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|スワジランド|国境デモで民主化運動を後押し

【ヨハネスブルクIPS=モイガ・ヌドゥル】

12日国境の南アフリカ側でデモを行った民主化活動家25人が逮捕された。南アフリカ労働組合会議(COSATU:Congress of South African Trade Unions)と南アフリカ全国金属労働組合(National Union of Metal Workers of South Africa)の副委員長も逮捕された。COSATU広報官はIPSの取材に対し、南ア労組はスワジランドの民主化運動に賛同しているが、活動の指揮を執るのはスワジランド側と応えた。

スワジランドでは1973年、当時の国王ソブーザ2世が緊急事態を宣言して全政党を非合法化して憲法を停止させて以来、ムスワティ現国王の下でも民主化が遅々として進んでいない。

業を煮やしたスワジランド連帯ネットワーク(Swaziland Solidarity Networkスワジランド民主化推進派のアンブレラ組織。本部をヨハネスブルクに置くNGO)と人民統一民主運動(PUDEMO:非合法野党People’s United Democratic Movement)は4月を「スワジランド注目月間」と宣言して行動を起こした。

スワジランド連帯ネットワークのB.マスク事務局長はIPSの取材に応じ「英連邦54カ国ならびに南部アフリカ開発共同体14カ国の無関心が痛手」と語り、今回の行動も「国際的関心を喚起する上では成功」と評価している。

スワジランドの平均寿命は世界で最も短い33歳。15歳から49歳の年齢層の約39%がHIV陽性である。ケープタウンに本部を置き、抗レトロウイルス薬の普及活動を行うNGOトリートメント・アクション・キャンペーン(TAC:Treatment ActionCampaign)は、スワジランドにおける民主的権利の欠如が国民の保健に悪影響を及ぼしていると非難。南ア社会と政府にはスワジランドの民主化を支援する道徳的義務があると説く。

アフリカ最後の専制君主国スワジランドにおける最近の民主化運動と南アフリカ市民社会の支援について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan


関連ヘッドラインサマリー:
危機をはらんでいるスワジランドの現状

エジプト野党のつまずき

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【カイロIPS=アダム・モロウ】

激戦となった昨年の議会選挙以来、野党は、ムバラク大統領率いる国民民主党(NDP)に敗北を帰している。その極めつきが、4月1日のワフド党本部襲撃である。

本部建物の破壊と数十人の負傷者を出した同襲撃は、ワフド党内の改革派により追放されたゴマア元党首の扇動によるものであった。メディア報道によれば、ゴマアを先頭に約60人の武装グループがカイロの党本部になだれ込み、党メンバーと警察が制止するまで、本部職員に襲い掛かり、施設を破壊したという(ワフド党は、自由と反植民地主義を掲げ、1919年に創設された。9月の大統領選では、ゴマア候補は大差で3位に終わり、議会選挙でも僅か6議席しか獲得できなかった)。


 
独立系日刊紙al-Masry al-Youmのサマアン記者は、「同事件は、長年の党内問題を露呈したもの」と言うが、市民は「ワフド党の自滅は、与党の計略によるもの」と見ている。

ゴマアは現在、拘留中であるが、収監されている元大統領候補はゴマアだけではない。設立まもないal-Ghad党のノウル党首も改竄の罪(支持者は濡れ衣と主張)で5年の刑に服している。サマアン記者によると、「ムバラク大統領は、息子のガマルを後継者に考えており、将来的にライバルとなるノウル氏を政治の舞台から追放した」と語っている。カリスマ党首の不在で、al-Ghad党も分裂状態だ。

イスラム同胞団(Muslim Brotherhood)も最近は、国家治安組織による逮捕、脅迫に合っている。同グループは1970年代に党資格を剥奪されたが、議会選挙では無党派候補を多数立候補させ、88議席を獲得した。しかし、NDPはこれを選挙違反と主張し、数十人のメンバーを逮捕。また、国家治安組織は、アレキサンドリア事務所の閉鎖を発表している。

政府圧力は、既存政党だけでなく設立を計画する新党にも及んでいる。今月初め、政党裁判所(Political Parties Court)は、イスラム系al-Wasat党(1990年代にイスラム同胞団から分裂)および汎アラブのカラマ党の党承認申請を却下している。エジプトにおける野党に対する締め付けの状況を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

