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|インド|女性に対する正義を向上させるには女性警察官の関与が重要

【ニューデリーINPS/ SciDev.Net=ランジット・デブラジ

警察署に女性警察官がいれば、ジェンダーに起因する暴力が多いことで知られるインドの女性にとって、司法制度へのアクセスが容易になることが、ある研究結果で明らかにさ れた。

世界経済フォーラムによると、インドの男女平等度は156カ国中140位。また、インドは過去20年間、女性に対する家庭内暴力が多く、増加傾向にあることが分かっている。

Location of Madhya Pradesh in India./ By फ़िलप्रो (Filpro) - File:India dark grey.svg, CC BY-SA 4.0
Location of Madhya Pradesh in India./ By फ़िलप्रो (Filpro) – File:India dark grey.svg, CC BY-SA 4.0

この研究は、7月にサイエンス誌に発表されたもので、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州で2300万人の市民を管轄する180の警察署をサンプルにしたものである。これを無作為に3つのグループに分け、そのうち61の警察署には通常の女性用ヘルプデスクを、59の警察署には女性のみが運営するヘルプデスクを設置、一方で60の警察署にはヘルプデスクを設置しなかった。

インドでは、警察署に第一報を正式に提出する形で事件登録が行われ、警察官は判事の令状なしに逮捕し、刑事手続を開始することができる。また、事件登録は家庭内事件報告書でも可能で、これは判事の監督のもとで民事手続を開始するものである。

11ヶ月の調査期間中、ヘルプデスクのある警察署では、ヘルプデスクのない警察署に比べて、家庭内の事件報告が約2000件、第一報が3300件以上多く登録されていることがわかった。刑事手続きにつながる第一報の増加は、すべて女性警官が運営するヘルプデスクによるものだった。

Sandip Sukhtankar/ University of Virginia

この研報告書の著者で米バージニア大学経済学部准教授のサンディープ・スクタンカール氏は、SciDev.Netの取材に対して、「この介入によって民事と刑事両方の事件登録が大幅に増加したことは、正しい支援と訓練があれば、警察は実際に女性の訴えに対応できることを示しています。」と語った。

インドの女性は、事件登録の際に大きな障害に直面している、とこの調査は指摘している。「女性が社会や家族の圧力に屈せず事件を報告した場合でも、警察官は公式に記録することを拒むケースが少なくない。」

スクタンカール氏は、「事件の登録は犯罪被害者の女性にとって正義を実現するための小さな、しかし重要なステップです。」と指摘したうえで、「女性が刑事犯罪や民事犯罪の苦情を警察に訴えることに抵抗がなくなるまでには、さらなる努力が必要です。」と語った。

女性の地位向上を目指す非政府組織で、国連経済社会理事会の諮問機関であるGuild for Serviceの事務局長であるミーラ・カンナ氏は、「女性に対する犯罪が一般に警察で登録されない背景には、インド社会の家父長制と、15年前に最高裁が命じた警察改革が実現しなかった経緯がある。」と指摘した。

「女性に対する犯罪の大半は、経済的というよりもむしろ性的なものですが、警察署の責任者を含む一般の警察官はそうした女性に対する犯罪を軽視しがちです。」と、カンナ氏は語った。

Meera Khanna/ By Sunbeam112 - Own work, CC BY-SA 4.0
Meera Khanna/ By Sunbeam112 – Own work, CC BY-SA 4.0

「一般的に男性警察官は、殺人をレイプよりはるかに悪質な犯罪と考えるでしょう。レイプに対する恐怖は、すべての女性に共通する経験ですから、レイプという犯罪の重大性をよく理解している女性警察官のこの犯罪に対する態度はおのずと男性警察官のものとは異なります。女性が犯罪を通報しても、警察は家父長制の規範に導かれるように、しばしば無関心でいることが多い。その結果、被害を訴えた女性は再被害を受けることになるのです。」

「マディヤ・プラデーシュ州の警察が、州内の700あまりの警察署すべてに女性相談窓口の導入を計画していることを知り、嬉しく思っていますが、インドのように広大で多様な国で女性の司法アクセスを改善することは、遅々として進まないことでしょう。」とカンナ氏は語った。

一つは警察の役割だ。カンナ氏によれば、警察は「植民地時代の名残り」があり、犯罪の捜査よりも法と秩序の維持、政治家や高官の保護が主な役割だといまだに考えている。

「この調査結果は、女性に対する暴力の削減に取り組む政策立案者に具体的かつ実用的な洞察を与えるものです。」と、世界銀行の性的暴力研究イニシアチブとともにこの調査の主要な出資者であるアブドゥル・ラティフ・ジャミール貧困アクションラボの犯罪と暴力イニシアチブ南アジア担当エグゼクティブディレクターのショビニ・ムケルジ氏は語った。

女性に対する犯罪は、特に低・中所得国において、開発の大きな障害になっています。」とムケルジ氏は付け加えた。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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女性のリーダーシップフォーラムがジェンダー平等の重要性を討論

【ウィーンIDN=オーロラ・ワイス

男女の賃金格差、教育利用や労働市場の不平等といった問題が21世紀の現代にも生き続けている。「UNウィメン」と国連経済社会局が、17項目から成る持続可能な開発目標(SDGs)の一つであるジェンダー平等の達成には現在のペースでは300年近くかかりかねない、と9月に発表した最新の報告書で指摘した。

Women Leadership Forum
Women Leadership Forum

そうした中、「欧州ブランド研究所」が、国連産業開発機関(UNIDO)との共催で9月20日、「女性のリーダーシップフォーラム」をウィーン国際センターで開催した。

「フォーラムは2013年に『平等は価値を生み出す』というパネルディスカッションから始まりました。さらにこの10年で、このフォーラムは女性の指導者を目に見える存在とし、次世代にとってのロールモデルとしてきました。」と、レネート・アルテンホーファー氏は説明した。

コロナ禍とポスト・コロナ時代を見据えて、暴力的な紛争や気候変動、女性の性と生殖に関する健康と権利に対する反動が、ジェンダー格差をさらに悪化させてしまっていると報告書は指摘した。

国連は、コロナ禍によってさらに4700万人の女性・女児が極度の貧困に陥り、男女間の貧困格差を拡大するものと推測している。16カ国からのデータを見ると、このコロナ禍の間、女性は男性よりも29%多い時間を育児に費やしている。また、13カ国における調査結果では、半数近くの女性が、コロナ禍が始まってから自分自身あるいはその知り合いが暴力を経験したと回答している。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

UNIDOのゲルト・ミュラー事務局長は、「よりよい状況に向かって現状を好転させるために、男女双方が努力せねばなりません。…私達全てに責任があります。政治・経済・社会における根本的な変化が必要です。必要なのは強い女性のみならず、真剣に取り組む男性も必要です。例えば、アフリカ諸国では54カ国のうち女性元首がいるのは2カ国だけです。」と語った。

ミュラー事務局長はまた、「女性・女児への平等を実現するには、文化・社会・経済・法律など多くの次元で取り組まねばなりません。また、法律・政治参加・経済生活・教育機会における平等も同様に重要で、中でも経済活動に必要な金融サービスを全ての女性が利用できるように取組むことが特に重要です。女性が地球の平和と進歩にとって不可欠の存在であるにも関わらず、現在10億人の女性が金融市場から排除されています。」と語った。

Ghada Waly (left), director general of the United Nations Office at Vienna and (right) our reporter Dr Aurora Weiss. Credit UNIS Vienna /Nikoleta Haffar.
Ghada Waly (left), director general of the United Nations Office at Vienna and (right) our reporter Dr Aurora Weiss. Credit UNIS Vienna /Nikoleta Haffar.

