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ウクライナをきっかけに北東アジアで核ドミノの懸念

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=チャンイン・ムーン】

韓国は、核武装を取るか、経済的繁栄と韓米同盟を取るかのいずれかを選ばなければならない。

冷戦時代とは、人類が核戦争という恐ろしい見通しに震えた時代であった。しかし、それは同時に、核抑止戦略や多岐にわたる核軍縮交渉から戦略的安定性が形成された時代でもある。これは、冷戦のパラドックスとして知られる。

しかし、ウクライナでの戦争が長引くにつれ、70年以上にわたって守られてきた「核のタブー」というパンドラの箱がカタカタと音を立て始めている。具体的には、低出力の戦術核兵器が使用される可能性が高まってきたことで、世界各国で懸念と論争が巻き起こっている。ウクライナでの戦争が北東アジアで核のドミノ倒しを引き起こすという懸念すらある。(原文へ 

その発端となったのはプーチンである。彼こそが、核兵器使用の可能性を公然とほのめかし、国際的な核体制を脅かしている人物である。西側の軍事的脅威を引き合いに出しつつ、プーチンは、ウクライナ侵攻から4日後にロシアの核戦力の準備態勢を引き上げた。その後4月9日に公の会合に姿を現した際には、「核のカバン」を持ち歩く政府要員を伴っていた。

プーチンや他のロシア指導者たちは、繰り返し西側に対し、国家の存立が脅かされた場合は核兵器を使用する可能性があるとシグナルを送っている。その意味は、戦況がプーチンにとって不利になった場合、あるいは西側が軍事介入した場合、彼は核兵器の使用に踏み切る可能性があるということだ。

CIAのウィリアム・バーンズ長官は、近頃行った講演で、ロシアが戦術核兵器や低出力の核兵器を使用する可能性を排除しないと述べた。

ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領による発言も、核ドミノのリスクを高めている。2月19日のミュンヘン安全保障会議に参加したゼレンスキーは、安全保障に関する1994年のブダペスト覚書で交わした、ウクライナがソ連崩壊時に自国内に残された核兵器を放棄すれば安全を保証するという約束を守っていないとして、西側諸国、具体的には米国と英国を批判した。彼はまた、自国の安全を守るために核兵器を保有したいという強い希望を表明した。

皮肉なことに、このような流れは、北朝鮮が長年にわたって追求してきた核武装を正当化し、戦術核兵器の有用性を強調することにほかならない。米国によるイラク侵攻とリビアのカダフィ政権転覆により、平壌の政権は、核武装が唯一の生き残りの道だという認識を強くした。ウクライナでの戦争は、実質的に、そのような考え方を決定的に裏付けるものとなっている。

このことは、近頃の軍事パレードで金正恩(キム・ジョンウン)が行った発言に如実に表れている。「わが国の核戦力の基本的使命は、戦争を抑止することだ」と金は言い、「わが国の基本的利益を侵害しようとする勢力があれば、わが国の核戦力は、想定外ながら第2の使命を断固として遂行せざるをえない」と付け加えた。

金の発言は、ロシアの暗示と同様に、平壌は核兵器を先制使用する可能性があるということを示唆している。さらに、北朝鮮の国営メディアは、4月16日の新型戦術誘導ミサイルの発射実験は、射撃能力の選択肢を多様化し、戦術核兵器の効率性を高めることを目的として計画されたと伝えた。これは、戦術核兵器を実戦使用のために配備するという核ドクトリンが朝鮮半島で具体化されつつあることを示唆している。

北朝鮮の核兵器と核ドクトリンが日増しに強化されるにつれ、韓国でも核武装を求める世論が高まっている。カーネギー国際平和基金とシカゴ・グローバル評議会が近頃実施した世論調査では、韓国人回答者の71%が、ソウルは北朝鮮だけでなく中国の脅威にも備えて自国の核兵器備蓄を進めるべきだと述べた。

広島と長崎への原爆投下という悲劇を経験した日本では、核兵器反対の声は依然として根強いが、韓国がロシア、中国、北朝鮮に追随して核武装すれば、日本も核武装するだろう。そうなれば、台湾も、自国の核兵器を保有する以外の道はない。このような核ドミノのシナリオは、地域のすべての国が互いに核兵器で恫喝し合うということであり、まさしく悪夢である。

ワシントンの評論家の一部が韓国の核武装という見通しを歓迎しているのは事実である。しかし、米国政府を含むワシントンの主流派は、この考えに断固反対する姿勢を崩さない。彼らの見解では、核武装した韓国は韓米同盟とは両立しない。

核兵器不拡散条約(NPT)に象徴される国際的な核不拡散体制は、依然として強固である。韓国が一線を越えれば、その途端に韓国は北朝鮮と同列の除け者国家となり、経済制裁と外交的孤立に直面する運命に陥る。

要するに、韓国は、核武装を取るか、経済的繁栄と韓米同盟を取るかのいずれかを選ばなければならない。前者を選べば、原則的にも実際的にも、後者を維持することはほぼ不可能になるだろう。

核拡散(北朝鮮の核問題に代表される)と核兵器の実戦使用の高まる可能性(ロシアの脅威に象徴される)が全ての国で不確実性を高めていることは否定できない。しかし、韓国にとってはそれでもなお、戦略的安定性を維持し、北東アジアで核のドミノ倒しが始まらないようにすることが国益にかなっている。

だからこそ、実際には、韓国の外交政策は、全ての国が先を争って核兵器を獲得しようとするような状況を防ぐことに重点を置くべきである。それはまた、韓米同盟の最重要課題であり、韓国と米国が共有しうる価値である。

韓国は手始めに、核拡散に向かって急激に高まりつつある圧力を下げるため、この地域における多国間協議体の発足を目指すことが考えられる。その場合、北朝鮮の核問題をめぐる膠着状態の交渉を早急に再開することがいっそう重要になる。

核兵器の暗い影が世界中を覆う今、誰にとっても時間は待ったなしである。

この記事は、2022年5月2日に「ハンギョレ」に初出掲載され、許可を得て再掲載されたものです。

チャンイン・ムーン(文正仁)は、世宗研究所理事長。戸田記念国際平和研究所の国際研究諮問委員会メンバーでもある。

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世界伝統宗教指導者会議、女性の社会的地位について議論

【ヌルスルタンINPS Japan/Astana Times】

9月14日から15日にかけて開催される第7回世界伝統宗教指導者会議では、20年の歴史の中で初めて女性の社会的地位に関する特別セッションが開かれると、同会議のプレスサービスが9月8日に報じた。

Congress of the Leaders of World and Traditional Religions/ Photo by Katsuhiro Asagiri
6th Congress of the Leaders of World and Traditional Religions/ Photo by Katsuhiro Asagiri

この会議では、ポスト・パンデミック期における人類の精神的・社会的発展について、世界宗教・伝統宗教の指導者が果たす役割に焦点が当てられる。

このセッションでは、現代社会の持続可能な発展に対する女性の貢献に焦点を当てる。また、女性の社会的地位の向上を図るうえで宗教団体が果たす役割についても議論することになっている。

この会議の講演者には、アラブ諸国連盟のハイファ・アブ・ガザル社会問題担当事務次長、コプト正教会のロサンゼルス兼ハワイ司教、イスラム歴史研究センターのマフムード・エロル・キリッチ所長、アフラ・モハメド・アル・サブリUAE寛容・共存省事務局長、ヌリディン・ホリクナザロフ ウズベキスタン・イスラム教徒精神委員会会長、イシス・マリア・ボルゲス・デ・レセンデUniãoPlanetária会長、ジョナサン・エイトケン クリスチャン連帯ワールドワイド会長など、著名な宗教者や公人が含まれている。

