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|視点|戦時のNPT再検討プロセス(セルジオ・ドゥアルテ科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議議長、元国連軍縮問題上級代表)

【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ

「諸国が、国際連合憲章に従い、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならないこと並びに国際の平和及び安全の確立及び維持が世界の人的及び経済的資源の軍備のための転用を最も少なくして促進されなければならないことを想起して…」(NPT前文より)

ロシアによるウクライナ戦争が収束しない中、核不拡散条約(NPT)の締約国は、2026年のニューヨーク会議に向けた11回目の条約再検討サイクルに入ろうとしている。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

今回の紛争に直接または間接的に関与するすべての国が条約の締約国であり、その一部は核兵器国、あるいは自国内に核の配備を認めている国々でもある。核兵器が遅かれ早かれこの戦争で使用されてしまうのではないかという国際社会の恐れが、無謀なレトリックによって再び高まっている。

こうした恐るべき見通しがあるなか、核不拡散・軍縮体制の健全性を保ち、国際の平和と安全を維持するために、NPTの起源や履行、目的に関連したある側面や、条約の再検討プロセスの重要性を想起しておくことが有益であろう。

1946年、核兵器廃絶のための具体的な提案を行うために設立された国連委員会は、米ソ両大国間の角逐と不信のために、その任務を果たすことができなかった。その後、国際社会の大部分は、核廃絶達成に向けた中間的な措置として、核保有国の数を抑えることが共通の関心事であるとの認識を強めていった。

核不拡散条約への支持は、そうした条約が核軍縮という共通の目標に向かって前進するものになるだろうとの期待とともに高まった。

こうして、無投票で1965年に採択された総会決議2028(XX)は、18カ国軍縮委員会(ENDC)に対して、そうした条約の協議を行い基本原則を定義するよう要求した。そうした原則の最初の3つのものは、以下のようになっていた。1)その条約にあっては、核兵器国・非核兵器国のいずれも、いかなる形においても核兵器の拡散を認めてはならない。2)核兵器国と非核兵器国との間で相互の義務を容認できる形でバランスよく定めねばならない。3)条約は核軍縮に向かう一歩とされねばならない。

1965年から68年の間に、ENDCは提出された条約草案をバラバラに協議し、のちには、米ソ代表の共同議長という形で審議を行った。68年5月、最終文言に対する全会一致の合意がみられない中で、共同議長は草案への修正を提案し、彼らの責任において草案を国連総会へ送った。

さらなる審議と修正ののち、国連総会は1968年6月12日、賛成95・反対4・棄権21でついに条約案を決議2373の形で採択し、条約を諸国の署名に開放した。それから数十年、NPTは核軍備管理の分野において最も締約国の多い条約となった。今日、非締約国はわずか4つしかない。しかし、条約成立52年を経てもなお、大きな意見の対立がみられる。これまでに開催された10回の再検討会議のうち6回は、最終文書に関するコンセンサスが得られないまま終了している。

NPTは明確に、他国が追随することを防ぐという核保有国の強い関心を反映している。その主要な条項では、1967年1月1日以前に核兵器を爆発させていない国が、いかなる手段によってもそのような装置や武器を取得することを禁止するように設計されており、その義務を検証するシステムを確立している。

条約のどこにも、核軍縮に対する明確なコミットメントを記した条項はない。第6条の下では、すべての締約国が「核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する」とされているのみである。

しかしそのような協議はまだ始まっていない。米国とロシアの2大核保有国は、数十年にわたり、核弾頭や発射台の数を大幅に削減した2国間条約(=新戦略兵器削減条約)をはじめ、核戦力の制限や削減に関する多くの協定を締結してきた。

この条約は2026年までは有効だが、その他の過去の条約はすべて失効するか、破棄されるかしてきた。フランスと英国は自らの核戦力の規模に自主的な制限を課している。これらの協定や決定はNPT自体との有機的な連関がなく、核兵器の廃絶を想定しているものでもない。

NPTの非核加盟国は、いずれも核兵器を保有していない。この規範を回避しようとしたとされるいくつかの試みは、外交的または軍事的圧力によって阻止された。一部の国は「潜在的核保有」の状態にあり、核能力を急速に構築することが可能だと見られているが、これは間違いなく大きな国際的危機を引き起こし、これらの国々にとっては好ましくない帰結を生み、核不拡散体制への信頼性が失われるか、場合によっては崩壊させる可能性もある。

NPT member states/LLPI
NPT member states/LLPI

1995年、NPT再検討・延長会議は条約の無期限延長を決定した。この決定は、2つの互いに交わらない国々の集団の間の分断を固着化させることになった。すなわち、NPTによって「核兵器国」と認められた国々と、国際社会のその他の国々との間の分断である。

これら5カ国は同時に国連安全保障理事会の常任理事国でもあり、その決定にあたって拒否権を発動することができる。核兵器を取得しているがNPTに加入していない4カ国は「事実上」の核保有国だとみなされている。NPT第9条3項に定められた時間的な制約によってはこの状況を変化させることはできない。いくつかの締約国の利益の間には対立があり、条約改正もままならないであろう。

NPT成立からの30年間で条約がほぼ普遍的なものになったことで「水平」拡散のリスク、つまり保有国数が増加するリスクは大幅に減少した。国際社会の大部分が核兵器を保有しない法的義務を受諾した理由としては、NPTに加盟することで得られる利点の他に、別の理由も指摘できる。

つまり多くの国は、核爆発装置とその運搬手段を維持するために必要な経済的・財政的・産業的・技術的資源がなく、安全保障上の理由を欠いているのである。核保有を検討するかもしれない中規模国家の場合は、自国の防衛と安全保障のニーズは他の手段で満たす方が良いと考えているようだ。

現在の世界情勢において、NPTの非核保有国が核武装することは、望ましくない危険な地域競争を引き起こすことは間違いない。しかし、一部の国では、独立した核戦力を求める動機と圧力が、世論の一部に依然としてみられる。

NPT第3条は、非核兵器国が受諾した義務によって、条約遵守を検証するための効果的なシステムに関する法的基礎が提供されている。第6条は、核軍縮に向けた可能な行動について言及するのみであり、特定の措置やスケジュールについても、ましてやその結果を達成すべき期限についても定めていない。核軍縮に関する明確な義務が存在しないことで、その方向に向けた多国間のコンセンサスを作り出すことがより難しくなっている。

核兵器国とその同盟国が強く主張した1995年の条約無期限延長に沿って、合意された原則や目標に基づいた条約再検討プロセスが強化され、進展がもたらされるのではないかと期待が高まった。これに沿って、2000年の再検討会議では「核不拡散・軍縮に向けた13の実践的な措置」などの重要な合意がなされた。

しかし、この期待は長続きしなかった。2005年の次の再検討サイクルでは、主要国間の関係が急激に悪化し、過去の公約が放棄されたり否定されたりする中で、さらなる建設的な決定を求める意欲は失われた。締約国は、わずか5年前に達成された理解を認識することにさえ合意することができなかった。

この時の会議は、会期のかなり遅い段階まで意味のある話し合いをすることができず、実質的な成果文書を生み出すことができなかった。その5年後の2010年の会議では、2回連続で失敗してはならないという決意に満ちた努力があり、ほとんどの関連事項について真摯な話しあいがなされた。幅広い関心を反映して、提案された行動のリストは長いものになったが、それをフォローする行動がなかった。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

最も重要な成果は、最終文書が核爆発の「壊滅的な帰結」について認識したことであろう。これが2017年の核兵器禁止(核禁)条約の交渉・採択の基礎となった。核兵器国とその同盟国からの激しい反対にも関わらず、核禁条約は2021年に発効した。その意義と波及力は疑うべくもなく、加盟国の増加は、国際社会が核兵器を拒絶している事実を表している。

1995年以前に開催された、いくつかの再検討会議が失敗したのは、フォローアップ措置に合意できなかったことが大きな原因であるが、この年以降、再検討会議の帰趨は、条約の欠陥(特に核不拡散と軍縮の約束の間の内蔵の不均衡)よりも核保有国間の関係に大きく左右されていたようである。

50年以上に及ぶNPTの歴史の中で、締約国はこの制度に一貫した忠誠を誓い、その枠組みの下で協力し続ける意思を示してきたと認識するのが公正であろう。この関連で、2015年と2022年の会議の際に議長が提示していた最終文書案の文言に対しては、過去の合意に比べれば後退していると認識されつつも、圧倒的大多数の国々が支持を与えていたという事実を想起することができよう。核兵器国がいずれの場合にあっても反対を唱えて、全会一致での文書採択には至らなかった。明らかに、これらの反対論は、条約の再検討そのものに対してというよりも、それぞれの国の地政学的な現実と関連した特定の利益に関係したものであった。

ウクライナでの戦争は2026年再検討会議の準備に明らかにマイナスの影響を及ぼすだろう。現時点では、あと数か月で戦争が終わるとは考えにくい。NPTの行く末を政治的現実全体から切り離すことなど土台不可能だが、条約再検討プロセスと条約の権威そのものを戦争の犠牲とすることはあってはならないだろう。現在の核不拡散・軍縮体制の欠陥に対処しそれを改善するための熱心な取り組みが、次の再検討サイクルには含まれてくることだろう。

Sergio duarte
Sergio duarte

遅かれ早かれ、いや、願わくはできるだけ早く、この無意味で破滅的な紛争が終わりを迎えてほしい。もし我々が幸運ならば、この戦争の帰結は、交戦当事国のみならず人類文明の大半を巻き込む相互確証破壊(=核戦争)で終わるのではなく、合理的かつ包摂的、公正で生産的な国際社会を再編成し、多国間協定への信頼を回復するための新たな機会を提供するものとなるだろう。

新しく、より公正で包摂的な安全保障のパラダイムを構築するためには、すべての当事者が自己中心的な態度を抑え、効果的で永続的な国際安全保障の仕組みは核兵器の存在とは相容れないことを明確に認識することが必要だ。すべての国家が安心感を得るまでは、どの国家も安心とは言えないだろう。(原文へ

