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|カンボジア|市場経済を学ぶクメール・ルージュの拠点

【パイリンIPS=アンドリュー・ネット】

タイ国境近くの、かつてクメール・ルージュの拠点だったパイリンに住む元ゲリラたちにとって、この10年間は市場経済の特訓コースだった。22,000人の人口のこの町は、内戦を経て特別市となり、そして今は顧みる者のない地方のへき地になっている。 

パイリンはタイの政情不安とプレアビヘア寺院をめぐるカンボジアとタイの長期的な対立により大きな打撃を受けている。かつて盛んだった国境貿易は廃れ、旅行者も少なくなった。「宝石もなくなり木材もなくなり、商売はほとんどない。客を見つけるのが一仕事だ」とタクシー運転手のコマさんはいう。

 20年に及んだ内戦中、パイリンはクメール・ルージュの主要拠点で、軍資調達のための国境貿易で豊かに潤っていた。中国からの軍事的経済的支援の入り口でもあり、近隣地区は戦闘が繰り返される激戦地だった。深い森に囲まれたこの町は、政府軍の攻撃に対する自然の要塞だった。 

1996年にイエン・サリが3,000人の兵士を引き連れて政府に投降し、内戦は終結に向かった。サリは連立政権内の対立からの中立を約束して、パイリンの宝石と木材の貿易を引き続き掌握した。政府は新たな市民を歓待し、パイリンでは社会基盤の建設が進んだ。90年代後半にパイリンは宝石の取引とカジノで繁栄した。だが事態は変化する。 

今日、バンコクからパイリンまでの道のりは4時間。宝石は少なくなり、町を囲んでいた森は耕作地に切り開かれて木材も失われた。カジノやホテルも廃業し、タイからの燃料と車の密輸が主要な経済活動だと住民はいう。 

パイリンの地方政府には町の経済的展望の話ができるものはいない。今年初めにフンセン首相が訪れた時には、ゴルフ場の開発が提案された。タイのビジネスを招致するための特別区の設立計画もある。戦う能力しかない元兵士には寺院問題は好機でもあり、軍に採用されて紛争地域へ派遣されたものもいた。 

一方、町の人々はクメール・ルージュ裁判の行方を見守っている。裁かれているのは身近な人たちだったからだ。裁かれて当然だという者もいれば、国のために戦った人々だと同情する者もいる。 

クメール・ルージュの拠点だったパイリンについて報告する。(原文へ) 
 
INPS Japan 

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|カンボジア|戦前のクメール音楽、復活

|カンボジア|終戦から25年、いまだ貧困にあえぐ戦争未亡人

メディアは十分に役割を果たしているだろうか(2008年度IPS年次会合)

【ハーグIPS=バヘール・カーマル】

メディアには、持続可能な開発と気候変動という、21世紀のふたつの大きな課題に効果的に取り組む上で、果たすべき重要な役割がある。だがメディアはその役割を十分に果たしているだろうか。 

その裁定は様々である。少なくとも23日にオランダのハーグで開かれたセミナーに参加した、研究者、ジャーナリスト、科学者、政府役人、NGOおよび国連機関の代表が表明した見解から判断すると、様々だった。 

「メディアはこのところ金融危機に注目しているが、気候変動の危機、食糧安全保障の危機についてはどうなったのか」と、オックスファム・ノヴィブのファーラー・クリミ代表は疑問を投げかけた。

 気候変動が地球上の誰もが関心を持つ新たな問題になりつつあるときに、「私たちが意欲を新たにし、再び結束して、地球規模で必要な対応策を計画、調整、実施するために、メディアはどのように役立つことができるだろうか」と英国のマンチェスター大学持続可能な消費研究所長のモハン・ムナシンゲ博士は問いかけた。 

このパネルディスカッションは、「地球規模の持続可能な開発の支持基盤を保持拡大する戦略:メディアの役割」というテーマで行われ、オックスファム・ノヴィブ、オランダ国際協力・持続可能な開発委員会(NCDO)、インタープレスサービス(IPS)通信社の共催により開催された。 

