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ウズベキスタン―日本:戦略的パートナーシップの境界を広げる

【タシケントINPS Japan/London Post】

両国が1992年1月26日に外交関係を樹立して以来、ウズベキスタンと日本の協力関係の発展は、ウズベキスタンの対アジア太平洋外交の重要な柱であり続けてきた。相互尊重と信頼を基盤に、タシケントと東京は現在、政治、安全保障、経済、投資、イノベーション、教育、文化、観光に加え、地域協力の枠組みでの連携まで、幅広く活発な協力関係を築いている。

日本はこれまで、産業・エネルギーインフラの近代化、デジタル変革の推進、持続可能な開発の促進において、ウズベキスタンにとって主要な戦略的パートナーとなってきた。教育、科学、文化、人的交流の分野でも、前進を後押ししてきた。

Shavkat Mirziyoyev, 2nd President of Uzbekistan

二国間協力は多岐にわたり、近年は一段と弾みがついた。転機となったのは、2019年12月のシャフカト・ミルジヨエフ大統領の公式訪日である。この訪問は、主要な共同の経済・投資・人道(人的)プロジェクトの実施を強く後押しし、二国間関与の長期的な方向性を示した。

国際舞台でも、ウズベキスタンと日本は国際機関で緊密に連携し、互いの立場を支え合っている。ウズベキスタンはこれまで、日本の国連機関などのポストへの立候補を40回以上支持してきた。他方、日本は、中央アジア非核兵器地帯、教育と宗教的寛容、若者支援、持続可能な開発目標(SDGs)達成における議会の役割など、ウズベキスタンが主導した国連総会決議の共同提案国となってきた。

関係の戦略性は、議会間協力にも表れている。両国議会には友好議員連盟が設置され、ウズベキスタン―日本議員フォーラムも定期的に開かれている。相互訪問に加え、オンラインでの協議や折衝も進む。

外務省間の連携も緊密だ。2002年以降、両国外務省は19回にわたり政治協議を実施してきた。

大きな節目となったのが、2025年8月25日にタシケントで開催された、両国外相による初の「戦略対話」である。この新たな枠組みは、二国間関係の長期性と、あらゆる分野で互恵的協力を広げる双方の意思を明確にした。

外相間の定期的な接触—電話会談や国際会議の場での会談、相互訪問—は、二国間・多国間の課題で立場をすり合わせ、協力を他分野にも波及させる役割を果たしている。

また、日本におけるウズベキスタン名誉領事も、両国協力の推進で重要な役割を担い、経済・文化面の取り組みを後押ししている。

経済面では、産業、エネルギー、通信、インフラ、イノベーション、輸送、「グリーン経済」まで幅広い分野で協力が進む。貿易は最恵国待遇の下で行われており、二国間貿易額の着実な伸びにつながってきた。

2024年には「ウズベク・日本トレードハウス」が名古屋に開設され、日本側で対ウズベキスタン貿易拡大への関心が高まっていることを示した。

二国間経済プロジェクトの調整の要となっているのが、ウズベキスタン―日本、ならびに日本―ウズベキスタンの経済協力委員会による合同会合である。

現在、ウズベキスタンでは日本資本の合弁企業が84社活動し、日本の主要企業13社が現地代表部を置く。石油・ガス、化学、機械、物流、教育、観光などの分野で事業を展開している。

日本の政府系協力機関を含む金融分野の支援も、ウズベキスタン経済の近代化で重要な役割を果たしている。2025年1月には、国際協力機構(JICA)との間で、神経内科・脳卒中共和国センターの建設・設備整備に向けた1億5000万ドルの円借款契約がタシケントで署名された。医療体制の高度化に向けた重要な一歩となるプロジェクトだ。

文化・人道面の交流は層が厚く、人的な結びつきも強い。20年以上にわたり、ウズベキスタン―日本友好協会をはじめ、福島―ウズベキスタン協会、日本―ウズベキスタン協会などの友好団体が活動を続けてきた。タシケントに設置された「広島平和の石」や、首都中心部の日本庭園は、両国の友好を象徴する存在となっている。

UN Photo
UN Photo

ウズベキスタンでは日本文化フェスティバルや映画上映、舞台公演、展覧会が定期的に開かれている。一方、日本でもウズベキスタンの食文化や民族衣装、音楽、舞踊などが幅広く紹介されている。こうした相互交流が、尊重と信頼に基づく長期協力の土台を形づくっている。

近年は現代的な文化プロジェクトも、人道交流の象徴となってきた。2022年4月、東京で「シルクロードの精神―友情の架け橋」が開催され、2024年には日本のアンサンブル「Japanese Pearl」が伝統的なボイスン・バホリ祭で3位に入賞した。

教育は、人道協力の中でも特に伸びが大きい分野である。ウズベキスタンでは7大学で2500人以上が日本語を学び、ウズベキスタン―日本人材開発センターが運営されている。日本開発奨学金(JDS)プログラムも実施され、東京、名古屋、筑波、慶應、豊橋などの大学との共同プロジェクトが進む。JDSでは400人以上のウズベキスタン人学生が奨学金を得ており、日本で研修を受けた人材は約2500人に上る。交換留学や教員交流も活発で、大学学長フォーラムも開催されている。

共同研究は、古代史、考古学、東洋学、農業、気候過程など多分野に及ぶ。

日本はウズベキスタンの医療分野の発展にも資金・技術支援を提供してきた。医療施設の機器整備、専門人材の育成、ワクチン供給などに6000万ドル以上が拠出されている。日本人ボランティアは100人以上がウズベキスタンで活動し、ウズベキスタンの医療従事者200人以上が日本で研修を受けた。

地方自治体レベルの交流(地域間交流)も、二国間関係で比重を増している。姉妹都市・姉妹地域関係は、リシタンと舞鶴、タシケントと名古屋、サマルカンド州と奈良県の間で結ばれた。この枠組みの下、日本では「サマルカンド・デー」が定期的に開催され、名古屋でも文化行事が行われている。

日本人旅行者の間でウズベキスタンの文化・歴史への関心が高まり、観光分野の協力も促されている。航空便の拡充、文化観光の発信強化、インフラ改善を追い風に、日本人訪問者数は増加傾向にある。

とりわけ関心を集めているのが、ウズベキスタンの仏教遺産である。カラ・テペ、ファヤズ・テペ、ダルヴェルジン・テペ、テルメズおよび周辺の寺院遺跡群が注目されている。日本人研究者の調査を背景に、これらの遺跡は国際的な認知を高め、世界各地から観光客や研究者を呼び込んでいる。

日本国内の関心の高さを示す例として、2025年の大阪・関西万博でのウズベキスタン館「知の庭:未来社会の実験室」の成功が挙げられる。ウズベキスタン館は印象的な展示の一つとして評価され、金賞を受賞した。両国友好に捧げたウズベキスタン国立交響楽団の公演「Celestial Dance(天空の舞)」の世界初演も、日本の観客を魅了した。

ミルジヨエフ大統領が今回の訪日で参加する「『中央アジア+日本』対話」(Central Asia–Japan Dialogue)の首脳会合は、ウズベキスタンの地域優先課題と合致し、中央アジア諸国の政治的結束の高まりを映し出す枠組みでもある。

この枠組みは、2004年8月24日に川口順子外相(当時)がタシケントを訪問した際に提起された。当時の優先目標には、地域の平和と安定の確保、改革と社会発展の支援、域内連携の強化、周辺地域および国際社会とのパートナーシップ拡大、地域・地球規模課題への協力が含まれていた。

Tashikent City Credit: By Muso1996 - Own work, CC BY-SA 4.0
Tashikent City Credit: By Muso1996 – Own work, CC BY-SA 4.0

現在、この対話は、持続可能な開発をめぐる議論と信頼に基づく協力を進める、安定した枠組みへと発展している。

実務面を充実させるため、局長級など高官実務者による定期会合や分野別の専門家協議、「東京知的対話」などが開かれている。近年では、2023年から2025年にかけて東京で閣僚級として行われた経済・エネルギー対話が、特に重要な柱となった。

