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中東軍縮会議の開催に不安

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【国連IPS=エリザベス・ウィットマン】

中東の非大量破壊兵器化に関して会議が開かれる予定の2012年まであと4ヶ月。しかし、未だに会議の開催日も、ファシリテーター役も、開催国も決まっていない。

2010年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議において、条約加盟国は、1995年の「中東に関する決議」に従って、中東における生物兵器・化学兵器・核兵器の軍縮について議論する、中東の全諸国を当事者とした会議を開くことに合意した。米国、英国、ロシア、国連事務総長が、会議の開催に向けて準備を進めることも決まった。

 中東諸国と会議準備国双方の政府高官による準備協議が進行中ではあるが、依然として、会議開催国も、ファシリテーターも、開催日も―これらはすべて会議開催に必要なものである―決まっていないことは「きわめて残念です」と話すのは、米英安全保障情報評議会のワシントン支部代表であるアン・ペンケス氏である。

軍備管理協会ダリル・キンボール事務局長も、「会議開催に向けた集中的な協議がたしかに行われている」としているが、一方で、「仮に会議が開かれるとして、関係諸国が、会議を生産的なものにするような内容面よりも、実務面に焦点を当てすぎるのではないか」との懸念を表明している。

会議の実務面の決定に遅れを生じさせている要因は多くあるが、なかでも重要なのは、どの国が会議を主催するのか、誰がファシリテーターになるのかが決まっていないことである。

キンボール事務局長は、中東諸国をすべて一堂に集めること自体、きわめてハードルが高く、たんに会議開催に合意するだけでも「大きな突破口だ」と強調したうえで、「イスラエルとエジプト、イラン、シリア、サウジアラビアが同じ会議室に集い、建設的な会話を交わすというのは、きわめてハードルの高い取り組みです。」とIPSの取材に応じて語った。

部屋の中の象*

イスラエルが核保有を公式宣言していないことは、政治的論議の多くの領域において障害となっている。しかし、議論が軍縮に絡んでくると、ますますこの問題はセンシティブなものとなる。イスラエルは、NPT運用検討会議の最終文書が同国が条約加盟国でないことを名指しで批判したことで、態度を硬化させている。

ペンケス、キンボール両氏によると、その結果、イスラエル政府は、2012年の会議が、イスラエルとその核政策にのみ焦点を当てたものになってしまうのではないかと懸念しているという。

しかし、イスラエルがもし会議に参加するならば、そうした可能性もむしろイスラエルの利益に変わるであろう。キンボール事務局長は、イスラエルが会議に出ること自体、中東におけるイスラエルの評価を高めると考えている。「会議出席によって、イスラエルには、中東の他の国が化学兵器・生物兵器・核兵器の不拡散の義務をはたす必要について指摘する機会が与えられることになるだろう。」と、キンボール事務局長は付加えた。

イスラエルは、中東唯一のNPT非加盟国であり、公式宣言しないまま核を保有しているという事実は広く認められている。一方、シリアとイランはNPT加盟国だが、それぞれ、化学兵器と核兵器開発を進めているものとみられている。

イスラエルが2012年の会議にどれほど関与してくるかは不確実である。かつては、イスラエルだけを非難しないという条件をつけて会議に参加してくる見通しもあった。この点についてキンボール事務局長は、「イスラエルはきわめて用心深く、会議参加への態度を明らかにしてこなかった。」と語った。

しかし、ペンケス氏は、「非大量破壊兵器地帯化を議論することに『オープンな』イスラエルの政府関係者達と話したことがあるが、イスラエルは中東会議に向けた議論のプロセスには関与し続ける意向だった。」と語った。

この点について、イスラエルの国連代表部からのコメントは得られなかった。

中東和平

現在中東の多くの国を席巻している政治的動乱と不確実な状況は、すでに非常に複雑でセンシティブな問題に関する議論を単純化することにはならないようだ。

「近年、軍縮問題はこれらの国々にとって外交課題の首位を占めなくなってきている」とキンボール事務局長は指摘した。結果として、2012年会議の準備は遅れている。

一方ケンぺス氏は、「中東諸国が民衆蜂起の問題に気をとられていたとしても、こうした不確実な状況にあるからこそ軍縮会議を開く必要性、とりわけ、イスラエルがすべての隣国と同じテーブルにつく中東会議を開く重要性はかえって高まっています。」と語った。

またペンケス氏は、「民衆蜂起を理由にして2012年会議への不参加を決める国も出てくるかもしれないが、それを実際に意図している国があるようには思えません。」と語った。

軍縮問題は常に中東の和平プロセスと強く結びついてきた。とりわけ、和平プロセスの重要プレイヤーであるイスラエルにとっては、安全保障がもっとも重要な問題だからである。

かつて国連で兵器査察を行っていたリチャード・バトラー氏は、軍縮は和平プロセスにとって「本来的に重要なもの」だとIPSの取材に電子メールで答えた。

しかし、ペンケス氏によれば、和平プロセスと軍縮の問題を切り離すべきという「強い主張」もあるという。

中東の軍縮と和平プロセスの関係がどのような形をとるのかということは別にしても、どちらの問題も長期にわたる時間と着実なコミットメントを必要とする複雑な問題である。中東の軍縮はわずか1回限りの会議で達成できるものではない。しかし、そうした努力なしには、進歩が得られることはなおさらないだろう。

ペンケス氏は「事態はゆっくりとしか進んでいない。しかし、進んでいることは確かである。」と結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*Elephant in the room: 誰もが認識しているが話したがらない重要な問題

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飢餓との闘いより重視される軍事予算

【ブリュッセルIDN=バドリヤ・カーン】

年間1兆6300億ドルが軍事予算のために使われているときに、人類の6分の1にあたる10億人以上が飢えているとはどういうことだろうか。世界の武器取引の90%以上を占め、自由のモデルを相手の有無を言わさずに世界中で適用しようと試みている米国や西欧諸国は、飢餓を終わらせるために自らの行いを再考しようとは思わないのだろうか。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の調べでは、2010年の世界の軍事支出合計は1兆6300億ドルで、世界金融危機にも関わらず、前年より1.3%伸びている。

