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イランにおける女性の生活と自由: 1年後の成果、損失、教訓

国連人権理事会が任命した専門家グループは、イランで審議中の、公の場でスカーフ(ヒジャブ)を着用しない女性や少女に新たな処罰を科す新法案に重大な懸念を表明した。「この法案は、ジェンダー・アパルトヘイトの一形態と言える。当局は、女性と女児を完全に服従させるために抑圧することを意図し、体系的な差別によって統治しているように見えるからだ」と、独立専門家らは9月1日付の声明で語った。

【ニューヨークIPS=サナム・ナラギ・アンダーリニ】

9月16日、イランの悪名高い「道徳警察」によって殺害されたマフサ・アミニの1周忌を、イラン中の人々が記念した。ヒジャブを適切に被っていなかったという理由で逮捕された22歳のアミ二は、激しく殴打され、脳を損傷して死亡した。この暴力と、政権による犯罪の隠蔽に対して、イランの女性や少女たちの40年来の鬱積した怒りが爆発した。イラン全土の都市や町で抗議行動が起こった。これまで女性が直面する日常的な屈辱や制度的な差別に対して共感することが少なかった老若男女までが抗議行動に参加した。またアミニがクルド人であったことから、イランのクルド人、バルチ人、その他の少数民族の間でも抗議行動が広がっていった。抗議者たちの画像がソーシャルメディアに溢れ、#WomenLifeFreedom(WLF)運動が生まれた。政権が取り締まりを強化し、500人以上が殺害され、無数の人々がレイプされ、負傷し、脅迫されるなか、イランの若者たちの世界へのメッセージは「私はみんなの声になる。(be our voice)」というものだった。この運動は世界的な反響を呼んだ。

Guidance Patrol Credit: Fars Media Corporation, CC BY 4.0
Guidance Patrol Credit: Fars Media Corporation, CC BY 4.0

1年経った現在、その犠牲と命に見合うものはあるのだろうか?

イランにおける市民的不服従:灰の下の火種

この記念日に大規模なデモが行われることを予期して、政権は人々を一網打尽にし、さらに多くのデモ参加者を殺害し、主要都市に治安部隊を配備した。国会議員たちは、過酷なヒジャブ規則と刑罰をさらに強化する新たな法案を通過させると脅迫した。政治的には、政権内に強硬な保守派と穏健な改革派間の対立軸があったが、政権自体の存亡を揺るがす事態に直面して、両派は接近し団結を強めている。経済的には、経済制裁と内部腐敗が混在した結果、革命防衛隊が民間部門の多くを独占している。治安面では、旧来型の治安要員と最新の監視・顔認識技術を織り交ぜて、国家による監視体制を強化している。しかし、国内の民衆から自らの正統性が問われる危機に直面した指導部は、外部からの支援も求めた。

今回は、イランの長年の宿敵であるサウジアラビアが、救世主となった。中国が仲介したこの和解によって、イラン政権は面目を保ち、注意を東へと向けられるようになった。

しかし、これによってイランのZ世代が抑止されることはない。昨年の激しい弾圧は、結果的に大きな後退をもたらした。テヘランからマシュハド、そして様々な地域で、多くの女性がもはや強制的なヒジャブの着用をやめている。ペルシャの諺(ことわざ)にあるように、WLF運動は灰の下で燃える火種のようなものだ。灰の下にある 政権の手口を知っている若者たちは、新たな戦術を編み出した。最近テヘランを訪れた人は、この記念日の数週間前から、若い女性たちが人々に連帯のための服装を勧めるチラシを配っていたことを指摘した。女性は白いTシャツにジーンズ、男性はボタンダウンシャツにカーゴショーツ。このような無抵抗主義的な市民的不服従戦術はリスクが低く、参加者も多い。

音楽家、芸術家、学生、映画監督、作家、詩人、さらにはシェフまでもが政権によって逮捕されたことは、政権が実存的な恐怖を示していることをイラン人は知っている。10歳の少女がハメネイ師の写真を破り、小学生が抗議歌を歌うなど、イラン国内で起きている世代間の地殻変動は否定できない。それは、より大きな自由、近代化、男女平等へのシフトである。それは単なる「ボトムアップ」の革命ではない。イランで最も影響力のある保守的な人物の家庭に根を下ろした、急進的な社会進化なのだ。単刀直入に言えば、イランをイデオロギー的なイスラム主義社会に変えようとした彼らの試みが、自分たちの子どもや孫、少女、少年たちとともに失敗したことを、政権の指導者たちは知っているのだ。これは重要な政治的、社会的、そしてイデオロギー的に象徴的な勝利であり、誰も過小評価してはならない。

イラン人ディアスポラの良い点、悪い点、そして醜い点

「私はみんなの声になる。」という呼びかけは、世界各地のイラン人ディアスポラ(元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティー)の間にかつてない反響を呼び起こした。心に傷を負い、互いに不信感を抱き、政治的関与を嫌うという特徴を持つコミュニティーが、突然活気づき、声を上げ、ロサンゼルスの路上から欧州議会の廊下まで、政治的な力を発揮したのである。当然のことながら、亡命した一部の政治勢力は、この出来事を自分たちの政治的利益のために利用しようとした。また、政権に対抗するために連合を組もうとする勢力もあった。

感情的で認知的な不協和音があった。一般市民レベルでは、政権に対する鬱積した怒りが、異なる未来への希望と結びついて、ディアスポラがデモや政治活動に参加する原動力となった。しかし、希望と怒りだけでは十分ではない。イスラム政権への反対を共有することで団結した政治家たちは、この国に対する共通のビジョンや、それを達成するためのロードマップをめぐって意見が対立し、挫折した。君主主義者からムジャヘディン・エ・ハルク(MEK)に至るまで、これらの反対勢力は、イラン国内のWLF運動が持つZ世代的で本質的にフェミニスト的性質を受け入れるのではなく、古い戦術で1979年の革命を再現しているように見えることがあまりにも多かった。

事件から1年が経過したが、政治グループは分裂したままだ。しかし、より多くのディアスポラたちは、移住先で力を得て政界への影響力も増している。彼らの現在の課題は、国内のWLF運動を支援し、不用意に害を与えないような、慎重かつ責任ある選択をすることである。

世界は傍観者としての声援を送るが、主導権は私利私欲にある

Credit: Shervin Hajipour

世界はまた、「私はみんなの声になる。」という呼びかけに反応した。西側メディアは40年間にわたって、過激派、老いた怒れる聖職者、黒服の女性、核兵器といったステレオタイプに当てはめたイメージでイランを悪者扱いしてきた。インスタグラムにアップされた、スカーフを振り、歌い、踊る、笑顔で反抗的なイランの十代の若者たちの姿は、世界中の同世代の若者たちに酷似していた。彼女らが逮捕され、暗殺されたというニュースは、より大きな怒りを呼び起こした。大学生、アーティスト、ロックスター、映画スターたちは、髪を切り、声を上げることで連帯を示した。急成長する革命の応援歌である「バライエ(…のために)」が醸し出す感情的なパワーは、現代では稀なレベルの幅広い共感を生んだ。

しかし、国際社会からの注目は厳しい政治的現実を伴っていた。米国、カナダ、欧州のの政治家たちの「心からの支持」は、実態はほとんどが単なる美辞麗句にすぎなかった。西側諸国の優先事項は、イランの核開発を封じ込めることであり、この問題で介入する意思はなかったのである。その理由は理解できる: 一方では、核武装したイランの体制は永遠に存続し続ける。他方、イスラエルは一貫して、イランが核武装を果たすのを待つつもりはないと警告してきた。先制攻撃を行うだろう。つまり地政学的には、壊滅的な戦争の脅威と、それに伴う得体の知れない混乱と人間の苦しみが、イランの若者の運命と表裏一体なのである。

地域的にも、意見の相違はあるにせよ、アラブ諸国は、諺にある通り、「革命が引き起こしかねない権力の空白という不確実性よりも、自分たちが知っている悪魔を好む。」

サウジアラビア政権とその代理人たちは、今回の出来事において重要な役割を演じてきた。2015年にJCPOAに調印(=イラン核合意)し、2016年にサウジアラビアとイランの関係が断絶して以来、彼らは民族グループの武装蜂起を支援し、欧州と北米全域でムジャヘディン・エ・ハルク(MEK)への政治的アクセスを可能にしてきた。サウジアラビアの民間資金は、衛星テレビチャンネル「イラン・インターナショナル」を強化し、パーレヴィ国王へのノスタルジーと反JCPOAメッセージをイランの家庭に放送することを可能にした。イラン・インターナショナルは、WLFの抗議活動を伝える主要チャンネルでもあった。

しかしサウジアラビアは、イランの政権の崩壊や混乱にも、独立した強力なイランの民主主義、特に女性主導のフェミニズムにも関心がなかった。彼らの理想のシナリオは、サウジアラビアの支援を必要とする弱体化したイラン政権だった。これがまさに彼らが手に入れたものだ。

一方、イラン政権は、民主主義勢力の衰退と権威主義の台頭から利益を得ている。西側諸国から距離を置き、ロシアやBRICS諸国への忠誠を深めているのは、経済的な結びつきを強めて国内的な体制を強化することに賭けているのだ。この地域やBRICs諸国が女性の権利について懸念を表明する可能性は低い。

つまり、国際社会はイランの若者たちに同情はしても、彼らの側に立つことはないだろう。では、WLFはどうなるのか?

その答えはペルシャの詩にある。ひとつは「岩と泉」のたとえ話である。山から流れ落ちる雪解け水が岩にぶつかる。水滴は岩にどいてくれと頼む。岩は動こうとしない。やがて水はたまり、岩を侵食し、小川となり、やがて力強い「川」となる。イランの女性たち–祖母、母、そしていまや娘たち(そして息子たち)–は、何十年もの間、毎日、毎年、政権の女性差別と戦い、ヒジャブを少しずつ戻し、大学に通学者を増やし、法の下の平等を求めて戦ってきた。「私たちはイランにとどまり、イランを取り戻す」と彼女たちは叫び、亡命に追い込まれることを拒否している。

Credit: Page from a manuscript of Mantiq al-Tayr (Conference of the Birds)By Habiballah of Sava ca. 1610, Public Domain
Credit: Page from a manuscript of Mantiq al-Tayr (Conference of the Birds)By Habiballah of Sava ca. 1610, Public Domain

彼女たちには理想があるが、イデオロギーに流されることはない。内部から削り取ることで、革命や改革ではなく、進化と変革を促しているのだ。

WLFの指導権を主張しようとする亡命者たちについては、叙事詩の第10番『鳥の会議』を見直すべきだ。物語の通り、世界は争いに明け暮れていた。フーピー鳥はすべての鳥に呼びかけ、賢明な指導者である神話上の「シームルグ」を探す旅に出る。鳥たちは山や谷の上空を、吹雪や火の嵐や砂漠の中を飛び回る。ある者はあきらめ、ある者は挫折する。最終的に30羽が氷河湖のある最後の山頂にたどり着く。「シームルグはどこ?」と彼らは叫ぶ。「湖を覗き込めばわかる」とフーピーが答える。鳥たちは湖を覗き込み、自分たちが映った30羽の鳥(シームルグ)の顔を見る。リーダーシップは自分自身の中にあったのだ。

アミニの死から1年を経たイランでは、「川」が勢いを増している。厳しい時期が続くだろうが、数百万人がシームルグとして生まれつつある。(原文へ

サナム・ナラギ・アンダーリニは、MBE 国際市民社会行動ネットワーク(ICAN)創設者/CEO、コロンビア大学国際公共問題大学院非常勤教授。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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|視点|ガザは無法のジャングルと化すのか?(ティサラネー・グナセカラ政治評論家)

【コロンボIPS=ティサラネー・グナセカラ】

2013年にスリランカを訪問したナビ・ピレイ国連人権高等弁務官(当時)は、戦死者を追悼するために花輪を捧げたいと考えていた。「私は(どこの国であれ)訪問先の国で犠牲者を追悼したいと考えています。国軍兵士かタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)に関わらず、すべての犠牲者や家族を悼みたいのです。」とピレイ高等弁務官は説明した。

High Commissioner Navy Pillay at the 26th session of the Human Rights Council.
High Commissioner Navy Pillay at the 26th session of the Human Rights Council.

