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|視点|カザフスタンが 「21世紀のスイス」になる可能性(ドミトリー・バビッチ)

【ヌルスルタンINPS Japan/アスタナタイムズ】

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

第77回国連総会は、全般的に不安と警戒感が特徴的であった。一部の演説者は非難にとどまり、世界の安全保障状況と経済的展望が目に見えて悪化しているという一般に認められた事実について、国連の他の加盟国を非難した。

このような時こそ、バランスのとれた状況判断と、人類共通の目標が明確に示されることが特に重要であった。カザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領が提案したアプローチは、この困難な時代に団結することへの希望を述べたものであった。

このアプローチは、過去70年間、地球上の相対的な平和と安定の維持のために国連が用いてきた、古くから試されてきた原則のいくつかを維持することを提案しているという意味で、保守的なものである。

「この普遍的な組織の根底にある基本原則に立ち返ることほど、今重要なことはありません。特に、国家の主権的平等、国家の領土保全、国家間の平和的共存という3つの基本原則のつながりを再考する必要があります。」とトカエフ大統領は語った。

https://www.youtube.com/watch?v=6tQvn11QHRg
UN TV

一方、こうしたカザフスタンのアプローチは、決して受動的で現状に盲従するという意味ではないことに留意する必要がある。変革は必要だが、それはコンセンサスによって導入され、絶えず議論され、関係国のすべての重要な利益が尊重され、保護されるべきものという考え方である。

それゆえ、トカエフ大統領は、人類が歴史を通じて生み出してきた合意に至るための最良の方策(国際会議や各種国際イベントを通じた対話と常設機関の設置)への参加を呼びかけた。当面の目標は、私たちがあまりにも長い間、当たり前だと思ってきたこと、つまり「平和」についてである。もちろん、今回の国連総会でこのような考え方を述べたのはトカエフ大統領だけではなかった。

WANG YI, Foreign Minister of the Republic of China addressing at the UN General Assembly/ UN Photo.

「平和とは、空気や太陽のようなものです。私たちはそれらを当たり前のものと考え、時にはそれなしには生きられないことを忘れてしまう。同じように、平和は全人類の未来にとって必要な前提条件です。中国の王毅外相は総会の演説で「混乱や戦争はパンドラの箱を開けるだけで、問題を解決することはできません。」と語った。

しかし、領土保全や国家の主権的平等という概念は、具体的にどのようなものなのだろうか。これらは、絶え間なく続く戦争から人類を守るための原則である。法の下の平等を基本に、個人の生命や財産を守る法的原則と同様、この2つの原則は、トカエフ大統領が言及した第3の原則、すなわち国家間の平和的共存の実現につながるものである。

「この3つの原則は相互に依存しています。」とトカエフ大統領は付け加えた。この点については誰も異論がないだろう。

カザフスタンは、1991年に旧ソ連邦の崩壊に伴い誕生した独立国家の中で、平和保護の面で非の打ち所のない評価を得ている数少ない国の一つであり、実際、東西両陣営双方と良好な関係を維持することができている唯一の国である。

カザフスタンは、国連でほとんどの人が言葉では支持しているが、実際にはほとんど実践していない「ノンブロック(特定の陣営に加わらない)」方式に徹している。

その結果、カザフスタンは「東側」のブロックにも「西側」のブロックにも属さない。カザフスタンは北大西洋条約機構(NATO)に加盟していないし、集団安全保障条約機構(CSTO)に加盟していても、それを外国のいかなる国に対しても利用できないことは誰もが認めるところである。(CSTO加盟国の首脳会議の決議には必ず「いかなる第三者にも向けられない」という条項があり、カザフスタンはこの原則を強く主張している)

Image source: EurasiaReview
Image source: EurasiaReview

では、カザフスタンは世界の舞台で弱く、孤立しているのだろうか。いや、それどころか、カザフスタンはあらゆる平和ミッションの貴重な戦力となっている。カザフスタンは近隣諸国と領土問題を抱えることなく、タジキスタン、アルメニアとアゼルバイジャン、ロシアとジョージア、そして現在のウクライナとロシアの関係を破壊した「ポストソ連戦争」の二つの波から見事に逃れてきたのだ。

NATO's Eastward Expansion/ Der Spiegel
NATO’s Eastward Expansion/ Der Spiegel

第一波は1988年から91年にかけてのソビエト連邦の弱体化と崩壊、第二波はNATOの拡大、そして2008年にNATOがウクライナとジョージアの将来的な加盟を認めたことに伴う紛争である。

ユーラシア大陸ではいつから戦争が可能になったのだろうか。1988年から91年にかけてソ連が弱体化すると、旧ソ連構成共和国の民族主義者たちは、トカエフ大統領が国連総会で述べた原則を破って、国境を画定する好機と捉えたのである。こうした原則の破棄は、数々の紛争を引き起こした。

NATOの拡張と、2008年にブカレストで始まったプロセスの継続が約束された後、一部の国はこれを自国の領土における分離主義運動(2008年のグルジア対南オセチア、モルドバとトランスニストリア間の緊張、その他多くの不幸な出来事)の問題を解決する新たな機会と捉えた。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

トカエフ大統領は、サンクトペテルブルク国際経済フォーラム(2022年6月15日~18日)におけるロシアのウラジーミル・プーチン大統領との会談で、「カザフスタンは分離主義を支持しない」と明言した。つまりカザフスタンは、ウクライナ領内にロシアが一方的に認めた「準国家」を認めないと明言したのである。

トカエフ大統領の発言は、カザフスタンがロシア民族の権利を軽視しているからではなく、新たな準国家を創設しその独立のために武力闘争を展開することは、現代世界ではもはや許されないからである。それはすでに数々の戦争を引き起こしており、歴史が何度も示しているように、戦争は決して解決策にはならない。

では、戦争が正当な救済方法でないとすれば、どうやって今日の世界の不平等やアンバランスを是正すればよいのだろうか。トカエフ大統領の提案は、協力と対話、そして合意できるところは合意していくというものだ。その中心は、カザフスタンの「地元」である中央アジアである。この大統領の提案は、全文を引用するに値する。

「私達は、来年の閣僚級会合での協議と、2024年の未来サミットの開催に貢献することを期待しています。私達は、単にグローバルな課題や危機に対応することから、新たなトレンドを予防し、よりよく予測し、私達の評価を戦略的な計画や政策立案に統合していくことへと移行しなければなりません。」

The 6th CICA Summit/  photo by Gov of Kazakhstan
The 6th CICA Summit/ photo by Gov of Kazakhstan

まさにこの目的のために、カザフスタンは30年前に「アジア相互協力信頼醸成措置会議(CICA)」の開催というアイデアを提案した。(カザフスタンのアルマトイに常設事務局が置かれている)

トカエフ大統領は、「新たな挑戦と脅威の中で、私達は10月にアスタナで開催される首脳会議でCICAを本格的な国際機関に変え、世界の調停と平和構築に貢献したい。」と語った。

トカエフ大統領は、最近カザフスタン南部のトルキスタン州を訪問した際にも、同じ原則的な立場を再確認した。「わが国の外交政策は、中立を基本としていく……この政策は、バランスのとれた、建設的なものである。そしてもちろん、マルチベクトル政策であり続けるだろう。カザフスタンは、ロシアとの同盟関係、中国との戦略的パートナーシップ、友好的な中央アジア諸国との多国間協力関係を発展させるためにあらゆる努力をします…この政策は、国際社会から高く評価されており、我が国の最優先事項に合致しています。」

これが前進であると言う以外に、何を付け加えればよいのだろうか。欧州で何が起こっているかを見てみよう。もし、カザフスタンのアプローチが、アジアで同じような混乱を避けることができれば、カザフスタンは「21世紀のスイス」となり、平和と国家間の協力の真のエンジンとなることができるだろう。(文へ

TV-Tower in Almaty, Kazakhstan, view from downtown to southeast. The second peak in the left of the tower is the Koptau, 4152 metres./ By Michael Grau - Own work, CC BY-SA 3.0,
TV-Tower in Almaty, Kazakhstan, view from downtown to southeast. The second peak in the left of the tower is the Koptau, 4152 metres./ By Michael Grau – Own work, CC BY-SA 3.0,

INPS Japan

ドミトリー・バビッチ氏は、モスクワを拠点に30年にわたり世界政治を取材してきたジャーナリストで、BBC、アルジャジーラ、RTに頻繁に出演している。

この記事は、Astana Timesに初出掲載されたものです。

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アフガニスタンの安定を望むカザフスタン

中国における市民社会と気候行動、そして国家

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ロバート・ミゾ】

市民社会は、気候変動との闘いにおける主要な行為主体である。彼らは、各国機関や政府間プロセスが停滞している場合には活を入れ、これらの公的主体に気候変動対策の責任を取らせる力を秘めている。中華人民共和国は、あらゆる点で共産主義独裁国家であるにもかかわらず、気候変動に取り組む団体などの環境市民団体に対し、大幅な、ただし明確に規定されたスペースを認めている。この20年ほどの間に、気候変動問題に取り組む野心的な目標を掲げた気候市民団体が次々に誕生した。しかし、詳細に検討すると、これらの団体が占める政治的スペースの抑制的性質ゆえに、彼らの影響力は限定的であることが分かる。(原文へ 

革命前の中国において、市民社会は活気にあふれ、民衆的なものだった。政治、社会、宗教といった分野においてさまざまなタイプの市民社会団体から、果ては完全なる犯罪組織まで存在した。しかし、1960年代から1970年代の文化大革命により、中国における自律的な市民社会はほぼ完全に破壊された。中華全国総工会、中華全国婦女連合会、中国共産主義青年団など、わずかに存続した退屈な市民社会団体は、共産党の政策に異議を唱えるのではなく、党のメッセージを伝達することを主な機能とした。1970年代の自由化の時代、分権化と市場競争が導入されて国家中央集権主義に対抗し、市民社会団体はある程度のスペースを取り戻した。このような状況を背景に、環境団体や気候変動に取り組む市民団体は増加し、共産党から“トラブルメーカー”と見なされていた(現在も見なされている)民主主義や人権のために闘う団体に比べると、より広い政治的スペースを享受した。

