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ジンバブエ政府が政治的意識の高いアーティストを弾圧

【ハラレIDN=ファライ・ショーン・マティアシェ】

ジンバブエの重要な選挙が近づく中、エマーソン・ムナンガグワ政権は、有権者登録を促し政治腐敗に対して歌で対抗するよう呼びかけているミュージシャンらに対して、厳しい弾圧を進めている。

アフリカ南部に位置するジンバブエでは、この8月に総選挙が行われる予定だ。

与党「ジンバブエ・アフリカ国民同盟・愛国戦線」(ZANU-PF)を率いる現職のムナンガグワ氏が、野党「変化を求める市民連合」(CCC)のリーダーで、より若くカリスマ的人気を誇るネルソン・チャミサ氏を破って二期目の当選を狙っている。前回2018年選挙では、与党がCCCを辛うじて破った。

3月4日、ジンバブエで最も人気のあるレゲエ歌手、DJであるウィンキーDが首都ハラレから25キロ離れたチトゥングウィザで行ったパフォーマンスが、過剰反応を示した警察によって阻止された。

Map of Zimbabwe
Map of Zimbabwe

ワラス・チルミコを本名とするウィンキーDは、ショナ語で「呪い」を意味する「イボッツォ」という題名の曲を謳おうとした瞬間、警官によってステージから引きずり降ろされてしまった。昨年12月31日にリリースされ物議をかもしたアルバム「エウレカ」を共同制作した若いヒップホップ・アーティストのムクゼイ・チサマ(ホーリー・テンの名前で知られる)とコラボしてこの歌を歌おうとした瞬間の出来事だった。

この楽曲「イボッツォ」は、与党ZANU-PFの指導者らが政治腐敗を巡る問いを回避し、政治エリートによって民衆の資源が大量に簒奪されている状況を歌うものだ。

「ホーリー・テン」は3月に隣国南アフリカのライブで喜んでこの歌を歌っていた。

音楽批評家のマーシャル・ションハイ氏は、「ジンバブエのように立憲民主主義を規定し、人権が広範に認められた国において、ウィンキーDに起こったようなことが二度と起きてはなりません。と指摘した。

「表現の自由をはじめとする憲法上認められた権利の明確な侵害です。ウィンキーDはアーティストとして自分の考えを自由に、かつ検閲や差別なしに表明する権利があります。」とションハイ氏はIDNの取材に対して語った。

チトゥングウィザでのライブで大声を張り上げて歌っていた聴衆たちは、イボッツォを歌おうとした瞬間に警官がなだれ込んできたのを見て驚愕した。

アルバム「エウレカ」では、ウィンキーDが、エンゾー・イシャル、シンガイ、ハーマン、トッキー・バイブズ、フェイントフロー、アニタ・ジャクソン、キラーT、ムウェンジェ・マトレ、ナッティーOといった若いアーティストとコラボしている。

このアルバムには、政治腐敗から政府による権力の濫用、貧困問題など、さまざまな社会経済的問題を扱った歌が収録されている。

ウィンキーDの事務所はかつて、彼の歌は非政治的なものであり、ファンが勝手に解釈しているだけだと主張していた。

ブレイブマン・チズヴィノが本名である別のアーティスト、バーバ・ハラレが同じ時期にチトゥングウィザで行ったライブも警察によって禁止された。

現在の法では、秩序を保つためにイベントの主催者は事前に警察に公演の届け出をしなければならないことになっている。

バーバ・ハラレはソーシャルメディアで若者に有権者登録を呼びかけており、それが与党ZANU-PFによって目を付けられる原因になったのではないかというのが識者の見方だ。

与党は、失業率が高く経済不況の現状の中では多くの若者に有権者登録をしてほしくないと考えている。そうした状況にある若者たちは野党に投票する傾向があり、有権者登録を呼びかける者は必然的に野党CCCのシンパだとみなされることになる。

バーバ・ハラレは昨年、翌年の総選挙に向けた有権者登録をジンバブエ国民に呼びかけたことに関して、「私の最近のツイートは必ずしも明確な政治的意識に裏付けられたものではなかった。どちらかというと不満から出たものだ。もし状況に不満があるなら自ら動かないと、といつも言われていたからね。」と地元メディアに語っている。

ウィンキーDやその他のミュージシャンが、ジンバブエの貧困の状況を歌ったことで警察に弾圧されたのはこれが初めてではない。

昨年初め、クラブDJのリッキー・ファイヤー氏が、与党ZANU-PFの支持者とみられる人物にソーシャルメディア上で攻撃を受けた。2022年3月の地方選に向けて野党CCC候補者の集会で歌ったことが原因のようだ。

本名ツラニ・タカヴァダのリッキー・ファイヤー氏は野党のチャミサ候補を支持し、創設以来CCCを支援している。野党の象徴となる黄色の服を身にまとってすらいる。そのことがあって、殺害予告も絶えない。

オーストラリアを拠点に活動する歌手でプロデューサーのサニイ(本名ルンギサニ)・マクハリマ氏は、野党CCCを強烈に支持し、現職のムナンガグワ政権が公的な資源を大規模に収奪したと批判したことで、ネット上で何度も脅しを受けている。

マクハリマ氏は、次の大統領選・議会選において変革を起こすよう、若者の有権者に登録を呼びかけている。

ウィンキーDと彼のバンド「ビジランス」(注:「警戒」「監視」を意味する)のメンバー等は、与党ZANU-PFとの関係が疑われるなたで武装した集団によって、2018年のクリスマスイブに中部クウェクウェで襲撃された。ウィンキーDが、政治腐敗や悪化する医療部門、通貨危機について歌った「カソング・ケジェチャ」をリリースした直後のことだった。

与党ZANU-PFの指導者や支持者はその歌詞を気に入らず、国有ラジオは歌を放送することを拒否した。

2020年、警察はウィンキーDが首都ハラレで行おうとしたライブを中止させた。コロナ対策が名目とされたが、識者らによれば、同時期に別のアーティストがライブコンサートを許可されていることから、当局に標的となったとという。

2022年、ハラレ郊外の田園ボローデールで行われたウィンキーDのステージを警官らが妨害した。

ションハイ氏は、ウィンキーDへの攻撃は寛容のなさの表れだと考えている。「政党は、多様な見方に対して『寛容』な立場を取っているなどと、とりわけ選挙が近づいてくると主張しがちだが、それなのにそんなことが起こるとは驚きだ。異議申し立てをする者に冷たく当たるのが残念ながら今のジンバブエの状況です。」と語った。

ションハイ氏はまた、ウィンキーDの音楽はパワフルで、若者に力を与えているとみている。「彼の音楽のメッセージは、普通の人たちが日々格闘している日常の出来事に関係したものです。彼は人々がすでに経験していることを歌っているのです。」

「ジンバブエの危機連合」の広報オバート・マサローレ氏は、ウィンキーDの音楽はとりわけ若い市民の間の意識を高めたと指摘する。「ウィンキーは、若者を麻薬から引き離し、この国家的な危機の根本原因を真剣に考えさせるように仕向けているのです。」

「ケニアやナミビア、南アフリカにも同じような状況がありますが、これは、失業や貧困と闘う若者の運動を構築することにつながっていくと思います。この運動は現在の政権を引きずりおろし、大衆運動によって政権を倒す可能性を秘めています。」

メディア研究者のラザラス・サウティ氏は、「ジンバブエの選挙は数十年にわたって暴力にまみれてきました。野党支持で反政府的とみられるアーティストは標的にされてきたので、総選挙の数か月前という状況でウィンキーDに攻撃が仕掛けられたことは不思議ではありません。」とIDNの取材に対して語った。

「政府は、選挙結果に影響を及ぼすことを期待して有権者に脅しをかけようとしている。ウィンキーDのような社会問題に関わる音楽家を追放することでこれを成し遂げようとしているのです。」と、サウティ氏は付加えた。

ウィンキーDは、ハラレでアルバムを発表して間もなく、与党ZANU-PFに連なる音楽家や、「経済エンパワメント集団」のような若者運動からの批判に晒された。1月に会見を開いた彼らは、ウィンキーDの歌は「暴力を煽る」としてジンバブエ国内における彼のパフォーマンスを禁じるよう政府に要請した。

国営ジンバブエ放送は、ウィンキーDの音楽を禁止してはいないと明確にする声明を出さざるを得なかったほどだ。

ラッパーのアワ・キウェやクオンフューズド、バーバ・ハラレのようなその他のアーティストたちは、ソーシャルメディア上でウィンキーDを支持している。野党の指導者チャミサを含めた政治家の中にも、「アーティストの自由をはく奪するな」と政府に呼びかけている者もいる。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

ジンバブエ国民は、植民地時代からポスト植民地時代を通じて、音楽に政治的な意味を読み込んできた。植民地時代には、白人の少数派政府が、チムレンガ(解放)音楽の大物で政治的な意識が高かったトーマス・マプフーモ氏のような音楽家を弾圧する法律を用いてきた。

ジンバブエでは、ロバート・ムガベ期に独立を果たすと、レオナルド・ザカタ氏やマプフーモ氏、故オリバー・ムトゥクジ氏のようなジンバブエの伝説的な音楽家たちの音楽が、その政治的なメッセージゆえにラジオでの放送を禁じられてきた。

マプフーモ氏は2018年まで20年間にわたって米国で亡命生活を送ったが、ハラレでライブを行うために戻ってきた。

「(独立前の)ローデシア時代に存在したのと同じ抑圧的な検閲法が今日でもまだ存在します。多くのアーティストたちが検閲を受けていますが、現在のやり方は、公式に表立ってそれが行われるのではなく単に放送を禁じるという形になっていいます。」とションハイ氏は指摘した。(原文へ

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スーダンの紛争があなたのコカコーラに影響?