インフラ支援は、対話枠組みにおける日本の優先分野の一つであり続けてきた。JICAや国際協力銀行(JBIC)など日本の機関は、輸送回廊、物流拠点、道路、関連施設、空港、鉄道インフラの近代化に体系的に関与している。これらの事業は地域の接続性を高め、中央アジアが東アジア・中東・欧州を結ぶ要衝として果たす役割を強めている。

デジタル化と自動化で先行する日本は、地域諸国と知見を積極的に共有している。ウズベキスタンにとってこの協力はとりわけ重要である。同国はIT産業を急速に育成し、ITパークやテクノパークを整備し、デジタル経済の取り組みを進める中で、日本の専門家を招いて人材育成を進めている。

日本が環境配慮型開発や省エネ技術で長年の実績を持つことから、環境協力もパートナーシップの中核要素となっている。

地域最大の人口を抱え、主要な輸送・物流ハブでもあるウズベキスタンは、対話枠組みの議題形成で中心的役割を担う。近年は多分野で新規プロジェクトを提起し、協力の実務面の強化に大きく寄与してきた。

この20年余りで、中央アジア+日本対話は、地域諸国と日本が幅広い分野で体系的に協力を進めるための、安定した実効的な枠組みとして定着してきた。

したがって、ミルジヨエフ大統領の今回の訪日と中央アジア+日本首脳会合への参加は、二国間および多国間の政治対話を深化させ、経済・投資協力を拡大し、教育・科学分野の結びつきを一段と強めることになるだろう。相互利益に資するパートナーシップ拡大に向けた大統領の取り組みは、地域統合と開かれた建設的な国際対話へのウズベキスタンのコミットメントを改めて示すものとなる。(原文へ)

INPS Japan/London Post

Original URL: https://londonpost.news/uzbekistan-japan-expanding-the-boundaries-of-strategic-partnership/

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広島からテヘランへ?―「輸入された自由」という戦争タカ派の幻想

【ロンドンLondon Post= シャブナム・デルファニ】

ここ数日、戦争タカ派の声が再び強まっている。臆することなく「トランプによる対イラン攻撃」を語り、それを解放と自由、発展の万能薬であるかのように持ち上げる人々だ。理屈は一見単純である。米国は第二次世界大戦で日本を打ち負かし、爆撃し、無条件降伏を迫った。その後、日本は短期間で経済大国になった。ならば同じ筋書きを、イランでも繰り返せるはずだ―というのだ。

この比較は、単にナイーブなだけではない。歴史の歪曲である。しかも、現実の人命を代償にする政治的ファンタジーでもある。

戦後日本は歴史的な例外であり、輸出できるモデルではない。米国が1945年に占領した日本は、その時点で既に約80年にわたる近代化の道筋を歩んでいた。1868年の明治維新以降、日本は近代的で中央集権的な国家、普遍的な教育制度、効率的な官僚制、職業軍、先進的な産業基盤を築いてきた。敗戦前の日本はアジア随一の工業国だった。戦争には敗れたが、制度が空洞化していたわけではない。壊滅的な打撃は受けた。だが、制度的な土台を失っていたわけではなかった。

米国が「再建」したのは、制度が欠落した空白の上に一から立てた国家ではない。機能する近代国家という基盤の上で、再出発の形を整えたにすぎない。

イランを「日本化」できるという発想の支持者は、しばしば決定的な歴史的文脈を見落としている。日本は1945年当時、白紙の国家ではなかった。結束した国民国家として制度が確立し、産業力を備え、固有の政治文化もあった。米国が日本をゼロから作ったのではない。むしろ米国は、台頭しつつあった冷戦秩序の戦略枠組みの中で、日本の戦後の進路を方向づけたに過ぎない。

日本の復興は利他主義の産物ではない。周到に計算された地政学戦略だった。ワシントンは日本を、アジアにおける資本主義的回復の「見本」として位置づけ、共産主義拡大への対抗軸に据えようとした。巨額の資金援助、長期の安全保障の保証、米市場への優先的アクセスは、民主主義的善意の表現ではなく、イデオロギー競争の道具だった。

ここで根本的な問いが浮上する。今日の地政学的構図の中で、イランは同程度の投資を正当化する位置にあるのか。米国がイランを自らの望む秩序の「ショーケース」に仕立てることを正当化するほどの、圧倒的な地政学的脅威は存在するのか。答えは明確ではない。現代の国際システムは、もはや硬直した二極対立で定義されていない。イランが地域的に重要であるとしても、冷戦期の日本が占めたような超大国対決の最前線という地位にあるわけではない。

米国がイランを「第二の日本」に変えられるという発想は、真剣な政策提案というより、ハリウッド大作の続編の企画書のようなものだ。

さらに、日本は戦後、安全保障を実質的に米国に外注した。軍事支出を抑え、安全保障の保証を受け、その間に生産と輸出に集中した。これに対しイランは、世界で最も不安定な地域の一つに位置し、地域覇権争い、宗派の断層、根深い歴史的不信、国家・非国家アクターの複雑なネットワークが交錯している。比較的制御された安全保障環境にある東アジアの島国と、中東の中心にある国家を比べることは、実験室と地雷原を比べるようなものだ。

そして何より危険なのは、「輸入された自由」という約束である。

米国がイランに自由をもたらせるという主張は、歴史的記憶を意図的に切り落としている。1953年、米英の関与の下で民主的に選出された首相 モハンマド・モサッデク が失脚させられたクーデターは、イランの政治意識に深く刻まれている。石油国有化を断行した政権は「安定」の名の下に排除され、その後、シャー体制が強化された。この出来事は、理念よりも利害が優先されるという国際政治の現実を象徴している。やがて蓄積した不満は イラン革命へと噴出した。

この歴史を踏まえれば、「外部からの介入が自由をもたらす」という物語がいかに脆弱であるかは明らかだ。大国は秩序を設計するが、その設計図は自国の利益に沿って描かれる。自由が生まれるとしても、それは副産物にすぎない。

「日本化」シナリオの支持者は、現代の反例を都合よく無視している。イラク、アフガニスタン、リビア。爆撃と占領だけで先進経済になれるのなら、なぜこれらは失敗したのか。軍の駐留、巨額の資金、体制転換を経たにもかかわらず、なぜ結果は慢性的な不安定、社会の分断、正統性の危機しか生まなかったのか。

答えは明白である。国家建設や国民統合は、爆弾で輸入できない。独立した制度、政治文化、社会契約、国民的結束は、内側からの漸進的なプロセスの産物だ。持続可能な発展は、占領や外部の命令、衝撃からではなく、制度的な秩序から生まれる。

発展は輸入できない。自由は内発的なプロジェクトであり、ミサイルや制裁、侵攻に乗って到来するものではない。社会の力学が動き、エリートが合意に達し、中間層が自立し、経済が依存とレント(利権)追求から解放されるとき、自由は形を取る。外部の「救世主」を前提とするモデルは、結局、依存と正統性の危機を深め、新たな不安定の循環を招くだけだ。

この比較の問題は、楽観か悲観かではない。歪曲だ。日本の歴史を歪め、世界の権力構造を単純化し、発展という複雑な過程を、都合よく包装した幻想へと還元している。ここまで単純化された分析なら、問うべきことは一つである。意図的に何が省かれているのか。

「米国に攻撃させれば、イランは日本になれる」という主張は、政治的勇気でも現実主義でもない。歴史的責任の回避である。発展に既製の公式はない。固有の歴史、アイデンティティ、矛盾を抱えた複雑な社会を、外部の大国が東アジアのコピーへ作り替えることなどできない。大国は自らの利益を追う。仮に安定が生じたとしても、それは副次的な結果にすぎず、目的ではない。

歴史、制度、地政学の文脈を抜きにイランを日本と比べることは、もはや分析ではない。プロパガンダだ。「建設的破壊」という幻想を利用しながら、人間的・社会的コストを脇に追いやるプロパガンダである。

本当の問いは、「イランは日本になれるのか」ではない。なぜ一部の人々が、8000万人規模の社会の複雑さを、幼稚な筋書き――爆撃、降伏、奇跡の発展―へと単純化しようとするのか、である。

