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なぜジンバブエの女性は政治に無関心なのか

【ムタレIDN=ファライ・ショーン・マティアシェ】

ジンバブエの若い女性たちが家父長制的で男性支配的な政治の世界でのし上がっていこうとする際、オンライン上のいじめ(=ネットいじめ)や性的ハラスメントが問題となる。

若くカリスマ性があるネルソン・チャミサが率いる野党「変革のための市民連合(CCC)」に関する議論として始まったこの問題は、最終的には、CCCのファドザイ・マヘレ広報担当が与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線「ザヌPF」支持者からのネットいじめを巡る法廷闘争に打って出るという展開になっている。

国有紙『サンデー・メイル』のエドムンド・クドザイ元編集長が、マヘレとその婚約者とされる男性の裸の写真を掲載すると脅迫した。

Map of Zimbabwe
Map of Zimbabwe

マヘレの弁護士は後に、名誉棄損で10万ドルの慰謝料を求めてクドザイ元編集長を首都の高等法院に訴えた。

マヘレの事案はジンバブエ政治で多くの女性が直面する問題を象徴している。女性たちはしばしば、侮蔑的なあだ名を付けられたり、既婚の男性と不倫関係に陥っていると非難されたりすることで、口を封じられてきた。

政治における女性の権利を擁護する団体「リーダーシップと政治の浄化を求める女性アカデミー」のシタビル・デワ代表は、「女性が政治を敬遠する理由の一つに『ネットいじめ』があります。ネットいじめは、これまでも女性に対する武器として用いられてきました。政治の世界で要職を務め主導権を握ろうとする女性のほとんどが、個人情報をネットに流されたり、身体のことで男性からからかわれたりして、市民としてのイメージを汚され、票を失わせて政治の世界から去るように仕向けられてきたのです。」と語った。

デワ代表はまた、「ツイッターのようなマイクロブログ、フェイスブックやワッツアップのようなメッセージアプリなどでのヘイトスピーチも女性を政治の世界から追い出すために使われてきました。」と指摘した。

CCCの「女性の権利向上」臨時担当であるバーバラ・グワングワラ・タニャンイワは、若い女性や既婚女性の多くが政治を敬遠するのは、この国で女性が不当に扱われているためだという。

「驚くべきことに、国会議員を含めたほとんどの男性政治家は、男女平等などというものは労せずして女性に利益を与えるに等しいものだ、程度に考えています。他方で、政治を職業とする人が増えているため、男性が就くべきだと考えているポジションに女性を就かせようとはしません。」と、タニャンイワは指摘した。

人権活動家であり野党「労働・経済・アフリカ民主党」(LEAD)の党首でもあるリンダ・マサリラは、様々なSNSで侮蔑的なあだ名で呼ばれてきた。

「私が気づいたのは、ジンバブエはきわめて家父長制的な社会だということです。ジンバブエの政治や経済の世界で私のような人間が頭角を現すことは、多くの男性にとっては好ましくないことなのでしょう。男性は、いかに女性が力を持っているかを知っていますから、意見を持った女性を黙らせようとしますし、女性を黙らせる唯一の方法はその女性の人格そのものを攻撃することだということに、私自身が政治に関わる中で気づいたわけです。」とマサリラは語った。

議会でのジェンダー平等を促進するために、2013年に制定されたジンバブエ憲法では、上院で男女平等の議席割り当てが規定されており、2020年現在、上院議員80人のうち48%が女性となっている。

2018年の総選挙後、計350議席を持つ上下院の合計で女性議員は34.57%を占めている。

「2023年、女性にとっての政治環境は悪化する」

2023年に予定された統一選挙まであと1年となる中、政治に携わる女性たちは、多くの若い女性政治家にとってはいばらの道が待っているのではないかと懸念している。

ジンバブエ政治における女性は、現実世界でも性的嫌がらせを経験している。

2020年5月、ジンバブエの3人の活動家であるセシリア・チンビリ、ジョアナ・マモンベ、ネツァイ・マロヴァが、新型コロナウィルスから個人を防護する器具を政府が提供できなったことを抗議するデモに参加したことで誘拐され、性的虐待を受け、拷問されたと見られている。

政府はこの事件を捜査し容疑者を逮捕するのではなく、逆に、誘拐を偽装したといういう理由で被害者3人を逮捕した。3人は依然として法廷で争っている。

「政治的な暴力やセクハラは、政治に携わる女性に対して行われてきました。政治的な動機による暴力やセクハラの事案は多く記録されています これは昔も今も女性が政治を恐れる理由になっています。」とデワ代表は語った。

タニャンイワは、女性には非暴力的な環境が必要であり、2023年の統一選挙ではまだ多くの女性が政治に参入してくることはないだろうとして、「2023年の選挙に向かって、ザヌPFが暴力に訴えている中では、女性にとっての環境がよくなるとは思えません。」と語った。

デワ代表は、ジンバブエが来年の選挙に向かう中、各政党が選挙戦を繰り広げ、政治的環境は不安定化してくるだろうと見ている。

「SNS上を含めて女性指導者を狙った政治的動機に基づいた暴力は、命を狙うこともあります。女性の指導者や活動家は、政治的動機を持った加害行為や嫌がらせに直面しています。自分の命や家族が危険にさらされることを恐れて、女性が政治に関わらなくなる」とデワ代表は語った。

あらたなデータ保護法は政治の世界の女性を守るか?

ジンバブエ議会は昨年12月、サイバーセキュリティやサイバー犯罪に関連したデータ保護法を制定した。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

政治における女性の権利を擁護する一部の組織は、自らを守るためにデータ保護法を利用し、SNS上で嫌がらせを加えてくる者を裁判に訴えようとしている。

デワ代表によれば、ネットいじめと闘うために、それがいかに問題であるか意識を高めていく必要があるという。

デワ代表は、「政治に参加する女性はサイバーセキュリティに関する訓練を受けて、ネットいじめに対する耐性を身につけ、そうした事案に対処するための知識を持たねばなりません。」と語った。

「もし政治環境が女性にとって有利になり、暴力から解放されるようになれば、より多くの女性が自由かつ積極的に政治の世界に参入してくるようになるだろう。」とデワ代表は語った。

「女性が政治に参入しやすい環境を作るのが政党や市民社会、政府、その他の関係者の義務に他なりません。」

タニャンイワは、ジンバブエのすべての政党の指導者らがネットいじめを非難すべきです。」と語った。(原文へ

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アミン・サイカル

アフガニスタン統治から1年が経った今なお続く、タリバンによるイスラムの名における過激な残虐行為と、包摂的な政府と人権尊重を求める国連主導の国際的な要求の無視は著しい。タリバン政権は世界の承認を得ておらず、アフガンの人々はアフガニスタンの現代史において最悪の人道危機の只中にある。この国の将来の見通しがこれほど暗かったことはない。

アフガニスタン市民および世界は、米国のアフガニスタン和平担当特別代表ザルメイ・ハリルザドから、タリバンは変わったのだとたびたび聞かされてきた。彼は、2020年2月にアフガニスタンから外国部隊を全て引き上げるとの合意をタリバンと結んだ。また彼は数名の識者とともに「ニュー・タリバン」という用語を作り出し、2001年9月の米国同時多発テロ攻撃の後、アルカイダを匿っているとして米国の侵攻により転覆された以前の過酷な統治体制とは異なる、繊細さがある組織であると再定義した。(原文へ 

しかし、パキスタンの後ろ盾を得るとともに、反米の立場から中国とロシアに接近されているタリバンは、その過激な神権的信条と実践において変化の兆しを見せていない。彼らはアフガニスタンを中世に戻してしまい、厳しい政治的社会的制約を課し、反対派を残虐に罰している。タリバンが属するパシュトゥン民族より小規模な非パシュトゥンの少数民族の人々は言うまでもなく、女性や少女たちも、体制による抑圧の主なターゲットとなっている。アフガニスタンの経済、財政および開発の取り組みは崩壊し、同国の推定4千万人の人口の半数以上に飢餓が迫っている。

一方、米国の政治および軍事のリーダーたちは、正確に言って何が、米国の、ひいてはNATOおよびNATO以外の同盟国の、アフガニスタンにおける戦略的な失敗に繋がったのかを判断するため自己分析してきた。この問題について公に語った最近の高官が、元米軍のイラク・アフガニスタン駐留司令官でCIA長官も務めたデヴィッド・ぺトレイアスである。 The Atlanticに今週掲載された記事において、彼はアフガニスタンにおける米国の失敗の主な理由は、戦略的な忍耐とコミットメントが欠けていたこと、資源配分の誤り、パキスタン国内にあるタリバンの聖地への進入を渋ったこと、そして条件付きではなく時間ベースの軍の撤退、さらには、適切なアフガン人指導者がいなかったことだと指摘している。

ぺトレイアスは、恐らく一部は自責的に、米国のアフガニスタン侵攻が大失敗に終わった理由、および、タリバンと同盟勢力のアルカイダの復権を防ぐにはどうすればよかったかについて、説得力のある主張を述べている。彼は、アフガニスタンにおいて米国は少なくともイラクで達成したことを達成できたはずだ、と仄めかしている。もっともイラクも未だ低迷しているが。しかし彼は、相反する利益をめぐって地域的・世界的な対立が存在する地域において、介入する大国が合理的に耐えられるような期間内に、内陸のアフガニスタンのような伝統的で細分化された国を、存立可能な国家にどうやって変貌させられるかについては述べていない。彼は、歴史的にアフガニスタンにおける国家建設を妨げ、介入する大国が自分たちのイデオロギーと地政学的な目的に沿ってこの国を形作ることを妨げてきた要素を看過しているようだ。