※著者のセルジオ・ドゥアルテは、元国連軍縮問題上級代表で、現在は「科学と世界情勢に関するパグウォッシュ会議」議長。

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|タイ|「希望の種」が地域の食料不足解消をめざす

【カエン・マクルード(タイ)IDN=パッタマ・ビライラート】

種なくしては世界の人びとを食べさせるのに十分な食料安全保障は望めないという信念の下、タイの「希望の種子」(SOH)プロジェクトが、地域に自活的な農法を身につけさせ、収奪的な農業ビジネスから身を守ることを目指している。

タイ北部の低地ウタイターニー県カエン・マクルード村の住民のほとんどがポー・カレン民族であり、彼らの文化や伝統は種子と密接に結びついている。

Map of Thailand
Map of Thailand

この地域の習俗に詳しいワノブ・コルスクさんは、「私たちの食料は種に由来しており、地域の様々な儀式で、客人や村の長老たちに種が提供されます。例えば、炊いた米に豆やゴマと混ぜた伝統料理『ミーシ』が、結婚式などの儀式に出席する客人らに振舞われます。また、重要な儀式として、種をお供え物として僧に捧げるのです。」と語った。

地元の僧に種を捧げるという行為はタイの仏教文化に根差したものであり、僧侶はお経を唱え祈りを捧げたのちに、供物の種を村人たちに配布している。「そうすることで、村人たちは様々な種を手にして、土地に蒔くことができるのです。」と、コルスクさんは語った。

種と地域社会のつながりを維持するために、コルクスさんは現代の農業技術が種子の絶滅につながることを深く憂慮している。

遺伝子組み換え作物(GMO)のような不自然な品種を開発し、世界の食糧を掌握しようとする巨大企業があるため、村人が種をまく場合、企業から買わなければならず、純粋な品種を育てる機会がなくなっていることは知っています。たしかにこうした企業が提供する品種は、成長が早く、繁殖力が強く、見た目も良い果物が収穫できます。そのため、農家は常に購入者の立場に立たされることになるのです。」とコルスクさんは指摘した。

「その結果、自然界の植生が急速に失われています。私も以前は企業から種を購入し、タピオカのみを植えていたのですが、2016年になって土地が干上がってしまい、作物が植えられなくなったのです。どうしたら家族を食べさせることができるか途方にくれました。」とコルスクさんはIDNの取材に対して語った。

Bhumibol on agricultural practice in Chitralada Royal Villa/ By The National Archives of Thailand - The National Archives of Thailand, Public Domain
Bhumibol on agricultural practice in Chitralada Royal Villa/ By The National Archives of Thailand – The National Archives of Thailand, Public Domain

そんな時、あるテレビ番組で自活的で持続可能な農業について知った。前国王のプーミポン・アドゥンヤデート(ラーマ9世)が始めた取り組みであった。「当時の私は、自分の農業のやり方を持続可能なものにしようと必死でした。偶然、私の住む地域にあるロイヤル・イニシアチブ・ディスカバリー財団のスタッフに、自分の考えと窮状について話す機会があり、彼は私の状況を理解し、私の思っていることを実現する手立てを与えてくれたのです。」

自活的な農業について教育する「プンプン・センター」は、この地球上で1日あたり少なくとも20種の作物が失われていると推定している。かつて世界には約2万種近い米があったが、現在では200種にも満たない。同センターによると、種子の消滅は、人間にとっても動物にとっても食料の安全保障を失うことになるという。

IDNは「知識管理財団」(KMF)のハタイラート・プアングチョエイ代表に取材をし、自活的で持続可能な農業の理論をどう実践していったらよいかについて聞いた。

「国王が提示した原則を取り込んで農村の発展を加速・拡大させていくことが私たちの使命です。」とプアングチョエイ代表は語った。同財団はタイ全土の地域社会や自治体、学術組織と協力してプロジェクトを実践している。

「かつてカエン・マクルード村はファイ・カーエン野生保護区の緩衝地帯としても機能していたため、村人達は保護区を侵食していたのです。この村にスタッフを常駐させ、代替の仕事を作っていますが、それは、この土地に灌漑システムがうまく機能するようになってからでしょう。」

KMFは、コルスクさんが持続可能で自立した農業を実現するために、手を貸すことを惜しまなかった。他の村人たちとともに、アグリネイチャー・ファウンデーションが運営するコースに参加させたのだ。「交通費、宿泊費、食費は財団が負担しました。そしてコース終了後、コルスクさんはすぐに持続可能な農業を始め、最初にやったことは、財団のネットワークの支援で自分の土地に水路を作ることでした。」とプアングチョエイ代表は語った。

彼女は、「KMFが支援してきた持続可能な開発手法は、コロナ禍のような苦難の時代にも役立っています。このコンセプトのもとで栽培された農作物は、地元の人々の80%を養うことができたのです。」と語った。

「ロックダウンが発表されていた時期、私の畑には十分な数のザボンがありました。それで、村の内外の人に、私の畑に来て果物を好きに持って行ってくれていいと言いました。コロナ患者を世話する看護師たちへの感謝を込めて、果物を配ったこともありました。」と、コルスクさんはIDNの取材に対して語った。

プアングチョエイ代表はさらに、財団には、村が自活していくために3点のプログラムを実施していると説明した。つまり第一に、自らの家族をその作物によって食べさせること、第二に、地元の住民らがお互いに助け合うこと、第三に地元のネットワークが外部組織と協力して収入を増やしていくことである。

カエン・マクルード村は現在、「ロイ・プン・ルクサ地域公社」という種子を生産する企業を2019年に設立するなどプロジェクトの第三段階に入っている。「コミュニティのメンバーが種子保存に熱心であることに気づいたので、2017年にチェンマイで種子保存コースを受講してもらいました。それから村人らは自ら種を生産し、新たな植生について学び、カエン・マクルード村で100種類以上の種子を発見しました。」とプアングチョエイ代表は語った。

カエン・マクルード村が食料不足解消のためにいかに種を発見していったかについて、「ロイ・プン・ルクサ地域公社」(RPRCE)のディレク・スリスワン会長がIDNの取材に答えた。

「私はカエン・マクルード村のカレン族の学校の校長をしていましたが、村人が野菜や果物の種を買ってきて植えているのを見て、長期的には業者に頼らざるを得なくなると考え、学校の土地で土着の野菜を栽培することを教え始めました。『足るを知る経済』のアプローチと持続可能な農業の知識を教え込みました。」とスリスワン会長は語った。

のちに村人たちは村の公社に加わって、他県の村へとネットワークを拡大し種の確保や作物生産の知識を蓄えていった。

Image: (left) Direk Srisuwan, the chairman of the Roy Pun Ruksa Community Enterprise (RPRCE) and (right) Wannob Korsuk, Community Wisdom leader
Image: (left) Direk Srisuwan, the chairman of the Roy Pun Ruksa Community Enterprise (RPRCE) and (right) Wannob Korsuk, Community Wisdom leader

RPRCEを設立してから、「私たちは、ハーブもしくは野菜のような新たな作物を調べるための経済的な支援をしてくれる『生物多様性基盤経済開発局』とつながりを持ちました。私たちの目的は、地域とネットワーク内での食料不足を解消することだけではなく、農民やその他の地域、外部機関の間で地元の種の保存に関する知識を拡散し経験の交流を図ることでした。」とスリスワン会長は説明した。

「希望の種」は1月21・22両日に自分たちの活動を説明するイベントを開催した。スリスワン会長によると200人以上が参加したという。

カエン・マクルード村から35キロ離れたナコーン・サワン県からの参加者、ユラさんはIDNの取材に対して、「初めて来たのですが、『アグリネイチャー』の活動にとても感動しました。人々が協力し合って働いていること、土地や種子を保存する方法がとても多様であることを知りました。こういうやり方はこれまでに見たことがなく素晴らしいと思います。このコミュニティは小さいですが、『希望の種』はとてもうまく運営されていて、連帯感があります。」と語った。

「多様な種を見たいと思ってここに来たのですが、期待以上でした。またここに来て、次はオーガナイザーとして参加したいと思います。このイベントで学んだことを私やその近隣の地域の人々に紹介します。ナコーン・サワン県でも協力して物事を進めてはいますが、これほど固い連帯はありません。」とユラさんは語った。

もう一人の参加者、マミューさんは、「まさか『希望の種』にこれほど多くの参加者が集まるとは思っていませんでした。カエン・マクルート村のコミュニティの団結力が、このイベントの推進に役立っているのだと思います。新しい世代には、私たちの文化を守り、伝え、身近な価値観を知ってほしい。これらは、彼らが自立するために必要な要素なのです。」

SDGs Goal No. 12
SDGs Goal No. 12

プアングチョエイ代表は、彼女らの活動は「社会的実験」であると考えており、世界の潮流の変化や、気候変動による天候の変化が伝統的な栽培に影響を与えつつある中で、伝統的な農法が変化する可能性を自覚している。

「しかし、種を変異させることなく、遺伝子組み換え作物に頼らずに生産性を上げる方法を模索しなければなりません。」と、彼女は決然とした表情で指摘した。「成功が他者にとっての学びの源泉となるようなものとして、この場所を使っていきたい。だから私たちはこれを『社会的実験』と呼んでいるのです。」(原文へ

INPS Japan

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プーチンの新START “中断 “の決断は危険

【トロントIDN=J.C.スレッシュ】

軍備管理協会(ACA)は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、米ロ間に唯一残る軍備管理・軍縮条約2010年新戦略兵器削減条約(新 START)の履行を停止する決定を下したことを強く批判した。

Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri
Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri

ダリル・G・キンボールACA事務局長は声明の中で、1年前のプーチン大統領による「年次教書演説」での発言について、「ロシアの違法なウクライナ侵攻を正当化しようとするとりとめのない試みだ。」と語った。

「プーチン大統領の発言は、ロシアが新STARTの立ち入り査察の再開に向けた協議に参加せず、条約の二国間協議委員会の会合にも参加せず、条約で求められている戦略核の備蓄に関するデータの共有もしないことを示唆している。」

キンボール事務局長は、「これらの行動は、新STARTの規約に大きく違反するもので許されない。他のロシア高官は以前、ロシアは条約で定められた主要制限値(配備済戦略核弾頭1550個と配備済み戦略運搬車700台)の下で維持すると述べていた。」と指摘した。