Palace of peace and reconciliation, CC BY-SA 3.0
Palace of peace and reconciliation, CC BY-SA 3.0

パンデミック後の人類の精神的・社会的発展における世界宗教・伝統宗教の指導者の役割に焦点を当てたこの会議には、50カ国から100人以上の代表団が集まる予定だ。その中には、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、神道、仏教、ゾロアスター教、ヒンズー教などの代表者が含まれ、カトリック教会のトップであるローマ法王フランシスコ、アルアズハルの大導師アハメド・モハメド・エルタイブ、エルサレム総主教テオフィロス3世も含まれている。

教皇フランシスコは、今回のカザフスタン訪問の一環として、9月14日に万博記念広場で、ローマカトリック教徒と他の宗教・宗派の代表者のための野外ミサを行う予定だ。(原文へ

Astana Expo site/ photo by Katsuhiro Asagiri
Astana Expo site/ photo by Katsuhiro Asagiri

INPS Japan

この記事は、Astana Timesに初出掲載されたものです。

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世界伝統宗教指導者会議は希望の光

【ヌルスルタンINPS Japan=浅霧勝浩

9月14日・15日にカザフスタン共和国の首都ヌルスルタンで開催される「第7回世界伝統宗教指導者会議」(2001年以来3年毎にカザフスタンがホストして開催。今回は新型コロナの影響で4年ぶりに開催)を前に、世界各地から集まった記者に地元のテレビ局が取材した。(English)

Mr. Hirotsugu Terasaki, Vice President of Soka Gakkai  making statement at a plenary session/ photo by Katsuhiro Asagiri
Mr. Hirotsugu Terasaki, Vice President of Soka Gakkai making statement at a plenary session/ photo by Katsuhiro Asagiri

今年の会議のテーマは「ポストパンデミック期における人類の精神的および社会的発展への世界の宗教指導者の役割」。これは、テロとの戦いの名の下に、9・11同時多発テロ事件後に高まった特定の宗教を対象とした排他主義や過激主義に対して、世界の伝統宗教指導者自らが率先して対話を重ね、平和と協力関係を模索するイニシアチブとして、バチカンのヨハネ・パウロ2世やカザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ初代大統領らの呼びかけて始まった。20年目となる今回は、カソリック教会のローマ法王フランシスコをはじめ英国国教会、ロシア正教会、バハイ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、ジャイナ教、神道等、世界50カ国から100以上の代表団が参加している。

Map of Kazakhstan
Map of Kazakhstan

カザフスタンは130以上の民族が共生する多民族・多宗教国家で、「世界伝統宗教指導者会議」のプラットホームを同国が提供してきた背景には、古来よりシルクロードの中継地として東西南北を行き交う様々な民族・思想・技術を寛容に受入れてきたカザフ民族の社会的背景と、ロシアと中国に挟まれた広大な国土を比較的少ない人口で安定的に発展させていく知恵として、両国のみならず欧米・日本等の西側諸国やイランや中東・アフリカ諸国等とも巧みに平和・善隣外交を推進してきた政治的な背景がある。

今回の会議は、既に3年に及ぶ新型コロナウィルス感染症のパンデミックと、ウクライナ侵攻と核兵器使用の恫喝がなされる、いわば「人類の存在そのもが崖っぷちに立たされている」事態の中で開催される。

カザフ国営テレビによる取材に対しては、「一つ間違えれば、全てが消滅しかねない危機的な状況の中で、人間性の本質と良心に深く訴えかけることができる世界の伝統宗教指導者による対話と協力の動きは『希望の光』だと思う。」とコメントした。

Quazaqustan TV(カザフスタン国営テレビ)

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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カザフ国営テレビによる取材映像

盛り上がるマニフェストと痛快な回顧録:ウガンダ人活動家の新書

【ニューヨークIDN=リサ・ヴィヴェス】

スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムで講演をしようとしていたウガンダの若い気候変動活動家が、欧米のメディアから最後の屈辱を受けた。彼らは、白人の気候変動活動家の同僚と彼女を撮影する場面を演出し、最後のショットから彼女を切り取ってしまったのだ。

ヴァネッサ・ナカテは、「4人の白人活動家が写っている写真がウェブサイト上で使用され、自分は使用されていないのを見て、心を痛めました。人種差別という言葉の定義を理解したのは、生まれて初めてです。」と感情的なビデオ映像の中で言った。

AP通信はその後、ナカテに謝罪した。「今朝、ウガンダの気候変動活動家ヴァネッサ・ナカテを切り取った写真を掲載したことを遺憾に思います。」

しかし、この異様なスキャンダルはこれだけでは終わらなかった。

この事件により、ナカテはタイム誌の表紙を飾り、トレバー・ノアデモクラシーナウのエイミー・グッドマンなど多くの人々と共演し、幅広い注目を浴びるようになった。それから数日後、ナカテはTwitter、Facebook、Instagramのアカウントで10万人以上のフォロワーを獲得した。また、彼女のWikipediaのページを立ち上げた人も現れた。

グレタ・トゥーンベリをはじめとする3人の白人気候変動活動家が写った写真から切り取られたことは、ナカテにとって大きな痛手だったが、今ではこの経験が大きな原動力になっている。

Copyright: Amazon
Copyright: Amazon

彼女のメッセージは簡潔で的を射ている。「アフリカは世界の炭素排出量のわずか3パーセントにすぎないが、アフリカの人々はすでに、気候危機が引き起こす最も残酷な影響のいくつかに苦しんでいる。多くのアフリカ人が命を落としているのです。」とナカテは語った。

「グローバル・サウスの国々は、グローバル・ノースと比較して気候変動の原因となっている責任は軽いが、その影響から最も苦しんでいる国々である。」

2018年から活動家であるナカテは、スウェーデンの活動家グレタ・トゥ―ンベリに触発されてウガンダで独自の気候変動運動を始め、2019年1月に気候危機への無策に反対する単独ストライキを開始した。

今、カナテは作家として、初めての著作「気候危機に対するアフリカからの新たな提言」を出版。この本では、気候危機がアフリカにどのような影響を及ぼしているか、また彼女が発言する際に直面した差別について指摘している。

レイチェル・コンラッドは、ウェブサイト「Social Justice Books」で、「『気候危機に対するアフリカからの新たな提言』は盛り上がるマニフェストであり、痛烈な回想録でもある。それは、レジリエンス、持続可能性、そして真の公平性に基づいた気候変動運動のための新しいビジョンを提示している。」と記している。(原文へ

INPS Japan

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なぜジンバブエの女性は政治に無関心なのか

【ムタレIDN=ファライ・ショーン・マティアシェ】

ジンバブエの若い女性たちが家父長制的で男性支配的な政治の世界でのし上がっていこうとする際、オンライン上のいじめ(=ネットいじめ)や性的ハラスメントが問題となる。

若くカリスマ性があるネルソン・チャミサが率いる野党「変革のための市民連合(CCC)」に関する議論として始まったこの問題は、最終的には、CCCのファドザイ・マヘレ広報担当が与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線「ザヌPF」支持者からのネットいじめを巡る法廷闘争に打って出るという展開になっている。

国有紙『サンデー・メイル』のエドムンド・クドザイ元編集長が、マヘレとその婚約者とされる男性の裸の写真を掲載すると脅迫した。

Map of Zimbabwe
Map of Zimbabwe

マヘレの弁護士は後に、名誉棄損で10万ドルの慰謝料を求めてクドザイ元編集長を首都の高等法院に訴えた。

マヘレの事案はジンバブエ政治で多くの女性が直面する問題を象徴している。女性たちはしばしば、侮蔑的なあだ名を付けられたり、既婚の男性と不倫関係に陥っていると非難されたりすることで、口を封じられてきた。

