪問や、地域の自然災害発生時の人道支援提供などを挙げている。

カーネギー財団核政策プログラムの副ディレクター、トビー・ダルトン氏は、上記のフォーラムにおいて、「何かに向かってゆっくり積み上げていくというよりも、基礎から根本的に変えようと努力すべきです。」と語った。因みにダルトン氏による「新しいアプローチ」とは、インドとパキスタン両国の指導者らが、二国間和平協議において、非常に表立った個人的な役割を担うことに優先順位を置く、ということである。

ラホール宣言」に調印された1999年2月が、南アジアのライバルである両国間の永続的な平和への見通しがもっとも開けた時期であった。ダルトン氏によれば、その後、パキスタンのナワズ・シャリフ首相とインドのアタル・ビハリ・バジパイ首相(いずれも当時)による首脳会談が開かれた。

オズワルド氏が指摘するように、両国はラホール宣言において初めて、弾道ミサイル実験に関する事前通告を互いに行い、通常兵器・核兵器に関する相互の信頼を高めるためのオプションを検討する二国間協議を開催することを約束した。南アジアと、前年に印パが行った核実験によって警戒心を高めていた米国にとって、この協約は大きな安心感を与えた。

ラホール・プロセス

「ラホール・プロセスは今日までの信頼醸成措置の頂点でした。当時それは、現実にパラダイムシフトを引き起こす可能性があると考えられていました。」とダルトン氏は語った。しかし、ラホール首脳会談からわずか3か月後、パキスタン軍がカシミールのインド支配地域に越境侵入した。それに引き続いて勃発した戦闘で二国間関係は壊れ、両国はあらためて兵器開発に邁進することになった。

ダルトン氏によれば、通常兵器・核兵器をめぐるその後の信頼醸成措置に関する協議は概して中間レベルの官僚によって行われ、指導者レベルは経済問題に専念してきたという。

カーネギーの核専門家らは、印パ両国の指導者らが信頼醸成措置にあまり大きな個人的関心を示してこなかったため、交渉は「事なかれ主義の官僚」に委ねられ、「協議それ自体目的となり、何か意義あることを始める」ものとはならなかった、と指摘している。

またダルトン氏は、多年にわたる両国間の和平プロセスを通じて、二国間貿易の増加、軍ホットラインの定期的利用、弾道ミサイル実験通知メカニズムの順守など、いくらか前向きな成果もあがっている、と指摘した。

「グローバル・セキュリティ・ニュースサービス」は、インドとパキスタン和平プロセスは、テロ問題やカシミールの地位問題、天然資源をめぐる紛争など二国間の隔たりの多い問題と、核問題を同時に扱おうとしてきたと強調している。和平プロセスは、最近では、パキスタンに拠点を持つ過激派がインドの都市ムンバイでテロ事件を起こした2008年11月に停止した。その後協議は2011年まで再開されることはなかった。

過去における複合的対話では、核兵器使用につながりかねない戦略的な誤解の可能性を低減するという問題も取り扱ってきた。

「南アジア専門のある米国務省関係者が匿名で語ったところでは、インドとパキスタンの安全保障関係を安定化させることができる『踊りの振り付け』があるという。しかしこの件に関して公に語ることを許されていないこの官僚は、その振り付けとは何かについて明示しなかった」と「グローバル・セキュリティ・ニュースサービス」のオズワルド記者は記している。

「通常兵器と核兵器をめぐる信頼醸成措置が同じ傘のもとで協議されるべきかについては、インドとパキスタンの間で意見が割れている」とオズワルド記者は記している。「一方では、両者は必然的に結びついているとの考えがあり、他方で、両者は別物であり、別物のままにしておくのがよい、とみなす考えがある」と上記の米国務省官僚は語った。

専門家らによれば、通常戦力で優位に立つインドは、核兵器に関する対話を別枠とし、他の問題から切り離そうとする傾向にあるという。他方パキスタンは、核兵器と通常兵器の問題は直接的に連関しているとみなしている。両者を分離すべきとの主張は、もし別の危機が勃発した場合、核問題に関する両国間の連絡が途絶えることがなく、非常にコストの高くつく誤解の可能性を低減することができる、というものである。

両国が信頼醸成措置協議をマンネリ化したものだと感じているとの懸念もある。「この協議は、長いこと議論が行きつ戻りつしている」と前出の米国務省官僚は語った。

インドは、2011年12月の協議で、長年にわたって維持されてきた事前通知体制に巡航ミサイルを追加しようとしたと伝えられている。しかし、ダルトン氏によれば、パキスタンは、別の問題で譲歩を得ることをこの件への同意の条件にしようとしたという。結局、巡航ミサイルを事前通知に含むとの協議妥結は発表されなかった。

複合的アプローチ

ウェンディ・チェンバレン元駐パキスタン米大使は、漸進的な信頼醸成措置と、宣伝効果が高く政治的に象徴的な措置を含む「複合的なアプローチ」が効果的だとフォーラムの参加者に訴えた。

現在は「中東研究所」の所長であるチェンバレン氏は、エジプトの故アンワール・サダト大統領が1977年に行ったイスラエルへの歴史的な訪問のような、壮大な意思表示が必要だと語った。この訪問の2年後、現在でも両国関係を律している平和条約が締結された。

しかしチェンバレン氏は、南アジアにおいては、国内の支持基盤を固めていかなければ、こうした措置だけでは不十分なものにとどまってしまう、と語った。インドと将来に亘る交渉をまとめようとした如何なるパキスタンの指導者も、国内の強力な軍部の支持を得る必要があった、とチェンバレン氏は語った。
 
インドのマンモハン・シン首相は、今年末までにパキスタンを訪問したいとの意向を明らかにしている。ジェフリー・ピャット米国務次官首席補佐(南アジア担当)は、こうした訪問は「よい象徴的な行動」になるだろう、と語った。また、その他重要な動きとして、パキスタン政府が、同国を経由したインド製品のアフガニスタンへの輸送を許可するのではないかとの期待が高まっている。パキスタンはこれまで、インドがアフガニスタン情勢に関与を強めることに警戒感を示してきた。

米上院外交委員会のスタッフであるマイケル・フェラン氏は、漸進的で、信頼を強化するような行動が、和平プロセスへの関心と資源を持続するには必要であると指摘し、「象徴的な要素だけでは、それを持続することになりません。」と語った。

スチムソン・センターの南アジアプログラム長であるマイケル・クレポン氏は、永続する平和(あるいは「両国によるタンゴ」)への両国の希求に留意しつつ、どちらか一国が和平交渉をリードしなくてはならない、と語った。ただしクレポン氏は、インドとパキスタンのどちらかが、その任にあたるべきかについては述べなかった。