また、中国のNGOは、1980年代後半に制定された三つの行政規則によって統制されている。具体的には、社会団体登記管理条例、基金会管理条例、外国商会管理暫行規定である。これらの規則に基づき、2段階の管理体制が生まれた。その下でNGOは政府機関をスポンサーとすることになっており、スポンサー機関はNGOの日々の業務を監督するとともに、関係するNGOの活動に対する年度審査を行うことになっている。2016年外国NGO管理法は、外国NGOの活動を警察の監視下に置いた。

中国における国家と環境市民団体の関係は、「独裁主義的環境保護主義」の政策パラダイムによって規定されている。このような環境ガバナンスモデルでは、政策づくりへの国民参加は科学技術分野の限られたエリート層のみに認められており、それ以外の人々は、国家主導のプログラムまたは政策の実施を手伝うための参加しか期待されていない。中国における気候政策の策定は、5カ年計画、命令・統制型規制(従来的な環境ガバナンス)、環境保護部およびその地方機関、国家発展改革委員会など、政府機関や政府のメカニズムの排他的権限の下にある。

とはいえ、政策発足への国民参加の余地は明らかに限定的であるものの、1994年に緑色文化分院(Academy for Green Culture)と呼ばれる最初の環境NGO(後に自然の友(Friends of Nature)に改名)が設立されて以来、これまでに2,000を超える環境NGOが誕生した。今日、中国気候行動ネットワークの傘下で多くの気候市民団体が活動している。いくつか挙げると、中国国際民間組織合作促進会、中国青年気候行動ネットワーク、自然の友、環境開発研究所(The Environmental and Development Institute)、北京地球村(Global Village Beijing)、緑家園志願者(Green Earth Volunteers)、廈門緑拾字環保服務社(Xiamen Green Cross Association)などがある。これらの団体の活動は主に、政策の実施、啓蒙キャンペーン、教育・研究のほか、「ダウンストリーム活動」と呼ばれるものを構成する他の機能に限られている。

とはいえ、少数の事例では、気候変動に取り組むNGO、特に国家構造に組み込まれ、その枠内で運営する団体が政策策定に影響を及ぼしている。これは、その団体と支配者層の距離の近さ、当該の政策課題の性質といった要因に依存する。2004年に環境NGOのグループが開始した「26度運動」は、市民社会が政策変更に関与した最たる例の一つであり、この運動を受けて国務院は、中国の全ての公共建造物における全てのエアコンを夏は26°C以上、冬は18°C以下に設定すると規定した法律を可決した。中国企業連合会持続発展工商委員会(CBCSD)が策定した温室効果ガス排出量算定に関するガイドラインは、国家基準として認められ、採用されている。エネルギー・輸送イノベーションセンター(iCET)は、2017年に輸送部門向け燃料の国家基準を策定するため国家標準化管理委員会に協力した。2014年、中国の第13次5カ年計画(2016~2020年)に気候変動適応策を含めることを、環境NGOらが要請した。政府は、彼らの要請を受け入れ、取り入れた。

気候変動に対する市民社会の取り組みは、ダウンストリーム活動においてより活発であり、政府もそれを推奨している。人気の高い運動としては、中国国際民間組織合作促進会(CANGO)と米国のNGO環境防衛基金が共同で企画したグリーン通勤ネットワーク(Green Commuting Network)がある。これは、自動車利用の抑制、低炭素な地下鉄定期券の推進、オンラインの炭素排出量計算ツールに関する意識を高めることを目的としている。四川省では、北京地球村が実施する低炭素プロジェクトや農村部エコビレッジプロジェクトが進行中であり、持続可能かつ低炭素な農村開発を主要な目標としている。山水自然保護センターは、森林炭素プロジェクトなどのカーボンオフセット・プログラムを実施し、エネルギー消費・炭素排出量測定法を開発した。中国市民気候行動ネットワーク(CAN-China)は、気候変動に取り組む市民社会団体のネットワークであり、情報共有を促進し、共同気候行動を実施している。これらは、進行中の多くの運動やプログラムのほんの数例であり、中国における気候活動が政策策定よりも政策実施面においてはるかに顕著であることを示している。

今後は、政策マトリクスに環境民主主義の概念を取り入れることによって、気候変動との闘いへの貢献における気候変動活動家の影響をより効果的にすることができるだろう。そのためには、情報アクセス、意思決定プロセスへの国民参加、環境問題における司法アクセスといった一定の手続き上の権利を、より幅広く利用できるようにする必要があるだろう。現行の硬直的なトップダウンの政策策定メカニズムから脱し、環境ガバナンスにおける大衆参加、透明性、説明責任を保証する新たなボトムアップのアプローチへと移行するべきである。

ロバート・ミゾは、デリー大学カマラ・ネルー・カレッジの政治学および国際関係学助教授である。デリー大学政治学科より気候変動政策研究で博士号を取得した。研究関心分野は、気候変動と安全保障、気候変動政治学、国際環境政治学などである。上記テーマについて、国内外の論壇で出版および発表を行っている。

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|視点|カンボジア、国連戦争犯罪裁判の教訓

【ルンドIDN=ジョナサン・パワー】

カンボジアのクメール・ルージュ指導者たちの15年の長きにわたる裁判がようやく結審した。

ニューヨークタイムズ紙は9月22日、「カンボジア特別法廷(クメール・ルージュ政権の犯罪を起訴する責任を負う、国連が支援する法廷)が最終審理を行った。」と報じた。狂信的な共産主義運動の最後の生き残りの指導者である91歳のキュー・サムファンの控訴を棄却し、大量虐殺の罪で有罪判決を下し、終身刑が確定した。」

ヌオン・チアとともに、彼は5年前に有罪判決を受けていた。控訴には信じられないほどの時間がかかった。彼らの最初の裁判は10年近くかかった。

Collage of the mass grave at the Killing Field of Choeung Ek with the leader of the Killing Fields on the left. Source: Wikimedia.
Collage of the mass grave at the Killing Field of Choeung Ek with the leader of the Killing Fields on the left. Source: Wikimedia.

裁判にかけられた他の3人のうち、1人は元外務大臣のイエン・サリで2013年に死亡、1人はイエン・サリの妻イエン・シリトでアルツハイマーのため出廷できず、1人はカン・ケク・イウ(以下ドッチ)で8年前に任意で自白し35年の禁固刑に服している。クメール・ルージュの悪名高き指導者ポル・ポトは、この法廷ができた時には既に亡くなっていた。

20世紀には、アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人、ポーランド人、同性愛者、ジプシーなどの絶滅政策に次ぐものとして、2つの大量虐殺が挙げられる。一つはカンボジア、もう一つはルワンダである。しかし、ポル・ポトとクメール・ルージュ政権によって、100万から200万人の死者と約50万人の処刑が行われたカンボジアが、おそらくこの醜い争いを制したのだろう。

1975年、クメール・ルージュは政権を握った1週間後に、首都プノンペンに住む200万人もの人々を強制的に退去させ、農村部での労働を強制した。その過程で、何千人もの人々がこの避難生活で命を落とした。強制移住は急速かつ冷酷無比な方法で行われ、住民はすべての財産を置き去りにすることを強いられた。子供たちは親から引き離され、妊婦は専門家の助けなしに出産を余儀なくされた。医者や教師の大半は殺害された。このポグロムは「キリング・フィールド」と呼ばれ、映画の題名にもなっている。

クメール・ルージュは、これが国を農村の階級なき社会に変える平定作業であると考えていた。彼らは、貨幣、自由市場、普通の学校教育、外国の服装、宗教的習慣、伝統文化などを廃止した。公立学校、仏教の仏塔、モスク、教会、大学、商店、政府の建物などは閉鎖されるか、刑務所、厩舎、再教育キャンプ、穀物庫に変えられた。

公共交通機関も民間交通機関も、私有財産も、非革命的な娯楽も禁止された。人々は黒い衣装を身につけ、1日12時間以上働き、党が選んだ相手と集団結婚式を挙げなければならなかった。家族への愛情表現も禁じられた。知識人は粛清の対象とされ、メガネをかけているだけで処刑された。3人以上の人が集まって会話をすると、敵として告発され処刑されることもあった。

Choeung Ek commemorative stupa filled with skulls, Public Domain
Choeung Ek commemorative stupa filled with skulls, Public Domain

クメール・ルージュは1979年までカンボジアを支配したが、隣国のベトナムに打倒された。その後、クメール・ルージュは西に逃亡し、難民を装ってタイ領内に勢力を再建した。そこでユニセフなどの援助団体に引き取られ、食事を与えられ、彼らは次の戦いに挑むことができた。

当時北ベトナムに敗れた米国は、「敵の敵は味方」という格言のとおりに行動した。1979年、ジミー・カーター大統領のもと、ベトナムを懲らしめたい米国は、国連を説得し、カンボジアにクメール・ルージュの議席を与えることに成功した。皮肉なことに、1977年に大統領に就任したカーター氏は、「人権を外交政策の中心に据える」と発言していた。

1979年から90年まで、米国はクメール・ルージュをカンボジアの唯一の合法的代表として承認している。スウェーデンを除くすべての西側諸国は、米国と同じように投票した。ソ連圏は反対票を投じた。(1980年代に米国がアンゴラを外交的に承認しなかったように、ある国が承認されないケースもある。しかし、西側諸国はその選択肢を考えようともしなかった。)

同時に、欧米の多くの左翼知識人、活動家もクメール・ルージュを支持した。彼らはクメール・ルージュを、古い秩序を一掃するクリーンな共産主義者と見たのである。

元国連大使のサマンサ・パワーは、著書「集団人間破壊の時代 平和維持活動の現実と市民の役割(A problem from hell)」の中で、カンボジアの出来事が国連のジェノサイド条約に合致しているかどうか、読んだ覚えのある米国政府高官は一人もいなかったと述べている。

ブッシュ大統領の国務長官だったジェームズ・ベーカー氏が方針転換を表明したのは、1990年6月のことだった。その後、安全保障理事会の5大国が、カンボジアを国連の保護領にすることを発表した。そして、国連は交渉の末、カンボジア人裁判官と国際裁判官から構成されるハイブリッド・コート(裁判所)を設置し、クメール・ルージュの指導者を裁判にかけることを決定した。

ナチスの指導者を裁いたニュルンベルク裁判が1年で結審したのに、なぜカンボジア特別法廷の審理は15年もかかり、費用も3億ドルに及んだのか、疑問の余地がある。2014年に私が裁判所を訪れた際、引き延ばしていたのは弁護団だったが、裁判官はそれを許していた。

Photos in genocide museum of war crimes committed by the Khmer Rouge. Wikimedia Commons.