IPS関連ヘッドラインサマリー:
複数政党制選挙に少なくとも一歩前進
治安部隊による有権者への投票妨害、報道抑圧に混乱した人民議会選挙

|ネパール|否定された革命

【カトマンズIPS=マーティ・ローガン】
 
ネパールではギャネンドラ国王と政府に対する抗議行動として、4月6日から主要7政党による全国ゼネストが継続されている。4月12日には全国で約100人が逮捕され、首都カトマンズから車で6時間ほどのナワルパラ市では警官の発砲で抗議者1名が死亡、4名が負傷した他、警官による殴打で58名の負傷者が出たと地元のNepalnews.comに伝えられた。

しかし、国王退陣までには、さらに何日もの反政府運動が継続される必要があるようだ。国際危機グループの南アジアプロジェクト副ディレクターのロデリック・チャルマーズ氏は「これはおそらく決定的な転換点にはならない」と述べている。

反政府抗議行動を主導する主要7政党の同盟(SPA)は、マオイスト(毛沢東主義反政府組織)と連携しているわけではないとわざわざ指摘している。マオイストは、11月、ネパールはまだ革命の時機ではないと認め、SPAが憲法制定会議を約束通りに行なうのであれば、SPAに加わることに同意した。だが政党側は、政府がマオイストを反政府運動に引き入れていると非難し、「テロリスト」のレッテルをはると脅すと、直ちにこれを否定したのである。

反政府運動への参加団体の数は日ましに増加している。4月11日は東部のダランや西部のポカラでは医師や看護師が反政府集会を開き、カトマンズではトリブバン大学附属病院が連帯して外来を閉鎖した。

しかし、大学の町キルティプールでは地元住民の参加が進んでいないと、住民のひとりブッダ・ラトナ・マリ氏は次のように述べている。「(街頭抗議により立憲君主制への移行を実現させた)1990年には住民が揃って参加した。だが今は大半が大学生だ。1990年以降優れた政治指導者がおらず、市民はすべての政治家に不信感を抱いている。」チャルマーズ氏は「旧態復帰に反対する政党の運動の問題点は、それが利己的に見えることだ。彼らは、『下院を回復し、我々の仕事を返せ。そうすれば仕事を進めるから』と主張するばかりだ。彼らは市民を鼓舞するような詳細な計画を立てることが必要だ」と述べている。
 
反政府抗議運動に、外出禁止令も敷かれているネパールから報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

IPS関連ヘッドラインサマリー:
国王のクーデターから1年、いまだ膠着状態続くネパール

「世界と議会」2006年4月号

特集:「日米安保の現在」

■講演
正念場を迎えた日米同盟
村田晃嗣(同志社大学法学部教授)

アメリカの新国防戦略と在日米軍再編協議
川上高司(拓殖大学国際開発学部教授)

在日米軍再編と地方自治体 -岩国市の住民投票を中心に-
浅野一弘(札幌大学法学部助教授)

■議員に聞く
長島昭久(衆議院議員)

■解説
在日米軍再編問題

■IPS特約

1人の反政府運動、タクシン首相を追いつめる

世界と議会
1961年創刊の「世界と議会では、国の内外を問わず、政治、経済、社会、教育などの問題を取り上げ、特に議会政治の在り方や、
日本と世界の将来像に鋭く迫ります。また、海外からの意見や有権者・政治家の声なども掲載しています。
最新号およびバックナンバーのお求めについては財団事務局までお問い合わせください。

二重苦に苦しむ子どもたちの暗い将来

【ハラレIPS=ヴサ・ニャティ】

国家エイズ評議会(NAC)によれば、この10年間にジンバブエの孤児は34万5,000人からおよそ130万人に膨れ上がり、これらの子どものうち16万5,000人がHIV陽性者である。

また国連児童基金(ユニセフ)は2万人以上が延命に重要な役割を持つ抗レトロウィルス薬(ARV)を必要としていると推定しているが、投薬を受けているのは2,000人足らずである。

 親を失い、HIVに感染するという二重の苦しみを背負う子どもたちに果たして政府は十分なケアを行なっているのだろうか。世界銀行とユニセフが2004年に発表した報告書は、こうした状況に十分な注意が払われていないと指摘している。