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の副議長でもあるムナシンゲ氏は、「地球温暖化は世界がすぐにも受け入れなければならない現実だ」と述べた。 

ムナシンゲ氏によると、近年の政治紛争で数十万人が死亡しているダルフールでは、進行する砂漠化が引き起こす水と土地の不足が、気候変動によってさらに悪化している。そのために農業が衰弱し、乏しい資源を求める貧困層の争いに油を注いでいる。 

また、「地球の裏側では、多くの太平洋の島々やインド洋のモルディブで海抜わずか数センチになることが増え、海面上昇による浸水に脅かされている」とムナシンゲ氏は述べた。 

こうした事柄についてはあまりメディアで取り上げられていないと、オックスファム・ノヴィブのサビー・フォーフト氏はいう。「気候変動に関して報道する際に、メディアは、長引く干ばつ、異常な洪水、突然の寒波にすでに苦しんでいるこうした途上国の人々よりも、棚氷に乗った心細げなシロクマばかりを取り上げがちだ」 

「気候変動は農業と食糧安全保障に大きな影響を及ぼしているが、さらに悪化して、水不足が深刻になり、気候帯は変化し、全動植物の4分の1は死滅することになるだろう」とフォーフト氏は述べ、富裕国そして世界銀行などの機関に、有害な行為をやめ、外的ショックに対して途上国の農民がいっそう抵抗力を持てるよう支援することを要請した。 

会議ではこうしたニュースのメディアによる取り上げられ方が、特に欧米の主流派メディアのいくつかについて検討された。欧米の主流派メディアは今なお、大きな政治的新規展開がなければ、気候変動にはほとんどニュース性がないと考えている。 

持続可能な開発のための世界経済人会議のコミュニケーション・ディレクターであるリネット・トーステンセン氏は、ニュースメディアに情報を売り込むときには「熟達した語り手」にならなければならないという。 

トーステンセン氏は、多くの人々がメディアに関わり、浄水や十分な衛生設備の不足によって発展途上の世界で苦しむ数十億の人々のニュースに関わっているという。 

新聞の中には気候変動を「退屈で、おもしろさがなく、難解だ」とみるものもあるとトーステンセン氏は認めながらも、「ニュースを売り込む方にも、より面白く人間的に表現することが託されている」と述べた。 

一方で「情報は万能薬ではない」とアムステルダム大学の科学者であるシース・ヘイムリンク教授はいう。「人々は多くの情報を得ていて、何が有害かわかっているが、知っていることに基づいて行動を起こさない場合も多い」 

情報よりも必要なのは、対話と人の話に耳を傾けようとする十分な心の用意であるとヘイムリンク氏はいう。トークショーは巷にあふれているが、必要なのは「リスン(耳を傾ける)ショー」である。 

IPSのマリオ・ルベトキン事務総長は、気候変動におけるメディアの役割について、唯一の答えはないと指摘した。「ひとつのプロセスの一部であり、問題は最終的な解決法に向けてどのようにそのプロセスを作り上げていけるかだ」 

ルベトキン事務総長は、今日の気候変動の記事が5年あるいは10年前よりもずっと良いものになったのは間違いないと主張した。 

主流派も、独立系も、この問題に取り組もうとするメディアはますます数を増やしているとルベトキン事務総長はいう。また持続可能な開発に関するニュースにアクセスする読者も今や膨大な数に上っている。 

「同時に今、非政府組織(NGO)と通信社との連携という考え方も広がっている」とルベトキン事務総長は述べた。「5年前にはこうした連携はあり得なかった」(原文へ) 

翻訳=IPS Japan 浅霧勝浩 

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紛争解決、『対話の促進』が鍵を握る(2007年度IPS年次会合)

|エジプト|食糧高騰の影響で庶民の味が復活

【カイロIPS=アヤ・バトロイ】

エジプトの代表的な料理『コシャリ(Kushari)』は、誰もが気軽に食べる一般的な食べ物だ。国民食であるコシャリは、ご飯、パスタ、レンズ豆などを重ね合わせ、上にはホットソース、トマトソース、ガーリック、揚げたタマネギなどを添えたもの。 

エジプトでは近年深刻さを増している低賃金と物価上昇の問題が国民の食生活を大きく変えようとしている。コシャリは低価格であるため、今や食糧価格の高騰に悩まされているエジプト人にとっての主食になった。野菜や肉は今や贅沢品であり、人々はリーズナブルなコシャリを見直し始めている。

Kushari, Kushari served at Kushari Tahrir, /Wikimedia Commons.
Kushari, Kushari served at Kushari Tahrir, /Wikimedia Commons.