 最大の伸び幅を示したのは南米で5.8%増。金額では633億ドルである。この点についてSIPRI軍事費プロジェクト・ラテンアメリカ専門家カリーナ・ソルミラーノ氏は、「南米の大半の国々は現在軍事的脅威に直面しておらず、むしろ緊急に対処すべき様々な社会問題を国内に抱えている中で、このような軍事費の伸びが続いているのは驚きである。」と語った。南米諸国において軍事費が増大した理由と一つとして、近年における力強い経済成長が挙げられる。一方、南米以外の地域は世界的な経済不況の影響から、軍事費の支出を削減、或いは2010年の伸び率を下回っている。

しかし、何といっても世界最大の軍事支出国は米国である。2001年から09年までは平均年間7.4%の伸びを示し、2010年は前年度2.8%増であった。米国の軍事費増加額196億ドルは、世界全体の増加額206億ドルのほとんどを占めている。

「米国の軍事支出は2001年から81%増加しており、これは世界全体の43%、軍事支出で第二位の中国の6倍の規模にあたります。2010年における米国の軍事支出額が国内総生産(GDP)に占める割合は4.8%で、米国は、中東を除けば、軍事費が最も大きな負担となっている国です。」とSIPRI軍事費プロジェクトリーダーのサム・ペルロ・フリーマン博士は語った。

一方欧州は、増大する財政赤字を縮小しようと、各国政府が軍事費削減に努め、前年比2.8%減となった。この傾向は特に経済的により脆弱な中・東欧諸国や、財政危機に直面しているギリシャなどに顕著であった。 
 
アジアでも軟調だった2009年の経済を反映し、軍事費の伸びは前年比1.4%増にとどまった。

中東は前年度比2.5%増の1110億ドルで、最も高い伸びを示したのはサウジアラビアであった。アフリカは5.2%増で、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアといった産油国が牽引役となっていた。

SIPRIによると、世界の兵器生産企業トップ100社のうち、ほとんどは米国企業である。これに、西欧諸国、ロシア、日本、イスラエル、インド、韓国、シンガポールが続いている。

「アフガニスタン及びイラクにおける戦闘が引き続き、装甲車、無人航空機(UAVs)、ヘリコプター等の軍装備売り上げに大きく貢献している。」とSIPRIは分析している。

こうしてみると、世界の武器取引の実に90%以上が、民主主義、自由、人権の擁護者を自認する米国及び西欧諸国によるものである。まさにこれらの国々こそが、いわゆる「自由のための戦争」をとおして、自由の擁護者たる自らの価値モデルを、組織的に世界に押しつけてきたのである。
 
国連の潘基文事務総長は、2010年4月に開催された軍縮に関する国連総会の会合において、「世界には武器があふれており、他方で開発への資金は足りていません。優先順位を変えるべきです。私たちは(軍事予算から)解放された資金を、気候変動対策や、食の安全保障への取り組み、さらにはミレニアム開発目標の達成のために活用することが可能になるのです。」と語った。

大量破壊兵器の絶え間ない脅威から世界を開放すべきだとする様々な呼びかけがなされている一方で、そうした兵器の大半が米国及び西欧諸国によって絶え間なく日々生産・販売されている現実は、意図的に無視されている。例えばこの現実が意味することは、世界が武器購入に費やす年間1兆6000億ドルの資金があれば、気候変動に伴う災害(その大半は主要な武器製造会社によって引き起こされている)から十分地球を救えるということである。 

また、人類の6人に1人にあたる10億2百万人が恒常的に飢餓に苦しんでおり、一人当たり1.5ドルの支援を1週間継続するだけで、地球上から飢餓を根絶できることも明らかにされている。 

飢えに苦しむ10億の人々を救うのには、年間僅か440億ドルしかかからない。この金額は毎年軍需産業に費やされている1兆6300億ドルからしてみれば、ごく僅かな金額である。

Human Wrong Watchは2011年8月10日付記事の中で、「アフリカの角」地帯(東アフリカ)の最貧困層が直面している惨状を報告している。「豊かな国々の政治家たちが、選挙支援の見返りに地球規模の金融危機を引き起こした或いは深く加担した民間企業や銀行を救済する一方で、旱魃に苦しむ「アフリカの角」地帯では、穀物やミルクの価格が史上最高値を付けた。」と報じている。

国連は、「こうした食糧の記録的な高騰が、ソマリアで厳しい食糧不足と飢饉に直面している1240万人とみられる人々をさらなる苦境に追い込んでいる。」と報告している。

国連食糧農業機関(FAO)によると、穀物の高騰は、干ばつ、燃料価格の高騰など、複合的な要素によるという。

ソマリアでは、最高時の7月よりは落ち着いてきたが、それでも今月は前年比150~200%を記録している。エチオピアでは50~75%増、ジブチでは67%増などを記録している。

世界の軍事支出と飢餓の問題を考える。

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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米国の覇権を脅かす厳しい試練

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【ブリュッセルIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

2001年9月11日に旅客機が世界貿易センタービルに激突したとき、マシュー・グッドウィン氏はデトロイトの教室でベトナム戦争についての講義を受けていた。

現在は英国の名門シンクタンク英王立国際問題研究所(チャタムハウス)のアソシエイトフェローを勤めているグッドウィン氏は当時を振り返って、「窓の外を見ると、車が道路の真ん中にラジオをつけたまま止まっており、事態の進展を把握しようと多くのアメリカ市民が車を取り囲んでラジオに聞き入っていました。それはまるで映画の一シーンのようでした。しかし、9・11同時多発テロ事件(=9.11事件)の影響は米国国内にとどまらなかったのです。」と語った。

 9・11事件は、概ね国際関係に及ぼした影響(新たな同盟の構築、『テロとの戦い』、対アフガニスタン戦争、イラク進攻を正当化する理由)から語られることが多いが、グッドウィン博士は、同事件の影響は各国の国内政治の分野、とりわけ主に次の3つの現象となって表れたと指摘している。