「タンゴは、両者がいずれもリード役に回ろうとすると、美しくみえない。リード役と、ついていく役との両方が必要である。ついていくだけの強さを備えた当事者が必要なのです。」

一方ピャット氏は、インドとパキスタンは、「経済面で後押しすることがどうしても必要です。」と指摘した。

「おそらく、1998年以来のもっとも戦略的な変化は、商業的な関わりへの態度において起きた変化でしょう。今や両国は、お互いの貿易関係を増やすことによる経済的利得が大きいこと、逆にその方向に進まないことによる機会費用は高くつくであろうことに気づいているのです。」とピャット氏は付加えた。

ダルトン氏は、米国が中東和平プロセスでみせたような仲介役としての役割を南アジアで果たす余地は小さいとみている。これは、米国が「パキスタンにおいて信頼のおける相手」だとみられておらず、あまりにインド寄りだと考えられているためである。

「我々は等距離外交を標榜していますが、実際そうは見られていません。米国は、とりわけこの10年間は、インド寄りだったといわざるを得ません。」「パキスタンはこれに懸念を持ち、不安感を増大させたため、パキスタンが永続する平和のために必要な大きなリスクを伴う一歩を踏み出す可能性は後退したのです。」とチェンバレン氏は語った。

ダルトン氏は、国際原子力機関(IAEA)が、米国に替わって、地域の原子力安全訓練セッションの推進役として、インドとパキスタン保障関係の正常化に重要な役割を果たすことができるかもしれない、と考えている。南アジアにおける核惨事を回避するという共通の目的のために、両国の科学者を糾合することによってこれは成しうるかもしれない。

「インドとパキスタンの双方が、いかなる国よりもIAEAの方を信頼しているようだ。」とダルトン氏は語った。

ダルトン氏は、ソ連崩壊後、米ロ両国の科学者が協力して脆弱な[旧ソ連の]核兵器と核物質の封じ込めを行った経験を挙げた。この協力と、両国技術陣の間にその後生まれた親近感は、米ロの関与強化への道を切り開くうえで、次第に上のレベルへと広がりを見せたのである。

翻訳=IPS Japan


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「我々はみな母なる大地に根差している、ただそれを忘れているだけだ」

【国連IPS=イザベル・デグラーベ】

ティオカシン・ゴストーズさん(Tiokasin Ghosthorse)の記憶の中に残っているのは、ラコタ(スー)族の居留地を1973年から76年にかけて襲った米連邦政府による「恐怖の支配」の時期である。

これは、ラコタ族による72日間に及んだウーンデッド・ニー(Wounded Knee)占拠に続いて起こったもので、米連邦政府の連邦捜査局(FBI)、米連邦保安局、先住民問題局の警察などが、米国の先住民族集団と対峙した。その結果、FBIによる厳しい監視が続くことになった。

 サウスダコタ州シャイアンリバー居留区で育ったゴストーズさんは、当時を振り返って、「当時はみんな、政府と白人たちを恐れていました。長い髪をして、先住民族の言葉をしゃべっていると、嫌がらせを受けました。また政府やインディアン問題局に抵抗すると迫害されたのです。」と語った。

「それでも先住民の人々は政府の不当なやり方に対して立ち上がりました。しかし先住民の人々が抵抗すればするほど、政府による嫌がらせも酷くなり、ついには住民らを過激派やテロリストに変貌させていったのです。」

「当時私たちは部族の歌を歌うことも、自分たちの言葉を話すことも、祈ることさえも許されなかったのです。」と、ゴストーズさんは語った。

ゴストーズさんは現在、世界放送協会(WBAI、米ニューヨーク州のコミュニティーラジオ)の「ファーストボイス・先住民族ラジオプログラム」の司会を務めている。チェダーフルート(杉の木で製作したフルート)の名人でもあるゴストーズさんは、ラジオの持つ伝達力と音楽という共通の言語を駆使した活動を展開している。

1978年、「アメリカ・インディアン信教自由法」が施行され、ようやく米国の先住民コミュニティーにも、先祖伝来の信教に則った精神活動を行う法的な権利が保障された。

しかし今日に至るまで、米国の先住民による精神活動を巡っては、連邦政府と先住民コミュニティーの主張が対立したまま、泥沼の様相を呈している。

先住民族らが神聖なる土地に対する権利と先祖伝来の精神的な生活様式を守る権利を訴えているのに対して、米連邦政府は、おもに石油や天然資源に対する権利を確保したい思惑から、その主張を認めていない。

今年、先住民族の権利に関する国連特別報告官のジェームズ・アナヤ氏が米国において12日間に及ぶ調査を行ったが、米連邦政府は、1930年代にさかのぼる法律を根拠として、土地の所有権を主張していた。

「十字架ならどこにでも持ち運んで建てられますが、先祖伝来の作法に則って鷲の羽根を埋めようということになると、当局を相手に相当な手続きを覚悟しなければなりません。当局は、私たちの先祖伝来の慣習に対しては、上から見下した態度で臨み、私たちの主張に耳を貸そうとしません。米国の先住民の文化が絶えようとしているようにみえるのはこのためなのです。」と、ゴストーズさんは語った。

ゴストーズさんは14歳のとき、様々な疑問を胸に、答えを求めてシャイアンリバー居留地を後にした。

「どうして白人の生活様式が基準にならなければならないのか?どうしてそれが文明化したということになったり、新しい或いはより向上した生活様式ということになってしまうのか?…」結局、ゴストーズさんは、こうした疑問に対する回答が、先住民に対する捻じ曲げられたイメージに基づいて作り出されているものだということに気づいた。

ファーストボイス・先住民族ラジオプログラム

ゴストーズさんは、こうした世の中一般の先住民族に対する捻じ曲げられたイメージについて、先住民の文化と考え方を復興させ、現代と伝統的な要素が交じり合う先住民の生活様式を正確に反映させたいと考えている。

「私が担当している先住民族ラジオは、こうした私たちの思いを広く世界に向けて伝えていく重要な手段の一つだと考えています。」と、ゴストーズさんはIPSの取材に対して語った。

ゴストーズさんは、政府が吹聴してきた先住民族に蔓延する肥満やアルコール中毒といったトピックばかりを取り上げ、問題の根本原因に迫らない米国の主流メディアに批判的である。ゴストーズさんは、一つの文化に異なる文化を押しつけ続けることから生じる弊害を認めようとしないのは、狭い視野に他ならないと感じている。

ゴストーズさんは、米国市民の全国平均を遥かに上回る貧困・失業率など、先住民の置かれている現状を示す衝撃的な統計を指摘する一方で、ラコタ居留地の先住民の人生には貧困にまつわる話だけではないことも、強調している。

