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世界各地で攻撃にさらされる教育現場

【国連IPS=カニャ・ダルメイダ】

戦地からの映像といえば、戦場と兵営だけを映していた時代がかつてあった。その後20世紀に入ると、戦闘地帯となった都市の中心部や農村ゲリラの前哨基地などの映像も含まれるようになった。

そして今では、公共の広場が、政治不安に陥った国の民衆がデモをおこしたり暴力的な衝突が発生する舞台として頻繁に映し出されるほか、負傷者の治療に当たる病院が格好の標的と見なされるようになってきている。

しかし、現代の戦争でもっとも憂慮すべき現象は、おそらく教育機関に対する攻撃が拡大してきていることだろう。

 「教育を攻撃から守る世界連合」(GCPEA)が、この問題を扱った調査報告書としてはそれまでで最も精緻な『攻撃にさらされる教育2014』(全250頁)を2月27日に発表した。この報告書には、学校、大学、教師、学生、学者らが政府当局及び非国家主体双方から攻撃されている実態が詳述されている。

GCPEA
GCPEA

2009年から2012年をカバーしたこの報告書は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)報告書(2007年から2010年を分析)に続くもので、教育活動に関わる人々に対して行われた威嚇や、意図的に使われた暴力について記録している。

最新報告書が示す状況は、決して明るいものではない。この5年の間に、世界中で多くの子どもたちが殺害されたり、怪我を負わされたり、或いは誘拐されたり強制的に兵士や性奴隷にさせられたりしている。2012年にパキスタンでタリバンからの襲撃を生き延びた15才のマララ・ユサフザイさんのケースは非常に有名だ。

多数の教師が襲われ殺害されたほか、数千棟の校舎や教育機関の建物が爆破されるか、或いは、軍関係者用の臨時宿舎として徴発されたりした。

また専門家らは、「教育機関へのテロが相次いだ結果、教育を受ける権利を奪われた学生の数は、数十万人に及んでいる。」と指摘している。

人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」で子どもの人権問題を担当するザマ・コーセン・ネフ氏は、IPSの取材に対して、「一つの襲撃事件が及ぼす影響が、対象となった学校の150名から200名の子どもたちにとどまらず、周辺地域の全ての子どもに及んでいることを考えれば、教育機関への攻撃の問題は、これまであまり注目されてこなかった現象だと言わざるを得ません。」「私たちはこの問題がもたらす波及効果について、ようやく理解し始めているところです。」と語った。

またネフ氏は、「国連や人権擁護団体の報告書から各国内の調査研究報告書まで幅広い情報源を基に作成されたこの報告書は、教育機関に対する攻撃の背後にある様々な動機を明らかにしました。つまり、当該地域の統治機構の信用失墜を狙ったものや、女子教育の妨害を目論んだもの、自身のグループの影響力拡大を意図したもの、特定の言語教育の阻止を狙ったもの、さらには、教員の組合活動や学問の自由を抑圧しようとしたものなど、様々です。」と語った。

2013年7月、ナイジェリアの反政府勢力「ボコ・ハラム」の指導者アブバカル・シェカウは、AP通信が報じたビデオメッセージの中で、「西洋式教育をやっている教師たちよ! 我々はお前らを殺す! 我々はお前らを殺す!」と語っている。「ボコ・ハラム」は、現地のハウサ語で「西洋式教育は罪深い」という意味である。

またそれより数か月前、ミャンマー中部のメイッティーラでは、約200人の仏教系国粋主義者らがイスラム教徒の学校に放火し、教員や生徒に襲いかかった。そして騒ぎが収まったあとには、32人の生徒と4人の教師の無残な死体が校庭に残された。中には、首を切り落とされたものもいた。

報告書にある70か国中30か国で、教育機関に対する意図的かつ体系的な攻撃が見られた。なかでも調査対象期間(2009年から2012年)における、アフガニスタン、パキスタン、コロンビア、ソマリア、スーダン、シリアの状況は最悪を記録した。

とりわけコロンビアは、教師にとって世界で最も危険な国の一つとなっている。過去4年間で140人の教師が殺害され、1086人が殺害の脅しを受けていた。

Source: Global Coalition to Protect Education from Attack
Source: Global Coalition to Protect Education from Attack

同時期、パキスタンでは838の学校が武装勢力によって破壊され、教師20人と30人の学生が殺害されている。

一方、内戦が続くシリアではユニセフが「少なくとも国内の20%の学校が教育機関として機能していない」と報告するなど、学校教育活動が寸断される中、約300万人の子どもが影響を受けている。

この報告書では、コートジボワール、コンゴ民主共和国、イラク、イスラエル/パレスチナ、リビア、メキシコ、イエメンが、調査期間中の攻撃時件数が500件から999件にのぼる「深刻な影響を受けた国」に分類されている。

高等教育機関で最大の犠牲者を出しているのはイエメンで、2011年には73人の生徒が殺害され、さらに139人が負傷している。

報告書はまた、こうした攻撃に対して、(1)モニタリング、襲撃事件の評価と報告、防犯体制の強化や(2)暴力と破壊行為に対するコミュニティーを挙げての対策、など対抗策や予防策についても紹介している。

「後者の対策は、時としてコミュニティーメンバーを、テロリストによる報復攻撃に晒すリスクを伴うが、コミュニティーの強い意志を示すことでテログループとの交渉による解決へと持ち込んだ事例もあります。」とGCPEAのディヤ・ニジョ代表は語った。

ニジョ代表は、「ネパールでは、学校の運営委員会が、ネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)武装勢力と交渉して、学校を和平地帯とする協定を結んでいます。また中央アフリカ共和国では、聖職者が政府軍と反政府勢力の間に入り、交渉の結果、反政府勢力の兵士たちを帰郷させることに成功しています。」と語った。

こうした努力は、より永続的な解決策に向けた小さなステップに過ぎないかもしれないが、同時に、教育を再び人類社会の神聖な位置に戻すという、従来とは異なる波及効果を生み出す可能性を持っている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ニューヨークIPS=ピーター・ワイス】

もし精神病というものが現実との接点を失うことだとしたら、核軍縮の現状はまさに精神病と言えるだろう。

一方で核問題は、数十年にわたる休眠状態から表舞台へと徐々に現れつつある。他方で「核兵器なき世界」への核兵器国のコミットメントは、遵守というよりも違反としてとらえられている。

まずは、核軍縮に関する前進点と後退点を挙げることから始めてみよう。

Peter Weiss, President Emeritus of the Lawyers Committee on Nuclear Policy.
Peter Weiss, President Emeritus of the Lawyers Committee on Nuclear Policy.

前進点では、核軍縮問題の中心である米国において、(徐々にトーンが落ちてきてはいるが)この問題に繰り返し言及している大統領がいる。2008年6月16日にパデュー大学で行った講演でバラク・オバマ上院議員(当時は民主党大統領候補)は、「世界に対して、米国は核兵器なき世界を目指すとの明確なメッセージを送る時が来ました。…私たちは、核兵器廃絶という目標を核政策の中心的要素としたい。」と語った。

ただしオバマ氏は、その目標を達成するためにどれほど時間を要するかについては言及していない。その1年後、大統領に就任したオバマ氏
は2009年5月6日のプラハでの有名な演説で、「私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します。」と語った。しかし彼は「ゴールはすぐには到達できないでしょう。…恐らく私が生きている間には(難しいでしょう)。」と付け加えたのである。

オバマ氏は当時48才だった。その4年後、2013年6月19日、オバマ大統領はベルリンで行った演説の中で、「正義のある平和とは、その夢がたとえどんなに遠く見えようとも、核兵器なき世界の安全を追求することに他なりません。」と語った。

公正を期して言えば、プラハで発表された核廃絶への道のりが実行されたにせよ阻止されたにせよ、それは大統領の落ち度によるものではない。どういうことか。一方では、核兵器の大幅な削減がロシアと交渉され、米国の安全保障戦略における核兵器の役割は低減された。