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】

ニュース番組やラジオ放送で盛んに報道されているにもかかわらず、今世界中で起きている戦争は、ここニューヨークにいると、遠くかけ離れた出来事のように感じられる。音もなく戦争が続き、そうした紛争地では平和はほど遠いところにあるように思える。

Map of Sudan
Map of Sudan

このような状況の中で、戦争が私たちの身近に何かもたらす可能性はあるだろうか。

その答えは、意外にも “YES “である。

アフリカ北東部スーダンでの戦闘勃発を受け、国際的な消費財メーカーは、炭酸飲料からチューインガムや化粧品に至るまで、実にさまざまな商品の重要な原料であるアラビアガム(アカシア樹脂)の入手が先細りとなり緊急の対応に追われている。

アラビアガムの代替品はほとんどなく、世界的な供給の約70%は、アフリカ大陸で3番目に大きいスーダンに広がるサヘル地域のアカシアの木から産出する。だが、スーダンは現在分裂状態に陥り、4月中旬以降、国軍と準軍事組織の間で戦闘が発生している。

スーダンの政情不安を懸念して、アラビアガムに依存しているコカコーラやペプシコなどの飲料メーカーは、以前から供給難を避けるため、3~6カ月分相当の在庫を確保しているという。

An image of a Coca-Cola bottle, 0.2 L/ By Ralf Roletschek - Own work, Public Domain
An image of a Coca-Cola bottle, 0.2 L/ By Ralf Roletschek – Own work, Public Domain

スーダン内戦が今後どれほど続くかによるが、店頭に並ぶ完成品が不足する可能性は十分にある。現在の備蓄が5~6カ月で底をつく可能性さえある。

アラビアガムのグローバルな生産量は年間約12万トンで、11億ドル(約1510億円)に相当する。そしてその大半は、東アフリカから西アフリカへと500マイル(804キロメートル)に亘って広がる「ガムベルト」と呼ばれる地域のアカシアの木から産出し、スーダン産が最も良質なものとして取引されている。

ガム・アラビックUSAを経営するモハマド・アルノア氏は、現時点では、スーダンの農村地域からアラビアガムを追加調達することは、国内の混乱や道路封鎖のため「不可能」だと語った。同社はアラビアガムを健康サプリメント製品として消費者向けに販売している。

アラビアガムの輸出業者であるモハマド・ザラガ氏は、「アラビアガムと同じことができる原料は他に見当たりません。これまでにいろいろな人が代替原料を探しては試したが、成功していないのです。」と語った。(原文へ

解説:アラビアガムは、豆科アカシア属のアラビアゴムノキから採取した樹液を固形化したもので、優れた乳化特性や皮膜性をもつことから,増粘安定剤として古くから食品、霞薬品、工業製品等に利用されてきた。清涼飲料水メーカーにとって、アラビアガムが必須の原材料で、これがなければ、砂糖や香料、着色料などが分離・沈殿して透明な液体となり製品として成り立たなくなる。

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宇宙空間における核軍拡競争の予防、ロシアの拒否権行使で頓挫か

【国連IPS=タリフ・ディーン】

日米両国が国連安全保障理事会(全15か国)に共同提出した宇宙空間に関する初の決議案が、ロシアの拒否権行使によって採択されなかった。これが宇宙空間における軍拡競争の先駆けになるのではないかとの観測が出てきている。

Randy Rydell/ UNODA
Randy Rydell/ UNODA

拒否権を行使された決議案は「核兵器やその他のあらゆる種類の大量破壊兵器を搭載した物体を宇宙空間に置くこと、天体にそのような兵器を設置すること、いかなる方法によってもそのような兵器を宇宙空間に配備することなど、1967年宇宙条約の規定を完全遵守する全ての国連加盟国の義務を確認するもの」であった。

平和首長会議」の顧問で、国連軍縮局の元幹部(政治問題担当)のランディ・ライデル氏はIPSの取材に対して、「国連安保理は軍縮問題に関して、ジュネーブ軍縮会議を苦しめたのと同種の問題、すなわち拒否権とジュネーブ軍縮会議の『全会一致原則』に悩まされてきました。残念なことに、宇宙空間に関する決議案に拒否権が発動されたのは驚くべきことではありません。」と語った。

「国際社会は軍縮に関して『法の支配』の危機に直面しています。主要な条約は普遍的な加入には程遠く、交渉に失敗して発効していません。また、加盟国による国内法制化の手続きも進まず、十分履行されず、中には脱退が相次ぐ条約もあります。」

「今回の投票結果に関わらず宇宙条約自体は存在し続けますが、すでに進行しつつある核軍拡競争が宇宙へと波及する恐れがあり、この懸念は、軍縮の将来だけでなく、私たちの脆弱な地球の平和と安全にも重大な影響を及ぼします。」とライデル氏は主張した。

UN Summit of the Future
UN Summit of the Future

「武力使用の威嚇を禁じ紛争を平和的に解決するという国連憲章の規範は、引き続き、私たちの目前で展開している危機に対する最も効果的な処方箋となりえます。これと、軍縮に『向けた』新たな方策のみならず、軍縮に『おける』方策を組み合わせることが重要です。9月に開催される国連総会の『未来サミット』が、これらの重大課題に対して新たな世界的コミットメントを再活性化させることを望みます。」とライデル氏は語った。

安保理は、賛成13・反対1(ロシア連邦)・棄権1(中国)で、先の決議案を否決した。常任理事国による反対票のための否決である。

米国・英国・フランスに加えて、非常任理事国全10か国(アルジェリア・エクアドル・ガイアナ・日本・マルタ・モザンビーク・韓国・シエラレオネ・スロベニア・スイス)が決議案に賛成した。

「西部諸州法律家財団」のジャクリーン・カバッソ事務局長は、「今回の決議案否決は、五大国の拒否権によって生まれた安保理の機能不全を示しているとしても、現在の地政学的な対立とプロバガンダの中では、評価するのが難しい。なぜなら、ロシアと中国はむしろ宇宙空間における軍拡競争の予防に関する包括的条約の協議入りを長らく支持してきており、2008年と14年には、今や機能不全に陥っているジュネーブ軍縮会議に条約案を提出しています。」と指摘した。

米国は、ブッシュ政権、オバマ政権のいずれの際にもこれらの決議案を否定している。こう語るカバッソ氏が事務局長を務める「西部諸州法律家財団」はカリフォルニア州に本部を置く非営利組織で、より公正で環境的に持続可能な世界を目指すための本質的なステップとして核兵器の廃絶が必要であると訴えている団体である。

ロシアは、4月24日のこの拒否権発動劇の翌週、日米提案より踏み込んだ内容の決議案を安保理に提出している。それは、宇宙空間に「常に」この種の兵器を配備することを禁止するだけではなく、「宇宙空間における武力の威嚇」すら禁止する内容であった。

この新決議案は、「宇宙から地上に対して、地上から宇宙空間の物体に対して」兵器の配備禁止を含んでいた。これは定義上、対衛星兵器も含まれることになる。

Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.
Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.