「先住民をとりまく現状は実に悲しいものがありますが、一方で先祖伝来の文化をよく調べ、存続させる努力を展開している人たちもいます。このように居留地では各地に伝統文化を保存したり、復興を目指す動きが見られます。しかしこうした側面は、殆ど話題に上りません。」とゴストーズさんは語った。

ゴストーズさんは、先住民族が直面している厳しい現実を隠そうとはしない。ラコタ居留地では、若者の自殺が高い比率を示しており、さらに近年は心中事件も多発し、多くの遺族を悲しみの淵に追いやっている。しかし一方で、「若者らの中には、積極的に伝統儀式に参加し、祖先伝来の作法を受け継ごうと努力しているものや、先人がかつてしていたように、居留地の各地から野生の食料(苺や各種野菜等)を調達して家の前に菜園を作るものも見受けられます。彼らは、そうした野生の食料が生えている場所や菜園にそうした植物を植える際に歌う伝統的な歌も知っているのです。」とゴストーズさんは語った。

「こうした若者らには2つの知性―つまり米国社会における知性と伝統的なラコタ社会における知性-が共存しています。彼らは生き残っていくために、私の世代と母の世代双方の遺産を継承しているのです。」とゴストーズさんは語った。

音楽という共通言語

ゴストーズさんは、音楽が持つ共通言語こそが、異文化間の相互理解を促進していくとともに先住民文化が存続していくうえで、重要な役割を果たすと確信している。

またゴストーズさんは、チェダーフルートの名手として、アメリカ先住民の伝統楽器の復興に重要な役割を果たしてきた。

ゴストーズさんは、ラコタ族の文化を伝える手段として、欧州の現代楽器と先住民族の楽器の融合を図るなど、積極的に音楽を活用している

「音楽はラコタ族の言語のように、私たちの『心の言語』を引き立ててくれます。これは理屈や頭で考えるものではなく、感覚的なものなのです。」と、ゴストーズさんは語った。

「ラコタ語には、支配や排除に相当する言葉が存在しません。そして音楽はそれぞれの文化における語彙を反映させることができるのです。私たちは、先住民族と欧州の楽器を組み合わせることで、2つの音の融合を図っているのです。」とゴストーズさんは語った。

その結果、二つの楽器は融合し、どちらかが他方を支配するような関係に立たず、むしろ互いに影響を与え合い、引き立てあっている。

ゴストーズさんは、彼の音楽の中に流れる先住民音楽の響きを通じて、「聴衆に自らのルーツを感じてもらえるような演奏を目指したい」としている。

「演奏を聞いてくれた人々の多くが、音楽の中に何か太古の雰囲気を感じる、といってくれます。つまり、私たちは皆、母なる大地に根差しているのです。たんに、自分たちがいかに先住性を持っているかを忘れてしまっているだけなのです。」とゴストーズさんはIPSの取材に対して語った。

ゴストーズさんは、「音楽は、私たちに、母なる大地に寄生する存在ではなく、母なる大地と共に生きていく人間としての同義的責任があることを気づかせてくれいます。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|チリ|「ラテンアメリカの奇跡」-不平等が覆い隠された地

【サンチアゴINPS=マリアネラ・ハロウド】

金曜日の朝、サンチアゴの不動産会社重役のカルロスが目を覚ます。今日はいつものとおり妻と3人の娘と週末を別荘で過ごすため、仕事を早めに切り上げる予定だ。

同じ頃、サンチアゴの反対側の地区では貧しい農家出身のパブロ(4人兄弟の3番目)が、生肉処理場で夜明けから牛の肉を運んでいる。彼はこの日もここで9時間の労働に従事する予定だ。
カルロスの月給は約6,000ドルで、チリの最低月給水準である364ドルの17倍近くにのぼる。一方、パブロの月給はこの最低水準にとどまっている。

 両名ともチリ出身者である。チリは数十年に亘って、高い成長率と貧困率の削減に成功したことから「ラテンアメリカの奇跡」と賞賛されてきた。しかし、貧富の格差が世界で最も大きなラテンアメリカにあって、チリの実情は依然として最悪のレベルである。

こうした背景から、中道右派のセバスティアン・ピニェラ政権は、全国を対象とした最新の家計調査データ(CASEN)(7月24日発表)が「所得格差が縮小した」と結論付けていることを大いに歓迎している。

同データによると、チリ人口の最も裕福な20%と最も貧しい20%の所得合計の格差は、2009年に46倍だったものが、2011年には35倍に縮小しているという。

そして、もし政府による低所得部門への支援を計算に入れれば「この格差はさらに縮小されるのです。すなわち2009年における25倍という数値が、2011年には22倍に縮小しています。」と、ピニェラ大統領は語った。

しかし、お金が生活の質を確保する上での唯一の要因ではないように、賃金の違いのみによって不平等の実態を十分に説明することはできない。

カルロスはサンチアゴ東部の高級住宅地ラス・コンデス地区に5つの寝室と3つのバスルームを備えた、ゆったりとした家に住んでいる。

一方パブロは、サンチアゴ西部のロ・プラド地区にある小さな二部屋からなる家に、木材その他の材料で急ごしらえの2部屋を増築し、ここに自身と妻、2人の幼い子供(1歳と4歳)、母親と妹と共に住んでいる。

近頃は、ここ南半球の冬の寒さから室内を暖かく保つため、パブロ一家は、手作りの火鉢を使用している。手作り火鉢は最もお金をかけなくて済む寒さ対策であるが、頻繁に発生している火事の火元になるなど、最も危険な暖房手段でもある。チリの国内総生産(GDP)は、2006年から2011年の間に20%以上成長した。

家計調査データ(CASEN)は、チリにおける社会政策を策定したり評価したりする場合に用いられる主要な指標である。この調査データによると、貧困はチリ人口1700万人のうち、未だに1440万人に影響を及ぼしている。また総人口の2.8%が極貧状態にあるという。

しかしIPSの取材に応じた専門家らは、この最新の調査結果について、政府ほど楽観的ではなかった。

経済学者のグロリア・マリア氏はIPSの取材に対して、「CASENは、今日のチリの現状にはそぐわないパラメーターを基準にしています。この家計調査は、貧困や不平等の現状にほとんど触れない特定の前提に基づいて算出される統計的なエクササイズに過ぎないのです。つまり、貧困と不平等を計測することに関しては、既に信頼性を失ってしまっているのです。」と語った。

またマリア氏は、CASENでは貧困・極貧閾値の算出基準について、「ベーシックフードバスケット方式(現在の基準値は一月当たり146ドル)を採用しているが、一方でヘルスケア、住宅、教育、輸送といったその他のニーズが考慮されていません。さらに評価に組み込まれている消費パターンも時代遅れなもので、1987年のものが未だに使用されています。」と語った。