-西側民主主義国家の市民は以前よりも安全保障問題に関心を持つようになった。

-各国の政党政治が影響を受けた。9・11事件前から欧州各国の極右政党は、移民問題、(差別撤廃による)人種統合政策、法と秩序の問題を巡る一般市民の不安に焦点をあてて支持層を拡大していたが、事件によってさらなる勢いを得た。

-公共政策が影響を受けた。9・11事件を契機に欧州各国の政府は、暴力的な過激思想の防止やムスリムコミュニティー内の過激化傾向にいかに対処するかについて一層真剣に考えざるを得なくなった。

「しかし事件から10年が経過したが、私たちはあらゆる形態の暴力的な過激思想がなぜ人々を引きつけるのか、その正確な原因を理解するにはまだ程遠い位置にいます。おそらくその原因について説得力のある説明ができるようになるには少なくともさらに10年の年月が必要なのかもしれません。」とグッドウィン氏は付加えた。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのマイケル・コックス教授は、「米国がテロリストの攻撃を受けた時…米国の世界における地位は圧倒的で全く脅かすことすら不可能に思えたものでした…しかし10年が経過し、米国の自信は揺らぎ当時とは全体的に異なった国になってしまいました。中国が興隆し多額の米国債務の買い取るまでになっている中で、かつてのように確信をもって米国の覇権について語るものはほとんどいません。」と語った。
 
コックス教授は、チャタムハウスの月刊誌「The World Today」に寄稿したレポートの中で、「ソ連との冷戦に勝利し、建国以来200余りの歴史の中で最も繁栄した10年を謳歌してきた米国は、21世紀を迎えた時、国際関係において各種難題に直面していることは認識していたものの、自国にとって深刻な脅威になるものはないと過信していた。」と記している。

「事実、21世紀初頭においてはこうした楽観論が圧倒的に世論の大勢を占めていたため、冷戦終焉前夜にポール・ケネディ教授のような有識者が米国の衰退は長期的には不可避だと熱心に論じて米国世論が先行きを不安視した一時期があったことさえ思い出すものはほとんどいなかった。ケネディ教授は、(1987年に発表した『大国の興亡』の中で)米国ほどの巨額の財政・貿易赤字を抱え、同時に海外に安全保障上の責任負担を抱えている国が、そのまま世界の覇権を維持しつづけることは不可能であり、地位低下は避けられない、と結論付けた。」

しかしこうした米国衰退論は、ジョージ・W・ブッシュ大統領が2000年にクリントン大統領から政権を引き継いだ時点では、『奇異』に映ったし、事実、9・11事件後の報復措置として米国が莫大な資源を動員し始めた際には、『現実離れしたもの』として受け止められた。

コックス教授は当時の米国の軍事覇権の状況について、「当初評論家たちの反応は、(米国の軍事力が世界を圧倒している現状に)深く感銘しているようであった。あの著名な『衰退論者』であるポール・ケネディ氏でさえ、2002年に発表した論文『舞い降りた鷲』の中で、米国は単なる超大国にとどまらず、一国がこれほど圧倒的な力の優位を持ったことは歴史上類例を見ない、と米国の抜きんでた軍事力の怪物ぶりを驚嘆とともに熱心に描写していた。」と記している。

「当時は、左は批判的なヨーロッパ人から右は米国のネオコンに至るまで、『米国は過去の帝国と同じ道を辿るだろう。ただし1つ明らかな違いは、ポトマック河畔の新ローマ帝国(米国)の場合、衰退はまだ先のことで、繁栄は今後も100年は続くだろう。』という考えに反対するものはほとんどいなかったように思われる。」

もし私たちが9・11事件以来、世界がいかに変貌したかについて十分に理解しようとするならば、コックス教授がいみじくも指摘しているように、このような10年前に米国社会を席巻していた楽観論を今日改めて振り返ってみる価値は十分あるであろう。21世紀初頭、アメリカ人は自信に満ち、政府はあたかも米国に不可能なことはないかのような態度で振る舞った。イラクに侵攻した際も、そうした行動が中東と世界における自らの立場にどのような深刻な影響を及ぼしかねないかということにほとんど注意を払うことさえしなかったそれから10年が経過し、今日の米国はかつての面影をとどめないほど大きく変貌してしまった。

米国が大きく変貌したことを示す明確な兆候は2008年のバラク・オバマ氏の大統領選出である。コックス教授はその背景には、アメリカ国民が、2003年にイラク戦争を引き起こし2007年にはさらに金融危機を招いた2期に亘る共和党政権を、もはや信用しなくなっていた点を指摘している。

「オバマ大統領が公約の全て実現してきたかどうかは、議論の余地のある問題だが、明らかなことは、彼の劇的な登場の背景には、国際社会における米国の立場を回復し再び経済恐慌に突入するのを回避するには、何か思い切った新しいものが必要と考える米国民の切実な危機意識があった。」

「しかし増え続けるアフガニスタン及びイラクにおける米兵の死傷者、こうした戦争を遂行するために要する膨大な経済負担、『テロとの戦争』遂行のために用いられた手段が米国の依って立つ信念そのものを危うくしかねないなどの現実に直面して、多くのアメリカ人は自尊心を傷つけられるとともに、米国の国際社会における役割についても、次第にその意義を見出せなくなってきている。」とコックス教授は記している。

「世界がもはや意図する方向に向かっていないとアメリカ人に自覚させたものは経済危機が米国の生活様式に及ぼした影響であった。2011年に実施された世論調査では自分の子ども達の世代は自らの世代より生活レベルが向上するだろうと考えていたアメリカ国民は全体の僅か4分の1に過ぎなかった。またアメリカ国民は、国際社会を席巻している変革は、身の回りで起こっている出来事に対処する能力を急速に阻害していると強く感じている。」とコックス教授は語った。

