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経済危機で窮地に陥るスリランカの無償教育

【コロンボIDN=ヘマリ・ウィジェラスネ】

ミレニアム開発目標(MDG)の教育に関する項目を達成し、国家独立後のサクセスストーリーの一つだと考えられているスリランカの無償教育が、この人口2200万人の国を襲った経済危機のために危機に瀕している。

急激に高騰する紙価格のために、教科書やノート(生徒らはこれをメモを取ったり演習をする際に利用する)を入手することが難しくなっており、多くの貧困層には手が出ない。演習ノートの値段は、昨年は80ぺージで50ルピー(0.14米ドル)、400ページで450ルピーだったのが、今年はそれぞれ120ルピー、920ルピーとなっている。

生徒は今月、新学期のために学校に戻ってきているが、保護者たちは教材高騰への対処を迫られている。スリランカの辺鄙な村に住んでいる保護者らは、日々ギリギリの生活を迫られている中で子どもたちの教育にどうお金を配分するかに頭を悩ましている。時には、どの子を学校に通わせどの子を通わせないかという苦しい判断もせざるを得ない。

Map of Sri Lanka
Map of Sri Lanka

スリランカ南部の村に住む「アトゥラ」(本人の希望により仮名)はIDNの取材に対して、自身の2年生から6年生までの孫5人が学校に通うことが難しくなりつつあると語った。バス運転手をしている息子の収入は学費を賄うには十分ではない。

「学校に行く時には子どもたちにきちんとした格好をさせたい。靴が破れたまま学校に行かねばならず、泣いて帰ってくる孫もいる。一体どうしたらいいのか。 これは私の家族のみならず、スリランカのほとんどの子どもが直面している問題だ。」とアトゥラは語った。

2人の子を学校に通わせているある母親は、「学校の教材費が高騰しており、信じられない物価の高騰でただでさえ苦しい家計を直撃しています。」と語った。

「2カ月ぐらい前なら、のりは1本100ルピーぐらいで買えていました。しかし、今では300ルピーも払わなければならない。12色入りの色鉛筆は580ルピーに値上がりしました。」と彼女は言う。さらに、学校のカリキュラムで必要とされるワークブックなどが値上がりしており、あるシンハラ語のワークブックはかつて225ルピー、今は500ルピーになっている。

スリランカでは1945年に無償教育が導入された。5歳以上16歳未満の全ての子どもが無償教育を受ける権利が定められ、1950年代には大学教育にまで拡大した。1950年代半ばには、国語政策の導入によって、教育は特に貧しい農村地帯でも受けられるようになった。以前は、都市部で英語を話す家庭のみが享受できる特権だった。

スリランカの識字率は1951年の13.5%から2022年には92.6%にまで上昇した。MDGが定めた普遍的な初等教育達成の目標をスリランカが実現することを可能にした、持続可能な開発における大きなサクセスストーリーだとみなされている。

スリランカには何世紀も前から素晴らしい教育の伝統があり、欧州による植民地化以前は、寺院を基礎にした「ピリウェナ」教育の伝統が支配的だった。現在、多くの教育関係者が、経済危機の影響で識字率が急速に低下することを懸念している。

厳しい経済状況の中、地元の慈善団体は、世界中のほとんどの低所得国で蔓延している非識字の罠から農村部の家族を救うために活動を続けている。

マララセケラ財団は、スリランカの偉大な仏教学者G.Pマララセケラ博士の名を冠した社会奉仕財団で、現在は彼の孫であるアシャン・マララセケラ氏が理事長を務めている。同財団は長年にわたり、農村部の子どもたちの教育支援に力を注いできた。コロナウイルスが蔓延していた時期には、オンライン教育のためのデータ通信サービスを無償で提供した。現在は、新学期を迎えるにあたり、学校の教科書を届ける活動を実施している。

同財団のマノジ・ディヴィスラガマ事務局長は、「当財団は創設以来、教育を必要とする子どもたちの支援の最前線に立ってきた。マララセケラ財団は、プログラムを実行するための資金集はしません。私たちは、恵まれない人々を支援するという使命を果たすために、自分たちのリソースを使っています。」と語った。

Credit: Lake House, Colombo.
Credit: Lake House, Colombo.

この活動には、クシル・グナセケラ氏が設立し、クリケットの名選手ムッティア・ムラリタラン氏が支援する「善の財団(FG)」などの慈善団体の支援も得ている。「彼らの支援で、私たちは人々の生活を向上させる様々な活動を行うことができた。私たちの教育への取り組みは、現在の経済的混乱やコロナ禍から始まったのではなく、大津波がこの美しい島を襲い、子どもたちの精神面での健康と教育に支障をきたしたときから始まったのだ。」と、ディヴィチュラガマは語った。

このとき、財団は2005年にハンバントタ地区に子どもたちのためのリソースセンターを設立した。「津波災害で両親を失った子どもたちの生活再建に直接介入し、彼らの心の健康のためにカウンセリングを行うことができたのです。」とディヴィチュラガマは付け加えた。

その後、同財団はハンバントタ、スリアヤウェヴァ、カタラガマの3カ所にもセンターを設置した。カタラガマは南部の極めて貧しい農村である。ディヴィスラガマは、「カタラガマの子どもリソースセンターでは、教育を受け、人生を切り開いていくために支援を必要としていた約300人の子どもたちを支援することができた。英語、数学、シンハラ語、音楽を無料で教えています。スリランカ東部のタミル系やイスラム教徒の村々でも子どもを支援しています。」と指摘したうえで、「子どもたちの教育を表面だけで見ているのではなく、根本から面倒を見たいと考え、『善の財団』と組んで、妊婦に栄養食・基本食を提供する事業を立ち上げた。」と説明した。

仏教の慈善団体であるマララセケラ財団は、子どもたちの精神的な成長にも気を配っている。スリランカの南部諸州でダーマ学校(お寺の日曜学校)に通う子どもたちのための事業をいくつか立ち上げた。学生の家族に書籍や保存食を提供している。

同財団は主に村のお寺に無償のインターネット利用施設を造り、子どもたちを集めている。カタラガマでは、財団がカタラガマ・デバレの由緒ある神殿に40台のPCを設置して貧困層の子どもたちを対象にしたオンライン教育センターを立ち上げた。DP教育プラットフォームの支援を得て、600人以上の学生を支援している。

SDGs Goal No.4
SDGs Goal No.4

マララセケラ財団が支援している父親の一人ダヤル・カピラ・ガンヘワはIDNの取材に対して、「私は定職に就いていません。毎日2500ルピー(7米ドル)を稼ぐのがやっとです。毎日働けるわけではなく、だいたい月に10~15日程度。子どもは3人で、うち2人は学校に通っているが、物価高騰で全ての教材を買うことはできない。収入を超えてしまうからだ。」と語った。

もう一人、財団の支援を受けているのは、練習帳を受け取った子どもの母親、ナディーシャだ。「私の夫は電気技師だが、毎日の定収入がないため、夫の収入だけでは日々の生活を賄うことは無理。子どもは2人で、一人は10年生、もう一人は4年生。食費に使ってしまうと、子どもの教育で使う本代は残らない。これでどうやって子どもを学校に通わせたらいいのか。いま私たちが直面している大きな問題です。」とナディーシャは語った。

こうした経験は珍しいものでない。あらゆる社会経済的背景を持つ人々が、家計の生活費と子どもの教育費のバランスを取るのに苦労している。

ディヴィスラガマは、「スリランカの無償教育制度は危機に瀕しています。今の経済危機の中では多くの家庭の子ども達が教育を受けられなくなっています。だから私たちのような財団が支援に乗り出さなければならない状況にあるのです。」と語った。(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ブチャの住民の証言(2)(3):「ポケットから手を出さないと、ここで撃ち殺すぞ。」(ナターリヤ・クリヴォルチコ)「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」(ユーリ・クリヴォルチコ)

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ナターリヤ、ユーリ・クリヴォルチコ夫妻に直接取材した証言です。

私は看護師で、夫はエンジニアです。私たちは二人ともキーウで働いていて、郊外のブチャに住んでいました。朝、出勤して、夕方には帰ってくる。ロシアによる侵攻前のブチャ地区は、ヨーロッパ的でとても美しい街でした。

2月27日、28日、私たちは初めて街でロシア兵を見かけて衝撃を受けました。ロシア兵はとても図々しく、横柄な態度で住民に話していました。私たちのところにやってきて、市長はどこに住んでいるのかと尋ねてきました。もちろん、私たちは「知らない」と答えました。するとロシア兵は、「どうして協力しないのか。私たちはあなた方を救いに来たのだ。市長がどこに住んでいるか知らないはずはない。」と尋問してきました。私たちそれでも「知らない。」と答えました。実はみんな、市長の家が隣の通りにあることは知っていたのですが、ブチャの住民は誰もロシア兵に協力しようとはしなかったのです。