歴史はそんなに単純ではない。誰かがそう語るとき、強く問い返さなければならない。この単純化と欺瞞によって利益を得るのは誰なのか。(原文へ)

INPS Japan

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想像力が拓く持続可能な素材革命―竹とノパルが変えるデザインと産業

竹とノパル(ウチワサボテン)の繊維が、工業デザインやファッションなどの分野で、研究者や起業家にとっての持続可能な代替素材になりつつある。

【メキシコシティーINPS Japan=ギエルモ・アヤラ・アラニス】

Guillermo Ayala Alanis
Guillermo Ayala Alanis

「千の用途を持つ植物」とも呼ばれる竹は、食から建築まで幅広い用途を持つ。その多用途性は、世界各地の大学で研究者の関心を集めている。|英語版|スペイン語|

「無人島に取り残され、手元に竹しかなくても、私は幸せだろう」──こう語るのは、メトロポリタン自治大学(UAM)ソチミルコ校舎(UAM-X)で15年以上にわたり竹を研究してきた、デザイン分野の博士(科学・芸術)ホセ・ルイス・グティエレス・センティエス氏である。
「竹はきわめて多用途な植物だ。限界を決めるのは、私たちの想像力だけである」

センティエス氏は竹の活用を、持続可能な開発目標(SDGs)の目標4(質の高い教育)や目標12(つくる責任 つかう責任)などに結び付けて位置付けている。UAM-Xで行われる学際的研究やワークショップを通じ、学生がこの古くからある植物を日用品へと作り変える力を養うことを促している。

    Photo: Bicycle structure. Credit: José Luis Gitiérrez.

「学生は竹を知り、身近な素材として認識し、活用に適した特徴や性質があることを学ぶ必要があります。環境負荷が低いという点も含めてです」と同氏は強調する。「環境の問題は、すでに私たち全員が避けて通れない横断的テーマになっているのです」

講座に参加するのは工業デザインの学生だけではない。他分野の学生も加わり、学際的なつながりを生む場となっている。これまでに、自転車やテーブル、台所用品など実に多様な製品が生み出されてきた。こうした体験は技術力を高めるだけでなく、素材に対する視野を広げ、革新的な可能性を実践の中で具体化していく。

  Photo: Bamboo structure. Credit: José Luis Gitiérrez.

竹はしばしば東アジア文化の象徴として語られるが、植物分類学上はオーツ麦やトウモロコシ、小麦、芝草などと同じイネ科に属する。数センチ程度のものから、約40メートル―12階建ての建物に相当する高さに達する種まで存在し、足場や住宅の建材としても利用されている。

木材の代替となり得る竹の活用は、無秩序な森林伐採の抑制にもつながり、目標15(陸の豊かさも守ろう)の達成にも資する可能性を持つ。

「製品を作るために、これほど多くの樹木を切り倒す必要がなくなる。土壌侵食や森林破壊といった問題を避けられる」とグティエレス氏は語る。「樹木は生態系の一部であり、木を失えば、多様な植物や動物が暮らす生息環境全体を壊してしまいかねない」。

SDGs Goal No. 12
SDGs Goal No. 12

竹の種は世界に約1200ある。アメリカ大陸では米国からチリまで分布し、メキシコには木質の竹が36種、草本の竹が4種存在する。主にコリマ、オアハカ、チアパス、プエブラ、ベラクルスなどの熱帯気候の州に分布し、建設産業向けに竹製品を提供する企業が拠点を置く地域もある。

メキシコでは伝統的に、竹は自生する農村地域で広く利用されてきた。住居の建設をはじめ、工芸品やかご編み、家具、生活用具などに活用されてきたのである。

メキシコ政府によれば、竹―「グリーン・スチール」とも呼ばれる―を用いた低コスト住宅の建設費は、従来の建材を用いた住宅に比べ、最大40%削減できる可能性があるという。

Photo: Room in Playa San Agustinillo, Oaxaca.

また、自然との調和を重視するホテル開発においても、竹の活用が広がっている。

代替素材への関心は竹にとどまらない。ノパル(ウチワサボテン)など他の植物も、研究者とメキシコ産業界の双方から注目を集めている。

たとえばグアダラハラでは、ある企業がノパル繊維に再生PETと綿を組み合わせ、Tシャツやスウェットシャツを製造している。こうした試みは、目標9(産業と技術革新の基盤をつくろう)にも合致する。

Image: T-shirt made from nopal cactus fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.
Image: T-shirt made from nopal cactus fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.

Mayokの営業・マーケティング責任者アルバロ・ルイス・スニガ氏によれば、この計画は環境負荷の低減に貢献したいという思いから4年前に始まり、2年前に製品化した。現在、Tシャツとスウェットシャツは順調に販売されているという。

「私たちは地球に暮らしている。地球に優しくあるべきだ」と同氏は語る。「メーカーにも消費者にも追加コストはかかる。だが最終的には双方に利益をもたらす。こうした特性を持つ製品は、今後少しずつ増えていくだろう。」

メキシコでは、再生素材を用いた衣料品は従来品より25~30%高いことが多い。だが同社は、その価格差は地球環境に資する投資として正当化されると考えている。Mayokは現在、グアダラハラやシナロア、プエルトバジャルタ、メリダに店舗を構え、国内の広い範囲に供給できる配送センターも備えている。

Image: Sweatshirt made from nopal fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.
Image: Sweatshirt made from nopal fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.

ルイス・スニガ氏は、さまざまなデザインや色での仕上がりや耐久性を検証するため、品質試験を重ねたと説明する。着心地を高めるため、生地の質感も調整した。

その取り組みが評価され、メキシコが2026年6月に開催する国際スポーツイベント向けに、スウェットシャツの大口注文を受けることにつながったという。

「私たちは自社製品に自信があります。たとえば大量のスウェットシャツ注文があったが、ワールドカップ向けだと聞いています。デザインを気に入る顧客は出てくるはずです。」と同氏は語った。

国連は、繊維産業が世界の排水の約20%を占め、温室効果ガス排出量の約10%を生み出していると警告している。こうした文脈で、天然繊維や再生PETの活用は、水質汚染の抑制と環境負荷の低減に資する。

SDGs Goal No. 15
SDGs Goal No. 15

メキシコでは、繊維産業が年間に巨額の経済活動を生み出す一方で、大量の廃棄物も排出している。ノパルのような天然繊維や再生PET由来の繊維の利用拡大は、目標12(つくる責任 つかう責任)の理念を社会に根付かせることにもつながる。

大学のワークショップであれ、再生素材に取り組む企業であれ、より持続可能な暮らしへの転換は、個々人の気づきから始まる。

竹とノパルが示しているのは、限界を決めるのは素材ではなく、私たちの想像力だということである。(原文へ)

This artice is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

SDGs for All Banner 1

INPS Japan

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竹の力で気候リスクを軽減

|ジンバブエ|ペットボトルでレタス栽培

暫定政権がバングラデシュにもたらしたもの

BNPは、2024年のGenZ主導の蜂起で長期政権のシェイク・ハシナ首相が退陣してから18か月後の金曜日、議会選挙で地滑り的勝利を収めた。

【ダッカ/カトマンズ=ファルハナ・スルタナ】

バングラデシュは驚くべき成果を成し遂げた。2月12日、観測筋が「この10年以上で初めて真に競争的な国政選挙」と呼ぶ選挙で、数百万人の有権者が各選挙区の数千に及ぶ投票所に列をつくった。多くの人々にとって、2008年以来初めて「意味のある一票」を投じる機会となったのである。

選挙が実施され、観察者と市民の双方が「概ね平和で整然としていた」と評するだけの手続き上の信頼性を伴い、予定通り行われたのは偶然ではない。

それは、危機に陥った国家を引き継ぎ、民主的再生へ導く責務を負った暫定政権が、18か月にわたり積み重ねてきた努力の成果である。

バングラデシュが新たなページをめくるこの局面で、ユヌス博士の政権が18か月で何を成し遂げ、どこに課題を残したのかを率直に点検する価値がある。

文脈は極めて重要である。2024年8月5日、学生主導の革命を経て(その過程で1,000人以上が命を落とした)、シェイク・ハシナは国外へ逃れた。国は単に「政権の空白期」にあったのではない。急速な崩落の只中にあった。