コックス教授は、「近年、次の世紀はアジアの世紀だとか、覇権の中心が西から東へ移動しているなどの議論が数多く行われてきたが、ゴールドマンサックスのジム・オニール氏のような経済学者が少し前に指摘しているように、米国が中東やアフガニスタンのタリバンに対して戦争を仕掛けている間に、いわゆるBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)とよばれる新興諸国は、高い経済成長を実現した他、新たなパートナーシップを構築し、米国や欧州同盟諸国よりいち早く経済危機から抜け出すことに成功した。」と結論付けた。

一方ジェイソン・バーク氏は、異なった視点から、「9・11事件から10年が経過し、上層部の指導力、支部組織のネットワーク、幅広いイデオロギーのいずれについてもアルカイダによる脅威は弱まっている。」と主張している。

9月に出版された「The 9/11 Wars」の著者でガーディアンとザ・オブザーバーの南アジア特派員であるバーク氏は、アフガニスタンのカブール郊外に車で出かけ、タリバンによって多くの貴重な彫刻が破壊された博物館や同じく無残に破壊された旧王宮を通過し、轍のついた道伝いに進んでリシュコール村を訪れるようアドバイスしている。

「元アフガニスタン大統領(ムハンマド・ダーウード)の名前にちなんだ『ダーウードの庭』として知られる森林の中の空き地と小川を超えると古いアフガン軍の基地にたどり着く。10年前の2001年の夏、ここはパキスタン人及びアラブ人ボランティアに軍事基礎訓練を施しタリバンとともに戦うために新兵を前線に送り出す軍事拠点であった。またここは同時に、アルカイダが選別したテロリストに、都市攻撃の技術を指導する小規模の特別訓練施設が置かれた場所でもあった。」とバーク氏は記している。

現在、リシュコール村は、米軍特別部隊がアフガニスタン国軍特殊部隊に軍事訓練を施す場となっている。一方、『ダーウードの庭』は少なくとも週末にはピクニックに訪れる家族連れで賑わっている、とバーク氏は報告している。

バーク氏は、2011年5月にパキスタン北部のアボタバートで米特殊部隊がオサマ・ビンラディン(同地に最大6年間隠れていたとみられる)を殺害した事件は、「ビンラディンが率いてきた過激派組織を新たに発展させる契機となったのではなく、長年に亘る同組織の衰退傾向に終止符を打つ契機となった。」と確信している。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【東京IDN=高村正彦】

東日本大震災からまもない、悲惨な爪痕が未だ至る所で感じられた時期に、米国のローレンス・サマーズ前米国家経済会議(NEC)委員長が「日本は今後、坂道を転がり落ちるように貧しい国になっていくであろう」とコメントしたと聞きました。

サマーズ氏がどのような根拠でそのような結論に至ったのか分かりませんが、私は、そんなことは絶対にないと思います。日本は必ず、再び昇る太陽のように、この惨事から復活すると確信しています。

66年前、日本は第二次世界大戦で敗北しました。約300万人の方々が亡くなり、主要都市はほとんど焼け野原になりました。当時私は子供でしたが、「日本は四等国になったんだ」という話を聞かされたことを覚えています。しかし世界中の多くの人々が「日本はもうだめだろう」と思った中で、日本は立ち上がって、立派に復興を成し遂げました。

 日本という国はピンチに強いんだと思います。よくも悪くも、日本人というのは同じ方向に走り出す傾向があります。ピンチには最悪の状態から走り出すわけですから、みんな、いい方向へ走り出すのだと思います。

キリスト教なき資本主義
 
約100年前に、マックス・ウェーバーが、「資本主義というものは、資本の蓄積と技術革新があれば、それだけで成立するものではない。『資本主義の精神』というものが必要であり、それがないところで資本主義を実践しようとすれば、市場は単なる博打場になってしまうだろう。」と述べています。

「資本主義の精神」というのは何か。マックス・ウェーバーは、「それは『正直に勤勉に働くことが、神の御心に叶う』と説くプロテスタントの精神であり、こういう気持ちがまさに資本主義の精神である。」と述べています。

なぜ日本の場合、資本主義の精神(=プロテスタントの精神)がなくて、資本主義が成功したのかと言えば、日本には日本なりの資本主義の精神があったのだと思います。江戸時代(1603年~1867年)の初期に、日本では既に、「働くこと自体を尊きこと」とみなし、儲けを第一義としない「商人道」というものが成立していたと言われています。

日本は、「商人道」という「資本主義の精神」に相当する精神的背景を得て、キリスト教国以外で初めて資本主義を成功させ、敗戦から僅か23年で世界第2位の経済大国になることができたのです。

しかし、成功してしまうと、今度は日本社会にある変化が起きました。いつの間にか、その「商人道」は薄れて、儲けそのものが目的になってしまったのです。当時批評家の中には、そうした日本の姿を例えて「モノで栄えて、心で滅ぶ国だ」と批判する人たちもいました。

儲けそのものが目的になると、人々は額に汗してモノをつくるよりも、お金を右から左に動かしたほうが手っ取り早いと考えるようになりました。その結果、本来、産業の僕(しもべ)であるべき金融が、産業を僕にしてしまったのです。

職業の道徳原理が「儲け」優先主義に取って代わられた事例として、「建築物の安全基準を無視して(経費がかかる)鉄筋を抜きとる耐震偽装問題」や、「商品の産地を偽って消費者に高く売りつけようとする産地偽装」があります。

そのような偽装事件が起これば、当局は規制を強めざるを得ません。すると市場に悪影響を及ぼし、資本主義が機能不全に陥ってしまいます。その結果、心で滅ぶと、モノだけでは繁栄を維持できなくなるのです。そして、近年そうした建築・産地偽装にまつわるスキャンダルがおこり、段々おかしくなってきたところに、大震災が日本を襲ったのです。

しかし、日本は必ずまた立ち上がります。世界中の人々は、大震災後、食物の奪い合いもおこらず、被災者が助け合いながら、秩序正しく活動していることに驚いています。中国や韓国でも「日本を見習うべきではないか」という声が出てきているのです。