米国の失敗は、その理由が何であれ、タリバンの支配がアフガン人だけでなく西側諸国をも悩ませる国を残してしまったということである。

現在とりうる最善の選択肢は、アフガニスタンの人々を支援し、彼らが平静と力を取り戻し、内部からの変化をもたらせるようにすることだ。タリバンとパキスタンからの支援勢力に対するアフガニスタン国内のレジスタンス(抵抗運動)は拡大している。アフマド・マスードが率いる国民抵抗戦線(NRF)が、アフガニスタンの北部および北東部で非常に活発になっている。マスードは、1980年代のソ連による占領とその後のタリバン政権と戦い、9.11事件の2日前にアルカイーダ・タリバンの工作員に暗殺されたことで知られるアフマド・シャー・マスードの息子である。NRFは、カブール北部のパンジシール州を拠点とするが、その兵士たちは様々な民族的出自を有し、かつて米国が訓練したアフガニスタン軍および治安部隊の一部も含んでいる。NRFは自由で独立した、包摂的で、政治的、社会的および宗教的に進歩的なアフガニスタンを支持している。

NRFの活動に続くように、アフガニスタンのその他の地域でも反タリバン勢力が蜂起している。その中でも、中央部の諸州はハザラス族の伝統的な居住地であるが、彼らは、パンジシールのタジク人のように、タリバンの民族浄化作戦の標的とされているとの報告がある。一方、アフガニスタンの勇敢な女性たちは、完全に沈黙させられたわけではない。粘り強く運動を続けている。

そういうわけで、全てが失われたわけではない。米軍から引き継がれた最新の軍備の量を考えれば、タリバンとの戦いは長く厳しいものとなる。それでも、タリバンおよびその国外の支持勢力が、米国とその同盟国に対する勝利が彼らの民族的政治的優位とアフガニスタンの安定への道を開いたと考えているとしたら、 その期待は中長期的には裏切られることになるだろう。

この記事は、 The Strategistに2022年8月11日付けで掲載されたものです。

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アミン・サイカルは、シンガポールの南洋理工大学ラジャラトナム国際学院で客員教授を務めている。著書に“Modern Afghanistan: A History of Struggle and Survival” (2012)、共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、“The Spectre of Afghanistan: The Security of Central Asia” (2021) がある。

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アミン・サイカル】

世界が今週末、9・11テロ事件の記念日を迎えるとき、他の二つの出来事も思い起こすべきだ。まず、ニューヨークとワシントンへのテロ攻撃の2日前である2001年9月9日、アフガニスタン軍司令官アフマド・シャー・マスードがアルカイダのエージェントによって暗殺された。マスードは、1980年代にはソ連軍と、次いで1990年代にはタリバン・アルカイダ連合と戦っていた。三つの暗い出来事の最後の一つは、1年前にアメリカおよび同盟国がアフガニスタンから撤退する中でタリバンが復権したことである。これらが合わさって、今日のアフガニスタンが陥っている混乱のもととなっている。(原文へ 

アルカイダによるアメリカ攻撃は前代未聞のものだった。同様に前代未聞だったのが、アメリカが対テロ戦争の最初の一撃として、また、極めて伝統的で社会が分裂し、経済的に貧困で、紛争で荒廃した国を民主化しようという試みとして行った報復的アフガニスタン侵攻だ。アフガニスタンは、1978年の親ソ連派によるクーデターの時点から、国内の脆弱性および諸勢力の権力闘争、そして、国外からの介入によって火に油が注がれる、血なまぐさい戦争の泥沼に陥ってきた。

マスードは、独立した主権を有する進歩的なイスラム国家アフガニスタンを目指し、カブールの北のパンジシール渓谷の拠点を要塞に変えた。最初はソ連とカブールにおけるその代理政権に対して、次いで、中世的な神権恐怖政治を打ち立てたタリバンに対してであった。タリバンは、パキスタンの支援を受け、またアルカイダと連携していた。マスードは、その勇敢さ、先見の明とそして戦略的な指導力によって、パンジシールのライオン、あるいは、サンディ・ゴールが近著で評するように「アフガンのナポレオン」として知られるようになった。マスードは、9・11の数カ月前に、アフガニスタンからのテロ攻撃の危険について欧米諸国に警告していた。彼はアルカイダの第一の標的となり、その2日後に実行されたアメリカに対するテロ計画の準備の一環として殺害された。

しかし、マスードのレガシーは彼と共に消え去ったわけではない。タリバン政府を転覆させ、タリバンとアルカイダの指導者と工作者をパキスタンに敗走させたアメリカの軍事作戦にとって、マスードが率いていた軍の協力は極めて重要だったと明らかになった。しかし、タリバンとアルカイダに勝利して彼らを排除することに失敗し、彼らのパキスタンとの繋がりを断つことができなかったことで、2年後に、テロリスト勢力が復讐のカムバックを果たすことを許してしまった。

ワシントンが9・11の黒幕オサマ・ビン・ラディンを追跡し、アフガニスタン侵攻をより広い意味の対テロ戦争に巻き込み、さらに民主化政策を進めようとした結果、アフガニスタンは変化・発展していくという、非常に困難な道のりを歩むことになった。これらの取り組みによって、アメリカおよび同盟国によるアフガニスタンへの関与は長引いて深みにはまり、また、対テロ戦争はアメリカによるイラク侵攻に繋がり、アメリカの資源がアフガニスタンからシフトしていくこととなった。民主化の試みは、ハミド・カルザイおよびアシュラフ・ガニ両大統領の下での無能で簒奪主義的なアフガニスタン政権を生み出した。

これら2人の指導者のいずれも、その他多くの有力者と同様、自己利益と権力闘争から自らを解放して、国民の統一と幅広い繁栄をもたらすことはできなかった。彼らはアフガニスタン国民を失望させただけでなく、アメリカとその同盟国にとって、その地域での実効的で信頼に足るパートナーとなることもできなかった。一方、その莫大な人的、物的資源の投入にもかかわらず、アメリカは、アフガニスタンとその近隣地域の複雑さについて正しい理解を欠いていたため、適切な戦略を進めることができなかった。大国が小さな戦争に負ける際の典型的な例で、アメリカはアフガニスタン国民を失望させた。タリバンとその支援者たちにとっては、これ以上願ってもない展開となった。

アメリカとその同盟国は、勝てない戦争から軍を撤退させることをとうとう決定した。アメリカで声高に戦争を批判していたドナルド・トランプ大統領が、見当違いで新保守主義的な共和党の信奉者であるアフガン系アメリカ人、ザルメイ・ハリルザドの助けにより、2020年、タリバンとの恥ずべきドーハ和平合意を締結するに至った。それは、なんらの見返りもなく、すなわち紛争についての実行可能な政治的解決はもとより、全面停戦すらなく、あらゆる外国勢力をアフガニスタンから撤退させるということだった。アフガニスタンは皿に乗せられて、タリバンとその国外の支援勢力に提供された。トランプの次の大統領となったジョー・バイデンは、お粗末ではあったが、とにかくそのプロセスを完遂し、タリバンが個人の指導に基づく神権的秩序を宣言する扉を開いた。そのタリバン指導者らの大半は依然として国連のテロリスト一覧に載っており、その一部はFBIの指名手配対象でもある。

ハリルザドおよびその他いく人かの考えの甘いアナリストたちは、タリバンは変わったと信じていたが、今や「ニュー・タリバン」などというものは存在しないことが明らかになった。タリバンは、恐怖政治を復活させ、女性そして神権的、抑圧的な統治に反対するあらゆる者を標的にしている。アフガニスタンにおける20年間にわたるリベラル寄りの変化と再建の取り組みによって、教育を受け、連帯感をもつ若い世代がより良い将来への希望と共に育ってきていたが、それらはすべて覆されてしまった。

アフガニスタンは、経済、財政、社会および文化の面で暗黒時代に突入させられている。人口の半分が飢餓に直面し、のけ者国家になってしまった。タリバンの排他性、民族至上主義および時代遅れの宗教性を特徴とする政治は、反米のスタンスゆえにロシアおよび中国にとっては魅力があるかもしれないが、アフガニスタンの状況は恐ろしいほどに忌まわしく、困難なものになってしまった。

マスード(彼を背景に欧米は冷戦に勝利したと『ウォール・ストリート・ジャーナル』は述べた)の理想は、自由で前進的な、多民族かつ熱心なイスラム国家たるアフガニスタンだった。この目標はいま難局に面しているが、けっして雲散霧消してしまったわけではない。高等教育を受け戦略的思考を身に着けた彼の息子、アフマド・マスードがそれを引き継ぎ、現在、タリバンに対抗する民族抵抗戦線(NRF)を率いている。NRFの兵士たちは、タリバン前の政府の軍および治安部隊のメンバーも含んでおり、再編成されてアフガニスタン北東部および北部の12州において展開している。NRFは、自由、公選された包摂的な政府および人権、具体的には、タリバンの非人間的で残虐な制約と懲罰の前に大変な勇敢さを見せた女性と子どもの権利の尊重を望んでいる、大半のアフガニスタン国民の希望の宝庫となっている。NRFの作戦は、アフガニスタン国内の他の一部地域でも育ちつつあるレジスタンスによって補完されている。

タリバンは、そうした政治にとって適任ではない。彼らは、啓蒙されたイスラム主義を受け入れるために自ら変わる様子もなく、内部で団結してもいない。反タリバン勢力が、国内的にも国際的にも合法的な、参加型の統治機構、および人権と女性の権利を尊重する、統一された主権国家アフガニスタンに向けて交渉できるようになるまで、欧米が彼らを支援することが不可欠だ。いかなる状況であれ、アフガニスタンの魂のための苦闘は続いていく。

アミン・サイカルは、シンガポールの南洋理工大学ラジャラトナム国際学院で客員教授を務めている。著書に“Modern Afghanistan: A History of Struggle and Survival” (2012)、共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、“The Spectre of Afghanistan: The Security of Central Asia” (2021) がある。

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労働移住と気候正義?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=キャロル・ファルボトコ、タウキエイ・キタラ、オリビア・ダン】

移住は、気候変動に対する適応策となりうるものである。適応策としての移住には、気候に脆弱な場所からの恒久的移住だけでなく、一時的移住も含まれる。一時的移住者が、資金、新たな知識、改良された技術などの資源を持ち帰る、または送り返すことにより、気候に脆弱な地域のコミュニティーにレジリエンスを構築することができる。