「『2030アジェンダ』は、経済・社会・環境という持続可能性の3つの柱を掲げています。したがって、女性を経済の中心に据えることが必要です。例えば、国連薬物犯罪事務所(UNODC)所長で国連欧州本部長であるガーダ・ウェイリーは、自身の出身国エジプトの例に触れ、「女性がほとんどの世帯を維持しています。」を語った。女性の失業率は男性より3倍高い。「包摂と多様性の実現には努力が必要なのは明らかです。それは社会の中核に触れる問題だけに、達成するのがなかなか難しい。社会の指導的地位にいる女性と男性両方の関与が必要なのはこのためです。」とウェイリー本部長は指摘した。

UNODCでは、警察官や検察官、弁護士、裁判官として活躍する女性が増えることが、暴力から女性を保護することにより貢献し、より平和的な社会の実現につながると考えている。女性はこの部門には少なく、世界全体では女性は警察官の6人に1人を占めているに過ぎない。法執行と法機関における女性の存在は、犯罪に対応する被害者センターの効果的運用と結びついている。司法部門に女性が増えれば公正性は強化されます。」とウェイリー本部長は強調した。

ジェンダー平等は特定の職業だけで問題になるのではなく、社会全体で取り組まねばならない問題である。例えば、ケニアの女性が農業部門における資金調達に関連していくら訓練を受けたとしても、女性が法律上土地を保有することができなければ、そうした資金はそもそも活用されることはない。

アラブ諸国では労働市場における女性参加率が世界で最も低く、世界全体が56%であるのに対して、アラブ諸国では26%である。対照的に男性の参加率は(世界全体は74%)76%である。また、女性の失業率は15.6%で、世界全体の平均の3倍高い。指導層における女性の割合も低く、世界全体の27.1%に対してアラブ諸国では僅か11%である。

例えば、中東のヨルダンは、紛争状態にある国を除けば、世界で女性の経済的な参加率が最も低い国である。国際労働機関(ILO)が今年発表した報告書によると、女性の労働市場参加率は、男性の60%と比較して、わずか15%以下しかないという。

国内に紛争を抱えたイエメンやシリア、アフガニスタン、イラクといった国々の女性にとって雇用機会はより少なく、安全の問題がより大きく、女性への支援機構が貧弱で、機会はかなり限られている。

指導的地位におけるジェンダーの不均衡は依然として大きい。「世界経済フォーラム」の「グローバルジェンダーギャップ報告2022」によると、女性は依然として、指導的地位の3分の1を占めているに過ぎない。

米国のビクトリア・R・ケネディ駐オーストリア大使は、「ウィーンで開催された女性リーダーシップフォーラムで、世界中の女性・女児が、その可能性を制限し、将来を脅かす障害に直面し続けています。」と強調した。

Victoria Reggie Kennedy, United States Ambassador to Austria/ By United States Department of State, Public Domain
Victoria Reggie Kennedy, United States Ambassador to Austria/ By United States Department of State, Public Domain

米国の外交官であり、法律家、活動家、未亡人、テッド・ケネディ米上院議員の2番目の妻であるビクトリアの演説は力強いものだった。彼女は、女性が政府や経済部門で成功を収めれば、将来世代の女性・女児がそれに続こうという影響を及ぼすことから、ロールモデルの役割が非常に重要だと指摘した。

「米国のカマラ・ハリスは女性で初の副大統領となり、そのような高位を占めた初めてのアフリカ・アジア系女性となりました。女性が高位に就くとき、将来世代の女性・女児がそれに続く道を切り開くことになります。」と、ケネディ大使は語った。

ケネディ大使はまた、米国で女性解放運動が盛んだった頃、1970年代にいかにして自分がどのような進路を選んだかを想起した。ハリス副大統領の父親は弁護士だったが、当時の弁護士職は男性だけが就くものであり、自身も父の道を継ごうとは考えていなかった。しかし、「ある男性教授が彼女の目を見開かせてくれた。」とケネディ大使は語った。

その教授は彼女に対して、女性弁護士カーラ・ヒルズの話をしてくれたという。ヒルズは当時、ジェラルド・フォード大統領から住宅・都市開発長官に指名されたばかりであった。1970年代中盤当時、カーラ・ヒルズは米国史上4人目の女性閣僚であった。その男性教授は「もし彼女にできるなら、あなたにはできないという理由は?」と問いかけ、ビクトリア・ケネディの人生を変えたのだった。(原文へ

INPS Japan

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|視点|暴走するウクライナを巡るグレートゲーム(敵対関係・戦略的抗争)(ジェフリー・サックス経済学者、国連ミレニアムプロジェクトディレクター)

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【ニューヨークIDN=ジェフリー・D.サックス

米カーター政権で大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー氏が、ウクライナを米露両国双方にとってユーラシアでの覇権を握るうえでの「地政学の要」と位置づけたことは有名である。ロシアは自国の安全保障上の重要な利益が危機に瀕していると考えており、ウクライナ紛争は核戦争へと急速にエスカレートしつつある。米露両国は、災難に見舞われる前に自制することが急務である。

西洋列強は19世紀半ばから、クリミア、それも黒海の海軍力を巡ってロシアと競い合ってきた。クリミア戦争(1853-56)では、英仏がセヴァストポリを占領し、ロシア海軍を一時的に黒海から一掃した。今回の紛争は、要するに「第二次クリミア戦争」である。今回は、米国主導の軍事同盟が北大西洋条約機構(NATO)をウクライナとジョージアに拡大し、NATO加盟国5カ国が黒海を包囲することを狙っている。

James Monroe, the 5th US President, Public Domain

米国は、1823年に発表したモンロー・ドクトリン以来、西半球に対する欧州列強による侵攻を米国の安全保障に対する直接的な脅威とみなしてきた。「…従って、アメリカ合衆国と欧州列強との間に存在する誠実な友好関係のおかげで、わが国は、西半球のいかなる地域であろうとも、欧州列強がその政治体制の拡大を試みた場合には、わが国の平和と安全に危害を与える行為とみなすと宣言することができる。…(モンロー・ドクトリンより抜粋)」

1961年、キューバの革命指導者フィデル・カストロがソ連に支援を求めたとき、米国はキューバに侵攻した。米国は、ウクライナのNATO加盟に関して米国が主張しているような、キューバがどの国とも同盟を結ぶ「権利」にはあまり関心がなかったのである。1961年の米国の侵攻は失敗し、62年にソ連はキューバに攻撃用核兵器を配備することを決定し、それがちょうど60年前の10月、キューバ・ミサイル危機を引き起こすことになった。この危機は、世界を核戦争の瀬戸際に追いやった。

しかし、米国は西半球における自国の安全保障上の利益重視を掲げる一方で、ロシアの近隣におけるロシアの中核的安全保障上の利益を侵害してきた。ソ連が弱体化するにつれ、米国の政策指導者たちは、米軍は好きなように活動できると考えるようになった。1991年、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は、ウェズリー・クラーク将軍に、米国は中東に軍事力を展開でき、「ソ連は我々を止めないだろう」と説明した。米国の国家安全保障当局は、ソ連と同盟関係にある中東の政権を転覆させ、ロシアの安全保障上の利益を侵害することを決定したのだ。

Photo: Mikhail Gorbachev (1931-2022) Source: Meer
Photo: Mikhail Gorbachev (1931-2022) Source: Meer

1990年、ドイツと米国はソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領に、ソ連が東側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構を解体すればNATOの東方拡大はないと確約をした。同年の東西ドイツ統一にゴルバチョフ大統領が同意したのはこの確約を踏まえたものであった。しかしソ連が崩壊すると、ビル・クリントン大統領はこの確約を反故にしてNATOの東方拡大を支持した。

ロシアのボリス・エリツィン大統領は猛烈に抗議したが、これを止めることはできなかった。米国の対ロシア外交の第一人者であるジョージ・ケナンは、NATOの東方拡大は「新しい冷戦の始まりである」と断言した。

クリントン政権下の1999年、NATOはポーランド、ハンガリー、チェコへと拡大した。その5年後、ジョージ・W・ブッシュ政権下でNATOはさらにバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、黒海(ブルガリア、ルーマニア)、バルカン半島(スロベニア)、スロバキアの7カ国に拡大。。さらにバラク・オバマ政権下の2009年にアルバニアとクロアチアに、ドナルド・トランプ政権下の2019年にモンテネグロへと拡大した。

NATO.INT
NATO.INT

ロシアのNATO拡大に対する反発は、1999年にNATO諸国が国連を無視してロシアの同盟国セルビアを攻撃したことで急激に強まり、2000年代には米国がイラク、シリア、リビアに介入した戦争でさらに硬直化した。2007年のミュンヘン安全保障会議でプーチン大統領は、NATO拡大は 「相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発 」を意味すると宣言している。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

その際プーチン大統領はこう続けた。「この拡大はどの国に対するものなのか。そして、ワルシャワ条約機構が解体した後、西側のパートナーたちが行った(NATO東方拡大を許さないという)保証はどうなったのか。その宣言は今どこにあるのだろうか。誰も覚えてさえいない。しかし、私はこの聴衆に、何が語られたかを思い出させることにしよう。1990年5月17日、ブリュッセルでのマンフレート・ヴェルナーNATO事務総長の演説を引用したい。その際彼は、NATOがドイツ領土の外に同軍を配置しない用意があるという事実は、ソ連に確固たる安全保障を与えると述べている。現在、この保証はどこにあるのか。」

また2007年には、ブルガリアとルーマニアの黒海沿岸2カ国がNATOに加盟したことを受けて、米国は黒海地域タスクグループ(当初はタスクフォース・イースト)を設立した。そして2008年、米国はNATOがウクライナとグルジアを将来的に取り込むと宣言し、米露の緊張をさらに高めたのである。両国が加入すればロシアは黒海でNATOの5カ国(ブルガリア、グルジア、ルーマニア、トルコ、ウクライナ)に囲まれ、ロシアの黒海、地中海、中東への海上アクセスが脅かされることとなる。

ロシアは当初、ウクライナの親露派であるヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が、2010年に議会を率いて同国の中立を宣言したことにより、ウクライナへのNATO拡大から保護されていた。しかし2014年、米国はヤヌコビッチ政権の転覆を支援し、反ロシアを掲げる政権を誕生させた。その時点でウクライナ戦争が勃発し、ロシアはあっという間にクリミアを奪還し、東ウクライナでロシア人の割合が比較的高いドンバス地方で親ロシアの分離主義勢力を支援するようになった。ウクライナ議会は同年、中立を正式に放棄した。

ウクライナとロシアが支援するドンバスの分離主義者たちは、8年間も苛酷な戦争を続けている。ミンスク合意を通じてドンバスの戦争を終わらせる試みは、ウクライナの指導者がドンバスの自治を求めた合意を守らないことを決め、失敗に終わった。2014年以降、米国はウクライナに大量の軍備を注ぎ込み、今年の戦闘に見られるように、ウクライナの軍隊をNATOと相互運用できるように再編することに貢献した。

Image: Destruction in Ukraine caused by the Russian invasion. Source: The Daily Star.
Image: Destruction in Ukraine caused by the Russian invasion. Source: The Daily Star.