現在でも、裁判所が言うところの「レガシー期間」が3年間設けられ、裁判とその理由についての一般教育が行われることになっている。首都プノンペンを歩けばわかるように、ある世代は事実上、地上から消し去られたのである。

生き残ったのは、今は中年となった若者たちだけである。裁判の間、私が目撃したように、学校の子供たちが毎日バスでやってきて、裁判の様子を見たり、背景を説明するフィルムを見たりしていた。国連は、若者たちに何が起こったのかを理解させ、将来の大規模な暴力に対してこの国を予防したいと考えている。この活動は継続すべきだ。

殺人犯の大多数が訴追を免れているとはいえ、遅ればせながら一種の正義が行われた。幸いなことに、国際刑事裁判所(ICC)が2002年に設立され人道に対する罪を裁くシステムが出来ている。しかし、まだ十分とは言えない。

先月30日、オランダのハーグで、ルワンダ人のフェリシアン・カブガ氏の裁判が始まった。フツ族によるツチ族の虐殺の後に設置されたルワンダの国連特別法廷が、おそらく最後の大きな裁判となるだろう。これまで80件近くの裁判を行い、大きなものでは、上級指導者に有罪判決を下している。ルワンダの裁判所や北米や欧州の国内裁判所でも、何千人もの下っ端の殺人犯が裁かれてきた。

カブガは20年間、逮捕を免れてきたが、英国、フランス、ベルギーの警察によって、フランスにいるカブガを訪れた家族がかけた電話の場所を追跡され、ついに逮捕された。現在彼は、1994年の大量虐殺を主導したグループの資金提供者であり後方支援者であると告発されている。彼は、フツ族にツチ族と穏健派フツ族の殺害を扇動する人気ラジオ局を設立し、指揮していたのである。

ICC
ICC

国際司法の歯車はゆっくり回っている。これらの裁判所は抑止力として機能しているのだろうか?それを正しく測定する方法はない。それは国内の犯罪も同じだ。常識的に考えて、本当に罰せられる可能性がなければ、犯罪者や犯罪行為が増えるだろう。

ミャンマー軍事政権の将軍たち、エチオピアのアビイ・アハメド首相、シリアのバシャール・アサド大統領は、明らかに抑止されていない。イスラエルも、ISISも、タリバンも、ウラジーミル・プーチン大統領もそうだ。

一方、軍がかつて抑圧していた人々と再び関係を築いてきたスーダンでは効果があったのかもしれない。また、ウガンダがコンゴに展開するいわゆる「平和維持軍」に過去のような非人道的な振る舞いをさせたり、ブルンジとコンゴ東部のフツ族がルワンダのツチ族政権に復讐し始めたりすることは抑止できているのかもしれない。(現在、小競り合いはあるが、それほど深刻な事態にはなっていない。)

裁判所の権威は、旧ユーゴスラビア国民の静まらない情念にも働きかけるのかもしれない。オブザーバーによると、セルビアとコソボでは最近また衝突が起きているし、ボスニアでは10月2日の選挙で新たな暴力が懸念されている。ICCが抑止効果の一端を担っているかどうかは断言できないが、これらの国々で何らかの抑制力が働いていることは明らかである。

カンボジア人が行っているように、各国も国際刑事裁判所とその前身である旧ユーゴスラビア、ルワンダ、シエラレオネなどの裁判について国民を教育する必要がある。メディアにおける記事や番組、学校や大学での教育がもっと必要だ。戦争犯罪や人権侵害は、義務教育の公民の授業や講義の一部であるべきだ。

国際法の適用はこの30年間で目覚しく進歩した。しかし、その歩みはあまりにも遅い。スピードアップが必要だ。とはいえ、今のままでも世界はずっと良くなっている。(原文へ

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【国連IDN=タリフ・ディーン

(Nova York - EUA, 20/09/2022) Palavras do Presidente da Assembleia Geral das Nações Unidas, Csaba Korosi..Foto: Isac Nóbrega/PR
Csaba Kőrösi, President of the 77th United Nations General Assembly Foto: Isac Nóbrega/PR

国連が「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えた9月26日、国連総会のチャバ・コロシ議長は「焼け焦げ、表面にぶつぶつができた状態で長崎の廃墟の中から発見された」聖像について各国代表らに語りかけた。この石像は現在、国連本部の事務局棟に常設展示されている核兵器の恐ろしさを示す展示物の中に入っている。

「この石像は、決して繰り返してはならない過去を思い起こさせてくれます。私自身も、この石像の暗い警告を心にとめるつもりです。私は、戦争の惨禍から守られた世界という、私たちの夢の実現に向かって最大限の努力をする所存です。」とコロシ議長は語った。

「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」は2014年から記念されている。国連総会は2013年12月、同年9月26日にニューヨークで開かれた核軍縮に関する国連総会ハイレベルフォーラムの結果を受けて、決議68/32によって国際デーの創設を決定した。

国連本部の事務局棟に常設展示されている、1945年に原爆によって崩壊した浦上天主堂で見つかった、焼けただれ、傷ついた聖アグネス像 撮影:浅霧勝浩
国連本部の事務局棟に常設展示されている、1945年に原爆によって崩壊した浦上天主堂で見つかった、焼けただれ、傷ついた聖アグネス像 撮影:浅霧勝浩

米国は、日本の都市である広島と長崎に対して1945年8月6日と9日に原爆を投下した。この2発の原爆によって、ほとんどが民間人である12万9000人~22万6000人が亡くなったとされる。しかし、この原爆投下は武力紛争下における核兵器使用の唯一の例となっている。

国連総会議長は、米国・英国・フランス・ロシア・中国の核保有5か国が今年初めに「核戦争に勝者はおらず、決して戦われてはならない」ことを共同で確認した事実を指摘した。

その他4つの核保有国は、インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮である。

「そのわずか9カ月後、大国間の緊張が新たに高まっている。私達は再び、核攻撃とそれに続く報復までわずか100~110秒というところにいます。」

ウクライナでの戦争は核の惨事が起こる可能性を著しく高めているが、他方で、国際原子力機関(IAEA)が警告しているように、「火を弄んでいる」者たちが一部にいる。

「私は特に、核攻撃の脅しが隠し立てもせずに繰り返されていることに驚愕しています。しばしば戦術核による攻撃について口にする者もいるが、そうした紛争が戦術レベルにとどまらないことを私達はみな知っています。」

朝鮮半島に関しては、核の威嚇がこの地域及び世界に対して受け入れがたいリスクをもたらし続けているとコロシ議長は語った。

「他方で、世界の軍隊には1万3000発以上の核兵器が存在している。これらの兵器への投資が増え続ける中で、食べ物すら買えず、子どもを学校に通わせることができず、体を温めることができずに困っている人々がたくさんいます。」と、コロシ議長は指摘した。

核兵器を放棄し核実験場を閉鎖した先駆的な役割を果たした国として、カザフスタンが引き合いに出されることが依然として多い。

1949年から89年にかけて、推定456回のソ連の核実験(うち116回の大気圏内実験を含む)がセミパラチンスク核実験場で実施され、人間の健康と環境に長期的な悪影響を与えた。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Kazakh President Nursultan Nazarbayev addressing the UN General Assembly in September 2015 | Credit: Gov of Kazakhstan
Address by His Excellency Nursultan Kazakh President Nursultan Nazarbayev addressing the UN General Assembly in September 2015 | Credit: Gov of Kazakhstan

1991年のソ連崩壊後、カザフスタンは約1400発の核弾頭をソ連から継承したが、自国の安全は軍縮によって達成されるという認識のもとに、それらの核は放棄された。

カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ元大統領は、旧ソ連から独立した諸国の中で、核兵器の廃絶と中央アジア地域における非核兵器地帯創設を初めて呼びかけた。

カザフスタンは、領内の全ての核兵器をロシアに自発的に返還し、核不拡散条約(NPT)に加入することで非核兵器国として国際社会に加わった。

「平和・軍縮・共通の安全保障キャンペーン」の代表であり「国際平和ビューロー」の副代表であるジョセフ・ガーソン氏は、IDNのインタビューにこう答えた。「『核兵器の全面的廃絶のための国際デー』で示されたビジョンや希望、記念イベントと、人類が今まさにキューバミサイル危機以来最も危険な核の対峙の人質となっている現状との間で、泣き叫びたい気持ちになっている人もいるだろう。」

Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.
Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.