 カイロ中心部にあるコシャリ専門店『Kushari Tahrir』のメニューには現在、1つの料理しか載っていない。店のシェフは毎日コシャリを作るために忙殺されている。 

 同国では年々、食糧価格が上昇。この影響は、特に貧困線以下の生活をしている人口のおよそ45%にあたる貧困者をまともに直撃している。「コシャリは国民的料理であり、皆が食べている。昔と違って、今は肉を食べるのに30から40ポンドかかるが、コシャリは3、4ポンドでお腹を十分に満たすことができる」と、コシャリを注文したある客は話した。 

食糧危機に見舞われるエジプトでは、政府が助成金を支給し小麦や穀物の価格の埋め合わせを行っている。小麦の輸入量が世界第一位のエジプトは、世界的な小麦の価格高騰により8億5,000万ドルの追加助成金を出した。このような公的助成のおかげで、多くの国民は何とかパンを購入することもできるのだ。 

さらに、同国では政府の助成金制度の他に国内の支援団体も活躍している。地元の実業家やボランティアから成るEgyptian Food Bankは貧困者への食糧配給を行っている。そして、金銭的支援としてはイスラム系の富裕層らが匿名で食料不足に悩む貧しい人々に対し寄付をしているという。 

食糧問題に直面するエジプトで人気が高まる伝統料理について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 

|エジプト|食糧高騰の影響で庶民の味が復活

【カイロIPS=アヤ・バトロイ】

Kushari
Kushari

エジプトの代表的な料理『コシャリ(Kushari)』は、誰もが気軽に食べる一般的な食べ物だ。国民食であるコシャリは、ご飯、パスタ、レンズ豆などを重ね合わせ、上にはホットソース、トマトソース、ガーリック、揚げたタマネギなどを添えたもの。

エジプトでは近年深刻さを増している低賃金と物価上昇の問題が国民の食生活を大きく変えようとしている。コシャリは低価格であるため、今や食糧価格の高騰に悩まされているエジプト人にとっての主食になった。野菜や肉は今や贅沢品であり、人々はリーズナブルなコシャリを見直し始めている。

 
カイロ中心部にあるコシャリ専門店『Kushari Tahrir』のメニューには現在、1つの料理しか載っていない。店のシェフは毎日コシャリを作るために忙殺されている。 

 同国では年々、食糧価格が上昇。この影響は、特に貧困線以下の生活をしている人口のおよそ45%にあたる貧困者をまともに直撃している。「コシャリは国民的料理であり、皆が食べている。昔と違って、今は肉を食べるのに30から40ポンドかかるが、コシャリは3、4ポンドでお腹を十分に満たすことができる」と、コシャリを注文したある客は話した。

食糧危機に見舞われるエジプトでは、政府が助成金を支給し小麦や穀物の価格の埋め合わせを行っている。小麦の輸入量が世界第一位のエジプトは、世界的な小麦の価格高騰により8億5,000万ドルの追加助成金を出した。このような公的助成のおかげで、多くの国民は何とかパンを購入することもできるのだ。

さらに、同国では政府の助成金制度の他に国内の支援団体も活躍している。地元の実業家やボランティアから成るEgyptian Food Bankは貧困者への食糧配給を行っている。そして、金銭的支援としてはイスラム系の富裕層らが匿名で食料不足に悩む貧しい人々に対し寄付をしているという。

食糧問題に直面するエジプトで人気が高まる伝統料理について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 

|メディア|「今こそ地球規模のグラスノスチを」とゴルバチョフ氏

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【ベネチアIPS=サビーナ・ザッカロ】

ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が、地球規模の金融危機とその他の緊急課題によって気候変動問題へのメディアの関心が薄れる危険に対し、警鐘を鳴らした。 