2021年末にジョー・バイデン大統領がプーチン大統領のNATOの東方拡大中止要求に同意していれば、2022年のロシアの侵攻は回避されていた可能性が高い。同年3月、ウクライナとロシアの政府が、ウクライナの中立を前提とした和平協定案を取り交わすことで、戦争は終結していた可能性が高い。その裏で、米国と英国はヴォロディミル・ゼレンスキー大統領にプーチン大統領との合意を拒否し、戦い続けるよう迫った。その時点で、ウクライナは交渉から離脱した。

ロシアは、軍事的敗北とNATOのさらなる東方拡大を避けるために、必要に応じてエスカレーションを行い、場合によっては核兵器を使用することになるだろう。核の脅威は空虚なものではなく、ロシア指導部が自国の安全保障上の利益が危機に晒されていると認識していることを示すものである。恐ろしいことに、米国もキューバ・ミサイル危機の際に核兵器の使用を覚悟していた。最近、ウクライナの高官が米国に対して、「ロシアが核攻撃を考えれば、すぐにでも核攻撃を行うよう」促しているが、これは確実に第三次世界大戦を引き起こすものだ。私たちは再び核の破滅の瀬戸際に立たされているのである。

Jeffrey Sachs of Columbia University/ By Bundesministerium für Europa, Integration und Äußeres – FMSTAN & SPIDER Global meeting in Austrian Foreign Ministries in Vienna, CC BY 2.0

ケネディ大統領は、キューバ・ミサイル危機の際に核の対立について学び、その危機を意思の力や軍事力ではなく、外交と妥協によって打開した。つまり、ソ連がキューバの核ミサイルを撤去するのと引き換えに、トルコの核ミサイルを撤去したのである。翌年には部分的核実験禁止条約を締結し、ソ連との平和を追求した。

1963年6月、ケネディ大統領は、今日私たちが生存し続けていることにつながる本質的な真理を口にした。「核保有国は、自国の重要な利益を守りながらも、相手国に屈辱的な退却か核戦争かの二者択一を強いるような対決が起きることを避けなければなりません。核の時代に、そのような対決への道筋を採れば、政策の破綻を招き、全世界の死を望むことにほかならないからです。」

NATOの非拡大を前提とした3月末のロシア・ウクライナ間の和平合意案に立ち戻ることが急務である。今日の不安定な状況は、世界が過去に何度も経験したように、容易に制御不能に陥りかねない。世界の存亡は、すべての関係者の慎重さと外交力と妥協に懸かっている。(原文へ

INPS Japan

この記事はINPSのロベルト・サビオ顧問が運営するOther Newsが当初配信したもので、著者の許可を得て転載しています。

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ローマ法王、カメルーンで拉致されたカトリック信者の解放を訴える

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス

ローマ法王フランシスは、フランス語圏と英語圏のコミュニティー間で長年内戦が続いているカメルーン南西部で誘拐された5人の司祭、修道女、料理人、カテキスタ、15歳の少女の解放を求めるカメルーン司教団の呼びかけに賛同した。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

9月25日、ローマ法王はカメルーンの平和のために祈っていると語った。「私は、マンフェ教区で誘拐された人々の解放を求めるカメルーンの司教たちの訴えに参加します。」とカトリック通信は報じている。

バチカンニュースによると、9月16日の誘拐事件のほか、カメルーンのンチャンにある聖マリア・カトリック教会に武装集団が放火した。

カメルーンのカトリック司教団は、誘拐されたキリスト教徒の即時解放を求める声明の中で、この攻撃を強く非難した。この行為は一線を越えており、私たちは『もうたくさんだ』と言わなければならない。」と、司教らは声明で述べている。

現在の英語系住民による分離独立運動のルーツは、第一次世界大戦で英国とフランスが「ドイツ保護領カメルーン」を占領し、その領土を2つに分割したことに遡ることができる。この分割により、英仏両地域で異なる文化遺産やアイデンティティが形成され、後の再統一の試みに問題を生じさせることになったのである。

1961年、国連はこの英国領をナイジェリアとカメルーンのどちらに併合するかを決定するための協議を行った。批評家たちは、この協議を、巨大な力を持つ当事者たちが関与した「偽りの交渉」と呼んだ。

Map of Cemeroon
Map of Cemeroon

カメルーンで民族主義的な対立が続く中、旧英国領カメルーン(現在のカメルーンの北西州南西州を合わせた地域)の英語系住民は、カメルーンの独立(国家樹立)後に主導権を握ってきたフランス語系住民に対して不満を募らせながら暮らしています。」と、学者のフォンケム・アチャンケン氏は「グローバル・イニシアティブ」誌に記している。

フランス語系住民に対する英語系住民の割合は現在約16%で、1976年の21%から低下している。

教会への攻撃は、人権の保護と向上を目的とした非営利組織であるアフリカ人権民主化センター(CHRDA)からも非難されている。

これに関連して、人権監視団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、カメルーンの著名なアングロフォンの平和活動家アブドゥル・カリム・アリ氏が再逮捕されたことを報告している。アリ氏は、カメルーン兵が同国の英語系住民に対して行ったとされる人権侵害を映したビデオを携帯電話で所持していたことで告発された。(原文へ

INPS Japan

資料:The church of St. Mary’s in Nchang burned on 16.09.2022./YouTube

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【ヌルスルタンINPS Japan/アスタナタイムズ】

第77回国連総会は、全般的に不安と警戒感が特徴的であった。一部の演説者は非難にとどまり、世界の安全保障状況と経済的展望が目に見えて悪化しているという一般に認められた事実について、国連の他の加盟国を非難した。

このような時こそ、バランスのとれた状況判断と、人類共通の目標が明確に示されることが特に重要であった。カザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領が提案したアプローチは、この困難な時代に団結することへの希望を述べたものであった。

このアプローチは、過去70年間、地球上の相対的な平和と安定の維持のために国連が用いてきた、古くから試されてきた原則のいくつかを維持することを提案しているという意味で、保守的なものである。

「この普遍的な組織の根底にある基本原則に立ち返ることほど、今重要なことはありません。特に、国家の主権的平等、国家の領土保全、国家間の平和的共存という3つの基本原則のつながりを再考する必要があります。」とトカエフ大統領は語った。

一方、こうしたカザフスタンのアプローチは、決して受動的で現状に盲従するという意味ではないことに留意する必要がある。変革は必要だが、それはコンセンサスによって導入され、絶えず議論され、関係国のすべての重要な利益が尊重され、保護されるべきものという考え方である。

それゆえ、トカエフ大統領は、人類が歴史を通じて生み出してきた合意に至るための最良の方策(国際会議や各種国際イベントを通じた対話と常設機関の設置)への参加を呼びかけた。当面の目標は、私たちがあまりにも長い間、当たり前だと思ってきたこと、つまり「平和」についてである。もちろん、今回の国連総会でこのような考え方を述べたのはトカエフ大統領だけではなかった。

WANG YI, Foreign Minister of the Republic of China addressing at the UN General Assembly/ UN Photo.