HIV陽性者の孤児の窮状は、社会全体の情勢を反映したものである。総人口およそ1,300万人のうちおよそ160万人がHIVに罹患している。パリレニャトワ保健児童福祉相によれば、ARV治療を必要としている患者は34万人以上にのぼるが、2005年12月現在、治療を受けている者は2万6,000人足らず、うち2万人が政府のプログラム下にあり、残りは民間セクターのケアを受けているという。

ハラレに本拠を置くエコノミストJohn Robertsenは、ARV治療の取り組みを阻害している要因として、インフレ率、失業率、経済縮小率がいずれも世界最高を記録するなど経済情勢の悪化を指摘する。ジンバブエは2004年に孤児および脆弱な子どもたちのための国家行動計画を開始したが、国民の大半が貧困に苦しむ中、孤児の対策に十分な予算の配分はないとパリレニャトワ保健児童福祉相は認める。

さらに、NACのタピワ・マグレ事務局長は、孤児をコミュニティケアに任せたいと養護施設の段階的削減を考えているとの政府の方針を明らかにしている。だが、匿名を条件にIPSの取材に応えた別のNAC高官は、乳児遺棄、子どもが世帯主となっている家庭、ストリートチルドレンなどの増加が示すように、コミュニティはすでに孤児に対処できない状況にある中で、こうした取り組みは賢明ではないと指摘する。ジンバブエの窮状を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

|イスラエル-パレスチナ|古い対立をかき消す新たなメッセージ

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【エルサレムIPS=ファウジア・シーク】

テロリストからイスラエルを守る目的で立てられた分断壁が、北エルサレムのアナタ中学校の校庭を横切っている。しかし今、壁はまた違った姿になっている。 

長い間、この灰色のコンクリート壁の表面には、血の涙を流した2つの瞳がアラビア語とともに落書きしてあった。いまそこには、新しい絵が描かれている。武器を捨てる一方でお互いの方に腕を伸ばしている2人の人間の姿だ。 

この新しい絵を描いたのは、「平和を目指す戦闘員の会」(Combatants for Peace)というNGOだ。同団体は、長年にわたる暴力の連鎖に懸念を持つ120名の元イスラエル軍兵士、元パレスチナ人戦士から成り立っている。

 
同会は、4月10日、アナタ中学校の校庭で初めてその存在を公にした。かつての敵同士が、イスラエルによるヨルダン川西岸のパレスチナ人地区占領を止める平和的手段を用いようとしている。西岸地区は、イスラエルとシリア・ヨルダン・エジプト間で起こったいわゆる「6日間戦争」(1967年)においてイスラエルに併合された。 

「平和を目指す戦闘員の会」は、1年間にわたって密かに会合を続けながら、いかにして過去の対立を乗り越え、平和に向かって活動していくのかを話し合ってきた。イスラエルの元エリート兵士および元パレスチナ囚人から主に成り立っている同会が担おうとしているのは壮大な任務だ。 

同会は、ハマスがパレスチナ政権を掌握するという事態の中で活動することになる。ハマスは、一般にテロ集団と見られており、イスラエルを国家として承認していない。 

イスラエルに対して第3次インティファーダあるいは暴力蜂起が今年中にも起こされるのではないかとの観測が流されてきた。第1次インティファーダは1987年から93年、第2次インティファーダは2000年から05年にそれぞれ起こった。 

昨年イスラエル政府がパレスチナに返還したガザ地区からロケット弾が発射され、近隣のユダヤ人入植地域をしばしば襲っているが、これに対してイスラエル軍が激しい報復行動に出た結果、パレスチナ側に死者が出るに至っている。 

分断壁はそうした攻撃を止める目的で建設された。壁は、コンクリートと金網で作られ、圧倒的にパレスチナ人の多い西岸地区からエルサレムを分離している。壁はもう間もなく完成する。 

しかし、暴力と絶望が渦巻く中、「戦闘員の会」の決意は固い。元イスラエル軍兵士アヴィチャイ・シャロンさん(24)はIPSにこう語った。「私たちはここにいる。この壁は私たちを止めることができない」「これは単に出発点に過ぎない」と語った。 

アナタ中学校の外でパレスチナ人とイスラエル人が開いている、スピーチと平和の歌で彩られた集会を横目で見つつ、シャロンさんはいった。ハマスが1月の選挙で勝ったとき、「むしろ私たちの士気は上がった」。「この非暴力闘争がこの時期にあっていかに大事かということを[ハマスの勝利は]示している。それは全く新しいやり方だ」。 