政治における女性の権利を擁護する団体「リーダーシップと政治の浄化を求める女性アカデミー」のシタビル・デワ代表は、「女性が政治を敬遠する理由の一つに『ネットいじめ』があります。ネットいじめは、これまでも女性に対する武器として用いられてきました。政治の世界で要職を務め主導権を握ろうとする女性のほとんどが、個人情報をネットに流されたり、身体のことで男性からからかわれたりして、市民としてのイメージを汚され、票を失わせて政治の世界から去るように仕向けられてきたのです。」と語った。

デワ代表はまた、「ツイッターのようなマイクロブログ、フェイスブックやワッツアップのようなメッセージアプリなどでのヘイトスピーチも女性を政治の世界から追い出すために使われてきました。」と指摘した。

CCCの「女性の権利向上」臨時担当であるバーバラ・グワングワラ・タニャンイワは、若い女性や既婚女性の多くが政治を敬遠するのは、この国で女性が不当に扱われているためだという。

「驚くべきことに、国会議員を含めたほとんどの男性政治家は、男女平等などというものは労せずして女性に利益を与えるに等しいものだ、程度に考えています。他方で、政治を職業とする人が増えているため、男性が就くべきだと考えているポジションに女性を就かせようとはしません。」と、タニャンイワは指摘した。

人権活動家であり野党「労働・経済・アフリカ民主党」(LEAD)の党首でもあるリンダ・マサリラは、様々なSNSで侮蔑的なあだ名で呼ばれてきた。

「私が気づいたのは、ジンバブエはきわめて家父長制的な社会だということです。ジンバブエの政治や経済の世界で私のような人間が頭角を現すことは、多くの男性にとっては好ましくないことなのでしょう。男性は、いかに女性が力を持っているかを知っていますから、意見を持った女性を黙らせようとしますし、女性を黙らせる唯一の方法はその女性の人格そのものを攻撃することだということに、私自身が政治に関わる中で気づいたわけです。」とマサリラは語った。

議会でのジェンダー平等を促進するために、2013年に制定されたジンバブエ憲法では、上院で男女平等の議席割り当てが規定されており、2020年現在、上院議員80人のうち48%が女性となっている。

2018年の総選挙後、計350議席を持つ上下院の合計で女性議員は34.57%を占めている。

「2023年、女性にとっての政治環境は悪化する」

2023年に予定された統一選挙まであと1年となる中、政治に携わる女性たちは、多くの若い女性政治家にとってはいばらの道が待っているのではないかと懸念している。

ジンバブエ政治における女性は、現実世界でも性的嫌がらせを経験している。

2020年5月、ジンバブエの3人の活動家であるセシリア・チンビリ、ジョアナ・マモンベ、ネツァイ・マロヴァが、新型コロナウィルスから個人を防護する器具を政府が提供できなったことを抗議するデモに参加したことで誘拐され、性的虐待を受け、拷問されたと見られている。

政府はこの事件を捜査し容疑者を逮捕するのではなく、逆に、誘拐を偽装したといういう理由で被害者3人を逮捕した。3人は依然として法廷で争っている。

「政治的な暴力やセクハラは、政治に携わる女性に対して行われてきました。政治的な動機による暴力やセクハラの事案は多く記録されています これは昔も今も女性が政治を恐れる理由になっています。」とデワ代表は語った。

タニャンイワは、女性には非暴力的な環境が必要であり、2023年の統一選挙ではまだ多くの女性が政治に参入してくることはないだろうとして、「2023年の選挙に向かって、ザヌPFが暴力に訴えている中では、女性にとっての環境がよくなるとは思えません。」と語った。

デワ代表は、ジンバブエが来年の選挙に向かう中、各政党が選挙戦を繰り広げ、政治的環境は不安定化してくるだろうと見ている。

「SNS上を含めて女性指導者を狙った政治的動機に基づいた暴力は、命を狙うこともあります。女性の指導者や活動家は、政治的動機を持った加害行為や嫌がらせに直面しています。自分の命や家族が危険にさらされることを恐れて、女性が政治に関わらなくなる」とデワ代表は語った。

あらたなデータ保護法は政治の世界の女性を守るか?

ジンバブエ議会は昨年12月、サイバーセキュリティやサイバー犯罪に関連したデータ保護法を制定した。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

政治における女性の権利を擁護する一部の組織は、自らを守るためにデータ保護法を利用し、SNS上で嫌がらせを加えてくる者を裁判に訴えようとしている。

デワ代表によれば、ネットいじめと闘うために、それがいかに問題であるか意識を高めていく必要があるという。

デワ代表は、「政治に参加する女性はサイバーセキュリティに関する訓練を受けて、ネットいじめに対する耐性を身につけ、そうした事案に対処するための知識を持たねばなりません。」と語った。

「もし政治環境が女性にとって有利になり、暴力から解放されるようになれば、より多くの女性が自由かつ積極的に政治の世界に参入してくるようになるだろう。」とデワ代表は語った。

「女性が政治に参入しやすい環境を作るのが政党や市民社会、政府、その他の関係者の義務に他なりません。」

タニャンイワは、ジンバブエのすべての政党の指導者らがネットいじめを非難すべきです。」と語った。(原文へ

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タリバンの悲惨なアフガニスタン統治が1年を迎える

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アミン・サイカル

アフガニスタン統治から1年が経った今なお続く、タリバンによるイスラムの名における過激な残虐行為と、包摂的な政府と人権尊重を求める国連主導の国際的な要求の無視は著しい。タリバン政権は世界の承認を得ておらず、アフガンの人々はアフガニスタンの現代史において最悪の人道危機の只中にある。この国の将来の見通しがこれほど暗かったことはない。

アフガニスタン市民および世界は、米国のアフガニスタン和平担当特別代表ザルメイ・ハリルザドから、タリバンは変わったのだとたびたび聞かされてきた。彼は、2020年2月にアフガニスタンから外国部隊を全て引き上げるとの合意をタリバンと結んだ。また彼は数名の識者とともに「ニュー・タリバン」という用語を作り出し、2001年9月の米国同時多発テロ攻撃の後、アルカイダを匿っているとして米国の侵攻により転覆された以前の過酷な統治体制とは異なる、繊細さがある組織であると再定義した。(原文へ 

しかし、パキスタンの後ろ盾を得るとともに、反米の立場から中国とロシアに接近されているタリバンは、その過激な神権的信条と実践において変化の兆しを見せていない。彼らはアフガニスタンを中世に戻してしまい、厳しい政治的社会的制約を課し、反対派を残虐に罰している。タリバンが属するパシュトゥン民族より小規模な非パシュトゥンの少数民族の人々は言うまでもなく、女性や少女たちも、体制による抑圧の主なターゲットとなっている。アフガニスタンの経済、財政および開発の取り組みは崩壊し、同国の推定4千万人の人口の半数以上に飢餓が迫っている。

一方、米国の政治および軍事のリーダーたちは、正確に言って何が、米国の、ひいてはNATOおよびNATO以外の同盟国の、アフガニスタンにおける戦略的な失敗に繋がったのかを判断するため自己分析してきた。この問題について公に語った最近の高官が、元米軍のイラク・アフガニスタン駐留司令官でCIA長官も務めたデヴィッド・ぺトレイアスである。 The Atlanticに今週掲載された記事において、彼はアフガニスタンにおける米国の失敗の主な理由は、戦略的な忍耐とコミットメントが欠けていたこと、資源配分の誤り、パキスタン国内にあるタリバンの聖地への進入を渋ったこと、そして条件付きではなく時間ベースの軍の撤退、さらには、適切なアフガン人指導者がいなかったことだと指摘している。