しかし、マヒンダ・ラジャパクサ政権(当時)はこれを拒否し、ピレイ高等弁務官に対する嘘のキャンペーンを開始した。「情報筋によれば、ピレイは当初、LTTEのテロリスト指導者ヴェルピライ・プラバカランに献花したいという希望を伝えていた。」とデイリーニュースが報じた。

ラジャパクサ兄弟は、LTTEを壊滅させた2009年の最後の攻勢は民間人の犠牲者を伴わない人道的なものであったとしている。政権側にとって民間人の犠牲を認めることは、LTTE側の論理に巻き込まれることに等しかった。従って「悼む」ことは犯罪であり、国軍を批判することは裏切り行為であり、この内戦の根本原因に言及することはLTTEの残虐行為を正当化することになりかねないという懸念があった。この「敵か味方か」の論理では、ピレイ女史がLTTEを「殺人組織」と非難したところで、政権側にとって何の意味もなさなかった。

ピレイ高等弁務官の要請は、国連機関や人道支援組織と同様、国際人道法(IHL)に基づいていた。IHLは、非戦闘員に対する攻撃の禁止や不必要な苦しみを与えることの禁止(比例性などの原則)を含む、正当な戦争遂行(jus in bello)の概念を前提としている。この内戦を主導したラジャパクサ兄弟はIHLの真逆を実践した。

ラジャン・フール教授が記しているように、「2006年以降、スリランカ政府は87年以降には考えられなかったようなことを始めた。激しい砲撃とタミル人住民の強制移住は、軍事戦略に不可欠なものとなった……(ヒマル-2009年2月)。最終的な攻撃を開始する前に、ラジャパクサ兄弟はすべての国連機関、国際NGO、メディアに戦闘区域からの退去を命じた。

Soundus, a young girl being treated in hospital for injuries from Israeli shelling of Gaza (August 2014). Credit: Khaled Alashqar/IPS
Soundus, a young girl being treated in hospital for injuries from Israeli shelling of Gaza (August 2014). Credit: Khaled Alashqar/IPS

2014年のガザ侵攻では、『エルサレム・ポスト』紙のベンヤミン・ネタニヤフ首相支持派のコラムニストが、イスラエルの首相に対し、スリランカの「断固とした軍事力行使」の前例に学び、ハマスに「ふさわしい大打撃」を与えるよう求めた。

今日、イスラエルはガザで全面戦争を展開している。この戦争では、これまでに3000人以上の子どもたちが殺害されている(15分に1人の割合で子どもが殺害されている)。セーブ・ザ・チルドレンによると、ガザで3週間に殺害された子どもの数は、過去4年間の世界的な紛争で殺害された子どもの数(2022年2985人、21年2515人、20年2674人)を上回っている。オックスファムは、イスラエルが飢餓を戦争の武器として使用していると非難している。国連は、ガザの飢餓と絶望が社会の崩壊につながると警告している。

イスラエルが安心するために、あるいは西側諸国がもう十分だと納得するために、パレスチナの子どもたちは何人死ななければならないのだろうか。ハマスによるイスラエル市民への攻撃は野蛮な行為だった。ガザの全住民に対するイスラエルの報復戦争も、それに劣らず野蛮である。国際刑事裁判所のカリム・カーン主任検察官が述べたように、「イスラエルでユダヤ人として生まれた子どもであろうと、ガザでキリスト教徒やイスラム教徒として生まれた子どもであろうと、彼らは子どもである。私たちは人道的な感覚を持つべきであり、彼らに対して正しく接する法的、倫理的、道徳的責任を負うべきなのだ。」

しかしハマスとその支持者にとってイスラエルの子どもたちが子どもでないように、イスラエルとその西側支援者にとって、パレスチナの子どもたちは子どもではないのだ。現実を見れば、ハマスもイスラエルも戦争犯罪を犯している。そして、国際人道法の守護者を自任する西側諸国は、イスラエルによる戦争犯罪を許容しているのだ。ガーディアン紙は、「アンソニー・ブリンケン米国務長官が、イスラエルのガザ空爆に関する『アルジャジーラの報道内容を穏便にするよう』カタール政府に要請するほど落ちぶれてた。」と報じている。

「正当な戦争遂行」の放棄がもたらす影響は、世界的かつ長期的なものになるだろう。世界は、戦争中であれば何でも許された時代に逆戻りしかねない。国連や国際人道組織はまったく無意味な存在になりかねない。法制度の信頼性は、その公正な適用にかかっている。法律が選択的に適用されれば、その正当性は失われる。ある法律は味方のために、別の法律は敵のために適用されるようになれば、世の中は弱肉強食の無法地帯(ジャングル)と化してしまう。

イスラエルが国際人道法(IHL)に違反することを黙認しつつ実際にそれを手助けすることによって、米国と西側諸国は完全な無法と不正の世界への扉を開いているのだ。彼らはテロリズムを終わらせるのではなく、より陰惨な形でテロリズムを産み出そうとしている。

第二次世界大戦中、連合国はホロコーストを阻止するために何もしなかった。軍事的価値のないドレスデンは爆撃されたが、アウシュビッツへの鉄道路線は爆撃されなかった。この文明の失敗から、「二度と繰り返すな(ネバー・アゲイン)」という叫びが生まれた。しかし、連邦議会議事堂近くの反戦デモに参加したユダヤ人参加者が言ったように、「ネバー・アゲインとは、誰にとっても二度と繰り返さないという意味だ。

世界はイスラエルとハマス、ロシアとウクライナに対して、国際人道法の公平な適用を必要としている。それができなければ、人類は、ほとんどの人間の生活が孤独で、厄介で、残忍だった時代に逆戻りすることになる。

地獄の連合

Map of the conflict area around the Gaza strip. Public Domain.
Map of the conflict area around the Gaza strip. Public Domain.

「コンセプション」とは、パレスチナ人を分断し弱体化させるためにハマスを利用するという、ネタニヤフ首相の数十年来の政策につけられた名称だ。2019年3月、リクード党のクネセット(国会)議員を前に、ハマスに好意を寄せカタールに資金提供を許可する根拠について、「パレスチナ国家に反対する者は誰でも、ガザへの資金提供を承認しなければならない。なぜなら、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治政府とガザのハマスを区別し続けることは、パレスチナ国家の樹立を妨げることになるからだ。」と説明した。

ハマスとは、ハラカト・アル・ムカワマ・アル・イスラミヤ(イスラム抵抗運動)の頭文字をとったもので、イスラエルの生存権を認めず、パレスチナの全土にイスラムのカリフ制を敷きたいと考えている。このような組織は、神権的で非多元主義的な大イスラエルというイスラエル右派自身の計画にとって、最高の口実となるだろう。

ヤイール・ゴラン退役将軍が指摘したように、ネタニヤフ首相は「パレスチナ自治政府が弱体である限り、ヨルダン川西岸地区を併合することが最善であるという全体的な認識を演出できる状況を作り出した。われわれは協力できるはずの組織を弱体化させ、ハマスの力を強めたのだ。」(『ニューヨーカー』誌2023年10月28日号)。これに基づき、武器がガザ国境から持ち去られ、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植者に渡されたと伝えられている。

ネタニヤフ首相の戦争がアラブ世界をハマスの温床に変えるのと同様に彼の構想は、ハマスの10月7日の攻撃につながる間接的な要因となった。パレスチナの哲学者サリ・ヌッセイベが言うように、「ハマスが異質な存在だと考えるのは間違いだ。他の要因によって大きくなったり小さくなったりする。ハマスを動かしている連中を排除することはできても、完全に排除することはできない。パレスチナとイスラエルの紛争がある限り、ハマスという存在はひとつの考え方、思想として残るだろう。」(同誌)。

オスロ合意がうまくいっていれば、独立した民主的なパレスチナ国家が存在していれば、ハマスが疎外されていたかもしれない。オスロ合意の大失敗と、その結果生じた平和的解決策への幻滅(西岸地区におけるファタハの無能で腐敗したやり方は言うまでもない)は、皮肉にもハマスへの支持を高める要因となった。ハマスの創設者であるシャイク・アフマド・ヤシンがかつて言ったように、「抑圧が強まると、人々は神を探し始める。」

イスラエル人入植者とイスラエル軍による低強度の暴力を用いて、ヨルダン川西岸を断片的に民族浄化する計画は、欧米の無関心を背景に続いている。人権弁護士ラジャ・シェハデが書いているように、オリーブ摘みのような日常的な活動でさえ、パレスチナ人のオリーブ摘み取りを攻撃し、彼らの土地に到達するのを妨げ、時には収穫物を盗むユダヤ人入植者によって政治化されている。

Israeli West Bank barrier near Mount Zion in 2009/ By Kyle Taylor from London, 84 Countries - Israel - Jerusalem - Mount Zion - 03, CC BY 2.0
Israeli West Bank barrier near Mount Zion in 2009/ By Kyle Taylor from London, 84 Countries – Israel – Jerusalem – Mount Zion – 03, CC BY 2.0

ヨルダン川西岸のデイル・イスティヤ村では、オリーブの収穫を終えて帰宅した人たちが、車のフロントガラスのワイパーの下に「ナクバ大祭を待て、さもなくば強制立ち退きだ」と書かれた通知を見つけたと、イスラエルのコラムニスト、ハガー・シェザフが10月27日付のハアレツ紙に寄稿している。

大イスラエルの追求は、パレスチナのキリスト教徒にとっても脅威である。ユダヤ入植者の中で拡大主義を信奉するものたちは、キリスト教徒がほとんど、あるいはまったく居場所のないユダヤ人国家の建設を望んでいる。2012年、過激派の入植者たちはラトルンのトラピスト修道院を襲撃し、ドアに火をつけ、壁にイエスは猿であるなどの反キリスト教的な落書きをした。エルサレムの十字架修道院も襲撃されている。

2012年にも、イスラエルの政治家マイケル・ベン・アリがクネセトで新約聖書を破り、忌まわしい書物だと非難した後、ゴミ箱に捨てた。もう一人の議員は聖書を燃やすことを望んだ。どちらも公式には承認されなかった。

聖地カストディアンのピエルバティスタ・ピザバラ神父が指摘したように、「イスラエル政府は、一部の超正統派ユダヤ人学校において、公衆の面前で出会った聖職者を罵倒することが教義上の義務であるとしている問題に対処していない。」

