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ブッダのルンビニを語り継ぐ

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=サヒナ・シュレスタ】

釈尊(ゴータマ・シッダールタ)が80歳で大往生を迎えようとしたとき、忠実な弟子のアーナンダ(阿難陀)に、自分の人生に関連して4つの偉大な巡礼地があることを助言したという話がある。

釈尊が悟りを開いた地ブッダガヤと、初めて教えを説いたサールナートは早くから特定されていた。しかし、釈尊入滅の地クシナガラと、生まれ育ったカピラバストゥ(迦毘羅城)とルンビニの謎は、19世紀末になるまで解明されなかった。

2600年前のインド亜大陸には近代国家の境界線がなかったにもかかわらず、釈尊が実際にどこで生まれたのか、長年にわたって憶測が飛び交っていた。しかし、紀元前3世紀の発見により、その疑問が晴れた。

それは、アショーカ王がカリンガの戦いの後、ウパグプタとともにルンビニへの巡礼に出発したときのことである。王は、逆さ蓮華の上に馬のフィニアルを乗せた砂岩の柱を立て、紀元前249年に訪れたことを記念して、パーリ語で碑文を刻ませた。

19世紀に発見されたティラウラコット近郊のニガリサーガルにあるコナカムニの碑文とルンビニにある2つのアショーカ碑文から、マウリヤ朝時代には、この柱のある場所が仏陀の出生地と考えられていたことが判明した。

Map of Nepal. Credit: Nepali Times

5世紀の法顕、7世紀の玄奘を筆頭に、多くの中国人の僧侶がこの地を巡礼した。彼らの旅の記録は、後に大英帝国領インドの古美術商らによって、釈尊の生誕地や成長した場所を特定するために利用された。しかし、1896年に再発見され、発掘調査が開始されるまで、巡礼地としての人気は衰えていた。

ルンビニの発掘調査によって、何世紀にもわたって建てられた多くの建造物が発見さた。中でも最も神聖なものの一つが、釈尊の母マヤ・デヴィ王妃が出産前に沐浴したとされるプスカリニ池である。

マヤ・デヴィ王妃は、紀元前623年に輿に乗ってデーバダハ(天臂城)の両親の元に向かう途中で釈尊を産んだとされている。彼女は無憂樹(むうじゅ)の枝につかまりながら、立ったまま出産した。彼女は1週間後に亡くなり、赤ん坊は叔母のプラジャパティに育てられた。

何世紀にもわたる崇拝で浸食された1800年前の石像と、1995年に発見された降誕地の標石は、ルンビニの聖なる庭で釈尊が生まれた場所を正確に示している。

また、紀元前3世紀から紀元後7世紀にかけての僧院跡や、600年以上前に建てられた仏舎利塔も発見されている。

2011年、ダラム大学のロビン・コニンガム氏とネパール政府考古局前局長コシュ・アチャールヤ氏が率いる国際チームは、マヤ・デヴィ寺院の舗装の下に木造建築物の遺構を発見した。

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分析したところ、木の祠のようなもので、紀元前550年頃のものと判明し、歴史家が釈尊の生涯を検証する際に考慮すべき新たな証拠となった。

しかし、釈尊の物語はルンビニに限ったものではない。ネパールが釈尊の生涯をより総合的に記念しようとするならば、ルーパンデビ、ナワルパラシ、カピラヴァストゥにまたがる大ルンビニ地域にも多くの遺跡があり、その中には釈尊の生涯に直接関連するものもあるため、統合的に取り組む必要がある。

釈尊がシッダールタ王子として最初の29年間を過ごし、悟りを開く旅に出たとされるティラウラコット・カピルヴァストゥでは、最近、考古学者が地中レーダーを使って、宮殿のような壁のある施設、都市の街路、レンガ壁の貯水槽、僧院などの歴史的遺構を発見している。

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紀元前249年、アショーカ王は、カーナカムニ仏(過去七仏の内の第五仏)の涅槃塔を崇敬し拡張したことを記念して石柱を建立した。1895年、この石柱の2つの破片が発見された。上部はニグリサガル池に半分沈み、下部は埋没していた。この石柱が立っていた台座が失われているため、元の正確な位置は不明だが、一部の学者は、この石柱がカーナカムニ仏の生誕地に建てられたと信じている。

また、クダンも歴史的に重要な場所である。釈尊がカピルバストゥを出発して6年後に父シュッドーダナ王と再会し、息子が出家したガジュマルの木立、ニグロダラーマがあった場所ではないか、という学者もいる。ゴティハワは、もう一人の初期仏であるクラクチャンダ仏(倶留孫仏)の生誕地とされている。レンガ造りの大きなストゥーパとアショーカ王の石柱の残骸がある。残念ながら柱はほとんどなくなっており、何が書かれていたのか知ることはできない。

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高さ10m、直径23.5mのラマグラマの仏塔(現在は盛り土の下に埋もれている)は世界遺産暫定リストに登録されており、釈尊の遺骨が納められている原初の場所のひとつと考えられている。古代文字によると、釈尊の遺骨を納めた8つの仏塔のうち、聖遺物の再分配を企図したアショーカ王が7つの仏塔を開いたが、ナーガ(蛇の王)がここの仏塔の遺物発掘を防いだとされており、唯一の無傷の仏塔と考えられている。

周辺の3つの地区には、他にも釈尊縁の場所があり、文化的、精神的に重要な場所を網羅したコースを整備し、正しくストーリーを伝えることで、ルンビニが長い間直面してきた問題(下記参照)を解決することが可能だ。

マスタープランの内容

ルンビニが今日直面している課題は、聖地を訪れる多くの巡礼者や観光客にどう対処するかということだ。パンデミック以前は、ルンビニを訪れる人の数は多かったものの、インドの仏教圏からやってきて、数時間滞在して帰っていくのが常であった。

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インフラは貧弱で、適切な設備を備えたホテルも少なく、ルンビニへのアクセスは困難だった。しかし現在は、東に10kmのところに国際空港ができ、新たな観光客の流入が期待されている。

パンデミック以前は、1年間に170万人の巡礼者が陸路でルンビニを訪れ、そのうち30万人はネパールやインド以外からの巡礼者だった。しかし、彼らがルンビニに滞在した時間は、平均して1時間にも満たなかった。

アショーカ王が降誕祭を行った後、ルンビニは長い年月を経て周辺のジャングルに覆われてしまった。この地が再び脚光を浴びたのは、鉄道の枕木になる広葉樹の木材を探していた英国の探検家たちが、この地でアショーカ王の石柱を発見した1890年代になってからのことだ。

1967年、ビルマ出身の敬虔な仏教徒であるウ・タント国連事務総長が、ルンビニを象に乗って見学し、荒廃した釈尊生誕地の惨状に涙を流したと伝えられてる。

ニューヨークに戻ったウ・タント事務総長は、ルンビニを国際的な平和の拠点にするため、国連委員会を立ち上げた。そして、広島平和記念資料館を設計した日本の著名な建築家、丹下健三氏にマスタープランの策定を依頼した。

東部の僧院区域は上座部仏教、西部の僧院区域は大乗仏教のために確保された。マスタープランは現在も大筋で守られており、完成に近づいているが、建造物はすでに老朽化の兆しを見せている。

ルンビニのビジターセンターでさえも、この遺跡のことを伝える案内板がないなど、残念な状態だ。

ルンビニの門外でロボット博物館「ブッダグラム」を運営する起業家、プルショッタム・アリャール氏は、「ルンビニといえば期待が大きいのですが、インフラが不足しています」と話す。「トイレが少ないとか、チケットを購入するゲートが1つしかないとか、そういう不満を持っているお客さんがいます。」

パンデミック前には年間200万人近い観光客が訪れたにもかかわらず、ニグリハワ、ゴティハワ、クダン、ラマグラムといった仏陀の生涯に縁のある他の聖地を訪れた巡礼者は、その存在を知らなかったり、行くのが難しすぎるという理由で、わずか2%程度にとどまっている。

現在、ルンビニを訪れる外国人の多くは、ボッダガヤ、サルナート、クシナガルを含む仏教の巡礼路の一部として、施設や交通の便が良いインドから訪れている。巡礼者は、カトマンズに飛んでから聖地に向かうよりも、インドを経由してルンビニに向かうことを好む傾向がある。

「地元のガイドを雇えば、本物の情報を得ることができますが、ネパール人観光客はほとんどガイドを雇いません。インド人観光客はインドからガイドを連れてやってきて、ルンビニの物語を自分たちなりに語っていきます。ただ出入りするだけなら、長く滞在する動機は生まれませんね。」と、ルンビニでガイドをしているマヘシュ・パティ・ミシュラ氏は語った。

このギャップを埋めるのが、現在改修中のルンビニ博物館である。「釈尊の生涯と後世の影響を伝える既存の博物館を国際的な水準にアップグレードし、拡張する予定です。」と同博物館のスンミマ・ウダス氏は語った。

聖なる庭の入口に位置するルンビニ博物館は、芸術や 遺産をいかに保存、展示、普及させるかという基準を設定しながら、この聖地を主要な精神的・文化的中心地として再生させることを目的としている。

この博物館は、ネパールや世界中から才能ある人材を集め、慈悲と平和という釈尊のメッセージを教育・普及する最先端のプロジェクトとして、丹下健三氏が設計した円筒形の建物の中に、かつてウ・タント国連事務総長が目指した構想を実現しようとしている。

ウダス氏は、 「博物館にはさまざまな種類がありますが、ここは彫像を展示するたけの博物館ではありません。ストーリーテリングが重要なのです。ルンビニで何が起こったのか、なぜ釈尊の誕生秘話が重要なのか、そしてそこから私たち人間が何を学ぶことができるのか、一度訪れれば、より理解を深められるような(小さな宝石のような)拠点になればいいと思っています。」

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Nepali Times
ルンビニの歴史
2645年前
マヤ・デヴィ王妃がデヴダハに向かう途中、ルンビニの木立の中でゴータマ・シッダールタが生まれる。
2575年前
釈尊が80歳で入滅。
紀元前3世紀
アショーカ王がルンビニを訪れ、釈尊降誕の地を記念して石柱を建てる。
4~7世紀
中国の僧、法顕や玄奘が廃墟となったルンビニを訪れる。
1312年
ジュムラ(ネパール西部)のリプ・マッラ王、アショカ王の石柱に自分の名前の落書きを刻む
 1896年
アショーカ王の石柱、タンセン総督カドガ・シャムシェール将軍とドイツの考古学者アントン・フューラーによって再発見される。
1932~39年
ケシャール・シャムシャー将軍による考古学的発掘調査により、古代の僧院や寺院が発見される
1956年
マヘンドラ国王、ルンビニを訪問
1959年
ダグ・ハマーショルド国連事務総長、ネパール訪問中にルンビニを訪れる
1967年
ウ・タント国連事務総長がルンビニを訪問し、国際平和センターとしての発展を誓う
1972年
丹下健三にマスタープランの作成を依頼し、1978年完成
1995年
ネパール考古局、釈尊が生まれた場所にある標石を発掘
1997年
ユネスコ、ルンビニを世界遺産に登録決定
2003年
マヤ・デヴィ寺院、ブッダ・ジャヤンティ(ウェーサーカ祭)で初めて一般公開される