さらにマリア氏は、「もし最新の基準が適用されれば、貧困者比率は現在よりもかなり大きなものとなるでしょう。」と指摘した。しかし、政治的な代償を伴うそのような結果を進んで受け入れる政府はないだろう。このような現状について文化人類学者のマウリシオ・ロハス氏は、人々が尊厳ある生活をおくれる機会を決定することの重要性を指摘して、「私たちは数値に囚われるあまり、人々の生活の質をほとんど見ていないのです。」と語った。

先述のカルロスは、職場に行く途中、娘たちを私立学校(月の授業料は500ドル)に送り届けている。

一方パブロは早朝から就業しなければならないため、子供たちを公立学校に送っていく時間は無い。チリの公立学校は午前8時から午後4時までで、無料の給食とスナックが子供たちに提供される。

公的保育施設を無料で利用できるのは素晴らしいことだ。しかし、チリ社会に存在する大きな貧富の格差は、この国の分断化された教育制度(分権化された公立学校、補助金を受けた私立学校、授業料がかかる私立学校)が原因の一端となっているのである。

批評家らは、チリの憲法は国民が教育を受ける権利を保障しておらず、教育制度は金儲け主義に支配されている、と批判している。チリでは、他のラテンアメリカ諸国の場合と異なり、公立大学に対して入学金と授業料を納めなければならない。

ロハス氏は、「貧困問題は、教育、ヘルスケア、健康保険へのアクセスと密接に関わっています。こうしたアクセスを保証することこそが政府の役割のはずです。」と語った。

カルロスはアウグスト・ピノチェト独裁政権時代(1973年~90年)の1981年に創設された民間の健康保険に加入している。月額の保険料は高いが、お陰でチリで最高の病院と医者へのアクセスが、カルロスと家族に保障されている。

一方パブロは、職場を通じて国民健康基金に加入している。しかしこの制度で利用できる公立病院や診療所が提供する医療サービスのレベルは低いといわざるを得ない。
 
パブロは公立病院を利用した際の経験を振り返って、「悲しく、屈辱的な経験です。病院では、治療が必要なのが小さな子供でも、何時間も待たなければならないのです。ようやく診察にたどり着いても、医師は、ほとんどなにも説明してくれません。ぞんざいに扱われ子供を連れ帰ることになるのです。そして数日後、子供の具合が悪化して、再び病院につれていくことになるのです。毎年冬になるとこういったことが繰り返されているのです。」と語った。
 
サンチアゴの貧困家庭の多くがそうであるように、パブロ一家もとりわけ冬になると様々な健康問題に苛まれている。山々に囲まれた盆地に広がるサンチアゴでは、冬になると、悪名高いスモッグと厳しい気温の相乗効果で、呼吸器疾患の患者が急増する。この街における、呼吸器疾患による年間の死亡者数は、じつに4200人にのぼっている。
 
「消費社会は、結局のところ多くのチリ市民の基本的ニーズを満たすことはできないのです。にもかかわらず、この国にはこうした大きな格差を許容してしまっている雰囲気があります。」と、ロハス氏は語った。

ロハス氏はこの点いついて、「この国には消費社会が出現し、成功を収めています。これは豊かな製品や消費財を国民に見せ付けて、あたかも社会的な統合が現実のものとなったかのような錯覚を覚えさせます。しかしその一方で、多くの国民には引き続き社会的な権利が制限されているという厳しい現実を覆い隠しているのです。」と指摘した。

一日の仕事が終わり、カルロスとパブロは職場を後にする。日暮れ時、パブロは通勤客ですし詰め状態の公共バス「トランスサンチアゴ」に乗って、家路に向かっている。一方その頃までには、カルロスは既に太平洋を見下ろす別荘のバルコニーで、ワイングラスを傾けながら家族との団欒のひと時を楽しんでいる。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

|UAE|貧困に喘ぐ子供たちへの慈善活動「ドバイケア」5周年を迎える

【ドバイWAM】

「『ドバイケア』は、全ての人々に、持てる者たちが持たざる者たちを支援するという慈善活動を鼓舞するよき前例となるべきものである。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

ガルフ・ニュース紙は、「ドバイケア」設立5周年を記念して、「5年前にドバイ政府によって設立されたこの慈善組織は、28カ国において各種初等教育プログラムを展開し、700万人の子供たちに支援の手を差し伸べてきた。」と報じた。

 「『ドバイケア』は、これまでに1500以上の学校、教室の建設、修繕を行い、1000以上の井戸を掘り、3000の衛生施設を建設した。また、49万人を超える生徒たちに栄養価のある食料を支給し、23,000人の教師に訓練プログラムを提供した。さらに200万冊にのぼる本を配布した。」と同紙は付け加えた。

「この慈善イニシアチブが5年前のラマダン月に発表された際、ドバイの各方面の機関やビジネスコミュニティーが積極的に協力を申し出た。その後、市民からの寄付は、副大統領でドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下からの個人的な寄付17億ディルハム(370億円)を含む総額34億ディルハム(741億円)にのぼった。」と同紙は当時を振り返った。

「『ドバイケア』は、良きアイデアが如何にして世界的な運動へと成長し、恵まれない数百万もの人々の人生を変え、将来への希望を持たせる一助と成りえるかを示した素晴らしい事例である。」とガルフ・ニュース紙は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

兵器を鋤に、危機を機会に(セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表)

【ニューヨークIPS=セルジオ・ドゥアルテ

米国における主要金融機関の倒産とともに数年前に始まった危機は、いまや欧州に飛び火し、世界のその他の地域を脅かすようになった。健全な経済・財政政策や時宜を得た内需拡大策によってこれまでのところは被害を免れてきたアジアやラテンアメリカの新興国も、いまや、二次被害を受けつつある。

国際社会が金融不安と先行き不透明な状況に直面しているにも関わらず、引き続き数億ドルもの巨費が、さして成果を挙げていない軍事作戦に毎日消費され続けている。そうした中、その他にも様々な不穏な兆候が顕在化してきている。紛争地域の中には、戦闘作戦行動が終結しつつあるところもあるが、緊張の根本原因は取り除かれておらず、予測不能の帰結をもたらしている。

かつて強大な力を背景に各地の戦争に関与してきた国々では、本国へと撤退する圧力を感じている一方で、国家の安全保障体制を維持するためとして、次世代の殺戮兵器を設計・実験し、最終的には開発・配備するための新たな財源が割り当てられている。同様に一部の国々は、外国からの現実或いは想像上の脅威に対抗する破壊手段を得るために、乏しい国家財源のかなりの割合を防衛費に傾ける意志を固めているように見受けられる。

 国連の潘基文事務総長がかつて表現した「抑止という感染的なドクトリン」は、冷戦期の2つの敵対国家(=米国とソ連)だけのもつ特徴ではもはやなくなっている。もしある国が、自国には核の「保険」―自国の核戦力を指してある元首相がこう言ったことがある―を保持する権利があると考えるならば、他国にのみ同様の必要性を感じても追随しないよう期待するというのは無理があるだろう。