核不拡散条約再検討会議直前のこの8月、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、「人類は今、ひとつの誤解や誤算が起きただけで、核によって滅亡する危機に瀕しています。」と警告した。この状況にあって最も優先しなくてはならないのは、核戦争の防止だ。

ガーソン氏は、「ウクライナ戦争が目まぐるしくエスカレートする中で、米ロの指導者らが弄んでいる核の火によって私たちは疲弊しています。」と語った。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナ領土をさらに併合して表向きはロシアの一部とする動きを見せる中、ロシアを「守る」ために核兵器を使用すると脅し、それを「ハッタリではない」と警告している。

「ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、米国やNATOからの支援を得て、ロシアが征服した領土の全てを取り戻すことを誓っている。私達はこうして、ロシアの資源を食いつぶすか、あるいはロシア軍が決定的な敗北を喫するかのいずれかの終わりなき戦いの危険に直面している。いずれの場合もプーチン支配の脆弱性を高め、ロシアの要求にウクライナを従わせようとするための戦術核兵器の使用の可能性を高めている」とガーソン氏は警告した。

プーチン大統領の核の恫喝に対して、バイデン政権は「断固として対応する」としているが、これは核の報復を示唆したものだ。しかし、それぞれの超大国の政治的、国家主義的な勢力を考えれば、敗北と見えるようなものを受け入れることはどちらの指導者にとっても難しいだろうとガーソン氏はみる。

「こうして人類の運命が危機に立たされています。」とガーソン氏は指摘した。

「核の脅威を終わらせ、核兵器を廃絶し、核兵器予算と投資を公衆衛生やコロナ禍からの復興、気候変動、持続可能な開発問題へと振り向けるべき」との世界的なアピールがなされる中で、核兵器の全面的廃絶に関する国連の会合が開かれている。

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

このアピールを発したのは、核拡散を防止し、核兵器のない世界を実現するために幅広い取り組みを行っている議員たちの世界的ネットワーク「核不拡散・軍縮議員連盟」(PNND)である。

国連事務総長は加盟国に対する演説で、「核の恫喝」の時代にあって、世界を破滅させかねない事態の脅威から一歩引いて、平和への決意を改めて固めるべきだと訴えた。

「核兵器は人類がこれまでに開発した最も破壊的な兵器です。核兵器は安全をもたらさず、ただ殺戮と混乱をもたらすだけです。核兵器を廃絶することは、私たちが将来世代に残すことができる最大の贈り物と言えます。」

グテーレス事務総長は、冷戦が人類を「滅亡の数分前」まで追い詰めたと振り返った。また、「ベルリンの壁崩壊によって冷戦が終結から数十年経った今、再び核兵器を振りかざす声を耳にしている。」と語った。

「はっきりさせよう。核の恫喝の時代は終わりにしなければなりません。核戦争を戦ったりその戦争で勝ったりしようとある国が考えたとしたら、そのような考え方は不健全です。核兵器の使用は人類絶滅を引き起こします。私達は冷静にならねばなりません。」

グテーレス事務総長はまた、核兵器を保有する国々が核軍縮という目標に法的拘束力のある形で唯一コミットしている条約である核不拡散条約(NPT)の再検討会議(8月)で、加盟国が全会一致の決定に至らなかったことに遺憾の意を表明した。

各国代表らは、国連本部での4週間にわたる集中的な協議の後、ウクライナの原子力施設に対するロシアの管理を巡る文言にロシアが同意しなかったことから、最終文書を採択できずに終わっていた。

グテーレス国連事務総長は各国に対して、諦めずに「緊張を緩和し、リスクを低減し、核の脅威を取り除くために、対話・外交・協議のあらゆる方法を用いる」よう求めた。

他方、ガーソン氏は、台湾をめぐる米中間の対立、カシミール地方を巡るインド・パキスタン間の対立、核兵器を保有する9カ国による核軍拡競争が、核による破滅という同じ危険を呈していると指摘した。

「『核兵器の全面的廃絶のための国際デー』は、この目前の、かつ長期的な核の危険に対して私達の目を改めて向ける機会を提供している。私達が最も優先すべきは、核戦争の防止です。」

このことは、ウクライナ戦争の即時停戦と協議を通じた和解合意、さらには、台湾付近と南シナ海での米国と中国の挑発的な軍事行動を停止させることが急務となっていることを指し示している。

Joseph Gerson
Joseph Gerson

「緊張を封じ込め、破滅に至る計算違いを防ぐための共通の想定や防護策が何もない新たな冷戦に私達が突入する中、米ロや米中は、戦略的安定を確立するプロセスに改めて関与せねばなりません。それは、意味のある軍備管理・軍縮協定の交渉の土台となりうるだろう。」とガーソン氏は警告した。

このような措置がなければ、核不拡散条約や核兵器禁止条約(TPNW)にもかかわらず、最終的に核戦争を防ぐ唯一の方法である核兵器の完全廃絶というビジョンと緊急性は、私たちの手の届かないところにありつづけるだろう。

「この国際デーにあたって、そして今後も、私達が頭に入れ行動の基礎としなければならない自明の理があるとすれば、それは、『人類と核兵器は共存できない』という被爆者の警告です。」とガーソン氏は指摘した。(原文へ

※タリフ・ディーンは、コロンビア大学(ニューヨーク州)修士課程でジャーナリズム学を修めたフルブライト奨学生。著書に『核の災害をどう生き延びるか』(1981年)、国連を題材にした『ノーコメント:私の言葉を引用するな』(2021年)等がある。

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核のない世界への道は険しいが、あきらめるという選択肢はない。(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)

核不拡散条約再検討会議、失敗に終わる

ジェノサイド容疑者、ヘイトスピーチ犯罪を裁く国際法廷を拒絶

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】

ルワンダの実業家で大量虐殺者とされる人物が、1994年のルワンダ大量虐殺の首謀者と資金提供の容疑で裁判を受けている法廷に現れなかった。

フェリシエン・カブガ(87)は、ハーグの国連法廷に提出された告発状によると、ツチ族を虐殺した勢力(フツ至上主義の政党や党の民兵組織、インテラハムウェ等)を幇助し、「千の丘自由ラジオ」として知られるラジオ局を利用して憎悪を扇動したとして訴えられている。(ヘイトスピーチ例/Youtube)

1994年の大量虐殺では、約100日間で少数民族のツチ族と穏健派フツ族約80万人が殺害された。

裁判の冒頭、裁判長は、カブガが法廷に出頭せず、拘置所からビデオリンクで審理を見守ることに決めたと述べた。カブガは声明を発表し、裁判所が自分で弁護士を選ぶことを拒否したため、現在の法的代理人に「信頼がない。」と述べた。

カブガの弁護団は、2020年の法廷への初出廷時に、依頼人の無罪を主張した。彼らは、カブガが裁判を受けるにはあまりにも弱っていると主張したが、裁判官は、審理時間を短縮したうえで裁判の続行を決めた。

ルワンダで最も裕福で影響力のある人物であったカブガは、23年間も逃亡を続け、偽名で暮らし、アフリカや欧州で国や住居を変え、2年前にパリからほど近い郊外のアパートでついに逮捕された。

「千の丘自由ラジオ」は、ルワンダ全土の聴収者を扇動し、殺人キャンペーンを開始した。ルワンダ国際刑事裁判所によるカブガの起訴状によると、市民がどこで道路封鎖をすべきか、どこで「敵」を探すべきかという情報を放送していた。

 Photographs of Genocide Victims - Genocide Memorial Centre - Kigali – Rwanda/ By Adam Jones, Ph.D. - Own work, CC BY-SA 3.0
 Photographs of Genocide Victims – Genocide Memorial Centre – Kigali – Rwanda/ By Adam Jones, Ph.D. – Own work, CC BY-SA 3.0

カブガに対する起訴状には、多くの殺戮を行った民兵グループに訓練の費用を支払い、ナタやその他の武器を配給したことが含まれている。

ヘイトスピーチの結果に焦点を当てたこの裁判は、政治的右傾化の中で言論の自由を制限してきた多くの国々で、この問題がより大きな意味を持つようになったため、通常よりも多くの聴衆を集める可能性がある。

この裁判をハーグで開催しているルワンダ法廷のスティーブン・ラップ元訴訟部長は、「これはまた、強力な経済的アクター、裕福なビジネスマンが、自らが引き起こした犯罪の責任を問われる珍しいケースです。」と語った。

以前の裁判では、裁判官は、ラジオ局の2人の幹部と新聞社の経営者を大量虐殺扇動罪で有罪判決を下し、1994年の殺害に拍車をかけたとして長期刑を宣告している。

2003年に出された判決の要旨は、「人間の価値を創造し破壊するメディアの力には、大きな責任が伴う。従って、メディアを支配する者は、その結果に対して責任がある。」と述べている。

農民の息子であるカブガ氏は、ルワンダ北部の村で古着やタバコの行商からスタートした。その後、徐々に土地を購入し、紅茶農園を始め、巨万の富と政治的影響力を手に入れた。

しかし、カブガは現在、彼の財産は裁判所によって押収され、ベルギーとフランスで凍結されたため、なくなってしまったと主張している。カブガの13人の子供たちは、資産は銀行のものであるとして、ほとんどの口座の凍結を解除するよう法廷に要求している。

この法廷には、ヒューマン・ライツ・ウォッチや他のグループから、ジェノサイドの最中や後に大規模な復讐殺人を行ったルワンダ愛国戦線のメンバーの過剰行為も訴追するという任務が果たされていないとの非難が寄せられている。その結果、少なくとも3万人、おそらく5万人が殺害されたと報告されている。

一方、ジンバブエでは著名な作家らが扇動罪で有罪に。

Photo taken in November 2006 during a UK tour organised by David Clarke, Ayebia, CC BY-SA 3.0

別の展開として、ジンバブエの小説家、劇作家、映画監督であるツィツィ・ダンガレンブガは、政治改革を求める平和的な抗議活動を行ったにもかかわらず、暴力を扇動したとして、裁判所に有罪を宣告された。