ルンビニー巡礼の歩み

 Gautam Buddha International airport  Credit: Nepali Times

2020年以降、新型コロナのパンデミックで巡礼者や観光客の往来がほとんどなかったルンビニに、ゴータマ・ブッダ国際空港が開港し、新たな希望が生まれる。

新空港を見越して15もの新しいホテルが計画されていたが、ロックダウンの影響で建設を中止せざるを得なかった。ここの古いホテルのいくつかは新しい所有者に売却され、聖地を管理するルンビニ開発トラストは大きな収益を失った。

ルンビニホテル協会のリラ・マニ・シャルマ氏は、「新しい空港ができたことで、交通量が急増することが予想されたため、多くのホテルが新たに建設されていました。彼らは銀行から融資を受け、すでに多くの投資をしていたため、プロジェクトを放棄することができなかったのです。」と語った。現在、空港からルンビニまでの10kmの区間と、空港とバイラワ・ブットワル高速道路を結ぶ道路で工事が進んでいる。

パンデミックはホテル業界だけでなく、ホテルに農産物を供給する農家、ガイド、旅行会社など、ホテル業界に依存する人たちをも直撃した。

マヒラワールのラクシュミ・チョードリ氏は、新空港の落成式と同じブッダ・ジャヤンティの吉日に、新しいホームステイ施設の落成式に臨もうとしている。

「私はしばらくホテル業に携わってきましたが、自分で何かやりたいと考えていました。新しい空港ができれば、きっと多くのゲストが訪れるでしょうし、ホームステイであれば、より本格的な現地体験を提供することができます。」とチョードリ氏は語った。

ルンビニのガイド協会やホテル協会も、慎重な姿勢で楽観視している。「インドからではなく、ネパールに直接来訪する人が増えれば、地元により長く滞在し、周辺地域も日程に組み込むようになるので、地元のビジネスにとって良いことです。」とシャルマ氏は語った。

しかし、業界の専門家によれば、国際空港ができただけでは何も保証されないという。ICIMODの観光専門家のアヌ・ラマ氏は、「ルンビニの自然と文化的、精神的側面を統合し、地域社会を巻き込むアプローチが必要です。そのためには、巡礼者に対して釈尊についてのストーリーを語り継ぎ、効果的に発信する取り組みが欠かせません。」と語った。(原文へ

INPS Japan

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これ以上核兵器の犠牲者を増やさない(カリプベク・クユコフ被爆者・画家・反核活動家)

【東京INPS=浅霧勝浩

INPS Japanは、反核国際運動カザフスタン代表団の来日にあわせて東京都内で開催された歓迎交流会(後援:在日カザフスタン大使館)を取材した。昨年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻により、核兵器の使用の危険性が高まる中、今年5月に被爆地広島で開催予定G7サミット(主要7カ国首脳会議)においても戦争の即時終結と核兵器使用回避の問題が大きく取り上げられる予定だ。

クユコフ氏が名誉大使を務めるATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクトの紹介映像/ カザフスタン外務省

当時ソ連の一部を構成していたカザフスタンでは、広島と長崎に原子爆弾が投下された4年後の1949年、東部セミパラチンスクに建設された核実験場(広さは日本の四国に相当)でソ連初の核実験が行われた。その後、1989年までの40年間に、ソ連軍の厳格な秘密管理のもと合計468回の空中・地上・地下核実験が繰り返され、広範囲に拡散した高濃度の放射性廃棄物により、推定150万人~200万人の地域住民に深刻な被害(ガンや死産、先天的異常が多発し、平均寿命が劇的に低下)をもたらした。

こうしたなか、カザフスタンの人々はセミパラチンスク核実験場の閉鎖を求める「ネバダ・セミパラチンスク(セメイ)国際反核運動」という国民的な反核運動を展開し、1991年、ヌルスルタン・ナザルバエフ初代カザフスタン大統領は、当時のソ連指導部の意に反して同核実験場の永久閉鎖に踏み切った。こうしてセミパラチンスク核実験場は市民の運動で閉鎖に追い込まれた世界で初めての核実験場となった。

核実験場の閉鎖を訴える抗議集会(中央は、ネバダ・セミパラチンスク国際反核運動創設者の詩人オルジャス・セレイメノフ氏)

同年独立したカザフスタン共和国は、核兵器なき世界の実現を国是に掲げ、独立時世界第4位の核戦力(1,410基以上の戦略核兵器と戦術核兵器)の完全廃棄を決定(1994年までにロシアへの移送を完了)、核不拡散条約に加盟して核兵器国から非核兵器国に転換するとともに、2002年5月には包括的核実験禁止条約に批准した。さらに2006年には同じく旧ソ連構成国の中央アジア5か国(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)からなる非核地帯の創設に中心的な役割を果たした。また、2021年1月に発効した核兵器禁止条約にも批准し、2024年には同条約の第3回締約国会議を主催することになっている。

東京での歓迎交流会には、「ネバダ・セミパラチンスク(セメイ)国際反核運動」の創設者であるオルジャス・スレイメノフ総裁(高齢のため代理としてヴァレリー・ジャンダウレトフ副総裁が出席)、同運動に初期から参加しカザフ政府が立ち上げた反核キャンペーン「ATOM(廃止する=Abolish、実験=Test、私たちの使命=Our Mission)プロジェクト」の名誉大使を務める、腕のない芸術家カリプベク・クユコフ氏、セミパラチンスク核実験の被害と広島・長崎の原爆について記した小説「悲劇と宿命」の著者サウレ・ドスジャン氏、その日本語翻訳を担当した増島繁延氏、カラガンダ州副知事のエルボル・アリクロフ氏、「世界の記憶」ユネスコプログラム全国カザフ委員会議長ムナルバエバ・ウムトハン氏等が出席した。

この歓迎交流会で登壇したクユコフ氏は、自身の経験に基づき反核画家として彼の作品に込めた思いや、カザフスタンと同様に核兵器の惨禍を経験した日本人との連帯について語った。

反核国際運動カザフスタン代表団歓迎交流会 撮影・編集:浅霧勝浩INPS Japan
以下は、カリプベク・クユコフ氏の講演

本日は、私が口や足の指を使って描いた絵画作品の展示と実演の機会を頂き有難うございます。

私はセミパラチンスク核実験場から100キロ離れた場所で生まれました。

カリプベク・クユコフ氏の作品 出典:カリプベク・クユコフ
カリプベク・クユコフ氏の作品 資料:カリプベク・クユコフ

この実験場では1949年から89年まで実に468回の核実験が行われた地であります。

私の両親は核実験で被爆しました。その結果、私は両手のない状態で生まれました。

国連の資料によれば、カザフスタンでは核実験で150万人以上が被爆しました。

1989年、カザフスタンの詩人オルジャス・スレイメノフ氏がネバダ・セミパラチンスク国際反核運動を立ち上げました。その第一の目的はセミパラチンスク核実験場の閉鎖でした。

その初期の段階から私は一員としてその活動に参加してきました。

私は自分の作品を通して核実験の恐ろしさを伝えています。

筆を口にあるいは足の指を使って、核実験で亡くなった方々に思いを馳せながら、自分に課した使命を果たせるよう、祈りながら絵を描いています。

核兵器のない世界を実現するために、世界各地を旅しました。

国連で演説するクユコフ氏 出典:カリプベク・クユコフ
国連で演説するクユコフ氏 資料:カリプベク・クユコフ

ある時は国連で、ある時はネバダ、ニューヨークの演壇に立ちまして、数多くの国際会議やフォーラムで演説しました。

1990年の東京、広島、長崎での会議は、忘れることができません。今また、こうして皆様の前に立っています

ここにおられる皆さんと同様に、核兵器の廃絶は、私のライフワークになりました。

私は、カザフスタンがいち早く核兵器の放棄を決めたこと、核実験をやめ閉鎖したことを誇りに思っています。

またこれは、依然として核兵器に依存する他の国々への良い先例となったと思っています

日本とカザフスタンは、戦時の核使用と平和時の核実験の違いはあれど、核兵器による被害の歴史を持ち犠牲者がいます。

将来の子孫たちが同じ過ちを繰り返さないためにも、この悲劇を風化させてはなりません。

私は、核兵器の犠牲となった人々のために、そして絵の作者として自身の絵の助けを得ながら、祈ります

核兵器の犠牲者がこれ以上増えないことを。

私が「最後の犠牲者でありますよう」祈っています。

今回日本に来たのは初めてではありませんが、日本が変わって発展している様子が分かります。

2014年にウィーンで開催したカリプベク・クユコフ氏の展示会で、節子サーロー氏と面談。出典:ICAN
2014年にウィーンで開催したカリプベク・クユコフ氏の展示会で、サーロー節子氏と面談。資料:ICAN

カザフスタンも日本と共に発展し、お互いに理解を深めることができると期待しています。

お集りの皆さんとご家族のご健勝をお祈りいたします。

INPS Japan

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世界伝統宗教指導者会議は希望の光

G7を前に強まる北東アジアの対立関係

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ヒュー・アイマル】

2023年5月に広島で開催されるG7サミットの準備が進むなか、世界秩序の当面の見通しは今まで以上に暗澹たるものとなっている。北東アジアは特に緊張が高まっている地域である。中国、日本、韓国、北朝鮮の間には、地域秩序、世界秩序、領土問題をめぐる意見の不一致がある。軍事費は急速に増大しており、北朝鮮は核保有国としての地位を固めつつある。米中対立の激化は、地域に色濃く影響を及ぼしている。(

来るG7サミットは、9月にニューデリーで開催されるG20サミットとともに、流れを変える機会となるはずだ。主要国は、分断から協力へと方向転換し、グローバルガバナンスの新しい枠組みについて合意し、軍縮、紛争予防、気候変動緩和、持続可能な開発のためにともに取り組む必要がある。

4月18日に日本で発表した声明において、G7の外相たちは、グローバル課題に対処するために中国に働きかけることを支持した。彼らは、核兵器のない世界に向けた道筋に世界を導くことを目的とする岸田首相の「ヒロシマ・アクション・プラン」に支持を表明した。また、2050年までに温室効果ガスの排出を正味ゼロにし、2030年までに生物多様性喪失を反転させることを呼びかけた。

しかし、現実的には、世界全体、とりわけ北東アジアは反対の方向に進んでいる。

東アジアの領土問題は、引き続き深刻な政治的緊張を生み出し、軍事衝突のリスクをもたらしている。4月28日にスプラトリー諸島付近で中国海警局とフィリピン沿岸警備隊の船が衝突寸前となった事案を受け、米国務省のマシュー・ミラー報道官は中国に対し、「挑発的かつ危険な行為をやめる」よう求めたうえで、中国がフィリピン軍を攻撃すれば米国が対応すると述べた。