「今回の発表は、2026年2月5日に期限切れとなる新STARTの終了を意味するものではないが、新STARTの期限終了後、1972年以来初めて米ロの戦略核兵器を制限する合意がなくなる可能性がはるかに高くなった。」とキンボール事務局長は警告した。

実際、プーチン大統領による新STARTの「中断」は、ロシア自身の安全保障上の利益を損なっている。「条約条項の完全履行がなければ、ロシアは米国の戦略核兵器に関する見識や情報が得られなくなる。」

キンポール事務局長はさらに、「新STARTの中断は、核保有国に対して「早期の核軍拡競争の停止と核軍縮に関する効果的な措置について誠実に交渉を進める」ことを求めている1968年の核不拡散条約(NPT)の締約国としてのロシアの義務を損なうものである……。」と語った。

声明は以下のとおり続く:

President Biden speaks with the media at the conclusion of the U.S-Russia Summit in Geneva, June 2021. Image: U.S. Embassy Bern Switzerland / Flickr, Creative Commons
President Biden speaks with the media at the conclusion of the U.S-Russia Summit in Geneva, June 2021. Image: U.S. Embassy Bern Switzerland / Flickr, Creative Commons

「これに対し、ジョー・バイデン米大統領は、新STARTに代わる新たな核軍縮枠組みをロシアと迅速に交渉する用意があるが、ロシアはまず新STARTの査察を再開するために誠実に努力しなければならないと明言している。これは十分すぎるほど合理的な要求である。」

「もし新STARTが後継の取り決めなしに2026年に失効すれば、米露両国はそれぞれ、配備済みの戦略核弾頭の数を短期間のうちに倍増させるだろう。このような行動は、誰も勝つことのできない軍拡競争を生み出し、誰にとっても核兵器の危険性を増大させることになる。」

「我々は、バイデン政権が2月21日の発表した、米国が『世界や米露関係で起こっている他の出来事とは無関係に、いつでもロシアと戦略的軍備制限について話し合う用意がある。』とした発表を強く支持する。」

「我々はロシアに対し、新STARTの遵守を確認するための現地査察の義務を遵守し、米国とさらなる核軍縮外交を行うよう改めて要請する。」

ICAN
ICAN

「我々はまた、NPTのすべての締約国に対し、ロシアによるウクライナ戦争に対する立場に関わらず、新STARTを遵守し、米露2大核兵器保有国の間で新たな、理想的にはより低い制限値の交渉に合意することで核軍縮の責任を果たすよう、ロシアに働きかけるよう要請する。」(原文へ

INPS Japan

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ブラックリストに載ったシリアが被災を機にカムバックを果たす

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【国連IDN=タリフ・ディーン】

人権侵害、戦争犯罪、化学兵器の使用で告発されたシリアのバシャール・アル・アサド大統領は、国連総会で演説したことも、国連に足を踏み入れたこともない権威主義的な中東の指導者の一人である。

12年にわたる内戦で国民を残虐に弾圧してきたことで、米国や西側諸国からブラックリストに載せられたアサド大統領は、国連を軽視していたか、或いは本国を離れたら政権を追われることを恐れてシリアに留まったのだろう。

A poster of Syria's president at a checkpoint on the outskirts of Damascus, Jan. 14 2012./By Elizabeth Arrott - A View of Syria, Under Government Crackdown. VOA News photo gallery, Public Domain
A poster of Syria’s president at a checkpoint on the outskirts of Damascus, Jan. 14 2012./By Elizabeth Arrott – A View of Syria, Under Government Crackdown. VOA News photo gallery, Public Domain

2月6日の地震では、主に反政府勢力が支配するシリア北西部で、数千人のシリア人が死傷したと伝えられている。

皮肉なことに、この地震はアサド大統領にとって不幸中の幸いだった。彼は、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など、かつてシリアに対して非友好的だった国々から数百万ドルの財政・人道支援を受けているのである。

アラブ諸国では、UAEが約1億ドルを寄付したとされ、また、シリアを22カ国からなるアラブ連盟(現在21カ国)に復帰させようという動きも報じられている。

ロイターの報道によると、サウジアラビアのファイサル・ビン・ファルハン外相は、先日のミュンヘン安全保障会議で、アラブ諸国ではシリアを孤立させても効果がなく、少なくとも難民の帰還を含む人道問題に取り組むために「ある時点で」シリア政府との対話が必要だというコンセンサスが形成されている、と述べたという。

2月17日付のニューヨークタイムズの記事の見出し「シリアの地震は、のけ者国家が再び世界の舞台に這い戻る助けとなった。」は、的を射ていた。

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

2月22日、記者会見したステファンドゥジャリク国連報道官は、「17台のトラックが、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、WFP(世界食糧計画)、WHO(世界保健機関)が提供する援助物資を積んでバブ・アルハワとバブ・アル・サラームの国境検問所を通過した。」と語った。

2月9日以降、合計282台の国連トラックが3つの国境検問所を通過してシリア入りした。

「同僚によると、今回の地震で特に大きな被害を受けたのは保健セクターで、シリア北西部だけで47の保健施設が被害を受けたと報告されている。12の医療施設は業務を停止し、18は部分的にしか機能していない。」とデュジャリック報道官は語った。

国連とパートナー(主に人道支援団体)は、トルコからシリア北西部への国境を越えた支援活動の規模を拡大している。

現在、シリアでは、55名の国際要員と810名の国内要員が活動している。

先週、国際移住機関(IOM)からのシェルターなどを積んだトラック10台が、アルラエ国境検問所を通過してアレッポ北部に入った。

デュジャリック報道官は、「シリア政府が援助物資の輸送にこの国境検問所を利用することに合意して以来、国連輸送チームがここを通過したのは初めてであり、これで国連が全面的に利用している国境検問所は3カ所になった。」と語った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)、国際連合人間居住計画は、建物の構造的被害状況を評価するための支援を行っている。これらの評価は、被災者が安全に自宅に帰宅できるかどうかの判断材料になっている。

デュジャリック報道官は、「より広範な地震対応に資金が不可欠であることに変わりはない。」と語った。2月20日現在、シリア・フラッシュ・アピールは、3億2910万ドルの計画に対して6850万ドルを受け取り、17%の資金を調達している。

米国国務省のファクトシートによると、2月6日にトルコ南東部とシリア北部を襲った地震は、数百万人の人々に壊滅的な打撃を与えたという。

最初の地震から数時間以内に、米国はジョー・バイデン大統領の指示のもと、連邦政府機関やパートナーを迅速に動員し、NATO同盟国のトルコやシリアのパートナー組織と緊密に連携して、緊急救命支援を提供した。

バイデン大統領は、「トルコとシリアで発生した未曾有の大地震に対応するため」、緊急難民移住支援基金(ERMA)に5000万ドルを承認する意向である。

さらに、米国は国務省とUSAIDを通じて5,000万ドルの人道支援を行っている。これにより、トルコとシリアの地震対応を支援するための米国の人道支援総額は、現在までに1億8500万ドルに達している。

米国は、「シリアのすべての被災地に対する人道的アクセスを拡大することにコミットしており、国連がバブ・アル・サラマ国境検問所へのアクセスを再開し、援助がシリア北西部に届くように計らったトルコ政府に感謝している。また、トルコとシリアの被災地に支援が届くよう、より多くの国境検問所を持続的に開放するよう働きかけている国連の取り組みを支持している。」としている。

© UNOCHA/Madevi Sun Suon UN agencies are transporting earthquake relief items from Türkiye to northwestern Syria.
© UNOCHA/Madevi Sun Suon UN agencies are transporting earthquake relief items from Türkiye to northwestern Syria.

米国財務省は、米国による制裁がシリアにおける人道支援の提供を妨げたり抑制したりしないことを強調するために、現行の制裁を回避してシリアの人々への災害救援支援のための追加的な権限を提供する広範な許可書を発行している。(原文へ

INPS Japan

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北朝鮮の核:抑止と認知を超えて

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=チャンイン・ムーン】

ある専門家が評したように、北朝鮮に関する進展は、我々が北朝鮮の視点で物事を見てはじめて分かる。

朝鮮半島情勢は危うさを増している。北朝鮮のリーダー金正恩(キム・ジョンウン)は、9月8日の最高人民会議における演説で核政策について詳しく定める法律の成立を宣言した際、同法を「注目すべき出来事」であり「歴史的大義」であると説明した。(原文へ 

「核兵器は我が国の尊厳と名誉を表しており、我が共和国の絶対的な力、および、朝鮮人民の大いなる誇りの源を意味する」とキムは続け、北の核保有国としての地位は撤回不能だということに疑問の余地はなかった。

「我が国の核兵器の放棄または非核化が先に来るなどということは絶対になく、また、それを目的とした交渉やその過程における取引材料もありえない」と彼は付け加えた。

新たに成立したこの法律は、これまで曖昧にされてきた詳細な事項に触れている。北朝鮮の核兵器の役割、核兵器の構成、指揮統制の構造、使用を決定するプロセス、使用の背景となる原則、使用の条件、核兵器の安全維持、管理および保護の手段、量的/質的な性能向上、そして、拡散抑止方法である。

要するに、これは国内外の聴衆に向けて、北朝鮮が自身を責任ある核保有国として提示する試みなのだ。最も悩ましい部分は、北が報復としての核兵器使用に限定していた過去の抑止戦略を超えて、核兵器の先制使用と戦術核兵器の配備を公式に認める攻撃的なドクトリンを採用したことだ。

韓国政府の反応は、北に対する核抑止力の強化に集中したものとなっている。

「強力な韓米同盟に基づく、拡大抑止の強化に答えを見いだしたい」 と韓国の尹(ユン)大統領は9月18日、「ニューヨークタイムズ」紙に語った。「拡大抑止には、アメリカの領土に配備された核兵器の使用のみならず、北朝鮮の核による挑発を抑止するために採りうるあらゆる包括的な手段も含まれる」

韓国とアメリカは、次官レベルの外交官および防衛官僚の対話チャネルである「拡大抑止戦略協議体」を通じて、ユンの北朝鮮に対する抑止計画を具体化してきた。この2カ国は、北朝鮮による核の脅し、核兵器使用の差し迫った段階、そして実際の核兵器使用の三つの段階における軍事的対応を探るため、拡大抑止の机上訓練を行うと発表した。