紛争当事者の双方を代表するグループは過去にも存在した。しかし、紛争の渦中にいる人たちがそのメンバーであったことはない、とシャロンさんはいう。 
 
「戦闘員の会」は、パレスチナ側に和平のパートナーはいないという神話を打ち崩したいと考えている。「あなた方の暴力ゲームはもう終わりだ」、これがイスラエル・パレスチナ両政府に対するシャロンさんのメッセージだ。 

 彼にはR年間の従軍体験がある。パレスチナ人の家屋に踏み込んだ夜も幾度となくあった。しかし彼は、除隊の時期が近づくにつれ、占領の無意味さを感じるようになっていたという。 

シャロンさんは国のために戦っていた。一方、元パレスチナ人兵士リヤド・ハレーズさん(26)は、イスラエルの行いによってパレスチナの人々の怒りと不満がかき立てられる様子を見てきた。 

戦う決意を固めた決定的な瞬間は、彼の住んでいた都市、彼の住んでいた村、彼の住んでいた家で初めてイスラエル兵士を見たときだ、ハレーズさんはいう。 

ユダヤ人植民とパレスチナ住民がしばしばぶつかり合い爆発寸前のヨルダン川西岸の都市ヘブロンで育った10歳の自分は、街に侵入しようとするイスラエル軍の車両に石を投げつけていた、とハレーズさんは回顧する。 

あるときには、イスラエル軍兵士が彼の父親と兄弟を拘束し、家に踏み込む際に家具をめちゃめちゃに壊していったこともあった。 

第1次インティファーダの時には火炎瓶がハレーズさんの武器だった。しかし、攻撃すれば必ず報復された。彼は4年前に右足を撃たれ、深い穴ぼこのような傷跡が残った。そして歩行が困難になった。 

しかし、パレスチナ占領地域において従軍することを拒否したイスラエル軍兵士のニュースをテレビで1年前に見たことが転換点となった。彼は、イスラエル人の中にも平和的な人間がいることを知ったのである。「暴力よりもよい方法があるのです」、そう彼は言った。 

ハレーズさんは、第2次インティファーダのときにファタハの政治運動に加わった。彼は、大学生に向かって1993年のオスロ和平協定について教えた。この協定により、パレスチナ解放機構(PLO)はパレスチナの人々の正統な代表として承認され、イスラエル側にはその存続権が認められた。そしてまたテロを終わらせる必要性が認識された。ハレーズさんはいま新しい挑戦に立ち向かいつつある。 

「戦闘員の会」が直面している大きな障害物は、「両方の社会で、(個人・政治の両面において)互いを敵だとみなしている人たちが多いということ」だとクリスチャーヌ・ゲルシュテッターさんはいう。彼女は、パレスチナ及びイスラエルにおいて、「異宗教間の付き添いプログラム」というドイツの団体のための活動を行なっている。同団体は、世界協会評議会の加盟団体だ。 

イスラエル・パレスチナ両政府が「互いに戦うか、さもなくば、互いに交渉しないか」式の態度をとっているため、ゲルシュテッターさんらの計画もなかなかうまくいかないという。 

「平和を目指す戦闘員の会」は、両政府に自らの存在を認識させ、大学生を初めとしてその他の耳を貸してくれる人々の信用を勝ち取りたいと考えている。しかし、非暴力のメッセージを伝えることの難しさが、同グループの集会のあとで証明されることになった。 

集会への参加者たちが校庭から離れようとするとき、イスラエルの軍警察はそれを遠巻きに眺めているだけだった。左翼の集会ではよくある風景だ。しかし、会合には出ていなかったパレスチナ人たちが投石を始めたのである。イスラエル警察側は催涙ガスで応戦しようとの構えを見せた。

平和への動きそれ自身が、暴力の影に脅えているのである。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩


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ベオグラードのアラブ・セルビア友好協会

アフリカ、中国への称賛と警戒

【プレトリアIPS=モギヤ・ンドゥル】

中国の目覚しい経済成長への関心が高まり、南アフリカ共和国のステレンボッシュ大学中国学センターのM.ディビーズ所長には講演の依頼が増えている。ディビーズ所長は、世界の製造業を担い貧困を削減した中国から、アフリカ諸国は学ぶべきだと考えている。