台湾沖では、中国は4月10日までの3日間にわたり軍事演習を行い、戦闘機が精密攻撃のシミュレーションや台湾封鎖演習を実施した。

2022年11月のG20サミットで習近平主席とバイデン大統領は会談を行い、通信経路を常にオープンにし、グローバルな課題に関する協力を強化し、人的交流を拡大することで合意した。この後にアンソニー・ブリンケン国務長官が北京を訪問することになっていたが、米国領空を飛行する中国の気球を米国が撃墜した後、訪中は取りやめとなった。

米中関係がこれほど急速に対立関係へと発展したのは、驚くべきことだ。トランプ大統領が就任する前、米国の大統領たちは中国の台頭を歓迎し、ジョージ・W・ブッシュの言葉を借りれば「平和的で繁栄した中国が国際制度を支える」ことを期待した。オバマ大統領は、「中国の平和的台頭が世界にとって良いことであり、米国にとって良いことであると断固信じる」と述べた。それ以降、習近平主席は権力を握り、よりナショナリスト的なアジェンダを掲げるようになり、トランプ大統領は中国を「戦略的競争相手」と呼んで制裁を導入し、バイデン大統領はそれを解除していない。

中国は今や世界第2位の軍事大国であり、2022年の軍事費は前年比4.2%増の2,920億ドルとなった。日本も自衛隊の防衛費を大幅に増やし、前年比5.9%増の460億ドルとしたが、それでもこれはGDP比1.1%に過ぎない。韓国の軍事費は、2022年に前年比4.6%増の483億ドルに増加した。北朝鮮は国家歳出の約16%を軍事費に充て、精力的な核開発計画とミサイル発射実験の維持を可能にしており、近隣諸国に不安を与えている。

世界全体の軍事費は、2022年に実質ベースで3.7%増加し、史上最高額の2兆2,400億ドルに達した。最大の軍事費増加をもたらしたのはウクライナ紛争であり、米国の軍事費は実質ベースで0.7%増加したが、それは主にウクライナ支援のためである。ロシアも、軍事費を推定9.2%増の864億ドルに増やした。米国の軍事費は圧倒的世界1位の8,770億ドルで、世界全体の39%を占める。これは中国の3倍である。

宇宙開発競争の激化も、地上での地政学的紛争を助長している。

中国は、相対的なパワーの優位性を米国と争うなかで、宇宙、AI、量子コンピューター技術を極めて重要な三つの基盤的技術と位置付け、急速な進展を計画している。2023年3月に開催された全国人民代表大会(NPC)と中国人民政治協商会議(CPPCC)の両会議の後、中国は、世界の主要国となるためにこれらの技術を優先事項と位置付けた。

韓国の尹大統領と日本の岸田首相が4月16日に会談し、日韓関係の改善で一致したことにより、民主主義国同盟の構築を目指すバイデン大統領の努力は大きく進展した。その一方で、韓国国民の75%が核保有に賛成していると報告されているにもかかわらず、尹大統領がホワイトハウスを訪問した際、韓国は核兵器保有を目指さないという宣言が発表された。その見返りとして、米国は韓国への拡大抑止を強化するとともに、合同軍事演習を強化することを約束した。

同時に、岸田首相は「二つの海の交わり」という安倍晋三元首相の夢を追求し、3月20日にニューデリーを訪問して、インド太平洋地域における日本とインドの戦略的協力の強化を図った。インドがG20の議長国、日本がG7の議長国を務めていることから、岸田はこれを、両国が力を合わせて世界秩序を形成する機会としても捉えている。インドは、近頃浮上している世界秩序のあり方に関する論争や、グローバルサウスにおける影響力をめぐる中国、ロシア、米国の競争で、重要な役割を果たしている。

中国の視点から見ると、こういった封じ込めの努力は中国国民の「意志を強固にするのみ」である。中国は、引き続き平和的に台頭し、屈辱の世紀に失った歴史的領土と見なす土地を回復し、貿易戦争、技術戦争、デカップリングを回避しようとしている。

しかし、デカップリングは起こりつつある。なぜなら、主要各国がパンデミックや地政学による供給ショックから国内経済を保護しようとしているからだ。中国は、「双循環」モデルを追求している。インドは、「メイク・イン・インディア」プログラムを実施している。米国は、国内産業を保護し、中国へのアウトソーシングを禁止しようとしている。これが、これまで東アジアの平和を促進する最大の要因だった東アジアにおける貿易パターンにどのような影響を及ぼすかは明確ではない。

中国がソフトパワーの重要性を認識していることを示すものとして、習近平主席は、ウクライナに提案した12項目の和平案やイエメンにおける停戦の提案など、和平仲介の分野に参入することによって、一帯一路の外交政策を推進している。

これは、米国とその同盟国が中国と協力してウクライナにおける平和的解決を模索し、台湾に関する和解に向けて動くことに同意するとしたら、より広範な協力の前触れとなり得る(政策提言No.153および No.126を参照) 。中国と平和的に折り合うことができ、なおかつ、世界の公平性を促進し、気候変動と生物多様性喪失を緩和し、国連憲章と国際法の原則を堅持する世界秩序の新たなルールやグローバルガバナンスの新たな体制について合意をまとめるため、G7とG20は力を合わせて努力する必要がある。

 サミットがこれらの期待に応えられるかどうかは、結果を待たねばならない。

ヒュー・マイアルは、英国・ケント大学国際関係学部の名誉教授であり、同国最大の平和・紛争研究者の学会である紛争研究学会の議長を務めている。ケント大学紛争分析研究センター所長、同大学政治国際関係学部長、王立国際問題研究所の研究員(欧州プログラム)を歴任した。マイアル教授は戸田記念国際平和研究所の上級研究員である。

INPS Japan

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ロシアの報道の自由度は「冷戦後最悪」

【ブラチスラヴァIPS=エド・ホルト】

ロシアで米国人ジャーナリストが逮捕されたことは、同国にいる外国人記者に冷ややかな警告を与えただけでなく、国内のあらゆる反対意見を最終的に封じ込めたいというロシア政府の願望の表れであると、報道の自由を監視する団体「国際新聞編集者協会(IPI)」が警告した。

ウォール・ストリート・ジャーナルの記者エバン・ゲルシュコビッチ氏が3月末に拘束されたことは、プーチン政権が情報統制に対する既に厳格な支配を強め、批判者に対する弾圧を拡大している可能性を示しているという。

「この動きは極めて深刻です。冷戦後初めて米国人ジャーナリストが拘束されただけでなく、非常に重大な容疑がかけられました。これはさらなる言論統制に向けた大きな一歩です。(独立した声を取り締まることは)ここしばらくのプーチン政権の方針であり、ますます多くの人を標的にしているようです。」と、「国際新聞編集者協会」のアドボカシー・オフィサーであるカロル・ルシュカ氏はIPSの取材に対して語った。

米国籍のゲルシュコビッチ氏は、取材に赴いていたエカテリンブルクでスパイ容疑で逮捕された。現在、モスクワのレフォトヴォ刑務所に拘留中で、スパイ容疑で最長20年の懲役刑に処される可能性がある。彼の最近の報道の中には、ロシア軍がウクライナ戦争で直面している問題や、欧米の制裁がロシア経済にどのようなダメージを与えているかについての記事があった。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙はゲルシュコビッチ記者に対するスパイ容疑を否定しており、この逮捕は欧米の指導者や権利運動家から非難を浴びている。また、この逮捕をプーチン政権の政治的策略であり、ゲルシュコビッチ記者は将来、米国との捕虜交換に利用するために拘束されたのだとする見方もある。

「国際新聞編集者協会」は、たとえそうだとしても、今回の逮捕は、プーチン政権の方針に従わないジャーナリストに対する非常に明確なメッセージでもあるとしている。

Logo of Committee to Protect Journalists
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ジャーナリスト保護委員会(CPJ)の欧州・中央アジアプログラムコーディネーターであるグルノザ・サイード氏は、IPSの取材に対して、「逮捕が政治的なものであることは明らかです。エヴァンの容疑について聞いたとき、まず脳裏に浮かんだのは『米国は今、どのような高名なロシア人を収監しているのだろうか』ということでした。」と指摘した上で、「外国人特派員は、ロシアの実像を世界中の読者に伝える貴重な存在です。今回の逮捕は、すべての外国人記者に、ロシアでは歓迎されておらず、いつでも罪に問われる可能性があるというメッセージを送っています。今後、記者達を取り巻く状況は予測不可能であり、安全でないことは明らかです。」と語った。

ロシアの独立系メディアは、ウクライナへの侵攻が本格化する以前から弾圧に直面していたが、以降その傾向が強まっている。

プーチン政権は、戦争に批判的な情報へのアクセスを阻止するため、批判的な新聞社のウェブサイトやソーシャルメディアプラットフォームをブロックする動きを見せているほか、「軍の信用を失墜させる」行為を犯罪とする新たな法律を根拠に軍事検閲を導入している。

このため、従業員が刑務所に収監されるリスクを回避するため、先手を打って閉鎖するメディアもあれば、スタッフの数を大幅に削減したり、ニュースルームを国外に移転したりして、事実上の亡命状態に追い込まれたメディアもある。

これまで海外メディアは、この弾圧の影響を比較的受けずに済んでいた。ウクライナ侵攻が始まった当初、多くの外国人特派員は安全上の懸念から国外に引き上げた。しかし、ゲルシュコビッチ氏のようにロシアに戻って報道を続けた外国人記者も少なくなく、彼らは最近までロシア人記者よりも比較的自由度の高い報道ができていた。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

「だからこそ、ゲルシュコビッチ氏の逮捕は、プーチン政権下での独立ジャーナリズムの将来にとって非常に心配なことなのです。このような重大な容疑で外国人ジャーナリストを逮捕することは、プーチンの情報戦における新たに重要な局面を示すものです。その目的は、ロシアに残って、ウクライナ戦争に関連する現地取材や調査を敢行する全ての西側ジャーナリストを威嚇することにあります。」と国境なき記者団の東欧・中央アジアデスク長、ジャンヌ・カベリエ氏は語った。

「これは、彼らがロシア人の同僚よりも相対的に保護されていないことを示すシグナルです。いつものように、(これは)恐怖を広め、彼らを黙らせるためのものです。」昨年3月以来、すでに数十の外国メディアと数百の地元独立ジャーナリストがロシアを去っています。これにより状況は一層悪化し、ロシアから信頼できる情報源がさらに得難くなっています。」

また、今回の逮捕は、プーチン政権がロシア国内の情報をほぼ完全に統制下に置くという目標に向かって進んでいることを示すものだと考える人もいる。

「かつてソ連に存在したような検閲にはまだ程遠いですが、プーチンと側近らは長い間、ソ連の検閲制度が自分たちの模範であると言ってきました。これがロシアでのやり方であり、政府が望んでいるやり方なのです。嘆かわしいことだが、これが現実です。」とIPIのルシュカ氏は語った。