スリランカでも、政治僧、過激派政治家、退役軍人らが、民族的・宗教的緊張を煽るキャンペーンを激化させている。クルンディ寺院を巡る対立が政府によって無力化された今、これらの雑多な仏教徒右派勢力は、(イスラム教徒やヒンズー教徒が多い)バティカロアに焦点を移している。彼らは仏像さえも悪用し、紛争の武器や領土所有の目印として使っている。ドラマの端役で出演していたオマルペ・ソビタ・セローは、「バティカロアのような場所に仏像を置くことができないのなら、別の国が誕生したのだろうか。」と述べている。

ディウルパタナ・テレドラマの主役で悪名高いアンピティエ・スマナラタナ・テロは、明確な警告を発した。「国は憤り目覚めつつある……彼らはラニル・ウィクラマシンハ大統領やシャナキャム・ラサマンニカム議員、センティル・トンダマン知事に応える準備ができている。誰が大統領を選出したのか、タミル人がこのスリランカで伝統的な財産を持っているなど知ったことではない…これらの財産は2500年以上の歴史がありシンハラ人の伝統的な財産なのだ…。」

マヒンダ・ラジャパクサが大統領になり、タミル戦争が終結したとき、こうした過激勢力は権利を取り戻した……彼らはマイトリパラ・シリセナが大統領になったときに権利を失い、ゴタバヤ・ラジャパクサが大統領になったときに再び権利を取り戻し、ゴタバヤが追放されたときに再び権利を失った。ラサマンニカムのような政治家がこう叫ぶのは、ラニル・ウィクレマシンゲが政権を握ってからだ……」。政府が目をそらし、野党がこの問題を避けている間、こうした右派の僧侶や信徒たちは平然と過激な行動をしている。こうしたなか、穏健な人々は、過激な両勢力の板挟みになっている。

理性的な抵抗

 “Hands up! Don’t shoot!” signs displayed at Ferguson protests Photo: Jamelle Bouie, CC BY 2.0 Wikimedia Commons.

2014年、米国のファーガソンで警官が丸腰の10代の若者マイケル・ブラウンを射殺したとき、大規模な抗議デモが発生した。まるで戦場のように武装した警官に直面し、当時一部のデモ参加者は自分たちとガザの人々を比較した。多くのパレスチナ人は、実践的なアドバイスをツイートすることでこれに応えた(例えば、ヨルダン川西岸のマリアム・バルグーティは、「催涙ガスを浴びているときは、常に風に向かって走るように/冷静さを保つように、痛みは過ぎ去る、目をこすらないで」とツイートした)。アメリカのソーシャルメディアユーザーがファーガソンとガザを比較することに異議を唱えると、別のユーザーが「誰もファーガソンとガザを比較しようとはしていないと思う; 重要なのは連帯と正義だ。」とツイートした。

肝要なのは、ガザをはじめとするあらゆるパレスチナ人、人質、愛する人を失ったイスラエル人、イスラエルの爆撃で妻、娘、息子を殺されたパレスチナ人ジャーナリスト、ワエル・アル・ダフドゥー、ハマスに殺害されたドイツ系イスラエル人のタトゥー・アーティスト、シャニ・ルークの母親…立場に関わらずすべての犠牲者との連帯と正義だ。パレスチナ人との連帯が道徳的、政治的な力に成長するためには、ハマスに代表される暴力的で神権的なパラダイムから脱却する必要がある。その拠り所はイスラムでもアラブでもなく、グローバルなものであるべきだ。

問題なのは、暴力的抵抗をする権利ではなく、その有効性である。アラブやイスラムの指導者たちは、イスラエルを非難することはあっても、同国との国交を停止することはおろか、たとえガザ全土が廃墟と化しパレスチナ人が瓦礫の下で殲滅されたとしても、イスラエルに対して戦争を仕掛けることさえしないだろう。現状を脱する唯一の道は、ベトナムから南アフリカまで、かつての民族解放運動が実践してきたように、(非暴力的な手段で)国際社会において道徳的優位を獲得することだ。

イスラエルへの抵抗が、ハマスとその同じく忌むべき暴力によって支配されているのであれば、イスラエルの政策と行動に嫌悪感を示すことはできない。大イスラエル化計画を支持することなくイスラエルの生存権を支持することが可能であるように、野蛮の深みにはまることなくイスラエルの占領と拡張に抵抗することは可能である。その根本的に穏健な道を見つけるために、パレスチナがなすべきことは、自らの歴史を振り返ることだ。

ヨルダンと聖地のルーテル教会の名誉司教であるパレスチナ人の聖職者ムニブ・ユナンは先月、「私たちはずっとユダヤ人とともに生きてきた。ユダヤ人は欧州で迫害されたが、パレスチナでは迫害されなかった。反ユダヤ主義は欧州で作り上げられたものだ。」と指摘した。反ユダヤ主義を容認することは、イスラエルによる殺人的な攻撃を前にしても、道徳的に間違っており、戦略的にも逆効果である。スリランカにおけるタミル人の闘争が過激主義に屈していなかったら、LTTEがシンハラ人やイスラム教徒の市民やタミル人批評家を標的にしなかったら、完全な敗北を喫することはなかっただろう。

10月7日のテロが起きている間、ハマスはヨルダン川西岸のパレスチナ人に対し、イスラエルの入植者たちに対して暴力的に立ち上がるよう呼びかけた。ヨルダン川西岸のパレスチナ人は、その致命的な呼びかけに耳を傾けることを拒否した。イスラエル国外、そしてイスラエル国内においても、一部のユダヤ人はガザでの停戦を求める世界的な声の高まりに賛同している。

先週、「平和のためのユダヤの声」NYのメンバーである数百人のユダヤ人を中心としたデモ隊が、グランド・セントラル駅のメインホールを占拠し、ガザ空爆に抗議し、「パレスチナ人は自由になる」と叫んだ。若いデモ参加者の一人が語ったこの言葉は、迫りくる暴力的な無法のジャングルから抜け出す道を垣間見せてくれる: 死者を悼め。そして生者のために必死に戦え。原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

ティサラネー・グナセカラはコロンボを拠点とするスリランカの政治評論家。

*INPS Japanでは、ガザ紛争のように複雑な背景を持つ現在進行中の戦争を分析するにあたって、当事国を含む様々な国の記者や国際機関の専門家らによる視点を紹介しています。

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│パレスチナ│映画│ある街の「非武装の勇気」

国連事務総長のネパール訪問

【カトマンズINPS Japan/The Nepali Times=ソニア・アワレ】

国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)を前に、イスラエルーガザ紛争のさなかにネパールを訪れたアントニオ・グテーレス国連事務総長は、気候変動と紛争という二つの危険性を強調した。 国連事務総長が、中東での戦争のさなかに4日間を費やしてネパールを訪れたのは、気候変動というもう一つの危機に注意を向けさせる意図があったのかもしれない。

UN Secretary-General António Guterres. Photo: ANTÓNIO GUTERRES/X

グテーレス事務総長が訪問先にネパールを選んだ理由は、10年にわたる紛争を経験した後発開発途上国であり、地球温暖化の影響を最も受けやすい国の一つだからだ。エベレストが肩越しに見えるシャンボチェから録画したビデオメッセージの中で事務総長は、 「気候危機がヒマラヤ山脈に与える恐ろしい影響を目の当たりにすることができます……気候変動対策は待ったなしです。私はネパールを世界に示すために、そして気候変動がいかに劇的であるかを示すためにここにいます。」と語った。

グテーレス事務総長は、気候変動にあまり寄与していないにもかかわらず、最も脆弱な国の一つとなっている「気候の不公正」を強調した。ヒマラヤから事務総長は、ドバイで開催されるCOP28気候サミットに先立って南極大陸に向かい、極地における氷冠の融解に注意を喚起する予定だ。

グテーレスの訪問は、大気中に蓄積された人為的な温室効果ガスと、抜本的な排出削減の緊急の必要性に対する認識を広めるのに役立った。彼は、開発途上国におけるエネルギー転換への緊急支援、適応のための資金、極端な天候による破壊からの回復の問題を提起することを誓った。

ネパールの私たちは、氷河が目の前で溶けていることを既に知っている。問題は、最も危険に晒されている地域社会が、地滑りや氷河湖の氾濫といった災害にどのように適応していくかということだ。誰が干ばつや洪水に対処する手助けをするのか。何百万人もの人々は、熱ストレスや生存不可能な湿球温度をどのように乗り切るのだろうか。

グテーレス事務総長がエベレスト地域だけでなくアンナプルナも訪問したことは、彼がネパール訪問で気候問題に重点を置いたことを示している。アンナプルナ保全地域は、エコツーリズムを通じて環境保護を支援するために、ネパールの社会科学者によってネパールで開発されたユニークなモデルである。

悪いニュースばかりが聞かれる昨今、経済発展が遅れているにもかかわらず自然保護に取り組んでいるネパールの功績は、世界各国のモデルとなっている。同国は森林被覆率45%という目標を達成し、電気公共交通の普及はもっと早く進められるはずだが、過去2年間で進展があった。来年までには、ネパールは乾季でも余剰の水力発電を持つようになり、LPGやその他の石油の輸入をより迅速に代替できるようになるだろう。

Imja Glacier near Mt Everest has turned into a big lake in the past 20 years. Photo: Kiril Rusev via Nepali Times. Used with permission.
Imja Glacier near Mt Everest has turned into a big lake in the past 20 years. Photo: Kiril Rusev via Nepali Times. Used with permission.

ネパールは、外部からの大きな援助なしにこれだけのことを成し遂げてきた。実際、私たちは気候正義と適応資金の必要性を強調しているが、ネパールはその支援を待ってはいない。しかし、グリーン資金がもっと供給されるようになれば、脱炭素化はもっと早く進むだろう。


ネパールをはじめとするほとんどの南アジア諸国は、気候の影響(バングラデシュとモルディブは海面上昇から、スリランカは異常気象から、インドとパキスタンは洪水と干ばつから、ネパールとブータンは山地の融解から)によって高いリスクに晒されている。

グテーレス事務総長は、ネパール国会の合同会議で演説し、気候変動対策を改めて強調した後、ドーハに飛び、イスラエルとハマスの戦争への対処を再開する。

ネパールの紛争の生存者や犠牲者の家族にとっては、内戦の傷跡は終結に至っていないが、ネパールの和平プロセスは多くの点で模範的である。


かつて敵対していた2つの勢力は、国家というだけでなく、連立のパートナーでもある。反乱軍は動員解除され、民兵の一部は国軍に編入された。そのうちの何人かは現在、世界各地の国連平和維持軍に参加している。


グテーレス事務総長は、ブッダの生誕地であるルンビニ訪問後のスピーチで、このことを言及し、 「ネパールは、自国を平和にすることができるだけでなく、世界中の紛争地域の平和にも貢献している国の一例です。」と語った。(原文へ

INPS Japan/The Nepali Times

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加盟国拡大のための追加BRICS

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ 

BRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の外相が6月初めに南アフリカで会合を開き、新規の加盟国とBRICS通貨の創設という二つの主要議題について話し合った。西側列強に対抗するBRICSの野心を再確認した。