いずれもオバマ政権が推奨していた、包括的核実験禁止条約の批准と核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約の交渉は、ひとつには米国上院によって、もうひとつには他国によって棚上げにされた。

しかし、削減は廃絶ではなく、米国国防総省もエネルギー省も、核軍縮には明確に反する政策を追求しつづけている。すなわち―

国防総省が2013年6月19日に出した「米国核兵器運用指針」は、核兵器は極限状況でのみ使用されるとしつつ、厳密に抑止にのみ使用目的を制限するのは時期尚早だとしている。

国防科学委員会が今年1月に発表した「核監視・検証技術評価」は、核時代が始まって以来初めて、米国が、水平拡散(核兵器を保有しない国への拡散)だけではなく垂直拡散(核兵器国内における核兵器保有量の増加)にも留意する必要性を認めた。

しかし、100ページに及ぶこの報告書は、核兵器のない世界における監視および検証の要件についてまったく言及していない。

2月6日、米国は、B-61核爆弾の衝撃実験(爆発を伴わない)に成功したと発表した。これは核不拡散条約の条文には反していないが少なくともその精神には明白に違反したものである。ドナルド・コック米国防次官補は、新型爆弾の検討が始まっており、「2020年代中ごろか末には」旧式モデルとの交代が可能になると語った。

こうした、核軍縮に関する米国の政策は、せいぜい玉石混淆といったところだろう。もちろん他の8つの核兵器国(ロシア、英国、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮)の政策が米国よりましというわけでもない。

次に良い面はどうだろうか。昨年には、非核兵器国による好ましい方針がそれ以前よりも多く打ち出された。

・2月には、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるドイツの外務省が、「中堅国家構想」(MPI)の招集したフォーラム「核兵器なき世界の条件を創り枠組みを築く」を主催した。

・3月には、別のNATO加盟国であるノルウェーの外務省が、「核兵器の非人道的影響に関する国際会議」を主催した。会議には128か国の政府と多くの市民団体が参加した。

・10月21日、ノルウェーのデル・ヒギー国連大使が、その多くがオスロ会議に参加していた125か国による声明を国連総会第一委員会(国際平和を主要議題とし、軍縮と国際安全保障問題を主に取り扱う:IPSJ)で発表した。この声明は、核兵器が二度と使われないように保証する唯一の道はその完全廃棄である、と宣言している。

・核軍縮に関する「オープン参加国作業グループ」が5月にジュネーブで初めての会合を持ち、8月に国連総会に報告書を提出した。報告書は、国際法の役割に関する部分など、核軍縮を達成するさまざまなアプローチについて記述している。

・9月26日には、国連総会が史上初の「核軍縮に関するハイレベル会合」を開催し、参加各国の大統領や外相、その他政府高官らが次々と、核兵器なき世界に向けた迅速かつ効果的な進展を図るよう呼び掛けた。

・最後に、そして最も重要なことに、2月13日と14日にメキシコのナヤリットで開かれたオスロのフォローアップ会議(「第2回核兵器の非人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議))において、オーストリアのセバスチャン・クルツ外相が、「国際的な核軍縮の取り組みには緊急のパラダイム転換が必要だ」との理由を述べて、今年末にウィーンで(第3回)会議を招集することを発表した。

ウィーン会議は、筆舌に尽くしがたい核兵器の恐怖をたんに三度聞く場とはならず、重大な作業に取り組む場となるだろう。国連の潘基文事務総長が示唆したように、核兵器の使用および保有を禁止する条約の起草開始さえあるかもしれない。

しかし問題もある。核保有国はオスロ会議もナヤリット会議もボイコットした。もしウィーンもボイコットしたらどうなるだろうか? それが問題だ。またこのことは、官民双方に広がりつつある反核勢力が向き合わねばならない課題でもある。そこで(核兵器国が認識しているであろう)「後ろめたさ」は、外交の重要なカードにもなり得るだろう。

核兵器国がリップサービスをしてきた核不拡散条約(NPT)では、核兵器なき世界を達成するために全ての加盟国に誠実な努力を行うよう求めている。今こそ、核兵器国に、とりわけ五大核保有国に、この重要な義務すべてを思い起こさせるべき時だろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ニューヨークIDN=ジャムシェッド・バルーア】

国連「文明の同盟」(UNAOC)上級代表のナシル・アブドゥルアジズ・アルナセル大使が、「核兵器の使用がもたらす破滅的な人道的帰結と、それが国際の平和と安全に及ぼす脅威」について深い懸念を表明している。ニューヨークの国連本部で開催された、新刊『平和のためのフォーラム―池田大作 国連提言選集』(I・B・トーリス社)の出版を記念するシンポジウム「世界市民と国連の未来」を開始するにあたって、アルナセル大使は、平和の文化の重要性についても強調した。

この書籍には、創価学会インタナショナル(SGI、本部:東京)の池田大作会長が国連に対して30年以上にわたって提言してきた内容が含まれている。議論されたテーマは、核兵器廃絶の必要性、世界市民教育、人間と環境とのつながりなどである。このイベントはUNAOCの支援を得て、SGIと国際通信社インタープレスサービス(IPS)、戸田記念国際平和研究所(東京、ホノルル)が共催して、2月20日に開催された。

Olivier Urbain/ By Kimiaki Kawai
Olivier Urbain/ By Kimiaki Kawai

書籍を編集した戸田研究所のオリビエ・ウルバン所長は、池田会長の、民衆の力に対する深い確信と、連帯に備わる潜在的な力に対する信頼に感銘を受けたと語った。戦争のない世界の実現を目指す池田会長の活動は、現実の核弾頭の廃絶にとどまるものではなく、世界が依然としてこの大量破壊兵器を保有しているという現実の背後にある人間の考え方をも問題にしている、とウルバン所長は語った。

「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはできません。このことは国家に関しても言えることで、兵器の脅威に慄く他国の不幸と恐怖の上に真に永続的な国家安全保障を築くことはできないのです。」とウルバン氏は語った。

世界には依然として様々な紛争や脅威があるが、この本を読んで「大いに希望が湧いてきました」と言うウルバン氏は、「私たちの心の中に創造性と連帯の空間があるかぎり、人類に乗り越えられないものはありません。」と付け加えた。従って国連は、民衆の声が活動に反映されるチャンネルやメカニズムを作り出し、それによって民衆が国連を支援する体制を構築する必要がある。

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

シンポジウムの議長を務めた元国連事務次長のアンワルル・K・チョウドリ博士は、「これは私たちみなが読むべき書籍です。」と語った。チョウドリ博士はまた、「世界の歴史の中で、国連の活動について、池田会長ほど一貫かつ実質的な形で書いてきた人物はいません。」と指摘したうえで、平和を創り出すうえでの女性や若者のエンパワーメント(社会的地位の向上、権限付与)など、池田会長がこれまで行ってきた提言の多くが、国連の運営の中に反映されています、と語った。

チョウドリ博士は、対話と非暴力を通じて平和を推進する池田会長の「平和の文化」に関する考え方は、将来世代のために世界を安全な場所にするうえで不可欠なものです、と指摘した。

アルナセル上級代表は、平和と対話は国連「文明の同盟」の使命でもあると指摘したうえで、「民衆と国家が平和と繁栄のもとに共存できるようにすることは、国連の任務の礎となる部分です。私たちは国際社会として、文化や言語、宗教の違いに関わらず、人間性の基礎となる根本的に共通した価値観や原則があるとの信念で、結び付けられています。」と語った。

「私たちは国連ファミリーとして、多様性を重視し、寛容を推奨し、『他者』への恐怖を打ち破ることを通じて、より平和な世界を構築していくとの共通認識で、結び付けられています。また私たちは、世界的な解決策を必要とする共通の問題を世界の市民が共有していることを理解している点で、結び付けられています。ここにおいて、『核兵器の廃絶』と世界市民教育が役割を果たすようになるのです。」とアルナセル上級代表は付け加えた。