太平洋島嶼地域では歴史的に、一時的な国際労働移住は多くの国家の経済を支える重要な要素となっている。現在、オーストラリアとニュージーランドの両国が太平洋島嶼国(サモア、トンガ、フィジー、キリバス、ツバル、バヌアツ、ソロモン諸島、パプアニューギニア、ナウル)の国民に対し、国内労働者が不足している園芸や食肉加工といった産業での就労機会を提供している。これは、ニュージーランドでは認定季節雇用者(RSE)制度、オーストラリアでは太平洋・オーストラリア労働移動(PALM)制度により実施されている。(原文へ 

移民を送り出す太平洋島嶼国、特にツバルやキリバスのような小さな環礁国では、全体的な気候変動適応策や気候変動による人口移動に関する政策の要素として、国際労働移住がますます注目されるようになっている。実際、太平洋島嶼地域は現在、気候変動による人口移動に関する地域枠組みを確立しつつある。この枠組みの下で、国境を越えた労働移住は、気候変動という文脈において促進する必要がある移動として位置づけられる。

しかし、太平洋島嶼地域の労働者が利用しているオーストラリアとニュージーランドの労働移動制度は、現時点では気候適応策としての移住という概念を認めておらず、気候正義を実現する有望な手段として労働移住を位置づけてもいない。むしろ、これらの制度はひとえに経済発展という観点で構成されている。現状では、労働者の出身国の適応成果を改善するための明確なメカニズムは、これらの制度にはない。

気候正義には、最も気候変動の原因とはなっていない人々が、気候変動の影響を不釣り合いに大きく受けるという認識が必要である。気候変動により不釣り合いに影響を受ける人々の権利を解決の中心に据える必要がある。気候正義に関する事項は、国際労働移住については特に重要であるとわれわれは訴える。なぜなら、多くの場合、労働者は気候に脆弱な場所から国境を越え、より多くの温室効果ガスを排出してきた先進国に移住するからである。したがって、これらの先進国は、自国内で労働移住プログラムを提供することによって気候正義を明確に前進させる責任があると言えるだろう。

興味深いことに、気候主流化、つまり政策分野に気候変動問題を組み入れるという課題はオーストラリアの開発支援政策の重要な柱となっているものの、労働移動プログラムは気候主流化の対象とはなっていない。その理由は不明であり、さらなる調査を必要とするが、太平洋島嶼民の移住と気候変動を関連づけることへの政治的懸念、あるいはこれを主流化することに伴う複雑性やコストがあるのではないかと思われる。

また、国際労働移住制度を移民送り出し国の気候変動適応政策とどのように調和させることができるか、気候適応と気候正義を前進させるためにどのように制度を強化することが考えられるかという問題がある。気候に脆弱な場所に住む人々に出稼ぎの機会が存在することは、それ自体では太平洋島嶼民にとって気候正義を前進させることにはならない。それにはいくつかの理由がある。

第1に、家族やコミュニティーを母国に残してきた出稼ぎ労働者は、一般的に経済的な利益を得るが、このような利益には、外国で働いている間に心身の不健康や家族の不和が生じるといった、重大な社会的リスクや精神的リスクが伴うことも多い。長期契約の場合は、配偶者や子どもを同伴できる選択肢を設けることが特に重要である。なぜなら、家族の別離という問題は、現在、労働者とそのコミュニティーに重大な社会課題をもたらしているからである。

第2に、気候に脆弱な場所にある故郷のコミュニティーも、社会・経済的ダイナミクスの大きな変化を経験する。例えば労働が増大し、多くの場合はさらなる負担を女性たちに負わせる。また、持続可能な(経済的、社会的、環境的)開発成果という点で全体的利益があるのか、あるとしたらどのような規模か(世帯、コミュニティー、国)ということもはっきりしない。

第3に、労働者やコミュニティーが経験する社会的・精神的課題は、気候変動の課題と気候変動への懸念に拍車をかける可能性がある。

第4に、現在実施されているプログラムでは、労働者、具体的に言えば、外国で数年間働いてきて、多くの場合現地でのネットワークや雇用者との信頼関係を築いている労働者に対して、恒久移住という選択肢が与えられていない。一部の労働者(全員ではないが)が、定住して恒久的な契約を結びたいと考えるのは当然のことである。それは、労働者にとって利益になるだけでなく、雇用者にとっても、労働者の家族にとっても、また、多くの場合は遠隔地・過疎地域である就労先のコミュニティーにとっても利益になる。

以上の理由から、現状のような労働移住制度では、太平洋島嶼民のための気候正義を前進させることはできそうもない。また、国際労働移住による環境適応という利益も、労働者、その家族、コミュニティーに高負担をもたらす恐れがある。先進国が設置する国際労働制度は、移民送り出し国と受け入れ国の両方の気候変動適応政策と歩調を合わせるとともに、気候正義の問題も十分に認識しなければならない。

また、調和は全体的なものでなければならない。恒久移住の選択肢を追加するだけといった、既存政策への断片的な追加では不十分であろう。例えば、恒久移住を選べることは重要かもしれないが、労働者が新たな居住地への法的資格を得るまでに何年間も社会的・精神的な苦境に耐えなければならないのであれば、たとえ厳密には可能であるとしても、必ずしも気候正義を達成することにはならないだろう。

キャロル・ファルボトコは、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の科学研究員およびタスマニア大学のユニバーシティ・アソシエートである。
タウキエイ・キタラはツバル出身で、現在はオーストラリアのブリスベーンに居住している。ツバルNGO連合(Tuvalu Association of Non-Governmental Organisation/TANGO)というNPOのコミュニティ開発担当者であり、ツバル気候行動ネットワークの創設メンバーでもある。ツバルの市民社会代表として、国連気候変動枠組条約締約国会議に数回にわたって出席している。ブリスベーン・ツバル・コミュニティー(Brisbane Tuvalu Community)の代表であり、クイーンズランド太平洋諸島評議会(Pacific Islands Council for Queensland/PICQ)の評議員でもある。現在、グリフィス大学の国際開発に関する修士課程で学んでいる。
オリビア・ダンは、オーストラリアのウーロンゴン大学地理・持続可能コミュニティー学部で博士研究員を務めている。環境科学、強制移住研究、国際開発のバックグラウンドを生かし、環境変動、農業変化、人の移動が交わる領域を分析する研究を行っている。

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核不拡散条約再検討会議、失敗に終わる

【国連IDN=タリフ・ディーン

世界の主要な核兵器国であるロシアによるウクライナ侵攻が核使用の恫喝を引き起こしているだけではなく、戦火に見舞われているザポリージャ原発敷地外での緊急演習まで開始されたことで、欧州全体に警告ベルが鳴り響いている。

この厳しい状況の中、4週間にわたって開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議は8月26日、失意のうちに終了した。

非公開での会合や公開討論が行われたが、最終「成果文書」の取りまとめには至らなかった。

Photo: UN General Assembly Hall. Credit: UN
Photo: UN General Assembly Hall. Credit: UN

数多くの政府代表や反核活動家は何の成果もなく手ぶらで帰国の途につくことになる。長期にわたって開催される国際会議としては異例の事態だ。

核兵器禁止条約の批准・履行を100カ国以上で推進している非政府組織の連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、ロシアが「最終合意を阻止した」として非難した。

今回の会議は、ロシアがウクライナを侵攻し、それに伴って核兵器使用の恫喝がなされて国際的緊張が高まり、核兵器使用のリスクが高まる中で開催されたものだ、とICANは指摘した。

会期中、191の加盟国の多くは、核のリスクを低減するための決定的行動を取り、核使用の威嚇を非難し、核戦力の拡大・強化を非難し、条約に定められた核軍縮義務の実行に関して進展をもたらす必要について言及した。

Beatrice Fihn
Beatrice Fihn

ICANのベアトリス・フィン事務局長は「この結果は末恐ろしいほど不真面目であり、受け入れがたいほど危険な世界情勢を前にして、完全に責任を放棄したものだ。」と語った。

「NPT上の核兵器国がその核兵器を利用して違法な侵略を進める中で、核保有国は自らの軍縮義務を進展させることを怠っただけではなく、核兵器使用のリスクがますます高まる中で820億ドル以上を核戦力の維持・強化に浪費している。再検討会議が何の行動も起こさないのは許しがたいことである。」

かつて国際原子力機関(IAEA)で検証・安全保障政策局長やNPT代表団の代表代理などを務めた経験のあるラリク・ラウフ氏はIDNの取材に対して「第10回NPT再検討会議が、NPTそのものや1995年・2000年・2010年の合意の履行を強化する勧告や行動に何ら合意できなかったことは驚きではない。」と語った。

今回の再検討会議は、ロシアの対ウクライナ侵攻やザポリージャ、チェルノブイリ両原発近辺での戦闘をめぐって失敗に終わったとは言えるが、核軍縮をめぐるスケジュールや基準、責任の果たし方をめぐって合意がなかったことにも大きな不満が残された。

Tariq Rauf
Tariq Rauf

イスラエルに対してきわめて弱い形でしか核兵器放棄を求めていない中東非核兵器地帯に関するほとんど意味のない文言にエジプトが合意したことは予想外だった、とラウフ氏は語った。

ラウフ氏は、エジプトが米国になびいた結果なのではないかという他のアラブ諸国の見方を伝えている。

「再検討会議に公式代表として出席するのは7回目になるが、5つの核兵器国やその核に依存する同盟国が、核軍縮を進める気がないことや、核兵器禁止条約がNPTと補完的な役割を果たすことを認識すべきとの動きを妨げていることは、本当に残念だ。」

ラウフ氏は、核兵器依存国にとって大事なのは核兵器の削減ではなくリスク低減であった、と指摘した。

一部の国の反対によってNPT再検討会議が合意に至れなかったのは今回が初めてではない。1990年、1998年、2005年、2007年、2015年には米国が頑なな態度をとったために合意に失敗した(2015年の場合はカナダと英国が米国に同調した)。

「2003年、2005年、2015年の行き詰まりにはエジプトが絡んでおり、2007年にはイラン、そして今年はロシアだ。核兵器使用の危険が高まっているのに、核保有国や核兵器依存国は、核の脅威によって暗雲が漂う中でも行動を取ろうとしない」と警告した。