私たちが寒くてポケットに手を入れているのを見て、「ポケットから手を出せ。今すぐだ!私たちが銃を持っていることを忘れているのか!怪我をする可能性があるんだぞ。私や私の仲間が少しでも疑いを持ったら、ここでお前を殺すぞ!」と、ロシア兵の一人が怒鳴ってきました。そして、「私たち(=ウクライナ人)は洗脳されていて、何が起こっているのか理解していない。彼ら(=ロシア兵)はウクライナ人を救出しに来たのだ。」と言い始めたのです。

トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP
トラックに乗る親ロシア派の兵士(ドネツク地域)AP

殺戮はまもなく始まりました。通りを歩くと、男性、女性、子供まで、民間人の死体が散乱していて近づけない。街のあちこちにロシア軍の小規模な部隊が展開していて、遺体を墓地まで運ぶのは危険でした。しかたなく殺された隣人を庭に埋めましたが、皆が銃で撃たれていました。ロケット弾が金切り音を上げて頭上に飛来したかと思うと、ロシアの狙撃手が建物の最上階から眼下の住民を狙撃していたのです。

ロシア人にこのすべてを読んでもらい、彼らが私たちにどれだけの苦痛をもたらしたかを理解してもらいたい。これは真実であり、偽造ではないのです。死にゆく人々が路上に横たわっていて、彼らを助けに行くことは不可能でした。もしかしたら、まだ生きている人がいるかもしれなかったのに、ロシアの狙撃兵が近寄らせなかったのです。しかも、狙撃兵は日中だけでなく、夜間も暗視装置を使って住民を狙撃していました。報道された、手を縛られたまま殺された人たちの話も本当です。これは大量殺戮(ジェノサイド)だと思います。ロシア兵たちは、文字通りウクライナという国を破壊していたのです。

ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲
ロシア軍がブチャから逃れようとする避難民の車列に発砲

隣人のインナ・ナウメンコ(50歳)は、トイレや洗濯のために必要な水を確保しようと、隣の消防署に行っていました。そこには大きな桶があり、バケツで水をすくっていました。しかし、彼女は撃ち殺されました。おそらくロシアの狙撃兵の仕業だと思います。夫は彼女を毛布に包んで庭に埋葬しました。

21世紀にこのような惨劇が起こるなんて、私たちはまだ信じられませんでした。誰もが驚き、ショックを受け、私たちが体験したこと、見たことについて、未だに話すことができない人もいます。

ブチャ地区では長い間、通信手段が寸断さえ、親戚にも無事を知らせることができませんでした。連絡が取れても、私たちがまだ生きていることが信じられないような状況でした。

街を離れたかったのですが、ずっと砲撃されていたので、とても恐ろしかったです。ある時、民間人の避難のための「人道回廊」を示され、ブチャの人々も車を走らせました。ところが動き出してほんの数分後、車が向かっている側から恐ろしい爆発音と銃声が聞こえてきました…。ロシア兵にタブーはなかったのです。私たちが奇跡的に破壊を免れていた車で脱出を決意した時、私たちもロシア兵による銃撃を受けました。幸い、銃弾が貫いたのはガスタンクの反対側だったので車ごとの爆発を免れることができました。

私たちのアパートは5階建てで、入り口は4つありますが、2つは初日にロシア兵に燃やされました。その後、ライターが投げ込まれ、屋上が燃やされました。私たちは幸い1階に住んでいたので消失は免れたのですが、軽装甲気動車の30ミリ弾が室内を貫通して台所の壁に穴を開けました。

軽装甲気動車の弾が私たちのアパートを貫通したのです。

ロシア兵は、民間人の住宅を無差別に砲撃していました。兵士らはワルシャワ高速道路を歩いていて、私たちの家はその隣、ノーヴス商店の向かいにありました。私たちはキーウから切り離され、ブチャの街にはパンがありませんでした。市長は有志を募って住民のためにパンを焼くこととし、私と娘のリュドミラは夜、ノーヴス商店に行って働きました。その店にはパン窯があり、ロシア兵が発電機を壊すまでパンを焼き続けました。それからは、どうすることもできませんでした。

リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた
リュドミラ、ナターリヤ・クリヴォルチコともう一人のブチャの住人は、夜間、市民のためにパンを焼いた

ユーリ・クリヴォルチコ:「狙撃兵はどんな明かりでも撃ってきた。」

「2月26日から27日にかけて、私の同志であるプロツェンコ・セルゲイが行方不明になりました。彼はまた、赤いリムとミラーの付いたホンダCR-Vという美しい車を所有していました。しばらくして駅で見かけたのですが、ボロボロになっていて、赤いリムで彼の車だと分かったのです。車の惨状から彼を探しても無駄だと思いました。

当時は、ほとんど地下に隠れていました。夕方、18時くらいから門限があって、家にいても見つからないように電気をつけてはいけないのです。ロシア兵はすぐに発砲してきました。

家の近くに十字路があって、暗視装置を装備したロシアの狙撃兵がいました。ある深夜に夜タバコを吸いたくて、玄関のドアを開けると、狙撃兵がタバコの光を見たのか、私の方向へ撃ってきました。ドアが金属製でよかったです。なんとか閉めて弾丸を防ぎました。夜が長かったのを覚えています。恐らくこんなに長い夜は生まれてこのかたなかったし、これからもないだろう。夜中になると、銃声がする。とてもうるさくて、家が揺れ、地下室が揺れ、ろうそくが1本燃えていて、ライトが跳ね返っている。電池があるうちに懐中電灯を点けておけば、真っ暗闇の中で座っている必要はないだろうということで、懐中電灯を点けておきました。この家の住人は全員、私たちと一緒に地下室にいました。

それから、隣の家の地下室に移りました。窓が少なく、鉄のドアもあってよかった。車も移動しました。そこの庭はアパートに囲まれており、外の通りから見えない構造になっていました。夜にはバッテリーを取り出して、何も残さないようにしなければならなかった。ロシア軍の妨害工作や偵察隊が夜な夜な活動していて、近所にトリップワイヤーを仕掛けていたのです。近所の人の車が砲撃で炎上したこともありました。

クリヴォルチコさん一家が住んでいた家。

最初は地下に大勢いたのですが、だんだん危険を冒して、避難経路を通って街を脱出する人が出てきました。結局、私たちも3月17日に脱出することにしました。すでに朝の8時には、バールを持ったロシア兵たちがアパートを略奪するために中庭に入ってきました。庭で火を炊いていた人たちにある車を指さして「お前の車か?」 と聞くと、「違う」と答えていました。するとその車の窓を割って押し入り、バッテリーを奪って出て行きました。

自分たちのブロックより先に進むことはできませんでした。命がけで、膝をついて歩きました。とにかく、奇跡的に無傷でブチャを脱出することができました。娘はキーウにアパートを持っていて、今は皆でそこに住んでいます。この悪夢はすべて過去のものとなり、今では安心してアパートの周辺や道路を歩くことができます。でも、庭で誰かが車のボンネットを叩いたら、反射的にしゃがんで身をかわしてしまいます。(原文へ

INPS Japan

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グローバルな危機、ローカルな解決策

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=ソニア・アワレ】

グラスゴーでの会議(COP26)から 1 年、世界各国政府はエジプトのシャルム・エル・シェイクで再び会議を開き、地球規模の気候破壊を回避するための緊急措置を協議した。

この1年の間に、さまざまなことが起こった。記録的な熱波が北米、欧州、南アジア、中国を襲った。ツンドラ地帯では山火事が発生し、パキスタンでは前例のない洪水が起こり、嵐は海岸線を荒廃させた。科学者が2040年代に起こると言っていた極端な気象現象は、既に起こっている。

シャルム・エル・シェイクで開催された国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)の最中、北インドでは作物の残滓を燃やす煙が立ちこめ、ヒマラヤの氷河に向かって吹き上げられ、氷河の融解を加速している。ネパールでは季節外れのモンスーン後豪雨が発生し、地滑りや土石流で100人もの死者が出ている。

COP27 に向けて、多くの科学的報告がなされ、それぞれが警鐘を鳴らすものとなっている。気候否定論にもかかわらず、私たちが既に気候の緊急事態に陥っていることは間違いない。何をすべきか考え始めるには遅すぎる。2050 年までに世界の平均気温を産業革命前と比較して1.5 度以内に抑えるためには、排出量を削減しなければならないのだ。