またアルナセル上級代表は、「国際社会は、文化の違いに関わらず、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的帰結と、それが国際の平和と安全に及ぼす脅威について、深い懸念をしばしば表明してきました。」と、会場を埋めた外交官やジャーナリスト、学者、非政府組織の代表らに語りかけた。

Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force
Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force

国連加盟国は、これまでに生産された中で最も破壊的な兵器の大量かつ競争的な集積によって起こる未曾有の自己破滅の脅威に人類が直面している、と『軍縮機関の成果』において明言してきた。アルナセル上級代表は、「原子力の非平和的利用が人類に重大な脅威を及ぼし、これらの兵器の拡散によって状況がさらに悪化してきたことは言うまでもありません。」と付け加えた。

こうした背景の下に、国連加盟国の多数は「核兵器の完全廃絶こそが、核兵器の使用あるいはその威嚇に対する唯一の保証となる」と何度も再確認してきた。これらの国々は、「すべての非核兵器国に対して安全を保証する普遍的で無条件かつ法的拘束力がある取り決め」がこれに続かねばならない、との見解を持っている。

アルナセル上級代表は、1996年7月8日に出された核兵器使用の威嚇あるいは使用の合法性に関する国際司法裁判所(ICJ)勧告的意見を想起した。ICJは、核兵器使用の威嚇あるいは使用を特別に認めた慣習法はなく、核兵器使用の威嚇あるいは使用は、武力紛争に適用される国際法の規則に一般的に違反し、とりわけ人道法の原則と規則に反すると判断した。

「核軍縮は、国際社会にとって最も高いプライオリティー(優先事項)の一つと信じます。」とアルナセル上級代表は語った。

世界市民教育

アルナセル上級代表は、平和の文化とつながりがある「世界市民教育」(GCE)の話題に移って、「もし平和の文化を私たちの中に、そして私たちの間に深く根付かせようとするならば、成長過程にある若い人たちの心に効果的に働きかけて、私たちの世界における平和という、人々を結びつける価値観を育み、それに関して教育しなければなりません。」と説明した。

Forum for Peace/ SGI
Forum for Peace/ SGI

またアルナセル上級代表は、「私たちは平和教育に大きな価値を置かなければなりません。今日の若い世代にはこれまでとまったく違った教育を受ける権利があります。つまり戦争を賛美するのではなく、平和を教えるような教育です。そうしたものとして、国連の潘基文事務総長は、2年前に立ち上げた運動『グローバル・エデュケーション・ファースト』の中で、『地球市民の育成』を3つの柱の一つに掲げています。」と付け加えた。

このイニシアチブは、この概念を、共通の価値観に息吹をもたらす変革的な教育と説明したうえで、人々がより平和で、寛容で、包括的な社会を構築するのを支援するうえで中心的な役割を果たすような教育を呼び掛けている。

アルナセル上級代表は、「国連『文明の同盟』は、私たちの中に、私たちの家族に、そして私たちの社会と国家の間に平和を作り始めることができる理想的なフォーラムなのです。」と語った。

Betty Williams/ Wikimedia Commons
Betty Williams/ Wikimedia Commons

ノーベル賞受賞者のベティ・ウィリアムズ氏は、「世界をよりよくしていくために、私たちには国連しかないのです。」と指摘したうえで、「(国連も)ある特定の領域においてはもっと多くを改善する余地があることを承知しています。しかしはたして、円滑に運営されている組織というものが世界にあるでしょうか? これまで国連がなかったら、私たちは何をなし得たでしょう?どれほど世界の情勢は悪化したでしょう?」と問いかけた。

平和な社会を推進したとして1976年にノーベル平和賞を受賞したウィリアムズ氏は、個々人が、世界市民として、世界に平和をもたらす役割を担っていると考えている。「私たちは、『私がやる必要はない。誰かがやればいい』などと言うことはできません。世界で子どもたちが、栄養不良や病気、戦争によって亡くなっていることに対して、私たちにはみな責任があるのです。人間の一員として、私たちにはみな責任があるのです。」とウィリアムズ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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│ウクライナ│不況と抑圧が民衆の怒りの火に油を注いた

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【キエフIPS=パボル・ストラカンスキー】

ウクライナの首都キエフがソ連崩壊後の独立時代(1991年~)最悪の暴動を経験する中、一部の抗議参加者は、現在の危機を招いたヴィクトル・ヤヌコヴィチ政権に対する募る不満は、今回の難局を打開する方策が見出されたとしても消えることはないだろうと警告している。

11月に反政府デモが始まった時、その表向きの理由は、ヤヌコヴィチ大統領が欧州連合(EU)加盟に向けた第一歩となるはずだった連合協定の署名を突然棚上げし、ロシアとの関係を強化する道を選択したというものであった。

しかし抗議デモの様相はまもなくして、大統領による特定の政治判断に対する抗議から、ヤヌコビッチ政権そのものに対する嫌悪と不満を爆発させるものへと変質していった。

「反政府デモはEUとの連合協定を突然棚上げした大統領の決定に抗議する活動として始まりましたが、本当の理由はそれだけではありませんでした。誰もがヤヌコビッチ体制にうんざりしていたのです。」とデモに参加していたヴァレリー・ドロレンコ氏(45歳)はIPSの取材に対して語った。

ウクライナ内外の人権擁護団体によると、2010年にヤヌコヴィチ氏が大統領に就任以来、治安や内政の主要ポストを側近が占め、市民の自由は侵害され、反体制派は厳しい弾圧に直面し、法執行機関の独立と信頼性はほとんど失われたという。汚職監視組織「トランスペアレンシー・インターナショナル(TI)」の最新調査書「腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index)」によると、ウクライナの腐敗度ランキングは、調査対象の世界177カ国・地域の中で144位に落ち込んでいた。

このあいだ、ウクライナ国民の間では、政権内部に汚職や縁故主義が蔓延ったとの認識が広がった。批評家は、ヤヌコビッチ氏が自らの手に権力を集中するとともに、自らの周辺に親族や側近をとりたて「ファミリー(家族)」と呼ばれる裕福な利権集団を作った、と指摘している。

一方でウクライナの経済は、2008年の金融危機以来、深刻な苦境の中にあり、国民は貧困に喘いできた。通貨フリブナは崩壊寸前、貿易・財政赤字は急拡大し、18カ月連続の不況となった。

キエフ在住で現在は失業中の経済学者マーシャ・コーシン氏(34歳)は、IPSの取材に対して、「民衆はヤヌコビッチ体制にうんざりしているのです。抗議デモへと民衆を突き動かしているものは、ヤヌコビッチ氏が招いた政治腐敗と経済不振に対する怒りなのです。もし経済状況が改善していれば、抗議デモの様相もより穏やかなものになっていたでしょう。しかし現状からはさらなる混乱と怒りしか生まれない状況にあります。」と語った。

切迫した経済状況に加えて、外国投資の誘致に失敗したことから、ウクライナ経済、とりわけ重工業の大半が集中する東部地域の経済は、ますますロシアとの貿易に依存するようになった。さらに、ウクライナの6分の1を占めるロシア系市民(ウクライナ東部・南部に多い)の存在は、ロシアがウクライナに対する影響力を強める手段となった。

しかし専門家によると、このことから、伝統的に親欧傾向が強いウクライナ中部・西部の市民たちを中心に、ヤヌコビッチ大統領離れの傾向が徐々に強まっていったのである。

昨年11月にEUとの連合協定署名を突然棚上げし、親露路線へと舵を切ったヤヌコビッチ氏の動きは、ウクライナがロシア型国家資本主義と信奉し、政治・社会が抑圧されるロシアの傀儡国家になるのではないかと恐れる民衆にとっては、許容の限界点を超えるものだった。

ここ数カ月におよぶ暴力と殺戮、とりわけ2月20日前後の恐るべき流血の惨事は、ヤニコビッチ政権に対する民衆の怒りを深めただけであった。(ヤヌコビッチ大統領は22日にキエフを脱出してロシアに亡命、ウクライナ議会は大統領解任を決議したが、ヤヌコビッチ氏はクーデターであるとして辞任に同意していない:IPSJ)