懸念

ただし、だからといって今後の日本について心配がないわけではありません。「国民はいいが、政治がだめだ」ということです。「そう言うお前も政治家の端くれとして、今日の政治状況を招いた責任があるだろう。」と言われれば、全くそのとおりです。しかし、これをどうするかというのは、大きな問題だろうと思います。

菅直人前首相(8月26日に辞任)はかつて、「国務大臣になるということは、一般国民を代表して、官僚組織が悪いことをしないように見張るために大臣になるのだ。」と語ったことがあります。

今度の大震災についても、こうした政治問題が表面化しました。例えば、私は、外国の大使館の人と付き合う機会が多いのですが、大震災の直後の日本政府とのやり取りについて質問を受ける機会が度々ありました。つまり今回の大震災に際しても、各国の大使館は日本政府に支援の申し出をしたのです。彼らの話によれば、1995年に勃発した阪神大震災の際にも、同様の支援を申し出たのだが、当時の日本政府(当時は自民党が与党政権)は大体2・3日で各々の申し出に対する返事を返してきたと言うのです。

しかし今回は、申し出をしてから3・4週間経過しても(菅直人政権の)日本政府からなんの返事も帰ってこなかったと口々に不平を言うのです。当然ながら、彼らの批判の矛先は窓口となった官僚に向けられました。

そうすると、担当の官僚たちは、「支援の申し出は、全部リストにして上層部に上げているが、政治家から返事が返ってこない。」と弁明したそうです。そこで大使館員が、「単にリストを作成して上げるのではなくあなたたち官僚は専門家なのだから、優先順位を付けて上げれば、(政治家から)もっと早く回答が帰ってくるのではないか。」と提案したところ、「残念ながら、もしそんなことをしたら、政治家から『余計なことをするな』と怒られてしまいます。」と言っていたそうです。

また大震災/大津波のあと、深刻なロジスティックな問題が持ち上がりました。つまり被災地のガソリンスタンドにガソリンが届かないことから、車の使用が困難となり、被災者の方たちが食糧調達できない、あるいは他の地域から被災者に食糧を届けようと思っても届けられないという事態が起こっていました。従って、被災地のガソリンスタンドにどのようにしてガソリンを届けるかが、石油業界にとって大きな問題となりました。しかしほとんどの道路は瓦礫で寸断されタンクローリーが入れない状態でした。そこで検討した結果、小型車にドラム缶を積んで届ける以外に方策はないという結論に達したそうです。

石油業界の人たちはこの結論をもって総理官邸を訪問し、現行の法律では認められていないドラム缶によるガソリン輸送について非常時における特別措置として許可してもらいたいと訴えたそうです。しかし、総理官邸からの回答は、規則違反になるので許可できないというものでした。

その2・3日後、彼らはどうしても、それ以外に届ける術がないということで、再度総理官邸に赴き、今回は石油業界のある責任者の方が「事故が起こったら、私がすべて責任をとるからやらせてください。」と言って再度特別許可を求めたそうです。すると総理官邸の回答は一転しで、「そうか、あなたが責任をとるのか。それなら、やってくれ」と言われたそうです。

菅直人政権は震災後、復興に関係する会議を20もつくっています。しかし20もつくると、権限、役割分担の境が分かりにくくなってしまいます。中には、民間の委員が会議に入って、1時間半か2時間会議をやって、何も決まらないというケースも耳にしています。

広がる官僚的形式主義

菅政権と東京電力は共同で「統合対策本部」というものをつくりました。それで、(福島第一原発事故を収拾するための)工程表が完成すると、統合対策本部ができているにもかかわらず、東京電力が記者会見を開き、「その工程表は東京電力が作成した」と発表したのです。
 
 また「福島第一原発にたまっている放射能に汚染された水を浄化する装置をつくる」という発表をした際も、具体的に説明したのは東京電力の人でした。統合対策本部の事務局長である総理補佐官も同席していたので、私は彼が、「政府は東京電力と一緒に責任を負う」という話をすると思っていました。ところが、その総理補佐官は終始無言をとおし、記者会見の最後になって、「これは政府が強く迫って、東京電力にやらせたものです」とだけ発言したのです。つまり、それが成功すれば政府の手柄、失敗したら東京電力の責任、と言わんばかりの発表の仕方をして、本当にそれでいいのかと疑問に思いました。

さらにひどいのは、事故初期にとられたとされる原発への海水注入についての説明内容です。いまなお真実は藪の中ではっきりとしたことは分かりません。東京電力が海水を自ら注入していたが途中で作業を停止したという説明です。はたして海水注入の中断は菅総理の指示によるものだったのか、それとも菅総理の考えを東京電力の人が忖度(そんたく)して、現場に止めさせたのか、そこは、わかりません。

しかし「東京電力は海水を入れると廃炉になってしまうから、営利会社として入れるのをためらっていた。それを菅総理が強い指導力を発揮して、海水を入れさせた」という、政府が2カ月間流し続けていた情報が、全くデタラメだったということは、間違いない事実です。

福島第一原発事故が発生して以来、東京電力には多くの問題が持ち上がっていたことから、東京電力を悪役に据えることは容易だと思います。しかしだからといって政府がこのような発表をするのは間違っていると思います。政府と東京電力の関係とは、たとえ政府が、全ての問題の責任を東京電力のせいにしたとしても、東京電力は、それを「違います」と言えない関係なのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan

高村正彦氏は、法務大臣(第70・71代)、防衛大臣(第3代)、外務大臣(第126代・140代)を歴任。本記事は、IPS Japanと尾崎行雄記念財団の共同プロジェクトの第一弾で、政経懇話会における高村氏の講演(5月26日開催)を元に作成したものである。
 
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ベルリン・ブランデンブルグ交通・物流協会を取材

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Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.