警察は大半が持ち場を放棄し、複数の地区で暴力が噴出した。銀行部門は、政治主導の融資が長年積み上げた不良債権に蝕まれていた。司法、官僚機構、選挙管理委員会、主要な規制当局は、いずれも15年にわたり、特定政党の利害に体系的に従属させられてきた。

ユヌス博士と助言チームが引き受けたのは、「機能する国家が暫定的な管理者を待っている」状況ではない。再建を要する制度の荒廃であった。

その後に続いたのは、制度を立て直す期間である。不完全さはあったとしても、この取り組みは評価に値する。

改革プロセスは、暫定政権にとって最も重要な取り組みであった。憲法設計、司法、警察、メディア、労働、女性の権利などを対象に、11の委員会が設置された。提言は整理・統合され、政党を交えた7か月にわたる全国放送の協議を経て、「7月憲章」としてまとめられた。これは84項目の改革提案パッケージであり、約24の政党が支持した。

二大勢力のゼロサム対立に特徴づけられてきた同国の政治文化を踏まえれば、これほど長期にわたる多党協議は近年ほとんど前例がない。憲章が不完全であっても、制度再設計をめぐって幅広い合意形成を試みた努力は、形式にとどまらず実質を伴うものだった。

選挙の制度と運営にも、制度整備の成果が表れた。選挙管理委員会は再編され、有権者名簿は刷新された。さらに在外バングラデシュ人の参加を可能にするため、郵便投票が初めて導入された。

欧州連合(EU)やコモンウェルス、国際選挙監視団体などからの代表団を含む約500人の国際監視員・記者が登録された。選挙管理委員会は全国投票率が60%を超えたと報告している。ハシナ政権下の直近3回の総選挙が自由・公正を欠くとして広く疑問視されてきたことを踏まえれば、これは質的転換である。

経済と外交の面でも、暫定政権は厳しい環境を切り抜けた。

バングラデシュ統計局によれば、2025年末にかけてインフレ率は低下した。ただし政府目標をなお上回り、家計を圧迫し続けた。為替制度改革は外貨準備高の安定化に寄与した。

Donald Trump/ The White House
Donald Trump/ The White House

外交面の実績はむしろ際立った。トランプ政権が2025年4月、バングラデシュ製品に37%の相互関税を課した際、暫定政権は8月までに税率を20%へ引き下げる交渉をまとめた。さらに選挙のわずか3日前、ワシントンと正式な相互貿易協定に署名し、税率を19%へ一段と引き下げた。特定の繊維・アパレル輸出については無関税でのアクセスも盛り込み、バングラデシュは南アジアで初めてこの種の協定を最終合意した国となった。

日本との経済連携協定(EPA)では、バングラデシュ製品の数千品目について無関税待遇を確保した。

ユヌス博士の2025年3月の北京訪問では、投資・融資・助成として20億ドル超を引き出し、河川・水管理の長期マスタープラン策定に関する中国側の関与も取り付けた。

国際社会の注視から自らを遠ざけてきた時期を経て、再び世界に門戸を開いたこと自体が、実質的な外交成果であった。

制度面では、政府発表によれば、暫定期間中に約130の法律が制定または改正された。国税庁(National Board of Revenue)はいったん解体されたうえで再編された。バングラデシュは「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」に署名した。前政権が拒んできた一歩である。

調査委員会は、ハシナ政権下の強制失踪について1,600件を超える申し立てを記録した。国家予算は2008年以来初めて生中継で公表された。

ただし、この期間を失敗のないものと捉えることはできない。治安は終始脆弱であった。記者への対応は国際的な報道の自由団体から批判を受けた。女性は経済的損失を不均衡に負担した。少数者の権利も課題として残った。若年失業は高止まりした。マクロの安定化は、何百万人もの家計にとって実感できる救済にはつながらなかった。

これらは現実の失敗であり、軽視できない。

それでも強調すべきは、暫定政権の基本姿勢である。この政権は、自らの使命を移行期の「修復」と位置づけ、権力の固定化を図らなかった。

Muhammad Yunus photo credit: Katsuhiro Asagiri.
Muhammad Yunus photo credit: Katsuhiro Asagiri.

ユヌス博士は就任時84歳で、革命を主導した学生リーダーの要請を受け、この役割を引き受けた。政治的野心からではない。相当の個人的犠牲を払いながらも、自由で公正な選挙の実施を約束し、それを果たした。日程は事前に示され、選挙は実施され、政権は退く準備を整えた。

民主的移行がしばしば頓挫し、指導者が「非常事態」を口実に任期延長や憲法操作に踏み込む例も少なくない地域において、自らの後継を生む仕組みを整え、実際に一歩身を引く政府は稀である。その点で、この移行が持つ意味は小さくない。

選挙が終わったいま、バングラデシュは政治の一章を閉じ、次の章を開いた。暫定政権の時代は終わり、選挙で選ばれた統治の時代が始まろうとしている。

今後は、次期議会でいかなる連立が形成されるか、その能力と意思、そして市民と市民社会が政府に説明責任を求め続ける力に左右される。

改革の枠組み、再編された選挙制度、7月憲章、回復した外交関係は、完成された成果ではない。次の政府が積み上げ、強化することも、放置することもできる「開かれた可能性」である。

多くのバングラデシュ人にとって、この選挙は、異例の章の終わりでもある。ノーベル賞受賞者が市民社会から招かれ、国家の再出発を監督するという展開が現実になったからである。

移行期の指導者が感謝されて去ることは稀だが、ユヌス博士はそうした別れを受けている。期間が完璧だったからではない。約束した形で移行を終えたからである。

博士と助言チームは、機能不全に陥った国家を引き受け、重要だが未完の修復作業を進めた。信頼できる選挙を実現し、多党間の改革合意を築き、国内の強い政治圧力の下で外交・経済の不安定局面を乗り切った。国が、多くの人々が恐れた破局的な混乱へ転落する事態を回避した点も見逃せない。

ユヌス博士は無謬ではない。しかし、その姿勢は一貫して説明責任と合意形成、そして「7月革命を起こした人々の民主的権利」に向いていた。

博士とチームは次へつなぐ土台を残した。支配ではなく対話を、布告ではなく協議を優先した。便宜よりも倫理的責任を重んじる公共奉仕のあり方を示したのである。

Location of Bangladesh
Location of Bangladesh

私は、グローバル・サウスの各地で、統治、権力、日常生活を形づくる構造要因を研究してきた。民主的移行がいかに脆いかを知っている。民主的移行は、成功よりも失敗が多い。

次の政府が引き継ぐ課題は巨大である。回復がようやく始まったばかりの経済、部分的にしか実装されていない制度改革、権威主義支配と革命的激動のトラウマを抱え続ける社会、そして継続する環境課題――。経済・政治・社会・生態の難題は相互に絡み合っている。

多元性と説明責任の空間が拡大するのか、縮小するのかは、改革がどう運用されるか、そして市民社会が透明性をどれだけ粘り強く求め続けるかにかかっている。

2024年7月と8月に街頭を満たした勇気は、いま、投票という形で表出した。その民主的エネルギーを持続する制度へ転化する作業は、数か月ではなく数年を要する。

担うのは新政府、市民社会、そして一人ひとりの市民である。選挙と国民投票は一定の手続き上の正統性を回復した。しかし、より難しい課題は、その正統性を日々の統治に埋め込むことである。

私たち全員に責任がある。建て直し、新たな指導者に説明責任を求め、7月の殉教者たちの犠牲が無駄にならぬようにする責任である。

バングラデシュは転機を越えた。ここからどこへ向かうかは、私たち次第である。(原文へ)

ファルハナ・スルタナ(シラキュース大学マクスウェル公共政策大学院/地理学・環境学教授)

※COUNTERPOINTに掲載された原文を許可を得て転載。

INPS Japan

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亡命先で花開くミャンマー人の反軍政抵抗運動

【タイ・チェンマイIPS=ガイ・ディンモア】

建設現場やホテル、飲食業で働く人々まで―タイに住むミャンマー移民の数は最大で約600万人に達するとの推計もあり、2021年の軍事クーデター以降、新たな流入が急増している。