「平和とは、空気や太陽のようなものです。私たちはそれらを当たり前のものと考え、時にはそれなしには生きられないことを忘れてしまう。同じように、平和は全人類の未来にとって必要な前提条件です。中国の王毅外相は総会の演説で「混乱や戦争はパンドラの箱を開けるだけで、問題を解決することはできません。」と語った。

しかし、領土保全や国家の主権的平等という概念は、具体的にどのようなものなのだろうか。これらは、絶え間なく続く戦争から人類を守るための原則である。法の下の平等を基本に、個人の生命や財産を守る法的原則と同様、この2つの原則は、トカエフ大統領が言及した第3の原則、すなわち国家間の平和的共存の実現につながるものである。

「この3つの原則は相互に依存しています。」とトカエフ大統領は付け加えた。この点については誰も異論がないだろう。

カザフスタンは、1991年に旧ソ連邦の崩壊に伴い誕生した独立国家の中で、平和保護の面で非の打ち所のない評価を得ている数少ない国の一つであり、実際、東西両陣営双方と良好な関係を維持することができている唯一の国である。

カザフスタンは、国連でほとんどの人が言葉では支持しているが、実際にはほとんど実践していない「ノンブロック(特定の陣営に加わらない)」方式に徹している。

Image source: EurasiaReview
Image source: EurasiaReview

その結果、カザフスタンは「東側」のブロックにも「西側」のブロックにも属さない。カザフスタンは北大西洋条約機構(NATO)に加盟していないし、集団安全保障条約機構(CSTO)に加盟していても、それを外国のいかなる国に対しても利用できないことは誰もが認めるところである。(CSTO加盟国の首脳会議の決議には必ず「いかなる第三者にも向けられない」という条項があり、カザフスタンはこの原則を強く主張している)

では、カザフスタンは世界の舞台で弱く、孤立しているのだろうか。いや、それどころか、カザフスタンはあらゆる平和ミッションの貴重な戦力となっている。カザフスタンは近隣諸国と領土問題を抱えることなく、タジキスタン、アルメニアとアゼルバイジャン、ロシアとジョージア、そして現在のウクライナとロシアの関係を破壊した「ポストソ連戦争」の二つの波から見事に逃れてきたのだ。

NATO's Eastward Expansion/ Der Spiegel
NATO’s Eastward Expansion/ Der Spiegel

第一波は1988年から91年にかけてのソビエト連邦の弱体化と崩壊、第二波はNATOの拡大、そして2008年にNATOがウクライナとジョージアの将来的な加盟を認めたことに伴う紛争である。

ユーラシア大陸ではいつから戦争が可能になったのだろうか。1988年から91年にかけてソ連が弱体化すると、旧ソ連構成共和国の民族主義者たちは、トカエフ大統領が国連総会で述べた原則を破って、国境を画定する好機と捉えたのである。こうした原則の破棄は、数々の紛争を引き起こした。

NATOの拡張と、2008年にブカレストで始まったプロセスの継続が約束された後、一部の国はこれを自国の領土における分離主義運動(2008年のグルジア対南オセチア、モルドバとトランスニストリア間の緊張、その他多くの不幸な出来事)の問題を解決する新たな機会と捉えた。

トカエフ大統領は、サンクトペテルブルク国際経済フォーラム(2022年6月15日~18日)におけるロシアのウラジーミル・プーチン大統領との会談で、「カザフスタンは分離主義を支持しない」と明言した。つまりカザフスタンは、ウクライナ領内にロシアが一方的に認めた「準国家」を認めないと明言したのである。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

トカエフ大統領の発言は、カザフスタンがロシア民族の権利を軽視しているからではなく、新たな準国家を創設しその独立のために武力闘争を展開することは、現代世界ではもはや許されないからである。それはすでに数々の戦争を引き起こしており、歴史が何度も示しているように、戦争は決して解決策にはならない。

では、戦争が正当な救済方法でないとすれば、どうやって今日の世界の不平等やアンバランスを是正すればよいのだろうか。トカエフ大統領の提案は、協力と対話、そして合意できるところは合意していくというものだ。その中心は、カザフスタンの「地元」である中央アジアである。この大統領の提案は、全文を引用するに値する。

「私達は、来年の閣僚級会合での協議と、2024年の未来サミットの開催に貢献することを期待しています。私達は、単にグローバルな課題や危機に対応することから、新たなトレンドを予防し、よりよく予測し、私達の評価を戦略的な計画や政策立案に統合していくことへと移行しなければなりません。」

The 6th CICA Summit/  photo by Gov of Kazakhstan
The 6th CICA Summit/ photo by Gov of Kazakhstan

まさにこの目的のために、カザフスタンは30年前に「アジア相互協力信頼醸成措置会議(CICA)」の開催というアイデアを提案した。(カザフスタンのアルマトイに常設事務局が置かれている)

トカエフ大統領は、「新たな挑戦と脅威の中で、私達は10月にアスタナで開催される首脳会議でCICAを本格的な国際機関に変え、世界の調停と平和構築に貢献したい。」と語った。

トカエフ大統領は、最近カザフスタン南部のトルキスタン州を訪問した際にも、同じ原則的な立場を再確認した。「わが国の外交政策は、中立を基本としていく……この政策は、バランスのとれた、建設的なものである。そしてもちろん、マルチベクトル政策であり続けるだろう。カザフスタンは、ロシアとの同盟関係、中国との戦略的パートナーシップ、友好的な中央アジア諸国との多国間協力関係を発展させるためにあらゆる努力をします…この政策は、国際社会から高く評価されており、我が国の最優先事項に合致しています。」

これが前進であると言う以外に、何を付け加えればよいのだろうか。欧州で何が起こっているかを見てみよう。もし、カザフスタンのアプローチが、アジアで同じような混乱を避けることができれば、カザフスタンは「21世紀のスイス」となり、平和と国家間の協力の真のエンジンとなることができるだろう。(原文へ

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ドミトリー・バビッチ氏は、モスクワを拠点に30年にわたり世界政治を取材してきたジャーナリストで、BBC、アルジャジーラ、RTに頻繁に出演している。

この記事は、Astana Timesに初出掲載されたものです。

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中国における市民社会と気候行動、そして国家

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ロバート・ミゾ】

市民社会は、気候変動との闘いにおける主要な行為主体である。彼らは、各国機関や政府間プロセスが停滞している場合には活を入れ、これらの公的主体に気候変動対策の責任を取らせる力を秘めている。中華人民共和国は、あらゆる点で共産主義独裁国家であるにもかかわらず、気候変動に取り組む団体などの環境市民団体に対し、大幅な、ただし明確に規定されたスペースを認めている。この20年ほどの間に、気候変動問題に取り組む野心的な目標を掲げた気候市民団体が次々に誕生した。しかし、詳細に検討すると、これらの団体が占める政治的スペースの抑制的性質ゆえに、彼らの影響力は限定的であることが分かる。(原文へ 

革命前の中国において、市民社会は活気にあふれ、民衆的なものだった。政治、社会、宗教といった分野においてさまざまなタイプの市民社会団体から、果ては完全なる犯罪組織まで存在した。しかし、1960年代から1970年代の文化大革命により、中国における自律的な市民社会はほぼ完全に破壊された。中華全国総工会、中華全国婦女連合会、中国共産主義青年団など、わずかに存続した退屈な市民社会団体は、共産党の政策に異議を唱えるのではなく、党のメッセージを伝達することを主な機能とした。1970年代の自由化の時代、分権化と市場競争が導入されて国家中央集権主義に対抗し、市民社会団体はある程度のスペースを取り戻した。このような状況を背景に、環境団体や気候変動に取り組む市民団体は増加し、共産党から“トラブルメーカー”と見なされていた(現在も見なされている)民主主義や人権のために闘う団体に比べると、より広い政治的スペースを享受した。

また、中国のNGOは、1980年代後半に制定された三つの行政規則によって統制されている。具体的には、社会団体登記管理条例、基金会管理条例、外国商会管理暫行規定である。これらの規則に基づき、2段階の管理体制が生まれた。その下でNGOは政府機関をスポンサーとすることになっており、スポンサー機関はNGOの日々の業務を監督するとともに、関係するNGOの活動に対する年度審査を行うことになっている。2016年外国NGO管理法は、外国NGOの活動を警察の監視下に置いた。

中国における国家と環境市民団体の関係は、「独裁主義的環境保護主義」の政策パラダイムによって規定されている。このような環境ガバナンスモデルでは、政策づくりへの国民参加は科学技術分野の限られたエリート層のみに認められており、それ以外の人々は、国家主導のプログラムまたは政策の実施を手伝うための参加しか期待されていない。中国における気候政策の策定は、5カ年計画、命令・統制型規制(従来的な環境ガバナンス)、環境保護部およびその地方機関、国家発展改革委員会など、政府機関や政府のメカニズムの排他的権限の下にある。

とはいえ、政策発足への国民参加の余地は明らかに限定的であるものの、1994年に緑色文化分院(Academy for Green Culture)と呼ばれる最初の環境NGO(後に自然の友(Friends of Nature)に改名)が設立されて以来、これまでに2,000を超える環境NGOが誕生した。今日、中国気候行動ネットワークの傘下で多くの気候市民団体が活動している。いくつか挙げると、中国国際民間組織合作促進会、中国青年気候行動ネットワーク、自然の友、環境開発研究所(The Environmental and Development Institute)、北京地球村(Global Village Beijing)、緑家園志願者(Green Earth Volunteers)、廈門緑拾字環保服務社(Xiamen Green Cross Association)などがある。これらの団体の活動は主に、政策の実施、啓蒙キャンペーン、教育・研究のほか、「ダウンストリーム活動」と呼ばれるものを構成する他の機能に限られている。