地上では新たな核軍拡競争が展開し、冷戦期の軍備管理枠組みが崩壊・解体しつつあり、核保有国間の戦争の危険性がおそらく史上最も高まっている現在、1981年の国連総会で認識されたように、「軍拡競争が宇宙空間に拡大する危険性が高まっている」と言えるだろう。

「私たちは世界的な緊急事態にあり、事態を鎮静化させ、核保有国間での外交的対話を開始するあらゆる努力がなされる必要があります。この目的のため、米国とその同盟国は、ロシアに(米国などが考えるところの)そのこけおどしを止めさせるように呼びかけ、むしろロシアが安保理に提出した新決議を歓迎すべきです。」と、カバッソ事務局長は訴えた。

米国代表は、投票後にコメントし、『国連ニュース』の報告によると、「ロシア連邦が世界的な不拡散体制を毀損するのは今回が初めてではない。ロシアは、危険な拡散者を擁護するのみならず、力づけてもきた。」と語った。さらに、投票を棄権した中国については、「世界の不拡散体制を守るのではなくロシアをジュニアパートナーとして擁護している。」と指摘した。また、「核兵器の宇宙軌道上への配備は前例がない。容認することができない、きわめて危険な行為だ。」と指摘したうえで、「今回の決議案にはさまざまな地域から65カ国の支持が得られており、全会一致を得るために日本が大いなる努力をしてくれた。」と語った。

日本代表は、「この歴史的な決議案の採択を阻むためにロシアが拒否権を行使したことはきわめて残念だ。」と語った。

UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri

決議案を支持した65カ国の共同提出国があったにも関わらず、わずか1つの常任理事国が「世界に私たちが送ろうとした重要なメッセージを打ち消してしまった。」と日本代表は強調し、「決議案は宇宙空間の平和的利用と探査に対する実践的な貢献となるはずだった。」と指摘した。

ロシア代表は、「安保理がまたしても『日米両国が仕掛けた汚らわしい見世物』になってしまった。これは皮肉な策略だ。私たちは罠にはめられた。」と主張した。

宇宙空間への大量破壊兵器配備禁止は既に1967年の宇宙条約で謳われていることだとロシア代表は述べ、米国や日本、その同盟国らは、その他すべての兵器の中から大量破壊兵器だけを「恣意的に取り上げ」、宇宙空間からすべての兵器を排除しようとの提案に「何の関心もないことをごまかそうとしている。」と語った。

ロシア連邦と中国が提出した決議案の本文に付記した部分では、大量破壊兵器の開発禁止と宇宙空間への配備禁止を削除していない、とロシア代表は強調した。

他方で、カバッソ事務局長は、国連総会が1967年に採択した宇宙条約の第4条では、「地球周辺の軌道に核兵器あるいはその他のあらゆる種類の大量破壊兵器を搭載した物体を置くこと、そうした兵器を天体に設置すること、そのような兵器をいかなる方法においても宇宙空間に配備すること」を禁止している、と説明した。

にもかかわらず、国連年鑑によれば、1981年までに一部の加盟国が「科学技術の急速な発展によって軍拡競争が宇宙空間に波及する危険性が迫っており、新たな種類の兵器開発が国際協定の存在にも関わらず続けられている」ことへの懸念を示していたという。

ジョン・プランブ米国防次官補(宇宙政策担当)は下院軍事小委員会で5月1日に開催された公聴会で「ロシアは開発を続けており、もしロシアを説得できないようであれば、軍事・民間・商業衛星を区別できない無差別的兵器である核兵器を宇宙で飛翔させることが最終的には可能になってしまう。」と証言した。

「2月、ウラジーミル・プーチン大統領は、ロシアは宇宙空間に核兵器を配備する意図はないと主張していました。従って、ロシアが宇宙空間における軍拡競争の禁止を呼びかけた安保理決議案に4月24日に拒否権を発動したことは困惑を招いています。」と、カバッソ事務局長は語った。

UNSC/ UN photo
UNSC/ UN photo

日米両国が提出した同決議案は、核兵器あるいはその他あらゆる種類の大量破壊兵器を宇宙空間に配備しない条項を含め、宇宙条約を完全遵守するようすべての国連加盟国に求めることを確認する内容だった。中国は採択を棄権した。

決議案が採択される前、ロシアと中国は、決議案の内容を強化する修正案を提示していた。すなわち、核兵器・生物兵器・化学兵器を禁止するだけではなく、「宇宙空間に兵器を配備することや、宇宙空間において武力使用の威嚇を行うことを常に予防する」ことを求めた。しかし、カバッソ事務局長によれば、この修正案は否決された。(原文へ

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This article is brought to you by IPS Noram, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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王室の戴冠式で鳴り響く新たなメッセージ: 「私の王ではない」

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】

華やかな演出、トランペットのファンファーレ、銃礼で盛大に執り行なわれた英国王チャールズ3世とカミラ王妃の戴冠式には、ウエストミンスター寺院に参列した王室関係者や招待客のほか、ロンドン市民や世界各地から参集した観光客が会場周辺の沿道を埋め尽くした。

1760年に作られた金色に輝く王室専用馬車(ゴールド・ステート・コーチ)は、戴冠した王族をバッキンガム宮殿に運ぶために用意されたものだ。

Coronation Procession at the Coronation of Charles III and Camilla/ By Katie Chan - Own work, CC BY-SA 4.0
Coronation Procession at the Coronation of Charles III and Camilla/ By Katie Chan – Own work, CC BY-SA 4.0

しかし、今日の観衆は、70年前のエリザベス二世の戴冠式に参集した300万人を数えた往時の帝国の臣民とは様変わりしている。例えば、沿道の群衆の中に「私の王ではない」と書かれた垂幕を掲げる人々の姿に、どれだけ変わったかを見てとることができるだろう。

「英国社会は大きく変貌しました。王室は、今日私たちが暮らす社会を代表するものではありません。」と、記者のリズ・ステファンズは語った。

「多くの国民が経済的に苦しんでいるときに、豪華な戴冠式が行われています。これは、恥ずべきことだと思います。この国は混乱しているのに、戴冠式に何百万ドルも使うなんて……」と、ある抗議者は付け加えた。

王室の戴冠式では、国民は国王への忠誠を誓うよう求められる。しかし、王室が、かつての植民地主義や多くの旧植民地で未だに根強いLGBTQ+法が大英帝国時代に遡るイメージなどから、王政そのものに別れを告げたいと考えている人々も少なくない。

1952年、エリザベス女王の即位に伴い、イギリス軍はケニアに非常事態を宣言した。当時、ケニアを含む世界各地の植民地で独立運動が活発化しており、大英帝国は縮小傾向にあった。

当時ケニアでは、後のケニア独立に繋がる重要な要素となる通称「マウマウ団」と呼ばれるケニア土地自由軍が、過激な民族主義的独立運動を展開していた。

これに対し植民地政府は、イギリス本国から派遣された正規軍5万人、戦車、爆撃機などを投入してナイロビで2万7千人、農村で107万人の反乱支持者を逮捕した。また、この反乱によるマウマウ側の死者数は、11503人だった。また、ゲリラからの隔離政策で環境劣悪な収容所に送られて死亡したキクユ族は2万人程度に上ると見られている。

Troops of the King's African Rifles carry supplies while on watch for Mau Mau fighters./ By Ministry of Defence POST-1945 OFFICIAL COLLECTION, Public Domain
Troops of the King’s African Rifles carry supplies while on watch for Mau Mau fighters./ By Ministry of Defence POST-1945 OFFICIAL COLLECTION, Public Domain

多くの人々にとって、英国王室はこうした植民地支配の記憶と結びついている。彼らからすれば、王室は帝国を支配し、帝国から多大な利益を得ており、それに加担していたと見做されているのである。

チャールズ3世の戴冠式は、こうした歴史を直視し、王制の存続の是非を考える絶好の機会であると考えている人は少なくない。

ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンのジェレマイア・ガーシャ助教授は、「2023年は、新しい英国に王政の居場所はもうないと振り返る分岐点になると思います。」と語った。

南アフリカ大学(UNISA)のアフリカ政治学教授であるキャーレボーハ ・マフンイェ氏は、「私たち南ア人にとって、英王室の戴冠式は、特に興奮したり喜んだりするようなことではありません。むしろ、この国が今も、大英帝国の植民地時代の遺産を引きずっていることを考えれば悲しむべきことなのです。」

「今回の戴冠式でも、英国王が南アフリカから持ち去られた世界最大のダイヤモンド『アフリカの星』をはめ込んだ王笏を使用すると聞いています。とても、私たちが興奮したり喜んだりできるものではありません。」

南アフリカの活動家たちは、英国政府に対して、ロンドン塔に他の宝石とともに保管されている「アフリカの星」を返還するよう要求している。

ヨハネスブルグのモハメド・アリ氏は、「彼ら(=英国人や旧宗主国の人々)は今日私たちを第三世界の人間と言及します。しかしアフリカの大半の国々は、植民地主義者が略奪した鉱物資源のために貧しくなったのです。彼らは私たちのおかげで豊かになったのですから、略奪したものを返還すべきです。」と語った。

引退したジャーナリスト、ビクター・イゼコール氏は、ナイジェリア南部のベニン王国に英国が侵攻し、美術品を持ち去ったことを非難している。「英国人は自国の伝統を愛していますが、一方で、私たちの伝統を破壊するためにやってきたのです。」と語った。

かつて大英帝国が植民地支配した領域を中心に構成された国家群である英連邦諸国は、この戴冠式をせいぜい無関心で見ている。「国王チャールズ3世は、国民から奪われた富の返還を含めて植民地支配がもたらした被害の修復を始めるべきです。」と、オーストラリアのリディア・ソープ上院議員は語った。(原文へ

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COP27におけるインド: 中心的役割を果たしたか?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ロバート・ミゾ 