Map of Thailand
Map of Thailand

多くは、国連が世界の上位15の「巨大都市(メガシティ)」の一つに数える首都バンコクで新たな生活を築いている。タイ経済が、安価な労働力の供給源としてミャンマー人労働者を大量に受け入れてきたためだ。

しかし、ミャンマーの知識人や活動家、元戦闘員、さらには軍からの離反者(脱走兵)を数多く引き寄せてきたのは、タイ北部の都市チェンマイである。彼らは、ミャンマー国内で軍政と闘う人々を支える「亡命下の抵抗運動」の中核を形づくっている。

タイとミャンマーの社会は、長いあいだ文化的・社会的なつながりを共有してきた。1558年、チェンマイのラーンナー王国はビルマ(ミャンマー)のタウングー朝の支配下に入り、その統治は2世紀以上続いた。同王朝は、最盛期にはインドから中国、さらにカンボジアにまで勢力を広げていた。

近年、チェンマイはミャンマー亡命者の拠点として定着してきた。 1988年、学生主導の抗議運動が軍に弾圧された後、再結集のために避難してきた人々が最初の流入となった。いまでは、2021年のクーデターで追放された選挙選出議員らが樹立した「国民統一政府(NUG)」の幹部も、出入りしている。

しかし、観光客に愛され「タイで最も美しい都市」とも称されるこの街でも、穏やかな表情の陰で、 法的に不安定な立場に置かれた移民や活動家の暮らしは、決して容易ではない。

以下、亡命者の一部がIPSに語った、個人の経験、苛烈な内戦下でのしなやかな抵抗、そして未来像である。

August Mo*. Credit: Elizabeth Haines/IPS

アウグスト・モー*(LGBTQ活動家、元受刑者、雨季の豪雨の中で生まれた)
「私は刑務所で6か月過ごした後、チェンマイに来ました。政治活動で逮捕歴があり、軍に抗議する『スプリング・レボリューション』に加わって資金集めに携わり、モン州では戦闘にも参加しました。私は芸術家で、肖像画や風景を描き、その収入で難民支援をしています。私たちの村は軍に焼き払われ、逃げるしかありませんでした。

私は検問所で兵士に拘束されました。刑務所はひどく、恐怖そのものでした。施設には3つの区画があり、男性、女性、そして性的少数者(LGBTQ)の区画です。私はその区画に送られました。毎日午後6時になると、看守から性的行為を強要されました。これ以上は話したくありません。コンドームも薬もなく、感染症への不安が常につきまといました。私はチェンマイで検査を受け、結果は陰性でした。私たちは看守の支配下に置かれ、奴隷のように扱われました。食事は虫やウジの混じったほうれん草で、病気になっても治療はありません。房には14人が押し込められていました。」

Jail Source:HRW
Jail Source:HRW

「刑務所にはハエや蚊、ゴキブリ、ウジがあふれていました。トイレはありません。用を足したくなれば隅で済ませ、翌朝それを回収して肥料にするのです。

軍にコネのある友人が助けてくれ、約2500米ドルを支払って釈放されました。母は家を売り、私がチェンマイに来られるようにしてくれました。私はここで稼ぎ、家族と、もう一つの家族であるスプリング・レボリューションの仲間に送金しています。

私たちは戦争を望んでいない。平和がほしい。でも、彼らのやっていることは非人間的です。兵士は洗脳され、戦うために薬物を使わされている。正気を失い、善悪の判断もつかない。薬が欲しいだけで、軍が戦わせるために薬を与えている—私はそう感じています。」

「クーデター前は、LGBTコミュニティも少しずつオープンになり始めていました。でも、クーデターでその流れが止まりました。チェンマイでは今月、『LGBT・ミス・フリーダム』コンテストの司会を務めました。声を上げて、世界に伝えたいのです。私たちは戦争ではなく平和を望んでいる、と。

私はミャンマーの大学で原子核物理学を教えていました。国の状況が良くなれば、また教えたい。

[アウグスト・モーは、ミャンマーのチャット紙幣の小さな束を取り出した。]
「戦争で亡くなった友人が私に残したものです。3300チャット(1米ドル未満)。形見として持っています。」「(サムスンの携帯電話を見せながら)これは別の友人のものです。戦争で殺害されました。私は絶対に売りません。この戦争は、どちらかが勝って終わる形にはならないと思います。私たちは正義のために闘っている。勝ちたいと願っています。正義が実現したら、闘いをやめます。私たちが求めているのは、平和と正義、そして人間性です。」

Ngaing Tun Aung*. Credit: Elizabeth Haines/IPS

ナイン・トゥン・アウン*(抵抗側に離反した軍人)
「私はマンダレーの軍事訓練学校で大尉でした。この戦争は正しくない——そう理解するようになり、兵士として私にできることは離反しかありませんでした。それが抵抗を支える唯一の道だと思ったのです。逮捕の危険があったので、計画は友人にも一切話しませんでした。

SNSを通じて市民不服従運動(CDM)の関係者に連絡し、『Mother’s Embrace』がタイ国境の町メーソートへのルートを用意してくれました。マンダレーを出て、バスとバイクで移動し、最後はモエイ川の国境を越える不法越境のボートでした。私は他の人々と一緒に行動しましたが、互いの素性は知りませんでした。メーソートに6か月滞在した後、チェンマイに移りました。いまはミャンマー国内からの情報を検証する組織で働き、難民に食料や資金を届けています。

私の見方では、この戦争はどちらも決定的には勝てません。軍はロシア、中国、ベラルーシから公式に武器を調達できますが、抵抗側は同じことができず、より高い代償を払わねばならない。中国が供給を絞っているため、弾薬が尽きかけている抵抗部隊もあります。情勢を左右するのは中国だと、私は見ています。」

「戦争は長期化するでしょう。抵抗組織は数が多い一方で、十分に統一できていません。軍はその弱点につけ込んでいます。小規模な抵抗グループの中には、検問所で武器をちらつかせて通行人から金銭を取ったり、身代金目的で人を誘拐したりする例も出ています。

私は自分がCDM側の元兵士だとは人に言わず、目立たないようにしています。身元が漏れるのが怖いからです。私がしているスナック販売の仕事も、制度上は問題があります。許可証では建設労働者として登録されているのに、実際は別の仕事をしている。密告されれば、家族が危険にさらされかねません。」

Sakura*. Credit: Elizabeth Haines/IPS

サクラ*(軍政の悪名高い指名手配リストに載る人物)
「私が最初に離反を支援したのはDでした。私はそれ以前から、携帯電話やノートパソコン、衣類など、離反者に必要な物資をミャンマー国内で届けていました。その後、シンガポールにいる支援者から資金提供を受け、友人の弟を離反させたいという相談を受けて、私が移動の手配をしました。

ただ、彼がどんな技能を持っているのかは分かりませんでした。階級は大尉でしたが、こちらで見つけられたのは清掃などの単純な仕事ばかりで、与えられた仕事は何でも引き受けました。同胞の中には彼を疑い、ひどく扱う人もいて、私は胸が痛みました。

2人目は警察の離反者で、私は移動から生活まで、すべての手配を担わなければなりませんでした。Dは飲食店で昇進し、後から入ったスタッフに声をかけて合流させました。警察の離反者も友人をつくりました。私は人と人をつなぎ、ネットワークをつくろうとしてきました。

ただ、いつもうまくいくわけではありません。ジェイソンは戦闘員で攻撃的で、店の他のスタッフに嫌がらせをするようになった。離反者はその後も増え、少佐が来たこともあります。」

「離反者は、周囲から信頼されにくく、密告者やスパイではないかと疑われることがあります。だから私は、同じ背景を持つ人たち同士がつながれるよう、ネットワークづくりを手伝っています。安心して打ち明けられる存在でありたい。56歳の人もいて、私よりずっと年上なのに、私が世話をしているので、いつも私のことを『ママ』と呼びます。