「最終的には、ロシアから発信されるすべての情報が厳しく管理された冷戦時代のようになる可能性があります。」とCPJのサイード氏は付け加えた。

一方、今回の逮捕は、より広範な人々へのシグナルでもあるとの見方もある。

 Alexei Navalny at one of the rallies in Moscow./By Dmitry Aleshkovskiy, CC BY-SA 2.0
 Alexei Navalny at one of the rallies in Moscow./By Dmitry Aleshkovskiy, CC BY-SA 2.0

近年、プーチン政権は、政治のみならず他の社会分野でも、反対勢力を封じ込める動きを見せている。野党指導者アレクセイ・ナワルヌイのような声高な批判者が刑務所に収監される一方で、国内外の権利団体を含む多くの市民社会組織が当局によって閉鎖された。

このような弾圧はウクライナ侵攻から強まり、IPSの取材に応じたロシア人は、特にウクライナ侵攻への批判を犯罪とする法律が導入されて以来、多くの人が公の場で発言することに警戒心を強めている、と語った。

「まったくばかげた事態です。戦争のために物資不足や供給の問題が発生しており、私たちはそれをいつも職場で見ています。私たちは物資不足の問題を職場で話せますが、その原因となっている『戦争』という言葉は使えません。その言葉を口にすれば、何年も刑務所に入ることになるからです。」とモスクワの公共部門で働くイワン・ペトロフ(仮称)はIPSの取材に対して語った。

ペトロフは、「戦争に反対している多くの人々を知っていますが、誰もがわずかでも反対を表明することを恐れています。」と付け加えた。

「戦争が悪いことだとわかっていても、それを口にすることができないのです。検閲が非常に厳しく、経済への悪影響に触れただけで、反逆罪で投獄されることもあります。」とペトロフはIPSの取材に対して語った。

Logo of Human Rights Watch
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このような背景から、ゲルシュコビッチ氏の逮捕は、戦争や政府を支持しない一般のロシア人の恐怖心を強め、彼らが発言するのを止める可能性が高いと、権利運動家たちは語った。

「あらゆる報道の自由を抑圧することと、すべての独立した声を抑圧することを切り離して考えることは困難です。(ロシア当局が)このような著名な記者を明らかに偽りの理由で逮捕するとき、その真の目的が何であろうと、彼らは間違いなく、それがより広い幅広い国民に送る冷徹なメッセージを十分に認識しています。」と、ヒューマンライツウォッチの欧州・中央アジア部門副所長のレイチェル・デンバーは、IPSの取材に対して語った。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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絡み合う危機の時代?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=トビアス・イデ 

過去3年間のニュースを追っていると、世界は永久に危機的状況が続くのではないかという印象を受けるかもしれない。気候変動は間違いなく現代の最も大きな課題であり、トップニュースはしばしば新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に関するもので占められ、ロシアによるウクライナ侵攻があり、直近では、エネルギー・食料価格の急激な高騰である。2021年アメリカ合衆国連邦議会議事堂襲撃事件、レバノンとスリランカのほぼ完全な経済破綻、アマゾンの熱帯雨林の大規模破壊など、他にも多くの出来事を加えることができるだろう。(

このように悪いニュースが重なっても驚くには当たらないという人もいるかもしれない。結局のところ、「苦難は売れる」のである。メディア従事者らは長年、災害や戦争、悲劇的な出来事は、ポジティブな出来事よりもニュースとして価値があると考えてきた。同様に、国際社会も、短い期間に複数の「危機」的な出来事が偶然重なるということを経験してきた。例えば1979年には、イラン・イスラム革命があり、経済摩擦に際して石油価格の高騰があり、ソビエトのアフガニスタン侵攻があり、ラテンアメリカ全体に及ぶ政情不安(翌年の債務危機に続く)があり、スリーマイル島原発事故があった。

しかし、今日私たちが経験しているのは、様々な危機がただ偶然同じような時に生じているというのではない。むしろ、それらの危機は深く相互に関係し、お互いを悪化させている場合が多い。従って、これらは絡み合う危機となりつつあり、私たちはこれからの数十年間、そうした危機をより多く経験する可能性が高い。

「アフリカの角」における現在の食料状況は、そのような絡み合う危機の影響の典型的な(そして恐ろしい)事例である。世界保健機関によれば、同地域は「過去70年間で最悪の飢餓のひとつ」に直面している。3,700万人を超える人々(そのうち700万人超が5歳未満の子どもである)が、酷い栄養失調に陥っている。エチオピア、南スーダン、ソマリアのような国々での長年にわたる政情不安と貧困が、食料不足の要な理由である。しかし、ウクライナの戦争が状況を悪化させた。戦争のために世界の食料価格が高騰したことに加え、国際援助の一部の支援先が東アフリカから東ヨーロッパへと変更されたからである。この影響が、COVID-19パンデミック(およびそれによって引き起こされたサプライチェーンの混乱)の負の遺産や、同地域における気候変動被害に加わったのである。エチオピア、ケニアおよびソマリアは、(40年間で初めて)4年連続で雨季がなく、一方、過去3年間で南スーダンの領土の40%が洪水に見舞われた。このような状況が、地域の農業経済をさらに悪化させている。

上に挙げた危機の多くは、その影響が重なるだけではなく、お互いをさらに悪くする可能性もある。例えば、気候変動と生態系破壊は、ヒトと野生生物の生息域を近づけ、そのことで、動物からヒトへのウイルス感染のリスクを高める(COVID-19がそうだったように)。経済不況、災害対応における失策、パンデミックに関連する制限は、政治への不満を高めており、ポピュリストや過激主義の指導者の台頭を許しかねない。そのような政治家(アメリカのトランプや、ブラジルのボルソナロを思い浮かべてほしい)は、気候変動やCOVID-19などの問題の防止や対処の業績に乏しい。気候変動は、武力衝突(持続可能な開発が困難になる)や生態系破壊(気候変動がさらに加速する)のリスクを高める。そして、アメリカと中国(およびロシア)の間で激化している地政学的な競争が、上述した問題のいくつかに対して、地球規模で一致した強力な措置を講じる可能性を狭めている。これら一連の問題はしばらく続きそうだ。

世界的な温暖化、生物多様性の喪失、社会経済的な格差の拡大、国際的緊張、内戦および持続不可能な都市化といった懸念される傾向は、21世紀の間、あるいはそのあとも続くだろう。結果として、様々な危機の原因と影響がより絡み合うようになり、人類は危機の時代を生き続けることになるのだろうか? これは非常に現実的な、また、現在の展開から判断して、もっとも現実的なオプションである。

そのうえで、慎重な楽観主義のための理由が少なくとも2つある。第1に、本稿で言及している危機の多くに共通の原因があり、また似たような脆弱性に対して影響を及ぼしている。マルクス主義や批判理論の支持者を超えて、新自由主義的な市場重視と(お金の関わらない)社会経済的なコストの無視に非常に問題があるという認識は広まっている。さらに、すでに周縁化されているグループが、ほとんど全ての危機に対してもっとも脆弱である。例えば、教育レベルが低く貧しい人々は、食料不足に陥るリスクが最も高く、気候変動にうまく適応する可能性が最も低く、また、(食料を購入できない、または、傷害保険や健康保険を確保できない等の理由で)健康リスクがより大きい。従って、環境に関する無知、貧困、社会的不平等、ジェンダー差別を減らすための措置は、複数の危機に同時に対処するものとなる。

第2に、研究者らは、大きな問題同士の間の相互依存性を利用し、統合された形で対処するための複数の戦略を指摘している。例えば、環境平和構築の提唱者らは、紛争当事者たちが共通に直面している環境問題は、彼らがポジティブ・サムの協力を始め、環境悪化と平和に対する脅威に同時に対処するための入り口となる、と主張する。

究極的にいえば、人類には、複数の危機が絡み合う原因と影響に対して行動を起こすのか、それとも危機の時代を生きるのかを選択することができる。過去数十年間で、より多くの人々が安全な水へのアクセスを得、初等教育を修了するようになったこと、あるいは、オゾン層を破壊する物質の使用を段階的に中止したことなど、大いに改善できたこともいくつかある。今後数年間のうちに、そのような「成功」がもっと多く、そして緊急に必要とされている。

トビアス・イデは、マードック大学(パース)で政治・政策学講師、ブラウンシュヴァイク工科大学で国際関係学特任准教授を務めている。環境、気候変動、平和、紛争、安全保障が交わる分野の幅広いテーマについて、Global Environmental Change、 International Affairs、 Journal of Peace Research、 Nature Climate Change、 World Developmentなどの学術誌に論文を発表している。また、Environmental Peacebuilding Associationの理事も務めている。

INPS Japan

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【東京IDN=池田大作】

国連総会での決議を基盤に 停戦合意を導く努力が急務

米ソ両国の医師が共有していた信念

世界中に深刻な打撃を広げ、核兵器の使用の恐れまでもが懸念されるウクライナ危機が、1年以上にわたって続いています。

その解決が強く求められる中、広島市でG7サミット(主要7カ国首脳会議)が5月19日から21日まで開催されます。

広島での開催に際して思い起こされるのは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同創設者であるバーナード・ラウン博士が述べていた信念です。

冷戦終結に向けて世界が急速に動いていた1989年3月、広島訪問のために来日した博士とお会いした時、アメリカで心臓専門医の仕事を続ける一方で平和運動に尽力する思いについて、こう語っていました。

「何とか人々を『不幸な死』から救い出したい。その思いが、やがて、人類全体の『死』をもたらす核兵器廃絶の信念へと昇華されていったのです」と。

その信念こそ、心臓病研究の盟友だったソ連のエフゲニー・チャゾフ博士と冷戦の壁を超えて共有され、IPPNW創設の原動力となったものだったのです。

President Reagan greets Soviet General Secretary Gorbachev at Hofdi House during the Reykjavik Summit, Iceland. Credit: Ronald Reagan Presidential Library
President Reagan greets Soviet General Secretary Gorbachev at Hofdi House during the Reykjavik Summit, Iceland. Credit: Ronald Reagan Presidential Library

運動の起点となる対話を二人が交わしたのは、1980年12月――。レーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がジュネーブで合意した「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との共同声明に、5年も先立つものでした。

米ソの共同声明が世界の耳目を集めた翌年(1986年6月)、ラウン博士とチャゾフ博士は広島を訪れ、病院で被爆者を見舞った次の日に、「『共に生きよう 共に死ぬまい』―いま核戦争防止に何をなすべきか―」と題するシンポジウムで講演を行いました。

この「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉には、人々の生命を守ることに献身してきた医師としての実感が、凝縮していたように思えてなりません。そしてそれは、“地球上の誰の身にも、核兵器による悲劇を起こさせてはならない”との広島と長崎の被爆者の思いと、響き合うものに他なりませんでした。

翻って近年、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が長引く中、ともすれば各国の対応が“内向き”になりそうな時に、保健衛生に関する国際協力の紐帯となってきたのが、「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉にも通じる連帯の精神ではなかったでしょうか。