今回の再検討会議議長のグスタボ・ズラウビネン大使(アルゼンチン)はきわめてうまく仕事を進めたが、8月26日夕方の最終段階まで、ウサギをウサギ小屋から追い出すことができなかった、とラウフ氏は語る。ここで言う「ウサギ」とは「最終成果文書」のことだが、NPT加盟国は初めから「ウサギ」など存在しないようにすべく努力をし、したがって議長は「ウサギ」を見つけることができなかったのである。

Rebecca Johnson at the 2022 Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons/ photo by Katsuhiro Asagiri
Rebecca Johnson at the 2022 Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons/ photo by Katsuhiro Asagiri

NPTの専門家であり、核問題について40年以上研究してきたレベッカ・ジョンソン博士はIDNの取材に対して「核の脅威や核拡散、戦争の脅威が高まる中、今回のNPT再検討会議が失敗に終わったことは危険な兆候ではあるが、驚きではない」と語った。

「ウクライナのザポリージャ原発に関する言及をロシアが拒否する以前から、NPT成果文書の草案は、軍縮や不拡散、核使用・核戦争・核事故を予防する必要性について、決定的に弱められていた。」

「軍事的な脅威が核施設と結びついた際に世界的に引き起こされる重大な人道上、環境上の危険を過小評価してはいけない。それに、ロシアをはじめとしたNPT上の核保有国がこの4週間をお互いの非難のために浪費しただけではなく、既存の核戦力に影響を与えるような核軍縮を巡る意味のある勧告と行動を阻止するために共謀したという事実も忘れてはならない。」

「核保有国は、表面上の言葉とはうらはらに、核兵器を維持するためにお互いに助け合い、核兵器禁止条約を含めた核軍縮措置を無視したり貶めたりしてきた。」

「恥ずべきことにフランスは、ウィーンで今年開催された核兵器禁止条約第1回締約国会合が宣言文と行動計画を採択したという基本事実を含め、同条約への言及を含んだ文言の一切を削除するよう要求した。現実を無視することは危険であるだけではなく愚かだ。」

ジョンソン博士は、核禁条約の成果文書は明白かつ具体的であり、核使用の予防、核戦力の検証可能な廃止、核の影響を受けた地域・環境の支援と修復の問題を扱っていると指摘した。

「NPTの失敗は、核保有国が核への依存を拡大し、核兵器の能力を強化することに忙殺されているからだ。彼らは、核兵器によって抑止力が与えられ、さまざまな形での軍事行動の自由が与えられると考えているが、それは誤っている。」

「安全、安心、環境に優しいものであるかのように、原子力技術を最高入札者に宣伝、販売しながら、どうして核保有国が『責任あるNPT加盟国』などと自らを呼ぶことができようか。」と、ジョンソン博士は付け加えた。

NPT会議では、米国・英国・中国がオーストラリアの原子力潜水艦導入計画(AUKUS同盟)をめぐって角を突き合わせる一方で、数多くの太平洋諸国の懸念や反対論は無視された。「NPT会議がずっと失敗に終わってきていることも無理はない。」と、ジョンソン博士は語った。

「私は、1994年以来すべてのNPT会議で核の安全や軍縮、保安問題に取り組んできたが、成功した会議はほとんどみたことがなく、失敗と政治的なポーズばかりであった。金曜(8月26日)夜遅くの国連総会議場では、怒りと失望、希望と決意の声が聞かれた。オーストリアは、核軍縮に実際の進展をもたらしたいと願っているすべてのNPT加盟国に対して、核禁条約への参加を呼びかけた。」

核禁条約の第1回締約国会合は、実際の世界において核軍縮と核保安を達成するためのより集団的、包摂的、実践的措置に向けて何を成すべきか、どのような基礎を敷くべきかを見せてくれた。

それを基盤として、「私達は、多くの非核保有国を代表したメキシコの次のような共同声明に盛り込まれた公約の実現に向けて努力をしなくてはならない―私達は、すべての国が核兵器禁止条約に加入し、最後の核弾頭が不可逆的に解体・破壊され、核兵器がこの地球上から完全に廃棄されるまでは、歩みを止めることはない。」とジョンソン博士は語った。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、NPT再検討会議が実質的な成果に関する意見の一致に至らず、NPTの強化とその目標の前進に向けた機会をとらえそこなったことに対して、失望を表明した。

グテーレス事務総長は、「NPT加盟各国が真摯かつ意味のある関与を行い、今回の会議がNPTをグローバルな軍縮・不拡散体制の『礎石』と認識した事実」を歓迎しつつも、集合的な安全保障を危険にさらしている火急の問題に対処できなったことに遺憾の意を表した。

「世界の環境が悪化し、偶発的あるいは計算違いを通じて核兵器が使用されるリスクが高まる中、緊急かつ決意を持った行動が求められている。」とグテーレス事務総長は述べ、緊張を緩和し、核リスクを低減し、核の脅威を完全に除去する対話・外交・交渉のあらゆる道を探るよう、すべてのNPT加盟国に要請した。

核兵器なき世界は、軍縮をめぐる国連の最優先課題であり、グテーレス事務総長が最も重視している目標でもある。

事務総長は、成果文書の合意に向けて熱心に取り組んだNPT再検討会議のズラウビネン議長に感謝の意を表明した。

Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri
Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri

1975年の第1回再検討会議の時から条約履行の進展に注目してきた「軍備管理協会」(米ワシントンDC)のダリル・G・キンボール会長は、「NPTはしばしばグローバルな核不拡散・核軍縮の「礎石」と呼ばれているものの、今回の会議の議論と結果は、この条約の基礎にヒビが入っており、核保有国間にも深い分断があることを示している。」と語った。

「ロシアがNPT再検討会議でザポリージャ核危機をどう扱うべきか、もっと柔軟に対応したとしても、会議の交渉で出てきた最終文書草案は、条約への一般的支持があることを述べながらも、軍縮の目標と目的に対するリーダーシップと具体的な行動が欠けていることを示している。」とキンボール氏は語った。

「今回のNPT会議は、核軍拡競争と核兵器使用の高まる危険に効果的に対処するのに不可欠な基準と時限を伴った具体的な行動計画に合意できず、条約そのものと世界の安全を強化する機会をとらえそこなってしまった。」

「条約草案で合意された軍縮措置のリストの中で、一定の期間内に無条件で具体的な行動ステップを定めている重要な項目が一つあった。」草案のパラグラフ187.17にはこう述べられていた。

「ロシア連邦と米国は、それぞれの核戦力を不可逆的かつ検証可能な形でさらに削減するために、新STARTの完全履行と、同条約の2026年の失効前に同条約への後継枠組みに関する交渉を誠実に進めることを約束する。」

元IAEA事務局長でノーベル平和賞受賞者のモハメド・エルバラダイ氏はツイッターでこうつぶやいた。「残酷な真実だが、いかに糊塗しようとも、9つの核保有国には核軍縮の意図など無いことが明らかになってしまった。それとは逆に『使える』兵器と運搬手段の洗練化に向けて動いている。つまり裸の王様だということだ。」(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ニュース国連・市民社会政治・紛争・平和

|視点|世界最後の偉大なステーツマン、ゴルバチョフについて(ロベルト・サビオIPS創立者)

【ローマIDN=ロベルト・サビオ

最後の偉大なステーツマンであるミハイル・ゴルバチョフ氏の死によって、ひとつの時代が終焉した。

私は、「ゴルビー(ゴルバチョフ氏の愛称)」が2003年にイタリアピエモンテ州と本部契約を結んでトリノに設立した「世界政治フォーラム(WPF)」の副代表として、彼と仕事をする機会に恵まれた。

World Political Forum/ photo by Katsuhiro Asagiri
World Political Forum/ photo by Katsuhiro Asagiri

このフォーラムには、ヘルムート・コール元独首相からフランソワ・ミッテラン元仏大統領、ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ元ポーランド大統領からオスカー・アリアス元コスタリカ大統領まで、世界中から著名人が集まり、世界で何が起きているのかを議論し、それぞれの役割と過ちについて率直に語り合った。

2007年のWPFで、ゴルバチョフ氏が、コール氏との会談で北大西洋条約機構(NATO)の境界線を統一ドイツより先(=東側)に移動させないことを確約する代わりに、東ドイツのエーリッヒ・ホーネッカー政権への支援を撤回することに合意したことを出席者に思い起こさせていたことが忘れられない。その際コール氏は、同席していたジュリオ・アンドレオッティ元イタリア首相を指して、「欧州最大の大国(=統一ドイツ)をつくることにそれほど熱心でない人もいる、それはマーガレット・サッチャー氏も同じ立場である。」と応えていた。

アンドレオッティ元首相は、「私はドイツを愛しているから、2つある方がいい。」と発言していた。そして米国の代表団は、このコミットメントを認めながらも、ジェームズ・ベーカー国務長官が、NATOを拡大し続け、ロシアを締め付けようとするタカ派に圧倒されたと不満を漏らしたのである。

こうした西側の対応に関するゴルバチョフ氏のコメントは秀逸で、「(西側諸国は)北方式の社会主義路線を続けようとする(ゴルバチョフ氏が率いる)ロシアに協力するのではなく、それを急いで崩壊させ、代わって条件付きで取り込めるボリス・エリツィン氏を迎えた。」というものであった。

しかし、エリツィン氏の後に登場したウラジーミル・プーチン氏は、違った見方をし始めた。

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

ゴルバチョフ氏はドナルド・レーガン大統領に協力し、冷戦を終結させた。米国の歴史学者らが、共産主義に対する歴史的勝利と冷戦の終結をレーガン大統領に帰結するのは滑稽である。ゴルバチョフ氏がいなければ、強力だが鈍重なソ連官僚機構は抵抗し続け、改革は間違いなく力を失っていただろう。また、ベルリンの壁は崩壊せず、東欧の社会主義諸国に自由の波が押し寄せるのは、紛れもなくレーガン大統領の任期後であっただろう。

レーガン氏以上に、ゴルバチョフ氏がいかに平和と軍縮の道を進もうとしていたかは、1986年のレイキャビク米ソ首脳会談で明らかになった。ゴルバチョフ氏がレーガン氏に核戦力の全廃を提案すると、レーガン氏は「時差があるから、後でワシントンに相談する。」と回答した。