ミャンマーでは、クーデターから数か月後に『Force for Federal Democracy』に参加し、薬や物資の資金集めを手伝いました。上着を200着送ったこともあります。時には『Free Burma Rangers』からマラリア薬を入手することもありました。人民防衛隊(PDF)向けの資金集めにも、何度も関わりました。

「クーデターから2か月後の国軍記念日、兵士がデモ隊に発砲し、100人以上が殺されました。その日、ヤンゴンで従兄弟が逮捕されました。私は2ブロックほど離れた場所にいて逃げることができました。それ以来、政治犯に食料支援物資を届ける活動を始めたのです。」

「将来ですか? ヨーロッパかどこかのビザを申請しようと思っていましたが、いまは一人でできる自信がありません。チェンマイでできるだけ自力で暮らしています。プロジェクトの仕事をもっと見つけたい。タイのビザ制度は複雑になり、入国管理当局も厳しくなっています。

子どもの頃、祖母はもち米とココナツとジャガリー(粗糖)をバナナの葉で包んで蒸した『モン・ペッ・トック』をたくさん作りました。私たちや近所の人たちが集め、僧侶に配るのです。僧侶は家に来て、感謝として仏教の教えを語ってくれました。私は今もチェンマイでそれを食べるのが好きです。家は雨季の豪雨で2度浸水し、服をたくさん失いました。

ミャンマーに戻って自分の旅行会社を立ち上げたい。でも、それがいつ可能になるのか分かりません。」

Htet Myat Phone Naing. Credit: Elizabeth Haines/IPS

テット・ミャット・ポーン・ナイン(大学生、ソー・モー・ナインの息子)
「私の家族はエーヤワディ川沿いのピェー出身です。父のソー・モー・ナインは、無料の葬儀サービスや医療支援、酸素の確保、輸血用の血液提供などに取り組む、よく知られた実業家で慈善家でした。町で広く知られており、クーデター前はNLD(国民民主連盟)政権とも協力していました。コロナ禍は大変でした。父は、軍政の手配リスト——当局が『影響力のある人物』とみなす人々——に載りました。軍はピェーで若い抗議者2人を殺害し、私たちは無料葬儀サービスを提供しました。2人の墓碑には『革命の殉教者』と刻まれ、町中の人が集まりました。

父は逮捕され、運送業と関連団体は閉鎖されました。父は家族との面会を求め、その機会に逃げました。川を渡り、船で移動しながら10日間身を隠しました。しかし、知られた存在であることがかえって足かせとなり、ヤンゴン近郊へ移りました。

その後、警察が再び家に来ました。私は『まだ17歳で、軍のパイロットになりたい』と言いました。彼らは私を空軍基地に招きましたが、私たちは代わりにヤンゴンへ向かいました。今なら笑えますが、当時は本当に怖かった。

ピェーにはもう何も残っていません。軍がすべて押収しました。だから名前は出して構いません。失うものは何もありません。」

Soe Moe Naing. Credit: Elizabeth Haines/IPS

「父はヤンゴンのアパートで何か月も身を潜め、孤立のために精神的に不調をきたしました。そこで母は、気を紛らわせる工夫で父を支えました。箸とつまようじを買い、父はエッフェル塔の模型を作りました。時間を忘れて没頭するうちに、父は心の健康を取り戻したのです。ヤンゴンにはエッフェル塔を2つ残し、父はメーソートで3つ目を作って、資金集めイベントのチャリティー抽選会に出品しました。父はいま、ティッシュ箱やペン立てなどの注文もこなし、母の店では接客もしています。絵も描き、逃亡中にはオンラインのデッサン講座も受けました。講師は、同じく逃亡中だったCDMの教師でした。

私はメーソートのミャンマー移民向け私立学校に通い、チェンマイで卒業しました。その後、米国に登録されたオンライン大学『パラミ』に出願し、2023年に全額奨学金で合格しました。4年制の学士課程で統計学とデータサイエンスを学んでいます。母はピェー料理の屋台を営み、地元の特製ライスサラダを売っています。地元では有名です。

私たちの将来は不確かです。オーストラリアに庇護申請をしました。新しい場所で新しい人生を始めるのは簡単ではありません。しかし、ここでは人が人を助け合う連鎖が生まれました。」

*印は身元保護のため、話者が選んだ名前である。(原文へ)

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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アフガン国境で緊張激化、パキスタンが反撃

【イスラマバード/カブールLondon Post】

パキスタン治安部隊は2月26日、係争地の国境線デュアランド・ライン沿いで、アフガニスタン側から「一方的な発砲」と越境攻撃があったとして、当局が「強力かつ抑制的な対応」と表現する対処に出た。

衝突は、パキスタンがアフガン国境付近で、テヘリケ・タリバン・パキスタン(TTP)の武装勢力キャンプとみられる拠点に対し「精密空爆」を行った数日後に起きた。イスラマバードは、空爆は国内で最近急増している襲撃の実行勢力を標的にしたものだと説明している。

Map of Afghanistan
Map of Afghanistan

アフガニスタン当局は、報復作戦を開始し、パキスタン軍の哨所(前哨拠点)を制圧したと主張した。これに対しパキスタン側は、主張は根拠がないとして強く否定し、いかなる軍の拠点も陥落していないと確認した。

情報相は、衝突でパキスタン兵2人が死亡し、3人が負傷したと明らかにした。さらに、治安部隊はアフガン側の武装勢力に相当の損害を与えたとし、パキスタン側に大規模な損失が出たとのアフガン側の主張や、要員が拘束されたとの見方を否定した。

「一方的な発砲に対し、パキスタンは強力かつ的確に対応している。」タラル情報相はこう述べ、領土防衛のための措置を継続すると強調した。

パキスタン当局によると、アフガン側から発射された迫撃砲弾が国境沿いの集落に着弾したが、民間人の死傷者は報告されていない。予防措置として、影響地域の住民は安全な場所へ避難したという。

緊張の再燃は、日曜日に実施されたパキスタン軍の航空作戦を受けたものだ。軍は、TTPに関連する武装勢力少なくとも70人を殺害したとしている。イスラマバードは以前から、TTPがアフガニスタン国内に安全な拠点を確保して活動していると非難してきたが、カブールとTTPはいずれも否定している。

パキスタン外務省報道官のタヒル・アンドラビ氏は、先の攻撃は「精密作戦」であり、武装勢力による暴力が激化する中で実施したと説明した。同氏は、越境の脅威から国民を守るため、パキスタンは対処を継続する考えを示した。

パキスタン国内の武装攻撃は近年急増しており、当局はその多くをTTPと、非合法化されたバルチ分離主義武装勢力によるものだとしている。パキスタン政府は、アフガン領が攻撃の拠点として利用されないよう阻止することをアフガン政府に繰り返し求めてきた。

カタールの仲介による停戦でここ数カ月は緊張が和らいだものの、全長2611キロの国境線では散発的な事件が続いている。過去の協議も恒久的な解決には至らなかった。

双方が非難を応酬するなか、パキスタン当局は、自国の行動は防衛的かつ限定的であり、紛争の拡大ではなく武装勢力への対処を目的としていると改めて強調している。

「パキスタンは、領土保全と国民の安全を確保するために必要なあらゆる措置を取る。」情報省はこう述べ、国境地帯の安定は、地域で活動する武装勢力に対する実効的な措置にかかっているとの立場を示した。(原文へ)

INPS Japan

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第3回協議:イラン、ジュネーブで包括的提案を提示 核合意への真剣姿勢を示す

【ジュネーブLondon Post】

イラン当局者によると、イランは水曜日、オマーンの仲介でジュネーブで開かれた第3回の間接核協議で、米国側に一連の提案を提示した。

テヘランは、この提案について、イランの平和的核開発計画をめぐってワシントンが提起してきたすべての「口実」に対応するものだと説明している。提案は、今月行われた3回の協議すべてを仲介してきたオマーンのバドル・ビン・ハマド・アル・ブサイディ外相を通じて、米国代表団に伝達された。提案の詳細は、いずれの側からも明らかにされていない。

今回の協議は、イランの核活動をめぐる長年の対立を解決し、制裁解除への道筋を探ることを目的としている。地域情勢が緊迫するなか、さらなるエスカレーションを回避するための外交努力が続けられている。