抗議活動参加者の多くは、反体制派がヤヌコヴィチ体制に取って代ったところでそれへの信頼はほとんど生まれてこないだろうと語る。主要な野党である全ウクライナ連合「祖国」も、現政治体制の腐敗した部分に過ぎないとの見方もある。

ドロテンコ氏はIPSの取材に対して、「当局は生来犯罪的な存在です。つまり野党も(ヤヌコビッチ政権と)同じコインの表と裏の関係に過ぎないのです。」と語った。

ドロテンコ氏は、「野党議員らは、与党議員と同じく新興財閥(オリガルヒ)のカネを受取り、『傀儡』或いは『お飾り』野党という快適な役割を演じつつ、ヤヌコビッチ大統領と同じように民衆の声を無視してきたのです。」と指摘したうえで、「民衆の反政府デモに交じってキエフの街頭に出てきた野党議員らは、実際のところとても熱心な民衆支持者とは言えないのです。」と語った。

Map of Ukrine
Map of Ukrine

また反政府デモの主要勢力に極右過激派「スボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」が含まれていることを問題視する指摘もある。

また抗議参加者の中には、野党指導者が言動において一貫性を欠き、昨年下旬の抗議活動の初期段階において事態の収拾に動かず状況を悪化させた責任を指摘する声もでてきている。

「事態を悪化させた責任は、もちろん愚かで違法行為を犯したヤヌコビッチ氏にあるが、抗議活動が始まった初期段階に早急かつ断固とした対応をとらなかった野党勢力にも責任の一端があります。」とドロレンコ氏は語った。

治安部隊とデモ隊の衝突が恐ろしい流血の事態に発展したのを受けて、EU・米国・ロシアが活発な外交交渉に乗り出し、2月21日にはヤヌコビィチ政権、野党、ロシア、EU間で危機打開のための合意がなされた。早期の総選挙実施がこの合意における主要要件となっている。

しかし、このような外交的な取り組みがやっと今になってなされていることには失望の声も聞かれ、根本にある緊張はなかなか解けそうにもない。

キエフで教師をしているオルガ・コヴァチャック氏(37歳)はIPSの取材に対して、「おそらく今回の混乱が流血の惨事に発展する以前の純粋な政治闘争の段階であれば、EU或いはロシアからの何らかの働きかけで事態の収拾を期待できたかもしれません。しかし事態がここに至ってはそれも期待できません。EUとロシアは機会を逸したのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】

「イスラエルは、米国が仲介している中東和平交渉を隠れ蓑にして、とりわけ占領下のエルサレム及びその周辺地域において、違法なユダヤ人入植地建設を継続しており、ジョン・ケリー国務長官による和平努力を意図的に妨害している。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

従って、「多くのパレスチナ人が、ケリー長官がマフムード・アッバスパレスチナ自治政府大統領に提示した和平交渉の指針を盛り込んだ「枠組み合意」案を、イスラエルとの最終合意の基礎にはなりえないと感じているのは驚くに値しない。なぜならこの枠組み合意案には、パレスチナ人の持つ正当な権利について十分な考慮がなされていなからだ。」とガルフ・ニュース紙は2月22日付の論説の中で報じた。

米国務省は、ケリー・アッバス会談を「建設的なものであった」と評したうえで、「両者は今後数週間に亘って連絡を取り合っていく」と発表した。昨年2月に国務長官に就任したケリー氏は、イスラエルとヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)に頻繁に足を運び、昨年7月にはそれまで3年間に亘って途絶していたイスラエルとパレスチナ間の和平交渉の再開(ただし交渉期限は今年4月までの9カ月)に漕ぎつけた。この1年間における中東訪問は実に11回に及ぶ。

またガルフ・ニュース紙は、パレスチナ人は、イスラエル当局により、財産の破壊、強制退去などいくつかの方法で、不当な扱いを受けてきた、と付け加えた。国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によると、2013年にはウエストバンク(C地区と東エルサレム)でパレスチナ人所有の家屋が破壊され新たに1100人のパレスチナ人が強制退去を余儀なくされるなど、強制退去の被害者は前年比で25%増加した。さらにこれらの地域では2014年になってからも、パレスチナ人所有の100の建物が破壊され、100人の子どもを含む180人以上のパレスチナ人が強制退去させられている。

こうしたなか、アイルランドでは138人の学術関係者が、イスラエルが国際法を順守するようになるまで、学術分野でのイスラエルとの交流を拒否(ボイコット)する内容の誓約書に署名した。2月20日に発表された同誓約書には、「私たちは、パレスチナの市民団体からの呼びかけに応え、イスラエルが国際法と人権の普遍的原理を順守するようになるまで、イスラエルの学術関係者、研究機関、政府組織、及び関連機関と職業上関わらないことを誓います。」と記されている。しかしイスラエルはこの呼びかけに注意を払うことを拒否している。

「たとえ平和的な解決策についてイスラエル・パレスチナ間の合意が可能だとしても、それは国連決議並びにパレスチナ指導部とアラブ連盟の立場を基礎にしたものでなければならない。つまり和平合意には、①東エルサレムを首都とし、1967年時点(第三次中東戦争前)の国境線に基づくパレスチナ独立国家の設立、②パレスチナ難民問題の公正な解決(帰還権を認めること)、③ユダヤ人入植地建設の即時停止、が含まれるべきである。」とガルフ・ニュース紙は報じた。

また「米国政府は、イスラエルに対して、強引に圧力を加えたり意図的に妨害しても和平プロセスを進展させることは出来ないと告げることに躊躇すべきではない。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

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【国連IPS=ミン・リ】

このところカンボジアの衣料産業は頻繁なストライキや抗議活動に見舞われている。しかし首都プノンペン郊外のカナディア工業団地で1月3日に発生した数千人規模の抗議集会では、治安部隊が集会参加者に発砲して5人が死亡、十数人の負傷者が出るなど、それまでの抗議活動からは突然様相が変わってきた。

依然として収束の兆しが見えない中、権利擁護団体は、カンボジアに進出している衣料ブランド各社に対して、現地縫製工場からの製品買い上げ慣行を見直すとともに、流血の惨事を招いた縫製工場労働者のストの原因である低賃金問題の解決に向けた行動を起こすよう強く求めている。

The majority of Cambodia’s exports to the European Union (EU), over 89 percent, are textiles such as garments and shoes. Credit: Michelle Tolson/IPS
The majority of Cambodia’s exports to the European Union (EU), over 89 percent, are textiles such as garments and shoes. Credit: Michelle Tolson/IPS

「ストライキの背景には縫製工場の労働者らの激しい憤りがあります。発火点は至る所にあるのです。彼らは低い賃金水準で困窮を強いられる現状をこれ以上受け入れたくないのです。」と、ニューデリーに本拠を置く労働団体「アジア最低賃金連合(Asia Floor Wage Alliance:AFWA)」のアナンヤ・バッタチャヤ氏はIPSの取材に対して語った。

政府が設定する法定最低賃金は労働者の要求からはかけ離れていることが少なくない。カンボジアの場合、縫製工場の最低賃金は現行月80ドルで、100ドル前後のベトナムなど周辺国と比べて低い。政府はこの最低賃金を段階的に引き上げる方針(今年4月に100ドル、5年後に160ドル)を提示したが、労働者側は即時160ドル(約1万6700円)への引き上げを主張し、昨年末から大規模なストに入っている。

アジアの衣料産業における最低賃金の底上げを求めているAFWAは、法定最低賃金が(労働者の生活を保障できないほど)不十分な場合、当該国で事業を展開している多国籍企業である衣料ブランドが、問題の解決に向けて関与すべきだと考えている。

「縫製工場の労働者らが製造している製品が世界の衣料産業を支えているのですから、衣料品工場を世界的に展開する多国籍企業が、最低賃金と生活賃金の差額を支払うべきです。」「これは不公平な要求ではありませんが、衣料ブランド各社は依然として差額の支払いに同意していません。」とバッタチャヤ氏は語った。