ぺトレイアスは、恐らく一部は自責的に、米国のアフガニスタン侵攻が大失敗に終わった理由、および、タリバンと同盟勢力のアルカイダの復権を防ぐにはどうすればよかったかについて、説得力のある主張を述べている。彼は、アフガニスタンにおいて米国は少なくともイラクで達成したことを達成できたはずだ、と仄めかしている。もっともイラクも未だ低迷しているが。しかし彼は、相反する利益をめぐって地域的・世界的な対立が存在する地域において、介入する大国が合理的に耐えられるような期間内に、内陸のアフガニスタンのような伝統的で細分化された国を、存立可能な国家にどうやって変貌させられるかについては述べていない。彼は、歴史的にアフガニスタンにおける国家建設を妨げ、介入する大国が自分たちのイデオロギーと地政学的な目的に沿ってこの国を形作ることを妨げてきた要素を看過しているようだ。

米国の失敗は、その理由が何であれ、タリバンの支配がアフガン人だけでなく西側諸国をも悩ませる国を残してしまったということである。

現在とりうる最善の選択肢は、アフガニスタンの人々を支援し、彼らが平静と力を取り戻し、内部からの変化をもたらせるようにすることだ。タリバンとパキスタンからの支援勢力に対するアフガニスタン国内のレジスタンス(抵抗運動)は拡大している。アフマド・マスードが率いる国民抵抗戦線(NRF)が、アフガニスタンの北部および北東部で非常に活発になっている。マスードは、1980年代のソ連による占領とその後のタリバン政権と戦い、9.11事件の2日前にアルカイーダ・タリバンの工作員に暗殺されたことで知られるアフマド・シャー・マスードの息子である。NRFは、カブール北部のパンジシール州を拠点とするが、その兵士たちは様々な民族的出自を有し、かつて米国が訓練したアフガニスタン軍および治安部隊の一部も含んでいる。NRFは自由で独立した、包摂的で、政治的、社会的および宗教的に進歩的なアフガニスタンを支持している。

NRFの活動に続くように、アフガニスタンのその他の地域でも反タリバン勢力が蜂起している。その中でも、中央部の諸州はハザラス族の伝統的な居住地であるが、彼らは、パンジシールのタジク人のように、タリバンの民族浄化作戦の標的とされているとの報告がある。一方、アフガニスタンの勇敢な女性たちは、完全に沈黙させられたわけではない。粘り強く運動を続けている。

そういうわけで、全てが失われたわけではない。米軍から引き継がれた最新の軍備の量を考えれば、タリバンとの戦いは長く厳しいものとなる。それでも、タリバンおよびその国外の支持勢力が、米国とその同盟国に対する勝利が彼らの民族的政治的優位とアフガニスタンの安定への道を開いたと考えているとしたら、 その期待は中長期的には裏切られることになるだろう。

この記事は、 The Strategistに2022年8月11日付けで掲載されたものです。

INPS Japan

アミン・サイカルは、シンガポールの南洋理工大学ラジャラトナム国際学院で客員教授を務めている。著書に“Modern Afghanistan: A History of Struggle and Survival” (2012)、共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、“The Spectre of Afghanistan: The Security of Central Asia” (2021) がある。

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アミン・サイカル】

世界が今週末、9・11テロ事件の記念日を迎えるとき、他の二つの出来事も思い起こすべきだ。まず、ニューヨークとワシントンへのテロ攻撃の2日前である2001年9月9日、アフガニスタン軍司令官アフマド・シャー・マスードがアルカイダのエージェントによって暗殺された。マスードは、1980年代にはソ連軍と、次いで1990年代にはタリバン・アルカイダ連合と戦っていた。三つの暗い出来事の最後の一つは、1年前にアメリカおよび同盟国がアフガニスタンから撤退する中でタリバンが復権したことである。これらが合わさって、今日のアフガニスタンが陥っている混乱のもととなっている。(原文へ 

アルカイダによるアメリカ攻撃は前代未聞のものだった。同様に前代未聞だったのが、アメリカが対テロ戦争の最初の一撃として、また、極めて伝統的で社会が分裂し、経済的に貧困で、紛争で荒廃した国を民主化しようという試みとして行った報復的アフガニスタン侵攻だ。アフガニスタンは、1978年の親ソ連派によるクーデターの時点から、国内の脆弱性および諸勢力の権力闘争、そして、国外からの介入によって火に油が注がれる、血なまぐさい戦争の泥沼に陥ってきた。

マスードは、独立した主権を有する進歩的なイスラム国家アフガニスタンを目指し、カブールの北のパンジシール渓谷の拠点を要塞に変えた。最初はソ連とカブールにおけるその代理政権に対して、次いで、中世的な神権恐怖政治を打ち立てたタリバンに対してであった。タリバンは、パキスタンの支援を受け、またアルカイダと連携していた。マスードは、その勇敢さ、先見の明とそして戦略的な指導力によって、パンジシールのライオン、あるいは、サンディ・ゴールが近著で評するように「アフガンのナポレオン」として知られるようになった。マスードは、9・11の数カ月前に、アフガニスタンからのテロ攻撃の危険について欧米諸国に警告していた。彼はアルカイダの第一の標的となり、その2日後に実行されたアメリカに対するテロ計画の準備の一環として殺害された。

しかし、マスードのレガシーは彼と共に消え去ったわけではない。タリバン政府を転覆させ、タリバンとアルカイダの指導者と工作者をパキスタンに敗走させたアメリカの軍事作戦にとって、マスードが率いていた軍の協力は極めて重要だったと明らかになった。しかし、タリバンとアルカイダに勝利して彼らを排除することに失敗し、彼らのパキスタンとの繋がりを断つことができなかったことで、2年後に、テロリスト勢力が復讐のカムバックを果たすことを許してしまった。

ワシントンが9・11の黒幕オサマ・ビン・ラディンを追跡し、アフガニスタン侵攻をより広い意味の対テロ戦争に巻き込み、さらに民主化政策を進めようとした結果、アフガニスタンは変化・発展していくという、非常に困難な道のりを歩むことになった。これらの取り組みによって、アメリカおよび同盟国によるアフガニスタンへの関与は長引いて深みにはまり、また、対テロ戦争はアメリカによるイラク侵攻に繋がり、アメリカの資源がアフガニスタンからシフトしていくこととなった。民主化の試みは、ハミド・カルザイおよびアシュラフ・ガニ両大統領の下での無能で簒奪主義的なアフガニスタン政権を生み出した。

これら2人の指導者のいずれも、その他多くの有力者と同様、自己利益と権力闘争から自らを解放して、国民の統一と幅広い繁栄をもたらすことはできなかった。彼らはアフガニスタン国民を失望させただけでなく、アメリカとその同盟国にとって、その地域での実効的で信頼に足るパートナーとなることもできなかった。一方、その莫大な人的、物的資源の投入にもかかわらず、アメリカは、アフガニスタンとその近隣地域の複雑さについて正しい理解を欠いていたため、適切な戦略を進めることができなかった。大国が小さな戦争に負ける際の典型的な例で、アメリカはアフガニスタン国民を失望させた。タリバンとその支援者たちにとっては、これ以上願ってもない展開となった。