国際会議において二国間あるいは多国間の軍備管理協定を締結しうる日々が過ぎ去ってしまったかのように見えるのは残念なことである。過去の協定は、効果的な軍縮をもたらしてはいないとしても、少なくとも、軍拡競争の最も危険な側面を抑え込み、軍縮に向かったさらなる進展の可能性を示すことによって、ある程度の正気を保ってきた。国連が何十年も前に設置したこの多国間協議機関(=ジュネーブ軍縮会議)は、もうかれこれ15年にわたって、核軍縮と不拡散の両面において、何らかの重要合意に向けたほんの僅かの前進すらもたらすことができなかった。人類は、他の種類の大量破壊兵器、すなわち、化学兵器生物兵器の全面禁止という、これまでの成果をさらに追求するという能力も意思も失ってしまったかのようだ。

冷戦のピーク時に比べて核兵器の数はかなり減っているものの、実際の廃絶、あるいは、核を保有する国の軍事ドクトリンにおける核の重要性が低減されたかといえば、あるとしてもほんの僅かの進歩しか達成されていない。世界はますます財源を通常兵器の生産に振り向けている。そのうちのかなりの部分が違法なブローカーの手を通じて最貧国での紛争で使用され、民衆の生活を改善する機会を脅かしている。

世界が兵器に費やしている費用は合計で、約1.7兆ドルに達しているが、これはおそらく、先進諸国が金融状況を改善するために投下してきた費用とほぼ同じである。

しかし、今のところ少なくとも、すべてが失われたというわけではない。識者らは、本当の意味で時代を一歩先へと前進させた仕組みはすべて、国際関係における深刻な危機の中から生まれたものであると指摘している。最近の歴史では、重要な国際合意が、大きな紛争や大規模な破壊、深刻な対立のあとに実現している。具体的な事例としては、(最初の戦時国際法のひとつである)ハーグ陸戦条約、後に不運な結果となった(第一次世界大戦後の)国際連盟の創設、そして(第二次世界大戦後の)国連連合の創設がそれにあたるといえよう。

しかし、人類は、大きな戦争や同じような大惨事が起こるのを手をこまねいて待つ必要はない。この数十年の中で成し遂げた進歩はいずれも、惨事が現実に起こる前に何か手を打たなければならないという、時宜を得た認識の結果として実現したものである。具体的な例を挙げれば、米ソ超大国による、際限のない軍拡競争の狂気には終止符が打たれなければならないという認識であり、拡散は抑えられなければならないという認識であり、少なくとも、もっとも有害で無差別的な通常兵器は禁止されねばならないという認識であり、原子の力を平和利用にのみとどめる方法が模索されねばならないという認識であった。

現在の金融危機と、安全保障・軍縮・開発・環境の問題に対処する国際構造の行き詰まりとが合わさった効果によって、新しい認識が生まれてくる可能性もある。たとえば、富裕国は、自らの資産と福利が、天然資源と同じく、永久に続くものではないことにすでに十分に気付いている。従って、先進諸国は、全ての人々の利益になるように、賢明な解決策を目指して貧困国とともに力を生み出していくべきなのである。もっとも多くの武器で武装した国家は、自らの領土を要塞に変え、さらに高度な破壊方法を生み出したところで、自らの安全を高めるどころか、むしろ危険に晒すことになると気づくべきである。

より厳格な財政政策によって、世界中の軍事予算をかなり削減することができるはずである。おそらく、もっとも重要なことは、第二次世界大戦や冷戦は完全に終焉したのだと認識する国際システムにおいて協力することができれば、いかなる危機も解消することができるということを、富の多寡や政治力・軍事力の多寡に関係なく、すべての国家が最終的に理解すべきだということである。それは今からでも決して遅すぎるということはないのだ。

セルジオ・ドゥアルテ氏はブラジル大使で、元国連軍縮問題上級代表。

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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広島・長崎への原爆投下は避けられた(デイビッド・クリーガー核時代平和財団所長)

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これまで唯一戦時に核兵器が使用された悲劇的な記念日が近づいているが、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾を落とす必要がそもそもあったのかどうかという問いを考えてみる必要がある。実際、米国が「リトルボーイ」と「ファットマン」を投下したのは、敗北がほぼ見えており降伏しかかっていた国であったとみなしうる証拠は多い、と語るのは、「核時代平和財団」のデイビッド・クリーガー所長である。

【サンタバーバラIDN/NAPF=デイビッド・クリーガー】

1945年8月14日(日本時間8月15日正午)、日本は降伏し、第二次世界大戦が終わった。米国の政策決定者らは、原爆投下が降伏を早めたと論じてきた。しかし、日本の決定に関する歴史研究が教えるものは、日本が最大の関心を寄せていたのはソ連の参戦であったということだ。

 日本は、天皇制が保持される(国体護持)という前提のもとで降伏した。米国は、原爆投下前に、ハリー・トルーマン大統領に対してなされたアドバイス通りのことを行った。すなわち、天皇制を保持することを認めると日本に対して示唆したのである。こうしたことから、歴史家は、日本の都市に二発の原爆を落とさなくても、あるいは連合国軍が本土上陸攻撃を行わなくても、戦争を終わらせることができたのではないかと考えている。

米戦略爆撃調査団は、原爆が使用されなくても、ソ連が参戦(8月9日に日ソ中立条約を破棄して参戦した:IPSJ)しなくても、連合国軍が本土上陸を行わなくても、戦争は1945年12月31日以前に、おそらくは同年11月1日以前には終結した可能性が高いと結論している。

広島・長崎への原爆投下以前、米国は、通常兵器によって思うがままに日本の諸都市を破壊して回った。その当時、日本にはもはや抵抗のすべがなかった。米国は、原爆投下時点で敗北がほぼ見えており降伏しかかっていた国に対して原爆を投下したのである。

原爆投下が対日戦争終結の原因ではないとの有力な証拠があるにもかかわらず、多くの米国人、とりわけ第二次世界大戦を経験した人々は、それこそが終戦を導いたものだと考えてきた。太平洋戦線に送られていたか、これから送られる予定になっていた米軍人の多くは、原爆のおかげで、硫黄島沖縄で戦われたような熾烈な戦闘を日本の海岸で行うことなく命拾いしたと信じている。彼らが考慮に入れていないのは、日本は降伏しかかっていたということであり、米国は日本の暗号を解読して日本の降伏が近いと知っていたことであり、米国が日本からの申し出を受け入れていたならば、原爆を使わずとも戦争を終わらせることが可能だったということである。