公正を期するために言えば、カンボジア治安部隊による弾圧が行われた後、現地に工場を展開する大手衣料ブランドが沈黙を守っていたわけではない。既に「アメリカン・イーグル・アウトフィッターズ」「ギャップ」「リーバイ・ストラウス」などの企業が、最近の暴力沙汰について遺憾の意を表明する公開書簡をカンボジア政府に送り、政労使が定期的な賃金見直しを行うメカニズムを創設することを主張している。

「リーバイ・ストラウス」社はIPSに寄せた声明の中で、「当社は今後もカンボジアでの現地生産を継続していく方針」であり、現在の政情不安が平和的に解決されるよう強く要望する、としている。また「ギャップ」社の広報官は、同社はいかなる暴力にも強く反対するものであり、全ての利害関係者が論争の平和的な解決にむけて話し合うよう呼びかけている、としている。

ワシントンに本拠を置く労働団体「国際労働権利フォーラム」は、こうした大手衣料ブランドの動きについて、「各社がカンボジアで起こった人権侵害に対して積極的に声を上げたのは称賛すべきだが、より一層踏み込んだ行動を起こさなければならない。」との声明を出した。

同フォーラムのリアナ・フォックスボグ広報部長は、「全ての衣料ブランドと小売業者は、カンボジアで縫製された製品に対して自発的に買い取り額を引き上げることに同意し、その分を現地労働者の賃金引き上げに反映するよう縫製工場に要求すべきた。」と語った。

Ms. Liana Foxvog
Ms. Liana Foxvog

フォックスボグ氏によると、こうした大手衣料ブランドは過去20年に亘って、生産拠点となる途上国において労働者に最低賃金レベルを競わせながら、世界各地にサプライチェーンの拡大を図ってきたという。

「私たちは、これまでに縫製工場の労働者が置かれてきた過酷な労働環境をはじめ、低賃金、労働者の集会の自由に対する弾圧など様々な問題事例を目の当たりにしてきました。」「これまでは衣料ブランドや小売業者が各地の縫製工場を廻り、製造価格を買いたたきながら買付を行ってきました。例えばシャツを2ドルで製作できるか問い、ある工場が難色を示せば、その金額でも仕事を引き受ける別の工場を探して発注を乗り換えてきました。その結果、2014年の今も、こうした労働搾取的な経済が罷り通っているのです。今後は、こうした旧態依然としたビジネスモデルとは異なるシステムが構築されなければなりません。」とフォックスボグ氏は語った。

フォックスボグ氏は、この問題を解決するためには、すべての衣料ブランドと小売業者が供給業者と長期的な関係を結び、労働条件をコントロールしやすくすべきだと訴えている。

「私たちは、縫製労働者が飢餓と集団失神に直面しなくてもすむように、公正な生活賃金を保障する必要があります。そしてそのために必要な追加費用を衣料ブランド各社が払えることを私たちは知っているのです。」とフォックスボグ氏は語った。

見通しは不透明なまま

治安部隊の発砲による縫製労働者殺害事件から1か月以上が経過したが、依然として危機的状況が打開される見通しはない。

人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は2月3日、緊急声明を発表し、その中でカンボジア政府に対して、縫製工場側が、組合を組織したり権利を主張する労働者に対して威嚇したり脅迫したりしないよう保証するよう求めている。

Human Wrights Watch
Human Wrights Watch

国際労働機関(ILO)は1月下旬、カンボジアで続く暴力について「深く憂慮している」と指摘したうえで、改めてカンボジア政府に対して、スト参加者に対する弾圧事件について独立した調査委員会を設置するよう呼びかけた。

カンボジアでは1990年代後半から外資系の輸出向け縫製工場が多数つくられ、衣料産業は今では約50万人を雇用する製造業の主要部門となっている。ILOによると、カンボジアからの衣料の輸出高は、2013年に史上初めて50億ドルを突破した(前年同期比22%増の51億ドル弱)。

衣料産業はまた、縫製工場の労働者の大半を占める女性の貴重な収入源であるとともに彼女たちが家族へ送る仕送りの資金源として重要な位置を占めている。

プノンペンを拠点にした国内の衣料産業をモニタリングするILOプロジェクト「ベター・ファクトリー・カンボジア」の責任者ジル・タッカー氏によれば、全ての縫製工場が労働搾取工場とは言えないまでも、2010年以来、カンボジア衣料産業の労働条件は悪化しつづけているという。

Jill Tucker/Better Factories Cambodia
Jill Tucker/Better Factories Cambodia

タッカー氏はIPSの取材に対して、「途上国は国際市場における競争力を得るために裁縫労働者の賃金を長期に亘り『人工的に低く』抑えてきており、その結果、労働者の生活水準が国内物価の上昇に追いつけなくなってきているのです。また縫製工場が大都市に集中していない他の衣料生産国と異なり、カンボジアの場合、衣料の生産拠点が首都プノンペンに一極集中しています。このため、労働者は縫製工場の近くに住むために高い生活費の出費を余儀なくされているのです。」と指摘したうえで、「もしカンボジア人労働者が仕事に満足し賃金や労働条件が十分だと感じていれば、おそらくこれほどの労働争議を目の当たりにすることはなかったでしょう。」と語った。

さらにタッカー氏は、「消費者が使い捨ての安価な衣服を大量に所有する現在のシステムは、経済的にも環境的にも持続可能なものではありません。おそらくこのような安価な衣服を大量生産する体制は今後10年もすれば限界をきたすでしょう。」と語った。

消費者の罪

テキサス工科大学自由市場研究所のベンジャミン・パウエル教授は、IPSの取材に対して、消費者は途上国製の安価な製品を購入した際に、罪悪感を覚える必要はないと語った。

Benjamin Powell/ TTU
Benjamin Powell/ TTU

「労働搾取工場(スウェットショップ)」という言葉には、それが時には現地の労働者にとって、この後の経済発展や、最終的には賃金引上げと労働環境の改善につながる可能性がある最善の選択肢であるにも関わらず、否定的な響きがあるのです。」とパウエル教授は主張した。

カンボジアは国内貧困率を2007年の50%から今日の20%にまで削減することに成功したが、世界銀行の統計では、依然として「低所得経済」に分類されている。同統計によると、人口710万人のカンボジアの一人あたりの国民所得は880ドルで、香港の36,560ドルには遥かに及ばない。

前出のADWAのバッタチャヤ氏は、「バングラデシュやカンボジアのような途上国は次の経済レベルに向けてまもなく前進を遂げるでしょう。しかし、そのためには低賃金の問題が解決されなくてはなりません。」と指摘したうえで、「衣料産業は、賃金面で競争するのではなく、物流や原料調達の面において競争すべきです。」と語った。

更に、昨年7月の総選挙で不正が行われたとして選挙のやり直しとフン・セン首相の退陣を求めている野党救国党をはじめ様々な勢力が抗議運動に参画してきていることから、縫製工場労働者の賃上げ要求デモは徐々に政治的な色彩を帯びたものとなってきている。ちなみに、救国党は先の総選挙で縫製工場労働者の最低賃金を150ドルに引き上げることを公約して、与党カンボジア人民党が大きく議席を減らす(90議席→68議席)中で、大きく議席を伸ばした(29議席→55席)。

しかしバッタチャヤ氏は、「抗議の声を上げている縫製工場労働者の本当の動機については、疑念を持ったことがありません。」と指摘したうえで、「ストに参加した労働者たちの要求には、民主的な社会の実現や基本的人権の保障といった政治的なものも含まれているかもしれません。しかし、抗議の声の根底にあるものは『明らかに経済的な要求』に他なりません。つまり、労働者達は賃金の引き上げを求めているのであり、抗議行動の発端はこの点にあるのです。」と語った。(原文へ