アメリカとその同盟国は、勝てない戦争から軍を撤退させることをとうとう決定した。アメリカで声高に戦争を批判していたドナルド・トランプ大統領が、見当違いで新保守主義的な共和党の信奉者であるアフガン系アメリカ人、ザルメイ・ハリルザドの助けにより、2020年、タリバンとの恥ずべきドーハ和平合意を締結するに至った。それは、なんらの見返りもなく、すなわち紛争についての実行可能な政治的解決はもとより、全面停戦すらなく、あらゆる外国勢力をアフガニスタンから撤退させるということだった。アフガニスタンは皿に乗せられて、タリバンとその国外の支援勢力に提供された。トランプの次の大統領となったジョー・バイデンは、お粗末ではあったが、とにかくそのプロセスを完遂し、タリバンが個人の指導に基づく神権的秩序を宣言する扉を開いた。そのタリバン指導者らの大半は依然として国連のテロリスト一覧に載っており、その一部はFBIの指名手配対象でもある。

ハリルザドおよびその他いく人かの考えの甘いアナリストたちは、タリバンは変わったと信じていたが、今や「ニュー・タリバン」などというものは存在しないことが明らかになった。タリバンは、恐怖政治を復活させ、女性そして神権的、抑圧的な統治に反対するあらゆる者を標的にしている。アフガニスタンにおける20年間にわたるリベラル寄りの変化と再建の取り組みによって、教育を受け、連帯感をもつ若い世代がより良い将来への希望と共に育ってきていたが、それらはすべて覆されてしまった。

アフガニスタンは、経済、財政、社会および文化の面で暗黒時代に突入させられている。人口の半分が飢餓に直面し、のけ者国家になってしまった。タリバンの排他性、民族至上主義および時代遅れの宗教性を特徴とする政治は、反米のスタンスゆえにロシアおよび中国にとっては魅力があるかもしれないが、アフガニスタンの状況は恐ろしいほどに忌まわしく、困難なものになってしまった。

マスード(彼を背景に欧米は冷戦に勝利したと『ウォール・ストリート・ジャーナル』は述べた)の理想は、自由で前進的な、多民族かつ熱心なイスラム国家たるアフガニスタンだった。この目標はいま難局に面しているが、けっして雲散霧消してしまったわけではない。高等教育を受け戦略的思考を身に着けた彼の息子、アフマド・マスードがそれを引き継ぎ、現在、タリバンに対抗する民族抵抗戦線(NRF)を率いている。NRFの兵士たちは、タリバン前の政府の軍および治安部隊のメンバーも含んでおり、再編成されてアフガニスタン北東部および北部の12州において展開している。NRFは、自由、公選された包摂的な政府および人権、具体的には、タリバンの非人間的で残虐な制約と懲罰の前に大変な勇敢さを見せた女性と子どもの権利の尊重を望んでいる、大半のアフガニスタン国民の希望の宝庫となっている。NRFの作戦は、アフガニスタン国内の他の一部地域でも育ちつつあるレジスタンスによって補完されている。

タリバンは、そうした政治にとって適任ではない。彼らは、啓蒙されたイスラム主義を受け入れるために自ら変わる様子もなく、内部で団結してもいない。反タリバン勢力が、国内的にも国際的にも合法的な、参加型の統治機構、および人権と女性の権利を尊重する、統一された主権国家アフガニスタンに向けて交渉できるようになるまで、欧米が彼らを支援することが不可欠だ。いかなる状況であれ、アフガニスタンの魂のための苦闘は続いていく。

アミン・サイカルは、シンガポールの南洋理工大学ラジャラトナム国際学院で客員教授を務めている。著書に“Modern Afghanistan: A History of Struggle and Survival” (2012)、共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、“The Spectre of Afghanistan: The Security of Central Asia” (2021) がある。

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労働移住と気候正義?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=キャロル・ファルボトコ、タウキエイ・キタラ、オリビア・ダン】

移住は、気候変動に対する適応策となりうるものである。適応策としての移住には、気候に脆弱な場所からの恒久的移住だけでなく、一時的移住も含まれる。一時的移住者が、資金、新たな知識、改良された技術などの資源を持ち帰る、または送り返すことにより、気候に脆弱な地域のコミュニティーにレジリエンスを構築することができる。

太平洋島嶼地域では歴史的に、一時的な国際労働移住は多くの国家の経済を支える重要な要素となっている。現在、オーストラリアとニュージーランドの両国が太平洋島嶼国(サモア、トンガ、フィジー、キリバス、ツバル、バヌアツ、ソロモン諸島、パプアニューギニア、ナウル)の国民に対し、国内労働者が不足している園芸や食肉加工といった産業での就労機会を提供している。これは、ニュージーランドでは認定季節雇用者(RSE)制度、オーストラリアでは太平洋・オーストラリア労働移動(PALM)制度により実施されている。(原文へ 

移民を送り出す太平洋島嶼国、特にツバルやキリバスのような小さな環礁国では、全体的な気候変動適応策や気候変動による人口移動に関する政策の要素として、国際労働移住がますます注目されるようになっている。実際、太平洋島嶼地域は現在、気候変動による人口移動に関する地域枠組みを確立しつつある。この枠組みの下で、国境を越えた労働移住は、気候変動という文脈において促進する必要がある移動として位置づけられる。

しかし、太平洋島嶼地域の労働者が利用しているオーストラリアとニュージーランドの労働移動制度は、現時点では気候適応策としての移住という概念を認めておらず、気候正義を実現する有望な手段として労働移住を位置づけてもいない。むしろ、これらの制度はひとえに経済発展という観点で構成されている。現状では、労働者の出身国の適応成果を改善するための明確なメカニズムは、これらの制度にはない。

気候正義には、最も気候変動の原因とはなっていない人々が、気候変動の影響を不釣り合いに大きく受けるという認識が必要である。気候変動により不釣り合いに影響を受ける人々の権利を解決の中心に据える必要がある。気候正義に関する事項は、国際労働移住については特に重要であるとわれわれは訴える。なぜなら、多くの場合、労働者は気候に脆弱な場所から国境を越え、より多くの温室効果ガスを排出してきた先進国に移住するからである。したがって、これらの先進国は、自国内で労働移住プログラムを提供することによって気候正義を明確に前進させる責任があると言えるだろう。

興味深いことに、気候主流化、つまり政策分野に気候変動問題を組み入れるという課題はオーストラリアの開発支援政策の重要な柱となっているものの、労働移動プログラムは気候主流化の対象とはなっていない。その理由は不明であり、さらなる調査を必要とするが、太平洋島嶼民の移住と気候変動を関連づけることへの政治的懸念、あるいはこれを主流化することに伴う複雑性やコストがあるのではないかと思われる。

また、国際労働移住制度を移民送り出し国の気候変動適応政策とどのように調和させることができるか、気候適応と気候正義を前進させるためにどのように制度を強化することが考えられるかという問題がある。気候に脆弱な場所に住む人々に出稼ぎの機会が存在することは、それ自体では太平洋島嶼民にとって気候正義を前進させることにはならない。それにはいくつかの理由がある。

第1に、家族やコミュニティーを母国に残してきた出稼ぎ労働者は、一般的に経済的な利益を得るが、このような利益には、外国で働いている間に心身の不健康や家族の不和が生じるといった、重大な社会的リスクや精神的リスクが伴うことも多い。長期契約の場合は、配偶者や子どもを同伴できる選択肢を設けることが特に重要である。なぜなら、家族の別離という問題は、現在、労働者とそのコミュニティーに重大な社会課題をもたらしているからである。

第2に、気候に脆弱な場所にある故郷のコミュニティーも、社会・経済的ダイナミクスの大きな変化を経験する。例えば労働が増大し、多くの場合はさらなる負担を女性たちに負わせる。また、持続可能な(経済的、社会的、環境的)開発成果という点で全体的利益があるのか、あるとしたらどのような規模か(世帯、コミュニティー、国)ということもはっきりしない。