とはいえ、少数の事例では、気候変動に取り組むNGO、特に国家構造に組み込まれ、その枠内で運営する団体が政策策定に影響を及ぼしている。これは、その団体と支配者層の距離の近さ、当該の政策課題の性質といった要因に依存する。2004年に環境NGOのグループが開始した「26度運動」は、市民社会が政策変更に関与した最たる例の一つであり、この運動を受けて国務院は、中国の全ての公共建造物における全てのエアコンを夏は26°C以上、冬は18°C以下に設定すると規定した法律を可決した。中国企業連合会持続発展工商委員会(CBCSD)が策定した温室効果ガス排出量算定に関するガイドラインは、国家基準として認められ、採用されている。エネルギー・輸送イノベーションセンター(iCET)は、2017年に輸送部門向け燃料の国家基準を策定するため国家標準化管理委員会に協力した。2014年、中国の第13次5カ年計画(2016~2020年)に気候変動適応策を含めることを、環境NGOらが要請した。政府は、彼らの要請を受け入れ、取り入れた。

気候変動に対する市民社会の取り組みは、ダウンストリーム活動においてより活発であり、政府もそれを推奨している。人気の高い運動としては、中国国際民間組織合作促進会(CANGO)と米国のNGO環境防衛基金が共同で企画したグリーン通勤ネットワーク(Green Commuting Network)がある。これは、自動車利用の抑制、低炭素な地下鉄定期券の推進、オンラインの炭素排出量計算ツールに関する意識を高めることを目的としている。四川省では、北京地球村が実施する低炭素プロジェクトや農村部エコビレッジプロジェクトが進行中であり、持続可能かつ低炭素な農村開発を主要な目標としている。山水自然保護センターは、森林炭素プロジェクトなどのカーボンオフセット・プログラムを実施し、エネルギー消費・炭素排出量測定法を開発した。中国市民気候行動ネットワーク(CAN-China)は、気候変動に取り組む市民社会団体のネットワークであり、情報共有を促進し、共同気候行動を実施している。これらは、進行中の多くの運動やプログラムのほんの数例であり、中国における気候活動が政策策定よりも政策実施面においてはるかに顕著であることを示している。

今後は、政策マトリクスに環境民主主義の概念を取り入れることによって、気候変動との闘いへの貢献における気候変動活動家の影響をより効果的にすることができるだろう。そのためには、情報アクセス、意思決定プロセスへの国民参加、環境問題における司法アクセスといった一定の手続き上の権利を、より幅広く利用できるようにする必要があるだろう。現行の硬直的なトップダウンの政策策定メカニズムから脱し、環境ガバナンスにおける大衆参加、透明性、説明責任を保証する新たなボトムアップのアプローチへと移行するべきである。

ロバート・ミゾは、デリー大学カマラ・ネルー・カレッジの政治学および国際関係学助教授である。デリー大学政治学科より気候変動政策研究で博士号を取得した。研究関心分野は、気候変動と安全保障、気候変動政治学、国際環境政治学などである。上記テーマについて、国内外の論壇で出版および発表を行っている。

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【ルンドIDN=ジョナサン・パワー】

カンボジアのクメール・ルージュ指導者たちの15年の長きにわたる裁判がようやく結審した。

ニューヨークタイムズ紙は9月22日、「カンボジア特別法廷(クメール・ルージュ政権の犯罪を起訴する責任を負う、国連が支援する法廷)が最終審理を行った。」と報じた。狂信的な共産主義運動の最後の生き残りの指導者である91歳のキュー・サムファンの控訴を棄却し、大量虐殺の罪で有罪判決を下し、終身刑が確定した。」

ヌオン・チアとともに、彼は5年前に有罪判決を受けていた。控訴には信じられないほどの時間がかかった。彼らの最初の裁判は10年近くかかった。

Collage of the mass grave at the Killing Field of Choeung Ek with the leader of the Killing Fields on the left. Source: Wikimedia.
Collage of the mass grave at the Killing Field of Choeung Ek with the leader of the Killing Fields on the left. Source: Wikimedia.

裁判にかけられた他の3人のうち、1人は元外務大臣のイエン・サリで2013年に死亡、1人はイエン・サリの妻イエン・シリトでアルツハイマーのため出廷できず、1人はカン・ケク・イウ(以下ドッチ)で8年前に任意で自白し35年の禁固刑に服している。クメール・ルージュの悪名高き指導者ポル・ポトは、この法廷ができた時には既に亡くなっていた。

20世紀には、アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人、ポーランド人、同性愛者、ジプシーなどの絶滅政策に次ぐものとして、2つの大量虐殺が挙げられる。一つはカンボジア、もう一つはルワンダである。しかし、ポル・ポトとクメール・ルージュ政権によって、100万から200万人の死者と約50万人の処刑が行われたカンボジアが、おそらくこの醜い争いを制したのだろう。

1975年、クメール・ルージュは政権を握った1週間後に、首都プノンペンに住む200万人もの人々を強制的に退去させ、農村部での労働を強制した。その過程で、何千人もの人々がこの避難生活で命を落とした。強制移住は急速かつ冷酷無比な方法で行われ、住民はすべての財産を置き去りにすることを強いられた。子供たちは親から引き離され、妊婦は専門家の助けなしに出産を余儀なくされた。医者や教師の大半は殺害された。このポグロムは「キリング・フィールド」と呼ばれ、映画の題名にもなっている。

クメール・ルージュは、これが国を農村の階級なき社会に変える平定作業であると考えていた。彼らは、貨幣、自由市場、普通の学校教育、外国の服装、宗教的習慣、伝統文化などを廃止した。公立学校、仏教の仏塔、モスク、教会、大学、商店、政府の建物などは閉鎖されるか、刑務所、厩舎、再教育キャンプ、穀物庫に変えられた。

公共交通機関も民間交通機関も、私有財産も、非革命的な娯楽も禁止された。人々は黒い衣装を身につけ、1日12時間以上働き、党が選んだ相手と集団結婚式を挙げなければならなかった。家族への愛情表現も禁じられた。知識人は粛清の対象とされ、メガネをかけているだけで処刑された。3人以上の人が集まって会話をすると、敵として告発され処刑されることもあった。

Choeung Ek commemorative stupa filled with skulls, Public Domain
Choeung Ek commemorative stupa filled with skulls, Public Domain

クメール・ルージュは1979年までカンボジアを支配したが、隣国のベトナムに打倒された。その後、クメール・ルージュは西に逃亡し、難民を装ってタイ領内に勢力を再建した。そこでユニセフなどの援助団体に引き取られ、食事を与えられ、彼らは次の戦いに挑むことができた。

当時北ベトナムに敗れた米国は、「敵の敵は味方」という格言のとおりに行動した。1979年、ジミー・カーター大統領のもと、ベトナムを懲らしめたい米国は、国連を説得し、カンボジアにクメール・ルージュの議席を与えることに成功した。皮肉なことに、1977年に大統領に就任したカーター氏は、「人権を外交政策の中心に据える」と発言していた。

1979年から90年まで、米国はクメール・ルージュをカンボジアの唯一の合法的代表として承認している。スウェーデンを除くすべての西側諸国は、米国と同じように投票した。ソ連圏は反対票を投じた。(1980年代に米国がアンゴラを外交的に承認しなかったように、ある国が承認されないケースもある。しかし、西側諸国はその選択肢を考えようともしなかった。)

同時に、欧米の多くの左翼知識人、活動家もクメール・ルージュを支持した。彼らはクメール・ルージュを、古い秩序を一掃するクリーンな共産主義者と見たのである。

元国連大使のサマンサ・パワーは、著書「集団人間破壊の時代 平和維持活動の現実と市民の役割(A problem from hell)」の中で、カンボジアの出来事が国連のジェノサイド条約に合致しているかどうか、読んだ覚えのある米国政府高官は一人もいなかったと述べている。

ブッシュ大統領の国務長官だったジェームズ・ベーカー氏が方針転換を表明したのは、1990年6月のことだった。その後、安全保障理事会の5大国が、カンボジアを国連の保護領にすることを発表した。そして、国連は交渉の末、カンボジア人裁判官と国際裁判官から構成されるハイブリッド・コート(裁判所)を設置し、クメール・ルージュの指導者を裁判にかけることを決定した。

ナチスの指導者を裁いたニュルンベルク裁判が1年で結審したのに、なぜカンボジア特別法廷の審理は15年もかかり、費用も3億ドルに及んだのか、疑問の余地がある。2014年に私が裁判所を訪れた際、引き延ばしていたのは弁護団だったが、裁判官はそれを許していた。

Photos in genocide museum of war crimes committed by the Khmer Rouge. Wikimedia Commons.