ダンガレンブガと共同被告人のジュリー・バーンズは、9月29日(木)、ハラレ治安判事裁判所において、暴力を扇動する意図をもって公共の集会に参加した罪で有罪判決を受けた。二人にはそれぞれ7万ジンバブエドルの罰金刑が科せられた。受賞作家は6ヶ月の執行猶予付き判決を受けたが、彼女は、自分の事件が、ジンバブエで表現の自由の余地が縮小し、犯罪化されていることを証明していると主張した。

ダンガレンブガは2020年7月、「私たちはより良いものを求めています。我々の制度を改革せよ」と書かれたプラカードを持ち、平和的な抗議行動を行った際に逮捕された。アムネスティ・インターナショナルや作家団体PENインターナショナルなどの人権団体は、起訴を取り下げるよう求めていた。

PENインターナショナルはこの有罪判決を速やかに非難し、ジンバブエ当局に対して「人権に関する義務を守り、反対意見を迫害することをやめるよう」呼びかけた。

バーバラ・マテコ判事は、2人が暴力を扇動する意図を持ってデモを行ったことを、疑う余地なく証明したと述べた。

ダンガレンブガは、裁判所の決定に抗議し、高等裁判所に上訴すると述べた。ダンガレンブガは、小説家、劇作家、映画監督。彼女のデビュー作「Nervous Conditions」は、ジンバブエ出身の黒人女性によって初めて英語で出版された作品である。2018年にBBCによって「世界を形作った本トップ100」の1冊に選ばれている。その他にも文学的な栄誉を獲得している。(原文へ

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|国連|戦争も平和もメディア次第

到底無理な話

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハーバード・ウルフ】

ロシアのウクライナ侵攻直後、全てのEU諸国および欧州NATO加盟国の政府が反応を示した。ウクライナを支援するだけでなく、自国の軍事費増額も発表したのである。しかし、実際には全ての費用を賄えるわけではないことを示すいくつかの兆候がある。

ベルギー政府は装備費を10億ユーロにしたいと考え、クロアチアは今後3年間で41%の増額を望み、デンマークは軍事費を国内総生産(GDP)の2%にすることを目指し、フィンランドは一気に70%の増額、フランスは2025年までに27%の増額、ドイツは1,000億ユーロの特別基金を決定し、英国は2024年までに支出を13%増額するなどなど。幅広い分野の軍事費増額が予想される。少なくとも計画ではそういうことだ! さまざまな国が掲げるこれらの野心的プロジェクトは、うまくいくのか? あるいは、これらの約束は、ロシアの侵略行為に対する最初の反応として十分理解できるものの、実際にはまず実行不可能なものだろうか?(原文へ 

短中期的に見れば、特に戦争の終わりがだいぶ先と思われることを考えると、欧州における軍備増強努力は強化されるだろう。西側同盟とEUはロシアの所業にひどく衝撃を受けているため、しばらくは平常体制に戻れないだろう。冷戦時代に経験したように、欧州が再軍拡のスパイラルに陥る可能性はなきにしもあらずである。パワーの主な根源をエネルギー貯蔵量と軍隊とするロシアが、西側の再軍拡の動きに反応することは間違いない。

しかし、発表された軍備増強計画の実行可能性については、安全保障、経済、財政上の少なくとも五つの理由から疑問符がつく。

第1に、欧州は景気後退に直面している。全ての経済研究機関、ほとんどの政府、そして国際通貨基金が、持続的な景気後退を予測している。インフレ、特にエネルギーコストの上昇が、そしてグローバルサプライチェーンの諸問題が、多くの産業部門において警鐘を鳴らしている。すでに生産制限が実施され、あるいは発表されている。これらの予測が現実になった場合(それはほぼ間違いない)、それはすぐに大幅な税収減につながる。欧州諸国の多くが、2008/2009年金融危機の後遺症で多額の債務を抱えており、EU内で十分な埋め合わせができているとは到底いえない。つまり、現在発表されているような防衛予算の増額は、国家の債務削減という長年喧伝されてきたドグマを放り捨てない限り、財政的実行可能性の留保の対象とならざるを得ない。

第2に、コロナ禍の代償がある。現在の不安定な経済状況は、コロナ危機との因果関係もある。ロックダウンをはじめとするコロナ対策(国民生活の制限、多くの産業における生産削減など)が及ぼした影響は、医療部門だけにとどまらない。コロナ禍は、政府による異例の財政措置ももたらした。不動と思われた欧州財政政策の基盤が、署名ひとつで棚上げされている。

EUの1993年マーストリヒト条約は、以下の三つの基準を定めている。

  • 政府の財政赤字の対GDP比が3%を超えないこと
  • 政府債務残高の対GDP比が60%を超えないこと
  • いずれのEU諸国のインフレ率も、加盟国中最もインフレ率の低い3カ国との差が1.5ポイントを超えないこと

これら三つの基準のいずれも現時点で満たされておらず、EUは、これがコロナ禍による規則の例外であり、可能な限り早く解消すると主張している。それは非現実的に思われるし、マーストリヒト基準への回帰も、繰り返し引き合いに出されるとはいえ、具体的な計画はない。

第3に、気候変動対策に伴う費用がある。ウクライナにおける戦争で、化石燃料依存の迅速な低減といった気候変動対策の多くの目標が陰に追いやられた。石炭使用量削減など、合意された気候プログラムの一部は規模を縮小されつつある。しかし、先延ばしにしたからといって、問題が解決されたというわけではない。それどころか、気候変動対策を先延ばしにすればするほど、後でかかる費用は大きくなる。

第4に、ウクライナへの軍事支援および復興支援プログラムがある。多くの国はすでに、ウクライナへの武器供与だけでなく、近い将来に向けた財政・経済支援の提供を約束している。それは、現時点ではウクライナ難民の支援や戦時下での経済活動の維持であるが、今後は破壊された都市や寸断されたインフラの復興支援ということになる。これらの負担がいくらになるか、信頼できる推定はない。とはいえ、第二次世界大戦終結後のマーシャルプランの規模に準じる支援策が必要であることは間違いない。

第5に、ロシアとの経済関係がある。冷戦終結前後のデタント時代に戻るのは、全くもって不可能である。失われた政治的信頼はあまりにも大きい。経済関係の相互依存によって関係を構築しようという試みは、ロシアに対しては失敗した。長期的に見れば、西側は、プーチン政権から自国を軍事的に守らなければならないだけでなく、政治的関係、そして何よりも経済的関係をこれまでとは違った形で構築していかなければならない。とはいえ、ウクライナ、その他の欧州諸国、そして米国は、どのような政治的枠組みの中であれ、戦争を終わらせるためにはロシア政府と交渉しなければならない。欧州は、当面の間ロシアのエネルギー供給なしにやっていくことはまずできないだろう。それは、EUがロシア産石油の輸入を停止するか否かに関する難しい議論が示している。エネルギー価格の高騰は、将来何が起こり得るかをすでに示唆している。EU諸国は、エネルギー消費を制限する必要があり、さらなるコスト上昇に耐えねばならず、非常に長期にわたって完全にロシアのエネルギー供給なしにやっていくことはできないだろう。

要するに、今後発生するさまざまな財政負担の全てに対応するのはまず無理だということである。景気低迷により社会福祉費が増加すれば、問題はさらに悪化するだろう。これらの財政課題を管理するのは、到底無理な話である。恐らく全ての分野で妥協が必要であり、公的債務も増加する可能性が高い。防衛力を強化するために現時点で発表され、計画されている全ての支出を実現させるなど、決してできるものではない。ウクライナにおける戦争の終わりが見えない現在、長期的な影響を検討し、今後浮上する障害や必要な制限に対して国民の準備を整えることが適切だろう。

ハルバート・ウルフ は、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。2002年から2007年まで国連開発計画(UNDP)平壌事務所の軍縮問題担当チーフ・テクニカル・アドバイザーを務め、数回にわたり北朝鮮を訪問した。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。

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|カザフスタン|核兵器の危険性について若者に議論を促す展示

【アスタナINPS Japan/IDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

カザフスタンの首都アスタナ(9月17日にヌルスルタンから改称)中心部の高級ショッピングセンターである「ケルエン・モール」で9月16日から月末まで続く展示会では、核兵器の危険性を若者に伝えるために革新的な方法を用いている。

「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展の開会式で挨拶するカザフ側の共催団体「国際安全保障政策センター」のアリムジャン・アクメートフ代表。撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

今回の展示は、平和・文化・教育を促進する日本の仏教系非政府組織創価学会インタナショナル(SGI)が、ノーベル賞受賞団体核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と地元のNGOカザフ国際安全保障政策センターと共に企画したものである。

展示は、広島への原爆投下から今日に至る70年以上の核の歴史を、核兵器が社会に与えた壊滅的な影響について表現した写真やイラスト、グラフなどを駆使しながら示している。

SGIは、長崎と並んで原爆が初めて使用された広島で2012年に最初の展示会を開催して以来、世界21カ国・90カ所以上の都市で開催してきた

開幕式には、各国政府関係者や赤十字、大学・研究機関ら各界の来賓が参加した。 撮影:浅霧勝浩/INPS Japan
「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展のポスター 資料:SGI

「カザフスタンは、ソ連時代にセミパラチンスク核実験場があり、核実験により多くの人々が甚大な被害を被った国です。今日の核兵器を巡る状況にかんがみて、カザフスタンの多くの人々が、広島・長崎の原爆投下を体験した日本人の多くと同様に、核軍縮への強い願望を持っています。」と、寺崎広嗣SGI平和運動総局長はIDNの取材に対して語った。

カザフスタン外務省のアルマン・バイスアノフ国際安全保障局副局長は開会の挨拶で、「カザフスタンはソ連時代の1949年から89年にかけて456回行われた核実験の影響を被ってきた。」と語った。これらの実験は地下及び空中で行われ、健康上の被害を受けた人は約150万人におよぶとされる。