「今回の金融不安による実体経済への影響は大きいだろうが、間違いなく予測可能だったものであり、現在のさまざまな開発システムに拡大している危機のひとつの様相に過ぎない」と旧ソ連の元大統領でノーベル平和賞受賞者のゴルバチョフ氏は、IPSのインタビューに応じて語った。 

「実際に、関連し合って同時に起こる危機が急速に増えいる。それはエネルギー、水、食糧、人口、気候変動、生態系荒廃などに関するものだ」

 地球の資源は限られていて枯渇しつつあるため、限りない成長という考え方は幻想だと実証されていると同氏はいう。「この問題に取り組むにはふたつの方法がある。真実を口にせず不人気な政策を先延ばしにするか、人々に真実を告げて間に合ううちに改革のためにともに行動を起こそうとするかだ」 

「現在の厄介な状況においては環境保護について話すことさえ難しいが、人々には話さなければならない。環境保護問題の衝撃は過ぎ去っていくものではなく、社会がその解決プロセスに関わらなければならないからだ」とゴルバチョフ氏はいう。「そのためには、人々に何が起きているかを解説するメディアに、より高いレベルの独立性と民主主義が求められる」 

「産業界には真実を沈黙させるために簡単に金を出すものもいるが、それだからこそ、地球規模のグラスノスチが今求められている「グラスノスチ(情報公開)とはゴルバチョフ氏がペレストロイカ(改革運動)を進めたときのスローガンであり、社会的政治的責任について民衆を教育しようという目的があった。 

ゴルバチョフ氏によると、良い情報がなければ「社会意識が生まれず、地球規模の危機という脅威に解決策を見つけるのは非常に困難になる」。この問題は、グローバル化の主要プロセスを監視するためにゴルバチョフ氏が設立した、地球規模の知識人のイニシアティブである「世界政治フォーラム」がイタリアのベネチアと協力して主催した2日間の会議の席上で話し合われた。世界各国の第一線の専門家やメディアの代表が、こうした問題について世論を形成する上での、メディアの役割について討論を行った。 

この会議(3月の基調会議に続くメディア会議)は10月10~11日にベネチア(サン・セルボロ島)で開催され、気候変動の影響について人々の理解を向上させるよう国際的なメディアに呼びかけた。 

「時間は刻々と過ぎていく」とゴルバチョフ氏はいう。「私たちの地球が直面している緊急の環境問題に取り組むためにもっとも有効な手段は透明性であり、そこにメディアが果たすべき役割がある」 

気候変動に関する議論においてジャーナリズムの機能は、「気候変動の本質的な真相を絞り込み、視聴者にその真相を説明することだ」と会議の最終文書で専門家たちは合意した。 

議論は気候変動について真実を求めていく上でメディアの中心的な責任を指摘した。「調査報告を行っていくことで、報道機関は地球温暖化の議論における単なる傍観者ではなく、積極的な参加者になるべきであり、政治家や科学者に知りえた真相を人々に伝えるよう促すべきだ」と最終文書は述べている。 

専門家は、ニュース速報を報道するという枠を超えて、「過去、現在、未来の予測」のあるプロセスとしての気候変動に関する報道を積極的に行うよう、ジャーナリストに求めた。 

また、環境の変化は経済や政治問題に比べて過小報道されることが多いと指摘された。「けれども経済と環境は対立する問題ではなく、双方両得の解決策に至ることは可能である。これは世界が理解し始めていることだ」と国際政治問題に関する地球規模のシンクタンク、ローマクラブのマーチン・リーズ事務局長はいう。 

「産業界もまた、環境を重視しても利益が減少することはないと気づき始めた。ジュネーブに本部のある持続可能な開発のための世界経済人会議はすでに、業績を上げている産業のリストを作成している」と同氏は語った。 