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期限を切った核兵器禁止を求める活動家たち

【ヌエボバジャルタ(メキシコ)IPS=エミリオ・ゴドイ】

核軍縮を主張する国々は、核兵器を廃絶する公式協議の開始日設定の準備をする地点にまで到達している。今年末にオーストリアで、その設定がなされる可能性もある。

これは、メキシコ西部の観光地ヌエボバジャルタで2日間にわたって開かれた第2回「核兵器の非人道性に関する国際会議」について、14日に会議が閉幕する際の全般的な雰囲気であった。会議には146か国の代表と世界中の100以上の非政府組織から参加があった。

参加者は、核兵器の保有および使用が人間に与える影響に関して非難し、ロシア、米国、中国、英国、フランス、インド、イスラエル、パキスタンが依然として保有している1万9000発の核弾頭すべての廃棄を求める強力なメッセージを発した。

Second conference on the humanitarian impact of nuclear weapons
Second conference on the humanitarian impact of nuclear weapons

平和主義を掲げる在家仏教組織「創価学会」の副会長で、「創価学会インタナショナル」(SGI)平和運動局長の寺崎広嗣氏はIPSの取材に対して、「(今回の会議は)核兵器禁止という目標へのロードマップに向けた第一歩となりました。第3回会議でこの目的へのロードマップが提供されることになると考えています。核兵器をなくすべきだと認識する点において、我々は核保有国よりもずっと先を行っているのです。」と語った。

また寺崎氏は会議で、「核保有国は不拡散を主張する一方で、自国の核兵器は保持し続けています。従ってこの会議の目的は、核廃絶への動きを作り出すことにあるのです。」と語った。

オーストリア政府は13日、年末に第3回会議を主催すると発表した。2015年核不拡散条約(NPT)運用検討会議に先立つものだ。NPTは核兵器を制限する法的拘束力のあるもっとも重要な国際枠組みだが、この15年ほど進展がない。

81か国・350団体から成る「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のラテンアメリカ・カリブ海地域コーディネーターであるエクトル・グエラ氏は、IPSの取材に対して、このプロセスは「法的拘束力のある(核兵器)廃絶のための枠組へと移行するため」「次のステップへ進む準備ができています。」と語った。

理想的には「国際社会全体」が参加することだが、もし核兵器国が棄権するようなことがあっても「問題はありません。」とグエラ氏はいう。彼の見方では、新条約は「国際交渉において核兵器の非正統化を推進する国際規制を確立するもの」だからだ。

ICAN
ICAN

2013年のオスロ会議と同じく、NPTの認めた5つの核兵器国(米国、中国、フランス、英国、ロシア)はヌエボバジャルタの会議に参加しなかった。

しかしパキスタンは、イスラエルやインドと同じく、現在190ヵ国が加盟しているNPTに署名していないが、ヌエボバジャルタの会議には参加した。

オスロ会議以来、核廃絶運動は核兵器の非人道的影響を批判する点で前進してきた。2013年5月、[2015年]NPT再検討会議[第2回]準備委員会はこの角度から焦点を当てた。またその数か月後にニューヨークで開かれた国連総会でも核兵器の非人道的影響に焦点が当てられた。

ヌエボバジャルタでは、核戦力の維持・管理における人為的ミスと技術的ミスという要素が検討に付された。この点は、ジャーナリストのエリック・シュロッサー氏の著書『指揮と統制:核兵器、ダマスカス・アクシデント、そして安全幻想』に詳細に描かれている。

ロンドンに本拠を置くNGO「英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)」のパトリシア・ルイス安全保障研究部長は、IPSの取材に対して、「これまでに、計算違いやミスによって核兵器が使用されそうになったことが何度もあります。」と語った。

「(核兵器が使用される)確率は私たちが一般的に考えているよりもずっと高く、私たちは未知の事態を想定しなくてはなりません。今日の状況は以前よりもリスクが大きくなっているのです。」とルイス氏は語った。

ルイス氏のチームは、米国、旧ソ連、英国、フランス、イスラエル、インド、パキスタンが関与した1962年から2013年にかけての実験、軍事演習、危険警報における核事故を再調査し、その研究成果を発表した。

この調査報告には、米空軍のあらゆるレベルにおける物理的防護や作戦上の安全がおろそかになっているとの知見が導き出されている。

ルイス氏は、高度な政治的緊張状態にあるときにはすべての核弾頭が破棄されるまで大規模な軍事演習を行わないこと、さらには、攻撃の脅威が差し迫っているとの警報を遅らせることを推奨している。

寺崎氏は「核兵器は人類を人質に取っているのです。」と結論付けた。

グエラ氏の見方では、核兵器の禁止は2020年までになされなければならないという。国連の枠組みで実行されるべき「交渉の政治的条件は熟しつつあります。」とグエラ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ヌエボバジャルタ(メキシコ)IPS=エミリオ・ゴドイ】

山下泰昭さん(74歳)は、米国が1945年8月9日に長崎に投下した原子爆弾で被爆した自身の経験を、長らく人には語ってこなかった。

1968年にメキシコに移住した山下さんは1995年に友人の子どもから、原爆の講話を重ね重ね依頼されやむ無く引き受けたのを契機にそれまでの沈黙を破り、長崎と世界全体の運命を一変させたその朝の出来事を語り始めた。

「私は当時6歳で、爆心地から2.5キロのところに住んでいました。普段私は、友達と一緒に虫を捕まえに近くの山に行っていたのですが、その日は家の前に一人でいました。近くには母がいて、食事の支度をしていました。」と物腰が柔らかく、白髪で端正な顔立ちの山下さんはIPSの取材に対して語った。

1968年にオリンピックを取材するためメキシコにやってきた山下さんは、その後この国に留まった。今日山下さんは、被爆したあの日の遠い記憶を振り返り、家にあった防空壕に逃げ込むように母親が叫んだときのことを思い出していた。

「防空壕に駆け込んだとき、目が眩むような激しい閃光を浴びました。母は私を地面に引っ張りよせ、私の体の上に覆いかぶさりました。それからものすごい音がして、いろんなものが私たちの頭上を飛ぶ音が聞こえました。」

防空壕を出ると、あたり一面には何もなくなっていた。すべては焼け、医師や看護婦はおらず、食べ物もなかった。それは、今日に続く終わりなき悲劇の始まりに過ぎなかった。

20才の時、山下さんは被爆者を治療する日本赤十字社長崎原爆病院で働き始めた。しかし、原爆症患者が毎日のように死亡する現実に直面し、強い恐怖感を覚えて数年後にはやめてしまった。

Second conference on the humanitarian impact of nuclear weapons
Second conference on the humanitarian impact of nuclear weapons

山下さんの証言は、メキシコ北西部の州ナヤリットの観光地ヌエボバジャルタで2月13~14日に開かれた第2回「核兵器の非人道性に関する国際会議」(非人道性会議)の参加者たちの心を大きく揺り動かした。会議には140か国の代表が出席し、世界中から100以上の非政府組織(NGO)のメンバーが参加した。

2013年3月にオスロで開かれた前回会議に続くこの2日間の会議の目標は、人類および地球に経済、人道、健康、環境の面で脅威を及ぼしている核兵器の廃絶にむけて前進することにある。

現在、世界には少なくとも1万9000発の核弾頭があるが、そのほとんどが、核不拡散条約で核保有を認められている中国、フランス、ロシア、英国、米国に加え、インド、イスラエル、北朝鮮、パキスタンの手に握られている。

メキシコ外務省は、その内2000発以上の核兵器が数分以内に発射可能な状態を示す「高度な作戦警戒態勢」にあると推測している。

「これらの兵器は受け入れがたいものであり、生物兵器や化学兵器のように禁止されなければなりません。核兵器の爆発が直ちにもたらす緊急事態に十分対応し、被害者に対して十分な救援活動を行える対応能力は、いかなる国にも国際機関にもないのですから。」と語るのは、特定兵器によって引き起こされる不必要な被害を防止するために活動している英国の非営利組織「36条の会」のリチャード・モイエス氏である。

Richard Moyes
Richard Moyes

2013年2月、「36条の会」は英国マンチェスター市上空で100キロトン級の核兵器が爆発した場合に予想される被害に関する研究報告を発表した。現在グレーター・マンチェスターには270万人が居住している。