連合国軍の将官のほとんどが、原爆投下の報に接して驚愕の反応を示している。欧州連合国軍総司令官のドワイト・アイゼンハワー将軍は、日本がまもなく降伏すると理解しており、「あんな恐ろしいもので爆撃する必要などなかったはずだ。」と語っている。米陸軍航空隊司令官のヘンリー・アーノルド将軍も、「原爆があろうがなかろうが、日本はすでに崩壊寸前だった。」と指摘している。

野蛮な兵器

トルーマン大統領の下で陸海軍総司令官(大統領)付参謀長をつとめたウィリアム・リーヒ提督は、この点について、「広島、長崎へのこの野蛮な兵器の使用は、対日戦を進めていくうえで実質的に何の助けになるものでもなかった。日本はすでに敗北しており、降伏寸前であった。我々は、原爆を最初に使用することで、暗黒時代の野蛮人と共通の倫理基準を採用することになってしまった。戦争は、女性や子どもを破壊することによって勝利できるものではないのだ。」と述懐している。

トルーマン大統領が「歴史上もっとも素晴らしいもの」と表現したものは、実際のところ、配下の軍事指導者らによれば、比肩するもののない臆病な行為であり、老若男女の大量殺戮にほかならなかったのである。原爆の使用は、ドイツと日本の民間人に対してなされた空爆、民間人の生命と戦争法をますます無視した空爆の極致であった。

長年戦ってきた人々にとって、戦争の終結で大きな安心がもたらされた。しかし、他方には、自分たちの作り出してしまったもの、その創造物がいかにして使われたかについて悔悟している核科学者らがいた。ハンガリーから米国に移住した物理学者で、ドイツが原爆を開発している可能性と、米国も開発に着手する必要性についてアルベルト・アインシュタイン博士に警告したレオ・シラード博士もそうした一人であった。アインシュタイン博士は、シラード博士の説得に応じて、ルーズベルト大統領へ警告書を提出し、それが契機となって、まずは、核連鎖反応を維持するウラン使用の可能性を探る小さなプロジェクト、続いて、最初の原爆を製作することになるマンハッタン・プロジェクトが現実のものとなったのである。

民間人の命を救う試み

シラード博士は、原爆が日本の民間人に対して使われないよう最大限の努力をした。彼はフランクリン・ルーズベルト大統領との面会を希望したが、大統領は1945年4月12日に死去した。次にハリー・トルーマン新大統領と面会しようとしたが、トルーマン大統領はシラード博士をサウスカロライナ州スパータンバーグに呼び、上院議員時代の自身の教育役であったジミー・バーンズ氏と会わせた。しかし、バーンズ氏はシラード博士に否定的であった。そこでシラード博士は、日本の都市にすぐに原爆を投下してしまうのではなく、デモ使用することを求めて、マンハッタン・プロジェクトの科学者らを組織しようとした。しかし、同プロジェクトを率いていたレスリー・グローブス将軍はこの具申を自らの所で留め置き、トルーマン大統領がこのことを知ったのは、原爆がすでに使用された後のことであった。

原爆の使用は、その他多くの科学者を悲嘆させた。アインシュタイン博士は、ルーズベルト大統領に書簡を寄せたことを深く後悔した。彼はマンハッタン・プロジェクトに参加しなかったが、このプロジェクト開始を促進するために自らの影響力を行使したからである。

アインシュタイン博士は、シラード博士と同じく、米国の原爆プロジェクトの目的はドイツの原爆使用を抑止することにあると考えていた。しかし、ひとたび原爆が開発されるとそれが日本に対して攻撃的に使用されたことに深い衝撃を受けた。アインシュタイン博士は、残りの人生の10年間を原爆の廃絶のために捧げた。彼は次の有名な言葉を残している。「原子から解き放たれた力は、我々の考え方を除けば、すべてを変えてしまった。そして我々は、空前絶後の破滅に向けて突き進んでいる。」(原文へ

※デイビッド・クリーガー氏は、核時代平和財団所長。核兵器廃絶運動の世界的リーダーのひとり。 

翻訳=INPS Japan

シリア・クルド勢力の北部地域奪取に、ジレンマに直面するトルコ

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【イスタンブールEurasiaNet=ドリアン・ジョーンズ】

トルコは今週、シリア・クルド人勢力が、政府軍から奪取したシリア北部の街からほんの数キロしか離れていないシリア‐トルコ国境において、戦車部隊による軍事訓練を敢行し、軍事力を誇示した。

シリア・クルド人勢力による北部諸都市(クルド人住民が多いハサカ県)の支配権奪取は、トルコ政府に警鐘を鳴らすこととなった。「ここアンカラでは多くの人々がこのニュースに驚いています。これは近年におけるトルコの歴史の中でも、最も厳しく深刻な事態の一つです。」と、軍事専門家でトルコ日刊紙「Hürriyet」のコラムニストでもあるメテハン・デミール氏は語った。

「トルコ国内のクルド人は、シリア・クルド人勢力による北部諸都市制圧を、トルコ国境地帯に将来クルド人自治州が設立される兆候であり、さらにはイラン、イラク、トルコに跨るより広範囲な地域を包含したクルド人国家建設への第一歩と受け止めるだろう。」とデミール氏は付加えた。

 トルコも国内に少数民族クルド人(総人口7360万人の2割)による分離・独立闘争の火種を抱えている。トルコ政府は、1984年以来、クルド人の権利拡大のために闘っているとされるクルディスタン労働者党(PKK:トルコ政府と米政府はテロ組織に指定している)と戦争状態にある。また、PKK兵士の多くがシリア・クルド出身である。また、制圧されたシリア北部のある街では、PKKの旗が掲げられていたとの報道があり、トルコ政府は懸念を深めている。

「我々は、トルコ国境付近に如何なるテロ組織の構築も許さない。相手がアルカイダであろうとPKKであろうと、国家の安全保障に関わる問題であると認識しており、事態に対処するための全ての選択肢を有している。」と、アフメット・ダーヴトオール外相は、7月29日に出演したあるトルコのテレビ番組の中で語った。 

こうした強硬な発言は、しばしば国家主義的な国内メディアの一部を通じて広がったパニック一歩手前の怒りに満ちた国民感情を、なんとか緩和させようとする政府の試みとみられた。

「今日の混乱の原因は、トルコ政府が、国民がこうした事態に直面する準備を怠ってきたからなのです。しかし国民ならまだしも、トルコ政府までもが、シリア北部の出来事に驚いたというのは信じられません。」「シリア・クルド人は、自らの民族自決権を追求し、少なくとも自治権の獲得を目指すでしょう。トルコ政府は、いつかこうした事態が起こりうるということを、何年も前から理解していたはずです。」と、イスタンブールのカディール・ハス大学のソリ・オゼル教授(国際関係論)は語った。