Emissions Gap Report 2022/ UNEP
Emissions Gap Report 2022/ UNEP

11月に発表された国連環境計画(UNEP)の「エミッション・ギャップ・レポート2022」は、自らを「地球規模の気候危機に対する不十分な行動の証」と呼び、今後8年間で年間の温室効果ガス(GHG)排出量を45%削減し、その後も急速に減少を続けることが必要となる1.5℃への信頼できる道筋を求めている。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書では、科学者たちはさらに黙示録的な予測をしている。2041年から2100年の間に1.5℃の上昇に抑えたとしても、自然界に存在する陸生種の最大14%が非常に高い絶滅のリスクに直面する可能性がある。3℃の上昇であれば、29%の種がなくなり、現在のペースで温室効果ガスが大気中に送り込まれ続け、世界の平均気温が5℃上昇すれば、全動植物種の半分が絶滅するという。

IPCCは、極端な気象現象の頻度と強度の増加により、生態系、人々、居住地、インフラに広範な影響が及ぶと警告している。心配なのは、これが予測ではなく、すでに起こっているということだ。

IPCCは世界の山岳地帯の章において、氷河の後退が加速し、永久凍土の融解が進み、氷河湖の数と大きさが増加すると述べている。植物や病原菌は高地へ移動する。

ヒマラヤとチベット高原は、北極と南極を除けば最大の凍結水の貯蔵庫であり、アジアの下流では12億人もの人々がそこを源流とする河川に依存している。IPCCは、水循環の乱れは農業に影響を与え、地滑りや洪水の危険を増大させるとしている。

ネパールが何を燃やそうが、燃やさまいが、どれだけ燃やそうが、地球には大きな影響を与えないだろう。しかし、それはネパールの経済的な存続を左右する。連邦選挙後、ネパールの新政府は、石油の輸入を減らし、貿易赤字を減らし、大気汚染を軽減するために、断固とした措置をとることが必要である。

エジプトで開催されるCOP27国連気候サミットの直後、ネパールでは11月20日に連邦選挙と州選挙が行われた。

各政党の選挙マニフェストでは、再び壮大な公約が掲げられていたが、再生可能エネルギーへの転換は主要な優先事項とはなっていなかった。化石燃料の使用削減は、どの政党も選挙のスローガンにはしていない。

それでも、環境保護主義者やエネルギーの専門家は、今回の投票は、再生可能エネルギーへの転換、大気汚染の低減による公衆衛生の保護、固形廃棄物の管理など、本物で現実的な公約を掲げる指導者を選出する機会であるとしていた。

カトマンズにあるAvni Center for Sustainabilityの気候活動家、シルシア・アチャルヤ氏は、「気候危機に対する私たちの姿勢は、国際的な場で高尚な公約を掲げることに限られており、国内では実施面で示すものがあまりありません。気候変動が政治の表舞台に立つためには、ゆっくりと進行する災害の重要性を理解し、内面化している指導者が必要です。しかし、彼らは個人的な利益しか考えていません。解決策を実行する候補者に投票するのは、私たち市民にかかっているのです。」と語った。

確かに、気候危機は世界的なものだが、解決策は地域的なものである。ネパールの大量輸送手段の電気化と、LPGに代わる家庭の電化は、国際的な資金を必要としない手が届く施策である。

確かにネパール議会(NC)は、今後5年間で電気自動車の普及率を50%に引き上げることを約束している。シェール・バハドゥル・デウバ首相は昨年のグラスゴーのCOP26で、2045年までにネパールをカーボンニュートラルにすると約束したが、現在の政策では実現できない。

ネパールの自動車の10%をバッテリー駆動に切り替えるだけで、少なくとも年間210億ルピーの石油輸入を削減できる。ネパールの貿易赤字を減らすためには、ネパールの二酸化炭素排出量を減らすことが必要であり、気候変動への貢献はおまけのようなものであることは明らかだ。

NOC

ネパールでは、高級車が禁止されているにもかかわらず、電気自動車(EV)の販売が大幅に伸びている。この3カ月間だけで、EVの新車販売台数は705台と、前年同期の5倍に増えた。

しかし、そのほとんどは自家用車である。電気バスはディーゼル車の3倍以上する上、自家用電気自動車や二輪車に適用される税制上の優遇措置もない。これは、2025年までに国内の自家用車の4分の1、バスの20%を電気自動車にするという政府の方針とは正反対である。

「電気バスは、空気をきれいにし、二酸化炭素の排出を減らし、余剰電力を利用することができます。」と、Sajha Yatayat社のブシャン・トゥダハール氏は語った。同社は既に40台の電気バスのうち3台を導入している。

しかし、逆風が吹いている。電動バスは当初、非常に高価であるため、融資や税金の払い戻しが必要である。また、充電インフラも重要である。「私たちは、公約を具体的な行動に移す必要があるのです。」と、トゥダハール氏は付け加えた。

ネパールでは2008年から、ガソリンやディーゼルを1リットル販売するごとに1.5ルピーの汚染税を徴収している。その累積額は100億ルピー近くになり、電気自動車やクリーンエネルギーへの補助金として利用することができる。同様に、ティクネにある古い車両で朽ち果てた電気トロリーバス集積場は、Sajhaの新しい電動バスの充電ステーションとして簡単に利用できたかもしれない。

書類上、ネパールには将来を見据えた政策があり、世界でもトップクラスにある。2019年国家気候変動政策、2022年固体廃棄物管理政策、2022年森林規則、2022年土地利用規則のすべてが、気候変動の影響に適応するための国の必要性に対処している。

Photo: AJAY NARSINGH RANA

しかし、世界銀行が最近のネパール向け国土開発報告書で指摘しているように、「この改革アジェンダの実施と投資の優先順位付けは初期段階である。」さらに、気候変動と開発の利益を最大化するためには、公共支出の優先順位付けと効率化を強化することが必要である。』と述べている。

ネパールの平均気温は、中程度の排出経路のもとで、2016年から2045年の間に0.9℃上昇すると予想される。これは、冬はより乾燥し、モンスーンはより湿潤になり、降水量が最大で3倍増加する可能性があることを意味している。実際、これはヒマラヤ全域で既に起こっている。

また、洪水、火災、雪崩、干ばつがより深刻化することも警告している。世界銀行の報告書によると、ネパールで毎年洪水の被害を受ける人の数は、今後8年間で2倍の35万人に達する可能性があると予測している。また、気候の影響により、ネパールの経済は7%縮小すると予想されている。

「私たちの排出量削減目標はすべて、現地での積極的な取り組みにかかっています。本気で取り組めば、今後5年でネットゼロを達成できるのに、なぜ2045年まで待つのか」と環境保護活動家のアチャリヤ氏は問いかけた。「このままでは、2060年まで約束しても、カーボンニュートラルになることはないでしょう。」

COP 27
COP 27

シャルムエルシェイクで開催された今年の気候変動会議は、「インプリメンテーションCOP」と呼ばれている。パリ協定の下での194の締約国の気候に関する誓約を合わせると、2100年までに世界は最大でも約2.4℃の温暖化に向かう可能性があり、1.5℃に抑え、さらなる破滅的な結果を防ぐにはほど遠いことを考えると、今年の議論での優先事項の一つは緩和プログラムを設計することであろう。

国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の後発開発途上国 (LDC)支援グループのアドバイザーであるマンジート・ダカル氏は、この会議でネパールが優先すべきことは、G20諸国による損失損害基金や適応支援へのロビー活動であると語った。

「ウクライナ危機とパンデミックにより国際社会は気候資金の資金調達に消極的になっているため、ますます待っていられない。私たちはすぐにでも気候変動に適応して命を救うだけでなく、ゆっくりと進行する災害にも備えなければならないのです。」と、ダカール氏は、ネパーリ・タイムズ紙に語った。

「目標達成にはほど遠い状況ですが、初めて排出量の削減が確認され、それがどんなに小さくても、こうしたロビー活動や気候会議に価値があるのです」と彼は付け加えた。

ネパールのように気候変動に脆弱な国にとって、国際的な気候変動対策の場でのロビー活動は重要だ。しかし、実行は地元で行わなければならない。代表団が帰国してからが、本当の仕事の始まりなのだ。

この冬、ネパールの悪名高い都市公害を軽減することは、その手始めになるかもしれない。カトマンズ市長が望めば、市民を動員し、啓発キャンペーンや適切なゴミ収集サービスを通じて、少なくともこの冬はゴミの焼却を中止させることができるはずだ。足りないのは政治的な意思だけである。」(原文へ

INPS Japan

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【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

2000年、初めて大統領に選出されたばかりのウラジーミル・プーチンは、核兵器を巡る混乱を解決する上で、独自の貢献をした。彼は演説の中で、核ミサイル備蓄を大幅に削減する用意があると述べたのである。当時のプーチン大統領の呼びかけは、米ロそれぞれが上限2500発という米国側からの提案以上の削減を謳っただけではなく、1500発というロシア政府の従来の目標をもはるかに下回るものであった。(現在、ロシアは約6000発の核弾頭、米国は5400発を保有している。)