現在でも、裁判所が言うところの「レガシー期間」が3年間設けられ、裁判とその理由についての一般教育が行われることになっている。首都プノンペンを歩けばわかるように、ある世代は事実上、地上から消し去られたのである。

生き残ったのは、今は中年となった若者たちだけである。裁判の間、私が目撃したように、学校の子供たちが毎日バスでやってきて、裁判の様子を見たり、背景を説明するフィルムを見たりしていた。国連は、若者たちに何が起こったのかを理解させ、将来の大規模な暴力に対してこの国を予防したいと考えている。この活動は継続すべきだ。

殺人犯の大多数が訴追を免れているとはいえ、遅ればせながら一種の正義が行われた。幸いなことに、国際刑事裁判所(ICC)が2002年に設立され人道に対する罪を裁くシステムが出来ている。しかし、まだ十分とは言えない。

先月30日、オランダのハーグで、ルワンダ人のフェリシアン・カブガ氏の裁判が始まった。フツ族によるツチ族の虐殺の後に設置されたルワンダの国連特別法廷が、おそらく最後の大きな裁判となるだろう。これまで80件近くの裁判を行い、大きなものでは、上級指導者に有罪判決を下している。ルワンダの裁判所や北米や欧州の国内裁判所でも、何千人もの下っ端の殺人犯が裁かれてきた。

カブガは20年間、逮捕を免れてきたが、英国、フランス、ベルギーの警察によって、フランスにいるカブガを訪れた家族がかけた電話の場所を追跡され、ついに逮捕された。現在彼は、1994年の大量虐殺を主導したグループの資金提供者であり後方支援者であると告発されている。彼は、フツ族にツチ族と穏健派フツ族の殺害を扇動する人気ラジオ局を設立し、指揮していたのである。

ICC
ICC

国際司法の歯車はゆっくり回っている。これらの裁判所は抑止力として機能しているのだろうか?それを正しく測定する方法はない。それは国内の犯罪も同じだ。常識的に考えて、本当に罰せられる可能性がなければ、犯罪者や犯罪行為が増えるだろう。

ミャンマー軍事政権の将軍たち、エチオピアのアビイ・アハメド首相、シリアのバシャール・アサド大統領は、明らかに抑止されていない。イスラエルも、ISISも、タリバンも、ウラジーミル・プーチン大統領もそうだ。

一方、軍がかつて抑圧していた人々と再び関係を築いてきたスーダンでは効果があったのかもしれない。また、ウガンダがコンゴに展開するいわゆる「平和維持軍」に過去のような非人道的な振る舞いをさせたり、ブルンジとコンゴ東部のフツ族がルワンダのツチ族政権に復讐し始めたりすることは抑止できているのかもしれない。(現在、小競り合いはあるが、それほど深刻な事態にはなっていない。)

裁判所の権威は、旧ユーゴスラビア国民の静まらない情念にも働きかけるのかもしれない。オブザーバーによると、セルビアとコソボでは最近また衝突が起きているし、ボスニアでは10月2日の選挙で新たな暴力が懸念されている。ICCが抑止効果の一端を担っているかどうかは断言できないが、これらの国々で何らかの抑制力が働いていることは明らかである。

カンボジア人が行っているように、各国も国際刑事裁判所とその前身である旧ユーゴスラビア、ルワンダ、シエラレオネなどの裁判について国民を教育する必要がある。メディアにおける記事や番組、学校や大学での教育がもっと必要だ。戦争犯罪や人権侵害は、義務教育の公民の授業や講義の一部であるべきだ。

国際法の適用はこの30年間で目覚しく進歩した。しかし、その歩みはあまりにも遅い。スピードアップが必要だ。とはいえ、今のままでも世界はずっと良くなっている。(原文へ

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「核の恫喝」の時代は終わらせるべき

【国連IDN=タリフ・ディーン

(Nova York - EUA, 20/09/2022) Palavras do Presidente da Assembleia Geral das Nações Unidas, Csaba Korosi..Foto: Isac Nóbrega/PR
Csaba Kőrösi, President of the 77th United Nations General Assembly Foto: Isac Nóbrega/PR

国連が「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えた9月26日、国連総会のチャバ・コロシ議長は「焼け焦げ、表面にぶつぶつができた状態で長崎の廃墟の中から発見された」聖像について各国代表らに語りかけた。この石像は現在、国連本部の事務局棟に常設展示されている核兵器の恐ろしさを示す展示物の中に入っている。

「この石像は、決して繰り返してはならない過去を思い起こさせてくれます。私自身も、この石像の暗い警告を心にとめるつもりです。私は、戦争の惨禍から守られた世界という、私たちの夢の実現に向かって最大限の努力をする所存です。」とコロシ議長は語った。

「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」は2014年から記念されている。国連総会は2013年12月、同年9月26日にニューヨークで開かれた核軍縮に関する国連総会ハイレベルフォーラムの結果を受けて、決議68/32によって国際デーの創設を決定した。

国連本部の事務局棟に常設展示されている、1945年に原爆によって崩壊した浦上天主堂で見つかった、焼けただれ、傷ついた聖アグネス像 撮影:浅霧勝浩
国連本部の事務局棟に常設展示されている、1945年に原爆によって崩壊した浦上天主堂で見つかった、焼けただれ、傷ついた聖アグネス像 撮影:浅霧勝浩

米国は、日本の都市である広島と長崎に対して1945年8月6日と9日に原爆を投下した。この2発の原爆によって、ほとんどが民間人である12万9000人~22万6000人が亡くなったとされる。しかし、この原爆投下は武力紛争下における核兵器使用の唯一の例となっている。

国連総会議長は、米国・英国・フランス・ロシア・中国の核保有5か国が今年初めに「核戦争に勝者はおらず、決して戦われてはならない」ことを共同で確認した事実を指摘した。

その他4つの核保有国は、インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮である。

「そのわずか9カ月後、大国間の緊張が新たに高まっている。私達は再び、核攻撃とそれに続く報復までわずか100~110秒というところにいます。」

ウクライナでの戦争は核の惨事が起こる可能性を著しく高めているが、他方で、国際原子力機関(IAEA)が警告しているように、「火を弄んでいる」者たちが一部にいる。

「私は特に、核攻撃の脅しが隠し立てもせずに繰り返されていることに驚愕しています。しばしば戦術核による攻撃について口にする者もいるが、そうした紛争が戦術レベルにとどまらないことを私達はみな知っています。」

朝鮮半島に関しては、核の威嚇がこの地域及び世界に対して受け入れがたいリスクをもたらし続けているとコロシ議長は語った。

「他方で、世界の軍隊には1万3000発以上の核兵器が存在している。これらの兵器への投資が増え続ける中で、食べ物すら買えず、子どもを学校に通わせることができず、体を温めることができずに困っている人々がたくさんいます。」と、コロシ議長は指摘した。

核兵器を放棄し核実験場を閉鎖した先駆的な役割を果たした国として、カザフスタンが引き合いに出されることが依然として多い。

1949年から89年にかけて、推定456回のソ連の核実験(うち116回の大気圏内実験を含む)がセミパラチンスク核実験場で実施され、人間の健康と環境に長期的な悪影響を与えた。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Kazakh President Nursultan Nazarbayev addressing the UN General Assembly in September 2015 | Credit: Gov of Kazakhstan
Address by His Excellency Nursultan Kazakh President Nursultan Nazarbayev addressing the UN General Assembly in September 2015 | Credit: Gov of Kazakhstan

1991年のソ連崩壊後、カザフスタンは約1400発の核弾頭をソ連から継承したが、自国の安全は軍縮によって達成されるという認識のもとに、それらの核は放棄された。

カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ元大統領は、旧ソ連から独立した諸国の中で、核兵器の廃絶と中央アジア地域における非核兵器地帯創設を初めて呼びかけた。

カザフスタンは、領内の全ての核兵器をロシアに自発的に返還し、核不拡散条約(NPT)に加入することで非核兵器国として国際社会に加わった。

「平和・軍縮・共通の安全保障キャンペーン」の代表であり「国際平和ビューロー」の副代表であるジョセフ・ガーソン氏は、IDNのインタビューにこう答えた。「『核兵器の全面的廃絶のための国際デー』で示されたビジョンや希望、記念イベントと、人類が今まさにキューバミサイル危機以来最も危険な核の対峙の人質となっている現状との間で、泣き叫びたい気持ちになっている人もいるだろう。」

Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.
Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.