BRICSは2009年に設立されたが、その主な目的は現在の世界秩序を変えることである。BRICSは設立から10年を超え、これまで以上に魅力的な存在となり、さらに19カ国が加盟を希望している。独自の通貨を持つ拡大BRICS(BRICS+またはBRICS 2.0)は、根本的な地政学的変化をもたらす可能性がある。なぜ今日、国際法に違反したウクライナへの侵略者であるロシアが主要加盟国であるにもかかわらず、この同盟がこれほど魅力的なのか?(

世界人口の40%以上がBRICS加盟5カ国に居住している。しかし、BRICSへの関心の高まりを決定的にしているのは、その急速な経済成長である。「自由主義世界」のG7諸国(カナダ、フランス、ドイツ、英国、イタリア、日本、米国)が世界の国内総生産(GDP)に占める割合は、1980年代初頭の約50%から現在は30%にまで低下しているのに対し、BRICS諸国はその逆に発展を遂げ、同期間のGDPに占める割合は10%強から2022年には31.5%まで上昇した。BRICS諸国は購買力ではG7を追い抜いている。その主な理由は、中国と、ここしばらくの間のインドの急速な経済成長である。BRICSは世界の経済成長にとって欠くことのできないエンジンとなっている。

しかし、BRICSは行政府と立法府を持つ組織化された国家連合体ではない。BRICSには中央事務局すらない。また、このグループは均質な集団でもない。BRICSの特徴は、異質性が大きいことである。民主的に選ばれた政府と独裁主義的な政府が協力する。経済的な比重は極めて不均衡である。BRICSのGDPの70%以上を中国が占めている。ロシアの一人当たりの所得はインドの5倍である。2カ国(中国とロシア)は、残りの3カ国が国連安全保障理事会の常任理事国になる野望を阻止している。インドと中国というBRICS内の2大国間の対立が解決されておらず、ヒマラヤ山脈での軍事的な国境紛争を繰り返している。BRICSは依然として、共通の利益、特に貿易と開発を重視する緩やかな連合体であり続けている。

BRICS加盟国は、程度の差こそあれ、西側のリベラルな政府がしばしば推し進める民主主義と人権というリベラルな物語を批判している。BRICS加盟国であるブラジル、インド、南アフリカをはじめ、グローバルサウスの多くの国々が、国連、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関(WTO)などの国際機関における発言権の拡大を求めている。2014年には、BRICS諸国は世界銀行とIMFに対抗するため、独自の開発銀行を設立した。

BRICSは、既存の世界秩序を変革し、ドルによる世界経済の支配を打破しようとする反覇権プロジェクトである。しかし同時に、BRICSは古典的なパワーポリティクス、経済力、軍事力、外交力を備えた地政学的プロジェクトでもある。

2023年8月に南アフリカで開催される次回のBRICS首脳会議では、加盟国拡大の可能性が重要な役割を果たすだろう。特に、アルジェリア、エジプト、サウジアラビア、イラン、インドネシア、タイ、セネガル、アルゼンチン、ベネズエラなど、世界的または地域的な大国が加盟を申請した。これにより、BRICSはBRICS2.0へと変化し、これまで以上に重要なグローバルプレーヤーとなり、国際規範のペースメーカーとなるだろう。

特にBRICS域内貿易を通じて、BRICSは世界の基軸通貨としての米ドルからの脱却を目指している。独自の通貨を作り、世界貿易における米国の影響力を弱めようとしている。国際貿易の「脱ドル化」がキーワードである。これまでのところ、BRICS共通通貨の決定には確固たる基盤がない。この道筋に沿ったステップとしては、2国間協定が考えられる。2023年3月、ブラジルと中国は、人民元とブラジル・レアルでそれぞれの国の通貨を取り引きすることに合意した。この相互的な手続きは、中国とロシアも適用している。

また意外なことに、ロシアのウクライナ戦争はBRICSの強化につながった。米国とEUはロシアの侵略に対して団結することができた。グローバルサウスの多くの国々も、ロシアの戦争を非難する2022年3月の国連決議を採択した。BRICS5カ国のうち、賛成したのはブラジルのみで、ロシアはもちろん反対票を投じ、中国、インド、南アフリカは棄権した。

西側同盟の目的は、ロシアを国際的なのけ者にし、包括的な制裁を通じて経済的に打撃を与えることだった。こうした制裁の意図せざる結果として、国際貿易に深刻な歪みが生じている。こうした混乱は、G7が緊密な貿易関係を通じて依存関係が生じていると認識したことによって、さらに悪化した。サプライチェーンの多様化という対抗策は、主に中国との貿易に関するものであり、中国経済もまた自国の厳しいコロナ政策に苦しめられていた。

BRICS諸国や他の新興国は、西側諸国によるロシアへの全面的な制裁がグローバルサウスにも影響を及ぼすことを懸念している。インド政府が最も明確に表明したのは、制裁体制への参加を期待する西側諸国への批判だった。当然のことながら、グローバルサウスのほとんどの政府は、ロシアに対するボイコットを支持するよりも、自国の経済的利益の方が重要だと考えている。ウクライナでの戦争は、西側諸国、特に自由世界のリーダーを自任する米国と、グローバルサウスとの間の緊張を悪化させた。グローバルサウスは、ヨーロッパにおけるこの戦争に味方するよう圧力を感じているが、グローバルサウスにおける多くの紛争における自由世界の役割は、しばしばかなり疑わしいものであった。

ウラジーミル・プーチン大統領が唱える、米国が主導権を握る一極世界という呪文は、グローバルサウスでも広く共有されている。グローバルサウスにとって、「世界の警察官」の時代は終わったのだ。また、植民地時代への恨みもある。グローバルサウスの多くの国々が植民地化され、現在もその被害に苦しんでいる。グローバルサウスは今日でも、しばしば庇護されるような扱いを受けていると感じている。このことは、最近キンシャサで行われた記者会見で明らかになった。コンゴ民主共和国のフェリックス・チセケディ大統領がカメラの前で、来賓であるフランスのエマニュエル・マクロン大統領に、協力のあり方を変えなければならないと指摘した。「フランスとヨーロッパが私たちをどう扱うか。私たちを尊敬し、アフリカ人を違った目で見るようにならなければならない。私たちに、ある特定の態度で接したり、話したりするのはやめて欲しい。まるで、あなたたちが常に正しくて、私たちは正しくないかのように」

開発プロジェクトやインフラ改善、エネルギー分野での協力を申し出るなど、特にアフリカにおけるEUの現在の魅力的な攻勢が成功するかどうかはまだ分からない。この現在の取り組みが真剣で持続可能なものなのかどうか、また、現在の困難な世界政治状況において欧州の利益を優先させる以上の意味があるのかどうかについての懸念は、あまりにも明白である。グローバルサウスの多くの国々は、G7に対抗する勢力を作るというBRICSの理念に共感している。今後予想されるBRICSの拡大により、このグループ化の重みはさらに増すであろう。しかし、BRICS2.0では異質性も劇的に高まることになろう。加盟候補国の政治的乖離と経済的不均衡を見れば分かる。

BRICS2.0の創設は、二つの異なる結果をもたらす可能性がある。一つは、世界的な協力関係の強化、もう一つは、世界情勢における米国の影響力とパワーの低下である。例えば2022年3月、BRICSは将来のパンデミックに協力して対処できるよう、ワクチン研究で協力するイニシアティブを採択した。一方で、米中間の競争と対立は、G7とBRICSという二つのブロックに影響を与え、冷戦のような対立に発展する可能性もある。

ハルバート・ウルフは、国際関係学教授でボン国際軍民転換センター(BICC)元所長。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学の開発平和研究所(INEF:Institut für Entwicklung und Frieden)非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所(NCPACS)研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会およびドイツ・マールブルク大学の紛争研究センターでも勤務している。

INPS Japan

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カリブ海地域の指導者らがグローバル金融構造の改革を訴える

【ポートオブスペイン(トリニダード)IDN=リンダ・ハッチンソン=ジャファー】

カリブ共同体(CARICOM)の指導者たちは、国際社会に対し、不公平に対処し、持続可能な開発目標(SDGs)を達成するために開発途上国に力を与える環境を整えるため、グローバル金融システムの包括的改革に速やかに着手するよう求めた。

ニューヨークの国連本部で9月18・19両日開催された「SDGサミット」で、バルバドスのミア・モットリー首相は、国際的な金融制度改革に関する重要な発言をした。彼女は、単にガバナンスが問題なのではなく、長期的かつ容易に利用可能な金融を促進するために実質的な変化が必要であると強調した。

モットリーは、短期融資を中心とする現在の状況を嘆き、教育や保健といった基本部門に関して長期金融を諸国が必要としていることを強調した。彼女は、金融改革は不平等に対処しSDGsを達成するためには不可欠であると語った。

「金融システムの国際改革への呼びかけは、単なるガバナンスの問題ではなく、長期的な資金、より低い利率、不平等を減らしSDGsの要素を達成するための金融でなければならないということだ。」とSDGs履行に関するパネル討論でモットリーは語った。

統一的な取り組み

グローバル金融制度の改革を求める有力な声として現れてきたモットリー首相は、世界銀行や国際通貨基金、国連が信用評価機関を巻き込むための統一的な取り組みを行うよう求めた。これは、短期融資を重視する傾向を変える重要な一歩になる。

セントビンセント及びグレナディーン諸島のケイサル・ピーターズ外相は、国際金融制度やそれを導く規制基準の改革を求める声を支持して、金融の流れを重要な目標と一致させる火急の必要性について強調した。

「我々は支配的な国際金融枠組みを改革するためにさらなる推進力を得なくてはならない。中核的な問題としては、気候や持続可能な開発目標とこれらを一致させること、途上国のニーズと優先事項に一致させることが大事だ。」とピーターズ外相は会議2日目に語った。

ドミニカのチャールズ・アンジェロ・サヴァラン大統領はまた、国際金融アーキテクチャーにおける改革の必要性を強調した。サヴァラン大統領の発言は、COVID-19の長期化、気候変動の影響、ウクライナにおける世界的な紛争など、カリブ海諸国が直面する存亡の危機が進行していることを背景に行われた。

サヴァラン大統領は、「これらの複合的な問題に効果的に対処するために多国間レベルのリーダーシップの強化がとりわけ重要だ。」と強調したうえで、「SDGs履行を加速する諸政府や利害関係者の実質的なコミットメントを果たす時が来た。」と語った。

サヴァラン大統領はまた、途上国への支援を強化するために決意に満ちた行動が必要だと強調した。この目標を追求するために、低い利率の長期金融を提供し、債務帳消しを進め、公的債務問題を解決するための強力かつ効率的なシステムを創設することを求めた。

「したがって、カリブ共同体は、国際金融枠組を改革し、途上国がグローバル経済に積極的に参加しそこから利益を得られるようにする環境を生み出すため、国際社会が緊急の行動に移るよう求めている。」

ガイアナのモハメド・イファーン・アリ大統領は、現在の金融システムは途上国の求めるものに沿っておらず、改革が必要だと述べた。

岐路

「開発への権利が実現され、尊重されない限り、あらゆる場所ですべての人が完全な人権、平和と安全を享受し、貧困と飢餓から解放される世界は実現しない。」とアリ大統領は付け加えた。