同所長は南アの首都プレトリアで開催された、「中国の成長:南アフリカ開発共同体(SADC)の貧困削減への意味合い」というテーマの会議で講演を行なった。中国の経済成長とは対照的に、世界銀行によると、アフリカ大陸に住む8億人の半分が1日1ドル以下で生活している。

会議を主催し、中国とアフリカの貿易を監視しているNGO、南アフリカ地域貧困ネットワーク(SARPN)のN.Ngwira氏は、中国の発展を称賛する一方で「アフリカの資源と市場に関心を持つ中国と協調した関係をもつべき」と考えている。2005年には主にスーダンからの石油の輸出で中国とアフリカの貿易は拡大した。またSARPNによると、中国は1970年代からアフリカに医師と農業技術者を派遣して医療活動と農業指導を行ってきた。

 問題は中国からの繊維製品の輸入の増大で、アフリカの地場の産業が打撃を受けている。さらに2005年1月に繊維製品の輸出割当を課していた多国間繊維取り決めが失効して状況は悪化した。米国市場での中国との競争も厳しく、南アの米国向け繊維製品の輸出は落ち込み、廃業する工場も増え、失業者も問題になっている。中国企業のアフリカでの活動を懸念する市民活動団体もある。「腐敗した政治家の庇護を受け、従業員の福利厚生はなく、アフリカの資源を搾取していなくなる」とモザンビークのNGO地方互助協会のL.I.Duvane代表はいう。

Duvane代表は「アフリカの犠牲で中国の発展があってはならないが、中国とのビジネスに有効な機構を確立できない各国政府も責任がある」とする。プレトリアの中国大使館のZhou Yuxiao参事官は「20年前にはアジア諸国で同様の議論があったが、現在中国はアジアで脅威ではなく恩恵をもたらす国と認識されている」という。アフリカと中国との関係について報告する。(原文へ

INPS Japan

米国への移民、ようやく暗いトンネルから抜け出せるか?

【メキシコシティIPS=ディエゴ・セバージョス】
 
「私たちは喜んでいます。もっとも、権利を持った市民として認められるまで、圧力を弱めることはできませんが」。そう語るのは、サンディエゴの移民団体「国境の天使たち」の代表を務めるエンリケ・モロネスさんだ。

3月27日、米上院司法委員会は、1000万人以上にも及ぶ不法滞在移民を合法化し、年間約40万人の一時滞在労働者(ゲスト・ワーカー)にビザを与えることを認めた法案を可決した。

 これが上院本会議で可決されれば、次は下院へ送られることになる。しかし、下院は、昨年12月、メキシコ国境へのフェンス設置等を定めた厳罰主義的な移民法案を可決しており、調整は難航するものと思われる。

上院司法委での可決直前には、米全土で移民たちが街に繰り出し前例のない規模でデモ活動を行なった。メキシコのビセンテ・フォックス大統領もこうした活動をほめたたえている。また、同じくメキシコのデルベス外相も、上院での可決を歓迎する声明を出した。

フォックス大統領は、3月31日に北米自由貿易協定(NAFTA)関連で米・加・メキシコの首脳が集まる機会に米国のジョージ・W・ブッシュ大統領と面会し、移民改革の重要性を訴える予定だ。

しかし、移民の活動家の中にはフォックス大統領は弱腰だとの声もある。「イモカリー労働者連合」の代表でもあり、2004年に「ロバート・ケネディ人権賞」を受賞したルーカス・ベニテスさんもそうした意見を持つひとりだ。「先週末の大行進は、私たちが眠れる巨人であり、しかし、いまこうして目覚め、これまでの過酷な取扱われように怒っていることを思い起こさせたのだ。」


「国境の天使たち」を初めとした数団体は、4月10日にも次の大きな行動を予定していると発表した。「それがデモになるか、ストになるか、それとも断食になるかはわからない」、そうモラレスさんは語った。