気候変動に関する国際交渉においてインドが重要なアクターであることは、近頃シャルム・エル・シェイクで開催された条約締約国会議(COP)27で如実に示された。2015年のパリ協定で約束したことを達成するため、締約国間の新たな連帯を追求するサミットで、インドは国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国としてきっぱりと主張しつつも、協調的な姿勢を見せた。気候変動はすべての国の協調的努力によってのみ対処できるという普遍的合意はあるものの、平等、正義、公正にかかわる問題は依然として波乱含みである。シャルム・エル・シェイクにおけるインドの大きな貢献は、これらの問題への対処に関係する。(

インドは、同国がグローバルな正義や平等という根本的問題に引き続き取り組んでいくことを十分に明らかにしたうえで、サミットのカバーテキストにおいて「主要排出国」や「上位排出国」といった言葉を使用することには反対した。このような言葉は、世界の平均気温上昇を1.5℃に抑えるために、歴史的に気候変動の原因となってきた富裕国だけでなく、インドと中国を含むすべての上位排出国が厳しい排出量削減を行わなければならないという含みを持つ。COP27でインド代表団を率いたブペンドラ・ヤーダブ環境・森林・気候変動大臣は、これを「共通だが差異のある責任と各国の能力(CBDR-RC)」という原則を損なおうとする試みと見た。インドは、歴史的に気候変動の原因を作った国々とひとくくりにされることなど到底受け入れられず、そのような試みに対しては、条約の衡平原則に基づいて抵抗することを明確に表明してきた。

さらにインドの交渉担当者らは、エネルギー使用量、排出量、所得の明らかな格差が各国間にあり、この世界が依然として不公平である遺憾な事実を強調した。そのためインドは、貧困国が気候変動の影響に対処するとともに、各国の能力に応じた排出量削減の実施に同意できるよう、気候資金の強化を強く求めた。インドは、国のゼロエミッション計画(達成目標は2070年まで)や国が決定する貢献(NDC)に基づく他の排出量削減プログラムとは別に、低排出開発経路に移行するための主な戦略を提示する長期低排出開発戦略(LT LEDS)を、国連気候変動枠組条約に提出した。インドの低炭素開発戦略は「世界の炭素収支の公平かつ公正な割り当てを受ける権利」という観点から考えなければならないと、ヤーダブ大臣は強調した。文書では、インドがその計画を実施するためには2050年までに何十兆ドルもの資金が必要であるという重要な点が指摘されている。また、「先進国による気候資金の提供は非常に重要な役割を果たすものであり、助成金や無利子融資の形で大幅に強化し、UNFCCCの原則に従って、主に公的資金を財源として、規模、範囲、スピードを確保する必要がある」と記載されている。

さらにインドは、気候資金に関するサミットでの議論を他国とともに主導した。これは、先進国が2020年までに年間1,000億米ドルを拠出するというパリ協定での約束が達成されなかったことを踏まえると、サミットの議題のきわめて重要な要素であった。インドは、気候資金の定義に関する多国間の合意を形成しようとするなかで、「融資」は貧困国や途上国にさらなる負債を負わせるため、気候資金と認めるわけにはいかず、「助成金または無利子の」資金提供が望ましいとした。そのためインドは、他の途上国とともに、富裕国が新たな世界規模の気候資金目標、すなわち気候資金に関する新規合同数値目標(NCQG)に同意するべきであり、それは気候変動の激化に対処し適応するためのコストとして何兆米ドル単位であるべきだと主張した。会議の最終文書にNCQGへの言及はなかったものの、シャルム・エル・シェイク実施計画では、「先進国や他の資金源による途上国への資金援助を加速することは、緩和策を強化し、資金調達の不平等を解消するために極めて重要である」と強調されている。

インドは、最も脆弱な国々に対して気候変動により被った損害を補償するための「損失と損害」基金(L&D)の設立を歓迎した。基金は、より貧しい国々、特に小島嶼国のニーズを明確に示し、当然ながらCOP27における歴史的進展として賞賛された。資金の管理、拠出者、拠出比率に関する重要な詳細は、今後「多国籍委員会」によって概略が策定され来年のCOP28で提出され、採択されることになっている。ただし、インドのブペンドラ・ヤーダブ環境大臣は、インドは提言される資金を拠出する責任はなく、むしろ気候変動の影響に対処するために資金提供を受ける権利を主張することを明確にした。そのような基金を設立する合意がなされたことは、気候正義の達成に向けた長い旅路における適切な一歩と見なされる。

セメント、肥料、鉄鋼といった炭素集約型の製品に2026年以降課税する、炭素国境調整メカニズムをEUが提案したのに対し、インドは他のBRICS諸国とともに反対した。インドとBRICS同盟国は、そのような税は市場の歪みをもたらし、当事国間の信頼の欠如を悪化させる恐れがあり、回避しなければならないと主張した。このグループは、先進国と途上国の貿易収支の問題をもたらすとして、差別的かつ不公平な市場の‘‘解決策”に反対している。彼らはむしろ、先進国が資金提供と排出量削減の公約を実行することによって、リーダーシップを示すべきだと主張している。これは、気候緩和の負担を不釣り合いに、また不当に負わされる国がないようにすることで、平衡性の原則を守ろうとする努力である。

化石燃料の使用を削減する努力について、インドは、石炭だけでなく「全ての化石燃料」の使用を段階的に廃止するという提案を繰り返した。このような立場の根拠は、石油や天然ガスのような石炭以外の燃料も温室効果ガスの原因となっており、したがって、2021年のグラスゴーCOPでEUが支持した石炭の段階的廃止案と同等に、段階的に廃止しなければならないというものである。しかし、インドは電力需要を満たすために石炭に大きく依存していることから、これはインドの外交的駆け引きと見なされた。そのため、「全ての化石燃料の段階的廃止」案は米国とサウジアラビアを中心とする石油・ガス産出国の抵抗にあい、文言は「石炭の段階的廃止」となったのである。

インドはCOP27において、積極的かつ影響力のある締約国として、解決策を見いだす責務を果たすとともに、途上国および低開発国の利益を守るために断固とした姿勢を見せた。インドは、気候危機の被害者であって加害者ではない世界の人口の「多く」の利益を代表した。気候変動に関する将来の国際交渉におけるインドの役割と貢献は、この国が大切にする価値観、すなわち、平等、公正、世界的正義に今後も基づくものとなるだろう。

ロバート・ミゾは、デリー大学政治学部助教授(政治学、国際関係論)。気候変動政策研究で博士号を取得した。研究テーマは、気候変動と安全保障、気候変動政治学、国際環境政治学などである。上記テーマについて、国内外の論壇で出版および発表を行っている。

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カリブ海地域の観光業に脅威を与える気候変動

【ポートオブスペイン(トリニダード)IDN=リンダ・ハッチンソン=ジャファール】

太陽の降り注ぐ浜辺や静かな水辺、活気のある文化で知られる人気の観光地・カリブ海地域が、気候変動の破壊的な影響によって厳しい現実に直面している。

カリブ地域の島嶼諸国にとって観光業は経済上の命綱であるが、地球温暖化によって地域の繊細な生態系が崩れ、インフラや地域の生活に影響を与える中で、存続の危機に立たされている。

海面上昇、嵐の激化、サンゴ礁の劣化など、カリブ海観光の未来は危機に瀕しており、この愛された観光地を守るために、緊急の行動と対策が必要だ。

Map of the Caribbean
Map of the Caribbean

「カリブ海ホテル観光協会」のニコラ・マデン=クレイグ協会長は、IDNの取材に対して、「観光業はカリブ地域の主要な経済牽引役であり、この地域は世界からの観光客に依存しています。気候変動による観光業の衰退は経済全体を荒廃させ、農業、製造業、運輸業、クリエイティブ産業などの他の部門に直接の影響を与えます。」と語った。

2019年、世界で最も観光依存度の高い10カ国のうち、8カ国がカリブ海地域にあった。世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)によると、2010年から19年にかけて、地域経済全体の年成長率1.3%に対して観光業の成長率は3%と上回っていたが、世界全体の観光業の伸びである4.2%は下回っていた。

WTTCの現在の成長軌道では、今後10年間で、カリブ海地域の旅行・観光(T&T)GDPは平均で年5.5%伸び、経済全体の成長率2.4%の倍以上になると予測されている。業界の雇用は平均年3.3%増え、2032年までに91万6000人の雇用が創出されると予想されている。

国際労働機関(ILO)の推計によると、観光業は平均して国内総生産(GDP)の33%、輸出額の52%、間接・直接雇用の43%以上に直接寄与している。アンティグア・バーブーダのような観光依存度の高い国では、雇用の最大で9割に達することもある。2021年、観光業はカリブ地域に390億ドル以上をもたらし、「Statista」によるとドミニカ共和国とキューバが最も寄与度が高いという。

マデン=クレイグ協会長は、海水面が上昇し、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の2018年報告で警告的な予想がなされているとおり厳しい脅威が生じている、との見方を示した。IPCC報告は、地球温暖化が1.5度進行すれば、世界のサンゴ礁の7割から9割が消滅することになると予想している。「天然資源や食料供給に大きく依存するカリブ地域の観光業にとっては破滅的事態です。温暖効果ガスを削減する大胆な策がとられなければ、2030年代初頭までに世界のサンゴ礁の99%を熱波が襲って回復不可能になる。」とマデン=グレイグ協会長は警告した。