しかし、北朝鮮に反応してさらに抑止力を強化するというこの戦略は、平壌がその核戦力またはドクトリンをさらに強固なものにさせる恐れがある。これは、安全保障のジレンマとして知られる悪循環の典型的な事例である。

そのため、ユン政権は、北に対する拡大抑止を強調しながらも、同時に、「北朝鮮が非核化を選択するなら、明るい経済の未来が待っている」ことを約束する「大胆な構想」という形で、北朝鮮に対話を求めるメッセージを送った。

しかし、平壌はユンの計画を「大胆な妄想」だとして退け、韓国との対話を拒否した。

韓国政府は、北朝鮮の非核化を譲れない目標とし、北の核兵器に先制使用の可能性があれば、反撃だけでなく予防的攻撃も行う基本ドクトリンを採用し、いかなる状況下でも北朝鮮と核兵器削減協議を行わないとの原則を強調してきた。それに鑑みれば、対話が外交交渉の扉を開くとは考えにくい。

欧州議会のオランダ選出議員であるミヒール・ホーヘフェーンは、9月19日、延世大学北朝鮮研究所における講演で、韓国政府の立場と対照的な考えを提唱した。ホーヘフェーンは、北朝鮮は既に核施設、材料、弾頭およびミサイルを保有しているだけでなく、 6回の核試験を実施し、その核装置をより小さく、軽量で、多様なものとすることでその核戦力を大いに拡大してきたと述べ、北朝鮮は事実上の核保有国だ、と結論付けた。

このオランダの議員は、これらのことを考慮せずに完全かつ後戻り不能な非核化を外交交渉の直接の目標とすることは非現実的だ、と主張した。さらに、北朝鮮は、アメリカの核の傘の下にいる韓国からのそのような要求を受け入れることは決してないだろう、という。

したがって、現段階での最善策は、北朝鮮との平和的共存の道を探ることだ、とホーヘフェーンは述べた。それには、北朝鮮への制裁に対する柔軟さと、緊張緩和および信頼醸成のための熱心な努力が必要となるであろう。

これは果たして、答えとなりうるだろうか?

もし、ユン政権が絶対的に非核化に固執し、かつ、拡大抑止の強化を支持する方針が、この問題に対する根本的な解決を追求するうえであまり役に立たないなら、ホーヘフェーンが提唱する、北朝鮮を核保有国として認知し、核武装した平壌との平和的共存を追求することは、韓国にとって辛い事実となるだろう。

まさに、韓国の国民感情を踏まえれば、そのような一歩は想像しがたい。

非核化のナラティブ、あるいは、現状維持を受容するというナラティブのいずれも、実行可能な選択肢とは思われない。それが問題だ。

「我々は北朝鮮の核問題を取り上げるのをやめて、朝鮮半島における平和的共存のみについて話すべきだ」と、元・韓国国家情報院長である李鍾贊(イ・ジョンチャン)氏は、韓国のニュース雑誌「時事ジャーナル」の最近のインタビューで述べた。「北朝鮮に関して進展をもたらす唯一の方法は、北朝鮮の視点で物事を見ることだ。もう韓国はアメリカ、中国の両国に対し、自国の考えを述べる時だ」

イ氏の見解は、以下のように要約することができる。第1に、彼は、北朝鮮の核兵器を直ちに排除して初めて平和が訪れると考えるよりも、平和構築を進めながら非核化の呼び水を入れることが可能だと考えている。第2に、彼は戦略的共感、すなわち我々が北朝鮮にこうあってほしいということよりも、北朝鮮の条件に基づいてその意図を理解することを呼び掛けている。第3に、彼は、韓国はアメリカや中国に盲目的に追随するよりも、寛容な解決策を見いだすための創造的な取り組みを採用してほしい、と考えている。

この経験豊富なベテランによる、常識、理性そして経験的伝統の原則に根差した解決策を求める洞察に満ちた主張は、以前にも増して大きく響くものがある。

チャンイン・ムーン(文正仁)は、世宗研究所理事長。戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会メンバーでもある。

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非同盟運動は生まれ変わろうとしているのか?

【国連IDN=タリフ・ディーン

1960年代と70年代、116の加盟国からなる非同盟運動(NAM:61年に旧ユーゴスラヴィアのベオグラードで設立)は、当初ユーゴスラビア、インド、エジプト、ガーナ、インドネシア、ザンビア、アルジェリア、キューバ、スリランカといった国々によって導かれた最大かつ最強の政治連合(現在の加盟国は120か国)であった。

「非同盟」という概念が国連で政治的に支持されるようになったのは、89年頃まで続いた冷戦の最盛期である。

Gamal Abdel Naser, Džavaharlal Nehru i Josip Broz Tito na Brionima/ By Tanja Kragujević - Stevan Kragujević, CC BY-SA 4.0
Gamal Abdel Naser, Džavaharlal Nehru i Josip Broz Tito na Brionima/ By Tanja Kragujević – Stevan Kragujević, CC BY-SA 4.0

78年2月にNAMの議長に就任したスリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領(JRJ)は、冷戦を続ける米ソ両国のどちらとも強く与せず、政治的に独立しているとされるNAMに懐疑的であった。

米国の報道記者とのインタビューで、ジャヤワルダナ大統領は「非同盟」についての政治的な神話を格下げし、世界に「非同盟国」は米国とソ連の2カ国だけであり、「他のすべての国々は、恐らく懸命にも、政治的、経済的に米国かソ連と連携している。」と断言して、物議を醸した。

そして今、米国に次ぐ世界第二の経済大国となった第三の国、中華人民共和国が新たな超大国として台頭してきた。

特にアジアとアフリカのいくつかのNAM加盟諸国は、中国からの経済・軍事援助に大きく依存し、政治的に中国に同調しているため、中国の台頭は非同盟の概念を損なう恐れがある。

この新たな展開は、次のような問いを引き起こす。特に、国連で新たな冷戦が勃発し、拒否権を持つ常任理事国である中国とロシアが対米、英、仏で足並みを揃えている時、NAMはまだ生きているのか、それとも生まれ変わろうと努力しているのか、といった疑問が生じるのだ。

この分裂は、シリア、ミャンマー、アフガニスタン、イエメン、そして最近ではウクライナなどにおける軍事紛争や内戦を巡る行き詰まりをもたらし、国連加盟国を政治的に分裂させることにもなっている。

欧州連合(EU)のピーター・スタノ報道官は2月17日、最大の貿易相手国で1998年にNAMの議長国だった南アフリカ共和国が、非同盟の立場からさらに遠ざかり、急速にロシアとの政治・軍事同盟に傾斜していると指摘されている点を引用した。

しかし、南アフリカ当局者はこれを否定し、非同盟運動の原則に則り、現在も公式に「非同盟」であると主張している、と『ニューヨーク・タイムズ』紙は報じている。

Hewa Matara Gamage Siripala PALIHAKKARA/ APLN

元スリランカ国連大使のH.M.G.S. パリハッカラ氏は、IDNの取材に対して「私の知る限り、どの政府も昔の非同盟諸国の『運動』を復活させようとはしてはいません。しかし、非同盟の 『理念』と、インド太平洋に迫り来る対立/冷戦に対処するための改革については、よく議論されています。」と語った。

また、「非同盟運動(NAM)の『制度』と非同盟の『理念』を混同する傾向もあります。これは非同盟運動というダイナミックな概念に対してあまりにも単純な態度です。NAMという運動や制度は、冷戦の終結とともに内部の惰性で消えていきましたが、非同盟という考え方は生き続け、新興国が人間・領土の安全や経済的繁栄を追求する空間をダイナミックに作り出しました。」と指摘した。

「このような国々は、経済的な利益を『全方位』から得たいがために、ある勢力争いの『間違った側』にいるという認識から生じる不利益や制裁を受けることはできないし、受ける必要もありません。非同盟とは、距離を置いたりおとなしくしていたりする外交ではなく、むしろ積極的に関与する強固な外交を指す言葉です。」

スリランカ外務省の元外務次官であるパリハッカラ氏は、「この考え方の有用性は、『インド太平洋』での紛争につながりかねない、既に進行中の勢力争いと迫り来る対立の文脈において、より鮮明になるだろう。」と述べ、「アジアがこれまでに築いた豊かな繁栄が損なわれ、大陸が感じ始めている安全の欠如が深刻化する可能性があります。」と指摘した。

インド・アジア・ニュース・サービスの国連特派員で、ニューデリーに拠点を置くシンクタンク、政策研究協会の非駐在シニアフェローであるアルル・ルイス氏は、IDNの取材に対し、「インドは負債や低成長といった問題について話しているが、これは開発途上国の相当数の国々に影響を与えている課題です。しかしインドは負債の問題に直面していないし、先月の国連の発表では経済成長は6.7%、IMFでは6.1%と主要経済国の中で高成長を記録しています。」と語った。

「インドはこうして、開発途上国の間で自らの指導的立場を強化するために、これらの問題を強調しているのです。このことは、『グローバルサウスの声』構想において、自国の利益を代弁しているようには見えないので、一定の信頼性を与えることになります。」

ルイス氏はまた、「NAMは、キューバなどの国が主導的な役割を果たし、ロシアに偏った政治的なものになる傾向があります。」と指摘した。

最近では、2019年までベネズエラがNAMの議長国を務め、16年にサミットを主催したが、政府首脳や国家レベルの参加はあまり得られなかった。

ルイス氏は、「冷戦の終焉とともに、一極集中の世界では非同盟は意味を失ってしまいました。現在、議長国アゼルバイジャンの指導の下、非同盟運動は復活を目指す途上にありますが、12月にはウガンダがこれを試みる番であり、それは経済や開発の利益に基づくものになるでしょう。ここでもまた、旧来の極論が通用する可能性は低く、特に先進国自身が経済的なストレスに直面している現在では、非同盟運動の復活や極めて困難だろう。」と語った。

NAM創設国の一つであるインドは、「グローバルサウスの声」モデルを通じて、経済、健康、その他の開発問題に焦点を当てつつ、先進国に構造的問題の解決を期待するのと同様に、グローバルサウスの国々が協力して解決策を見出すことに重点を置いた取り組みを進めています。」とルイス氏は語った。