SDGs Goal No. 17
SDGs Goal No. 17

ガイアナ大統領はまた、複雑な危機の中、アジェンダ2030の追求において世界が直面している重大な岐路について指摘した。同大統領は、発展途上国が不安定な財政状況にあり、資金調達費の増加、債務残高対GDP比の上昇、持続不可能な国家財政記録といった絡み合った課題に対処していると指摘した。

アリ博士はこの点に関連して、ラテンアメリカ・カリブ地域で重要なSDGsを達成するのに必要な大規模な資金の問題に焦点を当てた米州開発銀行の最近の報告書に言及した。

清潔な水と衛生設備へのアクセス、持続可能なエネルギー源、持続可能な工業化と技術革新を支えるインフラの建設、持続可能な都市中心部などが、これらの基本目標に含まれる。報告書は、LAC地域だけでこれらの目標を実現するためには、2兆2,000億ドルという途方もない資金が必要になると見積もっている。

金融面の不安に加えて、ラテンアメリカ・カリブ地域における債務・GDP比率も2022年には117%と相当悪化している。インフレ率は9.2%で、経済状況をさらに悪化させている。

豊富な石油資源に支えられたガイアナ経済の拡大によって、同国はSDGs実行に力を入れることができるようになった。この3年で一人当たり投資が保健部門で62%、教育で64%、治安で153%増大した。

アリ博士は、「各国ごとの取り組みだけではSDGs達成は不可能だ。とりわけ貧困で脆弱な状況にある国はそうだ。」と指摘したうえで、「大きな問題の一つは、グローバル・パートナーシップに関する目標17の進展がないことであり、国際社会がその約束を果たせずにいることである。」と語った。

「もう50年も前になされた国民総生産の0.7%をODAに割り当てるという目標にせよ、パリ協定の下で途上国に毎年1000億ドルを供与するという目標にせよ、国際金融面でなされた約束が果たされていない。」

「ガイアナは、各国ごとの取り組みの裏付けとなる[国際的な]公約が果たされ、すべての国に進展をもたらす国際環境が作られて初めて、SDGs達成の大きな進展がもたらされると考えている。」とガイアナ大統領は主張した。

アジェンダ2030は依然として世界の青写真

トリニダード・トバゴのペネロペ・ベックルス=ロビンソン計画開発相は、気候変動や復号的な危機、世界の不安定化に直面して、2030年までの持続可能な開発目標達成への見通しを途上国が持てなくなっていると語った。

2030アジェンダは、誰一人取り残さないための世界的な青写真であり、このような状況において、SDGsの重要性はさらに高まっている。

ベックルス=ロビンソンは、トリニダード・トバゴのような開発途上の小島嶼国にとっては、教育や保健、エネルギー、インフラにおける技術主導の解決策には進展があったとしても、「複合的なリスクや外的な衝撃による迷路に迷い込んだような状態が続いている。」と語った。

セントルシアのフィリップ・ピエール首相は、危機が続く中、誰一人取り残されることなく、レジリエンスを構築することの緊急性を強調した。彼は、脆弱な世帯を保護し、彼らの将来に投資し、国家の持続可能な開発を促進することの重要性を強調した。

Map of the Caribbean Sea and its islands./ By Kmusser – Own work, all data from Vector Map., CC BY-SA 3.0

「指導者として、私たちの任務の本質は、レジリエンスを構築し、誰一人取り残さないことであることを、私たちはよく知っている。私たちは今日、脆弱性を露呈させ悪化させる、持続的でエスカレートする危機を背景に集まっている。」

ピエール首相は、気候変動や生物多様性の喪失、地政学的な緊張、紛争、コロナ禍などの問題に直面して、人々の福祉を優先し、強靭さをもたらすことを重視しつづけると強調した。

セントクリストファーネイビスのジョエル・クラーク持続可能開発相は、SDGに対する国際的な支援のきわめて重要な役割に焦点を当てた。革新的な金融枠組みや予測可能な気候金融、債務帳消し、有利な条件での金融への支持を呼びかけ、小規模国家や最も脆弱な人々の声を届けることの重要性を強調した。(原文へ

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【ニューヨークIPS=アンワルル・チョウドリ】

国連アジア多様性とインクルージョンのためのネットワーク(UN-ANDI)より、国連デーの特別な機会に基調講演のお招きをいただいたことに感謝いたします。

私は、UN-ANDIとその献身的なチームの活動、とりわけここ数年の新型コロナウィルス感染症のパンデミックの制約にもかかわらず、最近出版された「人種主義と人種差別に関する調査報告書」を心から称賛いたします。思い返せば、2019年にUN-ANDIの構想に関われたことを誇りに思っております。

国連システムにおけるアジア・太平洋地域の多様な人材が一堂に会する史上初の取り組みとして、UN-ANDIは私たちのあらゆる支援と励ましを必要としています。

自国の代表として、また国連の代表として、数十年にわたり国連に携わってきた私は、国連の活動の中で、前向きなもの、そうでないもの、精神を高揚させるもの、挫折させるもの、集中し決意するもの、混乱し政治化するものなど、様々な側面を見てきました。

しかし、創設から78年を経た国連の活動で私が最も強く感じたのは、地球上の何百万という人々の生活に前向きな変化をもたらすという国連の貢献です。

A view of the meeting as Security Council members vote the draft resolution on Nuclear-Test-Ban Treaty on 23 September 2016. UN Photo/Manuel Elias.
A view of the meeting as Security Council members vote the draft resolution on Nuclear-Test-Ban Treaty on 23 September 2016. UN Photo/Manuel Elias.

長年にわたり、国連は紛争や人道危機、貧困や困窮といった試練に幾度となく晒されされてきましたが、常に断固とした姿勢で、そして包括的な方法で、その試練に立ち向かってきました。国連は 「全人類家族のかけがえのない共同住宅」と呼ばれてきました。尊敬する世界的な平和指導者であり哲学者でもある池田大作氏は、これを 「世界の議会 」と表現しています。

注目されなくとも、国連とその諸機関や諸団体が、世界中の人々の生活のあらゆる側面を改善するために、途方もない困難を乗り越えて努力を続けていることを想起する価値はあると思います。また、国連がなす規範設定の役割は、非常に幅広い分野に及んでいることも忘れてはなりません。

私自身、1972年に母国バングラデシュが国連加盟を申請し、以来51年にわたり国連と協力してきた中で、バングラデシュの開発アーキテクチャーのあらゆる主要な側面が国連の関与を反映していることを、誇りをもって断言することができます。

10月26日の国連デーを記念して、私は多くの「国連デー」を祝うメールを受け取りました。しかし、私はそれを共に祝う気分にはなれず、現在の現実を踏まえて「国連が無力であることが明白な紛争多発の世界では、あまり嬉しくない国連デーです。」と返信しました。その無力さに今も愕然としています。

「しかし、10年前なら、イスラエル大使が『教訓を与える時が来た』として国連事務総長のビザ発給を拒否するなどという侮蔑行為を想像することさえ難しかっただろう。」と、先のガーディアン紙の社説は記しています。これは国連の地位低下を雄弁に物語っています。

Missile strikes continue through the night in Gaza. Credit: UNICEF/Eyad El Baba
Missile strikes continue through the night in Gaza. Credit: UNICEF/Eyad El Baba

英国の進歩的な新聞『ガーディアン』紙は10月26日付の社説で、「国連は火曜日に78回目の誕生日を迎えたが、祝うべきことはほとんどなかった。さらに、「同日、イスラエルは同国とハマスの戦争に関する発言をめぐり、アントニオ・グテーレス事務総長に辞任を求め、彼を『血の名誉毀損』で非難しました。

世界の良識ある人々は、私たちが今置かれている現実を認識し理解することなく、殻に閉じこもっている時ではありません。イスラエルの国連常駐代表が、安保理の公開会合で事務総長に矛先を向けたことは、外交的な礼儀を無視した、最も不躾なやり方です。

保守的な『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙は、前日の10月25日付の社説でさらに踏み込んで、「こうして国連は、世界的な無秩序が進行する中で、自らを位置づけてしまっている。」と述べています。

私たちは、この大切な世界機構の運営上の信頼性を再検討する必要があります。1945年に国連憲章に明記される必要があったことは、現在の現実に照らして判断されるべきだと思います。複雑化する世界と政府間の政治的麻痺という課題に対応するために、国連憲章を改正する必要があるのであれば、そうすべきだと思います。その方向に焦点を当てるべき時が来ているのではないでしょうか。現在の国連憲章の言葉を盲目的に神聖視することは、自滅的で無責任なことかもしれません。国連は、今、家を整えなければ、瓦礫の下に埋もれてしまうかもしれないのです。

私はよく、講演後の質疑応答で、国連のパフォーマンスを向上させるために何か一つ勧めるとしたら何か、とよく聞かれます。私の答えは明確で、いつも「拒否権を廃止するべき!」と答えることにしています。拒否権は非民主的で非合理的であり、国連の主権平等の原則という精神に反するものだからです。

私は2022年3月にIPSに寄稿したオピニオン記事の中で、「拒否権は安全保障理事会の決定だけでなく、国連事務総長の人選を含む国連のあらゆる業務に影響を及ぼす。」と指摘しました。

またその中で、「拒否権の廃止は、国連改革のプロセスにおいて、常任理事国を増やす安保理理事国拡大よりも優先的に注目されるべきだと思う。」と主張しました。拒否権を伴う常任理事国化は非民主的だからです。また、拒否権は 「国連の礎石」ではなく、現実には「墓石」であると指摘しました。

拒否権を廃止すれば、事務総長の選出も、拒否権を行使する常任理事国による操作から解放されます。

私はまた、事務総長の業績を評価することなく、自動的に2期目5年の任期を更新する現在の慣行とは対照的に、将来的には事務総長の任期を1期7年のみとすることを提案したいと考えています。

世界最高峰の外交官(=国連事務総長)に9 人の男性を選び続けてきた国連には、次期事務総長に女性を選出する正気と聡明さが求められると、私は強く思っています。

Ambassador Anwarul Chowdhury
Ambassador Anwarul Chowdhury

また、市民社会の正式な関与と真の協議が義務化されれば、国連の信頼性が高まるというのが私の持論です。国連指導部と加盟国は、現在開催中の総会での決定に向けて、必ずやその実現に向けて真摯に取り組むべきだと思います。

国連の予算プロセスやあらゆるレベルの人事採用には、透明性と説明責任が不可欠です。さらに精査が必要な分野は、加盟国から受け取る予算外資金と、国連による予算配分を含むコンサルタント業務です。国連の信頼性を回復し、人類全体のために有効性と効率性を高めるためには、これらの分野に特別な注意を払う必要があります。

国際社会は分かれ道にさしかかっています。一つは、効果的な多国間体制は私たちの手の届かないところにあり、それを改善するために設立された国連が危険で無秩序な世界秩序に逆戻りする可能性がある、と諦める道です。一方もう一つの道は、険しい道ではあるが、はるかに希望に満ちた道です。つまり、共有された原則、目的、コミットメントに基づく世界的連帯、人類の一体性、そして、すべての国々が真の尊敬を寄せるとともに、真に受け入れ、支持する可能性を秘めたグローバルな安全保障体制です。

最後に、私は引き続き多国間主義に対する深い信頼を堅持し、国民と地球のための最も普遍的な組織である国連に対する信念と信頼を新たにし、再確認することを申し上げて、結びとさせていただきます。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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核による集団殺戮、将来を拘束する現実