米国の包括的移民政策に対する移民や活動家たちの反応を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 

IPS関連ヘッドラインサマリー:
移民改革をめぐるバトル・ロワイヤル
米国、来年も移民抑制政策か

母親という危険な職業

【ルアンダIPS=カレン・イリー】

穴だらけのだらしないTシャツを着て、大きなおなかを抱えたその女性は、明らかに苦しんでいた。助けを求めることもできず、廊下を行ったり来たりしながら、だらしなく巻かれた腰布を不機嫌そうに結んだりほどいたりしていた。彼女は、下着も身に着けておらず、ぐったりとしてうめき声を上げながら壁に寄りかかっていた。彼女の股の間からは、床に血が滴り落ちていた。

彼女を助けたりやさしく声を掛けてやる者は誰もいなかった。血をふき取ってやる者は誰もいなかった。この光景は、アンゴラで子供を生むことがいかに危険かを物語る。そしてまた、2015年までに妊婦死亡率を4分の3削減するというミレニアム開発目標(MDG)の第5番目をこのアンゴラで達成することがいかに難しいかということをも。

 国連児童基金は、アンゴラにおいて、出生者1000人当たり17人の女性が妊娠関連の原因で死亡すると推計している。アンゴラの女性が妊娠が原因で死亡する危険性は、7人に1人の割合である。これは、サハラ以南アフリカの16人に1人よりも高い割合であり、ヨーロッパの2000人に1人、米国の3000人に1人(日本の6000人に1人:JICA)に比べるとはるかに高い確率である。

概していえば、これらの数字は、アンゴラ政府と「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)との間の27年にわたる内戦の遺物である。和平が成立して現在4年が経つが、基本的な医療施設はいまだに少ない。深い穴や地雷によって通行不能の道路も多く、わずかに存在するサービスすら、遠隔地に住む多くの人々にとっては利用できるものではない。

妊婦たちは、エイズ・栄養管理・衛生・マラリア予防に関する助言などの基本的な出産前ケアを受けることができないことも多い。マラリアは、妊婦の貧血の原因となる病気であり、妊婦・新生児双方の主な死亡原因となっている。

妊婦たちは、出産するギリギリの時期まで、市場で商売に精を出したり農場で働いたりする。これは時として危険を伴うが、アンゴラでは非常によく見られる慣行となっている。妊婦たちは、具合が悪くなってきたのではないかとの恐れを抱くと医療施設に走ることになるが、そのときには手遅れになっていることが少なくない。

国際的な援助団体、「国境なき医師団」のベルギー支部で副医療コーディネーターを務めるメリーゼ・ドゥコルー氏は、「施設が足りない。でも女性たちが非常に遅い段階になってから助けを求めに来るという問題もあるのです」という。

さらに、多くの出産は、医療スタッフの立会いを受けないまま行なわれる。このために、本来ならば大事に至るはずのない原因で死亡してしまうことも少なくない。「伝統的な医療に対する信仰や、自分ひとりで、あるいは母親・姉妹・いとこなどの家族の助けを借りて家で赤ちゃんを生むことに対する長い信仰があります。こうした信仰に対抗するのはとても難しいのです」「そういう女性が病院にたどり着いたとき、私たちにできることはすでに何も残されていない、というのが往々にしてある厳しい現実です。彼女たちはただ死ぬためだけにここへ来るのです」とドゥコルー氏は語る。

そして、中絶という微妙な問題がある。アンゴラでは、女性の命を救うために必要な場合を除き、中絶は違法である。ドゥコルー氏はいう。「中絶用の施設はありませんが、民間療法を用いて家庭で中絶を試みる女性が後を絶ちません。私たちの病院にひどい状態で女性が担ぎ込まれることも少なくないのです」。

出生率が高く、性行為に及ぶ年齢が早いため、合併症・感染症・出産中の死亡の危険性は格段に高まる。

政府は、母親たちの健康状態に強い懸念を持ち、妊婦の死亡を2008年までに3分の1減らすことを目標としている。これができれば、MDGの第5目標における相当の前進となる(全部で8つのMDGが、6年前ニューヨークで開かれた国連ミレニアムサミットに集った世界の指導者たちによって採択された。これらは、幼児・妊婦死亡率、環境破壊、不公正な国際貿易ルールなど、開発に対する主な障害に対処するために決められたものである)。

しかし、アンゴラは同様に火急の対策を要する問題を山のように抱えている。妊婦の健康対策は、幼児死亡率対策に比べカネを生まない事業だと考えられており、子供を産もうとする女性に対してその基盤を提供する事業がほとんど行なわれないのではないか、との恐れがある。この状況は、この国の女性に対して特に暗い影を投げかける。なにしろこの国では、女性の教育機会は少なく、母親であること以外に生きる可能性は見出しにくいのだ。