G77 plus China
G77 plus China

1960年代から70年代にかけては、総会決議で116カ国が一斉に投票することは、ほとんどなかった。

イスラム協力機構(OIC)、77か国グループ(G-77)、中南米・カリブ海諸国、アフリカ連合(AU)、西欧諸国など、様々な地域グループや連合は、ほとんどの場合、投票に先立って非公開で意思決定を行っている。

しかし、国連のほとんどの投票において「群集心理」が働いているとはいえ、予定外の投票が代表団を驚かせることは稀にある。

あるスリランカ大使は、本省から送信された、主に新たに着任した代表団に向けたメッセージについてこう語った。「もし予定外の採決に直面し、外務省からの指示がない場合は、右を見てユーゴスラビアの採決状況を確認し、左を見てインドの採決状況を確認しなさい。もし両大使が席を立つのが見えたら、トイレまでついていけばいい。」(「席を立つ」のは、厄介な記録投票から逃れるための政治的戦術である)

Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012" by Spiff - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia
Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012″ by Spiff – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia

1979年9月、ハバナでの首脳会議でスリランカがNAMの議長国をキューバに引き継いだ際、西側諸国と主要メディアは、ハバナのような親ソ同盟国が「非同盟」国になり得るという事実を決して受け入れなかった。

その結果、キューバがNAMの議長国を務めた1979年から83年まで、ニューヨーク・タイムズ紙は、その編集方針からか、NAMを「いわゆる非同盟運動」と表現し、紙面に掲載されるニュースのすべてにその表現を使った。83年、インドがNAMの議長国を引き継いでから、「いわゆる」のレッテルは外された。

一方、冷戦終結後も、核軍縮、自決権、国家主権の保護、さらには達成困難なパレスチナ国家の実現など、NAMの政治的使命の一部は有効であった。

Photo: UNON – United Nations Office at Nairobi
Photo: UNON – United Nations Office at Nairobi

ブトロス・ブトロス=ガリ前国連事務総長は、1995年にコロンビアで開かれたNAM首脳会議で、「1955年のバンドンにおける非同盟の誕生は、驚くべき、世界を変革する大胆な行動でした。国際政治は根本的に、そして永遠に変容したのです。」と語った。

ガリ事務総長が指摘したように、非同盟は新しい原理、すなわち連帯の原理からその政治的な力を得ていた。

しかし、米国の故リチャード・ホルブルック国連大使(1999-2001)は、その連帯を崩すために、「分割統治」という古い戦術を試みた。

国連でのアフリカグループへのお別れの挨拶の中で、ホルブルック大使は、「私は、アフリカ諸国に対し、非同盟運動との結びつきを再考するよう謹んでお願いしたい。非同盟運動は、現時点では我が国にとってアフリカの友人ではありません。あなた方の目標とNAMの目標は同義ではありません。」と語った。

ホルブルック大使は、NAMに加盟しているためにアフリカの発言力が弱まっているとして、「NAMの立場が実際にアフリカグループのためになったことは一度もない。」と指摘した。さらに、国連で最大の単一政治グループであるNAMは、独立したコーカスとして存在しなくなるか、G-77と合併すべきであると述べた。G-77は134の加盟国で構成される国連最大の経済団体で、ほとんどの途上国がこの2つの団体に加盟している。

ホルブルック大使は、アフリカ諸国は「NAMから距離を置くことを検討すべきです。そうすれば、アフリカの利益を守ることができるし、10カ国以下の急進的な国々に押されて、必要ない立場に置かれることもないだろう。」と語った。

ホルブルック氏が国連大使を辞めた後も、米国国連代表部は、彼の演説を国連総会資料として回覧し、公式に信用を与えることにした。

しかし、NAMは反撃に出た。

偶然にも、当時の議長国がアフリカの加盟国だった。そこで、NAMの議長国である南アフリカ共和国の大使が反論することになった。

ホルブルック大使の提案は、NAM加盟国全体に対する侮辱である。「NAM加盟国でもない国が、この運動のアフリカのメンバーを規定しようとするこの試みは、よく言えば不勉強、悪く言えば見当違い、誤解を招くもので、NAM加盟国全体への侮辱を構成するものである。」

「米国代表部が総会の議題として声明を発表したことは、NAMの正統性に疑問を呈する試みとしか思えない。」と、南アフリカのドゥミサミ・シャドラック・クマロ大使は語った。

クマロ大使は、NAM加盟国への書簡の中で、「南アの国民にとって、NAMは、アパルトヘイトに対する私たちの闘いを支持し、NAM域外の多くの人々が、私たちの過去の人種差別的な政権に満足するか支持する一方で、不動の立場にあったことを常に記憶することになるでしょう」と宣言した。

Singaporean Minister Vivian Balakrishnan/ By Vivian Balakrishnan. - [1]Transferred from en.wikipedia by SreeBot., CC BY 3.0
Singaporean Minister Vivian Balakrishnan/ By Vivian Balakrishnan. – [1]Transferred from en.wikipedia by SreeBot., CC BY 3.0

一方、シンガポールのビビアン・バラクリシュナン外務大臣は昨年11月の講演で、「私たちなし得る一つの方法は、よりオープンで包括的な、多国間の科学技術やサプライチェーンのネットワークを持つことができる世界を構想してみることだ。」と述べて、新しい展望を示した。

バラクリシュナン外務大臣はまた、「冷戦時代、世界の急速な二極化に対抗するために、非同盟運動が生まれたことを思い出してください。おそらく今日、私たちは歴史の中で同じような瞬間、同じような地政学的な力のダイナミズムに遭遇しており、全てのNAM加盟国にとって深く有害な結果をもたらす二極化への深淵を見つめているのです。」と指摘した。

さらに、「しかし、科学技術とサプライチェーンのための非同盟運動とはどのようなものだろうか。まだ議論は始まったばかりですが、それは多極化、オープン、ルールに基づくことが重要です。つまり、オープンサイエンス、知的財産の公正な共有と収穫、そして、単にどちらかの側に立ったということで判断されるのではなく、最も革新的で、信頼でき、信用できる存在であることを競うシステムへの取り組みが必要です。」と語った。

「特にアジアでは、今、欧州で起こっていることを見ると、分断の線がありました。かつては鉄のカーテンと呼ばれるものでした。今日のウクライナにおける戦争も、ある意味、その分断線がどこにあるかということです。私たちはアジアを二分する分断線に興味はありません。私たちが提供するパラダイムは、友好の輪を重ねることなのです。」

「どの国も-アジアには大きな多様性があります。米国と中国に対する経済的・政治的な距離感でアジアのNAM加盟国を並べると、それぞれ微妙に異なった立ち位置になります。」

Map of the current members (dark blue) and observers (light blue) of NAM (Non-Aligned Movement)/ By Ichwan Palongengi, CC BY-SA 3.0
Map of the current members (dark blue) and observers (light blue) of NAM (Non-Aligned Movement)/ By Ichwan Palongengi, CC BY-SA 3.0

「しかし、自尊心のあるアジアの国々は、罠にはめられたり、属国になったり、もっと悪いことに代理戦争の舞台になることを望んでいるとは思えません。したがって、私は、世界の他の国々が何を望んでいるかを主張しようとしているのです。実際にそれを実現できるかどうか?それは時間が解決してくれるでしょう。なぜなら、米国と中国が共存の道を歩むという理想的なシナリオはまだ残っているからです。」とバラクリシュナン外務大臣は明言した。(原文へ

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経済危機で窮地に陥るスリランカの無償教育

【コロンボIDN=ヘマリ・ウィジェラスネ】

ミレニアム開発目標(MDG)の教育に関する項目を達成し、国家独立後のサクセスストーリーの一つだと考えられているスリランカの無償教育が、この人口2200万人の国を襲った経済危機のために危機に瀕している。

急激に高騰する紙価格のために、教科書やノート(生徒らはこれをメモを取ったり演習をする際に利用する)を入手することが難しくなっており、多くの貧困層には手が出ない。演習ノートの値段は、昨年は80ぺージで50ルピー(0.14米ドル)、400ページで450ルピーだったのが、今年はそれぞれ120ルピー、920ルピーとなっている。

生徒は今月、新学期のために学校に戻ってきているが、保護者たちは教材高騰への対処を迫られている。スリランカの辺鄙な村に住んでいる保護者らは、日々ギリギリの生活を迫られている中で子どもたちの教育にどうお金を配分するかに頭を悩ましている。時には、どの子を学校に通わせどの子を通わせないかという苦しい判断もせざるを得ない。

Map of Sri Lanka
Map of Sri Lanka

スリランカ南部の村に住む「アトゥラ」(本人の希望により仮名)はIDNの取材に対して、自身の2年生から6年生までの孫5人が学校に通うことが難しくなりつつあると語った。バス運転手をしている息子の収入は学費を賄うには十分ではない。

「学校に行く時には子どもたちにきちんとした格好をさせたい。靴が破れたまま学校に行かねばならず、泣いて帰ってくる孫もいる。一体どうしたらいいのか。 これは私の家族のみならず、スリランカのほとんどの子どもが直面している問題だ。」とアトゥラは語った。

2人の子を学校に通わせているある母親は、「学校の教材費が高騰しており、信じられない物価の高騰でただでさえ苦しい家計を直撃しています。」と語った。

「2カ月ぐらい前なら、のりは1本100ルピーぐらいで買えていました。しかし、今では300ルピーも払わなければならない。12色入りの色鉛筆は580ルピーに値上がりしました。」と彼女は言う。さらに、学校のカリキュラムで必要とされるワークブックなどが値上がりしており、あるシンハラ語のワークブックはかつて225ルピー、今は500ルピーになっている。

スリランカでは1945年に無償教育が導入された。5歳以上16歳未満の全ての子どもが無償教育を受ける権利が定められ、1950年代には大学教育にまで拡大した。1950年代半ばには、国語政策の導入によって、教育は特に貧しい農村地帯でも受けられるようになった。以前は、都市部で英語を話す家庭のみが享受できる特権だった。

スリランカの識字率は1951年の13.5%から2022年には92.6%にまで上昇した。MDGが定めた普遍的な初等教育達成の目標をスリランカが実現することを可能にした、持続可能な開発における大きなサクセスストーリーだとみなされている。

スリランカには何世紀も前から素晴らしい教育の伝統があり、欧州による植民地化以前は、寺院を基礎にした「ピリウェナ」教育の伝統が支配的だった。現在、多くの教育関係者が、経済危機の影響で識字率が急速に低下することを懸念している。

厳しい経済状況の中、地元の慈善団体は、世界中のほとんどの低所得国で蔓延している非識字の罠から農村部の家族を救うために活動を続けている。

マララセケラ財団は、スリランカの偉大な仏教学者G.Pマララセケラ博士の名を冠した社会奉仕財団で、現在は彼の孫であるアシャン・マララセケラ氏が理事長を務めている。同財団は長年にわたり、農村部の子どもたちの教育支援に力を注いできた。コロナウイルスが蔓延していた時期には、オンライン教育のためのデータ通信サービスを無償で提供した。現在は、新学期を迎えるにあたり、学校の教科書を届ける活動を実施している。

同財団のマノジ・ディヴィスラガマ事務局長は、「当財団は創設以来、教育を必要とする子どもたちの支援の最前線に立ってきた。マララセケラ財団は、プログラムを実行するための資金集はしません。私たちは、恵まれない人々を支援するという使命を果たすために、自分たちのリソースを使っています。」と語った。

Credit: Lake House, Colombo.
Credit: Lake House, Colombo.