【国連IDN=タリフ・ディーン

国連が10回目の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎える中、デニス・フランシス国連総会議長は目標達成に必死の姿勢を見せた。核による集団殺戮のリスクは「過去の歴史の1ページではなく、現在進行形でつきまとっている現実だ。」と警告したのである。

フランシス議長は9月26日、「核のアルマゲドンを回避する道は一つしかありません。すなわち、核兵器の完全かつ全面的な廃絶です。」と各国代表らに語った。

国連によれば、世界には1万2500発以上の核兵器があり、その数は増えているという。

Joseph Gerson
Joseph Gerson

米国の平和活動家で「平和・軍縮・共通安全保障キャンペーン」の議長を務めるジョセフ・ガーソン氏は、「『核兵器の全面的廃絶のための国際デー』の制定は、核兵器が人類と文明に対して脅威を与え続けている存亡の危機に対する人類の認識を反映したものである。」と語った。

原爆・水爆被害者を意味する日本語の「ヒバクシャ」は、彼らの経験がいかに恐怖と苦しみに満ちたものであるかを教えてくれる。「人類と核兵器は共存できない」のだ。

「核兵器の指揮・管制の仕組みを見ればわかるように、核兵器と民主主義もまた共存はできません。」とガーソン氏は語った。

「国際平和ビューロー」の元副代表でもあるガーソン氏はまた、「今日、核兵器禁止条約と、核軍縮に対する民衆からの継続的な要求が、黙示録的な核戦争を行おうという9つの核兵器国の態勢に対する最も強力な対抗力となっているが、まだ不十分ではある。」と語った。

実際、「原子科学者紀要の『世界終末時計』が真夜中まで90秒に設定されていることからもわかるように、核戦争の危険は、国際デーが設定された2013年当時よりもはるかに高まっている。

「この原稿を書いている今も、私はロシアの国家安全保障エリートが、ジョン・F・ケネディ大統領の顧問が核戦争の可能性は3分の1から2分の1だと考えていた1962年のキューバ危機以来、国際関係において最も危険な瞬間だと述べているのを聞いたところです。私たちが今日生きているのは、偶然と力強い外交のお陰だが、後者については今日、危険なまでにその姿が見えなくなっています。」とガーソン氏は語った。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は9月26日の加盟国代表団に対する演説で「これは緊急の事態です。憂慮すべき新たな軍拡競争が発生しつつあります。核兵器の数も、この数十年で初めて増加基調に転じる可能性があります。」と語った。

Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.
Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.

グテーレス事務総長は、核兵器の使用、拡散、実験を防ぐために苦労して勝ち取った規範が損なわれていると指摘した。世界的な軍縮・不拡散の枠組みは侵食されつつある。核兵器は近代化され、より速く、より正確に、よりステルスになりつつある。核使用の脅威が再び顕在化しつつある。

「これは狂気です。事態を反転させねばならなりません。」とグテーレス事務総長は語った。

そして第一に、「核保有国が先頭を切るべきだ。」と指摘したうえで、「核兵器国に対して、核軍縮義務を守り、いかなる状況下においても核兵器を使わないことを約束するよう求めます。」と語った。

また第二に、「数十年にわたって構築されてきた核軍縮・不拡散体制を強化し、改めにその体制に従うよう求めなければなりません。」と語った。ちなみにここで言う体制とは、核不拡散条約(NPT)や核兵器禁止条約のことである。

また、包括的核実験禁止条約(CTBT)もここに含まれる。同条約は未発効だが、核兵器による集団殺戮の影をこの世界から抹消しようとする人類の意志の強い表現となっている。

「私は、核実験のすべての被害者の名において、CTBT未批准国に対して条約を速やかに批准するように呼びかけ、核兵器保有国に対して、すべての核実験の一時停止(モラトリアム)を継続するよう呼びかけます。」と語った。

そして第三に、「私たちは、緊張を緩和し、核の脅威に終止符を打つためには、対話や外交、交渉というツールを弛みなく用い続けねばなりません。この対話はすべてのカテゴリーの核兵器に及ぶものでなければならず、また、戦略兵器と通常兵器との相互作用の増大や、核兵器と人工知能のような新興技術との結びつきにも対処しなければなりません。」と語った。

「人間は核兵器使用のいかなる決定も制御し、それに責任を持たねばなりません。」とグテーレス事務総長は主張した。

ガーソン氏はこの議論をさらに広げて、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領やその顧問らは、ほとんどの米国大統領が実践してきたように、核兵器先行使用の威嚇をしており、とりわけ、ロシアによるクリミア半島支配が脅威にさらされた場合に核兵器を使用するとしている。

ウクライナ戦争や西側・ロシア間の緊張関係の高まりのなかで、核不拡散条約に違反して、米国の新型核兵器が北大西洋条約機構(NATO)の同盟国に配備され、ロシアはベラルーシに核兵器を配備する途上にある。

Nuclear threats from Israel and Iran have triggered a potential competitor in Saudi Arabia. Credit: U.S. Air Force
Nuclear threats from Israel and Iran have triggered a potential competitor in Saudi Arabia. Credit: U.S. Air Force

東アジアでは、米国が再び核兵器搭載艦船を韓国の海域や港湾に展開し、台湾をめぐる緊張が、バイデン政権が国家安全保障戦略において核兵器先行不使用政策の採用を拒絶する主な原因となっている。

ガーソン氏は、「台湾をめぐる戦争で戦術核兵器を使用する計画は、米政府の政策関係者の間では当たり前のこととなっています。」と語った。米ロ間および米中間で戦略的安定と軍備管理を巡る外交が存在しないことで、事故や事件、計算違いが核戦争へのエスカレーションの引き金となる危険が極めて大きくなっている。

「すべての核大国が核戦力を拡大あるいは『近代化』しています。イランと日本は核保有に近づき、韓国とサウジアラビアでは、核の恐怖に対する公正を欠く不均衡と彼らが見る状況を是正するよう、国内外からの圧力に直面しています。」

「『核兵器の全面的廃絶のための国際デー』は、核兵器の完全廃絶に向けた交渉を誠実に行うことを呼びかけた核不拡散条約第6条の中心的な役割を強調し、我々に警告を与える機会を提供するだろう。最も重要なことは、この国際デーが、私たちは将来世代が手にするに値する非核兵器世界に向けた私たちのコミットメントや組織、運動を強化するよう促す機会になるということです。」とガーソン氏は語った。

他方、反核活動家の連合である「UNFOLD ZERO」は、核の脅威を終わらせ、核兵器を廃絶し、核兵器予算と投資を市民の健康やコロナ対策、気候や持続可能な開発といった分野に回すよう求める世界的なアピール文を発表した。

「9カ国が保有する核兵器は私たちすべてを脅かしている。事故や計算違い、あるいは悪意によって使用された核兵器は、人間や経済、環境にいずれにせよ重大な被害を与えることになる。」

SDGs logo
SDGs logo

「世界で備蓄されている1万4000発の核兵器のごく一部でも使用されれば、私たちが知る文明は終末を迎えることになるだろう。加えて、核兵器に投じられている年間1000億ドルの予算は、コロナ対策や気候の保護、持続可能な開発目標実施など、環境や経済、人間のニーズに応えるために切実に望まれている。」

「私たち署名者は、都市や議会、政府に対して次のことを呼びかける。」

1.核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならないと認めること。したがって、核保有国は核戦力を取り下げ、核戦争を決して自ら起こさない(すなわち核先行不使用政策)と確認すること。

2.国連創設100周年にあたる2045年までに核兵器を廃棄すると約束すること。

3.(核保有国の場合)核兵器関連予算を削減し、(すべての国家に関して)核兵器産業への投資をやめ、それらの投資や予算を、国連やコロナ感染拡大の抑制と復興、炭素排出の大幅削減による気候の保護、持続可能な開発目標の達成といった分野に振り向けること。」(原文へ

INPS Japan

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文化と歴史が日本とカザフスタンの距離を縮めると日本大使が語る

【アスタナINPS Japan/アスタナタイムズ=アイバルシン・アクメトカリ】

「日本とカザフスタンのパートナーシップには多くの柱があるが、共通の歴史的背景と文化交流は、両国の関係を次のチャプター(段階)へと進化させつつあります。」と、山田淳駐カザフスタン日本国大使はアスタナタイムズ紙の独占インタビューに応じて語った。

Ambassador Jun Yamada. Photo credit: Japanese embassy.
Ambassador Jun Yamada. Photo credit: Japanese embassy.

豊かな経済・文化交流の歴史から1992年の国交樹立まで、カザフスタンと日本は30年以上にわたってパートナーシップを構築してきた。

極東の島嶼国である日本国とユーラシア大陸の中心に位置する陸封国カザフスタン共和国は、一見隔世の感があるが、実は両国の間には多くのつながりがある。

「1991年の独立回復直後から、日本はカザフスタンと緊密な協力関係を築き、国家建設の最も重要な分野で貢献してきました。実際、その最初の時期を通じて、日本はカザフスタンに対する最大の援助国(トップドナー)であり続けました。」と山田大使は語った。

カザフスタンは、日本を含む主要パートナーとの二国間関係を改善・拡大することで、自国の経済とより広域な経済圏を強化するための大胆な措置を講じている。

「カザフスタンは、海外からの援助を受ける立場から見事に卒業し、独自の援助機関であるカザフスタン国際開発庁(KazAID)を設立することによって、中央アジア地域だけでなく、世界に開かれた援助国としての新たな責任ある役割を担っています。」と山田大使は語った。

山田大使はカザフスタンとの二国間関係を「化学反応」と表現し、「言葉で説明するのはあまり簡単ではないが、両国民の驚くほどよく似た外見や、出会った最初の瞬間から感じるほとんど自然な共感から始まり、その特別な化学反応は常に目に見えるものです。」と語った。     

歴史によって結ばれた日本とカザフスタン

カザフスタンと日本は、歴史的な出来事を共有しており、中には悲劇的なものもあるが、常に両国の友好の礎石となっている。実際、二国間関係の始まりは外交関係よりも古く、日本では第二次大戦末期の(米国による)広島と長崎への原爆投下、カザフスタンでは北東部のセミパラチンスク核実験場で(ソ連によって)繰り返された核実験という、核兵器によって夥しい数の人々が壊滅的な影響を被った被爆の歴史がある。

“Stronger than death” monument to the memory of nuclear test victims in Semei. Photo credit: Japanese embassy.
“Stronger than death” monument to the memory of nuclear test victims in Semei. Photo credit: Japanese embassy.