第3に、労働者やコミュニティーが経験する社会的・精神的課題は、気候変動の課題と気候変動への懸念に拍車をかける可能性がある。

第4に、現在実施されているプログラムでは、労働者、具体的に言えば、外国で数年間働いてきて、多くの場合現地でのネットワークや雇用者との信頼関係を築いている労働者に対して、恒久移住という選択肢が与えられていない。一部の労働者(全員ではないが)が、定住して恒久的な契約を結びたいと考えるのは当然のことである。それは、労働者にとって利益になるだけでなく、雇用者にとっても、労働者の家族にとっても、また、多くの場合は遠隔地・過疎地域である就労先のコミュニティーにとっても利益になる。

以上の理由から、現状のような労働移住制度では、太平洋島嶼民のための気候正義を前進させることはできそうもない。また、国際労働移住による環境適応という利益も、労働者、その家族、コミュニティーに高負担をもたらす恐れがある。先進国が設置する国際労働制度は、移民送り出し国と受け入れ国の両方の気候変動適応政策と歩調を合わせるとともに、気候正義の問題も十分に認識しなければならない。

また、調和は全体的なものでなければならない。恒久移住の選択肢を追加するだけといった、既存政策への断片的な追加では不十分であろう。例えば、恒久移住を選べることは重要かもしれないが、労働者が新たな居住地への法的資格を得るまでに何年間も社会的・精神的な苦境に耐えなければならないのであれば、たとえ厳密には可能であるとしても、必ずしも気候正義を達成することにはならないだろう。

キャロル・ファルボトコは、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の科学研究員およびタスマニア大学のユニバーシティ・アソシエートである。
タウキエイ・キタラはツバル出身で、現在はオーストラリアのブリスベーンに居住している。ツバルNGO連合(Tuvalu Association of Non-Governmental Organisation/TANGO)というNPOのコミュニティ開発担当者であり、ツバル気候行動ネットワークの創設メンバーでもある。ツバルの市民社会代表として、国連気候変動枠組条約締約国会議に数回にわたって出席している。ブリスベーン・ツバル・コミュニティー(Brisbane Tuvalu Community)の代表であり、クイーンズランド太平洋諸島評議会(Pacific Islands Council for Queensland/PICQ)の評議員でもある。現在、グリフィス大学の国際開発に関する修士課程で学んでいる。
オリビア・ダンは、オーストラリアのウーロンゴン大学地理・持続可能コミュニティー学部で博士研究員を務めている。環境科学、強制移住研究、国際開発のバックグラウンドを生かし、環境変動、農業変化、人の移動が交わる領域を分析する研究を行っている。

INPS Japan

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核不拡散条約再検討会議、失敗に終わる

【国連IDN=タリフ・ディーン

世界の主要な核兵器国であるロシアによるウクライナ侵攻が核使用の恫喝を引き起こしているだけではなく、戦火に見舞われているザポリージャ原発敷地外での緊急演習まで開始されたことで、欧州全体に警告ベルが鳴り響いている。

この厳しい状況の中、4週間にわたって開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議は8月26日、失意のうちに終了した。

非公開での会合や公開討論が行われたが、最終「成果文書」の取りまとめには至らなかった。

Photo: UN General Assembly Hall. Credit: UN
Photo: UN General Assembly Hall. Credit: UN

数多くの政府代表や反核活動家は何の成果もなく手ぶらで帰国の途につくことになる。長期にわたって開催される国際会議としては異例の事態だ。

核兵器禁止条約の批准・履行を100カ国以上で推進している非政府組織の連合体「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、ロシアが「最終合意を阻止した」として非難した。

今回の会議は、ロシアがウクライナを侵攻し、それに伴って核兵器使用の恫喝がなされて国際的緊張が高まり、核兵器使用のリスクが高まる中で開催されたものだ、とICANは指摘した。

会期中、191の加盟国の多くは、核のリスクを低減するための決定的行動を取り、核使用の威嚇を非難し、核戦力の拡大・強化を非難し、条約に定められた核軍縮義務の実行に関して進展をもたらす必要について言及した。

Beatrice Fihn
Beatrice Fihn

ICANのベアトリス・フィン事務局長は「この結果は末恐ろしいほど不真面目であり、受け入れがたいほど危険な世界情勢を前にして、完全に責任を放棄したものだ。」と語った。

「NPT上の核兵器国がその核兵器を利用して違法な侵略を進める中で、核保有国は自らの軍縮義務を進展させることを怠っただけではなく、核兵器使用のリスクがますます高まる中で820億ドル以上を核戦力の維持・強化に浪費している。再検討会議が何の行動も起こさないのは許しがたいことである。」

かつて国際原子力機関(IAEA)で検証・安全保障政策局長やNPT代表団の代表代理などを務めた経験のあるラリク・ラウフ氏はIDNの取材に対して「第10回NPT再検討会議が、NPTそのものや1995年・2000年・2010年の合意の履行を強化する勧告や行動に何ら合意できなかったことは驚きではない。」と語った。

今回の再検討会議は、ロシアの対ウクライナ侵攻やザポリージャ、チェルノブイリ両原発近辺での戦闘をめぐって失敗に終わったとは言えるが、核軍縮をめぐるスケジュールや基準、責任の果たし方をめぐって合意がなかったことにも大きな不満が残された。

Tariq Rauf
Tariq Rauf

イスラエルに対してきわめて弱い形でしか核兵器放棄を求めていない中東非核兵器地帯に関するほとんど意味のない文言にエジプトが合意したことは予想外だった、とラウフ氏は語った。

ラウフ氏は、エジプトが米国になびいた結果なのではないかという他のアラブ諸国の見方を伝えている。

「再検討会議に公式代表として出席するのは7回目になるが、5つの核兵器国やその核に依存する同盟国が、核軍縮を進める気がないことや、核兵器禁止条約がNPTと補完的な役割を果たすことを認識すべきとの動きを妨げていることは、本当に残念だ。」

ラウフ氏は、核兵器依存国にとって大事なのは核兵器の削減ではなくリスク低減であった、と指摘した。

一部の国の反対によってNPT再検討会議が合意に至れなかったのは今回が初めてではない。1990年、1998年、2005年、2007年、2015年には米国が頑なな態度をとったために合意に失敗した(2015年の場合はカナダと英国が米国に同調した)。

「2003年、2005年、2015年の行き詰まりにはエジプトが絡んでおり、2007年にはイラン、そして今年はロシアだ。核兵器使用の危険が高まっているのに、核保有国や核兵器依存国は、核の脅威によって暗雲が漂う中でも行動を取ろうとしない」と警告した。

今回の再検討会議議長のグスタボ・ズラウビネン大使(アルゼンチン)はきわめてうまく仕事を進めたが、8月26日夕方の最終段階まで、ウサギをウサギ小屋から追い出すことができなかった、とラウフ氏は語る。ここで言う「ウサギ」とは「最終成果文書」のことだが、NPT加盟国は初めから「ウサギ」など存在しないようにすべく努力をし、したがって議長は「ウサギ」を見つけることができなかったのである。

Rebecca Johnson at the 2022 Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons/ photo by Katsuhiro Asagiri
Rebecca Johnson at the 2022 Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons/ photo by Katsuhiro Asagiri

NPTの専門家であり、核問題について40年以上研究してきたレベッカ・ジョンソン博士はIDNの取材に対して「核の脅威や核拡散、戦争の脅威が高まる中、今回のNPT再検討会議が失敗に終わったことは危険な兆候ではあるが、驚きではない」と語った。