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

実際、プーチン大統領の提案の仕方やその条件、言葉遣いなどからして、彼が当時念頭に置いていたのは、1986年にミハイル・ゴルバチョフ書記長ロナルド・レーガン大統領が練った構想に近いものだったのではないかと識者らは見ている。すなわち、ゼロに限りなく近い備蓄量へと核兵器を減らしていく、ということだった。

レイキャビク米ソ首脳会談でのこの大規模かつ未完の計画はレーガン大統領独自の産物であった。彼は、「戦略防衛構想(スターウォーズ計画)」と呼ばれたミサイル防衛構想と、超大国による核兵器廃絶を組み合わせた世界を構想していた。

しかし、レーガン大統領のアドバイザーらは、レーガンがゴルバチョフ書記長と練っていた提案を初めて耳にした瞬間から、この提案には実現可能性がないとしてこれを否定しにかかった。省庁間の検討という迷宮を何とか超えて出てきた創造的な提案に対して、彼らはいつもこのような態度を取ったのである。

米国単独での大きな提案が唯一通ったのは、冷戦崩壊後の状況という強みを生かしたジョージ・ブッシュ大統領が、米軍の爆撃機の警戒態勢を解除し、戦術核を作戦配備から解くとの計画を秘密裏に策定したときだった。当時、米国の官僚も上院も、ブッシュ大統領を出し抜く時間的余裕がなかった。

ジョージ・パーコビッチは『フォーリン・アフェアーズ』誌で、「1961年は、ジョン・F・ケネディ大統領率いる米政府が実行可能な形の核軍縮を追求した最後の時代であった。」と述べている。

ビル・クリントン政権は核ドクトリンの「根本的な再考」を呼びかけたが、大統領自身の無関心と、クリントン大統領が「国防総省の官僚と近視眼的で教条的な上院議員の奇妙な連合に挑戦するのを敬遠した」ために、実行に移されることはなかった。実際にクリントン大統領が推進したのは、北大西洋条約機構(NATO)の領域をロシア国境際まで東に拡大するという挑発的な別の道であった。

国防総省のせいばかりではない。官僚機構の内部から上院、大学、専門シンクタンク、兵器メーカー、大手ニュースメディアに至る民間専門家のネットワークが、どんな反論にもほとんど動じない強硬な世論を生み出してきた。

General Eugene E. Habiger, Public Domain
General Eugene E. Habiger, Public Domain

元米戦略軍最高司令官を務めた退役軍人のユージン・ハビガー将軍が述べたように、「私たちは、核戦力に責任を持つ上級の軍人が核戦力の削減を政治家たちよりも強く求めるような状況に立ち至ってしまっている。」

ハビガー将軍の前任者であるジョージ・リー・バトラー将軍はさらに進んで、核兵器の完全廃絶を訴え、あらゆる著名な反核活動家のイメージと信頼を失墜させようとする核保有国のロビー団体が用いる野蛮な戦術を指摘するに至っている。

西側世界全体の世論は、こと核兵器に関していえば、物事を偶然に委ねるような状況にある。どこからか何かがやってきて、核兵器の危険から世界を守ってくれるという考えがある。しかし、現実は真逆だ。プーチン大統領はロシアの核兵器を弄んでいる。未承認あるいは誤認による核発射があり得るし、発射寸前までいったケースも多く報告されており、反論の余地はない。

今後数年で中国・台湾情勢は大きな軍事的危機に発展しかねない状況にある。米国は中国との対立に追いやられ、2つの核大国がお互いにミサイルを打ち合う状況も考えられる。

核拡散の可能性はますます高まっており、カシミールや中東は依然として核の危険地帯だ。また韓国の大統領は既に戦術核製造の可能性に言及している(ジミー・カーター大統領の時代に米国の戦術核は韓国から撤去された)。北朝鮮に関していえば、体制による攻勢は続き、さらに進化したミサイルの実験が繰り返されている。

米国が過剰な核の優勢を保つなかで、世界の人々は、敵対的な雰囲気が忍び寄りつつあることを感じている。これまで何度も厳粛に公約してきたことが果たされないために、他の国々も、わずかなチャンスさえあれば、米国の外交政策目標に抵抗しようとしているのだ。

カナダ、フランス、ドイツ、スウェーデンといった米国の友好国でさえ、時折このような反米的な怒りにとらわれることがある。もし米国による指導が傲慢で不必要に好戦的だとみられることがあれば、米国の長期的な利益にとってよい予兆とはならないだろう。

2000年、プーチン大統領はこの機会を正しく捉えた。しかし悲劇は、米国がこれに反応しなかったことだ。レイキャビクでは、超大国の核兵器をなくす合意が本当にまとまりかけたのに、それが実現しなかったのは、ソ連側の躊躇(とレーガン大統領のアドバイザーたちの圧力)のためだった。もしプーチン大統領が核兵器使用の可能性について話すのをやめ、2000年当時の演説の言葉に戻したなら、ロシアがまだ現実と向き合っている歓迎すべき兆候となるだろう。一方、ジョー・バイデン大統領が、核軍縮協議を再開するようロシア政府に呼びかけることを含んだ演説をぶち上げることでウクライナでの軍事的な攻勢に水を差すことがあれば、それは「オリーブの枝(=和平の申し出)」以上のものとなるだろう。

ICAN
ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)によると、2021年に世界は毎分15万6841ドルを核兵器に消費したという。わずか1年で、核保有9か国(中国・米国・ロシア・英国・北朝鮮・インド・パキスタン・イスラエル・フランス)が総計約1万3000発(うち9割を米ロが保有)の核兵器の改修・維持のために合計824億ドルを消費した。

全体としてみれば、世界にお金が足りていないわけではない。問題はその使い道である。見方を変えれば、気候変動対策、アフリカ開発援助、マラリア撲滅、がんや糖尿病、認知症の医学研究、貧困撲滅など、必要なところには簡単に資金を捻出することができるだろう。なぜ、危険すぎて使えない兵器に投資する必要があるのだろうか。

抑止力という漠然とした軍事哲学を除けば、核兵器保有に関する合理的な議論は存在しない。率直に言えば、抑止が機能するかどうかはわからない。かつては核兵器削減を主張していたプーチン大統領が思い起こさせてくれたように、もしNATOがウクライナで何らかの過ちを犯せばロシアは核使用に訴える可能性がある。さらに、これまで常にそうであったように、私たちは過失や事故に身を委ねているが、事態が長引けば、過失や事故が起きる可能性も高くなる。

プーチン大統領の脳裏のどこか、深いところで、彼はこのことを知っている。バイデン大統領も同様で、もし自身の軍事・国家安全保障官僚が核兵器を使うよう助言し決定を迫るようなことがあれば、カトリック教徒としての自身の信念の教えが試される事態を避けられないことを知っているのだ。

では、何が事態をそこまで押しやってしまうのだろうか。

ジョージ・W・ブッシュ大統領とドナルド・トランプ大統領は、米国を重要な核軍備管理協定から撤退させるというひどい仕事をした。プーチン大統領は、バイデン大統領が選出された際、オバマ=メドベージェフ期の大掛かりな軍備削減合意を更新するように、自身の配下にも、今や前向きな思考を持っている米国側にも促した。この合意によって、長距離大陸間弾道弾は米ロそれぞれで1550にまで削減された。

おそらく、混乱に満ちたウクライナ戦争はあと数か月、あるいは数年はつづくことだろう。しかし、2つの核超大国をして、核兵器を今こそ廃絶するために大胆な道を踏み出させることを妨げるものは何もない。そうすることができなければ、私たちが思考停止してきたために、考えられないような事態が起きるかもしれない。(原文へ

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「アフリカの角」地域で未曽有の干ばつ

【ニューヨークIDN=J・ナストラニス】

国連は、アフリカの角地域(アフリカ大陸東端の半島周辺)が未曽有の干ばつに襲われており、壊滅的な被害が起きるだろうと警告している。同地域は5期連続して干ばつに見舞われており、2023年3~5月の雨季に6期目を迎える可能性もある。

アフリカの角地域全体では、2022年後半に起きた史上最長かつ最も厳しい干ばつにより、少なくとも3640万人が影響を受けるとみられる(エチオピア2410万人、ソマリア780万人、ケニア450万人など)。

国連人口基金によると、この地域には生殖可能年齢(15~49歳)にあたる女性900万人超も含まれている。彼女たちは、健康上の危険に直面しているほか、干ばつによってジェンダーに基づく暴力が激しさを増す可能性もある。