「このような災厄をもたらした(ソビエト)政権が崩壊した直後に、日本の医師たちがカザフスタンの被災地を訪れて、必要な治療や、住民の状況を改善するための長期的な治療法を提供しようと最善を尽くしたことは、誠に象徴的であり理解できることだった。日本人にとって、放射能による悲劇は決して遠い国や民族の問題ではなく、まさに自分たち自身の、今日に続く深刻な課題だったのです。」と山田大使は語った。

一方、核兵器による被害は、日本とカザフスタン両国民が共有する深い歴史的ルーツの一部でしかない。

人為的な大飢饉を引き起こし、何百万人ものカザフスタン人を死に至らしめたヨシフ・スターリンのソビエト政権は、日本人にも影響を与えた。6万人以上の日本人がカザフスタンの強制収容所に抑留され、やがてカザフの地を故郷とすることになった。

「スターリン独裁政治の犠牲となっていたカザフの人々は、日本人捕虜に驚くべき同情と憐れみの情を示し、最大限の援助と励ましを与えました。このおかげで、カザフスタンにおける日本人抑留者の死亡率は、シベリアの多くの地域など、他のどの強制収容所と比べても非常に低かったのです。私たち日本国民は、カザフスタンの兄弟姉妹が、人類の歴史上最も暗黒の時代に、真の人間性を表現してくれたことに、永遠に感謝し続けるでしょう。」と山田大使は語った。

二国間の文化交流

文化交流は、日本とカザフスタンの二国間関係を深めるためのソフト面のツールであり、市民間の人と人とのつながりを促進するものである。

Flag of Kazakhstan and Japan Photo: The Astana Times

先日首都アスタナの国立学術図書館で開催されたカザフスタン日本センター主催の日本文化デーは、日本の豊かな文化遺産を垣間見ることができ、地元の来場者で賑わった。

「たった1日のイベントでしたが、首都圏から驚くほど多くの市民が参加しました。私はそれをこの目で見ることができました。これは、国民がこのような機会を切望していたことの証であり、同時に、将来への非常に心強い示唆だと思いました。」

「生け花や茶道といった日本の伝統芸能や、アニメや漫画といった最近のポップカルチャーは、カザフ人の興味をかき立てています。日本のポップカルチャーは世界中で支持されていますが、その意味でカザフスタンは 他のどの国よりも日本文化への関心が高い国だと思います。古典的なものから最新のものまで、日本のアニメーションの最良の例を紹介する必要性と無限の可能性を感じています。」と山田大使は語った。

音楽はまた、両国に共通するものを人々に発見させ、二国間の絆を深める上で極めて重要である。

山田大使は、「私は、カザフスタンの人々が皆、心の奥底では優れた音楽家や歌手であることを知っています。ここでもまた、私たち両国民は音楽を通じてひとつになれるし、切っても切れない友人になれるのです。」と指摘したうえで、「日本の三味線をプロ並みに弾きこなすカザフの天才や、ドンブラ(カザフの2弦楽器)の演奏に打ち込む日本人愛好家を見てきました。彼らの中には、通常はカザフ出身者しか出場できないコンクールに出場する者もいます。」と付け加えた。

A Kazakh master playing the shamisen, a traditional Japanese three-stringed instrument. Photo credit: Japanese embassy.
A Kazakh master playing the shamisen, a traditional Japanese three-stringed instrument. Photo credit: Japanese embassy.

「カザフスタンの人気歌手ディマシュ(クダイベルゲン)が日本で享受している人気と名声については、多くを語る必要はないだろう。彼はすでに日本国民の心を掴んでいます。」と山田大使は語った。

スポーツ

パートナーシップはスポーツの分野でも発展している。

カザフスタンで最も有名なボクサー、ゲンナジー・ゴロフキンは、日本のチャンピオンである村田諒太と戦い、打ち負かした。

Gennadiy Golovkin gifted his robe to Ryota Murata after their fight. Photo credit: Golovkin’s Twitter
Gennadiy Golovkin gifted his robe to Ryota Murata after their fight. Photo credit: Golovkin’s Twitter

「試合後、ゴロフキン選手が村田選手に自前のシャパン(カザフスタンの民族衣装)をプレゼントしたときは、まさに真のスポーツマンシップを最高の形で表現したとして、日本中が感動しました。」

「相撲も日本の伝統競技ですが、驚くべきことに、今ではここにもカザフスタンのヒーローがいるのです。金鳳山晴樹はカザフ名をイェルシン・バルタグルといい、3月の春場所で11勝を挙げた相撲界の新星です。」と山田大使は語った。

「新入幕初参戦にして、敢闘賞という特別な賞を受賞することができました。彼の今後のさらなる活躍と、いつか横綱になることを祈っています。」と山田大使は語った。

観光

両国の関係は文化やスポーツにとどまらない。観光交流はカザフ・日本間の重要な柱であり続けており、新型コロナのパンデミックが終息に向かい、世界が再び観光客に門戸を開いていくことから、今後の発展が期待されている。

世界的な観光業の再開に伴い、カザフ国民は日本が提供するものを楽しみたいと考えており、また、カザフスタンへの日本人観光客の再来を熱望している。

「カザフスタンに赴任して最初の2年間で、さまざまな地域を訪れましたが、そのたびに、この偉大な国の驚くべき美しさと多様性に深い感銘を受けました。」と山田大使。

「同じように、日本にも北から南まで数え切れないほどの美しい観光地があり、その中から好きな組み合わせを選ぶのは訪問者次第です。我が国はカザフスタンに比べて非常にコンパクトですが、気候や地理的な多様性のおかげで、多くの島々を通して非常に豊かな多様性を提供することができます。」と語った。

山田大使は、二国間の観光が今後も成長し続けることを楽観視している。

「両国にとって最も望ましいのは、近い将来に日本とカザフスタンをつなぐ直行便が就航することでしょう。」

「一般的な認識とは裏腹に、日本とカザフスタンはそれほど離れていません。もし直行便が飛ぶようになれば、7時間ほどで到着するはずです。パンデミックという頭痛の種が収束しつつある今、私たちは皆、(直行便就航という)夢がすぐにでも実現することを祈っています。」と山田大使は語った。

グリーンテクノロジーにおける協力の新たな地平

カザフスタンと日本の間には、グリーン技術における協力の新たな地平が生まれつつある。日本は、再生可能なグリーン・エネルギー源の立ち上げにおいて進んでいる。日本の脱炭素技術は、生産と消費の両面でエネルギー効率を改善するために利用されている。

日本は2022年までに、温室効果ガス排出削減への投資を強化する一方で、低炭素の未来に向けたエネルギー転換を加速させるという共同の野望を実現することを目指す国々と、25の共同クレジットメカニズム(JCM)に署名している。カザフスタンもまた、2060年までにカーボンニュートラルを達成することを公約している。

「カザフスタンとのJCMの早期締結は、日本企業によるカザフスタン市場へのさらなる投資のための、新たな理想的な触媒となることは間違いありません。」と山田大使は語った。

山田大使はまた、日本の投資は物理的なインフラだけでなく、最終的には「成長の質」を高める「人々への投資」を目指していることにも言及した。

この点について山田大使は、「最新の脱炭素技術の応用は、わが国の理念を最もよく体現するものになるだろう。」と付け加えた。(原文へ

INPS Japan

この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

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気候変動、災害、武力紛争

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=トビアス・イデ 】

人類は、地球温暖化を摂氏2度(産業革命前の気温に対し)に抑えることはまずできなさそうだ。つまり、人類は21世紀中に地球の重要な一線を越え、今よりはるかに気候が不安定な未来へ足を踏み入れるということだ。このような未来の一つの特徴として、干ばつ、嵐、洪水、熱波といった気候関連災害のリスクが高くなる。(

専門家も政策立案者も、以前から、気候変動を安全保障リスクと捉えて懸念を表明しており、こういった議論において災害は重要な役割を果たしている。バラク・オバマ米国元大統領、チャールズ皇太子(現チャールズ国王)、G7外相をはじめとする政治指導者たちは、気候関連の災害は武力紛争の可能性を高めると主張してきた。これと足並みを揃えるように幾人かの著名な専門家らは、干ばつがシリア内戦の勃発を促し、スーダンの人権侵害を助長し、ナイジェリアでは貧困層の若者をボコ・ハラムのもとに走らせたと訴えている。片や別の学者らは、そのような主張に異議を唱え、武力紛争に対する災害の影響は証明されておらず、せいぜい弱いものだと論じている。二つの派閥のどちらが正しいのだろうか?

筆者の新たな著書は、災害が武力紛争リスクを高めるか否かという問いに対する包括的な答えを提供している。著書では、1990年から2015年の間に22カ国の紛争地帯を大規模災害が襲った36件の事例を検討した。これらの災害のうち20件が気候関連のものだった(手短な概要は、こちら)。研究の主な目的は、災害が紛争の強度や紛争当事者の行動をどのように決定付けるかを追跡することである。

気候関連の災害に関する結果から、少なくとも四つの知見が明らかになった(これらは、地震などの気候変動に関係ない災害を含むより大きな実例においても、一般的に当てはまっている)。

第1に、ほとんどのケースで、災害が紛争のダイナミクスに及ぼす影響は全くないかごく軽微である。例えばネパールにおける1996年の洪水やパキスタンにおける2015年の熱波は、非常に短期間であり、紛争の中心的な地帯からは非常に遠く、(および/または)紛争当事者に顕著な影響を及ぼしてはいなかった。気候と紛争の関連性について懐疑的な人々に1ポイントである。

第2に、全ケースの3分の1近くにおいて、気候関連災害が災害の翌年に戦闘のエスカレーションを引き起こすことが分かった。例えばウガンダでは1999~2001年の干ばつの後、「神の抵抗軍(LRA)」が民間人を襲撃して寄付を強要し、援助食料を強奪する事例が増えた。その理由は、干ばつによる影響の中でも特に、自発的寄付やLRAが入手できる食料が減ったことである。同様に、アッサム統一解放戦線(ULFA)は、1998年の洪水の後、より多くの同調者を集めることができた。洪水に関連する政府への不満や生計への不安が広まったためである。そして今度は、これらの新兵が、反政府勢力の軍事力を強化した。従って、気候と災害と紛争のつながりの提唱者にも1ポイント進呈する。ただし、そのようなつながりは主に、高い貧困率や極めて経済の多様化が乏しいような脆弱性の高い国々で生じることに留意するべきである。経験的に、貧困率が低く経済が多様化している国々では、災害関連の武力紛争の勃発や激化が起こる可能性は非常に低い。

第3に、全ケースの残り3分の1近くでは、気候関連災害は武力紛争の緩和を促進した。例えばパキスタンでは2010年の洪水の後、政府軍もパキスタン・タリバン運動(TTP)の反乱軍も災害救援活動を行わざるを得ず、国土の約20%が水没した状況では兵士を動かすこともほとんどできなかった。TTPは、パキスタン北西部の被災者からの志願者流入や(強制または自発的)寄付が減ったことにも対処しなければならなかった。最近の2022年にも、パキスタン南部のバルチスタン州の反乱軍は同様の課題に直面した。紛争当事者の資源と人員が大洪水の損害をこうむったため、戦闘活動を少なくとも一時的に縮小する必要があった。このような災害と武力紛争リスク低下の関連性は、気候安全保障をめぐる議論において今のところほとんど認められていない。災害外交環境平和構築の提唱者らは、環境の脅威を共有することで、紛争を削減し、紛争による分断を超えて協力する絶好の機会がもたらされると主張する。2対1で懐疑論者の優勢である。

第4に、紛争の激化と緩和のどちらの事例でも、武力紛争の当事者は通常、日和見主義的な行動を取る。確かに、気候に関連する極端な事象の後には、行政の準備不足や対応の不手際への大きな不満が渦巻く一方、多くのケースで地域の連帯や相互支援が高まった。しかし、こういった連帯や不満はほとんどの場合、地域の社会運動にはつながったが、より大規模な紛争のダイナミクスには影響を及ぼさなかった。むしろ、紛争当事者は災害がもたらした機会(リクルート機会の拡大、政府の混乱)や制約(資源の利用可能性の減少、軍の機動性の制限)を戦略的に利用して行動した。