「人間が地球の生物資源の125%を利用していることは知られている。今、掘り下げていくべき問題は、気候変動が資源にどのような影響を及ぼすかということである。10年で気温が0.1度上がれば、15%の種が影響を受けると分かっており、ニュース報道は気候変動の影響と同様にそのスピードが重大な問題だと強調すべきだ」 

専門家によると、詳細な情報があれば人々の強力で迅速な対応を引き出せる。「バリ(で開かれた気候に関する国際会議)から始まり、2008年は大きな約束の年となった」とドイツの国会議員で欧州議会の気候変動臨時委員会の副会長であるレベッカ・ハームズ氏はIPSの取材に応じて語った。「けれども欧州の機構の中では、公式発言とそれを実現する政治的意志とのギャップの大きさが問題になっている」 

2007年にEU各国の政府は二酸化炭素(CO2)排出を2020年までに1990年のレベルから20%、他の経済大国間で国際的な合意があればさらに30%まで削減すると確約した。 

「こうした提言は加盟国政府と産業界の大きな圧力のもとで作成された」とハームズ氏はいう。「そのため欧州議会の交渉のテーブルに上がった時点で最良の提案ではなくなっていて、最初から妥協していた」 

議会の中では気候問題に懐疑的な人々とより意欲的な気候政策を支持する人々との間の戦いが続いているとハームズ氏はいう。「交渉がどのように決着するかは分からないが、この状況を考えると、期待されるよりも弱腰の規制を伴う弱腰の成果になるだろう」 

ハームズ氏は「弱腰の(気候に関する)解決策であっても、最終的な共同宣言は大きな成功を言い立て、すべての政府はこれを支持し、非難の声が多少あったとしても耳を傾けられることはないだろう」と懸念する。 

メディアが支援できる役割について問われたハームズ氏は、「こうした困難なプロセスを人々が理解できる言葉に翻訳できるジャーナリストやメディアが本当に必要になるだろう。各国政府が大きな成功だというときに、非難する声があるのはなぜかを説明するのは、容易ではない」 

「一般的に、私の考えでは、気候の目標に関する議論と、エネルギーと供給の安全保障のターゲットとを結び付けられれば非常に好都合である」とハームズ氏はいう。「エネルギー価格の高騰とエネルギー資源が世界の特定地域でしか利用できないという状況から、人々はこの問題が自分たちの生活に影響を与えうることを理解し、あらゆる分野でエネルギー消費を減らしエネルギー効率化を図ることはより良いエネルギー政策のための戦略の核でありつつ、気候にも配慮しているとすでにわかっている」と語った。 

ハームズ氏はまた、「政策をもっと意欲的にすべきだということに人々は疑念を抱くかもしれないが、エネルギー消費を削減するためにはより厳しい政策を受け入れるべきであり、必ず受け入れることになるだろうし、そうすることが、特に金融危機という観点からみて、大いに役立つ」との見解を示した。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

|イラク|本|クルド系ユダヤ人が思い出す失楽園

【サンフランシスコIPS=アーロン・グランツ】

米国政府の役人やメディアは、米国占領下にあるイラクで続く暴動に関して、互いに殺し合うイラク人の国民性を野蛮とみなして語ることが多い。9日の副大統領候補者の討論で、民主党のバイデン氏は「過去700年の歴史がイラク人はたがいに仲良くできない民族だと示している」と述べた。だが、それは真実だろうか。 

クルド系米国人ジャーナリストのアリエル・サバル氏の新作、「My Father’s Paradie: A Son’s Search for His Jewish Past in Northern Iraq(父の楽園:息子が求めたイラク北部のユダヤ人の過去)」には、イラクの別の歴史が美しく描かれている。

 この作品の中で、作者は1940年代にイラク北部のクルディスタンの小さな町ザホで育った父ヨナについて語る。この町ではユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒が、「2700年間争うことなく」入り混じって暮らしていた。ヨナは屋根に上るのが好きな少年。父は毛糸屋を営み、祖父は染物職人だった。大好きなおじさんは怖い話や冒険の話を聞かせてくれた。 