この活動には、クシル・グナセケラ氏が設立し、クリケットの名選手ムッティア・ムラリタラン氏が支援する「善の財団(FG)」などの慈善団体の支援も得ている。「彼らの支援で、私たちは人々の生活を向上させる様々な活動を行うことができた。私たちの教育への取り組みは、現在の経済的混乱やコロナ禍から始まったのではなく、大津波がこの美しい島を襲い、子どもたちの精神面での健康と教育に支障をきたしたときから始まったのだ。」と、ディヴィチュラガマは語った。

このとき、財団は2005年にハンバントタ地区に子どもたちのためのリソースセンターを設立した。「津波災害で両親を失った子どもたちの生活再建に直接介入し、彼らの心の健康のためにカウンセリングを行うことができたのです。」とディヴィチュラガマは付け加えた。

その後、同財団はハンバントタ、スリアヤウェヴァ、カタラガマの3カ所にもセンターを設置した。カタラガマは南部の極めて貧しい農村である。ディヴィスラガマは、「カタラガマの子どもリソースセンターでは、教育を受け、人生を切り開いていくために支援を必要としていた約300人の子どもたちを支援することができた。英語、数学、シンハラ語、音楽を無料で教えています。スリランカ東部のタミル系やイスラム教徒の村々でも子どもを支援しています。」と指摘したうえで、「子どもたちの教育を表面だけで見ているのではなく、根本から面倒を見たいと考え、『善の財団』と組んで、妊婦に栄養食・基本食を提供する事業を立ち上げた。」と説明した。

仏教の慈善団体であるマララセケラ財団は、子どもたちの精神的な成長にも気を配っている。スリランカの南部諸州でダーマ学校(お寺の日曜学校)に通う子どもたちのための事業をいくつか立ち上げた。学生の家族に書籍や保存食を提供している。

同財団は主に村のお寺に無償のインターネット利用施設を造り、子どもたちを集めている。カタラガマでは、財団がカタラガマ・デバレの由緒ある神殿に40台のPCを設置して貧困層の子どもたちを対象にしたオンライン教育センターを立ち上げた。DP教育プラットフォームの支援を得て、600人以上の学生を支援している。

SDGs Goal No.4
SDGs Goal No.4

マララセケラ財団が支援している父親の一人ダヤル・カピラ・ガンヘワはIDNの取材に対して、「私は定職に就いていません。毎日2500ルピー(7米ドル)を稼ぐのがやっとです。毎日働けるわけではなく、だいたい月に10~15日程度。子どもは3人で、うち2人は学校に通っているが、物価高騰で全ての教材を買うことはできない。収入を超えてしまうからだ。」と語った。

もう一人、財団の支援を受けているのは、練習帳を受け取った子どもの母親、ナディーシャだ。「私の夫は電気技師だが、毎日の定収入がないため、夫の収入だけでは日々の生活を賄うことは無理。子どもは2人で、一人は10年生、もう一人は4年生。食費に使ってしまうと、子どもの教育で使う本代は残らない。これでどうやって子どもを学校に通わせたらいいのか。いま私たちが直面している大きな問題です。」とナディーシャは語った。

こうした経験は珍しいものでない。あらゆる社会経済的背景を持つ人々が、家計の生活費と子どもの教育費のバランスを取るのに苦労している。

ディヴィスラガマは、「スリランカの無償教育制度は危機に瀕しています。今の経済危機の中では多くの家庭の子ども達が教育を受けられなくなっています。だから私たちのような財団が支援に乗り出さなければならない状況にあるのです。」と語った。(原文へ

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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ブチャの住民の証言(2)(3):「ポケットから手を出さないと、ここで撃ち殺すぞ。」(ナターリヤ・クリヴォルチコ)「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」(ユーリ・クリヴォルチコ)

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ナターリヤ、ユーリ・クリヴォルチコ夫妻に直接取材した証言です。

私は看護師で、夫はエンジニアです。私たちは二人ともキーウで働いていて、郊外のブチャに住んでいました。朝、出勤して、夕方には帰ってくる。ロシアによる侵攻前のブチャ地区は、ヨーロッパ的でとても美しい街でした。

2月27日、28日、私たちは初めて街でロシア兵を見かけて衝撃を受けました。ロシア兵はとても図々しく、横柄な態度で住民に話していました。私たちのところにやってきて、市長はどこに住んでいるのかと尋ねてきました。もちろん、私たちは「知らない」と答えました。するとロシア兵は、「どうして協力しないのか。私たちはあなた方を救いに来たのだ。市長がどこに住んでいるか知らないはずはない。」と尋問してきました。私たちそれでも「知らない。」と答えました。実はみんな、市長の家が隣の通りにあることは知っていたのですが、ブチャの住民は誰もロシア兵に協力しようとはしなかったのです。

私たちが寒くてポケットに手を入れているのを見て、「ポケットから手を出せ。今すぐだ!私たちが銃を持っていることを忘れているのか!怪我をする可能性があるんだぞ。私や私の仲間が少しでも疑いを持ったら、ここでお前を殺すぞ!」と、ロシア兵の一人が怒鳴ってきました。そして、「私たち(=ウクライナ人)は洗脳されていて、何が起こっているのか理解していない。彼ら(=ロシア兵)はウクライナ人を救出しに来たのだ。」と言い始めたのです。

トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP
トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP

殺戮はまもなく始まりました。通りを歩くと、男性、女性、子供まで、民間人の死体が散乱していて近づけない。街のあちこちにロシア軍の小規模な部隊が展開していて、遺体を墓地まで運ぶのは危険でした。しかたなく殺された隣人を庭に埋めましたが、皆が銃で撃たれていました。ロケット弾が金切り音を上げて頭上に飛来したかと思うと、ロシアの狙撃手が建物の最上階から眼下の住民を狙撃していたのです。

ロシア人にこのすべてを読んでもらい、彼らが私たちにどれだけの苦痛をもたらしたかを理解してもらいたい。これは真実であり、偽造ではないのです。死にゆく人々が路上に横たわっていて、彼らを助けに行くことは不可能でした。もしかしたら、まだ生きている人がいるかもしれなかったのに、ロシアの狙撃兵が近寄らせなかったのです。しかも、狙撃兵は日中だけでなく、夜間も暗視装置を使って住民を狙撃していました。報道された、手を縛られたまま殺された人たちの話も本当です。これは大量殺戮(ジェノサイド)だと思います。ロシア兵たちは、文字通りウクライナという国を破壊していたのです。

ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲
ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲

隣人のインナ・ナウメンコ(50歳)は、トイレや洗濯のために必要な水を確保しようと、隣の消防署に行っていました。そこには大きな桶があり、バケツで水をすくっていました。しかし、彼女は撃ち殺されました。おそらくロシアの狙撃兵の仕業だと思います。夫は彼女を毛布に包んで庭に埋葬しました。

21世紀にこのような惨劇が起こるなんて、私たちはまだ信じられませんでした。誰もが驚き、ショックを受け、私たちが体験したこと、見たことについて、未だに話すことができない人もいます。

ブチャ地区では長い間、通信手段が寸断さえ、親戚にも無事を知らせることができませんでした。連絡が取れても、私たちがまだ生きていることが信じられないような状況でした。

街を離れたかったのですが、ずっと砲撃されていたので、とても恐ろしかったです。ある時、民間人の避難のための「人道回廊」を示され、ブチャの人々も車を走らせました。ところが動き出してほんの数分後、車が向かっている側から恐ろしい爆発音と銃声が聞こえてきました…。ロシア兵にタブーはなかったのです。私たちが奇跡的に破壊を免れていた車で脱出を決意した時、私たちもロシア兵による銃撃を受けました。幸い、銃弾が貫いたのはガスタンクの反対側だったので車ごとの爆発を免れることができました。

私たちのアパートは5階建てで、入り口は4つありますが、2つは初日にロシア兵に燃やされました。その後、ライターが投げ込まれ、屋上が燃やされました。私たちは幸い1階に住んでいたので消失は免れたのですが、軽装甲気動車の30ミリ弾が室内を貫通して台所の壁に穴を開けました。

軽装甲気動車の弾が私たちのアパートを貫通したのです。

ロシア兵は、民間人の住宅を無差別に砲撃していました。兵士らはワルシャワ高速道路を歩いていて、私たちの家はその隣、ノーヴス商店の向かいにありました。私たちはキーウから切り離され、ブチャの街にはパンがありませんでした。市長は有志を募って住民のためにパンを焼くこととし、私と娘のリュドミラは夜、ノーヴス商店に行って働きました。その店にはパン窯があり、ロシア兵が発電機を壊すまでパンを焼き続けました。それからは、どうすることもできませんでした。

リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた
リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた

ユーリ・クリヴォルチコ:「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」

「2月26日から27日にかけて、私の同志であるプロツェンコ・セルゲイが行方不明になりました。彼はまた、赤いリムとミラーの付いたホンダCR-Vという美しい車を所有していました。しばらくして駅で見かけたのですが、ボロボロになっていて、赤いリムで彼の車だと分かったのです。車の惨状から彼を探しても無駄だと思いました。