イラン代表団は、アッバス・アラグチ外相が率いており、同外相は水曜日にジュネーブ入りした。協議に先立ち、アラグチ氏はオマーン外相と会談し、核制限と制裁解除の双方を含む将来の合意に向けたテヘランの立場を説明した。

スイスへ出発する前にインドのニュース番組「India Today」のインタビューに応じたアラグチ氏は、ワシントンとの間で「公正で、均衡が取れ、対等な」合意を実現することはなお可能だと述べた。一方で、外交プロセスに影響を与えることを狙った憶測に基づくメディア報道には警戒感を示した。

米国代表団はスティーブ・ウィトコフ特使が率い、ドナルド・トランプ前大統領の娘婿であるジャレッド・クシュナー氏も参加している。アル・ブサイディ外相は、正式協議に先立ち、米国側代表とも会談した。オマーン外務省によれば、協議では技術的問題や監視体制のほか、米国側の懸念、将来の合意に関連する保証措置についても詳細に話し合われた。

イラン外務省のエスマイル・バガエイ報道官は、代表団には核科学、制裁、法律、経済の専門家が含まれていると述べ、イランが継続的な交渉に備えていることを強調した。また、イランは「必要な限り」協議を続ける用意があると付け加えた。

イラン国営メディアは、米国が今回の提案を拒否すれば、外交に対する米国の真剣さをめぐるテヘラン側の疑念が一段と強まることになると報じた。

米イラン間で長年にわたり仲介役を担ってきたオマーンは、協議の雰囲気について、真剣かつ建設的だったと説明し、双方の代表団に新たな案を模索する意思が見られたと指摘した。

今回の協議は、これまでマスカットとジュネーブで行われた協議に続くもので、相互不信が根強く残るなかで開かれた。テヘランは、自国の核開発計画は厳格に平和目的であると主張している。一方、ワシントンは、核兵器化へのいかなる動きも防ぐため、検証可能な保証を引き続き求めている。

火曜日には、アラグチ氏がジュネーブでアル・ブサイディ外相と90分間会談した。国際原子力機関(IAEA)のラファエル・マリアーノ・グロッシ事務局長も同日、オマーン外相と会談し、交渉に関連する技術的側面について協議した。(原文へ)

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|視点|トランプ・ドクトリンの背景にある人種差別主義と例外主義(ジョン・スケールズ・アベリー理論物理学者・平和活動家)

核秩序が揺らぐなか、ラテンアメリカは『非核』59年を迎える

OPANAL加盟国は、いかなる主体であれ、いかなる状況であれ、核兵器を二度と使用しないよう求めた。さらに、世界には約12,241発の核弾頭が存在すると強調した。
Guillermo Ayala Alanis
Guillermo Ayala Alanis

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アヤラ・アラニス】

ラテンアメリカ・カリブ海を「非核兵器地帯」とするトラテロルコ条約が、59周年を迎えた。世界各地で地政学的緊張と武力紛争が続き、科学者らが「終末時計」を「核による破局まで85秒」に進めるなかでも、その原則は揺らいでいない。|英語版|スペイン語|

2月14日に発表された声明で、ラテンアメリカ・カリブ海核兵器禁止機関(OPANAL)の33加盟国は、現下の国際情勢と国際秩序の再編に深い懸念を表明し、核兵器国による核兵器使用のリスクが高まっていると警告した。

Dr. María Cristina Rosas

加盟国は、「いかなる主体であれ、いかなる状況であれ、核兵器が再び使用されることはあってはならない」と訴えた。世界には約12,241発の核弾頭が存在し、その多くが高い即応態勢に置かれていると強調した。

メキシコ国立自治大学(UNAM)で国際関係学・ラテンアメリカ研究の博士号を持つマリア・クリスティーナ・ロサスは、トラテロルコ条約には、核兵器を国際システムにおける「生存の担保」とみなす発想そのものを断ち切る重要性を、世界に改めて思い起こさせる力があると語る。

「戦術核であれ戦略核であれ、核兵器が一度でも使用された日、私たちは後戻りできない閾値を越える。すべてが終わる―。」ロサスはこう述べた。あわせて同条約の起草を主導したアルフォンソ・ガルシア・ロブレスの言葉を引き、「国際安全保障を促進する最良の道は軍縮である。」と強調した。

新OPANAL事務局長が直面する課題
 María Cristina Rosas and her students visiting OPANAL headquarters.

OPANAL事務局長にフアン・カルロス・オルテガ・ビグリオネ大使が新たに就任し、同機関は複数の課題に直面している。たとえば、核軍縮を国際アジェンダの中心に改めて据え直すことだ。米国とロシアが、自国の利益が脅かされると判断すれば核兵器の使用もあり得るとの言及を強める状況では、なおさらである。

国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」によれば、世界の核兵器の約90%は米国とロシアが保有している。

もう一つの大きな課題は、核保有国に対し「消極的安全保障(ネガティブ・セキュリティ・アシュアランス)」へのコミットと遵守を求めることである。核兵器を持つ国が、非核兵器国を核で威嚇したり攻撃したりしないという保証だ。ドナルド・トランプのように、米国の安全保障や防衛への脅威だと見なせば核兵器使用を排除しない指導者がいる現状では、この点はいっそう重みを増す。

この理屈に異を唱え、ラテンアメリカ・カリブ海地域は核兵器で他国を威嚇していない以上、核によって威嚇される理由もない―その点を明確にすることが重要だ。」多国間主義や軍縮を専門とするロサスはINPS Japanの取材に対してこう語った。

ラテンアメリカは「トランプ政権の作戦拠点」になったのか
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.

米国がコロンビア、キューバ、メキシコなどに対する政策を厳格化し、より強硬な局面ではベネズエラをめぐって軍事的手段も辞さない姿勢を示してきたことに触れつつ、ロサスは、ラテンアメリカとカリブ海が「トランプ政権の作戦拠点になった。」との見方を示す。ベネズエラ産石油の確保やパナマ運河をめぐる対処、ハビエル・ミレイ政権下のアルゼンチンとの関係などを通じて利益を得る一方で、中国の地域内での存在感を弱めたという。

さらにロサスは、地域の結束の欠如が利用され、米大統領の利益拡大につながってきたとみる。
「地域は分断され、私たちは呆然として対応できない。トランプは脅しの局面で関税を非常に効果的に使ってきた。『言うことを聞かなければ関税を課す』と言い、実際に課す。国々を分断するのがうまい。これは認めねばならない。彼は二極化させ、分断し、脅す」。

Claudia Sheinbaum Source: Wikimedia Commons.
Claudia Sheinbaum Source: Wikimedia Commons.

国連などの多国間枠組みにおいても、OPANALは軍縮を前進させるうえで重要な役割を担う。具体的には、4月27日から5月22日までニューヨークで開催予定の第11回核不拡散条約(NPT)運用検討会議、ならびに同じくニューヨークで11月30日から12月4日まで予定されている核兵器禁止条約(TPNW)第1回運用検討会議などが挙げられる。

トラテロルコ条約59周年に合わせ、メキシコ政府は、同条約が「諸国民の平和に向けた大きな一歩」として国際社会に広く認められていることを改めて強調した。メキシコのクラウディア・シェインバウム大統領は、トラテロルコ条約を同国外交の重要な柱の一つと位置づけ、メキシコが今後も世界の平和構築に積極的な役割を果たし続けるとの考えを示した。

トラテロルコ条約に対するラテンアメリカ・カリブ海諸国の妥当性とコミットメントは、発効から約60年を経たいまも、この種の兵器体系の廃絶が、実行可能な政治決定であることを示している。同地域の実績は、すでに他地域で設けられた4つの非核兵器地帯、ならびに「核兵器のない領域」としてのモンゴルと併せ、核という大量破壊兵器を前提としない集団安全保障が可能だという考えを補強している。(原文へ)

This artice is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

SDGs for All Banner 1

INPS Japan

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5年を経て、核兵器禁止条約は世界に何をもたらしたのか

|視点|”核兵器禁止条約: 世界を核兵器から解放する道”(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長)