核不拡散条約再検討会議直前のこの8月、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、「人類は今、ひとつの誤解や誤算が起きただけで、核によって滅亡する危機に瀕しています。」と警告した。この状況にあって最も優先しなくてはならないのは、核戦争の防止だ。

ガーソン氏は、「ウクライナ戦争が目まぐるしくエスカレートする中で、米ロの指導者らが弄んでいる核の火によって私たちは疲弊しています。」と語った。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナ領土をさらに併合して表向きはロシアの一部とする動きを見せる中、ロシアを「守る」ために核兵器を使用すると脅し、それを「ハッタリではない」と警告している。

「ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、米国やNATOからの支援を得て、ロシアが征服した領土の全てを取り戻すことを誓っている。私達はこうして、ロシアの資源を食いつぶすか、あるいはロシア軍が決定的な敗北を喫するかのいずれかの終わりなき戦いの危険に直面している。いずれの場合もプーチン支配の脆弱性を高め、ロシアの要求にウクライナを従わせようとするための戦術核兵器の使用の可能性を高めている」とガーソン氏は警告した。

プーチン大統領の核の恫喝に対して、バイデン政権は「断固として対応する」としているが、これは核の報復を示唆したものだ。しかし、それぞれの超大国の政治的、国家主義的な勢力を考えれば、敗北と見えるようなものを受け入れることはどちらの指導者にとっても難しいだろうとガーソン氏はみる。

「こうして人類の運命が危機に立たされています。」とガーソン氏は指摘した。

「核の脅威を終わらせ、核兵器を廃絶し、核兵器予算と投資を公衆衛生やコロナ禍からの復興、気候変動、持続可能な開発問題へと振り向けるべき」との世界的なアピールがなされる中で、核兵器の全面的廃絶に関する国連の会合が開かれている。

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

このアピールを発したのは、核拡散を防止し、核兵器のない世界を実現するために幅広い取り組みを行っている議員たちの世界的ネットワーク「核不拡散・軍縮議員連盟」(PNND)である。

国連事務総長は加盟国に対する演説で、「核の恫喝」の時代にあって、世界を破滅させかねない事態の脅威から一歩引いて、平和への決意を改めて固めるべきだと訴えた。

「核兵器は人類がこれまでに開発した最も破壊的な兵器です。核兵器は安全をもたらさず、ただ殺戮と混乱をもたらすだけです。核兵器を廃絶することは、私たちが将来世代に残すことができる最大の贈り物と言えます。」

グテーレス事務総長は、冷戦が人類を「滅亡の数分前」まで追い詰めたと振り返った。また、「ベルリンの壁崩壊によって冷戦が終結から数十年経った今、再び核兵器を振りかざす声を耳にしている。」と語った。

「はっきりさせよう。核の恫喝の時代は終わりにしなければなりません。核戦争を戦ったりその戦争で勝ったりしようとある国が考えたとしたら、そのような考え方は不健全です。核兵器の使用は人類絶滅を引き起こします。私達は冷静にならねばなりません。」

グテーレス事務総長はまた、核兵器を保有する国々が核軍縮という目標に法的拘束力のある形で唯一コミットしている条約である核不拡散条約(NPT)の再検討会議(8月)で、加盟国が全会一致の決定に至らなかったことに遺憾の意を表明した。

各国代表らは、国連本部での4週間にわたる集中的な協議の後、ウクライナの原子力施設に対するロシアの管理を巡る文言にロシアが同意しなかったことから、最終文書を採択できずに終わっていた。

グテーレス国連事務総長は各国に対して、諦めずに「緊張を緩和し、リスクを低減し、核の脅威を取り除くために、対話・外交・協議のあらゆる方法を用いる」よう求めた。

他方、ガーソン氏は、台湾をめぐる米中間の対立、カシミール地方を巡るインド・パキスタン間の対立、核兵器を保有する9カ国による核軍拡競争が、核による破滅という同じ危険を呈していると指摘した。

「『核兵器の全面的廃絶のための国際デー』は、この目前の、かつ長期的な核の危険に対して私達の目を改めて向ける機会を提供している。私達が最も優先すべきは、核戦争の防止です。」

このことは、ウクライナ戦争の即時停戦と協議を通じた和解合意、さらには、台湾付近と南シナ海での米国と中国の挑発的な軍事行動を停止させることが急務となっていることを指し示している。

Joseph Gerson
Joseph Gerson

「緊張を封じ込め、破滅に至る計算違いを防ぐための共通の想定や防護策が何もない新たな冷戦に私達が突入する中、米ロや米中は、戦略的安定を確立するプロセスに改めて関与せねばなりません。それは、意味のある軍備管理・軍縮協定の交渉の土台となりうるだろう。」とガーソン氏は警告した。

このような措置がなければ、核不拡散条約や核兵器禁止条約(TPNW)にもかかわらず、最終的に核戦争を防ぐ唯一の方法である核兵器の完全廃絶というビジョンと緊急性は、私たちの手の届かないところにありつづけるだろう。

「この国際デーにあたって、そして今後も、私達が頭に入れ行動の基礎としなければならない自明の理があるとすれば、それは、『人類と核兵器は共存できない』という被爆者の警告です。」とガーソン氏は指摘した。(原文へ

※タリフ・ディーンは、コロンビア大学(ニューヨーク州)修士課程でジャーナリズム学を修めたフルブライト奨学生。著書に『核の災害をどう生き延びるか』(1981年)、国連を題材にした『ノーコメント:私の言葉を引用するな』(2021年)等がある。

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核のない世界への道は険しいが、あきらめるという選択肢はない。(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)

核不拡散条約再検討会議、失敗に終わる

ジェノサイド容疑者、ヘイトスピーチ犯罪を裁く国際法廷を拒絶

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】

ルワンダの実業家で大量虐殺者とされる人物が、1994年のルワンダ大量虐殺の首謀者と資金提供の容疑で裁判を受けている法廷に現れなかった。

フェリシエン・カブガ(87)は、ハーグの国連法廷に提出された告発状によると、ツチ族を虐殺した勢力(フツ至上主義の政党や党の民兵組織、インテラハムウェ等)を幇助し、「千の丘自由ラジオ」として知られるラジオ局を利用して憎悪を扇動したとして訴えられている。(ヘイトスピーチ例/Youtube)

1994年の大量虐殺では、約100日間で少数民族のツチ族と穏健派フツ族約80万人が殺害された。

裁判の冒頭、裁判長は、カブガが法廷に出頭せず、拘置所からビデオリンクで審理を見守ることに決めたと述べた。カブガは声明を発表し、裁判所が自分で弁護士を選ぶことを拒否したため、現在の法的代理人に「信頼がない。」と述べた。

カブガの弁護団は、2020年の法廷への初出廷時に、依頼人の無罪を主張した。彼らは、カブガが裁判を受けるにはあまりにも弱っていると主張したが、裁判官は、審理時間を短縮したうえで裁判の続行を決めた。

ルワンダで最も裕福で影響力のある人物であったカブガは、23年間も逃亡を続け、偽名で暮らし、アフリカや欧州で国や住居を変え、2年前にパリからほど近い郊外のアパートでついに逮捕された。

「千の丘自由ラジオ」は、ルワンダ全土の聴収者を扇動し、殺人キャンペーンを開始した。ルワンダ国際刑事裁判所によるカブガの起訴状によると、市民がどこで道路封鎖をすべきか、どこで「敵」を探すべきかという情報を放送していた。

 Photographs of Genocide Victims - Genocide Memorial Centre - Kigali – Rwanda/ By Adam Jones, Ph.D. - Own work, CC BY-SA 3.0
 Photographs of Genocide Victims – Genocide Memorial Centre – Kigali – Rwanda/ By Adam Jones, Ph.D. – Own work, CC BY-SA 3.0

カブガに対する起訴状には、多くの殺戮を行った民兵グループに訓練の費用を支払い、ナタやその他の武器を配給したことが含まれている。

ヘイトスピーチの結果に焦点を当てたこの裁判は、政治的右傾化の中で言論の自由を制限してきた多くの国々で、この問題がより大きな意味を持つようになったため、通常よりも多くの聴衆を集める可能性がある。

この裁判をハーグで開催しているルワンダ法廷のスティーブン・ラップ元訴訟部長は、「これはまた、強力な経済的アクター、裕福なビジネスマンが、自らが引き起こした犯罪の責任を問われる珍しいケースです。」と語った。

以前の裁判では、裁判官は、ラジオ局の2人の幹部と新聞社の経営者を大量虐殺扇動罪で有罪判決を下し、1994年の殺害に拍車をかけたとして長期刑を宣告している。

2003年に出された判決の要旨は、「人間の価値を創造し破壊するメディアの力には、大きな責任が伴う。従って、メディアを支配する者は、その結果に対して責任がある。」と述べている。

農民の息子であるカブガ氏は、ルワンダ北部の村で古着やタバコの行商からスタートした。その後、徐々に土地を購入し、紅茶農園を始め、巨万の富と政治的影響力を手に入れた。