Horn of Africa/ wikimedia Commons
Horn of Africa/ wikimedia Commons

エチオピアの約1190万人が干ばつによって深刻な食料不足に見舞われ、ケニアでは約435万人が厳しい食料不足に直面している。2022年10月から12月(この時期は雨期にあたり通常は年間降水量の最大70%を占める:INPSJ)にかけて雨量が少なく、今後後数カ月に亘って食料不足が深刻化することが予想される。

ICPAC[世界気象機関が認証する、東部アフリカ11カ国に気象関連サービスを行う組織]と国連食糧農業機関(FAO)が共同で運営する地域組織である「食料安全保障・栄養問題作業部会」(FSNWG)によれば、2023年2月までの干ばつによって、アフリカの角地域で2300万~2600万人が深刻な食料不足に直面すると見られている。

国際連合児童基金(ユニセフ)は、2023年と「今後数年間」に、アフリカの角地域を襲うかもしれない事態に備えてしっかりとした対応をするよう、国際社会に呼びかけている。

エチオピア、エリトリア、ソマリア、ジブチ、ケニアの一部あるいは全体、スーダン、南スーダン、ウガンダから構成される「アフリカの角地域」は、未曽有の干ばつに見舞われており、壊滅的な被害が発生するものとみられている。来る2023年3月~5月の雨季には、(水不足により)通産6期目の干ばつが起きる可能性もある。

ユニセフ東部・南部アフリカ地域副代表のリーケ・ファン・ドゥ・ヴィール氏は、12月22日、「アフリカの角の子どもたちがこれ以上壊滅的で取り返しのつかない被害を受けないようにするためには、リソースを世界的に至急動員する必要があります。子どもたちの命と尊厳、そして未来を守るために、私たちは今行動しなければならないのです。」と語った。

Horn of Africa Banner
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UNICEF
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2022年、ユニセフとそのパートナーは、約200万人の子どもと女性に対し命を守るために不可欠な保健ケアサービスを提供、生後6カ月から15歳までの約200万人の子どもに麻疹(はしか)のワクチン接種を実施、270万以上の人々に飲用・調理用・個人衛生用の安全な水を提供した。

ユニセフは、子どもやその家族を救うために2023年に7億5900億米ドル規模の緊急支援が必要だとして要請を続けているが、とりわけ教育や水、衛生といった分野における迅速かつ柔軟な資金提供が必要とされている。2022年には重大な資金不足に陥っていた。

子どもたちとその家族の命を守る支援を提供するための、ユニセフによる7億5900万米ドルの2023年向け緊急資金要請では、とりわけ今年の対応で著しく資金が不足した教育、水と衛生および子どもの保護の分野における、適時かつ柔軟な資金支援を求めている。

さらに、子どもとその家族の再起と気候変動への適応を後押しする長期的投資を支援するため、6億9000万ドルを必要としている。

ユニセフによると、エチオピアやケニア、ソマリアで厳しい干ばつによる影響を受けている子どもたちの数はこの5カ月で2倍になっているという。

気候変動や紛争、世界的なインフレと穀物不足によりこの地域が大打撃を受け、深刻な飢えや渇き、感染症の脅威に晒されている子どもの数が、昨年7月時点の1000万人から約2020万人へと増えている。

ユニセフ東部・南部アフリカ地域事務所のヴィール副代表は、「体系立った迅速な取り組みにより、懸念されていた最悪の影響はある程度緩和されたものの、アフリカの角地域の子どもたちは、2世代以上が経験したことのないほど深刻な干ばつに直面し続けています。飢えや感染症で死の淵に追い詰められている、または、食料や水、家畜用の牧草地を求めて住処を離れざるをえないような、子どもたちや家族が驚くほど多くいます。彼らの命を守り、レジリエンスを高めるために、人道支援を継続しなければなりません。」と語った。

エチオピア・ケニア・ソマリアでは、200万人近くの子どもたちが、飢えの最も重い分類である重度急性栄養不良の緊急処置を必要としていると推定されている。

現在、アフリカの角地域では次のような状況が生まれている。

UNICEF

・200万人以上が、干ばつが原因で国内避難民となっている。

・2400万人に迫る人々が深刻な水不足に直面し、水を安定して得られない人口が2倍以上に高まっている。

SDGs Goal No. 13
SDGs Goal No. 13

・およそ270万人の子どもが干ばつのために登校できず、さらに推定で400万人の子どもが退学を余儀なくされる恐れがある。

・増大するストレスで家族が追い詰められる中、子どもたちは児童労働、児童婚、女性器切除(FGM)などのリスクに直面している。

・食料不足や住居の移動のために、性暴力や性の搾取などジェンダーを基盤とした暴力も拡がっている。

ドナーやパートナーのあたたかな支援により、ユニセフはアフリカの角地域全域の子どもとその家族へ命を守るサービスを提供し続けるとともに、さらなる状況悪化への備えを整え、レジリエンスを高め、主要サービスを強化している。(原文へ

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北朝鮮の核兵器使用の可能性:「自動的かつ直ちに」

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】

ウクライナの戦争とメディアの並々ならぬ注目の陰で、北朝鮮の核の野望をめぐる争いは、現在のところ後景へと退いている。平壌の政権は核開発計画を長年継続して進めてきた。今年前半の多くのミサイル実験の後、国営ニュース機関である朝鮮中央通信(KCNA)の英文記事によれば、最高人民会議は9月8日、「朝鮮民主主主義人民共和国核戦力政策」に関する法律を可決したという。この法律について特に注目すべきは、紛争が発生した場合、北朝鮮が攻撃を受けたと感じれば、金正恩(キム・ジョンウン)最高指導者は「敵対勢力を無力化するため、自動的かつ直ちに」核攻撃を命令することができるという点だ。独裁者が事実上無制限の力を与えられることは、予期せぬことではない。その点は、これまでの関係するあらゆる国内外の政策分野でも同様である。新法では、核兵器が抑止力であることを強調している。しかし、懸念されるのは、北朝鮮の社会または体制の存続を確保するために、核管理システムが危険に晒されれば核による先制攻撃が発動されうる、という率直な宣言があったことだ。「自動的かつ直ちに」というフレーズは、ほとんど「先制攻撃」以外の何物にも解釈しようがない。(原文へ 

北朝鮮はこの法律を成立させることで何を達成したいのか? 撤回不能な形で核保有国であると宣言しているのか、それともまだ交渉の余地はあるのか? 『ニューヨーク・タイムズ』紙は平壌の政府筋の話として、キム・ジョンウンによると「非核化の余地、交渉の余地、取引のチップは絶対にない」旨を報じている。この法律は、8月末までに2万8千人の米兵が派遣された米韓による大規模な軍事演習への応答なのだろうか? 北朝鮮政府は、米国がオーストラリア、日本、韓国との間で、中国に対するアジアでの軍事同盟の形成を試みていることが、北朝鮮の安全保障をも脅かしうると懸念しているのか? 平壌は8月、この軍事協力を「アジアのNATO」の「創設への危険な前奏曲」と称した。北朝鮮はこの法律を成立させることで、国際的な孤立を克服したいと考えているのか? この国は、現在でもおおむね孤立しており、その核計画を理由として科された国連の厳しい経済制裁に苦しんでいる。

それとも、この法律は韓国へのシグナルを送ることを意図したものなのだろうか? 北朝鮮の政策の不透明さを考えれば、真のねらいは推測することしかできない。3月に尹錫悦(ユン・ソンニョル)が韓国の大統領に就任したとき、多くの識者は彼が北の隣人に対して対立的な政策を追求すると予測した。それが選挙運動の間の、彼のタカ派的メッセージだったからである。韓国の政策は、強力な軍事力によって北の抑止を目指す対立路線と、平和的共存、非核化および経済的なインセンティブに依拠するいわゆる「太陽政策」との間で、繰り返し揺れ動いてきた。興味深いことに、ユン・ソンニョルは就任演説において北に対しこう呼びかけた。「北朝鮮が完全な非核化へのプロセスに真の意味で乗り出すなら、我々は国際社会と協調し、北朝鮮の経済を大幅に強化し、その国民生活の質を向上させるための大胆な計画を提示する用意がある」

平壌の反応は速やかなものだった。最高指導者の妹である金与正(キム・ヨジョン)は、無礼にも韓国の提案を退け、ユン大統領に「黙っていろ」と断じた。彼女は以前も、南からのアプローチに対して同様に思い切った反応を見せており、例えば2020年6月には南北国境の通信センターを爆破した。2000年代末におけるアメリカ、中国、ロシア、日本、北朝鮮、韓国の6カ国協議が頓挫し、2011年にキム・ジョンウンが権力の座について以降、北朝鮮が核計画の完全な放棄に関して真剣な交渉に応じたことは一度もない。それはトランプ大統領がキムとの首脳会談の後、見誤ったことだ。同国情勢を長年追ってきた識者たちは、それ以外のことを予想してはいなかった。アルバート・アインシュタインのものとされる名言を使いたくもなる。「狂気とは、同じことを繰り返しながら、違う結果を期待することだ!」北朝鮮が、核兵器を持たずに国際社会に復帰することはいまだ可能なのか? 何年も行き詰まっている状況に対する選択肢は何なのか? 核不拡散条約(NPT)の外での他の国々の核計画における経験を見るに、北朝鮮の反応は幸先が悪いようだ。