カザフスタン政府を代表して登壇したアルマン・バイスアノフ氏は、核戦争の危険が高まっている現在、核兵器の脅威に関する意識啓発を行うこの展示会の意義を高く評価した。 撮影:浅霧勝浩/ INPS Japan

バイスアノフ副局長はまた、「核兵器なき世界は私たちの外交政策の中核をなすものです。」と述べ、カザフスタンが2019年に核兵器禁止条約を批准していることを指摘するとともに、「カザフスタンは、核兵器を禁止する運動を構築するための世界的な連合を主導しています。」と語った。

「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」と題された、カラフルで目を引く約20枚のパネルから構成された今回の展示は、特に若者たちがこの問題に対する無関心から抜け出すための教育的役割を果たすように設計されている。展示パネルは、私たちが大切に思っているものを守るのに本当に核兵器は役に立つのか、核兵器が人間や環境、医療、経済、それに私たちが望む将来に対してどのような問題を引き起こすのかといった問題に答えている。

展示会の感想を語るアスタナ在住のIT実業家マディヤール・アイイップ氏 撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

「カザフスタンの若者は核実験が行われたことは認識していますが実体験としての記憶はありません。この核廃絶展に参加して、核兵器をはじめとする大量破壊兵器が、国際社会において全く容認されないものだということを学びました。」と語るのは、開会式に出席したカザフスタンの若者マディヤール・アイイップ氏である。「人類は問題解決に互いに核兵器を使用して滅亡してしまうのではなく、人類共同体と協力しあうべきです。」とIDNの取材に対して語った。

ボラトベク・バルタベク氏(左)は、核実験場を閉鎖に追い込んだ活動家らが1989年に署名した歴史的な冊子「セミパラチンスクブック」を開幕式に持参した。 撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

開会式典の特別ゲストはボラトベク・バルタベク氏(63歳)であった。彼は核実験被害者の二世で、国際的な反核運動家として30年以上に亘って核実験の影響を受けた人々の声を代弁してきた人物である。開会式では自身と自身の家族に核実験が与えた悲劇的な影響について語った。

バルタベク氏は、彼が住んでいたカザフスタン東部のサルジャル村近くでソ連が核実験を行った際、まだ子どもだった。核実験が行われたのはのちに「ポリゴン」(多角形)と呼ばれるセミパラチンスク核実験場(大きさは日本の四国に相当する)であった。彼は、夏の間両親が一つの部屋に住み、他の部屋は核実験に来たソ連軍関係者が使っていたのを覚えている。

セミパラチンスク核実験場における核実験 資料:国立原子力センター
セミパラチンスク核実験場における核実験 資料:国立原子力センター

「私たちが子どもだった時、ヘリコプターが飛んできて、『さあ実験だ』と喜んで駆け回っていたものです。当時、核実験が危険なものだという認識はありませんでした。」とバルタベク氏は語った。

「のちに成長する中で、友人や親戚、知り合いが原因不明の病気で次々と亡くなるようになり、子供心に恐怖を感じていました。大人に聞いてみても『埋め立ての病気だ』と答えるだけ。その時の大人たちの悲しい目を見ていると、これは聞いてはいけない問題なのだと子どもながらに理解しました。」

バルタベク氏は、ソ連政府が自分たちをセミパラチンスク(現在のセメイ)市に集団で連れていき、10日間にわたって核実験を行ったことを語った。政府は実験の結果について何も教えてくれなったが、自分たちの住む地域が実験の対象になったのだと考えている。しかし、ソ連政府は核実験の影響を受けた人たちに特別な援助をすることはなかった。

「現在、核実験に起因する病気が子供や孫の世代にも出てきている。彼らは埋め立て地の爆発実験を見てこなかった世代です。」と指摘し、自身の孫娘も血液の病気にかかっており、障害者登録されていると語った。「日本からの参加者を初めとして、この核廃絶展示会に参加された方々に対して、私の孫娘が病気から回復するご支援をいただきたい。」

展示会の意義を高く評価するとともに、核実験が人間の健康にもたらす影響について、人道的な視点からも光をあてる必要性を訴えた研究者イスカンダル・アキルバエフ氏。 撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

外交政策のアナリストであるイスカンダル・アキルバエフ氏は、「セミパラチンスク核実験場はソ連解体に伴って閉鎖されたが、問題は終わっていない。」と指摘した。核実験が人体に及ぼした影響は「次世代にも及ぶことがあります。(汚染された)飲み水、医療施設(の不足)により治療のために他の都市にいかねばならないなどの社会経済的問題で人々は苦労しています。こうした側面にも光があてられなくてはなりません。」と、アキルバエフ氏は語った。

アキルバエフ氏は、「冷戦期の思考が再び頭をもたげ、核兵器が現実に使用される可能性が取りざたされている危険な時」にあって、この核廃絶展示は全国を巡回すべきだと思います。過去の失敗から学ぶことは極めて重要です。」と語った。

ノーベル平和賞受賞団体ICANと共に制作した反核展示会を世界各地で巡回しているSGIを代表して、この展示会開催の目的と意義について語る寺崎広嗣SGI平和運動総局長。 撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

「この展示はこれまで20か国以上で開催されており、今後も多くの言語に翻訳して他の地域でも開催したいと考えています。この展示は、他の核兵器廃絶を訴える展示とは趣が違う部分があると思います。それは核兵器に対して様々な観点からの視点と与えようとしている点です。」と、寺崎総局長は語った。

核兵器の恐ろしさを知るカザフ人と日本人が協力して核廃絶を訴える必要性を語る増島繁延氏。増島氏はカザフ語・日本語辞書の編纂や同国の歌手ディマッシュ・クダイベルゲン氏の来日に際して日本語通訳を務めるなどカザフスタンと日本の架け橋として長年尽力している。 撮影:浅霧勝浩/INPS Japan

カザフスタンに15年以上在住の日本語学校校長でジェトロ特派員の増島繁延氏は、日本もカザフスタンも核兵器の恐怖を体験してきたからこそ、「被爆国として私達(=カザフ人と日本人)が核兵器の恐怖を世界に伝えていかなければ、人々はわからない。だからこそ、私達が率先してやらなければならないことだと思います。」と語った。

「核兵器について、漠然としたイメージを持っている人が多いですが、しかし、自分たちの見えるところに核兵器があるわけではないので、どうしても日常性の中から、核の問題というのは隠れてしまいがちです。その意味で私たちは、自分たちの様々な人生・生き方に関わる観点から、核兵器というものが決して無関係ではなく、強い関係の上で成り立っている、そのことを視点として皆さんに提供したいという目的をもって構成されている展示です。」と寺崎総局長は語った。(原文へ

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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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グローバルな核実験禁止の発効を呼びかけ

|視点|桜とカリブルブル(カラバフ地域に咲く特有の花)

【バクーINPS Japan/AZVIsion=アイーダ・エイバズリ】

Map of Azerbaijian
Map of Azerbaijian

2020年9月27日に勃発した第二次ナゴルノ・カラバフ戦争でアゼルバイジャンは、約3000人の犠牲者を出した44日間に亘った戦闘と、ロシアや米国等による数度にわたる調停を経て、30年以上アルメニアの占領下にあったナゴルノ・カラバフ地域の約4割を回復した。(ただし、アゼルバイジャンにとって念願のアルメニア軍の撤退は実現したが、代わりに同地域にロシア軍の駐留を認めざるをえなかった。) English Azeri

紛争が終わり、メディアが解放されたナゴルノ・カラバフ地域に入ると、家屋をはじめ歴史的な建造物から著名人の墓碑に至るまで、徹底的に破壊された旧占領地の惨状が世界に発信されるようになった。

1993年のアルメニア軍の軍事侵攻と占領後の破壊・略奪でゴーストタウンと化していたアグダムに入った著名な英ジャーナリスト トーマス・デワール記者は、破壊されたモスクのミナレット(尖塔)から見下ろしたアグダムの光景を「あの日は、春の空が晴れ渡った日で、ここから、100キロ北のコーカサス山脈の峻険な山並みをが見てとれた。しかし、私の視線は眼下に広がる小さな広島(徹底的に破壊されたアグダムの街)に釘付けになった。」と、著書「カラバフ: 戦争と平和の道を歩むアルメニアとアゼルバイジャン」で述べている。

The ruins of Agdam city photo by Azvision.az

この著名な英国人記者が荒廃したアグダムの街並みと原爆で荒廃した広島を比較したのは偶然ではない。後者は米軍が政治的に「リトル(ボーイ)」と名付けた核爆弾によって、前者は街に侵攻してきたアルメニア軍によって、無辜の市民が多数虐殺されたという点で共通点がある。

The ruins of Agdam city photo by Azvision.az

日本政府は戦後、1960年代初頭までには広島市の再建を成し遂げ、爆心地付近は12ヘクタールの広大な地域を平和記念資料館や平和の鐘など様々の施設を備えた平和記念公園に整備した。広島原爆の惨禍を経験した人々は、カラバフ戦争で私たちが経験した痛みや今日直面している問題をより理解していただけるのではないだろうか。

今日、アゼルバイジャンは友好諸国の支援を得て、新たに回復した地域の再建に乗り出している。新たに奪還したカラバフ地域の空の玄関口としてフュズリ(首都バクーから西に300キロ)には、早くもトルコの支援を得て国際空港が開港し、ザンギラン市の元住民は30年越しの念願が叶って故郷に戻り始めている。古都シュシャは古来音楽の都としても知られており、再び国際音楽コンクールを開催している。蘇ったシュシャの街は、こうした活動を通じて、再び平和・自由・友好を象徴する音楽の都として存在感を拡げていくだろう。

またアゼルバイジャンは、現代世界を繋げて2500年の歴史を有する大シルクロードを復活させるべく、ザンゲズール回廊(ナゴルノ・カラバフ地域とアゼルバイジャンの飛地であるナヒチェバン知事共和国を繋ぐ回廊)の建設に乗り出している。また、新たに解放した地域に平和と安定をもたらすために、友好諸国の支援を得て、道路建設と並行して、30年に亘った占領中に破壊された家屋や学校、様々なモニュメントも再建している。