翌日の会談でレーガン氏は、米国が核弾頭の40%を廃棄することを提案していると伝えた。するとゴルバチョフ氏は、「それ以上できないのであれば、そこから始めましょう。しかし、我々は今地球と人類を何百回も破壊できることを忘れないでください。」と答えた。辞任をちらつかせるほどだったキャスパー・ワインバーガー米国防長官が、当時もっと先を見据えていたならば、ロシアの核武装解除が間違いなく米国の利益になっていたであろうことは、いずれ時が証明するだろう。

エリツィン氏はゴルバチョフ氏に屈辱を与え、彼に取って代わろうと、あらゆる手を尽くした。ゴルバチョフ氏からあらゆる年金や役得、ボディーガード、公用車などを剥奪し、数時間でクレムリンを退去させた。しかし、プーチン氏の見方によれば、ゴルバチョフ氏は実質的に人民の敵になったのだ。

ゴルバチョフ氏に対するプロパガンダは、粗雑ながらも効果的であった。同氏はソ連の偉大な悲劇の終焉を指揮し、西側を信奉していたとされた。その結果ソ連はNATOに包囲され、プーチン氏は歴史の名の下に、ゴルバチョフ氏が放棄した偉大な力の少なくとも一部を回復することが自らに求められている義務だと考えていた。

エリツィン氏登場以来、ゴルバチョフ氏に寄り添ってきた人々は、歴史の流れを変えた長老政治家が、目前で起きている現実に深く苦悩している様子を目の当たりにした。もちろん、マスコミは、ロシア国民に多大な犠牲を強いるエリツィン時代の深い腐敗については、無視することを選んだ。

エリツィン政権下、米国の経済学者チームがロシア経済全体を民営化する政策を打ち出し、ルーブルの価値と社会サービスはたちまち崩壊した。平均寿命は一気に10歳も短くなった。私は、当時ホテルで食べる朝食が、ロシア人の平均的な月額の年金と同じ値段であることに大きな衝撃を受けたことを覚えている。黒装束の老婦人らが、わずかな貧しい持ち物を路上で売っているのを見たときは、深い悲しみに包まれたものだ。

その一方で、エリツィンの友人である一部の党幹部らが、売りに出された大型国営企業をバーゲン価格で買い占めていた。

しかし、金持ちのいない社会で、どうやってそれを実現したのだろうか。ジュリエッタ・キエーザ氏は、トリノの『ラ・スタンパ』紙の調査でこのことを記録している。

米国の圧力で、国際通貨基金(IMF)はドルを安定化するために50億ドルの緊急融資を行った(1990年)。このドルは、ロシア中央銀行には届かず、IMFからも何の疑問も呈されなかった。後のオリガルヒたちはこれを分け合い、突然億万長者になっていることに気がついたのである。

エリツィンは政権を去らなければならなくなったとき、自分とその取り巻き連中の免責を保証してくれる後継者を探した。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

エリツィン氏のあるアドバイザーが、「チェチェンの反乱を収拾できる」人物としてプーチン氏を紹介した。そして、プーチン氏は、オリガルヒが政治に関与しないことを一つの条件に合意した。しかし、そのうちの1人であるミハイル・ホドルコフスキーは、この協定を守らず、政権に反対する動きを見せたため、財産を没収され、投獄されたのは周知の通りである。

ゴルバチョフ氏は最後のステーツマンである。トリノに右派政党の北部同盟(レガ・ノルド)が登場したことで、世界政治フォーラムを開催するという合意は、なんとキャンセルされてしまった。フォーラムはルクセンブルグに移り、その後、ローマのイタリア人財団が環境問題に関する活動の一部を(非常に先見の明があった)引き継ぐことになった。

ゴルバチョフ氏の右腕であり、ソ連共産党時代から民主化への移行期に同氏の報道官を務めた優秀な分析家であるアンドレイ・グラチョフ氏はパリに移り、ロシアに関する様々な分析を発信している。糖尿病を患うゴルバチョフ氏は、母親がウクライナ人であったため、ロシアによるウクライナ侵攻を個人的な悲劇として体験した。厳しい監視のもと病院に引きこもり、ついに8月30日命を落とした。ステーツマンの時代は終わり、歴史の主人公たちによる討論の時代も終わった。

ゴルバチョフ氏以降、政治家らはステーツマンの資質を失ってしまった。彼らは次第に議論を棚上げにする一方で選挙での成功や、短期的な成果を要求するレベルに後退するとともに、有権者の理性ではなく、容赦ないフェイクニュースキャンペーン等によって左右される彼らの本能に目を向けるようになった。

これは、9月4日のチリでの憲法投票から、ジャイル・ボルソナロブラジル大統領、ボンボン・マルコスフィリピン大統領、プーチン氏、ひいてはヴォロディミル・ゼレンスキー氏まで、米国のロナルド・トランプ前大統領が世界に輸出することに成功した流儀である。

Roberto Savio
Roberto Savio/ photo by Katsuhiro Asagiri

そして、私は自分の苦渋と失望を書き留めることになった。ゴルバチョフ氏という私の師匠の一人の死に対してだけでなく、今や決定的に終焉を迎えたと思われる時代、つまり、大きなリスクを伴いながら、平和(Peace)と国際協力という大きな目標に向かって、世界を揺り動かすことができたPのつく政治という時代に対してである。

そして、書き続けること。ほとんどの人が気づいていない不快な真実は、敵対的な介入や嘲笑によってすぐに埋もれてしまうだろう。少し前にグラチェフ氏が電話で私に言ったことは正しかった。「ロベルト、私とあなたの犯した間違いは、私たちの時代を生き延びてしまったということだ。私たちも気をつけましょう。私たちは結局、厄介者になるのですから……。」(原文へ

INPS Japan

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レイキャビク首脳会談30年後の教訓

|軍縮|核兵器のない世界という新たな約束

ウクライナをめぐる核戦争を回避するために

宇宙の利益と平和と人類へ―国連宇宙部長が近く任命へ

【ウィーンIDN=オーロラ・ワイス

若きアイザック・ニュートンは、神秘に満ちた宇宙のことを考えながらリンゴの木の下に座っていた、という伝説がある。突然、リンゴが彼の頭の上に不意に落ちてきて、彼はひらめいた。いわゆる「アハ体験」である。頭の中に稲光が落ちて、ニュートンは、リンゴを地面にぶつけたのと同じ力が、月を地球に、地球を太陽に引き寄せるものと同じものだと、彼は一瞬にして理解した。これが、彼の著作『自然哲学の数学的原理』(1869年)でデビューした、現実の「空間事情」の話である。

Vienna International Center/ photo by Katsuhiro Asagiri
Vienna International Center/ photo by Katsuhiro Asagiri

「上にあがったものは落ちてくる」という法則に導かれて、この理論の魔法のような事例が、ウィーン国際センター(VIC)の前庭で育っている。宇宙に持っていかれたリンゴの種から育った木が国連宇宙部(UNOOSA)によって植えられ、将来の宇宙科学者たちにインスピレーションを与えている。

この「リンゴの若木」はニュートンに万有引力の法則を見出させた英国ウールズソープ・マナーにある樹齢400年のリンゴの木から取られたものだ。この若木は、英国欧州宇宙局の宇宙飛行士ティム・ピークが、2015年の任務「ピリンシピア」の際に国際宇宙ステーションから持ち帰った26個の種から育てられたものだ。この任務名は、動きと引力に関する基本的法則を記述し、世界を変えることになったアイザック・ニュートンの物理学に関する三部作『自然哲学の数学的諸原理』に由来している。

宇宙には重力は存在しないというよくある誤解があるが、実際、重力はどこにでもある!ニュートンは1687年に万有引力の法則について出版したが、おそらくはリンゴの一件の直後であろう。ニュートンは重力を「力」として記述し、宇宙において粒子は他の粒子をひきつけるが、その際の力は自らの質量が生み出すものと直接に比例しており、両者の間の距離の二乗に反比例している。

このことは、2つの物体の間の引き合う力は、互いが離れるにつれて急速に減少することを意味するが、それが完全になくなってしまうわけではない。この意味において、重力とは宇宙のあらゆる物質をつなぐ力なのである。

Albert Einstein during a lecture in Vienna in 1921/ Public Domain
Albert Einstein during a lecture in Vienna in 1921/ Public Domain

しかし、1916年にもう一人の天才アルベルト・アインシュタインが一般相対性理論を発表してから、事態はやや複雑化した。この理論は、重力の問題に重大な意味をもたらした。本質的に見ると、現在我々は、重力を「力」ではなく、空間・時間の「屈曲」として理解している。物質は時空をゆがめ、宇宙の形を曲げるのである。

ニュートンの法則は、ほとんどの場合において、重力の影響に対する優れた近似解であることに変わりはない。しかし、極めて高い精度が要求される場合や、強力な重力場を扱う場合には、アインシュタインの相対性理論が必要になる。ティム・ピークは、「重力とは何かはまだ分かっていない、ただその挙動について知っているだけだ。」と結論付けた。

ピークは2015年の「プリンキピア」ミッションの際リンゴの種を採取。種子は2016年に地球に帰還するまでの半年間、微小重力下で浮遊し、2019年にはナショナル・トラストと英国宇宙局によって、各々の苗木を植える場所を探す公開コンペが開始された。

ニュートンの宇宙の若木は、ウィーン国際センターの地面に宿を得ることになった。この場所は、外交官らが宇宙利用・探査の安全や持続可能性について国際法を協議するために集まるところである。国連宇宙部という、国連部内でも最も抽象的な部局の前に植えられることになった。

国連宇宙部の部長を2014年から2022年の第一四半期まで務めたイタリアの宇宙物理学者シモネッタ・デピッポは、この若木は、聡明な頭脳を持った若い世代が、正しい疑問を問い、過去に出された問いに対して回答を見つけるうえで、非常に意義がある述べた。アニュートン自身の言葉を借りれば、「もし私が遠くを見たとすれば、それは巨人の肩の上に立つことによってである。」

今年3月23日、ニクラス・ヘドマンが局長代理に任命された。国連宇宙部のマーティン・スタスコ広報官によると、今後数か月でヘドマン氏に代わる局長が任命されるというが、まだその名前は明らかにされていない。