「ウクライナのザポリージャ原発に関する言及をロシアが拒否する以前から、NPT成果文書の草案は、軍縮や不拡散、核使用・核戦争・核事故を予防する必要性について、決定的に弱められていた。」

「軍事的な脅威が核施設と結びついた際に世界的に引き起こされる重大な人道上、環境上の危険を過小評価してはいけない。それに、ロシアをはじめとしたNPT上の核保有国がこの4週間をお互いの非難のために浪費しただけではなく、既存の核戦力に影響を与えるような核軍縮を巡る意味のある勧告と行動を阻止するために共謀したという事実も忘れてはならない。」

「核保有国は、表面上の言葉とはうらはらに、核兵器を維持するためにお互いに助け合い、核兵器禁止条約を含めた核軍縮措置を無視したり貶めたりしてきた。」

「恥ずべきことにフランスは、ウィーンで今年開催された核兵器禁止条約第1回締約国会合が宣言文と行動計画を採択したという基本事実を含め、同条約への言及を含んだ文言の一切を削除するよう要求した。現実を無視することは危険であるだけではなく愚かだ。」

ジョンソン博士は、核禁条約の成果文書は明白かつ具体的であり、核使用の予防、核戦力の検証可能な廃止、核の影響を受けた地域・環境の支援と修復の問題を扱っていると指摘した。

「NPTの失敗は、核保有国が核への依存を拡大し、核兵器の能力を強化することに忙殺されているからだ。彼らは、核兵器によって抑止力が与えられ、さまざまな形での軍事行動の自由が与えられると考えているが、それは誤っている。」

「安全、安心、環境に優しいものであるかのように、原子力技術を最高入札者に宣伝、販売しながら、どうして核保有国が『責任あるNPT加盟国』などと自らを呼ぶことができようか。」と、ジョンソン博士は付け加えた。

NPT会議では、米国・英国・中国がオーストラリアの原子力潜水艦導入計画(AUKUS同盟)をめぐって角を突き合わせる一方で、数多くの太平洋諸国の懸念や反対論は無視された。「NPT会議がずっと失敗に終わってきていることも無理はない。」と、ジョンソン博士は語った。

「私は、1994年以来すべてのNPT会議で核の安全や軍縮、保安問題に取り組んできたが、成功した会議はほとんどみたことがなく、失敗と政治的なポーズばかりであった。金曜(8月26日)夜遅くの国連総会議場では、怒りと失望、希望と決意の声が聞かれた。オーストリアは、核軍縮に実際の進展をもたらしたいと願っているすべてのNPT加盟国に対して、核禁条約への参加を呼びかけた。」

核禁条約の第1回締約国会合は、実際の世界において核軍縮と核保安を達成するためのより集団的、包摂的、実践的措置に向けて何を成すべきか、どのような基礎を敷くべきかを見せてくれた。

それを基盤として、「私達は、多くの非核保有国を代表したメキシコの次のような共同声明に盛り込まれた公約の実現に向けて努力をしなくてはならない―私達は、すべての国が核兵器禁止条約に加入し、最後の核弾頭が不可逆的に解体・破壊され、核兵器がこの地球上から完全に廃棄されるまでは、歩みを止めることはない。」とジョンソン博士は語った。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、NPT再検討会議が実質的な成果に関する意見の一致に至らず、NPTの強化とその目標の前進に向けた機会をとらえそこなったことに対して、失望を表明した。

グテーレス事務総長は、「NPT加盟各国が真摯かつ意味のある関与を行い、今回の会議がNPTをグローバルな軍縮・不拡散体制の『礎石』と認識した事実」を歓迎しつつも、集合的な安全保障を危険にさらしている火急の問題に対処できなったことに遺憾の意を表した。

「世界の環境が悪化し、偶発的あるいは計算違いを通じて核兵器が使用されるリスクが高まる中、緊急かつ決意を持った行動が求められている。」とグテーレス事務総長は述べ、緊張を緩和し、核リスクを低減し、核の脅威を完全に除去する対話・外交・交渉のあらゆる道を探るよう、すべてのNPT加盟国に要請した。

核兵器なき世界は、軍縮をめぐる国連の最優先課題であり、グテーレス事務総長が最も重視している目標でもある。

事務総長は、成果文書の合意に向けて熱心に取り組んだNPT再検討会議のズラウビネン議長に感謝の意を表明した。

Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri
Daryl Kimball/ photo by Katsuhiro Asagiri

1975年の第1回再検討会議の時から条約履行の進展に注目してきた「軍備管理協会」(米ワシントンDC)のダリル・G・キンボール会長は、「NPTはしばしばグローバルな核不拡散・核軍縮の「礎石」と呼ばれているものの、今回の会議の議論と結果は、この条約の基礎にヒビが入っており、核保有国間にも深い分断があることを示している。」と語った。

「ロシアがNPT再検討会議でザポリージャ核危機をどう扱うべきか、もっと柔軟に対応したとしても、会議の交渉で出てきた最終文書草案は、条約への一般的支持があることを述べながらも、軍縮の目標と目的に対するリーダーシップと具体的な行動が欠けていることを示している。」とキンボール氏は語った。

「今回のNPT会議は、核軍拡競争と核兵器使用の高まる危険に効果的に対処するのに不可欠な基準と時限を伴った具体的な行動計画に合意できず、条約そのものと世界の安全を強化する機会をとらえそこなってしまった。」

「条約草案で合意された軍縮措置のリストの中で、一定の期間内に無条件で具体的な行動ステップを定めている重要な項目が一つあった。」草案のパラグラフ187.17にはこう述べられていた。

「ロシア連邦と米国は、それぞれの核戦力を不可逆的かつ検証可能な形でさらに削減するために、新STARTの完全履行と、同条約の2026年の失効前に同条約への後継枠組みに関する交渉を誠実に進めることを約束する。」

元IAEA事務局長でノーベル平和賞受賞者のモハメド・エルバラダイ氏はツイッターでこうつぶやいた。「残酷な真実だが、いかに糊塗しようとも、9つの核保有国には核軍縮の意図など無いことが明らかになってしまった。それとは逆に『使える』兵器と運搬手段の洗練化に向けて動いている。つまり裸の王様だということだ。」(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ニュース国連・市民社会政治・紛争・平和

|視点|世界最後の偉大なステーツマン、ゴルバチョフについて(ロベルト・サビオIPS創立者)

【ローマIDN=ロベルト・サビオ

最後の偉大なステーツマンであるミハイル・ゴルバチョフ氏の死によって、ひとつの時代が終焉した。

私は、「ゴルビー(ゴルバチョフ氏の愛称)」が2003年にイタリアピエモンテ州と本部契約を結んでトリノに設立した「世界政治フォーラム(WPF)」の副代表として、彼と仕事をする機会に恵まれた。

World Political Forum/ photo by Katsuhiro Asagiri
World Political Forum/ photo by Katsuhiro Asagiri

このフォーラムには、ヘルムート・コール元独首相からフランソワ・ミッテラン元仏大統領、ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ元ポーランド大統領からオスカー・アリアス元コスタリカ大統領まで、世界中から著名人が集まり、世界で何が起きているのかを議論し、それぞれの役割と過ちについて率直に語り合った。

2007年のWPFで、ゴルバチョフ氏が、コール氏との会談で北大西洋条約機構(NATO)の境界線を統一ドイツより先(=東側)に移動させないことを確約する代わりに、東ドイツのエーリッヒ・ホーネッカー政権への支援を撤回することに合意したことを出席者に思い起こさせていたことが忘れられない。その際コール氏は、同席していたジュリオ・アンドレオッティ元イタリア首相を指して、「欧州最大の大国(=統一ドイツ)をつくることにそれほど熱心でない人もいる、それはマーガレット・サッチャー氏も同じ立場である。」と応えていた。