その精神を足場にしながら、今回の広島サミットを通して、多くの市民に甚大な被害が及んできたウクライナ危機を早急に打開する道を開くとともに、「核兵器の威嚇と使用の防止」に向けた明確な合意を打ち出すことを、強く訴えたい。

民間施設に対する攻撃の即時停止を

A shopping center in the city of Kremenchuk in the Poltava region of Ukraine after a Russian rocket strike on June 27, 2022 at 15:50. Credit: Dsns.gov.ua, CC BY 4.0
A shopping center in the city of Kremenchuk in the Poltava region of Ukraine after a Russian rocket strike on June 27, 2022 at 15:50. Credit: Dsns.gov.ua, CC BY 4.0

世界を震撼させながらも13日間で終結をみた1962年のキューバ危機とは異なり、現在のウクライナ危機はエスカレートの一途をたどっており、ロシアによるベラルーシへの核配備計画をはじめ、原発施設周辺への攻撃や電力切断という事態まで起きています。

国際原子力機関のグロッシ事務局長が「(電源喪失のたびに)サイコロを振るようなもので、この状況が何度も続くことを許せば、いつか私たちの命運は尽きかねない」と警鐘を鳴らしたように、このままでは取り返しのつかない事態が引き起こされかねません。

危機発生から1年を迎えた2月、国連総会で緊急特別会合が開かれ、ウクライナの平和の早期実現を求めるとともに、戦争の悪影響が食料やエネルギーなどの地球的な課題に及んでいることに深い懸念を示した決議が採択されました。

具体的な項目の一つとして、「重要インフラに対する攻撃や、住宅、学校、病院を含む民間施設への意図的な攻撃の即時停止」が盛り込まれましたが、何よりもまず、この項目を実現させることが、市民への被害拡大を防ぐために不可欠です。その上で、「戦闘の全面停止」に向けた協議の場を設けるべきであり、関係国の協力を得ながら一連の交渉を進める際には、人々の生命と未来を守り育む病院や学校で働く医師や教育者などの市民社会の代表を、オブザーバーとして加えることを提唱したい。

かつてラウン博士はIPPNWの活動に寄せる形で医師の特性に触れ、「同じ人間を一つの型にはめ込んでしまう危険な傾向に抵抗するだけの訓練とバックグラウンド」を備えており、「一見、解決できそうにない問題に対して、現実的な解決法を考案するよう訓練されている」と述べていました。また、医師ならではの表現として〝希望への処方箋〟との言葉を通し、国の違いを超えて平和の道を開く重要性を訴えていたことが忘れられません。

現在の危機を打開するには、冷戦終結への流れを後押しする一翼を担った医師たちが備えていたような特性の発揮が、求められると思えてならないのです。

3月に行われたロシアと中国の首脳会談の共同声明でも、「緊張や戦闘の長期化につながる一切の行動をやめ、危機が悪化し、さらには制御不能になることを回避する」との呼びかけがなされていました。

この認識は国連の決議とも重なる面があり、広島サミットでは、民間施設への攻撃の即時停止とともに、〝希望への処方箋〟として、停戦に向けた交渉の具体的な設置案を提示することを求めたいのです。

被爆の実相と核時代の教訓を見つめ直し G7の主導で「核の先制不使用」の確立を

核関連の枠組みが失われる危険

An unarmed Minuteman III intercontinental ballistic missile launches during an operational test on February 20, 2016, Vandenberg Air Force Base, Calif. Credit: Air Force Nuclear Weapons Center Public Affairs.
An unarmed Minuteman III intercontinental ballistic missile launches during an operational test on February 20, 2016, Vandenberg Air Force Base, Calif. Credit: Air Force Nuclear Weapons Center Public Affairs.

ウクライナ危機の早期終結と並んで、広島サミットでの合意を強く望むのが、「核兵器の先制不使用」の誓約に関する協議をG7が主導して進めることです。

核兵器の威嚇と核使用の恐れが一向に消えることのない危機が、これほどまでに長期化したことがあったでしょうか。

ここ数年、中距離核戦力全廃条約の失効や、各国間の信頼醸成を目的とした領空開放(オープンスカイズ)条約からのアメリカとロシアの脱退が続き、ウクライナ危機による緊張も高まる中、新戦略兵器削減条約(新START)についても2月にロシアが履行を一時停止し、アメリカも戦略核兵器に関する情報提供を停止しました。

新STARTまで破棄されることになれば、弾道弾迎撃ミサイル制限条約と戦略攻撃兵器制限暫定協定を締結した1972年以来、紆余曲折を経ながらも、核兵器に関する透明性と予測可能性の確保を目指して両国の間で築かれてきた枠組みが、すべて失われることになりかねません。

広島と長崎の被爆者をはじめ、市民社会が核兵器の非人道性を訴え続け、非保有国の外交努力や核保有国の自制が重ねられる中、「核兵器の不使用」の歴史は77年以上にわたってかろうじて守られてきました。

“他国の核兵器は危険だが、自国の核兵器は安全の礎である”との思考に基づく核抑止政策は、実のところ、国際世論や核使用へのタブー意識による歯止めが働かなければ、いつ崩落するかわからない断崖に立ち続けるような本質的な危うさが伴うものなのです。

私はこの問題意識に基づき、ウクライナ危機が起こる前月(2022年1月)に発表した提言で、G7が日本で開催される際に「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を広島で行い、「全面的な不使用」の確立を促す環境整備を進めることを提唱したのでした。

核兵器不拡散条約(NPT)の義務を踏まえた米ロ間の核軍縮条約として、唯一残っている新STARTをも失い、際限のない核軍拡競争や核兵器の威嚇を常態化させてしまうのか。

それとも、77年以上に及ぶ「核兵器の不使用」の歴史の重みを結晶化させる形で、核保有国の間で「核兵器の先制不使用」の誓約を確立し、NPT体制を立て直すための支柱にしていくのか――。

私はウクライナ危機を巡る提案や提言を2度にわたって行う中で、昨年1月にNPTの核兵器国である5カ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)の首脳が、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との原則を確認した共同声明を、核使用のリスクを低減させるための足場にすべきであると訴えてきました。

これに加えて、その後に合意された共通認識として何よりも注目するのは、昨年11月のインドネシアでのG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)で、首脳宣言に記された「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との一節です。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

G20には、核兵器国の5カ国や、核兵器を保有するインドのほか、核兵器に安全保障を依存する国々(ドイツ、イタリア、カナダ、日本、オーストラリア、韓国)が含まれています。こうした国々が、2021年に発効した核兵器禁止条約の根幹に脈打つ、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との認識を明記するまでに至ったのです。

G20の首脳宣言では、この認識と併せて、「今日の時代は戦争の時代であってはならない」と強調していましたが、G7サミットでもこの二つのメッセージを広島から力強く発信すべきではないでしょうか。その上で、G7の首脳が被爆の実相と核時代の教訓を見つめ直す機会を通じて、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との認識を政策転換につなげるために、「核兵器の先制不使用」の誓約について真摯に討議するよう呼びかけたい。

SGI結成の年に広島で行った講演

思い返せば、G7の淵源となった、6カ国での第1回先進国首脳会議が行われたのは、冷戦の真っただ中の1975年でした。

その年は、私どもがSGIを結成した年でもあり、創価学会の戸田城聖第2代会長が遺訓として訴えた「原水爆禁止宣言」を胸に、私が核兵器国である5カ国をすべて訪れて、各国の要人や識者との間で世界平和を巡る対話を重ねた年でもありました。

Atomic Bomb Dome and modern buildings. Credit: Hirotsugu Mori - Own work, CC BY-SA 3.0
Atomic Bomb Dome and modern buildings. Credit:Hirotsugu Mori – Own work, CC BY-SA 3.0

そして5カ国の訪問を終えた後、私が同年の11月9日に講演を行い、核兵器の全廃を実現させるための優先課題として、非保有国に対して核兵器を使用しないという消極的安全保障とともに、先制不使用の宣言の必要性を訴えたのが、広島の地だったのです。

その数日後にフランスでの開催を控えていた先進国首脳会議を念頭に置きながら、私は講演において、核廃絶に向けた第一段階となる国際平和会議を広島で行うことを呼びかける中で、次のように訴えました。

「私が、このように提案するのは、各国の利害、自国の安全のみが優先した首脳会議から、全人類の運命を担う核絶滅への首脳会議にしなければ、無意味に等しいと信ずるからであります」と。

その信念は現在も変わるものではなく、今回の広島サミットに託す思いもそこに尽きます。

キューバ危機をはじめ、核戦争を招きかねない事態に何度も直面する中、核兵器国の間でも認識されてきた〝核使用へのタブー意識〟が弱体化し、核軍縮や核管理の枠組みも次々と失われている今、「核兵器の先制不使用」の確立は、これまでの時代にも増して急務となっていると、改めて強く訴えたいのです。

人類を覆う脅威と不安の解消へ 「共通の安全保障」を築く挑戦

国連の報告書が示す世界の現状

そもそも今日、多くの人々が切実に求める安全保障とは一体何でしょうか。

ウクライナ危機が発生する半月ほど前に国連開発計画が発表した報告書では、「世界のほとんどの人々が自分が安全ではないと感じている」との深刻な調査結果が示されていました。背景には、〝人々が自由と尊厳の中で貧困や絶望のない生活を送る権利〟を意味する「人間の安全保障」の喪失感があり、パンデミックの数年前から、その割合は〝7人中で6人〟にまで達していたというのです。

この状況は、ウクライナ危機の影響でますます悪化している感は否めません。

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

報告書に寄せた国連のグテーレス事務総長の言葉には、「人類は自ら、世界をますます不安で不安定な場所にしている」との警鐘がありましたが、その最たるものこそ、核兵器の脅威が世界の構造に抜きがたく組み込まれていることではないでしょうか。

例えば、温暖化防止については〝厳しい現実〟がありながらも、人類全体に関わる重要課題として国連気候変動枠組条約の締約国会議を重ねて、対策を強化するためのグローバルな連帯が形づくられてきました。

一方、核問題に関しては、核軍縮を求める声があがっても、核保有国や核依存国からは、安全保障を巡る“厳しい現実〟があるために機が熟していないと主張されることが、しばしばだったと言えましょう。

しかし、昨年のNPT再検討会議で最終文書案に一時は盛り込まれた「核兵器の先制不使用」について合意できれば、各国が安全保障を巡る〝厳しい現実〟から同時に脱するための土台にすることができるはずです。IPPNWのラウン博士らが重視していた「共に生きよう 共に死ぬまい」との精神にも通じる、気候変動やパンデミックの問題に取り組む各国の連帯を支えてきたような「共通の安全保障」への転換が、まさに求められているのです。

闇が深ければ深いほど暁は近い

SGI joined with other NGOs to hold a side event at UN Headquarters during the NPT Review Conference to emphasize the urgency of the pledge of no first use of nuclear weapons. / Source: INPS Japan

その〝希望への処方箋〟となるのが、先制不使用の誓約です。「核兵器のない世界」を実現するための両輪ともいうべきNPTと核兵器禁止条約をつなぎ、力強く回転させる“車軸”となりうるものだからです。