第一次世界大戦後のバグダッドの人口の3分の1はユダヤ人だった。第二次世界大戦後には内閣、議会、裁判所で多くのユダヤ人が活躍した。「非常に洗練され、国際的で、多文化的な国だった」と作者のサバル氏はIPSの取材に応じて語った。 

皮肉なことに、イラクの社会的混和を中断させたのは、欧州の民族的虐殺だった。ナチスによるユダヤ人大量虐殺がユダヤ人国家創設につながり、1948年のイスラエル建国に近隣諸国は反対し、戦争に突入した。戦死者が増えると反ユダヤ感情が高まり、イラク国内のユダヤ人も排斥されるようになった。ザホのユダヤ人も町を脱出し、ヨナの家族はエルサレムのスラムに移り住んだが、クルド人ということで移住先でも差別を受けた。 

10代のヨナは工場で働きながら夜学に通い、その後米国に渡って母国語であるアラム語の教授になる。作品の中で作者の父の姿はやさしく、そして力強く語られていく。2005年に息子とともに故郷のクルディスタンを訪れたヨナは、かつての世界がすべて失われたことを知った。美化された過去は幻想でしかなかった。 

「父は今でもクルディスタンの思い出をとても大事にしている」と息子はいう。 

イラクの過去の楽園を描いた作品について報告する。(原文へ) 
 
翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 

│ネパール│補償を待つ内戦の犠牲者たち


【カトマンズIPS=レニュー・クシェトリー】

Civil war victims demanding compensation at a rally. Credit: Renu Kshetry/IPS
Civil war victims demanding compensation at a rally. Credit: Renu Kshetry/IPS

カマラ・リンブの夫は毛派の活動家だったが、2001年に治安部隊によって拉致された。それ以来、彼の行方は知れない。しかも、拉致されたこと自体を証明できないために、本来なら受け取れるはずの救済金をもらうこともできずにいる。 

14ヶ月前、ネパール平和省は、内戦の被害を調査するタスクフォースを立ち上げた。それによれば、内地難民が4万5801人、殺害された者が約1万5000人であった。

政府はこれらの被害者に対して救済金を給付することを決めた。これまでに、内地難民のうち2万7135人が救済金を受け取って、元々住んでいた場所に戻った。他方で、殺害の場合については、わずか4遺族が補償を受け取ったに過ぎない。 

問題は、この救済金給付が、非毛派関係者に著しく偏っているということだ。ネパールではいまや毛派が政権に就いているが、状況はそれほど変わっていない。というのも、旧来からの行政メカニズムはいまだに存続しているからだ。 

ネパール西部のパルバット地区では、毛派関係者はまったく補償を受け取っていない。バンダリ知事は「毛派政党に被害者の名前を登録するよう呼びかけているが、それに全く応えていない」と語る。 

しかし、毛派がゴーサインを出せば、毛派関係者による補償申請が殺到し、逆に非毛派関係者が差別されることになるのではないか、と政治評論家のムマ・ラム・カナルさんは懸念する。また別の政治評論家、シュヤム・シュレスタさんは、いまだ和平プロセスが進行中の現在においてそうした差別が発生すれば、紛争が再燃しかねない、と指摘している。 

ネパールの毛派に対する紛争補償の問題を取り上げる。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan

|オーストラリア|先住民族の飲酒に関する固定観念に挑戦

【メルボルンIPS=スティーブン・デ・タルチンスキ】

オーストラリアでは、英国植民地時代から先住民族のアボリジニは遺伝子的にアルコールに弱いとされてきた。しかし、オーストラリア国立大学アボリジニ経済政策研究センターのマギー・ブラディ博士は、「オーストラリア先住民族のアルコール中毒は遺伝子要因に起因するとの考えを裏付ける調査証拠はない。もしあったとしても、その他の要因を排除した極端な論だと思う」と語る。


ブラディ氏は最近、アボリジニとアルコールの関係にまつわる通念を論破するため6巻本を出版した。その中で特に強調されるのは、アボリジニがアルコールを知ったのは1788年にヨーロッパ人がオーストラリアに入植した後で、それもアルコールをあてがわれたという点だ。同氏は、「遺伝説は18世紀に広がった植民地主義的見方の一環である。アフリカでも北米、太平洋でも先住民族はアルコールに溺れやすいと考えられていた」と語る。 