アンゴラ女性は、平均して7人の子供をもうける。彼女たちはまた若い段階で赤ちゃんを産み始め、第一子をもうけた女性の70%がまだ10代のうちに子供を産むと見られている。

家族計画に関する情報も不足している。現場の医療関係者は、女性の側は避妊法を試したり間隔をあけて出産したりすることを望んでいるというが、彼女たちの夫やパートナーがそうした行為は男らしさに反するとしてしばしば反対するのだという。

ルクレシア・ペイム助産院では、テレサ・ミグエルさん(仮名)が低レベルの妊婦保健対策の結果に直面していた。彼女の家族は、首都ルアンダから数キロだけ離れた、ビアーナという貧しい郊外地域に住んでいる。しかし、21歳ですでに2人目の子供を身ごもった彼女の若い娘が病院に着いたとき、すでに手遅れであった。娘の女の赤ちゃんは死産だった。

ミグエルさんの頬を涙が伝う。彼女は手で頭を叩き、大声で娘・ルシアのために祈った。ルシアはまだ緊急病棟におり、出血を続けていた。

病院の看護師がミグエルさんに娘の薬を買ってくるよう頼んだが、ミグエルさんも弱りきった状態で、いったい何を買えばいいのか、どこで薬を売っているのかわからなかった。数分後、彼女はパニック状態のまま手ぶらで緊急病棟に戻った。

16歳になるまた別の若い女性が、自分の膨れたおなかを殴っている。彼女はとても不安げに見えた。200クワンザ(約2.2ドル)の紙幣を握り締めた彼女は、「薬や服を買うお金がないのなら、治療は受けられないのです」といった。

この女性やルシア、そして病院の廊下でうめきながら血を滴らせていた冒頭の女性は、まだ幸運な方だと残念ながらいわねばならない。少なくとも、彼女たちは首都に近い場所に住んでおり、出産前・分娩後の基本的ケアをいくらかは受けることができる。しかし、アンゴラの広大な僻地に住んでいる女性たちのほとんどは、自分たちだけでやっていかねばならないのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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欧州によるアフリカの植民地支配終結から30年

移民改革をめぐるバトル・ロワイヤル

【ニューヨークIPS=ウィリアム・フィッシャー】
 
米国の移民政策をめぐり、共和党の内部で二つの立場が激しく争っている。一方は、国境管理を厳しくし不法滞在者を強制退去させることを望む強硬派であり、もう一方は、不法滞在移民の経済的役割を認める産業界寄りの立場である。

下院はすでに、下院司法委員会のセンセンブレナー・ジュニア氏が中心となって、かなり強硬な法律を通過させている。この法律によれば、メキシコ国境沿いにフェンスが設置され、移民法制違反に対する罰則が厳しくなる。違法行為には、不法入国の奨励や、いったん国外退去処分になった後の再入国といった行為も含まれる。また、外国人に国外退去処分を科しうる要件が広まる。さらに、企業の経営者に対して、社会保障番号を使って社員の身元を確実に調べるよう求めている。

 一方、上院では、昨年2つの法律が上程された。ひとつは、ジョン・マケイン議員とエドワード・ケネディ議員が提案した、「働いて留まる」というアプローチにのっとった法律案である。同案は、入国管理をより厳しくすることを求めてはいるものの、同時に、一時滞在労働者(ゲスト・ワーカー)プログラムの創設も定めている。不法滞在者であっても、1000ドルの罰金と同プログラムの参加料を支払えば、6年後には永住権を取得できるというものだ。

もうひとつは、「働いて帰国する」というより厳しいアプローチを代表するもので、ジョン・コーナイン議員とジョン・カイル議員が提案したものである。

しかし、上院での議論の核になりそうなものは、上院司法委員会のアーレン・スペクター委員長が提案した「2006年包括的移民改革法案」である。同法案では、不法滞在者であったとしても、税金を払い、労働者として働き続け、身元がはっきりしているならば、国外退去処分にはしないと定められている。

しかし、下院の通した強硬派の法律と、上院のスペクター法案との間には、内容的にかなりの開きがあり、妥協が用意であるとは思われない。米国の移民改革論議について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 

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