世界のヒバクシャをはじめ、IPPNWを母体にして発足したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと連帯しながら、核兵器禁止条約の締結と普遍化のために行動してきたSGIとしても、喫緊の課題として「核兵器の先制不使用」の確立を後押しし、市民社会の側から時代変革の波を起こしていきたい。

かつてラウン博士が、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳が冷戦終結を宣言した年であり、東西の壁を越えて3000人の医師が集い、IPPNWの世界大会が「ノーモア・ヒロシマ この決意永遠に」をテーマに広島で行われた年でもあった1989年を振り返り、こう述べていたことを思い起こします。「一見非力に見える民衆の力が歴史のコースを変えた記念すべき年であった」と。

“闇が深ければ深いほど暁は近い”との言葉がありますが、冷戦の終結は、不屈の精神に立った人間の連帯がどれほどの力を生み出すかを示したものだったと言えましょう。

「新冷戦」という言葉さえ叫ばれる現在、広島でのG7サミットで〝希望への処方箋〟を生み出す建設的な議論が行われることを切に願うとともに、今再び、民衆の力で「歴史のコース」を変え、「核兵器のない世界」、そして「戦争のない世界」への道を切り開くことを、私は強く呼びかけたいのです。(英文へ

アラビア語)(ロシア語)(ドイツ語)(スペイン語

Toward A Nuclear Free World, InterPress Service (IPS), Global Issues, ДЕТАЛИ, Azerbaijan Vision, AlshamalNew, The Nepali Times, The Bhutanese, The Manila Times, Towards a Nuclear Free World, 

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【ローザンヌIDN=ホセ・カバレロ】

ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって1年以上が経過したが、ロシアの侵略に反対する世界的な合意形成の努力は行き詰まり、多くの国が中立を選択したように見える。ロシアを非難する国の数は減少しているとの情報もある。ボツワナは当初の親ウクライナの姿勢からロシア寄りに、南アフリカ共和国は中立からロシア寄りに、コロンビアはロシア非難から中立姿勢に移行している。一方で、ウクライナへの支援に消極的な国も少なくない。

UN General Assembly/ Wikimedia Commons
UN General Assembly/ Wikimedia Commons

例えばアフリカでは、アフリカ連合がロシアに「即時停戦」を呼びかけたにもかかわらず、ほとんどの国が中立を保っている。これは、冷戦時代から続く左派政権の伝統の結果であるとする見解もある。また、アフリカ諸国の現在の不本意な態度は、西側諸国が内政に、時には秘密裏に、時にはあからさまに介入してきた歴史に由来するとの指摘もある。

しかし、ロシアを非難することに消極的なのは、アフリカ諸国にとどまらない。2023年2月、ほとんどのラテンアメリカ諸国は、ロシアの即時・無条件撤退を求める国連決議を支持した。しかし、ブラジルはウクライナに有利ないくつかの国連決議を支持したにもかかわらず、ロシアを真っ向から非難していない。国連では、ボリビア、キューバ、エルサルバドル、ベネズエラの姿勢により、ロシアは西側の制裁から逃れることができた。さらに、ブラジル、アルゼンチン、チリは、ウクライナに軍事物資を送るという呼びかけを拒否し、メキシコは、ドイツがウクライナに戦車を提供するという決定に疑問を呈した。

同じような分断はアジアでも見られる。日本と韓国はロシアを公然と糾弾しているが、東南アジア諸国連合(ASEAN)はグループとしては非難していない。中国は、ロシアとの戦略的パートナーシップと国連での自国の影響力増大によるバランスをとりながら、この紛争に取り組んでいる。インドは国連安全保障理事会のメンバーとして、ウクライナ紛争に関連する議決を棄権している。

中立の政治

Photo: South Africa President Cyril Ramaphosa. Source: Mail & Guardian
Photo: South Africa President Cyril Ramaphosa. Source: Mail & Guardian

このような慎重で中立的な立場は、冷戦時代の非同盟運動の影響を受けており、開発途上国が「自分たちの条件で」紛争を戦い、ソ連や西側の影響圏の外で、ある程度の外交政策の自律性を獲得する方法と認識されていたのである。欧州連合(EU)の制裁に関する研究は、他国がEUの立場を支持しようとしないのは、外交政策の独立を望む姿勢と近隣諸国と敵対することを望まない姿勢の両方が関係していると指摘している。

西側とロシアの間で高まる地政学的な緊張に巻き込まれることを回避できるのが非同盟である。南アフリカ共和国のシリル・ラマポーザ大統領が指摘しているように、多くの民主主義国家が中立の立場を維持し、「両側と対話する」ことを好むのは、おそらくこのためである。

しかし、各国がロシアへの非難を控える場合、特定の経済的、政治的なインセンティブが影響している。

ブラジル

Map of Grazil
Map of Grazil

ウクライナ紛争の初期段階から、ブラジルは現実的だが曖昧な姿勢を維持してきた。この姿勢は、ブラジルが直面している農業とエネルギーに関するニーズにつながっている。世界トップクラスの農業生産・輸出国であるブラジルは、高い割合で肥料を使用する必要がある。2021年、ロシアからの輸入額は55億8000万米ドル(44億8000万ポンド)で、そのうち64%が肥料である。ロシアからの肥料の輸入量は、総輸入量4000万トンのうち23%にあたる。

2023年2月、ロシアのガス会社ガスプロムが、両国間のエネルギー関係拡大の一環として、ブラジルのエネルギー部門に投資することが発表された。これにより、石油やガスの生産・加工、原子力発電の開発において緊密な協力関係が築かれる可能性がある。このような協力関係は、世界トップクラスの輸出国になると予想されるブラジルの石油部門に利益をもたらすことになる。2023年3月までに、ロシアの石油製品に対するEUの全面禁輸と同時に、ロシアのブラジルへのディーゼル輸出は新記録を達成した。ディーゼルの供給レベルが高まれば、ブラジルの農業部門に影響を及ぼす可能性のある不足が緩和されるかもしれない。

インド

Map of India
Map of India

冷戦後のロシアとインドは、戦略的・政治的に類似した見解を持ち続けていると、専門家らは指摘している。2000年代初頭、戦略的パートナーシップの文脈で、ロシアの目的は多極的な世界システムの構築であり、パートナーとして米国を警戒するインドにアピールするものであった。また、ロシアはインドの核兵器開発計画や国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指すインドを支援してきた。ロシアはまた、1992年から2021年の間にインドの武器輸入の65%を供給し、インドの武器貿易における主要相手国であり続けている。ウクライナ戦争が始まって以来、ロシアは割引価格で石油を供給する重要なサプライヤーとなっており、インドの購入量は2021年の日量約5万バレルが、22年6月には日量約100万バレルに増加している。

南アフリカ共和国

ロシアのウクライナ侵攻一周年を前にして、南アフリカ共和国はロシア、中国と合同で海軍演習を行った。南アフリカ共和国にとってこの訓練は、資金不足で手薄になっている海軍の能力向上を通じて安全保障に貢献するものである。より広い意味では、南アフリカ共和国の中立的な姿勢には貿易上のインセンティブもある。ロシアはアフリカ大陸への最大の武器輸出国である。また、原子力発電も供給しており、重要なのは、小麦などアフリカ大陸に対する穀物供給の30%を供給していることで、ロシアのアフリカ大陸への輸出全体の70%は南アフリカ共和国を含む4カ国に集中している。

Map of South Africa
Map of South Africa

2023年1月、ロシアは南アフリカ共和国に対して、牧草や作物の成長に欠かせない窒素肥料を供給する最大の供給国である。さらに、ロシアからの主な輸入品の中には、食品加工を含むいくつかの産業で燃料として使用される練炭がる。南アフリカ共和国の食糧不安を考えると、これらの輸入は社会政治的、経済的に安定した生活を送る上で欠かせないものである。

ウクライナ戦争は、危機に瀕した他の民主主義国を支援するよう訴えたにもかかわらず、非同盟が引き続き人気のある選択肢であることを示した。この政策は、インドのような国の政治的アイデンティティの重要な要素であった。また、ブラジルのように、ジャイル・ボルソナロ大統領の下で明らな変化があったものの、非干渉主義が伝統的な政策の基本的要素であり続けているケースもある。

特に、西側諸国が非同盟諸国の多くに直接投資や開発・人道支援を提供している状況では、利害の対立がより鮮明になるにつれ、中立性を掲げる政策は「綱渡り的なもの」となる可能性が高い。(原文へ

INPS Japan

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「それはどこでも起こりうる」: 国連総会、ルワンダのツチ族に対するジェノサイドを振り返る

【国連ニュース/INPSJ】

国連総会は、「1994年のルワンダにおけるジェノサイドを考える国際デー(4月7日)」の記念行事を開催した。式典では、ルワンダ大虐殺当時、国際連合ルワンダ支援団が展開していたにもかかわらず、100日間に亘った恐怖の中で犠牲となった100万人以上の老若男女を追悼した。

国連総会は1948年に集団殺害を国際法上の犯罪と規定するジェノサイド条約を全会一致で採択していたが、1994年4月、ルワンダで長年に亘る部族間の緊張と対立が最悪の形で現実のものとなった。

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、ヘイトスピーチは警鐘であり、それによる社会への影響が強まれば、ジェノサイドが発生する脅威も大きくなると警告した。

「私たちは生存者のレジリエンス(強靭さ)に敬意を表すと共に、ルワンダの人々が癒し、回復、和解に向けて歩んできたことを認めます。そして、国際社会が恥ずべくも、(ルワンダ大虐殺当時)耳を傾けず行動しなかったことを想起します。」

「殺害はかなり前から計画され、意図的かつ組織的に実行されたものであり、白昼堂々と行われた計画的な殺人でした。」

グテーレス事務総長はまた、ジェノサイドから1世代(約20年)が経過した今、「あらゆる社会における礼節の脆弱性がもたらす危険性を決して忘れてはなりません。それは暴力促進します。ルワンダでジェノサイドへの道を開いた憎悪とプロパガンダは、テレビで放送され、新聞に印刷され、ラジオで吹聴されました。そして今日、憎しみを煽る声はさらに大きくなっています。インターネット上では、暴力への扇動、悪質な嘘や陰謀、虐殺の否定や歪曲、『他者』の悪魔化が、ほとんどチェックされることなく拡散しています。」と指摘した。

また、「デジタル世界において、より強固な規制、明確な責任、そしてより大きな透明性を求める中、『ヘイトスピーチに関する国連戦略と行動計画』が始動したことにより、表現や意見の自由を尊重しつつ、この惨劇に対抗するための各国への支援の枠組みを提供しています。」と説明した。

そして、「まだジェノサイド条約の締約国となっていない国連加盟国に対し、条約に加入するよう呼びかけるとともに、すべての国に対し、その約束を行動で示すよう求めます。一緒に、高まる不寛容に断固として立ち向かいましょう。尊厳、安全、正義、そしてすべての人のための人権の未来を築くことによって、亡くなったすべてのルワンダ人に真の追悼の意を捧げましょう。」と語った。