Khari-Bulibul photo by Azvision.az
Khari-Bulibul photo by Azvision.az

ナゴルノ・カラバフの解放地域の復興状況には、日本企業が積極的に関与している。例えば、グリーン・エネルギー・ゾーンを構築すべく、日本企業が作成した行動計画(2022~2026 年)が承認され、日本企業の有する先進的技術、ノウハウ等の活用が期待されている他、日本企業は開放地域地位における地雷除去活動にも深く関与している。地雷が除去された地域から随時エコシステムを復活させ、グリーンゾーンを構築していくのである。

私たちは、開放地域の復興のためのシュシャを訪れる日本人に、アゼルバイジャンの自由・愛・勝利の象徴であり、この山岳地帯で4月上旬に開花するカリ・ブリブリの花を見せている。この花と日本の桜が似ているように、アゼル人と日本人の愛や夢も互いに共通するものを感じる。私は、いつの日か、日本の桜の花が、開放されたシュシャやカンゲンディ、コジャリといった地でも花を咲かせてほしいと願っている。(原文へ

INPS Japan

この記事の著者は2022年9月にカザフスタンのアスタナで開催された第7回世界伝統宗教指導者会議を共に取材したアゼルバイジャンの記者。アゼルバイジャンの国営テレビで本記事の掲載やINPS Japanとのコラボについて話してくれた。

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【国連IDN=タリフ・ディーン】

9月6日に国連が開催した「平和の文化」に関するハイレベルフォーラムは、世界に明確なメッセージを送った。

今回のハイレベルフォーラムは、主権国家であるウクライナが、世界最大の核保有国の一つであり国連安保理の常任理事国であるロシアによって蹂躙されているときにあって、平和の重要性を強調した。

同時に、シリアやイエメン、イラク、エチオピア、リビア、ミャンマーで発生している数多くの軍事紛争と終わりなき内戦においてもまた、平和的解決と政治的安定性が待ち望まれている。

国連の「趣旨説明」によると、今年のハイレベルフォーラムは「様々な場所において暴力と紛争が継続し拡大する状況を世界が目の当たりにする中で」開催されたものだ。

「こうした問題が、既存の差別や不寛容の問題の上に折り重なっている。人種、肌の色、性別、言語、宗教、政治的・その他の見解、国籍あるいは社会的出自、資源へのアクセス、障害、出生時の地位などに基づく差別は、新型コロナ感染症のパンデミック(世界的な大流行)によってさらに悪化している。」

国連総会が「『平和の文化』に関する宣言及び行動計画」に関する先駆的な決議53/243を全会一致かつ留保なしに採択したのは1999年9月13日のことだった。

The U.N. has held High-Level Forums on the Culture of Peace for the past three years. Ambassador Chowdhury moderates a panel at last year’s event. Credit: UN Photo/Evan Schneider
The U.N. has held High-Level Forums on the Culture of Peace for the past three years. Ambassador Chowdhury moderates a panel at last year’s event. Credit: UN Photo/Evan Schneider

この画期的な決議の採択を国連で主導したアンワルル・チョウドリ大使はIDNの取材に対して、この25年ほど「私は、平和と非暴力を自分自身の一部、つまり人格とすることを目指す、『平和の文化』の推進に力を注いできました。」と語った。

「地球と人々の両方を破壊する軍国主義、軍事化、兵器化がますます進む中で、『平和の文化』はより意義を増してきました。」とチョウドリ大使は指摘した。

チョウドリ大使はまた、「『平和の文化』に関する行動計画を国連はどうやって履行するつもりなのかとしばしば尋ねられます。私は、国連自身が国連システムを通じてそれを所有し内在化する必要があると考えています。」と語った。大使は「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の10年」(2001~10年)の実施を決めた1998年の宣言を主導したことでも知られている。

チョウドリ大使は、「国連事務総長は『平和の文化』を指導的なアジェンダの一つに優先的に据えるべき。」と語った。持続可能な平和という目標を前進させるために「平和の文化」のプログラムの中で国連が持っている実行可能なツールを事務総長は大いに利用すべきだという。

「『平和の文化』のツールを用いようとしないことは、職場に行くのに車が必要で、実際に自家用車を持っているのに、運転の仕方に関心を持たないのと同じようなことだ。」

「私が『平和の文化』を推進する中で学んだことの一つは、戦争と紛争の歴史を繰り返してはならないということです。そして、非暴力や寛容、人権、民主的参加の価値を、あらゆる男女、子ども、大人の中で育んでいかなければなりません。」と元国連事務次官、元国連上級代表のチョウドリ大使は語った。

まもなく退任する第76回国連総会のアブドゥラ・シャヒド議長は、「平和の文化」を「暴力や紛争の根本原因に対処して、個人や集団、国家間の対話や交渉を通じて問題解決を図ることで、暴力を拒絶し紛争を予防する一連の価値観や態度、行動様式、生き方である。」と定義した。

UN Assembly President Abdulla Shahid Highlights Hope For Billions Around the World/ UN News

「このことから、私たちは、持続可能な平和は単に暴力や紛争の不在によって永続するのでない、と理解しています。むしろ、『平和の文化』は、対話と尊重を通じて相互理解を高め差異を乗り越える継続的な取り組みを社会に要請しているのです。この目的に向かって、『平和の文化』は、国家や地域社会から家族、個々人に至る社会の様々なレベルの内部、またそれらの間において行動の変革を促すものです。」

「その基盤となる一体性と包摂性の原則は、コロナ禍や気候変動、フェイクニュースの拡散、経済の不確実性といった国境を超える難題でこの世界が満たされている時にあって、極めて重要です。こうした問題の一つ一つが領域を横断した影響を及ぼし、紛争の可能性を高めてしまうのです。」とシャヒド議長は語った。

カンボジアのソバン・ケ国連大使は、10カ国が加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)を代表して、今回のハイレベルフォーラムのテーマ「平和構築を進めるための正義・平等・包括の重要性」は、コロナ禍から地域紛争、食料不足に至る多くの世界的な課題がある中で、「平和の文化」の永続的な価値を反映していると語った。

ケ大使は、正義、平等、包摂の原則は、平和を維持し、平和構築の取り組みを推進する国内および国際的な取り組みの中核となるべきであると語った。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

持続可能な開発目標(SDGs)第16目標(平和で包摂的な社会の推進)に関連して、ASEANは「これらの中核的な原則なくして、意味のある開発などあり得ないと考えている。」と大使は語った。

55年前、ASEANの創設者らは、「正義と法の支配を尊重し国連憲章の原則を遵守することで地域の平和と安定」を促進する、ルールに基づいて発展し続ける地域的枠組みの先頭に立つ組織を構想していた。

6億3000万人の人口を抱えるASEANは、「平和の文化」を、政治的に連帯し、経済的に統合され、社会的に責任を持ち、民衆を指向し、民衆を中心とした地域づくりの中核的な価値であると理解し、その価値を取り込んできた。

ASEANは、地域機関と国連が共通の利益のために重要な問題に取り組むための独自の補完的な能力を有していると確信している。

「『平和の文化』を強化することは、平和構築の取り組みを前進させる道です。」とケ大使は語った。

インドは、ハイレベルフォーラムの前に発した声明で、「『平和の文化』は平和と寛容のグローバル秩序の基礎だ」と述べた。それは、包摂的かつ寛容な社会を築く前提条件となる。

このことは、紛争後や紛争の影響を受けた状況において、また、平和構築を推進する私たちの取り組みにおいて、より大きな意味を持つ。「平和の文化」に関する国連宣言と行動計画は、連帯と理解を促進する多国間行動の効果的な青写真を提供している。

「寛容や憎悪、暴力、テロがもはや一般的となってしまった今日の世界では、『平和の文化』促進への私たちの強いコミットメントを再確認することが以前にもまして重要になってきている。」とインドの声明は述べている。

現在のパンデミックは、かつてないほど人類の相互関連性と相互依存性を浮き彫りにしている。このような試練の時にあっては、相互の支援、共感、協力を強めることが求められる。

「加盟国間の分裂と亀裂がますます拡大している今、私たちは『平和の文化』の促進に関する世界的な対話を促進する国際的な努力を強化することを呼びかける。また、宗教間の対話は、包括的かつ広範なものとし、あらゆる宗教や宗派を包含したものでなければならないということを再確認する。」

「民主主義、多元主義、思いやり、文化の多様性、対話と理解の原則を順守する平和構築の努力は、『平和の文化』の基礎を形成する。」

平和構築の取り組みへのインドの基本的なアプローチは、加盟各国がそれぞれ舵を取っているということと、そして、加盟国の開発優先順位を尊重する姿勢に根ざしている。

今日の世界では、不寛容や憎悪、暴力、テロリズムがほとんど当たり前になってしまいつつある。

国連はこの「趣旨説明」において、コロナ禍の影響に加えて、紛争の結果が不景気を加速し、社会を不安定化させ、不平等を増大させ、ガバナンスの問題を悪化させていると指摘している。また、平和と安全保障に対して、各国と世界の両レベルにおいて難題を投げかけている。

Photo credit: Physicians Committee for Responsible Medicine
Photo credit: Physicians Committee for Responsible Medicine

既に以前から存在した脆弱性の問題に加えて、これら全てのことが、とりわけ紛争後および紛争に影響を受けた国々の貧困層を、暴力や危険に晒されやすくしている。

「この問題に対処するために、望ましい社会への共通のビジョンを作り上げ、住民のあらゆる部分のニーズを考慮に入れることを視野に入れるならば、平和構築と平和の持続に取り組む以外に選択肢はない」。