ウクライナモデル:ソ連の終焉という根本的な政治的混乱の後、ウクライナは、ロシア、イギリス、アメリカが合意(ブダペスト覚書)によってウクライナの安全保障を約束したことを受け、1994年に核兵器を放棄した。ロシアの侵攻は、そのような保障がどれだけの価値があったかを示している。ウクライナと同様に、南アフリカはアパルトヘイトが終わる直前、1991年に核計画を放棄し、NPTに加盟し、6個の核兵器を破壊した。たしかに、北朝鮮はウクライナに与えられたような安全保障に依存することはないだろう。北朝鮮について、ウクライナや南アフリカにおけるような反応に賭けることは、体制転換を期待するということだ。核計画の封じ込めが可能だと思えるのは、北朝鮮における根本的な社会変革の可能性について非常に楽観的な場合に限られる。

イスラエルモデル:イスラエルは約90個の核弾頭を有しているが、イスラエル政府は今のところ「肯定も否定もしない」という方針を採用しており、核兵器についてコメントしていない。北朝鮮政府のアプローチはこれとは全く異なり、自国の核兵器の必要性と有効性を繰り返し強調している。

リビアモデル:カダフィ政権は2003年に核計画を廃止し、核兵器の開発を放棄した。リビアに約束された国際関係の平常化は実現しなかった。2011年の国際軍事介入およびカダフィ政権の転覆以来、リビアでは混乱が続いている。リビアは、北朝鮮では抑止の例と解釈されている。

イランモデル:イランとの2015年の条約は、核計画封じ込めの可能性にとって卓越した事例である。しかし、よく知られているように、アメリカはこの国際的に拘束力を有する条約を遵守せず、2018年に離脱してしまった。今日まで、この条約を復活させようという試みは成功していない。イラン合意の問題も、北朝鮮ではネガティブな経験と認識されている。

インドモデル:インドはNPT加盟国ではなく、同条約を不公平だとして批判している。しかし、事実上、インドは核保有国として認識されており、インドに対し約150個の核弾頭を放棄することを迫る国際的な取り組みはない。これがまさに、北朝鮮政府が念頭に置いているモデルだ。北朝鮮は事実上の核保有国として認められることを望んでいる。それが、新たな核戦力法で「朝鮮民主主主義人民共和国核戦力政策」と強調している理由である。しかし、インドとは異なり、北朝鮮は国際的に尊重されている民主主義国家ではない。

それどころか、北朝鮮は孤立し、追い詰められていると感じている。そのために、新法に記載されているように、その核兵器を「国家の主権、領土の一体性および基本的な利益を守り、朝鮮半島および北東アジアにおける戦争を防止し、世界の戦略的安定性を確保するための強力な手段」だと考えているのだ。北朝鮮は、自国とその核計画を安定化要素として説明している。キム・ジョンウン体制は核兵器を自身の生命保険のように考えているのだ。

国際社会は、これ以上の拡大を防止するか、少なくとも遅らせるために、痛みを伴う妥協をしなければならないかもしれない。イランとの間で長年にわたり交渉された2015年の条約は、大きな欠点もあったが、それでもイランの核の野望を遅らせるチャンスをもたらした。しかし、北朝鮮に核兵器を諦めさせる可能性は、同国の体制に失うものが多いため、極めて小さいといえる。(IDN

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。

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ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ヴァディム・ヤロシェンコ氏に直接取材した証言です。

2022年2月25日にロシア軍の部隊がブチャに現れました。ロシア兵は、最初の数日は戦闘に手いっぱいで住民に関心がなかったが、街を完全に占拠し、各地のアパートに住みつくと、この招かれざる客は地元住民に目を向け始めました。

「その時点では私たちは比較的に幸運でした。私たちのアパートは中心部から遠く離れていて、他の地域とは違い、奇跡的に爆撃を受けなかったのです。私たちはこのアパートに監禁され、ロシア軍は私たちに水を汲みに行くことを禁じました。庭には未完成の駐車場だった格納庫があり、そこで全体で炊事をしていました。入居者がジャガイモや缶詰など、持っているものを持ちよって共同の鍋に全部入れていました。

ロシア占領下のブチャで調理する人々(写真:ヴァディム・ヤロシェンコ)

ある晩、ロシアの榴弾砲だか戦車だかがアパートの庭に入ってきて、私達住民を盾にしてウクライナ軍陣地への砲撃を始めたので、このまま家にいては危険だと悟ったんです。3月10日、私たちは自己責任でアパートを脱出することにしました。白いシャツやシーツを破いて車にかけ、ロシア軍に私たちが民間人であることを示しました。

逃亡中の道のりはとても恐ろしかったです。道端の両側には、銃弾で穴が開いたボロボロの車が散乱し、その中には死体もありました。この人たちも私たちと同じように、ただ危険な場所から脱出しようとしているのだと理解しましたが、彼らはロシア軍に撃たれてしまったのです。私たちは子どもたちの目を覆い、凄惨な光景を見せないようにしました。いつ自分たちにも同じことが起こるかもしれないと思いながら、祈るようにずっと車を走らせました。その日は人道回廊が発表され100台以上の車があったのは幸運でした。もしかするとそれで助かったのかもしれません。ロシア軍による検問はありましたが、幸いにも手を出されることはありませんでした。

住民たちが身を寄せ合って温かい料理を作っていた家の隣の格納庫で(写真:ヴァディム・ヤロシェンコ)

(私たちが脱出した後)、アパートには、友人も含めて数家族しか残っていませんでした。当時、街には通信手段がなかったのですが、彼らは後に、ロシア兵が軍用車を家のすぐそばに乗り付け、洗濯機、家電製品、蛇口、コンピュータ、テレビ、衣服など、持ち出せるものは何でも積み込んでいくのを見た、と話してくれました。ロシア兵はアパートからアパートへと侵入していった。まだ人がいるところだけ、そのままにしておいた。武器、食料、金、宝石が目当てです。私たちの団地には9階建てのビルが5棟あります。私たちのアパートには何も残っていなかったかもしれません。

ブチャを占拠した兵士達はのロシアの田舎から招集されて来た貧しい人々で、彼らの基準からすると豊かな私たちの生活(ブチャやイルペンは戦前のキーウの美しく裕福な郊外)に明らかに腹を立てていることが、見てとれました。彼らは、こんなものは見たことがない、私たちの生活水準に衝撃を受けていました。こうした羨望の念が、ロシアのプロパガンダに重なり、私たちはロシアの敵「ウクロプス(ウクライナ人の蔑称)」のレッテルを貼られ、そのためにさらに嫌われました。彼らはブチャでは誰も歓迎されなかったので、怒りと憎しみを、時間内に街を出なかった貧しいウクライナ人住民にぶつけたのです。」

追伸:ヴァディムは後日、以下のメッセージを当通信社に送ってきて、インタビューの本文に載せてほしいと頼まれた。「ソ連生まれの私は、ロシアがウクライナを攻撃するなんて、たとえ恐ろしい夢の中でも信じられませんでした。でも実際にやってしまった。この日、もし私がどこか外国にいて、テレビでホストメリ、ブチャ、イルペンが爆撃されているのを見たら、信じられなかっただろう…でも私はそこにいた、ブチャにいた、すべてを見たのです。第二次世界大戦中の軍隊が、ウクライナのアパートのドアを壊し、洗濯機やトイレを車に積み込んでいく古い映像を見たとき、信じられませんでした……。そして今、平和に暮らしていた人々の切断された死体やレイプされた女性たちを見ると、私の21世紀の人間の脳は、再びこの現実を信じようとしない。 今の私は、私と同じようにウクライナで今起こっていることに恐怖を感じるすべての人々を理解する準備ができています。しかし、それを見ていないからという理由で戦争犯罪を否定する人々を理解することはできません。ましてや、それを肯定する人たちを理解することはできません。」(原文へ

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|軍縮教育|国連、あらたな方策で核軍縮推進へ

【ジュネーブIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

アントニオ・グテーレス国連事務総長は2018年5月24日、大量破壊兵器や通常兵器、未来の兵器技術など、軍縮問題全範にわたる一連の実践的措置をまとめた「軍縮アジェンダ」を発表した。