シリア北部諸都市がシリア・クルド人勢力の手に陥落して以来、完全武装のトルコ軍が、このシリアのクルド人地域と国境を接するトルコ国境地帯に派遣されている。

「トルコ政府は、シリア・クルド人支配地域が、果たしてシリア・クルド人の権利の問題なのか、それとも(国境を越えた)PKKネットワークの拠点なのか、しっかり見極めるでしょう。」「そして状況次第では、トルコは実際に軍事作戦を実行する可能性もあります。」と「Hürriyet」紙のデミール氏は語った。

しかし、オゼル教授は、トルコによるいかなる軍事行動も逆効果になるだろうと考えている。この点について同教授は、「軍事介入は、私が見る限り、トルコにとって自殺行為に等しいと思います。なぜなら、トルコ軍がはたして、新たな敵と戦う準備ができているとは思えないからです。…(既に国内のPKKと戦っている)トルコ軍は、シリアに侵攻すれば2つの戦線、或いはイラクのクルド勢力が関わってくれば3つの戦線を戦うことになるのです。」と語った。
 
差し当たり、トルコ政府は軍事介入よりも外交交渉に期待を寄せているようだ。イラク北部のクルド半自治地域政府は、トルコ及びシリア北部のクルド人が多数を占める地域と国境を接している。この数年間、トルコの与党「公正発展党」は、同クルド地域政府並びにマスード・バルザニ議長との緊密な関係を築いてきた(バルザニ議長は、イランに接近しアサド政権を擁護しているシーア派主導のマリキ政権とは、クルド地域から産出されるエネルギー収益の配分や自治権を巡って対立を深めている:IPSJ)。

「トルコ政府とバルザニ議長の間には緊密な対話のチャンネルが構築されています。しかし、シリアにはクルド国民評議会が多数派を占めるグループと(トルコと戦争状態にある)PKKの分派という2つの対立する派閥が確認されています。そして、バルザニ議長は、後者に対して影響力を持ち合わせていないのです。」と、イスタンブールに本拠を置くマリキ政権のシナン・ウルゲン議長は語った。

シリア情勢に対するバルザニ議長の影響力に関する信憑性について、最近ますますトルコ政府の間で疑問視する声が高まっている。シリア・クルド人が北部を掌握する前、トルコメディアは、数百人のシリア・クルド人兵士がバルザニ議長の兵士に付き添われて、シリアに帰還している様子を撮影した写真を放送した。

さらにトルコ政府の懸念を大きくしているのが、バルザニ議長が、PKKとの繋がりがある国民民主党を含むシリア・クルド人諸勢力間の協定をとりまとめたことである。ある地域の外交筋は、トルコ当局はこの協定について知っていたと指摘しているが、実際にトルコ政府がこの協定について知っていたかどうかは、未だに議論が分かれるところである。

7月26日、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相は、バルザニ議長に対して、「トルコは、これから起こりうることについて、もはや責任をとれない。」と警告した。

しかしこうした緊張関係も、トルコのダーヴトオール外相が8月1日にクルド半自治地域政府が置かれているイラクのアルビルにバルザニ議長を訪問して以降、沈静化してきている。会談後両者は、シリア問題について協力し合っていくことを約した共同声明を発表した。また、トルコ政府の怒りは、イラクのクルド人との通商関係が今後拡大していく中で、緩和されていくかもしれない。今や、イラクはトルコにとって2番目の貿易相手国であり、その大半をイラクのクルド人が占めているのである。

アナリストのウルゲン氏は、もしトルコ政府が国内のクルド紛争問題を解決するための手立てをとるならば、クルド人がトルコ国境に跨った国家を設立するのではないかという心配をする必要がなくなるだろう、と語った。またウルゲン氏は、「今後のシリア情勢の展開によっては、国内クルド人との協定内容が、トルコ政府にとってより厳しいものとなりかねない。」と警告した。

ウルゲン氏は、「トルコのクルド人は、国境の向こうで起きている出来事に刺激されて、自分たちにもできることがあるのではないかと、期待を膨らませる傾向があります。」と指摘し、シリア情勢が、トルコ政府による国内クルド人との交渉の行方に影をさしている。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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ごみ収集人がジンバブエの気候変動大使に

【ハラレIPS=スタンレー・クエアンダ】

ジンバブエの首都ハラレ郊外の住宅街ハットフィールドに住むトムソン・チコウェロさんは自分の職業を恥ずかしいと思っていた。彼は自分が何をして生計を立てているか誰にも知られたくなかったので、毎日まだ日が昇らないうちに起きて、家をこっそり脱け出したものだった。

そして帰宅するのは、その日多くの家のごみ箱から集めたペットボトルいっぱいのビニール袋を運んでいる自分の姿が見られないよう、いつも日没が過ぎてからだった。

2010年に失業するまで建設作業員として勤務していた中産階級のチコウェロさんにとって、家々を回ってごみ箱からプラスチックと段ボール箱を集めて売るという仕事は、当初苦痛に思えた。しかしそんなチコウェロさんも、ひょんなことから、今ではほんの一握りの数ながら、ジンバブエの気候変動大使の一人となっている。

 気候変動の影響はジンバブエにおいても既に顕在化してきている。気象庁は、ここ数年、降雨量の減少と気温の上昇を確認しており、3月21日に発表された「気候変動対策プログラム実施に向けた国の能力を強化する」と題した政府と国連委託の研究報告書には、「この傾向が続けば、ジンバブエにおける食糧の安全と経済成長が危機に晒されるだろう。」と警告している。

 しかしジンバブエの場合、現在の廃棄物管理のあり方を工夫することによって、気候変動による影響を緩和できる可能性が十分に考えられる。国連環境計画が2010年に発表した報告書「廃棄物と気候変動」には、「他の廃棄物管理の方策と比べて、リサイクルは、廃棄物抑制策に続いて最も気候変動対策に効果がある方法であることが分ってきている。この結果は(先進国のみならず)途上国においても同様と思われる。」と記されている。

環境NGO「Environment Africa」のマルナバス・マウィレ地域部長も、「リサイクルはジンバブエにとって重要」として、UNEP報告書の内容を支持した。

マウィレ氏は、「リサイクルによって気候変動による影響をかなり緩和できると思います…もし産業界がプラスチックボトルと廃品材料をリサイクルしたとしたら、原材料からプラスチックや金属を生成するために必要なほどのエネルギーを消費する必要がなくなります。つまりリサイクルをすれば、原材料とエネルギーの消費を抑えられるため、二酸化炭素の排出量(カーボンフットプリント)を削減できることが証明されているのです。」とIPSの取材に対して語った。

米国環境保護庁(EPA)のリサイクルに関するデータ表によると、「リサイクルプラスチックを1ポンド(153.592グラム)生成するのに必要なエネルギーは、原材料からプラスチックを生成する場合の約10パーセント。」と記されている。