カラトヤ

【ボグラ(バングラデシュ)IPS】

かつて北ベンガルの命綱であったバングラデシュのカラトヤ川は、いまやボグラの街を、分断され汚染された水路として静かに流れている。気候変動と人為的な放置が、地域の生計や記憶、日常生活を静かに書き換えつつある。

ボグラの中心部を流れるカラトヤ川には、長年にわたる衰退の痕跡がはっきりと刻まれている。かつて北ベンガル有数の水運路だった川は、いまでは川幅が狭まり、水がよどみ、ごみが目立つ。水面は穏やかに見えても、危機は根深い。本短編ドキュメンタリーは、気候変動による負荷、市街地の拡大、汚染、そして流れの分断によって姿を変えたカラトヤ川を、風景であると同時に、人々の暮らしに根差した存在として見つめる。

Location of Bangladesh
Location of Bangladesh

乾季が長期化し、降雨が不規則になるなかで、川が本来備えていた回復力(自浄作用)は失われつつある。農民は灌漑に苦しみ、かつて漁で生計を立てていた人々は職を失い、都市住民は排水路と化した川のそばで健康被害のリスクと隣り合わせに暮らしている。本作は統計ではなく、静かな映像と個人の記憶を通して、川が日常からゆっくりと姿を消していくときに生じる喪失を見つめる。

近年の浚渫事業は一時的な改善をもたらしているが、本作はより根源的な問いを投げかける。共同体としての継続的な手入れと責任がなければ、川は存続できるのか―。

【監督プロフィール】
モハンマド・ロウフェル・アハメド(1997年生まれ)とモハンマド・サディク・サロワール・スナム(2007年生まれ)は、バングラデシュ・ボグラ出身の新進の映像作家である。ロウフェルはアジズル・ハク政府カレッジ(Government Azizul Haque College)社会学修士課程(MSS)の学生で、映画、芸術、写真に強い関心を持つ。サディクはTMSS School and Collegeの高校最終学年に在籍し、創造的な学びや新しい経験に意欲を示している。両名は、ドキュメンタリー映画監督・写真家モハンマド・ラキブル・ハサンの指導のもと、ボグラ国際映画祭が主催したドキュメンタリー制作ワークショップに参加・修了。同ワークショップを通じて、環境変化と地域の物語をテーマにした初めてのドキュメンタリー作品『Karatoya』(2026年)を制作した。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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ガンビア最高裁、女性器切除禁止法の合憲性を判断へ

【バンジュル、ガンビア=ジュリアナ・ンノコ】

ガンビアの最高裁判所は、女性と少女を女性器切除(FGM)から守る法律が、同国憲法に適合するかどうかを審理している。FGMはガンビアで広く行われてきた慣行で、少女が押さえつけられた状態で性器の一部が切除され、場合によっては傷口が縫い合わされることもある。

FGMは国際人権法上、拷問および残虐で非人道的または品位を傷つける取り扱いに当たる。死に至る危険があるほか、感染症、出産時の合併症、胎児死亡、心理的影響など、生涯にわたる健康被害を引き起こし得る。最高裁の判断は、女性と少女がこうした有害な慣行から引き続き守られるのかどうかを左右する。

宗教指導者らと国会議員の一部は2024年、議会で2015年制定のFGM禁止法の撤廃を試みたが、実現しなかった。彼らは次に争点を最高裁へ持ち込み、禁止法は文化や宗教の自由など憲法上の権利を侵害すると主張している。これは西アフリカの一国に限った問題ではない。女性の権利をめぐる国際的な揺り戻しの一環であり、女性と少女をジェンダーに基づく暴力から守ってきた長年の進展を後退させかねない。

African Continent/ Wikimedia Commons
African Continent/ Wikimedia Commons

世界保健機関(WHO)は、FGMに医学的な必要性はないとしている。医療従事者が行う、いわゆる「医療化(メディカライゼーション)」であっても、人権侵害であることに変わりはない。場所や施術者が誰であれ、FGMが安全になることはない。

それでも、FGMを受けた女性と少女は世界で2億3000万人を超える。生存者の約63%(1億4400万人)はアフリカに集中している。ガンビアでは2020年、15〜49歳の女性の約4分の3がFGMを受けたと回答し、そのうち約3分の2は5歳未満で施術を受けていた。これは抽象的な人権問題ではなく、何百万人もの女性と少女に生涯にわたり影響を及ぼす公衆衛生上の危機である。

FGMは、女性と少女が最高水準の健康を享受する権利や身体の安全、さらには生命の権利を侵害する行為である。FGMを受けた女性は、出産時の合併症や慢性的な感染症、心理的外傷などに苦しみ、場合によっては命を落とすこともある。2025年8月には、生後1か月の女児がFGM後の出血により死亡したと報じられた。

2015年の禁止法は大きな前進だった。ガンビアは、FGMが健康、身体の安全、拷問からの自由といった基本的人権を侵害する行為だと認め、禁止に踏み切った数十の国々に加わった。政府はさらに、持続可能な開発目標(SDGs)とも整合する形で、2030年までに慣行を根絶する国家戦略も採択した。だが、禁止法の運用や戦略の実施は遅れがちで、いまその枠組み自体が揺らいでいる。

最高裁では、人権の観点から見過ごせない主張が提出されている。報道によれば、証人として出廷した著名なイスラム指導者は、「女性の割礼」はイスラムの一部で害はないと述べた。手続き後に乳児が2人死亡した事例について問われると、「私たちはムスリムであり、人が亡くなるのは神の御心だ」と答えたという。さらに、FGMの「利益」は女性の性的欲求を抑えることにあり、「それは男性にとって問題になり得る」とまで述べた。

しかし、原告側の主張は検証に耐えない。シャリーア(イスラム法)にFGMを義務づける規定はなく、スンナ(預言者の言行)に基づくものでも、宗教上の「徳」とされる行為でもない。FGMはイスラム以前から存在し、ムスリム社会で普遍的に行われているわけでもない。信仰と結びつけられてきたのは、一部の共同体が文化的慣行を誤って宗教と関連づけてきたためである。

また、FGMを宗教の自由に基づく憲法上の権利とみなす主張も、誤解を招きかねない。ガンビア憲法は、宗教や文化の自由を含む権利であっても、他者の生命や、拷問・非人道的扱いからの自由、差別を受けない権利などの基本的人権を侵害する場合には制限され得るとしている。

ガンビア国内では、「ジェンダーに基づく暴力反対ネットワーク」や「女性の解放とリーダーシップ(WILL)」などの団体が、この訴訟に反対している。市民社会組織は2024年、禁止法の撤廃を目指した議会での動きを阻止するため、生存者や地域指導者、女性団体を全国で動員した。いま反対運動の中心にいるのは、自らの命と尊厳を守るため声を上げる女性と少女たちである。

SDGs
SDGs

「この訴訟に反対する声を上げた人々は、特にソーシャルメディア上で嫌がらせを受けています。その結果、多くの生存者や女性の権利擁護者が沈黙せざるを得ない状況になっています」と、反FGM活動家で生存者でもあり、WILL創設者のファトゥ・バレ氏は語った。

ガンビアは、「アフリカ人権憲章」と、その議定書である「アフリカにおける女性の権利に関する議定書(マプト議定書)」、さらに「アフリカ児童の権利及び福祉憲章」を批准している。マプト議定書第5条(b)は、FGMのあらゆる形態と、その医療化を明確に禁止している。

さらに2025年7月、ガンビア政府は同年採択された「女性に対する暴力終結のためのアフリカ連合条約」に署名し、有害な慣行の防止と生存者保護のための法的措置を採択・実施する姿勢を改めて示した。これは、FGM禁止を支える憲法上の義務を改めて確認する動きでもある。

いま、ガンビアの少女と女性の健康と尊厳は最高裁の判断に委ねられている。ただし、判決がどうであれ、政府には、包括的な教育プログラムや地域主導の取り組みの推進、既存法の厳格な執行、生存者への医療・心理支援への投資を通じて、FGM根絶を進める責任がある。これは、何十万もの女性と少女の命を守るために不可欠である。(原文へ)

ジュリアナ・ンノコはヒューマン・ライツ・ウォッチの上級女性権利研究員。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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