カリブ観光機関(CTO)のニール・ウォルターズ事務局長代理は、「気候変動が観光産業の質と安定性を脅かすため、観光産業の対応を管理し、気候変動の環境上の影響を緩和していく取り組みが求められています。しかし、観光産業だけで気候変動という難題に対処することはできず、より広範な国際的な持続可能な開発アジェンダの文脈の中で取り組む必要があることは明らかです。」と語った。

COP 26 Logo
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カリブのオランダ語圏、英語圏、フランス語圏、スペイン語圏の国や地域の諸政府や非政府の観光関係団体が加盟しているCTOは、CHTAや「持続可能な観光をめざすカリブ同盟」(CAST)と並んで、「観光業における気候関連アクションを求めるグラスゴー宣言」に署名している。2021年11月の国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)で出されたこの宣言は、観光業における気候関連アクションを促進するためにすべての観光業関係者によってなされた公約である。

ウォルターズ事務局長代理は、「グラスゴー宣言は、観光産業に関連するステークホルダー間の連携と協力を強調しており、観光業の気候変動対策を管理し、影響の緩和と適応策の促進・教育・意識喚起にむけたパートナーシップを構築するCTO戦略との連携を目指したものです。」と語った。

クレイグ協会長は、「カリブ地域はパリ協定グラスゴー気候合意の策定・批准に重要な役割を果たしてきました。」と指摘した上で、「CHTAとCASTは支持を強化し、地域の20カ国以上が世界的に活動を促進するのを支援してきました。カリブ地域は気候変動に対して最も脆弱な地域の一つであり、世界の模範となって積極的に対策を訴えていかねばなりません。」と語った。

CTOは地域レベルで、気候変動(Climate Variability and Climate Change, CVC)に関する知識や意識を高めたり、その対応策をつくる能力を構築したり、政策決定の参考にしたり、気候変動の影響緩和の実践例を広めたりする様々なプロジェクトや取り組みを行ってきている。

セントルシアにある「フォンドゥー・エコリゾート」のオーナー兼CEOは、「観光業は、省エネルギーや水の節約、廃棄物の削減などの持続可能な取り組みを行うことによって気候変動に対処する上で重要な役割を果たすことができます。」と語った。そうした行動をとることで、経費節減や資源利用の効率化、市場競争力の強化につながるなどのメリットがある。

また、「再生可能エネルギーやエネルギー効率への投資、持続可能な観光の推進、気候変動に対する国民の意識の向上などへの政治的意志は強いといえるでしょう。しかし、この問題に包括的に取り組むには、より多くの資源が必要です。最も効果的な戦略は、環境の持続可能性と経済性のバランスをとり、ビジネスの競争力と収益性を確保することです。」と語った。

気候変動はすでにカリブ海地域の観光に大きな影響を及ぼしており、観光客が体験するために訪れるインフラやアトラクション、そして観光産業を支える天然資源の双方に影響を与えている。気候変動は、海水温の上昇に伴い、ハリケーンなどの気象現象がより頻繁に発生し、深刻な事態を引き起こす原因であるとされている。

Hurricane Maria near peak intensity, moving north towards Puerto Rico, on September 19, 2017./ The Naval Research Laboratory/ NOAA – Public Domain
Hurricane Maria near peak intensity, moving north towards Puerto Rico, on September 19, 2017./ The Naval Research Laboratory/ NOAA – Public Domain

「ネイチャーアイランド」の観光地として宣伝している東カリブ海の小さな島、ドミニカ国は、近年、強力なハリケーンの被害を受けてきた。2017年9月に襲来したハリケーン「マリア」は島の建造物の9割以上を破壊し、経済に深刻な影響を与えた。世界銀行がGDPの224%と推定したドミニカ国の損失には、熱帯雨林や観光業への被害も含まれており、損害全体の19%を占めていた。

ドミニカ国はこれに対処するために、部門横断的な取り組みを行う「ドミニカ気候強靭化庁」(CREAD)を設置して世界初の「ハリケーン耐久国家」作りを進めている。その一つが、零細・中小企業の活性化で、業績評価・改善のための分析ツールの提供、資金調達の促進、能力開発のための支援などを行っている。

2018年、カリブ海地域を干ばつが襲った。ジャマイカ、バルバドス、トリニダード・トバゴといった国々で農業や水供給が影響を受けたが、気候変動による気象パターンの変化が原因だと見られている。2019年、バハマをカテゴリー5のハリケーン「ドリアン」が襲い、広範な被害と人命の損失をもたらした。大西洋で記録されている最も大型のハリケーンの一つだとされている。

カリブ諸国とホテル業界は、気候変動がエネルギーの大量消費地である観光産業に与える影響に対処するための措置を講じている。この地域の主要な観光グループ企業であるサンダルズ・リゾート・インターナショナルは、リゾートでのソーラーパネルや太陽熱温水システムの使用など、持続可能な実践を通じて化石燃料への依存を減らす取り組みを行っている。

同グループ系の慈善団体であるサンダルズ財団は、保全の取り組みで10万人を訓練し、サンゴを3万本植える目標を2009年に立てた。2022年までに11万4000匹のウミガメの安全な孵化を監督し、28.6トンのごみを集め、海洋資源保全のために5万5000人を訓練した。財団のあらたな目標は、さらにウミガメ2万匹を安全に孵化させることと、最大で2000カ所のサンゴ礁復活のためにサンゴを植えることである。

カリブ海地域ではまた、気候変動に対して脆弱な単一の型の観光アトラクションへの依存をやめる方策も取りつつある。

「地域密着型観光の推進、自然・文化資源保護の取り組み、使い捨てプラスチックの禁止、省エネ・水の節約の推進、陸生・水生生物の保護など、地域の観光を多様化することで、観光産業による炭素排出の抑制に寄与し、これが単に気候にやさしいだけではなく、場合によっては利益を生むことも証明してきました。」とウォルターズ事務局長代理は語った。(原文へ

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アゼルバイジャンのシュシャで「カリ・ブルブル」国際音楽祭が開幕

テュルク系民族の人口を持つ国々は国際文化組織を通じて毎年、「テュルク世界の文化的首都」を定め、都市を選ぶ。選ばれた都市は、テュルク文化を祝うために多くのイベントを主催している。今年の文化首都はアゼルバイジャンの古都シュシャ。ここにユーラシア各地のテュルク系共和国から芸術家が集まり平和と文化の祭典が催されている。(INPS Japan)

【バクーAzVision】

ヘイダル・アリエフ財団とアゼルバイジャン文化省が共催する「カリ・ブルブル」国際音楽祭が、アゼルバイジャンの文化首都シュシャで5月9日に開幕した。

フェスティバル初日には、カラバフホテルの屋外で、参加国の工芸品や民族料理の紹介や演奏が行われた。

同国の政府関係者、著名な文化人、芸術家、科学者たちは、そのパフォーマンスとプレゼンテーションに深い感銘を受けた。

発表に続いて、「カリ・ブルブル」国際音楽祭の一環としてシュシャ国立音楽劇団が準備した劇「デリ・ドムルル」の初演が、カラバフ最後のハーンの娘でアゼルバイジャンで最も著名な抒情詩人クルシュドバヌ・ナタバンの家の中庭で行われた。

3日間のフェスティバルでは、「国旗」「英雄」「カラバフのマジリス」「詩」「ダダ・ゴルグド」「ダルヴィーシュ」「モッラー・ナスレッディン」のテーマコーナーで様々な芸術パフォーマンスや演劇が開催される予定だ。

フェスティバルでは、ジディル・ドゥズ平原ウゼイル・ハジベヨフ像前、国民的歌手ブルブルの生家博物館をはじめ、シュシャ市内各所で様々なコンサートプログラム、展示、映画上映が行われる予定だ。

シュシャ市は、テュルク文化国際機関(TURKSOY)により「2023年テュルク世界の文化的首都」に認定されている。今年の「カリ・ブルブル」国際音楽祭では、TURKSOY加盟国、トルコ語圏の国々の舞台芸術家らが一堂に会す。

アゼルバイジャンのほか、カザフスタン、キルギス、ハンガリー、モルドバ共和国ガガウズ自治区、ウズベキスタン、カラカルパクスタン共和国アルタイ共和国ハカス共和国、サハ共和国、タタールスタン共和国トゥバ共和国北キプロス、トルクメニスタンの演奏家・演奏者が、このフェスティバルで演奏している。(原文へ

The “Kharibulbul” International Music Festival. Photo: AZVision.
The “Kharibulbul” International Music Festival. Photo: AZVision.
The “Kharibulbul” International Music Festival6
The “Kharibulbul” International Music Festival6
The “Kharibulbul” International Music Festival6
The “Kharibulbul” International Music Festival6