しかし、この考えが過去からのものだとしても、オーストラリア先住民族のアルコール中毒は今も続いている。 

国立薬物研究所(NDRI)が2007年2月に発表した報告書によると、2000年から2004年のアルコールを原因とする先住民族死亡者は非先住民の死亡の2倍に当たる50万人という。(オーストラリアの人口は2,100万人)千人当たりの死亡者は、先住民族で4.85人、非先住民民族で2.4人となる。他の健康指数でも同様の傾向が見られ、例えば先住民族の平均余命は非先住民民族より17年短い。 

ノーザン・テリトリー州の州都ダーウィンを拠とするアボリジニ・アルコール問題評議会(CAAPS)のジュディー・マケイ氏は、「最大の原因は社会/環境だと思う。彼らの困難な状況を思えば、そこから抜け出すために酒に頼るのも理解できる」と語る。 

西部オーストラリアの先住民族で国家先住民薬物アルコール委員会の委員長であるテッド・ウィルクス助教授も、「社会の貧困層は逃避の方法を探す。アルコールおよび薬物は、貧困あるいは抑圧から解放される手段である」と語っている。 

ブラディ氏は、「この通念は、先住民族を型にはめ、固定概念に閉じ込めようとするもの」と指摘。マケイ氏は、「先住民族の前進のためにも、この通念を覆すことが大切」と主張している。 

アボリジニのアルコール中毒問題について報告する。

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 

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|オーストラリア|アボリジニの女性・子供虐待に対する無関心 

女性による女性に関する報道を調査

【ロンドンIPS=サンジェイ・スリ】

来月、女性ジャーナリストと女性に関するニュース報道の実態について最新の調査報告書が発表される。その調査結果の内容は、報道ニュースの主題における男女不均衡と、それを報道する作り手側の男女不均衡という周知の事実であろうが、ただ今回は、調査に引き続き、具体的な行動が計画されている。 

調査ではさらに、地域や国別、またメディアの種類別に不均衡の程度が明らかにされる。 

調査結果は、世界キリスト教コミュニケーション協会(WACC: World Association for Christian Communication)によるグローバル・メディア・モニタリング・プロジェクトを通じて公表される予定である。この最新の2005年の調査は、ある特定の1日における世界各国での女性のメディアへのかかわり合いを調査したものである。

 WACC女性プログラム・コーディネーターのアンナ・ターリー氏は、IPSの取材に応え「2005年2月15日に実施された今回の調査は、1995年の第1回、2000年の第2回に次ぐ3回目のもので、世界76カ国で実施され、最大規模の調査となった」と説明した。 

5年毎に行なわれているこの調査は、ジャーナリズムを教える教授やその学生から、ジャーナリストの職業団体、コミュニケーション関連の草の根団体、オルタナティブ・メディア・ネットワークに至るまで何百という広範に及ぶボランティアのネットワークの手によるものである。 

これまでの調査では、データは報道や分析に活用されるまでであったが、今回は、行動への踏み台にされる計画である。「調査結果を変革の手段として活用するため、今回初めて一致協力した行動がとられることとなった」とターリー氏は説明する。 

調査では、ニュース報道における不均衡、ニュース編集室での不均等を調べ、「世界のニュースにおける男女の扱いの比率とニュース編集室に働く男女の比率を図表にする」 

世界各国のある1日の新聞、テレビおよびラジオにおけるニュース報道に焦点を当てて、世界のニュースメディアを調査し、ボランティアから収集した定性的および定量的データを分析して、これを基盤に5年毎の報告書が編纂されている。 

2月に発表される2005年の報告書では、2005年2月15日に報道されたおよそ13,000項目のニュースが分析の対象となった。 

今回は、最新調査結果から得られたメッセージを広めようというWACCの野心的な計画の下、次のような試みが計画されているとターリー氏は説明する。「今年の2月16日から3週間、世界50カ国以上で大々的なキャンペーンを繰り広げる。数々のイベントを通じて、メディアをはじめ、さまざまな人々と2005年の調査結果に基づき対話を重ねていく計画である」 