ルワンダ虐殺は「偶然ではない」

UN Photo/Manuel Elías
UN Photo/Manuel Elías

チャバ・コロシ国連総会議長は、「ジェノサイドは偶然ではなく、人種差別的イデオロギーを煽り、特定の人口の組織的破壊を目的としたキャンペーンを長年にわたって行ってきたことに起因している。」と語った。それが実行されたとき、世界は沈黙していた。

「ジェノサイドの準備が進んでいるということについては初期の段階で紛れもない警告が繰り返しあったにもかかわらず、当時国際社会は沈黙していました。この良心にもとる不作為に対して、私たちは『二度と繰り返さない』と言わなければなりません。」

「ルワンダの人々は、強さと決意をもって、荒廃した灰の中から国を再建してきました。今日、これらの努力の成果は、下院における男女平等、イノベーションの活気、経済の回復力、医療システムの強さ等至る所で見られます。」と指摘した。

「重要なことは、ルワンダは、若者に投資し、ダイナミックな人口の半分を占める20歳未満の人々に機会を与えていることです。ルワンダの人々は、より良い未来を見据えた国家を築いてきました。私たち国連総会もそうでありたいと思います。」

「家族全員を殺された」

Photographs of Genocide Victims - Genocide Memorial Centre - Kigali – Rwanda/ By Adam Jones, Ph.D. - Own work, CC BY-SA 3.0
Photographs of Genocide Victims – Genocide Memorial Centre – Kigali – Rwanda/ By Adam Jones, Ph.D. – Own work, CC BY-SA 3.0

国連総会は、ジェノサイドの生存者からも話を聞き、悲惨な体験談を共有した。

イベントに先立ち、現在米国在住の生存者であるヘンリエット・ムテグワラバさん(50)は、国連ニュースの取材に対して、どのように虐殺を生き延び、その傷を克服したか、また、今日のヘイトスピーチがいかにルワンダでの大量虐殺の呪われた響きほうふつさせるかについて語った。

「この話をするたびに涙が出ます。彼らは女性を強姦し、妊婦の子宮をナイフで切り開きました。人々は生きたまま浄化槽に入れられ動物は屠殺されました。私たちの家も破壊され私の家族全員、母と4人の兄弟が殺されました。」

1994年のツチ族に対する大虐殺では、「世界中が見て見ぬふりをした」と彼女は言う。「犠牲者らは知っていました。誰も助けに来ないことを。実際に誰も私たちのところに来てくれませんでした。このようなことが、二度とこの世界の誰にも起こらないことを、そして国連が迅速に対応する方法を考えてくれることを願っています。」

「ジェノサイドはどこででも起こりうる」

「1994年にルワンダで起こったことは誰にでも起こり得ることです。今日米国では多くのプロパガンダが蔓延しているが、人々は注意を払わず、社会が分裂している。」と強調した。

ムテグワラバさんは、著書『By Any Means Necessary』の中で、この現在の問題について詳しく述べている。実際、彼女は2021年1月6日の米国国会議事堂襲撃事件が起きた際、1994年4月と同じ恐怖を感じたという。

「ジェノサイドはどこでも起こる可能性があります。私たちはその兆候を目の当たりにしているのに、あたかも自分や周りの世界には関係ないことと装っているのです。私のメッセージはこうです:みなさん、目を覚ましてください。何かが起きているのです。すべてはプロパガンダに関することです。」 (原文へ

INPS Japan/国連ニュース

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【国連IPS=タリフ・ディーン】

4月1日からロシアが、アルファベット順の交代制により1カ月間の議長国として、国連安全保障理事会を主宰している。

しかし、戦争犯罪や国連憲章違反で告発された国が、国連で最も強力な政治機関のメンバーや議長になるのは、ロシアが最初でもなければ唯一の事例でもない。

サンフランシスコ大学の政治学教授で中東研究のコーディネーターを務めるスティーブン・ズーンズ氏は、安保理における政治駆け引きについて幅広く執筆しているが、IPSの取材に対して、「米国はベトナムとイラクで戦争犯罪を犯しながら安保理議長を務めたことがあります。」と語った。

「よって、ロシアが安保理議長に就任することは、この意味で前例がないとは言えません。確かに軍事力によって奪取した領土を違法に併合した国(=ロシア)が国連安保理の議長国になるのは初めてのことでしょう。しかし、米国がイスラエルとモロッコによる軍事力で奪った領土の違法な併合を公式に認めていることを考えると、こうした行動が問題ないと考えているのはロシアだけとは思えません。」とズーンズ氏は語った。

国際刑事裁判所(ICC)はこれまでにも、スーダンのオマル・ハサン・アル=バシール、ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチ、リビアのムアンマール・カダフィなど、複数の政治指導者を戦争犯罪や大量虐殺で訴えてきた。

記者会見で、戦争犯罪を犯した加盟国が国連安保理を主宰するという異常事態について問われたファルハン・ハク事務総長副報道官は、記者団に「安保理議長国を安保理加盟国がアルファベット順で交代するという安保理の規則を含め、安保理創立以来行ってきた方針はよくご存じだと思います。」と語った。

ハク副報道官は、ICCの発表を前に、「これ以上何も言うことはありません。」と付け加えた。

しかし、驚くべき新展開として、ICCは3月17日先週、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を戦争犯罪で告発し、マリヤ・リボワベロワ大統領全権代表(子供の権利担当)とともに、逮捕状を出した。

17日の発表によると、昨年ロシアに侵攻された戦禍のウクライナから、国連憲章に反して子供たちを不法に移送した罪で起訴された。

ICCを創設したローマ規程に加盟していないロシアは、この逮捕状を却下した。

先週発表された声明の中で、ICCのカリム・カーン主任検察官は、「独立した調査に従って私の事務所が収集・分析した証拠に基づき、予審室は、プーチン大統領とマリヤ・リボワベロワ女史が、ローマ規程第8条(2)(a)(vii)と第8条(2)(b)(viii)に反する、ウクライナ占領地からロシア連邦への不法送還・移送の刑事責任を負うと考える合理的根拠があると確認している。」と語った。

ICC事務局が確認した事件には、孤児院や児童養護施設から連れ去られた少なくとも数百人の子どもたちが強制送還されたことが含まれている。「これらの子どもたちの多くは、その後、ロシア連邦で養子縁組に出されたと我々は申し立てている。ロシア連邦では、プーチン大統領が出した大統領令によって、ロシア国籍の付与を早めるための法改正が行われ、ロシア人家庭に養子に出されることが容易になっている。」

Karim Asad Ahmad Khan was elected on 12 February 2021 as the new chief prosecutor of the International Criminal Court (ICC). Credit: UN Photo/Loey Felipe
Karim Asad Ahmad Khan was elected on 12 February 2021 as the new chief prosecutor of the International Criminal Court (ICC). Credit: UN Photo/Loey Felipe

シカゴ世界問題評議会のトーマス・G・ワイス特別研究員(グローバル・ガバナンス担当)は、IPSの取材に対して、国連報道官の発言は完全に正確であると語った。

「安保理の持ち回り議長を阻止した前例はありません。このことは、安保理が構築された異常構図を示す最も新しい兆候に過ぎません。とはいえ、ICCによるウラジーミル・プーチンへの不名誉な逮捕状が出たことで、恐らく安保理の席はロシア大使にとって居心地がよくないものとなるだろう。」とワイス氏は指摘した。

「ブーチン氏がすぐにハーグの国際法廷に立つ可能性は極めて低いが、国際的な圧力は増すばかりである。スロボダン・ミロシェビッチの事例を想起すべきだろう。」

「昨年、国連総会で人権理事会から無情にも追放されたときと同様、ロシア政府はこの展開に非常に不満を抱いています。ロシアを追放したこと(或いは2011年に追放したリビアのケース)は、他の国連機関(安保理以外)にとって、重要な前例となりました。ロシア政府は孤立することを嫌い、そのために今回の決定に反対したのです。」とワイス氏は語った。

最大の「もしも」は、ソ連が崩壊した1991年12月まで遡る。それは、ロシアが自動的に国連におけるソ連の席に就くことが問題視された瞬間だった。

「ロシアは既に30年間の国家運営の実績があるのだから、(ウクライナのゼレンスキー大統領はそうだが)それを疑問視することはできません。移行がスムーズに行われたことに安堵するのではなく、あのとき疑問を呈していれば、と思うしかないのです。」と、ラルフ・バンチ国際研究所の名誉所長でもあるワイス氏は語った。

グローバル・ポリシー・フォーラムのジェームズ・ポール元専務理事は、IPSの取材に対し、「ウクライナにおけるロシアの軍事作戦は、国際の平和と安全保障について多くの疑問を投げかけています。必然的に、この議論は国連で激論を生むことになりました。」と指摘したうえで、「多くの西側諸国政府(および市民の中のリベラルな『理想主義者』ら)は、制裁や孤立化を通じてさまざまな方法でロシアを罰し、それによってロシアが軍を撤退させ、ウクライナにおける戦略的目標を放棄することを望んでいます。」と語った。

「ロシアは4月に国連安保理の議長として毎月の持ち回りの席に着くことができないはずだ、と提案する人もいます。」

UNSC/ UN photo
UNSC/ UN photo

「しかしこうした主張は、現在、ロシアの違反行為を糾弾している西側諸国による軍事史に対する無知と、国際問題や世界で最も強力な国家主体の働きについての知識不足を露呈するものにほかなりません。」と、「狐と鶏:国連安保理における寡頭制と世界権力」の著者でもあるポール氏は語った。

「もし国連安保理が、国際法を破り、他国を侵略し、主権国家の境界線を強制的に変更し、選挙で選ばれた政府の転覆を画策する理事国に対して、持ち回りの議長職を公平に拒否していたら、(少なくとも西側諸国を含む)すべての常任理事国は議長職を失っていただろう。」とポール氏は語った。

ICCの逮捕状に対する国連事務総長の反応を問われたステファン・デュジャリック国連報道官は3月17日、記者団に対し、「これまで何度もここで述べてきたように、国際刑事裁判所は国連事務局から独立しています。我々はICCの行動に対してコメントすることはありません。」と語った。

プーチン大統領がジュネーブ、ウィーン、ニューヨークのいずれかの国連施設に入ること、あるいはアントニオ・グテーレス事務総長と会うことが許可されるかどうかを問われ、デュジャリック報道官はこう答えた: 「なぜなら…ご存じのように、渡航の問題は他の人にも関わるからです。一般的なルールとして、事務総長は目の前の問題に対処するため、相手がだれであれ話す必要がある人物と話すことになります。」

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアソシエイト国際司法ディレクター、バルキーズ・ジャラー氏は、「ICCの発表は、2014年以来ウクライナでロシア軍が犯した犯罪の多くの犠牲者にとって重大な日となった。」と語った。