アンドレオッティ元首相は、「私はドイツを愛しているから、2つある方がいい。」と発言していた。そして米国の代表団は、このコミットメントを認めながらも、ジェームズ・ベーカー国務長官が、NATOを拡大し続け、ロシアを締め付けようとするタカ派に圧倒されたと不満を漏らしたのである。

こうした西側の対応に関するゴルバチョフ氏のコメントは秀逸で、「(西側諸国は)北方式の社会主義路線を続けようとする(ゴルバチョフ氏が率いる)ロシアに協力するのではなく、それを急いで崩壊させ、代わって条件付きで取り込めるボリス・エリツィン氏を迎えた。」というものであった。

しかし、エリツィン氏の後に登場したウラジーミル・プーチン氏は、違った見方をし始めた。

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

ゴルバチョフ氏はドナルド・レーガン大統領に協力し、冷戦を終結させた。米国の歴史学者らが、共産主義に対する歴史的勝利と冷戦の終結をレーガン大統領に帰結するのは滑稽である。ゴルバチョフ氏がいなければ、強力だが鈍重なソ連官僚機構は抵抗し続け、改革は間違いなく力を失っていただろう。また、ベルリンの壁は崩壊せず、東欧の社会主義諸国に自由の波が押し寄せるのは、紛れもなくレーガン大統領の任期後であっただろう。

レーガン氏以上に、ゴルバチョフ氏がいかに平和と軍縮の道を進もうとしていたかは、1986年のレイキャビク米ソ首脳会談で明らかになった。ゴルバチョフ氏がレーガン氏に核戦力の全廃を提案すると、レーガン氏は「時差があるから、後でワシントンに相談する。」と回答した。

翌日の会談でレーガン氏は、米国が核弾頭の40%を廃棄することを提案していると伝えた。するとゴルバチョフ氏は、「それ以上できないのであれば、そこから始めましょう。しかし、我々は今地球と人類を何百回も破壊できることを忘れないでください。」と答えた。辞任をちらつかせるほどだったキャスパー・ワインバーガー米国防長官が、当時もっと先を見据えていたならば、ロシアの核武装解除が間違いなく米国の利益になっていたであろうことは、いずれ時が証明するだろう。

エリツィン氏はゴルバチョフ氏に屈辱を与え、彼に取って代わろうと、あらゆる手を尽くした。ゴルバチョフ氏からあらゆる年金や役得、ボディーガード、公用車などを剥奪し、数時間でクレムリンを退去させた。しかし、プーチン氏の見方によれば、ゴルバチョフ氏は実質的に人民の敵になったのだ。

ゴルバチョフ氏に対するプロパガンダは、粗雑ながらも効果的であった。同氏はソ連の偉大な悲劇の終焉を指揮し、西側を信奉していたとされた。その結果ソ連はNATOに包囲され、プーチン氏は歴史の名の下に、ゴルバチョフ氏が放棄した偉大な力の少なくとも一部を回復することが自らに求められている義務だと考えていた。

エリツィン氏登場以来、ゴルバチョフ氏に寄り添ってきた人々は、歴史の流れを変えた長老政治家が、目前で起きている現実に深く苦悩している様子を目の当たりにした。もちろん、マスコミは、ロシア国民に多大な犠牲を強いるエリツィン時代の深い腐敗については、無視することを選んだ。

エリツィン政権下、米国の経済学者チームがロシア経済全体を民営化する政策を打ち出し、ルーブルの価値と社会サービスはたちまち崩壊した。平均寿命は一気に10歳も短くなった。私は、当時ホテルで食べる朝食が、ロシア人の平均的な月額の年金と同じ値段であることに大きな衝撃を受けたことを覚えている。黒装束の老婦人らが、わずかな貧しい持ち物を路上で売っているのを見たときは、深い悲しみに包まれたものだ。

その一方で、エリツィンの友人である一部の党幹部らが、売りに出された大型国営企業をバーゲン価格で買い占めていた。

しかし、金持ちのいない社会で、どうやってそれを実現したのだろうか。ジュリエッタ・キエーザ氏は、トリノの『ラ・スタンパ』紙の調査でこのことを記録している。

米国の圧力で、国際通貨基金(IMF)はドルを安定化するために50億ドルの緊急融資を行った(1990年)。このドルは、ロシア中央銀行には届かず、IMFからも何の疑問も呈されなかった。後のオリガルヒたちはこれを分け合い、突然億万長者になっていることに気がついたのである。

エリツィンは政権を去らなければならなくなったとき、自分とその取り巻き連中の免責を保証してくれる後継者を探した。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

エリツィン氏のあるアドバイザーが、「チェチェンの反乱を収拾できる」人物としてプーチン氏を紹介した。そして、プーチン氏は、オリガルヒが政治に関与しないことを一つの条件に合意した。しかし、そのうちの1人であるミハイル・ホドルコフスキーは、この協定を守らず、政権に反対する動きを見せたため、財産を没収され、投獄されたのは周知の通りである。

ゴルバチョフ氏は最後のステーツマンである。トリノに右派政党の北部同盟(レガ・ノルド)が登場したことで、世界政治フォーラムを開催するという合意は、なんとキャンセルされてしまった。フォーラムはルクセンブルグに移り、その後、ローマのイタリア人財団が環境問題に関する活動の一部を(非常に先見の明があった)引き継ぐことになった。

ゴルバチョフ氏の右腕であり、ソ連共産党時代から民主化への移行期に同氏の報道官を務めた優秀な分析家であるアンドレイ・グラチョフ氏はパリに移り、ロシアに関する様々な分析を発信している。糖尿病を患うゴルバチョフ氏は、母親がウクライナ人であったため、ロシアによるウクライナ侵攻を個人的な悲劇として体験した。厳しい監視のもと病院に引きこもり、ついに8月30日命を落とした。ステーツマンの時代は終わり、歴史の主人公たちによる討論の時代も終わった。

ゴルバチョフ氏以降、政治家らはステーツマンの資質を失ってしまった。彼らは次第に議論を棚上げにする一方で選挙での成功や、短期的な成果を要求するレベルに後退するとともに、有権者の理性ではなく、容赦ないフェイクニュースキャンペーン等によって左右される彼らの本能に目を向けるようになった。

これは、9月4日のチリでの憲法投票から、ジャイル・ボルソナロブラジル大統領、ボンボン・マルコスフィリピン大統領、プーチン氏、ひいてはヴォロディミル・ゼレンスキー氏まで、米国のロナルド・トランプ前大統領が世界に輸出することに成功した流儀である。

Roberto Savio
Roberto Savio/ photo by Katsuhiro Asagiri

そして、私は自分の苦渋と失望を書き留めることになった。ゴルバチョフ氏という私の師匠の一人の死に対してだけでなく、今や決定的に終焉を迎えたと思われる時代、つまり、大きなリスクを伴いながら、平和(Peace)と国際協力という大きな目標に向かって、世界を揺り動かすことができたPのつく政治という時代に対してである。

そして、書き続けること。ほとんどの人が気づいていない不快な真実は、敵対的な介入や嘲笑によってすぐに埋もれてしまうだろう。少し前にグラチェフ氏が電話で私に言ったことは正しかった。「ロベルト、私とあなたの犯した間違いは、私たちの時代を生き延びてしまったということだ。私たちも気をつけましょう。私たちは結局、厄介者になるのですから……。」(原文へ

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