宇宙部は宇宙や宇宙科学技術の平和利用における国際協力を促進し、持続可能な経済及び社会開発を育てる責務を負っている。

United Nations Office for Outer Space Affairs (UNOOSA)

創設された1958年12月13日当時は、ニューヨーク国連本部の事務総長部局内に集められた小さな専門家集団に過ぎなかった。1960年代には「宇宙の植民地化に関する国連委員会」を創設した。

1993年、同部はウィーンの国連欧州本部内に移転した。当時、同部は、法律小委員会の実質的な事務局機能を同時に担うことになった。これはかつてニューヨークの国連法務局が担っていた。

今日、国連宇宙部は「衛星測位システム(GNSS)に関する国際委員会」(ICG)の事務局も担っている。GNSSの提供者らが協調して、GNSS技術やその相互運用性を高め、持続可能な開発促進のためにGNSSを利用することが目的である。同委員会や、政策、法務を通じて、国連宇宙部は、国際宇宙法にしたがって宇宙を平和的に探査・利用することに関連した行動の規制のためになされる立法や規制枠組みの設定に関して、法案の起草や採択の際に国連加盟国を支援する役割を果たす。

2019年11月、「宇宙新興国のための宇宙法」プロジェクトは、各加盟国の宇宙法制制定に向けた能力構築を図るために立ち上げられた。宇宙部は国連宇宙応用計画(PSA)を実行する。全ての国々、とくに途上国の経済・社会開発のために宇宙科学技術の利用促進を図る計画である。

この計画の下で国連宇宙部は、リモートセンシングや通信、衛星気象学、捜索・救援、基礎宇宙科学、衛星ナビゲーションなどの領域における訓練、ワークショップ、セミナーなどの活動を行う。宇宙法制から宇宙の応用に至るまで宇宙のあらゆる側面をカバーする様々な活動を通じて、この目標の達成を目指す。

計画では、2つのアプローチを通じて宇宙部門から多くを引き出す能力の構築を目指す。一つには、訓練やワークショップ、会議、知識共有ポータルなどのリソースを提供し、他方では、国連宇宙部がフェローシップや競争的プログラムなど、各国が宇宙能力を拡大する具体的機会でこれらを補完し、その内いくつかは、「『全ての人々に宇宙へのアクセスを』構想」(Access to Space 4 All Initiative)のように、とりわけ途上国に焦点が当てられている。

災害リスク軽減では、UN-SPIDERは、各国が衛星画像などの宇宙データおよび技術を利用して災害を防止・管理できるよう支援している。また、各国政府が国際宇宙法の基礎を理解し、宇宙に関する国際的な規範的枠組みに沿った国内宇宙法および政策を策定し改訂する能力を高めることも支援している。これは、より多くの主体が宇宙分野に参入してくる中で、特に重要な点だ。

SDG Goal No. 17
SDG Goal No. 17

宇宙空間に打ち上げられた物体とそれを投じた国家をリンクさせる「宇宙物体登録制度」のような措置を通じて宇宙活動に透明性をもたらすべく、対象を絞った支援が行われているのはこのためだ。また、地球近傍天体衝突の脅威やGNSSシステムの互換性促進など、国際的な対応が必要な課題に対しては、世界中の宇宙機関や宇宙分野のリーダーたちと協力して、問題の解決に向けて取り組んでいる。

地球に暮らす私たちにとっては、宇宙が小さく見えるのは、宇宙から地球を眺める機会がないからかもしれない。しかし、国連宇宙部は、この広大な宇宙の中で、宇宙の利益と平和を人類全体にもたらす努力を続けているのである。(原文へ

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|フィジー|サトウキビ農業の持続性を脅かす土地賃貸借制度

【スバIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

サトウキビは南太平洋諸島原産の作物だと思われているが、実は19世紀後半にフィジーで商品作物として栽培を始めたのは英国人である。1879年からの37年間で、7000マイル以上も離れたインドから約60万人がプランテーションの契約労働者としてフィジーに送り込まれた、5年契約でほぼ無給に近かった。

労働者らは契約が終了すれば故郷に戻ることはできたが、帰りの旅費を自費で賄うことができないため、ほとんどの人がその道を選ばなかった。多くの労働者が小規模な土地を借りてサトウキビを育て、自活していった。英国は、彼らから土地所有の権利を奪う現地の土地権利制度を導入した。

今日、この契約労働者の子孫(インド系フィジー人、俗にギルミティヤ(Girmityas)と呼ばれる)は人口の38%を占めるが、2%以下の土地しか保有していない。約85%の土地は先住民族が保有しており、現在は「イタウケイ土地信託委員会」(iTLTB)と改名された政府の土地信託機関によって管理されている。残りは自由保有地か国有地である。

インド系フィジー人はiTLTBを通じて、土地を最長30年間賃借することができる。しかし、農地を所有できず、家も建ててしまったことで、多くのインド系フィジー人は不安を感じ、離農するか、海外に移住してしまうものも少なくない。

全国農民同盟のスレンドラ・ラル議長はIDNの取材に対して、「ヨーロッパ人がこの制度を作り、ほとんどの自由所有権を手に入れました。1940年、先住民土地法が導入されましたが借地期間はわずか10年で農業をするにはあまりに短すぎました。これが政治問題となり、1977年に農業土地所有・小作法が制定され、30年のリースが与えられるようになりました。」と指摘したうえで、「フィジーの人々は土地に愛着を持っており、ラトゥ・マラ(フィジーの独立後最初の首相)の執政後、フィジー人の土地所有権が政治問題となったのです。」と語った。

Photo: Indo-Fijian CaneFarming family with its indigenous helper (in blue). Credit: Kalinga Seneviratne.

「フィジーサトウキビ社」生産現場責任者のソム・パダヤチ氏は、1970年代以来、サトウキビを生産している。初めは公務員として働きながら農業もしていた。ナディにある仕事場からIDNの取材に応じたパダヤチ氏は、1970年にはサトウキビ農民が2万3000人いたが、今日では実際に従事している農民は1万1000人かいないと指摘した。「産業は衰退しており、政府がサトウキビ産業を取り仕切っています。3つの製糖工場はすべて政府所有です、政府の独占と言ってよい。」とパダヤチ氏は語った。

(ナディから30キロのところにある)ラウトカのフィジー最大の製糖工場は1993年には年産130万トンだったが、現在は、3カ所の工場合計で年産160万トンにとどまっている。

パダヤチ氏は、フィジー第2位の外貨獲得産業であるサトウキビ産業の将来を心配している。「農民が問題に直面すれば、肥料購入の補助や排水路設置の支援、農薬購入の補助などを通じて、政府が支援しています。支援は『フィジーサトウキビ生産者協議会』を通じてなされています。現在、政府はかなり支援の手を伸ばしています。政府の保証する販売価格は1トン当たり85フィジードル。政府にそれをカバーするだけの収入がなくても、(農民からの不満が出れば)支払いはなされています。」とパダヤチ氏は説明した。

ラル議長は、自由に所有できる土地は製糖工場からはかなり遠く、その土地を買ってサトウキビを育てることは経済面からみて現実的選択ではない、という。「政府は自由土地区域に工場を作りたくないのだ。政府の見識不足であり、新しい工場を作るには多大なインフラと投資が必要になる」。7割から8割の土地賃貸借契約が失効した1999年、多くの土地所有者は契約更新のために4万~6万フィジードル(1万8000~2万7000米ドル)を小作人に要求したが、彼らが支払えるような額ではなかった。

「(地主が要求した金額は)ずいぶんな大金でした。だから小作人たちは、子どもによい教育を受けさせて別のところで仕事を探させるようにしました。彼らは自分と妻がこの世からいなくなったら、土地の面倒を見る者がいなくなると言っています。サトウキビの収量は減り、輸送料や肥料代は上がり、農民の実入りは少なくなる一方です。」とラル氏は説明した。また、年間の土地使用料は約1000~2000フィジードル(451~902米ドル)であるが「銀行はサトウキビ農家への融資を渋るようになってきた」という。

インド系フィジー人が支配していると見なされていた新政権に対するシティヴェニ・ラブカ氏のクーデター(1987年)以来、とりわけ専門資格を持ったインド系フィジー人の多くがオーストラリアやニュージーランド、カナダなどの海外に逃避し、その人口比は51%から38%に減少した。

フランク・バイニマラマ政権の下で人種間関係は改善し、インド系も閣内で重要な地位を占めるようになってきた。2013年に制定された新憲法においては、すべてのフィジー人が移住の背景に関わりなくフィジー国民だと見なされることになった。政府は、インド人の契約労働者が初めてこの地に降り立った5月14日を「ギルミットの日」と定めた。現在は国民の祭日になっており、政府関係者らも出席する文化的イベントも開催されている。

フィジー初の、かつ唯一のインド系首相であり、全国農民同盟の元事務局長でもあったマヘンドラ・チョードリー氏(在1999~2000)は、IDNの取材に対して、「生産価格の上昇と土地所有者による土地貸与料の度重なる値上げのために、サトウキビ産業は過去30年で60%も縮小した。」と指摘したうえで、「かつては、欧州人との協定があり、価格は維持されていました。価格は世界市場価格よりも2~3倍よかった。しかし、今ではルールが全く変わってしまっており、約1万人が様々な理由で農業を離れてしまいました。」と語った。

多くの人々は、契約切れで土地を離れる際に、自分たちが建てた家屋に対する補償がなされないことに不満を持っている。チョードリー氏の短い政権の間に、そうした補償のための立法がなされた。「私達が政府にいた際、農民の移住費用を補償する法案を通しました。政府が割り当てる土地に移住するか、あるいは補償金をもらって、新しい家を建てるにしても起業するにしてもそれを好きに使うか、という選択肢を与えた。この特定の制度は(チョードリー政権を倒した)2000年のクーデターにより廃止されたが、今の政権が復活させた」とチョードリー氏自身が説明した。

Photo: A cane farmer transporting the cane harvest to the mill. Credit: Kalinga Seneviratne
Photo: A cane farmer transporting the cane harvest to the mill. Credit: Kalinga Seneviratne

パダヤチ氏によると、フィジーの先住民は土地を持っていても、契約労働者の子孫ほど勤勉でないという。しかし、サトウキビ農家が収穫の際に先住民の労働者に頼っているのは皮肉なことだ。