ICC
ICC

「これらの逮捕状により、ICCはプーチン氏を指名手配し、あまりにも長い間、ロシアによるウクライナ戦争の加害者を増長させてきた不処罰を終わらせるための第一歩を踏み出したのです。」

ジャラー氏は、「この逮捕状は、民間人に対して重大な犯罪を犯す命令を出したり、容認したりすると、国際刑事裁判所の監獄に入れられる可能性があるという明確なメッセージを送っています。」と指摘した。

「国際刑事裁判所の令状は、虐待を行ったり、それを隠蔽したりしている他の人々に対して、地位や階級に関係なく、法廷に立つ日が来るかもしれないという警鐘を鳴らすものです。」

ポール氏はさらに、「暴力的で強力な国家が存在する世界において、国連は、戦争当事国をまとめ、外交と紛争解決を促進することができるので、有用です。」「ロシアへの処罰を求める人々は、米国は自国の利益を追求するためにこれまでに何度も軍事力で他国の主権を侵害しているため、(公平なルールが施行されれば)通常の処罰を受けることになることを認識すべきです。」と、指摘した。

イラク戦争は、国連のルールや安全保障理事会の決定を無視する米国の典型的な例であるという。米国のベトナム戦争やアフガニスタン戦争も、このタイプの戦争としてさらに注目を浴びているなど、数十の事例がある。

「英国もフランスも、国際法に反して強力な軍隊を使い、脱植民地化に対する血なまぐさい戦争や、旧植民地の鉱山や石油資源などへのアクセスを確保するための軍事介入を行ってきました。」

イスラエルと共同でエジプトに対して仕掛けたスエズ戦争は、このジャンルの典型であった。ロシアや中国も、ロシアのアフガニスタンへの介入やコーカサス地域での数々の戦争など、軍事作戦や介入を繰り返してきた。

「領土保全の原則を訴えることで有名な中国は、チベットを併合し、隣国のベトナムと何度も戦争を繰り返してきました。つまり、安全保障理事会の常任理事国は、国際法の基準を作るということに関しては、非常に悪い実績しかないのです。(背後に大国の支持を得た)より小さな国でさえも、侵略行為を行ってきたのです。その例として、イスラエル、トルコ、モロッコがすぐに思い浮かびます。」とポール氏は語った。

チャバ・コロシ国連総会議長がプーチン大統領と会談する意思があるかという質問に対し、同議長のポーリーン・クビアク報道官は記者団に対し、「コロシ議長はロシアを含む総会全加盟国を代表しています。彼はプーチン大統領との会談について、これまでもそして現在も意欲的です。」と語った。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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ロシアによるベラルーシ核配備が第三次世界大戦の警告を引き起こす

【国連IDN=タリフ・ディーン】 

14ヶ月前のウクライナ侵攻以来、ロシアによる核の脅威がエスカレートする中、ウラジーミル・プーチン大統領は3月26日、政治・経済・軍事面でロシアと密接な関係にあるベラルーシに戦術核を配備する予定であるとの新たな警告を発した。

プーチン大統領は、この配備計画について、「米国が何十年も前から行っていることであり、同盟国に核兵器を配備する米国の慣行と何ら変わらない。」と主張した。

ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は、この提案を支持する一方で、「核の炎をともなう第3次世界大戦が迫っている」と警告した。

Rebecca Johnson at the 2022 Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons/ photo by Katsuhiro Asagiri
Rebecca Johnson at the 2022 Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons/ photo by Katsuhiro Asagiri

核条約の専門家であり、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の初代会長であるレベッカ・ジョンソン博士は、「プーチンとルカシェンコによる核を用いた威嚇行動は危険で愚かだ。」とIDNの取材に対して語った。

ジョンソン博士は、「これは北大西洋条約機構(NATO)に挑戦するものだが、NATOがベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコと結んでいる挑発的な核共有協定を模倣しているに過ぎません。ベラルーシと核兵器を共有するという脅しが実際に実行されれば、意図的、事故、誤認の違いはあれども、この戦争で核兵器が使用される危険性が高まるだろう。」と指摘した上で、「ウクライナに対して行われている残酷な戦争を考えると、もしロシアが核兵器の一部をベラルーシに配備した場合、プーチンとルカシェンコは次に起こることに対してどう責任を取るのだろうか。」と疑問を呈した。

「プーチン大統領はこの戦争を開始した時点で、ウクライナの抵抗を過小評価したことが既に誤算でした。核抑止は既に失敗していますし、プーチン氏は既に戦争犯罪で起訴されています。彼が今やっていることは、ジェノサイド(大量殺戮)を引き起こす可能性があります。」と、ジョンソン博士は断言した。

Hans Kristensen/ FAS
Hans Kristensen/ FAS

 米国科学者連盟の核情報プロジェクトのディレクターでストックホルム国際平和研究所(SIPRI)上級研究員のハンス・M・クリステンセン氏はIDNの取材に対して、「米国は1950年代から少数の欧州諸国に核兵器を配備してきたが、プーチン大統領のベラルーシへの核配備発言は新しい取り決めとなります。」と語った。

クリステンセン氏はまた、「ベラルーシは昨年までは憲法の規定により核兵器の保持を禁止していましたが、憲法を改正して核保有を可能にしました。それでも、ロシアによるベラルーシへの核配備は、『すべての核保有国は核兵器の海外配備を控えるべき…』という2月の中ロ共同声明に反することになります。」と指摘した。

プーチン大統領によるベラルーシへの核配備の提案について問われた国連のステファン・デュジャリック報道官は、3月27日、記者団に対し、「さて、私たちはこれらの報道を見ましたが、明らかに、最近見られる核兵器を巡る緊張状態全般について懸念しています。そして、このことは、すべての加盟国が核不拡散条約(NPT)の下での責任を順守する重要性を想起させるものです。」と語った。

報道官また、「現在の核リスクは驚くほど高まっており、破滅的な結果をもたらす誤算やエスカレーションにつながりかねないあらゆる行動は避けなければならなりません。また、核兵器国も非核兵器国も、NPTの約束と義務を厳格に順守しなければなりません。」と指摘した。

さらにジョンソン博士は、「軍事専門家は『戦術核兵器』などという言葉を、さも悪いものでないかのように喧伝したがります。しかし、その実態は短距離で持ち運びができる核兵器という意味です。それは、より脆弱な核爆弾を意味するのであって、危険度の低い核爆弾を意味するのではありません。NATOの基地にある戦術核と称される爆弾は、1945年に広島と長崎を破壊した原子爆弾よりもはるかに大きな爆発力を持つように設計されています。」と指摘した。

「核兵器の戦術的使用というものは存在しません。核兵器を爆発させるというタブーが崩れれば、核戦争は解き放たれることになります。それは、考えるに堪えない悪夢だが、人類は今、その瀬戸際に立たされています。核兵器の使用は戦略的なものであり、住民を恐ろしい危険に晒すものです。赤十字は、都市や「戦場」(ウクライナ戦争では、プーチンの侵略に抵抗する町や村の集まりを意味するようだ)でのたった1回の核爆発による殺戮と放射能に対応できる人道支援活動は世界には存在しないことを何度も強調しています。」

Map of Beralus/ Eikimedai Commons
Map of Beralus/ Eikimedai Commons

「1990年代、ウクライナが自国に残されたソ連製(核)兵器を処分してNPTに加盟した判断は正しかった。また、ロシアがNATO対して核共有政策を止め、NPTと軍縮関連の諸条約を誠実に遵守するよう求めたのも正しい動きでした。ところが今のプーチン政権はこうしたロシアの政策を転換し、ロシアとウクライナ、そして欧州全体に暮らす人々を危険に晒しているのです。」

「核戦争と核兵器の使用を防ぐ唯一の方法は、すべての核兵器を廃絶することです。今日、手遅れになる前に、ロシア、NATO諸国、その他の核保有国は、国連の核兵器禁止条約(TPNW)に署名し、核戦争を防ぐための活動を始める必要があります。」とジョンソン博士は語った。

プーチン大統領がベラルーシに戦術核を配備すると発表したことについて、英国のジェームズ・カリウキ国連次席大使は3月31日、国連安全保障理事会で、ロシアの発表は「威嚇と強制を試みるまたもや無駄な試みだ。」と語った。

「ロシアの核のレトリックは無責任である。英国はベラルーシに対し、ロシアの無謀な行動を許さないよう要請します。英国は、ウクライナを支援し続けることを明確にしています。国連憲章に違反したのはロシアなのです。」

2022年1月、国連安保理の常任理事国で核兵器国である5大国の首脳は「核戦争に勝者はありえず、核戦争は決して戦ってはならない。…核兵器の使用は広範に影響を及ぼすため、核兵器が存在し続ける限り、防衛、攻撃の抑止、戦争の予防を目的とするべきであることを確認する。」との共同声明を発表した。

「しかし、この約束にもかかわらず、ロシアの違法なウクライナ侵攻が始まって以来、プーチン大統領は無責任な核のレトリックを使用しています。」「一つ明確にしておきたい。この紛争において、核使用を示唆している国は他にないし、ロシアの主権を脅かしている国もありません。他の主権国家を侵略して国連憲章に違反いるのはロシアに他ならないのです。」とカリウキ次席大使は指摘した。

James Kariuki, UK Deputy Permanent Representative to the UN. /Photo: Government of UK.
James Kariuki, UK Deputy Permanent Representative to the UN. /Photo: Government of UK.

「プーチン大統領による3月25日の(戦術核配備の)発表は、威嚇と強要を試みる最新の動きである。これはうまくいっておらず、今後もうまくいかないだろう。私たちは、ウクライナの自衛努力を引き続き支援します。」

「ロシアによる今回の発表に至った動機は、国連憲章51条に基づき自国を防衛するため、英国がチャレンジャー戦車とともに劣化ウラン弾をウクライナに供給しているというプーチン大統領の主張にあると聞いています。」

「しかしロシアは、劣化ウラン弾が核弾頭ではなく通常弾薬であることをよく知っているはずです。これは、ロシアが意図的に誤解を与えようとしているもう一つの事例に他なりません。」とカリウキ次席大使は語った。

「私たちは、国際社会が『核兵器の使用やその脅威に共同で反対する』という習主席の呼びかけを歓迎し、今日、中国国連大使の話にしっかりと耳を傾けています。また、核兵器は海外に配備されるべきではないという中国とロシアの共同声明にも注目しています。」

「こうした意思表示にもかかわらず、ロシアは集団安全保障を支える軍備管理体制を着実に棄損してきました。また、ロシアの中距離核戦力(INF)条約への執拗な違反は、2019年に同条約を崩壊させる結果を招きました。また今年になってロシアは、新STARTへの参加も停止しました。」

「ルカシェンコ大統領は、ロシアがベラルーシに核兵器を配備することを望んでいることを公言しています。私たちは、ロシアの無謀でエスカレートした行動を可能にすることをやめるよう、ルカシェンコ大統領に強く求めます。私たちは、ウクライナの人々への支持を堅持し、ロシアに非エスカレーションを要求します。」と、カリウキ次席大使は語った。(原文へ

INPS Japan

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