ジンバブエによる温室効果ガス削減量を見積もった数値はないが、英国の場合、リサイクリル活動により、年間1800万トン以上の二酸化炭素排出量が削減されている。これは乗用車177,879台分の排ガス量に相当する。

しかし多くのジンバブエ人は、気候変動の問題やその緩和努力について知らない。ジンバブエ政府も現在のところ気候変動に対処する方策を持っておらず、気候と開発知識ネットワーク(CDKN)の協力を経て、初めてとなる対策案を策定している最中である。

従って、チコウェロさんがごみからプラスチックと段ボール箱を選別・回収して販売する仕事を始めたのは、他の同業の人々の場合と同じく、失業率70%というジンバブエにあって、ただ生計を繋いでいきたいという思いからだった。彼らに収集されたプラスチックごみは、1キロあたり7ドルから10ドルの相場で買い取られている。

チコウェロさんのようなごみ収集人の数については、公式な統計がないが、ハラレ郊外でこうしてごみ収集している人々の光景は一般的なものとなっている。ハラレのムバレムシカ市場でプラスチックごみを買い上げているバイヤーたちは、IPSの取材に対して、プラスチックごみを持ち込んでくる人々の数は、毎日200名を超えていると語った。

この市場はハラレ最大のもので、一角には、リサイクル素材の買い上げを専門に行っているバイヤーの店が軒を連ねている。さらに、ハラレの工業地域で包装・リサイクルを扱っているムクンディ・プラスティクス社は、1日あたり100人以上の人々がプラスチックごみを持ち込んでいる、と語った。

リサイクルはジンバブエにとって重要な課題となっている。ジンバブエ環境管理局によると、ジンバブエは既にごみ埋め立て場の不足に直面している。

さらに2011年版「Journal of Sustainable Development in Africa」によると、ジンバブエの家庭が一日に出す固定廃棄物の量は平均2.7キロだが、そのうち生物分解性のごみは47%にとどまっている。そこで当局はごみ処理対策としてしばしば焼却処分に訴えているが、こうした措置は、環境に悪影響を及ぼすものである。こうしたジンバブエの現状を考えると、リサイクルは大変有効な対処法である。

チコウェロさんは、気候変動の問題についてや、リサイクル活動がいかにして二酸化炭素排出削減に貢献し得るかについて、プラスチックごみを買取るあるバイヤーから初めて学んだ。そのバイヤーは、チコウェロさんをはじめ多くのごみ収集人にリサイクルの利点を話しかけることで、彼らを励まし、ごみ収集の仕事を続けていってもらいたいと考えている。

「私たちは、この仕事を始めたとき、単にお金のために働いていると思っていました。また、プラスチックごみが私たちから購入されてからどうなるのかを教えてもらうまで、どうして、プラスチックボトルや段ボール箱を購入したいという人々がいるのかしら、と不思議に思っていたものでした。」とチコウェロさんは語った。バイヤーに買い取られたプラスチックボトルや段ボール箱は、地元や多国籍企業によってリサイクルされ、ソフトドリンク用プラスチックボトルやシリアルの箱が新たに製造されている。またチコウェロさんは、ごみの収集をする際にお世話になる家庭内労働者に対して、紙とプラスチックを分別するよう促すことで、ジンバブエの気候変動対策の一助になっているということに気付いていなかった。

政府と国連諸機関による委託で作成された先述の報告書によると、ジンバブエに対する評価は、気候変動による影響を緩和し適応する能力に欠けている、というものであった。

「私は(家庭内労働者に)ごみを出す際にプラスチックボトルを一般ごみから分けるようお願いしています。当初は、なかなか理解を得られず大変でしたが、時が経つとともに、顔を覚えてもらい、私がなぜごみの分別をお願いしているのかが理解いただけるようなるにつれて、仕事も少しずつやりやすくなりました。」とチコウェロさんは語った。

こうしてごみ分別という考えを受入れる家庭が増えるにつれて、チコウェロさんの仕事効率もよくなっていった。今ではごみ収集の仕事を始めた頃に比べて、より少ない時間でより多くのプラスチックごみを収集し、売上額も多くなった。

チコウェロさんは現在、ハラレ中心部のアパート50ブロックとイーストリー郊外で、プラスチックごみを回収している。

ごみ分別のメリットを訴えるチコウェロさんの訴えは、こうしたアパートの管理人の間でも急速に受入れられていった。「管理人さんたちは大変協力的で、お蔭で仕事がスムースに進みます。」と、イーストリーにあるセント・トロぺツ・アパートの壁に管理人が掲示した(紙とプラスチックを一般ごみから分別するよう住人に求めた)張り紙を指さして語った。

このアパートで家政婦として働いているイダー・ンダジラさんとタテンダ・ムンジョマさんは、IPSの取材に対して、他にも3人のごみ収集人が定期的にこの建物を回っており、彼らもチコウェラさんのように、気候変動の問題についてとリサイクルの重要性について説いていった、と述べている。

「私は当初何のことか分かりませんでした。実は、プラスチックごみの収集人が教えてくれるまで、気候変動の問題は、ここジンバブエではなく、外国で起こる問題だと思っていたのです。…今では私もこの情報を他の人々と共有するようにしています。」と、ンダジラさんは語った。

今日では、イーストリー郊外の3世帯に1軒がチコウェロさんが説く、プラスチックのリサイクル分別に協力するようになっている。そしてこのリサイクルの輪は他の世帯にも急速に広がっている。

「(ごみの分別は)今や生活様式の一部となりつつあります。だから、この運動は広がりを見せているのです。」とチコウェロさんは語った。
 
気候変動に関する国家運営委員会(National Steering Committee on Climate Change: NSCCC)のコーディネーターを務めているトディ・ンガラ博士のような立場の人でさ、チコウェロさんのようなごみ収集人の人々による努力を認めている。

「彼らの働きはまさに称賛に値するものです。彼らはこれまで街の浄化に多大な貢献をしてきました。そして今また、リサイクル産業への貢献を通じて環境の浄化を補佐しようとしているのです。」とンガラ博士はIPSの取材に対して語った。

政府の気候変動適応委員会は、ごみ収集人らに対して、助言を求めるとともに、気候変動対策の戦略を策定していくうえで、彼らを大使として活用すると約束した。

ジンバブエ環境省のイルヴィン・クネネ環境課長は、5月上旬にハラレで出席した気候変動政策会議において、「ごみ収集人を含む全ての利害関係者に対して、国家気候変動政策の策定に関して助言を求めるだろう。」と語った。

このような動きから、チコウェロさんは自分の仕事に誇りを持つようになった。

「私は自分の仕事をもはや恥ずかしいとは思っていません。」とチコウェロさんは語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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