(核爆発による)爆風と熱線による直接的な影響で少なくとも8万1000人が死亡し、21万2000人が負傷する。橋や道路は破壊され、医療態勢は機能不全に陥り、被害者に対する救援活動が困難になる。この被害が英国社会に及ぼす長期的影響は「甚大なものになるだろう」、と「36条の会」は指摘している。

人口2000万人以上を抱えるメキシコシティ首都圏も、マンチェスター市と類似した被害想定を検討している。それによれば、50キロトン級の核兵器がメキシコシティ上空で爆発すれば、被害が首都圏を超えてメキシコ中心部の地域に拡大していくにつれ、爆心地から半径66キロ圏内、約2200万人が影響を受けるという。

「(核爆発がもたらす人道的)帰結は厳しいものです。つまり、緊急支援サービスの運用能力は失われ、病院・診療所は破壊されて使用できず、レスキュー隊や医療関係者も失われているのですから。」と内務省で民間防衛を担当するロゲリオ・コンデ氏はIPSの取材に対して語った。

「従って、被害者を救援するための機材や現場の職員、専門家などの面で、メキシコの他の州や諸外国からの支援を仰ぐことになるでしょう。」とコンデ氏は語った。

なお、環境破壊とインフラへの被害規模は、メキシコ経済の2割に相当すると想定されている。

一方、太平洋のマーシャル諸島のように核兵器の実験場となった場所では、地域住民がさまざまな損害を被ってきた。一連の島々と環礁からなるマーシャル諸島では、1946年から1958年にかけて67回の核実験が行われた。

マーシャル諸島議会のジェバン・リクロン議員は、「数値化されてはいませんが、環境や住民の健康面で、様々な問題が発生してきました。一連の核実験に晒された住民は、人体実験の対象にされたのであり、60年経過した今でもその後遺症に苦しんでいるのです。」と語った。リクロン氏は、米国が1954年3月1日にビキニ環礁で核爆弾「ブラボー」(1945年の広島型爆弾の1000倍の破壊力)の核実験を行った当時は2才で、ロンゲラップ環礁で祖母と暮らしていた。

米国は核実験の直後に、周辺住民を対象にした秘密裏の健康調査を行い、放射線が人体に与える影響を調べた。

Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force
Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force

国連人権理事会の特別報告官(カリン・ジョージュスク博士)は、マーシャル諸島での現地調査の後、住民の健康に対する権利や効果的な救済を受ける権利、環境回復の権利が侵されており、さらに、米国による強制移住やその他の重大な不作為による人権侵害が発生していた、と報告した。

第2回「核兵器の非人道性に関する国際会議」の推進者らは、1967年に署名されたラテンアメリカ・カリブ地域核兵器禁止条約(いわゆるトラテロルコ条約)が将来の地球的な核廃絶のモデルとなるべきだと考えている。しかしそのためには、数十年にわたる外交的行き詰まりを打破する必要がある。

トラテロルコ条約によって、中南米は世界初の非核兵器地帯(NWFZ)となった(現在NWFZには114か国が含まれる)。その他の非核兵器地帯は、南太平洋、アフリカ、東南アジア、中央アジアである。

包括的核実験禁止条約(CTBT)機構準備委員会は、2020年までに核兵器のない世界を実現する明確なロードマップを打ち立てることを求めている。

CTBTには既に161の国連加盟国が批准しているが、条約発効にはなお、中国、北朝鮮、エジプト、米国、インド、イラン、イスラエル、パキスタンの署名・批准が不可欠の要件となっている。

第2回「核兵器の非人道性に関する国際会議」には、米国、中国、フランス、英国、ロシアの核五大国は参加しなかった。

山下さんは、「核兵器がなくなるまでにいったい何世代かかるのか分かりません。どうしてこれほど多くの無辜の人びとが不必要に傷つけられなければならないのでしょうか? だからこそ、私たちは核兵器を廃絶するために最大の努力を払わなくてはならないのです。」と締めくくった。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】

「イラクでは、ほぼ連日のように襲撃事件、爆破テロ、発砲事件が多発しており、この1年で暴力事件が増加した。スンニ派、シーア派間の宗派抗争も激化しており、2月7日には、バグダッド西部のガザリャ地区で、4月に予定されている次期国民議会選挙のシーア派候補者(アルシャムマリ氏)が射殺された。この日だけでもイラク全土で7人が殺害されている。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

同日、トゥーズ・フールマート市北部の商業地区では、車載爆弾が爆発し4人が死亡、28人が重軽傷を負った。

6日には、首都バグダッドの商業地区で車載爆弾が相次いで爆発し少なくとも13人が死亡、5日には、首都中心部で爆弾攻撃が相次ぎ34人が死亡した。

国連が発表した統計によると、イラクにおける昨年の死者数は、宗派対立による犠牲者数が史上最悪の事態から改善を見せ始めた2007年以来、最も多い数(8868人、うち民間人が7818人)を記録した。なお、昨年の負傷者数は、1万7981人であった。

「しかし地域の緊張を高めているのはスンニ派-シーア派間の暴力だけではない。イラク治安当局により収監されている数千人に及ぶ女性に対する暴力と虐待の実態も、主要な不安定要素となっている。」と「ガルフ・トゥデイ」紙は2月8日付の論説の中で報じた。

国際人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が6日に発表したところによると、イラク当局は数千人の女性を不法に収監しており、その多くが拷問されたり、性的なものを含む様々な虐待の脅しを受けている、という。

シーア派主導のヌーリ・マリキ政権は、悪化し続ける暴力事件への対策として過激派を標的にした大規模な検挙を行った。しかし、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が発表した報告書は、収監された人々を公正に取り扱うイラク治安当局の能力について新たな懸念を生じさせている。また、腐敗が蔓延し国際基準に達していないと批判されてきたイラクの司法制度についても、その有効性が疑問視されている。

「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によると、多くの女性が、親族の男性にかけられたテロ容疑の巻き添えとなる形で逮捕されており、罪状もないまま数か月から数年に亘って収監されているものもいるという。この調査団の面接を受けた収監中の女性たちは、治安当局により殴打、強姦、強姦の脅しを受けたと証言している。バグダッドのカズミヤ刑務所の死刑囚用管理棟で面接を受けた松葉杖をついたある女性囚人は、9日間に亘って殴打、電気ショック、逆さ吊り等の拷問に晒された結果、回復不能な障害を受けたと証言した。

この女性は、裁判所が拷問による自白強要があったとした医療報告書の内容を認めて容疑の一部を棄却したにもかかわらず、調査団と面談した7か月後の2013年9月に処刑された。

「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のある職員は、「報告書が指摘している通り、女性囚人(=多くがスンニ派過激派の容疑をかけられた親族)に対するこのような虐待が続く限り、内戦状態が収束に向かうことはないでしょう。イラク治安当局や官憲の所業は、あたかも女性囚人を残虐に扱うことで国を安全にできると考えているかのようです。」と語った。

「イラクの関係当局は協力し合って収監中の女性容疑者の尊厳を守れる法律を強化し、数千人の死者を出してきた暴力の循環を止めるよう努力すべきだ。」と「ガルフ・トゥデイ」紙は結論付けた。

翻訳=IPS Japan

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【ベオグラードIPS=ベスナ・ペリッチ・ジモニッチ

旧ユーゴスラヴィア連邦でもっとも人の目に触れることのなかった秘密が明らかになった。「裸の島」を意味する「ゴリ・オトク(Goli Otok)」島にかつて国内唯一あったグラーク(ソ連式強制労働収監所:65年前に設立)に収監されていた1万6101人の囚人名簿がインターネット上で公開されたのだ。

この名簿公開は、1991年の旧ユーゴスラヴィア解体後、相次いで独立した旧連邦構成諸国に現在生存している数少ない元囚人本人やその家族からの強い反応を引き起こした。

これは、当時ゴリ・オトクに収監された多くのボスニア人、クロアチア人、モンテネグロ人、マケドニア人、スロヴェニア人、セルビア人等にとって、当時の悲惨な体験がいかに今日に至るまで精神的な負担となりつづけ、家族にとっても世代を超えた身内の恥として認識されてきたかを示している。