このアジェンダのタイトルにもなっている「私たち共通の未来を守る」ための「行動1」は、「核軍縮のための対話を促進する」ことを目的としている。このアジェンダは、軍縮と不拡散が、国連憲章に謳われているように、人間開発にとって望ましい安全な環境作りに不可欠のツールであることを強調している。

Vienna International Center/ photo by Katsuhiro Asagiri
Vienna International Center/ photo by Katsuhiro Asagiri

軍縮教育は、核軍縮を推進するための重要な手段である。それゆえ、国連軍縮部(UNODA)の重要な優先課題は、そのさまざまな組織の支部を通じて実施されてきた多くの教育活動に協力することである。

この戦略は、軍縮部の任務の持続可能性と影響力を強化する取り組みの一環であり、ますます厳しさを増す軍縮及び国際安全保障環境の中で、信頼でき、幅広く、包摂的な軍縮教育が緊急に必要とされている状況に対応したものだ。

国連軍縮部ウィーン事務所は、このことを念頭に、初の「軍縮教育戦略」を2022年12月5日にウィーンで開かれた「仮発表」イベントで打ち出した。世界全体に向けた発表は2023年前半を予定している。

この戦略には、今後数年間、国連軍縮部が軍縮教育活動で推進する4つの主要分野の概要が示されている。国連軍縮部ウィーン事務所のレベッカ・ジョビン代表は、イベントでこれらの目標を発表し、UNODA独自の専門性や不偏性、さまざまな主体を糾合しつなげる力の点で同軍縮部が持っている軍縮教育分野の比較優位性について強調した。

ジョビン所長は、UNODAが数多くの教育の取り組みを同時並行的に進めると強調した。そうすることで、国連の内外におけるより広範な教育の取り組みと軍縮の側面を統合し、平和や安全保障、開発、人権、ジェンダー平等にとっていかに軍縮が重要であるかについて理解を広げていくことを目指す。

ジョビン所長はさらに、パートナーシップの中心的な役割と、軍縮教育分野を前進させるうえで関連するネットワークを生み出し、接続し、橋を架けることへの軍縮局への取り組みを強調した。

イベントには、オーストリア外務省軍縮・軍備管理・不拡散局長のアレクサンダー・クメント大使、ウィーン軍縮不拡散センター(VCDNP)のエレナ・ソコバ事務局長も加わった。

Staff of the UNODA Vienna Office were joined by Ambassador Mr. Alexander Kmentt for a group photo at a  reception celebrating the 10th anniversary of the Office
Staff of the UNODA Vienna Office were joined by Ambassador Mr. Alexander Kmentt for a group photo at a reception celebrating the 10th anniversary of the Office

クメント大使は、特に現在の激動する国際安全保障環境における軍縮教育の不可欠の役割を強調し、オーストリアが軍縮教育を長らく重視し、将来への大きな投資だと考えてきたと語った。また、この作業を進めるためにオーストリアがUNODAウィーン事務所に財政支援を行うことを発表し、軍縮教育におけるドナーの幅広い支援を呼びかけた。

ソコバ事務局長はつづけて、軍縮・不拡散の目標達成のため、国連の戦略を実行し、UNODAなどの主要なパートナーと協力することを表明した。とりわけ、伝統的な軍縮分野の外にいる主体と積極的に関わり、特定の対象者や文脈に見合った形で資源を動員しアプローチを採ることで、国際の安全の問題に対応するさまざまな主体や方法論、能力を糾合するコミュニティ・アプローチを採ることの重要性を強調した。

この発表イベントはまた、国連軍縮部ウィーン事務所発足10周年を祝うものでもあった。クメント大使は2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議を振り返った。

この時の会議で、オーストリアのミヒャエル・シュピンデルエッガー外相(当時)が国連軍縮部ウィーン事務所の誘致(及びVCDNPの設立)を打ち出した。軍縮・不拡散分野の専門性を高め、その他の軍縮部事務所との連携を密にし、ウィーンにおける能力構築の取り組みを強化することが狙いだった。

2022年にはまた、UNODAとストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が、軍縮・軍備管理・不拡散における責任感のあるAIイノベーションに関する初の世界的なプロジェクトが遂行された。これは韓国政府からの支援によってなされたものであった。

この協力の重要性は、責任感のあるAI利用に関する研究・実践が発展途上であるという点にある。AIを巡るガバナンスに対する望ましいアプローチとして専門家が論じていることは、それを重要なセクターを横断していかにして実践化していくか、多くの異なったアプローチをいかに調整していくか、そして、重要なことには、それを、民生技術の濫用・軍事転用のリスクを含めた、軍縮・平和・安全の問題にどう関連付けて理解するか、といった問題だ。

この空白を埋めるために、軍縮部・SIPRIプロジェクトは、軍縮・軍備管理・不拡散の取り組みに対する「初期の」貢献として責任感のあるイノベーションを促進し、AI分野の若い技術者たちをさらに関与させることを目指している。

2022年、プロジェクトは3つの主要かつ相互に関連した活動を行った。

Young AI practitioners shared their perspectives on the risks presented by AI, and strategies for mitigation.
Young AI practitioners shared their perspectives on the risks presented by AI, and strategies for mitigation.・UNODA

第一に、世界から集まった大学院修了クラスの若い技術者らが1週間のオンラインワークショップに参加した。双方向的かつシナリオを基礎としたセッションを通じて、大学院修了クラスの多様な集団が軍縮を巡る中核的な考え方に触れ、AIが軍縮に対してプラスにあるいはマイナスに作用しかねないケースについて認識を高め、AI開発に巻き込まれ影響を受ける他の利害関係者の役割や諸個人・組織の責任について考察した。

第二に、国連軍縮部とSIPRIは、AI技術者にとって世界最大の組織であり主要なフォーラムである米国電気電子学会(IEEE)が発行する「IEEEスペクトラム」誌に、AIコミュニティの盲点としての平和と安全に関する記事を発表した。この記事の中で著者は、民間に焦点を当てた責任あるAIの既存の取り組みを平和と安全保障、軍縮、軍備管理、不拡散の懸念と結びつけ、可能なアプローチをモデル化するワークショップの成果を基にした取り組みを試みている。

UNODA

第三に、このプロジェクトは、若い技術者に対する教材の策定・トライアルの場としても機能し、その後ファクトシートやスライド、動画付きプレゼンテーションといった複数のフォーマットの教材に発展している。これらは現在、国連軍縮部の教育関連ウェブサイトで利用可能だ。(原文へ

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国連平和維持活動の犠牲者が続出

【国連IDN=タリフ・ディーン

国連の平和維持要員は、国連で最も危険な仕事の1つとされ、進行中の軍事紛争や紛争後の地域で日常的に命を危険に晒してしている。

国連職員組合が20日に発表した数字によると、2022年には少なくとも32人の国連平和維持要員(女性警察官1人を含む軍人28人、警察官4人)が「意図的な攻撃」で死亡している。

その内訳は9年連続で「国連マリ多次元統合安定化ミッション(MINUSMA)」が14人と最も多く、次いで「国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)」で13人、「国連中央アフリカ共和国多次元統合安定化ミッション(MINUSCA)」で4人、「国連レバノン暫定軍(UNIFIL)」で1人が殉職している。

2022年に死亡した平和維持要員の国籍別内訳は、バングラデシュ(3人)、チャド(4人)、エジプト(7人)、ギニア(1人)、インド(2人)、アイルランド(1人)、ヨルダン(1人)、モロッコ(1人)、ネパール(1人)、ナイジェリア(2人)、パキスタン(7人)、ロシア連邦(1人)とセルビア(1人)である。

Image credit: United Nations
Image credit: United Nations

職員組合によれば、過去12年間に手製爆弾、ロケット推進擲弾筒、砲撃、迫撃砲弾、地雷、武装・連続待ち伏せ、車列攻撃、自爆攻撃、標的暗殺などの意図的攻撃で死亡した国連および関連職員は少なくとも494人となる。

UN Soldiers in Eritrea” by Dawit Rezene Licensed under CC BY-SA 1.0 via Wikimedia Commons
UN Soldiers in Eritrea” by Dawit Rezene Licensed under CC BY-SA 1.0 via Wikimedia Commons

その以前の殉職者数は以下の通り:2021年(25人)、2020年(15人)、2019年(28人)、2018年(34人)、2017年(71人)、2016年(32人)、2015年(51人)、2014年(61人)、2013年(58人)、2012年(37人)、2011年(35人)、2010年(15人)

「平和維持要員と、彼らと肩を並べて活動する文民要員は、世界で最も厳しい環境において、国連の活動の最前線にいます。2022年に命を奪われた32人の同僚を偲び、その死を悼みます。」と、国連職員組合会長のアイター・アラウズ氏は語った。