2011年9月8日、東京都トラック協会(TTA)の代表団は、ラメシュ・ジャウラ国際協力評議会会長(IPSドイツ代表)の協力を得て、ドイツにある「ベルリン・ブランデンブルグ交通・物流協会(VVL:Verband Verkehr und Logistik Berlin und Brandenburge.V.)」を訪問し、ドイツ・ユーロ圏の物流事情のヒアリングと東ト協から『グリーン・エコプロジェクト』の取り組みを説明し、情報交換をおこなった。IPS Japanからは浅霧勝浩マルチメディアディレクターが代表団一行に同行取材し、ドキュメンタリーを制作した。

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社会変化を引き起こす都市暴動

【シカゴIDN=キーアンガ=ヤマタ・テイラー】

ロンドンを初めとして英国中を席巻している都市暴動は、カイロからリスボン、サンチアゴからマディソンまでを覆っている世界的な蜂起の一部分であり、すでに弱められていた公的部門の最後の部分を破壊しようという新自由主義に対して立ち上がったものである。

ロンドンの蜂起は、公的部門縮減の悪影響が有色人種の若者にいかに不平等に降りかかってくるかを示している。あらゆる立場の政治家が暴動参加者を犯罪者呼ばわりし、メディアが略奪と混乱を描く中で問われなければならないことは、「なぜ彼らは自分たちのコミュニティを焼き打つのだろうか?」ということだ。

 その問いに答えるには、1960年代のアメリカの都市暴動の歴史を振り返ってみる必要があるだろう。

1960年代半ば、多くのアフリカ系アメリカ人が、人種差別と警察の人権侵害に対して、全米で立ち上がった。当時なんらかの形でそうした抗議活動に参加した人数は50万人を超えると見られているが、この数値はベトナム戦争に従軍した米兵の総数(553,000人)とほぼ同じである。

デトロイト、タンパ、ヒューストン、シカゴ、フィラデルフィア、プラットヴィル(アラバマ州)という全く背景の異なる全米の諸都市で、蜂起に参加した人々は、米国の民主主義や社会全般に関する基本的な問題を提起した。

事実、こうした蜂起は一時的な不満の爆発に止まらず継続的な現象として全米各地に広がりを見せたことから、ついには連邦政府も政策の転換を余儀なくさせられたのである。その結果、従来は周辺的な政治課題だった都市問題(住宅不足、警察の横暴、教育、失業問題等)を、当時のリンドン・ジョンソン大統領が「国家のもっとも緊急な課題」と位置づけるようになった。

従って、議論の余地はあるが、1960年代の都市暴動は同年代で最も重要な政治イベントとなった。60年代の初めにはわずか6億ドルだった住宅・都市関連予算は、その終わりには30億ドルにまで膨らんだ。住宅・都市開発省も設置された。

このような成果にもかかわらず、現在も依然として、民衆蜂起の経験は否定的なものとして描かれることが少なくない。

たとえば、『デトロイト・フリー・プレス』紙に対する2007年のある投書はこう書いている。

「1967年の長く暑い夏から40年がたった。しかし、その1週間の影響は依然として残っている。すでに始まっていた白人の逃避の流れは洪水のごとくになり、デトロイトは全米でもっとも人種隔離的な都市になってしまった。家々や事務所が焼き打たれたという事実が、暴動の経験として人々の頭の中に残っている。今日、それらの建物のほとんどが壊された。しかし、土地は依然として空き地のままである。」

今日の貧困状況は直接的に60年代の出来事に結び付けられ、都市の衰退を招いた本当の理由(その後40年間の公共政策の貧しさ)は無視されている。

さらに言えば、こうした認識のあり方は、同じく60年代に起こった公民権運動が非暴力的で統制の取れたものであったとの見方と対を成している。

多くの人びとは、「60年代の都市暴動はよいものか、悪いものか」という認識パターンにとらわれているようだ。しかし、それは、民衆蜂起が当時の政治的言説に与えたダイナミズムを低く見るものだ。アフリカ系アメリカ人たちの蜂起は、長らく「見えないもの」とされてきた彼らによる、政治的討議の場への「強引な入場」といえるだろう。

そこで今の英国に戻ってみる。この国において、最後に人種主義や貧困が語られたのはいつのことだろうか。ロンドン暴動の後、この種の議論が世界中で巻き起こることになった。数週間前なら考えられなかったことだ。

もちろん、暴動は長続きしない。アドレナリンは消え、いつかは国家の政治の中に回収されていく。立ち上がった者たちの生活に本当の変化をもたらすためにさらに必要とされているのは、戦略と政治、そして組織化である。(原文へ

※キーアンガ=ヤマタ・テイラーは、『国際社会主義者レビュー』誌の編集委員。

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

水はスマートな都市拡張の命綱(ストックホルム国際水研究所所長アンダース・バーンテル氏インタビュー)

【国連IPS=タリフ・ディーン

2050年、世界の都市に住む人口は、現在の世界全体の人口と同じ60億人にまで拡大するとみられている。このような状況の中で、都市はいったいどうやって水を確保するのか。とりわけ、世界の都市拡大のうち95%を占めるであろうといわれる途上国においてはどうなのか。IPS国連総局のタリフ・ディーン記者が、ストックホルム国際水研究所のアンダース・バーンテル所長に聞いた。

Q:急速な都市化が水の供給に与える影響は今後どれだけ深刻なものになるでしょうか。

A:おそらく、対処すべきより重要な問題は、水がいかに都市の成長に影響するのかということです。それは、都市が今日どのような選択を取るのかということによります。短期的、中期的、長期的にきちんと計画を立てている乾燥地帯の都市は、水不足による災害や経済的な損失を避けることができるでしょう。

 各々の都市は、旱魃や洪水に日頃から備え、いざという時に損失を回避するという賢明な方策を選ぶことができます。また、排水溝から環境汚染物質を垂れ流す代わりに、街中の水を循環、浄化、再利用することで全体として都市に利益をもたらすという選択も可能なのです。

Q:国連は、都市住民を水不足の脅威から守るにあたってどのような役割が果たせるでしょうか。

A:国連はすでに、知見の蓄積や資源の動員において一定の役割を果たしています。それによって都市は、水管理、持続可能な水と衛生施設の改善、災害への耐性向上などを図ることができるのです。

国連ハビタットや国連開発計画(UNDP)、国連国際防災戦略事務局(UNISRD)、国連環境計画(UNEP)、世界気象機関(WMO)、世界保健機関(WHO)などの組織がとりわけ大きな影響力を与えています。

Q:差し迫った災害を避けるために各国政府がすべきことはなんでしょうか。インフラへの投資でしょうか?健全な水管理でしょうか?