当時は、ほとんど地下に隠れていました。夕方、18時くらいから門限があって、家にいても見つからないように電気をつけてはいけないのです。ロシア兵はすぐに発砲してきました。

家の近くに十字路があって、暗視装置を装備したロシアの狙撃兵がいました。ある深夜に夜タバコを吸いたくて、玄関のドアを開けると、狙撃兵がタバコの光を見たのか、私の方向へ撃ってきました。ドアが金属製でよかったです。なんとか閉めて弾丸を防ぎました。夜が長かったのを覚えています。恐らくこんなに長い夜は生まれてこのかたなかったし、これからもないだろう。夜中になると、銃声がする。とてもうるさくて、家が揺れ、地下室が揺れ、ろうそくが1本燃えていて、ライトが跳ね返っている。電池があるうちに懐中電灯を点けておけば、真っ暗闇の中で座っている必要はないだろうということで、懐中電灯を点けておきました。この家の住人は全員、私たちと一緒に地下室にいました。

それから、隣の家の地下室に移りました。窓が少なく、鉄のドアもあってよかった。車も移動しました。そこの庭はアパートに囲まれており、外の通りから見えない構造になっていました。夜にはバッテリーを取り出して、何も残さないようにしなければならなかった。ロシア軍の妨害工作や偵察隊が夜な夜な活動していて、近所にトリップワイヤーを仕掛けていたのです。近所の人の車が砲撃で炎上したこともありました。

クリヴォルチコさん一家が住んでいた家。

最初は地下に大勢いたのですが、だんだん危険を冒して、避難経路を通って街を脱出する人が出てきました。結局、私たちも3月17日に脱出することにしました。すでに朝の8時には、バールを持ったロシア兵たちがアパートを略奪するために中庭に入ってきました。庭で火を炊いていた人たちにある車を指さして「お前の車か?」 と聞くと、「違う」と答えていました。するとその車の窓を割って押し入り、バッテリーを奪って出て行きました。

自分たちのブロックより先に進むことはできませんでした。命がけで、膝をついて歩きました。とにかく、奇跡的に無傷でブチャを脱出することができました。娘はキーウにアパートを持っていて、今は皆でそこに住んでいます。この悪夢はすべて過去のものとなり、今では安心してアパートの周辺や道路を歩くことができます。でも、庭で誰かが車のボンネットを叩いたら、反射的にしゃがんで身をかわしてしまいます。(原文へ

INPS Japan

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グローバルな危機、ローカルな解決策

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=ソニア・アワレ】

グラスゴーでの会議(COP26)から 1 年、世界各国政府はエジプトのシャルム・エル・シェイクで再び会議を開き、地球規模の気候破壊を回避するための緊急措置を協議した。

この1年の間に、さまざまなことが起こった。記録的な熱波が北米、欧州、南アジア、中国を襲った。ツンドラ地帯では山火事が発生し、パキスタンでは前例のない洪水が起こり、嵐は海岸線を荒廃させた。科学者が2040年代に起こると言っていた極端な気象現象は、既に起こっている。

シャルム・エル・シェイクで開催された国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)の最中、北インドでは作物の残滓を燃やす煙が立ちこめ、ヒマラヤの氷河に向かって吹き上げられ、氷河の融解を加速している。ネパールでは季節外れのモンスーン後豪雨が発生し、地滑りや土石流で100人もの死者が出ている。

COP27 に向けて、多くの科学的報告がなされ、それぞれが警鐘を鳴らすものとなっている。気候否定論にもかかわらず、私たちが既に気候の緊急事態に陥っていることは間違いない。何をすべきか考え始めるには遅すぎる。2050 年までに世界の平均気温を産業革命前と比較して1.5 度以内に抑えるためには、排出量を削減しなければならないのだ。

Emissions Gap Report 2022/ UNEP
Emissions Gap Report 2022/ UNEP

11月に発表された国連環境計画(UNEP)の「エミッション・ギャップ・レポート2022」は、自らを「地球規模の気候危機に対する不十分な行動の証」と呼び、今後8年間で年間の温室効果ガス(GHG)排出量を45%削減し、その後も急速に減少を続けることが必要となる1.5℃への信頼できる道筋を求めている。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書では、科学者たちはさらに黙示録的な予測をしている。2041年から2100年の間に1.5℃の上昇に抑えたとしても、自然界に存在する陸生種の最大14%が非常に高い絶滅のリスクに直面する可能性がある。3℃の上昇であれば、29%の種がなくなり、現在のペースで温室効果ガスが大気中に送り込まれ続け、世界の平均気温が5℃上昇すれば、全動植物種の半分が絶滅するという。

IPCCは、極端な気象現象の頻度と強度の増加により、生態系、人々、居住地、インフラに広範な影響が及ぶと警告している。心配なのは、これが予測ではなく、すでに起こっているということだ。

IPCCは世界の山岳地帯の章において、氷河の後退が加速し、永久凍土の融解が進み、氷河湖の数と大きさが増加すると述べている。植物や病原菌は高地へ移動する。

ヒマラヤとチベット高原は、北極と南極を除けば最大の凍結水の貯蔵庫であり、アジアの下流では12億人もの人々がそこを源流とする河川に依存している。IPCCは、水循環の乱れは農業に影響を与え、地滑りや洪水の危険を増大させるとしている。

ネパールが何を燃やそうが、燃やさまいが、どれだけ燃やそうが、地球には大きな影響を与えないだろう。しかし、それはネパールの経済的な存続を左右する。連邦選挙後、ネパールの新政府は、石油の輸入を減らし、貿易赤字を減らし、大気汚染を軽減するために、断固とした措置をとることが必要である。

エジプトで開催されるCOP27国連気候サミットの直後、ネパールでは11月20日に連邦選挙と州選挙が行われた。

各政党の選挙マニフェストでは、再び壮大な公約が掲げられていたが、再生可能エネルギーへの転換は主要な優先事項とはなっていなかった。化石燃料の使用削減は、どの政党も選挙のスローガンにはしていない。

それでも、環境保護主義者やエネルギーの専門家は、今回の投票は、再生可能エネルギーへの転換、大気汚染の低減による公衆衛生の保護、固形廃棄物の管理など、本物で現実的な公約を掲げる指導者を選出する機会であるとしていた。

カトマンズにあるAvni Center for Sustainabilityの気候活動家、シルシア・アチャルヤ氏は、「気候危機に対する私たちの姿勢は、国際的な場で高尚な公約を掲げることに限られており、国内では実施面で示すものがあまりありません。気候変動が政治の表舞台に立つためには、ゆっくりと進行する災害の重要性を理解し、内面化している指導者が必要です。しかし、彼らは個人的な利益しか考えていません。解決策を実行する候補者に投票するのは、私たち市民にかかっているのです。」と語った。

確かに、気候危機は世界的なものだが、解決策は地域的なものである。ネパールの大量輸送手段の電気化と、LPGに代わる家庭の電化は、国際的な資金を必要としない手が届く施策である。

確かにネパール議会(NC)は、今後5年間で電気自動車の普及率を50%に引き上げることを約束している。シェール・バハドゥル・デウバ首相は昨年のグラスゴーのCOP26で、2045年までにネパールをカーボンニュートラルにすると約束したが、現在の政策では実現できない。

ネパールの自動車の10%をバッテリー駆動に切り替えるだけで、少なくとも年間210億ルピーの石油輸入を削減できる。ネパールの貿易赤字を減らすためには、ネパールの二酸化炭素排出量を減らすことが必要であり、気候変動への貢献はおまけのようなものであることは明らかだ。

NOC

ネパールでは、高級車が禁止されているにもかかわらず、電気自動車(EV)の販売が大幅に伸びている。この3カ月間だけで、EVの新車販売台数は705台と、前年同期の5倍に増えた。

しかし、そのほとんどは自家用車である。電気バスはディーゼル車の3倍以上する上、自家用電気自動車や二輪車に適用される税制上の優遇措置もない。これは、2025年までに国内の自家用車の4分の1、バスの20%を電気自動車にするという政府の方針とは正反対である。

「電気バスは、空気をきれいにし、二酸化炭素の排出を減らし、余剰電力を利用することができます。」と、Sajha Yatayat社のブシャン・トゥダハール氏は語った。同社は既に40台の電気バスのうち3台を導入している。

しかし、逆風が吹いている。電動バスは当初、非常に高価であるため、融資や税金の払い戻しが必要である。また、充電インフラも重要である。「私たちは、公約を具体的な行動に移す必要があるのです。」と、トゥダハール氏は付け加えた。

ネパールでは2008年から、ガソリンやディーゼルを1リットル販売するごとに1.5ルピーの汚染税を徴収している。その累積額は100億ルピー近くになり、電気自動車やクリーンエネルギーへの補助金として利用することができる。同様に、ティクネにある古い車両で朽ち果てた電気トロリーバス集積場は、Sajhaの新しい電動バスの充電ステーションとして簡単に利用できたかもしれない。

書類上、ネパールには将来を見据えた政策があり、世界でもトップクラスにある。2019年国家気候変動政策、2022年固体廃棄物管理政策、2022年森林規則、2022年土地利用規則のすべてが、気候変動の影響に適応するための国の必要性に対処している。

Photo: AJAY NARSINGH RANA

しかし、世界銀行が最近のネパール向け国土開発報告書で指摘しているように、「この改革アジェンダの実施と投資の優先順位付けは初期段階である。」さらに、気候変動と開発の利益を最大化するためには、公共支出の優先順位付けと効率化を強化することが必要である。』と述べている。

ネパールの平均気温は、中程度の排出経路のもとで、2016年から2045年の間に0.9℃上昇すると予想される。これは、冬はより乾燥し、モンスーンはより湿潤になり、降水量が最大で3倍増加する可能性があることを意味している。実際、これはヒマラヤ全域で既に起こっている。

また、洪水、火災、雪崩、干ばつがより深刻化することも警告している。世界銀行の報告書によると、ネパールで毎年洪水の被害を受ける人の数は、今後8年間で2倍の35万人に達する可能性があると予測している。また、気候の影響により、ネパールの経済は7%縮小すると予想されている。