しかし、カブガは現在、彼の財産は裁判所によって押収され、ベルギーとフランスで凍結されたため、なくなってしまったと主張している。カブガの13人の子供たちは、資産は銀行のものであるとして、ほとんどの口座の凍結を解除するよう法廷に要求している。

この法廷には、ヒューマン・ライツ・ウォッチや他のグループから、ジェノサイドの最中や後に大規模な復讐殺人を行ったルワンダ愛国戦線のメンバーの過剰行為も訴追するという任務が果たされていないとの非難が寄せられている。その結果、少なくとも3万人、おそらく5万人が殺害されたと報告されている。

一方、ジンバブエでは著名な作家らが扇動罪で有罪に。

Photo taken in November 2006 during a UK tour organised by David Clarke, Ayebia, CC BY-SA 3.0

別の展開として、ジンバブエの小説家、劇作家、映画監督であるツィツィ・ダンガレンブガは、政治改革を求める平和的な抗議活動を行ったにもかかわらず、暴力を扇動したとして、裁判所に有罪を宣告された。

ダンガレンブガと共同被告人のジュリー・バーンズは、9月29日(木)、ハラレ治安判事裁判所において、暴力を扇動する意図をもって公共の集会に参加した罪で有罪判決を受けた。二人にはそれぞれ7万ジンバブエドルの罰金刑が科せられた。受賞作家は6ヶ月の執行猶予付き判決を受けたが、彼女は、自分の事件が、ジンバブエで表現の自由の余地が縮小し、犯罪化されていることを証明していると主張した。

ダンガレンブガは2020年7月、「私たちはより良いものを求めています。我々の制度を改革せよ」と書かれたプラカードを持ち、平和的な抗議行動を行った際に逮捕された。アムネスティ・インターナショナルや作家団体PENインターナショナルなどの人権団体は、起訴を取り下げるよう求めていた。

PENインターナショナルはこの有罪判決を速やかに非難し、ジンバブエ当局に対して「人権に関する義務を守り、反対意見を迫害することをやめるよう」呼びかけた。

バーバラ・マテコ判事は、2人が暴力を扇動する意図を持ってデモを行ったことを、疑う余地なく証明したと述べた。

ダンガレンブガは、裁判所の決定に抗議し、高等裁判所に上訴すると述べた。ダンガレンブガは、小説家、劇作家、映画監督。彼女のデビュー作「Nervous Conditions」は、ジンバブエ出身の黒人女性によって初めて英語で出版された作品である。2018年にBBCによって「世界を形作った本トップ100」の1冊に選ばれている。その他にも文学的な栄誉を獲得している。(原文へ

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハーバード・ウルフ】

ロシアのウクライナ侵攻直後、全てのEU諸国および欧州NATO加盟国の政府が反応を示した。ウクライナを支援するだけでなく、自国の軍事費増額も発表したのである。しかし、実際には全ての費用を賄えるわけではないことを示すいくつかの兆候がある。

ベルギー政府は装備費を10億ユーロにしたいと考え、クロアチアは今後3年間で41%の増額を望み、デンマークは軍事費を国内総生産(GDP)の2%にすることを目指し、フィンランドは一気に70%の増額、フランスは2025年までに27%の増額、ドイツは1,000億ユーロの特別基金を決定し、英国は2024年までに支出を13%増額するなどなど。幅広い分野の軍事費増額が予想される。少なくとも計画ではそういうことだ! さまざまな国が掲げるこれらの野心的プロジェクトは、うまくいくのか? あるいは、これらの約束は、ロシアの侵略行為に対する最初の反応として十分理解できるものの、実際にはまず実行不可能なものだろうか?(原文へ 

短中期的に見れば、特に戦争の終わりがだいぶ先と思われることを考えると、欧州における軍備増強努力は強化されるだろう。西側同盟とEUはロシアの所業にひどく衝撃を受けているため、しばらくは平常体制に戻れないだろう。冷戦時代に経験したように、欧州が再軍拡のスパイラルに陥る可能性はなきにしもあらずである。パワーの主な根源をエネルギー貯蔵量と軍隊とするロシアが、西側の再軍拡の動きに反応することは間違いない。

しかし、発表された軍備増強計画の実行可能性については、安全保障、経済、財政上の少なくとも五つの理由から疑問符がつく。

第1に、欧州は景気後退に直面している。全ての経済研究機関、ほとんどの政府、そして国際通貨基金が、持続的な景気後退を予測している。インフレ、特にエネルギーコストの上昇が、そしてグローバルサプライチェーンの諸問題が、多くの産業部門において警鐘を鳴らしている。すでに生産制限が実施され、あるいは発表されている。これらの予測が現実になった場合(それはほぼ間違いない)、それはすぐに大幅な税収減につながる。欧州諸国の多くが、2008/2009年金融危機の後遺症で多額の債務を抱えており、EU内で十分な埋め合わせができているとは到底いえない。つまり、現在発表されているような防衛予算の増額は、国家の債務削減という長年喧伝されてきたドグマを放り捨てない限り、財政的実行可能性の留保の対象とならざるを得ない。

第2に、コロナ禍の代償がある。現在の不安定な経済状況は、コロナ危機との因果関係もある。ロックダウンをはじめとするコロナ対策(国民生活の制限、多くの産業における生産削減など)が及ぼした影響は、医療部門だけにとどまらない。コロナ禍は、政府による異例の財政措置ももたらした。不動と思われた欧州財政政策の基盤が、署名ひとつで棚上げされている。

EUの1993年マーストリヒト条約は、以下の三つの基準を定めている。

  • 政府の財政赤字の対GDP比が3%を超えないこと
  • 政府債務残高の対GDP比が60%を超えないこと
  • いずれのEU諸国のインフレ率も、加盟国中最もインフレ率の低い3カ国との差が1.5ポイントを超えないこと

これら三つの基準のいずれも現時点で満たされておらず、EUは、これがコロナ禍による規則の例外であり、可能な限り早く解消すると主張している。それは非現実的に思われるし、マーストリヒト基準への回帰も、繰り返し引き合いに出されるとはいえ、具体的な計画はない。

第3に、気候変動対策に伴う費用がある。ウクライナにおける戦争で、化石燃料依存の迅速な低減といった気候変動対策の多くの目標が陰に追いやられた。石炭使用量削減など、合意された気候プログラムの一部は規模を縮小されつつある。しかし、先延ばしにしたからといって、問題が解決されたというわけではない。それどころか、気候変動対策を先延ばしにすればするほど、後でかかる費用は大きくなる。

第4に、ウクライナへの軍事支援および復興支援プログラムがある。多くの国はすでに、ウクライナへの武器供与だけでなく、近い将来に向けた財政・経済支援の提供を約束している。それは、現時点ではウクライナ難民の支援や戦時下での経済活動の維持であるが、今後は破壊された都市や寸断されたインフラの復興支援ということになる。これらの負担がいくらになるか、信頼できる推定はない。とはいえ、第二次世界大戦終結後のマーシャルプランの規模に準じる支援策が必要であることは間違いない。

第5に、ロシアとの経済関係がある。冷戦終結前後のデタント時代に戻るのは、全くもって不可能である。失われた政治的信頼はあまりにも大きい。経済関係の相互依存によって関係を構築しようという試みは、ロシアに対しては失敗した。長期的に見れば、西側は、プーチン政権から自国を軍事的に守らなければならないだけでなく、政治的関係、そして何よりも経済的関係をこれまでとは違った形で構築していかなければならない。とはいえ、ウクライナ、その他の欧州諸国、そして米国は、どのような政治的枠組みの中であれ、戦争を終わらせるためにはロシア政府と交渉しなければならない。欧州は、当面の間ロシアのエネルギー供給なしにやっていくことはまずできないだろう。それは、EUがロシア産石油の輸入を停止するか否かに関する難しい議論が示している。エネルギー価格の高騰は、将来何が起こり得るかをすでに示唆している。EU諸国は、エネルギー消費を制限する必要があり、さらなるコスト上昇に耐えねばならず、非常に長期にわたって完全にロシアのエネルギー供給なしにやっていくことはできないだろう。

要するに、今後発生するさまざまな財政負担の全てに対応するのはまず無理だということである。景気低迷により社会福祉費が増加すれば、問題はさらに悪化するだろう。これらの財政課題を管理するのは、到底無理な話である。恐らく全ての分野で妥協が必要であり、公的債務も増加する可能性が高い。防衛力を強化するために現時点で発表され、計画されている全ての支出を実現させるなど、決してできるものではない。ウクライナにおける戦争の終わりが見えない現在、長期的な影響を検討し、今後浮上する障害や必要な制限に対して国民の準備を整えることが適切だろう。

ハルバート・ウルフ は、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。

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