INPS Japan/AzVision

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【バンコクIDN=パッタマ・ビライラート】

タイの人口が高齢化し農民が借金に苦しむ中、5月14日の総選挙でこれら集団からの票を勝ち取ろうと、政党のボルテージが上がっている。

下院500議席に対して5200万人以上の有権者がいる。2022年12月以来、選挙戦が激しくなってくる中、タイの諸政党は票を勝ち取るための魅力的な政策を発表している。たとえば、高齢者手当、妊婦・児童福祉、農業部門への支援基金などである。

Map of Thailand
Map of Thailand

来る総選挙には1200万人以上の高齢の有権者がいる。王室の庇護を受けている「タイ高齢者協議会」の会長で、「タイ高齢者全国委員会」の副議長は、「2022年はタイが高齢化社会となった年」つまり、総人口の約2割が60歳以上となったことを確認している。

国民移転勘定(NTA)は、学齢にある子どもと高齢者の面倒を見たのち、90歳まで生きるとすると、770万バーツ(約22万5000米ドル)の貯蓄が必要であるという。これはタイの賃金レベルに比べると相当な額だ。

プオイ・ウンパコーン経済研究所によると、農家世帯の収入は概して低い。加えて、農民の42%は借金の返済があり、次の農期に向けて投資する資金が不足しているため、残余所得が不足している。現在、タイの農家世帯の90%が借金を抱えており、その額は1世帯あたり平均45万バーツ(14,000米ドル)である。

農民の借入先は多岐にわたり、「特別金融機構」(SFI)をはじめ(65%)、村落基金、商業ローン、親戚、投資家、リース会社、貯蓄協同組合などがある。

「農業銀行」と「農業協同組合」は、高齢の借り手がおよそ140万人いると情報公開しているが、そのすべてが農民というわけではない。

4つの主要政党はこうした問題に対処するためのマニフェストを発表している。IDNはそれらを調べてみた。

プラユット・チャンオチャ首相の元秘書官ピラパン・サリラサヴィバガ氏は、タイ団結国家建設党(UTNP)を率いている。同党は高齢者に月1000バーツを与える「福祉プラスカード」を公約としている。また、コメやゴムの価格補助のための基金の創設、生活資金のために予算300億バーツ(8億7200万米ドル)を割り当てた「国民緊急基金」の創設を訴えている。

タクシン・シナワット元首相が創設し、現在は次女のペートンタン・シナワット氏が率いているタイ貢献党は、収穫量を増やしタイ農業の新規市場を開拓するために精密技術が利用可能であり、16歳以上のタイ国民にデジタル通貨1万バーツ(290米ドル)を与えること、農民の借金支払いを3年間猶予することを打ち出している。

軍事政権に対抗するために創設され、現在ピタ・リムジャラーンラット氏が率いる前進党は、高齢者に対する月3000バーツ(87米ドル)の手当を創設し、農民に土地権利書を発行することによって土地紛争を解決するための100億バーツ(2.9億米ドル)規模の基金を立ち上げることを公約としている。

プラウィット・ウォンスワン副首相が率いる「国民国家の力党(パラン・プラチャーラット党)」もまた、高齢者手当創設を謳っており、60歳以上の人は月3000バーツ(87米ドル)、70歳以上は月4000バーツ(116米ドル)、80歳以上は月5000バーツ(145米ドル)を得られるようにする、としている。

総選挙が近づくにつれて、ほとんどの政党が現金やデジタル広告で有権者の気を引こうとしている。しかし、経済学者らは選挙後に財政が膨張してしまうのではないかと懸念している。

タイ開発研究所(TDRI)上級研究員のノラリット・ビソニャバット博士は、『イスラ・ニュース』の取材に対して、「現在の高齢者1200万人に月3000バーツを支払うとすると、月々の支出は360億バーツ(100万米ドル)にもなります。しかし、今後5~10年で高齢者は2000万人にまで拡大します。これらの制度を補助するために借入ができたとしても、与信枠を増やし続けなければならず、結果的に財政負担になります。」と警告した。

全国経済社会開発庁(NESDB)のダヌチャ・ピチャラヤナン事務局長もまた、諸政党が訴えている債務返済猶予制度に懸念を示している。

ピチャラヤナン事務局長は記者会見で、「債務の支払い猶予によって借金自体がなくなってしまうわけではなく、結局のところ借金は返さなくてはなりません。元本や利子の支払いを猶予すれば、経済の屋台骨である金融機関に継続的に悪影響を与えます。なすべきは、システム全体ではなく個別の債務見直しなのです。」と述べ、「債務返済猶予は実施すべきでない」と主張した。

有機コメ生産集団「カセディップ」の指導者で上院議員でもあるブーンミー・スラコテは、IDNの取材に対して、「政治的なプラットフォームは信頼できません。農民は自立して、自ら生き残るためのグループを形成し、(先代国王が提唱した)『足るを知る経済』哲学を適用すべきです。」と語った。

スラコテ氏はさらに、農民が直面している問題について、「300人以上のメンバーでグループを作ったものの、低金利の資金調達ができないため、銀行や高利貸しから借りている農家もいます。農家は収入が少ないのに、多額の借金を背負っているのです。また、農家が同時に作物を収穫するため、過剰供給が生じて収入を押し下げることになり、結果として多額の借金が生じます。そのため、借金を返すために急いで商品を売る必要に迫られるのです。」と説明した。

Boonmee Surakote, Senator and the leader of the organic rice group. Credit: Pattama Vilailert
Boonmee Surakote, Senator and the leader of the organic rice group. Credit: Pattama Vilailert

上院議員であり農民でもあるスラコテ氏は、農民がコミュニティ企業を設立するための農民ネットワーク政策と、「大規模農地区画」制度を提唱している。「企業が設立されれば、農家は互いに助け合い、他のコミュニティとネットワークを組んで、自分たちで有機製品を生産、販売、さらには輸出までできるようになるだろう。」とスラコテ氏は主張した。

一部の農民は、農業部門の持続可能な発展のニーズを無視する傾向にある諸政党の短期的な解決策には懐疑的だ。

スリサケット県の農民であるニン・ノイ氏は、IDNの取材に対して、「私の知る限りでは、どの政党も持続可能な援助を提供していません。」と語った。そのため、彼女はどの政党に投票すべきか決めかねている。「私たちは自立する必要があります。私は自分の農場を有機農法に変えたいと思っています。それは持続可能で、間違いなく自立への道を開くものですが、有機肥料は少し高価です。」

スラコテ上院議員も、農民が持続可能な生活を送るためには、自立こそが必要であると考えている。彼はIDNの取材に対して、「新政権が発足すれば、農業分野で『足るを知る経済』アプローチの実施を追求し、推進するつもりです」と語った。彼は、農民の生活は選挙の結果ではなく、「足るを知る経済」を実践できるかどうかにかかっていると考えている。(原文へ

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ブッダのルンビニを語り継ぐ

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=サヒナ・シュレスタ】

釈尊(ゴータマ・シッダールタ)が80歳で大往生を迎えようとしたとき、忠実な弟子のアーナンダ(阿難陀)に、自分の人生に関連して4つの偉大な巡礼地があることを助言したという話がある。

釈尊が悟りを開いた地ブッダガヤと、初めて教えを説いたサールナートは早くから特定されていた。しかし、釈尊入滅の地クシナガラと、生まれ育ったカピラバストゥ(迦毘羅城)とルンビニの謎は、19世紀末になるまで解明されなかった。

2600年前のインド亜大陸には近代国家の境界線がなかったにもかかわらず、釈尊が実際にどこで生まれたのか、長年にわたって憶測が飛び交っていた。しかし、紀元前3世紀の発見により、その疑問が晴れた。

それは、アショーカ王がカリンガの戦いの後、ウパグプタとともにルンビニへの巡礼に出発したときのことである。王は、逆さ蓮華の上に馬のフィニアルを乗せた砂岩の柱を立て、紀元前249年に訪れたことを記念して、パーリ語で碑文を刻ませた。

19世紀に発見されたティラウラコット近郊のニガリサーガルにあるコナカムニの碑文とルンビニにある2つのアショーカ碑文から、マウリヤ朝時代には、この柱のある場所が仏陀の出生地と考えられていたことが判明した。

Map of Nepal. Credit: Nepali Times

5世紀の法顕、7世紀の玄奘を筆頭に、多くの中国人の僧侶がこの地を巡礼した。彼らの旅の記録は、後に大英帝国領インドの古美術商らによって、釈尊の生誕地や成長した場所を特定するために利用された。しかし、1896年に再発見され、発掘調査が開始されるまで、巡礼地としての人気は衰えていた。

ルンビニの発掘調査によって、何世紀にもわたって建てられた多くの建造物が発見さた。中でも最も神聖なものの一つが、釈尊の母マヤ・デヴィ王妃が出産前に沐浴したとされるプスカリニ池である。