このようなビジョンは、紛争の発生、拡大、継続、再発を防止し、根本原因に対処することを目的とした活動を包含している。同時に、差別や不平等をなくし、誰も取り残されないように社会的結束と包摂的開発を促進することが急務となっている。

「平和の文化」に関する国連総会決議で詳述されているように、平和的かつ非暴力的な方法でこうした問題に対処する能力を人々につけることが、不可欠の要素となる。

「平和の文化」の概念によって促進される価値は、「宣言」および「行動計画」によって、8つの行動領域(①教育、②持続可能な経済及び社会開発、③人権、④男女平等、⑤民主的参加、⑥理解・寛容・連帯、⑦情報及び通信の自由、⑧軍縮かつ紛争の平和的解決を通じた平和と安全の促進)を通じて定義されている。(原文へ

INPS Japan

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【アスタナINPS Japan/IDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

ローマ法王フランシスコが、東西をつなぐ新たなルート(道筋)の中心として中央アジアのカザフスタン共和国が台頭してくる見通しを提起した。しかし今回は、人間関係と尊重を基盤としたルートの話である。

カザフスタンはかつて、シルクロードと呼ばれる、東西をつなぐルート(交易路)を通る貿易商や旅人たちが出会う場所だった。この21世紀にあっては、中国が「一帯一路」構想として知られる鉄道や高速道路網を通じた新たなシルクロードを構築しようとしている。

カザフスタンの首都ヌルスルタン(17日にアスタナに改称)で第7回「世界伝統宗教指導者会議」が9月14日に開会されるにあたって、ローマ法王は、人間を純然たる物質的な欲望の追求から引き離すこうしたルート(道筋)に新たな定義を与えた。

約1000人の参加者で埋まったカザフスタン中央コンサートホールにおいて市民社会や各国外交官の代表らとの公式会見に臨んだローマ法王フランシス 撮影:浅霧勝浩 

ローマ法王は「私たちは、かつて隊商たちが数世紀にわたって旅してきた国に集っています。この土地では、とりわけ古代のシルクロードを通じて、多くの歴史や思想、宗教的信条、希望が交錯してきました。」「カザフスタンが再び、遠くからやってきた人々の出会いの地となりますように。」と、50カ国以上から参加した主に宗教指導者から成る約1000人の聴衆に語り掛けた。

法王はまた、そうしたルートは「尊敬、真摯な対話、人間尊重、相互理解を基盤とした人間関係を中心としなければなりません。」と語った。

カザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領は、12世紀から14世紀にかけてヌルスルタンには仏教寺院、キリスト教の教会、イスラム教のモスクが建っていたことを指摘し、「カザフの大地は、昔から東西の架け橋でした。しかし、残念なことに、(今日の国際情勢を見渡せば)不審と緊張、紛争が国際関係に舞い戻ってきています。」と語った。

Kassym-Jomart Tokayev, President of Kazakhstan, delivering his speech  before  representatives of civil society and diplomatic corps at the Kazakhstan Central Concert Hall, which was packed with over 1000 people. Photo by Katsuhiro Asagiri
公式会見で演説するカザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領 撮影:浅霧勝浩  

トカエフ大統領はまた、「これまでの国際安全保障体制が崩壊しつつあります。」と指摘したうえで、「これらの危機を克服する方途は、善意と対話、協調の中にしかありません。」と断言した。

ローマ法王は、新型コロナウィルス感染症の世界的な流行(パンデミック)によって「強制的にもたらされた世界の不平等と不均衡という不公正」を根絶するために協力するよう、世界各国から集った宗教指導者らに熱心に語りかけた。

「今日でも依然として、どれだけの人々がワクチンを受けることができずにいるでしょうか?より多くを手にし、僅かしか与えないものたちの側ではなく、困っている人々の側に寄り添おうではありませんか。自ら予言的で勇気をもった良心の声となろうではありませんか。」とローマ法王フランシスコは語りかけた。

「貧困はまさに、伝染病やその他の巨悪の蔓延を可能にするものです。不平等と不公正が増殖し続ける限り、新型コロナウィルス感染症よりもさらに悪いウィルス、すなわち憎悪、暴力、テロリズムといウィルスがなくなることはないでしょう。」と法王は警告した。

全体会議では、主要宗教や各地域を代表する多くの講演者が同様のメッセージを発した。

アルアズハルモスクのグラントイマームであるアフマド・アル・タイーブ師 撮影:浅霧勝浩

カイロのアルアズハル大学の総長で同モスクのグラントイマームであるアフマド・アル・タイーブ師は、パンデミックから回復しようとしているときに、別の災害が出てきている状況を嘆いた。「私たちは最近、グローバル経済に影響を及ぼす傲慢な政策の影響を受け、民衆の生活が破壊されています。道徳的な教えを持つ宗教が、現代文明を導いていないことは痛ましいことです。」と語った。

ロシア正教会モスクワ総主教庁渉外局長であるボロコラムスク府主教アンソニーは、キリル総主教の声明を引用して、「私たちは、事実が捻じ曲げられるのを見たり、国々や人々に対する憎悪にまみれた言葉を投げつけることで、人々を対話と協力から遠ざけたりする様を見てきました。」と述べたうえで、そうした対話を行う機会を与えてくれた「世界伝統宗教指導者会議」への謝意を述べた。

ロシア正教会モスクワ総主教庁渉外局長であるボロコラムスク府主教アンソニー師 撮影:浅霧勝浩

「文明は善悪で分割することはできません。私たちは相互の尊重を育んでいく必要があります。」と語ったのは、中国道教協会の李 光富(リ・コウフ)会長である。

二聖モスクの守護者(サウジアラビア国王)を公的に代表するサレー・ビン・アブドゥル=アジズ・アル・アシュ=シェイク師はまた、宗教間に橋を架けることの重要性を語った。「宗教が社会に混乱をもたらすために利用されないようにしなくてはなりません。私たちは社会的責任の価値を促進する必要があります。従って、宗教指導者の役割は、慈善、正義、公正さ、思いやりを実践するよう、他の人々を動機づけることであるべきです。」と師は訴えた。

Hirotsugu Terasaki, Vice President of Soka Gakkai delivering his speech at the plenary session. Photo by Katsuhiro Asagiri
池田大作SGI会長の2022年平和提言を引用しながら、本会議で発言する寺崎広嗣創価学会副会長 撮影:浅霧勝浩

日本の仏教団体・創価学会の寺崎広嗣副会長は、「苦境にある人々に手を差し伸べることが以前にも増して重要になっています。」と指摘した。寺崎副会長は、法華経の教え(「自他共の幸福」の思想)を紹介しつつ、「(さまざまな脅威を克服する“万能な共通解”は存在しないからこそ、)困難を抱える人のために自らが『支える手』となり、共に喜び合えるような関係を深めていくことが重要である」との池田大作SGI会長の2022年平和提言の趣旨を強調した。また、「生きる喜びを皆で分かち合える社会を目指し、宗教間の連帯を広げていきたい。」と述べた。

アフリカから唯一の代表であった「全アフリカ教会協議会」のフィドン・ムウォンベキ博士は、他者の尊厳を尊重せずに、他者が反応した際に紛争を引き起こしてしまうような人物はあらゆる宗教にいる、と指摘した。この点の説明をIDNが後にさらに詳しく求めたところ、博士は「人間がお互いに顔を合わせないときには、ステレオタイプを持ってしまう。しかし、互いに顔を合わせれば、そうしたステレオタイプが違っていたことに気がつくだろう。」と説明した。

アフリカからの唯一の代表であった、全アフリカ教会協議会のフィドン・ムウォンベキ博士 撮影:浅霧勝浩

ムウォンベキ博士は、アフリカでは、ソマリアやコンゴ、ナイジェリア北部で起こっていることから、多くの人がイスラム教は暴力的だと考えていると説明した。「私はここでイスラム教徒に会い、彼らがイスラム教についてどのように話しているか、すべての人の人間の尊厳へのコミットメントを見て、(私は)彼らの人生に対する態度が(ステレオタイプとは)異なっていることを理解しました」と指摘した。

最終宣言

ローマ法王フランシスコの参加を得て2日間の日程で開催された第7回会議の最終宣言には35の項目と勧告が盛り込まれた。この宣言は、世界のどの国の行政機関でも、また国連などの国際機関でも利用可能な文書を作成することによって、人類の現在および将来の世代が、相互尊重と平和の文化を促進するための指針とすることを確認したものである。

Map of Kazakhstan
Map of Kazakhstan

「世界伝統宗教指導者会議」事務局長でカザフスタン議会の上院議長をつとめるマウレン・アシムバエフ氏は、この宣言は発表後に次の国連総会において加盟国に提示されることになると語った。

宣言はまた、会議の事務局に対して、2023年から33年の10年間、世界伝統宗教指導者会議を世界的な宗教間対話のプラットフォームとして発展させるためのコンセプト・ペーパーを策定するよう、会議事務局に指示した。

第7回会議の閉会にあたって、トカエフ大統領は、「宗教が持つ平和構築の潜在力を有効に活用し、宗教指導者の努力を結集して長期的な安定を追求することが重要である。」と語った。

「コロナ後の世界において地政学的な混乱が激化する中、グローバルなレベルで文明間の対話と信頼を強化するための新しいアプローチを構築することがより重要となっています。今回の会議は、このような重要な取り組みに大きく貢献できたと確信しています。」と、トカエフ大統領は語った。

また、カザフスタンを訪問し会議に出席したローマ法王に対する謝意を表明し、「今回の法王のご訪問により、最終宣言に盛り込まれたアイディアや提言が世界的に一層よく知られるようになると考えています。」と語った。

7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress
                     参加者の集合写真 資料:第7回世界伝統宗教指導者会議事務局

第8回世界伝統宗教指導者会議は3年後の2025年9月に同じヌルスルタン(アスタナ)で開催されることが最終セッションで合意されている。(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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