A:まず、問題解決型の思考から、解決策を事前に計画する思考に変えることです。問題解決型とは、水不足が起きるのを待ってからそこに新しい水を供給する、といったやり方のことです。

しかし、今日多くの場所で行われている「水不足に対処するために水を移動する」というやり方は、今後は機能しないでしょう。なぜなら、それは例えれば、体重が増加した際に大き目のベルトを購入することで対処するようなもので、都市にとっても環境にとっても、健全な解決策とはいえないものです。

私たちはこれまで以上に、水に対する投資をしなければなりません。今のままでいけば、水需要は向こう20年以内に地球の供給能力を40%超える可能性があります。大規模に水を使用するほとんど全ての当事者は、一層の効率化につとめるとともに(河川や海の)水質汚染を防ぐための技術や水処理の方法に、さらなる投資ができるはずです。

経済協力開発機構(OECD)は、何よりも電気、輸送、テレコミュニケーション分野を含むインフラ(経済基盤)の新設・改善により多くの資金が必要になるだろうと予測しています。

こうしたインフラへの投資は、長期的な都市の経済成長、美観整備、環境にやさしい雇用創出へとつながります。どのような技術を選択するかは各々の都市をとりまく環境にもよりますが、こうした投資に対する短期・中期・長期における費用対効果は有望なことから、今から行動をおこすことが求められます。

おそらく、持続可能な発展を実現するためにもっとも重視すべきことは、水とエネルギー、食べ物の管理を改善することでしょう。エネルギー生産のための水使用の効率化を図り、水再利用によってエネルギーを生産し、食物利用の無駄を省く機会は無数に存在します。

そうすれば水資源を大幅に節約することが可能となるだけでなく、増加し続ける都市人口を支える能力を向上させ、結果的に都市そのものを活性化することが可能になるのです。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan戸田千鶴

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|トルコ-イスラエル|「トルコの決定はネタニヤフ政権への警告」とUAE紙

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【ドバイWAM】

「イスラエル大使の追放を決定したことでトルコは中東における威信を高めることだろう。」とアラブ首長国連邦(UAE)紙は報じた。

また日刊紙「ガルフ・ニュース」は、「トルコがイスラエル大使の追放と軍事協力の停止を決定したのは必ずしも驚くにはあたらない。

両国間の緊張は、9人のトルコ人が死亡したイスラエル軍によるパレスチナ支援船強襲事件以前から高まっていた。トルコ政府は、2008年から09年にかけて行われたイスラエル軍によるガザ地区侵攻以来のイスラエル政府の政策に対する怒りを明確に表明していた。」

しかしイスラエル政府がトルコ籍の援助船に乗船していた平和活動家を襲撃したことについて謝罪を拒否したため、トルコ政府としては、国際的に自らの主張の正当性を示すためにも、ネタニヤフ政権との外交関係レベルを引き下げる措置を取らざるを得なかった。トルコもイスラエルも、米国の強力な同盟国である。

 従ってトルコの今回の決定は、マビ・マルマラ号襲撃事件のみが原因ではなかった。ネタニヤフ右派政権は、中東和平問題の平和的解決や既に4年に亘るガザ包囲を緩和することに全く関心がない立場を明確にしてきたことから、他の西側諸国も、時期の違いはあるが、イスラエルとの外交関係格下げを検討してきた経緯がある。

ガルフ・ニュース紙は、「トルコの決定は、イスラエルに対して、国際法に逆らいながら他国にのみ譲歩を期待し続けることはできないとの警告となるものだ。」と強調するとともに、「イスラエルと外交上の対決を演じたトルコは、新たに得た中東における威信を強化することとなった。」と付け加えた。

「トルコ問題の専門家は、今回のトルコ政府の決定が最終的なものではないことを理解している。トルコ政府は常に現実主義の外交政策をとってきており、イスラエルとの軍事協力を再開する可能性も十分ありうる。」と同紙は報じた。

「しかし、暫くの間、トルコは中東のヒーローとしての地位を享受する資格を(今回の決定によって)獲得したといえよう。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【ドバイWAM】

ラマダン期間中にアラブ首長国連邦(UAE)市民から寄せられた善意の支援により、ドバイで拘留中の多くの囚人が再び日常を取り戻せるかもしれない。

「同情者」という呼称以外匿名を希望したある市民がラマダンに際して、ドバイ刑務所宛てに100万ディルハム(約272,000ドル)の寄付を行った。この寄付は借金の返済不履行で収監中の多くの囚人の債務返済に充てられることとなっている。

 ドバイ刑務所には、負債の返済手段に窮した様々な国籍の人々が、不透明な未来に不安を抱きながら収監されていたが、聖なるラマダンに際して、コミュニティーの篤志家からの支援という形で神が彼らに助けの手を差し伸べたのである。先述の市民の他、数名の篤志家がドバイ矯正・懲罰局に対して寄付を行った。

ドバイ矯正・懲罰局の担当者は、ラマダン月に首長国コミュニティーから差し伸べられたこの素晴らしい人道支援を称賛した。彼らの博愛心により多くの囚人(その多くが一家の唯一の稼ぎ手)が釈放されることになるだろう。