「私たちの排出量削減目標はすべて、現地での積極的な取り組みにかかっています。本気で取り組めば、今後5年でネットゼロを達成できるのに、なぜ2045年まで待つのか」と環境保護活動家のアチャリヤ氏は問いかけた。「このままでは、2060年まで約束しても、カーボンニュートラルになることはないでしょう。」

COP 27
COP 27

シャルムエルシェイクで開催された今年の気候変動会議は、「インプリメンテーションCOP」と呼ばれている。パリ協定の下での194の締約国の気候に関する誓約を合わせると、2100年までに世界は最大でも約2.4℃の温暖化に向かう可能性があり、1.5℃に抑え、さらなる破滅的な結果を防ぐにはほど遠いことを考えると、今年の議論での優先事項の一つは緩和プログラムを設計することであろう。

国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の後発開発途上国 (LDC)支援グループのアドバイザーであるマンジート・ダカル氏は、この会議でネパールが優先すべきことは、G20諸国による損失損害基金や適応支援へのロビー活動であると語った。

「ウクライナ危機とパンデミックにより国際社会は気候資金の資金調達に消極的になっているため、ますます待っていられない。私たちはすぐにでも気候変動に適応して命を救うだけでなく、ゆっくりと進行する災害にも備えなければならないのです。」と、ダカール氏は、ネパーリ・タイムズ紙に語った。

「目標達成にはほど遠い状況ですが、初めて排出量の削減が確認され、それがどんなに小さくても、こうしたロビー活動や気候会議に価値があるのです」と彼は付け加えた。

ネパールのように気候変動に脆弱な国にとって、国際的な気候変動対策の場でのロビー活動は重要だ。しかし、実行は地元で行わなければならない。代表団が帰国してからが、本当の仕事の始まりなのだ。

この冬、ネパールの悪名高い都市公害を軽減することは、その手始めになるかもしれない。カトマンズ市長が望めば、市民を動員し、啓発キャンペーンや適切なゴミ収集サービスを通じて、少なくともこの冬はゴミの焼却を中止させることができるはずだ。足りないのは政治的な意思だけである。」(原文へ

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【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

2000年、初めて大統領に選出されたばかりのウラジーミル・プーチンは、核兵器を巡る混乱を解決する上で、独自の貢献をした。彼は演説の中で、核ミサイル備蓄を大幅に削減する用意があると述べたのである。当時のプーチン大統領の呼びかけは、米ロそれぞれが上限2500発という米国側からの提案以上の削減を謳っただけではなく、1500発というロシア政府の従来の目標をもはるかに下回るものであった。(現在、ロシアは約6000発の核弾頭、米国は5400発を保有している。)

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

実際、プーチン大統領の提案の仕方やその条件、言葉遣いなどからして、彼が当時念頭に置いていたのは、1986年にミハイル・ゴルバチョフ書記長ロナルド・レーガン大統領が練った構想に近いものだったのではないかと識者らは見ている。すなわち、ゼロに限りなく近い備蓄量へと核兵器を減らしていく、ということだった。

レイキャビク米ソ首脳会談でのこの大規模かつ未完の計画はレーガン大統領独自の産物であった。彼は、「戦略防衛構想(スターウォーズ計画)」と呼ばれたミサイル防衛構想と、超大国による核兵器廃絶を組み合わせた世界を構想していた。

しかし、レーガン大統領のアドバイザーらは、レーガンがゴルバチョフ書記長と練っていた提案を初めて耳にした瞬間から、この提案には実現可能性がないとしてこれを否定しにかかった。省庁間の検討という迷宮を何とか超えて出てきた創造的な提案に対して、彼らはいつもこのような態度を取ったのである。

米国単独での大きな提案が唯一通ったのは、冷戦崩壊後の状況という強みを生かしたジョージ・ブッシュ大統領が、米軍の爆撃機の警戒態勢を解除し、戦術核を作戦配備から解くとの計画を秘密裏に策定したときだった。当時、米国の官僚も上院も、ブッシュ大統領を出し抜く時間的余裕がなかった。

ジョージ・パーコビッチは『フォーリン・アフェアーズ』誌で、「1961年は、ジョン・F・ケネディ大統領率いる米政府が実行可能な形の核軍縮を追求した最後の時代であった。」と述べている。

ビル・クリントン政権は核ドクトリンの「根本的な再考」を呼びかけたが、大統領自身の無関心と、クリントン大統領が「国防総省の官僚と近視眼的で教条的な上院議員の奇妙な連合に挑戦するのを敬遠した」ために、実行に移されることはなかった。実際にクリントン大統領が推進したのは、北大西洋条約機構(NATO)の領域をロシア国境際まで東に拡大するという挑発的な別の道であった。

国防総省のせいばかりではない。官僚機構の内部から上院、大学、専門シンクタンク、兵器メーカー、大手ニュースメディアに至る民間専門家のネットワークが、どんな反論にもほとんど動じない強硬な世論を生み出してきた。

General Eugene E. Habiger, Public Domain
General Eugene E. Habiger, Public Domain

元米戦略軍最高司令官を務めた退役軍人のユージン・ハビガー将軍が述べたように、「私たちは、核戦力に責任を持つ上級の軍人が核戦力の削減を政治家たちよりも強く求めるような状況に立ち至ってしまっている。」

ハビガー将軍の前任者であるジョージ・リー・バトラー将軍はさらに進んで、核兵器の完全廃絶を訴え、あらゆる著名な反核活動家のイメージと信頼を失墜させようとする核保有国のロビー団体が用いる野蛮な戦術を指摘するに至っている。

西側世界全体の世論は、こと核兵器に関していえば、物事を偶然に委ねるような状況にある。どこからか何かがやってきて、核兵器の危険から世界を守ってくれるという考えがある。しかし、現実は真逆だ。プーチン大統領はロシアの核兵器を弄んでいる。未承認あるいは誤認による核発射があり得るし、発射寸前までいったケースも多く報告されており、反論の余地はない。

今後数年で中国・台湾情勢は大きな軍事的危機に発展しかねない状況にある。米国は中国との対立に追いやられ、2つの核大国がお互いにミサイルを打ち合う状況も考えられる。

核拡散の可能性はますます高まっており、カシミールや中東は依然として核の危険地帯だ。また韓国の大統領は既に戦術核製造の可能性に言及している(ジミー・カーター大統領の時代に米国の戦術核は韓国から撤去された)。北朝鮮に関していえば、体制による攻勢は続き、さらに進化したミサイルの実験が繰り返されている。

米国が過剰な核の優勢を保つなかで、世界の人々は、敵対的な雰囲気が忍び寄りつつあることを感じている。これまで何度も厳粛に公約してきたことが果たされないために、他の国々も、わずかなチャンスさえあれば、米国の外交政策目標に抵抗しようとしているのだ。

カナダ、フランス、ドイツ、スウェーデンといった米国の友好国でさえ、時折このような反米的な怒りにとらわれることがある。もし米国による指導が傲慢で不必要に好戦的だとみられることがあれば、米国の長期的な利益にとってよい予兆とはならないだろう。

2000年、プーチン大統領はこの機会を正しく捉えた。しかし悲劇は、米国がこれに反応しなかったことだ。レイキャビクでは、超大国の核兵器をなくす合意が本当にまとまりかけたのに、それが実現しなかったのは、ソ連側の躊躇(とレーガン大統領のアドバイザーたちの圧力)のためだった。もしプーチン大統領が核兵器使用の可能性について話すのをやめ、2000年当時の演説の言葉に戻したなら、ロシアがまだ現実と向き合っている歓迎すべき兆候となるだろう。一方、ジョー・バイデン大統領が、核軍縮協議を再開するようロシア政府に呼びかけることを含んだ演説をぶち上げることでウクライナでの軍事的な攻勢に水を差すことがあれば、それは「オリーブの枝(=和平の申し出)」以上のものとなるだろう。

ICAN
ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)によると、2021年に世界は毎分15万6841ドルを核兵器に消費したという。わずか1年で、核保有9か国(中国・米国・ロシア・英国・北朝鮮・インド・パキスタン・イスラエル・フランス)が総計約1万3000発(うち9割を米ロが保有)の核兵器の改修・維持のために合計824億ドルを消費した。

全体としてみれば、世界にお金が足りていないわけではない。問題はその使い道である。見方を変えれば、気候変動対策、アフリカ開発援助、マラリア撲滅、がんや糖尿病、認知症の医学研究、貧困撲滅など、必要なところには簡単に資金を捻出することができるだろう。なぜ、危険すぎて使えない兵器に投資する必要があるのだろうか。

抑止力という漠然とした軍事哲学を除けば、核兵器保有に関する合理的な議論は存在しない。率直に言えば、抑止が機能するかどうかはわからない。かつては核兵器削減を主張していたプーチン大統領が思い起こさせてくれたように、もしNATOがウクライナで何らかの過ちを犯せばロシアは核使用に訴える可能性がある。さらに、これまで常にそうであったように、私たちは過失や事故に身を委ねているが、事態が長引けば、過失や事故が起きる可能性も高くなる。

プーチン大統領の脳裏のどこか、深いところで、彼はこのことを知っている。バイデン大統領も同様で、もし自身の軍事・国家安全保障官僚が核兵器を使うよう助言し決定を迫るようなことがあれば、カトリック教徒としての自身の信念の教えが試される事態を避けられないことを知っているのだ。

では、何が事態をそこまで押しやってしまうのだろうか。

ジョージ・W・ブッシュ大統領とドナルド・トランプ大統領は、米国を重要な核軍備管理協定から撤退させるというひどい仕事をした。プーチン大統領は、バイデン大統領が選出された際、オバマ=メドベージェフ期の大掛かりな軍備削減合意を更新するように、自身の配下にも、今や前向きな思考を持っている米国側にも促した。この合意によって、長距離大陸間弾道弾は米ロそれぞれで1550にまで削減された。

おそらく、混乱に満ちたウクライナ戦争はあと数か月、あるいは数年はつづくことだろう。しかし、2つの核超大国をして、核兵器を今こそ廃絶するために大胆な道を踏み出させることを妨げるものは何もない。そうすることができなければ、私たちが思考停止してきたために、考えられないような事態が起きるかもしれない。(原文へ

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