マヤ・デヴィ王妃は、紀元前623年に輿に乗ってデーバダハ(天臂城)の両親の元に向かう途中で釈尊を産んだとされている。彼女は無憂樹(むうじゅ)の枝につかまりながら、立ったまま出産した。彼女は1週間後に亡くなり、赤ん坊は叔母のプラジャパティに育てられた。

何世紀にもわたる崇拝で浸食された1800年前の石像と、1995年に発見された降誕地の標石は、ルンビニの聖なる庭で釈尊が生まれた場所を正確に示している。

また、紀元前3世紀から紀元後7世紀にかけての僧院跡や、600年以上前に建てられた仏舎利塔も発見されている。

2011年、ダラム大学のロビン・コニンガム氏とネパール政府考古局前局長コシュ・アチャールヤ氏が率いる国際チームは、マヤ・デヴィ寺院の舗装の下に木造建築物の遺構を発見した。

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分析したところ、木の祠のようなもので、紀元前550年頃のものと判明し、歴史家が釈尊の生涯を検証する際に考慮すべき新たな証拠となった。

しかし、釈尊の物語はルンビニに限ったものではない。ネパールが釈尊の生涯をより総合的に記念しようとするならば、ルーパンデビ、ナワルパラシ、カピラヴァストゥにまたがる大ルンビニ地域にも多くの遺跡があり、その中には釈尊の生涯に直接関連するものもあるため、統合的に取り組む必要がある。

釈尊がシッダールタ王子として最初の29年間を過ごし、悟りを開く旅に出たとされるティラウラコット・カピルヴァストゥでは、最近、考古学者が地中レーダーを使って、宮殿のような壁のある施設、都市の街路、レンガ壁の貯水槽、僧院などの歴史的遺構を発見している。

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紀元前249年、アショーカ王は、カーナカムニ仏(過去七仏の内の第五仏)の涅槃塔を崇敬し拡張したことを記念して石柱を建立した。1895年、この石柱の2つの破片が発見された。上部はニグリサガル池に半分沈み、下部は埋没していた。この石柱が立っていた台座が失われているため、元の正確な位置は不明だが、一部の学者は、この石柱がカーナカムニ仏の生誕地に建てられたと信じている。

また、クダンも歴史的に重要な場所である。釈尊がカピルバストゥを出発して6年後に父シュッドーダナ王と再会し、息子が出家したガジュマルの木立、ニグロダラーマがあった場所ではないか、という学者もいる。ゴティハワは、もう一人の初期仏であるクラクチャンダ仏(倶留孫仏)の生誕地とされている。レンガ造りの大きなストゥーパとアショーカ王の石柱の残骸がある。残念ながら柱はほとんどなくなっており、何が書かれていたのか知ることはできない。

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高さ10m、直径23.5mのラマグラマの仏塔(現在は盛り土の下に埋もれている)は世界遺産暫定リストに登録されており、釈尊の遺骨が納められている原初の場所のひとつと考えられている。古代文字によると、釈尊の遺骨を納めた8つの仏塔のうち、聖遺物の再分配を企図したアショーカ王が7つの仏塔を開いたが、ナーガ(蛇の王)がここの仏塔の遺物発掘を防いだとされており、唯一の無傷の仏塔と考えられている。

周辺の3つの地区には、他にも釈尊縁の場所があり、文化的、精神的に重要な場所を網羅したコースを整備し、正しくストーリーを伝えることで、ルンビニが長い間直面してきた問題(下記参照)を解決することが可能だ。

マスタープランの内容

ルンビニが今日直面している課題は、聖地を訪れる多くの巡礼者や観光客にどう対処するかということだ。パンデミック以前は、ルンビニを訪れる人の数は多かったものの、インドの仏教圏からやってきて、数時間滞在して帰っていくのが常であった。

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インフラは貧弱で、適切な設備を備えたホテルも少なく、ルンビニへのアクセスは困難だった。しかし現在は、東に10kmのところに国際空港ができ、新たな観光客の流入が期待されている。

パンデミック以前は、1年間に170万人の巡礼者が陸路でルンビニを訪れ、そのうち30万人はネパールやインド以外からの巡礼者だった。しかし、彼らがルンビニに滞在した時間は、平均して1時間にも満たなかった。

アショーカ王が降誕祭を行った後、ルンビニは長い年月を経て周辺のジャングルに覆われてしまった。この地が再び脚光を浴びたのは、鉄道の枕木になる広葉樹の木材を探していた英国の探検家たちが、この地でアショーカ王の石柱を発見した1890年代になってからのことだ。

1967年、ビルマ出身の敬虔な仏教徒であるウ・タント国連事務総長が、ルンビニを象に乗って見学し、荒廃した釈尊生誕地の惨状に涙を流したと伝えられてる。

ニューヨークに戻ったウ・タント事務総長は、ルンビニを国際的な平和の拠点にするため、国連委員会を立ち上げた。そして、広島平和記念資料館を設計した日本の著名な建築家、丹下健三氏にマスタープランの策定を依頼した。

東部の僧院区域は上座部仏教、西部の僧院区域は大乗仏教のために確保された。マスタープランは現在も大筋で守られており、完成に近づいているが、建造物はすでに老朽化の兆しを見せている。

ルンビニのビジターセンターでさえも、この遺跡のことを伝える案内板がないなど、残念な状態だ。

ルンビニの門外でロボット博物館「ブッダグラム」を運営する起業家、プルショッタム・アリャール氏は、「ルンビニといえば期待が大きいのですが、インフラが不足しています」と話す。「トイレが少ないとか、チケットを購入するゲートが1つしかないとか、そういう不満を持っているお客さんがいます。」

パンデミック前には年間200万人近い観光客が訪れたにもかかわらず、ニグリハワ、ゴティハワ、クダン、ラマグラムといった仏陀の生涯に縁のある他の聖地を訪れた巡礼者は、その存在を知らなかったり、行くのが難しすぎるという理由で、わずか2%程度にとどまっている。

現在、ルンビニを訪れる外国人の多くは、ボッダガヤ、サルナート、クシナガルを含む仏教の巡礼路の一部として、施設や交通の便が良いインドから訪れている。巡礼者は、カトマンズに飛んでから聖地に向かうよりも、インドを経由してルンビニに向かうことを好む傾向がある。

「地元のガイドを雇えば、本物の情報を得ることができますが、ネパール人観光客はほとんどガイドを雇いません。インド人観光客はインドからガイドを連れてやってきて、ルンビニの物語を自分たちなりに語っていきます。ただ出入りするだけなら、長く滞在する動機は生まれませんね。」と、ルンビニでガイドをしているマヘシュ・パティ・ミシュラ氏は語った。

このギャップを埋めるのが、現在改修中のルンビニ博物館である。「釈尊の生涯と後世の影響を伝える既存の博物館を国際的な水準にアップグレードし、拡張する予定です。」と同博物館のスンミマ・ウダス氏は語った。

聖なる庭の入口に位置するルンビニ博物館は、芸術や 遺産をいかに保存、展示、普及させるかという基準を設定しながら、この聖地を主要な精神的・文化的中心地として再生させることを目的としている。

この博物館は、ネパールや世界中から才能ある人材を集め、慈悲と平和という釈尊のメッセージを教育・普及する最先端のプロジェクトとして、丹下健三氏が設計した円筒形の建物の中に、かつてウ・タント国連事務総長が目指した構想を実現しようとしている。

ウダス氏は、 「博物館にはさまざまな種類がありますが、ここは彫像を展示するたけの博物館ではありません。ストーリーテリングが重要なのです。ルンビニで何が起こったのか、なぜ釈尊の誕生秘話が重要なのか、そしてそこから私たち人間が何を学ぶことができるのか、一度訪れれば、より理解を深められるような(小さな宝石のような)拠点になればいいと思っています。」

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ルンビニの歴史
2645年前
マヤ・デヴィ王妃がデヴダハに向かう途中、ルンビニの木立の中でゴータマ・シッダールタが生まれる。
2575年前
釈尊が80歳で入滅。
紀元前3世紀
アショーカ王がルンビニを訪れ、釈尊降誕の地を記念して石柱を建てる。
4~7世紀
中国の僧、法顕や玄奘が廃墟となったルンビニを訪れる。
1312年
ジュムラ(ネパール西部)のリプ・マッラ王、アショカ王の石柱に自分の名前の落書きを刻む
 1896年
アショーカ王の石柱、タンセン総督カドガ・シャムシェール将軍とドイツの考古学者アントン・フューラーによって再発見される。
1932~39年
ケシャール・シャムシャー将軍による考古学的発掘調査により、古代の僧院や寺院が発見される
1956年
マヘンドラ国王、ルンビニを訪問
1959年
ダグ・ハマーショルド国連事務総長、ネパール訪問中にルンビニを訪れる
1967年
ウ・タント国連事務総長がルンビニを訪問し、国際平和センターとしての発展を誓う
1972年
丹下健三にマスタープランの作成を依頼し、1978年完成
1995年
ネパール考古局、釈尊が生まれた場所にある標石を発掘
1997年
ユネスコ、ルンビニを世界遺産に登録決定
2003年
マヤ・デヴィ寺院、ブッダ・ジャヤンティ(ウェーサーカ祭)で初めて一般公開される