「寄付金は囚人の債務返済に充てられ、囚人は釈放され家族との再会を果たすことができます。また、寄付金の一部は、刑期終了後に本国に帰還する航空券代を支払うあてがなく支援者の登場を待っている外国人手稼ぎ労働者に対する支援にあてられます。ちなみに、囚人の多くは、借金がかさんで返済不能状態に陥った結果、裁判所から返済不履行で有罪判決を受けた人々です。」とモハメッド・フマイド・アル・スワイディ矯正・懲罰局長は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【ベオグラードIPS=ベスナ・ペリッチ・ジモニッチ

何十年にもわたって、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)は人間の顔をした共産主義国家であった。教育と医療は無料で、雇用は保証され、家や小規模ビジネスの個人所有が認められていた。人びとは、他の東欧諸国に比べて高いレベルの生活を享受し、ビザなしに海外にわたることができ、政府は市民に開かれていた。そして非同盟運動を率いる盟主国として、国際社会において確固たる地位を占めていた。しかし、20年前の6月25日にすべてが終わった。

この日、旧ユーゴで最も先進的なクロアチアとスロベニアの両共和国が一方的に独立したのである。両国は、(現在のセルビア共和国の外に在住する)全てのセルビア人の保護者を自認し「すべてのセルビア人はひとつの国に住む必要がある」とするスロボダン・ミロチェビッチ(当時)を悪の権化だとみなしていた。

「(90年代の内戦で)15万人もの人命を失い、莫大な経済的損失をこうむった今、旧ユーゴに住んでいた2400万人にとって独立して何の利益があったかを語るのは非常に難しい。確かに彼らは自らの国を持ったことを誇りにしています。しかし、旧ユーゴと比べれば、ほぼ全ての国に独立国としてやっていくために不可欠な要素が欠けているのです。」と歴史家のプレドラグ・マルコヴィッチは語った。

現在のスロベニア(200万人)、クロアチア(460万人)、ボスニア・ヘルツェゴビナ(420万人)、セルビア(750万人)、モンテネグロ(65万人)、マケドニア(200万人)は、かつての旧ユーゴとはかなり異なる場所である。ユーゴスラビア内戦で各国を率いた3人の指導者、クロアチアのフラニョ・トゥジマン、ボスニア・ヘルツェゴビナのアリヤ・イゼトベゴヴィッチ、セルビアのミロシェビッチはすでに死亡している。

旧ユーゴの構成国の中で欧州連合(EU)に加盟しているのは、最も経済水準が高いスロベニアだけである(2004年)。クロアチアは2013年に加盟予定、モンテネグロとマケドニアがその次の候補である。一方セルビアは、依然としてEU理事会による加盟候補国承認待ちであり、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992円から95年に亘った内戦の被害から未だに回復していない。

「EU加盟は私たちにとって自然な選択肢でした。しかし旧ユーゴスラビア連邦時代と比べてEUにおける我々の声は小さなものと言わざるを得ません。」とスロベニアの経済学者であるジョゼ・メンシンガ-は語った。

社会学者のミラン・ニコリッチは、「1991年から95年にかけての戦争は、人命などの直接的な被害に加えて、共感や連帯、犯罪への非寛容といった価値観を崩壊させてしまいました。しかし世界も1991年から大きく変化しています。私たちは皆、未来を向いていかなければならないのです。」と語った。

旧ユーゴ解体がもたらした多くの壊滅的な結果の中でも、経済危機は特に深刻である。生産力は下がり、輸入依存の経済になってしまった。また、市場経済への転換により大量の失業者を出した。さらに世界的な経済危機が、こうした苦境にさらに追い打ちをかけている。

スロベニアの失業率は、旧ユーゴの中でもっとも低く約10%。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナでは40%にも達する。生産力は1989年のレベルにいまだ達していない。

旧ユーゴ構成国6か国の対外債務は1710億ドルで、旧ユーゴ時代の240億ドルを大きく上回っている。その内訳は、最も低いマケドニアで25億ドル、最も高いクロアチアは640億ドルにのぼっている。

(スロベニアを除いて)旧構成国における生産レベルは内戦前の最高レベルであった1989年水準(旧構成国の統計学者はこの年をベンチマークに使っている)にまで未だに回復されていない。

「もし内戦がなかったら、ユーゴスラビアはEUにとっくの昔に加盟し、発展のレベルは少なくとも1989年の2倍にはなっていただろう。」とニコリッチ氏は嘆く。

しかし、多くの人びと、とりわけ若者にとっては、こうした嘆きはほとんど意味をなさない。旧構成国の教科書の記述内容はまちまちで、きわめて皮相な歴史しか記述されておらず、若者たちはかつてユーゴスラビア社会主義連邦共和国という国があったこともほとんど知らないのが現状である。

セルビアのKraljevo出身のボジャン・スタンチッチ(22歳)は、クロアチアのアドリア海沿岸地域で最も有名な観光地について聞かれて「ドブロクニクってなに?クロアチアの街だって?それじゃあ外国の街だね。いつか行ってみるよ。」と語った。

しかしより年配の世代については、多くの人々が今でも旧ユーゴへの郷愁の念を抱いている。

クロアチアのザグレブでペンションを経営しているダラ・ブンチッチ(65歳)は、「ベオグラード(旧ユーゴの首都で現在はセルビア共和国の首都)には親族がおり、よく訪れます。ベオグラードには今でも大国の首都を思わせる輪郭が残っています。旧構成国は今は小さな独立国家になったが、友人にはベオグラードを見学にいくように勧めています。それは私たちクロアチア人が独立した祖国をいかに誇らしく思っているかという感情とは別に、ベオグラードが私たちにとっての共通の歴史の一部ということに違いがないからです。」と語った。

「20年前まで、私は2歳のとき以来毎年、2か月間を親族がいるクロアチアの海岸沿いの町で過ごしました。だから私は、旧ユーゴ時代の35年間の内、6年間という年月をクロアチアで暮らしたのです。何者もこうした事実や、古き良き旧ユーゴ時代の思い出を、私から奪うことはできないのです。」とベオグラード出身のサーシャ・ジャクシッチ(55歳)は語った。

旧ユーゴの記憶について報告する。(原文へ

IPS Japan戸田千鶴

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