人類が地球の安全な活動域を越え、気候非常事態へと向かっていくなか、今後数十年の間に気候関連の災害は増加する可能性が高い。このような状況に伴う安全保障リスクは非常に現実的であるが、決して決定付けられたものではない。第1に、意思決定者は、根強い不平等や管理が行き届かない都市化といった災害リスクを促進する他の要因に取り組むことができる。第2に、災害によって紛争の強度に変化がなかったか、緩和された場合すらあるため、災害は援助提供と紛争当事者間の交渉を実現する絶好の機会も提供する。災害も紛争も、気候変動の不可避の帰結ではない。未来を決めるのは、われわれである。

トビアス・イデは、マードック大学(パース)で政治・政策学講師、ブラウンシュヴァイク工科大学で国際関係学特任准教授を務めている。環境、気候変動、平和、紛争、安全保障が交わる分野の幅広いテーマについて、Global Environmental Change、 International Affairs、 Journal of Peace Research、 Nature Climate Change、 World Developmentなどの学術誌に論文を発表している。また、Environmental Peacebuilding Associationの理事も務めている。

INPS Japan

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|視点|長崎の原爆投下は日本とカトリック教会への攻撃だった(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

【ワシントンDC INPS Japan=ヴィクトル・ガエタン

1945年の8月9日、日本に対して2発目の原爆を投下するという決断について詳しく調べれば調べるほど、その戦術は道徳的に身勝手なものであったように思える。「無条件降伏を強要するために軍事施設を爆撃した」という米国政府の公式見解から一歩離れて現実に起こったことを観察すれば、米国政府は明らかに民間人を標的にし、国際法と軍事行動規範に違反したことがわかる。

バチカンの外交官と公文書館員らは、長崎への核攻撃は、日本とカトリック教会への攻撃であったと確信しており、この悲劇の不可解な側面に対する一般的な困惑をよそに、めったに議論されることがない理論的根拠を提供している。

爆心地:カトリック教会の精神的中心地

2回目の原爆攻撃は、長崎の商業地区と三菱造船所の北に位置する長崎の有名なカトリック集落である浦上地区最大の大聖堂をほぼ直撃した。

Urakami Tenshudo (Catholic Church) Jan.7, 1946./ Photo by AIHARA,Hidetsugu. / Public Domain
Urakami Tenshudo (Catholic Church) Jan.7, 1946./ Photo by AIHARA,Hidetsugu. / Public Domain

長崎とカトリック教会の結びつきは古い:1580年、ある領主(大村純忠)がポルトガルから来たイエズス会の宣教師たちに土地を寄進した。新宗教は瞬く間に広まり、地元の支配者に対する脅威として非合法化された。1597年、26人の殉教者が長崎の丘で磔にされた。幕府が鎖国政策をとった期間も唯一外国貿易が継続的に行われた港が長崎であり、長く続いたキリスト教弾圧(1614年~1873年)の間、隠れキリシタンによる信仰の拠点となった。

浦上地区上空で爆発した爆縮型のプルトニウム原爆「ファットマン」は、即時に約4万人、年末までにさらに3〜4万人の犠牲者を出した。この原爆は、神道や仏教に隠れて信仰を守っていた「隠れキリシタン」の子孫であるカトリック教徒の71パーセント(信徒 1万2千人のうち 8千5百人)を壊滅させた。

米軍の軍事計画担当者がこの地域の歴史とカトリック的意義を知らないはずがない。1930年、カリスマ的なポーランド人のフランシスコ会士、聖マクシミリアン・コルベがこの地に修道院を開いたほど、この地域は精神的な中心地として有名だった。(その11年後、彼はアウシュビッツ強制収容所で殺害された)。

米軍は当時レーダーではなく、目視による爆撃を行っていた。8月9日の朝、爆撃手のカーミット・ビーハンは、雲が開けていくのを見た。その際、原爆投下任務の標的として地図に記されていた眼前に光景はどのようなものだったのだろうか。…それは国立公文書館から消えている。

謎の人物が「長崎」を標的に追加していた

ハリー・トルーマン大統領は、大統領に就任した後に初めて原爆計画について知った。その頃には、政策決定者の間で、ウラン爆弾と爆縮型のプルトニウム爆弾の両方を実験的に使用しようという機運が高まっていた。

Nagasaki, Japan, before and after the atomic bombing of August 9, 1945., Public Domain
Nagasaki, Japan, before and after the atomic bombing of August 9, 1945., Public Domain

軍によって任命された将校と核科学者で構成される 目標検討委員会は、最も人道的でない選択肢、すなわち、少なくとも直径3マイルの都市全体に最大限の被害を与えるように爆弾を爆発させるという選択肢を選んだ。

しかし、ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー陸軍大将やオマール・ブラッドリー大将のような経験豊富な軍人は、核兵器の使用に反対した。アイゼンハワーは後に、「日本はすでに敗北しており、原爆投下はまったく不必要だった。」と説明している。

機密解除された文書によると、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は態度を決めかねていた。彼は焼夷弾爆撃による民間人の犠牲を非難し、6月6日にはトルーマン大統領に「残虐行為においてヒトラーを凌ぐという汚名を米国に与えたくない」と語った。ポツダム滞在中には、文化的価値に基づいて古都京都の保護を要請するために大統領に直談判した。スティムソンが日記で報告したところによると、大統領は同意した。

長崎は5月と6月に作成された標的リストには載らなかった。山がちで不規則な地形が、標的委員会の選考にそぐわなかったのだ。その代わり、長崎は5回にわたって残忍な焼夷弾攻撃を受けた。原爆攻撃の主な標的となった都市は焼夷弾攻撃を免れたので、都市の破壊は原爆投下に伴う壊滅的な爆発と衝撃によるものだったと言えるだろう。また、長崎に連合軍捕虜の収容所があったことも、長崎を原爆攻撃で消滅させることに対する反対議論があった理由の一つだ。

土壇場になって、7月24日付の攻撃命令案に長崎が標的候補として登場した。この日はスティムソン陸軍長官とトルーマン大統領が攻撃目標について議論した日と重なっており、手書きの追記であった。

タイプされた極秘文書は、「広島、小倉、新潟を優先的に攻撃する」と命じている。そしてそこには誰かがペンで「そして」と「記載された優先順位で」を取り消し、矢印で「そして長崎 」を「新潟 」の後に挿入した。長崎が追加されたこの修正文は、翌日正式に回覧された。この文書に最初に注目した歴史家アレックス・ウェラーステインによると、長崎を追加した人物は不明だという。

一連の不幸な出来事

第2次原爆投下作戦に関する米側の証言は、不幸な出来事の連続を措定している:

原爆を搭載したB-29は燃料ポンプに問題があり、一向に現れないカメラ搭載機を待つために飛行時間を浪費した。 小倉に3度にわたって核爆弾の投下を試みたが、標的を目視できなかった。そこで次の標的である長崎に向かったが、到着時はまだ上空が雲に覆われていた。

日本の論者は様々な説を唱えているが、米軍が誤って浦上地区を消滅させたと考える人はほとんどいない。この歴史的な場所が破壊されたのは、浦上天主堂が帝国陸軍の米や食糧を貯蔵するために使われていたからだと考える人もいる。

原爆投下からまもなく、カソリック信者でない長崎の被爆者の一部の間では、街が破滅されたのは異国の神を崇拝する冒涜的な行為が招いたものだとしてカソリック信者をスケープゴートにする反応が見られた。

最近のいくつかの研究では、浦上地区のカトリック被爆者たちが殉教と赦しの思想によって、この不可解な出来事とどのように折り合いをつけていったかを探っている。グウィン・マクレランドは『長崎の原爆を生き延びたカトリック教徒の物語』で、チャド・ディールは『長崎の復活』で、カトリック信徒指導者であり被爆者であり、『長崎の鐘』の著者でもある永井隆博士が果たした重要な役割を指摘している。

永井は、浦上天主堂の廃墟の前で行われた死者への弔辞の中で、原爆投下を神の摂理(犠牲者の死が天罰ではなく神の前での意味ある「潔き」死であったとする説明)によるものだと述べた。この言説はキリスト教徒の犠牲者たちを安堵させたが、その反面、彼らが250年間実践してきた自己抑制を強化し、沈黙させる効果もあった。連合国最高司令官総司令部は、「浦上の聖人」をベストセラー作家にする手助けをした: 永井は国際的な出版を許された唯一の被爆者だった。

その後何十年もの間、日米両国政府は永井の言説を利用し続けた。昭和天皇は永井を直々に訪問さえした。それは永井の説明によって両国の責任が免責されたからである。

バチカンでの見方

バチカンは、1945年8月9日に米国が日本におけるカトリック信仰の中枢部を襲った背後にある偏見について、公の場で議論したことはない。ローマの公文書館関係者や専門家は、米国政府とバチカンが日本を巡って激しい外交論争を繰り広げ、それが戦争中ずっと両者の関係を悪化させたことを私に教えてくれた。

Pius XII with tabard, by Michael Pitcairn, 1951/ Public Domain
Pius XII with tabard, by Michael Pitcairn, 1951/ Public Domain

真珠湾攻撃の3ヵ月後、教皇ピウス12世は大日本帝国と外交関係を樹立した。バチカンがそのことを連合国政府高官に伝えると、彼らは憤慨した。サムナー・ウェルズ国務次官は教皇の決定を「嘆かわしい」と呼んだ。フランクリン・ルーズベルト大統領は「信じられない」という反応を示した。バチカン在住の米国特使によれば、ピウス12世の米国政府に対する答えは明確で、 「外交関係とは、相手国のすべての行動を承認することではない。」というものだった。

国家間外交は、カトリック教会が信者を守り、その使命を推進するための不可欠な手段である。1942年、昭和天皇の特使がバチカンに対して長らく求めていた提案を持ちかけたとき、教会は現実的な観点から同意した。というのも、当時は大日本帝国の軍事進出により、より多くのカトリック信者が日本軍の支配下に置かれようとしていたからである。日本軍の占領下にある約2000万人のカトリック信者の精神的な利益を擁護することは、バチカンの基本的な責任であった。

「悪魔との直接対決」への対処

教皇ピウス11世はかつてこう述べている:「魂を救済、或いは魂へのより大きな害を防ぐことが問題になるとき、私たちは悪魔ともでも直接対話する勇気を感じる。」と。壊れかけた世界に対する宣教の場としてのバチカンの外交観は、教会が不道徳な行為者と関わることで妥協すべきではないとする世俗系と宗教系双方の論者によって、しばしば評価されないことが少なくない。しかし、ピウス11世の見解では、それ以前と以後の教皇が結論づけたように、悪意ある政権に対しても影響を与える唯一の方法は、対話を通じて直接関与することである。

浦上天主堂が核爆弾の直撃を受け、日本で最も歴史あるカトリック共同体が消滅したとき、バチカンはそれを、「米国の敵」を外交と対話を通じて「人扱いしたこと」に対する同国の仕返しと考えた。(原文へ

ビクター・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、フォーリン・アフェアーズ誌の寄稿者でもある。著書『God’s Diplomats: Pope Francis, Vatican Diplomacy, and America’s Armageddon』はローマン&リトルフィールド社より出版された。

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