「政府は先住民にサトウキビ栽培をさせようとしていますが、彼らはキャッサバやタロイモのような伝統的農業にしか関心がありません。村にとどまって自活のしくみの中で暮らしています。」とパダヤチ氏は語った。

バイニマラマ首長は、ある県議会での今年6月の演説の中で、「最近の土地法制改革は、土地所有者が土地を貸しやすくし、土地を担保として融資を得て土地開発を容易にするもの」と指摘したうえで、「政府は土地所有者の権利を強化して、賃貸した土地の開発を『種子基金補助』を通じて直接に支援します。」と語った。

他方でラル議長は、「私達(インド系フィージー人)の数は減ってきており、それが政治環境を変えつつあります。出生率は下がり、国外移住も増加しています。」と語った。(原文へ

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|視点|核兵器は、人類の持続可能な未来にとって、明確な脅威(湯崎英彦広島県知事)

この原稿は2022年核不拡散条約再検討会議の初日(8月1日)に国連本部で『核軍縮と持続可能な未来のつながり(Nexus between Nuclear Disarmament and Sustainable Future )』をテーマに、外交官や核軍縮専門家ならびにNGO関係者等約70人が参加して開催されたサイドイベント(長崎県・広島県共催)における湯崎知事のスピーチ内容である。

【ニューヨークIDN=湯崎英彦】

皆さん,こんにちは。広島 県知事/HOPe 代表の湯﨑英彦です。

核兵器と持続可能性を考えるにあたって、現在のウクライナ危機から考えたいと思います。まずは、一日も早くウクライナに平和な日常の暮らしが戻ることを願っています。今回のウクライナ危機と持続可能な開発目標(SDGs)との関係を見ると、ウクライナ国内は当然 SDGs全ての目標に非常に深刻な影響を及ぼしていますが、世界の3割に及ぶロシア・ウクライナ両国の小麦の輸出量の減退が食糧危機に拍車をかけるなど、世界的にもSDGs達成に向けたマイナスの影響が顕著になっています。

また、今回のウクライナ危機では、ロシアの核兵器による威嚇や原子力発電所への攻撃など、世界が核による脅威に直面しました。 核兵器の使用は、SDGsが掲げるすべての目標の達成に壊滅的なダメージを及ぼします。77年前の広島は、産業・生活インフラ、教育施設、保健医療などあらゆる分野で,壊滅的な被害を受け、土壌・森林・海洋は汚染されました。そして何よりも、女性、子供、老人を含む数多くの尊い生命が失われました。核兵器は、人類の持続可能な未来にとって、明確な脅威であることを、ウクライナ危機に直面する現在、我々は改めて想起する必要があります。

Photo: A side event titled "Nexus between Nuclear Disarmament and Sustainable Future" was held at UN Headquarters on August 1. Source: Mariko Komatsu
2022年核不拡散条約再検討会議の初日(8月1日)に国連本部で『核軍縮と持続可能な未来のつながり(Nexus between Nuclear Disarmament and Sustainable Future )』をテーマに、外交官や核軍縮専門家ならびにNGO関係者等約70人が参加して開催されたサイドイベント(長崎県・広島県共催)が開催された。資料:へいわ創造機構ひろしま(HOPe)

核兵器は、持っているだけで使われなければよいと主張する人もいます。しかし、核兵器は、その製造プロセスにおいて、ウラン鉱山の採掘者への健康被害、 核実験による人的被害や海洋森林汚染、核廃棄物による汚染など、例え使われなくても、製造し,保有しているだけで、SDGsの達成にとって大きなマイナス の影響を及ぼし続けています。

広島と長崎は、国際社会からの支援も受けながら,原爆による惨禍から、見事に復興を果たすことができました。しかし、失った尊い人命や放射線で傷ついた遺伝子は決して元に戻ることはありません。世代間で断絶し、取り戻せなくなったものも数え切れません。カタストロフィー(大惨事)に陥る前に防ぐことが重要です。気候変動問題には緩和と適応という対応策がありますが、核兵器問題に適応はあり 得ず、緩和も難しい、使ったらそれで終わりです。そういう意味では、気候変動よりも深刻であり、予防こそが唯一の解決策となります。その実現に人類の英知が試されています。

8月3日、湯崎英彦広島県知事はカザフスタン共和国国連政府代表部を表敬訪問した。湯崎知事は、持続可能性と核兵器の問題を提起し、核抑止力に代わる安全保障システムの構築に向けた取り組みを紹介し、マグジャン・イリヤソフ国連常駐代表もこれを支持した。国連総会第一委員会の議長に指名されているイリヤソフ大使は、「核兵器の問題は気候変動よりも緊急性が高い」と述べ、自国が核軍縮の分野でリーダーとなる用意があることを表明した。カザフスタンはソ連統治下で40年間に亘って繰り返された核実験で多くの国民が被爆した経験から独立時にセミパラチンスク核実験場の閉鎖と当時世界第4位の規模の核兵器を廃絶することを決断、核なき世界の追及を国是としている。写真撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

[GASPPA 案内]

〇これまで、MDGsでは途上国支援、SDGsでは環境・社会・経済を包括した開発を中心としてきましたが、2030年以降のポスト SDGsでは、これら に「平和・安全保障」を加えた目標にする必要があると考えています。

〇そのため、広島県・HOPe は、国際 NGO 等と共に、人類と地球の「持続可能性」という概念に着目した新しい市民社会プラットフォームとして GASPPA を立ち上げました。

〇GASPPA のコンセプトフレーズは、「核兵器なき世界の実現なくして、真に持続可能な世界はあり得ない」です。人権や社会,環境など核以外の分野で活動 する人々と連携し,”Sustainable Peace and Prosperity for All”をコンセプト に、核兵器廃絶を人類共通の課題としてポスト SDGs に位置付けることを目指します。 

これまで核兵器の問題を考える上では,国家の安全保障と人道性という観点が 重要視されてきました。NPTは前者,そして TPNW は後者に焦点化した結果成立したものです。本日のイベントでは,それに連なるべき,持続可能性という 観点の重要性を認識する機会となることを期待しています。(文へ

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【国連IDN=タリフ・ディーン

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は8月6日、広島への原爆投下77周年を記念する式典で、「核兵器保有国が、核戦争の可能性を認めることは、断じて許容できません。」と発言した。

また、「広島の惨禍を二度と繰り返さないための唯一の保証は、核兵器を廃絶することである。」と宣言した。

Photo: UN General Assembly Hall. Credit: UN
Photo: UN General Assembly Hall. Credit: UN

最近のロシアと北朝鮮の核の脅威は、核兵器の「先制不使用」を議題の一つとした4週間にわたる第10回核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議の意義を際立たせている。会議は8月26日に閉幕する予定だ。

創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動総局長はIDNのインタビューで、核兵器が実際に使用される危険性が冷戦終結後もっとも高まっていることを指摘し、次のように述べた。

「核軍縮そして核廃絶には、全人類の未来がかかっています。誰一人、無関係な人はいない。だから、この問題を、政治や外交や軍事の専門家だけの議論にゆだねてはいけないと私は思うのです。もちろん、そうした議論は重要ですが、それだけでは、かえって袋小路に陥ってしまう恐れがあります。」

SGIは、平和・文化・教育を促進する1200万人の仏教徒の多様なコミュニティーであり、国連との協議資格を持つNGOでもある。

インタビューの要旨は以下のとおり。

IDN: 池田大作SGI会長は、昨年2月のインタビューで、現在の核弾頭保有数は13,000発以上、核兵器の近代化はとどまるところを知らないと警告されました。最近のロシアや北朝鮮の核の脅威を考えると、状況は良くなる前に悪くなる可能性があると思いませんか?

寺崎:ご指摘のとおり、残念ながら、状況が悪くなる可能性は否定できません。核兵器を巡る最近のウクライナ情勢について、私が意見交換をした欧州の専門家の方々も、非常な緊迫感をいだき、厳しい認識を示されました。北朝鮮についても、今回のNPT再検討会議において、多くの国々から強い憂慮が表明されました。また、核戦力の近代化は、科学技術の急速な発展と連動しており、サイバースペースや宇宙空間など、まだ十分に管理されていない新しい領域が出現しています。これらを多国間の討議に組み入れることも急務なのです。

ICAN
ICAN

まさに、人類が築き上げてきた核軍縮・不拡散が逆行しかねない状況にあります。そうした時だからこそ、国際社会の連帯が、いっそう重要になると私は信じます。特に国家間の外交交渉が困難な局面では、市民社会の声や行動がいやまして意味を持ちます。

何よりも、深刻な状況に歯止めをかけなければなりません。

NPT再検討会議の直前に、池田大作SGI会長が緊急声明を発表したのも、そのためです。

この中で会長は「米国、ロシア、英国、フランス、中国という核兵器国による『核兵器の先制不使用(NFU)』の原則の確立と、その原則への全締約国による支持を、NPT再検討会議の最終文書に盛り込むこと」を強く呼びかけました。

いうまでもなく、NPTの最終目標は、核兵器なき世界を目指すことです。そのためにも、なんとしてもリスクを低減させ、今ある危機を回避しなければならない。万が一にも、猜疑心にかられ、対立が極限までエスカレートすることがないよう、当面の話し合いの回路を、時間を、余地を確保しなければなりません。

NFUはそのための一手なのです。

NPTの前文に掲げられている「全人類に惨害をもたらす核戦争の危険を回避するために、あらゆる努力を払う」との誓いを果たす道を断固、開かなければなりません。

IDN:国連のグテーレス事務総長は、NPT再検討会議の初日に、人類は「たった一つの誤解、一つの誤算で核兵器による滅亡に至る危機に瀕している」と述べました。危機の拡大は、中東や朝鮮半島から、ロシアのウクライナ侵攻にまで及ぶと警告しました。核兵器の脅威を消し去ることを、どう現実化できるでしょうか。

寺崎:今、核兵器の脅威が、冷戦後で最も危険なレベルにあるといわれます。NPT再検討会議での挨拶で、グテーレス国連事務総長は、そのことに触れ、具体的に、5つの分野における行動を提案しました。