アラウズ氏はまた、「国連職員に対する悪意ある攻撃の一つ一つが、多国間協力体制の柱の一つである平和維持活動に打撃を与えています。国際法の下で戦争犯罪を構成しかねないこうした凶悪行為に対する説明責任を確保するための適切なメカニズムを整備することは、国際社会の連帯責任です。従って、2022年に平和維持要員に対する犯罪の責任を追及する有志国グループが発足したことに勇気づけられました。この問題に対する加盟国の強いコミットメントが、現場での具体的な成果につながることを期待しています。」と語った。

2021年7月1日から2022年6月30日の会計年度に承認された国連平和維持活動予算は63億8000万ドルだった。

この金額は、国連・アフリカ連合ダルフールハイブリッド作戦(UNAMID)の清算予算を含む12の国連平和維持ミッションのうち10のミッションに資金を提供し、アフリカ連合ソマリアミッション(AMISOM)の後方支援を行い、ブリンディジ(イタリア)のグローバルサービスセンターとエンテベ(ウガンダ)の地域サービスセンターを通じてすべての平和活動への支援、技術、後方支援を提供するものである。

残りの2 つの平和維持ミッション、国連休戦監視機構(UNTSO )と国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)は、国連通常予算で賄われている。

国連によると、平和維持要員は、世界で最も脆弱な政治・安全保障状況の中で、何十万人もの弱い立場の人々を守るために働いている。

平和維持ミッションの文民・制服組は、停戦の支援、暴力の防止と対応、人権侵害と虐待の調査、多くの紛争被害国における平和、復興、開発の構築に貢献している。

「彼らの存在によって人々の命が救われ、人生が変わったことは間違いありません。」

5月29日の「国際連合平和維持隊員の日」は、「1948年以来、国連旗の下で活動してきた100万人以上の隊員の奉仕と犠牲を悼む機会である。また、平和のために命を落とした4000人以上の平和維持要員の貢献を讃える機会でもある。」と国連は述べている。

最初の2つの国連平和維持活動の創設は、1948年に遡る。国連休戦監視機構(UNTSO)と国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)である。

1970年代に中東の平和維持活動に従事した元国連職員は、IDNの取材に対して、いくつかの手当とともに「地域調整給」を受け取ることができたと語った。

基本給に加え、任地での生活費と米ドルの為替レートに応じて変動する「地域調整給」が支給された。

さらに、平和維持要員は以下のすべて、あるい は一部を受け取っている。

  • 新任地で家賃が報酬全体に占める割合が高い場合の家賃補助
  • 扶養義務のある配偶者や子供が任地にいる場合、扶養手当が支給される。
  • 一定の条件の下で、学校に通う子供がいる場合、教育補助金が支給される。
  • ある任務地から別の任務地へ移動する際の旅費と船賃。
  • 新しい任務地に到着または移転する際の初期臨時経費を援助するための赴任手当。

一部の勤務地では、生活・労働条件に関連したハードシップ手当が支給される。家族の帯同が制限されている場合、単身赴任ハードシップ手当も支給される。

「危険手当」、休養、療養休暇は、特に危険でストレスが多く、困難な状況下にある場所で勤務する場合に支給される。

国連によると、危険手当は、戦争や活発な敵対行為など非常に危険な状況が支配的で、家族や職員の避難が行われた勤務地に留まり出勤するよう要請された職員に与えられる報酬の一形態である。

国際公務員委員会(ICSC)委員長は、安全保障局事務次長の勧告に基づき、勤務地への危険手当の適用を認可する責任を負う。

この認可は通常、一度に3ヶ月までの期間であり、継続的な見直しが行われる。危険手当の適用は、危険な状況が緩和されたと判断された場合に解除される。

一方、1月22日正午の記者会見で、国連のステファンドゥジャリク報道官は、1月23日が国連平和維持の75周年にあたると指摘した。

「平和維持部門の同僚達は、この機会に『平和は私から始まる』をテーマにしたキャンペーンを立ち上げています。」

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

「このキャンペーンは、紛争下のコミュニティが直面する課題への理解を促進し、平和維持活動の価値と影響を実証し、平和のための世界的な運動の結集を呼びかけるものです。」

「1948年以来、125カ国の平和維持要員が世界71カ所の作戦に従事し、過去75年間で4100人以上の平和維持要員が国連の旗の下に命を捧げました。」

「このキャンペーンは、私たちが彼らの犠牲を思い起こし、彼らの犠牲を追悼する機会を提供するものです。」とデュジャリック報道官は語った。

国連職員組合国際公務員の安全と独立に関する常任委員会が作成した2022年の意図的な攻撃に関する詳細なリストは、担当のヴィクラム・スラ氏より入手可能である。(原文へ

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|視点|カザフスタンが今年、アスタナ国際フォーラムを開催する理由(カシム=ジョマルト・トカエフ カザフスタン共和国大統領)

【アスタナINPS Japan/アスタナタイムズ】

二極化が進む世界において、カザフスタンはしばしば東と西、北と南をつなぐ架け橋の役割を担っています。これは、わが国のユニークな歴史と地理が生み出したものです。何世紀もの間、カザフスタンは文化が邂逅する場所であり、人々の間に多様性だけでなく、真の相互尊重の精神が育まれてきました。だからこそ、グローバルな協力という価値観が自然に生まれてくるのです。この精神に基づき、私たちは独自の「マルチ・ベクトル外交」を構築し、長年にわたって成果をあげてきました。

President of Kazakhstan Kassym-Jomart Tokayev./ Astana Times

グローバルな諸課題に直面する中、カザフスタンが、対話、貿易、多国間主義、そして意見交換を支持しグローバルな協力を推進していく立場に変わりはありません。わが国は引き続き国際法を順守し、世界各国との建設的な関わりを追求していきます。このような観点から、私たちは、グローバルなレベルで多国間主義の文化を再構築するためのツールとなる新たな国際会議「アスタナ国際フォーラム」を立ち上げました。最も重要なことは、このフォーラムが、しばしば過小評価されがちな声を増幅させる新たな手段を提供することにあります。

アスタナ国際フォーラムの特徴は、世界の中堅国家(ミドルパワー)が今日の諸問題に対する見解や立場を議論し、その解決策を提示する場を提供する点にあります。

私たちがフォーラムで取り組む最初の課題は、外交政策、安全保障、持続可能性に関わるものです。現在、世界の平和と安定が、世界の主要な大国間の緊張によって脅かされていることは、誰もが知っていることです。一方、核軍縮や難民問題など他の国際問題も、不安定な国際システムや同盟関係にとって重圧となっています。さらに、多くの国々における国家主義(ナショナリズム)やポピュリスト運動の台頭は、引き続き国際関係を複雑にし、グローバルな協調対応を必要とする問題において共通認識を見出すことをますます困難にしており、長期的な問題に対して持続不可能な短期的解決に向かうリスクが高まっています。だからこそ、人類の集団的な未来を守り、正しい方向性を示すために、私たちがフォーラムに集うことが重要なのです。

Photo: Celebrations on the Day of the Capital City of the Republic of Kazakhstan. Credit: expo2017astana.com
Photo: Celebrations on the Day of the Capital City of the Republic of Kazakhstan. Credit: expo2017astana.com

世界的な協調を必要とする2つ目の課題は気候変動です。その影響は、海面上昇、異常気象、生物多様性の損失など、地球 に壊滅的な被害をもたらしています。一方、化石燃料に依存する世界では、温室効果ガスの排出削減や気候変動への対応がますます困難になってきています。一方で、エネルギー安全保障の確保やエネルギー転換において、石油・ガス産業が果たす重要な役割を見過ごすことはできません。エネルギー転換は複雑な問題であり、途上国が取り残されないよう、慎重に取り組まなければなりません。

最後に、新型コロナウィルス感染症のパンデミックにより、世界的に急激な景気後退が起こり、多くの国、企業、個人が苦境に立たされています。さらに、所得格差の拡大や世界の主要国間の貿易摩擦の進行も、世界経済に不安定さをもたらしています。第3の課題は、経済と金融に焦点を当て、これらの経済、環境、安全保障の課題に対して、グローバルに協調して対応する必要性を強調しています。

Map of Kazakhstan
Map of Kazakhstan

これらの課題は、一見困難なように見えますが、これは同時に国際社会が協力して共に前進する機会とも捉えることができます。国際社会が協力することで、アスタナ国際フォーラムでこれらの課題に取り組み、すべての人にとってより安定し、公平で、豊かな世界の実現に貢献することができるのです。

私は、これらの課題に対する実行可能な解決策を見出すために、この夏、官民両部門のグローバルリーダーをアスタナ国際フォーラムにお迎えすることを楽しみにしています。強力かつ包括的な国際協力を通じて、新たな道を見出すために結集しようではありませんか。(原文へ

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この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

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