「私は以前から母方の祖父の人生に何が起こったのかを知りたいと思っていました。」と語るのは、セルビア共和国の首都ベオグラードで教師をしているスミリャナ・ストイコビッチさん(45)である。

彼女は、2000年に亡くなった祖父のスタンコさんが、第二次世界大戦前に見習い靴職人をしていた時の話や戦争中にパルチザンとして、ナチス・ドイツ兵と戦った時の話をしてくれたのを覚えている。「しかし、話はいつもそこから急に飛び、孫たちが生まれた1960年代以降になったものです。戦後の空白の期間に何が起こったのかについては、祖父に質問しないよう言われてきました。」とストイコビッチさんは語った。

Tito and Stalin/Balkan Forum
Tito and Stalin/Balkan Forum

その後ストイコビッチさんは、祖父がゴリ・オトク強制労働収容所に7年間収監されていた事実を知った。「祖父は、当時ソ連の大義を確信していた共産主義者として、(ユーゴスラヴィアの指導者ヨシップ・ブロズ・)チトー元帥(1892~1980)よりもソ連のヨシフ・スターリン書記長を好ましく思っていると発言したに違いありません。…今は、祖父がなぜゴリ・オトクに収監されていたことを一切語らなかったのか、理解できます。」とストイコビッチさんは語った。

ゴリ・オトクは、クロアチア北部の海岸から沖に6キロ離れた小さな無人島で、1948年にソ連圏を離脱する決意をしたチトー首相率いるユーゴスラヴィア政府が翌年7月、島を国内反体制派を収監する巨大な監獄へと作り変えた。


このチトー首相による決断は、スターリン書記長に対する「歴史的なノー」として知られている。当時スターリン書記長は、「チトー首相は資本主義や西側資本主義国家の下僕に成り下がっている」と非難し、ソ連から刺客を放つ一方でユーゴスラヴィア共産党の同志に、チトー政権の転覆を盛んに働きかけていた。第二次世界大戦を通じて共にナチス・ドイツ軍と戦ったソ連とユーゴスラヴィアの共産主義者らはこの事件が起こるまで長らく同盟関係にあったのである。

「当時の多くの共産主義者にとって、スターリンが間違っているという発想は全く考えられないものでした。」とゴリ・オトク・ベオグラード協会のゾラン・アサニン会長は語った。

アサニン氏をはじめ当時の粛清を生き延びた人々の証言や回想によると、1948年のある日、共産党関係者は様々な党会合の場で、「チトー首相よりもスターリン書記長を好ましく思っているか?」という質問に答えるよう求められたという。これに「はい。」と答えたものは、裁判手続きも判決文もないまま、秘密裏にゴリ・オトク収容所に連行された。その際の粛清プロセスは徹底しており、最も近い親族でさえ、連れ去られた人々の消息を知る術が全くなかったのである。

こうして「祖国の裏切り者」とされた人々は、アドリア海に面する港町バカールに集められ、そこから船でゴリ・オトク島(4.7キロ平方キロ)に移送された。島内には4カ所に収監施設が設けられていたが、衛生状態は劣悪で施設と呼ぶには程遠い状態だった。

Goli Otok/Map
Goli Otok/Map

ゴリ・オトク島は、夏はうだるように暑く冬は凍てつく過酷な気候で知られている。収監者は、島内の採石場で、「裏切り者」という看守の罵声や暴力に晒されながら労働を強いられた。時には、看守の指示で、収監者同士殴り合うよう強制されることもあった。

またここでは、1日に割り当てられる食料がわずかな水と粗末なパンに限られていたため、収監者は常に飢えと渇きに苦しんだ。

最近公開された収監者名簿によると、この強制労働収容所が開設された1949年から最後の収監者がユーゴスラヴィア本土各地の一般刑務所に移送された1956年までの間に、腸チフスや心臓疾患の放置などの病気や自殺により413人が獄中で死亡している。

ゴリ・オトクに収監されたものは、生きて出所できても、その後長年に亘って政治的な権利をはく奪されたうえに、就労機会も奪われた。「裏切り者の家族」として秘密警察や近隣住民、友人からの差別に晒されてきた家族から、受け入れを拒絶されるものも少なくなかった。

収監者を肉親に持つ人々の証言によると、当時子どもたちは父親が長い「出張」に行っていると聞かされていた。また妻たちは収監されている夫たちから(本人の意思に関わらず)離婚を言い渡された。しかし中には、さらに過酷な要求を矯正されたケースもある。

「私は大学での職を保持するためには党会合で夫を公然と非難し、さらに、夫には今後一切娘を会わせないと公約しなければなりませんでした。当時私はこの政府の圧力に屈し、言われる通りのことをしました。娘は私のしたことを今でも許してくれません。」とラダ・B(88歳)は語った。

ゴリ・オトク強制労働収監所に関する事実が少しずつ明らかになってきたのは、チトー首相の死後にユーゴスラビア連邦が崩壊し、前共産党政権に関する秘密文書が出回るようになってからである。しかし、連邦の崩壊後まもなく血で血を洗うユーゴ内戦が相次いだために、その後の情報公開はしばらくの間、遅々として進まなかった。

クロアチア、セルビア、スロヴェニアがゴリ・オトクに収監された被害者に対する補償を進めるようになったのは、つい最近のことである。ゴリ・オトクに収監された人々の多くは無実の罪を着された人々で、共産主義者ですらないものも少なくなかった。

アサニン氏の調査によると、セルビアには現在、ゴリ・オトク強制労働収容所の生存者が約300人いる。彼らはセルビア政府法務省に対して、政治的復権と賠償請求を訴えている。

セルビア政府は、ゴリ・オトクでの収監1日あたり700ディナール(8.5ドル)を支払うことを元被収監者に約束し、これまでにゴリ・オトク収容所の生存者或いは直径相続人に5300万ディナール(640,000ドル)の賠償金を支払っている。

一方、ゴリ・オトクの囚人名簿が公開されて以来、元囚人の他にも犠牲となった人々に当時何が起こったのか真相を掘り起こす関係者からの匿名情報が俎上になるようになり、様々な反響を呼んでいる。

例えば、ベバと名乗る女性は「(公表された囚人名簿に)叔父の名前を見つけました。彼は政治について日頃からジョークを言っていたので、それが理由で収監されたのだと思います。」とコメントしている。またバネと名乗る男性は、「私の祖父は、特権的な共産党指導層向けの外交誌を、全ての人が読めるようにすべきだという考えを述べただけで収監所に送られたのです。」と記している。

旧ユーゴスラヴィア各地の人々が、ゴリ・オトク強制労働収監所で自分の親族の身に何が起こったのかについて情報を入手しようと、電子メールで盛んに情報交換を行っている。こうした犠牲者家族間の情報交換の中から、長年に亘る沈黙が破られ、いかにして無実の人々が一夜にして忽然と消え去り、ゴリ・オトク島に連行されたかについての当時の状況が明らかになってきている。

「当時ゴリ・オトクに連行されうる危険性は誰もが直面していました。理由は、他人より資産を持っている、噂の対象になった、誰かがある人の妻を我が物にしたいと企んだ等、あらゆるこじつけが罷り通ったのです。しかし当時はユーゴスラヴィアをソ連圏から離脱させ独自の路線を確立しようという、必要ならば非常手段をも必要とする非常事態下にあった時代なのです。当時、ユーゴスラヴィア国民は自国の指導者を信じるしかありませんでした。そうしなければ自分たちの将来がどうなるか、全く先行きが見えない時代だったのです。」とある元大学教授は当時を振り返った。

ゴリ・オトク島は、強制労働収監所が閉鎖された後は放置されたままとなっている。今日、この島を訪れるのは、時折、興味本位で収監所跡を見にくる観光客ぐらいである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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