ルンビニー巡礼の歩み

 Gautam Buddha International airport  Credit: Nepali Times

2020年以降、新型コロナのパンデミックで巡礼者や観光客の往来がほとんどなかったルンビニに、ゴータマ・ブッダ国際空港が開港し、新たな希望が生まれる。

新空港を見越して15もの新しいホテルが計画されていたが、ロックダウンの影響で建設を中止せざるを得なかった。ここの古いホテルのいくつかは新しい所有者に売却され、聖地を管理するルンビニ開発トラストは大きな収益を失った。

ルンビニホテル協会のリラ・マニ・シャルマ氏は、「新しい空港ができたことで、交通量が急増することが予想されたため、多くのホテルが新たに建設されていました。彼らは銀行から融資を受け、すでに多くの投資をしていたため、プロジェクトを放棄することができなかったのです。」と語った。現在、空港からルンビニまでの10kmの区間と、空港とバイラワ・ブットワル高速道路を結ぶ道路で工事が進んでいる。

パンデミックはホテル業界だけでなく、ホテルに農産物を供給する農家、ガイド、旅行会社など、ホテル業界に依存する人たちをも直撃した。

マヒラワールのラクシュミ・チョードリ氏は、新空港の落成式と同じブッダ・ジャヤンティの吉日に、新しいホームステイ施設の落成式に臨もうとしている。

「私はしばらくホテル業に携わってきましたが、自分で何かやりたいと考えていました。新しい空港ができれば、きっと多くのゲストが訪れるでしょうし、ホームステイであれば、より本格的な現地体験を提供することができます。」とチョードリ氏は語った。

ルンビニのガイド協会やホテル協会も、慎重な姿勢で楽観視している。「インドからではなく、ネパールに直接来訪する人が増えれば、地元により長く滞在し、周辺地域も日程に組み込むようになるので、地元のビジネスにとって良いことです。」とシャルマ氏は語った。

しかし、業界の専門家によれば、国際空港ができただけでは何も保証されないという。ICIMODの観光専門家のアヌ・ラマ氏は、「ルンビニの自然と文化的、精神的側面を統合し、地域社会を巻き込むアプローチが必要です。そのためには、巡礼者に対して釈尊についてのストーリーを語り継ぎ、効果的に発信する取り組みが欠かせません。」と語った。(原文へ

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これ以上核兵器の犠牲者を増やさない(カリプベク・クユコフ被爆者・画家・反核活動家)

【東京INPS=浅霧勝浩

INPS Japanは、反核国際運動カザフスタン代表団の来日にあわせて東京都内で開催された歓迎交流会(後援:在日カザフスタン大使館)を取材した。昨年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻により、核兵器の使用の危険性が高まる中、今年5月に被爆地広島で開催予定G7サミット(主要7カ国首脳会議)においても戦争の即時終結と核兵器使用回避の問題が大きく取り上げられる予定だ。

クユコフ氏が名誉大使を務めるATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクトの紹介映像/ カザフスタン外務省

当時ソ連の一部を構成していたカザフスタンでは、広島と長崎に原子爆弾が投下された4年後の1949年、東部セミパラチンスクに建設された核実験場(広さは日本の四国に相当)でソ連初の核実験が行われた。その後、1989年までの40年間に、ソ連軍の厳格な秘密管理のもと合計468回の空中・地上・地下核実験が繰り返され、広範囲に拡散した高濃度の放射性廃棄物により、推定150万人~200万人の地域住民に深刻な被害(ガンや死産、先天的異常が多発し、平均寿命が劇的に低下)をもたらした。

こうしたなか、カザフスタンの人々はセミパラチンスク核実験場の閉鎖を求める「ネバダ・セミパラチンスク(セメイ)国際反核運動」という国民的な反核運動を展開し、1991年、ヌルスルタン・ナザルバエフ初代カザフスタン大統領は、当時のソ連指導部の意に反して同核実験場の永久閉鎖に踏み切った。こうしてセミパラチンスク核実験場は市民の運動で閉鎖に追い込まれた世界で初めての核実験場となった。

核実験場の閉鎖を訴える抗議集会(中央は、ネバダ・セミパラチンスク国際反核運動創設者の詩人オルジャス・セレイメノフ氏)

同年独立したカザフスタン共和国は、核兵器なき世界の実現を国是に掲げ、独立時世界第4位の核戦力(1,410基以上の戦略核兵器と戦術核兵器)の完全廃棄を決定(1994年までにロシアへの移送を完了)、核不拡散条約に加盟して核兵器国から非核兵器国に転換するとともに、2002年5月には包括的核実験禁止条約に批准した。さらに2006年には同じく旧ソ連構成国の中央アジア5か国(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)からなる非核地帯の創設に中心的な役割を果たした。また、2021年1月に発効した核兵器禁止条約にも批准し、2024年には同条約の第3回締約国会議を主催することになっている。

東京での歓迎交流会には、「ネバダ・セミパラチンスク(セメイ)国際反核運動」の創設者であるオルジャス・スレイメノフ総裁(高齢のため代理としてヴァレリー・ジャンダウレトフ副総裁が出席)、同運動に初期から参加しカザフ政府が立ち上げた反核キャンペーン「ATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクト」の名誉大使を務める、腕のない芸術家カリプベク・クユコフ氏、セミパラチンスク核実験の被害と広島・長崎の原爆について記した小説「悲劇と宿命」の著者サウレ・ドスジャン氏、その日本語翻訳を担当した増島繁延氏、カラガンダ州副知事のエルボル・アリクロフ氏、「世界の記憶」ユネスコプログラム全国カザフ委員会議長ムナルバエバ・ウムトハン氏等が出席した。

この歓迎交流会で登壇したクユコフ氏は、自身の経験に基づき反核画家として彼の作品に込めた思いや、カザフスタンと同様に核兵器の惨禍を経験した日本人との連帯について語った。

反核国際運動カザフスタン代表団歓迎交流会 撮影・編集:浅霧勝浩INPS Japan
以下は、カリプベク・クユコフ氏の講演

本日は、私が口や足の指を使って描いた絵画作品の展示と実演の機会を頂き有難うございます。

私はセミパラチンスク核実験場から100キロ離れた場所で生まれました。

カリプベク・クユコフ氏の作品 出典:カリプベク・クユコフ
カリプベク・クユコフ氏の作品 資料:カリプベク・クユコフ

この実験場では1949年から89年まで実に468回の核実験が行われた地であります。

私の両親は核実験で被爆しました。その結果、私は両手のない状態で生まれました。

国連の資料によれば、カザフスタンでは核実験で150万人以上が被爆しました。

1989年、カザフスタンの詩人オルジャス・スレイメノフ氏がネバダ・セミパラチンスク国際反核運動を立ち上げました。その第一の目的はセミパラチンスク核実験場の閉鎖でした。

その初期の段階から私は一員としてその活動に参加してきました。

私は自分の作品を通して核実験の恐ろしさを伝えています。

筆を口にあるいは足の指を使って、核実験で亡くなった方々に思いを馳せながら、自分に課した使命を果たせるよう、祈りながら絵を描いています。

核兵器のない世界を実現するために、世界各地を旅しました。

国連で演説するクユコフ氏 出典:カリプベク・クユコフ
国連で演説するクユコフ氏 資料:カリプベク・クユコフ

ある時は国連で、ある時はネバダ、ニューヨークの演壇に立ちまして、数多くの国際会議やフォーラムで演説しました。

1990年の東京、広島、長崎での会議は、忘れることができません。今また、こうして皆様の前に立っています

ここにおられる皆さんと同様に、核兵器の廃絶は、私のライフワークになりました。

私は、カザフスタンがいち早く核兵器の放棄を決めたこと、核実験をやめ閉鎖したことを誇りに思っています。

またこれは、依然として核兵器に依存する他の国々への良い先例となったと思っています

日本とカザフスタンは、戦時の核使用と平和時の核実験の違いはあれど、核兵器による被害の歴史を持ち犠牲者がいます。

将来の子孫たちが同じ過ちを繰り返さないためにも、この悲劇を風化させてはなりません。

私は、核兵器の犠牲となった人々のために、そして絵の作者として自身の絵の助けを得ながら、祈ります

核兵器の犠牲者がこれ以上増えないことを。

私が「最後の犠牲者でありますよう」祈っています。

今回日本に来たのは初めてではありませんが、日本が変わって発展している様子が分かります。

2014年にウィーンで開催したカリプベク・クユコフ氏の展示会で、節子サーロー氏と面談。出典:ICAN
2014年にウィーンで開催したカリプベク・クユコフ氏の展示会で、サーロー節子氏と面談。資料:ICAN

カザフスタンも日本と共に発展し、お互いに理解を深めることができると期待しています。

お集りの皆さんとご家族のご健勝をお祈りいたします。

INPS Japan

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