・77年にわたる核兵器使用禁止の規範を強化し、再確認すること

・核廃絶に向け、軍縮と不拡散に関する多国間の協定や枠組みを再活性化

・中東やアジアで鬱積する緊張に対処し、信頼を醸成する対話と交渉への支援を倍加

・医療その他の用途を含め、持続可能な開発目標のため、原子力技術の平和利用を促進

・NPTにおけるすべての未解決の約束を履行し、困難な時代にNPTを目的に適うものに保つこと

これらを誠実に実行することが、まず求められます。各締約国の努力に期待し、注視しています。

合意に至るのは一筋縄にはいかず、当然、粘り強い交渉が続くでしょう。ゆえに必要なのは、諦めない勇気と不屈の執念ではないでしょうか。闇が深ければ深いほど暁は近い。それが歴史の教訓です。

より中長期的な、新たな外交交渉に一歩を踏み出すことも、極めて重要でしょう。今回、カザフスタン共和国国連代表部等と共に私たちが開催したNPT再検討会議の関連行事で、軍備管理協会(米国)のダリル・G・キンボール会長が、次のように述べていました。

第10回NPT再検討会議でのサイドイベントの参加者:左から、ジャンゲルディ・シンベットカザフスタン国連政府代表部参事官、マグジャン・イリヤソフ国連常駐代表、ダリル・G・キンボール軍備管理協会事務局長)/ 写真:ナルギス・シェキンスカヤ国連ニュースサービス
第10回NPT再検討会議でのサイドイベントの参加者:左から、ジャンゲルディ・シンベットカザフスタン国連政府代表部参事官、マグジャン・イリヤソフカザフスタン国連常駐代表、ダリル・G・キンボール軍備管理協会事務局長)/ 写真:ナルギス・シェキンスカヤ国連ニュースサービス

「この(NPT再検討)会議で重要なのは、核兵器国の行程を指し示すことだと思います。特に米国、NATO、ロシアが、軍事的、政治的、外交的な直接のコミュニケーションラインを維持し、戦略的安定性に関する米露対話を再開し、唯一残された(新START)条約に続く協定について交渉することです」

危機を危機だけで終わらせず、そこから立ち上がって新たな時代を切り開くことに、人間の真価はある。それが私たちの信念です。東洋の箴言に、「人の地によって倒れたる者の、返って地をお(押)さえて起つがごとし」とある通りです。

核軍拡でなくて核軍縮へ―NPT本来の目標に向かっていけるかどうか。まさに重大な局面であり、ターニングポイントです。核兵器の役割低減を展望していく、安全保障政策におけるパラダイム転換を促す出発点にしていかねばならない。危機への強い自覚が、逆転へのバネを生むと信じます。

グテーレス事務総長は、今年の8月6日、77年前に原爆が投下されたその日に広島で「核兵器保有国が、核戦争の可能性を認めることは、断じて許容できません」と表明し、広島の惨禍を繰り返さないためには、核廃絶こそ唯一の解決策と主張しました。

市民社会として、私たちは、核兵器が、人類の生存の権利を奪う、非人道的な絶対悪であり、人類の平和や安定を守るものではないという明確なメッセージをいやまして広げていきたい。

IDN:宗教やFBO、さらには反核活動家による世界的なキャンペーンは、差し迫った核災害の脅威に対する人々の意識を高めるのにどれほど効果的でしょうか。SGIはこの方面でどのような計画を立てていますか。

寺崎:核軍縮そして核廃絶には、全人類の未来がかかっています。誰一人、無関係な人はいない。だから、この問題を、政治や外交や軍事の専門家だけの議論にゆだねてはいけないと私は思うのです。

もちろん、そうした議論は重要ですが、それだけでは、かえって袋小路に陥ってしまう恐れがある。

行き詰まったら、原点に返れ、です。核廃絶を巡る議論の原点とは何でしょうか。それは広島、長崎、そして世界の核被害者が苦しみ抜いてきた被爆の実相です。それに同苦する人道の心ではないでしょうか。その土台を離れた議論は、時に停滞し、迷走してしまう危険があるといえましょう。

いかに核兵器が非人道的な存在であるか。それを、教育も、メディアも、市民社会も、あらゆる手段で伝え、次代へ受け継がなければなりません。核兵器の脅威が現実に高まっている今、そうやって人々の意識を高めることは、すぐ効果はなくとも、最後には事態を動かす力になると確信します。

その証左が、核兵器禁止条約です。核兵器の非人道性に焦点を当てた人道イニシアチブが、国際世論を大きく動かし、ついに2017年に国連で採択。2021年に同条約は発効し、今年の6月には第1回締約国会議が開かれ、核廃絶へのロードマップを示す、力強い宣言と行動計画が打ち出されました。

Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of IDN-INPS.
Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of IDN-INPS.

とともに、核兵器禁止条約が、核兵器国も加わる核兵器不拡散条約を補完するものであることが確認され、さらに核被害者への支援、核に汚染された地域の環境修復、そのための国際協力が、具体的に動き出した意味も、大変に大きいと思います。

世界的な危機の時こそ、連帯が力になります。市民社会や信仰者のコミュニティーが、大きな目的観のもとに心を合わせて声を上げ続ければ、それは、世界を変革する力になるに違いありません。

今回のNPT再検討会議に際し、私たち SGIが参画する「核兵器を憂慮する信仰者のコミュニティー」は、100を超える団体による共同声明を発表し、NGOプレゼンテーションで読み上げられました。

少し長くなりますが、一部をご紹介します。

―私たちは信仰を持つ者として、NPT 再検討会議の参加者の皆さんに、私たちが共有する人間性を思い起こさせるためにここにいます。…私たちは、核兵器が、意図的であれ事故であれ、使用されれば私たちの知る世界を破壊し、被爆者や被害地域の人々が証言しているように多くの人々に多大な苦しみをもたらすことを知っています。核兵器は、人間の尊厳を尊重するという私たちの基本的価値観と相容れないものであり、いわゆる国家安全保障のためにその役割を果たし続けることは容認されるべきではありません。―

指導者、代表者、市民社会、信仰共同体として、私たち全員が、核兵器のない世界を実現するという道徳的・倫理的責任を共有しており、その可能性は私たちの手中にあります。この使命を果たすのは私たち一人ひとりであり、私たちが正しい道を歩んだことは、必ずや歴史が証明してくれるでしょう。

ここに市民社会、また信仰者によるアプローチが端的に示されています。

今年は、1957年に創価学会第2代会長の戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」を発表し、核廃絶を「遺訓の第一」として青年に託してから、65年の節目です。

核兵器のない世界を実現するために、今年こそ、今こそ正念場との思いで、草の根の教育運動を一段と推進し、連帯を広げながら、市民社会の声を国連へ届けていきたい。世界各地で、核廃絶への誓いを、新しい世代へつなげていきたい。

そのために、核兵器禁止条約の普遍化を進めるデジタルツールの展開や、核兵器のない世界への連帯を広げる展示活動や、被爆の証言会や平和講座、オンラインでのシネマ上映会、SNSを通じた若い世代への啓発など、さまざまな取り組みを展開していきます。 

IDN:広島と長崎の悲劇以来、国連は核戦争を回避するために効果的な役割を果たしてきたと思いますか?

寺崎:効果的な役割であったかといえば、Yesとはいえないでしょうが、それでも私は、国連は核戦争を回避するために、大事な役割を果たしてきた、いな、もっと果たさなければいけないと思います。また、機能不全に陥りがちな安全保障理事会の改革も視野にいれなければいけないでしょう。

広島と長崎の悲劇に象徴されるような、壊滅的な人道的結果をともなった第2次世界大戦。それを人類は回避できなかった。その深い反省の上から、戦争の惨害を繰り返さないために、国際平和と安全の維持、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現のために、国連は生まれました。

歴史上、国家と国家の間には必ず利害の対立が生じます。それを調和させる方途として、国連という多国間のシステムが考えられ、樹立されたのです。国連の諸機関を活用し、強化していくことが重要です。

そのためにも、市民社会の声が届く国連、市民社会が支える国連、市民社会が参画する国連が、ますます時代の要請になってきている。そう私は感じます。

市民社会の参画、なかんずく、青年、女性、これまで声を発することができなかった先住民や弱い立場の人々の参画が、いやまして重要であり、その多様性の力こそが国際世論を喚起し、国と国の議論も、あるべき道に向かわせる道標になっていくのではないでしょうか。

広島、長崎の被爆者も、世界の核被害地のヒバクシャも、もっと伝えることがある。もっと知ってもらいたいことがある。語らずに奪われた命もあれば、生き延びても、どうしても原爆や核被害について語ることさえ社会的に許されなかった。それが今も続く核兵器の非人道性の一側面でもあります。

70代、80代になって、ようやく重い口を開いた被爆者の胸にあるのは、未来の世代に、この地獄絵図そのものの悲劇を断じて繰り返させないとの願いです。

寺崎広嗣創価学会インタナショナル(SGI)平和運動総局長/ 写真:ナルギス・シェキンスカヤ国連ニュースサービス
寺崎広嗣創価学会インタナショナル(SGI)平和運動総局長/ 写真:ナルギス・シェキンスカヤ国連ニュースサービス

そこで、大事なことの一つは、教育であると私は思います。

グテーレス国連事務総長の軍縮アジェンダ(Securing our common future—An Agenda for Disarmament)にも、若者世代の役割も非常に大きく、その参画を促す、より多くの軍縮・不拡散教育の機会が必要であると強調されています。SDGsとの関連においても、平和・軍縮教育が力になります。

この6月、ウィーンで核兵器禁止条約の第1回締約国会議の前に行われたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の市民フォーラムに私も足を運びましたが、青年、女性、また多くの核実験の被害地の参加者が、力強い意見を発出していたことが、とても印象的で、心強く感じたものです。今回のNPT再検討会議のNGOプレゼンテーションでも、それを感じました。

青年世代が、国を超えて交流し、相互理解を深め、平和を展望するチャンスを、あらゆる機会に創出していくことが、未来への重要な投資になるのではないでしょうか。国連は、そのためにこそ一段と注力し、リーダーシップの役割を果たしてもらいたいと思います。(原文へ

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