キャンペーンは「世界女性の日」に当たる3月8日に最終日を迎えるが、その日には、「メディアにおける男女平等の推進に向けた第一歩として」すべてのニュースメディアに編集責任を女性編集者や記者に任せるよう依頼する計画である。 

しかしこうした推進運動は、3週間のキャンペーン期間終了後も継続される、とターリー氏は次のように語っている。「3週間のキャンペーンをきっかけに、今後もパートナーシップを継続していきたい」 

ターリー氏は、2005年の調査の詳細は、3週間のアクション・プログラムの初日に公表される予定であるが、その概要からは、1995年と2000年の調査結果と比べて大きな変化は見られないと言う。相変わらず、ニュース記事においても女性の扱いは少なく、それを報道する側においても女性の人数は少ない。 

「唯一の例外は、テレビ司会者に女性が増えた点が認められたことだ」とターリー氏は言う。但し、女性司会者が仕事にとどまることができるのは、35歳前後までであるようだ。「テレビ司会者の場合には、年齢と職業に関連性が認められる」と指摘する。 

世界の状況は、まったく陰鬱なものであるが、「地域や国によって確かに一定の差異が見られる」とターリー氏は言う。しかしまた、パターンには著しく一致した点が見られることも事実だ。「英国の状況も、アゼルバイジャンやジンバブエの状況も大した変わりはない」 

このプロジェクトは、国連女性開発基金(ユニフェム)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)ならびにさまざまな提携団体の連合の支持を得ている。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

|ネパール|現実主義的な毛沢東主義へ(クンダ・ディキシット)

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【IPSコラム=クンダ・ディキシット『ネパーリ・タイムズ』の編集長】

1996年にネパールの君主制打倒のためのゲリラ戦を始めたとき、プラチャンダ首相は頻繁に「米国の帝国主義とインドの拡張主義」を非難していた。1998年のインタビューで、彼は、ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)はインド軍の侵略と戦い、ネパールの革命を「インドへ、そして世界へ」と広げていく展望すら語っていた。

 9月18日、プラチャンダ首相はインドへの公式訪問を終えてカトマンズに帰り、一晩だけ休んだあとすぐに米国へと旅立った。いまやスーツとネクタイに身を包むようになった首相は、毛派は信頼に足る相手であり、ネパール国内に積極的に投資してほしいと売り込んでいるのである。 

毛派は1996年にゲリラ戦を開始し、2005年からは議会政党と連合を組んで、君主制を打倒することに成功した。今年4月の総選挙で勝利し、連立与党を率いることになった。2年前には考えられないことであった。 

ネパール政府は現在、予算策定の途中だ。来年度の40億ドルの予算案は前年比30%増という積極的なものだが、内戦によって破壊されたインフラの再建に多くを割り当てるなど、きわめて現実主義的な色彩が濃い。 

バッタライ財務大臣の狙いは、インフラ投資にネパール経済の成長を牽引させることだ。彼は、水力発電を10年間で10倍にし、年間成長率を7%、2011年までには二ケタ成長にまで持っていくという野心的な計画を持っている。 

しかし、毛派が本当に実現しなくてはならないのは、貧しい人びとを食わせることだ。人口2780万人のうち半分以上が貧困線以下の暮らしをしている。食料価格は20%も高騰している。労働市場に参入する毎年45万人に職を見つけなくてはならない。今は、このうち半分が、インドやペルシャ湾岸諸国、マレーシア、韓国などへ出稼ぎに出て行くいくのである。 

また、国内の政治的な安定も図らねばならない。 

これらはいずれも大きな課題だが、この2年間、比較的スムーズに君主制から毛派の主導する民主政体に変わってきたことを考えると、毛派政権が課題を達成しうる十分なチャンスがあるといえよう。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 

*クンダ・ディキシット氏は、『ネパーリ・タイムズ』の編集長・発行人で、元BBCラジオ国連特派員、元インタープレスサービスアジア・太平洋総局長。